世界の人口について



 これからの、私達の地球です。




  世界の人口は爆発的に増えています (不都合な真実より アル・ゴア氏)

 私もその1人ですが、ベビーブーム世代が第2じ世界大戦の終わりに生まれたころ、世界の人口はすでに20億人を越えていました。
 私が生まれてから今までの間に、世界の人口は20億人から65億人に増えたのです。

 2050年には、世界の人口は90億人を越えるでしょう。

 人口に関してはうまくいき始めていることもたくさんあります。

 世界中の死亡率がさがっています。出生率も低下しています。特に先進国ではそうです。

 そして、家族の平均的な規模が小さくなってきているので、人口増加の勢いもゆるやかになりつつあります。

 しかし私たち人間は、100年たらずのうちに、世界の人口を4倍にしてしまいました。

 人間が地球に与える影響は、今では以前よりも大きなものになっています。
「人間はどのように地球にたいするべきか」を考えるうえで、私たちは倫理的な責任として、この劇的な人口増加を考えに入れなくてはなりません。

 このように人口が急増しているため、食糧や住む家、水、エネルギーへの需要が世界中で増えています。そのため、あらゆる天然資源に対する圧力が強くなっています





人類史における人口増加の推移

2008年(現在)        約65億人
       ↓
2050年(現在から42年後) 約91億人です。

現在の2008年から、たったの48年で人口が約91億人。

その後も、どんどんと人口が増えていくのではないでしょうか。




 人間という生き物は、人口が増えれば、増えるほどより良くなれば良いのですが、たいていは逆の方に傾く傾向(争い等)にあるようなので、この人口増加の問題も私達が解決しなければならない問題であると思います。

 人口増加により生起する様々な諸問題(争い等も)、特に争い(戦争)等は、明らかに愚行であるので、そのような選択肢を選ばないために、選ばせないために、私達がこれから、どのようにするか決めていかなければならないと思います。


 例えば、人口増加により、地球温暖化等が更に増加する等も考えられなくない。

また、人口増加により、戦争等の争いが発生するという事柄も考えられなくもない。

 現在の人口でこれだけ、温暖化等が進んでいるのに、現在の倍、倍と人数が増加して行けばどのような世界になるのでしょうか。
 私達の生活が豊になったおかげで、このような問題も発生してきているわけなので、この問題をどうにかしましょう。




 問題提起だけするのもなんですので。

 私個人の考えを少し話します。

 人口を減少するという考えではなく、人口を増加さないようにする。

 例えば、一人っ子政策、二人っ子政策、三人っ子政策。

 世界各国(当然、地球規模です。)、国ごと、又は地域ごとに、一定の人数に留めるようにする。

そして、それに即した(平和的な)政策をとり行う。(極めて平和的に。)

 どうしても、子供がほしいという人は、他の地域に移り子供を出産する等。

 教えとしては、性欲を抑えるという事柄は推称されているので、悪くはないと思いますが。

これは一例としてあげたものです。

 良い考えが浮かびましたら、また、他の考えも記します。

このページを見ている、あなたなら、どのようにして解決すれば良いと考えますか。



(ちなみに、日本という国は、少子化により、これから人口が減少していく傾向にあるようなので、日本の場合は人口を増やさなければならない国であると思います。)







(H27年12月10日の日記より

地球の規模での話なんだけど、地球で争い事をなくすためにどうしていくべきなのだろうか、という事柄について考えることがあるんだけど、

地球の人口の増加が地球規模での問題だよな、と、今日も、ふと思ったのだが、

地球の人口の増加が爆発的に増え続けていったならば、問題だろうな、と。

平和で豊かになり、医療技術も向上したならば、おのずと人間の平均寿命も増え、世界の人口も増加していくことだろう。

日本では少子化で人口減少傾向にあるが。

あれだよね、世界の人口の増加の問題もきちんと対応策を考えないと、地球が満員電車のようにぎゅうぎゅう詰めになってから考えても、

なかなか対処できないだろう。

そうなると、地球の人間だけの問題でもなく、動物や植物も被害を被ることだろう。

悪行なく、安全な、地球の人口の増加に対する対応策はないものなんだろうか。

悪行なく、安全な、地球の人口の増加に対する対応策として、その対策をあなたも一緒に考えなければならない、とすると、あなたは何か考えられる対策はありますか。

そういう中で日本はなぜ少子化になっているのだろうか。


対策として、例えば、人間の平均寿命の増加にともない世間の結婚適齢期の世代をずらすとする、

そうすると、出産育児の状況も変わるだろう。

しかし、女性は子供を生むのにも年齢がある程度限られている。

出産適齢期を過ぎた出産は母子ともに危険でもある、と。

そういう問題も生じてしまうか。


また、教えによって、人としての道徳として、子供たちに清浄な教えを小さい頃から学ばせてあげるようにして、心身ともに清らかな生涯・生活を保つようにさせる。

例えば、女性は、結婚式でも、清楚にして、浄らかなバージン(処女)ロードを歩くような女性を善しとする。

というような善い思想をもつように道徳を学ばせてあげるようにする。等

(子供が世に出生するのであれば、バージン(処女)ロードを歩くことができる浄らかな女性のような、天子が胎に宿りやすい状況を増やしてあげる。等)



