自然の写真集も消えてしまったし、バックアップは取っておいたほうがいいね。やっぱり。
リアルプレイヤーはなおったけれども、ライブラリのプレイリストはちょくちょく消える。
10月20日
今日はホームページを整理整頓して以前より見やすくなった。
10月20日
11時になるか。そろそろ。
○○○
日記(掲示板の書き込みからの続き) 〈2024年3月30日 【仏陀メーソンリーのサイトと掲示板のことを言っても書いても読んでも殺すわけがない、とヤクザのご霊体方と電通との御関係者勢の方々が言い張っている話】〉 【掲示板〈にも記載の〉HPの日記にいたる以前の経緯】 〈2024年3月30日 【ニワシロウとイチカドユカ(とZARDの坂井泉水の蒲池幸子とその親族一家)は(笑って平気で殺人をする)悪魔の行いの者(達)で確定、絶対に信じないようにしてください、信じたら堕ちます、大地獄に、と言うていい、とアラハトの比丘の御霊体方で仰せくださりているので、(私も)言わせていただいたら、 そのとおりだ、とニワシロウという狐に憑かれてマンコを偽造して失敗したと吐いている者が調子に乗って吐いてほざいてみんなにボコボコどろこじゃないことになっている。】ので、ニワシロウという一切その狐に憑かれて肉体のチンポをも盗り外されたのに自ら切り取ったと吐いてそこまで狐に憑かれている愚かすぎる人間失格の行いの者達を、今日も調子に乗ってみんなに殺す、と正しく言われているようなもので、死んだらみんな好くなる、と言われている者を信じてはならない。と言うていい、とアラハトの比丘の御霊体方で仰せ下さりているので、(私〔對馬弘〕も)言わせていただいている。 〈ニワシロウと麻生太郎の妹の麻生信子(三笠宮寛仁親王妃信子)はその後2023年以降も、殺人鬼の行いを私勢にも海外の要人にもし続けているので、殺すくらいにしてあげた方がいい対象の狐付きでマンコを取り去った者、とみなさんのために書いてあげるように、アラハトの比丘の御霊体方で仰せくださりているので、(私も)書かせていただいた。〉〉 〈===== ここから本文 =====〉 これから日記を記していこうと思います。 どれほど私が普通の暮らしか、みなさんにもわかると思います。 テレビやマスコミなども、すぐに興味が移ると思いますので。 10月13日(2008年) 本日は仕事休日。仕事は電気関係の仕事です。 これからは普通にしゃべっていこうと思ってます。 話をしないと、逆に変に思われるので、早く普通に話をしたいと思ってました。 年齢は27歳です!とりあえず、まだ若いです。 以前、mixiでのネームは「はる」です。(わかっている人にはわかっていると思いますが)。 現在はmixiに入ってないですが。 別に隠すことはとくにないので、普通になんでもかんでも書いていこうと思います。 こっちの状況がわからないから、余計に興味をもってしまうんだろうと思うので、 こっちかから話していけば、興味も薄れるでしょう! 10月14日 本日は仕事が午後から。今日もいつもどおり、特に何もなかったですw 帰りがけ、満月が綺麗に見えてました。 10月15日 (この日記を見ている人に先に伝えておきますが、普段は普通の文章しか書けないです。14日のような文章です。 あと、訂正箇所があれば、後からでも、ちょこちょこと直していきます。) 本日は朝から仕事でした。今日もいつもどおりでしたが、ウロチョロしているのが騒がしかったです。状況が変わってきたので、焦りなのか何なのか。 最近はテレビが段々と普通になってきて良かったです。(みなさんも理解をしてきたようなので)。テレビに(変な声が)出てこないければ、もっと普通になると思うんですけど。(S・T等が声を入れていた意味がわからない、というか意味がない) 状況がいっぺんした時、テレビ番組がかなり異常な状態で(声が入って)騒がしかったので、いったい何があったんだ?と思っていましたが。 あのとき、他にも霊能力者が日本や、世界に居るだろうになぜに出てこなかったのか?不思議です。 あと、故意に声を入れている番組もあるようですが、そういうのはどうなのでしょうか? とりあえず、全体的に段々と落ち着いてきている?ようで良かったです。 10月16日 (イメージというものが、人それぞれありますが、文章から見る私のイメージがあまり硬くなりすぎないように、こちらも伝えておきますが、私は生活の仕方も普通です。生活の様々な欲も若者なりです。違うのは極力 肉を食べないようにしている等です。(全く食べないというワケではないです。)(魚は食べます。仏陀の教え、比丘に、自らのためとして殺生されていない魚肉について『不見不聞不疑なる三点清浄の魚肉を許せり』)。酒は家にあります(缶ビール4本、新しいので賞味期限08年07月、古いので07年07月。現在12年11月ですが冷蔵庫に入っているので冷えてます。誰も飲まなかった、と。捨てるけれども、もうちょっと入れておこうかな、と。(その後、トイレに流して廃棄した。))が、普段は飲まず、タバコはすいません。(止めて数年になります)。 (以前、最初の禁煙中に、一本だけなら大丈夫だと思って、貰って吸ったら、また吸い始めるようになってしまったので、タバコを禁煙した人は、タバコを見たり、ふれたりしないようにした方が良いような気がします。私が、清浄な生活をしている?のか、と思われるかもしれませんが、一般の若者とあまり変わりないです。普通に煩悩もありますし、タバコも吸いました。吸うと具合が悪くなるので止めましたが。 私のイメージは普通の若者と大して変わりません。異なっていくイメージを払拭したいので。) 本日も朝から仕事でした。今日もいつもどおりでしたが、ウロチョロしてるのが昨日よりも騒がしかったです。職場で仕事をしていても「さえ」「さえ」で、無視していると、他の人のところに行って「さえ」「さえ」と言ったり、ペタペタくっ憑いて、話をしている処に邪魔して、「はい」という言葉の部分を『ない』に変えたり、返答の「えー」の部分を『ねー』とかに変える程度のわけのわからない事をしてます。で、みんなに「さえは(必要)ない」って、言われて『むかつく』って言って怒っているような状況です。すでに職場の人は誰も怖がってないです。誰かにペタペタくっ憑いても、くっ憑いていない状況でも、話す言葉のパターンがほとんど同じなので、すでに相手にされてません。頭の働きは幼稚な霊ですが、悪知恵があり、以前、私も大変な目にあいましたので、(違うキャラもいるので)ほっとくと危険であることはたしかです。 以前、事が治まった時にまた仕掛ける、という事を、ヒソヒソ話でしているつもりだったのでしょうが(S・N(M・T)〔男〕のとこの霊)、思いっきり聞こえてましたので、やはり基本的に(S・Tらの霊)は危険です。 この書込みをしている現在も、後ろで「はる」「はる」ってうるさいので、そういう事です。 (テレビ等の分かりやすい物ではなく、裏で変な事をたくらんでいたら、また大勢の人が困るので)。 これらの霊の力が弱まっているのは、本体がやっと自覚をし始めたのも、ひとつの要因であると思います。(私個人的には基本的に彼女らの霊が私の近くに来ないのが最善であると思ってます。) また、本人が改心した等と言っても嘘であると思って、もう関わらないようにした方が良いです(当然ですが、現在の世界に畜生の力は必要ないです。今までの経緯をみてお分かりのように、ない方が良いです、又、畜生(野干)の力を利用しようとして何か事を起そうとすれば、現在の世界が畜生の世界まで落ちる(可能性がある)と思います、天辺に畜生霊を立ててより善くなるという道理はないです。以前の状況を忘れませんように)。私のそばでペタペタしている事自体が現在もわかってない(「さえ」等の霊はまだ再起を狙っています。=この霊は基本的に理解できてない) ちょっと気が変われば、すぐに悪知恵を働かせようとするので。 (たいていは毎日平凡で、別段何もないので書きこむ事柄も少なくなると思いますが、テレビ番組などで、私に不都合な事があれば、当然ですが書込みもやめます。誰かに言われて書込みをしているという事ではないので。そこのところをご了承ください。基本的に生番組以外で変な声が入っているのはほとんどが嘘(故意に吹き込んでいる)の声です。視聴者の方はそういうところに気をつけてください。勘違いしませんように。 彼女ら3人は金銭面で裕福ではない生活をしているはずなので、そのことも理解して、もうテレビの声で煽動される事のないようにしてください。) とりあえず、現在はこういう状況です。 10月17日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおり。特になしです。 日記よりも、他のページを作ろうと思うので。短いです。 心配事等(地球環境等)伝えたほうが良いと思うことがまだありますが、おいおい話していきます。 10月18日 本日は休日です。今日はおむすびが余っていたので、埠頭にいって、かもめにエサをあげてきました。 羽が片方ない鳥が一匹いたので、あの鳥は冬どうするんだろう?と、ちょっと考える。(ちょっと厳しい‥?) この日記を読んでいるみなさんは、私のような若者が仏教に興味をもっているというのが珍しいのでしょうか? 以前から、人生とはなんだろう?といろいろと考えた結果、さまざまな方面を調べていくようになって、現在に到っております。 あと、宗教について、宗教を全く知らない人は、宗教にたいして偏見があるかもしれませんので説明をしますが、 宗教または仏教とは本来は正しい行いをするには、どのようにするのかという教え(真理)を知るためにあるのであって、おじいちゃんやおばあちゃんだけが知るものではないと思います。〔また、宗教とは、なぜ正しい行いをするのか(参照 愛について)という事柄を理解したうえで学ぶべきであると思います。なぜならば、過去の歴史を見てもわかるとおりであります。〕 また、現在(日本)では邪霊を祓うなどの行為のほとんどが宗教の中に組み込まれているような状態なので、霊的な感が強い人などは、そちらの方面を知らなければ一般の生活すら厳しい人も(中には)います。そういう事柄なども理解すると、ある意味、宗教にたいする見方が変わると思いますが。 人生とは何か 10月19日 本日は一日仕事です。今日もいつもどおりでしたが、何やら(世間が)騒がしい気がしました。 テレビをみれば、「さえ(霊)は(必要)ない」とみんな?言ってるような状態!? すでに、私がテレビを見るのと関係ない状態になってます。いいのか?悪いのか?‥。 これからはあんまり気にしないでテレビを見れるようになりそう?でしょうか? 日記に記す内容とちょっと違うかもしれませんが、 このサイトをご覧になっている方の不安要素を取り除くためにまず説明です。 昨日は人生とは何かについて というのを公開しましたが、みなさんはどのように思いましたでしょうか? だいたいの方は、「この考え方はちょっと‥。」、という方がほとんどであると思います。 または、何をいってるかわからない。大丈夫?という感じでしょうか。 このような方は、極めて普通です。楽しみ等が苦しみという考えは、今までに聞いた事もない、とこのような感じでしょうか。 ここで思い出していただきだいのが、下記の文章です。 「好ましく、いとおしく、心地よい一切の色形や音声や味や香りや感触や思いは、 それらが、存在していると言われる限り、 快いものだと、神々や世の人々は一様に思い込んでいる。 そして、それらが 消滅したとき、かれらは一様にそれを苦しみと思う。 一方、聖者たちは、存在していた心地よい色形などの集まりが消滅することを 安楽であると見なす。 他の人々が快いと言うものを聖者たちは苦しみと語る。 他の人々が苦しみと 言うものを聖者たちは安楽と知る。この理解しがたい道理に目をすえなさい。 目の利かない者とたちはこの点に迷う。 ちょうど、目を閉ざした人には暗闇しかないうように、 心の目が覆われている人々 には真実は闇の中である。しかし、目を開ければ光がさし込んでくるように、 聖者たちは一切のものが顕になっている。道理をしらないものたちは、 傍らにいるにもかかわらず、それに気がつかない。畜生のように。 仏陀は(ここでは、四聖諦)法のことを「こういった見方は世間の人々と正反対である。」とこのように述べております。 仏教ってなに?、宗教って何?という何も知らない人が、四聖諦を言われてもすぐに理解できるわけはありません。 ですので、疑問を持った人は普通のひとです。抵抗を持った人も普通の人です。 考えてみた人は、今後記す内容も理解できる?かと思います。 何も考えずに、これは違うと、言葉を発した人はもう少し考えてみてもよろしいかと思います。 まだ、1ページしか開いておりません。(書き始めたばかりの1項目だけで、判断されるのはいかがなものかと思います。) 始めに陥るのがみなさんも思いました通り、結局は虚無思想なのか?という事柄でありますが、少し学べばわかる事柄ですが、涅槃(完全な安らぎ)と虚無は異なります。 人生とは何かについて でも記してありますが、 苦の滅尽にいたる道についての聖諦とは何であろうか。要するに仏道とは何をするのか、という下記の部分をお読みになりましたでしょうか? 「苦の滅尽にいたる道についての聖諦とは何であろうか、それは、聖なる八支の道である。 すなわち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。比丘たちよ、これを称して苦の滅尽にいたる道についての聖諦というのである。」 もう少し後に紹介しようと思っておりましたが、 仏教は大丈夫と?不安をもたれた方も中にはいらっしゃるようなので、下段に仏教の基礎である八正道を紹介します。 私の紹介する原始仏教は、安らぎ、慈悲、善、正しい、プラス思考、明るい、和気、(私的には)のんびり等、そんなようなイメージで読んでいただければ良いと思います。(あせって、答えを求めないでください。) あと、仏の道は普通の人が徳を積んで、神という存在(良い境地に生まれる)になり、更に徳を積み重ねて、聖者の道を歩めるとこのように思っていただいくと理解しやすいと思います。という事で私がめざすのも、良い境地(天界)に生まれるという事でありますので、普通の人とたいしてかわりません。在家者(本格的な修行者以外)と出家者との戒律は、(原始)仏教ではものすごく違います。なので、あまり硬くならなくて良いと思ってます。私は、当然ですが、うれしい、楽しい、愉快、のんびり、感動(涙)等の心地良い感情が好きです。(ようするに、神々の方(聖者の途中)をめざすということになります。)。仏教を知らない人でも普通に心がけを良くして努力している人は同じ道を歩んでいると思います。 ちなみに、(本生経というものにも記してありますが)、輪廻から解脱できるほどの聖者は前世ですでに徳を積んでいます。また、悟りをひらいた聖者は、徳を積むという行いからもすでに離れています。(←この部分もまだなぜか、わからないかもしれまんが、わからないところはとりあえず、気にしないでください。)あとから、わかります。 ついでに、記しておきますが、昨日の文章により、私のイメージが変わって今日これを見て(普通なので)少し安心したという方もいらっしゃると思います。 イメージも含まれますが、人間の心とはコロコロとすぐに変わるものです。このコロコロ動く心を止めるというのは、なかなかできるものではないです。座禅等をした事のある方等はよくわかると思います。とりあえず、このようにコロコロ動く心をまず安定させることもまた大切であると思ってます。 あと、訂正箇所や少しまずいような文章があれば、後からでも訂正しますのでご安心ください。 で、話はかわりますが、今日、ふ、と思ったのですが、私に不都合な事があれば書込みをやめようと思っていたのですが、よく考えたら、このサイトはすでに私のサイト(掲示板のサイトではない)なので、抵抗等がある方は見ない方がよいです。(私ではなく、このサイトを見ている人の方が、この人は何を書くのか?と不安そうにしている感じが、何故かしますので。普通は逆。) まだ、たったの1ページ追加しただけです。また、人生とは何かについての上部にも記しておりますが、考え方は仏教です。(もともと仏教は、ある意味論理的です。)ご了承ください。 プラス思考で考えると。 このサイトを見ている人も、宗教って何?って考えるのは、今までになかったので、なかなか新鮮な感じで良い事ではないでしょうか?新しい試み。私と同じくらいの若い人も見てるでしょうし。 とりあえず、このような事(今までにない事柄)をみんなで考える事は良い事であると思います。 最近、世の中が本当に変わってきてると思うのですが、このサイトを見ている人はどう思いますか? 八正道について 何か、日記とかけ離れた内容になってしまった感がありますが、あんまり気にしないでください。 普段は特になにもないです。最近考えているのは、言霊の件があるので、カラオケに行ってもいいのかどうなのかです。普通はダメだろ!ですが、微妙です。頑張って良い歌詞の歌を歌えばなんとかなる?かも。普段はあんまり深く考えてないのでこんな感じです。 10月20日 本日は仕事が朝からです。今日もいつもどおりでした。 (本日、受けた感じとしては)みんなが安心したようなので、私も安心しました。 あとは、特に何もなかったので、短文です。 10月21日 本日も仕事が朝からです。昨日、みんなが安心というのを書いたら、まだみんなではない、という感じでしたので、ちょっと違ったみたいです。恐怖感はもう全然ないようですが。 今日はとりあえず、みなさんが疑問に思っている事があるようなので、私が感じたみなさんの疑問に答えたいと思います。 まずは一番初めに言いたいことは、このサイトは当然ですが、一切の金銭が発生してません。 私がこのサイトに書込むことによって金銭をもらったことなんてないです。当然です。 サイトの内容を見てもわかってもらえると思いますが。(いくら何でそのように思いっきり道からはずれたような事はしません。) あと、「さえ」の件ですが、以前も説明しましたように、私は悪くないです。ワケのわからないのを勝手に飛ばしてくる方が明らかに悪いです。 少しでも、口で言葉を発すれば「今話した言葉にわれわれの念が入った」とかワケのわからないことを言ってます。 (心で)「入ってねっつうの」と、こんな感じです。 (このウロチョロしているのは、実際に、私が光をイメージをするだけで、悪さをする霊がかなり嫌がります。 私がイメージした物体は、その霊達に見えて、実際私がそれを消すイメージをしないとそこに留まり続けるらしいです。) で、みなんさも普通にわかってますように、私は最初犯人にされていて(3人に)、現在、その3人の妖術を説いてみなさんに説明して、私は説明責任はもうある程度果たしていると思います。原因はすでに話しました(3人の本体)。あと、また、 彼女らをチヤホヤしている方がまだいるようで。また公に出てきているのがあるようですが。 みなさんがこの騒ぎを終息させたいのかどうか私にもわかりません。 (テレビの声ですが、アナウンサーの方などがゆっくり話をすれば問題ないようです。) また、私がテレビを見てない番組でも、同じような現象が多数おきているようなので、私がテレビを見ても見なくても、ほとんど関係ないみたいです。また、私がテレビを見ていないところで、彼女らが私に言わされているとかいう、これもまたワケのわからない事を言っているのもあったので(再放送)、このような嘘の発言をしている彼女らがどのような人物かというのは容易に推測できると思いますが。彼女らの発言をもう一回聞いてみてください。 矛盾している内容があることがわかると思います。このサイトに書いたからそうなったのではなく、過去にそうであったから、現在このように説明をしているのです。 こちらは、仕事を邪魔されてまだ困ってます。故意に眠気を起させられたりです。しかし、以前より霊能力が弱まっているので、現在は大したことはないですが。 あと、このサイトを書いているのが他の人であるというのも違います。間違いなく私です。 私の現在の感想ですがテレビの件などで、私が見なければ良い等あるようですが、これはすでに私の見てないとこでもなっているようなので、私はあんまり関係ないようです。 あと、彼女ら的には私が居なくなればいいとかいう感じらしいですが、当然原因は私ではないので、私に原因をもってきても事態の収拾がつくことはないです。私の他に彼女らの妖術を止められる人がいるのであれば出てきて止めた方が良いと思います。 このように書いたから、彼女らが不快に感じてこうなったんだというのも間違いです。これを書く以前の状態を思い出してください。私が彼女らの妖術を掲示板のサイトで説明したので、実際に現在では(以前よりも)事態が治まってきていると思いますが。また、私が説明する以前のみなさんの心境はどのようなものでしたでしょうか。恐怖もあったのではないでしょうか。現在、みなさんが私の説いた説明(彼女らの妖術)を理解したので、大勢の恐怖感がなくなったと思いますが。 以上の説明ですが、みなさんはどのように思いますでしょうか? 善く説かれた言葉について (私もいたらないところがありますが) 10月22日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおり、大した事もなく普通でした。 善説でのわかりやすいものを紹介します。 みごとに説かれたこと 10月23日 本日は朝から仕事です。(ちょっと訂正)。今日もいつもどおりでした。 ウロチョロしてるのが騒がしいです。 ↓ウロチョロしてるのや悪い輩には、さすがにイライラもしますが、このような時に学びになるものを紹介します。 猛り怒る人にたいして、どのような心でいるのかについて 10月24日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 10月25日 本日は一日仕事でした。帰りがけに雨が降ってました。もう少しで11月だし、それなりに寒くなってきてます。 最近雪虫もとんでるから、そろそろ。あと、2、3週間くらいしたら雪ふるのかな?。と。 今日も他のページを公開しようとしましたが、気付いたらすでに、24時なので、また明日にでも。 10月26日 本日は休日。以前に出たので、今日は世界の主・梵天が仏陀に懇請をしたというところを紹介しようと思います。 仏陀の説く法を知らなければ、神々も輪廻の輪(苦しみ)から抜けることはできません。仏陀はさとりを得たばかりの時、法を説くことに心が傾きませんでした。それはなぜか?というところです。 梵天の懇請 10月27日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 ニュースを見ているとサブプライムローンというのから始まった経済の問題がさすがに目につきます。 サブプライムの問題が起こった時にすでに世界的に経済が悪化するということが予想されていたので、、 現在はある程度予想したとおりになってきているという事なのでしょうか。 時代が何か変わりつつあるのはたしかなようですが、最近ではみなさんも不安になってしまっているのではないでしょうか。 とりあえず、さきほどニュースを見ていたらゲストの人がいい事を言っていました。 このような時こそ「パニックにならないように」という事でした。 1つの国だけではなく、世界的にみんなが困っているので、パニックになってもあんまり意味がないみたいです。慎重に。という事でした。 とりあえず、これからみんなである程度耐える(頑張る)しかないというところなのでしょうか。 一般的な事柄に関しての教えについて 10月28日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 ニュースを見ていると、まだまだ予断はゆるされないと言ったところでしょうか。 とりあえず、日本人の技術力は世界的に見てもすごいのは確かなので自信を持っていいと思います。 安定するにはまだまだ時間がかかりそうですが。 今後、世界で、どこかの国だけがというのでなく、全ての国がみんなで一緒に技術力を向上させていけば、 地球規模でもっと安定すると思うんですけどね。 10月29日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は原始仏教について、少し話をします。日本の仏教系住職等(指導する側)の方にです。一般の方は今回は関係ないです。 現在の日本仏教はほぼ大乗の教えです。私の伝える小乗(原始仏教)とは異なるフシが多々あります。 きびしいようですが、現在日本で言われている出家者という意味が、 原始仏教でいう在家者とそれほどかわりがないようなものになりつつあると思います。 この点においては、原始仏教での戒律を知れば、大乗仏教の方も納得がいくと思います。 また、以前、日本に昔からある宗派の住職に小乗の教えをたずねたら、小乗ってなに?と、逆に聞かれました。 以前、日本の仏教が道からそれてきているというような事柄を記したのは、そのためです。 また、現在の新興宗教等でも、仏教系は多々ありますが、現在の様々な宗派で(原始仏典での)ブッダの教えを きちんと伝えている教えは(私の知る限りでは)ほとんどないと思います。 原始仏典を掲げたところもありましたが、聞いても、的確な答えが返ってくるということはありませんでした。 私が仏典を自分でいろいろ調べたのもそのためです。 27日の一般的な事柄に関しての教えについてで下段に書いている説明文、 ヴェーダ聖典を奉じていた当時の伝統的な宗教家が「バラモン」であり、ヴェーダ聖典の権威を否認した新しい宗教家を、ここでは「修行者」と呼んでいる。 かれらは多くは乞食によって生活していた。だから「かれらに対して門戸を閉ざすな」とか「食物を給与せよ」とかいうのである。 そうした種々の宗教の行者を尊敬すること自体のうちに仏教があるのである。 上記の説明文の真意を理解されている方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。 また、原始仏教(ブッダの教え)は、個人崇拝(個人に対する狂熱的服従)ではありません。 また、神という存在も仏典に多数登場しますが、道は同じですが、仏(悟った人)と神という存在は違います。 また、仏陀は輪廻から解脱しておりますので、要するに、生まれ変わるということはありません。 ブッダが生まれ変わっている等という事があれば、それはすでに仏教ではありません。ブッダの教えにそのような道理はありえないです。 【ざっくばらんに書いてしまい申し訳なく思うところがありますが、これは私の一般人から見た個人的な意見なので、 気にしない方は気にしなくていいです。 (仏教を教える立場の方は)まずは、原始仏典を拝読されてみるのもよろしいかと思います。) また、すでに、理解されている方には関係はないです。】 10月30日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 明日から休日なので、本日は(も)のんびりです。 掲示板にも紹介しましたが、もうちょっとわかりやすく。 仏教の根本原理のひとつ。縁起の理法です。 縁起の理法について 10月31日 本日は休日です。今日もいつもどおりでした。 今日は、教えを紹介するにあたって、極端に誤った方向へ行く人があるとまずいので、 自己を殺めることを禁ずるということについて、はやめに紹介しておきます。 仏の教えである涅槃(完全な安らぎ)への到達は、全くの善です。 自殺をしりぞけることについて 11月1日(2008年) 本日も休日です。今日もいつもどおりでした。 ちょっと、説明をしますが、いろいろ紹介してますが、私は普段も普通の一般人ですので、 興味がでましたならば、みなさんが自分で本等を購入して学んで見たほうが良いと思います。 私は、ただ、ちょっとだけ普通の人より真理というものに関して興味がつよいだけです。 あと、以前にも記しましたが、私はテレビ等で、お笑いの番組を見て爆笑もするし、 ドラマも見るし、ニュースも見ます。ゲーム等はしてませんが。 このように生活は27歳なりで普通の人です。 性格も何から何までまじめというわけでもないです。普通です。 (まじめなところはまじめにいきます。) と、いうのを納得してもらうのに説明をしたところで、 最初から核心をつくと(もう核心をついていってますが)意味がわからないのに、 ますます意味がわからない、という感じになってしまう人があるかもしれないので、 とりあえず、普通の感じのものを紹介します。 現在でも、南伝仏教において、護呪として唱えられているものです。 (若いのに、霊的な事柄やこういうのに詳しすぎるところが、あまり普通ではない感じがするかもしれませんが、 そこはあえて、気にしなくてもいいです。昔から興味が強かっただけです。) 慈しみについて 11月2日 本日も振り替えで休日です。今日もいつもどおりでした。 今日は、そろそろ道路が凍るのでタイヤを交換をしました。 昨日にひきつづき、こちらも、現在でも、南伝仏教において護呪として唱えられているものです。 幸せについて 11月3日 本日は一日仕事でした。今日もいつもどおりでした。 今日は、原始仏教に関して、護呪(パリッタ)について記しましたが、 原始仏典での戒律では、呪術が禁じられているのに、紹介するのはおかしいと、本などを読まれた方は思われたかもしれませんので、 そこのところの疑問は、今度、近いうちに紹介します。 また、ブッダは正しい祭司が行う祀りも是認(祭祀について、祭祀を行う者が祭祀を行うとするならばです。)しております。 ので、そのようなところの違いもあとからわかると思います。 このように紹介してますが、欲の観点で仏典を読むとよくわかると思いまが、 ブッダという人は欲というものが、本当にない人(仏)であるというのがよくわかると思います。 欲というものの観点から見て、仏典などを読まれると、本当にそうだと納得できると思います。 普通の人が出家しないで涅槃にいたることができるのはほぼ不可能、と記したのはそのためです。 普通に生活している人にはまず、無理だと思いますが、原始仏典では在俗信者がさとりを得るのは成し難いとされているので、 完璧に不可能であるという事ではないというのもあるのですが、仏という存在がいない現在ではなおさらのことである思います。 また、29日の、原始仏教(ブッダの教え)は、個人崇拝ではない。というのが、若干の語弊がある感じなので、 ちょっと、説明ですが、仏教では、仏、法、僧の三宝は、ブッダの生存していた当時も、現在でも崇拝されていますのは、当然なのですが。 (仏、法、僧の三宝に対する帰依は原始仏典にも何度も出てきます。) 私が伝えようとしていたのは、現在の、ニュースで出てくる新興宗教のような個人崇拝(個人に対する狂熱的服従)ではない。 と言いたかったのです。そういう事です。 微妙なところに気付きましたら、ちょこちょこ直していきますので。なるべくのんびりと紹介していきます。 (あと、これは完璧に私の思索なのですが、現在の日本の仏教では禅宗のかたが原始仏教というものに近いと思ってます。) 11月4日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は、昨日、現在のニュースで出てくる新興宗教のような個人崇拝(個人に対する狂熱的服従)ではない。 というので、説明をしたのですが、とりあえず、 理解しやすいように、どんな感じなのかというのを紹介します。。 自己を依りどころとすることについて 11月5日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 ニュースを見ていると、アメリカの大統領が決定したようなので、 人種差別というのが、和らぎそうな感じで良いことだ、と(個人的に)思ってます。 それでは、仏教ではそのようなものに対して、どのようになっているのか。 仏教でも、仏陀が存在した当時には、カーストという社会階級での差別がありました。が、 (当然ですが)、仏陀は階級の平等を説いています。 人間はみんな平等です。現在は情報も全世界にほぼ行き渡っているので、 教えが正しければ、人種も民族の違いも、もうそんなに関係ないと思います。 人間は生まれで決まるわけではない。 では、(仏教では)何できまるのか。(何できまる。という話もちょっと微妙なのですが、) 人間はその人の行いによって決まります。 行いによって、善にもなるし不善にもなる。(加えて言うならば、身・口・意です。) ちなみに、私の行いはどうなのか。 普通です。(たまに抜けてることもあります。) 11月6日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は、昨日、お話しました、行いによって善にもなるし、又不善にもなるという事柄について。と、 階級の平等についてはまたこんどです。 昨日、行いについて記しましたが、 何もしていないのか。と問われそうなので、あえていうならば、私の行いは、現在このように、 このサイトを見ている方に仏教を伝えているというのも行いです。 一般人ですが、徳を積むという行い(梵行)というものになっていると思ってます。 悩まれる方もいるようなので、(厳しいようで、申し訳ないですが、) もし、私の紹介するものに、疑わしいものがあると思われるのであれば、そのような方はこのサイトを見ない方が良いです。 当然ですが、私のサイトですので、私の見解も含まれています。(私なりにわかりやすく紹介しております。) 私にミエがあるかどうか等、私について知りたい方もいらっしゃるようですが、 私はブッダのような聖者ではなくて、一般の人なので、ミエとかそういうのは、諸々、見事なまでにそろってあります。 (←ミエとかは、おそらく言うほどない方で、一般的な欲とかはそろってあります。) これは他の方も、ほぼ同様であると思います。 このサイトを見ている方の人数が、それなりに多いようですが、 このサイトで仏の教えがすべて決まるというわけではありません。 とりあえず、少し紹介しておきます、 「修行僧らよ。その修行僧の語ったことは、喜んで受けとられるべきではないし、また排斥されるべきでもない。 喜んで受けとることもないし、また排斥することもなく、それらの文句を正しく良く理解して、経典にひき合せ、戒律に参照吟味すべきである。それらの文句を、(ひとつずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味して、経典(の文句)にも合致せず、戒律(の文句)にも一致しないときには、この結論に達すべきである、── 〈たしかに、これはかの尊師の説かれたことばではなくて、それらの長老の誤解したことである〉と。 修行僧らよ。それ故に、お前たちはこれを放棄すべきである。 しかし、もしその文句を(ひとつずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味して、経典(の文句)に合致し、戒律(の文句)にも一致するならば、結論としてこのように決定すべきである、── 〈たしかに、これはかの尊師の説かれたことばあり、それらの長老が正しく理解いしたことである〉と。」 ( 仏陀の説かれた理法を、照らし合わせることについて H23.3.19 ) 自分の思索によるものであるかどうか、正しい文句を語っているかどうかは、このサイトを見ている人が自分でたしかめるものです。 また、詳しく知りたい方はご自分で本を読む等をするべきであると思います。そのようにした方が理解できると思います。(本当に学びたいと思われた方は。) また、私が勝手に思ったことも書きますし、経済の話も、 ニュースを見て何か感じるものがあればそのまま書込みます。なぜなら、 私の個人的な日記だからです。 と、現在、自分ではこのように思っています。 行いによることについて 11月7日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は、ウロチョロしている霊の話をします。色々考えた事柄を簡単にまとめます。 ウロチョロの「さえ」の力は現在かなり弱くなってきてます。現在の状況から推測しまして。 たぶん、このウロチョロしてる霊の本体、(本体(本人)はこのウロチョロに、逆に利用されてるのもあるかもしれないですが、多分、どっちもどっちで、意気投合しているような感じです。これまでの状況からして、やっぱりたいした能力はもうないというのは変わりません。) このウロチョロは本体(本人)S.Tの身体の中に入りやすくなってて、本体(本人)から離れようとしても、離れられない感じで、どっちにあやつられているかわかってないんじゃないでしょうか。(この考えには、以前本人Sから聞いた内容も含んでます。現在ウロチョロしている霊「さえ」は以前S・Tと電話をした時に、別人格として何回も登場してました。なので、本体がSとわかっているわけです。) で、この「さえ」という霊(又は人格)が、その本体(本人)から完璧に消えたならば、たぶん、本人の霊能力は何もないと思います。 要するに、本体(本人)が自分の霊能力であると思ってるのは、このウロチョロの霊(又は、人格)の能力。 (私の、人に心で言葉を伝えるという能力はこのウロチョロが相手に伝えていたという可能性があります。) あと、話が変わりますが、以前S・Nが勝手に畜生霊、「会」というのを飛ばしてきたのですが、その霊はもういないと思ってます。現在は。 (身体に入ってきた光の件(言霊や、イメージ等の能力に関しては)、このウロチョロしてる主らに知り合うよりも以前の話ですので、ウロチョロの能力とは一切関係ないです。 そのような霊を飛ばして、ウロチョロさせてる本体(本人)は、現在どのような感じなのかと考えるのですが、 もしかして、自分は神の眼をもっているとでも思っているのかと。 (そんなものは神の眼でもなんでもないです。) 幼稚な霊を人に飛ばして、その霊がくっ憑いた人の感情を読み、 それを本人(本体)に伝えて、次の行動はこのようにするとか、何だかんだと。 そして、さすがに生霊系のたぐいはしつこい。祓っても祓ってもしつこくぺたぺた。 (このウロチョロが「さえ」「さえ」等や、変な声を出す以外に何かできるのか。といえば、(すでに)大した事をできるわけでもないです。) ウロチョロの主らはそのような能力しかないのに、自分らで変なのを飛ばしているにもかかわらず、自分らはそれを治せるとか言う嘘の話があったとしたら、それは当然間違いです。方向が全く逆です。 ウロチョロに関して、現在はこのような感じです。 また、現在の状況は私が行動を控える等、そのような事をすれば効果があるかは微妙ですが、以前にも記しましたように、原因が私ではないので、原因の人Sがくっ憑ける相手を他の第三者に方向を変えたならば、また、同様の事がおこることは容易に想像がつきます。