9月18日(2013年)
今日も月が美しく見えている。
なんであんなに綺麗に見えるんだべか。
おお、今日も綺麗だな、と。
あの月は、仏陀も見ていた。
イエズスも見ていた。
こころよい風。
静けさ。
貪欲と不善からの厭離。
喜。楽。
9月19日
本日は満月でございます。
またテロ側の同じ企業に叩かれている。
それは、テロ側企業はずっとそうなのか。
外道に行っているっていうのも、そういうのでわかるでしょう。
まぁ、テロのやつを聞いてれば、結構誰でもわかるだろう。
テロの愚行がホントに気持ちがわりぃ。
そういう愚かな集いに絡まれると最悪である、と。
身をもって体験しているが、
何で俺がそのような愚かな集いに絡まれなければならないのか。
ホントに最悪に気持ちがわりぃのである、と。
何でそんなに、乱れた集いとして悪行をしているのよ。
そっちのは、やっぱり小学生とかそのくらいだべ。
なんなんだべ。一体。
小学生とかのあれだもんな~。
私の事柄をいろいろ言っているみたいだけれども、
心、精神、中身が弱いのは俺でなくて、
そちらの方々なんでないのか。
子供は大人に相手にされない、と。
大人でも子供の話は聞くけれども、
話合いすらもきちんとできていない、できない、と。
そちら。
悪行がすぎて、すでに本当の成人(聖人)からも相手にされずか。
悪業積みすぎだから。
諸行は無常である。
その悪行・過ちをずっと犯し続けるということはできない。
その愚かな者は、その悪行の果報をいずれ受けなければならない。
また、はるがテロの集いの悪行を永遠に受け続けるということもありえない。
そして、縁によって耐え忍びと法を説くという善行の果報を受けることになる。
真理を何度も説くだけでも、悪魔側の心に、いろいろな意味で響く、こともある、と。
俺の心を読めばわかるだろうに。
自らがどのような処に赴くか、というのが。
そして、それは俺の答えでもあるけれども、
それは、仏陀の答えである。
う~ん、お尻の件か。
お尻のはホントに筋肉とられているって思ってほぼ間違いではないだろう。(または血液が行かなくなって筋肉が動かなくなっているか。)
お尻のはレントゲンもとっているから見れば、わかるだろう。
円輪筋っていう、勝手に閉じる筋肉が手術後に半分なくなっていたから。
筋肉が半分だけ動かなくなるっていうのも考え難いんではないか。
そういうので、まだしばらくは治らないと思う。
筋肉がなければ、もう治らない可能性もある。
円輪筋っていうのは、私は医者ではないので、名前があっているかどうかは医者にきいたほうがいい。
筋肉が半分ないっていうは、愕然としたから。
板みたいな筋肉。
あなた方は笑って、こちらを愚弄しているが、あなた方がつき従っているその者は完璧に悪しき行の者である。
私は、仏陀の教えによって、そのような者と親しんではならない。
幻想でも作り話でもなんでもなく、真実に、あなた方はすでに悪業の種を播いてしまっている、すでに悪業は為されている。
仏陀の弟子が苦しんでいる姿を見て、
悪魔側はよろこぶ。
天神は悲しむ。
仏陀の弟子に対する嫌がらせは、悪魔側の一種の快楽。
ラジオとかの嫌がらせももう、良識ある精神の持ち主の集いがやるような行いではないだろう。
『仏陀の弟子が苦しんでいる姿を見て、
悪魔側はよろこぶ。
天神は悲しむ。』
という教えは仏陀が説かれている。
仏陀の教えがそのままに、現実としてここにある。
以前どこまで書いたっけかな。
聖者方が悪魔をはらうのは悪魔のためにもなる、と。
全知者である仏陀が、悪魔を善行へと導くことなく、悪魔の悪行をみて、それをはらう。
なぜ、仏陀は悪魔を導かないで、はらうのだろうか、と。
もしその場で、教えを説くことによってその悪魔がさとりの道に入ることができるのであれば、仏陀は教えを説いてその存在を苦しみから脱する道へ導くだろう。
しかし、全知者である仏陀は、悪魔をはらう。
その時点において、その悪魔に教えを説いてもさとることはないのであろう。
そのように、全知者(すべての原因と結果をみる人)に祓われる生存は存在する。
そのように、教えを説き導くよりも、祓うべき悪しき存在というものは存在する。
要するに、良識の通じない存在というものは、存在するということ。
私だけではなくて、他の聖者の弟子の方々、一般の方々も、そのような存在に気をつけて進みましょう。
ちなみに、テロで数年間も無実の人を一方的に苦しめ悩ましているその者が良識ある精神の持ち主ということは、普通に考えてもないでしょう。
それゆえに、先に伝えていた教え、
『仏、目連に告げたまわく、
「汝宜しく之を知るべし。復卒暴なることなかれ、専心正意にして乱想をおこすこと無かれ。然る所以は、極めて悪行の衆生は調え難く、成じ難く、然る後乃阿鼻地獄の中に堕し、又彼の罪人は、人間の音声、言語往来を解せざればなり」と。』
聖者方の人々、そして、一般の人々は、テロ側の悪しき者とそれらに深く関わってしまっているその悪しき友にも注意されよ。
テロ側の悪しき能力者に注意されよ。
テロ側の方々。
あなた方はすでに悪しき道に導かれている。
9月22日
さっき訪問者が訪れた。
クリスチャン。
どのくらいたったかな。一年とかたったのかな。
隣に引っ越してきた若い青年。
ドアのところに名前が二つ付いて、
これ名前なんだ。
と思っていたら、二人住んでいるらしい。
さっき言ってた。
隣人のクリスチャンだっていうので、ドアを開けたら、
隣人だった。
以前に、私が階段をのぼっているときにすれ違ったときに、「すいませんでした」って謝られたことがある。
こっちは全く意味不明だったが。
そもそも、その謝っているのは謝ってすむ問題なのか、と思っていた。
どれを謝っていたのか知らないけれども。
理由も述べてくれれば、理解できるのではあるが意味不明。
若い時からそういう活動をしているのを見るかぎりでは、敬虔なクリスチャンなのだろうと思い、
その背景を見ると、一見して、善い心の持ち主であって、悪心をなくそうと努める人なのだろう、と思う。
善い心を持とうとする人は、年齢が若くても、聖者・聖人の道徳が身につく事柄(教えを学ぶ)をしている人も多くいる、と。
深く心相を見てではなく、その行いを一見して見たかぎりでの思い。
『賢者は自己を制している』と。
世界の信仰心のある人を見ると、そのように努めるようとする人・努めている人・制している人は大勢いるでしょう。
9月24日
シャワーを浴びてきた。
現在25.4°。湿度54%
扇風機が最初だけ涼しい。
Tシャツから長袖のシャツに衣替えしたので、右腕はすぐに冷たくならないのであった。
涼しいんだか、冷えてきたんだか、微妙だな。
冷えすぎる前に、扇風機ストップ。
22時30分。
今日は、もう22時30分だな。
本日の残りの貴重な時間をどのように使用するのか、と。
38分。
経典を読むだけでも、時はすぐに過ぎていくのである。
経典は毎日のように読ませてもらっているけどね。
読んでいる。
唱えているわけではない。
ブッダの教えは、その地方、その地方にあった言葉で伝えなさい、と。
お経を唱えるということ
仏教。大乗仏教のお坊さんに関して。
お坊さんがお経を唱えるとき、「なんたら、かんたら、ほにゃらら云々・・・」と日本語にして日本語にあらずな言葉で教えを説いても、一般の人は意味を理解することはできないであろう。
そのお経の内容を聞く意味を知らない一般の人は、「おそらく、ありがたい言葉なのだろう」というような感じを受けるだけであって、その人自信はその智慧の言葉を理解しているわけではない。
『〔多くの訳には「神呪を語り」となっているが、原始仏教の修行生活にはそぐわない。原始仏教一般では神呪を唱えることを排斥している、という事です。
神呪は祭司の方であると思います。』
仏陀は神呪を唱えることによって、大勢の衆生を導いているわけではない。
真理の言葉によって、衆生を導いているのです。
あなたの檀家さんは、あなたの唱える(日本語にして日本語にあらずな言葉の)お経によって、真理の言葉を理解しましたか。
ブッダはこのような事柄もすでに予見されていたのだろう。
と、いう小話でもって、本日も経典を読んでお休みいたします。
9月27日
それでは、
聖書より
『不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受け入れなかった報いである。
そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、
こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、
そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。
そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、
あなたがたの心を励まし、あたながたを強めて、すべての良い業を行い、正しい言葉を語る者として下さるように。』
これは、どのような事柄であるのか。
(すでに)狙われているのは、テロ側の悪しき行いの者たち、あなた方である。というようにも受け取れるだろう。
真理。
仏陀の教え・聖者の教えから離れるべきではない。あなた方。
教えでは、悪しき行いの者が地獄に行くというのは、
要するに、
仏陀曰く
「比丘たちよ、その盲目の亀が、百年に一度だけ海面に浮かんできて、ついに、そのクビキの一つの孔に首を突きこむというのは、比丘たちよ、それは、煉獄に堕ちたる愚かなる者が、ふたたび人身を得るのに比ぶれば、まだ速やかである、とわたしはいう」
そこでは、善業をして善処に赴くというように、善業をなすことがすでにできない。
あなた方は、だいたいの人は、なぜ、ここに人間の自分として生まれたのかを知らないでしょう。忘れてしまったのか、どうなのか、現在の自分の記憶にない。しかし、何故か人としての生を受け、そこで喜怒哀楽を感受しているのである。
それと同じように、地獄に生を受けるとしたならば、どうなのだろう。
地獄に堕ちた者は、記憶にないのかもしれないが、それにはやはり原因がある。地獄に堕ちたのは、悪業、その原因の報いの結果である、と。
「その盲目の亀が、百年に一度だけ海面に浮かんできて、ついに、そのクビキの一つの孔に首を突きこむというのは、煉獄に堕ちたる愚かなる者が、ふたたび人身を得るのに比ぶれば、まだ速やかである」
そして、再び人身を得るというのは、いつになるのだろか。
ブッダの教えの喩えで考えれば、どれほどの年月がすぎたころとなるのだろうか。
あなたは、そんなものはあるかどうかわからない。と言うこともあるのだろう、けれども、そのようにして、そのあなたの現在の短い人生を終えた後に、地獄というところに生を受けてしまった時にはもう遅い。
そこから救いを求めてももう遅いのである。
現在、あなたは善業をなすことができる。
9月29日
N×KFMの×ングアプローチっていうラジオ番組で悪語を言って笑ってたけど、あれも問題あるだろう。
N×Kがそういう状態なんだから、他もやっぱり同様なのかな。
内部がかなりあれてるね。
N×Kって、日本で唯一、良識があるような局ではなかったのか。
そういうイメージだったけど、壊れたな。
唯一っていったら、他の局に失礼か。なんていえばいいのか。
唯一、エロとかがタブーな感じの局のイメージかな。
ん、そうかけば、他の局がエロはタブーではないみたいな感じに受け取られるのかな。そういうのでどういう規制があるのか詳しくは知らない。
N×Kは家では一切見ていないよ。
我が家にテレビはないのであった。
以前、友人にアナログの15インチくらいだったかな、テレビをあげた。
パソコンのテレビのやつも買ったけれども、家のパソコンでは一回も使用してなかったと思うけど、それもあげた。
携帯のテレビはあるよ。
N×Kは、携帯で一切見ていない。
なぜならば、視聴料も払っていないからです。
なんだったかな、テレビを見ませんっていう手続きをしたので。
何申請っていうのかわすれたけど。
実家では見てる。テレビがあるので。
携帯でチャンネル回すとき、スキップ機能がなくて、順番に回るから、ちょっとあれなんだけど、とかちょっと思いつつ。
数字を押せば、チャンネルきりかわるんだけども。
あれ、広告をつければ、他の人も負担にならないんではないのかな。経営の仕方か。何故にNHKだけ、視聴料をとるのだろうか。
検索は、まぁ、別にいいか。
そういえば、霊的現象のなんかヘンな声が入るとか全くなくなってるね。
あれ、どうなったの。
やっぱり、あれも嫌がらせか。
その悪行の数々。
やっぱりって変だな。
やっぱりってつけると、いろいろ違う意味あいが生じてしまうかな、と。
900でハゲって言った。
いま900聞いてるよ。
昔の日記の「ハゲ」っていうのは、真実で、誰の事柄なのかは知らないですよ。
どこの神だかは知らないけれども、上級の微細な神霊を見れるような能力は普通に見て、おそらくないだろうから、誰かを喩えて言ってたのかな、どうなのかな。何を見て言ってたのか、と。
たまに、考えるときがある。
たまにって、そんなに多くはないけどね。
畜生霊が神霊に化けたら、身体の色が青っぽいという話は、言われている。
霊的な存在で、「わたしは神だ」とか、名のある神名だ、ということを宣言してしまう存在はよくよく審神したほうがいいだろう、と思う。
いいだろうっていうか、よく審神しないと騙される可能性も高い、と思うよ。
昔、私の前世を、自称能力者であるという人に見てもらった事がある。その人の話では大物主の魂がどうたらこうたらって言ってた人もいた、他は、以前は、経験なクリスチャンだったという人もいた。
見る人によって、様々な視点からいろいろ、なんか見ているのか、見せられているのだか。
あと、あれだね。
悪霊なんだかどうだか、知らないけれども、自分が天照皇大神だという霊もいた。男性の声。
あ~、そういえば、若い男性の声もしてたわ。悪霊の「さえ」だけの声だけでもないか。たしかに、若い男性の声。
ちょっと、思い出して書いてて面白い話になるのだけれども、
自分が天照皇大神だっていうもんだから、
伊勢神宮に直接電話をしたことがある。
う~ん、微妙だな。ものまねで、若い男の声か。
あとから、それをものまねだと思ってたんだわ。
後に、若い男性の声は聞かなくなったので。
その大物主っていうのを言われて、日本の神様を結構調べて、多少日本神道に詳しくなった。
声が聞こえる、という状態は、病名でいうと、統一性障害だったかな。
どれ、検索。
その統一性障害だったかという、まぁ、憑依の人もあるだろうけれども、私のHPのを読めば治るという話。
念を読んで、これを書かせるとかいう話は全く悪しき者の業なので相手にしない方がいいよ。
幻聴が聞こえるとかいう状態があって困っているそういう人にも、私のHP(仏陀の教え)を信じてみるように言ってみてあげると善いでしょう。
その症状は改善に向かうでしょう。
その本人にもよるだろうけれども。
深く深く(悪しき想念を)考えすぎ(惑わされ)ると、やられちゃうから。
私の場合のは、(テロ側の)悪しき者達が悪霊と一緒になって嫌がらせをしていたので、非常に意味不明だった。最初の頃。
一般の幻聴が聞こえるという人は、テロの悪しき者達の嫌がらせがない分、早くにそれらを理解することができるということもありえるでしょう。
あれ、男の声はどうだったか。
日記に書いているので、興味があれば、そっちを見ればわかるでしょう。
そもそも、天照皇大神は、男性か女性か、というのもいろいろ言われがあったので、その時は悩んだ。
ん、男性の声。
日記をみてみるか、と。
日記が長い
詳しい詳細は、書いていれば、書いてる、と。
若い男性の声は、深く気にするところでもないので。
どこから、話がずれたのか。
どこぞの神の話からだな。
でもね、そういう話でも、何の霊的知識もない人であれば、かなり大変だと思うよ。
私の場合は、そういう知識がそれ以前からあったので、一つ一つ理解することができたけれども。
以前に、狐憑きの人の狐の霊と、戦ったことのある能力者のところにもいったけれども、九尾っていうので、怖がっていたからね。狐とやりあったことがあるので、狐の霊がしつこいっていうも知っているのでなおさら。私が一般の人に、霊的な現象の話をすれば、「この人は何を言っているのか」と思われるような話も、その人は言っている意味も理解していた。
まぁ、しかし、結局、その人にも怖がられて、最後には「帰って」ってうふうにも言われたからね。
あのときもまた、それを死の宣告みたいに感じたけどね。
そんなプロが怖がるのであれば、これはもう・・・、と言う感じ。
その時、はるはかなりのショックをうけたのであった。
これもホントに。
で、しょうがない、自分でやるか、と。そういう感じだった。
仏陀の教えで、除霊の方法は記されていない、あるとしても、密教ということで思っていたけれども、それは悪霊に対する知識も足りなかったので、そう思っていて、要するに、当初は、真理の言葉と、除霊等の話は別の話という風に捉えていたのだけれども、
そういう事柄に関しても、
ゴータマ仏陀の教えは別格だったと。
まぁ、しかし、現在では、そういう若かりし頃の霊的に意味不明なできごとも理解できるわけで、霊的な恐怖も全くなく。
逆に悪霊が、真理に怯えているっていう感じかな。
その仲間の悪しき者達も悪霊と一緒に悪業を積み重ね、どちらもその報いを受けるまでは、快い事柄にあうこともあるだろう。(仏陀の教え)
謎が解明される、解明される。それはもう、仏典を読むのも、聖書を読むのも心楽しいわけで。
他の霊的な書物も謎が解けるのが、すごく楽しい。それは、現在も。
魔術者の視点で、仏陀の教えが理解されるということは道理としてもない。
そこには寂静もないから。
なので、悪霊にも翻弄されると思うよ。
悪霊を使役していると思っていても、大きく見たら、悪魔に操られているのはその本人である、と。自らが悪業をなしているというので、それに気付ければ、まだ、いい方だろうと思う。
悪霊に翻弄されるって、こっちの想念に邪念やエロい念を起こされるとかいうようなレベルの翻弄ではなくて、真理でいう地獄にすすむ道に導かれているという翻弄。
人としての生存が今生で切れる。天上の生存というのは、望めるはずもなく。
後は、堕処の存在者、餓鬼、動物、虫等、畜生、そして、地獄という苦ばかりを受ける生存者となるだろう。(聖者方の教え)
そして、それを理解しやすく解き示しても、それを信ずることもできなくなっていってるところかな。
それは、すでに、その道に入って行っているので。
聖者の教えを信じることができないようにいろいろとすでに仕組まれているところもあるとは思うよ。テロ集団がではなく。(テロ集団もだけれども)テロ集団ごと悪魔に導かれているから。そんなのももう明白だろう。
何度も言っているけれども、見るのは、私の現在や過去の平凡・非平凡なことをしていた経験、または、私がしたこっ恥ずかしい過去の反省すべきところとかそういうのではない。
そうではなくて、見るのは、聖者方の寂静の教え、それを身につけなさい、と。
テロのあきらかな悪行もすでに見えなくなっている、それを悪行であるというように識別すらもできなくなってきているのだろうか。
霊的な悪しき生存は存在する。
あなた方はそれを知らないだけ。
私の道はすでに聖者方の方。後にすすんで悪事をするという心、思いもないから、死後に何の不安もない。
天上では、感受がダイレクトだろうから、歓びも楽しみも倍であるというのは、想像できないことはない、というけれども、想像を絶するくらいに快いという話もあるので、そういう点では、ものすごくラッキーというように、リアルに思っていたりもする。その快さにより苦というものを省みるということなきにより、解脱から遠ざかったら大変だな、というような思いもあったり、と。
しかし、その思いは別に禅定の妨げにはならない。そこに対する執著があればさまたげになることもあるだろうけれども。
あなた方、悪しき業をすでにしてしまった者達は、すでに仏陀によって、イエズスによって、他の聖者によって、その悪業の報いは受ける、そしてその悪業の報いは悪いと言われている。
その悪しき業による、死後に対する恐怖心は禅定、または、祈りの妨げになる。
9月30日
久しぶりに大物主神のことをちょっと、見ていたが。
結構、説がいろいろあるのよ。
日本神道は他の事柄でもいろいろな説がたくさんある。
日本神道の教えもいろいろな昔の書物よんでれば、迷うからね。
みんな好きかってなことを言っている。
そして、そのような書物が出回っている。
どの説が本当なのか、というのもわからないから、とりあえず、いろいろな書物の説を伝えてしまっているのだろうか。
歴史が謎。
きちんとしたところでは、真伝がのこっているのかな、と。
書物によって、同じ事柄で意味が違うというのも多い、という印象。
日本神道の書物で記されている仏教が、そもそも仏陀の教えの仏教でない仏教の事柄を記しているのも多い。
大乗仏教ですら、誤りがあるのであれば、日本神道から見る仏教は当然そうなるということか、と。
以前も、日記で同じような事柄を書いたか。
大物主は金毘羅神の方の大物主っていう話だったな。
?だか本当だかは知らないけれども、もし自分がそういうように言われて、それに気が向いたら、それについて調べるでみるもんでしょう。
金毘羅権現者、大三輪明神也云々、一説スサノオの尊也。
どう、これ。
これ、こういう風に本当に書いているから。
日本神道の神名は、合体させるのに自由度がありすぎて、後の人たちが迷う。
神仏混淆とか。
合体説、自由気まま。
そういうので、真伝が伝わると思っているのか、と。
ちょっと、厳しく言っている感じで言ってみたりもする。
しかし、昔の説だからね。
昔、小学生の時、並んで後ろの人に伝言を伝えていくというゲームをやったら、最後の人が全然違うことを言ってた。
たしかに。
そういうこともあるだろう。
喩え方が、ミスマッチだな。
日本神道の説っていうのは、統一は難しいのだろうか。
Aさんいわく:「これが真伝です。」
Bさんいわく:「いえ、この書物のこれが真伝です。」
Cさんいわく:「いいえ、それは間違いです。真伝はこれです。」
はるいわく:「とりあえず、それらの真伝で伝えられている仏教(仏陀の教えの認識)は間違っています。」
このように、みんな発言が自由だったりもする、と。
10月1日
聖書を読んでいたら、思い出した。
そういえば、今日も虹がでていた。
「Prayer」を久しぶりに聞いていて、その映像を見て思い出した。
10月3日
いやはや、どう見てもそちらは無理。道理にない。
本日の嫌がらせも含め。
基礎がもう愚行で出来上がってきている。
嫌がらせがラジオとセットになって嫌がらせをしているのだが、
こういうのももう数年たつか。
よくそういうので、裏っ側をやってたね。(支配できてたね。)支配していたのか。
そうでないか。
そういう集い。
そういうように公で叩けば、こちらが犯人であるから、このように公で叩いているんです、という感じになるというのもあるだろう、ってか。
まぁ、そうであれば、それも含めて、基礎がもう愚かな思考からでているのも、諦らかである、と。
しかし、前からテロ集団にメディアはほぼ盗られてるようなものだ、というのは記してなかったかな。
叩きがはじまった頃、メディアとかいろいろなので、いきなり叩きはじめれた。
そういうように、もうテロ側の愚かな行為に使用されるように、メディア自体がなってしまっていたってことだ。
