更訂 H28.12.24



  善の行いと、不善の行いの分別(世俗一般)



『自分が生きている限り、私は母と父とを養おう。

 生きている限り、私は家の中の年長者を敬おう。

 生きている限り、私は柔和な言葉を語ろう。

 生きている限り、私はそしる言葉(悪口、両舌、〔非難すべからざるものを非難せざれ〕)を語らないことにしよう。

 生きている限り、私は垢や物惜しみ心の付いていない心で、心をひろく、思いやりをもって、手を洗ってきよめて、
 施し捨て去ることを喜び、他人の懇願に応じ、施して分配することを楽しむ者として家に住みたい。

 生きている限り、真実を語るものでありたい。

 生きている限り、怒ることのないものでありたい。
 もしも私に怒りが起こったならば、速やかに除くことにしよう。』

 神々の主であるサッカは昔、人間であったときに、これらの七の誓いを立て、身に受けていた。
 それらを身に受けていたからこそ、サッカはサッカ〔天帝〕たる地位を受けることができたのだ』





  十善と十悪

 ある時、世尊はパーヴァーにある、チュンダという鍛冶工のマンゴー林に滞在しておられた。

 その時、チュンダが世尊を訪ね、挨拶をし、一隅に坐った。

世尊は、彼にこう仰せられた、
「チュンダよ、そなたは誰の清らかな行いを善しとするのか」

「尊師よ、水さしをもち、苔草の花環をつけ、火を祀り、水浴をなす西方のバラモンたちが清らかな行いを説いています。
 私は彼らの清らかな行いを善しとします」

「チュンダよ、彼らはどのように説いているのか」

「尊師よ、その西方のバラモンたちは弟子たちにこう諭しています、
『さあ、君、早朝に起床して大地に触れたまえ。さもなくば、新しい牛糞に触れたまえ。さもなくば、青草に触れたまえ。さもなくば、火を祀りたまえ。さもなくば、合掌して太陽を礼拝したまえ。さもなくば、夕方までに三回水浴をなしたまえ』と。
 尊師よ、私はこの西方のバラモンたちの説く清らかな行いを善しとします」

「チュンダよ、彼らの説く清らかな行いは、聖者の規律における清らかな行いとは異なるものである」

「では、尊師よ、聖者の規律における清らかな行いとはいかなるものなのですか。どうぞお教えください」

「では、チュンダよ、聞いて善く考えなさい。では、説こう。」

「尊師よ、わかりました」とチュンダは、答えた。

世尊は次のように説かれた、

「チュンダよ、

 三の身体による不浄な行いと、

 四の言葉による不浄な行いと、

 三の心による不浄な行いとがある。


 三の身体による不浄な行いとは何か。

 第一に、生きものを殺生する者がいる。
 残虐で、手は血にまみれ、むやみに障害を殺戮を繰り返す。あらゆる生きものに対して思いやりがないのである。

 第二に、盗みを働くものがいる。
 村や森にある他人の所有物を密かに取るのである。

 第三に、愛欲にまかせた淫らな行為に耽る者がいる。
 父母・兄弟・姉妹・親族に保護されている娘、法律に守られた女、夫のある女、交渉をもつと罰せられる女、さらに、他の男と婚約したことを示す花環の類で飾られた女と愛欲に耽るのである。

 チュンダよ、これらが三の身体による不浄な行いである。


 次に、四の言葉による不浄な行いとは何か。

 第一に、嘘をつく者がいる。
 人々の集まりにおいて、また親族や商業組合や王家に呼ばれ、証言を求められた時などにおいて、知っているのに知らないと言い、また知らないのに知っていると言う。また、見たのに見ないと言い、見ないのに見たと言う。
 自他の身の保全のために、あるいは些細な利益のために故意に嘘をつくのである。

