○○○
さくら
さくら
さくら
( )



H24年11月7日(2012年)

帰依した人は、思念をよむ(よまれる)とわかります。
だからこその帰依です。

清浄心。上のいろんな人たちも見てるだろう。自心にも残るから、自他ともにわかる。
普通に考えてもわかる、と。
人により、もしかすると、テロ、悪霊側に叩かれるのは大変だろうから、一応注意。
これから、仏陀の弟子はさらに増えるだろうけれども。

HPの仏陀の教えは光であるということで、
たとえば、帰依した本人が光ってしまうと見つけられやすいのかな、と。
キリストさんの教えの人も、道を進んでいる人は悪魔、悪霊の邪魔が入るかもしれない。
真理に近づくと、リアルに悪魔、悪霊の伝えられていた話が自らに生じてしまうという人もいると。
まぁ、現実の裏っ側の真実がこれだろう。
近づいているのが真理だから。
そうなると、おのずと、過去から現在までの大勢の聖者・聖人方の気持ちが自らで理解できてくるだろう。
私が言っている意味も理解できるだろう、と。

テロ側の者達はもう悪魔にやられてるけれども、一般の人は、普通に信仰、帰依するのは最上に善でしょう。道を歩くのは各人。

 勝れたものを知り、勝れたものを与え、勝れたものをもたらす勝れた無上の人が、妙なる教えを説きたもうた。
 このすぐれた宝が目覚めた人仏陀のうちに存する。この真理の言葉によって幸せであれ。



 様々な神々との対話





11月8日


天気雨

天気雨って、日が出ている雨


11月8日

明るく、って、どうしようかな、と。
(修正)

まぁ、あの文章だと別にそんなに怖くもないか。

というように書くと、まぁたしかに、となる、と。


11月8日

俺が怖がっていたら、日本中恐怖な感じになっていたのだろうか、と。


11月8日




11月8日

フェースブックの日記を整理していたら、(訂正前)まじそん群の橋ってあるけれども、これはまったく意図していないです。きちんと言うと、マディソン群の橋。
昔CMで漢字のヒロシって出ていたような、と。
現在も以前からも「そん」という人に私は、怒りとかそういうような感情は一切もっていません。──
他はしらない。はっきり言って、そういう関連で迷惑をしているのは間違いなくこっちです。



11月8日

現在も以前からも「そん」という人に私は、怒りとかそういうような感情は一切もっていません。これは本心です。



11月8日

勘違いされるのも嫌なので。こちらは物事を一般の人もテロ側も平等に偏りなく見ようとしているので。
善行は善。悪行は悪。テロはテロ、犯罪は犯罪。日本、世界を善くするというのであれば、賛成。はるが日本をダメにしようとしている。とか言ってるのもあるようだが、そのような事柄はありえない。そういうように言ってるのはテロの犯人連中だろう。



11月8日

いいかげん「かい」だ「かい」だ、とかそういう畜生霊のたぐいを信じるという、そういう段階、畜生霊の世界から抜けた方が善いでしょう。もし信じているのであれば。テロで関わっている人たちは、と思う。そういうのを、聖者の言葉で悪業という。その悪霊は霊体でもあってもその悪霊自身でカルマは生じる、と。魔術者がもう見えなくなっているのはもうはっきりわかるだろうに。

たとえば、そういう霊的な世界を置いておいて、現実を見ても、やってることがおかしいっていうのはいい加減判断できるだろう。

これもまた、別に難しいことを言っているわけではない。



11月8日

私のをそのままかくと、他の人も自分たちでなんとか判断できないことはないだろう。言わなければ、何一つわからなかったという人はほとんどだろうけれども。



11月8日

あとは法に依ること、自己に依ること、と。



11月10日

あの時は報道ステーションを見ていた。う~ん


11月10日

う~ん


11月10日

表面の言葉でなくて、中味なんだけどね。う~ん


11月10日

いや、内情くわしく知らないけどね。


11月10日

う~ん


11月10日

「中味が見えてない」のところ。そこで、自己の見解は失礼にもなってしまうので、申し訳ないのでカット!言ってしまってたから、書かない方があれかなと思ったのだけれども。


11月10日

フェースブックの日記を整理していたら、まじそん群の橋ってあるけれども、これはまったく意図していないです。きちんと言うと、マディソン群の橋。
昔CMで漢字のヒロシって出ていたような、と。
現在も以前からも「そん」という人に私は、怒りとかそういうような感情は一切もっていません。───
他はしらない。はっきり言って、そういう関連で迷惑をしているのは間違いなくこっちです。


11月10日

あとは、どこか訂正するところは~


11月10日

字の抜けがさっき


11月10日

どこかにいった。


11月10日

そう


11月10日

そういば、手術の予定が決定しました。


11月10日

あ、そうかフェースブックとツイッターのアドレスとか書いてないからリンクがない。


11月10日

まぁ、いいか。とりあえず寝よう、と。


11月10日

本日、胃カメラをしてきたので、あとでネットに。


11月10日

データをわざわざもらってきた。


11月10日

胃の方のHPも日記の方に載せようか、と。


11月10日

本日のカメラの先生は担当ではない先生。あいさつがあるわけでなく、一体誰?と。手術の先生も違う先生。慣れた先生がすると言ってたけれども。誰、と。検査説明はあとで、検査結果もあとで、と。


11月10日

名前だけ聞いた。それ、あいさつか。


11月10日

え、騒いでたかって。いつもどおりだったよ。


11月10日

病院自体が悪いわけではないだろう、普通に考えて。あたまのおかしいことを指示しているのが悪い。それは当然。


11月10日

犯人はその指示をしている連中、その関連の者達だろう。いままでのテロも。普通に考えて。


11月10日

どうするかな~


11月10日

日記に~


11月10日

とりあえず、日記はいいか


11月10日

画像は見れるけれども、画像のコピーができない。動画でコピーをできたけれども、重いので、とりあえず、あとまわしで。


11月10日

日記をチェックしてみよう。


11月10日

映像が生々しいから、とりあえず、HPの日記にはやっぱり載せない方向で。


11月10日

あとは、以前のかわいい発言がね。引っ掛る。やっぱり適切ではないね。かわいいにふれる、っていうそこをとらえるっていう情緒は、この教えを紹介しているという面から見てそこで使うべき言葉ではない(なかった)、と思っている、と。


11月10日

いうような思いもある、と。


11月10日

いうのがわかればそれでよいと。


11月10日

動画が重すぎて、送信できず。う~ん


11月10日

画像のコピーができた。



11月11日

ドライブの途中で少し雨が降ってきていた。


11月11日

今、ちょっと思った。


11月11日

なんのため。


11月11日

そう、心配をしている人もいる、と。一体病気は何なのか、思っている人もいる、と。


11月11日

違う目的のもいる、と。


11月11日

自分で言ってて心配っていうのが、なんか、ひっかかる。しかし、CDをコピーをしてもらうのに、心配をしている人もいるからと言ってもらってきたのであった。


11月11日

そう、しずめるためっと。


11月11日

え、違うんだろうか。


11月11日

こちらがその胃カメラの画像
リンク


11月11日

この画像。素人でもわかる。

私自身がこの画像から診断するとすれば、
このままいくと余命は、おそらく


11月11日

100年以内に死ぬでしょう。


11月11日

さて、夕食にしよう


11月11日

他の方のご診断はいかがなものでしょうか、と。


11月11日

次、入院するときは個室で療養することにした。


11月11日

麻酔か。今回は胃カメラを受けるのに始めから麻酔を使用したけれども、麻酔は強制的に眠りに入るから、あれ意識中間ないね。腕に注射して一瞬で眠りに入って、気づいたもう胃カメラが終わってたから眠りに入ったのが全然わからなかった。まだ、胃カメラ終わってないって勘違いをした。


11月11日

そのような薬でえる寂静と薬でない寂静はなにが違うのか、と。


11月11日

裏方の禅定をしらない人たちがさわいでいるようなので。
睡眠薬等、強制的に眠ってしまっても、起きたときにまた、通常の生活がはじまるだけ。そのようなもので、中間意識をうしなえば、その中間で自己の意識の変革はあるのか。普通に考えてもないでしょう。要するに、そのようなもので意識の中間を故意になくしても、その後にもやっぱり寂静はないってことだね。


11月11日

禅定の事柄を述べたいのであれば、とりあえず、自己で禅定をしてから、禅定の事柄を述べるべきである。禅定をしていない人が禅定を語っても、そもそも話し合いにもならないですよ。


11月11日

薬でえる寂静は言葉として間違いだね。う~ん、


11月11日

薬でえる意識の欠落か。意識が欠落したところで、そこで自心の何かかわるのか、と。夜睡眠をして、朝起きる。そこで自心のなにかかわるのだろうか。


11月11日

朝起きたら、今日はちょっと寒いな、とか。今日は涼しいとか、だろうか。
それは~、普通に毎日の生活だろう。


11月11日

裏っかわの人たちは法(真理)に依る、自己に依るってことができないのだろうか。
そう、できないから、はるを見て、この人は大丈夫なんだろうか。この人の言っていることを信じていいのだろうか、と。不安な心が現われてしまうんだろうけれども。


11月11日

ちょっと、長々と書いたけど、ちょっと、とりあえず、いいか、省略。
「はい、そういうように思いました。」ってところの位置がずれている。位置がかわると、受けとりの意味あいがかわるだろう。


11月11日

作文のように、自己の感想を入れてみたが、ちょっと、違うね、あれは。省略


11月11日

 う~ん、他の説も書こうと思ったが、これも省略。いいか。もう寝よう。



11月12日

三明はさとりの宣言。普通に考えればわかる。


11月12日

掃除中


11月12日

さとりが何かっていうのも見えなくなっていたところもあるようだけれども。岩波仏教辞典では悟りのところに明確にしるされてはいない。


11月12日

大乗のほうはそういう感じであったところは多いのだろう。昔、悟りとはそもそも何かと、いうのを調べてもなかなか見つからなかったという経験があった。辞典は三明のところには三明は書かれているけれどもね。


11月12日

あれば、ちょっと教えてっと。


11月12日 (携帯より)

携帯から あ


11月12日

携帯からできた


11月12日

仏の十號は知っている。だからあえて如来のところに(修行を完成した人)で記したのです。仏世尊のところ。


11月12日

自心の何かがかわるのだろうかっていう表現が勘違いするかな。微妙だね。
自己を観る、自己の何かしらに気づく、ことがあるのだろうか、と。


11月12日

あとは~


11月12日

気になったところは


11月12日

あったっけかな


11月12日

とくに思いあたらない。


11月12日

仏の十号は経典により異なる。詳細を知っている人にどれが正しいのですか、と訊ねるとわかるだろう。


11月12日

「経典により異なります」って言われてしまうかもしれないけれども。


11月12日 (携帯より)

思い出した。雑穢の言葉のところ。これもまた、以前から。雑穢だと辞書による意味であれば、ちょっと間違いだろう、と思っていた。とるにたりない話、とるにたりない雑談、穢れた話。というのがが適切だろう、と思っている。がいかがだろうか、と



11月17日

本日は雨。雪ではないね。


11月17日

入院をして退院をしてきました。


11月17日

その前に、さっきTVの宣伝で悪のなんたらの内容を見て、必要ないので日記から削除。


11月17日

雪が降らないな。


11月17日

手術を受けてきた。他の病院では、痛みが少なくて、日帰りも可能、と言われている手術。


11月17日

(ということで)痛みも少ないっていう手術だそうだから、余裕でいたけれども、手術後、ものすごい激痛で、激痛すぎて動けず。12時間くらいしてやっと動けるくらいな感じ。そして、その激痛により、予定2泊3日が4泊5日に延長したわけで。痛みが治っていないので、まだ入院していても良かったのだが、自分で決めていいというので、本日退院。


11月17日

今回は個室だったので、テロっぽいのはどうだか知らないけれども、看護婦さんは普通に親切丁寧であった。手術後の痛みは、痛みのショックで逝きそうなくらいの激痛であったので、「これは失敗したのか」とも思ったけれども、経過観察で治れば問題ないだろう。麻酔の先生の説明もかなり詳しくて良かったと思いました。
ネットで手術の説明を見ても、「手術後は激痛があります」ってどこにも書いてないからな。激痛すぎてびっくりした。


11月17日

そういえば、胃カメラの話。
手術前に胃カメラの検査の話も聞いたのだけれども、担当の外科の先生とカメラの映像を見ながら話を聞いたのだが、鎌倉から来たという内科の先生が今回は胃の細胞を取っていないと言っていたらしく。

外科先生「今回は細胞を採っていない」
私 「え、細胞をとってますよ、ほら、これ」って血が出ている画像を指差したら、
外科先生「あ、ホントだ。取ってないっていってたけどな~。ウソだよ~」っと言っていた。…


11月17日

ということで、私は普通に疑念を生じた。
今度、その結果を知らせてくれるらしい。


11月17日

普通っていうか、自然とか。


11月17日

雨が降っているけれども、散歩したら痛みがかなりひいた。



11月18日

ちょっと、今考えていたのだが、


11月18日

昔、葡萄液(葡萄ジュース)と葡萄酒ってきちんと分かれてた、か。
う~ん、言葉が違うか。


11月18日

現在は葡萄液を葡萄酒のかわりとしてというところもあるようだけれども。


11月18日

葡萄液を葡萄酒と言うこともあったのであれば、宗教でまとまるわ。
こういうのに詳しいのは歴史の専門家だな~。


11月18日
酒の定義。


11月18日

飲み続けても酔わないのに葡萄酒と言われている飲み物とか存在するだろうか。


11月18日

間違いなく、葡萄液でなくて、葡萄酒なのか、と。


11月18日

まぁ、お酒というのはかなり古い時代からあるようだから、あれか。


11月18日

酔わない葡萄酒(葡萄液)ならガブガブ飲んで酔っ払いだと言われても問題ないな、と思ったので。


11月18日

あ、飲酒の慎みね。


11月18日

普通(一般の人)でいうと。










『[wikiより]

宗教と酒

酒の扱いは宗教ごとに異なっており、酒を神聖な場面で扱い、特別なものとしている場合もあり、反対に飲酒が人や社会に悪影響を及ぼすとし、酒を遠ざけている宗教・宗派もある。

  • ユダヤ教では、安息日や祝祭日を聖化して迎えるために、夕食前にワインを専用の杯に注いでキッドゥーシュという祈りの言葉を唱える(ブドウジュースで代用する場合もある)。
  • 中世ドイツのキリスト教世界では泥酔は神に対する罪の一つとされ、檻に入れられたうえ街頭に吊るされる刑罰の対象とされた。
  • カトリックなど大多数のキリスト教会派では、ミサや礼拝の際に執り行われる聖餐式で、赤ワイン(葡萄酒、特に混ぜ物のされていない純粋なもの)がイエスの血の象徴とされている。ただし、プロテスタントの教派の多くはアルコール分を含まないブドウジュースを用いる。
  • プロテスタントでは、飲酒は避けるべき悪徳であるとされる。ただし、明確に禁止されてもいないため、黙認されている。プロテスタントの中でも宗派により容認度は異なり、保守的な宗派ほど厳しい。セブンスデー・アドベンチスト教会は禁酒を勧めている。
  • モルモン教は飲酒を禁じている。
  • イスラム教では、飲酒の効用は認めつつも酒癖や健康上などの弊害が多いことを理由に飲酒を避けることを強く推奨していることに加え、酒に酔って神にお祈りすることを禁じているため1日に5回もの頻繁なお祈りが義務付けられたムスリムには酔っている時間がなく、飲酒はできないことになっている。しかし実際には多くのムスリムが適度な飲酒なら問題ないと考え、飲酒を楽しんでおり、事実上黙認されている。イスラム世界でもキリスト教徒やユダヤ教徒による醸造は許されたことが多く、飲酒文化が保持された。古来より飲酒をするムスリムは非常に多く、ルバイヤートなどでは飲酒の快楽が述べられている。現代でも比較的世俗的なトルコ、エジプトなどでは飲酒が盛んである。詳しくはイスラム教における飲酒を参照されたい。
  • ヒンドゥー教では地域により異なる。一部の地域では飲酒は避けるべき悪徳であるとされ、中でもヴィシュヌ神の敬虔な信者の多くは飲酒をしない。ネパールの祭事インドラジャトラではセトバイラブ神の像の口から時折チャンと呼ばれる米酒が流れだし、その場に居合わせたものはそれを飲むことができる。 また、インドネシアバリ島で信仰されているバリ・ヒンドゥーでは飲酒が許容されている。
  • 仏教では、飲酒は避けるべき悪徳であり苦しみを生み出す元とされる。日本の仏教各宗派でも飲酒を禁じている。僧侶達の間で日本酒を般若湯と称することがある。
  • 神道では、お神酒(おみき)は神への捧げものであると同時に、身を清め神との一体感を高めるための飲み物とされる。
  • ラスタファリ運動は飲酒を禁じている。
  • カンドンブレでは、神への供物とされる。エシュにはカシャッサ、イェマンジャには白ワインなど、神によって酒類の好みがある。


健康への影響

アルコール依存症

アルコール依存症とは、長期にわたり多量の飲酒した事から、アルコールに対し精神的依存や身体依存をきたす、精神疾患である。アルコールを繰り返し摂取し、アルコールに対する依存を形成し、精神的に身体的に続的に障害されている状態をいう。長期間多量に飲酒を続ければ、誰でもアルコール依存症になる可能性があり、WHOの策定した国際疾病分類第10版には"精神および行動の障害"の項に分類されており、個人の性格や意志の問題ではなく、精神疾患と考えられている。

アルコール依存症の症状には精神依存と身体依存とがある。精神依存としては、飲酒への強烈な欲求をもつようになり、飲酒のコントロールがきかず節酒ができない状態となる。また精神的身体的問題が悪化しているにもかかわらず断酒できない、などが挙げられる。身体依存としては、アルコールが体から切れてくる事で、指のふるえが起きたり、発汗症状などの禁断症状が現れたり、以前と比べて酔うために必要な酒量が増大する、などが挙げられる。アルコール依存症になると他の娯楽や生活をおざなりに、飲酒をすることをすべてに優先的な行動となってしまう傾向にある。

がん

WHO(世界保健機関)では、飲酒は口腔癌・咽頭癌・喉頭癌・食道癌・肝癌・大腸癌と女性の乳癌の原因となるとして注意喚起を行っている。飲酒は喫煙と同じく深刻な健康被害をもたらすため、多くの人々に問題を知らせ、極めて有害であるアルコールの真実を効果的に伝える必要があるとし呼びかけを行っている。

アルコールそのものには発癌性があり、飲酒が少量でもで顔が赤くなるようなALDH2(2型アルデヒド脱水素酵素)の働きが弱い体質の人では、アルコール代謝産物のアセトアルデヒドが食道癌の原因となり、ガンリスクを増大させると結論づけられている。ALDH2の働きが弱い人は日本人の約40%にみられ、アセトアルデヒドの分解が遅く飲酒で顔面が酷く赤くなったり、二日酔いを起こしやすい体質を作るなどの症状をもたらす。アセトアルデヒドやアルコールには発ガン性があり、口腔・咽頭・食道の発癌リスクが特に高くなる。口腔ガン、咽頭ガン、食道ガンは一人に複数発生する傾向があり、ALDH2の働きが弱い人に多発癌が多くみられる。少量の飲酒で顔が赤くなる体質の人の中で飲酒を始めて2年以内にあった人では、約9割の確率でALDH2の働きが弱いタイプと判定される。

また逆にALDH2の活性が高い人は、大量のアルコールを摂取できる反面、同時に肝臓ではアルコールの分解と共に中性脂肪の合成が進む事で結果、肝臓は脂肪まみれになり、いわゆる脂肪肝リスクが増大する事になる。

2005年の厚生労働省多目的コホート研究では、男性に発生した癌全体の約13%が週300g以上の飲酒による原因と概算されている。口腔・咽頭と食道癌では禁酒によりリスクの低くなることが報告されており、禁煙と禁酒の両者に取り組めばさらにリスクは低下すると報告されている。

大腸癌は飲酒で約1.4倍程度のリスク増となり、日本人では欧米人よりも同じ飲酒量でも大腸癌のリスク増加は若干多い傾向にある。大腸癌は頻度が多いので飲酒量を減らすことによる予防効果は大きいと考えられている。

肝臓ガン

長期間飲酒を続けると肝臓に障害が生じ、アルコールの摂取量が肝障害に関連している。

大量のアルコールを摂取を続ける事で、肝臓ではアルコールの分解と共に中性脂肪の合成が進み、その結果、肝臓は脂肪まみれになり脂肪肝を発症する。

さらに飲酒を続けると、アルコール性肝炎や肝硬変に進み、最後には肝癌を合併するケースも珍しくない。お酒に強い人ほど強いがゆえに、肝臓を著しく痛めつける傾向がある事が報告されている。

積算飲酒量とは、今までに飲んだアルコールの量のことである。積算飲酒量が、純アルコール換算で男性で600㎏を超えると上記のように肝臓に障害が出る危険が高まると言われている。女性の場合は男性よりも少ない量で危険が高まると言われている[要高次出典]。ちなみに、この600kgは、週300g(ビール大瓶(633cc/本 x 4% = 25g/本)2本/日・6日分相当)、2000週(40年間)に相当する。上記表より換算すれば、日本酒週1.2升40年、ウイスキー週ボトル1.2本40年に相当する。

もともとウイルス性肝炎がある場合は、飲酒は増悪因子となりうる。

ただし、脂肪肝の段階で、節酒するか断酒に踏み切れば、肝臓は元の健康な状態に戻ることが確認されている。脂肪肝と指摘された場合には、速やかにお酒を控えることが重要とされている。

食道ガン

飲酒時に赤面する人が長期間飲酒を続けると食道ガンになる危険性が89倍にまで増加し、同体質の人が飲酒、喫煙を続けると最大190倍も高くなることが、東京大学の中村祐輔教授と松田浩一助教の研究により報告されている。

ALDH2酵素の遺伝的不足により、飲酒により吐き気をもようしたり、心拍数が増加、ほてりなどの反応示す人は、東アジアの日本・中国・韓国の人たちの1/3以上にまで及ぶ。日本では約4割がこの体質を持つ。アセトアルデヒドと呼ばれる毒素の体内蓄積を引き起こし、たったビール1/2本でも症状がでる。

世界で食道がんを多い国をつなげると、ベルト状になることから「食道がんベルト」という名が付いている。中東アジア、中国、韓国、日本などがそれとなる。病理学的に食道がんは「食道扁平上皮癌」と「食道腺癌」に大別され、日本人の場合には95%以上が 食道扁平上皮癌 が多数を占めている。一方、欧米では「食道腺癌」が多数である。

喉頭ガン

喉頭ガンの原因として飲酒やたばこの吸いすぎがあげられる。多く発症し特に50歳以上の患者の増加が目立ち咽頭部への継続的な悪質な刺激がガンを引き起こすと見られている。飲酒、喫煙の割合が男性に多い事から、男性に咽頭ガンの多い原因と考えられている。

咽頭ガンは上咽頭ガン、中咽頭ガン、下咽頭ガンにわかれておりそれぞれの部位で症状が違いがある。症状を例をあげると、一番多い中咽頭ガンで共通しているのは声がガサつきとなっている。いわゆるがらがら声と呼ばれる状態。咽頭ガンがさらに進行すると呼吸がうまく出来なくなることがある。いわゆる呼吸困難の状態である。また、タンが多く出たり、タンの中に血が混じったりする症状がでてくる。このような症状が出た場合には早期に診療を受けることが大切。

喉頭(コウトウ)がん

喉(ノド)頭がんの原因に喫煙や飲酒があげられる。喉(のど)が焼けるような強い酒をあおるように飲む飲み方ではリスクはより高まる事になる。毎日飲酒をする人は特に注意が必要である。また、喉頭がんの原因は飲酒以外にもタバコやアスベストなどもあげられている。

口腔ガン

口腔ガンを引き起こす主要因子は喫煙や飲酒とされている。喫煙者は非喫煙者より口腔ガンでの死亡率が約4倍高いといわれている。また、アルコールはタバコよりも口腔癌を引き起こす可能性が著しく高い事が、近年の研究によって明らかになってきた。更にビールやワインは同量のウイスキーを飲むよりもリスクが高まることも報告されている。

腔癌の予防法には主に次のようなことが挙げられている。・タバコやアルコールを控える・口の中を清潔にする・口の粘膜に慢性の刺激を与えない、などである。

脳の萎縮

近年、アルコールは少量であっても、脳を萎縮させる効果があるとする研究結果が報告されている。

研究によれば、以下の順で脳がより萎縮するとされている。(より下に書かれたケースの方が、より萎縮する)

  1. 飲酒をしない人
  2. 過去に飲酒していたが、現在は飲酒を止めている人
  3. 少量の飲酒を継続的に行っている人
  4. 大量の飲酒を継続的に行っている人

「適量」と呼ばれている少量の飲酒であっても、脳の萎縮が起こり、過去の飲酒の影響も残り続けるため、脳の萎縮という観点から見れば、アルコールに適量は存在しないと言える。

アルコールの人体への影響

摂取した酒に含まれるアルコール(エタノール)は、主に胃と小腸粘膜で吸収される。

吸収されたアルコールは迅速に酸化されアセトアルデヒドとなる。しかし、一度に大量のアルコールを摂取すると代謝が間に合わず、血中アルコール濃度が上昇を始める。血中のアルコールは中枢神経系を麻痺させ、酩酊や急性アルコール中毒を引き起こす。

精神、心理状態を変化させることなどもあって、飲酒は様々な文化と関わってきた。元来は酒のもたらす精神変容は宗教体験や呪術と結び付けられ、非日常の宗教儀式用に摂取されるものとされていたと考えられる。今日でも様々な文化において様々な伝統宗教や祭祀習慣に酒類が欠かせないものとなっているし、飲酒にまつわる儀礼にはそうした宗教・祭祀慣習とのかかわりが深い。

酒類が日常化し、晩酌(夕食時に(しばしば日常的に)飲酒すること)する人や酒飲み(日常的に飲酒をする人)が存在する今日においても、酒類の儀礼性、宗教性は濃密に残っており、「おとそ」のように特定の祝い事と結びついた酒があり、また非日常的飲酒を行うためのバー、パブ、居酒屋、スナックのような飲食店も存在している。

日本では行事などで、なかば強制的に飲酒させる慣習が見られたが、最近は急性アルコール中毒や飲酒運転による死亡事故報道の増加や、アルコール代謝酵素の欠落症の存在が広く知られる様になった事で、酒席でのノンアルコールも認められる様になりつつある。

等』








11月22日

本日、病院に行ってきました。胃は胃炎(びらん)だそうです。


11月22日

テロに乗せられて騒いでいる内面子供達もいるけれども、騒ぎを鎮める側の大人たちも増えている、と。


11月22日

仏陀の弟子は確実に増えている、と。


11月22日

悪知識と愚なると共に従事することなかれ

まさに善知識と交通すべし

もし人本悪無きも悪人と親近せば

後必ず悪因を成じ悪名天下に遍からん



11月25日

なんと


11月25日

どうも、手術後の改善が見られないので調べてみたら、手術の粘膜をカットするのに平均の最大切除粘膜幅は2.8cm、私の手術の場合は1cmだけカットするという話であった。ほとんど意味がないか?治らなかったら、手術失敗だな、と。


11月25日

そもそも痛みがないところの粘膜をカットするので、痛みが少なく即日退院も可能という手術で激痛ということは痛みがある部分に傷、またはカットしているということだろう。


11月25日

1週間後の診察でも1cmくらいカットしたと言っていたから間違いないが、他の手術と比較すると、その長さで完治するのかと思う。
手術後1週間後診察に行って患部を見なくていいんですかと聞いたら、見なくていいんだと言っていたので、いまだに患部も見てもらっていない状況であるけれども。あとは来月1カ月後に診察。普通は患部見ないのか。

テロの犯罪者が騙して絡んでいるのもあるようなので、現在はそういう状況です。


11月25日

地方のラジオでは手術が失敗したら消すというような感じでテロ側が騒がせ(ようとし)ている状況、様子。


11月25日


う~ん、一応、手術後に目が覚めたら先生が冗談だかしらないけれども、再発するように手術したからって言っていたから。も~、いろいろテロ絡みだろうと思っていたので。騙されているならば、病院側は悪くはないだろう。


11月25日

冗談であってもそれを聞いた患者とすればショック。


11月25日

まだ麻酔から醒めていないと思ったのかと、激痛ですぐに起きていたのだが。


11月25日

現実としてそういう話の流れ。だから医者の先生もテロ側に騙されていればどうしようもないだろう。


11月25日

手術をしてもらってけれども、なんと言っていいのやら…。



11月25日

七宝は八正道に観られる。七菩提分、七かくし。


11月25日

テロ側の能力者は自分らがもう堕するのわかってて、他の人を引っ張っているだろう。


11月25日

前世で巫女とかそういう関係をやっていた人でも、低級な霊能力は生じるっていうのも、普通に言われているだろう。自分達の能力を何に用いているかでも、自らがどういう系統かわかるだろう。


11月25日

正確に、八聖道に従って七菩提(七宝)はある、と。


11月25日

俺の念を読んで、つしまは犯人ではない。そして、つしまは一連の音楽等わけのわからない昔からの裏工作もなんだか意味もわからないという俺の記憶、念を悪魔側が知っててやっている、というそういうのを俺自身わかっているので、善として俺を念をよんでいないというのも、もうわかりきっているわけで。はっきりと言える。
悪側が聖者、仏陀の弟子一人を相手にするというのもやっぱり大変なんだということもよくわかる。


11月25日

法輪はすでに転じているから。


11月25日

魔術者側が能力を使っているかどうか、わかるかって。
そんなの俺ですらわかるって。


11月25日

悪霊ですら、悪しき行により悪しきカルマは生じるっていうのに、そちら側の一般人に悪しきカルマが生じないという道理もありえない。
例えば、この意味不明な言葉は他の人にわからない。しかし、仏陀の弟子にたいしては悪しき言葉として聞かれるだろう、というのを知っていながら、あえて言う、言わせるのも悪しき業である、と。
いやいや、それだけあからさまにやればそちら側が悪魔側だってさすがにわかるって。


11月25日

う~ん、函館に仏陀の弟子として生を受けた人はたくさんいないのだろうか。


11月25日

善行をしている人が、私の言葉を聞いて怖がるわけがないだろう。


11月25日

ほら、今ラジオで煽っているのが、一連のテロの犯人グループ。


11月25日

テロはこちらではないのももう明らかだろう。






2013年2月12日

まぁ、しつこい。今日も──歯科で嫌がらせをやられたよ。



2月12日

ホント、テロ連中がキモイ。


2月12日

岩、岩、── 森、森、モリ、モリってさわいでいる。


2月12日

三▲(ミツビ▲)(三菱自動車)のCMでもしにそ~しにそ~とかわけわかならい空耳やっているから、三▲もいいなりみたいものだろう、と見ていたけれども。どうなのだろうか。


2月12日

── 実際、岩(石)、岩(石)って感じなんだろうか。ケファとは違うな。テロであれば。


2月12日

共愛×病院での手術後は、現状は以前よりおそらく悪化しているだろう。他の病院で見てもらったら、手術痕が歯状線のすぐ上のところにある、ということでちょうど内括約筋のところあたり。他の病院に行ってみてもらったら、しまりは50、60歳くらいらしい。ほぼ完璧に手術は失敗だろう。まぁ、内括約筋をとったら力は入らないだろう。結局手術の主治医は診察した医師がやったけれども、手術前に下剤を使わず、手術。手術の時、ちょうど非難訓練やってたみたいだけれども。看護婦さんにも確認してもらったけれども、使わなくていいと。あれ、下剤は普通使わないのか!?と思いつつ、手術。で手術後はこのような結果。あのあとも、診察に行ったけれども、結局その医師は手術のあとを見ることもなく、その医師の指診も一度もなかった。ということ。


2月12日

歯医者は前言っていた歯医者で治療したところ、穴ボコ3ケ所。一箇所は化膿してたし。最悪だ。歯を磨いても口臭がしていたわけだ。最後に行ったときは、現在の歯医者で治してもらったけれども、奥歯の隙間に穴が開いていて爪楊枝がかなりささるくらいで、食べ物が詰まって口臭がするので、治してくださいというように言ったら、その歯科医は「もう、無理」って言っいた。
もう、無理って…。
で、現在治療してもらっているけれども、テロ連ちゅうの音楽がかかっていたので、また、なおらないのかなと…、ふ~、っとタメ息。


