更訂 H28.12.7
悪霊に自らの意識をのっとられなくする方法について もしもあなたが真理の言葉を識別して実践するならば、あなたのためになるであろう。 【『第十四日と第十五日と、および半カ月の第八日と、神変を得る特別の日とに、 八つの支分より成る斎戒をよく保ち、ウポーサタを実修し、清浄行を実行するならば、 その人々をヤッカたちがもてあそぶことはない』】 サーヌ 或るとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者の園〉とどまっておられた。 そのとき、或る在俗信女の子であるサーヌという人が、ヤッカ(鬼)に憑かれていた。 ところでその〔母なる〕在俗信女が嘆いていたので、そのときに次の詩句を唱えた、 「〔それはこうであったと、わたしは、敬わるべき聖者たちから聞いた。 そのように、わたしは敬わるべき聖者たちから聞いた。〕 〔ヤッカたちが、サーヌをもてあそんでいるのを、いま今日わたしは見ます。〕 第十四日と第十五日と、および半カ月の第八日と、神変を得る特別の日とに、 八つの支分より成る斎戒をよく保ち、ウポーサタを実修する、ということを、わたくしは、敬わるべき聖者たちから聞いた。 ところが、いま今日、ヤッカたちがサーヌをもてあそぶのを、わたくしはみます。」 サーヌに憑いているヤッカ女いわく、 「第十四日と第十五日と、および半カ月の第八日と、神変を得る特別の日とに、 八つの支分より成る斎戒をよく保ち、ウポーサタを実修し、清浄行を実行するならば、 その人々をヤッカたちがもてあそぶことはない、と、わたしは敬わるべき聖者たちから聞いた。 サーヌが目ざめたならば、そなたはかれに語るべきである。 これはヤッカたちの言葉である、と。 あらわにも、あるいは秘密にでも、悪いことを為すな。 もしも汝が悪い行いをなすならば、あるいはいつか為すであろうならば、汝は苦しみから離脱することはない、 ──たとい汝が〔空中に〕とび上がって逃げ去ろうとしても。」 サーヌが憑かれているのから覚めていわく、 「母よ、人々は死んだ人のことを嘆き悲しむ。また生きていても会えない人のことを嘆き悲しむ。 母よ、わたしが生きているのを見ながら、母よ、何故わたしのことを嘆き悲しむのですか」 〔女いわく、──〕 「子が死んだときには、人々はさめざめなくと泣く。 また生きていても、見えないならば、やはり泣く。 もろもろの愛欲を克服して、ここに還ってきたその子に対しても泣く。 愛しき子よ。かれは生きていても、もはや死んでいるからである。 愛しき子よ。熱い灰燼から救い上げられても、また熱い灰燼のうちに堕ちることを、そなたは願っている。 愛しき子よ。そなたは地獄から救い上げられても、なお地獄に落ちることを望む。 走り去れよ。そなたに幸せあれ。 われらは誰にかこつことができようか。 火の燃えさかる中から取り出された荷を、そなたはもはや焼こうと望むであろうか」 サンユッタ・ニカーヤ
『果たして、仏陀の教えによって、心と、また霊的な障害が克服されるのであろうか。 出家して、自己を修養した修行者の詩句 サーヌ長老 【生きものをに対して制して(殺すことなく)、意識して偽りを語ることなく、自らのために善き戒めを実行するならば、悪鬼の胎から解き放たれるであろう】 種々のヤッカという存在について、 ピヤンカラ 或るときアヌルッダ尊者は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者の園〉とどまっておられた。 そのとき、アヌルッダ尊者は、夜明けに起きて、真理の言葉をとなえていた。 ときにピヤンカラの母なるヤッカ女は、わが子に向かって次のように言って満足させた、 「ピヤンカラよ、音をたてるな。 いま修行者が聖典の文句をとなえている。 もしもわれらが真理の言葉を識別して実践するならば、われらのためになるであろう。 もしもわれらが生きものをに対して制して(殺すことなく)、意識して偽りを語ることなく、自らのために善き戒めを実行するならば、悪鬼の胎から解き放たれるであろう」 サンユッタ・ニカーヤ
【『ニッバーナ〔涅槃〕とは、一切の束縛から解き放たれることである』】 プナッバス 或るとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者の園〉とどまっておられた。 そのとき尊師は、ニッバーナに関する法話によって、修行僧たちを教示し、勧め、励まし、喜ばせた。 また、それらの修行僧たちは、それを理解し、注意し、すっかり心の中におさめ、耳を傾けて聞いていた。 さてプナッバスの母なるヤッカ女は、子らに次のように説いて満足させた、 「ウッタリカーよ。黙っておれ。プナッバスよ。黙っておれ。 わたしが諸々の仏陀のうちの最上者である師の教えを聞こうとしている間は。 尊師は説かれた、『ニッバーナとは、一切の束縛から解き放たれることである』と。 わたしはこの教えを非常に愛好しています。 世でわが子は愛しい。世でわが夫は愛しい。 だが、わたしにとっては、この真理を求めることが、さらに愛しいのです。 子も夫も、愛しいものですが、苦しみから解脱させてはくれませんから、 正しい教えを聞くことが人を苦しみから解脱させてくれるように。 苦しみに支配され、老いと死に襲われているこの世で、老いと死から解脱するために、覚られた理法。 その理法を、わたしは聞きたいのです。だから、黙っておれ。プナッバスよ」 〔ヤッカの子いわく、〕 「お母さん、わたしは言葉を発しません。このウッタラーは黙っています。 理法の教えをお聞きください。正しい教えを聞くのは楽しいことです。 正しい道理を知らなかったので、われらは苦しんできました。 お母さん。この方は、迷っている神々と人間とに光を与える人です。 最後の身体をたもち、眼のある仏陀が、法を説かれるのです」 〔ヤッカ女いわく、〕 「見事だ、実に賢明だ。わが身に生まれた子は、優れている。 いまわが子は、諸々の仏陀のうちの最上者の説かれた浄らかな教えを愛しています。 プナッバスよ。安らかであれ、今日わたしは迷いから脱しました。 尊い真理を見ました。 ウッタラーも、わたしに聞きなさい」 サンユッタ・ニカーヤ
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