 第二に、人を中傷する者がいる。
 こちらで聞いてはあちらで語り、あちらで聞いてはこちらで語る。そのために仲のよい者たちが仲たがいし、仲の悪い者たちはさらに険悪になる。
 仲たがいを楽しみ、喜び、嬉しがり、仲たがいを引き起こす言葉を語るのである。

 第三に、粗暴な言葉を使う者がいる。
 荒々しく、乱暴で、辛らつで、他を誹謗することば、怒りに満ち、心を平静にすることのない言葉を使うのである。

 第四に、戯れ言を言う者がいる。
 時宜を得ない発言をし、偽りを語り、無意味なことを語り、真理の教えでも戒律でもないことを語る。
 感銘を与えることもなく、不合理で、冗長で、ためにならない言葉を、時をみずに語るのである。

 チュンダよ、これらが四の言葉による不浄な行いである。


 次に、三の心による不浄な行いとは何か。

 第一に、貪欲な者がいる。
『ああ、人の者が自分のものとなればなあ』などと、他人の所有物をほしがるのである。

 第二に、憎しみの心を抱く者がいる。
『これらの生きとし生けるものは殺されたらよい。縛られたらよい。切られたらよい。滅ぼされたらよい。いなくなってしまったらよい』と、憎悪の心で考えるのである。

 第三に、誤った見解をもつ者がいる。
『施しや、祭祀、供物の効力はなく、善悪の行為の報いや結果、現世、来世もない。父も母も、化生の存在もいない。また、世間には正しくふるまい、現世と来世とを自ら知り、覚って、説き示す沙門やバラモンはいない』と、顚倒したものの見方をするのである。

 チュンダよ、これらが三の心による不浄の行いである。


 チュンダよ、これらが十の悪しき行為の道(十不善業道)である。


 これらの道を踏む者は、たとえ早朝に起床して大地に触れようと触れまいと、新しい牛糞に触れようと触れまいと、青草に触れようと触れまいと、火を祀ろうと祀るまいと、合掌して太陽を礼拝しようとしまいと、夕方までに三回水浴をなそうとなすまいと、不浄なのである。

 なぜかというと、これら十の悪しき行為の道は、不浄であり、不浄な行いであり、
 これらの道を踏むならば、地獄、畜生道、餓鬼道、その他諸々の悪い境涯(悪趣)に生まれることが予想されるからである。



 そして、チュンダよ、

 三の身体による清らかな行いと、

 四の言葉による清らかな行いと、

 三の心による清らかな行いとがある。


 三の身体による行いとは何か。

 第一に、生きものを殺生しない者がいる。
 鞭や刀をもたず、穏やかで、情け深く、あらゆる生きものの利益をはかり、憐れみをかけて暮らすのである。

 第二に、盗みを働かない者がいる。
 村や森にある他人の所有物を密かに取ることをしないのである。

 第三に、愛欲にまかせた淫らな行為に耽らない者がいる。
 父母・兄弟・姉妹・親族に保護されている娘、法律に守られた女、夫のある女、交渉をもつと罰せられる女、さらに、他の男と婚約したことを示す花環の類で飾られた女と愛欲に耽ることがないのである。

 チュンダよ、これらが三の身体による清らかな行いである。


 次に、四の言葉による清らかな行いとは何か。

 第一に、嘘をつかない者がいる。
 人々の集まりにおいて、また親族や商業組合や王家に呼ばれて証言を求められた時などにおいて、知っていることは知っていると言い、知らないことは知らないと言う。また見たことは見たと言い、見ていないことは見ていないと言う。
 自他の身の保全のために、あるいは些細な利益のために故意に嘘をつくことはないのである。

 第二に、人を中傷しない者がいる。
 二人の人を仲たがいさせるために、こちらで聞いてあちらで語り、あちらで聞いてこちらで語ることはせず、仲たがいをしている者たちの間をとりもって、仲のよい者たちの間をいっそう親密にする。
 心を合わせ仲良くさせることを楽しみ、喜び、嬉しがり、協和させる言葉を語るのである。