2月12日

──


2月12日

オ*マさんにすら影響をあたえるのがテロに絡んでいるってことだろうな、と考える。と、そういうようにテロ連中の騒いでいるのを見ているけれども。


2月12日

どうんなだろう。


2月12日

キリストの教えがほとんど消えているのは、キリストの弟子の方々にとっては問題だろう。


2月12日

わたくしは仏陀の弟子であるけれども、イエズスの教えはまったく善であると思っている。真理はひとつである、と。
と、ここまでは、もう普通の話で、そこから、進まないと、聖者方についていけないと思うけれども。聖者の弟子の方々へ


2月12日

讃美歌の歌詞は私の気持ちほぼそのままです。
(我、悲を受くるに忘に非ず、悲を悲として観ず)


2月12日

ほぼっていうかそのまま。(春念)


2月12日

仏教以外の教えっていうのは、どうなのっていう疑問を仏典を読んで思った人もいるだろうけれども、サーリプッタ尊者の言葉を学んでみてください。


2月12日

ホントにね~。…疲れる。


2月12日

友人から電話が来て、50分位話をしていたら、書こうとしていた内容をちょっと忘れた。


2月12日

三▲の話か。


2月12日

あ、違うか。


2月12日

(創業者)さんの学んでいた陽明学は良い感じであると現時点において春は思う。という話か。


2月12日

王さんも中国だけれども、現在の中国も古聖の教えが消えてきているのだろうか。中国に宝はたくさんあると思うのだけれども。
現代の中国の人は私の見る宝(聖人)を宝としては見ないのだろうか。
道教、儒教、陽明学。
大乗仏教の弘法大師も道教、儒教から学んでいる、尊敬しているのだが。


2月12日

「真理は一つであって、第二のものは存在しない。


2月12日

「国、場所が違っても、聖者、聖人方は同じことを語る。
何故、同じことを語るのだろうか、と。
観ているものが同じであれば、それは同じことを語るだろう。


2月12日

あ~、教えがそれぞれ八方であると見ているので、迷うと。
それぞれ一方に見るとよろしいと春は思う。


2月13日

孔子の祭祀については知っている。
それぞれにおいて、そこはちょっとどうなのだろうというような疑問が生じるのであるならば、聖者方の教えで答えを判別するということは可能だろう。


2月13日

う~ん、改めて考えると祭祀の部分において、私が孔子を押すのは、よろしくないか。君子とはっていうので、最初に学んだのが孔子だったけれども。


2月13日

善なる人の萌え・芽が育つ教えという意味合いででも押していたのですが。
道教はその 通りですね◎


2月13日

と春は思う、と。


2月13日

同じ教えであっても教えの受けとり方が異なってしまうという点は、
それぞれで思考、判別するところである、と。
そこでも結構分かれるだろうけれども。
例えば、光明を見て判別するか。光明を見ずに判別するか。
もし、無為っていう意味がわからないのであれば、聖者、聖人の教えがあっても何を言っているかわからないかもしれないけれども。


2月13日

という意味でも、聖者・聖人方はすごいな、と。


2月13日

ちなみに、嫌がらせをしている連中の行は正定に結びつくということはありえない。邪定に結びついてしまうのはある程度学んでいる人ならわかるだろう。邪定は正定の全く逆であるが、天の反対、要するに地獄に至ると。
で、悪業の限りを尽くして俺は魔王になるのだ!とかいう者も中にはいる かも しれないけれども、仏典によりますと、魔王波旬(Ma-ra pa-pimant)であっても、過去に為したの善業(宿業)によりその位(力)を得ているとされています。
そういう教えを考慮すると、現在、畜生霊憑きの悪業をしてしまっているテログループの者がその生存を終えたときの行き先はどのようなところなのだろうか、と。
聖者の教えでいうならば、どのようなところであると思いますか。


2月13日

まぁね、視野が狭いと考えがそこまでおよばないというのは誰しもあることだろうけれども。

人間として存在しているものには死というものはあるか。

人間に死というものはある。

人間に死は必ず訪れる。(普通の常識)

死後というものはあるのか、死後の存在はあるのか。

死後というものはある。そして死後の存在はある。(聖者・聖人方の教えでは常識。)

化生としての存在というものはあるのか。

化生という存在はある。(そのような存在を見、聞、接触できる人、知っている人にとって現にそうであるので常識。)

う~ん、一般の人は人間には死というものが必ずあるというのしか分からないか。




2月14日

──
相関論で表すと、犯人グループって結構すぐ特定できるんではないのか。
国なりなんなりを動かせる団体とか、そういう資金なり、権力なり、名誉なりを持っているのは限られると思うけれども。


2月14日

例えば、元メディア王(キ─・ル─・マ─)とかが声を入れた映像をなんかやっていた、となれば、それらの相関関係とか。
三▲なら三▲の相関関係等。
まぁ、普通の刑事事件でも、こういうのから辿っていくというのは普通の捜査の範囲だと思うけれども。

(テログループがパパ(父)とか言っている存在は、仏陀、又は聖者方の言う世の父とは異なると。
 父が至善であれば、子もまた至善を見る・知る・理解する、と。もしも、父が不善であれば、子が善を見る・知る・理解することはあんまりない、と。
 聖典の言葉のとおりである



2月14日

問題はそんなんではないけどね。


2月14日

何故に、仏陀の教え、キリストの教えが出ているのかっていうのを考えてみるべきだろうけれども。


2月14日

ふー、段階を経ないで飛び越えた論を言うと他の人が迷うか。
テロはそれぞれ安住の地にいる世界の人たちにとっては問題である、悪行に関して、と。


2月14日(15日)

例えば、テロの連中はこのように言うのかもしれない。
善と悪のバランスとかなんとか。
必要悪である、と。
これは人生とは何か、聖者の教えとは何か。善とは何か。っていう迷っている段階の人だろう。
覚者の教えに必要悪というものは必要ではない。
かえって、教えを覚知するために、微塵もあってはならないものであると言われる。

そもそも、突き抜けた善なる人は、人としての生存に戻ってこないとされているわけで。至上の善人が次々と天へいって戻ってこない、次々と善人が抜けていってしまうのに、善人を育てないでそれはどうするの、と。
世界は悪人ばかりか、と。
また、例えば、悪がなければ世界は発展しないのかどうか。
人間に欲心がある限り発展しないということはないだろう。
例えば、何々をするにはどうしようと考える、(面倒だから、又はそうすることにより何かと便利であるためという理由等で)あれをもっと効率よくして、無駄を省くのだ、そうすれば、無駄な時間、無駄な労力、無駄な金銭の支出は抑えられる。と、いうように仕事なりなんなりについて考える。
このような考えをもつ人間がいるのであれば、人間の世界が発展していかないということはないだろ。
そのような考えを持っている人間は世界中の国々に沢山いるだろう。現代社会一般でも多くの人は(自らの欲を達成するため等でも)効率よく行動をしたいと考えるだろうから。
畜生で言えば、カラスでもクルミを車に引かせて割って食べると。

人間に欲望〔欲の渇愛(欲望に対する妄執)、有の渇愛(生存に対する妄執)、無有の渇愛(生存の滅無に対する欲の妄執)〕がある限り、誰かが作為して悪を造作しなくても悪欲は生じえてしまうだろう。

誰かが作為して悪を造作する必要はない。

中国の古の聖人は人民を善に導くような教えを説いてるわけで。
まさに人の道を歩みはじめるための教え、人の人たる教えであると春は思う。

世界をまとめるグループなり、個人があるのであれば、人としてやるべき行いは、いかにして人を善に導くかだろう。

それらの善行は仏陀の教え、聖者の教えの真理に適う



2月17日

──


2月17日

元メディア王については映像を見たので、日記にしるしているとおりです。


2月17日

どちらにしてもテロならば道徳の道、天の道、にない。
聖者、聖人の道にないというのは言うまでもない。

聖者、聖人の言葉を聞いても、なお、その弟子、友を攻撃するというのでも、もうすでにその者、その集いの歩んでいる道が見てとれるけれども。

そのような時点で、その者自心の土台がボロボロになっているだろうけれども。
意味がわかるだろうか。
例えば、土台(自心)がボロボロ(ものすごく穢れてしまっているの)であれば、神の真性なる神殿はそこに建たないだろう。

また、これは例えば、道端に蒔かれたもの。
播いても悪いものが来て心の中に蒔かれたものを奪い取る。というように、
これは、普通に、悪魔、悪霊、悪しき存在、に感情をとられる、又は悪魔の思念に自らで同調してしまう、というようなことで、教えを聞いてもそれらが邪魔をして、欲念を起させて教えから遠ざける等、そのようにも理解ができますが、

さらに、この言葉を他の表現で顕してみると、
もしも、その者に(聖者の教え、善、真理に対する)目覚めの自覚が生じるとき、悪魔が来てその者にその者自身の悪行を見せつけ、邪魔をして目覚めから遠ざける。

これは禅定をしている人ならば理解できるだろうけれども、その心の葛藤、後悔、悪念等々、により善念を妨げられる。

 私は、聖者方に敵対したり、真理の教えを妨げるというような、そこまでの悪業はしたことがないので、実際どこまで妨げになるか定かではないけれども、思うにそこまで行くと善で統一(禅定)するというのもむずかしいと思う。
これは、私が禅定をしているときに、悪霊が表面思想に邪魔をいれて、禅定を乱そうとするのを無視する程度、のレベルの段階でもないので。

聖者の教えを知らない、禅定を知らないとそのようなことをしてしまってもその重大性には気づかないと。
道を進むところに関して。
禅定の元のところですでに、悪魔に付け込まれる隙が大きく開いてしまっているので、そこから進むというはすでに難しいだろうと。

要するに、以前記した言葉で、
聖者方は「小さな罪にすら恐れを抱く」という言葉。
禅定をしている人ならば、これは何故なのかというのを自心で観ることができるので、この言葉を、なんとなくとかいうのではなくて、現に自心で理解することができる。
畜生霊とかのそちらの魔術士の悪業、嫌がらせを見てもわかるようにそのような行いからして、理解ができていないというのも、最初の頃からわかっていたけれども。

禅定という言葉はイエズスの教え、弟子に関係がないと思われる弟子の方々もいらっしゃるかもしれないですが、

祈り。



ロゴスに敵対する集い。
畜生霊とか絡んでいるし、確実にまずい方向に進んでいる人達だろう。そのメンバーは。
天使に似た悪魔にすでに与えられたしるしを持っているならば捨てるべきだろう。

例えば、クリシュナムルティさんの行いで考えさせていただくとするならば、クリシュナムルティさんはテロのような行いに参加するだろうか。
または、クリシュナムルティさんが畜生霊について行くということはあるだろうか。
または、クリシュナムルティさんが悪霊、霊的能力を使って悪行をするというようなことがあるだろうか。

クリシュナムルティさんの言葉を知っている人ならば、『そのようなことはありえない』と知るでしょう。


イエス・キリストの行いで考えさせていただくならば、イエス・キリストがテロのような行いに参加するだろうか。
あなたはどう思いますか。

イエズスの言葉を知っている人ならば、『そのようなことはありえない』と知るでしょう。


仏陀の行いで考えさせていただきますと、仏陀がテロのような行いに参加するだろうか。
あなたはどう思いますか。

仏陀の言葉を知っている人ならば、『そのようなことはありえない』と理解できるでしょう。








3月3日(2013年)

う~ん、と。どれから


3月3日

とりあえず、日記の(正法を消されてしまったという過去の歴史)のところは、名前の部分が引っかかるから、あとから修正しようかと思っていた。しかし、教訓としては分かり易いので、どうしようか、と。


3月3日


文章を読む人がたくさんいるとするならば、怪しく思われて困るだろうから。


3月3日


あと、石(岩)のところもなおそうかと。日本の世界の陰謀論とかを調べると、ほとんど──特定の──団体の名前がでてくる。お金持ち、権力、名誉等をそなえると、やはりいろいろ疑いの目で見られてしまうというのはあるだろう。と思っている。


3月3日

あとは、これは特定の人物、団体に言うとするならば、

本日の出来事において、
感情体を見るということ。感情体を見ると、例えば、その人がその時点において他の第三者の人物に対してどのような感情を持っているというのがわかるとする、そうすると、その人がその人にたいして発する言葉というものも、その感情の中から読み取ることができる。その時点におけるその感情から読みとるのであるので、その読まれている人もその自己の感情から読み取れない、その感情から逸脱した言葉を発するということはない。
これは、自己の感情を見ている人と見ていない人とはまた異なるだろうけれども、
なんらかの言葉を言いたくなるという感情を出す、出る、出させるということに関して。

それはそれで、
問題は、それらの行いに付随した、他人の良心からくるものまでも利用した、自己の能力を顕示したいという穢れた欲に気づかないこと、と
そして、その法の盗人のような穢れた行いである。
盗人のような行いをしているものが、これらの法は自己のものであると、言ったところで、その者自身が法を理解する、理解しているということはありえない。
そのような行いをしている時点で、道にないといのもはっきりしている。

それらの行いにともなっている欲念を自身で観てみる、考えてみてもわかると思うけれども。
届かないかな。

「修行僧たちよ、不善なる人は不善なる人のことを、『この者は不善なる人である』と知り得るでしょうか」

「尊師よ、そういうことはありません」

「修行僧たちよ、よく分かりましたね。修行僧たちよ、不善なる人が不善なる人のことを、『この者は不善なる人である』と知り得るようなことは、道理としてもなければ、可能性としてもないのです。

 それでは、修行僧たちよ、不善なる人は善なる人のことを、『この者は善なる人である』と知り得るでしょうか」

「尊師よ、そういうことはありません」

「修行僧たちよ、よく分かりましたね。修行僧たちよ、不善なる人が善なる人のことを、『この者は善なる人である』と知り得るようなことは、道理としてもなければ、可能性もないのです。

「修行僧たちよ、善なる人は善なる人のことを、『この者は善なる人である』と知りうるでしょうか」

「尊師よ、おっしゃる通りです」

「修行僧たちよ、よく分かりましたね。修行僧たちよ、善なる人が善なる人のことを、『この者は善なる人である』と知り得るようなことは、道理としてあり得るのです。

 それでは、修行僧たちよ、善なる人は不善なる人のことを、『この者は不善なる人である』と知りえるのでしょうか」

「尊師よ、おっしゃる通りです」

「修行僧たちよ、よく分かりましたね。修行僧たちよ、善なる人が不善なる人のことを、『この者は不善なる人である』と知り得るようなことは、道理としてあり得るのです」


3月3日

修正してみた。




3月4日

以前に動画で見たのだけれども、

3月4日

佐々井 秀嶺さんに小乗仏教を伝えるのは仏教徒にとって有益だろう。と以前思った。私のHPの仏の教えの部分だけでもいいので、誰か伝えてくれる人はいないだろうか。どのように反応をしめされるかは知らないけれども。


3月4日

え~と、なんか違うところがあるかな。え~と、法の盗人というところに関して、法はすべての人のためにあるものであって、私を操っているとか言っている愚かな者にたいしての意味での法の盗人という意味である。


3月4日

伝えるのは仏陀の教えの部分だけがいいのであるが、私の説明があるとわかりやすいだろうという気持ちでの教えの部分だけでもという意味である、と。


3月4日

仏陀の教えの部分だけいい、というようにすると、またなんか、ホントにそれだけみたいだが、要するに仏陀の教えの部分がもっとも重要であって、私の日記は別に重要ではない、という気持ちを伝えようというしたのだが、日記に仏陀の教えに関する事柄は記しているので、日記の部分と、掲示板にも教えが記しているので、読んでもらえたら分かり易いだろう。と、思った次第で有るけれども、テロとかも記しているので、逆にわけわからなくなることもありえるな、とも思った。


3月4日
佐々井さんの動画での説く教えを見たうえで、
仏教徒として仏陀の教えを学ぶというのは普通であるので、佐々井 秀嶺さんが縁で仏教徒になった人々も、仏陀の教えをさらに学ぶのは善いと思う。
法を伝える、そして、善に導く、これは善行。



3月4日

え、佐々井さんは元気なんだろうか。


3月4日

ニュースを見ていたが、いや、さえっていう人物にたいしては私はまったくなにの期待とかそういうものは全くなにももっていない。悪霊の件で、手紙で事情も説明しないでありえない者であるというように思っているのみ。


3月4日

そういうのは、別にいいとして、


3月4日

別にいいというか、悪霊の件もあり、親しむことはない、というのみであるが、その件は、別にいいとして、


3月4日

空海さんの尊敬の件で、道を進むのに関して、その人の教えをも、それに加えているのに、どうして尊敬しないことがあるだろうか。尊敬という文字がなければ、そういう気持ちがわからないのだろうか。




3月10日

ふ~、さえって名前を出すと、ニ×、ニ×って、騒いでいる。だから、私はどちらとも親しまないって。ブッダの教えにおいて、そのような者と親しんではならない、とあるので。
しつこいので、はっきりさせようかと、え~と、聖者方は、SとかMとかで変体行為のプレイを想起させるような例えでもって、教え諭すということはありえない。SとかMとか。ムチとか。
あと、脅迫でお金をとろうとか言うのも、言葉を発して脅迫をしていたわけで、私の家までいくとかって脅迫をしていた時点でもありえないって。

そのような時点でもバックは真の天神ではありえないとわかるだろう。
テロメンバーは能力者の犯罪者を信じたいという者達もいるみたいだけれども。

何歳だかは忘れたけれども、50代60代という年齢にもなって、20代の若者を脅迫して金を奪おうというのは、もう内面がもうすでに穢れきっているだろう。その時点において。

テロメンバーっていうか、ホントに嫌がらせメンバーになっている。
そのような行いのものにどうして天神が点くだろうか。

普通に考えても、わかると思うんだけどな~。
わからないんだろうかな。




3月11日

×テロメンバー×嫌がらせメンバー

「例えば、クリシュナムルティさんの行いで考えさせていただくとするならば、クリシュナムルティさんはそのような行いに参加するだろうか。
または、クリシュナムルティさんが畜生霊について行くということはあるだろうか。
または、クリシュナムルティさんが悪霊、霊的能力を使って悪行をするというようなことがあるだろうか。

クリシュナムルティさんの言葉を知っている人ならば、『そのようなことはありえない』と知るでしょう。

イエス・キリストはそのような行いに参加するだろうか。
あなたはどう思いますか。

イエズスの言葉を知っている人ならば、『そのようなことはありえない』と知るでしょう。

仏陀の行いで考えさせていただきますと、仏陀がそのような行いに参加するだろうか。
あなたはどう思いますか。

仏陀の言葉を知っている人ならば、『そのようなことはありえない』と理解できるでしょう。」

教えを知った上でも、まだっ、ていうのは、そのメンバー各人の歩いているのは、そちらへの方向でほとんど間違いないと思われる、
普通に考えて。
間違っているので、戻った方が善いだろう。

例えば、その各人のバックの導きが悪魔とか、低級な妖怪とか悪霊等だとすると、感情もそちらに行ってしまうだろうから、よくよく気をつけてみるべきだろう。

悪魔が憑いているならば、聖者の教えの道をあるきたくても歩けないと思うけれども。
以前にも同じような事柄を記しているけれども、自発であれ、他発であれ、そのような存在は感情をもっていこうとやっきになっているのも現にいるので。

というのもあるので、聖者方は自己の感官の門を守れと、いう教えを説いているでしょう。
聖者方はそのような存在をも理解して教えを説いているのですごいのです。

そして、自己を観なさい、と。
これもまた、上記と同じく、自己を観ないと、自己の感情なのか、悪霊、又はそのたぐいの感情移入なのかは自己で判別することもできない。これは一般の霊的な話を知らない人は自己の感情は自分自身であると思うのが普通であって、他の存在による感情移入というのがあることじたい知らないので、悪霊等そういう存在はそのような人を感情移入、想念移入でもって騙すのは容易であると。

であるので、私のHPでもって、悪霊、悪魔という存在の誘惑、感情操作、想念移入、または悪霊関係なしで、想念を取り込んでしまう等は、知って理解ができると、自己で判別も可能になりえるので、そのような悪念の影響を受けにくくなるわけであり。
聖者の教えを見ることによって、善と悪の比較もできるのでなお一層悪念の影響を受けにくくなる。

教えを知らない一般人は自分の心で生じる欲念、感情等は自分であるという考え、想いで直結しているので、そもそも、そこにその自己の感情、欲念を判別をするという選択肢もそこに生じるということはほとんどないでしょう。
なので、欲念が生じたらその欲念、欲望のままに突っ走ってしまうこともある。
自己の感情のままに。
であるので、そのように、自己の感情の判別という選択肢が生じない(自己を観ることのない)人を、悪魔、悪霊が騙すのは難しくはないでしょう、と。

自己の進んでいる方向。

嫌がらせとかテロ行為をしている者は、その行為をしている時、した時から、その個人はその道に乗っかってしまっているわけでもあり。

善行をするという行い。
誰か困っている人に対して、穢れなし、善心・慈心でもって施しを与える等というのも、その行いをしている時点、その時点から、その個人はその道に乗っかっているわけでもあり。

さて、あなたは現在どの道を歩いていますか。

聖者の教えを学んでいる弟子の人大勢は、善行を心がけて、悪行をしてはならないという心持ちの人は大勢いるでしょう。

そもそも、聖者の教えを学ばなければ、善行とは何か、欲望を満たしてあげることだろうか、というような疑問を生じてしまうところからして迷う人もあり。

であるので、そういうところでもブッダの教えは各人にとって重要なのです、と。

道徳。

道徳か~

私自身の道徳は現代でいう一般社会の道徳では理解が難しいところがあるようなので、たとえば、私が言っている無為という言葉も一般道徳では理解が難しいのかもしれない。

聖者方の教えでは、普通というか、当然というか、と。

無為から観てみるテロ連中のバックには欲念とかものすごいけれども、まぁ、畜生霊も絡んでいるし、そっちに行ってしまうのも無理はない、と。

わかるだろうか。

人間という存在は感情に左右されえる。

霊的存在というものは、その感情を左右することが可能である。

ということで、人間は霊的な存在により悪影響なりをうけてしまことはある。

では、その霊的存在の感情、念の影響を受けないように自由になるためにどうすればよいのか、と。

そういうところでも聖者の教え・宗教(真理)というものはものすごく大きな善い影響力があるわけである、と。
さらに、人間の根底、潜在意識に対しても影響力がある。

というので、宗教で人も動く、そして国も動く。

が、そういうのは本当の宗教であれば、普通だろうけれども、

そういうのは問題ではなくて、

重要なのは、各自己、自心、自分自心が自由になること。
そして、仏陀の教えとして、それぞれ各自のあらゆる苦からの解脱である、と。

「一切の苦がない状態。

一切の苦がないというのは、どのようなものなのだろうか」と。

テロメンバーの者達はすでに、禅定しても難しいだろう。
やりすぎだもの。

自分達には仲間がたくさんいるっていっても、悪魔とたたかうのは各自一人一人なんだけれども。

人間は死後には、すべての物を捨てて行かなければならないい。

う~ん、

現に悪霊介入している集団というのもあり、感情のところからして、悪魔になびきやすいメンバーか。

感情をとられてるのに、どうもこうもあるかってか。

難しい。

しかし、どうもこうもあるんだけどな~。

う~ん、しかし、もうやりすぎか。

ん~、どう考えても難しい。

と、思う。

聖者 VS 畜生霊

ロゴス VS テロ集団

聖者の教え VS 狐霊や狸霊や鹿霊や蛇霊や悪鬼や悪魔のたぐい

そもそも、普通の人はそんな(そういう)悪業を積まないって。

と思う。


3月11日

だから、光明への道、仏陀の教えはHPに記しているとおりであります。


3月11日

と。

3月11日

本日も歯医者に行ってきました。


3月11日

あからさまに大きな声で話をしているので明らかだろう。あれは、有線放送かなんかもグルになっているのもあきらかだし。また、他の歯医者にいかなければならないかな。奥歯も勝手にあな開けられて。まいった。
となりの客もやってるみたいだし。
それらをたどるとテロの犯人はすぐ特定できると思うんだけどな。やっぱりテロ連中は愚かな者の集いで間違いないわ。


3月11日

なんでそういう連中がメディア等を牛耳っているのかね、と。現在の地球はそういうレベルだろう。他の国のトップとかも加わっていたので。


3月11日

どうしよもない(間違いなく愚かな行いをしている)連中だ。


3月11日

だから、要するにテロの犯人はいまさら何なのだろうか。別にテロは世界の人々に求められてはいない。


3月11日

しかし、そこまで愚かな者あつまるのか、普通。


3月11日

集まってるし。なに、そっちの団体メンバー。

しかし、そのような者が集まってそのような団体になっているわけで。
ありえないわ~。
テロ結社が愚か者の集まりすぎる。


3月11日

と、前から思っていた(気づいていた)。


3月11日

ん、他国のテロは、関係があるんだかは知らない。
911の事件のは、あれ、いつだったかわすれたけれども、テレビでNH×だったかを見ていたときに、貿易センタービルにつっこんだところの映像をみた記憶がある。(アナウンサーの人の横の映像にビルが映っていて何かが突っ込んだので)あれ、バックの映像で、あれ、いまの何だ。って思ってから(そのニュースで)騒いでいた。と思うんだけどな~。あれは生放送かと思っていた。生放送で見てしまったと思っていたけれども。あれが、生放送であれば、メディアがテロのグルなのか。情報をすばやくキャッチしたので、そうであるのか、と。
まぁ、知らないけれども、その件もグルなのか。

規模的に言えば、ありえる。

(しかし、見間違いであれば、勘違いですので気にしなくていいです。)


3月11日

昔の記憶だから、う~ん、どうだったかな。
ず~っと、生放送で見てしまったというように思っていたけれども。あれは、見間違いだろうか。
関連であれば、そっちのテロ連中は問題だろう、となる。


3月11日

上からテロ連中はバレバレなんでないの。

これで、何回このセリフを言っただろうか、と。


3月11日

前からそうなんだけど、ガッツリ被害者俺なんだけど。


3月11日

砂漠の過酷な環境に住んでいる人は純粋な人もたくさんいるだろう。
そういう人を騙してはならない。
信仰心を利用するっていうのもありえないんだけれども。

そちらの信仰の方々も当然見ている。

個人的にスーフィーの方は心が清浄であると思う。
私はスーフィーの清浄な方々も法を見ると思っている。


3月11日

コーラン(クラーン、クルアーン、日本語訳)は家にあるけれども、あれ、スーフィーの方々の記されている本(日本語)は、
と。
どこに置いたっけか。


3月11日

手の届く範囲にあった。


3月11日

「そんな」ってところを直すとか直さないとかって。

特定の人物に関してはすでに前述している。
というか、人の念を読んで、書かせますとか、そういうのも愚か者もいいところだろう。
聖者方はそういう行いはしないって。
いわゆる法の盗人である。


3月11日

私の能力が、直感というものであれば、他の能力者にも読めないだろう。
テロの魔術者連中は、直感するまでもなく、ありえないって。
自分で考えてあると思うか?
ちょっと考えてみ。

そういうのは考えたくもない。
っていうのならば、お前は憑かれている(可能性が高い)、と。

聖典とか聖書を読んでみって。
弟子であっても、悪行をなした者はどのような生存へ赴いたと伝えてあるのか。

お前たちのことではないのか。


3月11日

他の人を下に引っ張るな。


3月11日

と、俺はそう思う。

聖者方もそう思うって。
教えを学べばわかるだろ。


3月11日

『他の人を下に引っ張るな。』って、
俺は誰のために言っているのか理解できるだろうか。


3月11日

しかし、これだけはっきりわかれるもんなんだな。
魔術に魅了され行ってしまうのと、聖者方の道にくる人。


 
3月11日

ブッダの教えを見れない、イエズスの教えも見れない、クリシュナムルティさんの言葉も見れない。
しかし、畜生霊の能力には魅了されて付いて行ってしまうというテロの者達。

それぞれ格人で、言われている最後の審判なのかもしれないけれども。

し~かし、よくそういうメンバーばっかり集まったものだね、と。

って、そういう者達はそういう者達で集まるっていうのは、仏陀の教えにあるけれども。

教えと異なるところは、いまのところ思いあたらない。

仏陀の手のひらの上だろう。
仏陀でなくても、他の聖人も見ているみたいだけれども。




3月12日

ニュースでまた叩かれた。


3月12日

NH×のは定かではないって。昔の記憶だから。そのニュースを見たのは間違いないですよ。


3月12日

見たのって、見てたのは。


3月12日

テロ連中のやり口がよくわかるでしょう。


3月12日

日記に書いている初期頃からず~っとそういう事柄をやられているのです。


3月12日

たぶん、日本だけでなく、他の国でも同じようにやっている手口だろう。
メディア統制。ニュース番組で他のチャンネルに回しても同じニュースばっかりやってるっけさ。
わかりやすいメディア統制。


3月12日

行いに関して、やってしまったことはやってしまったと。
やっていないことはやってはいないと。
真実を述べるべきである。

聖者方が嘘言を求めることはない。

仏陀は生ある存在を天以上に導く教えを説いたのであって、その導き手であられる。

過ちをしてしまった者を地獄に赴かせるためにという教えではない。

『一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。』

仏陀の弟子である存在もまた、尊き師に遵う。

私は、人間は失敗をしてしまうことがある、と思う。

聖者方が、布薩・自恣・懺悔というのを設けているのはなぜだろうか。


また、懺悔というものに関して比丘の律にあるものもご紹介しましょう。

懺悔の認められない罪〔波羅夷罪〕

「波羅夷とは、あたかも頭を断たれた人が、再び身体と結合して生き得ない如く、同様に比丘が不浄法を行ぜば、沙門に非ず、釈子に非ず。この故に波羅夷という。

波羅夷とは、あたかも枝より落ちた枯葉が、再び緑になること能わざるごとく、この如く比丘が一パーダ以上の物を盗めば、沙門に非ず、釈子に非ず。この故に波羅夷という。

波羅夷とは、あたかも割れて二分せる石は再び合すること能わざる如く、この如く比丘にして故意に人間の生命を奪えば、沙門に非ず、釈子に非ず。この故に波羅夷という。

波羅夷とは、あたかもターラ樹が頭を切られたときは、再び親頭が成長せざる如く、この如く比丘にして悪心にして、空無の上人法を得たりと説けば、沙門に非ず、釈子に非ず。
この故に波羅夷という。」

「波羅夷とは、法智において退没・堕落して、道果の分なし。是れを波羅夷という。

是の如く未知智・等智・他心智・苦・習・尽・道智・無生智(等の)彼の諸智において退没・堕落して道果の分なし。是を波羅夷という。

波羅夷とは、涅槃において退没・堕落して、証果の分なし。是を波羅夷という。

波羅夷とは、梵行において退没・堕落して道果の分なし。是を波羅夷という。

波羅夷とは、犯すべき所の罪、発露悔過すべからず(懺悔の路なし、認められない)。故に波羅夷という。」

出家者・比丘の律では、上記のように
懺悔が認められない罪(教団から追放)はあります。
(在家ではなく、比丘(出家者)の厳しい戒律の罰の一部です。)

という罰もあるので、要するに、私たちも悪行をなさないように気をつけて進みましょう。

『聖者方は小さな罪にすらおそれを抱く』

わかりますか。

『 ブッダの教え
「かれが身体によって、言葉によって、または心の中で、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。隠すことができないということを、究極の境地を見た人は、説きたもうた。」 』




3月13日

本日、読みなおして、「また」って、なんか繋げ方がうまくない、と思った。


3月13日

椅子に座ってホッとしてるところ


3月13日

静かな音楽を聴いてリラックスをしていると、とても気持ちが良い。


3月13日

以前あった、あの衝動が現在、ないっていうのが、大きい。




3月17日

う~ん、ラマ教についてか


3月17日

以前からニュースを見ていたのであるが、


3月17日

様々な問題が絡みあっているのもあり、


3月17日

私は個人的に、マンダラ等のエロちっくな感情、思念を想起させる絵画をなんとかしてほしい。
仏陀の教えにそれらは必要ではないと思う。
そこが問題だと思うけれども。


3月17日

修行僧自身はそれらを厭離しているのであっても、それらを見る一般の人からすると、確実にエロいと思われるので問題がある、と以前から思っていた。とりあえず、そこら辺を綺麗にするのも先決だと思う。