また、地球で争い事をなくすために、というので、教えとして、仏陀の教え・善の教え・真理を弘通することによって、

善なる人の基準という道徳を知れば、その基準という方向が見えることによって、その人自らで、自らの価値観を比較検討して修正する方向が見えるので、修正も可能となるだろう。

『世尊がさとった人の眼をもって世界を観察されると、世の中には、知恵の眼が煩悩の塵に汚れていない者もあり、酷く汚れている者もある。生まれつき資質のすぐれた者もあり、素質の劣った者もある。善い性質の者もあり、悪い性質の者もある。教えやすい者もあり、教えにくいものもある。また、来世に生まれて苦を受けねばならぬおのれの罪業についておそれを知りつつ暮らしている者たちもある、ということを見られた。』

ということで、教えを理解できる人もいる。

争い事を厭い離れるためにも、地球規模で仏陀の教え・善の教え・真理を弘通する。というのは善い。

仏陀の教えによって、善なる人の行いという基準を、道徳として知った人は、その教えを、自らの行いと比較検討して修正する方向が見えるので、修正も可能となる。



このHPで、仏陀の教え・善の教え・真理を知って、悪行を離れ、善行を行おうと思った人もいることだろう。

なぜ、そのように思ったのか。

なぜ、そのように思えることができたのか。

要するに、

善なる人の基準という理法・善・道徳を知ることにより、また、善なる人の基準という理法・善・道徳を知ったことにより、

その基準という方向が見えることによって、その人自らで、自らの価値観や行いを比較検討して修正する方向が見えるので、修正も可能となり、

自らの価値観や行いが修正・改善されつつある。

ということでもある、と。







H28年4月26日の日記より

 そういえば、地球の人口の話で、出産年齢を高くするという私が記している話で、ある程度の年齢に至ってから出産した人に、特典を与えるというような、まぁ、そのような政策的な話でもあるのだけれども。高齢出産を、推進するという政策。

深く考えずに、単純計算で、例えば、100年間で同じ家系の女性がすべて、20歳で一人出産したとするならば、5人の女性に子供が5人出生する。

100年間で同じ家系の女性がすべて、30歳で一人出産したとするならば、3人の女性に子供が3人出生する。

200年間で同じ家系の女性がすべて、20歳で一人出産したとするならば、10人の女性に子供が10人出生する。

200年間で同じ家系の女性がすべて、30歳で一人出産したとするならば、6人の女性に子供が6人出生する。

(他、夫婦の合計の年齢が60歳以上、70歳以上等で一人出産したとするならば、等)

 単純計算で20歳と30歳で比べても、半数に近くになる。これを単純に地球規模であてはめれば、100年間で地球の人口が5分3になる。

 もしかしたら、30歳、40歳で子供を出産する人は、反動で多くの子を出産したりするのだろうか。

 そういう細かな事情を除けば、出産年齢を上げるようにするだけでも、地球の人工増加に効果がありそうだけれども、どうなんだろうか。

 これから高齢化で、人々の寿命も伸びるから、考えるべきだろう。同じ状態で維持されるのであれば、考える必要もないけれども。

 人々の平均寿命が50歳の時に、20歳で出産するのと、

 人々の平均寿命が100歳の時に、20歳で出産するのと、比べたならば、異なる。

 人々の平均寿命が150歳の時に、20歳で出産するのと、比べたならば、また異なる、と。



 普段の、どうでもいい話は別に、気にしなくてもいいのだけれども、

 このような事柄は、地球の各国の要人も、私のHPを読んでいるようなので記している。


 この話は地球規模の話だけれども、仏陀の教え・真理は、これよりもさらに大きく重要である。

 ということを、地球の、法を見る人・善なる人・善い縁のある人や、善趣・天の神々のような存在しか知らない。


 善趣・天に行く人や、天の神々に見える”真理”。 善趣・天に行く人や、天の神々の見る”真理”。

 悪趣・地獄に行く人に見えない”真理”。 悪趣・地獄に行く人の見ない”真理”。   H28.12.5)