更訂 H28.12.12
善き人々と親しむことについて 『明らかな智慧のある人が、友としてつき合ってはならないのは、 信仰心なく、物惜しみして、二枚舌をつかい、他人の破滅を喜ぶ人々である。 悪人達と交わるのは、悪いことである。 明らかな智慧のある人が友としてつき合うべき人々は、 信仰心あり、気持ちの善い、素行の善い、学識豊かな人々である。 けだし立派な人々と交わるのは善いことである。 悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。 善い友と交われ。尊い人と交われ。』 『どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。 人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。 賢者は、自分は、果物籠が(中にいれる果物に)影響されるようなものであるということわりを見て、 悪人と交わるな。善人と交われ。』 『賢者の説いた意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、 しかし、愚者にとっては、仏陀の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。 愚者は、千の句をとなえても一つの句さえも理解しない。 聡明な人は、一つの句をとなえても、百の句の意義を理解する。』 『称賛してくれる愚者と、非難してくれる賢者とでは、 愚者の発する称賛よりも、賢者の発する非難のほうが優れている。』 善き人々と共に わたくしはこのように聞いた。 あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。 そのとき、サトゥッラパ群神たちは、夜が更けてから、容色麗しく、ジェータ林を遍く照らして、尊師のおられるところに赴いた。 近づいてから、尊師に敬礼して、傍らに立った。 傍らに立ったある神は、尊師のもとで、次の詩をとなえた、 「ただ善き人々と共に居れ。 ただ善き人々とだけ交われ。 善き人々の正しい理法を知って、人は、より善き者となる。 より悪き者とはならない。」 ついで、他のある神は、尊師のもとで次の詩をとなえた、 「ただ善き人々と共に居れ。 ただ善き人々とだけ交われ。 善き人々の正しい理法を知るならば、智慧が得られる。 そうでなければ、得られない」 ついで、他のある神は、尊師のもとで次の詩をとなえた、 「ただ善き人々と共に居れ。 ただ善き人々とだけ交われ。 善き人々の正しい理法を知るならば、憂いの最中にあっても憂えない」 ついで、他のある神は、尊師のもとで次の詩をとなえた、 「ただ善き人々と共に居れ。 ただ善き人々とだけ交われ。 善き人々の正しい理法を知るならば、親族のうちのあいだで輝く」 ついで、他のある神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。 「ただ善き人々と共に居れ。 ただ善き人々とだけ交われ。 善き人々の正しい理法を知るならば、人々は良き境地に赴く」 ついで、他のある神は、尊師のもとで次の詩をとなえた、 「ただ善き人々と共に居れ。 ただ善き人々とだけ交われ。 善き人々の正しい理法を知るならば、人々はいつまでも安立するであろう」 ついで、他のある神が、尊師に向かって次のように言った、 「尊師さま。見事にとなえられたのは、誰の詩でしょうか」 〔尊師いわく、〕 「そなたらは、すべて、順次に見事に詩を唱えた。 しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。 ただ善き人々と共に居れ。 ただ善き人々とだけ交われ。 善き人々の正しい理法を知るならば、全ての苦しみから脱れる」と。 ウダーナヴァルガ
シヴァ わたくしはこのように聞いた。 あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。 そのとき、〈神の子〉シヴァは、夜が更けてから、容色麗しく、ジェータ林を遍く照らして、尊師のおられるところに赴いた。 近づいてから、尊師に敬礼して、傍らに立った。 傍らに立った〈神の子〉シヴァは、尊師のもとで、次の詩をとなえた、 「善き人々とともに坐せ。 善き人々と交われ。 善き人々の説く正しい教えを学び知って、より善き者となる。 悪い者とはならない。 善き人々とともに坐せ。 善き人々と交われ。 善き人々の説く正しい教えを学び知って、智慧が得られる。 他のことからは、得られない。 善き人々とともに坐せ。 善き人々と交われ。 善き人々の説く正しい教えを学び知って、憂いの最中にあっても憂えない。 善き人々とともに坐せ。 善き人々と交われ。 善き人々の説く正しい教えを学び知って、親族のうちにあって輝く。 善き人々とともに坐せ。 善き人々と交われ。 善き人々の説く正しい教えを学び知って、人々は良き境地に赴く。 善き人々とともに坐せ。 善き人々と交われ。 善き人々の説く正しい教えを学び知って、人々は永遠の福楽に住する」と。 そこで、尊師は〈神の子〉シヴァに詩を以て返答した、 「善き人々とともに坐せ。 善き人々と交われ。 善き人々の説く正しい教えを学び知って、全ての苦しみから脱れる」と。 サンユッタ・ニカーヤ