日本のメディアの場合。
ニュース番組を見れば、どのニュース番組を見ても、同じニュースが何度も何度も流れているわけで。
そんな難しい話でもなくて。要約すれば、それらの事柄は単純だ。
お、大言壮語っていうのも、あれか。日本神道の話で。
あれは、知らないけど、ホントに言ってたからね。そんなのは別に気にしなくていい。
しかし、ホントに無理なんだな~。
その団体さん。
教えのとおりに、愚かな行為をしている。そして、それを繰り返し繰り返し。
堕処に赴く者という教えにぴったりと合っている。
ジャストフィットだ。
まぁ、微妙なあれになってるけど。
ジャストが残念ながら、喩え違いかな。
テロ(悪心の者)の集いがメディアを操作するという体制には問題がある。
それは、日本のメディア。
まぁ、現在は北海道のラジオはテロ側の支持(指示)ですぐ動く・動いているというような状態であるが、すでに述べているように、日本のメディア自体ももうすでにテロの指示のもとで動いてしまっているような状態だから、
う~ん、テロ側の者をちょっとさぐり出して、メディア関係から離した方がいいだろう。
テロ側に誘導されると、他の人たちが困る。
北海道のラジオすら、テロ側の翻弄する情報とかも、ほとんどの人が迷惑に思っているだろう。
俺に嫌がらせして、俺が何した、かにしたっていう、そのような状況、?を含んだ情報(歌等も)もいろいろ流しているが、別に俺の現在のようすを聞いて、なんなの。
誰かに何かがあるのか、それは、と。
で、そういうのを自分で聞く俺はなんなの。
そういのも含めて、ガッツリと迷惑なんだけど。
まったく理由も知らない一人の人を、数年間も大勢で、笑って嫌がらせをしつづけるというその愚かな悪しき行い。
そのようなあなた方の愚かな行いを、それをじっと見続けてきた人から、はっきりと言われて、あなた方は自らでそれを理解できるだろうか。
まぁ、ね~…。
もう、引っ張っられているようなもんだろうから、いくら言っても、もう届かないかもしれないけれども。
自らの心の内、我から真我へと、ひっくり返るとき、または、ひっくり返りそうになるとき、それらの悪しき行いの後悔は、恐ろしいものとなるだろう。
すでに悪しき行いを後悔している人も、結構いるだろうけれども。
と、そちらのテロの集いに対しての話、あるいは教えにしても、(その者たちがそこより上位の教えのところにいないので)こういうような話のレベル、段階の話になってしまうのだけれども、
仏陀の教えは、まったくそういうレベル・段階の話ではない。
今までの、私自らの対応を見ても、まったくもって、そちらの集いに対すれば、次元の低い低い話ばかりとなる。
そのような、あなた方の悪しき行為をあなた方自らで見て、以前に話をした、あなた方の三途の川の話は理解できただろうか。
しかし、ホントに堕処に赴く者という教えとぴったりと合ってる。
あなた方、選ばれし者の逆バージョンだべさ。
聖書では、そういう人を破滅の人と言う。
そっちの道は、その言葉のとおりに破滅してしまうから行くべきでない。
と我、思ふ。
聖者方の言うことを聞かないもんだから。
魔術士とか愚かな者の言う事を聞いてしまっている。
そんなんじゃ、あかん。
関西弁で言ってみたりもする。
多分、関西弁だろう。
一応、私はこういう感じであるけれども、
聖者方の教えは真実であり、真理なので、それらの善なる教え、法は、
本気できちんと受けないと、あとから後悔しても、もう遅い、ということになるだろう。
それが、真理。
あなた方の悪しき行いにたいする、あなたが受ける悪しき報いもまた、真理。
テロの集いの嫌がらせ等、私をなき者にしようというような行い。
そのように私を裁こうとしているのもあったが、あなた方が私を裁く権利は一切ない。
あなたは神にでもなったつもりなのだろうか。
あなたは神ではない。
10月5日
本日は
今日の出来事
本日、積立の保険に加入するという話だったので、保険の営業の女性の話を聞いて契約をしてきた。
病気や怪我等の記載があったけど、入院保険とかではないので、日付等の書込みはだいたいでいい、と。
(私)はる「あれ、入院したのいつだったっけなー」
保険の女性「だいたいでいいです」
はる「じゃ、多分、この頃だったかな」カキカキ
はる「あれ、これはいつだったかな」
女性「だいたいでいいです」
はる:そうか、では、だいたいこの頃かな。カキカキ
はる「この病気治ってないけど、どうなんですか」
女性「病院に通院していないのであれば、治ゆという記載でいいです」
はる:そうか、では。カキカキ
───
女性「受取り人のところに書いてもらうのを忘れましたので、受取人の方のお名前を書いてください。」
はる:それでは、父の名前を。カキカキ
はる「あれ、(父の)誕生日はいつだったっけかなー」
女性「だいたいで、いいです」
はる:それは「だいたいすぎるでしょ」
という、話の流れでの契約をしてきた。
入院保険ではないので、だいたいでいいらしい。
10月8日
(更新)
一般的な事柄に関しての教えについて
10月9日
食事を終え、ひと息。
おいしい豆腐であった。
今日もテロ集団の執拗な嫌がらせを受けた。
良識ある団体でないのももう明らかだからね。
ほぼ仏陀の教えの通りに推移している、と見れる。
イエズスとその弟子の方の話の通りにも推移している、と見れる。
そうそう
あなた方は団結をするポイントをガッツリと間違っているのではないだろうか。
とりあえず、あなた方のそれらは、死後に善処に赴くというのは無理(道理にない)。
あなた方のそれらの行いによって、仲間であるあなたが死後に堕処に赴くというのは可能。というか可能性は大いにある、と。そして、すでに、可能生は高い。
そして、そういう者のあつまりでもって、悪魔側に誘導されているのでその可能性は更に高くなっていってしまっていると。
確立で言っても、すでに結構、高いんでないんだろうか。
そういう団体っていうのは、誰が見ても愚かな行為をしているとしても、それに所属している者は、自分達の仲間同士での暗号やら、秘密のサインやら秘密めいた感じを出したりして、自分達の中での共有というか、自分達は仲間であるという意識をもたせて結束力を高める。
例えば、メディアで私はMですよー、、という、Mという団体に所属している者が、その仲間であるものが見れば、すぐ気付くようなサインを手で出していたとする。〔はるはMとかそういうものの仲間ではない〕
そうすると、それを知っている者は”おっ!、この人は仲間だ”と思って、
仲間であるという意識が生じる。
そのようにして、そのメンバーの者自身にこれは私達だけの秘密のサインであって、私達以外には内緒。私達は秘密の仲間である、という感じで、仲間意識が生じてくる。
そういう、秘密めいたことをしつつ、仲間意識を生じさせると、
次第に結束力が生じる。
そうして結束力が強くなったら、今度は、そのメンバー自身に自分達の団体というものを守ろうとする精神が生じる。
これは私達だけの秘密である。
行動も私達だけの秘密である。
裏の計画も私達だけの秘密である、と。
これは、秘密である。
よって、私達の団体を邪魔するやつは排除する、というような感じ、もある、と。
よって、それに反対するものを排除したりなんだり。
まぁ、真実として、力ある天上の神々・善なる存在は、そういう一般世俗的なのももうまる見えだろけれども。
(テロの者等の悪しき行いの者は、死後にでも、力ある神々からは、おそらく相手にされることもないだろう。生存中は悪しき仲間内で、ちやほやされるくらいか。数えれる位の年数の期間だけ。)
あなた方は、自らの団体(仲間)が愚かな行いをしていても、それに同調してしまい、自らの眼が盲目であるということに気づくことが難しい。
そして、もし気付いて、それに反対するならば、排除される、と。
仏陀のおしえ。
「悪しき仲間、悪しき友に親しんではならない。
善き仲間、善き友と親しみなさい。」
”秘密の暗号は、私達の組織の場合、スケールが大きいので、実際にスケールの大きいサインを出す”
たとえば、建物で暗示したり、メディア総動員で暗示したりとか、かな。
もうね、そういのを見たり、見せられたりすると、
ホントにね。
小っちゃい団体だな、と思う。
能力者のは、あれだ。
仏陀の弟子でダイバダッタがいたが、ダイバダッタの話をきちんと読んでみた方がいいでしょう。
ダイバダッタの行いが、悪しき事柄に能力を使用している、そちらの者の事柄とほとんど同じパターンだろう。
心の出来ていないものが、神通を手にいれると、道を一気にはずれてしまう、と。
神々の主であるサッカの話の意味も、理解が難しいのだろうか。
小っちゃい団体という意味は、
小っちゃい団体(人間の中身・内面がとても小さく見える)。
例えば、
聖人(成人)が不在であることによって、道徳に暗く悪しき思いの穢れに気付くことがむずかしい。
聖人(成人)が不在であるので、畜生霊等、悪しき存在に関与され操作される。
聖人(成人)が不在であるので、聖者の教えに暗く、人という存在、人の子として、自らの行き先も不明。他者を導くということもできず、と。
私は仏陀の教えによって、悪しき者と親しんではならない。
要するに、詐欺士とか、嫌がらせをしている者の集いと親しんではならない。
10月10日
今日もおいしい豆腐であった。
現在ラジオでも叩かれている。
本日も嫌がらせを受けている。
いやいや、知ってて言ってるでしょ。それは悪業。
あなた方は、楽しんで悪業を積むようになってるみたいだけども。
自分の進んでいる方向が理解できないんだろうか。
だべさ。
あなたの仲間と親しめば、そのようになる。そして、すでにそのようになっている。そして、自らで気付くことができない。
団体意識に流されずに、自分の心をきちんと見ないと気付けないよ。
そういうのを見ても、やはりテロ側が一般の衆生を数日で洗脳は結構難しくはない、と。
俺のお尻の話に、テロ側がものすごいよってくる。
それは筋肉を取られているからしばらく、なおらないか時間がかかるって言っているでしょう。
手術前はきちんとなっていた筋肉が、手術後に半分なくなってるから。
そんなのは、自分でもわかるって。
そういう悪業をすでにしているんだよ。あなたの仲間が。
自分らで筋肉をとって、それを愚弄するという、人間としても、最悪な行為以外にないだろう。
だから、そっちのあなたの仲間は、良識がないのは、もうはっきりしている。
板のような筋肉が半分なくなってるから、半分だけ筋肉で堅くなっていて板のようになっていて、半分は筋肉をとられたから、やわらかくなっている。
だから、愕然としたと記したでしょ。
筋肉をとられたので、おなかのガスが漏れてしまう。
もう、それはしょうがない状態。
なので、便がもれなくてもガスのにおいがする。
ちなみに、普段、便はもれていない。
便はきちんととまるようす。
お尻はきれいにウォシュレットで清潔にしていて、見ためはプリプリなのだが、いかんせん、見えないお尻の中身の筋肉がないと、これは本人ではどうしようもできない。
──
しかし、これもまた困っている事柄ではある。
テロ側のあなたの仲間はもう悪業を完成させている。
とりあえず、普通に私の生活を保障してもらわないと困る。
あなたの仲間はホントに、良識が抜けているよ。
冗談で言っていると思っているのだろうか。
冗談ではない。
あなたの仲間は嘘に嘘を塗り重ねすぎ。
「愚か者と言ってはならない。」
テロの悪行は、愚か者の行為でしかない。
愚か者の行為っていうのは、間違えていると思いますか。
あなたの仲間はことごとく、仏陀の教えでいう、愚か者の行為をしている。
いや、
テロ側のラジオとかを聞いて、他の人も、「誰が聞いても頭がおかしい」と言っている。
そちらの悪行はホントに、誰が聞いても頭がおかしい、と思うだろう。
そのように、それだけ、毎日のようにず~っと嫌がらせをしているのが、あなたの仲間達。
テロ側の事柄を記すと、毎度毎度同じような次元の低い低い話になる、と。
数年間も、犯人ではないこちらを犯人にしたてあげようとしつつ、嫌がらせをしつづけてるあなたの所属しているその偽善者の集う団体は、道から外れすぎている。
あなたの仲間は道から外れすぎている。
それらの悪業は、表でなし
で、
さらに裏でもない。
そして、
天上でもない。
『数年間も、犯人ではないこちらを犯人にしたてあげようとしつつ、嫌がらせをしつづけている者』
このような者は、仏陀の教えでいう、愚かな者であるか、否か。
どちらだと思うだろうか。
う~ん、そちらの仲間の偏見あるもの、無知が高じて偏っている者が、荒らしているのか、と。
あなたの仲間のその者の悪業を、その友であり、仲間であるあなたが(も)止めるべきだろう。
良識があるのであれば。
私の中では、(可能であれば)悪業を止めてあげるっていうのは、かなり普通の感じであるんだけれども。
そういうところは、普通ではないんだろうか。
テロのあなたの仲間の悪行と、私とか仏陀の弟子の普通という基準がかなり違うんだろう。
さっきもそうだけれども、他人の不幸を笑ってそしっている、しかも公共電波で。
そういうのも、私の考え方の中では、そういう精神・思考は、普通ではない、と思う。
しかし、そちら、あなたの仲間は毎度毎度いつものように人をそしって笑っている。
そのあなた方とその仲間のその悪しき行いもまた、仏陀の教えにあてはまっている。
あなた方のその罪のない仏陀の弟子にたいする行為は、これもまた悪しき悪業である。
仏陀の言葉
『嘘を言う人は地獄に堕ちる。また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者ともに行為の卑劣な人々である、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に堕ちる)。
害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪〔い報い〕がもどってくる。風に逆らって微細な塵を撒き散らすようなものである。
種々なる貪欲に耽る者は、言葉で他人をそしる。──かれ自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。
口穢く、不実で、卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪行をなす者よ。下劣を極め、不吉な、でき損いよ。この世であまりおしゃべりするな。お前は地獄に堕ちる者だぞ。
お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑(地獄)に陥る。
けだし何者の業も滅びることはない。』
そちらのあなたは、自らがどのような道を歩いているか、知らない。
または気付いていない者がいる。
気づいるのであれば、仏陀の言葉のとおりとなる。
気づいていなくても、仏陀の言葉のとおりとなる。
それが、この世とあの世の摂理と言われるもの。
それが、法(真理)。
HPで悪業の報い、返りの教えを紹介していないから、まだ、そういう悪業の果報の事柄をどのようなものであるかというのを理解できていない・知ってはいない、こともあるだろうとも思うけれども。
いや、ホントに大変だと思うよ。そちらの人は。
あなたの友の悪業は、聖者方の教えで言えば、天上へ赴くというのは、道理としてもないからである。
一番大変なのは、禅定に心の障りが出ることである、と私は思うけれども。
禅定の話をしても、わからないだろうか。
あなたの仲間の行いは、正定への道が、心の障りによってガッツリと絶たれているようなのに近いものがあると思うよ。
仏陀がどれほどに禅定の教えを説かれたことか。
正定ができない、ということは、悪魔の力のおよばないところに、あなたが到達することも極めて難しい。(おそらくほぼ無理)
そして、あなたの仲間もテロ側にすぐに洗脳されているのと同じように、悪魔に洗脳されても、気付くことも難しい。
それに、気付いている人に忠告してもらって、やっと気付ける感じだろうか。
ちなみに、はるのHPによって、善い意味で洗脳っていうか、信仰心が生じた人はどうなるか。
善行をしたくなる、という作用がある。
本当の子どもたち(幼稚園児や子供たち)に教えると、善行という基準を知ることがができるので、そこから、善業を知って成すことができる。
純粋な時に、清浄な基準を知れば、その時点でも、テロの友であるあなた、よりも善なる人とし立つ可能性が大きい。
(春は)子供たちが優しい心ある人として育つのは、見ててもこころよい。
私、つしまの中では、そういうのも結構普通にそう思うんだけれども、そちらの方はどう思われるか。
10月13日
今日もまたラジオでたたかれている。
つしまがないらしい。
つしまがないっていう者が、なんか、どうしても「さえ」っていう者を信じたいらしい。
そちらは何か、呼び合うってしまうものがあるのかもしれないな。
ま、私が近づくことがない共感だろう。
道理を理解しやすく説いているのだが、ふざけてるから、仏陀の言葉も届かない、と。
その主張をわざわざ、そこで言う必要もないとも思うけれども、俺に主張をしたいのだろうか。
あなたの所属を告白されても、別にそこに興味はない。
他の人は、興味あるのかもしれないけれども。
というか、俺のことを口にしている人もいるけれども、私がその人を知らないのが多いからね。
また、カリカリって。
テロの者はずっとそういう感じ。
無差別テロはなんなんだ、と。
と。
有名かどうかとかの話のか。
どう見ても、有名になってしまっている。
ホントに毎日毎日無差別テロの者の悪行が気持ち悪い。
テロのあなたの仲間の友は、大勢の人がその悪行(ラジオ等も)を見て愚かな行いと見ているのに、本人達は気づいていないのか。
と、今日もまた同じような内容を記す、と。
今日も虹が出ていた。
虹は結構見るね。
そちらの、あなたの仲間でしょ。
その悪行は。
仲間ではないのか。
どういう関係なんだ。
まぁ、しかし。
そちらの交友関係にも、別に興味があるわけでもなく。
そちらの悪しき友と親しんでいる者は、私に近づかなくていい。
私もそちらと親しむことはない。
話は変わって、私の名前を出して謝罪をしていた人がいた。
以前にもいたけれども。
その人の善性が、それにあらわれているようで、その念もその人の善心からきているものがあるだろう、と。
純粋に本心からそのように言っているのであれば、その当の本人も、その悔いあらためによって、(禅定でも)寂静に近づく、と。
『「罪悪を罪悪として見よ」という、これが第一の教説である。
「罪悪を罪悪として認め、それを厭離せよ、離貪せよ、離脱せよ」という、これが第二の教説である。
比丘たちよ、尊むべき人であり、正しくさとられた人である真理の体現者に、この二つの教説が生じる」
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
すべての存在に対して憐みぶかい仏である真理の体現者が説く二つの教説を続けて知り(学び)なさい。
すなわち、罪悪をはっきりと見よ、そしてまた、それを離貪せよ。罪悪より離貪した人々の心には、苦の終末がもたらされよう。
このことをもまた世尊が説かれた、と私は聞いている。』
その行いは、仏陀の教えにあてはまる。
善なる教えを知って、罪悪を罪悪として認め、それを悔い改めて、罪悪から厭離、離脱して仏陀の教えに近づいてくる人がいる。
善なる教えを知っても、罪悪(悪業)を積み重ねて、仏陀の教えから遠く離れて行く者もいる。
生放送ではっきり言っているのも、はっきりと聞いているけれども。
いや、全ての悪行が「さえ」っていう者のせいではないだろう。普通に考えて。
それを助長しているあなたもその悪しき者の仲間。
「さえ」というものと、他、詐欺士のせいにすれば、私が何かを書くとかで、騒がせている者も同じく、あなたも悪しき者の仲間。
テロはあなたとその友の悪しき行いによってなっている。
いやいや、基本的にこっちは全くわるくないからね。
なんか、勘違いをしているみたいだけれども。
なんか、テロに洗脳されて、方向が洗脳されている方向でしか見えにくくなっているのか、と。すでに。
だいたい、前からのテロのメンバーってわかってきているんだろう。
煽っているのも、だいたい同じだべさ。指示しているのも。
その少数の者が、犯人の友の仲間。
こういうのを記すと、薬物でもやっておかしくなっているのか、というような音楽。個人に対する嫌がらせの歌がラジオでかかる、と。
だいたい、こういう感じ
でも、だいたい嫌がらせの音楽はそういう感じのが多いね。ヒップホップ系とかでそういうのが多い。そういう、ヘイヘイっていうノリの若者の音楽。ま、他のでもあるけれどもね。
10月13日
テロの仲間がここぞとばかりにでてくること。
なんで、俺に近づいてくるのか。
ストーカーみたいなものだ、と。
まぁ、それも最初の頃から同じようなもんだけども。
え、あなたは嫌がらせをしつづけているストーカーと親しむことができるのか。
そういうストーカーのような者にあった経験がないから理解できないところもあるんだろう。
仕事から帰ってきて、買い物に行ったら、工作の者がたくさんいるんだけど。
やはりテロの連中が気持ち悪い。
なんか、そんなにたくさんじゃないみたい
そんなの、知らないっつうの。
ホームセンターで煙突を購入してきた。
さっきは、煙突の径が2種類売っていたので、サイズをどちらか迷ったので、一回家にもどってきたのである。
他、買い物をしてきたが、おそらく、煙突の長さが一本たりないだろう。
失敗をしたのであった、と。
いや、微妙な長さだ。
つめればなんとかいけるかもしれない、と。
外は風が冷たくなってきている。
人により受け取り方が異なっているね。
本日の日記の文章の受け取り方。
買い物の話は、
え~と、その前に、
おいしいラーメンであった、と。
食後の感想は必要ないべか。
買い物の話は、前に話たように、通りとか近場の人にそういうようにさせている工作員がいるようす。あと、工作員その者。
日本のヤクザの人が動いているのかは、どうなんだろう。
それは、知らない。
ヤクザ。
ヤクザの話。
昔、そういうのに誘われたことがある。
あれは、私が若い頃、アルバイトをしているときだった。
店の店員をしていたことがあり、
シーマに乗ってた二人組の男性が店にきて、果物を買っていったとき。
二人ともスーツで、一人は別にそういう人かなっていう感じであったが、もう一人は目がすわってる感じだったので、あきらかにそういう人だろう、と。
そういう感じがすごく出ていた。
贈り物用にノシをつけるのに、名前を聞いて、その人を見てて、”これは”と思い、その、そちらの人だろう思う人に、「───名前───さんはすごいんですか」って、聞いてみたら、
あれ、その後、何て言ってたっけな。
その人は、自分のことをすごいって言ってたっけかな。
、その時に、そういうのに誘われたのであった。
そして、その頃、私の心は、すでに善を目指していたので、
丁重にお断りをしたのあった。
ヤクザっていうのは、あとは、若い頃の話。
重機に乗っていた若い頃の時の社長は、たしかヤクザだったらしかった。
いざこざがあったようで、会社に他のヤクザの人が押しかけてきたこともあったとい話もあったので。
(私は離れた所でユンボに乗ってゆったりと作業をしていたので詳しく見てないけれども。)
複雑な事情により、現在は、どこに行ったか姿が見えないけれども、私に対しては優しかった記憶が強い。その会社も現在はなくなってしまった。