ので、やはり原因であるものをかえなければならない。と思います。 元が治まれば、すぐにでも治まると思います。(治まる方法をあげるとすれば、原因Sの別人格の浄霊です。電話で浄霊の話をした時に、霊能力がなくなるのが嫌なのかどうか知りませんが、嫌がってましたので、どなたか浄霊をできるかたがいらっしゃれば、なんとか事がおさまる可能性はあると思います。) (完璧にに畜生霊が身体に入っている人(例 他の人格をもつ等)を浄霊するのは、難しいというのはよく聞く話です。浄霊中に飛んで(跳ねてまわって)逃げようとするという事です。) 神の眼というのが話題に入ったので、ひとつ紹介します。 眼についての神話は日本神話でありますが、世界中でもあるようです。 原始仏典に出てくる超人的な眼とは、(畜生霊とかそのようなたぐいの力とは違います。) 眼について 11月8日 本日は休日です。今日もいつもどおりでした。 今日は、以前、近いうちに紹介すると言っていたところの護呪(パリッタ)について紹介します。 護呪について 11月9日 本日は一日仕事でした。今日もいつもどおりでした。 今日は、明日朝早いので、中村 元さんの説明文でも、仏教というのはこういう感じ。というので、わかりやすいのをちょっと紹介します。 「歴史的人物としてのゴータマ(ブッダ)は、その臨終においてさえも、仏教というものを説かなかった。 かれの説いたのは、いかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道である。」 要するに、自己を依りどころとすることについてを見てもわかるように、ブッダは自ら説いた教えに対しても、 (私が説いた)、というような我はない。 仏の説いた道は、あらゆる思想家・宗教家でも歩む道である。という事です。 11月10日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は、もう少し説明を付け加えたほうが理解しやすいと思うので、 護呪を唱えることについて、執著という観点から見たらどうなのか。というところを紹介します。 (一般の人は、普通に唱えるものであっても、聖者の域に達している人は下記のようになるという事です。) 真理のことばを唱えることについて 11月11日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は、外がそこそこ暖かい感じでした。 すでに葉が散りはじめてます、が、紅葉が綺麗です。 陰でする行い 11月12日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は、いとこが実家に子供(赤ちゃん)を連れてきました。 最近、私の周り(きょうだい)も子供を出産して、親戚がふえてきてます。 以前、こんど紹介すると言っていたところの階級の平等について紹介します。 階級の平等について 11月13日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は、久しぶりにいい曲を更新しました。 いい曲がたくさんあるので、ちょこちょこ加えていきます。 いい曲 11月14日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 今日は、 真理のことばを唱えることについてのところで出てきた、筏の喩えという、 「 離欲を達成したからには、見たことでも、聞いたことでも、考えたことでも、すべて知った上では捨て去らねばならない」 というところについて紹介します。 筏のたとえについて 11月15日 本日は休日です。今日もいつもどおりでした。 今日は天気が良かったです。 今日は一般の人には関係ないですが、お経で、読経に関して、般若心経や、観音経もそうですが、 供養をするにしても、内容を理解して読まないとあまり意味をなさないと思います。 (悪いのを払いたいとか思う人は内容の理解はするべきであると思います。) そして、(修験道的に言うならば、)お経は神棚で唱えても良いという事です。 護呪である詩句は、普通に仏壇でも神棚でも良いという事です。 とりあえず、神棚で唱えるのに心配であれば、御神札を祀ってる神社の宮司さんに聞いてみれば良いです。 「普通はお経は神棚では唱えません。」という感じであると思いますが。 霊能力がある人から見ると、神様にお経を唱えることは神様に御花を献供しているようなものだという事です。 神様にもよるとは思いますが、だいたいは良いと思います。 一般の人は、場所等も考慮した上で唱えても良いと思います。 意味も理解せずに、どこででも唱えるものではないです。 仏陀と法と僧伽について 11月16日 本日は一日仕事でした。今日もいつもどおりでした。 今日は、明日朝早いので、リンクはなしと思ったのですが、短いのを紹介します。 (↓これは中村氏の訳ですが、私が紹介するのは中村氏の物だけではないです。 ので、訳し方が多少異なる物もあります。) 尊敬を受けることについて 11月17日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日は天気が曇ってました。まだ気温は暖かいです。 今日は、昨今、食に関する事で、多食する番組を最近テレビでよく見かけますが。 それはそれとして。 ここで、ちょっと紹介します。 食事の際に適量を知ることについて 食に関しては、日本にも飲食の慎みを提唱していた人がいます。 水野南北という人です。相学では大家の人であるので、占術に詳しい方はご存知であると思います。 この人がいうには、『相法極意修身録』の序で、 「私は数年間、観相を生業としてきたけれども、食の貴きことを知らぬままに相手を観相した。 貧窮短命の相がある人でも短命の相がある人でも福運があって長命であるとか、富貴延命の相がある人でも短命の者がいた。そのため、相学では吉凶を指摘することはできても、明確に断定することまではできなかった。 (吉凶の断定は)すべて食を慎んでいるか、慎まないかにあることをようやく覚るにいたり、それからは観相する前に、まず相手の食の多少を聞き、それにより生涯の吉凶を占断すると、万に一つのはずれもないようになった。そのため、これを私の相法の奥義と定めることとする」 つまり、南北はそれまで培ってきた相学に加え、食の節制を見ることにより、百発百中の的中率を得るようになったとされます。 「人間は食をもとにしている。たとえ良薬を用いたとしても、食わなければ生命を保つことはできない。 それ故、人間の良薬は食である」 「それ故、人生の富貴、貧窮、夭折、困窮、安楽、さらに立身出世、栄達は、みな飲食の慎みにあるというべきである」 という事です。 ↑現在、占術家をされてる方も参考になると思います。 11月18日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日は天気が曇ってました。前にほんのちょっと雪がチラホラしていただけで、それから雪を見てないです。 今日は、明日朝早いので、リンクせずです。 11月19日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日は雪がつもりました。結構寒いです。 今日は、輪廻というものについてもう少し解りやすいように紹介します。 (先日に占術に関して紹介しましたが、原始仏教の戒律の中には種々の占術も含まれています。聖者は占術をする事から離れているという事です。) 輪廻とは 11月20日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日は外に出たらガッツリと雪が積もってました。(10cmくらいですけど。) 今日は、明日朝早いので、リンクせずです。 昨日の輪廻についてで、もう少し説明を付け加えますが、 ブッダはアートマン(霊魂、我)とされるものが有る、又は、無い、 そして、そのようなものが輪廻し流転すると説いているのではなく、 縁によって生じる認識等、その他諸々があり、縁がなければ認識等・その他諸々の生起はないという事柄を説いたのです。 要するに、霊魂云々というのではなく、縁によって、物事は生起するという事柄を説いたのです。 (明日は朝仕事なのですが、臨時的な感じで夜も仕事がありますので、明日もリングせずです。) 11月22日 本日は休日です。今日もいつもどおりでした。 本日は、天気が曇りです。なんとなく寒い。 今日は、掲示板より、愛というものについてを、上げとこうと思います。 愛というものについて、新訳のも一つ紹介します。 愛というものについて 愛(新訳による) 仏教の他の教えでも、聖者とされる人がいますが、大体、伝えた事柄は似通ってます。 聖者とされる人で、(死後にでも)物質に依って幸福が得られると伝えた人はいないのではないかと思います。 要するに、神に依るか、自己(仏法)に依るか。 自己(仏法)は、神の道もその途中に含まれています。 例えば、(仏法の視点から話をすれば)、キリストさんは、多数の人々を救ったとされますので、 その行い(業)により、天上界に上がるとされるのも、当然の事であります。 神の道には、涅槃に至るという教えがないので、生まれかわる(生まれ変わらざるを得ない)というのも 当然のことであります。(神霊にも欲とされるものがあります。) 掲示板にも以前記しました、悪魔は天使にもなりえるし、天使は悪魔にもなりえるという意味が このサイトを見ている人で、お気づきになった人もいらっしゃると思いますが、 要するに、聖者とされる人から見ると、現在の物質的主義に依っていこうとする道は、(聖者から見ると、)悪魔の誘いであるのに対し、 逆に、わたし達のような一般の人から見ると、物質的主義(物質や快楽が豊富であればより良い)に依っていこうとする道は、天使の誘いであると思われるわけです。(聖者から見ると、これは悪魔の誘いということになります。) わたし達のような、一般人(凡人)は、教えを聞かなければ、このような真理に気付くということが難しいということです。 11月23日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日の天気は曇り。気温はそこそこ暖かいような感じがしました。 今日は、友人がこのサイトの内容を見たところ、最初のページから、 ちょっと内容が難しい(もう少し解りやすくした方が良い)という事でしたので、 もう少し理解しやすいようにするべきかな、と、ちょっと思ったところです。 住職の方等(専門的な方)を、対象に記している部分もありますので、どのようにしようかと思案中です。 このサイトをご覧になっている、他の方は理解できてますでしょうか。 とりあえずは、友人には口頭で。サイトはこのまま、普通に進行しようと思います。 ↓こちらは、以前より気になってました、エコに関してです。 eco(エコロジー) 11月24日 本日は休日です。今日もいつもどおりでした。 本日は、天気が晴れです。暖かい感じでした。 今日は、ちょっと違った感じのを紹介します。 地球の大きさ 地球ってこんなに小さいんですよね。 人間はもっと小さいです。 11月25日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日は天気が晴れてました。そんなに寒くはなかったです。 今日は、いい曲を更新しました。 いい曲 11月26日 本日は朝から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日は天気が晴れ。たいして寒くはなかったです。 今日は、地球温暖化等に関して、もう少し詳しく紹介します。 アル・ゴアさんの講演です。 とても解りやすくて、納得できるものであると思います。 地球環境についての講演 11月27日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日も天気が良かったです。気温はそこそこ暖かいような感じでした。 外の空気がやっと冬の匂いなってきた感じです。 今日は、数日ぶりに仏の教えを紹介します。と、その前に、 先日、神霊にも欲とされるものがあると記しましたところで、少し説明を加えますが、 神霊種々の中で梵天とされる神霊は、欲から離れているとされます。 それでは、なぜ、欲もないのに梵天が天界より下に落ちるのかというのは、 梵天は、梵天界の境地を、この〔境地〕は常住である、という決定の観念を持っているためとされます。 無我について 11月28日 本日は午後から仕事です。今日もいつもどおりでした。 本日も天気が良かったです。 今日は、極端にならないようにという教えを紹介します。 〔 ↓私の場合は、第二の方の欲が出やすいところがちょっとあります。ので気をつけていきます。〕 要するに、極端に執著する心に対する戒めです。 両極端について 11月29日 本日は一日仕事でした。今日もいつもどおりでした。 本日は帰りがけ雨が降ってました。 昨日の内容ちょっと修正。 11月30日 本日は休日です。今日もいつもどおりでした。 本日は雪です。結構寒かったです。 今日は、ひさびさにウロチョロに関して。 ウロチョロはまだ、ウロチョロしてますが、もう大して気にする必要はないんだろかなと思ってます。 今後も、もう大したことはないだろう、とそんな感じです。このごろは発言もちょっと遠くなってきてます。 自分自身もウロチョロに関して抵抗がついたような感じです。 頭は以前からスッキリしてて、体調は以前の体調が良かった時と同じ位かそれよりも以上に良い感じです。 短い間で普通の人が体験することができない事柄を多々体験してしまったなと思ってます。 (古い文献で、神霊等の様々な霊的な事柄が記してあることも、「だからこのように言っているんだ」と、納得できるものが増えました。) 霊的な存在は普通にいます。わからない人はわからないだけで。 周りも段々と落ち着いてきてるので、今後、この日記も毎日びっしり書くこともなくなると思います。 普通にのんびり更新していきます。(教えに関しては、大体大きな事柄は伝えたつもりです。) 現在紹介した内容ではまだまだ理解はできないでしょうけども、ベースにブッダの教えがあれば、他の宗教の教えも理解できると思います。 例えば、霊的な力に関して理解しやすいものを一つ。 他の宗教で聖者とされる人で、摩訶不思議な力(超自然力)で、たくさんの人を癒したとされる方がいるとして、 (一般の方は、そのような霊的な力を表にあげられると、この人はすごい聖者であると、このようにいいますが。) それでは、ブッダはそのような力はあったのか。という疑問がでてくるのが当然であると思いますが、 仏典でも普通に霊的な力に関して出てきます。(六神力等)。が、 それでは、なぜ仏教では、そのような霊能力をあまり表にださなかったのか。 これは、仏教の目的が、人間の究極の苦しみをなくすものであるからです。 究極の苦しみをなくすとは、すなわち解脱であります。要するに執著を滅することなので、 そのような霊的な力を使用して物質に影響を及ぼして、生存に執著を起すと、逆に解脱から遠ざかります。 また、目的が信者を集めるということでもないので、そのような力をあえて表にだすという必要がないのです。 このような感じで理解できます。 護摩に関してもいずれは、紹介するつもりでおりますが、本来の仏教では、護摩修法は道理としてもないです。 護摩修法は祭祀に関する事柄です。(仏の弟子は祭祀をするわけではないので、祭祀とは異なります。) 護摩修法を行う方、または修法を受けるかたは、これらの理解があったほうが良いと思います。 (また、現在スピリチュアル系等で、アチューメントやらイニシエーション等は(個人的に)あまりおすすめできません。 あと、このサイトを見た人は、このサイトを見たことにより新興宗教に入るべきではありません。) 一般の人は、このような霊的な能力に注目して執著してしまいます。それが(何も知らない)普通の人です。 聖者は執著することから離れています。 聖者と、普通の人とはこれほどまでに違います。 12月7日(2008年) 数日ぶりです。更新することも一気に減ってしまいましたが、 今後も自分のペースで更新していくつもりではいます。 今日は、縁起についてもうちょっと理解しやすいように下記を紹介します。 (縁起の理法全体にについての詳細部分もまた今度、機会がありましたら。) 法というものを知っても、それをきちんと行うというのは難しいことです。 世の中には、このような教えが広まれば、世間の価値感が変わってしまうのではないか等と 思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、まず、そのような心配は必要ないと思います。 人間の欲というのは、そうそう簡単に否定できるものではないからです。 簡単に欲というもの抑制できるなら、いつの時代の聖者も苦労はしてないでしょう。 〔私も正直欲に流されやすい(ところがある)ので、ちょっと困ってるところもあります‥。〕 ちなみに、私が紹介しているのは、昔の聖者の教えです。 昔の聖者の教えを再び、表に上げているだけで、 このサイトはブッダの説いた教えを紹介するものですので、 現在の仏教に異なるところが多々あるとすれば、現在の仏教が理法から それてきていたということになりえます。 感受の生起 〈縁りておこること〉 H20年12月9日 二日ぶりです。う〜ん‥。とちょっと考えてるところですが。 昨日、テレビを見ていたら、人生には「欲が必要である」という事を言ってた人がいましたが、 私も(社会的には)当然の意見だと思ってますが、人生において欲が必要であるというのは普通に考えても当然です。 このサイトに記してある内容は、逆の流れだなと自分でも理解をして、 それをふまえた上でいままで紹介をしていたのですが、 (何度も説明済みです⇒他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。 他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。 解し難き真理を見よ。無智なる人々はここに迷っている。) 私の中で理解しているので、その上で説明をしてから紹介をしているわけですが、 「逆の流れだから良くない」と、なぜか、内容をそのまま捕らえてしまう方が多々いるようなので、どうしようかと、考えてます。 このサイトは逆の流れで矛盾があるという事柄に関して、 もともと私達にも矛盾があるのですが、 とてもわかりやすい例で一つ説明をすると、 日本でみなさんがお墓参りするお彼岸の、 彼岸とは、煩悩(欲望)の激流、又は海の〈此岸〉から、 修行によってそれを渡りきった向こう岸です。 つまり輪廻を超えた涅槃の境地ということなのですが、 この時点で、すでに、私達に矛盾が生じているわけです。 人生を楽しくすごすためには、欲が必要。しかし、亡くなった人は欲があれば、向こう岸に渡れない。 なので、こちらの岸に戻ってくるわけですが。 また、私達が亡くなったご先祖様等に「成仏してください」というのは、 釈尊と同じ悟りの境地を体現できますようにということです。要するに『解脱できますように』です。 で、このサイトで欲があれば、彼岸に渡れませんよ。と説明をするわけですが、 世の中は欲がなければダメだと、普通の人はみんなこのように言う。 このように言ったほうが私も楽で簡単なわけですが。そうなると、このサイトで本来の仏教を説明する必要もなくなるわけで。 私はあえて、私自身も欲や快楽の激流に流されそうになりながら、(すでに、何回も激流に流されてますが。) 彼岸へ行く教えを紹介しているわけですが。 う〜ん‥‥。と。 普通の人〈特に座禅をしたことのない人)にはやはり理解は難しいんだな。と。実感をしました。 紹介をして、あ〜だこ〜だと言われても、さすがに(ブッダの言葉で説明をさせていただくならば) 『「わたくしの悟り得たこの法(真理)は、深遠で、理解しがたく悟りがたい。静寂であり、卓越していて思考の領域を超える。微妙であり、ただ賢者のみよくそれを知ることができる。 ところがこの世の人々は執着のこだわり(五つの感覚器官=視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五官の対象)を楽しみとし、執着のこだわりを悦び、それらの執着を嬉しがっている。それらの執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、それらの執着を嬉しがっている人には、<これを条件としてかれがあるということ。(全てのものには原因があって、結果があるということ)>すなわち縁起という道理は見難い。またすべての形成作用(存在)のしずまること、すべての執着を捨て去ること、煩悩の消滅すること、貪欲を離れること、止滅、それがすなわち涅槃(完全なやすらぎ)というこの道理も理解しがたい。 もしわたしが理法(教え)を説いたとしても、他の人々がわたしの悟った理法を理解しなければ、それはわたしにとって疲労があるだけだ。わたくしには憂慮があるだけだ。」と。 そして、いまだかつて聞かれたことのないすばらしい詩句が世尊の心に浮かんできた。 「わたしが苦労してさとり得たものを、いま人に説いて何の得るところがあろう。貪欲と憎悪とにうち負かされた人々にとって、この法をさとるのは容易ではない。常識の流れに逆らい、精妙で、深遠で、理解しがたい、微妙なこの法を、貪欲に汚され幾重にも無智の闇におおわれている人々は、見ることがない」』 とこうなるわけなので、ちょっとどうしようか考えてます。 とりあえず、しばらくの間は更新しません。 (私も現実的に試験勉強をしていかなければならないので。) ウロチョロに関しては、私はもう気にしてません。 本体のSが誰かに浄霊してもらったのかどうかも知りません。 (誰か有徳の人がいらっしゃったら、彼女ら三人をまとめて浄霊してあげれば良いと思います。 慈悲の心で。彼女らの病気も治るかもしれません。) ウロチョロも私が気にしなくなってきたので、多分ほどなくして戻って行くと思います。 私のところでウロウロしてても意味がないので。 とりあえず、理法に関して興味が出た方は座禅をして見ても良いと思います(数息観から)。 頭で考えても、理解し難いです。 (頭で考えただけで、理解できるわけがないと私は思ってます。) 他の人達は頭で考えただけであ〜だ、こ〜だとなっているようですが。 そのような人も、座禅をして見ても良いと思います 座禅をしながら、ここで紹介した内容を考察してみれば、 納得できるものもあると思います。 あと、後から説明しようと思っていたのですが、ついでに説明します。 私の中に入った光についてですが、 私の中に入った光は座禅をしている時、 頭の中が全く空っぽの時に、遠いところから入ってきました。 眼を半眼にした状態ですが、遠くから、段々と近づいてくるのがわかります。 そして、身体に入ってくる瞬間は、スッーっと、という感じではなく、 それこそ「ドーン」という感じで、実際に後にのけぞるくらいの衝撃で眉間のあたりから入ってきます。 入った後は、その光は、ハッキリと自分でわかるように身体の中を動きます。 熱いものが動くので、ハッキリとわかります。 チャクラの箇所をとおって、最後に身体のある場所で消えます。 (場所などは自分で体験してください。普通は体験できるようなものではないかもしれませんが、 動き方は錯覚でそのような気になる人がいるかもしれませんので、あえて詳細は記しません。) とりあえず、欲にまかせたままで私達が進めば、地球環境等がどうなるのか。 また、経済も欲というものを意識しないで、現在に至っており、現在のような経済状況になっております。 そこで、果たして人間は欲というものを抑制するようにしたならば、経済は発展しないものとなるなのでしょうか。 社会的に欲がなければ、社会がなりたたなくなると思ってる方がいらっしゃるようですが。 現在のように、あとからドカンと崩れるくらいなら、あまり欲をださないで、地味でもコツコツと 経済なりなんなりを崩れないよいうに発展させても私は良いとおもいますが。 これから、生まれてくる子供達等のためにも。 あと、ニュースを見ていて思ったのですが、(全く話は変わるのですが、) 私の中では老人や病人、子供等の弱者から優先的にいろいろ保護していくというのが普通だと思います。 以前の日記より半年位。 H21年5月24日(2009年) 今日は天気が良い。すずしい季節になってきました。え〜と、久しぶりですが、ちょっとだけ更新しておきます。 このホームページではないのですが、 違うところで普段の日記をつけていて、 (途中から他でザワザワ感がでてきたので) そっちのページで霊的な内容のを記した部分もあるので、 そこのところを、改めて書き直すのも何なので、必要がありそうな感じの部分を抜粋して、 コピペで紹介しておきます。 いままでの、あらすじ等です。 H21/1/25(2009年) 理解できる人には、理解できるが 理解できない人には、理解はしがたい。 明らかに、読んだだけで理解ができた人は、 もうすでに、大きく変わり始めているのに気付かないのだろうか。 それほどに、絶妙な内容であるという事に 気付く人は少ないらしい。 真理の言葉というものは心に響く。 H21/1/27 なんとも‥まぁ‥言いがたいな。という感じではありますが え〜と、私は普通の若者です。 現在はホームページを更新するという気持ちに心が傾いていません。 なぜならば、欲を制しているわけでもないので。 そこらへんの若者と大して変わらんのです。 他の人が揺ら揺らしているようなので、しばらく静観。 あと、私の行いがどうだから、言葉の権威が失われる等と 思っている人がいるかもしれませんが、真理の言葉は不変ですので、 心配する必要はないです。 そのような人の言葉を信じるのか?という疑問を投げかけてくる 人が出てくるのは当然でしょうが(平凡により)、 真理の言葉(法)は不変であって、 私の行い(それを伝えた人の行い)からは すでに離れているという感じで伝えれば、問題ないでしょう。 正直、世間の騒ぎは自分のせいではない!と強く思っていたので、 あまり気にしていませんでした。が、 事柄が世界的に未曾有なケースであり、 私も霊的な事柄により、 すでに中心的な感じで巻き込まれていたようなので、 物事はなるべく丁寧に。 とりあえず、自宅では放送はみないように心がけると。 世間の人は、諸所一般の事柄を思考する。 世界的な権力者である人は、国、地球規模で思考する。 大きな戦争はもう起きそうにないという感じを受けましたが。 輪廻する業の思想にもとづく。(業はブッダの〈も〉説く真理です) 私も、諸所一般の事柄を思考する。 できれば、あらゆる宗教の宗教間の対立 がなくなればよいと思考する。 私個人の霊的な対立は、同じ土俵に立つことのにように、 気にせずに、この苦しみを忍耐していこうかなと。 そのような感じではあります。 スー、ふ〜、しょうがない‥。っと、心に決めて、 自分自身が体験して、自ら知った事柄を語ったところで、 相手には伝わらない。 私がいままでに体験したことは事柄はすでに、人智を超えている。 体験は多々あるが、そのどれをとっても 世間一般の人の人智を超えている。 なぜ、そのような体験を世間一般の人の人智を 超えた事柄といえるのか、 それは、無知であった頃の私は、 初期には戸惑い、恐怖したからである。 現在ではそのような恐怖は、全くと言っていいほどない。 この時点でも、私の霊的な体験による感覚は 世間一般の人とは異なる。 その事を他人に伝えたところで、 それを理解できる人は少ないだろう。 今までで理解できる人が全くいないというわけではないが。 信のない人には理解しがたい。 (←困惑するかもしれないので、一応、追記しておきます。信念、教えについて) H21/1/30 え〜と、私が心に思うには、 業の思想とありますが、業(カルマ)はブッダの説いた真理 でありますので、そこのところはみなさん自身が 心に留めて置くべきことであると思います。 また、現在、私は通常一般の生活と、霊的な感覚の生活が いりまじっておりますが、 (以前は一気に両方きたので少々戸惑いましたが) 通常の生活をしている人たちは、ものすごく 物質に囚われているというか、物質世界の中だけの認識しか ないようなので、 そのような人達のためにもなるようなのを一つ紹介でもして おきましょう。 これは(私の中では)ほぼ確信的に 真理と合致すると思われますので みなさんも、肝に銘じておいた方がよろしいかと思われます。 ブッダの教え 「かれが身体によって、言葉によって、 または心の中で、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、 かれはそれを隠すことができない。 隠すことができないということを、究極の境地を見た人は、 説きたもうた。」 あなたが他人にした行い(心も含む)は、 霊的に言っても隠す事はできないと思います。 化生の存在としてでもです。 後からでも、気付いて、そうだったのかぁーという 方もおられるかもしれませんので、心に留めておいた方が よろしいと思いますよ。 あと、私的に思うのですが、 私に対してする悪意をもってする悪行は悪行をなした人に その悪業が返るときの返りが大きいかもしれません。 今生だけでなく。 とりあえず、そのようなもの(悪意)はスルーする 感じではいますので。 これは、因果応報は私だけでなく、 みなさんも同様なんですけどね。 私が、この人はないな、と思う人は、 つまりはその人とは親しめないという事です。 それ以上でも、それ以下でもないです。 とりあえず、あまり悪い行いはしないように一緒に心がけましょう。 欲を出すのもほどほどにするように心がけましょうw H21/2/9(2009年) 一つ本から引用してみようかなと思います。 瞑想というものについてちょっと 「瞑想は新たなるものの不断の開示である。 新たなるものは反復的な過去を超越したものである。 瞑想とはこの反復に終止符を打つことである。 瞑想がもたらす死は、新たなるものの永生である。 新たなるものは思考の領域にはなく、瞑想とは思考の沈黙である。 瞑想とは、何かを成就することでも、まぼろしを見ることでもなく、 感覚を刺激することでもない。それは押さえる間もなく勢いよく流れ て、氾濫する川のようなものである。 瞑想は音のない音楽であり、決して使い馴らしたりできる ものではない。 それはそもそものはじめから観察者の存在しない沈黙である。 聞く準備のできている人には、 とても有意義な内容であると思いますよw 一般の人には、多分わけがわからないでしょうw 上記の文章から、みなさんにとって有意義であろうという 感じのところを抜粋しますと、 ○新たなるものは思考の領域にはなく、瞑想とは思考の沈黙である。 ○それはそもそものはじめから観察者の存在しない沈黙である。 どのような人でも通っていくところであると思いますよ。 で、この上記二つは、とてもイイ(大切な)事柄を述べている と、私は思いますよ。 H21/2/17 私の周囲(本人に関係ない物事)は全体的に、あまり意味ない
という感じ。がする。 ま、これは一人ごととして。 世界はかなり変わってきてる感じをかなり感じるわけだけど。 アメリカとかの人たちは、即行動だね。 信仰の大きさというか、そういうのは、 日本以上にはあると思われる感じ。 善性が花開くと、かなり美しいね。 それとは別に、群集意識の外に出てない人は、みんなそれぞれ、 平凡な人生を送ってるらしい。 ま、それはそれで、いいのですが。 ちなみに、全体的ってのは、あなたもわたしも、みんなオール。 とくに、私も行いが凡人(そこら変の兄ちゃんみたい)なもんで、 なんともいいがたいな〜。 う〜ん、凡人すぎて不浄w 凡人しかいない世界っていうのは、こういう感じなんだね。 自らに凡人っぷりを痛感する今日このごろでした H21/2/23世間の事柄に関して、 世間の事柄で、あ〜だこ〜だ言っても、ほとんど意味をなさず。 一般世間の人は、みんな迷ってるし。 道を見出せずにいる人がほとんど。 あ〜、自分は真実見て生きていこう と心がけるのでした。 えーと、ネットのニュースで見たのですが、 ある教えを宗とする方が、 他の教えを宗とする所へ、参拝しにくるという事は その事柄自体が、いままでにはあまり無い事柄であると思いますが、 この国では、古来より多神教の考えなので、 この国の人には、この事柄の大きさがわかりずらい のかもしれませんね。 執著が一つ、薄らいだ、除かれた、どちらかでしょうか H21/2/23 微妙な感じいろんなコミュを見てると、(禅とか瞑想とかのやつ) 黒(暗)と白(明)の混ざった感じになった人が結構いるようですね。 う〜ん、 〔内面に〕(暗)がまざってるってのは、 〔内面の〕(暗)っぽいのがきちんと認識できていないゆえだと思いますよ。 おおかた、動物ちっくな感じのに、 自ら好んで絡んでしまうような人は、 暗的内面(血とかグロい感じのやつ←暴力的な感じ)のも まざるんじゃないかと、ちょっと思います。 (↑上記の場合(暗的内面というの)は身体に対する内的な地の要素(髪、毛、歯、肉、骨、内臓等)や身体に対する内的な水の要素等をあるがままに見る場合のことではないです。 身体に対する内的な地の要素、水の要素といわれるもの等を、 あるがままに見ることは有益です。) 真理とはあきらかに異なるものなら そこに見出すような錯覚が あるかもしれないけど、 聖者の説いた教えでは、善でしか、 真理を悟る道理はないですよ。 わかりやすく言えば、グロい感じの方向には 安らぎはないって感じですね。 この日記を見た人は、↑これを心に留めて 置いたらプラスになると思いますよ。 瞑想とかで、誤ってグロい方向へいっちゃわない ようにしましょう。 禅、瞑想とかで、グロい感じをかもし出しているような人とは、 あまり絡まない方がイイと思われます。 なぜならば、その人自身もあきらかに、迷っているのが 一見してわかるからw まず、グロい方向に真理はないという道理を知らないと 抜け出すことが容易ではないかもしれないですけどね。 この日記を見た人は、そんな感じなんだっていう 感じで知っとけばイイ感じ。 ま、なにはともあれ、 みんなで善い心がけをもっていきましょう (ちょっと、追加。 表現が微妙なわけで、 では、例えば、陰と陽な感じで。 う〜ん、微妙な感じではありますが、 とりあえず、ちょっとした参考までに 無明があるから明智がある ) H21/3/2(2009年) 子供の国 子供の国に大人のふりをした子供がたくさんいる