友 明らかな智慧のある人が友としてつき合ってはならないのは、 信仰心なく、物惜しみして、二枚舌をつかい、他人の破滅を喜ぶ人々である。 悪人達と交わるのは、悪いことである。 明らかな智慧のある人が友としてつき合うべき人々は、 信仰心あり、気持ちの善い、素行の善い、学識豊かな人々である。 けだし立派な人々と交わるのは善いことである。 悪い友と交わるな。 卑しい人と交わるな。 善い友と交われ。 尊い人と交われ。 実に学識豊かな種々の状況をよく考慮する人々につき合うべきである。 けだし、彼らの説く善い言葉を聞いたならば、その人々が(そこに)いなくても、すぐれた境地に達し得る。 劣った卑しい者になじむ人は堕落してしまう。 しかし、等しい者につき合う人は実に堕落することはないであろう。 優れた者に近づく人は優れた状態に達する。 それ故に、この世では自分よりも優れた人とつき合え。 智慧についても、徳行についても、心の静まりについても、最上の優れた人々に近づき仕える人は、常に優れた境地に達する。 人が吉祥草の葉の尖で臭った魚を包むならば、その吉祥草でさえも悪臭を放つ。 悪人に交わりつき合う人々も同様である。 人がパラーシャの葉でタガラ(香木の粉末)を包むならば、その葉もまた芳香をただよわす。 同様に、立派な人々と交わるならば、善いことが現われる。 (自分では)悪いことをしていなくても、悪事をなす人とつき合うならば、同じく悪事をしているのではないかと疑われ、その人に対する悪い評判がたかまる。 つき合っている悪人は、悪に触れられているが、また他人に触れて、悪をうつすであろう。 毒を塗られた矢は、矢筒の束のなかにある毒を塗られていない矢をも汚す。 悪に汚されることを恐れて、思慮ある人は、悪人を友とするな。 どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。 人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。 それ故に、賢者は、自分は、果物籠が(中にいれる果物に)影響されるようなものであるということわりを見て、 悪人と交わるな。善人と交われ。 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることがない。 匙が汁の味を知ることがないように。 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、ただちに真理をはっきりと知る。 舌が汁の味をはっきりと知るように。 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることがない。 彼には明らかな智慧がないからである。 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、ただちに真理をはっきりと知る。 彼には明らかな智慧が存するからである。 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、正しく覚とりを開いた人(仏陀)の説かれた真理をはっきりと知ることがない。 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、正しく覚とりを開いた人(仏陀)の説かれた真理をはっきりと知る。 賢者の説いた意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、 しかし、愚者にとっては、仏陀の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。 愚者は、千の句をとなえても一つの句さえも理解しない。 聡明な人は、一つの句をとなえても、百の句の意義を理解する。 (友となって)同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれている。 同情してくれる愚者は、(悪いことを教えて)人を地獄にひきずり下ろす。 もしも愚者が「われは愚かである」と知れば、すなわち賢者である。 愚者でありながら、しかも自分では賢者だと思う者こそ、「愚者」と呼ばれる。 称賛してくれる愚者と、非難してくれる賢者とでは、愚者の発する称賛よりも、賢者の発する非難のほうが優れている。 愚かな者を見るな。 その言葉を聞くな。 また彼とともに住むな。 愚人らとともに住むのは、全くつらいことである。 仇敵とともに住むようなものだからである。 思慮ある人々と共に住むのは楽しい。 親族と出会うようなものである。 よく気をつけていて、明らかな智慧あり、徳行をたもち、学ぶところ多く、しっかりしていて、機敏な人に親しめ。 諸の星が月にしたがうように。 ウダーナヴァルガ(感興語)
楽しみ 保留 如是語経
世界 たしかに次のことを世尊が説かれた、尊むべきお方が説かれた、とわたくしは聞いている、 「比丘たちよ、世界の人々は、人々同士あい交わり、あい伴う。 すなわち、劣った傾向の人々は、劣った傾向の人々同士あい交わり、あい伴う。 優れた傾向の人々は、優れた傾向の人々同士あい交わり、あい伴う。 比丘たちよ、未来においても世界の人々は、人々同士あい交わり、あい伴うであろう。 すなわち、劣った傾向の人々は、劣った傾向の人々同士あい交わり、あい伴うであろう。 優れた傾向の人々は、優れた傾向の人々同士あい交わり、あい伴う。 比丘たちよ、現在においても世界の人々は、人々同士あい交わり、あい伴うであろう。 すなわち、劣った傾向の人々は、劣った傾向の人々同士あい交わり、あい伴うであろう。 優れた傾向の人々は、優れた傾向の人々同士あい交わり、あい伴う。」 このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた、 「交わることによって欲望が生まれ、交わらなければ欲望が断たれる。 大海の中で小さい木片に乗れば沈むであろうように、怠け者に近づけば、正しく生きる者も沈む。 だから、努め励まない、怠け者を避けるべきである。 世俗の汚れを離れ、専念し禅定する聖者、常に努め励む智者とともに、人は住むべきである。」 このことを世尊は説かれた、と私は聞いている。 如是語経
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