あとから、社員として増えていた次長もたしかヤクザだったらしかった。背中にしょってたという話なので、そうだったのだろう。その人も別に、怒られた記憶もなく、中身は知らないけれども、怖い印象はまったくなかった。
あと、若い頃にヤクザを止めた(たしか、自分の友を裏切ったり、傷つけたりするのがいやでたしか辞めたらしい)知り合いの社長がいるが、その人は仁義があるって感じの落ち着いた人で、その人は義理が普通の人よりもあつい感じに思っているけれども。
ヤクザという人もまた、いろいろな人がいるようであるからね。
そういうので、私個人の中では、ヤクザというのは、そういうイメージがある。
若い頃は、そういう娑婆の世界の話よりも、真実の霊的な事柄の方に興味があったのであった。
まぁ、実際にそういう話にも興味がなかったので、その時の社長が実際にやくざだったのかは定かではない。
しかし、そういえば、本人が自分のことをヤクザだと言ってた記憶もないことはない。
というくらいに、私はそういうのに関心がなかった。
そう、若い頃、あれは昼食をしていたとき、
カレーを食べていて、その食べかけのを、その社長に「食べますか」って聞いたことがあった。
あれもまた、どういう話の流れで聞いたんだっけっかな。
まぁ、社長は笑っていたけれども。
そういう若い頃もあった。
若い頃、若い頃はユンボに乗ってたのは、以前に言ってたとおり。
お客が来ないときは、やることをやって、寝てたりして、よく場長に怒られたけども。
仕事でやることをすませてから。
以前から言っているとおり、まぁ、若い頃は、別に、たいしたことはしていない。
ヤクザのイメージの話は、ニュースとかで見ているのとかではなくて、個人として
あったイメージ。
10月14日
今日は、昨日か、アイディアを思いついた。
話はかわってしまうけれども。
パソコンのマウス
マウスパッドみたいパッドに手をおいて、爪を立てて、爪でもってカーソルをうごかすパッド。
こういうのはもう売っているんだろうか。
使いやすいかもしれない、と思った。
どうだかしらないけど。
えーと、昨日の話。
仕事中にユンボで寝ているという話。
あれは、上司の場長が、気分のいいときは、冗談まじりで、無線で「寝てていいぞ~」等を言ったりしていた。
そういう感じ。
あ、そういえば、ノートパソコンでタッチするのがあったけど、あれは使いにくかった。
思い出した。もうひとつ。
指につけるマウスはもう売っているけれども、それよりも前に指につけるマウスを考えていたことがあったのだけれども、
キーボードを定ポジションの指の位置でカーソルを動かせるように、
たとえば、左の手の小指でどこかのボタンをおしているとき、
空中で右の指に付けたレーザービームのようなの動きをよみとって、
カーソルが動くマウス。
なぜか、知らないけれども。
マウス。
世界中の人が使用しているハードなので、操作時間が短縮されて一秒でもはやくなると、一人一秒で計算すると、世界中の人口でみると、かなり時間短縮になる。とかなんとか。
処理能力の早いパソコンを使用するのが、手っ取り早い。
が、しかし、操作能力はパソコンの処理能力ではなくて、本人でもある、と。
キーボードから手が離れないで作業ができれば、時間短縮になるでしょう。
ノートパソコンのは、使いずらいので(慣れればいいのかもしれないが)あれのもっと使いやすいのがあれば、時間短縮。
でも、一回一回指にはめるという作業がどうだろうか。
万人仕様ではないのかな。
というように、新しいアイディアを考えたりするときは、いろいろ考えてみることがある。
文字修正。
指につけるマウスはもう売っているけれども、それよりも前に指につけるマウスを考えていたことがあったのだけれども、
キーボードを定ポジションの指の位置でカーソルを動かせるように、
たとえば、左の手の小指でどこかのボタンをおしているとき、
空中で右の人差し指等に付けたレーザービームのような指の動きを読み取る装置で、動きを読み取ってカーソルを動かす指マウス。
まぁ、そういうハードみたいなものは、自然と時間がたてば、使いやすくて便利な物へとだんだん進化していく、と。
簡単で便利。
パソコンも携帯もテレビも器械はだんだんと新化していく、と。
右の指でキーボードをこする感じだと、カーソルの動きが安定する。
キーボードをこすれば、指マウスが必要ないな。
キーボードマウス。
こういうのは、どうだべ。
そうか、片手で操作可能でなければ使いにくいこともある、と。
じゃ、右手の小指でどこかを押して、人差し指でカーソル移動。
とりあえず、カーソルをスタートボタンのところへもって行き、
本日のパソコンは終了。
10月16日
煙突がおしかった。
1本1mでなくて、90cmだった。
今朝は、再びマウスのことを考えていた。
爪のパッドマウス(小さい中で全画面端から端までカーソル移動可能)、を6、7、8、9、F7、F8、F9、F10あたりに挿入して、Shift を押しているとき、その隣り等にあるキーを押すと、左クリックと右クリックのかわりになる。
または左のA,S,D,F等を押すと、右クリックと左クリックに設定。
または、Shift を押さなくても、カーソルを動かした3秒とか5秒間の間はパッドの隣りにある近場のキーを押すと、右クリックと左クリックになるように設定可能。
キーを打たない場面だと、マウス操作だけだからなー
とりあえず、使いやすいのがあれば便利だね。
10月17日
煙突を買ってきた。
そして、つけた。
そして、ストーブの電源を入れた。
暖かかった。
そりゃ、そうだべ、と。
テロのストーカーが仕事の現場にまで入り込んできているんだけど。ストーカーはなんとなならないもんなんだろうか。
なんか、携帯で指示しているみたいだけど。
テロ関連のストーカー。
数年間もストーカー被害にあっているつしま君。
数年間もテロ側として嫌がらせストーカーをしているテロのあなた。
しかし、テロのもホントによくやるよね。
すでに、普通一般の人から見ても、この人達ちょっとおかしいと思われている部分が多々あると思うよ。
どう考えても精神が普通ではないところがある。
でも、テロの精神って、なんだ。
う~ん、テロの精神。
テロっていうか、すでに単なる犯罪をしている者か。
嫌がらせ、ストーカー、公共電波を使用してまでも悪口を言い。
ことごとく行いが汚れている。
そういうのは、人間として恥ずかしい行いだろう、普通の精神を持っている人から見ると。
慚愧の念が抜けているのは、ストーカーのテロの仲間であるあなた。
そういえば、思い出したけれども、ベルゼブブはもうすでに捕らえられている、と。
テロのボスがもうすでにとっ捕まっているではないか。
ちなみに、それの発言もまったく故意にかぶせてはいない。あとから、お、またかぶってる、と思った。
まぁ、どちらにしても、あなた方、テロの仲間達の悪しき行いは仏陀の言葉でも、聖書にある教えでも堕処に赴く。
その者が、擇法(覚支)がまったくできないとそうなる、ということだろう。
ということで、テロの仲間であるあなたは擇法もできていません。
テロ側は
悪しきおこないで
かぶりすぎ
字あまり
現実と
真実の面でも
外れすぎ
再び、字あまり
畜生と
一緒になって、
さわいでる。
〔そういう状態であるならば、〕
行いの
分別ができずに
同レベル。
自らを
阿修羅と思い
勘違い。
仲間内
穢れにきづく
者もなし。
汚れだと
気付いた者は
すでに脱け。
10月18日
例えば、小話を一つ。
かの岸が火事になり、危険であるとしよう、
テロさん「こちらの岸は危険だ、あちらの岸にわたろう」
仲間「そうだ、そうしよう」
そうすると、向こうの岸から船に乗って誰かがやってくる。
ギーコーギーコー
船長「こっちの岸が火事だということで、舟であちらの安全な岸へあなた方を乗せていくけど、乗ってみる?」
テロさん「なんと、あやしいやつだ。おまえの船なんぞには乗らない」
仲間「そうだ、消えうせろ」
悪霊さえ「死ね」
そして、船長に投石。
船長「あぶねっ。イタっ。ガッツリあたった。何と、愚かな集いか。救い渡すものに石を投げるとは。
清浄な人が、そのままではそなた達が助からないという教えによって、それでは、そなた達を安楽な岸へ渡そうとここまで来たが、このような目にあってしまったので、それでは、私はもとの安らぎあるところへ帰るとしよう。」
ギーコーギーコー
船長「あの者達は、自らを救いにきた人に対して投石をする。あれではもう、救ってもらえるということもむずかしいだろう」
そして、船長はのんびりと帰っていった、と。
10月20日
現在、外は雨。
昨日、雪虫が飛んでいたので、もう少しで雨は雪にかわるだろう。
今日はちょっと、人間の身体について。
現実の人間の目の盲点というものについて。
知っている人は知っているだろうけれども、
知らない人は、数十年間、毎日使用している自らの目にすら、気付くことがなかった盲点というものがある、ということに気付く。
視覚の盲点
このように、生まれてから毎日のように物事を見ていた目・視覚にすら盲点というものがある。
気付かない点。
そんな身近に、そんな事象があったなんて、と。
そのように、これだけ身近にあっても、知らないから気付かないとう事象があったりもする、と。
そう、
知らないから気付かない、と。
まぁ、はっきり言って、私はその盲点に30年くらい気付かなかったけどね。
ハッハッハ、と。
現実にそのような人間の機能・視覚というものの、盲点というものでも、
それを、すでに、知っている人は、気づいている。
知らない人は、なかなか気付かない、気付くことが難しい、と。
そういうこともある。
10月21日
(本による)説明文〔網膜の視神経が集まって束になっている部分の見えないところ〕。そこが盲点。
なぜ、数十年も気付かなかったのか。
それは、見てもわかるとおり、右の白い色のマルが見えなくなったとき、その見えなくなった部分が青い色になってたでしょ。
それは、脳が勝手に補修してしまっているので、マルの部分がきちんと色づけされてしまっている。
そういう脳の補修してしまう機能によって、そこの部分が見えなった、というわけでもなく、他の色が補修されて見えているので、気付きにくかったと。
脳が勝手にそう見せている、と。
これは、でも、脳がそう見せているというのではなくて、光の屈折とかそういうのでもないんだろうか。色が映っているから。
脳が勝手に判断しているか。視神経の部分でそういう画ができていて脳がそれをそのまま判断しているのであれば、脳が勝手にそう見せているというわけでもなく、脳が勝手に判断しているわけでもない、と。
無意識の作用らしいけれども、無意識というか、視神経の構造上そういう画を送る途中に視神経の中で画がそういうようにできているのを、脳がそれを単に判断しているだけであれば、無意識の作用というか、視神経の作用っていう感じになるのかな。
(詳しく知りたい方は眼科等の専門家へお問い合わせしてみたらわかるかもしれません。)
10月22日
あいうえお
できた
これは、この文章の流れで「あいうえお」は、ふざけていると思われてしまうかもしれん、ぞ、と。
それでは、説明しよう。
昨日、無意識の作用の記したあとに、
「近況アップデートを投稿できませんでした。後ほどもう一度実行してください。」というので、投稿できなくなったので。
久しぶりに、他のサイトに行ってきました。
今日は書き込みができたのであった。
ん、いや、ふざけてもあれか。
ピリッとした空気でもないから問題はない。
いや、しかし、そういう問題ではない、と。
盲点にカーソルをもっていくとカーソルも見えなくなる。
自分の指も見えなくる。ずらすと、見える。
ちょっと、後ろでブーンという音がして、見たらカメムシが飛んでいた。
捕まえて外に放した。
網戸を越えてくるとはなかなかのやつだ。
網戸を越えてくるのはむずかしい。
もしかしたら、生まれも育ちもここの家のカメムシなのかもしれない。
そうだとしたら、故郷から追い出してしまったということになる、と。
換気扇から入ってきたのかな。今年はまだ塞いでいない。
1.5cm位だから、おそらく不法侵入だろう。
という日常、今日はこの辺でフェースブックの書き込み終了。
10月31日
腰が痛い。
今日は、夜中帰り1時40分頃に仕事から帰宅。
忙しい感じの帰宅時間。
舗装するので、急ぎで埋設配管150m程。
38sqのばし360m程。
朝からこういう時間に帰宅するっていうのは、人生でそんなに多くないかもしれないな。
その内の一回。
もう少しで、朝だけど、これは。
2時39分。
夜中でもテロは騒いでいるという。
今日も××のような状態だった。
それは~
父が人間ではない件、ということか
ザ・(××)。
ん、ザ・(××)であってるか。
さっきから画面が白くなるという現象がパソコンに起きている。
これは
パソコンが重い。
そして、腰が痛い。
そして、ひとときの休息をとる。
テロのラジオがジョン、ジョンって言っている。
しかし、外人の空耳のはしょっちゅうラジオでかかってるね。
外人の空耳のは多いわ。
そっちの友は、真理を見ても、愚かな行いをなしている。
朝から、(××)は失礼だろう的な感じの歌だ。
(××)は削除しようか、さっき思ったのであった。
腰の痛みが消えているという。
俺のために嫌がらせをしているらしい。
その者は、愚か者である。
犯罪者の言い訳を素直にきくという、そっちのその友は善い分別ができてないべ。
こっちを怒らせて、争いをさせようとするのは、まぁ、前からだね
11月3日(2013年)
(××)ってどういうふうに書いてたっけか
ザ・(××)。
けっして天ぷらではないということか。
ころもはサクサク。
父が人間ではない件、ということかが、問題か。
訂正。
人種のテロの者のお父ちゃんは人間だ。
××の父は、(××)だ。
本日は日曜日。仕事。忙しい時。
一日いっぱいバックホーで作業をしていた。
縦旋回を乗ってから、横旋回に乗ると、ちょっとバケツがななめにいってしまう。
しかし、あれ、何でテロは騒いでいるのか。
何か騒いでいるポイントも、意味のわからないこと、になってないか。
歌がかかっていれば、わけのわからない歌だべし。
すごい、(道に)ない。
そういう者の集いからは、厭い離れたいという気持ちがとても強い。
そして、そういう者の集いからは、厭い離れるという気持ちがとても強い。
もしかして、メディア関係の仕事に携わっている人っていうのは、良識ある人間って少ないのか。
高学歴。
そうでもないのか。
(いろんな意味で)上司が間違ったことを言っていたとしても、それを改善する力が、個々にない、と。
どこにあるんだ、と。
話の流れとは関係なく、
ひどい邪念だわ。
そっちの人達はよく着いていけるね、と。
邪念をあてて喜んでいる精神。
さて、そちらの先導者の行きさきは。いかに。
そして、ときおり真理の教えに強い恐怖を感じて、おびえてしまう精神。
そちらの先導者の心の行きさきは。
以前にも言っているけれども、
「真理を知れば、真理があなた方を自由にする」と。
あなた方、選ばれし者逆バージョンの人達は、
真理を知れば知るほど怖くなる、と。
それは、何故か。
あなた方の行いが真理(道)から外れているからです。
11月4日
どうやら『(××)』の件に異論があるらしい。
まぁ、はっきり言って、テロの集いの愚かな行いを、例えばこのように『(××)』のような状態である、と示しただけで、その発言自体はそれほどたいした気にしなくてもいいんだけれども、問題は、そのテロ集団の悪しき行いをし続けているというのが問題だろう。
何で、まんまと洗脳されてしまうのか。
根本的にテロ集団の悪しき行いがなければ、騒ぎももう静まっているだろう。
そして、仏陀の教えを学ぶ人は私のHPを見て、ともに学んで行くだろう。
『(××)』発言もテロの愚行から生じたものであって、テロの善業から生じたものではない。
まぁ、しかし、(昆虫)のところは×に修正しておこうか、と。
そして、気になっているのが、あのこなのです。
昔から叩かれていたのかな、と。あれは、そのコのためになるのかどうか。叩かれているのもわけがあるだろう、と。
なので、悪心でなくて、ためを思ったが。
いまいち、意味不明なので。余計な文章を削除(の予定)だ。
(一個人に言うならば、余計な文章はあんまり気にしないでね。いきなり極論にいくのでなしに、修正すべきところの内容をこちらに説明してもらえると、こちらもすぐにでも修正できるのである、と。
音楽の怪しげなのは、他の人でも疑わしいのは多くいる。だからして、テロ側の悪しき行いは計画的なものだろう思う。一個人だけをあげた点について申し訳なく思っている。ごめん。)
(という気持ちがある。しか~し、だから要するに、俺が謝るというのが根本からして俺が絡まれている本人だから、それは基本的に違うのである、と。
俺の気持ちは通じるだろうか。)
あれ、どこに書いたっけかってフェイスブックの過去のをさがしていたけども、他のサイトだった。
ひっかかるところを削除した。
希望があれば、余談っぽい他の文章も削除するけれども。
う~ん、またか。
───
私は、芸能人等に別に興味はない。
が、もう一回ちょっとよくよく考えて見る。
好きな芸能人は誰かっていうのをちょっと考えてみた。
が、パッと出なかったので、やっぱり別に興味はないだろう。
そうか、芸能人は日本だけではないか。
小さい頃は、成龍の映画を好きでよく見ていた。
映画はジブリもよく見ていたけれども、ポニョで何がおもしろいのか意味がわからなかったので、興味がなくなったな。ナウシカの原作は個人的に謎めいてて良かった。
ポニョは軽く声はいってないか、あれ。一回だけテレビで見たな。
うん、ナウシカの原作は読んでいろいろ考えさせられるものがあった。(個人的に)あれは良い作品だった、という思いがある。
成龍の映画はよく見ていたけれども、今の現場で、なんかサモハンキンポーにちょっと似てるかなという人がいて、ちょくちょく思い出していた。
映画はおもしろかった。
映画か。
小さい頃にバタリアンを見て、見た後にかなり怖かったな。
ゾンビがたくさん「脳みそをくれ~」って襲いかかってくる映画。
寝るときに、バットを用意しておこうかな、という位の恐怖心がでた。
あれ、最後はどうなったんだっけかな。
おぼえてない。
そういうグロテスクでない映画。
小さい頃におもしろかった映画
インディジョーンズはおもしろかったか。
インディジョーンズみたいな映画っていうのは、女の子から見たらどうなんだろうか。
見る視点が違うだろうからな。
まぁ、映画の好みも人それぞれ。
女性は、木よりも花のようなかわいらしい植物を好む人が多いらしい。
私は、花よりも木を好んで見る。
女性の花を愛でる心がね。
その心はどのような心なのか。
美しく咲く。
その心は人それぞれか。
11月5日
アイスミルク、美味。
しかし、今日もまた。
昨日と今日で、現在の仕事の現場がテロ側に優勢になった。
TVやラジオ放送等の洗脳により。
洗脳されるのもすぐだわ。
まぁ、いままで見てきても、だいたい大衆はそういうもんなのだろう。
そういう感じなので、メディアでもまた、テロ側のが出てきて悪語を発している映像も増えている、と。
その感じも、まぁ、そういうもんだろう、と。
もう100%で、私は悪側ではないから、そこらへんは安心してもらっても大丈夫ではある。それは、テロ側の映像とか見たり、音楽を聞いたりしても理解できるだろう。
テロ側は、現在の様子を見ていれば、聖者でも救えない可能性もある、と思うけれども。
今日は、ジブリが犯人は俺だと、認めたとかなんとかとか。
そういう意味不明な情報も含ませた感じで、嘘ばっかりだし。
(歌手)が怒っているとか。
それは、う~ん、ありえる…。
ちょ…。それは困ったな、と。
現在の現場での仕掛け人も、テロの犯人のグループではあるから、きちんとそこらへんは調査しておいたほうがあとからいいと思うけど。
長いこと調べれば、犯人グループのメンバーも自動的に浮かび上がるだろう。
そういう者達の悪行も、こっちは非常に迷惑なだけである。
霊的に言えば、もうこちらが余裕でもある。
テロ側は道理からも外れすぎているし。
ちょっと、きつすぎるだろう。
たとえば、無知な子供たちだけをあつめて、その中での騒いでいるっていう集まりのような感じでもある。
道理を知らない子供達が、詐欺士にだまされているようなものか。
詐欺士の手口っていうのを、ちょっとでもTV等で見たこと、聞いたことはないのだろうか。
詐欺士は騙したい人を、まず信用させてから、騙す。
たとえば、魔術で適当な事柄を言い当てて、信用させ、信用した後、嘘を言って、嘘までも信用させる、と。
そういうのに、騙されるのは、テロ側のあなたのような人。
というかね、普通の常識から考えて、テロ側がおかしいと思わないんだろうか。
まぁ、洗脳されれば、そういう思考がでなくなるのかな。
そうだ、『××』発言ね。
それはよろしくない、と。それは不適切である、と。そういう主張が、他で生じているのもあるようであるが、自分の中でも不適切だったか、というのがないこともない。
まったくな。
お尻は筋肉取られているから、しばらくなおらないか、あとから治るかどっちかだって言っているだろうに。
そこは、すでに、決定事項だから、テロのは、自分らの友が、俺のお尻の筋肉をとったのに、もうホントに迷惑だね。
常識で考えても、人間の行いとしても、道理としても、あなたのその友の行為は道理に外れている。
そうだね、あとガンだ、ガンだ、と煽る行為。
罪のない人が病気で、その罪のない病いを精神的にも追い詰めるような悪しき行為。それもまた、普通に考えも人間として愚かな行いではある。
どう考えてもテロ側に道理がないんだもの。
現場でもテロ側に洗脳されている人が多いなかでも、「誰が聞いてもテロ側が頭おかしいですよ」っていう声を聞くという。
普通に考えてもわかるって。
(歌手)のは、普通に、喧嘩とか全くしたくないから、困ったなという気持ち。
(歌手)のを書けば、何かいつも違う方向にとられるんだか、書き方が何か違うんだか、なので、あまりもうあまり関与しないようにしよう、と。そういう事。
テロ関連のは、見た感じ知っているのは知っているだろう。
そういうのは、本人に聞いた方が早い。
そうだね。以前から思っていたが、記すか。
「つしまひろし(春)は、仏陀と法と僧伽に誓って、テロ関連の犯人ではない。そして、テロ関連の者と仲間でもない。」
もう完璧に白だから。
霊的に(真理として)もうすでに余裕だよ。と。
もうどう見ても、白。
昔、小さい頃、自分のことを白と言っていた(そして、呼ばれていた)。
最初から何回も何回も何回も言っているのだけれども、テロメンバーは悪しき者に煽動され、悪しき道を進み悪行を積み続けてしまう、と。
悪業を積みすぎて、戻ることすら難しいってか。
恐ろしい。
読み直して、筋肉のは間違っている。
「治らないか、しばらくして、あとから治るかどっちかだ」と。
(歌手)はね。何でもいいからとりあえず悪しき道に行かないでほしい。
ようするに、まとめるとそういう思いである。
今回もまた、うまくまとまったような気がしなくもない。
ん、前回はうまくまとまったんだったかな。
ん~、また。何でもいいって言ったらなんでいいことになるのか。
じゃ、何でもよくはない、と。
文章の誤字を直すのに、編集という機能があるのを今始めて知った。
『××』編集できるんでないの。
(昆虫)を××にしたのに、編集されていない!