子供の国を司っていると思っている人たちもたくさんいる しかし、その子らもまた、大人のふりをした子供でした あなたであり、私であり‥ H21/3/3 内容に入る前に前回の日記の子供の国なんですが、 大人もさすがにいるとは思いますよ。 その大人っていうのは、 多分、 前回の日記を読んで、 「あ〜、そうかもな」というように、 ちょっとでも、自分で考えてみた人かもしれません。 (1月末から自宅でテレビというものは見てないですよ。と、 まぁ、自宅でテレビを見るということは、 もぅしばら〜くはないです。 要するに、周囲のざわめきもほとんど私が関与していない、 関係がないって事です。) え〜と、まぁあれから、数ヶ月ですか。 いろいろと体験をしだしてから、 まぁー、あんなことやこんなこと、 そんなことやどんなこととか、わけのわからない事がたくさん ありましたが、 ま、とりあえず、現状まででわかったことといえば、 霊的な事柄に関しては、その当の本人や、周囲の見えるかたや、 経験者にしか、やはり、わかりにくい。というか、 ほぼ理解できないんではないかと思います。 例えば、 感情だけで、霊的な存在と話をするという感覚は みなさんはどのようなものかわかりますでしょうか。 また、言葉がなし、感情だけで伝わる感覚というのは みなさんはどのようなものかわかりますでしょうか。 これは、正直、私も実際そのようになるまで、 想像できない感覚でありましたので、 やはり、普通の認識では極めて理解しにくいもので あると思います。(ほぼ無理) なので、まぁ、あんまりそういう事柄を記すのも、 ちょっと控えようかなと思っております。 なぜならば、聞きたがる人が多いから。 (隠すとかそういうのではなく) 会社でテレビ(休憩)を見ていて、 まぁ〜、ボーと見てるわけですが、 弱冠、その物事の捉え方が、普通の人とはやはり違う感覚に なってしまうわけなんですよ。 なぜかって、それは他の人にはわからない世界が あるというのを、確実に認識できてるわけですから。 一般の人は、表面しか見えてないけど、 霊的な世界を知ってる人は、 やはり内面の方向で考える事が 多いかもしれませんね。(人によりますが) う〜んと、そうですね〜、 世の知的な人々、学者やなんかいろんな物理学者とか、 表面で全てものごとをとらえるような人々には、 なかなか理解しがたいものがあるとは思いますよ。 ま、そういう人ってのは、あまり最初からそういう世界を 前提に考えない感じが多いでしょうから。 たとえば、普通の人と、それとは異なる人との違いを簡単に 説明をしますと、 普通の人(人生一度きり) 霊的な人(人生は長い輪廻の中の一つの過程) ↑要するに、例えば善と悪で考えると、この場合、 普通の人は人生一度きりですから、その後がないという物の考え方 ですよね。ということは、善と悪の判断も その一度きりとする人生の中での判断になるわけで。 霊的な人は、長い輪廻でとらえるので、善と悪の判断も その輪廻の長い期間での判断になるわけですよ。 まぁ、欲に流される事はショッチュウあるわけですがw 聖者にいたっては、輪廻を終わらせるということのためになるわけで。 聖者の善悪の判断で輪廻を終わらせる(脱する)ことができるので あれば、私達のような凡人もそのような教えを すこしでも学べばよいわけで。 まぁ、これも普通の人には関係ないかな。 世の中にはたくさんの霊能力者がいるとは思いますが、 それなりの経験をつんだかたも、いらっしゃるでしょうし、 考え方は人それぞれでしょうからね。 ただ、これだけは言えると思うのは、 物事の本質(真理)っていうものを、 本当に見出そうと思っている人は、 魔術とか錬金術とか、カバラーとかそのような神秘的なものを、 色々研究するでしょうが、 結局は仏の道(自己の道)に戻ると思いますよ。 原始仏教が、理解できる感じで世に出たので、 これから、仏陀の説いた教えを学んで進んでいく霊能力者も おのずと増えるでしょう。 なぜならば、わかる人は一回読んだだけで、 これだ!ってわかると思いますから。 ↑(897 すべて凡俗の徒のいだく、これらの世俗的見解に、智者は近づくことがない。かれは、見たり聞いたりしたことがらについて「これだ」と認め知ることがないから、こだわりがない。かれはそもそもどんなこだわりに赴くのであろうか) 矛盾っぽくなってるので、一応追加説明、とりあえず筏の喩でとらえてください。見いだす前と、見いだした後とすると、上記は見いだす前のことです。 ま、あとは、何かしら知りたい人は、 テレビに出ているような人から情報を聞くなり すればよろしいかと。 テレビに出てる人の霊的知識も、おおかたシルバーバーチとか、 神秘主義、神智学とか、自分自身の経験、等などの知識でしょうから、 聞いてたら、なんとなく、あ〜、こんな感じなんだな〜(どこどこの系統の 教えを語っているか)ってのが、 理解できると思いますよ。 〔 ← TVでおもに霊的現象を語っている普通の霊能力者等の話は、結構、聖者の説く真理からはほど遠い事もよくあるので、参考程度とだけして、自分で原始仏典や聖典を読むべきであると思います。〕 で、仏の教えというのは、 普通に、それらの最上にあります。 (↑他の方(聖者)の教えでも、同じものを見ている方は、 同じような教えを説いていると思います。 同じ方向だから当然なわけではあると思うのですが、 そのようなことは、あえて言わなくてもわかっているだろう と思いましたが、一応、説明です。 普通に読んでても、「あ、同じだ。」ってのは、すぐ気づくでしょう。 というか、すでに気づいていると思います。 照らし合わせて。 おー!だから、このように言っているんだ。 すごいな!と。このようになると思うのですが。 ↑個人的にはこんな感じです。 異なる教えを語る聖者同士の言ってる言葉をあわせても、 真理は同じなわけで、やっぱり言っている事柄は、 同じような感じになるのは当然だと思います。) こっちの状態をみて、あ、今何か言った!とか、 そういうような感じで、 霊は存在する、又は霊は存在しないとか っていう認識しかない人達には、 まだまだまだまだ理解が難しいと思いますよ。 仏の教えがどれほどにすごい教えかっていうのも、 多分、理解出来ない人がほとんどでしょう。 原始仏典を翻訳をしている人の中にでも、 霊的な存在をたんなる伝承にすぎないと見ている人も 少なくないようですから。 世の霊能力者も大方、召喚術とか、 星霊を崇拝とかな感じでしょうから。 その中でも、ブラフマーの世界を目指す等でしょうから。 ま、そのような感じで、 あまり他のところにはもう興味がわかないので、 この日記もしばら〜く、 霊的な事柄は一切記すつもりはなし。 ホームページの日記もしばら〜く更新はせず。 あとは、日常のほのぼの日記でも記しましょう。 本日も、会社でテレビを見て、普通の人がどうこうと 言っているのを、ボーと観察しておりました。 う〜ん、こういう人たちには内面のこの感情が わからないんだろうなと。 ま、いいか。と ボー。グー‥w やっぱり顔の表情で判断をされるようですが、 って、普通の人はそれでしか判断はできない。 ましてや、話をしたこともない人だから。 ま、別にいいかと。 アナウンサーの人とか、あと他の方へ わけのわかんないのが、 ときおり邪魔をするときがあるかもしれませんが、 そのような場合はちょっとゴメンなさい。と。 〔 ← 休憩時間にみんなでTVを見るという習慣の職場であったので、せめて画面を見ないようにしていたのですが、それでゴメンなさいです。〕 気にしなければ、影響も受けないと思うんですが。 〔 ← 愚悪霊による恐怖心をおこさないように。〕 自分らで呼んでるようなのも見受けれられますが‥。 〔 ← 自分ら(番組)で故意に音声を入れて、悪霊に声を吹き込ませようとるやっているようならこちらとしてもどうしようもないです。畜生霊とその仲間達から送られた悪霊のさえは自らの意思(悪意)で声を発するからです。私が嫌がらせをされていると、喜んで一緒になって嫌がらせをする悪霊で本当の悪魔。で、この悪魔の仲間になっているのは誰々なのか。あと、好奇心というかこの生よりも後のためにというか、で訊ねたいのだけど、仏典や聖典でモロに、あなたは悪魔の所業をしているということがわかった時の悪魔(悪霊を使って悪さをしている連中、含む)の気持ち〔自分らが聖典の教えにモロに反している〕はどういう気持ちなんだろうか?と思う。(一般的な世間の悪者の話は今は別。) あなた方は聖者よりも目がよく見えていると思っているんですか。そもそも勝義も見ていないないのに。それなりに力があれば、もっともっと先を見て、あなた方のような極悪な業は怖くて積めない。 なぜならば、見えているから。畜生霊とその仲間達は全然見えていない。さえと名乗る悪魔と同じく。あなた方はもう、やらかしちゃってるからね。〕 今日は寝不足込みで、ちょっとイラっとしてましたがw あと、他のその次の方たちへ。 気にしなければ、なんの害もないので。 逆に、そっちにかなり低級な霊が憑いてたら、 そいつらが嫌がって離れていくとでも思ってもらえれば。 ま、それはどうかはわかりませんが。 とりあえず、見ての通りですが、周囲でものすごい悪影響を 受けた人とかはいまのところいないので、安心してください。 他の仕事の仲間を見ても、以前と全然変わってないというのが 一目瞭然でしょう。(職場ではあんまり話さないキャラです。) 不思議体験をして、爆笑をしていた人もいますので 要するに害は無いです。 アホなのでイタズラをしてるだけです。 私の指示でそういう事をさせているという事もないです。 あと、関係ないですが、私の周りで、今年すでに、2件結婚の話が 成立する予定ですので、案外いい影響もあるかもしれません。 かもですけど。 この場合、ウロウロではなく、なにか他の存在。 ↑プラス思考な考えで。 H21/3/6 (自分の事柄です。)う〜ん、ある人の言葉に影響力が本当にあるのかどうか 謎。 というか普通信じない というか、そういうものを信じる必要はない (第三者の事柄です。) 何かしらの書物で、人の心がかわるのだろうか。 う〜ん、読んで心が変わったりする人ってのは、 やっぱり、自分の心の中になにかを持ってた人なんだろうなと。 書物ではなく、自分自身に。 H21/4/4ネットニュースでも、世界の動向が善さそうな感じを受けたので とりあえず、ひと安心という感じでしょうか。 争いはないにこしたことはないですね。 生存せるものたちの中において、争いのあるとこに 安らぎはない。 宗教の教えの違いに関係なく、争いのあるところには、 なんら真性なものはない。 仏の教えにおいて、争いのあるところに真理を 見出しえるという道理はない。 ↑私が魔に対してイライラ♯しているときも、 なんら真性なものはないし、真理も、 安らぎも見出しえないということです。 仏の教えにおいては、 魔に対してでも、怒らず、 かといって、親しむこともなく。 悪の行いになずんでいる人とも、親しまないように。 H21/4/7昨日、街中で聞いた私とは全く関係のない人の会話をちょっと。 「何でこういう事をしているかしらないんだよね」 ほとんどの人がそうなんだろうな。と。 上の人が何も見えてないのに、 それに従う人が見えるわけない ────の音声が変えられているのには、 さすがに、あきれた。 H21/4/8う〜ん、と。 しばらく霊的な事柄を記さないって、 一月くらいってのは、それなりにしばらく なので。 ちょっと勘弁をしていただいて。 もっとしばらく状況をみて、 ひと段落してから語ったほうが、 より詳細(正確)な情報になるであろうと思っていのですが、 状況を強く変えてきたので、 それでは、記します。 とりあえず、 いきなり直で記しますが、 テレビで私が見ていないところで、 何かしらの音声を吹き込んで、 その後に、責任をこちらに振られても、 こちらとしては、どうしようもないわけですが、と。 明らかに、ほぼ私は関係ないです。 関係ないところで、そういう感じであったので、 多分、そういう方向で事を進めようと、 準備も周到にしていて、現在に至っているわけであると 思うのですが、 そのように仕組まれたような、周到な準備は全く必要ないです。 今後も必要ありません。 会社でテレビを見ていても、そんなに声が入る もんではないだろう、う〜ん、それもないだろう、 というところで、勝手に作られていると思われる箇所が 多数あったので、 触れないでおこうと思ってはいたのですが。 例え、本当に声が入ったとしても、 誰も気づかない程度であると思うのですが。 なので、あまり触れずにいたのですが、 また、そちら系の力を絡めてきたようなので、 とりあえず、 え〜と、方向的に 宗教に関しての話は、 気づいた人に対しては、 とても、有益になった感を受けましたのが、 そこにつけ込んで、 あらたに、誰かを立ててそのような教えを広めようという 感じもするので、 とりあえず、 「真にせまる感じの教えだ。この教えは良いかも」とかいう感じで、 この教えを、世に広めよう、広めるために、 この教えを美しく、清く、飾って外見を美しくしよう。 人々のために、善き導き手を立てようなどというように 考えている方が いらっしゃるかもしれませんので、 そのような方のために、 下記方に文章を紹介しておきます。 (↑文字数がオーバーしたので、また機会があれば) 畜生霊の力もそうですが、 聖者の説く教えにおいて、 畜生霊の力は関係ない、というか、そのような力から 逆に離れている。 そして、そのようなものに目を奪われている人は、 逆に、そのようなものがあるから、 見えなくなるというのに気づかなければ、 禅定をしても、微妙な感じになると思うので。 例えば、光明を見ようと何かしらしようと (光明をイメージしたり)しても、 そのような光明が現れないのと同じで、 そのようなイメージがあることによって、 その微妙な静寂が見えなくなるということに 気づくことが聖者の説く教えと合致するであろうと思います。 これは、宗教に関しても同じことで、 仏の教えもそうですが、 そちらの方向では、仏の教えは見えないと思います。 (↑ある程度の期間それなりの禁欲と内面の清浄行が必要だと思いますよ。 実際そののちでしたので。内面を見るのは短期間ではおそらく難しいと思います。 又、法の理解(智慧)も必要であると思います。) あと、力を求めてのヨーガ等はお勧めできません。 内面清浄の方のヨーガ、瞑想(禅定)等がお勧めです。) おそらく、現状の様子を見る限り、 仏の教えがまた、消えていってしまうでしょう。 いままでと同じように。 禅定もせずに、何かを悟ろうとか言う人は、 何も見えないと思います。 なぜ、悟りを得た聖者が禅定をしていたのかを 考えていただければ。 これは普通に禅定をしたことがある人なら わかることなのですが、 欲や憎しみ、快楽による記憶などが強いときに、(性的な行いも含むです) 禅定をして寂静をえられることがないのと 同じであると思います。 私も普段、(性的な行いを断っている時でも)、かなり怒ってばかりいるときは、 家で禅定しても、寂静にはなれないということです。 聖者の見ている真理は、その奥の奥で 通常の人たちは見ることができないと思います。 他人を崇拝することや、 何かしらにすがるという思いが、 禅定をするときに、 どこにとどまるのか。 そのようなものが一切なくなったとき、 空っぽになったとき、 そこはなにがあると思いますか 同じような事柄を何度も記していると思う方もいらっしゃるかも しれませんが、 同じようなことを角度を変えて伝えないと、 伝わっていないようなので。 例えば、在家者が仏舎利を崇拝するのはなぜか? 自己の心が清浄になると思ってです。 欲をかなえるためではなくです。 私達がいままでしてきたこと、 聖者と逆のことをしてきた事柄、 要するに欲をかなえるためいろいろ願掛け等もしてきましたが (↑一般の人が神霊にたいしてするならば、あまり欲を出さないような感じで、 及び、感謝する感じで良いのではないかと思います。 かといって、他に依存してしまうと、道が見えなくなるというのも、 心にとどめておくのが、結構重要であると思います 参照 自己を依りどころとすることについて ) 世界を変えよう 世界を善くしよう等、と もしするのであれば、 真の聖者の教えにしたがっていくのが、 私達の歩む、安らぎに到る最短の道であると思います。 世界を変えるために、新しい教えを広めよう、 そのために、飾ろう、美しく荘厳に、 そして、態の良い教師を立てて、 さらに、立派に、と、 外観を飾るのに、固執する人々 このような心があれば それをなそうとする人は そのことによって、安らぎが見られるのでしょうか? それで、 話を変えて、 ふ〜〜っ と、 もうしょうがないから記しますが、 とりあえず、以前電話での会話ですが、 これを伝えれば、一発でわかると思いますが、 そのセリフですが、 S本人「そっちに一匹やるか?」とか、(断りました。) (「私の中に悪魔がおんねん」のセリフのもっと前に時のセリフ) 、N「そっちに、式神(カイ)を着けるから」、とか 、I「人格の一人が帰ってこない、どうしてくれる」、とか 頭がボーっとしているときに、「死になさい」とかを 言われたのですが、 そういう事を言う人の力を利用をするべきでない! と強く思います。 Sは微妙ですが、二人は自分らで言ってますが、明らかに畜生霊のたぐい。 いままで書かないでおいたけど、また絡んできたようなので、 もうしょうがないので記します。 犯人がわかっているから、いままで犯人は3人だと言っていたの ですが。 あと、以前、電話で知り合った当初は、 そりゃ、普通にSとは仲が良い感じでした。 その後、彼女がひどい目にあっているというので、 こちらとしては、彼女を助けて、 お礼も言われたのですが、 その後、エライ目に合わされました。 現在も、また、絡まれが強くなってきてますが。 ウロウロしてるのは、以前から 3人を 擁護していますので。 一人だけではなくて、3人です。 また、最近、会社の人も誰かに指示されてしているのでしょうが、 マノマネをします。私の知人のモノマネとか、 あと、エッチな感じの発言とかをして、 気を引こうとする感じです。 ↑これは、エッチな感じの発言をすると、 高確率でウロウロしてるのが、 「さえ」っていう発言をするので、だと思います。 大体、もう、ウロウロしてるのが発言をするパターンとか、 何かをしようとしているというのは、 パターンが決まっているので、 恐怖は全くないわけです。 普段の事柄でも、違う世界があるのがハッキリと わかっているので、普段の事柄でも恐怖は すごくなくなってきてます。 以前のように、私は頭がボーっとしているわけでもなく、 だいたい、全体的な流れも見えたので、 また、ボーっとなった感じになるというのを 調べる必要もないのですが。 とりあえず、どういう指示形態になっているのかわからないので、 モノマネをする様子を見ていましたが。 で、もうあの状態にはなりえないです。 で、以前、一変したというのは、 (他)の人もモノマネをしていたからです。 それに関して、Nが絡んでいたのは間違いないと思います。 なぜなら、電話で「(省略人名)もMだから」とか 良くわからないことを言っていたので。 まず、職場の人はどのような感じで、指示を受けていたのか、 その経緯はわかりません。 あの時、ボーとしてはいましたが、あの時のことも 全て記憶にしっかりと残ってます。 記憶が一定期間途切れていたとかそういうのはないです。 で、現在、モノマネをされても、笑いしかでないので、 モノマネはしなくてもいいです。 と、指示してる人へ(多分この日記を見るでしょうから) ま、そういうのは、どうしたいのかそちらにまかせますが。 (省略) あと、ウロウロしているのに、何かしら教えを受けているから、 仏の教え(などについて)もあのように記すことができるんだ。 等という意見について。 100%ありえません。 教えてもらったというか、たしか掲示板に記しましたが、 はっきりと言えるのは一度だけ それも、車の鍵をならして(振って)、 その音に、声を入れて勝手に語りだしたのを聞いただけです。 その後、コイツが発言するのを聞いても、嘘ばっかりで意味ないという ので、そういう事も別にした覚えはないです。 とりあえず、嘘ばかりなので、 聞く耳を持つ気はないです。 他にも、そうではないかと思われるような点は、 ウロウロは感情が一瞬、一時だけ、動くかせる能力あるので、 他の方が見れば、それが永続しているかのように 思われるかもしれませんが、 一時だけで、 永続するような力はもっていないです。 ウロウロの発言なども、一瞬、一時しかできないので、 そのような力がないとわかると思いますが。 悪例を見て、善例(経典、聖典)と照らし合わせて、 あ〜、だから、こう書いているんだ、というように 判断をしているわけです。 正霊ならば、テレビで「さえ」とか、そんなアホな事するわけがない。 というのは、普通に考えたらそうであると思うのですが。 天上にあるとされる甘美なものを味わえず、 そのような生存に赴けないので、 娑婆世界で、そのような、わけのわからない事をして 喜んでいるのでないか。 で、それに加えて、 こっちを困らせて、こっちを悪者にして、 そっちは正義の味方として再登場なわけ でしょうか? 現在の状況は、あちらが正義の味方な感じに 持っていかれているようですが。 できれば、もうそんなのには絡みたくない。 絡んでも、畜生道しかないので。 畜生霊にものを教えてもらう聖者というのは、 まず、いないとおもいますが。彼Nは、 ほとんどを教えてもらってると言っていましたが、 それを、他の人に説いて、 そっちの道行く人が増えるのを見るのは、 ちょっとおしみないので。 Nとかも、お前はその道を突っ走っているのは、 知ってて突っ走っているのか? というのをちょっと、聞いては見たい感じですが。 また、 結構、時間をおいて観察をしましたが、 最近、彼女らから送られてきた、「さえ」と名乗る霊が、 明らかに幼稚ではありますが、魔であって、 ほぼ間違いないなと思ってます。 さて、どうしたものか、と。 結構づらづらと、書きましたが もう、あまり秘密めいたことはないと思います。 H21/5/24とりあえず、そろそろひと段落させたい感じではあるので。 事の成り行きをみてたので、そろそろ詳細を記していきます。 え〜と、最初のときから、心配していたのですが、 様子を見ていて、もう少しはっきりとさせなければ、 まだ、魔(野狐等の畜生関係や、悪鬼とか諸々)の方向へ 行ってしまう可能性があるので(大勢)、 例えば、世の権力者のうちで、霊的関係の知識が少ないのに、 とても巨大な権力を持っている人などが、 そのような魔に取り入れられてしまうと、 容易にそちらへ向かってしまう可能性が充分ありますので。 そのようなことがないように。(真面目な話です。) で、とりあえず、私が相手にしていた輩がどういう輩なのか 簡単に説明しますと、 一人目(本)S・N (仮)M・T(男性) 〔ニワシロウ、〕 彼の師事しているという狐の霊、これは本人曰く、玉藻前(悪霊) この狐の霊に関しては、以前は大悪霊(玉藻前は、国をのっとろうとしたくらいの大悪霊の狐(九尾)、日本の仏教の僧侶によって、退治されたはず。)だったが、N曰く、もっと上の神様の力だったかによって、善霊になったという話であるが、憑かれている本人の様子と、本人の言動から見ると、明らかに悪霊のたぐい。 なぜそのように、思うのかというのは下記に記します。 二人目(本)Y・I (仮)麒麟(女性) 多重人格(7人くらい) S・Nと同居しているような感じ、電話をかければ、だいたいいつも携帯電話を変わってこちらが霊的な説明をすることが多かった。 こちらも、畜生霊のたぐいをたくさんつれているようで、(ミクシィに以前書いていた。)中に入っている人格(7人くらい)も下記に説明、同じようなたぐい。 三人目(本)S・T (仮)esu、せんじゅ (女性) 多重人格(本人合わせて、4人か5人) こちらは、何故かしらないが、上記二人とすごく意気投合して、 悪巧みをしているらしい。 TVで出てくる声は、おそらく(といかほぼ間違いない)S・Tの人格のうちの一匹。 声のモノマネをするのは、その分かれた人格の内の 主要な人格であるうちの一匹。「さえ」とか「ムリ」とかいう 幼い感じで発声をする悪魔。(←これはS・Tの中の別人格として 何回も現れていた人格と同じ。) 人格が変わるときは本人はトリップするという言葉を使っていて、 で、人格が変わっても意識は繋がっているそうです。 (人格が変われば、性格と声、話し方も変わります。) 基本的に仏教を知っていなかったので、原始仏教と他のとこの知識を交えて教えたんですが、 日常の霊的な事は本人自身の経験も含めて微妙に詳しいので、そういう細かいのは、こちらが聞いた情報です。ただ、本人も人格がコロコロかわる(話をしている最中に人格がかわるので、今誰?、今誰?っていうのをしょっちゅう聞いてました。)ので、見せられているのも恐らく結構あると思います。本人は実際にそのように表象がでてくるので、その事柄をそのまま信じてしまっているんでしょうが。 また、観音経を唱えると頭痛がするらしいです。 (追加) あと、遠隔ヒーリングといって、電話の向こう側から、エネルギーを送れるという能力がある。一回だけ、遠隔ヒーリングだといって、こっちにエネルギーを送ってもらったことがある。(これはウロウロにも[ベタベタとくっつく感じで]似たような感覚にする能力がある)。ジワーっという感じ。(入浴剤の入ったお風呂で温まる感じ) また、、悪い霊が憑いている等といって、悪霊を自分の身体に吸い込み、 悪い霊などを自らの体内に入れて除霊をするという能力がある。 除霊後はその霊をどこかそこら辺に出してくるらしい。 電話ごしで、悪霊が憑いている等と言って、なぜか毎回のように息をスーハースーハーとさせ悪霊吸い込んでいた。で、悪霊が憑いてないときもなぜか吸い込んでいた。 (これは今から考えると、(精気)の吸収をされていたんだろうなと思うわけで。) これは何回か吸収されても、別に身体に異常は見当たらないが、繰り返し何度も吸われると、活力がなくなる感じになります。 実際、最後あたりでは、こっちの体調が不調になって、死にそうな目にあったわけで。 (精気)がなくなった感じというのは、体調が悪いというか、活力がなくなるというか、病弱、抵抗がなくなるという感じです。食欲減退。心臓(動悸)にきます。 ( 精気←一般の人は多分わからないかもしれません。) (で、これはためになると思うので記しますが、このように霊的な事柄で体調が悪い時、霊的な事柄を経験等で知っている人がまず聞く質問は、大体、食欲があるかどうかでした。 なので、こういう場合はとりあえず、食物を摂って栄養を付けたほうが良いと思います。 現在、私の家に神棚が祀っているのは、このエネルギーを分けてもらうっていう意味あいも含んでます。依存はしないように、普通に感謝してます。) 上記は、状況が一変する以前の頃の事柄です、この後、頭がボーとする頃までは連絡を取っていないはずです。 (↓除霊と称してエネルギーを吸収する現象、又は吸血鬼のようなの(血は吸わないけど精気を奪う現象)は実際にあるので、また、そこのサイト内に他にも実際に悪さをしているのがいましたので、こういうのは気をつけたほうがいいと思います。。おそらく、除霊だなどといって信用させてから、精気を吸収したり、悪さをするっていうのは、典型的なパターンなんだろうと思います。 (ネット等でスピリチュアル系などの遠隔ヒーリングなどで、息をスーハースーハー等 している人がいたら、(精気)を吸われている、とちょっとは思って疑ってみてもいいかもしれません。実際違う形で、きちんとしたヒーリングを行っている人もいらっしゃるのかもしれませんが・・・、とりあえず、霊的に中途半端に興味がある人や、健康な人はあまりそっち系に関わらないほうが良いと思います。 また、スピリチュアル系のヒーリング等は畜生霊の飛ばしあい、というのを聞いたことがあるのですが、これは案外、的をえているところもあると思うので、一考をしてみても良いかもしれません。) 霊視に関しては、霊視というか、このこっちに来てる幼稚な霊を使って、こっちの状況を伝えてるだけなんじゃないのか?と個人的に思うですが。繋がっていると。 で、こっちに来てる悪霊が多重人格的な感じなので。 もしかして本人の多重人格は治まっている?のだろうか、とも最近思います。 (↑これは、私の最近の考え。) 私の知人の声をモノマネしているのはおそらくこの霊。 (なので、私のせいにされていた。私の知人とかは全く関係ない。) いつもウロウロしているときは、この幼い感じの霊の声だけなので、 たぶん、その霊がやってるのに間違いないであろうと思うのですが、 他のキャラもいるので、まだ微妙。 で、その霊のおおまかな特徴を簡単に追加説明すると、 ・ビックリするくらい思考能力はほとんどない。しかし、悪知恵は働く。 この霊の行動パターンが同じなのは、おそらく、ほとんど自ら考えるという事ができない感じなので、私がこのようにその悪魔の特徴を書いても、同じようなことするのはなぜかというと、それしかできないからだと思います。 ・発声するのもほとんど同じ言葉の繰り返し。 ほとんど一日中「さえ」「さえ」。 ・ほぼ感情だけで動いているようなもの。 感情としては負であるとする感情が大きい。 たとえば、人の不幸を大いによろこんだり、人を怒らせたりする 感情の塊のような感じです。 私に接する人の感情を動かして、私に対して悪い感情、悪い雰囲気を起こさせる。で、 私にささいな事柄でも、嫌な事があれば、大いに喜んでるような 低級な悪魔です。 ・性格的なものは、この悪魔も多重人格なのではないかと思います。 言動とか感情が極端というか、普通の人間ではあまりない ようなマイナスの感情しか本当にない。 仲良くなろうとか、聖者の教えを説いたとしても、負の感情をぶつけてくるので、もうそのような感情を起こすだけ無駄なので、ほぼかまっていない。 聞く準備のできていないこのような悪魔にいくら聖者の教えを説いても、全く聞く耳を持つということはない。なので、聞けるときに聖者の教えを聞いて、その時に、自分の中に取り入れる事のできた人は結構、準備ができている人。準備のできていない人は、見向きもしない。 世の中には心の穢れていない人もいるし、穢れている人もいる、教えを聞いて、目が覚める人もいる。しかし、教えを聞かなければ、だれしもが退転してしまう。と。 で、 この霊は、おそらく自分より他の高級な霊が見えていない。 聖者の教えを聞いても、「ムリ」とかいって、他の存在を認めないような感じ。 たぶん、記憶もそんな過去までもっていないんじゃないのか。という感じ。あと、自分という存在がいつまでもあるとたぶん、思っているんだろうと思う。 もっと先の先まで見通せる聖者が、業は返ってくると如実に見てるのに、この低級な悪魔はそのようなものを信じるという気配も感じられない。要するに、一瞬一瞬の感情だけで行動をする感じの存在。 ・自己顕示欲がかなり大きい。 ここまで自己顕示欲が強いと、おそらく、自己の存在がその発声によってしか、感じれないので、そういうむなしさ等もあるかもしれない。 憐れな存在であるが、この霊の行いは悪業を積むより他ない感じなので、おそらく上に上がれるということはないと思う。 あと、なにやら光について憧れがあるのかどうかしらないけど、目の前を豆電球(細かい虫)のような(綺麗とは思われない)光を通過させて、そのあとに「さえ」と自己主張をすることがある。 ↑この豆電球は清浄な感じを受け取れない光です。低級な霊にもそのような能力があるというのを知っといたほうが良いと思います。光だからなんでも良いというわけではないです。 ・性的な事柄に関して、故意に欲を増長させる。 そのような快楽に対して、強く惹きつけ付けさせようとする。 ・畜生を操る能力がある 例えば、車を運転しているときに、わざとに目の前を、ハトとか雀とかカラスとかを横切らせる等、車の目の前を横切らせたあとなんかは、そのあとに、「さえ」という自己主張をする。これはほとんど毎日、毎回、もう何百回とおなじようなアホなことを繰り返しているので、現在は全く気にしていない。 これは錯覚ではないかというので、ためしに携帯で録画してみたんですけど、 あきらかに錯覚ではない。というか、友人と車に乗ってるときも、畜生をあやつって 車の前を横切らせていたので、錯覚とかそういうレベルではない。 ↑同じことを何回も繰り返すというのがすごくわかると思います。 ほとんど同じことしかできない。 ・他人の心(感情)を動かす 他人の感情を動かす。他人の心を善い感情の方にして動かせば、 それこそ天使や神などと、人々は呼びもするんだろうけど、 悪い感情の方へばかり動かすので、総合的に悪魔。 善という事柄がそもそも理解できていないのかもしれない。 仏(聖者)の言う善を理解しなければ、他の神々も天使にも悪魔にもなりえるという事です。 たとえば、大黒天さんなんかは、お金とかをいっぱい増えるような 感じの神様だとされるのに、では、なぜ暗(黒)っぽいなのか? 聖者の教えから見たら、暗です。(←内面の表現です) これは、私のとこのホームページを理解している人ならもうおわかりであると思います。 でも、当の神様はお願いされたので、そうしたとなれば、その神様が暗的な内面なのかどうかというのは、また別の話。 私達(一般人)から見たら、天使と悪魔は表裏一体。 聖者から見ると、魔である存在と天神(善)は判別がつきます。 ん?大黒天さんの話は以前記したかな?と、あとで見直して、 あったら、削除します。 で、まず私がそれらは、悪霊であるというのはなぜか、というのを ちょっと説明。 とりあえず、これは頭がボーとする以前の電話で聞いた、その畜生霊の弟子(S・N [男性]) による話なんですが、 彼によると、悟りとは、1つ1つを知っていくこと、そして、その悟り(真理)はSMプレイにあると、〔ちょっと、思いっきり外道な話になってしまいますが、実際に言っていたので、はっきりさせるためにもあえて〕で、SMプレイのなにか死ぬかどうかの瀬戸際だとか、なんかそういった瞬間だかなんだかが悟りなんだとかを言っていました。 で、さらに続けて、 こっちの話は私が頭がボーっとしていた時の話で、まさに(人名省略)の話がでたときの話で、彼Nの論によると、世の中はマネー(金)であると。で、それはなぜか、というので、仏の弟子(仏子=ブッシ)とは物質(ブッシツ)であるという感じなんだそうです。私も頭がボーとしていたので、あ〜、ってちょっと思わされてしまいましたが、100%ありえるわけがない。 てな感じで、この時点でも彼は100%外道なのですが、話はまだ続きまして、 (私も普通にエッチなものとかを見たことあるし、すごく好きな人にたいしてはすごくエッチになってしまうという反省すべき点があるのですが、聖者の教えではこういうのを、凡夫っていいます。在家者。 では、そのような性的な行いなどに、真理や悟りがあるなどと、 聖者の教えをガッツリと曲げてしまうような教えを何というかというと、まさに、外道といいます。 昔から言われている言葉では、畜生の学っていいます。 これは、リアルに畜生の学なので、本物でしょう。 (ついでに記して置きますが、これは私個人の意見として、 理趣経の十七清浄句なんかは、一般の人が見たら、ほとんどが 性的な方向であると勘違いをするものであると思いますのが、 私が実体験したことで説明すると、あえて、 ちょっとわかりにくい方で説明しますが、 ”妙適清浄の句、是れ菩薩の位なり”と この部分で違う思いっきり道を違えてしまう人がいままでにも、 実際に結構いたんでしょうが、 (私の体験で)、清浄な状態で、全くそれと同じような感覚、 恍惚としたものがあるのかというのですが、 それはあります。 〔 ← 感覚としてもリアルに感受されたものですが、その感覚的な恍惚を得る 又は得ようとするのが禅定の目的というのではないです。 で、これは経のとおり多数ある表現の中の一つでありますが、ここの節ばかり注目してみるところではないと思います。大乗の中でも、ここの節ばかり強く注目して、聖者方の教えと異なった方向(性的な呪術等)に囚われてしまっているところもあるようなのですが、そのような議論は、一般の世俗の中での話ならありえなくもない(無智により)と思いますが、聖者方から見たらほぼ無意味だと思います。〕 で、体験をしなくても、それを実際にその事柄の事を言っているなどと思うのは、仏の教えを勉強しなさすぎにもほどがあると。 一般人の私がいっても説得力が薄れれる(行いも伴っていない部分があるので)、他の方を例にださせていただくと、 では、例えば、まさに、教えを広めた張本人的な感じの空海さん。 空海さんほどの僧侶が、では、そのような行いをしていたのか?と、 まずありえないでしょう。 ここで勘違いすれば、全く道が異なると思います。 で、SMプレイの中に悟りだとかどうとかとかっていっているような、 狐を師事している輩の、そのような教えをまず聞く必要はない。 悪益はあるが、善益はかぎりなくすくないでしょう。 霊的になにも知らない人は引っ張られる。 で、話はもどりまして。今回もちょっと、ズバズバと本当のことを書き進めていきます。 それで、その後、頭がまだボーっとしていたときのことなんですが、 上記の彼による畜生の論などの相談料をよこせと、そんなの最初から 知ってれば、こっちは相談なんかするわけないのですが、(お金の手持ちがなかったので)、 数万円をよこせと、請求してきて、で、私はそれに対してどうしたのかというと、一応霊的な話で、この頃はまだ事の内容が全然理解できてなかったので、今後またたずねる可能性があるかもしれないと今後の事も考えて、しぶしぶ支払ってしまったのですが、(この頃、悪霊を払う方法を探しに地方の寺などをあちこち回って、で、聞いた話が、大乗仏教の話で、小乗仏教を知らないという話です。) で、たしかその次の電話で畜生霊の弟子のほうから電話がかかってきて、 「Y・Iの主の人格が戻ってこない」と、で、何だか知らないけど、こっち(私の方に)いるとか、怖がって奥の方にひっこんでしまって出てこないとかなんとかで、その主要な人格がいないとブレスレットを作って商売ができないと、(彼女らはネットで商売をしていて、私も彼女からブレスレットは購入して結果はホームページに記載してあるとおりです・・・。)、それで、その人格が戻ってこないのは、お前のせいだと(私です。)。 で、これじゃ、商売あがったりだとかなんとかで、言いがかりをつけられて、(そんなもんこっちが知るわけが無いのですが)、それで、また金をよこせと。で、その金額が50万円。(この時点ですでに、お金を払う気があるわけがないので)、払えないと言ったら、「じゃ、お前の家にいくからな」と、「こっちは法的手段もじさない」とかなんとかで、たしか電話が交代して、Y・Iの方は人格をコロコロ変えて、脅かそうとして「ウケケケケ」みたいな感じでやってました。(彼女は確実に病気です。)やつらの脅しは電波とか電話を突き抜けてくるので、んでもって、感情も操作されるので、普通の人は最初はおそらくビックリすると思います。その電話のときはもう、低級なのだなと思っていたので、ほとんど話半分に聞いて、その後、電話はせず。 で、その後に警察に言って事情を話したのですが、 私の体験した事柄を警察の人に言ったら、普通、相手にされないと思うと思うのですが、まさにそのとおりで、いくだけ無駄なわけだったんですが、行ったというのはたぶん警察の人も覚えていると思います。 「ノートにさわんな」ってかなりご立腹の警察の人がいたので(ほぼウロウロのせい)、あと何人もぞろぞろと見てたので。 その時、あまり言葉を発してはいけないと思っていたときです。 その警察の人と、あまり余計な言葉を発さないように話をしてましたので。と、だんだん詳細を思いだしてきましたが。 その後は、彼らとは連絡は取ってないはずです。 あっちから何回もかかってきたのですが、出るわけ無い。 一般的にみても、普通の詐欺師です。 霊的現象を利用しているので、普通よりたちは悪いです。 ハッキリ言って、彼女らは聖者とかそういうレベルではまったくないんです。という事です。 で、追加で、もうちょっと詳細を説明しましょうかと。 SMプレイの件で、S・Tと電話で話をしたことがあるのですが、 私が「SMはさすがにないって」といったら、 彼女は、それでも彼らはいい人だと言っていました。 で、「小悪魔は嫌いか?」っていう質問で、 私は、ハッキリと嫌いだといったんですが、 まさか本当に、悪魔を使ってるとは思うわけないわけで。 家の中を透視とかもやってましたよ。 ウロウロからの情報なのか。とりあえず、多重人格で、 意識も半分取られるような人は、その入ってきたのに、 霊的な現象を見せられてるのと、それとはことなるというのを自分で 判断できない。なので、普通の人でも安易にそういうものを信用してはならない。 これは霊的な事柄をしっている人ならほとんど常識であると思うのですが、それでも細かい事柄は知ってるようでしたよ。畜生霊とその仲間達も。 半分くらい錯覚とかで見せられてるのもあるんだろうけど。 というか、普通、正霊が意識までとるわけないだろうと思うのですが。 そのようなことをする必要がない。 で、これは権力のある人で、そのような力に魅了されるような人に言いたいのですが、昔からの正霊(神霊)もいるのに、わざわざ畜生(野狐等)の力を利用する必要は全くないと思います。かえって危険であると。 聖者(仏教でも、他の教えでも)が畜生の力の者を退けた(祓っていた)のは、なぜか考えてみてください。 で、ちょっと紹介します。 また〈神の子〉サハリーは、マッカリ・ゴーサーラについて、尊師のもとで、次の詩をとなえた。── 「かれは〔身をさいなむ〕苦行と〔悪を〕厭い離れることにより、自己をよく〔護り〕覆って、人々との争論をやめて、平等で、罪過から離れ、真実を語る人である。かれは実に、そのような悪をなすことがないと。 また〈神の子〉ニンカは、マッカリ・ゴーサーラについて、尊師のもとで、次の詩をとなえた。── 「〔悪を〕厭い遠ざける人、聡明なるビクは、四種の制戒によってよく〔自己を〕覆い、見たり聞き学んだことを〔かくさずに〕説いている。 かれには、実に罪障は存在しないであろう」と。 また〈神の子〉アーコータカは、マッカリ・ゴーサーラについて、尊師のもとで、次の詩をとなえた。── 「パクダガとカーティヤーナとニガンタと、マッカリとプーラナと、これらの人々は、集団の師であり、修行者としての境地に達した。実にかれらは、立派な人々から遠く離れているのではない」と。 また〈神の子〉ヴェータンバリは、マッカリ・ゴーサーラについて、尊師のもとで、次の詩をとなえた。