 第三に、粗暴な言葉を使わない者がいる。
 穏やかで、耳に快く、愛情のこもった心にせまる言葉、上品で、多くの人々を喜ばせ、魅了する言葉を使うのである。

 第四に、戯れ言を言わない者がいる。
 時宜を得た発言をし、事実を語り、意味のあることを語り、真理の教えや戒律を語る。
 感銘を与え、合理的で、簡潔で、ためになる言葉を、時をみて語るのである。

 チュンダよ、これらが四の言葉による清らかな行いである。


 次に、三の心による清らかな行いとは何か。

 第一に、無欲な者がいる。
『ああ、人の者が自分のものとなればなあ』などと、他人の所有物をほしがることはないのである。

 第二に、憎しみの心を抱かない者がいる。
『できることなら、これらの生きとし生けるものは怨恨もな敵意もなく、息災で、幸福で、自らを守るように』と、憎悪のない心で願うのである。

 第三に、正しい見解をもつ者がいる。
『施しや、祭祀、供物の効力はあり、善悪の行為の報いや結果、現世、来世もある。父も母も、化生の存在もいる。また、世間には正しくふるまい、現世と来世とを自ら知り、覚って、説き示す沙門やバラモンがいる』と、顚倒しないものの見方をするのである。

 チュンダよ、これらが三の心による清らかな行いである。


 チュンダよ、これらが十の善い行為の道(十善業道)である。


 これらの道を踏む者は、たとえ早朝に起床して大地に触れようと触れまいと、新しい牛糞に触れようと触れまいと、青草に触れようと触れまいと、火を祀ろうと祀るまいと、合掌して太陽を礼拝しようとしまいと、夕方までに三回水浴をなそうとなすまいと、清らかなのである。

 なぜかというと、これら十の善い行為の道は清らかであり、清らかな行いであり、
 これらの道を踏むならば、神々、人間、その他諸々の善い境涯(善趣)に生まれることが予想されるからである。」


このように言われて、鍛冶工チュンダは世尊に言った、
「尊師よ、すばらしいことです。尊師よ、すばらしいことです。
 まるで倒されたものを起こし、覆い隠されたものを開き、迷った者に道を示すように、あるいはまた『眼ある者たちはものを見るであろう』と言って、暗闇に燈火を掲げるように、世尊は々の方法で真理を説き明かされました。
 尊師よ、私は世尊と真理の教えと比丘の集いとに帰依いたします。
 私を在俗信者として受け入れてください。今日より命が尽きるまで帰依いたします」と。





  十の法に適った行いと十の不法な行い

 わたくしはこのように聞きました。
 あるとき、世尊は大勢の比丘の集まりと一緒にコーサラ国を遊行し、サーラーという名前のバラモンの村に至った。

サーラー村のバラモンの家主たちは次のように聞いた、
「シャカ族の子であり、シャカ族から出家した沙門のゴータマが大勢の修行僧の集まりと一緒にコーサラ国を遊行し、サーラーに着いた。
 またその友ゴータマに次のような善良な名声が挙がっている、
『かの世尊は阿羅伽であり、正覚者であり、明知と徳行とを具えた人であり、幸せな人であり、世間を知った人であり、無上の人であり、調練する人であり、天と人間の師であり、仏陀であり、世尊である』と。

 また、『彼は、天を含め、魔を含め、梵天を含め、沙門・バラモンを含め、天と人を含めたこの世界を、自ら知り、自らの眼で見て、教え導く。彼は初めも善く、中間も善く、最後も善く、意味深く、字句の整った教えを説き、完全に具わった清浄な清らかな行い(梵行)を明らかにする。このような すがた の阿羅伽に会うことは本当に幸せなことだ』と。

 そこで、サーラー村のバラモンの家主たちは世尊のもとへ行った。
 行って世尊に挨拶をして一方に座った人たちもいた。世尊と挨拶を交わし、親愛と敬意に満ちた言葉を述べてから一方に座った人たちもいた。尊師に合掌して一方に座った人達もいた。世尊の前に姓名を名のって一方に座った人たちもいた。黙って一方に座った人たちもいた。