何だこれは。
編集できない。
これは、編集機能、意味なし、か。
編集されないな。意味不明。
11月8日
相変わらずテロは騒いでいる。が、
俺はテロ関連とそもそも関係ないから、俺からは別に何の情報もでないよ。
気付いた事柄は記しているのもある。
テロがしっつこいんだけども。何なの。
自分達でわざとに墓穴ほっている集まりか。
罪のない人を苦しめて、自らで天上の扉、道を閉ざしている。
自分達の墓穴を人のせいにされても迷惑だ。
罪のない人に、「死ね」とか「ガンだ」とか「消す」とか、よくそういう言葉を発することができるね。
自らの中でそういうのは非常によろしくないというような感情みたいのが出て規制されない、んだろう。
俺は仏陀の教えを知る以前から、そういう悪語を規制する感情はあったよ。
生まれた時から、そういう慙愧の念がある人とない人という違いはある、ということだろう。だろうか。
前世からの心の薫習。
ピンとこないんだろうな。
なので、仏陀の教えを知ってもピンとこない。
そして、悪行をし続ける、と。
聖者方も永い善業、修行をした結果の方々。
で、テロ関連の友の集いはどうかというと。
もうすでに道から外れすぎ。
すでに善業をなしている人・なしつつある人。
そちら悪しき行いは、すでに悪行を完成している人・なしつつある人。
さて、聖者方の教えによると、
天上に赴く人とされるのは、どちらの友をもつ人でしょうか。
また、地獄に赴く人とされるのは、どちらの友をもつ人でしょうか。と
本日は22時まで仕事。
ニュースで特定秘密保護法案というのを見て思ったけれども、
そういえば、俺が無差別テロ集団の攻撃対象になっているな、と。
仏陀の弟子 VS 無差別テロ集団
だから、俺に嫌がらせをしている企業だとか、周辺で嫌がらせをしている者の繋がりを調べれば、テロの犯人に行き着くだろう。
特定秘密保護法って、国の秘密を守るっていう内容のようだが、
国の中枢にテロの仲間がまじっている場合は、どうなのだろうか。
国の秘密は、実は国の中枢自体がテロ支援をしている体制にあるとか。
テロは一つの国だけの問題でなくて、世界の問題でもある、と。
俺の嫌がらせだって、最初の頃でも、海外のそういう嫌がらせ関連の歌なり、映像なりもあったから、そのテロリストのメンバーは日本だけではない、と。
今日もまた嫌がらせを受け、毎日嫌がらせを受けているけれども。
携帯電話で「テロ側は頭がおかしい」って話しているのもいれば、それを聞いた他の人も「テロ(側)は頭おかしい」って、言っている人もいる、と。
やっていることがね。
テロの仲間の行いは、本日もいつものように愚かだった。
11月10日
帰ってきた。
多忙な毎日。人工不足による。
あと、数日で検査なので。
しかし、さっきもそうだけれども、北海道のラジオ放送聞いてみって。
なまらひどいことになってるよ。
まぁ、そういうテロ関連も前からだけれども。
ありえないね。
正気を失っているかのような集い。
それは、
目を覚ましたほうが善いでしょう。
まぁ、しかし、一般のテロ関連のを全く知らないひとは、そういうのに振り回されるだけで、真実を知ることができるというのも少ない様子であり。
今日は、また、一般論を聞いた。
テロ関連についての事柄だろう。
「どっちに付いていいかわからない」と。
真実を知らない人は翻弄されるだけ、と。
実際、数日で変化してコロコロしているからそうだわ。
俺が第三者であれば、
テロの騒ぎよりも、仏陀の教えに注目するだろうかな。
放送のイメージ変えたみたいだな。
最近はチェンジも早い様子。
ホント騙しのテクニックみたいな状態でないか。
気持ちわりぃ。
テロ側が世間をあざむこうとしている。
仏陀の弟子に対してまでも、愚行、悪行をしているということは、仏陀をもあざむこうとしている、と。
すでに、あざむいている、と。
そのようにして、あなたの、あなた自信の道は消えうせる、と。
まぁ、例えば、愚かな能力者は、咳払いをさせたくてしょうがない、とか。
餓鬼、畜生の境涯の段階の愚かさだろう、例えば、そういうのも。
テロ側の者は、そういう行いについて行っているっていうところがまた、すごい、私から見ると、ありえないけれども。
しかし、お尻の話もしつこいね。
お尻の痔疾患は、痔ろうではない、って専門の医者が言っていた。
だから、筋肉を取られたんだって言ってるだろうに。
テロ側が痔ろうで押そうとしているんだけど、何なの。
おまえらは、俺のお尻のファンか。
まぁ、それはないか。
HPのメールのはどうしようか考え中。
連絡先、住んでいるところ。
私の住んでいるところは、北海道の函館です。
それは、もう言っている、と。
11月12日
今日のラジオ放送は昨日より、普通なのが増えた気がする。
現在の部屋の湿度31%。
煙突ストーブを点けてから、乾燥。
本日は、1時頃帰宅。
今日もいいだけテロの集いに嫌がらせをされた。
携帯電話を使用して、俺の近くで嫌がらせの言葉を言っている。
携帯で話をしている言葉に嫌がらせを言っている状況。
幻聴であるとあとから言いたいからそういうことをしているのか、それをしているものに対して、私が、完璧にテロのだな、と思っていたら(テロの連中は一日にそれを何度も何度もやっている。まぁ、ラジオの実況も一日中そんな感じだから、まぁ、そういう感じ)、
他の人が、そのテロのやっている者に「誰が聞いてもテロ」ってはっきりと言っていた。
現場でテロのは、大勢が知っているようす。
あと、一人一人に違うフレーズを言わせるという嫌がらせもやっているね。まぁ、とにかく、内容を知らない人を使って嫌がらせをしている。
毎日毎日、このように悪しき者の愚行に迷惑をしているのである。
仏陀の弟子 VS 無差別テロ集団 という構図は
仏陀はそもそも、そういう者を相手にするだろうか。
アングリマーラ尊者は、すぐに改心しているからね。
仏陀は真理を知ってもなお、愚行を続けている者にたいしては、
やはり、そのものを相手することはないだろうか。
テロ側の中心人物的な人の潜在意識で、すでに「自分は天上にいく可能性は低い。地獄に赴く可能性は高い」という人もいるだろう。
それは、普通に考えても、普通はそう思うだろう。
あと、ラジオとかもあることないこと適当なことを思わせぶりに言っているのが増えているみたいだね。
騙し、洗脳が増えている。
まぁ、しかし、テロ側の根元はそういう土台に建っているから、まぁ、そういうものだろうか。なので、そういう者も集まっている、と。
現在、現場で受けているいろいろな嫌がらせは、病院とかでやっていた嫌がらせとそれほど違いはないだろう。
だいたい、そういう感じで事情を知らない一般市民を嫌がらせに加わらせて、悪行をさせているのもある、と。
11月14日
本日は、12時頃に作業終了。帰宅してから、タイヤの交換をして1時位。
今日も現場でテロ側の嫌がらせ活動をやっていた。
誰でもわかるくらいにやっていたが、その嫌がらせをした後の人で悲しい顔をしている人もいるという。
違う感情がでる人もいるのだろう。
テロの仲間の悪しき者に関しては、笑って悪事をなしている。
それもかわらずだな。
そのような善悪の分別のない(または、理解できない)悪しき者を心から改善させるというのは、とても難しい事柄なのかもしれない、と。
現在1時52分。現場ももう少しで完成だ。
現場はメディア等もテロの連中の工作でテロで洗脳されている人が多数発生しているん。意味をわからないから、あぁいう風にならざるをえないのか。
あと、あれだな。しつこく前からだけど、私を犯人にしたてあげようとしているようだけど、私は100%テロの犯人ではない。
俺を犯人にしようとして、人々を騙そうとしているのを見ても、やっぱりそちらは、愚かな行いをしているというのが100%間違いない、と確信をもって言える。
洗脳をして人々を騙してはならない。
11月16日
本日(昨日)は、10時30分頃で仕事あがり。
それにしても、犯罪者集団の嫌がらせがひどい状況だわ。本日(昨日)と昨日(一昨日)も誰でもわかるくらいに我が者顔で嫌がらせをしている。
メディアもテロの犯罪者集団を煽るから犯罪者集団も調子に乗ってしまい、どうどうと嫌がらせをしているという状況。
そういう状況をみて、「テロ側は(完璧に)あたまがおかしい」と言い始めている人、言っている人も多数いた。
普通に見ても、そっちの犯罪者集団のストーカー、嫌がらせ、見るからに愚かな行為は、(普通では)ないって。
そっちのメンバーはそういうのが集まっている。
なんでまた、そういうのばっかりが集まっているの、そこ。
──
犯罪者集団のストーカーもそうだけれども、テロ側がだんだんと仏陀から遠く離れてしまっている。
そういう言えば、現場で
「ブッダ。ガハハハハハ」で愚弄しているように言っている者がいた。
それを言わせている者もまた、その悪業ははかりしれないほどになってしまいかねないので、聖者を愚弄するような言葉は発するべきでない。
そういうように、犯罪者集団は聖者を愚弄するような言葉を言う、また、言わせているという事柄事体がもうすでに、そちら、テロの犯罪者集団は天上に進んでいる存在ではないと言えるでしょう。
現に愚弄しているのであれば、悪業がはかりしれないほとになってしまいかねない、でなくて、もうすでに悪業はひどい状況だろう。
という、いつものように犯罪者集団の事柄を書いて、もう3時越えしている。
最近、睡眠時間が少なすぎる。6時頃起床だから、今日も2時間半とかそのくらいの睡眠か。
11月17日
現在3時45分。今日(昨日)も昨日と同様な感じ
11月20日
今日は虹が出ていた。
今日は21時30分で現場の仕事を終了。
残業ばかりをしていたので、ちょっと早く帰れた感じがなくもない。
昨日は、かえらずに、通して次の日、今日の25時30分まで仕事だった。
明日か明後日あたりから現場で残業ができなくなるということなので、早く帰ることになるだろう。(残業可能ということだったので、残業は続き。)
人工が足りなくて、工事が残り。
今日はたいして進められず。まったく。
しかし、工事の方はそういう感じだけれども、現場でのテロ連中のテロ活動がかなりひどいんだけども。
「テロ側が頭おかしい」っていうのは聞くね。
BGMとかもひどいありさまになっており。
あれはね、ホント第三者でもそう思うのが普通だわ。
11月21日
まぁ、何行かの文字では、現場の状況もあまり伝わらないだろうけれども。
テロの洗脳活動によって洗脳された他の人の意識・思いの動きを見ていると思、”このタイミングで(その人に)真実を言ってもあまり意味を理解することはないだろう”という思いも生じる。
あれなんだよね。数年間テロ連中の同じような嫌がらせを受けていて、俺がそれらのテロ集団の嫌がらせをいつものように聞き流していると、その俺の冷静な感じを見て、俺が犯人に思われるようなこともあるらしい。
そういうのもちょっと勘弁してほしいもんだね。
「これだけ騒いでいるのに、つしまは冷静でいる。
これは、おかしい」とかいう疑いっぽいのとか。
テロ集団の嫌がらせはすでに数年間同じような悪業をし続けているので、こっちは単にいつものように、受け流しているだけなんだけれども。
実際に、「犯人だ」とか言われるのもあったけれども、俺は一体どの部分についてその疑いをかけられているのか、と。
あれだけ、愚かな行いで騒いでいるんだから、普通気付くべや、というのがこっちのいつもの思いだけれども。
なので、テロ集団の嫌がらせも受けずに流しているだけなんだが、まぁ、疑われるのもまたかなり迷惑だね。
そういうので、仕事の仲間内でも疑いをもたれて険悪なムードになることもあり、まったくテロ集団の愚かな行いには迷惑をしている。
(そして、忙しく毎日のように夜中まで残業仕事)
12月6日
ついに店オープン。
3日から4日は夜中も通して働き。
まぁ、テロ側のは、
能力者が集まっているけれども、その個々の能力者自身が自己の能力だけを見て、真理を見ることがなかったようで、善悪の分別もできていないという者が多く集まっている結果でそういう集まりになっている、という構図なのだろうか。と、いろいろな事柄を観ていて、そういうように思う。
それらは、簡単にいうと以前に記しているように、子供におもちゃをもたせているようなものであって、そのおもちゃを持つことによって、子供が、真理を覚知することがあるのか、と。
おもちゃに夢中になって、真理からは遠い、と。
真理を見る目を持つ人が、おそらくいないのだろう。
なので、そのような集まり、という結果の構図。
俺の心を読んで、「はるはやさしい」と思う能力者もいたらしい(そういう感じで騒いでいたのも聞いた)。
はっきり言って、仏陀の弟子は基本、みんなやさしい心をもっているのは普通であり、当然。(私も仏陀の教えを学んでいるので、自身の心を読まれて、「やさしい心を持っている」と思われるのも、普通。なぜならば、それは、仏陀の慈悲の教えを学んでいるからである。)
そして、聖者方はやさしいを通り越しているような心の持ち主の方々(慈悲)だというのを、そちらの人でも仏陀の教えからでも理解できないことはない、と思うけれども。
真理から遠いことによって、善悪の分別をするという知恵からも遠くなってしまっていて、自分達の誤りにも気付けずに、愚かな行いを繰りかえし続けている。
仏陀の弟子の人々はやさしいと思えた仏陀の弟子ではない能力者も、仏陀の教えを学ぶのが善い。
いや、ことごとく真っ黒なので、あからさまにそっちの者達は目が暗い。
と、実感。
あれは、ほとんど誰でもわかるというレベルの話。
邪念がひどすぎて、寂静とかそういう段階では、全然無い、だろう。
しかも、そのひどい邪念に自らが気付けていないという。
そちらの能力者の仲間の邪念を受けて、観ててもひどすぎる内心的情況だと、思ったよ。
そして、またそれに集まってくる者はどのような者達なのか、と。
聖者方の道に行く方々がそこに集まるということは、普通に考えてもありえないだろう。
普通の道理を知れば、理解できるでしょう。
12月12日
ちょっと、特定秘密保護法案の内容を見てみた。
まぁ、すでに日本でテロの集団、テロ側の集いは騒いでいるけれども。
内容は明確ではない、と。
諸刃なところがあり、善く使えば、善くなるのか。
悪用されれば、テロ側にのっとられても、気付きにくい、と。
まぁ、しかし、現状は国自体がすでにテロ側にのっとられているようなものという感じを受けてしまっているが。
悪用される可能性が高いということは、国民にとっても危険ということでもある。
悪用されてしまうという可能性を充分に考えていなかったとかいうのであれば、すぐにでもそれらの点をも改善していくべきだろう。
悪用される可能性がものすごく高ければ、危険だから廃案となるのか。
超自然力でも、悪しき者、無知な者に悪用されると大変危険である、と。
魔術等、悪業の場合は結局は他人よりも本人自心が大変危険となる、と。
そういうような事もあり、昔のそういう関係にあった人々は悪用される危険のあるものを口伝としたりして、悪用されないようにした、と。
有名な魔術では、その術を行う以前に、心を清浄にする修行、生活をして身心から準備をしなければならない、とされる魔術もある。
清浄な心でいないと、善なる存在か、悪しき存在か分別すら難しい。
ちょっと、そういうポイントで言う魔術をほってみるか。
う~ん、
魔術を行うということ。
この魔術を行うことによって、私のうちで何かが変わるだろうというような思い。
この魔術を成功させることによって、私のうちで何かがかわるだろうというような思い。
この魔術を会得することによって、私の生存でひろがるであろう自由感。等の思い。
今の私よりもより何か特別な私となるというような思い。
それらは、あなたのどのような感情、想念、心からくるのだろうか。
そこにいるかもしれないとする新しい自分。
果たして、そこにいるのは新しい自分なのだろうか。
そこで何らかのものを得て、そこで満足しているのが新しい自分とされるものなのだろうか。
新しい自分は何を得られるのだろうか。
とめどない快楽の追求(苦しみの追求)か。
それとも、安らぎというものなのか。
魔術を成功させることによって、安らぎは得られるものなのだろうか。
安らぎを知っている聖者の教えでは、魔術でやすらぎを得られることはないと説かれている。
例えば、魔術を成功させ、自らのうちを変えたい。というような思い。
その何かになりたいというあなたの執著はどこからくるのだろうか。
12月13日
議決されているから、廃案というのは違うか。廃止か。
すでに、違憲法(案)だとかなり言われている、と。
まぁ、普通に考えても、内容もいまいち意味不明な部分もあり、危険性もあるというのであれば、クレームはつくだろう。
12月15日
求める心・貪りの心を消滅することについて
12月18日
昨日は夜中の3時まで働き、今日も9時30から仕事。
今日も、またテロのストーカー集団に嫌がらせを受けた。テロ側がいつものごとく世間を翻弄させ騒がせようとしていた。
現在もしている、か。
法律ができても、テロ側有利の法律だと、全然効果なし。
逆効果か。
何をやっているんだか。
テロ集団がまた騒がせてるよ。
ホントに嫌がらせの愚行には、ホントに迷惑するわ。
普通に考えてみなさいって。
諦らかに、そっちのテロ側の世間を騒がせている側の者の愚行は、常軌を逸している。
しかも、同様の嫌がらせを何度も何度も、何日も、何ヶ月も、何年も行っている。
普通の良識ある人はそのような悪しき行いはしない。
テロのメディアを使用した悪しき行い、嫌がらせは止めさせるべきである。
テロ側のメディアを使用した世間を騒がせている悪行は、他の大勢の人々も迷惑をしている。
これからの人々も、そういうのに悩まされることもあるだろうから、そういう悪しき集いの愚行は、止めるべきである。
悪しき集いが自らで止めることができないのであれば、止めてあげるべきである、と。
テロ側の悪しき集いが世間を騒がせている結果、道理を知らない者の未熟な心の持ち主は内容を知らずに、「死ね」等という悪語を発するまでに、洗脳をされてしまっている人もいるという悪い始末になってしまっているのも見られる。
悪しき者達はすでに導かれてしまっている者もいるので、そういうのはそういうので、なんとかなればいいだろうが、
私たち、仏陀の弟子がする行いの一つは、
仏陀の教えである真理を説きひろめることである。
仏陀の教えを知ると、道理を知らない者が道理を知る者となり、道理を理解する者にもなるだろう。
世界の主・梵天は上衣を一方の肩にかけ、右の膝を地につけ、世尊のほうへ向かって合掌・敬礼して言った。
「尊い方よ、法(真理)をお説きください。善き人よ、法をお説きください。この世にはその目があまり塵に汚されていない人々もおります。彼らは法を聞かなければ衰退していきますが、〔聞けば〕やがて真理をさとるものとなるでしょう」
法を聞けば理解する人々もいるが、法に接する機会がない、法を聞くことができないことにより衰退してしまう人々もいる。
智慧の目が開けば、その人もまた善業を成して、善なる人となるだろう。
そして、人々に善なる教えをひろめるという、善なる人々を増やすという善行に参加している、あなた自身もまた、智慧の目をひらき善なる人となり、全知者と聖者方が言う、善なる所へ赴くだろう。
善なる人が善なる処である、天上へ赴くというのは普通に道理としてある。
善なる人が悪しき処である、地獄へ赴くというのは道理としてない。
悪しき行いの集いに加わり、共に悪しき行いをしている者が善なる処である天上へ赴くというのは道理としてない。
悪しき行いの集いに加わり、共に悪しき行いをしている者が地獄へ赴くというのは道理としてある。
ということで、とりあえず、私たち仏陀の弟子は、仏陀の弟子を増やすという行いもしていこう。
そうすることにより、世間に心善い人々が増える。
そして、世間に善行者も増える。
12月19日
今日のラジオも海外の歌手の歌が多い。空耳アワー。
嫌がらせをする集団の行いは変わらず。
どう見ても、真っ黒だよね。
諦らかに、内面が真っ黒の集団に嫌がらせをうける聖者の弟子。
聖者の弟子に嫌がらせをするという、愚かな行いをし続ける内面が真っ黒な集団。
いつの時代にも現れる可能性があるという、愚かな行いの集い。
まぁ、歴史から見ても、いつの時代にもそのような集いは現れては消えて、現れては消えるというように、別段めずらしい集いでもなく、か。
まぁ、そのように歴史から見ても、テロの愚かな行為をし続けている集いは、まったく、歴史から見てもすごいとかいえるような行いの集いではなく。
そして、そういう悪しき行いをともにしている者も同様に、すごいという人物がいるということもない、か。
すごい人は、悪しき行いをともにするということはなく、悪しき行いを止めるという行いの人とともにいるだろう、と。
この場合のすごいは、私から見た”すごい”なので、
他の人から見たら、愚かな行いをすごいと思う者もいることもあるやもしれない。
テロの集いの愚かな行いを見て、聞かされて、
他の人はこのように思っているものもいるだろう
「すごい、愚かだ」と。
悪魔側の者は、地獄に堕ちるとされる行いを自らもして、他の連れの者にもさせて、それに何らかの快楽を感じてしまっている者も存在する、と。
聖者側の人は、地獄に堕ちるとされる行いを離れて、天上へ行くとする行いを自ら行い、他の人にも善行をすすめる。
う~ん、いつもの説教だな。
同じ事柄を100回くらい言っても、テロ側の者には理解されることはないのだろか。
真理を知ってから、悪業を罪重ねてしまっている者が集っているので、すでに、善・真理の教えを理解されることは非常に難しい、か。
聖者の言葉を理解することが、難しい、か。
禅定をしても、すでに結構ごちゃごちゃ観が生じるくらいの者が多くいるだろう。
そちら、悪業を罪重ね、禅定をしても、すでに結構ごちゃごちゃ観が生じる者はいるだろう。
これが何を意味するのかというと、
その者は、悪魔の領域から脱することはできない、と。
ごちゃごちゃ観という、悪しき雑念。
その雑念は、その一生を終えれば消え去るのかどうか。
消えるかもしれないが、そちらの者の、その雑念のもとでもある悪業は、一生だけですむというものではない。
聖者に敵対するという悪業はものすごく長い、とすでに説明も済んでいる話であり。
「口穢く、不実で、卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪行をなす者よ。下劣を極め、不吉な、でき損いよ。この世であまりおしゃべりするな。お前は地獄に堕ちる者だぞ。
お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑に陥る。けだし何者の業も滅びることはない。
それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」
悪魔側の者は、この聖者の言葉・真理の言葉を信じることすら難しい。すでに悪行をしているので、信じれば、自らがその地獄へ行くという者とされる者であるからである。