── 「重んぜられていても、卑しい野干(野狐)は、やはり野干である。 クッタカという名の野干は、決して師子に等しいことはありえない。 (←仏は人の王であるから、また仏・菩薩が一切おそれるもののないことから獅子にたとえられる) 裸で、偽りを語り、集団の師となる。 その行いは、いかがわしい。立派な人々に等しいものではない」と。 そこで、悪魔・悪しき者は、〈神の子〉ヴェータンバリにこっそり忍びこんで、尊師のもとで次の詩をとなえた。 「苦行と厭い離れることに専念し、ひとり遠ざかって暮らす生活を守り、物質的な形に執着し、神々の世界を喜び、それらの人々は、来世のために正しく教えさとす」と。 そこで尊師は、「これは悪魔・悪しき者である」と知って、悪魔・悪しき者に詩を以て答えた。── 「この世またはかの世におけるいかなる形でも、空中に現れる光輝きや彩色でも、これらはすべて〔悪魔〕ナムチの褒めたたえるところである。魚を殺す(=魚を釣る)ために餌が投げ込まれたのである」と。 そこで〈神の子〉マーナヴァ・ガーミヤは、尊師(ブッダ)のもとで、これらの詩をとなえた。── 「王舎城の山々のうちでは、ヴィプラ山が最もすぐれている、と言われる。諸々の雪山のうちでは、セータ山(白山)が最もすぐれ、空行くものどものうちでは、太陽が最もすぐれ、水の堆積しているところのうちでは、海が最もすぐれ、諸々のうちでは月がもっともすぐれ、神々と共にある世界にとっては、ブッダが最もすぐれている、と説かれている。」 追加 〔 「苦行と厭い離れることに専念し、ひとり遠ざかって暮らす生活を守り、物質的な形に 執着し、神々の世界を喜び、それらの人々は、来世のために正しく教えさとす」と。 ↑勘違いのないように説明付加ですが、神々の世界を喜び=仏の教えは解脱(涅槃)を最上とするのですが、その神々の世界に喜びを見出すとその世界に赴いてしまうということです。以前記した段階を追って、神の世界を目指すというのは、在家者として赴ける最上の世界として、涅槃の途中のという意味あいでです。 「この世またはかの世におけるいかなる形でも、空中に現れる光輝きや彩色でも、これらはすべて〔悪魔〕ナムチの褒めたたえるところである。魚を殺す(=魚を釣る)ために餌が投げ込まれたのである」と。 ↑この世またはかの世におけるいかなる形でも、空中に現れる光輝きや彩色でも、これらはすべて〔悪魔〕ナムチの褒めたたえるところである。は何ものにでも執着する妄執を除き去るという事柄であると思います。〕 〕 え〜と、 ホームページにも記しましたが、 畜生霊のたぐいにも他人の記憶、感情を読むという能力のあるものにはあります。例えば、早朝に今日は何々をしようなどと思えば、その記憶を読んで、あの人は今日何々をするなどというのは、先を読んでいるかのような感じではありますが、感情、記憶を読んでいるのです。 で、そういうのを理解してもらって、私が操られているとかなんとか そういう子供騙し的な展開のは、もういらないです。 また、世の権力者で、そのような力に目を奪われてしまって、 近づいて、あっさりと感情を動かされて、 あの人はいい人だとか、なんとなくあの人は信用できそうなどという 根拠のない感情によって心を持っていかれて、 親しくなって、最後にしてやられるなんてことないように。 気をつけてください。 このHPの内容は審神もそれなりにできるような内容も含まれていますので、 判断がむずかしければ、参考にして見ても良いと思います。 で、ちょっと、ひとつ紹介しておきます。 「弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈しみを以て接せよ。 心の乱れを感ずるときには、「悪魔の仲間」であると思ってこれを除き去れ。 怒りと高慢に支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。 また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克つべきである。」 あと、畜生霊を使役している人、とか他の霊等、で、善の方(悪さをしない)の霊もいます。 そういう人は気を悪くしなようにしてください。 ここで使われた畜生霊っていうのは、神社などで、鎮座している(善性の)御霊等を 対象としてないです。 あと、冗談でも悪狐等の畜生、悪鬼等のたぐいを持ち上げるような事はしない方がよいです。 今の時代は、そういう知識も薄らいできて、審神の基準もよくわからない人が多いと思うので。 追加 多重人格という症状に関して、すべての人が霊障であるというわけではないと 思いますので、このページを見て、この症状はすべて霊障であるというような 偏見はもたないようにして下さい。 治療でなおるというケースもあるようです。 で、最後に 畜生霊を師事している人が天上に行くという道理はまずないが、 畜生霊を師事している人が畜生の世界に落ちるという道理はあります。 それでは、畜生道を行く人は、 どうしたら畜生道を脱することができるのかと、 それは、もうこの文章見てる時点で、 畜生道から脱するチャンスはあると思います。 自分自身で気づいた時点ですでに。 H21年6月7日(2009年) 本日は、外の天気は雨。それでも今日は暖かいなと。 え〜と、本日は他のところで日記を記しましたので、それをコピペします。 H21/5/31 〈霊的な事柄で〉手の内をあかしてしまったから、リアルなコンコンら (仲間たちも)も大騒ぎなわけで。 往々にして、この世の中(現在の世界)は、 リアルにコンコンとした教え(霊的能力に対する固執)が 最上層の方で広まっているのが明らかになってきているようですが。 でも、手の内を明かしたことで、善意の権力者の方達も、 こういうのは、意外とそれほどの力(聖者のいう霊能力)ではない、 なんて、 真をえたことを思ったりしてきたわけだけども。 ( 普通の人はあまり関係ないのですが、世の権力者、大きく動かせる権力のある方などは、そういう権力を狙ってしかけている輩がありますので(リアルな話です)、暗性の雰囲気、暗性の心が起こっているときは、自己の心をよく見たほうがよいと思います。悪鬼に感情を動かされてながされないように。 聖者はそういう輩を見ず、善を見ています。) で、 大事だと思うので、HPのコピペをもう一回あげときましょう。 「弱いものでも強いものでも (あらゆる生きものに)慈しみを以て接せよ。 心の乱れを感ずるときには、 「悪魔の仲間」であると思ってこれを除き去れ。 怒りと高慢に支配されるな。 それらの根を掘りつくしておれ。 また快いものも不快なものも、 両者にしっかりと、うち克つべきである。」 それなりの経験がある霊能力者は、もうお気づきでしょう。 善意の権力者でも、リアルにコンコン(感情を動かされ)とした教えを 聞いてしまうという現在のこの世界の状況が。 そして、リアルにコンコンですよ、 と教えてもコンコンの方へ進む人たち。 霊的な世界が全く無知な人たちは力に魅せられて そっちへ行ってしまうようですが。 聖者はそちらの方へは行かないですよ。 まぁ、これから暴れてもコンコンと悪鬼な人達はすぐ見分け がつくようになってくると思うけど。 (仏の教えが知られてきたのでという意味で) 仏の法とはそのようなものだと思いますので。 で、そういうのをバラされたからと言って、こっちになにかされても あまり意味ないと思います。 こっちは、普通の生活してるだけの兄ちゃんなので。 それよりも、HPの内容を自己の内で見て、 そっちから抜けれる人から抜けてってくれたら、 その人のためになるのかなと。 まぁ、私は聖者ではないので、ガッツリとした禁欲をするのでもなく、 普通の生活をしていくつもりなので。 HPで、そちら系の方達への抜け道を示しているわけなんだけど。 そろそろ、霊的な力がある者としてわかるでしょ。 人間として、巡りあうべくして巡りあった法。 メッセージが届いてないですか? そこら辺の霊能力者と、 出家して悟りをえた聖者方の教えとを、 比べるまでもないと思うのですが。 」 改めて記さなくても霊的能力者や霊的な研究で気づいてる人は、もう気づいているようですが。 あと、下記はいままでの紹介してきたというところで、供養や祭祀についての見解について、ちょっと付け加えて説明が必要であろうと思ったところがあるので、 一応少しだけ紹介しておきます。 三種の心による不浄な行いとについて 第一に、貪欲な者がいる。『ああ、人のものが自分のものとなればなあ』などと、他人の所有物をほしがるのである。 第二に、憎しみの心を抱く者がいる。『これらの生きとし生けるものは殺されたらよい。縛られたら良い。切られたらよい。滅ぼされたらよい。いなくなってしまったらよい』と、憎悪の心で考えるのである。 第三に、誤った見解をもつ者ががいる。『施しや祭祀、供物の効力はなく、善悪の行為の報いや結果、現世、来世もない。父も母も、化生の存在もいない。また、世間には正しくふるまい、現世と来世をみずから知り、さとって、説き示す沙門やバラモンがいない』と、転倒したものの見方をするのである。 チュンダよ、三種の心による不浄な行いとは以上のことである。 三種の心による清らかな行いについて 第一に、無欲な者がいる。『ああ、人のものが自分のものとなればなあ』などと、他人の所有物をほしがることはないのである。 第二に、憎しみの心を抱かない者がいる。『できることなら、これらの生きとし生けるものは怨恨も敵意もなく、息災、幸福でみずからを守るように』と、憎悪のない心で願うのである。 第三に、正しい見解をもつ者ががいる。『施しや祭祀、供物の効力はあり、善悪の行為の報いや結果、現世、来世もある。父も母も、化生の存在もいる。また、世間には正しくふるまい、現世と来世をみずから知り、さとって、説き示す沙門やバラモンがいる』と、転倒しないものの見方をするのである。 チュンダよ、三種の心による清らかな行いとは以上のことである。 (↑ここのHPを見ている人が、施しや祭祀、供物の見解について効力がないとするような見解にならないようにです。) H21年6月8日 上記で、ブログの方で追加しようとして書いてたら、だんだん思い出してきて、 長文になったので、ちょっと更新します。 「状況が一変する以前の頃の事柄です、この後、頭がボーとする頃までは連絡を取っていないはずです。」というのを記したので、 状況が一変してから、頭がボーとしてからS本人に連絡を取ったときの、 ひどかったというのをちょっと説明、なんですが、 正直、なんで私がこのような細いことをいちいち説明をしなければならないのかと・・・ ちょっと思います、が。(説明をしなければ他の人はわからないので・・・) ふ〜、っと、とりあえず、 状況が一変してから、頭がボーとしてからS本人に連絡を取ったときの話ですが、 いきなりTVで「さえ」「さえ」とか、「死ね」とか言ってるし、訳がわかるわけないわけない状況の頃。 彼女に連絡をした時に、 「おまえ、いまどういう状況かわかっているのか?」とか、 「さえ、じゃなくて、さえ,さんやろ!」等です。←(ちなみに彼女は年下です) 「さえ、じゃなくて、さえ,さんやろ!」というのは、さすがに、以前との態度との変わりっぷりにガッツリむかつきましたが、状況がわからないので抑えて、その電話で、S・NとY・Iに何かしたからだろうなどという感じで、「もう電話をかけてくるな」と他人のせい。電話を掛けてくるなというかTVで「さえ」「さえ」って言ってるのは、明らかにの別人格のコイツの霊なんですが。 その後、S・NとY・Iに連絡して、何かをしたかというのは、ブレスレットの件で、 (書いてたらだんだん思い出してきたわけですが、) そのブレスットの中に宿っている神仏霊が怒っているので、わけのわからない状況になっているという感じでした。 で、お寺でその神仏供養をして、なおかつ自分の家でも供養をするということでとりあえずひと段落したんだかそんな感じだったと思うんですが、とりあえず、そのころ頭がボーとなってて、いろいろ振り回されたあげく、結局、相談料をよこせ、と。で、最終的にもっとよこせ、という話で、畜生霊とその仲間達が詐欺士だったという話になるわけです。 (結構思い出したことをランダムに書いているので、掲示板と日記で結構かぶってます。) とりあえず、当初から3人の絡みが強いわけで、当初から彼女らがいままでの一連の件に絡んでいるのはたしかなわけです。 また、ブレスレット件でいうならば、詐欺士が念をこめて、どうやったら神仏がブレスレットに入るというのか。そりゃ、そういう系統の念しかはいらないだろうと。 (↑ここでの神仏っていうのは、神仏混交での人達の言い方、修験に結構あると思うのですが、神と仏の立場が結構ごちゃまぜなので、この場合は神霊という意味あいで。あと、ある修験の人に見せてもらった大乗関係だと思われるお経があるのですが、仏のことが記してありましたが、そのお経を見るかぎりでは、仏陀の教えは全くもって絶えていると思いました(その経に記してある内容では、です)。修験の方も結構、明な系統や、不明な系統があると思いますが、もし超自然力に魅了されて行ずるのであるならば、ちょっと考えてもよいかもしれません。その苦行は、超自然力により世間での何かを獲るためですか、それとも、苦しみをなくするためですか。 あらゆる苦しみの止滅を説く仏陀の教えで言うならば、仏陀の教え(及び聖者達の教え)は、そのような超自然力等の、力に対する固執ではないです。) で、ここで、畜生霊の仲間達は詐欺士であるというのが、はっきりとわかっているんですが、 さえ本人は感情を読めるはずなんですが、感情を読めるのに、畜生霊の仲間達が詐欺士である というその感情がわからないのであれば、あえて言わない=仲間であるか、または、感情があいまいにしか読めないとそんな感じである考えられると思うのですが。 あと、ちょっと考えたんですが、 TVにいきなりあのような声が入ったりして、わいわいって騒がれて、 なぜか犯人にされていて、まわりのキャスト(ものまね)もそろっていたわけで、 これらの件が、最初から仕組まれていたとしか思えないわけなんですが、 みなさんはどう思いますか? おそらく、あの掲示板の内容(当初はまだきちんと法の説明がでていなかったので、 こちらの善意が全く理解されていない)を絡めて、で、こちらを悪者にして、 大げさに霊的現象を利用して、畜生霊とその仲間達が世に出る、と。 こんな感じの予定だったんじゃないでしょうか? そこらにいるようなの兄ちゃんが予想以上に霊的に詳しいのが、 ちょっと予想外だったようですけど。 はっきり言って、 私はなんでこんな感じになってるのか全然わかってなかったです。 なぜ、一変するような状況がおきたのかもわかってなかったです。 裏で何かある、そして彼女ら3人も絡んでいるのは間違いないでしょうが、 本当の黒幕は誰であるとか、どこどこの集団がからんでいるとか、 どこどこの国がからんでいるとか、全体的に裏でどうこうなっているといのうも 全然わかってなかったです。 最近の出た本やネットのニュースやその他諸々なんかに、 世の中の動向を遠まわしに説明しているのがあるようですが、 そういうのを見て、あ〜、そんな感じなのかな、というのと、 自己でなにがしかを感じとることでわかったりしている状況です。 裏事情などは、TVの関係者などの方がおそらく詳しいと思います。 ただ、宗教間で理解し合えば善いとそんな感じなんですが、 ハッキリ言って、物質の領域であ〜だ、こ〜だ、誰が一番だとか、 そういうことをしていても、真理は見出せない。当然ですが。 H21年6月15日 本日は休日です。天気は曇り。 あとから、ちょっと出かけて、多分、軽く食事をする予定です。 え〜と、今日は久しぶりに仏の教えを更新しようと思いましたが、 コンコンらが自己主張する準備をしていたようなのでw(念を読む等で) 取りやめました。まぁ、それは相変わらずなんですが。 だいたい、仏の教えで紹介すると有益だろうというものを、こちらとしては 結構決めてあるんですが、そういう念を読んで、次はこれこれを発表するとかいって、 当たったら、「ほら、こちらの主張するとおりになった」 とかいう作戦はいらないんですけど。 すでに、予想外れてる方が多いんじゃないの。どうなんでしょうか。 よく見たら、以前から結構綿密に計画がされていたような、そんな感じだったんだなと思う今日この頃ですが、とりあえず、畜生霊のたぐい(TV等の怪奇現象)を利用して、何かしようとしていたのは、結構、大当たりなんでしょうか。 蓋を開けてみたら、ウロウロしてる悪魔も近くで、「さえ」「さえ」とか、私の周囲でTVが付いていたら(おそらく、私にTV等の音声が聞こえる程度の狭い範囲内で)生放送の場合、TVやラジオのアナウンサーとかにいたずらする程度の能力しかないというのが、(私が説明をしたことにより、畜生霊とその仲間達の側からしてみると)あっさりとバレてしまったようですが。 何回も記してますが、聖者の道は争いをせずです。 畜生道には最終的に苦しみの滅する道がない。 これから、私達が選ぶ道は、普通の道で善いのではないでしょうか。 ここで言う普通の道とは、聖者の説く道です。 H21年7月8日(2009年) 無という事柄に関して追加です。→ 愛(新訳による) H21年7月13日 今朝は結構な雨。最近雨ががよく降る感じです。 明日は遅番なので、ちょっと書き込み。 え〜と、今日はちょっと、無に関して、 説明してもわかりにくいようなので、 とりあえず安心をするようにという方向で、 無にたいして恐怖感がある人等のために説明しますと、 普通の人は無になるというか聖者の説く無(空)というのに到達しようとしても 到達できるようなものではないと思うので安心していいと思います。 無とは魂が消滅することだとか何とかの虚無思考で、恐怖心でいっぱいになっている人は 聖者の説く安らぎがあるとは到底知ることができないと思いますので。 そのような心が強く支配してしまっているようであれば、 とりあえず、禅定はおいといて、善行を為す(ように心がける等)で 善いのではないかと思います。 たぶん、これは、聖者の教えをそのままで伝えてもたぶん 伝わりにくい事柄なのだろうと思うので。 あと、なぜ普通の人がこのような事柄(捉え方は人それぞれであると思いますが)を すらすらと説明しているのかというのは、 、偶然うまく組み合わさったのだろうとか、たまたまだろうという意見も、 まぁ、普通にあるんでしょうけど、 それは、今までの経験も含めて、それはそれ、これはこれというように、私の見た光明を元にして説明をしているわけです。で、パズルのようにくっつけていっているわけです。 以前、光明が訪れた後もいろいろ迷っていた(修法・神呪・魔術関係等で)っていうのは、そっちの方に何かがあるという目に見えた結果を求めていたためです。 で、あ〜そういうことかと、私のなかですでにそれらが知られたので、それらを否定してみると、あ〜、あれ(光明)なんだ。 ということで、それ(光明)をもとにそれらの教えを当てはめてみると、 見事に合致していくわけで、現在に至っているわけです。 このHPに関しては、宮司さんから聞いた話や、住職さんから聞いた話等も納得のいく事柄は織り交ぜている箇所もありますが、誰かに教えてもらっているんだろうとかそういうのはないです。 なんだかんだで、どうしても畜生のたぐいとくっつけたがる人がいるようですが、 このHPの内容を見て、明らかに、畜生霊とその仲間達やウロウロしているのやら魔術のたぐいの霊的現象では 見出しえない教えであるというのがまだわかりませんでしょうか。 最近、ウロウロしてるのはといえば、 新しいパターンというか、前からちょっとは出ていたんですが、 私や一部の人だけが知っている事柄や、私の気に障るようなことを言われたら、 私が嫌な事柄を言われたその結果、「ムカつく」や「ムリ」等と発言して、 私を擁護しているというような、タイミングで故意に「ムカつく」や「ムリ」等の 言葉を発言して、私がいかにも仲間であるとか、私がそうさせているというように 思わせるような作業をしていますが、私がこの悪霊を使役しているとか、 悪霊の仲間であるとかはありえません。 数少ない感情及び数少ない言語パターンの中でいろいろと、 そのような感情を出させようとしていつもどおり躍起になっているようです。 あとは、何かしら良いとするような大事があると、「さえです。」っていう言葉を発して、 本人Sの手柄にしたいというような感情があるようです。 操っていると思わせようとしているときも、「さえです。」っていう言葉が発せられるので、まぁ、そういう事なんでしょうが。 本人Sを不快な感じで言われると、「ムリ」とか言って、否定する感情ももっています。 この悪霊は、個としての存在でありますので、呼びかけにも応じます。実際ラジオで、さえというこの悪霊自身が、軽く小馬鹿にされた時に、「ムリ」といって反応もしていましたので。 だいたいはこの霊自身が嫌なことを言われると、相手にそういう事をいわないような感情にさせてるんだろうと思います。そういえば、今まで直接この霊に話しかける人はほとんどいなかったので。 霊的な存在なのに、普通に反応しますので、基本的に、話をする相手は、私にではなく、ウロウロしている悪霊に直接してください。誰か説教できる人がいるならば、この霊に直接どうぞ。私はこのさえという悪霊に関与したくないので。この霊の意識と、私の意識は全く関係ないです。でこれを記している最中に、「ムリ」とこんな感じです。 ちなみに、この霊の「スキ」なんですが、これはこの霊の自己のためのスキです。「スキ」という言葉を発するのと同時に、感情を動かして、好意を抱かせるような感情を起こさせ、怒りを好意に変えて怒りを忘れさせるために発言するスキです。 しかし、初期の頃(頭がボーッとしている頃)は好意というか、このような霊でも、説得すればわかると思っていたので、そのように怒りも他の感情になりえましたが、現在はこの霊に対して、好意を抱くという感情がもう沸くことがなくなってしまっているので、 現在は、こちらをイラつかせるような感情とともに「スキ」と発言して、逆に怒りをおこさせようとしたり、「さえ」「さえ」と言って、こちらをイラつかせてから、その後に、感情の矛先を変えるために「スキ」という発言をしています。 あと、以前からですが、音源から少し離れると、なぜか多数回音源から発言する ことがあるのですが、これはただ単に大きな音声で不快にしようというだけと、 まぁ、私がそうさせていると思わせるような作戦のような感じなんだろうと思います。 とりあえず、犯人にしたくてしょうがないのであろうと思うのですが、私の周囲でウロウロして嫌がらせをしているのは、それ以外になにかあるんでしょうか。以前から畜生霊とその仲間達もそうなんですが、こっちにちょっとでもボロが出るとそれを突いて、形勢を変えたいんだろうなと、まぁ、そんな感じなんでしょうか。 あとは、私がこのHPで教えを紹介するにあたって、 私が善行をして徳を積みたいから、わざとにその霊にさせている等というのはありえません。 こちらが嫌がらせされているのに、善法を説いたという事で、 以前から、すでに、「あ〜、よくわからない内に、今生は善く徳を積んだ」という安らぎはありますが、(若いですけど。) 仏の説く法を紹介したりというのは、以前からちょこちょこと他でもしてましたので、TVでの怪奇現象等はこちらとしては、全く必要ないわけです。そこまでして、善業を積むのに悪業を積む必要もないので。 で、ラクそうに日記では記してますが、こちらも結構、現実面ではいろいろと かなり苦労をしています。とりあえず、耐忍んでいます。 だんだんとパターンを記してますので、 いまこの悪霊がやっているのはこのことだな。とすぐわかると思います。 なので、TVの怪奇現象で争いを起こそうとしても、もう無理であると思います。 これだけ細かく説明もして、パターンもほぼ明らかになっているわけなので。 あと、動画などで、最近はよく見かけるんですが、 え〜と、私の全く関与していない動画で言葉が入っているようですが、 北海道でこの放送はやっているのか?という放送に、 私の知人の女性の声(モノマネ)が故意に入っているのですが、 他のところの放送なんて、全く私は関係ないです。 最近多いようなので、そういうのはもう深くツッコム気もほぼ失せているので、 そういう動画は普通に見ています。 又、この知人(女性)は本人がどこまでどういうように知っているのかもわからないのですが、私以上に関係ないです。とりあえず、あったら事の経緯を説明します。 この女性の音声で何かしようという作戦もたてられているのかもしれませんが、 この人は、別にどうこうって、普通すぎてどうもこうもできないでしょ、というような感じの人で、現在は何をしているのか逆に聞いてみたいくらいではあります。内面がすごく綺麗な人です。 動画の場合は、動画を見ていると、悪霊がちょくちょく音声を 変換して私個人に不快になるように音声を聞かせようとしますが、 再度再生すると綺麗に聞こえているので、別にその元のデータが 変わるわけではないというのがもうわかっていますので。 要するに動画を見ても、霊が悪戯をして元のデータが変わるというようなことはないです。 で、話は戻りまして、改めていろいろな聖者の教え、聖典等も見ると、 それ(光明)と合致するわけなんです。 おそらく、それ(光明)を見た人と、見ていないっていうのは、 見ていない人はそれということも、全くわからないと思います。 くっつけようとしても、それが見えてないならば異なる教えをくっつけられない。 それは私が(表現)する限りでは、たしかに思考の領域ではない。 で、ちなみに私の経験での話で言えば、光明に気づいたときでは、それはすでに思考の領域です。 あと、このHPに書いてある事柄で、頭だけで理解できたと思っている人は、 おそらくそれは見えないし、それが訪れるれるという事もないと思います。 で、霊的な魔術とかそっち関係の人は、普通に考えてもわかると思うのですが、 我欲があったり、言葉の上にいるので、道理から見ても離れていると。 それでは祭式はどうなのかっていうのでは、 功果を求めない人々により執り行われる祀り等でいう献身、無我は インドの古典等(梵を説いている箇所)を参照するとそれなりの理解ができるのではないかと思います。梵我一如。 梵天という存在は以前記している箇所があります。 ( ↑ 梵天に敬われる者であるブッダ及び、仏弟子の教えでは、 (争いに関しての言葉は、闘争に関して)、また、その他の教えでも八正道が基本です。 仏の説く梵天の世界へ行く実践方法という教えはいずれ機会がありましたら。 インドの古典等参照は、仏の教えを知らない人が読むと、解釈がそれぞれ全く異なっていくということもありえるかもしれないので、とりあえず、全く知らない人でも、法を知るのにベースは八正道であると思います。あと、仏弟子の目指すところは梵天の世界よりも以上です。というか、世間の普通の人々にとっては梵天の世界でも、古典に記されているとおり、ものすごく、遥かに高尚(寂静)であると思います。) 梵天の方向も思いっきり、仏の教えに含まれているのですが、 以前、仏弟子は祭祀は行わないと記したのは、 仏の説く全き安らぎ、涅槃寂静に至るのではということでです。 仏弟子でも、祭式をしていた弟子もいますが、道理によってそれらを捨てています。 え〜と、現在ここまでのHPを読んで、ちょっとそこの箇所に対しては、 抵抗があるという方はいらっしゃいますでしょうか。 HPの内容に誤りがある可能性もありますが、 それは、その抵抗は、あなたの我からくる固執もありませんか。 どうでしょうか。 で、話はまた戻りまして、で、なんだかんだで光明は訪れたのですが、 とりあえず、私は普通の感じで欲なんかもなるべくほどほどにしようと思っているしだいです。 現在の状況で、私が聖典を読むと、「愚か者よ」って、軽く説教をされている ような感じになってしまい、心がイタイ‥ところが多々ありますが、 とりあえず、仏の教えには解脱するまで最後とされるものがないので、 普通にできることから、していこうというような感じです。 で、これは私の現在の見解なんですが、この光明とされるものを語る書物を見る限りでは、 あ〜、だから、大変なんだという感じで現在は思っていますが、 要するに、後の生での悪業をまとめるような感じもあるようです。これはハッキリとはわかりませんが。(←違っていたら削除します)。 ちなみに、仏の教えでも修行者はのんびりは除くということなので、 どちらを読んでも、軽くお説教されているような感じ(反省すべきところ)になってしまうところがあるので、そこは在家者の凡人であるという事で甘んじてしまっているところがあるわけです。 で、訂正箇所ですが、私は仏の教えを捉えるにあたって、(個人的に)のんびりと記したのですが、仏の教えを知っている人でも、知らない人でものんびりしている場合ではないということです。 この短い人生でどれほどのことができるのか。 人生はせいぜい生きても100年程度である。 「ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。 たといそれよりも長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。」 人生は短い。 禅定をせよと説かれています。 H21年7月17日 本日は、天気も良く。現在は涼しいからちょうどいい感じです。 明日は天気がくずれて雨になる予定らしい。 で、明日は休日なので、ちょっと更新します。 祭祀の話がでたので、さらに理解が深まるであろうという部分、 久々に仏の教えを紹介しておこうと思います。 祭祀について、祭祀を行う者が祭祀を行うとするならばです。 祭祀を行うことについて なぜ、仏の弟子は、ブッダも「神々もそれを喜ぶ」言われるのに、 その祭祀の行いから離れるのか。 もうおわかりでしょうか。 祭祀についての紹介はもうちょっと付加(火への献供も含め)するつもりですが、 祭祀を行うにしても、四聖諦(苦しみとは何か)という教えを、 自分の内で見ておくことが重要なのではないかと思います。 また、無についての恐怖感を持っている人も、苦というものについて、 四聖諦(苦しみとは何か) を、自分の内で見てみることが重要であると思います。 聖者達の説く無というもの。 世間の人々が無明により恐怖を抱いてしまう無というもの。 聖者達の教えと世間の人々のその考えは、全く逆です。 聖者達の教えでは、そこにあるのは、恐怖や虚無などではない。 そこにあるとされるのは全き安らぎです。 H21年9月11日(2009年) ↓別ブログで更新していたものを抜粋、コピペ H21/7/23 う〜ん、畜生霊とその仲間達と悪鬼のたぐいはなんで俺の邪魔をするのかよくわからない。 まぁ、目的は前から騒いでたから、だいたい読めるので、 悪意に満ちているのは受け付けられないけど。 畜生は悟れない。 そして、人間に角は必要無い。 畜生、畜生霊とその下の者達も、梵というのも意味がわからないんじゃないかなと思います。 なぜならば、 方向が違うから。 呪詛って、力を示して、優越感にでもひたりたいのか。 自分の飼ってる悪霊とばして、念を読んで、 私にはこのような、透視能力がありますとかの優越感なのか。 霊的に関連してるなのに、 ────の言ってることとか全く わけわからないんだろうな〜。っと。 まぁ、表現をするとすれば、畜生霊とその仲間達と悪鬼達の輩と、 ────のような人は次元が違うと。 ちなみに────は私の尊敬する人物の一人です。 光明が見える方向を何度も繰り返し話してくれていると思うわけですが。 霊的能力とかに魅了されて、見えなくなる方向に進む人の多いこと。 だから、畜生霊の仲間の能力にかまうなと伝えてるのに。 (HPでの教えを含む、を理解したなら)普通、畜生を師事しないっつうの。 畜生を師事しているのは、普通に落ちていく方向だと思います。 何回、教えてもその意味を理解できていない人がそれなりにいるわけで。 人間として生まれてくるというのは、もの凄く、 奇跡的な事柄(稀)であるというのを、今度紹介する予定だけど、 そういうのを踏まえて、伝えてるわけです。 人生は短いけど、聖者の教えは、後が長いという教えなわけです。 善いことでも悪いことでも。 畜生霊とその仲間達の輩は、ほとんど、一生のうちの、ごくわずかの事柄が見えるか見えないかだろうに。 違いがわからないのだろうかと。 H21/7/27 天気は雨。 さっき歯医者に行ったら、予約制だったので、 予約だけして帰宅。 明日も雨降るんだろうか。 え〜と、さてと、 今日はもうちょっと詳しく記さないと、 話がごっちゃになる可能性があるかもしれないので、 ちょっとハッキリさせるために、 え〜と、Sという女性の彼氏とされる人物は、 (下の名前だけ)××う、という人物です。 NとIとSにあってから、こっちも霊障で困っていたので、 同じサイトで名前の違う_ョウという人物から、 護符を購入して、相談もしたことがあります。(自分に来た障りと、Tハタさえの相談です。) ちなみに、このときは、まだ、さえのことを普通に霊障に困っている人物であると思っているころです。 (↑たしかこっちがカタカナの_ョウだったと思います。 上記の人物の××うと、混同してしまうと、話がややこしくなったりすると思うので、 今回ちょっとこの件を追加で記している次第です。) それで、この人物から護符を購入して身につけたのですが、 霊障がものすごく悪化したので、 その護符を身につけるのをやめて、 その時、S自身も霊障で苦しんでいるということなので Sの分も、この人物から護符を購入したのですが、Sに電話すると、 護符はいらないから、その人物に返して、 念を抜いて処分していいとのことでしたので、 それを返品して念は抜いてくださいという手紙も同封で 一応、Sの分の護符と、相談をしたという感謝も添えて 返品したことがあります。 自分の分の護符は、神社へ持って行きました。 で、返品する前に、その人物とはメッセンジャーでも いろいろ話をしたのですが、症状が、ますます悪化してきたので、 それっきりで、相談をするということもやめました。 (ちなみに、この人物もそのような能力者でした。透視でこっちのを読んでいたので) ↑、これは要するに、(同じ名)××うと、__ウの違いを説明です。 で、そのときもかなり大変で、まぁ、かなりやばかったんですが、 そのときに助けてもらったのが倉稲魂命様なわけです。 あのときは神社に行って良かったです。 (あのとき生霊が帰っていったんじゃないのかな、と。 悪いことはしない方が善いと思います。と、関連のある方へ) そして、(Tハタらの方からの障りも継続中)さらに悪化してしまった状況を打開すべく、 その後にお寺とか神社に行って、まぁ、いろいろと話を聞いたりも したんですが、霊的にそれなりにくわしい住職さんも、 あったこともない相手からそういうものは、 絶対に購入するのはダメだとアドバイスもありましたので、 気軽に、あったこともない相手から、霊的な品物を購入したりとか、 あと、霊的なエネルギーを送ったりとか、送られたりとかいうのは 危険がありますので、あったこともない相手からはなるべく 霊的な品物を購入したり等をするのは、控えたほうが良いと思います。 そういう関係に興味のある人は気をつけてください。 と、まぁ、そんな感じでした。 この頃は、畜生関係の霊等の方は、詳しくなかったです。 畜生のたぐいの霊には特に興味がなかったので。 とこのような感じで、この件の事柄も、 HPに付け足そうとは思ってます。詳細がわかりやすいように。 前回の日記も含めて。 現在は、あの頃に比べたら、かな〜りラクになったなと。 まさか、畜生霊と悪鬼のようなのが絡むとはおもっても見なかったわけで。 まぁ、でも、こっちは、仏や、────や、 聖者達の教えの方だから、相手としようとするならたぶン、 かなりよろしくはないと思いますが。どうなんでしょうか。 ちなみに、聖者達は、そういう輩(畜生霊だとかそういう関係)の術も 知った上で、相手にしていません。 はらってます。 畜生関係等、霊的に関係にある方々は、 聖者達の道の方を見てみると、あなた自身を含め、 周囲の人にも、益するところが大きいかと思います。 H21/7/29 雨だな。 なんか、最近というか以前から思っていたのですが、 芸能界っていうのは、大変な仕事なんだな〜とちょっと思う。 チヤホヤされているようで、やっぱりそれも仕事なんだな〜と。 ある意味、世界中の政治家の人たちも同じような感じなのかな。 いろいろな職種はあるけれども、 それぞれ、その中で何をもとめているのだろうか とちょっと思う。 H21/8/6 今日はいい天気でしたね(晴れ)
