最上の優しさ(慈悲)について



 仏陀(覚者)は、すべての生きとし生けるものにたいして、慈悲を垂れ、苦しみの消滅・全き安らぎへと導く。

 仏陀(人格完成者)は、最上の優しさを持ち、すべての生きとし生けるものにたいして、慈悲を垂れ、あわれみをかけ、──、利益を求めてやり、不利益なことをとり除き、有益なことを与える





  全知者の最上の慈悲


 デーヴァダッタは何故出家を許されたのか

大王は問うた、
「尊者ナーガセーナよ、デーヴァダッタは誰によりて出家したのですか」

尊者ナーガセーナは答えた、
「大王よ、これらのクシャトリヤの青年、バッディヤ、アヌルッダ、アーナンダ、バグ、キンビラ、デーヴァダッタ、そして七人目に理髪師のウパーリは、師(仏陀)が覚とりを開いたとき、歓喜のあまり、尊き師(仏陀)にならって出家しようと、釈迦族から出家したのです」

「尊者よ、デーヴァダッタが出家した後、サンガ(仏教教団)は彼によりて破壊されたではありませんか」

「大王よ、そうです。
 サンガはデーヴァダッタによりて破壊されました。

 在俗の者はサンガを破壊することはできません。
 比丘尼も式叉摩那(出家見習者)も、男性の信者も、女性の信者もサンガを破壊することはできません。

 正しい比丘が生活を共にし、一定の制限地域(結界)内に住むものがサンガを破壊するのです」

「尊者よ、サンガを破壊する者は、いかなる業の報いを受けるのですか」

「大王よ、一劫の間、持続する業の報いを受けるのです」

「尊者ナーガセーナよ、仏陀は、”デーヴァダッタは出家した後、サンガを破壊するであろう。サンガを破壊した後、一劫の間、地獄において苦しみを受けるであろう”ということを知っておられたのではないのですか」

「大王よ、そうです。
 如来(仏陀)は”デーヴァダッタは出家した後、サンガを破壊するであろう。サンガを破壊した後、一劫の間、地獄において苦しみを受けるであろう”と知っておられたのです」

「尊者ナーガセーナよ、もしも、仏陀が”デーヴァダッタは、出家した後、サンガを破壊するであろう。サンガを破壊した後、一劫の間、地獄において苦しみを受けるであろう”と知っておられたのであるならば、
 尊者ナーガセーナよ、”仏陀はすべての生きとし生けるものにたいして、あわれみをかけ、──、利益を求めてやり、不利益なことをとり除き、有益なことを与える人である”という言葉は誤りに違いないのです。

 また、もしもそれを知らないで、彼を出家せしめたのであるならば、しからば、仏陀は全知者ではない。

 これもまた、あなたに提出された両刀論法の問いです。
 この大難問を解き、反対者の説を破ってください。
 未来において、あなたのような智慧のある出家者は得がたいでありましょう。
 この際に、あなたの力量を示してください」

「大王よ、如来は慈悲の人であり、また全知者です。

 大王よ、尊き師は慈悲と全てを知る智慧とによりて、デーヴァダッタの行く末を眺めつつ、デーヴァダッタが業の上に業を積み
重ねて、一兆劫の間、地獄から地獄へ、破滅の所から破滅の所へと行くのを見られたのです。

尊き師は全てを知る智慧によりて、

”彼の無限の業は、わが教えの下で出家したのであるならば、終わりをつげるであろう。
 前の世につくった業に基づく苦しみは、終わりをつげるであろう。
 しかし、出家したとしても、この愚かな人間は一劫の間、苦しみを受ける業を為すであろう”

と知って、慈悲をもって、デーヴァダッタを出家させたのです」

「尊者ナーガセーナよ、しからば、仏陀は初めに人を打った後に、傷に油を塗り、崖に落とした後に、救いの手をさしのべ、殺した後に、蘇生を求める。
 すなわち、仏陀は初めに苦しみを人にあたえ、その後に、楽しみを付与してやるのですね」

「大王よ、如来は人々の利益のために彼らを打ち、人々の利益のために彼らを落とし、人々の利益のために彼らを殺すこともするのです。
 大王よ、如来は人々を打った後に彼らに利益を付与し、落とした後にも人々に利益を付与し、殺した後にも人々に利益を付与するのです。

 大王よ、たとえば、父母が彼らの子供を打ち、落としてもその後、子供たちに利益を付与するごとく、
 大王よ、それと同様に、如来は人々の利益のために彼らを落とし、人々の利益のために彼らを殺すこともするのです。
 大王よ、如来は人々を打った後にも彼らに利益を付与し、落とした後にも人々に利益を付与し、殺した後にも人々に利益を付与するのです。