一方、聖者側の人は、最初から聖者の言葉・真理の言葉を信じているので、悪行から離れていて、悪しき果報を受けなければならないということもないので、より信仰することもできる。
私の場合、仏陀のこの言葉で思うことは、私自心も、気をつけて行こうといつも思う。
12月20日
さっき、古書検索で見つけた。サイキックマフィアという本の監修の人物のフェイスブックを発見。(←題名が(エロいから)公にするのによろしくないのであとで本の名前をふせるかもしれない。という考えているけれども、どうしたほうが善いか、と。)
これは、詐欺士の手口を知るために俺も読もうかな、と。
あなた方、仏陀の教えから離れるべきではない。
12月21日
本日も悪しき集いから嫌がらせを受けている仏陀の弟子でございます。
あなた方、「死ね」って悪語を発しているけれども、それはあなたの生命(または、仮喩・魂)をかけてまで言う必要は何かあるのか。
「ころす」とか。そういう悪語も。
そして、笑っている。
つしまって名前も込みで言うのか。
笑っている。
公の場でも行うその悪しき行いの数々。
そうとう心の汚れた者が集まっている集いだろう。
普通に見ても、そうだろうと思うけれども。
悪しき集いの内部はそうとう腐敗している。
マハーカッチャーヤナ長老
多くの世事に関する仕事をなすべきではない。人々を避けるがよい。雑な縁をつくり出す(他人と競う)ために努め励んではならない。諸々の(事柄の)味に耽溺する者は、安楽をもたらす利益を見失う。
実に、修行者は、良家の人々からのつねに受ける礼拝と供養とは、汚泥のようなものであると知っている。細かな(鋭い)矢は抜き難い。凡人は(他人から受ける)尊敬を捨てることは難しい。
他人の行いによって、その人の行いが悪業となるのではない。自らその悪しき行為を行ってはならない。なぜならば、人々は(自分自身の)業の親族なのであるからである。
人は、他人の言葉によって(他人が「お前は盗んだ」と言ったからとて)盗人であるのではない。人は、他人の言葉によって聖人となるのでもない。自分がその人のことを知っているように、神々もまた同じく、かれのことを知っている。
「われらは、この世において死ぬはずのものである」という、このことわりを人々はさとらない。しかし、かれらがそれをさとるならば、それによって、争いはしずまる。
智慧あるものは、財産が消失しても、生きる。しかし、智慧をもっていなければ、財産があっても、生きてはいないのである。
耳であらゆることを聞き、眼であらゆることを見る。思慮ある人は、見たこと、聞いたことをすべて斥けてはならない。
眼ある人は、めしいのごとくであれ。耳ある人は聾のごとく、智慧ある人は?のごとく、強い者は弱い者のごとくであれ。利益が生じたならば、人は死者が横臥しているように臥すがよい。
あなた方には、夢のような話ということもあるだろう、が、真理として言うと、あなた方のその行いの一つ一つ、神々はそのあなたの行いを知っている。身・口・意(心)。
いまだに、そういう真理・霊の現実の世界を自らで体験してないから、自らで、心に直感としてこないというのもあるのだろう。
自らの悪しき行いがどれほどの悪業であるか、というのも、わからずに笑って悪業をつくっている。
俺が、普通にその悪業を考えてみるだけでも、禅定(仏教より他の言葉で言えば、祈り)で、その悪しき行いがすでに障害となる、っていうのも、すぐわかるけれども。
聖者方が、なぜ心の清浄を説いたのか考えてみたことはないのか。
世尊は告げて言われた。
「そこで命終して、まさに三十三天に生じる、そこから夜摩天・兜術天・化自在天・他化自在天に生じ、そこより命終してまた還来して、すなわち四天王中に到る。
このようにアーナンダよ、毘羅先比丘は七反天人の中に周旋し、最後に人身を得て出家学道し、ついに苦を滅尽する。それは如来に於いて信心有るがゆえである。
この閻浮提地は南北二萬一千由旬、東西七千由旬なり。もし人があって閻浮里地の人を供養せば、その福は多いとなすであろうか」
アーナンダは世尊に答えて言った。
「はなはだ多いのです。はなはだ多いのです、世尊。」
世尊はアーナンダに告げて言われた。
「もし衆生があって、牛をコクするが如き間、信心絶えずして十念を修行するものは、その福を量ることができず、その福を量れるものもいない。
是の如くアーナンダよ、まさに(賢聖の四聖諦を得る、諸々の結縛の除去)を求めて十念を修行しなさい。アーナンダよ、まさにこれを学びなさい」
「毘羅先比丘は七反天人の中に周旋し、最後に人身を得て出家学道し、ついに苦を滅尽する。
それは如来に於いて信心有るがゆえである。」
どれほど、心というものが大切なのかこの仏陀の教えから少しでも理解することはできるだろうか。
12月24日
本日は、世間でクリスマス・イブという日ではないですか、と。
さっきまで仕事だったけど、23時30からまた仕事だったりする。
忙しい忙しい。
仕事の人もいれば、仕事でない人もいる。
楽しい気持ちで過ごす人もいれば、さびしい気持ちで過ごす人もいる。
静かに過ごす人もいれば、騒いで過ごす人もいる。
明後日からは、正月モードにきりかわり。
正月とか世間の動向を一緒になって見てると、正月気分とかそういう行事ごとにいろいろな気分が生じたりする。
が、
正月にメディア等や外界と一切ふれることがなければ、正月でも正月気分になるということも、あんまりない。
普段とたいした変わることのない日常がそこにあったりもする。
外界との接触があって、それらの事象等によって生じる気分・感受。
衆生はそこにあるだろう動揺をもとめていたりもする。
まぁ、例えば、一般の衆生は、そこに何らかの動揺(感情の揺らぎ)がなければ、さびしいと感じる等。
神秘家でいう、感情体の欲する揺らぎっていう感じかな。
小さい子供が誰でももっているような気分だね。
ちょっと、休息をとるか。
12月25日
テロの集いは今日もまだまだ悪行をし続けているね。
え~、俺が思いあがっている、と。
う~ん、ないなぁ
テロの悪しき集いの「ころす」とか言っている者の事柄をそのまま記しているだけであって、それと俺の行いを書くと、俺は普通に善行でテロ側が悪行をしているので、俺の善行が美化されている、とか。
善行者に「ころす」とかって、ホントにあなた方地獄に向かっている者が集まっている。
その地獄にむかっている者達に嫌がらせを受けている仏陀の弟子。
これは、
仏典や昔の話でよくある状況。
善なる者と悪しき者。
その悪行を他の人のせいにしているけれども、悪行をしているあなたもその仲間であって、仏陀に払われるのは、悪しき者の仲間である、あなた、だ。
善なる人は仏陀の善い言葉を受けている。
そして、悪しき者は地獄に生じるという全知者の教えを信じていない。来世を信じることがない故に、悪行をしつづける。
はっきり言って、あなた方はもうすでにその地獄等悪しい処に生じるという原因(悪業)をつくっている。
そして、それが不動となってしまうがごとくに、さらに悪しき業をし続けている。
それは、仏陀に対する信仰がないために、悪行をしつづけ、
来世というものを信じていないために、その悪行の報いを自ら受けると言う事を信じることもできないがために、悪行をしつづけている。
そして、あなた方は笑って仏陀の弟子に対して「ころす」「しね」等の悪語をあびせかける。
その者に罪はないのに。
生存中に仏陀の教えでお前はその生存を終えたのち、堕初に堕ちると確定づけられるのは、嫌ではないのか。
テロ側の矛盾した行いがホントに、まぁ、目先の欲で、聖者の言う本当の命を落とした、という話だな。
12月29日
外は雪がふっている。
白いね。
あの雪の白さは、純白という白なんだろうか。
静寂があるときに見る空の雪はとてもきれいだ。
ときっていう表現が微妙な感じ。
昨日は17時30分で仕事を終えて、その後、また24時から仕事が入り、朝7時に帰宅。
今日から休日。
7時30過ぎか。
これも前からだけれども、テロのテロエロの集団が、エロい妄想をおこさせようとやっているのがある。
集団っていうか、エロい妄想を起こさせたい者がやっているか。
そいつらがエロい。
そして、
仏陀の弟子はそのような邪な妄想を起こさせるような行いはしない。
12月30日
仏典を読んでいたら、隣りのクリスチャンがきた。
年末のあいさつだそうで、いつも車のとめる場所で迷惑をかけています云々。来年もよろしく云々だそうで、迷惑はしてません、と伝えた。
まぁ、しかし、たしかに狭いのはあるけれども、場所が限られているからなんとも。
近所の人にもあいさつをしてまわっていると、
そして、大福もちを置き土産にいただきました。
突然家に来て、年末のあいさつだとかいうことで、大福もちをおいていくとは、
なんという礼儀の正しさだ。
クリスチャンは両親がクリスチャンだったからだという話。
善いことをしようと心がけているらしい。
そして、クリスチャンなので、クリスチャンではないけれども、「家にも聖書はたくさんある(派・翻訳者が異なる)」という話をしていたので、それではということで、
聖書の旧約と新約との矛盾したところはどういうように受け取っているのか、と訪ねたら、聖書の内容を勉強不足であまり詳しくしらないのでわからない、と。
具体的にその箇所を教えてほしいということであったので、
私のHPにそのような事柄も説明しているところがあるので、HPを紹介したのであった。
さり気なく仏陀の教えを弘める。
真理・善行の教えを伝える。
「宗教 ひっくり返る」で検索すると、すぐHPが出る。
きな粉もちを食べて帰ってきた。
おいしいきな粉もちであった。
駐車場のとめる場所はね、まぁ、たしかにいつも狭いなとは思っていた。その部分の事柄でいえば、迷惑をしているといえばしているな。と考えていた。
2台止まっている間をバックで駐車をしているので、こすりそうな感じ。
駐車する位置は決まっているから、まぁ、しょうがない、と。
聖書はね。
本当の言い表しの言葉を知りたくて、多数の翻訳を見ている。
微妙な表現で受け取り方がかわるので。
読みたい本がたくさんある。家に。しかし、春の身体はひとつしかなかったのであった、とかおもいつつフェイスブックに書き込みをしつつ。
1週間休みがあっても、たいした本を読むことはできない。
本をまくらにして眠ると、その本の内容が頭に入っているという能力があったら便利だね
本を読んでいるときに、これはそのとおり、これは違うとかいう判断をすることなく、あたまに入るのか、ということは、記憶をしたあとに自らで分別をしているのか。
まぁ、そういうのはいいとして、
研究者も人生で研究できる時が限られているので、その研究者自身が何を見てきたか、何と触れてきたか、何を選んできたか、というそのような分別、縁というのも、謎を究明するためのポイントではある、と。
そうだねー。
まったく話がかわるけれども
過去の歴史の人物を見てみると
仏陀の教えを聞けばすぐ理解できるような、
そのような善なる道徳を説いていた人・そのように衆生を導いていた伝説上の人、権力者・主導者・王族は、善き帝王として知られている人が多い。
その逆で、仏陀の教えから遠く離れるような行いで衆生を率いた人物は、悪しき人物で名が知られている人物が多い。
そのような気もする、と。
まぁ、真理でいえば、そう見えるのは普通である、と。
宗教(真理)は、衆生を導くその導き手が学ぶべきものでもある。
帝王学。
その主導者によって、衆生は善行を成す者になるだろうし、悪行をなしてしまう者にもなりえるだろう。
そのように、主導者が何を宗とするかによって、それに従う衆生の意識もまた大きく変わりえる。
衆生がどのような業(カルマ)を作るのか。
その主導者によって、大きく左右されることもあるだろう。
真理を宗として身口意を行じている主導者が、
衆生を真理の方向へと導くことは可能である、と。
1月1日(2014年)
有名だ、有名だってか。
地獄に進んでいるテロの者達には有名だってか。
・・・
ほとんど意味なし。
有名だ、有名だって。
善なる人たちに有名だってか。
w
それは、意味あり。
人殺し集団の仲間、元旦からやってるね。
嫌がらせ。
元旦からすでに縁起の悪い者達だし。
それに絡まれている俺。
テロ集団ホントに縁起が悪い。
そして、それに絡まれる春。
これは、
まぁ、いつものことか、と。
テロ集団の悪しき縁を切る努力精進をしなければダメかー。
悪しき縁を切る努力。
たしかに、いままで、それはあんまり深く考えてはいなかったな。
う~ん、微妙だな。
テロの者達の悪しき縁が大変なことになってしまっているようなので、
これは、
改善でなくて、
悪しき縁を切る努力。
努力精進。
そして、善行者の方々と更に親しむ、と。
テロの者達に悪しき縁が集まっている。
だからして、悪行をして笑ってるのも集っている。
そして、堕処・地獄に赴くという悪しき縁。
テロの者達の縁が悪すぎるので厭い離れる。
厭い離れるっていうのは、以前から言ってたかな。
堕処に赴くとされる悪行をする者が、
何故、そこに集中して集まっているのか。
さきほど、実家で紅白を見ていた。
───(省略)───
内容を詳しく知らないのであれば、悪語を発するべきでない。
悪語を言うように言われたのであれば、その悪行を断るべきである。
他の人でも、
内容がわからないけれども悪語を言うように言われるとか、
そういうのが、所謂(テロの)悪しき者達との悪しき縁。
悪縁。
堕処・地獄に赴いてしまう縁。
今日もテロ集団の悪語を早速聞いた。
ぶらんにゅーでぃー?
×下
普通に聞いても、縁起が善ろしくない。
ブランニューデーっていう曲なのかな。言ってたけど。
ひどいな、しかし。
函館だけ編集してそういう悪語な歌になっているのかな。
まったく、ないな。
さぶちゃんはね。俺の祖母の家のところの近所に実家があって、お盆になれば毎年帰郷してお祭りをしていたので、小さい頃から知っている
本人と面識があるわけではないけれども。
弟子を引き連れてきてたね。
最近は帰郷してないのかな。
直接見たことのある芸能人は、さぶちゃんとその仲間と千代の富士くらいだな。
あとは、名前がわからない人にあったな。
竜の上で名前を言ったような、か。
最近のテロ側の歌とか、
悪語を発して、途中で誉めたような言葉をいれ、また悪語が入っているというようなそういう中途半端なテロ側の歌は多い。
そういうのは、まとめてテロ側の悪作だと思うけど。
そういうのではなくて、ふつうの歌でいいだろう、と思う。
中途半端に悪作。
HPも知られてきているのか。
テロ側に言わされているか。
隣人にお返しでハスカップのお菓子をあげた。
─
う~ん、まぁ、しかし、悪語はないな。
ブランなんとか♪は、完璧ないけど。
テロの者の悪行に関して、その悪行者はお金はあるけど、天上からはおよびではない。
なぜならば、天上は悪行者が生をうける世界ではないからである。
いや、テロ側の悪行者はお金のないものもいるだろう。
1月2日になった。
静かな音楽をきいて、ゆったりとした時をすごし。
人生は”あっ”という間にすぎていく、と。
あれ、主婦っていつも同じ家事をしていれば、外で働いている人より、時の流れを早く感じるかもしれないね。
どうなんだろうか。
仏陀の教え
「すべての生きとし生ける者どもは、死ぬきまりのもので、死を以て終り、死を超えることはできない。
喩えば、壺作りの作った器は、いかなるものでも、焼かれていないものでも、焼かれたものでも、すべて、破壊されてしまうきまりのもので、破壊を以て終り、破壊を超えることができないように、すべての生きとし生ける者どもは、死ぬきまりのもので、死を以て終り、死を超えることはできないのです。
生きとし生ける者どもは死ぬであろう。
生命は終には死に至る。
かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき、(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。
悪い行いをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は、善いところに生まれるであろう。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世で人々のよりどころとなる」
休息。
テロの仲間がCMで悪業してるんじゃないの。いつものごとく。
テロの仲間同士で、悪行の連合を確認しているのか。
だから、あなた方の行いは道理にない。
その行いは堕処におもむく、と言われている。
正月から縁起の悪い企業だわ。
縁起が悪いっていうか、テロ犯罪の共犯だろう。
テロ共犯企業だろう。普通に見て。
テロは世界的な問題だと思うよ。
思うっていうか、世界的な問題だよ。
まぁ、悪業が実るまでテロ企業も活躍をする機会はある、と。
企業か個人か。
しかし、テロ連合は、一体なんなのか、まったく。
道徳なし。
その道徳教育が足らなかったからって、そのツケを俺にあてられても
俺は別に、あなた方と別に縁はないだろう。
あなた方からの悪縁は生じているみたいだけれども。
そういう教育不足を俺にあてないでくれる。
連合企業同士で、道徳教育をはじめにしたほうが善いだろう。
そういうのでは、その企業で働いても、ろくな人間ができあがらないと思うよ。
自分達でそう思わないの。
日本を代表するような企業がテロ活動してるんだからね。
まったく、
う~ん、代表ではないか。
日本で名のしれている企業のテロ連合か。
テロ法は発動しないのか。
あれ、どういう法律なの、それで。
テロ法できてもテロ側が活躍してるということは、テロ側の法律ということか。
それは、後の日本のためにも、世界のためにも、テロ企業をチェックしておいたほうがいいんではないの。
日記にコピーするのに、直接日記に書いたほうがはやいってば早いんだけどね。
まぁ、でもホントに悪魔側の悪しき存在の方に導かれていってるから、そういう集いは、なかなかもう止まることも難しいのだろう。
悪霊もあなた方と一緒になってやってるよ。
仏陀の教えを説いてもダメだったということは、もう悪魔側に引きつられていくのだろう。
いや、俺でなくて。
あなた方。
笑って悪行をしている各人。
まぁ、そういう現実的な話からは遠い、夢のような話をすると、テロ側がまたそういうところに突っ込む、と。
まぁ、一般事象の現実しか見たことがないから、それもまたしょうがない。
信仰なき者達よ、と。
でも、一般常識で普通に考えても、
テロ側の愚かな行いを見て、おかしいと思わないか。
テロ連合の代表者でもよこして、俺と話し合いをすればいいんでないの。
話をするにも、きちんと説明してくれないと、他の人も納得しないと思うけれども。
1月5日
う~ん
俺が生まれてはじめて買ったCDはクリスマス・イブなんだよね。
中間からポキッっと折れるケースのミニシングル。
はじめて買って、中間をポキッっと折って、長いケースに合わなかったから、もうCDケースを折るまい、と思ったから、おそらく生まれてはじめて買ったCDで間違いないだろう。
2枚目が負けないで、だったかな、永井真理子のずっとだったか、発売が早い方が2枚目だな。負けないでが3枚目か。
4枚目以降は忘れた。
クリスマス・イブはいい曲だったんだけどね。
言葉
〈幸せな人〉である師は、次のことを説いた。
「立派な人々は(このように)説いた。
最上の善い言葉を語りなさい。(これが第一である。)
正しい理を語りなさい、理に反することを語ってはならない。これが第二である。
好ましい(こころよい)言葉を語りなさい。好ましからぬ(不快な)言葉を語ってはならない。これが第三である。
真実を語りなさい。偽りを語ってはならない。これが第四である」と。
その時、長老ヴァンギーサは、その座をたち、大衣を一肩にかけて、世尊を合掌し、礼拝して、申しあげた。
「世尊よ、わたしに想が湧きました。世尊よ、わたしに想が湧きました」
「では、ヴァンギーサよ、それを誦するがよい」
そこで、長老ヴァンギーサは、世尊の前にすすみ、ふさわしい偈をもって世尊を讃えまつった。
「人その言葉を語りておのれを苦しめることなく、他をもそこなわざる言葉、これこそ善く語られし言葉なり。
人のやさしく物言いて、その言葉耳にこころよく、他人を悪しざまにいわざる、これぞやさしく語られし言葉なり。
真実こそはまこと甘露(不死、涅槃)の言葉、これ古より法とするところ。
真と義と法とによりて、善き人々は確く立つという。
仏陀の語りたもう言葉は、涅槃のやすらぎにいたらしめ、苦の終辺をなすものなり、これぞまことの最高の言葉なり」
「人その言葉を語りておのれを苦しめることなく、他をもそこなわざる言葉、これこそ善く語られし言葉なり。
人のやさしく物言いて、その言葉耳にこころよく、他人を悪しざまにいわざる、これぞやさしく語られし言葉なり。」
「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。」
「立派な人々は、真実の上に、ためになる(有益な)ことの上に、また理法の上に安立しているといわれる。
安らぎに達するために、苦しみを終滅させるために、仏の説きたもう安らかな言葉は、実に諸々の言葉のうちで最上のものである。」
1月6日
う~ん
今日もテロが世間を翻弄させ騒がせていた。
トップもテロ側かな、と。
う~ん、まぁ、そうだよな~
まぁ、悪魔と戦う力もなければ、戦う勇気すらなし、か。
悪魔側につけば、対するは春のみ。
戦う勇気も必要なし、か。
まぁ、わからないでもない。
本州とかっては、現在どういうようにテロに洗脳されていってるのだろうか。
本州は飛行機かフェリーに乗らないとならないから、あんまりいくということないからね。
まぁ、あとは泳いでいくとか。
平泳ぎだと時間がかかるからダメだな。
まぁ、しかし、あなた方理法と対峙してしまって
それは、人として、非常に危険な状況。
対峙っていうか、もう敵対のようなのもいるからな~。
困った(者)だわな。
俺も、そちらのテロ側もすでに決められた、自ら選んだ道を歩みはじめている、と。
そういえば、CDは4枚目、5枚目あたりでWANDSだったかな、買ったのは。
そういう年代だね。
そういう頃からすでに、テロの理法に反する悪しき計画は計画されていたのだろうか。
計画してたのか。
まぁ、メーソンとかの秘密結社等も歴史があるから、計画されてたんだろうか。
メーソンがどうとかは知らないけれども。
計画に絡むような秘密結社があるとすれば、
人数と資金か、
まぁ、資金がなければ動かす力はあんまりないだろうからな。
理法をもっている集まりではないから、そういう理法をもたない存在が多くあつまる。
理法がないというのに気づいて抜けていく存在もあるか。
まぁ、バブルとかも結構計画的なところも、ないんだろうか。
日本の現在の景気は、テロ側操作のバブル景気みたいなものになりそうというわけでもないのか。
生活が豊かになるのは良いことだけどね。