おかげで汗がだらだらと。 さてさてと、 家の裏で、港まつりをやってます。 ここの町会は、いっつも何日から何日までやるんだっけか。 他のところは1日から5日のとこあるけど。 ここの町会の祭りは、毎年、 どうやら小さい子が太鼓をたたくらしい。 音楽と結構ズレているんだけども(ご愛嬌)w 今年は海に行っても、結構さむいのかな 今週も気温があまりあらがらないようだからね〜。 H21/8/11 う〜ん、 明日というか今日も遅番、 もうちょいでお盆ですね。 う〜ん、ふ〜、っと。 世界的に、聖者達の教えが〜、 消え去ってきている〜ような〜、気がする。っと。 というか、 例えば、 日本の神道ですけど、 最近、普通に書店に販売されている神道系の書物なんか ありますけど、神道の真の教えとかが消えて、 形だけになってきているような気がする。 ご利益信仰だけを求めてきているような 風潮(描き方)になっているようですが、 過去の叢書なんかを見ると、 本来の神道とはそういうものではない! ようですが。 H21/8/16 今日も涼しいな〜、 先日、友人とお好み焼き屋さんにいってきました。 なかなかおいしいお好み焼きだったけど、 タレがいいんだろうか。 お好み焼きを食べた後に、 もんじゃ焼きを食べたんだけど、 友達の1人が、もんじゃ焼きの焼き方を 知ってるから俺にまかせろってんで、 まかせたら、見事に失敗しました。 店員さんにまかせりゃよかったのに、 できないのに、できるとか言うから、どうとかw。 という感じで、なんだかんだでもんじゃ焼きを食べた休日。 H21/8/20 雨が降っている。 今日は花火大会らしい。 明日と明後日は連休なので、 さて、どうしたものか。 今日は歯医者に行って治療。 2回で終了。 あそこの歯医者の医者は、たぶン腕がいいのかも。 昔小さいころ、 歯医者に通ってたんだけど、 虫歯を何箇所かなおすのに、 1年とか、かなり長い期間通ってたことがある。虫歯の治療だけで。 同じ虫歯を、掘ってはうめて、掘ってはうめてって、 何回もやってたな。 あれって、やぶ医者だったんんだと、 他の歯医者にいって、数回で終了したときに 初めて知ったわけで。友達もあそこはやぶ医者だっていってたけど。 小さい頃は待ち時間が長く感じたから、結構大変だったな〜と。 H21/8/24 今日はいい天気だったね〜。 外を歩いたら気持ちがよかった。 法についての話は、 まぁ、時間が経つと、 普通の人は信が薄れてくるだろうってのもわかっているわけで。 まだ、信ができてないからしょうがないと思うのですが、 そこら辺が難しいのだろうなとちょっと思います。 この日記(ブログ)も普通に詮索をしているのは、 (← ブログの方の話です。) コンコンに絡んでいる輩によく通じているのかな、 どうなのかっていう感じですが。 え〜と、ちょっと、らちが明かないので、ちょっとハッキリと。 キモイ霊も、Tハタのだろ。もうバレバレだ。 電話で話をしていたとき、透視するときだったか、 そんなような話だったかの時に、 「ちょっと待って、今よぶから」って、 ウロウロしてるキモチの悪い霊(幼い声の霊)を呼んでたし。 というか、 霊的な世界を知っているのに、霊的なことで ウソをつくとはえらい、愚か者だ、と。 Tハタは、何かしらに見せられて、キリストさんとブッダは 同じところにいるって言ってたけど、 もうわかるだろ。 道理としても、ありえない。 キリストさんは(復活する)と言っているわけで、 聖書も仏教もなにも全くしらんから、 そういうわけのわからないことを言うわけ、 要するに見せられてる(及び、自己によるの表象)わけで。 そんなんで、成仏させる法は、仏教にはない、神道にあるとか わけのわからんことを以前に言っていたけど。 あと、Tハタが霊障で、母親も重い病にかかっているというから 真言宗の腕輪念珠を、母親の分まで購入して、送ってあげて、 母親はその送ってあげた念珠をしているって言ってたけど 一体どうなんだか。 そのあとに、_ョウという人物から、護符も購入したわけだけど。 そのお返しが、こんな感じなので、こっちとしては、 普通にありえない奴だなと思うのも当然なわけだが。 通常の不快な感情を通り越して、全くもってありえない奴だと 思っているわけだが。 もし、Tハタの母親が、死にそうなほどの重い病にかかってない としたら、正真正銘の大ウソつきなわけだが。(← ウソなら悪事が故意。) そこんとこは一体どうなのよ、と。 あと、(10/27の日記のサブプライムからみで パニックにならないようにってのは、 深夜の情報番組でゲストの人が言ってたことで、 その頃は、その番組を結構毎日見てたから、 たぶンその頃か、その前か後かだと思いますが、) その深夜の情報番組で、キャスターのあの女性が、 番組の途中で、 用紙で緊急メッセージのようなのが入ってきて、 それを読んで、まぁ、その内容はこっちにたいする 小言っていうか文句なわけだけで、子供の喧嘩のような 内容だったけど、 悪意がなければそんなことは、まずしない。 なぜ、それがさえだとわかるかというと、 最後に、「さえです」って思いっきり言ってたから。 自分らのやっていたことがわかってる? こっちは、何かあって、逝ったって、たいした業はないわけだが、 ホント、畜生霊とその仲間達の悪業は大きいと思うが。 教えが畜生霊の次元での霊的な話を示しているのではないということも理解できていないようだけど。 (霊的に何もしらない人が、安易にからんで、悪業積んでる人は もうしょうがないとして) 「神をおそれなさい」っていうのを聞いたことがあるか。 これは、法をおそれないさいってのと たいして変わらないと思うわけだが。 意味わかるか。 畜生霊とその弟子、畜生霊の下の者達は、現象界での考え方というか、認識しかない、というか、 認識のなんたるかも意味わかってなかったようだから、 言ってもわかるかどうかすら不明だけど。 ことがそれなりなので、 他の人にも、細かく説明するのもこっちの手間なわけで。 と、今日はちょっと(ブログに)ズバッと書いてみたり。 さて、これもHPにのせる予定。 (←ということで、HPに載せました。) あと、関係のない他の方達は、 HPの法はちゃんとしてるので、紹介している聖者の説いた法に対して 普通に信をおいても大丈夫です。(訂正箇所があったら直します。) 心配なら、ご自分で、聖典なり聖書なりの確認をしてください。 H21/8/26 気温が下がってきましたね。
窓の空け具合を少なめに。 HPをちょっと直そうとおもったら、 ちょっと長くなってしまいました。 まぁ、それはそれで。 まぁ、それはそれで、(話の続きです) 障りで大変であるというので、腕輪念誦をあげたのは100%間違いないです。 というか、 それ以前の話で、一番最初にツノ(仮)とキリン(仮)のきちんとした正体を知らなかったのですが、 Sが彼氏(師匠)から呪詛で殺されそうだというので、 で、Tハタが誰でも良いというので、 その同じサイトにいた、ツノとキリンの方に、彼女を助けてくれるようにメールしたときに、 Tハタは昔に、その霊か、霊力で、アルバイトの 友人を怪我させたという事柄を、 そのような、良くないところもありますという事柄と、 Tハタの他の人格についても、結構詳細に知らせました。 当然ですが、彼女を助けるためにです。これは間違いようのない事実です(100%) その後に、彼女らが仲良くなったようで、 ツノが使役しているとされる前鬼と、後鬼も使って、その師匠の能力を消したらしいです。 (↑嘘か本当かは知らないです。そういう話でした。) で、ここら辺の話は、まぁ、結構いろいろありまして、 彼女は裏高野で、その彼氏が呪詛してお前を殺すって言われてかなりビビッているようなので、 わざわざ高野山に電話して裏高野はないっていうのを私が、直接、高野山に電話をして聞いて、 彼女に伝えて上げました。←これはもうほとんどアニメの世界の話です。 で、その時にツノとキリンにも裏高野の事柄をたずねたら、現在は裏高野はないと言っていましたので、 それをそのまま彼女に伝えました。(彼女らによると、現在の高野山は全体的に力が弱くなっているらしいです。) 他の人格も作用して、かなりビビッているようだったので。 で、その後、彼氏(師匠)が力はなくなっているけど、まだ何かをするかもしれないというのと、 Tハタ本人も憑依をされて大変だというので、 彼女の実家にツノとキリンが来て、 結界をはってくれたそうです。 結界を張った後どうなったとかは、Tハタに詳しく聞いていないはずですが、 結界を張る前は毎晩のように、悪霊がいつもは確か窓の外まできて、 来る奴は部屋まで入ってくるということで、電話で話をしているときに、 「ちょっと、待って」と言って、口で息を出して祓っていました。(見せられてるだけなのかどうなのか、不明) なぜ、S・Tにそんなに悪霊がよってくるのかというのは、 彼女の中の一番奥にいる、かなり凶暴な人格、本格的にやばいのが、 そのような低級な霊を呼んでいるということでした。 これは、彼氏(師匠)から聞いたそうです。 ちなみに、私も他の能力者(有料)から他の事柄を聞くついでに、 わざわざ聞いたのですが、(←くどいようですが、助けるためです。変な勘違いをしないように。) 彼女に中にいるのは狐ということです。 彼女は自分の中にいるのをあまり言いたくないようなので、 そのことを伝えたら、「狐か〜」って、そんな感じで言ってました。 マイミクにも、そっち系統のマイミクが結構いたので、 おそらく半分わかっていたのではないだろうかと。 で、話はまだありまして、 ふ〜っ…と、とりあえず、彼女らの話は本当に畜生のたぐいが多いです。 あの、名前はミクシィネームだからいいのかな、 え〜と、ことしろさんとか、(←事代主さんが守護しているという人と、狐も。狐の名前は忘れた。)(事代主さんは、宮内庁だったかどこかの、そういう祭祀だか宮司的な一応霊的な役職の就職面接で落ちてしまったというふうに聞いた。天皇家で男性が生まれないのは、たしか霊的な何とかが原因だとかいうので、なんて言っていたかは忘れたけれども、そういう霊的な障害を直そうという志を持って面接を受けたけど、面接で落ちてしまったというように聞いた。) Sが最後に、悪念込みのお別れメッセを送られたという、 あれは、ことしろさんの読みは結構正しいだろ。 中、本当にクロいぞ。 (ちなみに、彼女がキリンから購入したブレスと、たしか無料でもらった ネックレスは、彼女がかなり憑依されやすい体質なので、 それをふせぐために、移動結界の役目があるそうです。 以前、たしか、彼女らのが結界の効果について記した!?と思うのですが、 効果については、実際にあったことがある人物でもないので、不明という事で) で、彼女の実家にツノとキリンが来て、結界を張るときは、 私のところに電話がきました。 今、ツノとキリンがきていると。 (この時はまだ、Sと仲が良い感じです。) 結界の金額がたしか10何万か20何万くらいだったと思いますが。 そのとき、ツノさんは今、下で母親と話をしているっていってたな。 結局とりあえず、よかったねということだったわけで。 あのときもたしか「ありがとう」って言ってたと思うんだけど、 今となっては、その真意も定かではないです。 母親も憑依体質であるから、ど〜とか、こ〜とかで私は母親を助ける ために生まれてきたと、たしか言ってたはず。 で、母親のところに死神が来て、家の裏の人がその身代わりに なったとかどうとかこうとか。で、 私が彼女に業の話をしたのを覚えてます。 基本的に、小さい頃から、自分は、自分の身体を外から 眺めていたと言う事です。 で、最近になってようやく、でてこれるようになったと 言ってました。 自傷癖があるというのも、それをしている自分をたしか そとから見ていたりなんだったり。ということです。 ─── かなり昔から、そのような憑依体質らしいですが、 そういうのは両親もわかりきってるだろうに。 Sの父親も当然、多重人格であるというのも知っているはずです。 で、S自身は以前、寄ってくる悪霊を払おうとはしていたようで、 どの霊を祓おうとしていたのかは、わからないのですが、 その中の一匹?が現在こっちににきているキモイ霊で、 しかし、こっちに来ているキモイ霊はTハタをかばうし、明らかにTハタの弁護役をしているので、 こちらとしては、今までの経緯からみてもTハタとキモイ霊はつるんでいると思っています。 で、祓えるか祓えないかという事柄に関しても、他の人から、助言として聞いてあげたのですが、 彼女自身が、その霊を本当に出そうという気があれば出て行くというのを 話たのですが、しかし、そのことによって霊能力がなくなる恐れがあるというも話をしたのですが、 霊能力がなくなるのが嫌だということで、嫌がっていました。 (↑このような霊的能力に対する固執は、真理が見えるとかどうこうとかいう段階ではな全然ないです。) 〔────のような方の話と、このような霊的な能力の話の違いは何なのかわかりますでしょうか? おそらく、一般の、神的な話を知らない人達はその違いですらもわかっていないと思います。 なので、そのような霊的能力に魅了されてしまう、と。 そのような霊的能力は逆に真理を悟るのには邪魔であるというのにも気づかずに。 これは、本業でお坊さんをしていた人で、わけもわからず彼女をかばっていたような人も その違いが理解できていないと思います。 霊的な話でいうならば、霊的な話の触り(とっかかり)の部分すらも理解できていないと思います。〕 彼女を助けようとした結果が現在の私の現状であるということをお忘れなく。 お坊さんが語る一切衆生を救うというのは、できればそれはものすごく善いことですが、 私も以前記していますが、「善も悪も一切を救う。ことが慈悲。なんだろうかね」と。 これは、付け足せば、悪でも改心するものは救えるが、悪でも自身が改心しなければ救えない。 が、もっともなわかりやすい答えであると思います。 これは、どういうことかというと、聖者方はときおり悪魔を祓っているので、明らかであると思うのですが、 悪行になずんでいるものでも改心ができるものには、教えを説くだろうが、 悪行をして祓われてる悪霊もいる。 それはなぜか、 伝えても、全く理解できないものもいると。 なので、善い友と親しみ悪い友と親しまずとの教えがありますが、 これは、本当に全くその通りだなと思うのですが、 聖者方は悪霊やそのような存在をも考慮しての教えを説いているわけです。 本当に悪魔等そのような存在というのがどのようなものであるかというのを 知っている人だからこそ説ける教えであると思います。 私の経験でも、そのような存在が本当にいるんだなと実感をしています。 聖者方の教えは本当に、凄いです。 で、話を戻して、母親も結構霊能力があるらしい。 父親は、見えるんだけど、信じていない感じらしい。 母親は重病になってから、見えるようになってきたとか言っていました。 (彼女の母親の病は、凄い難病がいくつもあるということらしくて、 それを治すには、霊的な事柄で治るとSは思っていたようです。 それで、母親の事とS本人の霊障を治してもらうのに、師匠と知り合ったそうです。) で、この師匠も結構色々あるのですが、(簡単に説明) 以前、大黒天さんがついていたらしく、波乱万丈で その後、大黒天さんが去ったあとは、かなり大変だったようです。 で、その後に、ツノとキリンにやられたという話です。 で、以前の引っ越す前の家屋は結構ハードな家で、 包丁の話やら何やらで、フィリピン女性がどうとか、 で結構な話があるんだけど、どこまで話をしてよいのやら。 多少相手のプライバシーを考えてみたりするけど、 こっちのプラバシーはなぜか、最初から、結構知られているような状況だけど、 これは一体どういうことなのかと。 こっちは全くわけがわからないという感じです。 それで、結局、本当の人格が、全く消えているならば、 彼女をどおしてよいかは定かではない。 本人の人格が、正常に戻っていてなおかつ悪事をなすのであれば、 それはそれで、もうどうしようもないと思います。 治るのであれば、治せばよろしいと思いますが。 似たように人格をとられているヤッカの話もあるけど、 基本、意識が取られているなら、う〜ん、これまた微妙なところであると 思いますが。 〔とりあえず、もうわかっているのかもしれないけど、 ← 本人へ 大きなターニングポイントは、(霊的に) 荷物をしょっていくかどうか、助けるか助けないかだと思うぞ。 あっさりと、そんなもん助けてどうするのよって言ってたけどな。 大勢。 気比神宮のところにいつもいる?おじいさんの霊も、どんな目でみているのか。) で、こっちに来ているさえという悪霊は、常に攻撃してきているような状況だけど、 巻きつくような感覚でボーとさせて、それが継続するように 思わせるけど、継続できないようだからね。 悪霊の仕組みというか、そんなのが解明されつつあるわけで。 私の中で。 とそれよりも、コイツをどうにかするにはと、 Tハタと昔からずっといて、 やっぱり本人がからんでいるだろうから、 こっちで一時的に祓ったとしても、 Tハタ本人が絡んでいるなら、 私のとこで、いくら祓っても、あまり意味ないと思いますけど。 で、以前記した、悪霊(さえ)が腹痛を起こさせるをのは、 仏典にもあった(訂正箇所です)けど、悪霊は聖者の腹に実際にはいって悪さをすることがあると。 すぐでるけど。 ウロウロしている悪霊もずっと、腹痛を起こすことができないという事は、 やはり、ずっとそれをなすことはムリらしい。 (要するに、物質を通過したりというのは、普通にできるようです。まぁ今更の話なのですが。 で、実際に、口がないのに、ある程度の言葉も発することができるので、 これは、他の地球以外の惑星でも、人間のような存在がいなくても、そのような念のような、 有機的な存在は、居てもまったくおかしくはないということが証明されてます。私のところでは) う〜ん、 個人的な日記(ブログ)なので、イロイロかいちゃってますが、 HPにのせるときは、ちょっと清書というか、 清書といっても、わかりやすくするようにしますが、 あまり内容を変えるところはないと思うので、 まぁ、結構そのままのせるかもしれません。 (←ブログからのコピペですので) まぁ、腕輪念誦とかこっちの善意を仇にして返すとしたら、 そうとうヤバイと思うけど。霊的にも。わかってるの? 短い人生で、そんな。 見えてないすごい神霊がものすごくいるだろうから。 そのような神霊がいないと思う方が、 現在の私にはもうムリなわけだけど。 Sの両親もその当時の話で、最近やっと出てこれるようになった とかってのは、知らないんだろうか?もしかして。 キリン(仮)も同じ症状で、通常は本体と、 違う人格同士仲良くしているっていっていたけど、 実際は意識を占領されてる状態なんだろ。 まぁ、本体が出てこないってのはほとんど そういうことなんだろうけど。 他の人格同士、仲良くしているってのは、仲良くするような 感情を出されてるんだろ。おそらくは。 そこんとこもうちょっと考えてみたほうがよいと思うけど。 って、意識とられているなら、それを考えることも嫌になるだろうけど。 とりあえず、 狐を師事しているってのは、そういう感情をおこされている 可能性はかなり大きいと思うが。 そういうのは、考えたことがあるんだろうか? 聖者の教えでは、ツノ(仮)はおそらくほぼ天上とするところ(境地)には行けない。 他の人も道連れに下げるなら、後々もなおさら難しいと思われる。 後の生で、また人としてあるのかどうかもわからないけど。 もし畜生霊が上に行けるって言い張っても、たいして道理もないだろう。 その胎から抜ける法。それが示されているのが、 わかっているのだろうか。 人格取られているなら、狐のとこにいても、 そういう症状はおそらく治らないだろ、 おそらく、そういう狐らが、入れ物として使いやすかったりなのだろうから。 Tハタも憑依されやすいし、あれだけ人格がコロコロかわるなら、 すでに完璧に意識とられてても全然おかしくはないのだろけど。 (もしも、九尾が入っているとかならば、なおさらであるとは思いますが。 まぁ、九尾の話も、キモイ霊が、(おそらく、違うキャラの真似で)本当だか嘘だかわからないというような事を言ってたので。 そこら辺も定かではないです。) Tハタの中にいたのは、こっちに来ているのでも明らかだけど 善のふりしてるけど、善ではない。 タチが悪すぎる。 悪戯してる時点で、普通の知性の霊でないってのも明らかなわけだし。 本人の電話の話もどれが本当の話なんだかさっぱりだからな。 Tハタは嘘をつきすぎ。 H21/9/3 今日はいい天気であった。
う〜ん、書いてほしくない内容が 多分にあったのかどうなのか。 まだ内容はあるのだけれども。 まぁ、ほとんどズボシなんだろうけど。 (で、話はちょっと変わって、) う〜ん、基本的に、 なにかしら、信じる方向を決める人に言うべきなんでしょうか、 え〜と、 (私の普段ののんびりとした行いに関しての事柄ですが)、 だいたい読めてた感じではあるのですが、 見るところは、そこらの兄ちゃんではく、法の方です。 私はそこらの兄ちゃんなので、行いもともなわない部分があるって、 わざわざ何回も記しているのに、 その行いがどうこうだから、 いまさらになって、なんだかんだって言っても、 ほとんど意味ないです。 これからも、それなりの生活で過ちをしてしまうというのも、 まぁ、全くないということはないでしょう。凡人。 もしかして、そこらの兄ちゃんに何かを求めているのでは。 見るべきところは、そのそこらの兄ちゃんではなく、法の方です。 仏の教えは、他の人に依るのではなく、法に依ること、自己に依ることです。 う〜ん、 現在権力がある人でも、 あと、何十年人生を送ることができるのか。 人生って、そんな長くないから、できることから、 善をするようにしていけばそれでいいのではないかと思っているのですが。 過ちのあるところは、反省するしかない。 ゲームとかなんとかって、 (霊的に全く無知な人と、宗教(真理)からものすごく遠い人が絡んでいるようです) う〜ん、 結局、見えずに終える人もいれば、 法を見て、自己を見るようになる人達もいると。 法を本当に見ている人達は、 もうなにかしら行動を起こし始めている人もいると思いますが。 個人的に思うのは、 自己の財産を投げうって、他の人のためにって、 自分は必要な分だけあれば良いって本当に実行をしたという、 あの人(その行い)は、善以外のなにものでもないと思いましたけど。 心が綺麗なんだな〜っと。 上の方にそういう人がいると、ついて行く人達も安心だろうな〜。 う〜ん、なかなかいない。 こっちは、コンビニで5円とか10円、募金するくらいなわけでw。 (金銭の大小の問題ではないのですがw。 心 ) H21/9/4 現在、雨が降っています。 本当のこと書いているからどうしようもない。 この日記(ブログ)を知っているのも世間の人とかもあんまりしらないので、 やっぱり、指図している(ブログを知っている人)は、 まぁ、そんな感じなんだろうなと思いますが、 色々明らかにされて、事情がわかって、 事情がわかったけれども、Tハタに加担していた人は、 こちらを、悪い感じにしなければ、自分が野干だとかにされるからなんだか どうかはしらないけど。 現在あせって、どうこうしようとしている人達は、 そんな妖術使っているようなのに肩もつからでしょ。 指図する方の人だと思いますが、完璧に畜生霊の方向の者がいるようですが。 どうなのでしょうか。 畜生霊とその仲間達を加担しているのもハッキリ見えてきているようで、 他の人達がそのような人を見るのに、そのような目で、そのように分別して そのように推察している様子がチラホラ見受けられます。 他の方達自身に分別の智慧が付いてきているということでしょうか。 そのような智慧も、善に向かうので善いことであると思います。 それで、 要するに、最初は本当に悪行があっちにあるとわからずに、 あっちを加担していたけど、 本当に悪い行いがあっちだと気づいて、 加担していたのがバレたらまずいから、 自分達から逸らせようとしている人がいるのでしょうか。 宗教の場合でもそうでしょう。 こちらが悪い事書いていると思ったのかで、 最初、こちらをどうこうしようとしたのでしょうか。 こちらは、真の通り、元通りに、善でまるめようとしているだけです。 おそらく、宗教(真理)から程遠い人が、特に、(それぞれの教えの真意が理解できていないので)、 違う方向に捉えて怒りのような感情をあらわしてしまうのではないかと思います。 ハッキリ言って、マルティン・ブーバーさんも 仏陀を尊敬の念で見ています。 どの教えを信仰していた人かわかりますか。 その教えの人達にも、真の教えとして仏陀の教えは 普通に通じています。 事柄の真相に気づいて、なおかつ こっちに何かしらしようとしているのは、 間違いなく、性悪な人であるということに なってしまうと思いますけど。 と、これもHPに載せようかと。 (←ブログからのコピペです) Tハタの名前は伏せておこうと思ったけど、 もう出さなきゃしょうがないかと…。 (←それで、Tハタ。それでも、ちょっと伏せときました。) 詳細は、あの三人が詳しく知っている、 なぜならば、犯人らなので。(現在はどんな感じなのかは知りません。) でも、まだ読んでいる奴はいるみたいですけど。 相変わらずなのでしょうか。 かまわなきゃいいのに、かまうから。 最近はどうなんだろうかと思いますが、 もしも、 もしも上の方が畜生の目であるならば、 そっちの方には、もう、心の底から(本心で)ついて行く人は ほとんどいないのではないかと思います。 (ここのHPを含むの)聖者方の教えを理解した人はなおさら。 H21年10月13日 (日記更新しようと書いていたら、ものすごく長くなったので、HPの方を更新。) 今日はお昼頃、太陽が( )輝いてて 風がものすごくやわらかい感じですごく心地よかったです。 あ〜〜 そういうのは。 またしても。 ふ〜、まぁ、わからなくもない。と まぁ、とりあえず、せっかく畜生霊とその弟子から遠ざけて 思いっきり、安全圏の方向にみなさんの道しるべを示したと 思っているのですが、 なんで、畜生霊の方に誘導する人がいるのかはよくわからない。 教えは、私の教えじゃないから、 安心しても大丈夫だというのに。 もうそれぞれで気づいている人は気づいていると思うけど、 というか、聖者達の説いている方向は同じだということに 気づいたなら、もうそっちの方向でいいとは思うわけで。 日本はそっちの方向でいいと思います。 というか、キリスト教の人達も、共同で同じ方向でいいとは思います(個人的に)。 (善行の道に関しては)大差はないと思いますので。 ブーバーさんの信仰の人達も。 とりあえず、畜生霊の方向に、もって行こうとするのは かなり善くないと思います。 で、話を変えて、まだ、魅了されてるかもしれないなので…、 もうちょっと詳しく説明 さえは、本人が近所で、霊能力でちょっとした有名人だってのは、 本人が言ってて、霊能力で人助けをして、お礼とかそういうのを もらったことがあるというのも知っている。 で、名を売って有名になりたいってのも知っている。(本人談)。 で、俺をやっつけようとしたのも、事実なわけで。現に現在も。 近所では良くしてるようだけど、そういうのは問題ではない。 感情はしてやられた感じだけど。 まさか、そういう人物であるとは思っても見なかったので。 そういう人を脅すようなので、力使っている時点で、 方向がとてもヤバイ。電話でも実際に体験済み。 あのときはすぐ切ったけど(人格が変わって)。 現在は、もう呑まれているんだか正気でしているのかは知らないけど。 〔「ゆるさんからな」って、護符は作り主にきちんと返して、それも知らせて返事ももらったはずだけど、 まぁ、今までの流れからしてそういう事柄以前の問題なのだろうけど。〕 あと、悪念を使うような人物を重要な会議等に参加させると、 ペタペタと次から次へと、言葉を発する人物にくっ付けてから陰険な雰囲気に持っていく 可能性がないこともないと思うのでので注意してみても良いと思います。 こっちにくっ付けられたキモイ霊がそんな感じですが、 キモイ霊は、イライラしても無視すればいいだけで、それほど強い力はないようです。 あと、キモイ霊にペタっとくっつかれて「ない」とかっていう 発言になってしまうのがあるようですが、 私にとっては大体の人は、ないことはない、あるので(表現がへんですが)、 「ない」っていうのを私の感情で私がそう言わせているとかって いうのではないです。 キモイ霊には「ない」って言われた方が、 逆にいいのかも。 まぁ、どっちにしてもたいして意味はないです。 ちなみに、「ある」っていう、言葉はまだ聞いたがことないです。 あと、悪念を使うような人物に、依存している人は、 ちょっと、感情をよくよく見ないと、 感情は動かされるものなので、注意して見た方がいいと思います。 普通の人は、あまりわからないと思うので、 あまり関与しない方がいいです。 キモイ霊のような存在ですら、一般の何も知識がない人に憑いた場合は恐怖でおののいてしまう のではないかなと思います。 悪魔祓いとかで、よく「悪魔がくるー」とか 叫んでいるような感じに。 そういう人は、どんな状況なのかというと、おそらく、 感情も恐怖をあおられたりと、諸々で、まぁ恐怖は数倍みたい感じなのではないでしょうか。 そういうときはまず、パターンを分析していけば、まぁ、なんとかなるかもしれません。 私も嫌な事柄を言われると、不快な感情をあおってくるので、 結構キツいところはあります。 あと、笑顔を作ると自然に、心が楽しくなるっという感じで、 筋肉で、心を負の方向に持っていこうともする。感情とあわせて。 と、こういう悪行もするわけです。 これを記している現在も、締め付ける感じで攻撃をしてくると。 ほとんどそういう悪念というか、考えしかないようです。 基本は、その繰り返し。 やっている事柄も一年前と大して変わらず。 で、内面(感情)で格闘している感じです。 格闘というか、悪霊が一匹でただあばれているような感じですけど。 多分、ここで、神道のように霊的な弓とか、剣とかがあると、 バッサリと行くんでしょうけど、 ( ← これは各々の神社によりけり) 仏の教えは悪霊にたいしてでも、怒らず。 というか、聖者に怒りというのは、すでにない。 聖者らは、言葉を発するだけで、充分なようですけど。 仏典にもあります。 目が良い人なら、悪魔の本当の名前を言うと、 悪魔が逃げていくらしいですけど、 私の場合は名前が見える程目が良くないので。 で、話は変わって、以前記した愚か者っていうのは、 言う方もどうこうだってのは、しっているけど(聖書)、 仏教的に、愚か者よって感じに。 あと、力も、それを表現でエネルギーであるという感じで、それは力だってのなら、 力という表現になると思います。で、要するに畜生霊のたぐいの力と 全然違うので。 宗教に関係なく、見る人は、その時その境地にはいくようですが。 なので、無神論者に神がないのではない、と、このような 事柄を説けるわけであると思います。(ブーバーさん) だいたい、神秘家の人でもそうですけど、 極めれば、極めるほど、みなさん一つにまとまってくるように 説いていると思いますけど。 砂漠の方で善の教えを説いた、善の人の教えも 全く離れているということはないと思います。 仏教では禅定をしていけば、言わんとしていることが伝わるかと思います。 でも、こういう事柄は言葉で伝えても、 一般の人には、いくら説明をしても全てが伝わるもんではないらしい。と最近思う。 なので、理解できる人は一握りしかいないと (────) 怪談話で、ど〜だこ〜だと言っているようなレベルの 話をしているのではないのだけど、 他の人は、そういうレベルで見ている人もいるらしいので、 霊的な現象等ですら、説いてもあんまりわかってないみたいですが。 まぁ、私がこういう人だからな〜。って、 だから、真理は不変なので、っていうのを説明したわけですが。 ふ〜、っと、 悪霊とその仲間達には本当に邪魔されまくりです。 最初から畜生霊とその仲間達と一緒に悪事を働いている人もそうだと思うんですけど、 彼らも行くところは、キモイ霊とたいした変わらないのではないかと。 大金ががいくらあっても、死ぬ時はお金なし。 依るべきところは、自らの業とされます。 行く場所とかそういうのに関して、 基本的に、感情でいうならば、心の綺麗な人は心の綺麗な人と一緒にいたいし、 心の穢れた人は心の綺麗な人と一緒にいようと思っても、心の綺麗な人は、 一緒にいようとは思えないと思います。 人間として在るときは別でその人の感情は伝わってこないので一緒にいても平気でしょうけど。 感情体で、悪霊もそうですが、感情をダイレクトにうけるようなら、 いくら言葉で奇麗事を言っても、感情で伝わってくるので。隠すということがほとんど無理であると思います。 悪事をしてしまって、隠そうとしても、ほとんど意味がないと思います。 閻魔さまの前に行くと閻魔帳を見せられて本当の事柄も、嘘の事柄も全部書いてあるから嘘はつけないという 話がありますが、この話は実際に感情、精神を読める人とたいしてかわらないのではないかと思います。 ( ↓ 自己を知るの一部分、表面側を一般論的な見地からくっつけるところの説明です。) まぁ、そんな感じなので、死後にでも安らぎのある場所、安らぎのある人の所に行きたいならば、 善をめざして、安らぎ学びなさいと。 しかし、安らぎのある場所に行ったとしても、本人自身がその安らぎを知らない(落ち着けない)ならば、 安らぎは得られないので、自己を知って、自らその安らぎを学びなさいと。 で、更に、そのような安らぎを学ぼうとして、他人に依るということがあった場合、 そういう場合、他人に依ることがあなたにとってどのような価値があるのか。 果たして他人の安らぎがあなたの安らぎになるのでしょうか。 たとえ、それで安らぎを得られたとしても、 その他人がいなくなった時には、その安らぎが得られなくなってしまう。 そういうのは本当の安らぎとは言えない。 なぜなら、その他人がいなくなれば、その安らぎは安らぎではなくなるので。 なので、自己を知って、自ら、その安らぎを学びなさいと。 他人に依るのではなく。 まぁ、これは普通に現在のこの現象界でも言えることであると思います。 H21年11月29日(2009年) 本日の天気は晴れです。そんなにも寒くもなくでした。 え〜と、前回の日記から1カ月以上たちましたね。 それでは、事の詳細を記した部分もありますので、 通常の日記をコピペします。 あと、彼女らの多重人格もこっちでけっこう調べてる最中なので、 まぁ、彼女らがどのような状態に陥っているのか、 とりあえず、理解はできてきました。 ちなみに、Tハタは3人の他の人格が自分の守護霊であると思っているのですが、 その3人、というか、3匹か、は守護霊でもなんでもない。 というか、なんで守護霊が意識とるのよ。 自分で意識を制御できていなかったので、意識はとられているといのが、正しいでしょう。 要するに、他の人格霊に耳を傾けるな、と。 入れ替わり立ち代りで入ってきて、仲間意識を持つので、意識をとられて人格が、 そのままいくと、人格が割れていくそうです。 一回分裂すると、結構なおりにくいらしい。 しかも、完璧に人格をとられていると、本当の本人なのかは、 わかりにくい。 キリンの方は7人くらいっていうことなので、 畜生霊のたぐいがとっかえひっかえなんでしょう。 で、彼女らの人格を治す方法は、 まぁ、簡単にいうと、善行。八正道。 ここでも善っていうのがでてくるのですが、 この善の心ってのは、本当に大事。ということです。 これは、私も攻撃されてるからリアルにそういう心が大事ってのは、 理解できるのですが、一般の人は理解できないかもしれません。 まぁ、説明も不足なので、しょうがないのですが。 ここら辺はもう心の話になってくるわけです。 で、私の場合は、人格をとられるということは 今までになかったので、もうとられることもないでしょう。 人格をとられる人がなぜ、そういうように人格をとられるのかってのも だいたい理解できます。 ここら辺は、善というベースがきちんと見えていると、 それと比較すれば、あ〜、こういう悪霊なんだな、と、理解できるので、 仏の教えや聖者の教えを知ってると、かなりプラスになると思います。 比較するものがなかったら、おそらく、 仲が良い感じになって、意識はもっていかれるでしょう。 で、彼女らの人格を治す方法は善行。というので、 それはなぜかっていうと、 そこが、善の心をもつか暗性の心をもつかでわかれるということなんですが、 詳しくはまた、今度記すかもしれません。 あと、禅なのですが、先に軽く説明しておいたほうが いいと思うので、え〜と、 悪心を抱いているときに、禅をしようとして、無心にしようとして 誤って放心状態になったりすると、 ちょっと、危険というか、憑依される可能性がなきにしもあらずなので、 そういうときは、自己の悪心が出ている原因を解決してからするべきであると思います。 ちなみに、無になるっていうのは、放心状態になることではありません。 ちなみに、現在私が座禅をしようとすると、邪魔されます。が、無視してます。 と、それでは、 これらの件で、該当する感じのところとを、 コピペで載せておきます。 普段の日記も 9/22 今日は、買い物をして、本棚を購入。 連休なので、部屋のかたずけと、掃除と、棚も買って 部屋の中をかなり綺麗にしておこうかなと。 しょうがないので、勉強机も買って、本格的に勉強をしようかと。 棚を購入するだけでも、結構スッキリするもんだね。 今日はふと思ったことが、 TVの放送をDVDに録画して、 後からそれを見れば、全然問題ない!と。 う〜ん、早速今度DVDプレーヤーでも購入してみようかなと。 TVを物置から出してくるのが、手間だけど。 パソコンのワンセグのど〜とかの奴をちょっと検索してみようかなと。 ←ということで、購入したのですが、まだ未使用です。 んで、みたいTV番組は〜、 う〜ん、 いまのところないな。 しかし、棚とかけっこうお買い得なのがあるね。 明日は、違う棚を見てこよう。 10/12(2009年) ひさしぶりに。 昨日は更新しようとしたけど、 いつものごとく、途中で消えてしまったので。 どうやら、パソコンがおかしいらしい。 という事で、 おニューのパソコンを購入しようかと。 おそらく、結構長く使えるであろう、 性能のとても良いパソコンらしい。 一生もの!?にまではならないだろうけど、 ほとんど全部そろってるので、 これを買えば後はもう、しばらく数年買う必要もないかな。 壊れるまではw かなり割引中だったので、ちょっとフンパツしてみた。 新品で、そのままオークションに出しても、 購入金額より高くなるかも!? とかなんとか。 しかし、パソコン安くなったね。 高校時代の時は、今の一万円もしないようなパソコンが 平気で10何万円だったからね。 あれから、何年だ。 あと、十年もしたら、 どのくらいになっているんだろうか。 急激に性能がアップしてきてるみたいだけど。 ↑結局、金銭的な事を考えて、(一度キャンセルして)何ランクか下の性能のパソコンを購入したので、 現在使用しているパソコンは、そんなに、いい性能というわけでもないです。 11/8 あれ、ホームページが出ない! な、なんと、 (プロバイダ)は一体何を! まったく。 情報筒抜けもしかり。 まったく困ったものです。 ←下記で記しているクレーム。 とりあえず、 今度そこのプロバイダに電話できいてみて 他のところにもホームぺージをつくろう。っと。 やっぱ一箇所では少ないようだ。 (早速1つ目完成→http://handshakeh.web.fc2.com) (その他→(http://charitable.ehoh.net)) 宗教では、そちらでもOKなようなので、まぁ、 ←そちらというか、あちらなんですが、こっちの話です。 結構普通ではあるのですが、とりあえずいい感じではあります。 では、今度あそこに行ってみようかな。 ホームページは(他の所にも)新たに、開設する予定どこかに。 とりあえず、専門の人達が内容を知れば善い事大でしょう。 根本(真理)は一度知るだけでも、大きな功徳はあると思います。 と、久々に日記をしるしたので、 ついでに、 本日は、外でそばを食べてきました。 以前大盛りでたのんで、食べ切れなかったので、 今回も大盛りをたのんで、みごとに完食。 うまいというより、残しそうになりながらも、 全部食べきった満足の方が大きかったです。 そんな一日でした。 近所のそばやはおいしいのですが、 土日は休日です。残念。 11/8 (2) クレームをつけたら、早速地味な悪語の応酬が。 (←これは、ここの部分の悪語の応酬が、と記したのだけは、早とちりであったら申し訳ない。その後の応酬は見てきたとおり。