理趣経のごとく、一般の人は迷うだろうから。
聖者の教えにエロを想起させるというのはない。
それらを厭離する教えが仏陀の教えである。


3月17日

ダライラマさんも、本人は知ってか知らずかで動画でちょっとやってたから、ダライラマさんに直接(早急に)エロはなしの方向で進めてあげてください、って言っていいと思うけれども。


3月17日

やってたっていうのは、ソラ耳のこと。


3月17日

そういう動画はあった。そそのかされたんだかどうだかは知らない。本人も意味はわかってないのではないかと。

 仏教とは仏陀の教えであって、仏陀以外の高僧の教えではない。大日如来の教えが仏教なのでもない。ゴータマ仏陀の教えが仏教である、と。
 歴史で途中から呪術も混じってきてそのような路線が露わになってきているということであるが、そういうのも清浄にしてほしいと思う、仏教徒の一人として。
 エロを想起させる絵画等に神秘をもたせると一般の人への伝わり方がエロくなる。宗教、仏教としてそれは善くはない。

3月17日

話はかわって、
「そういう者が上にたっていると下の人に、道徳がつくわけない。」というのは、そこでいうと、特定人物のようにとらえかねないので、ちょっと訂正。

 私はっきり言って、人種という垣根があるのならば、その偏見をなくしたいと思うのですが、
罪のない人の悪口を言っている人がその偏見をもたれている側であるとするならば、自らでその偏見を増長させてしまっていると思う。
そういうのでは、偏見をなくしたいと思っているこちらも困る。


3月17日

と思っている。




3月26日

本日で歯医者がとりあえず終了。有線放送のテロ音楽がうるさかった。少ししたら、またすぐに、歯医者にいかなければならないのかな、と。
あからさまにテロ連中が一体何なの。
すでにバレバレだから、開きなおっているのか。



3月26日

舌の地図状舌がまたあらわれた。もう一年以上もなおらない。ほぼ同じ場所。銀歯をいれていないときはなおるんだけど、いっそ歯を入れないほうが安ぱいということでもある。


3月26日


今回治療したところのところ


3月26日

テロとか聞きたいことがあれば、直接私にききなさいっていうのに。函館でつしまひろしって何人いるのよ。


3月26日


函館は、北海道の函館。


3月26日

地図状舌は前の歯医者で治療した後からなり始めた。ムリって言われた歯医者。なんだかな~。


3月26日

メディアで音声を入れているとかも、そのメディアの編集者もテロ作業に加担しているというか、テロを増長させようとしている犯人の仲間だろう。わかりやすいんだけどな~。


3月26日

テロ編集者のまわりの者達、指示をしているものも含め。テロ作業。外道の者達ということになるだろう。


3月26日

ラジオの音楽は外人の英語の音声にふくめてやっているのもわかりやすいし、それの指図しているのもテログループだってわかるだろう。


3月26日

ラジオで英語の歌かかるのすごく多くなってるよ。意味はわからんけれども。


3月26日

海外の歌手に指示しているのも、テログループだろ。


3月26日

日記の最初の頃にテロに加担している者達がよくテロの内容を知っているのだと思うよ。普通に考えて。
最初の頃からテロ作業しているのはどこの企業、どこの者よ。



3月26日

おもしろいから、とかって、メディアのこいつら頭おかしいと思われるような音楽、映像等を見聞きしても、普通の人はおもしろくもなんともないって。


3月26日

迷惑そのものである。


3月26日

経典、聖書を読めないばかりか、世間の空気もよめてないべ。


3月26日

世間の空気。仏陀の教えを学びたい人は、いないということはない、か。


3月26日

日本の防衛機関の人等も、まったく興味すらないのだろうか。結構騒いでいて私もほかの人も迷惑しているのに。まったくどういうことなのか。


3月26日

函館で、32歳のつしまひろしって100人とかいるから、私がテロにからまれている、つしまひろし、だっていうのがわからないのか。


3月26日

って、そんなにいるわけね~よ。


3月26日

まったく、日本の防衛機関はまったく機能すらしていないというか、テロを助長させているのだろうか。あれだけあからさまなんだけれども。


3月26日

ありえないな。


3月26日

日本の防衛機関も指示がなければ動けないのか。トップがテログルールにいるとすると、動かないのも無理はない。


3月26日

他国の主要な者もテロに加担をしているのを見てると、日本の主要な者もどんな感じであるかというのも、なんとなく想像できないことはない。

3月26日

メディアは全国放送でもやってるだろう。いまさら、地方のメディアだけで騒いでいるという話でもないだろう。他の国の主要な者もやっているっていうのは、すでに説明済み。


3月26日

それでもなお他の人を騙してこちらを犯人にしたいのか。そちらの、聖者の道にない者達は。


3月26日

それでもなお悪業を積むんだもんな。仏陀の教えとして間違いなくその悪業はそのテログループに還る。


3月26日

慈悲・道徳・良識・善心の意味がわかっていないから、そちらの行いはどう考えても人の道にないですよ、と説明しても理解されない。ということでもある。そういうのがそろってる連中だわ。まったく愚かきわまる者が集まっているわ。


3月26日

ありえない集まりだわー。


3月26日

どうすればいいの。その迷惑なテログループは。


3月26日

Mって、クリシュナムルティさんのMはモリヤ大師のMだろう。九尾とか畜生連のMではないだろう。普通に考えて、というか、モリヤ大師のMであっても、テロのような愚行をしていたらありえないって。ということで、テロのような愚かな行いをしているMとは関係がないだろう。


3月26日

詳しいところは知らないけれども。


3月26日

クリシュナムルティさんの教えでは悟れない、解脱できない。本人の話からすると。
クリシュナムルティさんも言っているとおり、
仏陀の教えはそれだけすごい。


3月26日

クリシュナムルティさんの言葉は現代の言葉として、見事にわかりやすく、とても素晴らしいと、私はクリシュナムルティさんを尊敬しています。光の人の一人である、と。

3月26日

私は昔、神智学の会員だったことがあるから、そういう書物は昔から読んでいたのです。
と、これもべつに言いたくもなかったのであるが。
他、いろいろそのような系統の書物も読んでいたので、霊的な世界に詳しいところがあるのです。
現在は会員ではありません。



3月26日

私は霊的善性の団体は友である、と思う。

神智学がテロに関連していたら、ガックリするけれども。どうだか知らない。



3月26日

そういうのも、あって、昔のメーソンは心の綺麗な人がいたが、現在はそうではないらしいというような事柄を記したことがあったはず。


3月26日

霊的能力に魅せられてしまった団体なんだろうか。その結果、畜生霊の霊的能力に騙されて、心の清浄を説いた聖者・聖人の教えを理解できず、畜生霊の教えについて行ってしまったという感じなのだろうか。


3月26日

神智学(での言い方の名)でいうならば、主仏陀の教えをきちんと学びなさい。他の神秘家も同じくさ。
こちらも霊的な話を知ってて話をしているんだから。
四聖諦は悲・集・滅・道ではくなくて、
苦・集・滅・道である。





3月27日

(地図状舌が悪化して、銀歯が原因の疑いがあるので)歯医者に行って銀歯を外してもらってきた。)


3月27日

有線放送のチャンネルを聞いた。C-11だと。どこの有線だか知らないけれども。3/26、3/19、3/11、3/4、3/1、2/26、2/19…の7時頃の有線。テロの音楽。いや、しかし、すでにラジオでも普通にテロのが流れているので、どうだろう。


3月27日

一般の人はテロ側のやり方がメディア、ニュースもそうだし、ネットもそうだし、新聞とかもいろいろで叩かれると、何も知らない人はびっくりしてテロの言う事を聞いてしまう可能性が高いだろうな、と思う。
 そういうのも利用して嚇しているので、メディアでの操作っていうのが成り立ってしまうのだろう。
政治家もイメージが大事だから、メディアの書かれ方でイメージも変わりえてしまうからね。政治家も選挙で落ちてしまえば力なしかな。

 メディアを仕事としている人も国単位で見たら操作される側でもあるのか。

とりあえず、現在の日本のメディアはテロ側に操られているという結論で間違いないのだろう。明らかにテロ側の言うように動かされてしまっているみたいなので。

メディアを仕事としている人はテロをはねのける力とかを持ち合わせていないのかな。
ということで、結局はやっぱり操作される側か。

困ったもんだよな…、と。



3月27日

テロ、スポンサー、他いろいろか。


3月27日

能力者、悪霊、悪魔が入っているのがな。
誘導されてしまうだろうな。
権力者、名誉等を持っている人物等はもともと欲というものが強いだろうから、おそらく誘導しやすいというのもあるだろうから。
困ったもんだな…と。

本当に悪霊が絡んでいるからなー。
テロ側もテロ側で操られる側か。
困ったもんだな…と。

まったくそういうのとは関わりたくはないな、と。

そもそも、なぜ、俺は関わられているんだ、と。

そもそも、本当に何だ、と。

根本的に関わられている意味もわからないからな。

いまさらでもないけれども、困ったもんだな…、と。





3月28日

主仏陀は神智学会員の人たちの言い方。ここではとりあえず、神智学会員限定の言い方。

仏教徒としては、仏陀は仏の十号、徳号は多くあります。



3月28日
神智学はあとは、”上”ね。
私の言う上って言うのは、如来・阿羅漢・阿那含・斯陀含・須陀洹の方々等、仏弟子出家修行者、仏道帰依の神霊等、明らかに徳のある方々、真理を見ている方々を言う。
 ”上”って言う表現がまずいのならば、天とかかな。しかし、天だとまた違う意味になってしまうのです。



3月28日

ちなみに、太っている人は悟りから遠いという説が仏教にあります。

一日一食の聖者方が太るということはあるのだろうか、と。

一般の人であれば、太っているならば、痩せた方がいい、と思うこともあるでしょうけれども、
聖者の教えの実践に関して、太りすぎは悟れない、と。



3月28日

四聖諦は、悲しみが最初に来ているとすると、一切感受皆苦の意味が観れているのだろうか、と。

悲しみ。では喜び・うれしい等は、その逆なのだろうか。

仏陀の教え
「私は何について明確な判断を示したかというと、
これは苦であるということについて明確な判断を示し、
これは苦の原因であるということについて明確な判断を示し、
これは苦の滅であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅に至る実践であるということについて明確な判断を示したのである。」

天部、良心の教えであれば、悲しみというのはそれはそうとらえるても意味は理解できる。
しかし、それにより一切感受皆苦が観難いとすると、仏陀の教えからすると、その教え、それは誤りである。

もし、一切感受皆苦を観ていないとするならば、その時点において、悟りを得てはいない、そして、その教えで学んでいる人もまた悟った人はいないでしょう。というのが、仏陀の教えを学んでいる人は理解できるでしょう。

ということで、
間違いがあったならば、間違った部分を見直して、仏陀の教えを一緒に学びましょう。と、思っています。

四聖諦を観る限りでは、
神智学は天部、欲界、色界、無色界でしょうか。

仏陀の教えは全き安らぎ、涅槃。



3月28日

そういうのも、含めて天使とは悪魔とは、と考えてみると、いろいろ謎がとけるでしょう。
新約聖書では私達が戦うべきは、天にいる悪魔となっている。さて、天にいる悪魔とは一体何なのだろうか、天なのに悪魔とはどういう意味なのだろうか、と。

以前に記しているけれども。そういうことです。
わかりますか。

聖者・聖人方はそれらを理解して語っているというのがわかる。



3月28日

勘違いされないように、
神智学が悪魔とかではなくて、善なる人は多いでしょうとも思いますが、
間違いがあれば、間違った道にいかないように、間違った道に導くことのなように気をつけながら、間違っていない道を歩いていきましょう、と。

仏陀の教えは八聖道(八正道)です。

こちらにも間違いがあれば、それを指摘してくれる人がいると私の場合はありがたい、と思う。



3月28日

そのような感じ。


3月28日

しかし、鏡で奥歯を見ていたが、奥歯がボロボロになっている。銀歯をとるときによこの支えのところもけずられすごい状態になってしまった。ずっと奥の方の歯も勝手に削られて神経まで穴をあけられたが、セメントで埋めてある状態。
プラスチックをつけるのに型をとったが、あとから鏡でみたら、食べかすがついていたので、それの型をとっても、ダメだろう、と。
明らかに、となりの患者もテロのやってたし。
ホントに殺人テロ集団はなんなんだ、と。
つくづく思う。
テロがなければ、普通になおしてもらっているだろう。
殺人者の集まりだもんな。
ありえないわ。



3月28日

どういう風になってそういう殺人者集団になってるの、それ。


3月28日

どういうふうにか。
テロメンバーの主犯格である殺人者がいて、それらに指示されるテロの殺人者がいて、それにあおられて一般のテロの殺人者がいて、メディア等で騒いでいるその殺人の共犯者がいる、と。

明らかに殺人にまでなってしまう行いであるが、集団意識となると、それに気づくことができにくくなる、と。
しかし、現実にテロ連中の個々の者の行い、メディアでの騒ぎもそうだけれども、それらは殺人、殺人共犯者である、と。

テログループメンバ-は道にいるとかいないとかそういう集まりのメンバーですらない。

そういう事柄、行いを捨てた普通の人は、道にいる人、道を歩いている人、目の覚めている人である、と。



3月28日

テロメンバーはメンバー各々一人一人、それらの重罪を背負ってどこに行くのか。


3月28日

仏陀の教えを説いても、その教えを説く人を殺そうとし、
イエズスの教えを説いても、その説く人を殺そうとし、
クリシュナムルティさんの教えを説いても、その説く人を殺そうとし、
老子、孔子、王陽明、スーフィーの聖人。ブーバーさん(ユダヤ教)これらの方々の教えに親しむ人をも殺そうとする集い、
畜生霊・悪鬼神・悪魔の言う事に従う者がおり、畜生霊・悪鬼神・悪魔に親しみ悪行をする者がおり、そして、その悪霊・悪魔にとり付かれている者を信用している者がおり、欲念により悪行をする者がおり、恐怖により悪行をする者等が多く集っているという集い、それがテログループメンバー。

そういう者はそういう者達で集まる。

「悪しき集い、悪しき者・愚かな者の死後に赴く先は堕地獄である」と。

資産持ち、権力があるとかであっても、悪しき集い、悪しき者・愚かな者の死後に赴く先は堕地獄である。

人間の生存としては大きすぎる失敗である、と。


「賭博で財を失う人は、たとい自身を含めて一切を失うとも、その不運はわずかなものである。しかし立派な聖者に対して悪意を抱く人の受ける不運は、まことに重いのである。

 悪口を言いまた悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラッブダの〔巨大な年数の間〕また五つのアッブダの〔巨大な年数の間〕地獄に赴く。嘘を言う人は地獄に堕ちる。

また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者ともに行為の卑劣な人々である、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に堕ちる)。

 害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪〔い報い〕がもどってくる。風に逆らって微細な塵を撒き散らすようなものである。

 種々なる貪欲に耽る者は、言葉で他人をそしる。──かれ自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。

 口穢く、不実で、卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪行をなす者よ。下劣を極め、不吉な、でき損いよ。この世であまりおしゃべりするな。お前は地獄に堕ちる者だぞ。

 お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑(地獄)に陥る。

 けだし何者の業も滅びることはない。

 それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。





3月30日

善行によることについて(十念)
http://charitable.ehoh.net/zengyouniyorukoto.html
charitable.ehoh.net




3月31日

ミネラル水を購入。大雪旭岳源水。


3月31日

あ*ひ、ア*ヒ、ビールのCMでは結構最初の頃から叩かれていたが。


3月31日

他のが、箱売りしてなかったから、買ってきた。


3月31日

え~と、話は変わって、日本神道はだいたい親族の集まりが多いのはわかるけれども。

「我国の伊弉(奘)諾は伊舎那天なり。(神皇正統記)三目にして髑髏を瓔珞を頂く。」佛教辞典より

伊舎那はシヴァ神の異名でもある、と。

シヴァはリンガ崇拝の三目族。

大自在天もいろいろ言われがあるからな。

浦島太郎。翁。

日本神道は親族の集まりであって、
仏陀をどのように思うのであるか、と。
浦島太郎。出雲。

ア*ヒか。

日本神道、江、
フジ、藤原、吉田、出雲、


源家康は東照宮。

朝廷。

皇族。天皇家。

昔の皇族は出家をしていた、と。

仏教。

大乗仏教では悟れないかな。

弘法大師は弥勒菩薩の出生時にたしか出生すると言ってたはず、ということであれば、解脱していない。
ということは、弘法大師の教えの弟子も解脱できない。
そもそも真言宗は仏陀ではなくて、大日如来の教えとされる仏教。法身大日如来。
弘法大師のいう世尊はゴータマ仏陀。

○天台宗は(台密、大乗仏教の)ゴータマ仏陀の教え。

朝廷も仏教ではあったが、大日如来の仏教であって、ゴータマ仏陀の仏教ではなかったのでしょうか、と。

真言宗は大日如来は仏陀の教えを神格化してしまったものであるならば、すみやかにゴータマ仏陀を信仰するべきである。
以前からすでにゴータマ仏陀が最上であるならば、べつに仏教としては問題はない。
仏陀の法身が大日如来というのがあったので、ゴータマ仏陀の教えを神格化してしまったものが大日如来であれば、ゴータマ仏陀、世尊が最上にくるべきである、のが普通でしょう。と思っていた。

(○(大乗仏教守護の)聖徳太子(豊聰耳皇子)は用明天皇と穴太部間人という妃の第二皇子。)


思っていたことを書いてみた。
今日は日記っぽいかな。
内容は普通の日記っぽくはない、か。



3月31日

日本神道では悟れない、と。

日本神道は天部。

悪鬼、畜生霊が絡んでいるところは堕天部。

×密教と陰陽道が絡んだのが、エロ密教。

屋根の上につけているしるしで、自らも見て取れるところでしょう。

知っててはずすのは、欲深い。

ということで、神道は六根清浄。

神道叢書では、同じ事柄でいろいろな人がいろいろな見解を述べているのがあるので、神道は神道で迷っているのもある。
神道もまたいろいろな親神がいろいろな説を述べるので、意見がまとまらないのもムリもない、ところもあると。
ちなみに、神道叢書の仏教観は本来の仏陀の教えの仏教をしっていないので、仏教の知識で間違っている書物は多い。要するにゴータマ仏陀の教えを知らないのものが多い。

日本神道か。

仏教が入ってきてから、魑魅魍魎が騒がなくなったのか。

魑魅魍魎の悪念は仏教信仰の人に、それほど効力がない。

仏教信仰の人は悪欲念が減じていくので。

仏陀の教えとはそのような教えでもある、と。

仏陀の教え(正法・善法)がひろまると、人間の寿命が延びていくという説がある。

天上から学びにくる人がいるのであれば、天上からくる人も増える、と。

赤ん坊はなぜ生まれてくるのだろうか。

赤ん坊に前世というものがあるのだろうか、赤ん坊は虚無から発生したのだろうか。
あなたに前世というものがあるのだろうか、あなたは虚無から発生したのだろうか、と。



3月31日

以前からだけれども、神棚は現在家にない、というのを記していなかった。


3月31日

源家康は天台宗か。

3月31日

とにかく、きちんとした仏陀の教えを知ったのちの日本神道としての観方はどのようの感じなのだろうか。

清浄、寂静、寂滅、安らぎ、善心、善神等について。

鏡。

仏陀の教えを知って、上記について観方が変わったという神道関係者の人は、仏陀の教えを理解してきているのではないでしょうか。

それが、仏陀の教えであります。



3月31日

天台宗かでなくて、天台宗よりか、と。


3月31日

今日の日記の歴史の部分は誤った伝承もあるかもしれないので、自分で調べてみてください。


3月31日

日本の治安の良いところ、田舎ののどかな雰囲気等は日本神道のおかげでもあると私は思う。そういうのはやはり感謝するところだと思う。
 裏に黒い部分があるとすれば、そういうのは別として。

う~ん、しかし、それは現在の話であって、天皇が神信仰のときはどんな感じであったのだろうか。そのときものどかな雰囲気であったのだろうか。
現在は戦争でアメリカが介入してきて、アメリカの言う事を聞いた結果、のどかな雰囲気になっているところもあるということは、アメリカとか海外の良識ある人たちのおかげでもあるということか。

ということで、日本ののどかな雰囲気は海外の良識ある人たちのおかげである、と
って、いやいや、そういうのではなくて(そういことでもあるけれども)、日本神道の邪念を波羅夷、良心・浄心を善いとする精神のおかげでもあり、仏教の善心・浄心の精神のおかげであると。

さらに、良識は中国の古聖のおかげでもある、と。



3月31日

現在騒いでいるテログループメンバーは、道理に反しすぎていて、歴史的にみてもないだろう。
聖者・聖人の教えから見てもないだろう。

昔からの計画が発動して、あっさりバレた、とかいうのであれば、その昔から計画していたところもないだろうけれども。
仏陀、仏弟子、善神、善霊、聖者、善法・正法に敵対するんだからね。
私の心情からするとそういうのがありえないわ。

歴史で見ても、そういう者はそれほど多くはいないと思うけれども。

昔の詐欺の共犯者(キリン)の話で堕天使(ルシフェル)が飲み会に参加していたという話を少し思いだしたけれども、ロゴスに敵対するところは同じような集団だ、と。

それならば、道理(法)として、やっぱり堕ちるだろう。
ルシファーも堕とされてこおり漬けにされてしまったということであるから。(その当時も氷漬けになっているという話。)

神に敵対するって、そもそも自己に敵対してたら無理もないだろう、と思う。



3月31日

能力的にはキリンの方が電話で私の念をよんでいたので津野より上だったのだろうか。まぁ、しかし、ダークだったな。電話で胸がいや~な気分になってたから、このいや~な気分は何?っていうのを直接聞いたんだけれども。あれは、どっちに聞いたんだっけか。

そりゃ、そうなるわと。

津野は出雲大社に行くと、結界でピリピリすると言ってて、あそこの結界はすごいって言っていたけれども、それを出雲大社の関係者に伝えたら、それは自らが魔が者であるという証拠だ、とか言っていたっけな。

出雲大社も皇族のところであるけれども、そこは呪術関係に詳しい人もいる、と。
四国あたりがそういう呪術の争い等、そういうのが結構あるという話ではある。

呪術の争い等もまた、聖者の教えからはかなり距離があるのだけれども。



3月31日
で、呪術の争いに関して、海外では、魔術等で結構仲間同士であった魔術士同士で死闘をした魔術士の話はいくらか読んで知っているけれども、そもそもそういう事柄もまた、聖者の教えからは遠いというのもわかりますよね。
まぁ、人間同士の付き合いは難しいというのもあるので。どこの世界でも。



3月31日

で、そういう霊的な争いの話で、例えば、(神智学の)ブラヴァッキーさんの話で、ざっくりと話すと、霊的にパワーアップする方法があるので、試してみないかという者がいて、ブラヴァッキーさんは断ったが、寝ているときに、その者が霊的に勝手に入ってきて、強引にやられそうになって、怒りマックスで抵抗をしたが、力では勝てないとわかって、(神智学の)大師に助けを求めたら、大師がきて助けてくれて、怒りが消えうせて、その霊的な不法侵入者も消えうせて、その後に、その不法侵入者に対する憐れみ心だったかが残った。byブラヴァッキー。という話がありますが、
そのように、霊的に上位とする存在は怒りがない。これもまた、聖者方と同じである、と。
ブラヴァッキーさんの怒りマックスになってしまうのは、聖者方からすると未熟なところでもある、と。しかし、普通一般の人であればそういう気持ちはわからなくはない、と。
そこであわれみ等の感情がでるというのは、業を観る人であれば、起こりえる感情である、というのもわかる、と。

ちなみに、四聖諦が大師の教えで、悲・集・滅・道であれば、大師も悟ってはいないだろう、と。

だから、存在をしているというのでもあるか、と

法についての間違いは、仏陀の弟子の比丘でも、仏陀に厳しく叱責されているので、教えとしての間違いがあればすぐに修正した方が善いでしょう。



(神智学の書物で描かれている話の、能力者が集まりて行なわれるウエサク祭にて、主・仏陀が出現される。という話を久しぶりに見ているが、私は、仏陀の弟子として言うけれども、このウエサク祭も、道理として、仏陀が現れるというのは、道理としてはありえない。
 仏陀は、私のなき後は、『法を洲として、自らを洲としなさい』と説かれているが、『私はウエサク祭の時、現れるから集まるがよい』と、言うようなことを言うことがあるのだろうか。
 また、その祭に、人々を集めていかにするのだろうか、と。そもそも、執著というものを考えればいろいろと、矛盾も生じるであろう。

 そして、そもそも、そのように、仏陀の般涅槃後にも、『仏陀は存在して居られる』として説くのを、転倒説という。

 道理として考えれば、ウエサク祭に現れる仏陀は、ゴータマ仏陀にあらず。と、そのように導きだされる。

 では、仏陀でなければ、何なのか。仏陀と偽る悪魔であるのか。そこは、善く見極めるのがよろしいでしょう。
 ちなみに、仏陀の弟子の話として、悪魔が誘惑しようとして、仏陀に化けて輝くのを、仏陀の弟子比丘が、その悪魔を見て、「悪魔ですら、このように輝く、」というような話はあります。

〔随念についての説より。
『伝え言う、かの尊者は、魔が化作した仏陀の姿を見て「これは、(悪魔が)貪・瞋恚・愚癡ありてすら、このように輝く。
 (悪魔ですら、このように輝くのだから、)どうして世尊が、輝きたまはないということがあるだろうか。
 仏陀は、あまねく貪・瞋恚・愚癡を、離れておられるのだから」とて、仏陀を所縁として、喜を獲得し、観を増大して、阿羅伽に達した、と。』〕

 私であれば、仏陀の弟子として、仏陀の教えによりて、いろいろとその存在に問うだろうけれども、
 道理としては、仏陀が存在として現れるということはありえません。

 主・ゴータマ仏陀として、ゴータマ仏陀を尊敬しているところは、とても”すごく善い”と、私は思う。H28.5.5)




3月31日

大師の言う道理をきちんと聞いていないので、定かではないけれども、日本語訳では間違っているので、悟っていないだろう、という見解となってしまう。その部分だけを見ると。
ちなみに、仏陀の教えとして、その部分は最上に重要でもある、と。
実は、大師はきちんと教えたが、それを伝えた司教または、書物、翻訳がまちがっているとすると、大師は間違っていないとなるでしょう。



3月31日

そして、本日は眠る。
舌が治ってきている。歯ガタガタだけど、とりあえず、プラスチック付けないでおこうかな、と。
他の歯医者に行っても、テロ連中またしつこいと意味があんまりないかな、とも思っているので、どうしようか、と。
胃は痛みがかなりヤバイな。

ドラゴンボールの仙豆みたいのはないのか。
カリンっていうネコのヤツ。
名前がペケだな。

カーリーは大黒天の女性版。大黒天の妃とも言われている、という説もある、と。
出雲の大国と大黒天は混合されている部分もあり。
海外ではカーリー女神は見た目からして、すごいことになっている像もあるけれども。

話がながくなってしまうので、とりあえず、寝る、と。





4月1日

やっぱり舌がなおってきている。どうしようかな


4月1日

歯を入れないとハフハフって。


4月1日

しかし、ホントに意味がわからない。


4月1日

何で騒いでいるのよ、と。わけのわからん連中だわ。


4月1日

ハフハフは入れ歯くらいにならないとならないか。


4月1日
基本的に、G*AYの歌とかを今日も聞いていたけれども一体何、と。


4月1日

G*AY、山*達郎、竹*まりや、宇*田光、杏*、B*OWY、B‘*、ド*カム、エ*ヤ、フ*イオン(ファイナルファンタジー)、エ*トンジョン、氷*、松*谷由美、


4月1日

最近の歌は、あからさまなので、聞いても大して意味はないけれども、昔の歌なんだよね。意図が意味わからん。


4月1日

歌手として思うのは、いい曲、いい歌は多いと思う。


4月1日

昔、若いころは別に有名になるぞ、とかそういうのも別になかったからね。修行はしていく気だったな、やっぱり。


4月1日

わけわかんねぇ


4月1日

連中だ


4月1日

なんのために俺がそんな、わけのわからねぇのに絡まれねぇとだめなのよ、と。
しかも、結構昔から。
わけわかんねぇ。


4月1日

そんなのはべつに以前から意味わからねぇからあれだが、もしや、仏陀も私のことを見ててくれたのだろか、と。
イエズスも。


4月1日

そうだったらうれしいんだけどな。感無量。


4月1日

仏陀に見ててもらえてたら最高にうれしいな。


4月1日

阿羅漢の方々のひとりにでも最高にうれしい。


4月1日

というのは、仏陀の弟子なら他の人も思うであろう、と。


4月1日

見ててもらえたらうれしいというのは他の人も思うであろう、と。


4月1日

なんか、ちょっとあれだな。語弊が。


4月1日

って、そういうのは別にいいか。




4月2日

プロバイダを変更したのを忘れていて、昨日普通にネットをしてしまった。なんか繋がったので、普通にやっていた。(問い合わせたら)問題はなかったらしい。


4月2日

騒いでいる。情報が全然意味わかってないんだな。さわいでいるのはやっぱり。


4月2日

煽られて騒いでいるだけっていうので、話にはならず、と。


4月2日

いや、ムリだろう。そっちは、悪魔の側はそっちである、と。
わかりやすいと思うけれども。


4月2日

仏陀の弟子を犯人にしようとしているんだろう。
まったく、悪業を積むという方向にしかいけなくなっているってか。
だから、悪業積みすぎなんだってすでに。


4月2日

電話とかだったら足がつくから、最近は文通で指示か。


4月2日

手渡し?