日記の文章を読み直して、(メーソンが理法をもっている集まりかどうか、エロにのっとられて悪しき計画をしていたとか言っているわけではない、それは詳しく知っているわけでもないので。)
メーソンが理法をもっている集まりかどうか、そういうのは知らない。
フリーメーソンの集いは、別に詳しく知っているわけでもなく。
これてといってメーソンという集いに、興味があるわけでもない。
神智学は、主ブッダと言っているところに興味がある。
最近、これは、とおもったけれども、
会社とか企業の名前に「ソン」っていう名前がある企業って、
何か関係あったりするのだろうか。
と、考えていた。
メーソンの「ソン、SON」だべか、とか考えていた。
メーソンのソンってSON入ってたべか。
どれ検索
『日本グランド・ロッジは「フリーメイスン」と表記している』
なんと
ソンでなかった。
スンだった。
これは、おしかったな。
スンならば、SUN
1スン、2スン、3寸
CDのは、クリスマス以前に思っていたから、書こうかなと思っていた。
クリスマス・イブはほとんぼ毎年クリスマス時期になると聞くからね、
だいたいクリスマスにかかる曲も定番化してるんだろう。
日本の昔は演歌とかだったから、クリスマスの良い曲が少ないのかもしれない。
しかし、テロ側の能力者もよくやるよね。
どういう存在にそそのかされて、そういう邪道を行ってしまうのか。
邪道の先は、その人生で死を迎えるまではパラダイスってか。
パラダイスだかどうだかは知らないけれども、まぁ、悪行は理法で言えば、死後には悪処ではある。
が、
パラダイス。
パラダイス。
パラダイス銀河。
っていう歌があったような気がする。
いや、まぁ、別になんでもない。
え、いや、どのパラダイスだかは知らないけれども、そのパラダイスには別に興味はない。
どのパラダイスだ、
とりあえず、パラダイスの意味から
どれ検索
wikiより
『英語で楽園・天国の意。』
ごめん、パラダイスの使い方間違えた。
でも、人生という生存期間限定だから、まぁ、
快楽に溺れるとか名誉に溺れるっていうような、執着は楽園という言葉なら、意味があいそうな。
そうだな~
世の中に、世のため人のためになる行いで、大きな財産を気づく人もいる。
テロのような世の迷惑、人の迷惑、悪しき行いで、大きな財産を気づこうと夢をみている人もいる。
どちらが邪道でしょうか。
なんか急に邪道の質問形式になったけど。
それでは、
どれ邪道を検索。
邪道
『正当でない方法。
本筋から外れたやり方。
よこしまな道。
道徳からはずれた行い。
正しくない方法。』
正解は
なんと
「テロのような世の迷惑、人の迷惑、悪しき行いで、大きな財産を気づこうと夢をみている人もいる。」でした。
いや、普通の良識があればわかる。
1月7日
今、見てた。
マホガニーのテーマ♪
あなたは、どう思う
1月8日
ニッ×ンのCMでまたやってる。
テロの仲間だろう。
しかし、CMのテロ企業強く出てきている。
上司でそういう悪しき者がいると、下の人達はホント善に生きたい人にとっては迷惑だろう。
一番に迷惑をこうむっているのは俺だけどね。
トップが日本人ではない、か。
でも、だいたい最初からCMでテロやっている企業ももうだいたい決まってきているからな~。
トップが日本人の企業もあるよな~
だって、ずっと見ているけれども、真理と、そして勝義があるのは完全にこっち側だもの。
聖者側。
そっち、無理だって。
完璧に道理にないから。
人数が多い少ないとか関係ないからね。
テロの悪しき者が大勢あつまれば、善の道理となるという道理もない。
CMがかなりひどいよ。
正当な話あいすらもなく。
道徳が抜けているというのを通り越して、良識もなかった。
はっきり言って、あなた方テロ企業の「しね」とか「ころすつもり」とかそういうたぐい系の嫌がらせCMは小さい子供は見ない方が善いだろう。
どう考えても、教育にも悪い。
本当に世の迷惑だわ。
本州ではどのようにテロ側に洗脳されているのか。
まぁ、テロ側の稼働部隊だけが主に洗脳されているって感じなのかな。
一般人は、それほど浸透していないのか。
自分たちの仲間に、自分達が洗脳されているであれば、それもまた話しにならない。
本州ではそれほでテロが翻弄させて騒がせていない、か。
でも、全国放送でもテロやってるからな。
紅白ってあれ日本全国でないのか、あれは。
すでに洗脳されている者達にいくら言っても、馬の耳に念仏。
せめてもうちょっと良い方向に洗脳されていれば、普通に俺が言っている言葉も理解できないことはないだろうに。
洗脳されていない普通の人は、結構理解できる人もいると思うよ。
う~ん、まぁ、洗脳というのにもいろいろあるのだろうから。
まぁ、どちらにしても洗脳をされるという段階の者。
洗脳されていない人が、私は洗脳されていないというのであれば、それはそれで善いと思う。
まぁ、そういう者達はいつものごとくで、いつものように、そういうように思う。
しかし、イエズスもパラダイスという表現を使ってたな、と。後から思い出した。
はっきり言って、その事をぜんぜん気にしてなかったのであった。
私、個人の言葉の意味として、「パラダイス」っていうのは、そういう清浄な天上、清浄な世界とかそういうイメージではなく。
まさに、その楽園という方のイメージで、もうちょっとエロい感じ、だったんだけど。
だから、テロ側の悪しき行いのあとの短い人生という存在の余生の快楽というパラダイス。
道理としては、その後に悪しき処にいくと言われている。
イエズスのパラダイスは、テロ側の悪しき行いとは違って、
清浄な行いがあって、その先のパラダイス。
そこには快楽ではなく、安らぎがある。
聖書でイエズスの言うパラダイスは、テロ側の悪しき行いの者の先にはない。
普通に聖書よんでれば、理解はできるだろう。
う~ん、日本人って、仏教が浸透しているので天上のイメージとしては清浄な世界という感じを持っている人は多くないだろうか。
少なくても、俺個人はそういうイメージだったので、パラダイスっていう表現をそういう感じでとらえてたところがある。
パラダイス、楽園。
喜びと楽しみが多い世界。
天部。
そして、仏教・仏典での天部とは、
ただただ、楽しみや喜びがあるというよう世界。
それと反対に、地獄とは、
ただただ、苦しみだけがあるというような世界。
しかし、今日もまたテロが世間を翻弄させて騒がせていたな。
あの手この手で、洗脳工作か。
困った者だな。
困ったちゃんのところを、HPで困ったさんに直そうかなと思ってたけど、読まれてたのだろうか。
もうね、ホントにテロの者達の悪しき愚かな行いを見せられると、俺、完璧に天人だな、と思っちゃうんだよね。
なぜならば、私はそういう悪しき愚かな価値観を厭うているからである。
そして、それは仏陀の教えに適い、他の聖者の教えにも適う。
俺は、現在は人であります。
テロの者達の悪しき行いは天上でも”ない”。
聖者・聖人の善なる行いは天上でも”ある”。
テロの者達は他人の粗を捜して見ているが、
聖者方は自らを観て、自らの粗を観る。
あなた方さ、最近、ちょっと昔の能力者にもすでに読まれてないか。
この世界は、テロのような悪しき者・悪しき能力者ばかりがいるわけではなく、
善なる者・善性の能力者もいるんだよ。
知っていますか。
1月9日
今日もパラダイスの意味を考えていた。(その人の〔善なる〕信仰心の果報について)
そっか、ひろい意味で言うパラダイスなら意味があうな。
と、今思った。
善なる行いによる後悔のない思いについて
目が覚めたら気づくだろう。
1月10日
あなたの感情は本当によまれてしまいます。
善の方に行きたいと悪魔側から方向を変える人は注意。
え~と、叩かれたりとか。
しかし、悪魔に対しても、そういうのを乗り越えていく。
これは聖者方・聖人方のほとんどがしてきた事柄でしょうけれども。
悪しき者・悪しき存在からよまれる。
同じように、善なる者・善なる存在からも見られている(よまれている)。
第三者の意見で、善なる側に、何かがあれば、悪しき側にと、いつもコロコロ変わる人は、悪魔も天神も、その人をそのように見るだろう。
たとえば、あなたが現在、りんごを思念しているとしよう。
その思念しているリンゴは容易によまれやすい。
表面にだす思念はよまれやすいからね。
そこで、感情を見ている人、無我を見ている人と、自らの感情を、自らであるという、無我をみることのない人との違いが、う~ん、大きいね。
聖者側の流れでない人は、能力として無我を見ている人の深く深くまで見るというのは、難しいのだろう。
普通に見てても、よみが感情まででそれより深くをほとんどよめてないみたいだから。
感情はよまれるというのは、以前にも記している事柄であるけれども、改めて記しているところ。
これを自らで理解していないと、悪魔と対するにしても、そこを越えていくことは、かなり難しいだろう。と思うので記す。
善で心が満たされている人は、悪魔に翻弄、誘惑されることも、比較して少ないだろうから、越えるという難易度は低くなる、と。
そこったって、ぜんぜん最初のところの壁みたいなものだからね。
とりあえず、気をつけて進みましょう。
1月13日
HPを更新
俺ははっきり言って
死後に地獄に行くとかそういう心配はとくにないので、
普段の生活は別に普通です。
いや、ネットとかを見てれば、そういう普段の行いがテロ側にないって思われるようなこともあるらしいので。
なので、そういうのは、普段は別に普通の生活をしている。
以前にも同じようなことは記しているけれども。
悪しき行いをしているテロの集いから見るとないのか。
悪しき行いをしているテロの者達は道理でもない。
私は善行を行っているので天上に行くという道理もある。
人生あっという間に、すでに30を越え、
小さい頃、30代の人を見れば、結構なおじさんだったよ。
そのおじさんがここにいる。
女性は、30代の女性を見て、おばさんだと思ってたっけかな。
たしか、女性のおばさんに”おばさん”と言って、
「おねえさんでしょ^^。♯」と言われたことがあったので、
おばさんと言わないようにしたほうがいいと思っていたと思う。
1月17日
ご飯を食べているときに思っていた。
飛行機は安全第一みたいなものだろうから、技術がないと作れない
な、と。
そして、使いやすいマウスを思い出したんだけど、パッドマウスを普通のマウス機能もつけて、指で大きく動き、マウス自体で小さく動いて微調整するような動きが可能な感じで二重でカーソルをうごかせると使いやすいかもしれない、と。
ボールがついたマウスは販売していたような。
どれ検索。
まぁ、ボールとたいしたかわらないかもしれないな。
飛行機の話は別に、膨らむ話でもなく。
飛行機を製造している会社は技術力が高いだろうな、と思った。
安全の技術。
小型のプロペラ機はそうでもないか。
人生”あっ”という間のところね、
まぁ、あっという間でもあるが、内容が濃かったので、実感として”あっ”という間でもなかったけれども、想いかえせば、あっと言う間だな。
40歳、50歳、60歳、100歳、200歳、300歳、
200歳、300歳くらいのは、ゾウガメと樹木くらいしか思いうかばない。
どれ、検索。
初めて知った。
ベニクラゲ
一定の大きさにまで成長(=老化)し、繁殖を終えると、いきなり若返り初め、
幼体にまで戻ったところで、再び成長を始める。
そのため、捕食者に捕食されるか事故で死なない限りは、全くの不死という不思議な生き物。
不死ではないけれども、若返るらしい。
幼体にまでもどって、成長するのか。
若返りの回数は決まってないんだろうか。
昔から多くの人間、そして女性が追い求めているような能力をもったクラゲではある。
1月19日
あの、だから、俺はテロの愚かな行いをしている者達と関係ないから、普通の日記だよ。
ネットで使いやすい工具を探しているところ
テロ側のその悪心は仏陀の教えから見てもダメだし、天神方・善神・善心から見てもダメだろう。
普通は気づくと思うけれども、
気づけないんだろうな。
数年間も故意に悪業をしつづけている。
そして、悪業に参加する者達をともに地獄へ引き連れていくのか。
これからの生まれ変わり、存在が大変苛酷なのは目に見えるようにわかるんでないの。
仏陀の教えより
まぁね、俺もやわらかく記しているけれども、いままでのあなた方の悪しき行いは本当にないよ。
間違いなく悪業である、と。
テロ集団の悪業は完璧に天上に赴くとされる存在がするような行いではないのは確定的にはっきりとしているのではあるが、まぁ、これもいつもの説教だな。
テロの者はテロの者で、仲間である悪友におびえ、道に迷っていることにおびえ、真理におびえる、と。
悪友同士で真理を忘却して、一時の快楽を楽しむ。
その自らなした悪業のおそろし報い(の教え)も知らずに(知らないために)。
人生は短い。
今日は休日なので、ちょっと神道系の話を
まぁ、猿田彦だから神道系だろうな。
同一視をされる神名で道祖神とされることがあり、道祖神にまた別名があり、道祖神(ドウソジン)、岐神(クナドノノカミ)、来名戸祖神(クナドノサヘのカミ)、道俣神(チマタのカミ)、障の神(サエのカミ)、他の名で田中、という別名があるんだけれども、
邪霊である”さえ”という悪霊と同一の名前で呼ばれていることもあり、いずれ道祖神を邪霊を別として記しておこうかなと思っていたので、
このように記してはみたものの、
別にたいして記すほどではなかったな、とか思いつつ、とりあえず記してみた。
日本神道の猿田彦はニニギの尊の降臨に際し道案内をした神。
または、庚申信仰。
仏家では青面金剛または帝釈天。
神道では猿田彦。
三猿を石に彫ったものなどを一緒に立てる。等、説明文。
地球自体がそれほど大きくはないから、同一の神でも、国が変わって、他の名前で呼ばれているが、中身はその同一の神のことであるという存在も結構多いのだろう。
他の神霊も。
それもまた、今更の話だけれども。
田中と鈴木とベルマークか。
人の想念を読んでないで、自らで真理を求めた方が善いだろう。
そちらのテロの者。
いや、個人で田中さんとか鈴木さんとか関係ない人は気にしなくていいところ
そっちのテロ側の地獄に向かう者は、魔術者に簡単にだまされる。
なぜか。
善の側との縁もほとんどないから、それに気づく機会もあまりない、と。
こっちの聖者側に向かう人は、魔術者に簡単にだまされない。
なぜか。
善の側との縁があるから、それに気づく機会もある、と。
ふ~、っと。
今日はのんびりだな。
1月22日
さっき、”ありがとう”と思ったので。
今日は”ありがとう”という感謝の気持ちについて
みなさんは”ありがとう”と感謝の気持ちを述べるときはどういう心でいるだろうか。
人は他人に何かをしてもらったら感謝をして”ありがとう”という。
私も同じく他人に何かをしてもらったら普通に感謝の心で”ありがとう”という。
それも当然であるが、私は他人が心を動かしてくれただけでも”ありがとう”と思っているので、私は他人に何か行動をしてもらったら”ありがとう”というのではなくて、他人が心を動かしてくれたら、そこでもう”ありがとう”と言う。
(そして、心を動かしてくたら、”ありがとう”と感謝の気持ちを伝えようという気持ちでいる。)
感謝の心。
1月27日
今日は、昨日本を見ていて
メーソンのがあったので、ちょっと読んでみたところ。
メーソンの歴史は別にそれほど古くはないらしいね。
本に書いている。
伝説等・儀式等の古いっぽいのをとりいれているみたいなので、歴史があるように見えている、見せているということではある。
職業の石工が本当のフリーメーソンで
他の職業の人はアクセブテッドメーソンと名づけられた、と。
なぜ、石工なのか、と。
石工の人達は神殿とか作るときに、長くそのほかの現場職人さんよりもその現場に長く居合わせていて、さらにそういう神殿とかで仕事をしていると、そういう神聖とされる事物に詳しくなるので、そういうのに詳しくなったのもあったそうな。
まぁ、そりゃ、詳しくもなるだろう。
当の本人がその石造なりを彫っているのだから。
彼らは大建築物の設計された地方に自由に旅行し得る特権を持っていたから、自らフリーメーソン・自由石工と称したのである。云々。
技術職、本当のプロの職人なわけであった。
昔の彫刻でうまいのは本当にきれいにできてるからね。
ああいうのは、職人さんの技術だね。腕だ。腕がいい。
メーソンはその勢力を得ようとするために、王皇貴族を会長やその他の高級役員として仰ぐ風習を作った。
The Most Worshipful Grand Master最高至尊大教主、以下三十一種位階等級的名称区別がある、と。
信仰宗教とかでも、そういう階級制度のようなのはあるところではある。
階級が上がると、自らの階級にあった特権を得られるという規則があるようだから、そういう方向に力をいれてがんばってしまう、と。
階級昇進の儀式とかも記されているけれども、世俗の神秘でのドキドキ感がかもしだされているような感じだろうか。
真理がありそうで、ドキドキワクワクみたいな。
真理への期待、神秘への期待、真相への期待等いろいろあるのだろうか。
秘密っぽい結社の儀式っていうので、他の秘密っぽい結社でも、儀式として肉体的な恥ずかしさを克服するというようなのも含めてかな、裸にさせて、そういう恥ずかしさから皮がむけました的なある種の達成感を得させて、儀式を完成させるという秘密っぽい結社は多い様子。
「いやん、エッチ」というような、要するに恥ずかしいというような感情が克服されるっぽい。
確かに、裸の修行僧は世界にいることはいるけれども、そういうのは儀式として必要なのだろうか。
自分の家に帰り、妻とともに就寝する、そのときもまた、同じくそのように裸になる時もあるだろう。
一体何が違うのか。
妻と他人との違いか。
仏陀の弟子になるのに、そういう恥部を故意に(故意でなくても)さらけ出すというのは(必要すら)ない。
道理から考えても別に恥部をさらけ出す必要もないのではあるが。
それなら、修行をするという心で、素手で便所(便器)掃除するというほうがよっぽど殻がむけそうな気がしないでもない。(果たして何かが消えるだろうか。やってみればわかる。w。)
(そういう私はやったことがあるのかどうか。それはどうでしょう。
そうだなー、自分の中で汚いものを汚いと思っている、その心がわかると思うよ。実際に汚いんだけれども、その物の汚さを汚いと思う自らの心がね。人によるだろうけれども。
久しぶりに汚い便器を思い出したら、キモチがわるっと思ったので、そういう表面のところで実際のところのが。
まぁ、別にすすめないけれども。昔ネットのサイトで修行的な事でやっている人がいて、精神的な修行の意味で一般の複数の人が何だかすごくイイ(修業的な意味で)みたいなことを書いていたので、
では、と、俺もちょっと、と、実際に、どれどれと挑戦をしてみた
かどうかは、とりあえず、別に気にしなくてもいい。)
まぁ、素手で掃除はちょっと、置いといて、と。
その儀式なりを終えた後、貪ること、怒ること、愚かさというような悪しき心は果たして消えるのだろうか。消えているのだろうか。
どうなのだろうか。
まぁ、タントラでの一時の忘我を悟りだとか勘違いも甚だしいもの等で、迷っている神秘化や修行僧、密教徒も実際にいる、いたので、まぁ、真理を見聞していない一般の人が迷ってしまうのは、ある意味しょうがない。
と、いうことで、
仏陀の教え、清浄な聖者の教え、天人師の教えに依り、
あなた自らで道理を観じてみるのは善いでしょう。
1月28日
え~と、今日はまた本を読み直して、
え~と、メーソンの昇進の儀式の場合は、殆ど丸裸、で一枚の真赤に染めた前垂を掛けているということで、メーソンのその昇進儀式では丸裸ではないです。
そう書いています。
英国に十四世紀の中頃からメーソンのラッヂが存在していた、と。
いや、事実と異なることを書いたらよろしくないから、きちんと伝えるべきだろう、と。
間違っているところは修正。
神殿とか神聖な建物を建てる設計者が石工とかの職人監督さんでもって、宗教や神秘思想に詳しくなって、そういう職人さんが、専門用語なり、言葉を語ったりで、あつまった組合のようなのがはじまりであって、別に出家者のように修行のため、覚るためというわけでもなく。
だから、その神殿作りの監督さんが作らせたまたは、自らでつくった像なりを後の信徒、信者がそれを見て、祈ったりするわけで。
偶像の作り手とも言うべき存在か。
人数が多ければ、人の気持ちもさまざま、ちょっと、悪心ある人が彫刻すれば、ちょっと悪魔っぽいのを神殿に装飾したりということもないこともないだろう。
神殿等職人さんの腕がよくて、とても美しい建物は世界にたくさんある。
しかし、その外の建物がいくら美しくても真理を覚るということはできない。
あなた自身を鏡で見てみなさい。
そこに本当の神殿がある、と。
いくら腕が良くても、その宗教に詳しい建築の監督さんの腕のいい、見事な建物をみても、そこに真理があるわけではない。そして、その建築監督さんの集いの話し合いの中に真理があるということでもなく。
『教義信条は四海友愛。
「世界萬民の同意すべき宗教、それは善良真実な人間になるという信仰を奉ずる」
というのである。・・・この会の組織は元来すこぶる自由性を帯びていたので、従ってその教義信条なるものも極めて寛大で、各個人の思想や信仰の自由を束縛しようとしない。だからいろいろな宗教の人が入会しえるのである。云々。』
善良真実な人間とは、要するに?をつく人間ではないということだろう。
その言葉のとおりの人が善なる人がたくさん集まっているのであれば、仏陀の教えも聞こえない聞けないこともないだろう。
まぁ、私が思うのでは、善なる団体であれば、善いと思う。
と、そのように思ふ。
う~ん、善なる団体であれば、善いというのは、
仏陀の言葉が理解できるという善。最上であって、そして、普通の善という意味。
なぜ仏陀の言葉であるのか。
「仏陀を見る者は真理を見る。真理を見る者は仏陀を見る」
宗教、それは真理の教えである、と。
光。善を見ている聖者・聖人方は同様の事柄を語る。
それは、なぜであるか。
真理は一つ。
真理を見ている聖者・聖人方は真理を語る。
1月29日
う~ん、仮装劇のところはちょっと失礼な感じなので修正消去をしておく。(本に書いているのをそのまま書くと、ちょっとなんか残念な感じで失礼な感じという意味で)
仮装劇っていう表現がなんかね。劇って。
『劇』。
辞書で検索。
脚本中の役を動作とセリフで演じながら、筋書きに従って場面を進行させていくもの。演劇。
儀式と劇。
真理という面から見れば、
どうなんですか。どうなんだろう。
しかし、
世俗のちょっとかわった風習としてみると、
一風変わった儀式という感じではあるのかな、と。
2月2日
ふ~、っと。
現在、1時41分。
振動ドリル修復完了。
3時間くらいかかった。
新品の振動ドリルを買ってもらって、
使って間もなく、落として壊してしまったという。
バッテリーのところのプラスチックがこわれて、