情報筒抜けはリアルにあるかなと思っているところ。携帯にしかない人物のモノマネでの叩きもメディアで出てきていたので。携帯もネットの検索も全部そちらを使用していたので、それと、なぜだかHPもいきなり消えたので。と、そのように思っていたけどそこはどうなのだろうか。 そのクレームの関連でいうと、メディアでは畜生が父ちゃんみたいで、それとは別に、海外とか他のところでも畜生(カイ)があったみたいだけれども、昔、狐憑きの者にこっちに飛ばされたみたいだけど、こっちは畜生の霊であるカイはない。ほかのカイは別に知らない。 で、その後の畜生霊とその仲間達側のやり方は見てきたとおり、見ているとおり。 狐(畜生)が聖者の道を歩む道理はない。人の子でもないので。人の子は畜生から離れるでしょう。 個人的には、その関係者がいい人そうだと、昔は思っていたけど、どうなんだかは知らない。善人であれば善いとは思う。 畜生の子供であるというのは、さすがに聖典でもないけどね。人の子ならばなおさら、畜生の子供であるというのはない。 で、他の騒いでいるのは系列企業なのかな。こんな個人的なホームページなんかで騒ぎ方が、かなり異常にしか見えないけれども。 関係があって騒いでいる、騒がせているんだろうか。 そういう系列企業?の頭は何を考えて聖者方と反対にすすめるような行いをしているんだろうか。 違うところでは善くても、こちらの地方で、本性の悪性を見せつけているみたい。 それとも、違うところでも悪性で、こちらでも悪性を見せているのかな。 善性ってのは、違うところでも、こちらでも、善性なんだとおもう。 他メディアでも畜生霊と、その仲間達をものすごくかばっていた風なのはずっ〜と見てて、狐らと明らかに連動していたのもあきらかだけどね。 それにしても、自分達で故意に声とか吹き込んでいるのも、もう明らかにわかりきっているのに、続けるのは何かを隠したいわけなのか。 海外ではなくて、日本にいたのかな。それらの仕掛人は。 聖典に書いているとおりに逆に進んでいる者達がいる。聖者方と正反対。 死後は畜生にたすけてもらうんだろうか。 あと、ちなみに、寄付なんかでは、金銭の金額の大小で善業の大きさが決まるわけではない、と。 以前にも、記したと思うけれども、知らない人もいるようなので。 小さくても、大きくてもそこに込める気持ちがね。行い自体も善性であるわけで。 ネット等でも寄付したという人達を見ると、普通に善行をしようという人も大勢いる。貴方も私もあの人も。 霊的にも畜生霊と、その仲間達側の悪行は聖典ではどう考えてもないよ〜っと。どうするんでしょうか。 他の者の心は読めても?、死後は読めず、聖典は読めず、自己も読めず。 仏を見たほうが善いと思うよ。 見方、念じ方すらわからず、か。 ちなみに、仏の弟子が仏を見るのは当然。 一般の人が、なぜ、この人はそんなに教えを大事にしているのかとちょっと不思議に思う気持ちは普通。 まぁ、裏っ側を知れば、なぜ聖者方がのちの人のためにも善の教えを説いていたかもわかると思う。ふつうに。両方わかる。 裏っ側というのは、本当の黒い側の方向ね。性悪な人達とかそういう話ではなく。 (↓そっち側に) よ〜く、考えた方がいいよ。悪魔とは天使とは。 自分で考えたらわかるだろうに。まぁ、理解できてないみたいだけど。 あなたはあと、何歳生きるの。天の寿命とか、天の一日はどのくらいの長さがあるとか、聞いたことがあるでしょうか。 本当の悪魔が、畜生霊とその下の者みたいに悪業を積むと思う? 聖書になんて書いてある?悪魔の誘惑に負けないように。って書いてあるのに。 それらの意味すら理解できないのか。 それも理解できないのに、他の聖言が理解できるのか。 畜生達はすでに誘惑に負けて悪魔の手中に入っている側。 まず、気づかないと、 そっちへと迷わされると、後の生でも闇から闇に赴くというように記されていますよ。 説明の文章から入ったら、長くなってしまった。 うーん、日記の先端に移そうかどうか。2011/5/13) まったく。 顧客にたいする態度がど〜とか♯。 って、また、クレームだすと、 悪語の応酬されるので、やめとこう。 長いことプロバイダで契約してたのに、え〜と、 何年くらいだったかな〜、結構長いですよ。 契約を変えたとたんに、これだもの。 (ちなみに携帯は〔同じ系列?〕を使用中です。月々の本体の割引料金がまだ残っているので。 途中で音信不通になって、修理にだして、そのまま継続使用中です。これは社名が変わってからずっと使用。なのですが。) ふ〜。 なんだあれは。 でも、金額もやすくて、速度も速いし、一年間ほとんど 無料みたいなものってなると、やっぱり 乗り換えるでしょ。 プロバイダを変えたから、ホームページが削除されたのかな? そういうのは、説明書きは書いていたっけか!? まぁ、いいか。 で、話の続きで、あっさりと、法はダメだとかなんとかと すぐでるらしい。 だから、わからない(聞く耳を持たない)人にあんまり、 言っても意味をなさないんだってば。 見えない人には、やっぱ見えない。 全ての人が見えてたら、法が半分廃れることもなかったろうに。 見た人達の教えがなくなれば、まぁ、 いつもどおり(過去の歴史から)、 畜生の関係の力等、魔術の方向にあっさりながされるかもしれませんね。 とどまることのない欲の追求。 聖者方の説く方向とは異なっています。 仏の教えは、Wとか、トリプル以上の、聖者達の 教えが重なっているから、法はブレることはないです。 (←他の教えをもっている人を安心させる視点での言葉。他の教えも重なりますが、重なりに関係なく、仏の教えがブレることはないです。) どこの聖典みても、仏の教えを知っている人は けっこうすぐに理解できると思います。 智慧の目。 ふ〜、 ひとことメールの一本でもあってもいいと思うだけど、 いくら無料だからと言ったって。 っと、また、クレームを…。 一顧客としての意見でした。 クレームつけて、店員からクレームで返された気分だ。 おかげで寝不足だ。 あしたも早いから、今日はちょっとだけ早めに横になろうかなって、 もう10時だし。 11/15 一年位前と同じ人海戦術。 ほぼかわらんわけですが。 ( )←微妙なので 携帯とかで指示しなくてもいいです。 一体アルバイト料はいくら発生しているのか? 発生しているのかな?? コンビ二での仕込みの学生等若者。 例えば、女の子二人。 あ〜だこ〜だっていって、 なんだかんだ。ま〜。そういう発言と、その場の感じ。 一人の女の子があ〜だこ〜だ、ど〜たらこ〜たら、 で、最後に女の子の一人が、いや、でも、みたいない感じで 「私は○の方」(←私の名前) え!?いや、なにがっ? と、そんな感じで。 やっぱ最初からつるんでるんじゃん。 一年前とやり方は変わっていないということは、 さては、現在の指示してるのもたいしたかわらんのだね。たぶん。 こっちは、名誉も、地位も、権力もないというのに、 やり方が相変わらずですな〜。 まぁ、 お互い進歩ないですね。 (こっちは社会的能力にあんまり進歩ないです) TVの現象は現在は、気づいている人は気づいていると 思うから別だけど、 怪奇現象のはじまった当初なんか、 あの3人が絡んでいるのはたしかだけど、 あの3人だけで、悪事やるったってたいした能力ないのは もうわかりきってるんだから、(中身が弱い人はすぐやられ ちゃうかもしれないけど)。 現実の方で力かしているのがいるのはほぼ間違いないから、 あいつらの悪事に手を貸した人は幸福にはなれないって 書いたのに。 隠そうとしてる人に最初から絡んでる人がいるでしょう。 その下の隠蔽工作をしている人達もあんまり よく内容がわかってないでやってるようだし。 群集意識を動かしてどうこう。 聖者の言葉を理解した人もいるらしく、 以前よりは、いまいち一致団結できてないようですけど。 まぁ、自己に目覚める人が一人でもいれば、 それで善いと。(────) ────の言葉は現代的でわかりやすいから 一度読んでみたらいいと思いますよ。 う〜ん、なんか、金と欲とかでなんかごちゃまぜ。 最初から規模はそんなに小さくないのかなと思ってはいたけど、 俺もうあんまり関係ないんですけど。 もうっていうか最初からですが。 ただ本当の事を書いてただけで、そしたら、 かってにちょっと汚れた泡が出てきてる感じだと思います。 結構きれいになってきてるところも実際あるようだけど。 真理の言葉 やっぱ黒いのがたまらずに出てくるもんなんだな、と。 (←全部が全部でるわけじゃないですが、本当の悪霊はリアルにでてきているようです。正法が知られると、居場所なりなんなりが少なくなるようで、正法が伝達されるのを本当に阻止したいようです。) やっぱすごいな。 私は別に何もしてないんだけど。 仲良くなろうとかいう方向にちょっとは もっていこうとかいう気はまったくないらしい? 犯人(畜生霊憑き)の方に拠ってるからな〜。 困ったな〜、と。 なんだかんだであおるから、キモい霊もちょうしに乗って、 俺に攻撃してくるから、その分、こっちはかなりだるい。 そういうのを知ってて、畜生霊とその仲間達は畜生を使ってるわけで。 でも、一年前とくらべたら、かなり、 内面的には、気づきの面でレベルアップしているのかもしれない。←これ自分ですw。 霊的な意味の話で。 (霊的位階がどうこうとかの話ではないです。) でも、現実は貧乏だからな〜。 まぁ、そういう人生。 ちなみに、声の人を魔にもっていこうという作戦なの かもしれないですけど、さすがに、あの人は魔の役にはならないと思いますよ。 いつも、思うけど、普通に上に行く人だろうな〜と。 〔 ←品もある人であったので、当時の一般的視点から見た思い。仏の教えとして、実際に善であれば、上に行く。悪業を重ねて、天に行くという道理はない。要するに、自己は、各自己の行い如何に依り。善業悪業があれば、その業に依り。〕 まぁ、上に行く人ってのはたくさんいるんでしょうけど。 下も同じく。 あと、現在の私を見て、この教えを知るとこうなりますって 物忘れがはげしくなったりとか、細かいミスを連発するとかって、 そういう人にはならないので。安心してください。 キモい霊は、頭をボーとさせて、ミスをさせる(瞬間的な感じもありで) で、その繰り返し。 まぁ、こいつの生存は現在はそういうことしかやることがないらしい。 それ以外の生存意義はなにか持っているのかどうなのか。 多分、ないからそういう事をやっているというか、そういう事しか できないのだろう。 で要するに、以前にも記したと思うけど、悪業を積む事しか できない存在とはこのことでしょう。 っと、さて、いつものごとく、座ってからねるとするか〜 あと、一年前からそうですが、 一年前というか当初からそうですけど、 こっちは、ず〜と、一人なのに、 多勢にぶぜいとはちょっとズルイと思います。 まぁ、人数の問題ではないのかもしれないけど。 ん?人数の問題なのでしょうか? ん?人数というかやり方? やり方〜…。 やり方っていうか、両方。 両方です。 まぁ、いいか。 って、そこはさすがにいくないでしょう。 (話は変わって、) まぁ、とりあえず、 あ〜、今回もまたピンチ。 一応勉強はしたつもりではあるんですけど。 いや、ちょっと。あれかな〜。 ( 省略 ) 。 全体的に言うならば、おそらく、 基本的に、聖者方の教えを自己の内でみないと 私、ではなく、(広い意味で)私達の苦しみが止むことはない。 11/16 あつい。 ストーブをちょっと止めよう。 あれ、雨? 今日はご飯でも食べに行こうと思ったけど、 手持ちにお金がなかったので、 本屋に行って、ちょっと本を読んできました。 あの本、まだもうちょっと読んでおこうかなと。 霊的能力者の本は、書いている内容が結構理解できるように なってきたようだ。経験により。 いいたいことが結構すぐわかる。 とりあえず、いろいろと読んでおこうと。 表現の仕方がそれぞれだから、そこらへんがまた いい感じなのかも。 ふ〜、 畜生霊の関係者はちょっと、方向が違う方向に 行ってるので、もう真理がどうこうの議論すら まともにできないようすであるらしい。 とりあえず、がんばって下さい。 なんとかなるかもしれません。 って、他人の事を言ってる場合ではない。 勉学にも励まなければ〜。 しかし、一年位ってのは、それなりに長いな〜。 11/19 今日は雪がちらほら。 結構寒くなってきました。これからさらに 寒くなることでしょう。 もうこんな時間だし寝るとしようか。 う〜ん、様子は以前とあまり変わらないような、でも 明るい進展も結構あるような。 犯人の方も結構わかってきているような。 基本的にそこらの兄ちゃんに、聖者のような 立派な行いを求めてもあんまり意味ないんだけどな〜。 聖者じゃないって言っているんだし。 できることから善いことを心がけてる感じなので。 聖者の行いを求めているんだろうか。 ↑これは、おそらく、今後も又、記すのかなと思いますけど。 私は教えを学ぶ人ですので、行いも、まぁ、失敗した経験もあるし、成功した経験もあります。と。 で、ちょっと、考えるんですが、 神道とかそういうので関係するところで、 野弧関係と、人格の分裂症状を現している、明らかに憑依されている人物を上げているところは、 もうあまり相手にする必要はないっていうのは わかると思いますけど、 ↑症状を悪化させる手伝いをみずからしているようなものだとおもいます。 基本的に、憑依されている人物を表にだしてあげるって、 霊障を理解しているところなら、まずありえないです。 もし、国レベルの祭祀を行うところにそのようなところがあるとすれば、 初歩的なミスであり、初歩的な無智であると思います。 で、当初から見られる感じなのですが、 なぜに自ら畜生霊のたぐいで、その弟子であると名乗っている方の、 しかも、明らかに悪事をしているところ(当初から絡んでいる 犯人グループ)の肩を持つ必要があるのだろうか。 なぜだろう。 なぜだろうっていうか、もうバレバレだから、 とりあえず隠したいんだろうけど、 基本的に、隠そうったって、もう結構いろんな人が 知っちゃってるから、結構無理だと思います。 この日記もある程度、もう三人が当初から絡んでいる犯人って のはわかりきっているけど、 さらに、わかりやすくなるだろうと思うので HPに乗せるつもりではいます。 というか、裏で動いている人とかを 見つけるとかってのは、すでに、私がどうこうする 範疇にはないと思うですけど。 誰か他の方。いらっしゃればよろしく。 悪霊に関しては、悪餓鬼どもが悪霊使ってわるさを しようと結構まじで企んでいるようなので、 これこそ、国で動くべきだとは思うですが、 どうやら、霊的な話では、すでに、そういう話をしても すでに、通じる人があんまりいないらしいです。 とりあえず、こっちで動くのに、あそこは以前御祓いに行ってけど、 参加しなかったようなもんだからな〜、またいってくるかな。と こっちの話ですけど。 (← 私というか、他の人のために。 行ってどうこうなるのか?という感じですが。まぁ、いろいろ参考になるような話も聞きたいので。) とりあえず、正霊が見える人がいればな〜、 助言をいただきたいのだけれど、 彼女らのように悪霊ばっかり見えてて、 悪霊と友達になってても意味がない。 悪業がガッツリと増えるばかり。 で、詳しく ツノとキリンの話によると、自宅でなんかいろんな神さまとか ルシフェル(ルシファー)なんかが集合して、 わいわい騒いで飲んでいるらしい。 大黒様とか、布袋様いたっけか? (← ちなみに、当て字での、現在の金銭に絡んでいるとされる大黒天様というので、以前違う例えで、説明しましたが、大黒天様っていうのは、本来は金銭(金儲けの方)から縁遠い善の神であるということです。一応、誤っていると、(畜生霊が化けている者ではなくて、本物の大黒天さん)に叱られる可能性がなくもないので、追加説明。) で、悪魔もちゃんといるらしい。 というか、Tハタさえが、あの二人のところに行ったとき、 おもいっきり悪魔が居たって言ってたけどね。 なにが、悪魔なのかはわからないけど、悪魔なんだそうです。 たしか周りが黒っぽいっていってたような。 あ!!!って、 思い出した。 Tハタが行ったときに、歓迎飲み会で (←悪魔とその仲間達がさえ本人を姫と言って、姫が来ると言っていたというようなことを本人が言っていたという歓迎飲み会) その飲み会には大日如来も来ていたということです。 その大日如来さんは周りが光っているとたしか言ってました。 あと、九尾と、あと、スサノオさんと、あと、畜生霊(たしか小さいペットみたいな犬)と、 あと、だれだったかな。他にも結構名前が出てました。 (←悪魔もいたというのは、歓迎されたさえ本人が確かに言っていた。たしか悪魔の周りは、黒っぽいと言っていた。 これは、本人に一回以上、何回か聞いたかな、見間違いなんじゃないの、というように、問い正したが、なんだかよくわからないけれども、悪魔だって高畑さえ本人が言っていた。その場に悪魔がいること自体おかしいでしょ。そんなまさか、という感じで問い正したが、悪魔だって言っていた。その後、本人の話で、自らを小悪魔であるとして、小悪魔は嫌いかと私に問うたこともあった。で、本日H27/12/24で、しょうがないからハッキリ書くけれど、その解離性同一性障害(多重人格)の3人は、男好女好の両刀の性別だからね(高畑のも本人談)。(あと、どっちが本当かわからないが、一門ゆかは、性行為に関して、性行為は男も女も合わせて100人を越えているって言っていたという(たしか最初に会ったときに高畑さえを励ますための告知)ので高畑さえが、キリンから聞いたって言っていたけれども、たしか、そのことで、一門ゆか本人に、そういうことを聞いたら、本人はその事柄を否定してキレて怒ってた。その怒っていたという記憶はなんとなくある。だから、その件についてはどちらかが嘘をついている。その話が高畑さえの作り話であれば、、一門ゆかは男でも女でもかまわずに性行為をするような者かどうか定かではない。)テロ側の存在は愚かにも、意味もわからずに、内容も知らずに着いて行っているみたいだが。ニューハーフだか、ゲイ、だったか、オカマだったかでSM行為をもしているという、もうそういう話を聞くだけでもわかるんだけれども。その津野本人が言うには、ゲイだとかの意味は違うから間違えないように、と言っていたが、その本人がどれだったか忘れた。HPに書いているその種類も、もしかしたら、間違ってゲイとか書いているかもしれないが、もしかしたら、オカマだったかもしれない。ニューハーフだったかな。とりあえず、3つのうちのどれかに該当。その詐欺士本人達が現在どうしているかは知る由もないが、悪霊のさえも私の周囲で悪行を繰り返し行っていることもあり、疑いが晴れるというこもむずかしい。特に高畑さえ本人に関しては、悪霊のさえが悪行をしているので、疑いが晴れることはないだろう。 真理として邪淫は正道にないです。そして、そういう両刀の邪淫の話はキリスト教の現在のカトリックでは認めているところも見られるようだが、あれは女を男にということ関連の話で言えば、クリストの教えを間違えて受けている結果だろうと思う。私のHPで仏陀の教えを学んでいる人、または、そのキリスト教の人は邪淫を邪淫であると正しく分別するように。また、すでに邪淫を犯して、性同一性障害へと入ってしまった人等は、悔い改め、過ちを繰り返さずに、自らでその障害を克服して、また、他の同じ障害を持っている人をも、その障害を克服させるというのが、人として、正しく戻ってくる道だと思うよ。これはその人のために、人という存在のために言っている事柄であって、障害のある人を苦しめるために言っているのではない。そのような邪淫によって、その人は、その生を終えた後に、地獄へと堕ちたならば、その人は後悔することであろう。地獄に堕ちてから、そこで後悔をしても、もう遅いからである。) ) (↑一応追記で、豪華メンバーの飲み会ではあるようなのですが、 低級霊系統が大言壮語なのは、多数の書に書いてあるとおりです。 彼女らが何を見て、そのように語っているのかはわかりません。 彼女ら自身、キリンとTハタ、ツノはわからないけど、すでに、 他の人格が入っているので、見ているのか、 見せられているのか不明です。 ちなみに、キリンは連れている畜生霊(イズナ等)が10、か20匹位いると、ブログに書いてました。) で、ルシフェルはよく来るそうです。(マブ達だかなんだかで) あと、ツノがしようしているのが、霊剣で、2本だったかあって、 信長がしようしていたのと、あと、名前忘れました。 で、小刀見たいのを、Tハタさえがもらったそうです。(2本とは別の物) はじめて彼女らがあったときの話です。 あとからもうちょっとまとめて話をしますけど、 って、なぜ急にこの話になってしまったのかと、 まぁ、いいでしょう。 というか寝る時間が、って、まぁ、もうちょっと、って、 いや、今日はあと数時間でおきなければ、って、 どっちにしてももう時間がないなと。 って、話がそれましたが、 え〜と、どこまで話たのか〜っと、 あ、そうそうっと。 え〜と、その最初にあったときの、たしかネックレスをもらった日、 その飲み会のときに、手のひらに、(ツノから)なんか呪文みたいのを 書かれて、(正一位の狐の霊っていう話の)式神をもらったという話です。 しょうの霊をやっつけたとされる日です。(←ここの詳細はまたこんど) 彼女がもらったとか言っている式神は、(×)。←たしかこの(×)です。 こっちに飛ばされたのが(正一位の狐の霊っていう話の)(×) 。こっちはいるんだかどうだかは わからないです。 (追記プロフィールより 狐を稲荷の神の使いとすることは、稲荷神の又の御名オホゲツヒメ神を、漢字で書くと、大宜都比賣神(オホゲツヒメノカミ)とも大御食都神(オホミケツノカミ)などと書く。 このケツは、御饌津(ミケツ)の義であるのを大狐姫神(オホゲツヒメノカミ)とか、大三狐神(オホミケツノカミ)などあて字して書いたところから、愚昧な人達の間に、何時ともなく狐を直に神に祭って福を祈る迷信を生じた。 迷信のように狐の霊について迷わないように、また、迷うわされないように注意) キモい霊(Tハタの別人格の霊はいるのがたしか) ちなみに、私があえて、サエとなのるキモい霊を サエと記さないかというと、 サエとか名前を出すだけでも、「サエ」「サエ」とキモいので、 サエという名前すら呼びたいとは思はないのでです。 って、あれ? 開の部分はHPに書いたかな? 日記を書いてすでに一年を超えているから、 しかも、飛び飛びで書いているから、どこからどこまで書いたか ちょっと悩む。とりあえず、HPに乗せるときは、あったら、 削除と。 で、ひさびさに書いていると結構、以外と若干笑えるような内容に見えるかもしれませんが、聞いた話としては、真面目な話です。で、 続きを記しますと。 もう、寝る時間ないな。明日、ん?明後日、大めにねよう。 今日は遅番だから、沢山寝たので。 で、 (彼女というか)、彼ツノなんですが、以前弟子をとっていて、 自宅で、修行とかをさせていたようなのですが、 彼の日記にも記してあったのですが、 彼の弟子で、半狂乱になって、家から出て行ったとか、 そういうのが普通に書いているので、 私が、チャクラとかも普通の何の知識のない人には教えない方が いいと思いますというのを書いたのを覚えています。 彼によると、チベットの方の、なんか全く危険のない方法だとか なんとか言ってたけど、 他のチャクラで訓練している人の日記を見ると、 夢の中で、白い階段があって、それを上って、なんたら、かんたら ってな感じで、私から見たら、それは確実にやばいだろってな感じの 状態になってても、ツノに、その後はどうすればよかったんですかね? なんて聞くような状態。 違う人の話では、おじいさんが現れて、そのおじいさんがお札を くれるのを、あやしいから受け取らなかったっていうような内容 だったというのをツノに話して、ツノの返答は、 そのお札はもらった方がいいっていうアドバイス。 やってることがおかしいから。 すでに、想念の世界だから、悪霊の思うがままのような もんだとは思うのですが。全く知識のない人がするような 事柄ではないし。勧めるべきことがらではない。 で、ちなみに言わせてもらうけど、 霊的に詳しい人でもそうですが、 そのような想念、感情体の世界、アストラル界ってのに、 救いをもとめてはいけない。 ってのは、ほとんど基本。 なので、これを読んだ人は覚えておいたほうがいいです。 安易に信用しないようにです。 あと、キリンが一番上の神様にあったことがあるというこで、 その一番上にいる神様は、ハゲだっていってました。 「あのハゲがっー!」って言ってたので。 仲はあまり良くないようです。 で、ツノもそのハゲの神様をみたらしいです。 というか、それ以前に神様にハゲって言っちゃうってのが、 どうなのか…。 彼女らは、魂が関係しているらしい。 彼女らはその時、一緒にくらしていた様子でした。 私が電話で相談した_ョウという人物の話では、 夫婦だとかっていってたけど。そこんとこはよくわかりません。(←ちなみに、彼がホストの霊的コミュでツノが発言をしていて、犠牲者は増えてました。) おそらく、夫婦ではないと思いますけど? 他からも訴えられているというのは言ってましたけど。 (そのサイト内では、一応誰がどのような能力があるかってのは、 能力者自身がそれぞれ一応把握してるようです。 とりあえず、怪しい人は沢山いますので、 一般の人は関与しない方がいいです。) って、話せばもっと長めになるのですが、 とりあえず、なぜ、私が狐の教えを止めようとしている かわかると思うので、また続きを記すことになると思いますが。 普通の人に言っても全く、通じないのでこっちとしては ちょっと困るところです。 で、ここまで記してもわかるとおりで、 一般の霊的に全く無智なそういう神職だとか、お坊さんに 言ってもわからない世界であるというが理解できますでしょうか? もう、普通の何も知らない神職さんに、 判定されても、こっちとしては、 霊的な事も何も理解できていないというのがまるわかりなので、 ちょっと微妙な感じにはなります。 しかも、野弧の方を選んでるし!ってな感じです。 あまり話にはならない人もいるという話で、 本日は終了。 もう寝る時間が…。 で、現実世界でも、なんかいろいろ絡んできてこっちとしては、 かなり迷惑をしているわけです。 11/23 まったく、親切心というかなんというか 味方ではないにしろ、( )っていうのに訂正したら、 こっちが仲間だとでも思われるものもいやなので、 しょうがないから、もう一回書いておこう。 要するに、九尾の方はニューハーフです。 今日は朝からご飯食べに行くので、まだ起きているけど。 他の人はもう寝たほうがいいですよ。 祝日なので、お休みなのでしょうか。 ちなみに、前回の日記は聞いたことそのまま書いただけですよ。 というか彼女らプロとして詐欺的な霊能力者やってるんだから、 もうわかりやすい犯人だと思うですけど。 裏で糸引いているのは誰だ。 って、私が知るよしもない。 あと、なにか手がかりになるのは〜 Tハタのマイミクにmittuって感じのがいたな。 あと名前はesu→せんじゅ、に変わった。 あと、オーラの見えるという人物もいました。 途中から、写真がかなり暗性な感じになっていってましたけど。 あと、狐の格好をした写真を公開しているマイミクもいました。 (上記のおじいさんのお札の件を質問していた人物です。 この人物はおそらく私より若い男性で、自分には狐が憑いているという認識らしく、 それで狐の格好をしていたらしい。で、Tハタの話によると、 この彼が、他の霊能力者に狐の事柄を聞いたら、憑いているのは狐ではなく、狸だったということでした。 ちなみに、(彼女が彼から)狸の話を聞く前、Tハタ自身は、この彼には狐が憑いているというのは言ってましたけど、結局どっちが憑いていたのかは不明。) キモい霊とつるんでるのは間違いないしなー。 奴らが私と、会う前か、あった後に、他の いろいろ工作員の人達を使う人にいつあったか、とかは こっちはわからないです。 というか、工作員の人も普通の人だから、 言ってもあんま意味ないことに気づいてみたりする。 さすがに、眠くなってきた。ちょっと、寝ようかな。 誰かわかる人いないかな。 っと、一応ここまでです。わかりやすくするために修正はあとからでも。 飲み会しているのは、要するに、彼氏に呪詛されて殺されそうだから、 ツノとキリンのところにいったときの話です。 だいたい、あってるはずですが。思い出したら、また、記しておきます。 わかりづらいところはあとから修正します。 H21年12月13日(2009年) 本日は休日です。なので、コピペ。 他の方からのアドバイスもあり、mail項目を追加しました。 12/10 本日は朝快晴。 そんなに寒くもなく。 今日会社で、朝の話。 年が上の人と話をすると、昔の話はよくでるもので。 俺の赤ん坊の頃か、まだ生まれていない頃かな。 現在から、40年位前の話か。 地元でも、結構たくさんの人が食べるものがなくて、 芋ばっかりくっていたとかっていう話は聞くけど。 日本の他の地域に住んでいる人は、 どんな食生活だったんだろう。 今じゃ、考えられないそうです。 食べる物があるっていうのは、幸せですね。 ん〜、睡眠時間はだいたい2時間半くらいか。 やはりダルイな。 寝る時間が遅番から、早番って、寝れても5、6時間くらいだから、 なんだかんだで、やっぱそれくらいなるか。 だから、帰ってきたら、仮眠をとって、から (省略) となるわけで。 今日はまず、ホットカーペットを持ってきたから、 (省略) だな。 って、換気扇のところから、外気が入ってきてるから、 あそこを塞いで、んでもって、 (省略)。 と、話を変えて、 って、省略しすぎでわけわからんだろうけど、 本屋でいろんな本を読むと、なかなか勉強になる。 いや、何の勉強をしているのやら。 大体、能力者の言うている事柄は、淘汰できそうな感じではあるけど。 それぞれで、それぞれ想いを持っているようで、 そっちから、見ていくとそうなって、こっちには、あ〜そうか、見れないというか 見ないんだ、と。 ルールとかなんとかって、いろいろ決まりごとはあったりもするんだろうけど、 ある意味、新興宗教みたいな感じで、その上でなら、大丈夫という 流れに流されている人を見る。 そもそも、そのルールを作ったものは、 人(人間)として語っているのだろうか。 目に見えているものから奪って、終焉、目に見えないものに奪われる。 目に見えているものに与えて、終焉、目に見えないものから与えられる。 通常では見えない世界もあるということは、 知っておいても損はないと思います。 目に見えている世界でのみで生きるのは、ある意味 初めも、終わりも、それからも、闇なのかもしれない。 12/13 本日は、雨のち曇り。 あまり、良い天気でもなく、結構寒かった方かな。 本日は〜、 やっぱり直接HPに書いた方がなんかいいみたいですね!? って、 あの人、畜生霊とその仲間達を押してるけど、 こっちは、悪事で苦しめられて、わかってて言ってるんだけど。 あの人は、わかってて畜生霊の側を押してるんだろうか。 まぁ、いまさらわからないでもないだろうけど。 お金はたくさんあるみたいだけど、 悪鬼と、畜生霊と、オカマの詐欺をしようとした人達を押すとは、 なかなかよくわからない人だ。 以前からつるんでいるから、すでに、憑依されているのか。 (本人も気づけていない可能性も十分ありえるけど) ま〜、それにしても、畜生霊の側を押すね。 まったく、困ったもんだ。 そういう事をしていると、臨終にこう思うかもしれないですよ。 「私はたしかに、生涯において、人間達を欲の方へ走らせ、 さらには、聖者の教えの道からそらさせ、 そして、畜生道へ、たしかに導いた 」と。 いうまでもなく、 どの宗教から見ても、外道であり、地獄とされるところに赴くとは思います。 畜生道は人間の歩む道ではないですよ。 こっちはわけわからんの送られたので、 全くそういうのはウンザリなんだけども。 前回の日記にあまり貧乏な事柄ばっかり書いたら、 お金持ちはどうなのさってなるから、 お金持ちの人は、やはりみなさんものすごい努力をしているのだと思います。 ただ、私がお金持ちの人の事をどうこうって、 記しても主旨がちがうので、そのような話は他のところで見たほうがいいです。 私は別に、(一般の人に)貧乏を薦めているのではないです。 以前同じようなことも書いたと思うけど。 お金がいくらあっても、権力がいくら強大でも、下がる人は下がるって 仏典にも、聖典にも書いてるんだけどな〜。 ちなみに、霊的能力者の書物でも、 人間としてあったときは、そのような富や名声を得た者であったが、 死後、地獄に落ちている人をたくさん見たというのは、 結構いろいろな書物に書いてはあります。 これは、お坊さんで、高い位になった、高僧の人達でも、 そのような世界で苦しんでいるっていうのは、結構いろいろな書物に書いてます。 知りたければ、いろいろ読んで見てください。 畜生霊を信じないで、聖典を信じてみても良いと思いますけど。 で、これらの件で、以前から仕組まれてたの、結構バレテているんだから、 もうあまり畜生霊とその仲間達に絡まない方がいいと思うのですが…。 「いや、故意に畜生の関係の話を持ち上げるのは、 話を進めるためにやってるんだ!」とか。 ( ← ハルだ,ハルだ,と故意に騒いでいる(騒がせている)者達を含む。 それらの行いは、他人を導く以前に、自らが導かれていない。自らが遠ざかっていってしまうと元も子もない。 昔、聖者方がはらっていたのは、そのような者達も含まれるものなのでしょうか、と。 善の教えを聞く耳を持つ人もいるが、善の教えを目の前にして、見られず、理解できない者もいる。 縁があれば、光明、教えに会う人は会うでしょう。 善行で善を薦めることはできる。) もし、言ったりするのは、 いや、あなた最初から犯人とつるんでる一人じゃないの?とか思ったりもしますが。 結構計画的なので。 詳細を知らないでやらされてる人達は、また、違いますけどね。 で、話は変わって、あれですね、 結構強く思っているのは↓こっちなんですが、 地球の人口っていうのは、現在確実に増加しているんでしょうか? 人口の増加の紹介は私もしましたが、、 このままいくと、食料とか、いろいろな問題は、結構必然的にでてくると思うわけですが。 自分もそうですが、小さい頃おやつの取り合いとか、 ちょっとの量の違いとかで、ケンカしちゃったもんだけど、 このままいくと、 まぁ、一般の人も争いの方向へいってしまうのだろうか? 正義のための戦争か…。 いままでの反戦の人達の思いが、どのようになるのだろうか。 方法は全くないこともないんだろうけど、 誰も、安全な方向に舵をとる人はいないんだろうか。 ケンカの方法を話あってても、あんまり意味ないんだけど。 まぁ、権力者の上っかわと思われるところで、 畜生霊がどうこうの話のレベルでは、もう無理か…。 でも、全く無理なことはないはずだけど。 地球に住む人間としてのルールなら、安定なものもできなくはないと思うけど。 聖者の教えで。 個人的に、現在のこの地球ってのは、どうやら一人の人物が 影であやつったりしているんじゃなくて(陰謀論等、大きな事件もありましたが、背景は人口増加等、後の事柄を考えて、正当化してしまった欲、のような感じでしょうか。)、 結局はやっぱり、そういう人達の話合いでなってるみたいな感じですけど、 以前は霊的能力のも絡んでいたようだけど、(まだ絡んでいるのかな)。 畜生霊とか、そっちばかりみたいだから、 そういう畜生の霊的絡みはもうあまり相手にする必要はないと思います。 畜生は畜生で、優しさを理解できるものもいるようです。が、 滅多にないようです。 大体は、崇拝してほしいというのや、恐怖を与えて喜ぶ悪霊のようです。 法を知って、畜生は悟れないと知ったなら、それで十分であると思います。 って、話は不快な霊の方に行って、 会社でTVをちらほら見るけど、あまりにも作りすぎなので、 あきれています。 制作にも結構手が込んでいるみたいですけど。 善い趣味ではない。 早く騒ぎが終了してほしい感じではあるんだけど、 糸引っ張ってる悪代官いるみたいだから、まだ長引きそうな感じですか。 畜の方の悪代官は、私達、この地球の人間を引っ張っていく器はない。 で、結局当然ですけど、 人間同士で話をしなければ、どうしようもない。 人間同士で話合う。 どの宗教でも、教えも持っているのは人間。 で、人間の方なんだけど、その人を見ている存在によって、 やっぱり、話の食い違いもでるんですよね。 そこも問題なわけで。 人口の問題。 あと、 限りある資源をいかに使用するか (←例、藻から油採取、等々の技術含み) っていうので。 ケンカをしないようにできないものか。 これが解決すれば、後は何か問題は〜。 といいますか、 これを解決しないと、後々また、 争いがおきて、悲しい念がたくさん発生すると、 悪循環になってしまうこともありえると思うので、 現在のこの話合える状況の世界で、 解決して、後の人に安定をもたらすのが得策であると思いますが。 争い以外の解決法。 何かありますか? 人口っていうのは、一定に保つことはできないものなのでしょうか? H22年1月28日(2010年) 本日は曇、と雨です。気温がプラスなので、雪も結構解けてました。 え〜と、前回の日記から一カ月以上経ちました。 記しておこうかな、という内容があるので、とりあえず更新しておきます。 え〜と、ちなみにですが、下記の日記でいう狐らとは、悪事をなしている狐憑きら等、本当のそっち関係の悪事をなすのとその仲間達です。 勘違いをしている人もあるのかもしれませんので、一応説明を加えておきます。 あと、現在の職場は日記の当初とかわらず、役所の人と一緒に仕事をしているようなところもあり、 いろいろなのが混ざっていて、結構わかりやすかったり、なんだったり。 まぁ、いろいろ大変です。他の人も大変なところもあるようで。 とりあえず、色々ほどいていこうとおもうので、 え〜と、かなり以前に記したのですが、現在の私の職場の人は、 ものすごく一般的な人で、その他の周囲の関連の人も一般の人であって、 内容がほとんどわからないので、言われたことや他の人の情報を 鵜呑みにして、行動をするという感じで、 指示だとかも、役所や何かにいわれれば、その通りに動くという感じの、 要するに核心的な事柄には全く関係ない一般の人達です。 なので、現在もこうして働いているのですが、 後にでも、後腐れのなきように説明を付加。 大まかな事情はすでに、記しているので、知りたい人は以前記した内容を参照してください。 あと、いままでの説明がちょっと、うまく伝わっていなかったようで、 要するに、悪霊はストーカーのように、付きまとう感じでそこら辺をウロウロしているので、 ウロウロなのであって、私の意識とは関係がない。 