更訂 H28.12.8



  求める心・貪りの心を消滅することについて



『すべての貪りを離れ、貪りの心を滅して完全な精神的自由を得た者は、求める心を離れ、誤った見解の生ずるところを根絶している。』

  求める心を知ること、求める心の生起を知ること、
  求める心の止滅を知ること、求める心の消滅に到る道を知ること。


 ここで私たちが、仏陀の弟子として学ぶこと・知ることは、その心の執着の消滅の道を知ること。

 魔術という事柄に関しても同じく、その求める心を知ること、その執着・貪りの心を知り、その執着・貪りの心の消滅に到る道を知ること。

  すなわち、
  求めてしまう心を知ること、求めてしまう心の生起を知ること、
  求めてしまう心の止滅を知ること、求めてしまう心の消滅に到る道を知ること。





【その心が止むところと、ならびにその消滅に到る道とを知り、求める心を消滅すれば、
 その比丘は、無欲なる者、涅槃に入った者である】


  求める心(求める心を消滅する道を知ること)

 たしかに次のことを世尊が説かれた、尊むべきお方が説かれた、と私は聞いている。

「比丘たちよ、これら三の求める心がある。

 三つとは何か。

 欲望の楽しみを求める心、生存を求める心、浄らかな修行によって名声を得ることを求める心である。
 比丘たちよ、これらが三の求める心である」

このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた、
「心落ち着き、熟慮し、思念する仏陀の弟子は、求める心と、求める心の生起を知る。
 その心が止むところと、ならびにその消滅に到る道とを知り、求める心を消滅すれば、
 その比丘は、無欲なる者、涅槃に入った者である」と。

 このことをもまた世尊は説かれた、と私は聞いている。



【すべての貪りを離れ、貪りの心を滅して完全な精神的自由を得た者は、
 求める心を離れ、誤った見解の生ずるところを根絶している。
 求める心の消滅によって、比丘は欲がなく、疑いがない】


  求める心(誤った見解〔執着〕を消滅すること)

 たしかに次のことを世尊が説かれた、尊むべきお方が説かれた、と私は聞いている。

「比丘たちよ、これら三の求める心がある。

 三つとは何か。

 欲望の楽しみを求める心、生存を求める心、浄らかな修行によって名声を得ることを求める心である。
 比丘たちよ、これらが三の求める心である」

このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた、
「欲望の楽しみを求める心、生存を求める心、浄らかな修行によって名声を得ることを求める心、この三の集まりは、これは真実であると誤って執着することであり、誤った見解を生ずるところである。

 すべての貪りを離れ、貪りの心を滅して完全な精神的自由を得た者は、求める心を離れ、誤った見解の生ずるところを根絶している。求める心の消滅によって、比丘は欲がなく、疑いがない」

 このことをもまた世尊は説かれた、と私は聞いている。



【真理を見る者は、仏陀を見る。
 真理を見ない者は、仏陀を見ない。】


  大衣

「比丘たちよ、たとえ比丘が私の大衣のもすそをにぎり、私の後にしたがい、私の足跡を踏んでも、
 彼が、もし貪りがあり、愛欲に対して激情をいだき、憎しみの心をもち、邪な考えをいだき、自制心を失い、はっきり心にとめず、心が統一せず、心が散乱し、感官が制御されていないならば、
 そのとき彼は、私より遠く離れ、また私は彼より遠く離れている。

 それはなぜであるか。

 比丘たちよ、その比丘は真理を見ない。

 真理を見ない者は私を見ないからである。


 比丘たちよ、たとえその比丘が百ヨージャナ離れたところに住んでいても、
 彼が、もし貪りがなく、愛欲に対して激情をいだかず、憎しみの心をもたず、邪な考えをいだかず、自制心をもち、はっきり心にとめ、心を統一して心を一点に集中し、感官を護るならば、
 そのとき彼は、私に近づき、また私は彼に近づく。

 それはなぜであるか。

 比丘たちよ、その比丘は真理を見る。

 真理を見る者は私を見るからである。


 たとえ彼にしたがっても、大欲をもち、障りがあれば、欲に従う者は無欲の者より、涅槃に達しない者は涅槃に達した者より、また、貪りを求める者は貪りを離れた者より、いかに遠ざかっているかを見よ。

 智者は真理をはっきりと知り、真理をよく知って、欲を離れ、静かな池のように、心静まる。

 欲のない者は無欲の者に、涅槃に到った者は涅槃に達した者に、貪りのない者は貪りを離れた者に、いかに近づいているかを見よ」