使っているときにバッテリーが外れるので、ビニールテープを巻いて使用をしていたのであった。
プラスチックがきれいになおった(ように思われる、しばらく使用してみないとわからないけれども)。
あんなにガッチリとするもんなんだな、と。
なおせるので、これで、何回落としてこわしても大丈夫だ。
とりあえず、落として壊さないように気をつけよう。
2月3日
電動ドリルはプレゼントで買ってもらったのではない。
会社の振動ドリル。
って、そこまで説明しなくてもわかるか。
振動ドリルを落としたら、バッテリーのところがばっこりと壊れた。
プラスチックのかけた部分をプラリペアというプラスチックを修理する製品を使ったら、ガッチリと固まった。
1、2年くらい使っても大丈夫であったら、プラリペアという製品は良い製品だろう。
プラスチック修理。
最近はというか以前からだけれども、ネットで使いやすいと思われる製品をさがしていろいろ見ているが、
使いやすい製品があれば、今度紹介しようかな、と。
たとえば、レインウェアのような生地の補修に良い製品は、
キャプテンスタッグのシームレステープとシームグリップ
靴の修理はシューグー (←つけてからはがれることもあったので、そそれなりにいいと思う。)
まぁ、似た製品もあるけれども。
良い製品。
車か。
車の会社のCM等はいろいろ錯綜しているみたいだが、
私の兄が昔整備士をしていて、トヨタで働いていたこともあったけれども、日本の車はやっぱりトヨタの車が一番壊れにくくて良い車だと言ってほめていた。
かなり昔の話だけれども。
街中で走っている車をみると、車のドアのしたのあたりを見れば、サビている車とそうでない車がある。
あれはメーカーの作り方の違いでさびやすいのか。
作る素材によってサビがやすいのだろうか。
車は、昔三菱のディアマンテのF-31Aに乗っていたけれども、リコールがかかった。
あのころはリコールがはやっていた。
まぁ、流行とかそういう問題ではないけどね。
電気自動車。
水で走る車。
電気自動車。
どこかの国で水ではしる車なかったかな。
検索。はしないけれども。
電気自動車になれば、石油会社の石油の需要が少なくなるだろう。
クリーンエネルギー。
時代時代で世界の需要も移りかわり。
現在はインターネットの時代。
インターネットの次はどのようなものがくるのだろうか。
インターネットは検索等の会社が大きくなり。
そういえば、検索は何らかの単語を写真検索で検索すれば、なぜか全く関係がないようなエロ画像等も一緒に出てきたりもする。
あれも、問題があるだろうと思うけれども。
ネットも結構荒れているからね。
子供でもPCに詳しいだろうから、そういう意味でPC側で検索制限をすればいいだろうという問題でもないと思うけれども。
検索会社側の倫理の問題でもないのだろうか。
子供の内面の成長にもよろしくないけれども、大人の内面にもよろしくないだろうと思うけれどもね。
現在この世界で、もっともエロい淫らな心を衆生に生じさせているのは、インターネットの検索(の会社)でもあるのだろうか、と。
例えば、まったく普通に検索をしていても、エロ関連の画像等が入っていて、別に見たくもないけれども、どう考えても視界に入るから見らさってしまい、”この画像は~、なんと~、ガッツリとエローい”と、いうように、エロい心を生じたくもないのに、生じてしまったことは何度となくあったりもする。
ネットの荒れた状態を治すのは、その現在のインターネットの主導権があるような検索等の会社が率先して行っていかないと、世界中の人々がエロい心を生じやすくなってしまう(インターネットの荒れがひどくなってしまう)のではないだろうか。
聖者は煩悩の穢れをはらう。
善なる神もまた煩悩の穢れをはらう。
善なる存在は、衆生に穢れた煩悩を生じさせるような行いをすることは
ない。
2月5日
名前でソン。
ローソン。
ガンなんとかというところのサモンズなんとかというゲームを見て、一見して普通に、ない側の路線だろうとネットで検索をしていて、
ソンというので、名前のソンでメーソンで、
ソンのつくので思ったのが、ローソン。
近所にローソンが2軒できたが、行っていない。
そして、ウィキでメーソンのを久しぶりに見たら、詳細がこまかく記されていた。だいたい同じような事柄が記してある。
ローソンは別に、思っただけで繋がりとかはあるのかどうかは知らない。
ローソンは小さい頃、ローソンのおでんを食べておいしかった記憶がある。
サモンズなんとかというゲームの内容は知らないけれども、
どういう内容なのだろうか、と。
知っててのネーミングであれば、リアルに悪魔の側なのか、と。
沙門(サモン・シャモン)
僧となって仏法をおさめる人。
ゲームっていうのだからね。
まぁ、しかし、人生で悪魔側について悪魔にあとから堕とされるような悪業は積むべきではない、と。
あと数十年で死後を迎えるであろうに死後というものを信じていないという。
例えば、魔術者はなぜ魔術を用いて悪しき行いをなすのか、
その結果が見えない。先を見るという能力がないので、悪しき行いをなすにいたる。業の結果を見る能力はない。
聖者は、悪しき行いをなさない。
その結果が見える。先を見る能力があるので、悪しき行いをなすことはない。
メーソンの
「偶像の作り手とも言うべき存在か。」というのが、
直球で言いすぎてしまったかなと思っていたのであった。
石工の人で、偶像を作っている人もいるだろうけれども、そうでない人もいるだろう。
石工の人で偶像を作っている人は、実際にそのとおりに偶像の作り手という表現はあてはまる。
え、あてはまるよね。
あてはまるでしょ。
と、まぁ、偶像の作り手であってしまったりもする、と。
日本神道は鏡を置いているからね。
そういうので、昔の神道は自らを見るというのが見てとれるような感じだろうか。
昔の神道の精神は、かな。
カガミからガ(我)をはらい去る、と。
そこに写っているのは、それは、何なのか。
恐怖によって、または、真理とは異なると思しき現実の慰めと安らぎがほしくて、悪友を増やしても、あなたが受く真理を否定することはできない。
仏陀の言葉は真理の言葉であって、それはそのとおりになるとされる。
なぜならば、それは真理を語っているからである。
人は自らな為した善業と悪業の報いを受けるのである。
仏陀の智慧の目がどれ程に見えるか、というのも、紹介した教えからでもわからないだろうか。
悪魔という存在が力をおよぼすことのできない清浄な境地をも、教えとして多く説かれているのだけれども。
その悪魔が力をおよぼすことのできない境地の、更に上、その更に上までも教えとして説かれている。
しかし、世間の衆生は
そういう境地がどうとかこうとかという前に、教えにある、無、空というところでもってすでに、ちんぷんかんぷんであったりもする。
それは、世間の衆生としての魔術者も同様である。
一回や二回禅定をして、仏陀の教えを理解するということは極めて難しい。
ほぼないだろう。
これは、そういうように教えとしても説かれてある。
繰り返し繰り返し禅定をしていくことによって、観えてくるものはある。
春に光が来た。それはまさに、仏陀の教えのとおりの道なかばである。
だからね、それ、を語ることによって、仏陀の教えをあとから紹介しても、はるは仏陀と同じ意味の事柄を語っていた、というような現象
も普通に生じる。
それは、なぜか。
”それ”は、仏陀の説く、真理にいう境地のなかばだからである、と。
仏陀の教えが本当にすごい、と力説しても、
意味が通じないという。
魔術者に説いても意味がよくわかっていないので、そちらにも意味が通じないという。
だからね、私たちと同じ時代に生きたクリシュナムルティさんという人の、説いている言葉もすごい(尊敬の念)と思うよ。
昔の聖典で説かれている言葉もすごいけどね。
ふ~、ちょっと21時30分に会社に行って、働いてきた。
今、帰ってきた。
部屋が寒い。
しかし、心は温かい。
どう。
まぁ、そういうのはいいとして。
24時をまわったので、休息しようかな、と。
明日は昼から出勤なので、少しゆっくりしよう。
2月8日
う~ん、ソンって、パナソニックとか、
CMでソンっていう企業のCMをたまたま多く見かけたか。
そういえば、SONって結構多いね。
米国のマソニック=ナイツ=テンプラー、英国のマークメーソン以下今は多数の新派がある、と。
ソニック、ナイツ。
昔、セガという会社のセガサターンでソニックとナイツっていうゲームソフトはあった。
──
まぁ、セガサターンは消えうせたけどね。
あれは、学生の頃、プレイステーションとセガサターンがあった時代。
私もゲームをしていた世代なので(現在はゲームとかはやらないが)、あの当時はどちらのハードを買うか迷ったな。
あれ、ナイツはどうだったかな。
検索。
やっぱりあった。
ゲーム業界がいろいろとなんかね。
あとは、デビルサマナーとかゲームであったな。
あのゲームもやってことがあるけれども。
デビルサマナーは
それは確実にない、と。
意味的に。
言葉の連想。
秘密の暗号として言葉でいろいろそういうのに引っ掛けて伝えているようなのもあるらしいので。
私も連想をしてみた。
どう。
ちなみに、米国のマソニック=ナイツ=テンプラーで
ソニックとナイツは
セガサターンというゲーム機であったけれども、
日本語よみでは天プラーなので、
天+ともとれる、とか。
お、
これは。
ころもはサクサク。
いや、一応言っておくタイミングだろう、と思って。
まぁ、しかし、総じて
そういう細かい連想とかもこれと言って、真理というものには緊密な関係があるというわけでもなく。
別に深く考える必要も特にないところであったりもする。
いや、テロ関連のでいろいろ考えて見てだね。
何かあるかな、と。
最近はアサヒでいろいろと考えているところ。
アサヒ、アサヒでアサヒっていう主張が強く出ているような。
アサヒって、どこのアサヒか。
─訂正─
朝、
アサガオ、ヒルガオ、
ヨルガオ。
ヨルガオ。
ヨルガオって花はあったかな、
どれ。
すごい、あった。
はじめて知った。
流通名「ユウガオ」だそうな。
それなら知ってるわ。
世間の事柄。
例えば、今日1時間半くらい定をして、その中で雑念が多く出た。
これは、真理に関連する事柄。
聖者方・真理の道と世俗世間の内の秘密でドキドキワクワクな道は違う。
つしま・春はそう思う。
2月16日
検索のbin×でちょっと普通の言語を検索するだけでもエロ画像が選出されるので、bin×でbin×を検索してみても、エロ画像が選出された。
あれは、ものずごい数ある画像の中で、エロ画像が多く選出されているというのは、これは、すごいエロい。
個人個人でプログラミングで選出される画像が違うとかか。
やっぱりインターネットの世界が、危機的な状況というやつでないのか。
陰謀とかもインターネット等の新勢力系統がでているんだろうか。
インターネットの運営側の者が天上から排除されるという危機にさらされているというのが、真理として天上での道理だよね。
インターネット運営側、真理の道から外れるという件について
何かひとこと。
え~と、
私が思うのでは
インターネットがエロい、と。
世界的な危機でございます。
そういうのがずっと続けば世界的な危機だろう。
人々の心があれる。
ネットの使用人数はこれからもっと増えるだろうし。
そういう人の道を外れた心を作りだす側になっているインターネット運営側。
本人個人としての愛欲であれば、結婚、恋人、相方を愛するというので世俗としても理解できるだろう。
が、しかし、他の者にエロを想起させるそのやり方、その貪欲さは天の道にあらず。神の道にあらず。
仏陀の道にあるわけもなし。
これは、日本だけが現在このような状況になっているのかもしれないけれども、
世界各国のどこの国でも起こりうるだろう。
現在起こりつつあるのかな。
まぁ、運営側の各人があぁいうエロ画像が普通というエロい価値観で育ってきた(という)のであれば・・・、
そりゃ、エロいわ。
そして、そのエロい影響を受けた育った若者がさらにエロくなるという悪しき連鎖。
全く困ったものである。
テロ側による、インターネットエロエロ大作戦だな。
それは、真理としても没である。
ちょっと今本を読んでいて、
最近思っているのだが、聖徳太子が実在しなかったというのが、学校の教科書にも載ったらしい。
それであれば、十七條憲法の制定は誰がしたのだろうか、と。
検索してみるか。
wikiより
『概要
十七条憲法は、憲法十七条、十七条の憲法とも言われる。『日本書紀』、『先代旧事本紀』には、推古天皇12年4月3日(西暦604年5月6日)の条に「十二年…夏四月丙寅朔 戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」と記述されており、『日本書紀』には全17条が記述されている。この「皇太子」は、「?豐聰爾皇子」すなわち聖徳太子を指している。
内容は、官僚や貴族に対する道徳的な規範が示されている。儒教・仏教の思想が習合されており、法家・道教の影響も見られる。』
仏陀傳より
『支那から朝鮮を経て我国へ伝来されたのは第二十九代金明天皇の御宇十三年という事に正史に載っています、勿論佛教はそれ以前から我国へ伝わっていたのでありますが、つまり公然に伝わったのは此時であります、即ちこの時代に朝鮮に於て勢力のあった百済国の聖明王といふが自ら願文を作り、それを金銅の釈迦牟尼佛の御像と若干の御経とに添へて金明天皇に献上されたのであります。云々・・・。
次の敏達天皇の御宇六年に至って百済国王から御経と共に僧侶や、佛像及び寺院を造る職人までも献納したのでありますが、此時我等の尊崇し奉る聖徳太子は御年六歳に達しておられました。云々・・・。』
年代の記述は書物により誤差があり、創作者が聖徳太子なのかどうかは定かではないけれども、昔から十七条憲法は制定されていたと伝わっているということで、民衆はそれをそのまま受けて現代まで伝えられてきている、ということで、三宝が敬われていたというのは間違いないということであろう。
『太子傳補闕記』に勝鬘經義疏を太子生年三十六、己巳四月八日から辛未年(三十八)正月二十五日了。そして維摩經疏製作の日付。法華疏製作の日付けについての記載あり。『扶桑略記』にも同様の記載あり。
このように製作の日付も記されているのであるが、聖徳太子は実在しないのだろうか。
2月19日
聖徳太子曰く、
『善を行ずるの義は、本と帰依に在り。今廣く萬行の道を明さんと欲するが故に、帰依を以て首と為すなり。所以に優婆塞戒經に云く、若し三法に依らずして戒を受けなば、戒は堅強ならず、採色の膠なきがごとし。』
所謂、聖徳太子は仏陀の弟子。
『今廣く萬行の道を明さんと欲するが故に、帰依を以て首と為すなり。』
善行へと導きたい、という善の心。
心も善いけれども、目もとても善い。
まさに、智慧の目。
日本の皇族の中に智慧の目をもつ人がこのようにあった。
聖徳太子の心を見ると、心清き善い血脈。
春思ふ。
2月20日
そうか、実在しないかもしれないか。
教科書に載るくらいだから、皇族もそれを認めているということなのだろうか。
わからないけれども。
では、実在しないとすると、その聖徳太子とは誰がその役をして、佛教を日本に弘めたのだろうか、と。
まぁ、どちらにしても、日本は昔から聖徳太子とされる人物を心善き人物として道徳教育の面でも立てていたわけで、そして、その聖徳太子の言葉はゴータマ仏陀・仏法・仏陀の弟子の集いに対する帰依を説いていたわけなので、その聖徳太子の三宝に対する帰依の心をも受けて、その聖徳太子なる人物を聖人というようにして立ててもいたわけであり、(大乗)仏教の教えを国の教えとして人々に弘めた結果、現在このように佛教国としての日本があるのだろう。
要するに、聖徳太子とされる人物(または作者の)の心を伝え続けていたわけで、その善心を選んで伝えていた人の目も善いと思う。
そして、昔からその聖徳太子の心を伝えて道徳・佛教を弘めていたのは誰か、と。
それが、(仏教徒としての)皇族の方々ではないのでしょうか、と。
違うのだろうか。
人々を清浄な心へと導くという精神。
その清らかな他の人を思う心は善。
つしま思ふ。
王族が聖者に帰依するというのは教え、話としても普通にある。
そして、聖者に帰依していたその王族が後に自ら出家して聖者側に立つという教え、話も普通にある。
王族が仏陀に帰依するというのは教え、話としても普通にある。
そして、仏陀に帰依していたその王族が後に自ら出家して仏陀の弟子のひとりとして立つという教え、話も普通にある。
そのように聖者に帰依していた王の話を見聞きすると、善行を宗とする王が多い。善行を心がけている人が多い。
ということで、そのような王族は善行へと人々を導こうとする王族も多い。
そして、その王の元にある民衆もまたその王の心と行いを見て、善行へと導かれることによって、おのずと善行者も増える。
そういう途中で、狐だの狸だの畜生霊や悪霊側に欲念をもって絡んでしまったらば、SMだのなんだの、エロ密教だのなんだのの世界に没してしまうという危険もある、と。
現在のテロ側の人々のように。
そして、エロエロ大作戦。
(道理として)そのような行いも天上ではすでに没とされる、と。
海外の能力者も気をつけてすすまないと、足元をすくわれる可能性があると思うよ。
悪業をしてから、こちらの心をよんで、”この人は本当に聖者側についている”とか気づいても、すでに遅いという可能性もありえる。
気をつけたほうが善い。
『そして彼は町々村々を教えを説きながら通って行き、イエルサレムへの旅をしておられた。
するとある人が彼に「主よ、救われる人は少ないのですか」と言った。
そこで彼は彼らに言われた、
「狭い戸口から入ろうと奮闘努力せよ。なぜなら、君たちに言うが、多くの人が(後になって)はいろうと努めるだろうが(それが)できないのだから。」』
2月21日
検索の画像がなんか悪化してるような、エロさがアップしてるのか、前からこうだったのか。
いつからこんなにエロくなったんだ。
ちょっとまてよ、bin×はエロいけどほかのは、ちょっと検索してみよう。
同じ言葉でもbin×ほどひどくはない。
普通に近い。
普通に検索してもエロ本みたいなことになっているんだけど、
「a」で検索しても3分の1くらいエロ画像なんだけど、
なんでこんなにエロ画像が多いのか。
ほかのを検索ももうちょっと見てみるか。
いつ頃からこんなにエロくなりはじめたんだこれは。
いや、昔は普通の言語を検索してこんなにエロ画像はでなかったような気がする。
(ひろい意味で)閲覧のセーフサーチの問題とかそういう問題でもないよな~。
う~ん
どうなんだべな~
個人ではなくて、まぁ、個人個人ではあるけれども、大勢の人々、全体としての悪影響で見ると、
いいわけねぇんだなこれが。
そういうのがなくても人間という存在は他の人に対して愛情をもつ存在でもあるのです。
どうたらこうたら。
まぁ、しかしエロいね。
困ったもんだね。
春休息。
2月23日
ジッドゥ・クリシュナムルティという人について
一応
それを言葉として表現したとする言葉、としても悩むことのないように。
仏陀の教えとして
仏陀の弟子として見るのは〈永遠〉ではなくて苦の滅、全き安らぎ、涅槃です。
テロ側が、まだ悪霊の「さえ」側を信用しているのがいるみたいね。すでに悪業罪んで歩んでしまっている者にとっては、信用したいという人も多いのかな。
しかし、残念ながら、悪霊のさえは、冗談ではなくて、本当に悪霊です。
実は悪霊ではなくて、善霊なのですとかいう話にはなりえない。
そして、テロ側はその悪霊と同じく(一緒になって)悪業を罪重ね続けている、と。
あなた方、悪霊とその仲間、さえ側を信用したいのだろうけれども、
悪業をしている存在者と、その仲間(それらの件を利用して騙そうとしている能力者)も同じく、後に善処に赴くという道理・教え・理法はない。
そして、
テロ側とともに悪業をしている悪霊「さえ」とその人物、関連の絡みのあった詐欺の自称陰陽師とその連れからも返答等も別になく、要するに謝罪すらもうけていない。
そういうように、私の過去に受けた経験から私の認識で言うと、その悪霊のさえに関する人物(さえ)も、詐欺者の自称陰陽師(津野)とその連れの共犯者(麒麟)も悪しき者という認識で変わってはいない。
そして、それに加わって、騙そうとしてテロ行為をしていた者とテロ側の能力者、テロ側のの工作者も同じく、悪しき(行いの)者という認識にある。
私にそのテロ側の者が、実は善人であるという認識もない。(最初の頃は可能性を考えてあるかもしれないな、とは思って考えてみたけれども、)
見てきたけれども、道理から見ても、テロ側の行いは善行ではなくて、悪業である。昔の記憶を掘り返してみても、どう考えても家に押しかけて金を巻き上げる善人・聖人・賢者はいない。
というか、一般的に考えても犯罪者でしかない。
と、こういうのも何回くらい同じようなことを記したかな。
そして、
いまだに騙そうとしているテロ側のあなた方はすでに真理を知った上でも悪業を行う。
教えを聞いてもなお、聖者の弟子、道を歩む人をも亡き者にしようとする。
それらの行いはすでに、天上でも言い訳をすることはできないだろう。
クリシュナムルティさんのように霊的な世界にも詳しい人であるが、テロ側の能力者と異なっていて、そのような悪しき行いというものから離れている。
そして、真理の道を歩んでいるがゆえに、真理をすでに語っている、と。
クリシュナムルティさんの語りたいことの意味が理解できるだろうか。
ちなみに、クリシュナムルティさんのいう組織に対する依存もまた、仏陀の言葉として、これといって問題はない。
仏陀は、執着の滅を説かれる。
大乗仏教でいう他力本願的な過ちについてのところと、それらのもっと深部のところについての言及としても受け取れる、と。
そういうのもこういうように説明すれば、理解できるだろう。
まぁ、人によるか。
微妙な受け取り方もまた、
テロ側で悪しき行いを事としている者の価値感と、
聖者を見て善行を心がけている人の価値観とでは、受け取りかたがことなることがあるだろう。
そういうのでもって、善行をして、それを何度も何度もして、さらに心を清浄ならしめて、教えを受ける。
そうすると、善行をしていた人、禅定をしている人と、悪行をしていた人とでは、言葉の意味する解釈もまた異なっていく、と。
それでもって、解釈を自分なりにして間違った方向に行ってしまった者達がエロ密教とかそういう方向に行ってしまった者達であった、と。
また、エロ密教がでてきたけど、
まぁ、要するにそういうような事でもある、と。
というように春は説く。
とりあえず、サモンズなんとかを詳しくちょっと見てみるかなと思ってたのたので、ちょっと検索してみるか、と。
モンスター召喚ゲームらしい。
で、話がかわるけれども、CMでSONって企業が結構多いね。
そういえば。
SONで売れる法則か。
違うか、SONでメディアが取り上げるという法則か。
SONのつかない企業もたくさんあるからね。
最近のSONのつく企業CMを思い出すだけでも結構あるわ。