一方に座ったサーラー村のバラモンの家主たちは世尊に次のように言った、
「友ゴータマよ、生ける者たちのなかには、身体が壊れ、死んだ後、悪しきところ、苦しいところ、地獄に生まれる者がいますが、それはどのような原因により、どのような縁によるのですか。
 また、友ゴータマよ、生ける者たちのなかには、身体が壊れ、死んだ後、善きところ、天の世界へ生まれる者もいますが、それはどのような原因により、どのような縁によるのですか」

「家主たちよ、不法な行いや不正(不浄)な行いによって、この世界のある生ける者たちはそのように身体が壊れ、死んだ後、悪しきところ、苦しいところ、堕ちる世界、地獄に生まれるのである。

 法に適った行いや正当(清浄)な行いによって、この世界のある生ける者たちはそのように身体が壊れ、死んだ後、善きところ、天の世界へ生まれるのである。」

「友ゴータマは、簡略に説きましたが、しかし意味が詳しく説明されなければ、私たちは意味を詳しく知ることができません。
 友ゴータマが簡略に説き、まだ詳しく説明されていないその意味を、私たちが詳しく知ることができるように、友ゴータマが私たちに法を説いて下されば幸いです」

「では、家主たちよ、聞きなさい。そして、善く心に考えなさい。わたしは話しましょう」

「わかりました、友よ」と、サーラー村のバラモンの家主たちは、世尊に答えた。


世尊はこのように説かれた、

「家主たちよ、

 三の身体による不法な行い・不正(不浄)な行いがあり、

 四の言葉による不法な行い・不正(不浄)な行いがあり、

 三の心による不法な行い・不正(不浄)な行いがある。


 家主たちよ、三の身体による不法な行い・不正(不浄)な行いとはどのようであるか。

 家主たちよ、この世には殺生を行う者がいる。
 凶暴であり、手は血でまみれており、殺戮をもっぱらとし、生き物にたいして憐憫の心がない。

 また、盗みをする者がいる。
 他人の財産や道具を、または村にある物や林にある物を、与えられていないのに、盗もうという意図をもって取る。

 また、邪欲をもって異性と交わる者もいる。
 母・父・兄弟・姉妹・親戚に守られた女性、夫のある女性、刑罰を科せられる女性、華鬘類を飾った女性というこのような〔女性〕と交わる。

 家主たちよ、これらが三の身体による不法な行い・不正(不浄)な行いである。



 次に、家主たちよ、四の言葉による不法な行い・不正(不浄)な行いとはどのようであるか。

 家主たちよ、この世界には偽りを語る者がいる。
 集会場に行き、人々の集まりのなかへ行き、親族のなかへ行き、組合のなかへ行き、王族のなかへ行き、引き出され『さあ、あなた、あなたの知っていることを話しなさい』と証人として問われて、知らないのに『私は知っています』と答え、知っているのに『私は知りません』と答え、または見ていないのに『私は見ています』と答え、見ているのに『私は見ていません』と答える。このように自分のために、または他人のために、または何らかの利益のために、故意に偽りを語る。

 また中傷する言葉を語る者がいる。
 こちらの人々を離反させるために、こちらで聞いてはあちらで〔中傷して〕語り、あちらの人々を離反させるために、あちらで聞いてはこちらで〔中傷して〕語る。このように離反を起こさせ、不和を楽しみ、不和を好み、不和を喜び、不和を促す言葉を語る。

 荒々しい罵りの言葉を話す者がいる。
 荒々しく乱暴な言葉で、他の人を苦しめ、他の人を不機嫌にさせ、怒っているかのようであり、定に導くことがない。このような言葉を話す者がいる。

 また、つまらぬ冗舌を語る者がいる。
 時期に適って話さず、事実を話さず、利益のないことを話し、理法を語らず、戒律を語らず、心に善く残る話を話さず、時期を考慮せずに、話すべき理由なしに話し、際限なく話し、利益のない話を話す。