くっ付いたりして、攻撃をしてくると感情を動かしたりする感じです。 だいたいどのような感じか伝わりましたでしょうか。 全く気にしていないときは、だいたいは音声等で自らの存在を意識させてから、 悪事をなそうとするが、悪霊が物理的な感じの攻撃(胸のあたりを苦しくする)等でない時は、 基本的に恐怖を増長させようとして、その人自身の心に、 恐怖や悪霊がつきいる隙(感情)等の何かしらのものが起きなければなければ、 悪霊の悪事もそもそもあまり意味がないです。 (他の、病気に関する霊とされる存在とは、また別な感じで。) 何か悪事をなそうとするときも、とりあえず、悪霊自身は恐怖やら何かしらの感情で 意識してもらわないと、基本はほとんど意味のない存在で、 そんなわけで、悪霊が攻撃をしてこない時は、私は別にこれといって悪霊に対して恐怖もないので 普通に何ともなく、で、そういうのは説明をしなければ、 一般の人は、外見を見たとしても、全くわからないと思います。 現に現在の職場の人は、長く一緒に働いてきたけれども、 そういう存在がいるというのと、どんな感じなのかという感じ程度で、 他の霊的な事柄は現在も理解できていなかったようです。 別に悪霊の霊障等も以前記した事柄のような、アホな悪事以上はなかった、というか、できないようなので、 職場の人が悪霊自身の事をそんなに詳しく理解する必要すらなかったのかもしれませんが。 逆に知りたがっていたり、騒いでいるのは、TV等で想像を膨らませられた人達、および、畜生霊とその仲間達であって、 そういうので、私や私と直に接する周囲の人達、と、噂やTVの情報等だけで騒いでいる人たちとの温度差がものすごくあるわけで、 そういう人達は、見事に扇動をされているんだろうなぁと思ったりもします。 扇動されているのを見て、さらに扇動をされるという感じが一般の感じのようです。 (ごちゃまぜになると、ますますわかりにくくなるので、普通の世間一般の事柄と、 霊的な事柄を別々に分けて組み合わせて説明をしています。) 以前チラッとだけ話したことはあるのですが、 職場でも、そろそろ、あとから話をするつもりですけど。 その後は、なぜ現在まで話さなかったのか。 ってそれは、どこの誰かもわからないようなのから 指示されているのに、こちらから話をして、 何の話だかわからないと言われるのがオチかなと思ってです。 まぁ、現在は職場の内情がだいたいわかったので、別にどちらでもいいかなと思っていますので。 このような感じです。(現在の職場の状況は、以前になったような色々な内情が結構込み入っています。) 別に何があるわけでもない、そこらにいる人物であるということで、ほぼそのまま。 違う所で記した日記をコピペ。 H22/1/17 本日の天気は、うーん、まぁまぁ、寒くもなくって感じかな。 今日は、おごりでおそばをいただきに。 なんだか、個人的な事柄で、多くの時間をさいている人が それなりにいるような感じですが、 まぁ、結構いるみたいですけど、工作員の仕事とはそういうものなのか。 ねっ!?。黒でしょ。 まぁ、こっちで言わなくても自分らで、黒いのだしてるんだから、 こっちの方からどうこう説明する必要もなくなるということであります。 ↑(狐らの方のちょこちょこ工作しているちっちゃい人らの話で、 政治等の話ではないです。 政治家でも、思想家でもは、善を押している人は善いと思います。) まぁ、こっちは黒がどうこう言っている場合ではなく、 そんなのは、もぅ結構どうでもいいんだけど、 ─── 違う方で、 状況としては、うーん、確実に聖者の教えを聞く人は 確実に増えてきている。 仲間や法を学ぶ人も、確実に増えてきているわけだが、 敵対している人は、以前からあいかわらずなのかな。 そんな様子。 的はだいぶ限定されてくると思うけど、 長いこと見てれば。 こっちは、なるべく変な事柄は書かないように。 変っていっても、そのまま書いてるんだけどな〜。 まぁ、そこらへんはいいとして。 ─── H22/1/25 本日は曇。そんなに寒くもなく。 う〜ん。 う〜ん。 法。 基本的に法はすでにあるものだから、各自で調べるのもよろしいと思います。 え〜と、 私の出るところは、 霊的な事柄で、本格的に憑物らが、裏っかわでつるんでいるので、 それをちょっと、 仏法で、あがれる人は法を知って、上がれればよいと思う。 すでに、霊的な話なので、現実のこの現象の世界の事柄とちょっとことなる感じです。 現実はこっちはかなり、畜生霊とその仲間達につつかれて、 結構やられてますけど。 とりあえず、みんなが安らげればそれでいい。 あと、ひろの方だ、さえの方だといって、芸能人とか記者の何も知らない人同士が どっちの派閥だとかはっきりいうのは、ケンカのもとになりえるので、 別に、私はどっちだ、とあえて言う必要はないかもしれません。 畜生霊とその仲間達につつかれることもなきにしもあらずだと思うので。 そこら辺は各人で。 ただ、仏の方に行くとか法の方に行くとか聖者の方に行くっていうのなら、 問題ないかもしれません。 ちなみに、これからは、法を知った後では、 畜生霊の方を見る人は少なくなっていくと思うので、 畜生霊の方というのはそもそも言う必要はないです。 畜生霊の方に行っている人は、聖者の教え知れば、その人自身に善い。 あと私は、外人だけを故意に賞賛したりなどはしていません。 日本の人でも外国の人でも、行いが善だなと思えば、そうだと思うと記すし、 違うならば、記す必要もないので。 人を賞賛するのに、どこどこの国の人だからとかいう考えは全くないです。 当然、日本のすばらしいところも記すつもりですけど。 もうそれなりに記してもいますけど。普通に。 え〜と、そもそも、あの3人は本当に悪霊で悪さをしているので さえ本人に謝りなさいとかいうのは、全くない話です。 道理には全くなくて、誤るのは畜生霊の仲間達の方です。 畜生霊の仲間達の詳細も、細かく伝えたないと、霊的な事柄でなしている悪事が 一般の人に伝わらないし、全くわからないだろうから。 だから、畜生霊の仲間達は、わからないと思って余裕をこいて、 わかりやすくいろいろ証拠的なのを山ほど残しているようですが。 畜生霊のたぐいの仲間同士でわかりやすいメッセージっぽく。 全く…。何をやっているんだか…。 かなり以前より計画だてられているのも、いろいろなものを見ると 結構わかりやすので。 そもそも畜生霊の仲間達は、その生を終えたら、どこへいくのか? どこへいくのかわからないから、そうしているんだろうけど、 こっちをストーカーしている、さえという悪霊のような 存在のようになるというのも、ありえなくはないとは思うけど。 式が何体居たって、根本的に意味ないと思うけど。 宗教とはなにか。 何だと思う? 式自身は、宗教に入っているのか。式自身も宗教を学ぶような存在なのか。 さて、どうなのだろうか。 言ってる意味がわかりますか? こっちはもうのんびり生活して、早いか遅いかわからないけど、 ポックリ逝ければ、もう結構十分であったりもするけど。 一人の人間としての人生において、まぁ、結構徳も積んだわけで。 なので、俺にかまうな。という感じではあるけど、 以前から、俺を何か狙っているような感じなんだけど、 一体何なの? 海外のあるメディア王って感じの人物も好意的ではない感じなんだか よくわからない感じで、ハル、ハルいってたし(音声でハル、ハルと言っているような映像とは違いますが、現象が始まった頃の当初、どこのサイトだったか忘れましたが、動画サイトでの動画の映像に、そのある(元?)メディア王とされる、外人の方が出ていた討論番組っぽいものの中で、音声の現象をやっていたので、あ〜、海外にも波及させようとしているのかなと、わかりやすいやらせだなと思い、一応現象として起こりえる範囲は私の周囲でありますというように、被害が拡大しないように以前記しておきました。実際現在は海外とかに、そういう現象はないでしょう。あったとしても、私は全然関係ないので、という意味です。現在、H23/11、他、海外の映像で言えば、通常のテレビのニュースの海外の短いニュース等で見てみると、今度は実際のセリフでもって、いろいろしているのもあるようですが、いろいろ、なにをやっているんだか・・という思いはでます。) 海外のもなんかいろいろ絡んでいるのかなんなのか。 畜生霊の側に絡んでいるかどうかはわからないけど。 あと、誰が言ってたっけか。 まぁ、いろいろ絡みがあるわけです。 あと、誰だったかな。 とりあえず、結構以前から、仕組まれている。 で、なんで、俺?なの?か、そこが一番よくわからない。 あと、最近の私の周りを見る限りでは、現在の政府が畜生霊の側につくようなことが あるならば、日記のその団体の部分もとりあえず修正するべきところなのかもしれないけど、 過去の書物を見ると、ちゃんとした清い人がいたときは きちんとした団体であったはず。のようなのですが。霊的にも。 どうなんだろうか。 自ら畜生霊の弟子、仲間を名乗っている方につくのは、霊的な事柄に関係ある団体としてならば、 後々にでも、かなり影響があると思うので。 よく考えた方がよいのではないかと思いました。個人的に。 ↑霊的に言うならば、裏でこそこそやっても意味がないと思います。 あと私は、( )なので、 ほっといていいです。というか、かまってほしいとも思わない。 (←かまってほしいとも思わないというのは、悪意のある者について。善なる友や、過去に悪行をしたことがあるという人でも、善に向うと改心している人(のちに善によってつぐなう人)、聖者方の教えを持つ人、聖者方の教えを守護する人は歓迎。共に学びましょう。) だから、そこら変の兄ちゃんだっていってるのに。 まぁ、邪魔はされまくり。 そもそも、TVの声は、畜生霊とその仲間達の仕業。 今までの経緯を見てても、ほぼわかりやすくあきらかだろうに。 私は法で善に向く人は、善に向けばそれで善いと思っています。 宗教の違いは関係なく。 H23年5月22日 とりあえず、詳細を加えたり、余計かなと思われるところは省いて、以前に記したブログをアップ。 一年以上前になりますが、このような流れでした。と。 2010年02月14日 本日は天気もよく、とても肌寒かったです。 え〜と、今回はさえという人物が本当にいるのかという疑問について、 今更そんな話なのか、という感じではありますが、 一応、以前使っていた携帯のデータに、さえ本人の写メはあります。(さえ本人からの受信) (年賀状は1回双方で送り送られ、仲が良かったと思われる時期に毎日電話をして、双方でお互い霊的な話をしていたので、さえ本人が以前に××うという人物と話をするのに使用していたという携帯電話(たしか通信料が無料?)を××うから返してもらったということで、話をするのに安くすむからという事で、その電話で話をしようということで送ってもらい、携帯電話が来た後、かなり体調不良になったので、携帯電話は即返送。) 顔半分憑依されてるアップの写真のデータが、ちょっと…。 他の写メは全身のものと。 キリンと津野はミクシィで公開してた。 自分らのサイトでも公開してたのだったかな。 そこは忘れましたが。 彼ら、彼女ら等の企てはまだはっきりとはわかっていない状況。 なんとなく、流れはわかる感じですが。 なんとなくわかるというか、ある意味わかりやすいというか。 悪事が明るみになるという展開は予期していなかったのでしょうか? 基本的に悪霊に意識とられるくらい憑依体質は、その憑依体質をなおさないと、 真理がどうこういう段階では、ぜんぜんない。 教えを知って、畜生の側から厭離するという道もあるのだけれども、 感情とられてるなら、まず難しいか。 傾いたフリか、それとも傾かないか、か? 選択は、まぁ、本人らの自身の責任による 畜生霊との話合いということになるのだろうか。 その時の、自身の感情もよ〜く観てみる、のもいいとは思うが、 そういう段階まではいけるのか。 その意味はわかるんだろうか…。 2010年03月05日 明日は休日なので、しょうがないので、書くか〜…。 今日はそれなりに寒くもなく。ん〜、寒かったかな。 本日も、若者を手配されており、「はる!」って、いや、誰?と。 FMのラジオの件で、また、あそこの絡みなのかなとか思ってしまうけど、 (会社で)あそこに何か言うと、だいたい若者達が登場するから、 全くもって、勘弁だ。どういう寄り合いの仕組みなの?と。 とりあえず、今日は100円ショップで、シャープと、ボールペンのセットになったペンが とても使用しやすいので、3本も同じの購入してしまったけど、 やっぱり使いやすいのはいい。 え〜と、TVとかで、念とか読んでも、そういう事している時点で、 畜生霊とその仲間達の、お先は、まぁ、今生で結構ギリギリだと思うよ。 また、ロボット作戦か!?(念を読むアホアホ作戦) それはもう大体説明しているだろうに。 というか、アホ霊がこっちの次の行動を思を読んで、相手に言わせて、 そのとおりに動かされていると思わせるっていうのも結構ある感じみたいだけど。 だけど、だから何?と。 早よう。改心なされ。 なんか、もう無理っぽいけど。 間違いではなくて、嘘を重ねすぎだね。もう。 お先は真っ暗だと思うけど。やり方はすでに、悪魔の領域であることには 気づいているのだろうか。 すでに心をとられてるのは、畜生霊の仲間の者達ではあるよ。 あ、そうそうっと。 一言欄に書いたのを、 せっかくとなりの国の善い人達と仲良くなりそうだったのに、あおる感じの工作員に 扇動された人達とかで、仲良くなりそうなのを、国同士での仲間われされてる感じで なんかどうなんだろうか。 スポーツであれば、本人らの問題であって、他の人がとやかくいう必要はないと 思いましたけど。 最近思うのは、世界中でもそうだけど、それぞれの国にやっぱり善人は本当にいるね。 各国から出ている聖人達の教えのおかげでもありますね。感謝。感謝。 あとは、あれだな〜。 え〜と、競わせて発展させるという考えもなきにしもあらずなのかもしれませんけど、 陰陽で話をしている人にするなら、まだわからなくもないけど、 こちらの話は対比する次元という感じではないので、 そういうお世話はまったく必要ないです。 どちらかというと、法の話を進展させる障害。 まぁ、だからあえて邪魔をしている感じでもあるのかな。と。 で、まぁ色々動画とかも、見てるんですが、 個人的な事柄を大きな舞台でやっても、その個人的なことなので、 個々にしかわからないと思うのですが、 それは何のためにやっているのでしょうかと。ちょっと思う。 あんまり意味ないと思うけどな〜。 個人的なことって、私、本人しかしらない事とかを やっているんだけど、会社で朝の連ドラとか見ると、 結構おもしろいところもある。(そういう状態になってすでに、 かなりの月日は経ってますが、そういうのはいらないです。) で、TVとか映画でもそうだけど、 その国のことを風刺したり、遠まわしに褒めたりっていうのは、 結構日常茶飯事にやっているような感じなんでしょうか。 よくわからないけど、そういう事柄がわかってきている感じ。 え〜と、たとえば、政治家とか、芸能人とかは、 そういう個人的なことを風刺されたり、するので、結構参ってしまう人がいるんだろうね。 で、悪どい世の権力者はそういうのを利用して、大きく成長していっているというか、 支配している気持ちになっているのもあるようです。 更に、悪どい感じが現在のように悪霊まで使用するパターン。 救いようがないような気もするけど。 ダブルですると、たしかに確実性はますんだろうけど。 それも、話の流れでほとんどバラシテしまったけど。 だから、そういう悪業は積むべきではないよ。 悪霊使ってるのって、俺を相手にしているんじゃなくて、 聖者達の教えを相手にして争ってるってるのがわかってるだろうか。 阿修羅でも仏に帰依しているとされるのに、一体どういうことなのか わかっているのだろうか。 畜生霊の仲間達は。 う〜んと、そっちでわかりやすい感じで言えば、あの有名な自称黒い魔術師がいたでしょ。 その人がどのような感じで遂げて逝ったかしれば、ちょっとはわかると思うけど。 霊的な話で言えば、そっちの方がわかりやすいんでしょ。 どのような儀式を何回やったとか、そういうのにのめり込んで、 自分が呑まれていったようだけど。畜生霊とその仲間達がやってるのは、そっちの方。 で、あやしげな儀式の回数を増やしていって、おかしくなっていってしまうという オチのようなもので。 殺る気が魔ん魔んな感じもあるので、かなりウザイけど、そういうのを見ると、 あまり、ものすごーく有名になったり、権力をもったりする人も大変なんだろうな〜と思う。 横槍をいれられるから、弱いところもあまり見せられない感じなんでしょうか。 う〜ん、そういう部分を見ると、やっぱり、一般人の方がず〜と、気楽な生活なんだな と思う。 中くらいの権力とかで、普通に楽しくやるのがちょうどいいくらいなんだろうか(欲を出さず。出しすぎず。) ── 神道系── でいうと、「叢書では太子以前の書は、── 一らんに滅び、或は── の滅びたる時、焼かれなどして紛失したり、 神代の書を抱いて、正人なりし人々は、多くは── 亡され、 生残りたるも山林深草に隠れたり、 ただ仏法の方人時計を得て、世にはびこれり」 とありますけど。(ここでいう仏法は大乗の方の感じです。) で、このようにまた、今回も正法を消されたとあっては、 後の人がかわいそうなので、ちょっとばかり過去の叢書を紹介。 ── 過去の話で。 ── ちなみに、私はそういう荒々しいのには、 別に興味はないです。 聖人達を見ているので。 で、要するに、正法は世に出るとすぐに隠されてしまう感じなので、 まぁ、これはいつの世もそのような感じなのかもしれない。 あと、彼女ら憑物系統がいくら、私が紹介する正法を まねて、他の人に説いたとしても、 ほとんど意味がない。なぜならば、暗闇しか見えてないから。 いくらまねても、いくら同じようなことを説いたとしても、 今後も光明を見出すことはないと思います。 やっていることが、悪業そのものなので。 善なる人と不善なる人の善と不善についての理解について それでも、野干のたぐいを信用してしまうようなら、 以前紹介した下記文章ももう一度読んで 見たらよいと思います。 教えを説くっていうのは、同じ内容を言えばいいという問題ではないという事柄ですら、 理解できてはいないようなので。 聖典で、知識は悟るのに、逆に邪魔であるというような事柄を 記している部分がなぜ、そのような事柄を説いているか、 考えたことはありますか。 HPに載せましたが、 また〈神の子〉ヴェータンバリは、マッカリ・ゴーサーラについて、尊師のもとで、次の詩をとなえた。── 「重んぜられていても、卑しい野干(野狐)は、やはり野干である。 クッタカという名の野干は、決して獅子に等しいことはありえない。 裸で、偽りを語り、集団の師となる。 その行いは、いかがわしい。立派な人々に等しいものではない」と。 要するに、畜生霊の下の者達等にいくら正法の知識を与えても、 悟ることはできないということです。 畜生霊の仲間達が、同じ教えを説いたとしても、 本人が暗闇しか見えてないのに、どうして他の人を明るい方向に導けるのか。 知識だけで悟ることはできないし、光明を見出すことはない。 ただ、念を読んであいつが悪いとか、嘘をつくだけの能力の程度。 真理の面から行くと、とっくの昔にもう勝負はついているっていうのに、 畜生霊のたぐいといっしょになって悪行をしている者に勝ち目はないというか、勝義は全くない。 ── (個人的な意見としての、そちらの、今生の後は、定かではない、が適切。聖典ではいろいろと記されているけれども。) 霊的にも愚行すぎて、こっちは全く相手にもしたくはないんだけど。 で、話をもどして、小乗とされる仏の教えは十分すぎるほど、 神道に通じると思いますよ。 五根(六根)を説いているのもありますので、 で、そういうので見ると、 現在の神道の、神話とかっていうのは、 ものすごーく、内容が………あれ、です。 あえて、強く薄いのではとは言いませんが。 あ、別に言ってもいいのか。と。 でも、実際、日本での世間の神道の知識はほとんど、 創作の神話からでることはなくて、ちょっと出てるかなとしても だいたい呪術関係で終了。(六根清浄の方向に根ざす神道の方のことではないです。) 過去のすごく良い集説も消されているというか、 消してしまっているようなものではあると思います。 神人合一。 2010年03月07日 本日は天気が晴れ。 え〜と、 昨日の続きなのですが(昨日の日記を少し修正しました)、 え〜と、 っと、 その前に、 法を(支持)するという人がたくさん出てきているようですが、 そこで、その法を支持するという人についてですが、 法を支持するが、紹介している私の学力や、私個人の問題で、 法はどうなんだろう、とかって判断が迷う人について そういう人がいるようなので、 ちょっと、一言、 え〜と、あなたは法を見ていません。 法をこそ見るべきです。 これは、以前にも記したとおりです。 あと、法を綺麗に保ちたいので、それを紹介している私のような凡人は 強引にどけて、法を綺麗に保とうとか思う人について、 え〜と、綺麗に保持したいという気持ちは悪くはない(善でもない)とは思いますが、 そもそも、あなたの保持しようとしているその法とされるものは、 すでに、法ではないと思います。 (法を拡げるためにあえて悪のフリをしているとかいう輩は、善に進むにあたってそういう悪業を積む必要はないし、善なる人々はそのような悪行をす ることはないでしょう。なぜならば、善をおして善を推し進められるので。悪を押して悪に進められると、聖者の教えも聞きたい人達がきけなくなってしまうで しょうから。 個人的に、法を聞く人はそのような偽善に関わるべきではないと思う。 そのような偽善者に親しむべきではないと思う。) (だんだん一般の人は何言っているか意味わからないっていう感じに なってきているのかもしれませんが。 まぁ、わからないから、畜生霊の方に付いて、文句言っているのも あるのでしょうが。わけわからない人は善の方向がやっぱりいいんだなと 思うといいと思います。) で、昨日の話なのですが、 日本神道の話ですが、 過去に神道側で、仏教を毛嫌いしたとかいう話なのですが、 その頃に日本に来ている仏教で考えると、 まぁ、そういうので、意味で嫌うようなのも、まぁわからなくはないのですが、 きちんとした仏の教えをしらないがゆえであったと思います。 当然、きちんと、見ている人はそのような説も説いてあるので。 日本神道の心を清浄にするという精神はいまもかわらずなので、 まぁ、そういうことであると思います。 神道の系統の違いで大いに異なる事もあるのかもしれませんが。 (正法を持っている人を亡ぼしたとかいうのは、論外ですが。) なので、仏の教えも十分過ぎるほど通用すると記したのです。 まぁ、ここら辺のちょっと余計かなと思う部分はHPでは省くつもりですが。 神道を鬼神の道にもっていかれても、後の人がこまるでしょうから。 過去に仏の教えを毛嫌いしていたことがあったようですが、 本来の仏の教えは、 全くの清浄なので、 全く問題はないと思います。 逆に神道の方に穢れがあれば、一掃されるとは思いますが。 あと、先に記した自称黒い魔術士さんで、以前頭として怪しげな儀式もとりおこなっていたようですけど、 (←ここで記した自称黒い魔術士さんですが、本人が理解をして行っていたとしても、怪しげな儀式は聖者の説く教えにはないです。優しさで、後世に気づかせようと理解をして行っていたのであれば、そのとおりで、法を理解した人・道の人・法を学ぶ人に、怪しげな儀式は必要がないです。) そっちの方向の方も、古聖達の教えを学んでみると 半端なく有益であると思います。 で、世間にはいろいろな教えがあり儀式もさまざまですが、 そもそも、かなり大きく捉えて、祭式・儀式、神々を招く祭式等 (怪しげな儀式ではなく、神聖な方の儀式・祭式です。) というのはそのような儀式自体が、教えをよく理解できていない私達のために、 昔の修行者が良かれと思って、残してくれた優しさみたいなものだと思いますけど。 教えをよく理解できていない私達のために。 教えをよく理解できている人のためにではなく。 2010年03月11日 本日の天気は早朝雪が積もってました。 え〜と、本日は会社の上司にHPとTVの件を話ました。 以前にもすでに、話をしているのだけども、あまりにもう嘘をつきまくるので、 再度そこら辺の話をした。以前頭がボーっとする初めの頃に脅迫されたんだけど、 それを認めてた。畜生霊の仲間達と絡んでいるのはわかりきっていたんだけども、 彼に脅迫をされて、霊的にも、TVも一気に私が叩かれはじめたので、 何がなんだかわけがわからなくなったんだけどね。 一変したっていうのはそのため。 あの頃は大変だったわ。 で、まぁ報告までに。現在職場で働いているのは私も含め6人だけど、 他のおじさん連中は全く普通の一般人で関係がない。 (←悪霊のそういうたぐいには関係がないだろうけど、私がうけた体験としては、他の人も全てを全く知らないということはありえない、と思っています。裏事情の繋がり等は知らない。) そこら辺の人とかわらず、基本悪い人ではないです。 深く絡んでいるのは一人だけ。彼については、 以前からそういう人物(性格)であるというのは、知っていたので、 最初から関心はないけど、今後も関心はないです。 他のおじさん連中は言われたことやっていただけのようなもなので、 たいして、関係ないので。話を深く理解してない分、 逆に、困惑しているところも少し見受けられたので。 まぁ、そんな感じでした。 まぁ、詳しい話はいずれするかもしれませんが。わかりません。 そんな感じで、現在の職場のお話は終了の方向に。 一応、上司に関しては、まぁ、人間とは弱い部分もあるという事で。 あと、世界的に、教えのことで。 私は日本神道はきちんとしていると思っています。 ただ、畜生霊、悪鬼がらみの自称神道やらは正法を消そうとするところも あるようなので、しばらくは、そっちは、もうない方向に。 たとえば、叢書では××さんだったのですが、 要点は、魔に呑まれてしまったところで正法を消そうとするところがあった、あるという ことを伝えたかったわけです。 霊的に悪事をしていないならば、別に問題ないと思うので。 あと、宗教で、私個人としては、 イエスかノーかとかいう質問がたとえばあったとすると、 その例えが、善か善なら、イエスという答えもノーという答えもあります。 その例えが、悪か悪なら、イエスという答えもノーという答えもない。 イエスかノーかという質問で、 善と善であるところを、善か悪かとするならば、 逆にその質問をした質問者に対して、現実的にノーとはなると思います。 なぜならば、彼自身の心がイエスではないからということで。 究極としては、善であれば、イエスもノーも関係ないと思います。 なぜならば、見る人にとって、そいういうのは全く問題視するところではない と思うので。 2010年04月30日 久しぶりに日記を書いてみる。 本日は晴れのち雨がほんのちょっとだけ降っていたかな。 仕事は、明日から連休。 微妙だな。仕事はちょくちょく休日があり、継続してあるのか心配。 いろんなところを見つつ。 最近は、完璧にアホ霊に対して、折伏したろうかという勢いで アホ霊に対して結構怒鳴っている。 やる事がワンパターンでイライラ。アホ霊がウザイので車中で怒鳴っている感じ。 効果があるかどうかはわからないけど、しばらくやってみようかなと思っているところ。 (一週間くらい怒鳴ってみた。言って消え去るような聞き分けの良い存在ならすでにいないだろうし、そもそもロボットのような存在にそんなことをしている自分が寒かったという1週間くらいの結論です。) しばらくというか、アホ霊に対してはやはっぱり、消えうせろってのが、 私が思うところの最善。悪業しかつまないし、ちょっとでもやさしい気持ちを 起こすと、そういうのに付込む感じなので。さすがに悪魔。 そりゃ、怒りのない聖者も(そのような存在は)祓うわ。 聖者から見ると、祓うのが悪霊のためになる。 (聖者でいうと、聖者に対して為す悪業は、半端なく罪悪が大きい、っていうのは結構常識的な教え) 〔悪魔がそれ以上の地獄っていう存在のところに赴かないように。ということです。〕 しかし、私としては悪霊を憤怒の形相で折伏しちゃうお不動さんの気持ちが よくわかるような状況。天部の方とされてるけど。 天部より上の聖者に怒りはすでにないが、私のような一般人なら、やっぱり普通に 悪霊が、さすがにかなりムカつくわけで。 こういう悪霊に対して怒りを起こさないとは、どんだけすごいんだ!とつくづく思う。 耐え忍び。。。 (えーと、一応、説明として、内観的なものを付け加えた方がいいかなと思うので、 一節を引用して 「神々ならびに世人は、非我なるものを我と思いなし、名称と形態に執着している。」 この場合、私が上節の状態であり、怒りを表してしまっている状態。 一般的な人であると、そりゃ怒るよっ、てところですが、寂静から見るとそういうことです…。凡人) 話を変えて、なんかネットとか見てても、コロコロと意見を変えている人がいるね。 なんだ、最初から、信用しているとか言って、信用しているふりをしているだけだったんだね。という感じで。 例えで、 目のいい人が場所を間違えると種を蒔いても芽がでないって 言っているのに、その言葉のとおり、自分のところで種を駄目にしているんですか。 と、いう感じですが。 まぁ、結局魔術のたぐいの能力の集まりのようなものならば、 もう言うまでもないとは思いますが。 で、しかし、と、そういうような例えもありますが、 仏の教えと、あと世界中にある梵書はいろんな宗教(何かしらの団体も)にも、 プラスになるとは思うので、そういうことを言われちゃっても わかると綺麗な芽が出ちゃうとは思います。個人的に。 なぜならば、それがわ・・ ・・・ (省略) ・・・ 。 (何を言うているかちょっと、わからないという人は、とりあえず、この文章のこの箇所(体系)の表し方をあまり気にする必要はないです。他書もよく知っている人に対する(個人的な)ひとつのわかりやすい表し方としてですので。 抵抗が思える方は、とりあえず、ここの箇所(体系)の表し方を気にしなくていいです。要するに、私がここで伝えようとしてるのは、本質の事柄で あって、体系の表現の仕方の問題の話ではないので。私がここで伝えてる事柄を勘違いしている人はちょっとその表現の仕方に固執してしまうかもしれないの で。そういう場合は、そもそもここの(個人的な)表現の仕方を気にする必要はないです。) は〜、しかし、なんかどこもたいしたかわらないんだな〜と、最近はつくづく思う。 う〜ん、自分もこういう感じだし、普段の行いで微妙なところは、 これはちょっと違うかな、でもまぁ、ギリギリ大丈夫かなみたいな、 ある意味テキトウといえばテキトウな感じがあったりするので。なんか、 そういう人でなんかちょっと申し訳ない。 さっきの上の件で、あ、こっちの人は、この人は、なんだかんだで、結局信用していたんだ ね。みたいな。教え等を信用するのは人によってさまざまなので。 シンガーラへの教えより、 果たして、あれは 友に似たホニャララなのか。 友なのか。と。 ちなみに、自分は聖者方に対して、友となれるであろうかと。 なりたい、と。 2010年05月07日 今日もいい天気。 ─── う〜ん、なんか色々と錯綜しているようだけど、(とりあえず、前々回の日記で言えば、 そちらの人達とか、意味わかる人とわからない人では捉え方が結構違うようですね。 こっちは被害者なのに、裏っかわで騒がしいので、ちょっとだけ引用させてもらってみた。 というか、こっちは連休つづきでそういうことをしている時でもないのですが。 しかし、連休長すぎて時間はあったりしたわけで。 立場場その下の人が、こぞって何かしらしているなら、話し合いの総意でそんな感じであるのかなと、他の人も普通にそう思うと思うわけで。 でも、あの人は別に悪い人ではないと思っていますけども。(←そのような感じかな。ということで、深いところは知りません。) 冬はそれなりに寒いけど、やっぱり北海道はいいとこですよ。っと。 しかし、まぁ、結局見るところを見てなかった人は、ハッキリと見えてくるわけで。 そこらへんの兄ちゃんは見ないで、教えの方をみるべきって何回も書いているのに、 そこらへんの兄ちゃんを見て、判断の結果、狐の方にいくという。 でも、狐の方に行くっていうのは更に少なくなってきたかな。と。 各々の段階においては、あっちの教えを信じたりそっちの教えを信じたり、その繰り返し繰り返しする人もいるわけで。 自分で教えを見てる人は、もうあまり動くことがないかな。 こっちは、普通に見たのを書いていくと、繋がる方向になるので、 抵抗があるならば、自分で考えてみるのも別に悪くないと思います。 仏典なり聖書なりは自分で読むべきです。っていう感じで以前書いたことがあるはずです。 今までの過去の人達も、そのようにして、いろいろな宗派なりに別れてきた結果が ちょっと前までの日本の宗教なわけですので。 どうですか、変化はありましたか? いままで、自分が知っていた宗教、仏教とどのくらい、変わりましたか。 目はよくなりましか。 まぁ、メッセージもあまり届かず。(その人によりけり) やはりこの私自身に、後光効果というのがたいしてない感じをかもしだすところが まぁ、その原因であったりもするわけでしょうか。 あんまりそういうのにこだわりたいとも思いませんが、 え〜と、私のHPは、仏典なり聖典をまぁ、ある意味つなげる感じにはなると 思いますが、その仏典(聖典)は自分で読んでみないと、 詳しく理解できないと思います。 ────の話なんて、源泉から話をしているような感じなので、 自分で、読んでみた方が善いですよ。 (ちなみに、────も仏教について言及しているところがありますが、その言葉の意味するところでは、彼の語ってくれている仏教 (仏教徒)の話は、語っている内容からすると、大乗仏教の事柄です。というこで、その仏教(仏教徒)に対する意見は、現在の大乗仏教に対する戒め的にとら えることができると思います。この大乗仏教にたいするところは、ブーバーさんも同じく。二人とも核心的なところをとらえて述べてくれていると思います。) 個人的な表現をすれば、なんか源泉からこっちの人たちに話をしているので、 そこまでいく過程がむすかしい話方をする(してくれている)人な感じかなと思いますけど。 (難しいというのは、源泉から、源泉について話をするので、全く何も知らない人にしてみると難しい。私が思うところでは、ほぼ、ほとんどの話が源泉から見た源泉の話。) たとえば、「(全的に)何もしないこと」とかって言われても、 普通なら、???という感じでしょ。 え?教えを知るために本くらい読んでもいいですか??みたいな感じで。 (私のHPを見た人なら、ある意味捉えることができると思います。) 要するに、源泉からダイレクトに話をしている感じなので。 そこまでの過程が、何もしらない人には難しいというか、 全く意味不明なわけで。 仏の教えが、ものすごい明かり(光)であるのがわかりますか? 2010年05月22日 今日は天気は、そんなに悪くはなかったかな。 あ、暖かかったな。 う〜ん、今5月でしょ〜。6、7の8と。 3カ月か。 夏がくる。 HPのいい曲のところを更新してみた。 異なったイメージで享けとれる感じで説明を附加。 一応、なんとか万人向けな感じの説明書きになったかな。 わからなかきゃ、わからないでいいけど。 特定の人にだけ、説明書きするのならば、楽なんだけれども。 曲調が今風だけど、かなり中味は綺麗(静謐だけど、ものすごく暖かい)で ある意味、賛美の歌。 う〜ん、 まぁ、いいか。 ちょっと説明を加えるかな。 え〜と、悪霊関係の話でもう2年くらいになるのか。 結構長いね。キモ霊はまだいるし。 やっぱり、本体の_ハタさえをどうにかしないとおさまらないとは思う。 悪霊に邪魔をされているので、こっちは社会生活的に落ち目の状態。 しかし、、善行は積みまくりだけど。 お金がとぼしいのは以前とたいした変わらず。 で、え〜と、まず、「さえ」という悪霊に関してですが、 こいつが声を発生するキャラについて。 これは、この2年くらいの間ずっと、聞いてきたけど、 俺に直接攻撃をしてくる悪念のさえは、2年間、声がずっと一緒。 小学生か中学生、高校生の女子の声の持ち主。 この声は_ハタさえの入れ替わる人格霊の声。あの時と全く一緒。 で、キャラの性格も2年間で_ハタさえの別人格と同じ。 さえの悪念霊も多重人格っぽい感じだと以前は思っていたけど、 ほぼキャラは同じ。アホっぽいフリ。フリというか、そのもの。 で、発言も同じ。「ムリ」とか「さえ」とか「しね」等。 (他のものまねするときも、たいして変わった発言はなし。 今までに、6文字以上の長い発声は聞いたことがない。 悪霊自身の「そのとおり」っていうの自ら声で発声するのがいまのところ 一番長い発声だと思う。) この声はさえ本人の声の、ブリッこみたいな声をさせれば、まったく同じでしょう。 念の出所が_ハタさえ、本人で、電話で人格交代してた時同じ声になっていたから。 あと、俺のところをウロウロして、音声を発するとき、 二人で話をするときのように、2重に(ダブって)聞こえるということがいままで、 一度たりともなかったので、ようするに、このアホ霊のさえが他の声のマネを しているというのは、ほぼ確定的。 で、あと、ダブって聞こえたことがないということで考えられるのは、 現在、俺のところに飛んできている悪霊は_ハタさえの悪念の一匹。または、 他にもいる可能性があるとしたら、その他の悪霊は音声を発することができない 存在であると。 キモ霊のさえは本人に聞けば一番よくわかるでしょう。 本人がこっちにとばしているんだから。 今までの流れからしてみると、一般の霊的な知識も何もない人だと たぶんもう逝ってた可能性は結構高いんじゃないかと思う。 まぁ、愚である霊だけど、細かいところまで見るとそれなりの殺人鬼ではあると思う。 畜生霊の仲間達は自分らが書いていたブログの内容からして言うと、 脅して金銭とるところなんて、かなり黒だけど。 そもそも殺人鬼とばしている時点で真っ黒。 (悪霊を呼んで、人格チェンジしていた場合は本人の悪念という表現は的確か、否か。というところで、さえとさえ(悪霊)とつるんでいたのは間違いないんだけれども。←これは消去するかどうかは考え中。) で、一方、なんか世の中の流れの事柄も見てきたけど、 悪霊にからませて、結構いろいろ計画だてていたようだけど、 そこらへんが裏のどこら辺から組み合わさっていったのかが謎。 そもそも、本気で争いでもしようとしてたのかと。 準備がかなり整いすぎてるもの。普通に見ても。 