 仏陀は、人々の功徳の増大させるあらゆる方法をもちて、人々に利益を付与するのです。

 大王よ、もしもデーヴァダッタが出家しなかったのならば、在家の身分のままで地獄の果を招く多くの悪業を為して、幾百兆劫もの間、地獄から地獄へ、破滅の所から破滅の所へと行きつつ、多くの苦しみを受けるでありましょう。

 尊き師は、そのことを知りつつ、慈悲を垂れて、デーヴァダッタを出家させたのです。
”わが教えに従って出家したのならば、彼の苦しみは終わりをつげるであろう”と、慈悲を垂れて、重い苦しみを軽くしたのです。

 大王よ、たとえば、財産、名声、栄誉、血縁において権勢ある人が、自分の血縁の者あるいは友人が、王により、重刑をうけたとき、自分が王から大いに信任されていることによりて重い罪刑を軽くさせることができるがごとく、
 それと同様に、大王よ、尊き師は幾百兆劫の間、デーヴァダッタが苦しみを受けるであろうと知って、彼を出家させ、戒行・心の統一・智慧・束縛からの自由の力・能力によりて、重い苦しみを軽くしたのです。

 大王よ、またたとえば、毒矢の傷を治すすぐれた外科医が、重患の者を効力ある薬によりて、軽快にさせるごとく、
 それと同様に、大王よ、幾百兆劫の間デーヴァダッタが苦しみを受けつつあるのを知って、尊き師は、その苦しみを軽くする方法を知るが故に、彼を出家させて、慈悲の力に基づく法(仏陀の教え)という効力ある薬によりて、重い苦しみを軽くさせたのです。

 大王よ、尊き師がデーヴァダッタをして、多く受くべき苦しみを転じて少なくさせたとき、仏陀は何か不善を犯しましたか」

「尊者よ、一瞬といえども、仏陀は何らの不善も犯さなかったでありましょう」

「大王よ、尊き師がデーヴァダッタを出家させたこの理由を、正しいものと認めなさい。

 そして、大王よ、さらに、それ以上の理由があって、尊き師がデーヴァダッタを出家させたわけを聞きなさい。

 大王よ、たとえば、人々が盗人・犯罪者をつかまえて『王よ、この者は盗人・犯罪者であります。あなたの欲する刑をこの者に科してください』と言って、王に示すとしよう。
 王は彼らに『しからば、お前らよ、この盗人を郊外に連行して斬首台で彼の首を切れ』とこう言うでしょう。
『かしこまりました』と彼らは王の命に従い、彼を郊外に連行して斬首台に導くであろう。

 ところで、この盗人をば、王に寵愛され、名利を得、名声・富・財産をえ、その言葉が重んぜられ、欲することを強力に実行するところの或る人がみたならば、彼はその者をあわれに思って、その人々にこう言うでしょう、
『お前らよ、やめなさい。お前らはこの男の首を切って何になるのだ。
 お前よ、それならこの男の手かあるいは足を切って、生命は助けてやれ。
 わたしはこの男のために王に弁明しよう』と。

 彼らはその有力な人の言葉によりて、かの盗人の手あるいは足を切った後に、生命を助けるであろう。

 大王よ、このようなことを為したかの有力な人は盗人のために自己の義務を果たした者であったでしょうか」

「尊者よ、かの人は、その盗人の生命を助けた者です。
 盗人の生命が助けられたとき、彼のために何か為されなかったことがあるでしょうか」

「また、かの有力な人は、その盗人が手足を切られたときに受ける苦しみの感受に関して、何か不善を犯したでしょうか」

「尊者よ、その盗人は自己が為した行為によりて、結果としての苦しみの感受を受けるのです。
 しかしながら、生命を助けたかの有力な人は、何らの不善をも犯していないのです」

「大王よ、それと同様に、尊き師は”わが教えの下で出家したならば、彼の苦しみは終わりを告げるであろう”と、慈悲を垂れてデーヴァダッタを出家させたのです。

 大王よ、そして、デーヴァダッタの苦しみは終わりをつげたのです。

大王よ、デーヴァダッタは、死ぬときに臨んで、
「全身全霊をもって、かの最勝の者、神々を越えすぐれた神、調御を受ける人の御者、普く見る眼をもつ者、百の全福の特徴をもつ者、その仏陀に、わたしは生命のあらん限り帰依します」
と言って、生命のあらん限り、仏陀に帰依したのです。