 家主たちよ、これらが四の言葉による不法な行い・不正(不浄)な行いである。



 家主たちよ、三の心による不法な行い・不正(不浄)な行いとはどのようであるか。

 家主たちよ、この世界には貪欲な者がいる。
 『ああ、この他人の物が私の者であればよいのに』と、他人の財産や道具に貪欲である。

 また、怒りの心をもった者がいる。
 彼は『この生ける者たちは殺されてしまえ、屠殺されてしまて、切断されてしまえ、滅ぼされてしまえ、いなくなってしまえ』と憎悪の心で考える。

 また、誤った見解を懐いている者がいる。
 彼は『布施に果はない。大きな献供に果はない。贈り物をもって恭敬することに果はない。善く行われた、または悪く行われた行為(業)の報いはない。この世はない。あの世はない。母〔に仕えることに果〕はない。父〔に仕えることに果〕はない。化生はいない。世間にはこの世とあの世とを自らで、明らかに知って説く、正しく進み、正しく実践した沙門・バラモンはいない』と顚倒して見る。

 家主たちよ、これらが三の不法な行い・不正(不浄)な行いである。


 家主たちよ、これらの不法な行い・不正(不浄)な行いを因として、このようにこの世界のある生ける者たちは、
 身体が壊れ、死んだ後、悪しきところ、苦しいところ、堕ちる世界、地獄に生まれるのである」



「家主たちよ、

 三の身体による法に適った行い・正当(清浄)な行いがあり、

 四の言葉による法に適った行い・正当(清浄)な行いがあり、

 三の心による法に適った行い・正当(清浄)な行いがある。


 家主たちよ、三の身体による法に適った行い・正当(清浄)な行いとはどのようであるか。

 家主たちよ、この世界には、生き物の殺害を放棄し、生き物の殺害を離れた者がいる。
 彼は棒を捨て、刀を捨て、羞恥心があり、憐憫の心があり、すべての生き物の利益をはかり、哀れみの心を寄せている。

 また盗みを放棄し、盗みを離れた者もいる。
 彼は他人の財産や道具を、または村にある物、林にある物を、与えられていないのに、盗むという意識をもって取ることはない。

 また邪欲をもって異性と交わることを放棄し、邪欲をもって異性と交わることを離れた者もいる。
 母・父・兄弟・姉妹・親戚に守られた女性、夫のある女性、刑罰を科せられる女性、華鬘類を飾った女性というこのような〔女性〕と交わることをしない。

 家主たちよ、これらが三の身体による法に適った行い・正当(清浄)な行いである。



 家主たちよ、四の言葉による法に適った行い・正当(清浄)な行いとはどのようであるか。

 家主たちよ、この世界には偽りを語ることを放棄し、偽りを語ることから離れた者がいる。
 彼は集会場に行き、人々の集まりのなかへ行き、親族のなかへ行き、組合のなかへ行き、王族のなかへ行き、引き出され『さあ、あなた、あなたの知っていることを話しなさい』と証人として問われて、知らないことを『私は知りません』と答え、知っていることを『私は知っています』と答え、または見ていないことを『私は見ていません』と答え、見ていることを『私は見ています』と答える。このように自分のために、または、他人のために、または何らかの利益のために、故意に偽りを語ることはない。

 また中傷する言葉を放棄し、中傷する言葉を離れた者がいる。
 彼はこちらの人々を離反させるために、こちらで聞いてはあちらで〔中傷して〕語ることをせず、あちらの人々を離反させるために、あちらで聞いてはこちらで〔中傷して〕語ることをしない。このように離反した人々を和合させ、和合した人々をいっそう親密にさせ、協調を愛し、協調を好み、協調を喜び、協調を促す言葉を語る。