以前は、通常ではありえない規模だからかなり、異次元に迷い込んだかのようだったけど、 現在では規模がでかいことに、さすがに違和感をあまり感じなくなってきている。 なぜならば、もう2年くらいもそんな感じだから。裏っかわで。 というか、全く関係ない俺を巻き込む意味がわからない。 で、なんか世界を見ても、悪霊使っている輩が霊的な事柄で俺をどうこうしようと しているっていうことで、現在の世界の霊的な段階というか、そういうのが、 そんなもんなんだなと思うわけで。 別に俺がいうことでもないけど、 悪霊の「さえ」の仲間になって悪さをしていた霊的な連中。 君達はものすごい悪業積みまくりだから、ほとんど、今生の後、 後がないようなもんだと思うよ。 俺は今生のこの貧乏生活がやばいけど、 (←ヤバイの度合いは、今月はお金がない。節約を心がけようくらい。) あんたがたは、今生を終えた後、想像もできないくらい長い期間やばいんじゃないの。 仏典とか聖典をちょっと読んでみなよ。 あとね、 なんだかんだで、私はこういう感じの人だけど、 光は入ってきてから、他の人にどうこう言われてもどうこうってことでもないんだけど。 まぁ、入ってきたあとも、たいした気にもせず、生活をしてきて、 いろいろ羽目をはずしたりと、まぁ、あるっちゃあるけれども、 別にそんなに悪いことをしたわけでもなし。 人助けはしたことあるけれども。 光が入ってきた頃は、本気で出家しようかと考えていた時期。 その後、いろいろ調べていくうちに、日本で出家してもあんまり意味なさない。 なんか、違うというので、現在にいたっている感じではある。 その後は、別に光が入ってきたから、どうこうとか 気にしたこともなかったけど。 現在、出家については、微妙。霊的な面は仏法をさらに理解できるように、とりあえず、他のも研究してみようかなという感じ。(←一応、本質からいうならば、これは必要はない) で、光が入ってきた時に、ある新興宗教の人にその話をしたことがある。 その人は熱心に信仰していたから、まだそこにいるんだろうか。 熱心すぎて、仏陀の法を正面からみることはなかったようだけど。 質問をした結果ね。 その頃が平成11年の4月(か10月)頃だったと思うけど。たしか…。 ─ まぁ、そんなんで、霊的な事柄とかは、その頃よりも以前から、 結構興味があって調べていたし、他にも、結構、宗教的な事柄や 哲学的なのは調べてましたよ。一般人より詳しいっていうのはそのため。 そういう感じで、人生の意味とか真理については、調べなきゃならない衝動みたいのは なぜか、結構ずっともっていた。 昔の話だけれども、新興宗教とかあまりだしたくはなかったが、まぁしょうがない。 (私の場合、真理の探求で、ちょっとだけ新興宗教というのも体験したし、いろいろな書物も読んだりと、いろいろ自分で探してきましたので、 新興宗教というものには、依存してしまう人の心理なりも、多少ですが理解できているとは思っています。ので、 どっぷりとはまっている方へちょっと新興宗教について。 私は真理を探求していたので、はまり続けることもなく、依存しつづけることもなく、それなりに仏の教えに対する矛盾なりなんなりを理解できたところで、そのような執著は断ち切りました。 で、例えばここでいう新興宗教とは、教えにたいして盲目的な信仰をさせる団体(誰々がこのように言っている、だから、これを信じなさいという盲目的な信仰のさせ方等)や、霊的商法などでよくある、これこれの物質を持つとあなたは幸運になりますという、誘い等をさせるような団体や、ある特定の人物を崇拝させる(人物へ依存させるような)団体等です。 で、仏の教えもそうですが、他の宗教の聖者方の教えとしても、そのような他への執着を捨てなさい。言い方を変えると、依存することを捨てなさい。自己を見なさい。という教え。であって、 霊的な物質といわれるような物であっても、それら物質に対する執着、これこれの物質を持つとあなたは幸運になりますというような執着を起こさせるような教えではないです。 では、神への信仰は執着なのか。 自己の現世のために神へ祈る、等、その人が信じている神、その神へのお願い(何々をしてほしい、何々が叶えられますように等)は、神への信仰ではなくて、自己(自我)への執着です。 ただ、(個人的には)何かしらの信仰の団体でも、仏、聖者方の説く善を学ぶのは良いとは思っています。 あと、いろいろ知って、この宗教は聖者方の道へは通じていないと知ったとき、それでは止めようというところで、「いまここで、この新興宗教にたいする信仰(依存)を止めると、その後は不幸になるかもしれない。」等、 で、止めるに止めれないような人もいるのかもしれないので、 もし、そのように新興宗教にはまって抜けれないような人は、聖者方の教えのとおり自己の心を見てみたら気づくとは思います。 自己の内に、他に依存してしまうという心があるのかどうか、と。 「いまここで、この新興宗教(新興宗教に限らず、なにかしら慰安を求める対象)にたいする信仰(依存)を止めると、その後は不幸になるかもしれない。」等の先行きへの不安、恐怖。 そのような、無くなってしまうときに恐怖が生じる事物に対する依存があるときに、本当の安らぎは見られるのでしょうか。 依存を止めるとき(その対象がなくなったとき)、に恐怖が起こるというのは、依存している時にすでに、なにかしらの不安、恐怖も(潜在的に)くっついているわけでもあり。 すべての作られたもの、現象も、時の推移とともに移り変わってゆかざるをえないものである。 そのように、いずれは無くなってしまうもの(依存している対象)に対して喜んでいると、そのものがなくなった時には悲しみ、苦しみ、を受けるのです。 聖者方はそのような事柄を理解しているので、そのような事物に執着することもないのです。 恐怖もまた、苦しみです。 恐怖があるところに、執着からの厭離に対して恐怖を生じさせるところに、全き安らぎはない。と。 ) なので、私が仏の教えを説くのがありえないとか、悪霊の「さえ」が後ろで教えているんだ とかいっているようなら、こちらとしてはちゃんちゃらおかしい状況。 悪霊の「さえ」って明らかに、ここまで愚霊で、同じ発言と同じ事しかできない存在が一体、 誰に何を教えれるのかと。 畜生霊の仲間達自身も、俺から初めて聞いて、あ〜、そうだったのか。って 納得することも多いだろ。 そもそも見るところが全然違うし。 畜生道と聖者の道は天と地以上に違うので。 で、現在。 ─ 霊的な事柄を説いて、ある程度説明をしなければ、他の人も理解できないだろうから、 説明をして、その中で、私が以前から他の人にも伝えようと思っていた仏の教え等も 紹介したんだけど、その後、しつこく聞きたがる輩にも多少からまれるくらいで、 そういうのでも状況はあまり良くはない。 そっちでなにかしらしなくても、こっちで話をする気になれば、普通に話をしていくのに。 段階をおかないと理解できるものも理解できないでしょ。 こちらとしては、あせる必要は全くないんだけど。教えを伝えるにあたって。 その間に自分で仏典なり聖典なり読めば、さらに理解が深まるだろうに。 宗教に関していうならば、日本の宗教、というか世界中の宗教もそうなんだけど、 最初の聖人の聖言からかなりズレちゃってるところはかなりありますよね。 2010年05月26日 本日は雨、 気温が微妙にさむいので、ストーブをつけようかという感じですが、 燃料が切れているので、買いに行かなければならないのだけれども、 あと数日で暖かくなると思うので、我慢をしようかなと思っているところです。 で、日記の内容の方で ─── 悪霊を使用するとは策士だよな。全く。 全く、愚かな策士だ。とその連中どもだ。 畜生霊の仲間達は頑張って、方向をそらせようと頑張っているようだが、 俺に知られてあ〜だこ〜だと言われる程度ということは、 上の存在には、まるっとお見通しだと思うよ。 というか丸見えだろう。 どう考えても。 お前達の悪事は。 っと、まぁ、これもHPに載せようかと。 改心した人は別ですよ。 あと、こちらは事象を故意に霊的な書物とかとかぶらせているとかはないです。 あと、他の霊的な本とかも何冊か似たのがありますが、自分で読んでも多少かぶる部分がある感じですが…、当然ですが、そんなきような事はできませんし、 そんな意味がない事柄をする必要が私には全くないので。そんな事柄をする必要が全くもってありえません。 畜生霊の仲間達の悪事の計画をバラしてあげたら、 畜生霊の仲間達が思いっきり悪の方にぴったりと当てはまっていたという話だろ。 人のせいにしないように。 というか、最初の頃からTVやメディア等で、こちらを悪者にしようとしているんだから、 現在も何かあれば、そういう方向で推し進めようとしているというのが 普通にわかると思うんだけど。 規模を考えれば、すぐわかると思うんだけど。 その規模の大きさがわかっていなかったということでしょうか。 こちらはどんだけ説明をしたと思っているのか。 あと、あそこのサイトの話での問題とかもあるんだろうけど、 とりあえず、私は当然だけど、犬の筋とか、狐の筋とか、狸の筋とかそういうのには 全く興味すらないです。かまわれたくもないです。 あと、某サイトですが、当然ですが、某サイト等の全てが悪いわけではないですよ、 畜生霊の仲間達と関係をして悪事を計画していた輩の行いが善くない。 いくらお金があっても、亡くなった後苦しみを受けるのなら、 お金なんぞはあふれる程たくさんなくてもいい。普通に生活するには多少必要だけどね。 世界遺産とかあるでしょ。 富や名声、権力なんかあらゆるものを手に入れた人が、 後にすることは一体何なのでしょうか。 世界中に王族等の大きなお墓とかあるけどね。 死後の幸福を求めて、等。 ちなみに、仏陀も王子であったけれども、出家しています。 そもそも、畜生霊の仲間達の方向に行っているのは、もう上ないでしょ。天井ぶつかってて。 あと、霊的な畜生霊の弟子等は、人間をどうこうするとかじゃなくて、 畜生(本当の動物の方)を改心させたほうがいいんじゃないの。 畜生と通じるんだろうから。 本質をそこに見出すとかそういうのではなくて、(本当の、人から動物への)優しさとして。 2010年07月26日 本日は晴れ。良い天気でした。 用事でちょっとだけ遠出をしてきました。 風が心地よく快適なドライブでした。 この数日、工作の方達がなにやら騒がしかったようなので、なんだか、と思っていたけれども。 騒いでいるのは、その騒ぎがもしも、狐とか悪鬼とかを崇拝して、お祭りで自分達がわいわい踊っているのであれば、 旧約でいったら、あの善性であるという人に、投げられるかもよ。 キリストさんなら、言葉で一蹴されるかも。 ブッダならば、そもそも相手にしてくれるのかどうなのか。 こういうものも気づきなんでしょうか。 ↓これは一昨日落ちていた動画です。工作の動画です。 声がどうしてはいるのか。ものまねといい故意に吹き込んでいる声といい、 全く、いつから計画していたわけなのか 動画(省略) これらの背後に霊的な力を使っているのがからんでいるならば、 その人は一発で黒でしょう。 仏の教えをまだ知らないのであるならばしょうがないかもしれません。 お祭り騒ぎしているときに、ブログ更新すると、騒げば更新するという 工作員の方が誤った考えをもってしまうかもしれないので、更新するのをひかえようかなと思いましたが、 お祭り騒ぎをしているときに、なぜだかぽろぽろと工作作品を落としていくので。 とりあえず、右から左に受け流し。 かな〜り以前から、工作作品は私の周りには珍しくない(なぜか見せてくる)のですが、 どうやら、挑発をして怒らせようとしているようです。 長いこと、工作をされたので、ちょっと逆の意味で洗脳をされてこのように思うことがあります。 悪鬼に惑わされ親しくし、悪業をかさね、この者達は堕ち行くに違いない、と。 複数の聖なる書物のほぼ合致した教えより。 霊的にわかって悪さをしている、そのような者と絡むのは善くないと思います。 一般のすでに絡んでしまっているような方はお気をつけください。 (一般の人はあまり気にしていないのかもしれませんが、悪霊は現実の話なので。 畜生霊とその仲間達と共に、あとで、ひっぱられてしまわないように。) 仏の教えから離れると、いろいろと善性の要素が離れていくので、 仏の教えをもっていると善いと思います。 あと、個人的な事柄で、 いくつか思い浮かんだところをならべて ─── 今日は何をするとか、念を読んだりとかそういう明らかに、(教えの方の)道の人(聖者)がしないような工作もする必要はない。そういう事で念を読 んでいる事、事態、サングラスをかけているようなもので光明は見えないと思います。そこら辺がわからないのだろうか。仏典にもありますよ。 日本神道系でそういうので神道を語っている輩がいるようなので。 日本神道は鬼神道に非ず。 (三巴、智慧が必要であるならば、付ければ善いと思います。) あと、いい曲を更新したら、なんだかゲイだとかオカマだとかなんだか不安になる人もいるんだかわかりませんが、私はゲイだとかオカマだとかそっちの気は全くありえません。 (オカマの方等については、偏見があると思われるかもしれませんので、私なりの考え方を記しますが、オカマ等の方が、そのような状態でその方自身 で苦しみをあじわってきたのならば、そのような方向に進もうとしている人を止めて、一般な方向に戻す等をすると、両者のためになるような気がします。 オカマの方向にあえて引っ張ろうとするのは、善ろしくはないと思います。 そういう感じの人がいれば、私自身はものすごく (離)引かせていただきます。 生まれつきそのような方であれば、他人にはわからないような更に深い悩みがその方自身にあるのだろうと思うので、とりあえず、コメントを差し控えさせていただきます。) あと、女性に関しては、こちらは別に、生涯一人で生きていくとかではなくて、在家で仏の教えを学ぶ人であって出家者ではないので、いい人がいれば、結婚をします。 で、さらに、不感症ではないので、綺麗な女性やタイプの女性や 面影がある女性に目がいってしまったり、引かれたりするのも当然あります。 ドライブ中なんかに、花壇の手入れをしている女性を見るとなんだか雰囲気がいいと感じる時があります。 花を愛で、微笑む女性は美しい。 と、いうように、何回か記していますが、一般的な愛欲というのは普通にあります。 放縦に流されれば、乱れてしまいます。反省注意。 現在は悪霊がウロウロしているので流されると、愛欲の感情を倍増をさせようとするので、 ちょっと危険なので、流れないようにはしています。 私が思っているところ(言葉での表現)で、この世間で言われる愛欲(恋愛的表現での他の人への愛情等)というものは、 聖者方が言う愛とは異なります。 (他の人を思う純粋な愛情、純粋に他の人のためを思う愛情等は)愛の一部であるといえば、通じるとは思います。 あと、話は変わって、ちょっと以前までの日本というのは言霊というものを大切にしていたのでしょうか。 えん 円、縁、塩(邪気を祓う)等 重要は言葉は他のかぶる言葉も綺麗な感じがする。(とりあえず、念は置いといて) 気のせいでしょうか。 言葉に力のある聖者は粗雑な言葉を発することがない。 私のような凡人のように、悪語を発さなければ良いとかっていうので、カラオケに行ったりというのはないのです。 日本の言葉を決めている人はそういうのを知っているのでしょうか。 最近の言霊はどうなんでしょうか。 あとは〜、私の関係ないところのTV番組等で、発声が邪魔をされる「はい」が「ない」っぽくなったりするのは、私の邪魔をする悪霊のさえではなくて、どこか他の悪霊使いが式を使っている可能性もないことはないと思います。これは畜生霊の仲間達を注意して見ても良いと思います。 27日 ─── 日本の漫画家も見直すと、それぞれ宗教を主張している人もいるようで、 基本は争いを反対している人が多いように見受けられました。 四聖諦の詳細はよくわかっていないけれども、やっぱり善を選ぶ人が多いようです。 海外でも、現在までに作られた映像や書物なんかの背景を見れば、 その国の本質が見受けられるのかなとは思いました。 この国はこのように進めているのだろうというような感じで。 日本はネットなどにより、性欲をおこさせるような感じの物が増えていますが、 国民全体の品位もあるので、堕落しないように進んだほうが善いと思う。 (←ネットのような公共システムで、性的な描写なり映像が氾濫しているのは問題があるような気がする。昔、学校の校則で女性のスカートはひざ下何cmとかあったけれども、集団の秩序を保つためにはそういうものもあって良かったんだな、と思ってみた。ネットを規制する規則等を作っているのは誰?) 堕落する方向にもっていこうとしている輩が、実は(内面)最も堕落している可能性があると気づいてみる悪循環。 要するに他のところで、ここのところを堕落させようと画策しているのであるならば、 その、他のところというのが、すでに堕落をしているという気づき。 H22年8月22日(2010年) 本日は、晴れ。気温は暖かいというかちょっと暑い。 いい曲のところを更新して、その後、勘違いをの無きようにと説明書きをしようとしたら、またしても畜生霊のたぐいとその仲間達が、 更に邪魔をしてきたので、その事柄も含めいい曲のところに書いたらかなり文章が長くなり、日記のようになってしまったので、文章を日記の方に移します。 まぁ、そういうのは相変わらずな感じです。 H22年8月18日 (いい曲のところを更新したところ) ふ〜、いつもの作戦でまたしてもやられるところの私です。やり方がホントにずるいよね。と思うさすがに。どこの団体なの。以前からそういうのが上部とされるところにいたのか〜、というかそういう現実。う〜ん。どの道同じような展開だったのか。 まぁ、仕組でいたんだろうけど、そりゃ、離れる人は増えるとは思いますよ。で、もうこれも以前からうすうす感ずいてはいはましたが、悪霊のさえが TV(←脱字修正です。この脱字は、かなりすいません…。後と同じTVに修正。誤字はたいして気にしていなかったのだけれども。よりによって、そこの部分、という事で、もうちょっとキーの大きいキーボードを購入する予定。そうすると、ちょっとは改善されるかなと、多分。他の修正ポイントは、気づいたらちょこちょこ修正。) で本当に声を入れているのかは、現在では疑問に思う。悪霊の声は自分でそうだと思って書き記しましたが、現在ちょっと仕事上、限られたちょっとの時間TVを見ている人がいるんだけど、チャンネルを結構変えまくる人なのですが、どれどれと携帯で同一の番組を録画していたのだけど、悪霊本体の声は聞こえる。 で幻聴を聞かせるときは頭の後ろと胸のところをジーンとさせるから、現在ではもう、それはすぐわかるんですが、まぁ、悪霊の幻聴が聞こえるというので、あとから携帯で録画したのを見ると、声は入っていない。 で、う〜ん、と考えるんですが、でも、悪霊が「はい」を「ない」に変えたりする現象は、まぁ、息が一瞬つまるような程度で実際にある、から、とりあえず、私が直接面してなければ、「はい」が「ない」になったりはしないのかもしれない。 現在は、TVの向こうまで本当にいくのか、そこはどうかちょっと、現実的にもどうだろうと思っている状況。 TVなんかも、あきらかに計画してただろうっていう感じなので、故意に吹き込んでいるのもあきらかではあるし、そういうので狐憑きとか犬憑きとか、鬼とかに、そういう部分を私がだまされていたところも大いにあります。 畜生霊の仲間達が自分らの式を使ってそれをしていた可能性も大いにありえる。というかそういう計画かな。 あれだけされれば、さすがに、だまされたり、勘違いはさせられるとは思うけど。 あれだけされて、裏に何かある、とか思わない方がおそらく異常。 ちなみに、以前の騒ぎのあったところの会社の上司には、父親と母親を殺すっていわれました。 それから、パニック状態がスタート。はじまりの気づきはそこから。 で、知らない人は、その上司は悪霊に憑かれていたのでそういうことをいったのではないかという疑問が出るかも知れませんが、それは、まずないです。 それはなぜなのかっていうのは、彼はファイルを机から出し、それを一つずつ机に叩きつけながら、父親、母親〜、誰々〜っ、誰々〜、てしていたので。 意識を完璧にとられているような人物なら、ありえるけど、通常の人物がそこまでできるというのは、自己の意思でそうしている以外はないと思います。 で、彼のそういう嫌がらせみたいのは他にも多数ありました。 ちなみに、それは私がその会社を辞める前に聞いたら、口がすべったように脅迫を認めてました。他の人もその脅迫を認めてたところにいてそれを聞いてましたし。 で、最終日かそのくらいに、最後にその時の事柄の一連はHPには書きますとは伝えておきました。 それを彼に伝えたその時も、それを聞いている人は横にいました。まぁ、一応二人だけのときに言えば、どうせはぐらかされるだろうから。 ちなみに、他の従業員は別に悪い人ではないです。その上司だけはわかりません。 で、一応、騒いでいるし、事が事だけにあのことはHPにも書きますと、それを伝えたところ会社のことは他に話さないようにっ、ていう感じで会社規定で書いてあるって感じで言われましたが、 「は!?」っと、そもそも貴方のやったのはそれ以前だろうという感じで、いや、というかさすがにあれはないですよねって感じで言ったら あとは、書くかどうかは私に任せるような感じでした。 ということがありあったので、100%私はカモであったのは明らかであるわけですが、これを書いたら、彼の状況がかなり悪くなるだろうというのは当然であろうという思いから、現在までHPには書かずにおきましたが、現在、またしても、畜生霊の仲間達が同じようなことをしかけてきているので、しょうがなく、潔白を証明するためにそれをしるしておきます。 ちなみに、パニックになった当初はゲームだって言ってましたけど。その上司が。 今思うと、ゲームって誰のゲームなのか、まったくも〜…って感じです。どっちがゲームの主人公なのか。 最後の審判以前に、そこら辺で、そういうのに参加している人としていない人で結構わかれたりしてね。霊的なところも完璧に含まれているので一応記しておいたり。 善いことをしている人は、天に上る、と。 で、ここで、じゃ、それを警察に言えばよかったじゃないと思うかもしれませんが、言って信用されるもんでもないだろうと、あと、当初から言ってますがその時の私がだまされる規模が規模なだけに警察に言ってもたいした意味はないだろうと思っていました。 で、そんなので、以前の会社では、準備万端いろいろといやがらせをして勘違いをさせようとしていたところもかなりあったようで(こっちを悪者にしようとしてたり、その他もろもろ、畜生霊とその仲間達がそういう計画的な感じの悪行をしているのは確実)、 そういうので、畜生霊の仲間達が自分らの式を使って声を入れたりも、ありえるだろうし、その他もろもろ、そういうのも一応計画には入っていたのだろうとは思います。 で、そういう体験からしても、畜生霊の仲間達が低級霊の集まりであるというのは明らかにわかっているわけです。 で、あの状況なら、どう考えても騙されてもしょうがないだろうとは思ってます。 ということで、やっぱりそれなりに計画が大きかったんでしょ。そういう団体って、進んでいるところが真っ暗闇なのではないのですか。どうですか。 で、そういう一般人で何も知らない人にも偽りで騙し、私の日常の近辺にも介入して嘘を広めたりと、そういうこまかいところから、騙していっている輩連中なわけなのです。 なんかしらないけど対峙してくる輩の方々は、当初から、そんな感じではありました。 ちなみに、wっていう感じにもたまになってしまうときがあってしまったりしますけど、それは、なぜならば、というのは、私は本当にものすごい真の被害者もいいところなのでです。私はそもそもの初めから関係がない。 ちなみに私を犯人にしようとして、なおかつ私をやろうとしているのでわかるとは思いますが、私がいなくなっても、悪霊自体が消えることはないと思います。そんなのはあたりまえなんですが。被害者が他の人になるだけでしょう。 まぁ、私がどこかに行けば、狐らや悪鬼が登場するのかな。 だとしたら、う〜ん…。 一連の計画事態が寒いのではないのですか、と結構思える。 とこういうような状況で、 現在は、 私が今生きているのは仏の教え、仏弟子と他の多数の聖者方に助けてもらっているのかなと結構思える。 H22年8月22日 で、あと、話は変わりますが、一応付け足して説明しておいた方がいいのかなと思うところで、 我(自己)についてなのですが、これはきちんと説明してなかったかな。 え〜と、私のHPでは私自身理解をして話をしているので、読み手側で判別はつけられるとは思いますが、 読む側の人がそれを理解できていないと矛盾に突入するであろうと思われるので、 ちょっと説明追加。 自己(我)について、 自己(我)、(我欲)の方の『自己』と、自己(我)、(無欲)、(真我)、(無我)の方の『自己』との、 これらを混同して読むと、意味が矛盾しているところも出てきて、あなたが迷います。 で、これは仏教以外の教えでもそうですが、だいたいは聖なる書物とされるのは、これを分けて説いてあります。 で、見ている人達が説明している我は真我であって、欲に基づく我ではない。 これは、この事柄を意識して読んでいけばあとから、理解できてくるのではないかと思います。 で、大乗仏教の方なのですが、え〜と、そもそもここの我の部分を理解できていないければ、経典を読んでも、(経典の種類にによりますが) ものすごく迷うと思います。経典も間違っている経典もあるし、綺麗な経典もあるし、そのとおりだと思える教典もあるし、 さまざまなので、後に仏説ではないのに、仏説として作られた経典はよくよく注意をして、読んだ方がいいと思います。 その通りであると思える教典でも、我の違いを理解できてないければ、どっちにしても先に進めば迷います。 インドの古典等は、混同すると簡単に迷います。 ブーバーさんは、自己(真我)の説明をしてくれているようなものであると思います。 で、あと、見ている人について話をすると、 え〜と、だいたい見ている人というのは、見ている人同士で話あっているような感じがそれなりに多いようなので で、ちょっと光の話を進めますが、 それを説明するのに、結構みなさんそれぞれで今(永遠)を見ているということですが、 私が思うに、というか、仏の教えで紹介したとおりなのですが、 そこから更に光(光明)へ進むには、四聖諦がものすごく大きいのではないでしょうか。 ここで、常、無常は、四聖諦を知るか知らないかでものすごく変わると思います。 四聖諦を知らずに永遠の光明を見る、光明を永遠であると見るという教え。 その時点、そこまで法を見ている人でも、そこから四聖諦を知ることにより見事に永遠を超えるという永遠、 ( ←喩えでの表現です。一応追記で、『一切の形成されたものは無常である。』と) 涅槃寂静である仏の教えが道標となっているのが実感できると思います。。 そういう究極的なところも、(究極的なところが)仏の教えのものすごいところだと思います。大光明。 ちなみに、これは、仏の教えを学ぶ人だけの善益ではなく、真理を追究する存在全てに対する共通の益です。 仏を神々の神と私が記したように、 『如来は修行完成者であり、正真の覚者であり、明行足であり、よく逝けるものであり、世間を見抜いたものであり、無上なる存在であり、人間の調練者であり、天と人の師であり、仏である世尊。 かれは、神々を含む、魔を含む、梵天を含む、沙門・バラモンという人達を含む、天神と人間を含む、この世界を自らよく知り、体験して、説くのです。 かれは初めもよく、半ばもよく、終わりもよい、内容もよく文体もよい教えを説示し、完全無欠で清浄な梵行を明らかにします。』 という由縁は真にその通りだと思います。 で、↑こういうように言うと、他の教えの人で抵抗を持つ人があるかもしれませんが、 その抵抗である、自らのどこかにある執着心。それはその教えを伝えた人の教えを善くもっているためでもあったりする場合もあるのでしょうが、 その教えの真意を伝える人からすると、そのような他の教えに対する抵抗心は、他より来る悪法が蔓延るのを防ぐのに伝えたことがらであって、 友人のような存在が善益のために説いてくれているような教えに対する抵抗ではない。のではないでしょうか。 そのような点から言えば、仏の教えは他の教えの光も見事に増大させるので、そのような仏の教え(仏の言葉)に対する抵抗心は全く必要がない。と、思います。 仏の教えを知ると、他の教えの意味も普通に理解ができるので。 ということで、聖人の教えのとおりにするという良心。その良心から生じてしまう、〔他の善の教えに対してでも抵抗を感じてしまう〕善的な執着心、 これらは仏の教えに知るにあたっては、持ってもいても理解はできるとは思いますが、その〔他の善の教えに対してでも抵抗を感じてしまう〕善的な執着心があることにより、大光明が見えなくなってしまうという事柄があるということ、なわけです。 で、心配になるかもしれなので、一応説明をしておきますが、 その善的な執着心を捨てる、その事柄自体がその教えを伝えている人(光を見ている人)が伝えた教えと異なることをしているのかといえば、 そうではなくて、その執着という執着心が、光〈光明〉を覆い隠しているということです。 (ちなみに〔他の善の教えに対してでも抵抗を感じてしまう〕善的な執着心を捨てるというのは、執着心を捨てるということであって、善を捨てる、善行を離れるというという事柄では全くないです。これら執着心を捨てるというのも究極的には善そのものということにはなるのですが。 仏教徒であっても、究極的には仏の教えに対しても、執着心(執着をする心)を捨てる〔筏の喩え〕。それが仏の教え〔法〕です。) (伝え方がむずかしいので、一応もうちょっと説明を追加で、え〜と、執着心を捨てる、というところで、 「何っ?ということは、仏や仏弟子に帰依すること、及び他の教えを持つ人が他の聖者に帰依をしてはいけないのか」とかそういう、教えの受け取り方に柔軟性が感じられない質問がある場合は、ちょっとHPの教えの部分だけ読み直したら理解できるかもしれません。仏の弟子は仏、法、僧に帰依しています。でも、一般の人ならば、わからないところもあるだろうから、そこは聞いてもよい質問なのかもしれません。 筏の喩えは、教えの通り、それぞれの人々が持っているものがあって、それらのものはこの川をわたるためには非常に役にたったと。それのお陰でわたれた。そこに辿り着くまで非常に有益であったと。 そのそれぞれの善い教えのところに留まるかどうかは、それぞれ。 解脱した人々はそのような執着する事柄を捨てて更に歩んだ、という教え。 ちなみに、梵書等では真我の話等は、結構普通な感じだと思うので、いちいちつまづく内容のところでもないです。 が、真我だとか、そこらへんがわけがわからんという人は〜、難しい…。そういう場合は仏の教えの理解できるところをお勧めします。) ↑で、これらの部分は、…う〜ん…、 他の教えをもっている人等、わからない人には本当にこの人は何を言っているの?ってなる人もいるかもしれないので、そういう人は、とりあえず、ここを気にしなくていいです。 他の教えをもっている人でもあとから、わかる人はわかると思うので。) で、それらが後にでも理解できると、聖者方が言っている事柄が同じだという事柄も理解できると思います。 要するに、仏の教えは他の聖者の教えを学ぶ人であっても、お互いの光明を増すわけです。 これらの事柄からも、聖者方の教えは本当にすごいわけです。 (追記、しっぽがではじめている団体等があるようですが、私はそういう団体と全然関係がないです。 俺達は「お前の弱点を握っているんだぜ」みたいに絡まれてはいますけど。エロすぎるから駄目ですというそっちの方向にもっていって最終的に落とそうとかいう作戦らしいので、では、こちらも、え〜と、私は一般の男性なので、それなりに結構エロいです。っと。 はい。 どうでしょうか。 だから、在家でそこらの兄ちゃんだっていうのはて何回も記してはいるんだけど、なんとも、意味が通じてはいないようなので。 聖者ではないですので。 失敗もありますよ、 ちょっとした思い出が忘れられず、性的な事柄に逃げれば忘れられるかもしれないとか思ったことがありましたが、 性的な事柄で満足をすればちょっとした思い出を忘れられるであろうというので動いては見たけど、そういう問題でもないとかなり実感して、「やっぱり、ありえない」って感じで、すぐに離れたらなんか大変な目にあったことがあったりとか、そういうので何でも体験をしようという性格があるところもあります。 で、あと、まぁ、そこらへんで知りたいようなところも見受けられるので、ちょっと特定のお付き合いについて記しますと、特定のお付き合いについてはこれは、本人同士で普通の関係ではないよねって何回も何回も話をして、それについてはさすがにものすごーく悩み抱いた事もありましたし、さらに、私自身も最初にはありえないと思っていたんですが、これがそうでもないんですね。一般の人の考えられないっていうのは、そこらへんの部分に関しては本当にそちらの言い分が普通なわけで、そんなのは最初に私自身も「(社会通念での考え方、判断による)ありえない」とそう思っていたからわかりきっていたので、別に何を言う気にもならなかったわけで。でも実際そういう関係になってみると、本当に不思議なもんですよ。っと。絶対前世でなにかあったよね。とかまぁ、そういう感じでも話をしていたので。 一般ではあまりない。けど、美しい人は年齢に関係なく美しいとその後に気づきがありました。 あと、人間は年齢が何歳になっても中味はあまり変わらないんだなと思いました。 って、それももう数年がたっているけどね。 あとは、眼科か〜、あれは逆さまつげがほったんで、眼科で手術しても改善しなかったので、まぁ、その後いろいろ大変なことがあっちゃったりしました。逆さまつげは最初からパッチリ二重にした方がおそらく綺麗に治る。中途半端で眼科で治そうとしたのが駄目だったのか、というか、その当時に逆さまつげっていう症状が世の中にあること事態しらなかったわけで。 あとは、ユンボの件か〜、あれが人助けで嘘をついてしまったことがある。ので、ここでちょっと記して、懺悔。あれはそこで、人助けするのに嘘をついていいのかってのは考えたけど、基本はやはり嘘はついてはならないってことなんだとは思いました。難しいですね。 で、 その後、悪魔と畜生霊の仲間達登場。その後、前述の「ありえない」。で再び、悪魔と畜生霊の仲間達が登場。って感じかな。 (一応追記で記しておきますが、性的な事柄に関して言うと、聖者方を人間の基本としてみると、当然ですが基本、エロ(性的行為)はないです。なぜないのかというと、それは聖なる書物とされるものにも当然記されていますが、そのような(思念が想起されてしまうような状態)状況で、自分で禅定をすれば、なぜないのかを自らで理解できると思います。欲があるところの悩みどころでしょうか。一般の人で見ると、子孫繁栄を願う心は普通だと思います。) ) ちなみに、Mっていうのがとりざだされているようですが、どこのMだかは、本当に知りません。フリーメーソンがメーの部分がMだとか、う〜ん、M。あの有名どころがの金持ちのところがMだとか、どこかの人気漫画家がMを主張しているとか、そんな感じで、私自身はMっていうのを知らないので興味はないです。畜生霊の仲間達がさわぎだしてから、Mだ、目だ、目だとか騒いでいたので、危ないことをしなければ良いなというので、ニュース等を見る程度の興味はあります。が、基本的にそういう目や団体に興味はもってないです。 (団体や集団等っていうのは、悪心を持つ者ばかりではなくて、良心を持った人も中にはいるのであろうと思います。そもそも宗教や思想で、もし勘違いをしていたのであれば、しょうがないと言えばしょうがないのでしょうか。思想が根本のところから清浄になりえれば、善性が増すと思います。) あと、相手方(畜生霊とその仲間達)のやっている事柄がどう見ても低俗にしか見えないんですが、もうちょっとプラス思考な見方をするのが普通なのか。ちょっと悩む。 で、あと、私は月日がたっても、調子に乗って「私は救世主だ」とか、そういう事柄は言い出さないので安心してください。(後の時代になって、本当にそういう使命があって出てくる人がいたならば、本人がそのように言うならば、それはそれで別に本当ならば良いのではないでしょうか。本当に導いてくれるならラッキーだと思います。)〔ブログの霊的な本の話などは現実的に当てはまる点が多数あるというだけ、という感じの解釈でいいです。〕 仏の教えを学ぶ人で沢山いた菩薩の菩薩行をする一人です。初歩の初歩の初歩のところを歩いているって感じでしょうか。 っと、そんな感じで、 あと、秘密めいた事柄は別にないと思うけど〜。 このようにして、振り返ってみると、 助けたはずの女性に、なぜだか、悪霊をとばされて、畜生霊とその仲間達に邪魔をされ、社会生活的な落ち目な状況だとは思っていたけれども、 人生でこのかた、上がり目になった記憶もないΣ( ̄O ̄;)っと 余計な事柄に気づいて見た29歳の夏。 H22/8/28) (↑追加で、聖者方の教えを紹介しているならば、それは上がり目、上がらせ目だな、と気づいたので、29歳の夏に気づいた余計な事柄は本当に余計だったなと気づいてみた30歳の春と夏の中間)
本日の天気は良い。
H23年11月 H23年11月28日 本日の天気は良い。 最近の、メディア、芸能界等もいろいろと大変そうだなと思い。 要するに、そのような世界はありえる。と、多少なりとも精神的な世界は理解できますでしょうか。 (睡眠の中間。悟っている聖者は夢を見ない。(完璧に見ないとすると間違い。基本は見ないという理解でいいと思います。)。一般の人は睡眠での夢を見る。種々の想念を起こす、その想念の例えで すが、仮の例えであり、真実にはあらず。(想念の状態を自我であるとする、状態の存在であれば、ある意味(真実ではないけれども)真実。)「猿の転寝」の状態とも言われる。( 聖者 > 神 )申=夢を見る人は多くいるでしょうけれども、とりあえず、例えとしては、とりあえずそのような感じで。説明文なので、ここはあまり気にしなくてもいいです。
それら、そのような世界も含み、霊的な世界の全知者である人が、説いている教えに、聖者、聖者の教え、聖者の弟子、等それらにする悪行は、悪業が大きいというのは説かれております。
本日は、──── 文、省略 ────。
それが現在 畜生霊の教えを信仰するのは、キリストの教えと全く逆だと思う 俺はキリストの弟子ではないけれども、キリスト教を守護する立場をとる。
H24年4月15日(2012年) |