 大王よ、もしもあなたが一劫を六分するならば、デーヴァダッタがサンガを破壊したのは、第一分を過ぎた時なのです。
 残りの五部分を地獄においてすごした後で、そこから脱して、アッティッサラと名づける『自らさとれる人〔辟支仏・独覚〕』となるでしょう。

 大王よ、このようなことを為したかの尊き師は、デーヴァダッタのために、自己の義務を果たした者でしょうか」

「尊者ナーガセーナよ、如来はデーヴァダッタのために、与えるべき全てのものを与えたのです。

 すなわち如来はデーヴァダッタを『自らさとれる人〔辟支仏・独覚〕』と成らしめたのです。

 如来によりて、デーヴァダッタのために、何か為されなかったことがあるでしょうか」

「大王よ、しかしながら、デーヴァダッタはサンガを破壊した後、地獄において苦しみの感受を受けました。
 その苦しみの感受に関して、尊き師は何か不善を犯したでしょうか」

「尊者よ、そうではありません。
 尊者よ、自己が為した行為によりて、デーヴァダッタは一劫の間、地獄において苦しんだのです。
 彼の苦しみを終滅させた師(仏陀)は、何らの不善をも犯していないのです」

「大王よ、尊き師がデーヴァダッタを出家させたこの理由もまた、実に正しいと認めなさい。

 そして、大王よ、さらにそれ以上の理由があって、尊き師がデーヴァダッタを出家させたわけを聞きなさい。

 大王よ、たとえば、毒矢の傷を治すすぐれた外科医がいるとしよう。
 矢が孔の中にはいっており、膿と血とで充満した傷、風・胆汁・痰・これらの三者の和合したもの、季節の変化、不規則な養生、激しい傷害を受けて、腐敗した屍体のごとき悪臭に満ちた傷を治療しようとする場合、彼は傷口を激烈・痛烈・灼熱・劇痛の薬を塗って化膿させ、化膿した後、柔らかい状態となった傷口をナイフで切開し、腐食針で焼くのです。焼かれたときに、アルカリ洗滌液を注ぎ、薬を塗って傷を治療し、患者を全快させるのです。

 大王よ、かの毒矢の傷を治す外科医は、人の利益を計る心がないままに、薬を塗り、ナイフで切開し、腐食針で焼き、アルカリの洗滌液を注ぐのでしょうか」

「尊者よ、そうではありません。彼は人の利益を計る心をもち、全快させようと欲して、それらの処置を為したのです」

「しかも、かれが薬を用いたために、患者に苦痛が生じた場合、矢の外科医は、それによりて、何か不善を犯したでしょうか」

「尊者よ、矢の外科医は人の利益を計る心をもち、全快させようと欲して、それらの処置を為したのです。
 どうして、彼はそれによりて不善を犯したのでしょうか。
 尊者よ、かの矢の外科医は天に生まれる人です」

「大王よ、それと同様に、尊き師は慈悲を垂れてデーヴァダッタを苦しみから逃れさすために、出家させたのです。

 大王よ、さらに、それ以上の理由があって、尊き師がデーヴァダッタを出家させたわけを聞きなさい。

 大王よ、たとえば、ある人が刺にさされたとしよう。
 そこで他の人が彼の利益を計り、彼を治療させようと欲し、鋭利な針あるいはナイフをもって、患部を切開し、出血させることによりて、その刺を抜くのです。

 大王よ、かの人は人の利益を計る心がなくて、その刺を抜いたのでしょうか」

「尊者よ、そうではありません。
 尊者よ、かの人は人の利益を計り治療させようと欲して、その刺を抜いたのです。
 尊者よ、もしもかの人がその刺を抜かなかったならば、彼は死んだでありましょうし、あるいは、死に等しい苦しみを受けるでありましょう」

「大王よ、それと同様に、如来は慈悲を垂れてデーヴァダッタを苦しみから逃れさせるために、出家させたのです。

 大王よ、もしも尊き師がデーヴァダッタを出家させなかったならば、デーヴァダッタは一兆劫の間、世々生々、地獄において苦しみを受けたでありましょう」

「尊者ナーガセーナよ、如来は煩悩の流れに従って行ったデーヴァダッタを、煩悩の流れに逆らって上らしめ、邪道を歩んだデーヴァダッタに正道を歩ましめ、崖に落ちたデーヴァダッタに足場を与え、凹凸の道を行くデーヴァダッタに平坦の道を辿らしめたのです。

 尊者ナーガセーナよ、あなたのような智慧のある人をさしおいて、他の出家者によりては、これらの原因、これらの理由を示すことはできないのであります」


ミリンダ王の問い





慈しみについて