 荒々しい罵りの言葉を放棄し、荒々しい罵りの言葉を離れた者がいる。
 彼は、温和で、耳に心地よく、愛情がこもり、心にうったえ、品位があり、多くの人に喜ばれ、多くの人に好まれるような、そのような言葉を話す。

 つまらぬ冗舌を放棄し、つまらぬ冗舌を離れた者がいる。
 彼は時期に適って話し、事実を話し、利益のあることを話し、理法を語り、戒律を語り、心に善く残る話を話し、時期を考慮して、話すべき理由があって話し、限度を知って話し、利益の多い話を話す。

 家主たちよ、これらが四の言葉に法に適った行い・正当(清浄)な行いである。



 また、家主たちよ、三の心による法に適った行い・正当(清浄)な行いとはどのようであるか。

 家主たちよ、この世界には貪欲をもたない者がいる。
 『ああ、この他人の物が私の者であればよいのに』と、他人の財産や道具に貪欲をもたない。

 また、怒りの心をもたない者がいる。
 彼は『この生ける者たちは怨みをもたず、怒りをもたず、傷つくことなく、安楽で、自らを苦痛からまぬがれるように』と憎悪のない心で考える。

 また、正しい見解をもつ者がいる。
 彼は『布施に果はある。大きな献供に果はある。贈り物をもって恭敬することに果はある。よく行われた、または悪く行われた行為(業)の報いはある。この世はある。あの世はある。母〔に仕えることに果〕はある。父〔に仕えることに果〕はある。化生はいる。世間にはこの世とあの世とを自らで、明らかに知って説く、正しく進み、正しく実践した沙門・バラモンはいる』と顚倒することなく見る。

 家主たちよ、これらが三の法に適った行い・正当(清浄)な行いである。


 家主たちよ、これらの法に適った行い・正当(清浄)な行いを因として、この世界のある生ける者たちは、
 身体が壊れ、死んだ後、善きところ、天の世界に生まれるのである」



「家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、王侯の富豪の仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、王侯の富豪の仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、バラモンの富豪の仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、バラモンの富豪の仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、家主の富豪の仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、家主の富豪の仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、四天王の天人たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、四天王の天人たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、三十三天の天人たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、三十三天の天人たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、夜摩天の天人たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、夜摩天の天人たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、兜率天の天人たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、兜率天の天人たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、自在天の天人たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、自在天の天人たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、他化自在天の天人たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、他化自在天の天人たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、梵天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、梵天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、光天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、光天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、少光天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、少光天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、無量光天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、無量光天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、光音天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、光音天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、浄天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、浄天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、少浄天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、少浄天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、無量浄天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、無量浄天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、遍浄天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、遍浄天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、広果天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、広果天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、無煩天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、無煩天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、無熱天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、無熱天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、善現天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、善現天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、善見天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、善見天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、無劣天の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、
 彼は身体が壊れ、死んだ後に、無劣天の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、空間の無限を観ずる境地(空無辺処)の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、彼は身体が壊れ、死んだ後に、空間の無限を観ずる境地(空無辺処)の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、意識の無限を観ずる境地(識無辺処)の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、彼は身体が壊れ、死んだ後に、意識の無限を観ずる境地(識無辺処)の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、何ものも存在しないと観ずる境地(無所有処)の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、彼は身体が壊れ、死んだ後に、何ものも存在しないと観ずる境地(無所有処)の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、”ああ、私は、身体が壊れ、死んだ後に、想いがあるのでもなく想いがないのでもないという境地(非想非非想処)の天神たちの仲間として生まれたいものだ”と願うなら、彼は身体が壊れ、死んだ後に、想いがあるのでもなく想いがないのでもないという境地(非想非非想処)の天神たちの仲間として生まれるであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。