4月2日

霊性もすでにねぇか


4月2日

あんまり書くと、ヘコムだろうからやめといた。


4月2日

テロ側が悪循環のループか。


4月2日

う~ん、悪循環だね。


4月2日

どっちにしてもありえないな。


4月2日

う~ん、いま思いついたのでは、シティハンターというアニメがパッと出た。
してぃハンター。
って、次元が2次元だからね。


4月2日

ネタ終了だね。


4月2日

シティハンターは読んだ。
思い出した。うる星やつらだな。
マンガの中でメーソンの看板がどっかにでてたのを見たような記憶があるので、そっちだと思っていた。


4月2日

ちなみに、一番好きだったマンガはうしおととら。

偶然ではなく、(九尾の霊に絡まれたからとかでもなく)て、これは昔から。あれは感動した。


4月2日

あと、ドラゴンボールは読んでて、重力発生装置がほしくなったね。筋肉トレーニング、筋肉アップのために。
現在は重力発生装置より無重力発生装置で筋肉の疲れを癒す装置でいいかな。


4月2日

うる星やつらはどうだったか微妙だから、べつにあんまり気にしなくていい。(読んでいた感想としては)争いは×のようである。(作者は争いを好まない人だろう、と言う意味の感想)
ちなみに、私はとてもおもしろかったと思っています。


4月2日

いろいろななんか秘密結社的なのは、悪どいことしなければ別にあっても問題ないんだけどね。


4月2日

テロ連中はもう問題ありすぎだね。


4月2日
昔、マンガをたくさん読んでいた首相がいたけれども。おもしろいマンガもある、と。


4月2日

マンガの読み方。
書いている人の心情も描き方に見えてくる、と。


4月2日

騒いでいるのか。

リピート。
仏陀の弟子を犯人にしようとしているんだろう。
まったく、悪業を積むという方向にしかいけなくなっているってか。
だから、悪業積みすぎなんだってすでに。


4月2日

マンガの読み方は別に日本だけではないとも思うけれども、日本のマンガは世界で人気があるんだよね。実際日本のマンガが世界で読まれている、ということは、


4月2日

日本のマンガをたくさんの人が読んでるということだろう。


4月2日

そりゃ、あたりまえ。


4月2日

え、全部私の直感だって。
誰か何か教えてくれる人いるのか。



4月2日

バレバレなんじゃないのって何回か言っているでしょ。

天上ではすでに開かれている、と。

そちらの罪も。

善行があるならば、その善行も。


4月2日

聖者方に敵対するなんて、本当に無謀だと思うよ。


4月2日

止めた方が善い。



4月2日

止めた方が善いっていうのも、止めなさいって言えばいいところを、私に関係のない人にたいして、やめなさいっていうのもなんなので、止めた方が善い、止めるべきである、と。
普通に言えば、(絶対に)やめなさいって言うけど。


4月2日

世界の人口が90億人になる、と。90億人が100年120年すると、別の90億人、さらに120年後には別の90億人、さらに120年後には別の90億人。120年は長いかな。

現在ロゴスに敵対してしまう人は何人くらいいるのか。
数十人、数百人、数千人、数万人、悪業を積んでしまうという人物はそう多くはいない、と。

反対に選ばれてどうするのそれ、と。

人間として生まれるということは奇跡的なことである、と。
仏陀の教えにある。


4月2日

盲目の亀のたとえの紹介をしていなかった。


4月2日

ことに気づいてみた。


4月2日

まてよ、秘密結社の人数が数百万なら、数百万、数千万。
未来永劫の何千億、何兆、何京、∞という人数の人類の内の数百万か、数千万の神の敵対者としての者、かと。


4月2日

今って人口はどのくらいになったんだろう。


4月2日

人口が200億人とかだと、地球の食料とかは全然たりなくなってしまうのだろうか、と。
話かわったけど。


4月2日

教えと技術と。


4月2日

そろそろ寝よう。と




4月3日

Mの人にうつが増えたとしても、私のせいではない。


4月3日

情欲に乱れているときに見る桜と、情欲に乱れていないときに見るさくらは違う。


4月3日

清い風が吹き抜けるかのような心の静けさ


4月3日

それは、さくらをみたとき




4月5日

テロ側がバレバレ、
悪業しか積めないっていうのは、テロ側のあつまりもまた大変だね、と。
今日、言葉で出た。


4月5日

やさしい言葉をかけたらかけたで、なんだかんだと言いがかりをつけたりして、こっちがテロの仲間だとか、こっちが犯人だとか、そういうのもしつこい。
そういうのはいいかげん、小学生、中学生でも、わかると思う。


4月5日

内容が意味わからないとわかりにくいか。


4月5日

いまだに話あいすらもないからね。


4月5日

そもそも何で俺は叩かれはじめたのか。ミクシィの後だからね。


4月5日

その直接の原因がやっぱりわからないわ。いまだに。


4月5日

別に一般の暮らしをしててさ、失敗をしたりもしたけれども、結局別にそんなにものすごい悪い事等はしてないんだけど。
現在嫌がらせをしているテロの連中の方がかなり悪いことをしているのだが。
一体何なのか。


4月5日

最初の頃の叩きで言えば、俺の行いで叩かれるというのであれば、世界で見ても日本人の中だかで見ても、叩かれてしまうという人はものすごい人数いるとも思うけどね。


4月5日

意味がわからないな。


4月5日

どういう集まりなのよ。気持ちわりぃ


4月5日

完璧悪魔側だもんな。


4月5日

わけのわからねぇ連中だわ。


4月5日

罪のない人を殺そうとしたっていうのでも、完璧な悪業だけどね。
何故に罪のない人を話あいすらもなく殺そうとするのか。無差別テロか。


4月5日

ほんとにテロ集団意味わかんねぇな。


4月5日

そもそもが、たしかに無差別人殺し集団だな。


4月5日

話合いすらないからね。


4月5日

そのテロの悪行集団は止めた方が善い。


4月5日

って、テロ集団は前からそういうのだっからいまさらだけどね。
しかし、本当に無差別テロだね。
俺以外でも、なりえる。っていうか、すでに、そういうようになっていたのだろう。


4月5日

光から闇へと赴く集い、そのメンバー一人一人。
闇から闇へと赴く集い、そのメンバー一人一人であると。
それは、仏陀の教えにある。
イエズスの教えでもあるね。

そういう集りだもんな。
最初から、地獄に向っているんだか、悪魔に向わされているんだかってもんだから言っても意味がほとんど、ないってばないんだけど、あるってばある、と。

なんで、そういうのが集まって権力をもってしまったのかね。


4月5日

無差別テロ集団が、天に行く人の集まりのわけねぇ。


4月5日

わけねぇ~。


4月5日

シャワーを浴びてから、寝るか、う~ん、どうするか。無差別テロ集団の死後の行き先とか、別に俺に関係ないんだけどな。なんなんだべな、と。



4月5日

だんだんなまりがひどくなってきた今日この頃の発言。


4月5日

報*ステーションで日▲銀行の(記者会見)を見た。


4月5日

無差別テロだ。


4月5日

さて、シャワーをあびてこよう。天人があんまりいないな。


4月5日

え、仕事上の盗聴されてるかもしれないってやつはしらない。言うときははっきり言う。ありえないくらい、生意気な態度をとりつづけていれば、そういうのもはっきり言う。編集とかで悪いイメージにされても、そんなのは知りません。


4月5日

わざわざ盗聴するのもおかしいだろ。わざわざ怒らせるようなことをさせるとかそういうのも。そういうのからしてありえないって。


4月5日

そういうことをさせたりするのもありえないって。


4月5日

こっちを怒らせて、イメージを悪くさせたいんだべなー。そういうのも最初の頃からずっとやってるんだよね。気持ちわるい集団だってホントに。


4月5日

こっちは芸能人でもなんでもないって。


4月5日

ゴータマ仏陀の弟子です。


4月5日

その内の一人です。




4月7日

あさま三そう事件、三奥円事件。

あてじはあっているのかどうか。

昔のニュースだけれども。


4月7日

余談なので、下記はあとで削除予定。
闇は売らなくていい。


4月7日

しかし、問題は法を知った後の動きだと思われる。

なんか微妙に仏教をおしているという、微かな光を元手に。


4月7日

あんまり他のことを書くと、また、意味わからなくなるだろうから、あれだな~。


4月7日

力はあるけども、逆に利用をされている、と。


4月7日

ちょっと、一般の話からずれるよ


4月7日

そちらの世界の関係者の話では、
アストラル光は自然の中の一つの力であり、それを支配することのできる人ならたった一人で世界を混乱させ、徹底的に変えることができる、なぜならそれは魔術の大神秘だからである。っていうのは、あるんだけれども、


4月7日

その場合は、聖者方の念とか、上位の方々、世界が入っていないからね。それはそれでちょっと、あったとしても、短期、ず~っとてこともないだろうからな。
そもそもそういう段階であれば、その者個人が上位の世界を行けない、見れないと。


4月7日

要するに、そういう段階であれば、感情、思念は悪魔、悪霊の範疇なので、それなりに容易に力を利用されてしまうこともあるだろう、と。


4月7日

聖者方はそういう段階からすると、ものすごくかなり上位であると見た方がわかりやすいと思うよ。
そういうところであれば、聖者方にまったく手の届く範囲ではない、と。


4月7日

理解しやすいと思うんだけどな~。


4月7日

と、そういう意味もあり、魔術者のあつまりなりなんなり、悪魔に憑かれている集団があれば、そういう者個人個人の潜在意識が変わってくれた方がおさまりが早いだろう、とも思う。
完璧に霊の世界がまじっているので、その裏方さんが問題ではある。
昔の九尾の話だってあったでしょ、そういう存在は権力者にとりいって、その権力を利用する、と。
感情をちょいちょいとすれば、あら簡単に、と。

 以前に似たのを記したけれども、昔のインドとかは、バラモンを大切な存在として尊敬して敬っていたので、その教えもまた尊重され、そういう存在(畜生霊、邪霊)がきたとしても教えから考えれば、悪魔的な存在(であると分別ができるので)否定できたのだけれども、現在はそういう(清浄な教え、道徳)が、希薄であるので、そういう存在はあっさり介入できる、と。

で、霊的な話は置いておいても、
無差別テロ集団もすでに道理、道徳を持って自らで考えるというのができていないっていうのも見ててわかるでしょう、要するに、すでにそういう道徳すらもないってことだろう。

そういうのは、問題だろう。その人個人だけの問題でもあるし、社会的な問題でもあるんだろうけれども。

これが、本当の幼稚園児とか小学校とかの子どもであれば、まだ道徳がわからないっていうのも無理はないけれども、無差別テロの者は一体何歳なの、と。

問題があると思うけどな。

そういうのは、問題があるとは思いませんか、と。

その集いの集団意識がすでにかいま見られる。

その集いとしての集団意識はすでに、とられているっていうか、すでに穢れてしまっているだろう。

はっ!たしかにそうだ、と、誰かが気づいて、それではその穢れた意識を清浄に掃除をしようとすると、その掃除をする人がその集いからはずされてしまう。っていう感じであれば、完璧にその集団意識は危ういのだろう。


その方向性だろうね。

 宗教というのは、集団の潜在意識にも作用する。
善に進ませることもできれば、その逆もまたできないということはない。

 仏陀の教えは根本的に善にしかならないっていうのに、意味が理解しずらいから、教えとして広がりずらいところもあるか。


4月7日

一般の人の意識は、集団意識にとってかわられやすいのもあるようだから、一般の人に何かしら言うよりも、その集団意識を動かしている側に言うのが、いろいろと早い、と。


4月7日

その集いの個人個人の意識なんだよね。
集団意識は自己ではないということを観れない人々。集団意識に依存したい人々、集団意識から抜け出せない人々。

何かしらにすがりたい、依りたいっていうのも、まぁ、一般の人の感情からするとたいていあるけどね。

そのような内的感情、思想、欲念、執着を観て言われている教えが、単独なる者。ただ独りで歩きなさい、っていう言葉でもある、と。


4月7日

雨だ。雪から雨にかわって暖かくなってきたよ。


4月7日

いやー、しかし、何で叩かれ始めたのかも意味わかんねぇからな~


4月7日

根本的に意味がわからない、と。


4月7日

メディアでとおまわしに教えようとしているんだかなんだかそういうのもあるみたいだけれども、直接私に教えてくれたら早くないですか。


4月7日

どう考えても解決が早いと思うけれども。


4月7日

みずから悪業をなしてしまっているのが集まっており、悪循環しているのが集まってしまっているので、それはムリなのか。


4月7日

仏陀の弟子までも、殺してしまおうとする集いだもんな。俺が第三者の立場だったら、その集団に対してヒクけどね。


4月7日

どう考えてもありえない、と。


4月7日

ラジオではさらに嫌がらせをしているという。


4月7日

日▲銀行のもそうだけど、道理としてありえないし、道徳としてもありえないけれども、
一般社会としての道徳というものは、そういう日本を代表するような銀行のトップであっても、罪のない人、仏陀の弟子を殺そうとするのはゆるされることのなのだろうか。



4月7日

そういうのは、何。日本神道だから罪のない人を殺そうとするのはゆるされるのだろか。


4月7日

以前記したけれども、仏教(比丘)ではそういう罪を犯したものは波羅夷としてすでに仏教
教団の僧侶ではない、と。←仏教徒を訂正
そのように追放するのは、それは、仏陀の僧伽を守るためというのもあるけれども、その者自身も悟れない、いわゆる波羅夷罪となるわけであるけれども、そのような(原始仏教)仏陀の教団はそのような者が一人もいない。
で、無差別テロの者たちを見ると、逆にそのような悪行を積んでいる者しかいないとなると、これは、う~ん、たしかに改めて考えてみると違いすぎた。



4月7日

さとりとかそういう集団でない。って、すでに言ってたか。


4月7日

土台がすでにないだろう。そこに神殿はたたない。


4月7日

という結論に至る。

この結論は正しいだろうか間違いだろうか。



4月7日

秘密結社に悪業を積んでいる者が多く集まっている、とすると、その秘密結社自体の土台がすでにくずれかけてしまっている。あるいはすでに崩れてしまっている。
そこに真聖な神殿はたたない。

 「修行僧たちよ、不善なる人というものは、このように不善なる人に睦び仕え、このように不善なる人のもつ考えをもち、このように不善なる人のもつ思念をもち、このように不善なる人の語る言葉を語り、このように不善なる人のする行為をし、このように不善なる人の抱く見解を抱き、このように不善なる人の行う布施をして、肉体の滅びた後、死後には、不善なる人たちの赴く所へ生まれ変わるのです。
修行僧たちよ、不善なる人たちの赴くところとはなんでしょうか。地獄、あるいは畜生です」

「修行僧たちよ、善なる人というものは、このように善なる属性を具え、このように善なる人に睦び仕え、このように善なる人のもつ考えをもち、このように善なる人のもつ思念をもち、このように善なる人の語る言葉を語り、このように善なる人のする行為をし、このように善なる人の抱く見解を抱き、このように善なる人の行う布施をして、肉体の滅びた後、死後には、善なる人たちの赴く所へ、生まれ変わるのです。
修行僧たちよ、善なる人たちの赴く所とはなんでしょうか。偉大な神、あるいは人間です。」と。

真聖な神殿がたたない。
善なる人があつまらない。
それは、なぜだ、と。



4月7日

不善なる人は誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解しない。
善なる人は誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解する。

と、そのように
「善なる人は誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解する。」
と、すると、
「善なる神は誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解する。」

神は全てを見通しているのであった。ということであるが、しかし、神ではなく、普通の人でも、無差別テロの者たちの悪行は普通にわかる。



4月7日

日本神道に罪のない人を殺すのがゆるされるという教えは基本的にないだろうけれども、あったらあったで問題だろう。




4月11日

ファ×ターズの歌あれなに。ソラ耳かなりひどいね。スポンサーはどこだあれ。


4月11日

ファ×ターズは車は、(──)か。またかよ。


4月11日

野球の(日本ハム)ファ×ターズ




4月12日

阿吽四、とかだったら日本のメディアであまり話題(とりあげられる)にはならなかったかもしれない、とニュースを見て思いつつ


4月12日

しかし


4月12日

ごめん、その人のことがどうこうではなくて、そのニュースの言葉の方の話。日本語語呂合わせの学習。


4月12日

学習ってそういうあれでないけどね。


4月12日

阿吽さんの語呂がパッと出てきたのであった。


4月12日

とりあえず、シャワーでもあびてこよう。


4月12日

だから、あてじはカタカナってか。


4月12日

風呂上りで一息。


4月12日

語呂あわせは日本語自体にいろいろなっているのもあるみたいなので、そんなに気にしなくてもあれなんだけれども。
言霊だな。
そっちの人たちのわ。
どんだか知らんけど。



4月12日

ニュースのは別にそっちの人たちっていうのに入ってないけれども、入っているのもある。


4月12日

まぁ、別にどっちでもいいか。


4月12日

そういうのは、別にいいとして


4月12日

ナーガのは以前から、象という意味もあるのを記しておこうと思っていたので教えを紹介しようかとも思っていたのであったが、そのまま書いてしまったので、喩えを紹介。

象は、象を神聖視している国もあるというのでも理解ができる。

ナーガのたとえ
龍(竜)。象。大力のあるのを喩えていう。
無罪、阿羅漢。不来、仏陀。

竜(龍)、竜王、修行完成者。
象〔印〕・穢れなし(穢無)、阿羅漢、仏陀。
〔穢無は春の造語〕


4月12日

穢れている集いに神聖さはないべな。


4月12日

同じ言葉でも、見聞きする人によって受け取り方が異なることがある。(前出)


4月12日

明日は土曜日だから、明日行けば休みだ。


4月12日

ねるかな。


4月12日

社会的地位を得てもあれでは、現在の一般社会というものに対して変に冷(醒)める。

日本以外でも同じ感じだったわけで、そういうのをいろいろ多く見せられても、やっぱり変に冷(醒)める。

そこに一体何を見出すのか。何を求めるのか、求める何かがあるのか、と。



4月12日

現在の昔からあるという歴史を見ても、たいして変わらないか。
快楽と一時の栄華で名が出ているくらいで。

名前が知られていた人でも、数十年、数百年、数千年すれば、一般の人は名前すらも忘れさられるという。

一時の栄華、快楽を求めてか。



4月12日

ねむる




4月13日

函館の町


4月13日

達磨大師のところで小さい頃、クリをひろった。


4月13日

トラピスチヌ修道院、小さい頃から観光に何回も行った。中は一般の人は入れません。


4月13日

こういうのが日記だよな~、と。


4月13日

何回もってそんなにたくさん行ってないけどね。


4月13日

うさぎは現在でもいるのかな、と。


4月13日

ちっちゃい箱に入っていたうさぎが2、3匹。何であそこにいたのか。あんなところに入れられてかわいそうって言えば、かわいそうだな。


4月13日

そういう小さい頃とかは、世間が普通だったな。


4月13日

メディアでなんか叩かれ始めるまでは、世間が普通だったんだけどな。現在の状況が意味わかんないんだよな。現在のが真の世間なのか。


4月13日

どうなの。


4月13日

やっぱりありえねぇな。


4月13日

蓋を開けてみたら、暗黒の集いが、わいやだった、と。
別に俺が蓋をあけたわけでもないのだが。そもそも蓋というものもあったのかっていう、感じかな。



4月13日

え~、暗黒ってのが違うのか。


4月13日

そちらは全体を通して見ると、暗黒でしかありえない。
聖者方の誰がそんなことをするってかよ。
普通に考えたら、誰でもわかるって。



4月13日

ふ~…だね。


4月13日

ため息しかでないわ。


4月13日

ごはんを食べようと思ったら、ごはんがないし。

4月13日

なんだこれは。


4月13日

食パンを食べよう。


4月13日

冷蔵庫にちょっとだけごはんが残っていた。


4月13日

残りのごはんを食べてしまったので、家にあるご飯はついになくなってしまった。

4月13日

これは


4月13日

ごはんを食べたければ

4月13日

炊くしかない


4月13日

米はあるんだけどね。


4月13日

9時になるか。


4月13日

どうするかな。


4月13日

椅子に座ってホッとしているだけでも、心地が好いんだけども。


4月13日

今日は仕事でホコリがすごかったから、なんたかんたシャワーを浴びなければならない。


4月13日

このまま寝ると、フトンが黒くなる。


4月13日

これは朝まで寝なければフトンが黒くならずにすむ。


4月13日

漂白剤で汚れが綺麗になる。


4月13日

まぁ、フトンの色の話もどうでもいいんだけども。


4月13日

そういえば、綺語のところなおしてなかったな。


4月13日

リラックスしてたら、思い出した。


4月13日

静かな音楽を聴いて、目を閉じて、さっきと違うフーっと一息。


4月13日

雑念も出てこないから、とても心地が良い。


4月13日

あ、雑念出てくるわ。


4月13日

『シャワーを浴びなければ』という雑念


4月13日

フーっと。


4月13日

それでは、シャワーを浴びてこようかな。


4月13日

ひとシャワーを浴びてきた。


4月13日

一応、禅定中に静かでも音楽を聴くということはない。


4月13日

それでは、本日の書き込みは終了としよう。


4月13日

あと、1時間半で次の日だ、と。


4月13日

違うな。


4月13日

今回の意識の覚醒時での書き込みは終了しよう、か


4月13日

こまかすぎる。


4月13日

さてさてだな。





4月14日

修正。


4月14日

トラピスチヌ修道院に行ってきた。


4月14日

かなり久しぶりだったけど。


4月14日

本当の修道院なので観光として見れるところはそんなにない。空気はかなりいいね。


4月14日

うさぎはいなかったな。箱がなかったのでかなり前からいなくなってたのかな。


4月14日

以前通ったときも箱なかったっけかな、と。




4月15日

日本神道ね。


4月15日

う~ん

4月15日

神皇正統記の内容が間違っているのであれば、それは間違いである、となるとまた、変わるだろうけど。


4月15日

先祖の神霊が悟っていなければ、その神霊を祀っても(念じても)悟れない。


4月15日

私が、私の祖父を祀っても、祖父は悟っていないというか、一般人だったので、祖父を祀っても(念じても)悟れない。普通にご供養をする。


4月15日

リンガ崇拝、テロ崇拝、畜生崇拝、悪霊崇拝、邪念崇拝、魔術崇拝、このようなの事柄ははその者自身とその仲間も悟れない。
それに協力している霊的団体、関係者も悟りからかなり遠い。



4月15日

なぜ、悟れないのか。


4月15日

その行いで、なぜ悟れないのかというのが、自らでわからないのであれば当然悟れない、と。


4月15日

悟りとかも意味があんまりわからないんだろうけれども、無差別テロの罪のない人に対する嫌がらせなんて、一般道徳のレベルの話なんだけども。


4月15日

道徳があるのは、やっぱり日本で言えば仏教徒か。


4月15日

陰陽道もやっぱり、陰陽道の代表的有名人がヒラヒラと飛んでいるチョウチョを術を見せるためか何かで、バサッと殺めてしまう話もあり、そういう生物に対する無慈悲さを知る限りでは、陰陽道も道にはないだろう。
そういう能力をすごいと見せるためには、畜生霊とかが喰い付くというか、まぁ、利用するだろな。
陰陽道の教えが一般とした教えであったならば、邪念、悪霊が偽善を利用して跋扈するというのはありえなくはないだろうな。



4月15日

仏教は、大乗仏教であっても、そこまで無慈悲な教えはないから、畜生霊とかが余裕で跋扈するようなことはないだろうが、


4月15日

現在は無差別テロの能力者が跋扈しているのを見る。その無差別テロの能力者の攻撃対照はどのような人物にであるか。
それは仏陀の弟子にである、と。



4月15日

仏陀の弟子は、無差別テロのような無慈悲な事柄をするだろうか。当然するわけがない。
どのような宗教(真理)、教えを持っているかによって違いがこのようにはっきりと出る。



4月15日

これは、世界の国にも当てはまるのだろうけれども、その国がどのような教えを信仰しているかによって、その慈しみの観念、観方、考え方、もまた異なる、と。


4月15日

それでは、日本神道はどうなのか。


4月15日

日本神道が無差別テロの肩を持っていない、無差別テロを止めようとしていた、となれば、日本神道は清浄だろう。邪念はきちんと祓います、と。

日本神道が理解した上で無差別テロの肩を持ってしまっていたのであれば、日本神道のその中身はもうそれはそれで決まってしまっているだろう、と。
まぁ、邪念の仲間になっているようでは話にならない。そんなのは当然の話なんだけれども。
邪念の仲間になるとかいうのであれば、そもそも邪念の区別もできていないので、普通に考えて邪念を祓うことはできないだろう。

その神社の神主さんの意志の清浄さでも、どちらに行くかというのは、大きく左右されえるだろうけれども。
神主さんが神審できれば、すぐにわかる話ではある。
神審の段階、基準も段階、見方もそれぞれ教えによって違いもあるだろうけれども、
日本神道でいけば、どうだろうね。
う~ん、
やっぱり、基本的な神審の基準は日本神道の代表的な神霊だろうかな。(神社による)

と、いうように考えるとすると、
現在、日本神道が無差別テロに加担しているとすると、かなり問題がある、と。
もし、神審の基準がそのようなところ(欲のために、邪念を支持して、善人を攻撃するという見方)にあるのであれば、他国の聖者・聖人から見ても、その神審は規格外。

仏陀の教えでも当然ながら、ありえない、と。



4月15日

そういうのは、日本神道だけではなくて、他の神秘家団体やそういう団体の神審も同じように理解はするこができる、と。


4月15日

う~ん


4月15日

皇族と日本神道。


4月15日

皇族と仏教。


4月15日

皇族の人で仏教を勧めた人がいる。そして、日本は世界でも数少ない仏教国である、と。


4月15日


その仏教を継続させてきたのは、民衆をひきいる立場にあるその皇族でもあるとすると。


4月15日


そういうふうに考えると、世界で見ても日本の皇族は目が善いというのもたしかにある。


4月15日

それはある。


4月15日

仏縁はある、と。


4月15日

カッコ(昔は)っていうのが、適当なのだろうか。現在はいかにか。
大日如来、阿弥陀如来の大乗仏教だとまた、ちょっと変わるけれども。





4月16日

なぜ、変わるのか。

 神仏混淆で言えば、
『大神宮の御託宣に云う、日輪は大日如来也云々、是によりて天照太神を大日として、胎藏界、金剛界の両部を陽(神)・陰(神)に配当する。是より以来、傳教、弘法、慈覚、智證等の説々、彌びこりひろまりて、太神宮既に、大日なる上は、その他の諸神も皆佛菩薩の垂跡也と云う、是を両部習合の神道と申す也。』

神仏混淆で大日如来を言うならば、
もし、その天照太神が悟っていなければ、大日如来が天照太神であるという事であるので、その大日如来を祀って(念じて)も悟れない。

弘法大師、真言宗。真言密教の大日如来。
前述していますが、護魔修法は本当の如来である釈迦如来(ゴータマ仏陀)は行わない。

天台宗では大日如来がゴータマ仏陀(釈迦如来)であるとするならば、道理として悟りに到るのであるが、
ゴータマ仏陀(釈迦如来)と、その弟子は護魔修法は行わない。
それがゴータマ仏陀の仏教である、と。


「ナディー・カッサパ長老

 わたしのために、仏陀はネーランジャラー河に来られた。わたしは仏陀の教えを聞いて、誤った見解を除き去った。
(以前には)わたしは種々の祭祀を行っていた。わたしは、火の献供を実行していた。「これは清浄なことである」と考えながら。わたしは盲目の凡夫であった。
誤った見解の密林に踏み迷い、誤った偏執にくらまされて、盲目であり無知であったわたしは、不浄を清浄であると考えこんでいた。
 わたしの誤った見解は捨てられた。迷いの生存はすべて壊滅された。わたしは、いま(真に)布施に値する火の祭りを行なう。われは、修行完成者に敬礼する。
 わたしは、迷妄をすべて捨て去った。生存に対する妄執をうち破り、生れを繰り返す迷いの生存は滅びてしまった。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。」
 テーラーガーターより


なぜ、行わないのかというのもHP上で前述済。

仏陀、仏弟子が行わない行をなぜするのだろう、と。
仏陀の教えを理解できない、知らないからだろうか、
昔からの習慣として求められてしまうからだろうか、と。

さて、護摩(護魔)という行いはどこの道でしょうか。

そして、その行を勧めてしまう人があるとすれば、その道はどこの道でしょうか。
その道は仏の道にあるのでしょうか。



4月16日

旗の先 も紹介しておこうと以前から思っていた。

現在、私は霊的な恐怖は全くない。

仏・法・僧を念じるというのがどのようなものか、というのが、現在の私が霊的恐怖が全くないっていうので理解できるだろうか。



4月16日

霊的な恐怖が全くない。

それは、仏陀・法・僧のおかげである。
そして、他の聖者・聖人のおかげでもある。

恐怖っていうのではなくて、仏陀と仏弟子と聖者方のあたたかさが心にものすごくある。



4月16日

それは、ものすごいあたたかさ。
(言葉での表現が難しい。)

仏陀の教えは、知れば知るほど、後世の人々をも観てくださっている仏陀のその行いの一つ一つ、その究極的な慈悲心に気付く。
その一つ一つの究極的な慈悲心を観させてもらうと、ホントにこみ上げてくるものがある。

仏陀と仏弟子がどれほど、後世の人々のことを案じていてくださったことか、と。
他の聖者方も同様に。

その慈悲心、ものすごく優しい安らぎあるあたたかさ。

それが私の心をあたためる。



4月16日

表現がむずかしい。


4月16日

2000年以上たっても、他人の心をあたためる人。


4月16日

仏陀、仏弟子。聖者。


4月16日

数千年、数万年、数億年、劫期にわたっても、仏陀の教え・真理は一つである、と。




4月17日

熱く語っても、やっぱり仏陀の教えをあまり知らない人からすると、あんまり伝わらないか。


4月17日

個人としての感情が出すぎた結果である、と。しかし、そういうところは、他の人もあとから知ってすごい、と思うところだろうからね。同じ文章を何回か読んだけれども、その慈悲心にあとから気付いたというようなのもあるだろうけれども。
気付いたら、慈悲心のすごさに感動だけどね。



4月17日

話は変わって、日本の宗教。


4月17日

う~ん、


4月17日

仏教徒の観点において、昔の皇族は目が善いと思う。仏縁もある、と。しかし、皇族も大勢いて、仏教推進と神道推進で別れているのもあり、もし現在テロ集団と一緒になって、その無実の仏陀の弟子に無差別テロをしているのであれば、その時点で目は悪い、仏縁もほとんど消えているだろう、というようにもなるけれども、どうなんでしょうか。
現在の大乗仏教もまた、中身の教理が結構遠いところがあるからね。
 テロ集団がそもそもやっていることが、すでに、(聖者の目ではない)目先の一時の金銭とか、権力とかそういうレベルの話みたいだから、やっていること自体にすでに、清浄さもないので、そのテロ自体には、人間としてももうたいした意味もないと思うんだけど。

無差別テロ集いは各々一人一人、あなたは何故にそこまで、一時の快楽を求めてしまうのかね。
聖者、聖人の教えを捨て、死後の善処も捨て、何故に地獄をとるのか。

とりあえず、霊の世界を信用できません、ということか。
要するに、ただ単に経験をしたことがないとか、そういう世界の知識がないとか、知らないだけっていう話でもあり、そういう世界は知らない。しかし、畜生霊の魔術者の魔術を見たら、そっちを信じるようになってしまった、と

そういう魔術者の話、魔術は道にない、っていうのも、すでに、そういう世界を知り尽くしている人がすでに説いている。しかし、そういう世界を知らないから、魅せられて下に引っ張っていかれてしまうと。
 魔術者の話、魔術は道にない、というのは仏典にも聖書にも書いている事柄なんだけどね。

無差別テロによって、悪魔の集団の方に大勢が導かれてしまいそうなところでもあるけれども、
仏陀の教えはひろまるだろうからね。本当の悪魔側だけは教えから離れていくのだろうか。

テロ側は完璧に悪魔側になっている。
これは、悪魔もまた神が創造した存在であるのです、というのであるならば、神が悪魔をテロ側に付けているといことで、これはやっぱり神から見離されている結果、悪魔がついて悪行をしてしまっているという考え方にはなるだろうか、どうなんだろう。

その神は善なる者は天へ。悪行をなしている悪しき者は地獄へと言われる、と。
そうだとすると、だから、やっぱり悪魔側は神から見離されている結果、そのように悪魔がついて悪行をしている、という考え方にやっぱりなってしまうのだろうか。

聖者は同じ真理を語る。
聖人もまた観れる段階のその同じ真理を語る。
神もまた真理。その真理を語る。

天上は天上ですでに流れが観えている、と。
天上は天上ですでに友同士組まれている、というのも十分ありえる、と。

経典によれば、
仏陀はすでに流れを観ている、と。
次の仏陀になる人は弥勒である、
そして、弥勒のときにも、”ゴータマ仏陀の弟子”が多く出る、と。
そういうのも、すでに説いている、と。

ゴータマ仏陀の弟子。

仏陀の教えは、消えそうになっても、多分、そういうのも見越して、仏陀の弟子は世に生まれて仏教を弘めるのだろうか。
もし、全てを見通しているのであれば、私でも必要があればそうするだろうから。

そして、仏陀の教え・善は世に弘まる、と。



4月17日

あと数日、数年、数十年っていう短い人生しか、現在の人間に与えられていないんだけれどもね。


4月17日

目先の欲を追い求め、教えを聞かずに地獄いき。

目が違うんだよね。

仏陀の目・智慧の目の先に欲はない。
貪欲は滅尽している。



4月17日

俺が言っていることって、理解が難しいんだろうか。


4月17日

誰でも理解できるように、書いてはいるんだけれども。




4月21日

タイムラインのスタイルが変更されましたと。たしかに変わっている。


4月21日

下の歯がないと食べ物がよく噛めないので下は入れた方がいいかな、と思っている。まだ予約は入っているんだよね。どうするかな…、と。


4月21日

さっき、思っていた。


4月21日

歯のことでなくて


4月21日

いるのかもしれないな、と。


4月21日

テロ側の能力者とかそれに自ら絡んでしまって、変に霊的なのに足を突っ込んでしまったばかりに、離れたくても、霊的な恐怖とかでもって離れられないとか。
一般の人であれば、カラスとかが目の前をビュンビュンとするだけで、恐怖心が増長させられるだろうから、と。



4月21日

もしも、そういう人がいるのであれば、仏陀の教え、仏陀を念じる、善法を念じる、僧伽を念じる、を信を持って念じるのが善い。


4月21日

タイムラインを以前の形になおすのはどうすればいいんだろう、これは。


4月21日

なおらないのかな。


4月21日

なおらないというか、詳しくいろいろな機能をあんまり見てなかったけど


4月21日

なおし方がわからない。編集できないのかこれは。


4月21

空 〔アップロード〕


4月21日

Flash Playerのアップグレードが必要ですと。自分でアップロードした動画を確認できない!