 家主たちよ、もし法にしたがいて行う者、正当(清浄)に行う者が、
”ああ、私は煩悩の漏出(漏)を滅して尽くして、煩悩の漏出のない状態、心の解脱(心解脱)、智慧による解脱(慧解脱)を現世において自ら明らかに知り、体現し、到達して住みたいものだ”と願うなら、彼は煩悩の漏出(漏)を滅して尽くして、煩悩の漏出のない状態、心の解脱(心解脱)、智慧による解脱(慧解脱)を現世において自ら明らかに知り、体現し、到達して住むであろう。
 この事柄については、道理がある。
 その因は何であるか。
 彼は法にしたがいて行う者であり、正当(清浄)に行う者であるからである。


このように説かれたとき、サーラー村のバラモンの家主たちは、世尊にこのように言った、

「友ゴータマよ、すばらしいです。友ゴータマよ、すばらしいです。
 友ゴータマよ、たとえてみれば、倒れた者を起こすように、覆われた物の覆いを取るように、迷った者に道を教えるように、眼のある者は色を見なさいと言って闇の中に燈火をもってくるように、友ゴータマはさまざまな方法で教えを明らかにしました。
 私たちは尊師ゴータマに帰依いたします。教えと比丘の僧伽とに帰依いたします。
 今日より後、尊師ゴータマは私たちを終生帰依をした在家信者として受け入れてください」

サーレッヤカ経





  神々

 或るとき、尊師はサーヴァッティー市のジェータ林に留まっておられた。

そこで尊師は、比丘たちにこのように仰せられた、

「比丘たちよ。

 神々の主であるサッカ(帝釈天)は、昔、人間であったときに、マガという名のバラモン学生であった。
  その故に、彼は〈マガヴァー〉と名づけられるのである。

 神々の主であるサッカは、昔、人間であったときに、それぞれの町に施しをした。
 その故に、彼は〈町に与えるもの〉と名づけられるのである。

 神々の主であるサッカは、昔、人間であったときに、恭しく敬って施しをした。
 その故に、彼は〈サッカ〉と名づけられるのである。

 神々の主であるサッカは、昔、人間であったときに、住所を施し与えた。
 その故に、彼は〈ヴァーサヴァ〉と名づけられるのである。

 神々の主であるサッカは、千の事柄を一瞬間のうちに考えた。
 その故に、彼は〈千の眼ある者〉と呼ばれるのである。

 神々の主であるサッカは、阿修羅の娘であるスジャーという妃があった。
 その故に、彼は〈スジャーの夫〉と呼ばれるのである。

 神々の主であるサッカは三十三天の主権者として支配していた。
 その故に、彼は〈神々の主〉と呼ばれるのである。


 比丘たちよ。

 神々の主であるサッカが昔、人間であったときに、七の誓戒を受けて守っていた。

 それらを受けて守っていたので、サッカ〔帝釈天・インドラ〕はサッカ〔天帝〕の地位を得ることができた。


 その七の誓戒とは何であるか。

 自分が生きている限り、私は母と父とを養おう。

 生きている限り、私は家の中の年長者を敬おう。

 生きている限り、私は柔和な言葉を語ろう。

 生きている限り、私はそしる言葉(悪口、両舌、〔非難すべからざるものを非難せざれ〕)を語らないことにしよう。

 生きている限り、私は垢や物惜しみ心の付いていない心で、心をひろく、思いやりをもって、手を洗ってきよめて、
 施し捨て去ることを喜び、他人の懇願に応じ、施して分配することを楽しむ者として家に住みたい。

 生きている限り、真実を語るものでありたい。

 生きている限り、怒ることのないものでありたい。
 もしも私に怒りが起こったならば、速やかに除くことにしよう。


 神々の主であるサッカは昔、人間であったときに、これらの七の誓いを立て、身に受けていた。

 それらを身に受けていたからこそ、サッカはサッカ〔天帝〕たる地位を受けることができたのだ」

 尊師はこのように言われた。


 そうして尊師は、次の詩をとなえられた、

「母と父を養う人、

 家においては年長者を敬う人、

 やさしい心の通う会話をなす人、

 そしる言葉(悪口、両舌)を捨てた人、〔両舌を言うこと勿れ、非難すべからざるものを非難せざれ〕

 もの惜しみを除くのに努めている人、

 真実なる人、

 怒りに打ち克った人、

 彼を、三十三天の神々は〈立派な人〉と呼ぶ」





  神々

 わたくしは、このように聞きました。

 或るとき、尊師はヴァーサーリーの大林にある重閣講堂に留まっておられた。

 そのときリッチャヴィ族の人であるマハーリは、尊師のもとに赴いた。
 近づいてから、尊師に敬礼して、傍らに座した。

傍らに座したリッチャヴィ族の人マハーリは、尊師に次のように言った、
「尊いお方さま。尊師は、神々の主であるサッカを見られたことがありますか」

「マハーリよ。わたしは、神々の主であるサッカ〔帝釈天〕を見たことがある」

「それは、実はサッカに似たものであったのではありませんか。
 神々の主であるサッカを見ることは難しいのです」

「マハーリよ。わたしは、サッカを知っているし、また彼がサッカ〔天帝〕となった原因となる事柄も知っている。
 それらの事柄を身に受けたもっていたからこそ、サッカはサッカ〔天帝〕たる地位に達し得たのであるが、そのことをも私は明らかに知っている。

 マハーリよ。神々の主であるサッカは、昔、人間であったときに、マガという名のバラモン学生であった。
 その故に、彼は〈マガヴァー〉と名づけられるのである。

 神々の主であるサッカは、昔、人間であったときに、それぞれの町に施しをした。
 その故に、彼は〈町に与えるもの〉と名づけられるのである。

 神々の主であるサッカは、昔、人間であったときに、恭しく敬って施しをした。
 その故に、彼は〈サッカ〉と名づけられるのである。

 神々の主であるサッカは、昔、人間であったときに、住所を施し与えた。
 その故に、彼は〈ヴァーサヴァ〉と名づけられるのである。

 神々の主であるサッカは、千の事柄を一瞬間のうちに考えた。
 その故に、彼は〈千の眼ある者〉と呼ばれるのである。

 神々の主であるサッカは、阿修羅の娘であるスジャーという妃があった。
 その故に、彼は〈スジャーの夫〉と呼ばれるのである。

神々の主であるサッカは三十三天の主権者として支配していた。
 その故に、彼は〈神々の主〉と呼ばれるのである。

マハーリよ。神々の主であるサッカが昔、人間であったときに、七の誓戒を受けて守っていた。
それらを受けて守っていたので、サッカはサッカの地位を得ることができた。


 その七の誓戒とは何であるか。

 自分が生きている限り、私は母と父とを養おう。

 生きている限り、私は家の中の年長者を敬おう。

 生きている限り、私は柔和な言葉を語ろう。

 生きている限り、私はそしる言葉を語らないことにしよう。

 生きている限り、私は垢や物惜しみ心の付いていない心で、心をひろく、思いやりをもって、手を洗ってきよめて、
 施し捨て去ることを喜び、他人の懇願に応じ、施して分配することを楽しむ者として家に住みたい。

 生きている限り、真実を語るものでありたい。

 生きている限り、怒ることのないものでありたい。もしも私に怒りが起こったならば、速やかに除くことにしよう。


 マハーリよ。神々の主であるサッカは昔、人間であったときに、これらの七の誓いを立て、身に受けていた。

 それらを身に受けたもっていたからこそ、サッカはサッカ〔天帝〕たる地位を受けることができたのだ」

 尊師はこのように言われた。


そうして尊師は、次の詩をとなえられた、

「母と父を養う人、

 家においては年長者を敬う人、

 やさしい心の通う会話をなす人、

 そしる言葉(悪口、両舌)を捨てた人、〔両舌を言うこと勿れ、非難すべからざるものを非難せざれ〕

 もの惜しみを除くのに努めている人、

 真実なる人、

 怒りに打ち克った人、

 彼を、三十三天の神々は〈立派な人〉と呼ぶ」

帝釈相応 サンユッタ・ニカーヤ