4月21日

編集で動画が写っているから、多分データは送られているのだろう。




4月22日

どう見てもテロ側がほぼ邪道をもう歩んでしまっているので。一応。


4月22日

是の時大目乾連、すすんで仏にもうして言さく、
「我今阿鼻地獄の中に到りダイバダッタのために、要行を説き手て、慰労し、慶賀せんと欲す」と。

仏、目連に告げたまわく、
「汝宜しく之を知るべし。復卒暴なることなかれ、専心正意にして乱想をおこすこと無かれ。然る所以は、極めて悪行の衆生は調え難く、成じ難く、然る後乃阿鼻地獄の中に堕し、又彼の罪人は、人間の音声、言語往来を解せざればなり」と。

爾の時、目連、復仏にもうして言さく、
「我今解する所の六十四の言語開通せり、我當に此の音声を以て、住いて彼の人に語るべし」と。

仏、目連に告げたまはく、
「汝宜しく是れ時を知るべし」と。



4月22日

そして


4月22日

爾の時世尊、告げて日はく
「善いかな、善いかな、目連、饒益する所多く、潤及する所多く、群盲を愍念し、天人安きを得、緒の如来の聲聞をして、漸く滅尽涅槃之處に至ら使めん。
是の故に目連、常に當に勤加して三法を成就すべし。
然る所以は、若し當にダイバダッタにして、善法、身三・口四、意三を修行すべくんば、彼の人終身利養を貪らず、亦復五逆罪を造りて、阿鼻地獄の中に入らざらん。
然る所以は、それ人にして利養を貪る者は亦、恭敬之心有らず、三宝に向うも亦復禁戒を奉持せず、身・口・意行を具足せざれば、當に意を専らにして、身・口・意行を念ずべし。是の如く目連、當に是の学を作すべし」と。

爾の時目連、仏の所説を聞いて歓喜奉行した。





4月23日

今日の歯医者の予約を断ってきた。他の歯医者に行くか、奥歯をぼろぼろのまま過ごすか。どうするかだ。歯医者の先生に面と向って、「俺はテロの犯人ではない」っていうのは言ってきた。(私が犯人であると思わされているのもあるようなので、目の前ではっきり言った、反応は聞き流され、聞こえないのもあったようなので、何回かはっきりと言った。その結果、何事もないかのように、プラスチックの歯は渡せないと言う続きの説明をしていた。歯医者の先生もわかっているから、まぁ、なんとも言えない。あれだけ、テロ工作と有線で騒いでいれば誰でもわかるだろう。そして、)
さて、どうするかな。テロ集団のせいで歯の状態も最悪にされた。



4月23日

気持ち悪い集団であることには間違いない。普通の良識ある集いからするとホントにありえねぇよ。


4月23日

あ、歯医者の先生が仮歯の件で話がしたいというので、こちらへどうぞ、ということで、仮歯を作っていた状態であったので、その金額を払いに行ったんだけれども、金額はもらえませんということで、結局仮歯ももらえなかった。


4月24日

悪魔側の無差別テロ集団の悪行・嫌がらせを受けてすでに数年。


4月24日

普通に考えてもホントに異常集団だよ。


4月24日

まだ、気付かないのだろうか。


4月24日

数年たってから、俺が言うからどうこではなくて、数年前の異常な悪行をしている時にすでに、異常集団ではあったのも間違いないだろう。やっていることは当初からエスカレートしているくらいだから。
犯罪はだんだんエスカレートしてしまうので気をつけるべきところだけれども、すでにそういうのも、気付きづらいくらいの段階になっているのもあるけれども、そこらへんは早めに気づいた方が善いでしょう。


4月24

無差別テロはそもそもの最初から騒ぎを起そうとしていたのであれば、どのようになるのを無差別テロ集団が望むのだろうか。


4月24日

そういうのも普通に考えたらわかると思うんだけれども。


4月24日

すでにメディアの状態を見ると、テロ集団の思うつぼみたいな状態のようなのも見られるところを見て、私だけの問題でもないというのもあるので、そういうテロ集団の異常行動がエスカレートしてしまう前に、そのような大きな犯罪、または大きな争いに繋がるような悪行は早めに掃うべきところです。
無差別テロ集団が悪行を成功してしまっても、その無差別テロ集団の者の行き先も地獄等、堕処しかないので、そのような悪行をさせないのは善い。



4月24日

無差別テロ集団の組んでいた計画っぽいのと、その悪しき仲間の規模等を見てみても、私の日記の最初の頃からより前からすでに、テロ集団の問題は、私だけの問題という規模ではないだろう、と思うけれども。


4月24日

低級魔術の能力者も、たとえば、次は何々をする、ほらやった。次に何々をする、ほらまたやった。そして次に何々をする。ほらまたやった。と、人間はそういうの何回か見るとその者を信じてしまうような心理が働く、と。
次はそこで頭をかく、次は何々を言う。とか、そういう低級な魔術者の魔術の繰り返しでもって、一般の人々は騙されて、その低級な魔術者の魔術に、騙されて次からその魔術者の言うこうことを聞くようになる、と。

それはその人が憑かれているから、髪をかくのだ、とかっていう感じのことも黒魔術者は言うのだろうかな。
そういうのは私のHPを読めば原理もだいたい理解できるでしょう。
私の場合、頭をかく場合、頭がかゆいからかくだけでそれ以外のものは何もない。念を読んだり、かゆみの話も以前話をしているでしょう。

 そういう魔術者の魔術、または悪霊に憑かれて騙されているのは、私と他の仏陀の弟子の方々等・こちら側の人ではなくて、その低級な魔術者の魔術を信じ込ませられてしまった、無差別テロの仲間の者、あなた方だと思うよ。
そういうのもまた、魔術者の思うつぼ。そして、悪魔の思うつぼでしょう。

そして、低級な黒魔術者のいいなりになってしまい、誰が見ても嫌がらせ又は犯罪だろうと思うようなことをやりなさいと言われてそれを聞いてしまうという。
そういうのが、現在の無差別テロ集団だろう。
すでに、一般社会的な理性をも無くしそうな状態になってきている、と。
 計画として最初から、メディアのあらしなどの、テロが計画されていたのであれば、そういう理性を失わせるような行動をさせるというので、無差別テロもちょっと成功しているのだろうか。メディアで「しね」「しね」って言っている芸能人もいるけれども、そういうように理性を失っているような状態、悪霊の「さえ」のような状態になってしまっているのもすでにいる、のも確か。

 悪魔側、または低級魔術者側・テロ側はもう悪行をしてしまっているというのもあるので、一回その悪行をしてしまうと、改心するというのも難しいだろうからね。
そして、何度も悪行をしてエスカレートしていってしまうという。自らでは止めることができなくなっていってしまう、と。
それは悪魔の決めたコースに乗っかってしまっているので、悪行を自らで止めることができなくなってきているのもある、と。
 中途半端に霊の世界に入ってきて、黒魔術で悪魔に捕らえられ、悪魔のいいなりのようになっているけれども、自らで気づくことがない。悪魔によって、善を見ることもなく、善を理解することもない。
悪魔に憑かれてさせられる行いとは何か。
それは悪行。
 聖者と聖者の教えを殺すというのは、非常に罪が重いとされているが、悪魔の言いなりのようになり、その最も重い、重すぎる罪を背負わされていると。
それも、また悪魔の思うつぼ。
悪魔は真に、その悪行をしているものを助ける力は何ももっていない。
その者を地獄に落とす悪行をさせる、聖者方のいう善行とは逆の行いをさせるているというのでわかるだろうけれども、その者を地獄に堕そうとしているのは、その悪行をさせようとしているその悪魔であって、その悪魔の言いなりになっている者は悪魔に憑かれているものであって、人間の道または天上、天より以上の道に乗ってはいない。

その重い罪を背負った者が再度人間に生まれることができるのかというのも、極めて難しいと言われる。盲亀のたとえ。ましてや、天より以上にいくという業も道理としてない。





4月25日

まず、それに気付くという気づきは必要である、と私は思う。




4月28日

動画が見れた。


4月28日

21時30分になる。


4月28日

ストーブと加湿器と冷蔵庫のポコポコの音が聞こえる。


4月28日

満月の静かな散歩も時あわず




4月29日

今、ネットで胃薬をもらうのにどうするかな、と病院を見ていたのだが。


4月29日

また、犯罪者集団が絡む可能性っていうのを考えつつ。犯罪者集団ホント気持ち悪いわ。なぜに、病院を受診するのにわざわざテロ集団を考慮しなければならないのか。最悪だね。


4月29日

ホントに無差別テロだからな。ありえないわ。


4月29日

何で俺が狙われているのかすら、わからないという。考えれば考えるほどに気持ちが悪い集団だわ。


4月29日

日本が安全な国なのかどうか。裏っかわっていうか、あからさまに無差別テロ集団が騒いでいても、行政が動く気配なしとかっていうのは、安全でもなんでもない、と。表面が安全に見えているだけの見せかけだろう。
日▲銀行のを見ると、そもそも行政が無差別テロ主導くらいな感じでもある、と。
行政というか、その無差別テロ集団のメンバーがっていう感じかな。無差別テロ集団のメンバーが行政に絡んでいる、と。
ホントに安全だったら、こんなに騒ぐ前にもう騒ぎをしずめているだろう。もう犯人だってほとんどわかるだろうに。
一般事でまたは念をよむとかで、俺に嫌がらせを続けていた奴も完璧にテロの犯人確定。その多数の嫌がらせを見るに、自らで堕処に赴くっていうのを半分わかってやっているだろう。それに従う者もまた、その愚者の悪行の道連れとなってしまうだろうけれども。

結構な人数が無差別テロ集団に加わっているのもあるようであるが、
仏陀の教え・法・道理からすると、それは死後ほぼ堕天決の悪行である、と。
無差別テログループの行き先は、生存時も死後も不明、そして無明である。

何故にそこまで堕処に向おうとするのか。
意味わからん。

それは、経済、そう、お金のためである、というのもいる、と。
それもまた、仏陀の教え・法・道理からすると、死後ほぼ堕天決の悪心である、と。

欲たかりの者の集まりが育ってしまった結果。その集団ができて、欲心が悪心に変わりテロ集団にとなり、清浄な人が少ないので、改心するという力もあんまりなく、さらに、すでにやらかしているので、改心するにもテロ集団のメンバー自体が他のメンバーを恐怖するために悪行をしてしまう、というのもあるのかな。

足を洗いたくても洗うのが難しい、と。

そちら側に闇に赴く者がホントに集まっている。

そのテロ側の主導者は低級な魔術を使う魔術者である、みたいな。

そういうのは、何なの。
集まるように預言されてた何かなのか。

間違いなく、善なる人、または善神の集まりではないよ。



4月29日

同じことをあと、数回、数十回くらい言えばなんとか理解できるかだろうか。

別にむずかしい話をしているわけでもないんだけれども。

一応、一般道徳でもあり、

聖者の道徳。



4月29日

悪鬼、食人鬼でも改心することはありえる(仏典より)ので、言っても全く無駄ということもないはずなんだけれども。

言ってもなかなか響かない。

あとは、どのように言えばいいと思いますか。





5月9日(2013年)

ニュースを見たら、日本が最近好景気だという。
景気が好い=日本株=車屋という感じらしくニュースも車屋のニュースが多くとりあげられているのかな。
株の影響。
株高の操作っていうのもあるみたいだし。
一時のそういう好景気みたいのにのせられてしまうというのもよろしくないだろう。
株が悪くなれば、またすぐ景気が悪いっていうニュースが多くでるのだろうから。

そういう一時の株のゲームのようなのに乗ることのない不動の経済を築くというのがどこの国でも必要なのだろう。

株で一時好景気になると、ニュース映像では金銭が最もであるとかいうような映像が多く見えるようになる。
そういうのに乗せられて、金銭が第一であるとなったら、日本の精神も終わるだろう。
日本でなくても、他の国でも同じ事柄が言えるとは思うけれども。
株での好景気というのは変動がある。それは一時のもの。

どこの会社でも景気が好い時もあれば、景気の悪いときもある。
景気の好いときにものすごく儲けた会社でも、後に景気がわるくなって倒産してしまうような会社もある。

「そういう一時、ただ、その時だけの株のゲームのようなのに乗ることのない不動の経済、
そして、そういうゲームのようなものに動じさせられることのない(国民全体の)精神
〔テロに翻弄させられるようなことのない清浄な国民道徳〕を築くというのがどこの国でも必要だろう」と思う。


日本の精神。

日本と言う国は仏教国である。

世界で数すくない仏教国の精神。

日本に仏陀の教えはある。


他の神秘家集団等、悪魔又は魔術者に心をやられてしまっている団体もあるけれども、
仏陀の教えがあれば、逆に悪魔を降伏する。(魔術者の場合は魔術者自身が悪魔にすでにやられている)

悪魔に従う国は多くあれども、
悪魔に勝てるという国は、そんなに多くはないだろう。

仏陀の教えはそれを可能にする。


その教えを学ぶことにより、一般の人でも、その仏陀の智慧の目で、今までおおくの聖人・修行者が理解することのできなかった梵書を理解することも可能となる。

梵書を読める、理解できる人というのはそう多くはない。


その梵書・聖なる書物を大勢の人が理解できている国。

聖者の言葉を理解する人が大勢いる国。

神が喜び、そして神に喜び迎えられる人が大勢いる国。

所謂、神の国。


HPを読めば、聖者方・聖人方は真理に集まっているというのは理解できるだろう。


そして、私も聖者方と真理に集う。と。



中村元氏のブッダのことばの第1刷発行は1984年である。
それより以前から、小乗の教えは訳出されているのではあるけれども、
なぜ、弘まらなかったのだろうか。

それは、仏陀の教えが深遠であり、理解が難しいからである、と。

仏陀の教えは、禅定のない人には理解が難しい教えである。

例えば、「空」という教えでも、

禅定をしている人はそれを観る。

しかし、禅定がない人はそれを考えようとする。

これは、わかりやすくいうと、逆の事柄、をしているのではあるけれども、わかるだろうか。


この時点からしても、一般の人は仏陀の教えとはいきなり逆方向から見ようとするわけで、最初から遠い。

わかるだろうか。

そういのも含めて、仏陀の教えと逆方向からいくら見よう、見ようとしても、
仏陀の教えから、遠いので法を観られることがない。


それを観られる人はそれを、理解して説明ができるので、他の人にも説明して理解させることができる。
それは本人が観ているから。

リンゴという果実をすでに知っている人が相手にそのリンゴを説明するのと、
リンゴという果実をまったく知らない人が他の人から聞いた話だけで、そのリンゴを説明をするのとでは、
どちらが相手により理解しやすく説明することができるだろうか。

要するに、仏陀の教えは深遠であり、一般の人が容易に理解することはできないので、弘まらなかったところもあるだろう、と。

私がクリシュナムルティ氏の教えを紹介している意味も理解できるだろうか。

イエズスの教えもそうであるけれども、魔術的心霊の壁(とでも言おうか)をすでに滅しているというか超えている方々の教えは、禅定(寂静)がなければ理解がむずかしい。

魔術的心霊の壁のところは、容易に悪魔に捕らえられる範囲。分かり易く例えると、う~ん、欲念の渦、想念の渦。そして、精神の渦。

その壁は聖者方はみんな超えているところ。

そこにいるのが、低級な魔術者、悪霊、悪念が越えさせないようにしているのもあり、その者達自身もその壁を越えることができない。

例えばそういう感じ。


要するに、仏陀の教えがすごすぎて一般の人や、大乗仏教の僧侶ですらも理解が難しいということ。


5月9日

日記更新。もう3時をゆうに越えてしまっている。今日も仕事。


5月9日

とりあえず、休息を。日記をかくとこれだ。




5月10日

は~、っと。ため息がでる。

また、私の話が飛び越えすぎ(中途越え)てて、意味がわからずに迷わしめてしまうと大変なので、説明が必要であるだろう、と。

観る。考える。経典も訳す人の表現にもよって、捉え方もそれぞれ変わってしまうというのもあるだろうから、


『「私は幸福にひたり続けたい」とあなたが言うとき、あなたは思考そのものであり、あなたを構成しているものは自分が快楽、幸福と呼んでいる以前の経験についての記憶にほかならない。
 そのように、昨日、あるいは数多くの昨日からなる過去すなわち思考が、「私が前に感じたような幸福な状態にいつまでもいたい」と言うわけである。
あなたは死んだ過去を現在によみがえらせ、それが明日なくなるのではないかと恐れているのである。
こうして連続性の鎖が作りあげられる。この連続性は昨日の死灰に根ざしており、それは何ら生きたものではない。
死灰からは何も花開くことはできない ── そして思考こそはその死灰にほかならない。
このようにあなたは幸福を思考の枠に閉じこめ、思考を通してしか幸福に思いいたらなくなってしまったのである。
 しかし、快楽や苦痛、思考がいう幸福あるいはほかには何もないのであろうか。
思考の手が届かない祝福、恍惚の境地はないのであろうか。思考というものはまことに陳腐なもので、独自なものは何ひとつ持っていない。
このように問いつめることによって、思考は自己(我)放棄に至ることであろう。
思考が自らを放棄するとき、そこには放棄におのずから伴う規律が現れ、それが節度ある優しさとなる。
そのとき禁欲は粗暴で冷酷なものではなくなる。粗野な禁欲は快楽や放縦に対する反発としての、思考の産物である。
 思考が自らの危険性にはっきりと気づき、それによって自ら行う深い自己放棄から、精神はその全構造もろとも静かになる。
それは純粋に注意力だけになった状態であり、そのような状態から言葉に表せない祝福、純粋な喜びが生れてくる。
しかしそれを言葉にしてしまえば、もはやそれは真実ではなくなる。』



真実でないものを真実ではないと、否定すること。


真実でないものを真実ではないと見る・気付くための教え

それがまさに仏陀の教えである。


諸行無常。

諸法無我。

涅槃寂静。

一切皆苦。


わかるだろうか。

仏陀の教えが本当にすごいということも含め。








5月14日



さわいでるわ。



テロ集団が完璧に道理からはずれてるな。



悪魔か、まず、道理から外れて現在、悪行をしても開き直っているような感じにまでもってこられているみたいだから、そういう様子であれば、悪魔からでも、テロ集団の感情操作はもうそう難しい状態ではないだろう。

冷静(霊性)な人はテロ集団の愚行を、静かに見ている、と。

テロ集団の集団意識がもう、堕天だよな~。

道理がない。

ということは、法(真理)もない。




仏陀の弟子を攻撃して、あとからでも仏陀の教えを信仰するからっていうのでも、基本それもダメだろう。

禅定でいえば、その邪念は正定に結びつかない。

教えでそういう事例はあっただろうか。

 あとから、信仰しても、まぁ、信仰するととても違うというのはあるけれども、定に入ったら、その過ちの念は生涯消えることはないのかもしれない。
ということは、
正定に至ることができない、と。

これは、仏教だけにいえることなのだろうか。

 念を読んで嫌がらせをしている者(魔術者・能力者)は、聖者とか天神が見るまでもなく、その者が邪道を歩んでいるのは普通の人でもわかる。

 本人は仏教のためというのかもしれないけれども、そういう愚行は仏陀の教えにない。そして、そういう邪行はしてはならない。仏陀の教えのために仏陀はそのような邪行をするのだろうか。

 悟りに到らせるためには、人を殺しもするのです。っていうような喩えもないことはないけれども、テロ集団の行いはその愚行によって嫌がらせをされている人もその愚かな者の愚行によって悟りにいたることはないし、その嫌がらせをしている者も悪業を積んで、そもそも悟りから遠ざかって行っているので、なおのこと、悟りに至るという道理はない。

 正定に結びつかないということは、仏陀でなくても、イエズスの祈り、クリシュナムルティ氏の寂静の意味もおそらく理解することはできないだろう、と思う。



 あと、神秘家等で、念を読んだりできる人はいるだろうけれども、そういう話で、ちょっと、以前から思っていたことがあるのだけれども、悪霊に違う念を読ませられているという者も結構いるんではなかろうか、と。結構以前からそう思っていた。

 念を読むのでも、だいたい、本人の表面の感情部分が多く読みやすいというはあるのだろうけれども、本人のその根底にある精神、それより以上の心を読めないのであれば、その出てきた想念、感情、それがその人のすべてなのではない。一般の人であれば、表面の感情が結構大半をしめる人もいるだろうけれども。(感情を自己であるという一般の人であれば。)

 感情は動くこともあるし、動かされることもある。
きれいなものを見て、とてもきれいだ、と思うこともあるし、映画を見て、感動することもある。本を見て泣いてしまうこともある。いやな思いをして、イラっとしてしまうこともある。
感情はときどきによってもかわりえる。想念もまた同じく。

 これがもし、その人が精神分裂病(多重人格)であったら、その本人の念っていうのは、どの人格の念、感情、想念がその本人なのか。
 霊的能力者でその件に通じた人の話では、多重人格は、悪霊につかれた霊媒体質の人が悪霊の憑依から抜け出せなくなると、しまいに人格が分裂していってしまう、という話はある。(以前にも述べた。)こうなってしまうと、悪霊による感情、想念の操作とかではなくて、さらにひどい状況。

 想念の世界。魔術者、悪霊、悪魔による感情操作はこういう者達の方が慣れているので注意が必要。

 悪魔、悪霊であれば、念を読んでいる者に、悪意を抱かせる感情、想念をおこさせるというのは不可能な事柄ではない。
そして、悪意でもって、悪意ある者に対して好い感情をおこさせ、善意あるものを悪しく思わせる感情をおこさせるというのも不可能な事柄ではない。

 テロ集団の能力者も、まさにそれにあたる。
テロ側の能力者のあきらかな嫌がらせを見れば、その者の心が善にあるのか悪にあるのかも、諦らかにわかる。

想念より天、精妙、清浄、寂静な世界は、清浄な存在しかいけないとされる。
(魔術でもって、そういう世界に行ける存在もあるとされるけれども、仏陀の教えでそれは道が違う、と。魔羅も梵天(初禅天)の世界に現れて、梵衆天に悪念を起させるという話もある。それよりも進んだ境地、聖者方の境地は、悪魔の範疇にはない、とされる。)

 悪魔、悪しき存在に要注意。







 「目を覚ましていなさい」と言われても、

  あなた方はいつも眠っている。

  そして、またいつものように眠っている。

 目覚めている人はすでに目覚めているのに。







 メディアの騒ぎもここまでテロにのっとられているのであれば、日本も危ういだろう。

一般の人で、テロ集団の愚行を見て、危機感を持ったという人はいないのだろうか。
日本は大丈夫なのか、等。

テロのを見て、そういうように思う、感じてしまう人っていうのは、普通に常識がある人なんではないだろうか。

その人自身の内にあるその良識からすると、テロ集団の「しね」とか「ころす」等、他メディアでやったり、やらせたりしている愚行を見聞きして、それらは良識から考えるとありえない、それらは非常識であると、それを見て、普通の良識分別があるということで。

メディアは、すでにテロのいいなりみたいなっているようだから。

日本人としては悲しい話だ。


 「現在のそのテロの者達には道理がない。」

すでに勢いだけでやっているという者もいるようだけれども、勢いだけで地獄に突っ走って向うのは止めたほうが善い。

(抜けた人もいるようであり)もうやらかしてしまっているけれども、今生と後生の自己の(仮喩)魂をかけて、悪魔のゲームに興ずるというのは、普通に考えたらやらないよ。

そのゲームに参加すると、勝っても負けても、もれなく、死後に堕処に赴く悪業がついてくる、って。

そのゲームの主催者は悪魔で、参加者はどう見てもカモだろう。

主催者は悪魔。
参加者はテロの集い。

途中で抜けた人は賢人、神守護。(喩え)
仏陀の教えを知ってから持って抜けた人は賢人。仏守護。(喩え)


 仏陀の予言では弥勒大士の頃になると、魔王ですらも法を持っていると言われるのに。
現在のその現象世界しか知らない無知な者(テロ側の悪しき能力者等)は、何をやっているのやら、と。
(予言の喩え話)







昨日はまたやってしまったよ。



まさかポケットにおにぎりが入っているとわ。



白い作業着を洗ったらご飯粒だらけになってた。ポケットのチェックしなかったんだな。胸ポケットはちゃんとチェックしたんだけども。




それでもって、作業着を2回も洗濯して、2回目に洗い終わって、洗濯物を干すのに、バサっとやったら、作業着についてた残りのご飯粒が部屋中に飛びちって、足にペタペタとくっついて大変であった。



作業着のご飯粒を取るのに、窓を開けて、作業着をバサバサとやっていて、横を見たら、桜が満開。

そういえば、満開だったな、と。

ということで、さくらを見に外へ出て、写真をとったけれども、暗くて写真もきちんと写らず。

しかし、いつものようにきれいに咲いている、と。

いろんな意味で感謝。



しかし、(商品名)おにぎりを洗ってしまったのは初めてだな。



マジック、ボールペン、ポケットティッシュ、手帳は、前に洗濯したことがある。携帯は昔、一回くらいあったかな。携帯はまだ洗濯してないかもしれないな、と。



昨日は、そういうことがあった一日であった。

5月16日23時記す。




昨日の日記を今日書いてみた。



本日は、これといって特になし。



ちょっと、今、音楽を聴いて、いろいろ考えているところ。



また、リラックスしてしまっている。



他にやることが。



安楽を食してしまい、あとちょっとで12時になりそう。



よしっ、と。



携帯を洗濯してしまったことあったかもしれない。



どうだったかな



あらま、またニュースでやってた。



テロがしつこい。




おもしろおかしく楽しげに記すと、テロ連中にないって思われるの
があるらしい。




微妙だな。テロ連中はこっちをないって思わせたくて、嫌がらせ(悪行)に一生懸命になってるのもあるから。



邪道に乗っかってしまうと、そうなってしまう、と。



 そちらの者で、仏陀の教えや、聖書を読んで、内心恐怖を感じてしまう時点で、もう自分で選んでしまっていた道がどういうのであったか、自分でも感じるられると思うんだけれども。

 つしまが記していることが、なぜか聖者の教えと合っている。と、それを知っていけば知っていくほどに恐怖心が出てくる、という者もいたりするのだろうか。

「善行をしている人は、私の話が聖者の教えと一致しても、基本として、恐怖心を感じるわけがない。」

 正道を知っている全知者が、迷わずに歩くようにと、慈悲で教えてくれている正道への導きの教えを、なぜに素直に聞きいれられなかったのか。

道理から見ても、無差別テロの集いの各人の道はすでに間違っている。


 その、全知者である仏陀があなたを見ればなんと言うだろうか。


 同じような事柄を言うだろうか。







理法は真理。真理は理法。

仏陀の言葉は真理。

仏陀の言葉では、悪業をする者は、堕処へ行く、地獄に堕ちるとはっきりと何度も何度も何度も言われている。
そして、善業をなすものは、善処へと行くと。

それを自ら知っている人たち(大勢の聖者)は同じくそのように語っている。

それを自らで知らない、死後を知らない、信じられないという人は、そんなものはあるかどうかもわからない、なので、自らの欲をみたすために悪行に手を染めてしまったりする者もいる。
ただ、知らない。信じられない。そういう世界もあるかどうかもわからない、という単なる無知であるだけなんだけれども。

科学の世界では、昔では信じられない技術なり、知識なりが現代になって続々発見されたり、証明されたりしている。
昔の科学が進歩していない時代の科学技術では、調べることができるものにも限度があり、現在は普通の技術だけれども、昔の技術、知識等から見たら現在のそれはものすごい技術力であったりする。

というように、大昔の科学技術では証明することすらできないという技術、信じられない夢のような技術が現在ではたくさん知られ、証明されている。

そのように、今の人から昔の人を見たら、昔の人が夢のように思っている技術は、ただ、その技術とそれに関する知識等を知らないだけ、要するにそれらの事柄について、その技術や知識等について無知なだけ。

それと同じく、死後の世界、霊の世界、一般の人はその世界に無知なだけ、まるで夢のような世界の話というようにも思ってしまう人もいる、と。

若かりし頃の自分を考えてみると、

まぁね、

たしかにそうだわ、と。

その無知について納得できる。

たしかに、夢の世界だな、と。

例えば、毎日のように目の前をカラスがビュンビュンなんて夢のようなことを語っている、と
(例えは他にもあるけれども、悪霊がカラス飛行で恐怖を与えようとする、その悪行が一般の人にも、現実として誰にでも見ることができる(愚かな悪霊の)確実に霊的悪行なので、現実に結構すぐに確認ができる一般ではおそらくあまりないだろう現象なので、それを例えとして多く引用。)

まぁ、たしかに今日〔昨日〕、昨日〔一昨日〕もたしか目の前をわざとらしく飛んでいたけれども。(以前から変わらずカラスとか鳥は毎日のように目の前をビュンビュンしている、たしか今日、か昨日、しょっちゅうなので別に日付を特定する必要もないくらいの話)。
目の前を鳥が横切るっていうのは、例えばどのくらいの距離で目の前かというと、とても近い距離で言うならば、
例えば、私は以前に車を運転していて、飛んでいる鳥を実際にひいたことがある、というくらいの距離。(鳥は少しあたったくらい、なので、すごい軽症であっただろうと思う)。それは2回か1回かな。
あとは、フロントガラスの高さのところを、前の車との間をすり抜けて行くというのも何回もある。

そういう事柄すら、現実にあるというのも、また一般の人からすると夢のような話ではあったりもするが、私からすると、そんなのはすでにどんでもいいくらい日常の話なんだけれども、一般の人からすると、夢かまぼろしかという世界だろう。

そういうのでも、無差別テロ集団がリアルに悪魔、悪念、魔術に堕ちているっていうのもわかりきっているのもあるし、私が仏陀の教えを紹介しているので、なおのこと悪魔が邪魔しているっていう可能性としても理解はできる。

すべてがリアル。現実であって、真実。

そして、仏陀の教えは真実であって、真理。

そこで、それでは仏陀の教えは夢か幻なのか。

諸法皆空。

答えはHPに記しているとおり、
夢でも幻でもない。

自らで観ることはできる、と。

仏陀と聖者方は超自然力を見につけているのに、魔術者のように思うさま欲楽を享受しようとしないのはなぜなのだろうか。

それは、欲(一時の快楽)は苦である、と。

欲を享受しつづけて、苦が消滅するのであれば、仏陀は欲からの厭離を説く必要はなかっただろう。

仏陀の弟子のダイバダッタは、超自然力を自らの欲(一時の快楽)のために用いて、聖者に敵対して大地獄へと堕ちたとされる。

仏陀がダイバダッタを地獄へ落としたのだろうか。

ダイバダッタは自らの悪業のために地獄へ堕ちた。
その悪しき業、行い(魔術)をすると、地獄へ堕ちると知っていてその悪しき業をしていたのであれば、自らで地獄へ行く道を選んでしまっているということにもなるだろう。それは不信仰により、そして、無知によりか。

そして、それと同様なのが、現在の無差別テロ集団に見られる。

心を覆い隠そうとしても、
全知者と聖者方はすべてお見通しだと思うよ。

人格が同一の者であれば、あなたの記憶に悪行は残ってしまっているでしょう。
たとえ、記憶に残っていなくても、悟りの障害となってしまうというのに。

静かなところで、一人、目を閉じて観てみるとよい、
自分のその目を閉じている空間にあなた以外に誰かいるかどうか。

あなたしかいないのでれば、

さらに、そこにあるのはあなたの何なのか。

そこにあるのはあなたの記憶か。
はたまた欲念か。
あるいはまた清浄心か。








今日は



カラスガフロントガラスより低く飛んでた。そして、何かを加えていた。
エサを取ってる最中に、悪念につかまったのやらなんやら。




冬の猛吹雪のときですらも、目の前を横切っていくからね。
さすがに、俺は全然悪くないけれども、その鳥が必死に飛んでいる姿を見てかわいそうすぎてゴメンよ~、と思ってしまう。

おそらく、動物は悪霊とかの暗示にかかってしまいやすいんだろう

大雨の時も同じのを見て同じ事を思った、と。

普段横切るときはだいたい翼を羽ばたかせない状態でスッーと横切っていく。低空飛行だから、そういう感じなのだろう。
猛吹雪とか大雨とかのとき横切っていく鳥は、羽を激しく羽ばたかせているので、明らかに、なんか大変そうなので見ててかわいそうに思う。

そういうのを見てさらに、悪霊が(善霊では)ありえないな、と、そして、悪霊(悪念)はありえないな、というように見ている。




これは日記に書いてから、もう数年が経っているからね。
かなりしつこいよね。ありえないしつこさだわ。
完璧な邪霊、邪念。以外にないだろう、もう。
完璧なストーカーだな。
悪霊、悪念という存在になっても他の人のストーカーをしているような嫌がらせの犯罪霊って、どうなんだこれは。やっぱりどう考えてもありえないね。



俺が嫌がっているのに、その嫌がらせの愚かな事柄をするという。
まさに、悪霊。

天上の世界へ行けずに、欲界で人間をストーカー。

善霊ではありえない。



ありえないという理由は、他にも沢山あるけれども、無差別テロの集団の悪霊の仲間も、非常に善という方向から離れていると思うよ。離れているというか離れていっている途中かな。

非常に危険な道を歩んでいる者達。

なんで、そういう道を歩んでしまうかな。

そちらの導き手は、こんどは誰だ。

また、セント君か。

まんが、二次元の世界。

一次元下がっているじゃないか。




大変だ。



さて、と。
22時になりそうなので。



そういえば、着ぐるみは3次元ではあった。




しかし、基本的にそんなのはどうでもいいのであった。



よしっ









朝から×TBで悪語を吐かれた。


何、また何か疑われているのか。
しつこいわ~。



魔術者が、心だっていうのが、わからないんだろうな。
噓をついても堕ちるだけだから。



魔術者が噓に噓を重ねても根本的に意味がないから。

正道、正定からかなり遠い。っていうのもわからないんだろう。



いやいや、おまえらは動物か、と。

多重人格でもないなら、すぐに暗示にかかるとかはないだろ。




悪行をしているのは、本人の意志だろう。



ヴェンドゥ

片隅に立った天人ヴェンドゥは、世尊の御前でこの詩をとなえた。
「幸ある人(ブッダ)に侍して、ゴータマの教えに従って実践し、怠たらずに学びつつある人達は実に幸せである。」

「ヴェンドゥよ、」と世尊は言われた。

「私の説いた教えの言葉に従って学ぶ禅定をなす人々は、怠ることなく熱心に励めば、時のたつのと共に、死神に支配されないようになるであろう」と。



単なる能力者も、法(真理)を知らなければ、悪魔の手先になってしまっていても、それに気付くことは難しい。



それにしても、×TBは何なのか。
悪語を吐かれる筋合いは、
う~ん、どっかにあるんだろうか。
意味不明なんだけれども。

すでに、放送倫理というものがまったくなりたっていないだろう。

言いたいことがあるのであれば、直接、電話なり、手紙なり、メールなりをくれたらいいだろうに。

とりあえず、話は聞くけれども。

いまだに、そういうのは一度もない。

テロ集団はやり方もまた、すでに汚れてしまっているのに、本人たちはそれに気付いていない、と。

そういうのを見ると、やっぱり道徳がないよね。

一般の放送でそうなんだから、
これは、日本という国の道徳っていうのは、
じつは、日本という国自体にあんまり道徳がないのかもしれないね、
そういうのを見るかぎりでは。

道徳を忘れさってしまったのか。
最初からあんまりなかったのか。
無差別テロの集いが出しゃばっている結果で、
道徳がないように見えているだけなのか。




日本という国自体で善い人々に親しむのを基本とするべきだろう。

テロの悪行に親しんでいるような現状であれば、
梵書を読める人が多くでる環境(国)なわけもなく。
日本が神の国というのもないだろう。

現状では単にテロ集団にほぼのっとられて、テロ集団とテロ活動(悪行)を共にしている国っていう感じか。
残念な国になってたね。これは。

前代未聞でございます、と。

文字を読むだけなら、文字を読める知識があれば誰にでもできる。

大事なのは中身だって言っているのに。
仏陀はもちろん。イエスも。

仏陀の弟子を攻撃して、後は本来の仏教国に、って、
それっていうは、仏教国としての土台はすでに腐ってしまっているだろう。

そういう国がどうして神聖であるだろうか。
そういう国が神聖な国であるわけはない。

というか、テロがこれだけ騒いでいる時点で、
さらに霊的団体が悪行をしているテロ側についてしまっていたのも結構あるようで、現状では神聖さを感じられるのも多くはなく。

そして、大乗仏教で土台を築いているから、大乗に魔が入っていても気付ける人は、大乗にはあまりおらずか。
気付いてもどうすることもできない、と。

大乗仏教であっても、

仏陀の弟子ならば、悪魔を祓う努力をするべきだと思います。

魔を護るのは、仏陀の教えである仏教ではない。




鬼門は、仏陀の説く聖道ではない。






古代の神話を検索したのであるが、



あそこの神様はこっちの神様と同じように伝えられている、どうたらこうたら。という内容の物語が多いらしい。



真理がそこに伝えられているのではなくて、血縁関係とか親族の物語のようなものが伝えられているのが神話っぽくなっているのもある、と。

真理がそこにありそうな雰囲気をかもしだしている伝説が多数ある

そこに真理がありそうな感じに記されてはいるが、神々の親族の昔の物語、または神々の親族の系譜の話であって、具体的に真理の説明が述べられているわけでもなく。



真理を求める・求めている段階。



聖者方は神々の系譜を語るのではなくして、

すでに見ている・悟られている真理を説く。



真理をすでに見ている・悟っている段階。






今日はすずめだった。



しかし、今日もまたかなり叩かれたわ。



意味不明ではある。



どう考えてもありえねぇ集団なんだけど。



22時まで残業。



建築さんが早いので忙しい。



あ~、株がさがったからか。



違うんだべか。



ニュースを見てたけれども。



現在。



金だもんな~



法を知っても石を投げる、と。



ま、そういう集いだからこそ、テロのような企みをしてしまっているんだろう。完璧、悪業。



100年もしないうちに、テロ側もこっち側もほとんどの人が、もういなくなっているというのに、まったく、短期間でよくそこまで悪業を積むもんだ。



やっぱり見るところが、全然違うんだよな。



普通の人はテロなんかしないからな。



テロやって法を観るってか。



う~ん…



それは、人として道から外れすぎてるだろ。



普通にそう思うんだけど。



そっち側について行ってる人もだんだん道から外れていっているべさ。

小さいことからコツコツと、
外れていく、と
大きいのもあるだろうけれども。

聖者に敵対するという罪重ねでもって、少しづつ、少しづつ。

悪行をする者と一緒になって石を投げ、

愚者はその悪業が実るとは思っていない。

「害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪〔い報い〕がもどってくる。」

一方では、善行をするぞ。という人も増えている(ようすである)のに。

そのように双方でだんだん遠ざかっていく。

仏陀の弟子は、生きてても死んでも、善行を志している人が多いだろう。

仏陀の教えを学んでいくとそのようになる。

そういう教えであるから。

テロの集いの悪行は仏陀の教えにも反している。




明日は休日。




一昨日はカラスは微妙な距離だな。すずめは信号待ちで前の車と私の車の間を通っていった。フロントガラスより低かったな。



昨日は横からスズメだな。さっきはスズメみたいな小さいとりがフロントガラスの高さを横切ったな。



仕事の現場でラジオがかかっていて、ラジオでテロが騒いでいてかなりやかましい。昨日と今日もS×Vラジオがかかっていた。ストーカーか何かかあれは、と。やっぱりテロ関連のその仲間は普通ではない。



仕事を終え、さっきは夜風にあたってきたけれども、気持ちいいね



噓で塗り固めても意味ないよ。
禅定もできてないから、言っても伝わらないか。

土台を腐らせようとしているのは、テロ集団なんだけども。




もう十分に理解できるだろうに。

それでも、道連れに連れて行こうとするか。

今日もラジオでやっていたけれども、一般人は数日で、すぐ洗脳されるくらいに心が動かされ易い。

道連れにするのも、簡単だろうけれども、それはあなたとその道連れの者のためにもならないだろう。

長い目で、物事を観るべきだろう。

こうしている間にも、人生の終着点、寿命は一日一日と減って行っているわけであり、どの人でも、現在の人間というのはたいした長くいきられないから。

完璧に感情は悪魔にやられてしまってるから、怒りの感情はすぐ取られるんだろ。

そういうのだから、一般の能力者とか、魔術者、禅定を知らない者は霊の世界にあんまり首をつっこむべきではない。

感情とられてるのに、何をどうするってよ。

真実も見れる状態ではないのに、誰をどこに連れて行くのか。

テロ側のあなたに悪魔に勝つ力はない。


テロにのっとられて、善者に悪行をしているという状態の国であるならば、
やはり、その国が神の国ということもないだろう。

悪魔を波羅える国だな。

神の国。

テロ側の各人は、仏陀と聖者、そして神をあざむけるとでも思っているのか。

土台(仮喩、魂)が腐っていっているのはあなたとその仲間だろう

肉体は回復が早いけれども、肉体よりも精妙な体は、やられてしまうと回復しずらいとされる。

魂まで悪念に執られてしまっているようでは、人という領域をこえて、存在として、危ういんではなかろうか、と。
精妙体をやられると、その傷は一生で済むとかの問題ではなくなる、と。
神秘家の間で言われている話はある。

神秘家は置いておいても、仏陀の教えでも言われている。

娑婆世界の現在の科学で証明できる範囲しか知らないっていうのもまた、視野が狭すぎて、善業という選択肢も生じないのだろうか。

あきらかに悪霊も邪魔してるって教えてあげても、その意味すらも理解できないからな~。
悪魔に引っ張られているのはそっちで間違いないんだよ。

自分達が金のためだとか、自分達の自尊心のためだとか、そういう欲念のために罪のない人に、理由もはなさずに、悪行をして苦しめているという行いで、自分達が善ではなく、悪だというのも理解できないことはないだろう。

自分達が悪霊、悪魔の仲間になっているというのが理解できないのだろうか。

まぁ、もうかなり遠いところまで行ってしまっていて仏陀の言葉も届かないのかもしれないけれども。


以前にも記したけれども、訂正してほしい箇所等があれば、私個人に連絡をくれるとよろしい。
訂正するべきと思ったら訂正をします。

ということで、メールアドレスを復活する。




春 連絡先lapis@sky.hi-ho.ne.jp



HP上でも、更新。



最初の頃からCMとかで叩いている企業とかは、どのような情報でもってそういうことをしていたのか。

連絡をくれないんだろうか。



ア×ヒビールとか、ニッ×ンとか。



ニッ×ンは最初の頃、どうだったか、ちょっと定かではない。最初の頃はCMスポンサーをあんまり気にして見てなかったな。



警察とか行政からの連絡も受け付けます。こちらからもいろいろ聞きたいくらいなので。



ステップ(車)はホン×だ。



ホン×もかなりやってたな。ホン×の悪口なんて言ったこともないのに。



でも、最近のニッ×ンのCMは普通だったかな。
そもそもなんでCMで叩いこうとしているのか。

テロとどういうつながりでそういうことになっているんだ。








連絡がきていない。



テスト送信は送信できている。



hi-hoの連絡先は間違っていない。



う~ん、連絡先は間違ってない。



う~ん、テロ犯人の中枢は人数が少ないかもしれないか。



道連れは人数が多いか。








連絡一切なし。




何。






悪しき者が人身を得ることは難しいということについて

http://charitable.ehoh.net/zinsinwoerukoto.html

http://handshakeh.web.fc2.com/zinsinwoerukoto.html



神の国。

それは自らの内にある、という神秘家もいる。

それも、わからなくはない。




表現。



神の国。

可能か不可能か。

現実として、

可能だろう。



「表現」でまとめると、適切ではないな。

その観方の喩えは、自己を観るというので、

そういう言い方をしても、あてはまる。

とわたしは思う、と。




あてはまるってばあてはまるだろうけれども、国っていうと、領域っていうのでもって、表現としたら、ちょっと限定があるという感じがかかってしまいそうな表現でもある。
限定なしのその場を、国という表現であらわしているのであれば、聖人方の本来の表現みたいな感じがする。

とわたしは思う、と。



要するに、神の国は自らの内にあるという言い方で、その意味するところをわたし個人が受けるならば、「限定なしのその場を、国という表現であらわしている」という観方の意味あいで捉える、と。



メールはハイ・ホーからのお知らせしかきていない。



アドレスは間違ってないんだけどな。



ダイド×か。まったく知らないんだけど。



一体何なんだ。



CM。



連絡もくれずにCMで叩いてくるという。



ダイド×なんてまったく知らないんだけど。



テロの集いが完璧に悪しき者の集まりになってるよ。



完璧というのは、%でいうと、100%



また、ニュースで叩かれてるよ。聖者の教えを紹介して、叩かれるという。

一体何なんだ。



前からこういう感じなんですけれども。

もう3、4年たつのかな。



正確な日付は日記を見ればだいたい書いている、と。



ん、5、6年たつのか。



日本神道の話も、日本神道の人の意見があれば、もちろん聞きます。間違いがあれば、訂正書きをします。



テロのそっちの魔術者は完璧に仏陀と聖者方の道理に反している。
もう100%確定されている。

それについて行っている者も道理に反している行いを現にしている


「比丘たちよ、汝らはいかに思うか。この爪の先の一摘みほどの土と、この大地のそれと、どっちが多いであろうか」

「大徳よ、大地の土のほうが多くして、世尊の爪のさきの一摘みほどの土はすくのうございます。世尊が爪の先に乗せられた一摘みほどの土を、大地のそれに比ぶれば、それを百倍しても及ばず、千倍しても及ばず、百千倍しても及ぶものではございません」

「比丘たちよ、それと同じように、すでに正しい考え方のそなわっている聖なる弟子たちや、このことをはっきりと理解するにいたった人々が、よく滅しつくして、もはやなくなってしまった苦はより多くして、なお残っている苦はごく僅かである。」


 テロ側のあなたはすでに仏陀の教えの反対

 要するに、悪しき者は死後堕処に赴き、

「比丘たちよ、その盲目の亀が、百年に一度だけ海面に浮かんできて、ついに、そのクビキの一つの孔に首を突きこむというのは、比丘たちよ、それは、煉獄に堕ちたる愚かなる者が、ふたたび人身を得るのに比ぶれば、まだ速やかである、とわたしはいう。」

良識があれば、途中で気付けた、気付けると思う。

別にそんなにむずかしい話をしているわけではない。




そんなのは信じたくない。信じられないってくるのだろうか。



 マールンキヤの子よ、『世界は常住であるか、無常であるか、〔また、世界は有限であるか無限であるか、また、生命〈霊魂〉と肉体は同一であるか生命〈霊魂〉と肉体は別であるか、また、人格完成者は死後も存在するか死後は存在しないのか、存在しかつ存在しないのか、〕存在するのでも存在しないのでもないのか、これらのことについて、明確な判断を示してくれなければ、私は世尊のもとで清らかな修行を行うまい』と、このように宣言する者がいたとしよう。その場合に、マールンキヤの子よ、如来はこれらのことについて、明確な判断を示されないのであるから、それらが説かれないうちに彼は死んでしまうであろう。

 それはあたかも、毒を厚く塗りつけた矢で射られた男のようである。彼の友人や親族は、彼のために外科医を呼びよせるだろうが、そのとき、彼が、『この矢を射た人は王族であるか、バラモンであるか、庶民であるか、奴隷であるか、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『この矢を射た人は何という名前で、何という部族の人かわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『この矢を射た人は背が高いか、低いか、それとも中位か、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『この矢を射た人は肌が黒いか黄色か金色か、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『この矢を射た人は、どの村、どの町、どの市に住んでいるのか、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『この矢を射た弓は普通の弓であるか、石弓であるか、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『この矢を放った弦はアッカ草でつくった弦であるか、葦でつくった弦であるか、動物の筋でつくった弦であるか、マルヴァー麻でつくった弦であるか、乳葉樹でつくった弦であるか、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『この矢を射た矢柄はカッチャ葦であるか、ローピマ葦であるか、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』とこのように宣言したとしよう。
 また、『この矢を射た矢柄につけられた羽根は鷲の羽根であるか、あおさぎの羽根であるか、孔雀の羽根であるか、シティラハヌ鳥の羽根であるか、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『私を射た矢柄にまきつけられた筋は、牛の筋であるか、水牛の筋であるか、鹿の筋であるか、猿の筋であるか、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 また、『私を射た矢は普通の矢であるか、尖った矢であるか、鉤矢であるか、鉄矢であるか、子牛の歯でつくった矢であるか、夾竹桃の葉でつくった矢であるか、それがわからないうちは、この矢を抜き取るまい』と、このように宣言したとしよう。
 その場合に、マールンキヤの子よ、彼にはそれらのことが判明しないのであるから、やがて死んでしまうであろう。

 マールンキヤの子よ、これとまったく同様に、『世界は常住であるか、無常であるか、〔また、世界は有限であるか、無限であるか、また、生命〈霊魂〉と肉体は同一であるか、生命〈霊魂〉と肉体は別であるか、また、人格完成者は死後も存在するか、死後は存在しないのか、存在しかつ存在しないのか、〕存在するのでも存在しないのでもないのか、これらのことについて明確な判断を示してくれないなら、私は世尊のもとで清らかな修行を行うまい』と、このように宣言する者がいたとしよう。
その場合に、マールンキヤの子よ、如来はこれらのことについて、明確な判断をしめされないのであるから、それらが説かれないうちに彼は死んでしまうであろう。

 マールンキヤの子よ、世界は常住であるという見解があれば、清らかな修行が実習されるであろう、と考えるのは正しくない。
マールンキヤの子よ、世界は無常であるという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろう、と考えるのも正しくない。
マールンキヤの子よ、世界は常住であるという見解があっても、世界は無常であるという見解があっても、しかもなお、誕生はあり、老いもあり、死もある。また、憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・煩悶もあるのである。
だから、私は、このような現実のただ中において、どうすればそれを打破することができるか知らしめようとしているのである。

 マールンキヤの子よ、世界は有限であるという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろう、と考えるのは正しくない。
マールンキヤの子よ、世界は無限であるという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろう、と考えるのも正しくない。
マールンキヤの子よ、世界は有限であるという見解があっても、世界は無限であるという見解があっても、しかもなお、誕生はあり、老いもあり、死もある。また、憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・煩悶もあるのであるのである。
だから、私は、このような現実のただ中において、どうすればそれを打破することができるかしらしめようとしているのである。

 マールンキヤの子よ、生命〈霊魂〉と肉体は同一であるという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろうと、考えるのは正しくない。
マールンキヤの子よ、生命〈霊魂〉と肉体は別であるという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろう、と考えるのも正しくない。
マールンキヤの子よ、生命〈霊魂〉と肉体は同一であるという見解があっても、生命〈霊魂〉と肉体は別であるという見解があっても、しかもなお、誕生はあり、老いもあり、死もある。また、憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・煩悶もあるのである。
だから、私は、このような現実のただ中において、どうすればそれを打破することができるか知らしめようとしているのである。

 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後も存在するという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろう、と考えるのも正しくない。
マールンキヤの子よ、人格完成者は死後存在しないという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろう、と考えるのも正しくない。
マールンキヤの子よ、人格完成者は死後も存在するという見解があっても、人格完成者は死後存在しないという見解があっても、しかもなお、誕生はあり、老いもあり、死もある。また、憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・煩悶もあるのである。
だから、私は、このような現実のただ中において、どうすればそれを打破することができるか知らしめようとしているのである。

 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後も存在しかつ存在しないという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろう、と考えるのも正しくない。
マールンキヤの子よ、人格完成者は死後も存在するのでも存在しないのでもないという見解があれば、清らかな修行が実修されるであろう、と考えるのも正しくない。
マールンキヤの子よ、人格完成者は死後も存在しかつ存在しないという見解があっても、人格完成者は死後も存在するのでも存在しないのでもないという見解があっても、しかもなお、誕生はあり、老いもあり、死もある。また、憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・煩悶もあるのである。
だから、私は、このような現実のただ中において、どうすればそれを打破することができるか知らしめようとしているのである。

 それゆえに、マールンキヤの子よ、私がここで明確な判断を示さなかったことについては、私が説かなかったこと(無記)として了解しなさい。
また、私が明確な判断を示したことについては、明確な判断だと了解しなさい。

 マールンキヤの子よ、私は何について明確な判断を示さなかったかというと、
 マールンキヤの子よ、世界は常住であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、世界は無常であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、世界は有限であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、世界は無限であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、生命〈霊魂〉と肉体は同一であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、生命〈霊魂〉と肉体は別であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後も存在するという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後存在しないという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後存在しかつ存在しないという見解について、私は明確な判断を示さなかった。
 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後存在するのでも存在しないのでもないという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、それでは、なぜ私がこれらの命題について明確な判断を示さなかったかというと、マールンキヤの子よ、これは目的にかなわず、清らかな修行の基礎とならず、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立たず、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立たないからである。
それゆえ、私はこれらの命題について明確な判断を示さなかったのである。

 マールンキヤの子よ、しからば私は何について明確な判断を示したかというと、マールンキヤの子よ、これは苦であるということについて明確な判断を示し、これは苦の原因であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅に至る実践であるということについて明確な判断を示したのである。

 マールンキヤの子よ、どうして私がこのことについて明確な判断を示したかというと、マールンキヤの子よ、これは目的にかない、清らかな修行の基礎となり、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立ち、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立つからである。
私がこれらの命題について明確な判断を示したのはこのためである。






悪魔と戦って敗れてしまうという話なら勇敢な話として聞くけれども、悪魔と一緒になって聖者に敵対するっていうのはあんまりない話だ。

仏陀の弟子として。

神の子として。

普通の人として。





文字数が多すぎると画面が切り替わるというのは初めて知った。



ネット通信販売のご注文の発送メールが届くので、メールアドレスは間違っていない。
他のメールはきていない。

テロ意味不明。



画面が切り替わらなくなっている。









白分の月は満ちたり





6月23日20時が満月だそうです。



月がとても綺麗に出ていた。



現在は曇り。



月の光に照らされて道がよく見える。

冬は、雪が月の光に照らされて白く輝いてさらにはっきりと見える

歩くのに光があるのとないのとでは全然違う

というのを歩いているので知っている。

そして、空気の澄んだところで見る星空は美しい。






神の国。

これもまた説明をもうちょっと加えないと迷わしめてしまうか、と



人々を大勢救いたい。幸せであるのは善い。幸せであってほしい。

世俗的清浄心の欲求とでもいうのかな。

願い計らい、欲求のあるところに悟りはあるだろうか。

一方、世俗を超越した清浄心でいえば

他の幸せを願う、願い計らい、それは慈悲でもある、と。

神の国。

最初のは、

他の人々の生活、世俗的な一般生存の幸せ、地の事柄を思うていう言葉。

一方。

「神の国は、見られるかたちでくるものではない」

そして、

「神の国はあなたがたのただ中にあるのである」、と。


どれが安らぎというものについての言葉なのであろうか、と。

地の事柄についての幸せ、他者にあってはそのようであるのは善い(善心)。

仏陀も当然、人々の幸せを思っている。

しかし、地についての幸せを真の目標のようにさせる言葉は、

仏陀の教えを伝えるのでも、イエズスの教えでも

適切ではない。

というように、

春はそのように分別をして捉えている、と。


私の話を聞いたことにより勘違いをして聖者方と違う方向に行ってしまわないように。

仏陀はこのように説かれた。

『私は何について明確な判断を示したかというと、
これは苦であるということについて明確な判断を示し、
これは苦の原因であるということについて明確な判断を示し、
これは苦の滅であるということについて明確な判断を示し、
これは苦の滅に至る道であるということについて明確な判断を示したのである』


人々の幸せを思う。

それは、人々の執着・快楽・苦を生じさせるという事柄の思いではない。

それは道。安らぎ・清浄(寂静)・不苦。

仏陀の教えは苦の滅に至る道の教えである、と。




きちんと伝わるべか。







本日は七夕です。



日本の物語では、天の川でおりぼしだったかと、ひこぼしだったかが、
一年に一回であえる日だったというお話があったと思う。



ちょっと検索。



おりひめと彦星だった。



7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。



函館の本日の天気は晴なので、おりひめと彦星は今日一年ぶりに再会できている。ということになる。



泣いてないね。

良かった良かった、と。



wikiより
『地域によっては雨乞いや虫送りの行事と融合したものが見られる。そのほか、北海道では七夕の日に「ローソクもらい(ローソク出せ)」という子供たちの行事が行われたり、仙台などでは七夕の日にそうめんを食べる習慣がある。この理由については、中国の故事に由来する説のほか、麺を糸に見立て、織姫のように機織・裁縫が上手くなることを願うという説がある。』

「ローソク出せ」はないね。

函館では、子どもたちが玄関にきて、
「竹に短冊七夕まつり、おおいに祝おう、ローソク一本頂戴な♪」と歌うと、
ローソクというか御菓子をあげる習慣がある。

 そういうことで、わたしも子どもたちが来たら、お菓子をあげようと思い、うまい棒を大人買してきたのだけれども、今年は子どもがひとりも来なかった。
ここの家の入り口わかりにくというのもある(宅急便の人から入り口がわからないという電話がきたことがある)けれども、函館では最近小学生の生徒の数自体も少ないからね。
少子高齢化を実感するね。



時代なんだよね。




ちょっと話はかわるけれども。



現在から百年後、二百年後には、さらに人数が増えると言われてはいる。

人数が増えるけれども、その時の70億人は現在の人々ではなくて、別の人の70億人。

次から次へと、人間は生まれては亡くなり、生まれては亡くなり。

以前も記したけれども、100年後に新たに大勢70億人うまれ、さらに100年後にはまた70億人いれかわり。

これからどのくらいの存在者が地上に生まれて、そしてまた亡くなっていくのだろう。

 現在も、次に人間として生をうける存在が大勢待機中なんだろうか。

地獄に堕ちた者は、闇から闇へ。永い永い間もどってくることはないとされる。

天からも人々が大勢次々にくる、その天人が善法を望めば、それに伴って善業をなして、また天にもどるのだろう。

自らの望んだとおりに。

愚かな者は悪行の結果を知った上で、信仰なき心により、悪業をなして堕処に赴く。
それは、その者自らが欲求してしまった結果でもある。

聖者方がそっちは行くなって言っても、テロ集団は行ってしまったわけで。

また、それらの結果を知っている人で自らの望むままにさせておく人もいる。

「そのままにさせておけ」

「善行をする人は善行を」と。



「悪行をなしてはならない」

 善処を望む人にとっては、これは、普通だろう。


「悪業をなしてはならない」


 法則がある。

3×4=12

3×8=14余り3


法則を知っていれば、

3×8=24なのである、と。

これはもう決まりごと。


 法則。

知ってる人はこのように教えてくれる。

50+50=100である、と。


それと同じように、知っている人はこのように教えてくれる。

このようにすれば、天を赴くことができる。

このようにすれば、地獄へと堕ちる。

このようにすれば、人としての生を受ける、と。








 他の小乗仏教の国の僧侶の問題に関して

『わたしはこのように聞いた。
あるとき、多くの修行僧が、コーサラ国の雪山の側の森の中の庵に住んでいた。
かれらは、浮わついて、高ぶっていて、ざわざわしていて、おしゃべりで、とりとめのないことを言い、心の落ち着きを失い、気をつけていないで、心が静まらず、心が散乱していて、諸々の感官を欲しいままにしていて、粗野であった。

 そこで〈神の子〉なるジャントゥは、まさにウポーサタの日である第十五日に、諸々の修行僧のいるところに赴いた。
 近づいてから、かれら修行僧に、詩を以て話しかけた。
「ゴータマの弟子であった昔の修行僧たちは、安楽に暮らしていた
 求める心なく食を乞い、求める心なく臥具や座席を乞い、世間においては何ものも無常であることを知って、かれらは苦しみを滅していた。
〔ところが今の修行僧たちは〕村の中で村長が〔税を取り立てる〕ように、みずからを悪人となして、食べては、食べては、横になり、他人の家の富に心奪われている。
 サンガ(修行僧の集い)に合掌をなし、わたしは、ここに或る人々を敬礼する。
 しかし、怠けて暮らしている人々は、捨てられ、導く主も無く、まさに死人のごとくである。
 わたしはまさに、かれらのことを意味して、語ったのである。
 怠らないで努めて暮らしている人々に対しては、わたしは敬礼をなす」 
ジャントゥ 雑阿含




仏陀の弟子が教えを学ぶのは、快楽を貪るために教えを学ぶのではない。

わたしの中でこれは普通。



普通というか、(仏陀の教えにおいて)常識的な教えだけれども、(道理を考えても)当然の事柄である、と。

仏陀の教えを知らずに誤った見解をもって快楽を貪ってしまっている出家修行者が他にもいるのであれば、仏陀の教えを伝えてあげるのは善行。



小乗仏教が迷うているようでは、そうとうに教えが没しているような状況ではあったのだろう。

上座(阿羅訶)部の流れに戻すべし。



仏教をあまり知らない人のために、更に仏教というものを伝えようか、と。

テロ集団がガッツリと見られているんでないの、か。
各々のその行為を。

噓をついて一般の衆生をあざむくことはできても、
浄い方々にその悪心を隠すことはできない。

悪行をしてしまったという恐怖を覆うために、
仏陀の弟子のあらをさがして、なんとか教えが間違っているという確信が欲しいと慌てふためいたところで、仏陀の教えが動ずることはない。

一般の非法はひっくり返るけれども、
真理の法はひっくり返ることはない、と。




真理を観察する妨げ(罪)

http://handshakeh.web.fc2.com/sinriwokansatusurusamatage.html
http://charitable.ehoh.net/sinriwokansatusurusamatage.html








申しわけないです。

ミリンダ王の問いを見直していたら、クマーラカッサパ尊者のお名前を誤っておりました。

訂正させていただきました。



また、やってしまった。



やってしまっていた。



過去無量劫数の長夜に受けた苦

過去経

悪しき者が人身を得ることは難しいということについて

http://charitable.ehoh.net/zinsinwoerukoto.html
http://handshakeh.web.fc2.com/zinsinwoerukoto.html



う~ん、また叩かれている。



見直さなかったからか。



残念。



まぁ、芽はでなかった、と。



法を見ずに、何を見て判断した結果、悪鬼のところへ行ってしまったのか。まったく。
何回も何回も同じことを言っても、芽の出ないのはやっぱ出難いね




だから、間違いがあったら、自分で考えて読み直すとか、または、間
違いがあったら教えて頂戴と以前に記していたはずなんだけど。



故意に間違っていたとか、そういうのでは、ありえないので。



残念。う~ん。



聖者の教えが出ているのに、悪鬼のところへ行くとかっていうのは、後の生(仮喩 魂)とかそういう段階で、今後そちらの道を行ったりきたりする可能性は、教えからしても充分にありえる、というか、堕処をグルグルする存在になるというような教えがあるので、充分に気をつけた方が善いです。
死後の存在はありえると思う人は。

叩いてるのとか見てても、悪霊のさえとほとんどやっていることは同じようなもんだから、死後もさえっていう悪霊と同じような存在になる可能性、または同じよな存在が集まっている境界に赴くというのは可能性としてもありえるだろう。
地獄とかそういうところにくらべたら、まだいいのかもしれないけれども。



畜生の生まれを見たことないのかだろうか。

畜生に生まれたら、常に恐怖がついているんでないのか。
常にまわりを見て警戒をしていないと、暴力等危害を受けるとか、そういうレベルの話ではなくて、他の動物に”パクッ”っと食べられてしまうわけなのだよ。



殺されるっていうか、”食べられる”、だからね。

おそろしい世界だよ。

春は人間で良かったな、と。



ペットの犬とかだったら、日本の街中で首輪をつけてないで、汚い格好してあるいていた日には、保健所に連れて行かれてしまうわけだよ。その後は。

結構危険がいっぱいであったりもする。



のら猫は結構いるね。



せみとかに生まれたら、ミーンミーンって一週間位だからね。

一週間でどれほどのことができるのか。



せみって、土の中で2年とか、10年くらいいるんだったかな。



どれ、検索。



wikiより
日本の場合、成虫が出現するのは主に夏だが、ハルゼミのように春に出現するもの、チョウセンケナガニイニイのように秋に出現するものもいる。温暖化が進む近年では、東京などの都市部や九州などでは、10月に入ってもわずかながらセミが鳴いていることも珍しくなくなった。成虫期間は1-2週間ほどと言われていたが、これは成虫の飼育が困難ですぐ死んでしまうことからきた俗説で、野外では1か月ほどとも言われている

さらに、幼虫として地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)に達し、短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さをも



1週間じゃなかった。



なんと、長い。



ハルゼミっているのをはじめて知った。



1カ月か。

1週間にくらべたら長い。



「短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さをもつ」

さらに、短命ではない、と。



セミって結構、昆虫の中でいいんだね。



なんか、昆虫の中でセミはいい、みたいなことでまとまってしまった。



それはそれで別にいいけれども、そういう話を伝えようとしたのではないのです。



話がそれたのです。



そう、畜生として生まれたら大変だよ、という事柄。



ゴキブリは畜生。



ゴキブリは何億年だか何十憶年だか昔からいるとかいないとか。



そこはどうでもいい。





仏陀の弟子は、解脱か、または、天神か、人間かという話なのに、
畜生霊とか、そういうのが集まってきているテロ側は、人間としての存在になれるか、阿修羅か、畜生か、地獄か。

キリストも狐を狐だと見破っていて、悪魔を悪魔だと知っていた。

なぜに、ここまで説明してもわからないんだろうかな、と。

反キリストの者に、聖人の言葉はあんまり響かない。



死後、堕処に赴くのに他の人をも引っ張っていこうとするんでないって。

一般の人にとってみれば、死後の世界から心霊の世界まで、夢の話みたいなもんなんだから。



そこまであからさまに、悪業をしているのでも、反対のそっち側がはっきりと邪念・悪念・汚念だというのは、完璧にわかるって。



そちら側に正見は、完璧にないから。



仏陀の教えから考えて。



天神は他の天の心を見れる者もいる、仏弟子であった存在も同じく。


一緒になって悪行をしている者もそうだけども、
悪しき業をしてしまった者に関して、
 喩えば、天神の集い、善神の集い、善念の集まり、等々、そういう存在方が、生存時に仏陀の弟子、善人を悪しき念でもって危害を加え続けたという愚行をしていた者と一緒にいたいと思うか、共にいられると思うか、またはそういう境界にそういう愚かな者を呼んだりするだろうか。


善人、善なる存在、善神の集いは愚かな争いを好むだろうか好まないだろうか。


正解は好むわけはない。


啀みあい続けるのと、啀みあうことなく、
楽しくしているのとでは、どちらが心地よいだろうか。




仏陀の弟子の方々(尊者方)に、怒りはない。
怒りはすでに滅している。
仏陀の弟子の集いはそのように、怒りのない方が集まっている。
怒りを排する人が集まっている。

仏陀の弟子の方々に貪りはない。
貪りはすでに滅している。
そのように貪りのない方が集まっている。
貪りを排する人が集まっている。

仏陀の弟子の方々は世の衆生の幸福を思う。
衆生の幸福を思う方が集まっている。
他人の幸福を思う人が集まっている。




で、テロ側はどういう者があつまっているのか。



餓鬼の境涯を入れてなかった。テロ側は餓鬼の境界か、畜生の境界か、地獄か。



しかし、
アタタタタッアタッ、エンター、ポチッっと、いけば、誤字が多い。



ちょっと誤字が多いのだよ。



「餓鬼の境涯を入れてなかった。」って、
これは、誤字ですらないけどね。



とりあえず、気にしないでおこう。



しかし、



長老クマーラカッサパ尊者のお名前を間違えていたとは、
はっきり言ってこれは失礼だわ。




やってしまってたな~



何回か読み直したことがあったはずなんだけども。
なんとも、申し訳がない。



う~ん



文章とかは、本人だけではなくて、他の人にも確認をしてもらうという作業がないと、本人の誤字脱字って、本人は気付きにくいというのもあるんだよね。

ということで、各自で経典の確認作業をしてください。



とりあえず、他の人にもふってみた。



失敗をしたら、何か対策を講じるべきである、と。



どうするかな



きちんと確認をする、とか、確認の回数を増やすとかいうのくらいしか出てこないな。



キーボードは以前に変えたからな~。



キーボードを以前に使っていたものに、戻してみるか。



却下だ。



確認の回数をふやす、ということにしたら、本当に回数を確認しないとダメになるからな~。



自分をしばりたくないのであった。きちんと確認をするようにする、にしとくか。



なお、普段の日記は別にたいしてあれなので、気にしなくていい、と。



甘々な解答になってしまった。



さらにきちんと確認をする(ようにする)。



とりあえず、”確認につぐ確認”というのは、仕事でも重要なのであるが、
自分の日記はね。

しかし、経典の部分は確認だな、と。



「しかし、経典の部分は確認だな」っていうと、なんか違和感があるな。確認はしてないということはないからね。新しいのは。

 基本として、俺の日記よりも経典の部分の方が重要なのです。



間違った箇所の昔のファイル(2004.2.25作成ファイル)を確認したところ、

「大王よ、また、弁舌に巧みな長老パーヤーシ王に「他界」を説いたときに、こう言われました。 ── 」

なんか知らないけれども、昔のファイルも間違えいたらしい。

あとから修正して付け足して、なおかつ、間違えていたらしい。



なんということでしょう。



2004年なら、昔のファイルは、昔のHPで仏教を伝えていたときに使用していたファイルか。
ファイルを公開はしていたんだっけかな。
このファイルを新しいページにコピペをして作成したんだと思う。

違うところのHPなら、参考にならないか。



でも、見出しのページがひっくり返る板よりってなってるから、どうなんだ。



見出しの更新が2008年10月だった。







何!俺がほめた人はテロ集団に叩かれるって。
GL♪Yのをニュースで見てたら、非常に残念だった。

まぁ、(一般の)人間っていうのは、ある意味そういうもんだべな。




GL♪Yの音楽は出勤するときに聞いていたのに。

彼女のモダンとか聞いて、全く意味わかんないんだけど、とか思いつつ



テロ集団のやり方も、だいたい、まぁ、悪業を積む方向に行ってしまっているから、だいたい愚行しかしないっていうのもわかるだろう。



GL♪Yも叩かれてたんだべか。
(昔の歌だけを結構よく聞いていたので、最近の歌が耳にはいったときには非常に残念であった、と)



宇多♪は大丈夫なんだべか。(最近の歌とかは聞いていないが、とりあえず、元気であったら良いと思う。)



(別の話で、最近の歌手は内容の意味もわからずに、こちらに暴言を吐く歌を歌っているのもあるので、ちょっとあれだね、心がイタイっていうのがないことはない。 
 内容がわからないのであれば、動かない方が良いだろう。不善に導かれる者は多い。動くならば、全てにおける善を出しましょう。

 最近、わけのわからない歌を耳にすると、この歌手は歌に心がこもってねぇ~っと、よく思ってしまうことがある。
動揺すらしない。好い歌は、心が動揺する。その心の動揺等が感動というものであり、またはそれらを呼び起こしたりもする。
歌のうまい人の歌を聞いて感動することもあるでしょ。その人の感情なり、心がきちんと伝わるということもある。
その心の動揺、感情の動揺、感動、心地好さ。
人間はそれらを味わいたいと思い、他にも心地良い歌を味わいたいとも思い、また、味わい続けたいとも思う。

まぁ、それらが快楽というものであり、それがまさに、執著のもとでもあったりもする。
ということで、仏陀は教えにも説かれているのであった、と。

その点で、いい曲というものをHPに乗せているところは最初の頃から、私の心に引っかかっているのである。選局している歌の歌詞にも意味は含まれているので、とりあえず、そのままにしているのではあった。どうしようかな、と。)




ほめたらほめたでさわがれるし、
これでは、(善い人々と)仲良くしづらくなってしまう。



文章を修正すると誤字がでるんだよな。



 (犯人であるテロ側の悪しき能力者)の念に、仏陀のことばに対する恐怖心がくっ付いているんでないの。



その者っていうか、その者だけの話ではないのももうわかるだろう。仏陀のことばはテロの仲間として悪業をしている者すべてに関係がある。



根本的に俺は(テロのそのような悪巧みにも、一連のわけのわからないものも)まったく関係ないんだけども。

テロの人達の分かれ道だよな~



修験の聖地の神霊は、フルイにかけられているって言ってったって(能力のある修験者が言っていたと)いうから、まぁ、遠からずだな。



いや、俺のことで言っていたのではないよ。



って、これを真剣に考えてしまうのは、フルイにかかっている人だけだったりして。テロ側はすでに、フルイっていうか、悪業はもうなしてしまっているよ。その悪業の果報は受けるだろう。



でも、俺も悪業を積んでしまわないように気をつけなければならない。さっきのをきちんと直しとこう。



アタタタタッていうのは、ちょっと不真面目な感じだから、削除かな。

タがちょっと多すぎたな。



タを減らしておくか。

イメージとしては、北斗の拳だった。



ちなみに、別に北斗の拳は好きでもなんでもない、と。

小さい頃に
見ていた。




カタタタタタッカタッにするか。カにしたら、タが多くても、キーボードっぽいからいいか。

どうだべ。



そんなのはどうでもいいってか。



また、誤字だよ。



あ、別に闘争心をむき出しにキーボードを打っていたわけではない
セリフだけの部分で、ちょっとおもしろいかな、と。




言い方を修正した部分の誤字。きちんと修正しきれていない、と。



どういう風に修正しているかというと。



カタタタタタッカタッ、エンター、カチッっという感じ。



そういえば、直してなかった。



う~ん、微妙なんだよな。



しかし、微妙なんだよな。



わからないのは知っているけど、そういうことではない。



俺、キーボードを打つのが早すぎるのも誤字のはあるな。



PCの処理能力が足らないのもあるな。







テロ集団がここぞとばかりにでてるな。



だいたいもう決まってんでないの。



悪鬼は、愚か者、悪しき者に訂正。



さっきのは削除しておいた。



これは、間違いない。



ちょっとまてよ、その者のみの念だったもんな。



微妙なんだよな。



そこの微妙はまた違う微妙な意味にとらわれそうだけれども。



全く関係ないとすると間違いって、それもまた、ありえないからな~
「愚か者、悪しき者のところに行ってしまった」と。
(あとから考えて、「さっきのは削除しておいた」の削除をしたところを訂正すれば話がつながるのだろうけれども、削除をしてしまったので、おそらくちょっと意味がわからないと思う)

テロ側は、死後の世界をほとんど捨ててるね。




まぁ、そんなもんだよな。



だらだら~
と、



文章だらだらだな。



テロ集団は(から)これといって、何かしら学び取るようなものもなく。



別におもしろみもなんもない



一般世間とされている日常の、非日常がちょこっとあるだけだから



逆にこっちの知識を教えてあげてるくらいだからな~



その非日常っていうのも、全然あれだからな~



しかし、仏典や聖典に記されている愚かな者たちがこうもわんさか出てくるとは、春は予想をしていなかった。
違う言い方で言えば、予想するほど、別に興味はなかった。

聖者方は、予想通りっぽい感じだな。



その愚かな仲間達は死後にどこにいくのか。

あなたは死後にどこに行きますか、と。



私の死後は、仏典で言えば、眉間からの光は天決定なんだけれども、仏陀から発せられていないんだよね。
でも、仏教を説いているから、そういうこと(関連・関係)だろう
光が来た人は宗教を立ち上げている人が多いみたいだけれども。説いているのは、善だねやっぱり。




天での楽しみ等は、地上の楽しみ等とは比較にならないくらいだという。これも、結構大勢の方々が言っているけれども、はたしてどうなのでしょうか。



私ももう年齢が30を越えてしまったからな~。
日本人の平均寿命でも人生の3分の1くらいすでに過ぎている。
真理を説く以外は、別にたいしたことはしてないな。

たいしたことができる時間というのも、現在の人間にあんまりないか。
それほどたいしたことはできないという人は多い、と。



みれば、そこにある小さな善が、とても大きな善なんだけれども。



(眉間からの光について)これは驕りか。う~ん、気をつけていくけれども。



(自分の話は)まぁ、別にどうでもいい。(驕りの心は気をつける)



CM見たんだけど、ホン×がまたやってんでないの。

テロの人殺し集団には、ホントうんざりするわ。

ホントに愚か者が集まっているからね。



無差別テロ



もうちょっと、泡あれだな。

とりあえず、と。



しかし、クマーラカッサパ尊者のお名前を間違えて、数年たってるからな~。問題があるな。



反省の意味を込めて自らで何かをしとかなきゃダメだな、と。



やってしまってたな~



おおいに反省。



数年も経っているから、何回か読みなおしただろうけれども、そこだけは気付かなかった。
間違え方も問題があるからな~。



とりあえず、気付けて善かったけれども。



ふ~



やってまった。







今日から経典の部分を見直そうと。
日記は昔の日記を読むと、なんだか恥ずかしいので、自分の日記だけれどもあんまり読みたくはない。



今日からって、そんなに多くはないか。



昔の日記は
文章が堅かった
(そして、文章がツタない。自分自身のHPの感想。若い時に(つっちゃん)という人が、春という人の、現在の私のHPを読んでいれば、多くの迷いがすぐに晴れていただろうなと思う。)



「修験道の聖地の神霊は、フルイにかけられているって言ってた」。
ごめん、小っちゃい「っ」はいりません。
意味がかわってしまうからね。



そして、直すと、これは、これで文章の受け取り方で意味が変わってしまうんだよね。



物事を文章で伝えるというのは、なかなか、細かい説明を付けないとわかりにくいのも結構あるね。



その神霊自身がフルイにかけられている〕という、意味ではない、と。
そういう様にとらえるのであれば、「言ってった」の方が意味としては間違いではないね



文章の前後の流れでわかるのはわかるか。



読み直したら、これだと読んでいる側に気持ちが伝わらないだろうというのが結構あるんだよね。



その人の気持ちが読み手側になければ、その人の発した言葉の意味するところを、読み手側が受け取れない。というのもあるだろう
本人の感情とか考え方・経験から推測・思考する範疇にその気持ちがあれば、受け取ることはできる、と。

喩えば、悪行をなしている者に聖者方のやすらぎは理解できない。
その時点において。

また、喩えば、重い病気を患った人が、その病気を克服した後に、同じ病気で悩んでいる人を救おうとする心は、その病気の辛い経験・その時の感情をも知っていて(見ていて)、同じ苦しみ・辛さを味わっている人の苦しみ・辛さが理解できるので、その苦しみ・辛さから救ってあげたという善心。
自分も苦しい時に助けてもらった、その時は本当に嬉しかった。と
そのように、その人の中で、その苦しみを受けている人の心を推測・思うことはできる、と。




その苦というものを観ないと、それを観ていない人には理解できない心というのはある。



って、そういうのでなくて、あそこに説明をくわえようとしていたのだった。



これだ。「ちょっとまてよ、その者のみの念だったもんな。」
一応、その者のみの念で考えていた、と。

(細かーく言うと、要するに、悪鬼という表現は、悪しき霊も含めて考えたら、ほとんどあっていると思ったとしても(言語としての意味(仏教辞典)ではその表現でも間違いではない。)、が、その者自身だけで考えるのであれば、その者自身は鬼でなくて人というように返答が返ってきたら、間違いであるので、訂正。その者の目は三つ、能力を使ってみるときにもう一つ開けて見るという話。詐欺士である邪な能力者が、その者のその邪眼は一度(完全にだったか)開いたらもう閉じることはない、という話をしていたので、あまり能力を使わないようにしたほうがよいというそういう話をその者とした記憶はある。その者の透視能力と他心通は知っているが、その者のところの小さい頃から身体を独占していた内の一匹である悪霊が他人を苦しめている、そしてその説明連絡すらもないというのからもわかるとおり、その者自身は善性からは遠いだろう、と。)
〔ちなみに、「我国の伊弉(奘)諾は伊舎那天なり。(神皇正統記)三目にして髑髏を瓔珞を頂く。」佛教辞典より
伊舎那はシヴァ神の異名でもある、シヴァはリンガ崇拝の三目族。を記したときは、これは、日本神道の関係者(主に能力者)が意識に上って、
その憑依されている者の三つ目というのはほんの少しも意識して書いていない。
そして、当然ですが、聖者方の天眼と、憑依される者の邪眼は、言うまでもなく全然異なっています。〕

 その者のみの念でも考えていた、というのは、書き込んだときの直の念がその者のみ念で、その者の悪行は悪霊の悪行と一緒になってやっているので、後から、その者とそちらの仲間側を含んで悪しき側というように捉えた考え方になっていたので、「ちょっとまてよ、その者のみの(という私の)念だったもんな。」と。


「悪鬼は、愚か者、悪しき者に訂正。

これは、間違いない。
ちょっとまてよ、その者のみの念だったもんな。」
という感じ、

そして、悪しき側が「愚かな者、悪しき者」というのは間違いではないので、
。「これは、間違いない。」と。

だから、「これは、間違いない」っていうのは、
最初とは多少違う観点の確定的答えが出来上がってしまっているということではある。

「ちょっとまてよ、(最初の念は)その者のみの(という私の)念だったもんな。」
そして、「一応、(最初の念は)その者のみの念で(も)考えていた」と。

う~ん、なんだかごっちゃになってるね。
思い出して、だいたいこういう感じ。

 私の思っていたことと心の動きはそういう感じであった、と。伝わるべかな。)




って、その説明はいるのかっていうのもなきにしもあらずだろうけれども、心というものの微妙なところだね。



(心の微妙なところっていうのは)
禅定で出るからね
(私の記憶を少し探るだけでも、心の微妙な念というものも記憶としてよみがえるものである。)


私(春)の禅定ででる、っていう主旨で話をしているのではない。

(テロメンバーの各々の悪行は禅定で出る。そして、その悪業は天の存在にも見られる、その悪業を隠すことはできない。)






間違いの箇所があるわ‥。
間違いの箇所は訂正しておくので、各自で参照しておいてください



一ページ目から間違っているんだもの。

びっくりした。

申し訳ないです。



一ページ目を修正、そして、更新。

人生とは何か





そういえば、今日も仕事場でテロの悪語をあびせられまくりだったよ。

ホントにテロは気持ち悪い。

更に通りすがりの子供等々にまで悪語を発せさせるという気持ちの悪い工作作業。
テログループのそういう悪作は別に今にはじまった事柄ではないけれども。



だって、やってる本人たちが「間違いなく、こっちがテロ側だ」って、本人たちが言っているんだもの。

そりゃ、そーだろっ、と。
俺は思い。

そういう感じです。





他にも間違いがあれば、直しておきます。

またまた、見逃しがあれば、

読み手側で正しい、または、善い解釈をしておいてください。

気付けたら直しておきます。



別に大事な箇所でもない細かいところは気にしなくていいです。

私はあんまり気にしないので。








今日は朝から考えていた。



国訳と多少違うからな、と。

さて、どうするかな、と。



私本人だけが読む分では、全然問題ないんだけどね。



そういえば、俺がほめた人が叩かれるとかって、仏陀・法・僧伽を敬う、褒め称える、キリストさん、クリシュナムルティさんを褒め称えるとかっていうのは、どうなんだろうか、と。
聖者・聖人方をほめたたえているけれども。



でも、最初から法が善いって言ってた人って、この人は善い人だと他の人に思われている人も少なくないように見えるけれども。



最初から法が善いっていう人は、そんな大勢もいないだろうな。だいたい途中でコロコロかわるのが多いからね。

法を見ずに、どちらにつけば優勢かっていう判断で見てる人がいる、と。
それもまた、正見を理解はできていない、と。



喩えば、悪法が蔓延っている時代。世界の衆生の考え方はどちらが優勢だったのだろうか、

法か、非法か。

善念か悪念か。

聖者・聖人方は悪法が現在よりも蔓延っている時代に各々、自らで善を見ていた。

すごいね。



 テロ側は、大勢を自らの流れに巻き込もうとして、流れをつくる側だという感じを持っているのもいるのかもしれないけれども、そのテロ集団の各々、そのメンバー各自で見れば、善・法・真理というものを見ることもなく、そのように単に優勢なところにつくという流されやすさがあるというのであれば、結局は他にすでにあった流れに流されているというのに過ぎない。また、たとえば、それは、自らで作った流れだと思っているけれども、それは、他にあった流れを自らの流れだと思っているのに過ぎない。

 集団意識はあなたの自己ではない。


 悪念だらけの時代に、イエズスは一人で善を歩いて、善の流れを成した。他の人が眠っていても、一人で歩いていた。

 仏陀、仏弟子も一人で歩いていた。


 聖者・聖人方はどちらが優勢なのかという勢力を見るのではなくて、

ただ、その善、その真理を見て歩いていた、と。


 流されやすい者達が、世界を変えようとしても、結局は他の流れに流されて、世界はおろか、自らをも変えることはできない。


 法はすごい、法はいい、と言ってはいるけれども、何か事があれば、非法へ行く。
 そして、また他の人たちが”法が善い”と言い始めて、その声をたくさん聞くようになると、また、自らも法はすごい、法はいい、と言い始める。


 このようにコロコロする人をも、沢山見せられたけれども、


 要するに、

 聖者・聖人方は、一般の衆生のようにコロコロすることなく、善・法・真理を見て、

 善・法・真理を一人で歩いていた、と。


 あなたの心はどうですか。

 あなたが聖者・聖人から受けた善の種は、あなたの中でどのくらい育ちましたか。







 叩きは別に俺がほめてない人も叩かれているのは見るからね。
俺と全く関係ない人が叩かれているのもある。

しかし、そういうのもあれだけれども、
現在のテロのようなのを見せられていると、公共の電波を、その集団のお金持ち集団などに私物かされているようなものだろう。

そういうのは問題があるのではないだろうか。

電波の周波数帯っていうのも、限られているわけなんでしょ。

だとすれば、そういうテロ行為をするのに利用、独占されてしまうのは普通に考えて問題があるだろう。

と、思ってみた。




電波のは詳しく知らないんだけど。

どれ、検索。



国同士間とかの仲の善さとかも、メディアを上手に使えばあんまりいがみ合わなくなるということも可能だろうけれども、現在のメディアは仲違いさせようとするところとかは、全く善くないね。



我が国の電波の使用状況(整理基準)
(1) 本資料は、電波法において「電波」と定義されている3000GHz以下の電波について、我が国における周波数帯ごとの使用状況を図示したものです。
(2) 各周波数帯において複数の用途がある場合は、代表的なものを記載しています。また、多段になっているものは、それらの用途で周波数を共用していることを示
しています.
(3) 白抜きとなっている周波数帯において記載されている用途は、現在割当てはないものの、無線通信規則又は周波数割当計画において特定されているもの、ある
いは将来割り当てることを予定しているものを示しています。
(4) 用途の記載のない周波数帯においても、実験局等の個別の無線局への周波数の割当てがあることがあります。
(5) なお、周波数の割当てに関して総務省が法令に基づき作成して公開している資料は、以下のとおりです。




周波数帯ごとに使用が割り当てられている。



デジタル放送になったけれども、電波でデジタル信号を送っているので、その限られた範囲の周波数を使用してのせているということでいいのかな。



それで、アンテナで受信して、デジタルチューナーでデジタル信号を読み取り・変換して映像として映る、と。



国の法律で、罵詈雑言、テロを助長するような事柄に、公共の電波をしようしてはいけません。というような規制を設けてないんだろうか。



テロ対策が甘々なんでないの。



日本だけでなくて、他の国のメディアも同じ感じなのかな。





恐怖心というものに関して。

強く頼りがありそうなよるべを求めてしまっているのもあり、

誰々がいなくなったあとが怖い等、思ったりもする人もいる、と。

 まぁ、でもテロをしている方もテロをされている方もどちらも迷ってしまっているのは、みんな同じだからな~。

 喩えば、一般の人はテロにおびえ。テロ側は、裏側の強大っぽくみえる闇の力の支配者達におびえ、強大っぽくみえる闇の力の支配者達は、闇の能力者等・魔術者におびえる。

 闇の能力者等・魔術者にとって、仏陀のことばで護られている人を操るのは難しい。
 しかし、聖者のことばで護られていない人等、テロ側を操るのは、そんなに難しいことではない、と。

 しかし、テロ側の能力者等・魔術者はすでに悪業をしてしまったので、仏陀のことばにおびえる。

 悪業の果報は受けなければならない。



 
世間一般で言うと、
 喩えば、一般の人はテロにおびえ。テロ側は、裏側の強大っぽくみえる闇の力の支配者達におびる。強大っぽくみえる闇の支配者達はその地位・権力・名誉等を失うことにおびえる。




 
世間の人間のそういうところは、ず~っと変わらないのだろうか

 権力争い。



 
帝尭。帝舜。禅譲によって帝位継承がなされた理想の聖天子の時代
禹王。黄河の治水に大功あり、舜より帝位を禅譲され、夏を建国。



とされる。



これは



日本ではなかったりもする。



中国だね。その後、世襲で帝位継承か。



その後、『禹の家族は永久に部族連合の管理権を持ち続けようとした』ということだそうです。

 権力をもち続けたいという欲。

 仏陀の教えにある継承の話は、譲った後に出家をするという話。
違いは何なのだろうか、と。





報道ステーションを見ていた。



あの人、またやってんだけど。



あの人の宗教は何だろう。



わかりやすいテロ側ではある。



心に偽りをもっている。

それは清浄ではない。



私が、無理くりに泡を出そうとしているのでもない。



あの人って、*バマさん。まったく。(今回もまたそうだけれども、私はこの人の悪口とかそういうのは言っていない。真実は述べるけれども、悪口を言った記憶はない。)



*バマさんでなくて、総じて、テロ側は魔術者の愚かな低級魔術にのせられて、現在もまだ離れられないらしい。そっちの道に乗ってしまっているからね~。しかも、一緒になって悪業をしてしまっているわけで。

聖者・聖人のことばを受けとるという事柄自体が、難しくなっていっているのもあるのだろう。

畜生霊とか、そういうのが、前から集まってきているからね。
そういう方向をとって行ってしまう集団になってきているわけだよね。



本人達はそういうのに気付いてはいない、と。

あなた方の行いは、聖者方と反対です。

普通に、礼儀もないからね。






8月4日

それが、魔術だろ、と。



意味をわかってないね。



私は若い頃からすでに原始仏法に縁があるよ。魔術者は関係がないよ、と。



意味をわかってないんだよな~



 魔、悪魔、魔王。
 欲界を支配する第六天の魔王。転じて煩悩。成道の妨げとなる一切の障り。殺す者の意。生命を奪い、善事を妨げる者。
と、されているが、

 魔王波旬は、煩悩を生ぜしめて、解脱の道から梵界の道へとむかわせようとする。
 そして、以前記したけれども、魔王は過去世において、善業をなしたその宿業によって、その地位にいる、と。


 で、テロ側の能力者は、梵界へとむかわせるということでもなく、ただ単に、魔側の障害として、清浄な道に進む人を亡き者にしようとしているというのにすぎない。

 魔王と畜生霊とか、そういう区別もまた、意味がわかっているのだろうか。


あなた方の行いは、自らが堕処に赴く悪業でしかない。


 畜生霊につかれて一緒になって悪行をしていると、そのとおり、その悪業によって、堕処、または地獄に赴く。

 言っているが意味わかるだろうか。

 それが、テロ側の畜生霊の仲間達である、と。


天魔ではなくて、行いは畜生霊とかそっちのたぐいですよ、と。

普通に考えたらわかると思うけれども。

 わかっていなかったのならば、心を改めた方が善いだろう。




 でもね~、ある程度知れば、普通に自らで気付くと思うよ。

悪業は、聖者でも受けてしまうのに、魔側、魔王がそれを受けないという道理もないからね。



その気付きが、畜生霊等に憑かれている仲間達には難しい、と。

あなた方、禅定をした方が善いよ。



邪定ではなくて。



物事を知らなすぎだ。

テロ側の者とその仲間達が悪魔に勝てる理由はない。



だからして、あなた方は操られている側であるって、以前から記してあげているのに、
気付かないんだろうか。
しかも、もうすでに悪業をなしている。
言っている意味が理解できるか。


仏陀の教えは全ての存在に善である、っていう意味も理解できていないのだろう。


魔術・妖術・幻術に関して

 幻術

 あるとき尊師はサーヴァッティー市のうちのジェータ林にとどまっておられた。

 尊師は次のように言われた、
「修行僧たちよ、昔、阿修羅の主であるヴェーパチッティは、病いにかかり、苦しみ、病患が激しかった。
 そのとき、神々の主であるサッカは、病気を見舞うために阿修羅の主ヴェーパチッティのところに赴いた。

 ときに、阿修羅の主であるヴェーパチッティは、神々の主サッカが遠くからやってくるを見た。見てからあとで、神々の主サッカに次のように言った。
「神々の主よ、私の病いを癒してくれ。」

 サッカいわく、
「ヴェーパチッティよ。サンバラの幻術をわれに知らせよ。」

「ではまず諸々の阿修羅に尋ねて話をつけましょう」

 そこで阿修羅の主ヴェーパチッティは、諸々の阿修羅に尋ねて打ち合わせた。
「私は神々の主サッカに、サンバラの幻術を教えてよいのだろうか」と。

 諸々の阿修羅いわく、
「あなたは、神々の主サッカにサンバラの幻術を知らせてはなりませぬ」

 そこで阿修羅の主ヴェーパチッティは、神々の主サッカに詩を以て語りかけた、
「マガヴァーよ。サッカよ。神々の王よ。スジャー妃の夫よ。
 幻術も、恐ろしい地獄に近づく。そのためにサンバラは百年も地獄に堕ちたのだ。

 説明文
 〔後代のタントラ教および真言密教ではサンバラは重要な神的存在となった。〕
 〔人間界の百年と、天界の百年は、長さが異なる。〕





8月7日

日付は、アクティビティでちょっとわかりにくかったので、後々でも問題ないだろう、と思っているのであるけれども。



アクティビティログで見れば、わかるね。



コピーしたとき、日付がなんかずれたような、ちょっとわからなかったので。



 
さて、経典を



如是我聞 わたくしはこのように聞いた。



これをちょっと考えていて、先にすすまないのであった。



わたくしはこのように聞きました。



このようにわたくしは聞きました。



このようにわたくしは聞かせていただきました。



かくの如く我聞きたまひき



このように聞かせていただきました



かくの如く聞けり



このように聞いた。



このように(私は)聞いた。



このように(私は)聞きました。


わたくしが聞いたところによると



このように(私は)聞いている。



このように(私は)聞きました。



マハー・カッサパ尊者はラージャグリハ内の七葉窟に五○○人の比丘を集めて、そこで、長年侍者として釈尊に従っていたアーナンダ尊者が釈尊の教法を、そして持律第一といわれるウパーリ尊者が律を誦出したという。
(如是我聞)という出しで、自らの記憶から釈尊の教えを朗唱する。これを他の者が聞いて訂正すべきところは正し、そののち、一同がこれを合誦した。これはかく改訂され決定された教えを最終的に確認して、同時にそれぞれが記憶するためのものであった。




表現の違い。



これが、普通かな。



普通というか、他のでも意味はほぼ同じなので、はっきり言ってそれほど変わらないけどね。

要するに、あまり気にしなくてよいところなのか、と。




あまり気にしなくても大きな問題はないね、というところか。

このように、あまり気にしなくてもいいところを気にしてしまった結果、一日が過ぎていってしまったのであった。




リラックス。ゆったりとした時が流れている。



日記の日付を先にいれた方がよかったのだろうか、と思いつつ。

本日は睡眠をするのであった。






8月8日

「修験道の聖地の神霊は、フルイにかけられているって言ってた」を今、読んだら、「言ってった」でも、受け取り方によったら意味はたいした変わらないね、と。



前後が必要か。
聞いた話は前後がきちんとあったので、その神霊がフルイにかけられているという意味ではない、と。




前後の流れで、意味は「言ってった」のところの文章の流れの部分だと、きちんとした意味で受け取られる方が強いかな。



細い。

そして、このように、あまり気にしなくてもいいところを気にしてしまった結果、一日がどうとかこうとか。




答えがはっきりしているので、一日を費やして考える必要もとくになく。



ホッと、ひと息。

休憩。





波動ね。ちょっと思った。



う~ん、どういう風に言えば伝わるのだろうか。



感情のゆらぎ、想念のゆらぎ、精神のゆらぎ。
理解しやすいだろうか。
そのように言われている事柄。




そういう観点から見ても、
やっぱり仏陀の教えと仏弟子の方々は
やっぱりかなりすごい、と。






8月9日(2013年)

そっちのが、なんたかんた邪の道に普通の人を引っ張って道連れにしようとしている。



その行いはまた、善ではない。



う~ん、善に行けない無力感的な。

そういう念をおくっているのか。

はたまた、隠せないのか。




昨日は、8月8日、午前中で現場の作業は終了。

本日は、大雨により、現場の作業は中止。

今日はかなり雨がつよかった。



雨は現在晴れている。



テロ側の悪行は~、悪魔のかもと言えるだろう。



目~を~さ~ま~したほうが善いよ。と

われ思ふ。




他の人を、邪な道に誘っている。
悪語を言わせて悪業をつくらせ、とりあえず、その邪な道に乗せる、という手口。

現在のその生存をおえて、時を経て、また後の生があるのであれば、そのように邪な道に誘ったものは、自ら善に目覚めた人生を送っているときに、同じように、邪な道に誘われて乗ってしまうというのが業の返りとなる、単純に考えたら。実際はもっといろいろ変化があるのやもしれないけれども。

私は、善の心を生じさせて、善の道に乗ったほうが善いよ、と聖者の道に導く。善の道に乗る人は乗る。



善、真理への誘いがたくさんあれば、人間としての存在のときでも、天等の存在のときでも、またさらに、天に導かれているようなものだろう。




悪、悪法への誘いがたくさんあれば、人間としての存在のときでも、餓鬼、畜生等の存在のときでも、またさらに、堕処・地獄へ導かれているようなものだろう。



このようにして、愚かなる者は、堕処をグルグルと輪廻してしまうのである、と。

要するに、以前あげたのはそのような教え。




悪しき者と友となれば、乗せられて悪行をするような心に近づいていってしまい悪行をしてしまう。

善なる者と友となれば、悪業をなしている者は止めさせようとして、その者、自らに、善業をなさせようとする。




天神と悪魔。

さて、悪魔ならば、下の二つの行動のどちらを選択させるだろうか

もし、天神であれば、下の二つの行動のどちらを選択させるようにするだろうか。




ちなみに、聖典等の教えから見て、「しね」等の悪語で人を苦しめる霊的存在は善・天神ではない。





8月15日

暑い日が続いている。



修正は、おもいっきり間違っているというところはおそらくないだろうから、いそがなくても別に問題ないだろう、という認識でいる



なんかせかせかしているのが騒いでいるような感じがしなくもない



せかせかしているのは何かがあるのか。



経典を拝読して、伝え方を考える。

伝え方によっては読み手側の受け取り方が大きく変わってしまうのがあるだろうから。




例えば、一(春)のHPで仏教を知った人と、
仏教というものをこのHP以外で知った人。

例えば、春のHPでイエズスの言葉を知った人、
キリスト教というものをこのHP以外で知った人。

このHPで宗教というものを知った人と、
このHP以外で宗教というものを知った人は、
宗教にたいする認識、受け取り方が大いに異なっているという人もいるでしょう。

 それは、その宗教(真理)、仏教というものを伝える人の伝え方によって、その人の宗教という認識、受け取り方も変わってしまうということでもあり、すでに、受け取っている人、受け取りつつある人の宗教に対する認識はすでにかわりつつあるということでもある。

 ということで、伝え方を考慮しているのであった。



内容を理解しやすく直していこうと思っていたけれども、読みだけをとりあえず、見直した方がよろしいのでしょうか、と。

とりあえず、そういうようにするかな。



ちなみに、HPの教えに関してせかせか騒がせたりしている嫌がらせとかは、当然のことながら迷惑でしかない。
そういうのは全く必要がない。




仏陀の弟子が過ちをしていたりすると、梵天や天神が声をかけて本人に気付かせるという話はある。

梵天や天神が(は)嫌がらせをして、本人に何々をさせるとかいう話ではない。

そのような方々が、善なる存在。



みごとに説かれたことを見て。

自分で引いたわ。
間違えているわ。
こんなに間違っているなんて。


(いろんな意味で)ありえねぇと思う。
これは、他に読む人も~…、ありえねぇと思うところだろう。と思うわ。

ホントにこれは最初から間違っていたのか。

2004/2/2の昔のファイルでは間違っていない。
それをコピーしたのであれば、
「みごとに説かれたことばのみを語らず」などというのは、ありえないんだけれども。
なぜに、こういう逆説の間違いがあるのだろうか、と。

クマーラ・カッサパ尊者の間違いといい。
これは、う~ん。
ホントにこんなに間違っていたんだべか。




確認をして、昔のファイルに抜け文字が2箇所あった。




う~ん、こんなに間違えているとは~



はっきり言って気付かなんだ。



プロパティによると、HPの昔のファイルの更新日時2009/6/6(更新日時の方がなぜか早い)、作成日時2009/8/28となっているので、その頃からすでに間違えていたというので、その後確認はしていないということになり、

この調子でいけば、修正箇所はまだありそう、ということにもなり
春のテンションはガッツリとは下がった。







間違いすぎている。

は~…




とりあえず、見直しをして修正をしていくか、と。





8月18日

なんだか、目がやっぱりすごいということになっている。

美しすぎるね、これは、と。




しょうがないから、記しておこうと思うのであるが、

故意ではない。

そういうところがあっているとすごい、と自分で思う。

樹。



やっぱり俺はどうかんがえても聖者側なんだな、これが。

教えを間違えて教えてしまうとしても、そういうことなんだわ。

善行が報われているということだろう。




喩えが美しいことになってるもんな。

すごい。綺麗だな、と。




意味がわからない人は自画自賛かと思うかもしれないけれども、

私自身の喩えの事柄ではないよ。




聖者、聖人は 法 を見る。

法 を見る人は、仏陀を見る。
仏陀を見る人は、法 を見る。




う~ん、



ということは、やっぱりテロ側の仲間達だろうな。

もう悪業してるし、すでに、悪業の果報は大変最悪なものということになるな。



畜生霊と一緒になって、聖者方に敵対しているんだもんな。

そりゃあ、普通に考えても、最初からないわな。




喩えは俺の中だけの受け取り方か。



いや、しかし、その喩えは俺に言っている言葉ではない、と。



どうやってその元の主人のところへ、こう導いてあげるか、ということを昔から思案しているのであった。



仏陀の弟子が、仏陀の元にくるというのは普通の話。



仏陀の弟子が、仏陀の元にくるというのは当然の話。



ありゃま~。(テロ側が)ない。ってよ~



いやいや、おまえらの悪行がないよ。



と、仏陀が教えで言っております。



イエズスも教えで言っております、と。



怖がっているのは、悪行をしたテロ集団の個人だけか。



今日もCMで叩かれてたよ。

今日は×ーザイがやってた。




さっきだよ。さっき。



え~、ちがうよ~



悪行をしていないと、聖者のことばにたいする恐怖はないって。

悪行をしたのは、おまえたち自身でやったんだろう。




29度でも暑いわ。

扇風機のスイッチを入れた。




これでも、北海道はやっぱり涼しい方なんだよね。



東京とかの人たちよく住んでられるよな、と。



慣れか。



京都の方とか昔行ったときジメっとしてたな。

暑さの湿度が、なんかジメっと。




現在の東京の気温を見たら、

29℃



(家と)同じだった。



東京とかの人たちは、そりゃ、住んでられるわ。



と、いう結論にいたったのであった。



今日もまた、よくわからない結論を出してしまった。



東京の方は暑いんじゃなかったのか。

う~ん




東京は北海道より暑いとずっと思っていたけれども、

そうでもなかったのか。



天気予報で函館26℃だった。

春の家、29℃。




やっぱり東京は暑かった。



と、いうことでやっぱり東京は暑いという結論が出たのであった。



東京の方で、外を普通に歩いているだけで汗がダラダラ出てきたからね。

サウナみたいなもんだと思っていた。

北海道で育った春からみると。



春、春、春か。




自分のことを春と書くのと、私とかくのと微妙な違いは。あたくしにしたら、どうだ。



北海道で育ったあたくしからみると。



(・・・省略・・・)




今日は日曜なのに、仕事で今日も雨が降っていた。



疲れて帰ってきて、CM見て叩かれていて、それから休憩して、
テロの集いのを書いて、思ったことを書いて、22時47分。




そういう日常。



原始仏典は開いたままである。



今日はちょっと休憩。



昔、若い頃、重機に乗って仕事をしていたことがあるけれども、一日中、仏陀の教えを考えていた時期があったよ。
頭から離れなかったんだな、これが。




無常。

苦。

無我。

空。




空とは何か。

毎日、謎解き。




本を読んでも書いてない。

みんな色々すきなこと言っているし、

霊的な本を読めば、また別世界のような話をしているし。



そういうのを、毎日考えてて、

多分これは他の人があまりわかっていない、という解明もあったな




『例えば、無で説明しますと、
仏教より他の宗教等でよく見られるのですが、
何故か、無というのを嫌がっているというか、避けているというか
表面だけしか見ていないので、そうならざるを得ないのかもしれませんが、

ちょっと、考えてみてください。

え~と、あなたは無というものをどのような感じであると思いますか。

無だから、何も無い。

正解です。

(もう少し付け加えると、何も無いというのも無い。)

では、その無に関して、嫌な感じがある、または、ちょっと暗いイメージや
恐怖感があるなんて人はいるでしょうか。

まぁ、結構いるんでしょうが、

それです。

その嫌な感じ及び、暗いイメージ、及び無に関する恐怖感。
そのような恐怖感などの認識があること自体がすでに無というものを
理解できていないという事です。
それは、現在の生活状況から見て、何もなくなるというような比較対照から
くる恐怖感でしょうか、又は、虚無感でしょうか。
その虚無感ですら、その虚無感があること事態、無ではありえないわけです。

わかりますか。




光が来たときは、すでにこれを(このように)理解していた。



 小さい頃は、心霊現象とかのテレビを結構見ていて、ギボ愛子さんのを見てたな。
ご供養は大切だというのを言ってたんだっけか。
不成仏霊を供養して、成仏させるという。

 一般の霊能力者でいう表現で、成仏させるというのは、
霊が地に縛りつけられている・縛りついている原因(悪念、害念、無念等)をきれいにして、
地の縛り、何らかに対する依存等から解放して、その霊体が本来いくべきはずところに帰すというような意味あいが多い。

念。

 昔から語られている話で、怨念が祟りをなす、とか
そういう霊とか、死後の世界とかっていうのは、
昔も現在もそうだけれども、

そういう、念(清浄な念)、ていうのも重要。




いまさらだけどね。



普段どのような念でいるか、というのも重要なのである、と。

そういうような教えもあると。機会があれば。




さて。





8月24日

どうしてあげたらいいか、を考えていた。



してあげられることと言えば




う~ん



事情を知らないので、あんまりない。



う~ん



日記の影響。

私の日記に真実、事実が記されている。
私は日記に真理、真実、事実を記している。
たまに、間違いがあったりもする。



個人的な事柄等で、修正を要望するところや、それはこうでこうだから間違いだ、とかいうのがあれば、修正するのであるが。逆に間違いとかあったら、修正していきたいんだけども。


善人、悪事をしていない人・存在が、日記により何かしらの影響がおよんでしまって、困っていれば、どうしてあげるのが善いのだろうか、と。
ただ、本人自らが悪事をしてしまっていたら、それは、また違う。

そこにテロ集団の不善行の集まりが絡まなければ、それほど困るであろう内容は日記に記されてはいないだろう。

騒ぎの悪行の根元はテロ集団とその仲間達。

テロ集団のその組織自体の悪行が、すでに聖者方に予見されていたのかな、と。

聖者方と真理に敵対する存在は、人間としてもそれほど多くはいないと思うよ。

聖者方の教えから考えると、
”さえ”という悪霊もそうだが、あなた方、真理に敵対するテロの集いの各人はこれから永い永い間に苦しみ受けてしまう道にすでに入ってしまっているところ。
その悪業に(仮喩)あなたの魂が乗っかってしまっている。

そのような悪行は魂をかけてまでやることではないからね。

私自身が苦しみを受けるのは、この生を終えるまで、長くてあと100年位とか、短くてあと2、3秒とかかな。

さとりを得なければ、その後はまた、その時の存在としての苦は受けてしまう。

悪しき者は地獄に堕ちて永い永い間苦しみを受ける。

地獄などという境地、そんなものはあるかどうかはわからない、と。

睡眠中の夢の世界のすぐに移り変わるわけのわからない世界、そこにいるあなたはその時点において、そのわけのわからない世界で一喜一憂している。そのように夢のわけのわからない世界ですら苦というものは受ける。
そのようなわけのわからない世界・境地ですらあなたの意識はあなたであり、苦を受けて苦しむのもあなた自心であり、楽をうけて楽しむのもあなた自心であるその境地のあなた。
そういうわけのわからない世界、境地はそこにもある。

これも前述。

善なる術は、人々を法・真理、そして安らぎ・苦の消滅へと導く。




仏陀の教えを繰り返し繰り返し見聞きしていると、善心の人は増えていくだろう。



インターネットの整備が整ってないのが問題あるだろうな、と。



整備ではなくて、



インターネットの道徳規則が整ってないのが問題あるだろうな、と





8月27日

23時20分頃、仕事から帰宅。





8月29日

昨日と今日は、5時くらいで仕事上がって帰宅。



本日、買い物へ行ってきたら、店の有線放送でいつものごとく気持ちの悪い歌がかかっていた。あれ、ホントに気持ちわるいよな。
あれは愚かな者の側以外にないわ。
俺の名前も歌詞に入っていた。

どうみても、おろかな集団の行いは愚かだ。
どういう育てられ方、教育をうけてあぁいう風になるのか。

その人物の親の責任でもあるのだろう。
道徳教育がほとんどその者の身につくことはなかった、と。

みなさい、あの愚かなテロ集団の行いを。

あなたの子供が、あのような行いをしてしまっているのです、と。




テロ集団とその仲間達。

聖者の教えでいっても、あなたは親不孝者である、と。




そのテロメンバーの親の教育が、

中身の優しさとか、人のあたたかさとか、ありがたみ、とか
そういう事柄を教えたりしなかったのだろうか、と。




ガリ勉ばっかりさせて、内面が、テロか。

勉強できるのはすばらしいことだけれども、
偏りすぎるのも、テロのメンバーのようになってしまうのであれば
問題があるね。




有線放送は、おそらく有線放送。
この地域のラジオのFMとか、AMではない。




イチジクの木の件だろう。

あんまり、とやかくいわれるのであれば、喩えが素晴らしいと、称讃、べた誉めした箇所を削除した方がいいのだろうか、と。

なんだか、あ~だこ~だ、と。

あんまり変に(余計に)気にしなくてもいい。

人によって受け取り方はさまざまだろうから。

要は誰が言ったかとか、そういうのは問題ではない。

法をみる人の言葉を善の教えとして受け取れない者は、その言葉を聞いても、学びに入ることはないだろう。

一方、言葉を善として受けとれるものは、その言葉を聞いて、学びに入るだろう。

そういう違いだろう。

本人の受け取り方。

準備ができている人は、聖者方に迎えられる。




イチジクの木の件は別としても、

一般、普通に考えても、テロの悪行は普通にないよ。






8月30日

今朝、目がさめてから坐しているとき、
そういえば、アーナンダ尊者と仏陀の弟子であったダイバダッタは兄弟だから、親が一緒だな、と思った。
アーナンダ尊者はダイバダッタの弟(異説あり)、釋尊の従弟。とされる。

テロで悪行をしている者達の悪行に関して、それはそのテロをしている者、その本人の親の教育がなっていない結果、そのテロをしている当人はそのように育ったということで、その者の親の責任でもあるという事柄で、

アーナンダ尊者はダイバダッタは兄弟であるとすると、ひとりが聖者で、もうひとりが地獄へ堕ちてしまった、と。

こういう場合は親の責任といえるだろうか。
こういう場合は、やっぱり親よりも、本人の責任なのだろう。

テロをしている者は、内面で大人になりきれていない者が多いようすなので、その者の親の責任もあるだろう。

というように、そういう悪作に関してはその者の親の責任でもあり、親の道徳教育がいたらなかった結果、そのように育ってしまった、と。

と、いうようにも思うんだけれども、

これを読んでいるあなたは、
そのようなテロメンバーの悪作の責任は、その者の親にもあると思いますか、それとも、親はまったく関係なくして、その者自身にしか責任がないと思うだろうか。




しかし、親が道徳をしらなければ、子供は親から道徳を学べないだろうから、道徳を知らないというのも無理はない。

というように育ったので、テロで悪行を為してしまう、と。

う~ん、

大人になりきれていない子供の責任は、その者の親の責任でもあるか。



子供を育てる愛情の向け方にもよるのか。

世の中は、金だ。うへへへへ。という、おとっつぁん、と。

世の中は、金ではない。心だ。という、おとっちゃん。

仏陀の教えでいえば、
世の中は金だ。というおとっつぁんは、餓鬼界とかそういうところだろうが、
世の中は金が全てではない、心だ。という、心の清浄をめざすおとっつぁんのような人は、天上に赴くというように言われている。

どちらのおとうさんの子供が、聖者の教えを理解することが容易だろうか。

その両親(良心)の育て方によって、
子供の価値感というのが左右されるということもあるだろう。

世の中は金だ、名誉だ、権力だ。というように育てられた人にとって、聖者・聖人の貪欲を滅するという教え(理法)は、理解が難しいかもしれない。
そのような理法にそった道徳というものを、知らずに育ったがために。

一方、
世の中は、金ではない、心(善)だ。というように育てられた人にとっては、聖者・聖人の貪欲な心(煩悩)を滅するという教え(理法・宗教・真理)をすんなりと受け入れられる人も多くいるだろう。そして、それを、結構普通の事柄(常識)であると思っているという人もいないことはないだろう。
 それは、そのような理法にそった道徳というものを、自然と両親(良心)から教えてもらって育ったおかげでもある、と。




親からそういう教えを受けてこなかった…。というのであれば、
逆に、自らが知ったその理法・善法を両親に伝える、教えて導いてあげる。

それが、親孝行になる、と。

そのように仏陀はおっしゃっている。

子供が、自らの両親を天上に導く。

それは、どう見ても、

親孝行だろう。






9月1日

梵天の懇請
http://charitable.ehoh.net/bontennokonsei.html

http://handshakeh.web.fc2.com/bontennokonsei.html





9月2日

プロフィールにも記したけれども、

「仏陀の教えは、知れば知るほど、後世の人々をも観てくださっている仏陀のその行いの一つ一つ、その究極的な慈悲心に気付く。
 仏陀と仏弟子がどれほど、後世の人々のことを案じていてくださったことか、と。」

全知者に偶然というものはあるだろうか。

どう思うだろか。

原因があって、結果がある。

如来は、四阿僧祇劫と十万劫の間、大群集の人々を救うため、その間において、全知者の智慧を成就された。

全知者は、傾注によって、すべての原因を観て、すべての結果をも観る、と言われている。

ゆえに、全知者。

仏陀のその行いの一つ一つに、その当時も、現在の私たちをも含めて、後世の大勢の人々にたいする慈悲が含まれている。

「梵天の勧めによって、真理の教えを説くことは、すべての完全な人格者(如来)の本性である」

梵天からの懇請を受け入れる。それもまた、暗闇の中を歩く大勢の人々を、光明へと導くための慈悲である、と。






9月4日

今日は気温がまたちょっと上がった。昨日は23℃くらいだったので、ちょっと肌寒い感じかな。(はるの家)

現在湿度73パーセント。

これは、ちょっと湿度高すぎだろう。

アマゾンとかそういうところと同じくらいだろうか。

雨が降っているのに窓を開けていたので、湿度高い。



(アマゾンの湿度を検索)

ブラジルのアマゾンでは湿度が90%位もあるらしい。

家の湿度より、アマゾンの湿度の方がすごかった。




湿度100%っていうのは、どういう感じなのだろうか。

ちょっと検索。




「湿度100%とは、その空気の中に水蒸気が飽和状態まで含まれる時のこと。しかし100%になるとすぐに水蒸気は水になってしまい、水蒸気の量も減るので、湿度100%にはなかなかならないのです。」

要するに、湿度100%で洗濯物を干しても、あんまり乾きませんということらしい。




どしゃ降りになって雷も。

もうちょっとで秋だな。

暦上ではすでに秋。

2カ月もすれば、雪の降る季節。





9月5日

9月5日(木)、室温25.9度、湿度59%。



冬は室温が高くても、湿度が低ければ肌寒い。



函館はアマゾンより暮らしやすい気候かな。



まぁ、アマゾンと函館を比較する意味もわからないけれども。



意味もわからない。

いや、わからないことはない。

湿度が高いという話の流れであった。




扇風機の風が涼しい。




扇風機の風で腕が冷たくなってしまった。

扇風機ストップ




音楽をきいて、イスに座ってリラックスタイム。

ふ~。




音楽は



Chanson pour Liona



Lettre a Clara



風笛



suki Yukie Nishimura



めぐり逢い Andre Gagnon



輝く季節の中で  S.E.N.S



静かな午後



L'Amour reve



私と、テロの者たちの集団との音楽の価値感が違うだろうか。

私はわけのわからない、他人の暴言が含まれているテロの仲間達の音楽よりも、
こういう安らげる曲の方が当然のことながら好いている。

私とテロ集団との価値感が違う。

善行者と悪行者の価値感は違う。

違うのは当然でもある。

行く道も違う。

死後の行き先とされるものも違う。

そのように、多くの聖者方は教えとして説いている。

テロ集団とのその価値感が違うということで、また一歩、天上の性質があるというような、ちょっとした証明みたいなものではあるだろうか。

テロ集団の、見てても不快な気にさせられる悪作は、

聖者方とその教えから見ても、それは完璧にない。

狩る狩るって、こちらの善人側を狩るっておどしているようなところも

すでに、そちらの自信の心が汚れてしまっているでしょう。

何故に、聖者の言葉に反抗するのか。

そういうところが、まったくもって理解できない。ということもないが、
欲なり自尊心なり、多種の感情の経験不足なり、寂静の安らぎを知らない等、いろいろなのを考慮にいれて考えれば、
まぁ、そういうような感情にとらわれているのであろう、と推測することも、そんなに難しいことでもなく、

生存時からすでに、死後のやすらぎはありません、って聖者方に教えとして、言われているのであれば、真のリラックスは、もうできないんではないのか。そちらの人達。

あなた方は現在の生存を終えれば、永い永い間、地獄、餓鬼、畜生として苦しみを受ける存在として輪廻を繰り返す、と、確定して言われているようなものだろうけれども、自分達のしている事柄がいまだに理解できてはいない人達。

経典、聖典の文字が読めないのか。

教えの内容が難しすぎて理解できないのか。

聖者の言葉を信じることができないのか。

あなた方は闇へ闇へと、遠ざかっていってしまう、と。

はるの声も届かないくらい、闇へ闇へと。

光明があるのに、なぜ、闇へ行ってしまうのか。

すでに、そちら方は悪魔に誘われてそちらの道を進んでしまっているところだろうから、そうなってしまうのもしょうがない。

途中で気付けばなんとか救いの慈悲を受くことができるか、否か。

途中で気付いても遅い。すでに悪業はなされている、と。

善性の記憶なり、感性なりがあれば、すでに気付いて、戻って来て、正しい道に進んでいる。

しかし、それでも、聖者方の慈悲は限りがない、と。




私の伝え方も足らない部分があったからだろうか。

う~ん、

理解しやすく説いてはいる。



ダンミカ長老

 理法は、実に、理法を実践する人を護る。理法をよく実践するならば、幸せをもたらす。理法を良く実践したならば、このすぐれた功徳がある。理法を実践する人は、悪い境界に赴くことが無い。

 正しいことと正しくないこととの両者は、等しい果報をもたらすものではない。正しくないことは、人を地獄に導き、正しいことは善い境界(天上)に到達させる。

 それ故に、もろもろの善い事柄をなす意欲を起すべきである、といって喜んでいる人は、幸せな人・立派な人(ブッダ)によって〔導かれている。〕道理に安住している、最上の幸せな人(ブッダ)の弟子たちは、しっかりとしていて、導かれて、最上の帰依をなすに至る。

 悪瘡の根(無明)は切除された。愛執の網は根こそぎにされた。彼は輪廻を消滅した者である。もはや〔汚れは〕少しも存在しない

清らかな満月の夜の月のように。






9月8日

帰ってきた。




今日は海で、ジェットに乗って函館山の裏をはじめて近くで見た。



海水温は今日は天気が良かったから、温かいほうなのだろう。(海水がぬるかった。海水がぬるく感じたので海水がぬるいと言ったら、それは、「ウエットスーツを着ているから」と言われた。)



そんでもって、テロの愚かな者達も、今日は多くでていたらしい。

なんか、俺の行くところについてきたいらしい。




まぁ、そんなのも数年前からだから、あれだけども、

さっきドライブしてFM放送聞いてたけど、ほぼ全滅だろう、あれは、
ほとんどテロ。



函館のFMいる×なんかは、俺が函館空港で働いているときからの古株テロ工作。本日もやっていた。

誰が支持してそういうことを数年もやっているのか。

まったく、困ったもんだよ。



テロ側のそちら側はすでに、悪業をなしてしまっているけれども、これから気付けば、さらに悪業が増えることはないんでないのか。




聖者方の教えは真理であるので、そのとおりになるよ。
あなた方。

すでに、そういうところは俺がどうこうする話でもない。

 現在はまだ、テロ側のテンションにのってるから平気な人がいるのだろうけれども、その心はあとから、だんだん、だんだんと聖者方の言葉と、死後に受けなければならない苦しみにたいする恐怖は増していくだろう。



一般の人間っていうのは、結構ちっぽけなもんだよ。

そちらは、身近に他に仲間がいれば、強がっては入るけれども、独りになってしまえば、ほとんど無力でしょう。

死ぬときも、同じく。独り。

人間はいづれは必ず死を迎えてしまう。

死を迎えるとき、あなたは、ただ独りで何かをできるだろうか。




そのように自らが無力な時のためにも、すべての存在する者のために、聖者方は教えを説いてくださっている。

が、あなた方はそれらをも、一蹴してしまっているので、
その時あなた方は、その自らの行いによって、依るべき業はなく、導いてくれる聖者・聖人方も、自らの弟子とそのともに危害を加えたあなた方を迎えいれるということはないだろう。
そして、聖者・聖人方がそうであれば、天上の多種の神々も、同じようになすであろう。

聖者方の教えでは、自らの弟子を愚かな存在と親しまないように説かれている。

普通に考えて、
例えば、あなた自身がもし、自分の弟子や、自分の身近な人に、一方的に危害を加えていた存在がいるとしたら、そのような存在を自らのところに導くということをするでしょうか。

 他の弟子のためにも、弟子に危害を加えるような存在をみずからのところに導くことはできないのではないか。
逆に危険から弟子を遠ざけるでしょう。




天上は悪行をなす存在が集まっているところとされてはいない。
 悪行を悪としてみている存在者、心の優しい、慈悲がある存在が大勢集まっている、それぞれがそれぞれに心優しい存在者の住するところであって、道理に合わない悪しき業をなしている者が集まっているところでもない、と。

悪しき業をなした存在者が集まる場所、その悪しき存在者だったものが出生する場所。
それがいわゆる、餓鬼、畜生、地獄。

善行者はそのようなところに赴くことはない。

であるので、悪しき行いを捨て、善行をなしなさい、と。

 あなた方は死後を信じてはいない、霊的世界を信じてはいない、怪奇現象、幽霊、魔術者、悪魔、悪霊、人間以外の悪しき存在者が存在しているというのも信じてはいないのかもしれない。

しかし、あなた方がそれを信じていても信じていなくても、
あなた方はすでに、その世界に足を踏み入れてしまっている。

どういうように足を踏み入れてしまっているかというと、
まさに、聖者方の教えでいう、悪しき者は悪しき業によって堕処へ赴くというようにいわれているが、その当の存在者として足を踏み入れてしまっている。
 教えで言えば、最悪なパターンの教えに当てはまっている存在者として加わってしまっている、と。

 別になにもしなければ、一般人として、悪しき霊的な世界の方に自らが関わるということもほとんどなかったのだろうけれども。




あれだよ。



教えから言えば、すでにあなた方はあとからものすごーく大変だよ

現在は、まだ悪業の果報を受けてないでしょう。

一般の悪人がなすような悪行ではないから、その悪業の果報を受けるとき、それは、ものすごく恐ろしい、と。

聖者方とか理法にたいする悪業っていうのは、、期間が永い、ものすごく永いこと悪処に赴かなければならない。
それも、記したんだけれども。

仏陀の教えによって、一人の存在者だけでも、教えを理解して、苦の消滅の道に入ったとする。
それだけで、その存在者が受けるどれだけの苦が消滅するのか。

永遠に輪廻して受ける苦が、限りあるものとなる。

どれだけの苦が消滅するか想像できますか。


 愚かな者は自らの悪行により、真理によって自由になれる存在者が、真理によって自由になるということを、どれほどに障害しているかを理解してはいない。


 愚かな者は教え(理法)を理解・実践することによって、たった独りであっても、無限とも思える苦が、限りあるものとなるということがどれほどにやすらぎを得られるかを理解できてはいない。


 たった一人であっても、無限とも思える苦の量は果てしないが、

 愚かな者は、多くの存在者の無限とも思える多くの苦の消滅する理法、多くの存在者が無限の量の苦から脱するという安らぎが得られる理法を障害するという悪行がどれほどの悪業を生じるのかというのも、その悪業の果報をも理解できてはいない。






9月11日

歯医者に行けばテロの悪行で地獄に進んでいる者達に、またまた邪魔されるか、というので、ネットでコンポジットレジンっていう、注入するだけのを探していたけれども、一般販売はなかなかしていないらしい



簡単になおせるみたいだが。



治療行為だからね。




しかし、テロの仲間達まだやってるもんね。

完璧にありえないんだけど。

後世の人達からみても、あなた方はすでに、はずれすぎだろう。

自分達でそう思わないんだろうか。



はずかしくないんだろか。



慙愧心なし。



正見にも入れない、と。



仲間うちで引いてるみたいな。

リアルに堕処におもむく者があつまっているという。

ひくわ~。



見てても、こっちもひくわ。



数年間も嫌がらせを続けているような愚か者だもの。

いい加減、その者(達)が嘘言者である、というのに気付かないのか。




ん、私は愚かな者と仲間なんかではないです。



テロ側が仲間うちで引いているみたいな、と。




悪霊のさえも含め、完璧にありえねぇのがもう、気持ちがわりぃーよーっと。

気持ちが悪くて腕をさするくらいの、ひきぐあい。



いやいや、関係ない感じでいるのかもしれないけれども、あなた方ももう、悪業積んじゃっていると思うよ。




なんか勘違いしているのもあるみたいだが、特定の一人、二人に言ったのではないよ。



懺悔して許される悪行であれば、懺悔して自己をかえり見るというのは、善い心だと思うよ。

そちらの方々。





9月11日

歯医者に行けばテロの地獄に進んでいる者達に、またまた邪魔されるというので、ネットでコンポジットレジンっていう、注入するだけのを探していたけれども、一般販売はなかなかしていないらしい




簡単になおせるみたいだが。



治療行為だからね。



しかし、テロの仲間達まだやってるもんね。

完璧にありえなんだけど。

後世の人達からみても、あなた方はすでに、はずれすぎだろう。

自分達でそう思わないんだろうか。



はずかしくないんだろか。



慙愧心なし。



正見にも入れない、と。



仲間うちで引いてるみたいな。

リアルに堕処におもむく者があつまっていうという。

ひくわ~。



見てても、こっちもひくわ。



数年間も嫌がらせを続けているような愚か者だもの。

いい加減、その者(達)が嘘言者である、というのに気付かないのか。



ん、私は愚かな者と仲間なんかではないです。



テロ側が仲間うちで引いているみたいな、と。



悪霊のさえも含め、完璧にありえねぇのがもう、気持ちがわりぃーよーっと。

気持ちが悪くて腕をさするくらいの、ひきぐあい。



いやいや、関係ない感じでいるのかもしれないけれども、あなた方ももう、悪業積んじゃっていると思うよ。



なんか勘違いしているのもあるみたいだが、特定の一人、二人に言ったのではないよ。



懺悔して(改めることができる)くらいの悪行であれば、(その時点においても)懺悔して自己をかえり見る
のは、善い心だと思うよ。

そちらの方々。





9月16日(2013年)



「数年間も嫌がらせを続けているような愚か者だもの。

いい加減、その者(達)が嘘言者である、というのに気付かないのか。」

この文章。




あれ、これ誹謗だべかな、と。

数日間たまに思っていた。



「数年間も嫌がらせを続けているような悪行者だもの。

いい加減、その者(達)が嘘言者である、というのに気付かないのか。」

このように修正すると、正しいかな、と。



数年間も嫌がらせをしているっていうのがもう、天上人からは~、かなり遠いと思うよ。

教えからいえば、遠いというか、それらの行いは堕処に赴くって、大勢の人が説いているよ。

 その大勢っていうのは、噓言を言わない清浄な方々大勢が説いている事柄だからね。

 テロで悪行をしている嘘言者、大勢が、説いているというような事柄ではないのだよ。 



事柄の重大さというものが、ピンとこないのだろう。



今日はきれいに虹がかかっていた。

虹も結構見るね。

端から端まできれいに見えるのは、以前もあったか。



美しい橋はすでに架かっていた、と。










さくら
さくら
更訂 H30.8.18