これは、SONが何かあるのかどうか、
天上ではすでに答えは余裕で出ているだろうが、
春はちょっと考えてみる。
ACテロ。
SONがついていない。
とりあえず、春休息。
2月24日
しまったー。天ぷら抜けてるー
天ぷらあげといた。
ちょ、なんだかうまいことを言っているみたいなことになってる。
あ、説明がないとわからないか。
ころもの部分が抜けてたので、ころもの部分を加えて
あげといた。
2月25日
SONがどうこうとかでもなくて、
答えはすでに出ている。
真理はひとつ。
しかし、ほんとになぜ、
俺はテロにたたかれはじめたんだ、と。
いまだに謎なんだけど。
何なの。
わけのわからない世界だ。
まったく、便器を素手で洗うのと同じくらいあれだ。
いや、掃除は掃除でまた違った心意気があったりもする、と。
まぁ、プライドがどうとか。
自尊心(プライド)
自尊心っていうのも、よくよく観ると、
それもまた自らの我というものに結びついている、というのも多々ある、と。
名声、権力・支配欲。
これらに自尊心というものはくっついているだろうか。
あれをそうするのは、俺のプライドがゆるさない、とか。
プライド(ほこり)
ほこり(ほこること)
ほこる(自慢して得意になること)
携帯の辞書より
ほこり(名誉に思うこと)
ほこる(名誉とする。自慢する)
名誉(すぐれていると認められて、誇りに思うこと。ほまれ。面目)
国語辞典より
う~ん
あれをそうするのは、俺の(慢心)がゆるさない。
あれをそうするのは、俺の(面目)がゆるさない。
あれをそうするのは、俺の(名誉・尊敬のしるしとして与えられた名前)がゆるさない。
これらのプライド関連の心に、自らの我、というものは混じっているのだろうか。
しかし、名誉とする、というのと、自慢するというのは、
微妙な違いがある場合もあるか。
ほこりに感じないようなほこりもあるとかないとかか。
慢心がないようなところの清浄なほこりというようなところでいうと、
サーリプッタ尊者の教えもある。
仏陀の弟子でも気づくことがむずかしい事柄をサーリプッタ尊者は説かれる。
そのような仏陀の弟子の方の教えを見ても、すごい、と。
春思ふ。
例えば、クリシュナムルティさんは私達世俗に話かけてくれているようなものだが、
仏陀の弟子の方々の話は、もう話の境地が涅槃の境地の話でもあるので、
禅定をしている人にとってもすごい。
禅定をしていない人は、何がすごいのかわからないかもしれないね。
サーリプッタ尊者でいう清浄なところで言えば、
春も慢心がぽろぽろ、と。
ぽろぽろ、どばっー、と。
尊者方がすごいからね。
そのドバッーっていうのは、通常世俗の人が気づくことができないようなところは多く含まれる、と。
ちなみに、同じ視点で一般の人を見ても、
ドバドバッー、という感じ。
ドバッーっていう表現でわかるんだべか。果たして。
一般の人はドバドバドバッーっていうか、
ドップリか。
四聖諦を知らないという意味でも。
3月3日(2014年)
私の身近ではテロ集団の嫌がらせは続いており。
テレビを見てて、男性の声で野次を言っているような番組が結構でてきているみたいなんだけど、そういうのを見て、俺はず~っと、ずいぶんひどいことばかり言うな~と、見ていたのだが、あれって、もしかして、俺の声まねなのか、と最近思った。
っていうか、また、俺が犯人にされそうになっているということなのではないのか、と。
罪のない人に罪人にしたてあげる、仏陀の弟子を罪人にしたてあげようとするその心。
それは、完璧に堕ちる心。
男性キャラの野次を入れているのは、あれは誰キャラでやっているのか。
それにしても、テロ側の土台がホントにボロボロだね。
私は、テロ側の悪業によって、体がもう結構ボロボロだけどね。
胃も、お尻も、歯も。
この調子で行けば、春の身体もあと100年もつかどうか定かではない。
まぁ、身体がもたないのであれば、健康な人よりも少し早めに、この肉体を捨てる時期が来るということでもある、と。
病院へ行けば、病院で嫌がらせをして、医者をもだまして、人殺し工作。
エロ密教でさとることはありえないというのに、人々をエロへと誘導をして。
キツネは畜生道への門ですよっていうのに、あっさりとキツネのたぐいについていき。
悪霊のさえという悪しき存在と同じ悪行をともに行い、
自らも、あといくらかすれば、死をむかえる肉体をもつ存在であるのに、死というものと、死後というものを受け入れることもできずに、
悪しき行いを罪重ね続けているのはテロ側のあなた、各人一人ひとりである。
TVでテロ側の人がほめたり、けなしたり、恐怖を忘れたいようでもあったり、救いを求めたいようであったり、すでに天上なる世界をあきらめていたり、すでに地獄に堕すると気づいていたり、とか、
そういうコロコロしたメディアのを見ていて、
どちらかというと、こちらをそのようにしたいようであるが、
テロ側の人が情緒不安定になっているのではないのか、と思った。
だから、あなた方が相手にしているのは、聖者の教え、真理の言葉だと、以前に記したはずだが、
あなた方はすでに敵対をしてしまっているという。
そりゃ、あんた。
どうしようもないよ。
そして、聖典を読むとだね。
まぁ、とりあえずいいか。
テロ側の悪行者の行き先が手に取るようにわかってしまう。
そのような教えが、仏陀の教えにたくさんある。
イエズスの教えにもある。
他の聖典でいう教えでもたくさんある。
福音書より
「私は君たちに言う、あらゆる罪と冒?は人々に赦されるであろうが、御霊に対する冒?は赦されないであろう。
また、人の子に反対して言葉を言う者、その人にそれは赦されるであろう。
しかし、聖霊に反対して言う者、その人にそれはこの世においても来ようとしている世においても赦されないであろう」
「木を善いと見なし、その実も善いと見なしなさい。または、木を悪いと見なし、その実を悪いと見なしなさい。というのは、木はその実によって知られるのだから。
蝮の子らよ、君たちは、(自分が)悪いものでありながら、どうして善いことを言うことができようか。というのは、口は心にあふれるものによって語るのである。
善い人は善い倉から善いものを取り出す、悪い人は悪い倉から悪いものを取り出す。
私は君たちに言う、人が話すどんな言葉も、人はそれについて(最後の)審判の日に弁明することになろう。というのは、君は君の言葉に応じて義とされ、君の言葉に応じて有罪とされるのであろうから」
そこで(イエズスの)弟子たちは近よって来て彼に言った、
「あなたはなぜ彼らに譬で話すのですか」
イエズスは答えて言われた、
「君たちに天の国の奥義を知ることが許されている。
しかし、彼らには許されていない。というのは、持っている人はだれでも、(その人に)与えられ、あり余るほど与えられるであろう。
しかし、持っていない人は誰でも、その人から持っているものも取り上げられるであろう。
それだから私は彼らに譬で話すのである。
なぜなら彼らは(目で)見ていながら見ていないし、(耳で)聞いていながら聞いていないし、理解もしないからである。
そこでエサイアスの次の預言が彼らに成就する、
『君たちは聞きに聞くであろう、しかし悟らないであろう。
また君たちはよく見るであろう、しかし見えないであろう。
というのは、この民の心は鈍くなっていて、聞くのに耳が遠く、その目を閉じているからである。
(それは)彼らが目で見、耳で聞き、心で悟って改心し、その結果私が彼らをいやすことにならないため(である)』
君たちの目は見ているから幸せである。
また君たちの耳は聞いているから幸せである。
というのは、私は本当に君たちに言う。
多くの預言者と義人は君たちが見ていることを見ることを切望したが見なかった。
君たちが聞こうとしていることを聞くことを切望したが、聞かなかった。」
3月4日
そして、テロはまた人々を翻弄させて、こちらを悪者にしようとしている、と。
「死ね」「ころせ」「ガン」叩き等、
病気になっても、きちんとした治療を受けさせないような裏工作を行い、
私の住む地域の人々をもだましてまでも、行っている悪しき嫌がらせ。
そちらの悪しき行いの者達は完璧に教えでもないよ。
理由すらもわからない人に対するその悪行の数々。
正々堂々とすることもなく、
陰湿な嫌がらせをして笑っているその悪しき心。
あなた方テロ側はすでに世間の天人側の人からは、白い目で見られている。
というか、世間の人々も思考能力が畜生レベルの人でないんだから、いい加減、真相も理解してくるだろう。
思考能力が畜生レベルという人も現代では、少ないのではなかろうか。
テロ側の世間を翻弄している行いを見ても、テロ側がおかしいと思うのは、普通だろう。
テロ側は自らの側がおかしくないと装うのにいそがしく、
世間をあざむこうとすることに精力をそそいでいる。
そのような結果、天上ではすでに、破滅の者という教えにほぼ等しく、
世間をあざむこうとしている状態ですでに、天上でもない、というのに
気づいた方が善いというところなのだが、
本人達はそういうのに気づくという直感にもとぼしく、
気づけないので、悪行を重ね続けている。
また、心にあるのは畜生霊、悪霊等の教えに従い信じることであって、
聖者の教えを説く人の揚げ足をとって、
自らこそが聖者の側であると思いたい、信じたい、そして、聖者の教えを説くその人に嫌がらせをしてまで、自分、自分達こそがその天人であると信じたいという盲信。
そして、そちらの道に突き進んでしまっていて、実際に悪行をして、悪業を積んでいるが、天上は悪行者の赴くところではないという真理の教えを、盲信によって、信じることもできず、さらに悪しき道へといざなわれ、
清浄な道を悪しき存在によって、見えなくされ、
そして、自らでも清浄な道への入り口をとざし、
聖者側の人に対する悪行によって、天神にも戸をもしめられ、
清浄な道の意味するところも理解することもできず、
見れば、選択を誤ると自らが危険な旧道が目の前にある、と。
旧道は聖人でも危険な道であるというのに、
その悪しき者の前には、清浄な道は隠され、見える道は旧道しかない。
旧道は善人が見れば、悪しき事柄、善き事柄の分別をすることができるので、善きを選び、悪しきを否定して、清浄なるところへ出ることもあるだろう。
しかし、悪行者である悪しき者は悪しき事柄と、善き事柄との分別ができない結果の悪行(者)であり、悪魔、悪霊の類、畜生霊のいいカモとなり、
さらなる悪しき道へといざなわれ、破滅の人になりはてる、と。
そして、すでに天神からも見放されているので、
真理でいう救いも得られず、と。
他のテロ仲間も同じ境遇だからいいや、と思うこともあるが、
その仲間が大勢いるということでえられる安心感はまた、
一人になると、その安心感も消えうせる、と。
それは、単なる一時の安心感にすぎない。ほとんど(一時の)錯覚。
そして、自らの死後、そして、真理におびえる。
善なる人はすでに、自らで教えを受け取っている。
まぁ、現在つしまがこのように言うている言葉も、あとから理解できる。という人もいるだろう。
善なる人でいう、善なる道への導き、
その人の時(タイミング)が来ているか、来ていないか。
準備ができているか、できていないか。
悪しき行いの者でいう、悪行の結果でいえば、
すでに遅いか、ギリギリセーフか。
まぁ、真の善なる人は善行の教えを見て、このように思うこともあるだろう。
” というか、普通は歩くから ” と。
と、いうように思うというのは、
善行は普通である、という心がすでにその人の中ある、と。
3月7日
旧道にいる人で、
つしまの言っている言葉が、う~ん、理解できる。という人もいるだろうし、
こちらの言うている意味が理解できずに、ちょっとした不快感、または、怒りを抱いてしまう人も中にはいるかもしれない。
その怒りというもの。
何かしらへの執着等によるその不快感、怒り。
その怒りこそが、悪魔、悪霊、畜生霊に感情操作されてしまうポイントの一個。(何回も前述。)
まぁ、実際にすでに悪魔、悪霊、畜生霊によってその怒りを生じさせられているという人もいるだろう。
そういう場合は、自らのその感情の高ぶりを自らで観てみると善いでしょう。
私のこの怒りは、誰のための、何のために生じてしまった怒りだろうか、と。
この怒りというものは、私自身のためになるのだろうか。他の人のためになるのだろうか。
この怒りの生じている原因は何なのだろうか。
私の心にある執着心がこの怒りの原因だろうか。
私の心にある依存心がこの怒りの原因だろうか。
私の心にある自尊心(慢心、名声への執着、栄誉、ほこり等)、または、古から受け継がれたものという自尊心を阻害されたような感じがこの怒りの原因だろうか。
自己の心をよく観るところ。
(あなた方はすでに霊の世界に足を踏み入れて、悪魔に誘惑をされて、悪業をすでに為してしまったがために、自己の心を観るということも難しいだろう。
観たとしても、感情の部分を観るというので、それを越えて観るというのも難しいと。
そして、それを越えたとしても、自らの悪業の罪に気づき、その悪業によって、そこでもまた自己を観るということが難しい。
ゆえに、清浄、寂静という心、に近づくというのも難しいだろう。
まず、その悪魔、悪霊、畜生霊等の悪しき心に気づくこと。または自らの心に悪しき心を生じてしまっていることに気づくこと。
これは普通に重要。
禅定では普通。)
そして、
この怒りというものは、古からの聖者方が捨てられてものである。
それでは、ここで私も聖者方と同様にこの汚れた心を捨てよう、と。
はたして、私の心にある執着心が(少しも)なかったならば、この怒りは生じているだろうか。
はたして、私の心にある依存心が(少しも)なかったならば、この怒りは生じているだろうか。
はたして、私の心にある自尊心(慢心、名声への執着、栄誉、ほこり等)、または、古から受け継がれたものという自尊心が(少しも)なかったならば、この怒りは生じているだろうか、と。
自らの心を知ること。
そして、苦と苦の原因を知ること。
怒りを生じ、その怒りを生じてしまうという自らの心に気づくことができないという段階では、聖者方の清浄な境地はすごく遠くに離れている。
怒りは、悪魔、悪霊、畜生の生存等へ通じる門。
盲信によって、怒りという心を生じたのであれば、
その怒りを盲信ともども捨てなさい。
その怒りの付随した信仰は、あなたを清浄な世界へと導く鍵ではない。
その怒りの付随した信仰は、あなたを清浄な世界へと導く道ではない。
その怒りの付随した盲信によって、あなたが全き安らぎをえられるということはない。
善業の道、善なる道。
怒りがない、怒りを滅する道。
執着のない、執着を滅する道。
聖者方はこの道を歩いて、全きやすらぎを得られた。
3月13日
脱会が難しいというのは、ちょっと問題があったりもするだろう。
本の紹介より
『フリーメイソンの会員はその所属の人員が過多になった場合以外は、脱会することができない。この場合には、許可を得て他の少数の会員を有する部に転会したり、または新たに一支部を設立する。ただし大教主の許可のない限りは、新たな支部は設立しない。』
これは
自由がない
という感じで読んで思っていた。
佛教では出家してから、還俗する人はいます。
脱会も自由にできないというのであれば、そもそもが自由でもない。
入会してから、
Aさん
「辞めます」
メーソンの担当者のAさん
「ダメです」
Aさん
「まさかよ」
メーソンの担当者のAさん
「そのまさかです」
みたいな感じか。
本に紹介されている規約による説明だけれども、実際はどうだかは知らないけれども、
他の新興宗教等では、やめたあとに運気がおちるだのなんだので、
恐怖心や依存心を起こさせて、離れさせないようにするというような手段をも用いている宗教団体も存在する、と。
まぁ、とりあえず、
メーソンに限らずに、新興宗教等なんらかの団体等に興味を持っている人は、
いろいろよく考えてから行動した方がよいと思う。
すでにどこかの会員になっている人は、自らの依存心というものをよく観て知るということは大切です。
仏陀の教えを学ぶ仏教徒・仏陀の弟子であれば、仏陀の教えとしても、そういうのは禅定ででも、基本のところのようなものです。
現在は脱会できますというのであれば、まぁ、ねずみ講とかそういうのとは全く違うというのははっきりする。
脱会できないとかいうのは、はっきり言ってあやしい。
ねずみ講は、言葉として問題があるか。
ねずみ講というか、ねずみ講のような何か
何だ、
う~ん、言葉がぱっとでてこない。
実際に脱会は自由に可能という答えであれば、本に書いている事柄が間違っている。
ねずみ講
wikiより
『犯罪である無限連鎖講のこと。
無限連鎖講は人口が有限である以上、無制限に成長することが絶対的にあり得ないことから、日本では無限連鎖講の防止に関する法律で禁止されている。
親会員から子・孫会員へと会員が無制限に、ねずみ算的に増殖していくシステムから、一般的にはネズミ講と呼ばれる。特定商取引に関する法律第33条で定義される販売形態に沿った連鎖販売取引は違法とは言えず、その意味ではネズミ講とは呼べない。また、マルチ商法、マルチまがい商法についても侮蔑的にネズミ講と呼ぶことがあるが、法的には一概に無限連鎖講とは言えない。他にはピラミッド商法という手法も存在している』
脱会できないのであれば、、増える一方なので、ねずみ講ではないけれども、
何。
こういうのは何ていう言葉があてはまるのか。
まぁ、要するに、
春思う
脱会を
できないのであれば
自由なし
脱会を
できるのであれば
自由あり
自由ありっていうか、
まぁ、おそらく世間でも普通の自由度。
自由でなくて、
いきなり束縛になってるという。
そこに束縛があれば、
それは自由ではない。
これは、特定の団体に限らず、
そういうところですでに束縛があるのであれば、
そこからして、すでに、聖者方の教えからは遠い。
3月16日
いや、しかし、これは、
このように書いた手前、
私が直接メースンさんに電話で問い合わせたほうがよいのかな、と。
間違いかどうかを。
関係がないこちらとしてはそれほどたいした話ではないけれども。
会員の方々等の関係者には、大事な問題でもあるのだろう。
とりあえず、私のHPを見て、春がフリーメーソンのこと言っていたので、フリーメーソンに入ろうと思ったというようなことで、フリーメーソンに入ったりしないでください。
(ちなみに、メーソンという組織のメンバーが日本語で空耳アワーをやっているのは何回かTV、他メディアを通じて見ています。なので、テロ側とまったく関係がないということはないだろうと思っています。)
束縛があるとしたら、そこには自由がない。
真理がどうこうとかいうのとも遠いだろう、と
春思う。
教えから見ても、自分達でも考えてみると理解できないことはないだろう。
束縛のあるところに、自由はあるだろうか。
そして、春が言っていることは間違っているのだろうか。
春が言っていることは聖者方の教えと合っているのだろうか。
春は聖者方の言葉を説いて、そのように言っているのだろうか、と。
暴言が出ているのも聞くが
果たして、仏陀の弟子であれば、佛教は束縛があるというようなことを、第三者に言われたら、その者に暴言を吐いたりするだろうか。
仏陀の教えを知っていれば、そのような束縛はない、と完全に否定することはできるけれども(そういうような束縛は教えとしてもそもそもありえないけれども、)仏陀の弟子は、そのような暴言に結びつく行いは教えでもない。
別に、たいして。
間違いがあれば、ひと言、それは「こうでこうである」という説明をこちらにすれば、「そうか」というので、これはこうでこうだ、という説明をこちらもできるし、修正もすぐにできる話なだけなんだけれども、
巷の悪しき行いをする者が集う団体の分別は、何らかを否定されるということで、「ころす」だのなんだのという悪しき行いが生ずる、と。
そして、現に暴言を吐いてしまっているが、
そんな、別に「それ、ちょっと違うよ~」と、こちらに、ひと言、言えばいい話。
そういうのを飛び越えて、
すでに「ころす」とか暴言を吐くに至ってしまっているという、そういう行いを見るだけでも、
真実、そこに、その者に、その者の集いに、その者の友に
真理の観察はない。
と理解できるだろう。
行いを見れば、すぐにわかる。
仏陀の教えとして、それらの悪しき行いは善行ではない。
テロ側の悪しき行い(悪業)は、真理として、覆るということはない。
テロ側の世間ていの噂話、翻弄工作によって、実は春が犯人だとかいう?話が、信じられるというようなことは、可能性としてはありえるだろう。
しかし、それが真実、真理として、それらの悪しき行い(無実の聖者の弟子に犯人・悪人という罪をなすりつけるという悪業)が、善業に変ずるというようなことはありえない。
あなた方は自ら為した悪しき行い(悪業)の果報を、自ら受けなければならない。
と、いうように、聖者方は言葉として説いています。
無実の人(聖者の弟子)を、意味もわからないのに、笑って叩き続けるという行い自体を、普通に見る限りでも、
それら悪しき行いは聖者方から見ても完璧に、ない側だよ。
それなのに、まだ、自らの側が天神の側であるという妄想を生じてしまうのだろうか。
悪しき存在に完璧に憑依されているから気づけないのだろうか。
目を覚ましてご覧になられるがよい。
悪しき行いを事としているあなたは聖者方の言葉から見ても、
善なる人ではないのです。
3月20日
テロ側からまた言われている、と。
こっち側がきつねだというのか。
まぁ、ないけど。
聖者の側の人に対するその行い。
いつものように悪業。
そして、だいたいいつものテロ企業。
テロ活動がだいたい同じ企業。
──
そういう感じもあるのだろうか。
テロ側の秘密結社等の企業グループは、まぁ、そういう感じの行いを現に行ってはいるね
だから、その行いは天上ではすでにないっていうのだが、
しかし、その秘密結社等の意向でとかかな、
だが、しかし、どちらにしても悪行の秘密結社等は天上でもすでにない。
いや、これは俺の見識のみで語っているのではない。
清浄な書物に説かれている事柄である。
清浄な書物でないって説かれている者の集いに、ないって言われる俺は一体。
お互いにないないと言っているという。
Aさん「お主はないでござる。」
Bさん「そんなことはないでござる。」
Bさん「お主こそないでござる。」
Aさん「そんなことはないでござる。
しかし、最近ちょっとだけないかな~と感じてきたでござる。」
とか、そういう感じか。
俺の感じを入れてなかった。
Aさん「お主はないでござる。」
Bさん「そんなことはないでござる。」
春さん「(道理として)たしかにテロ側はないでござる。」
Bさん「お主こそないでござる。」
Aさん「そんなことはないでござる。
しかし、最近ちょっとだけないかな~と感じてきたでござる。」
春さん「いや、普通に(道理を)考えてみても、ちょっとというかガッツリとないと思うでござる。
ちなみに、清浄な書物にはっきりと、ないって説かれているでござるよ。」
とか、そういう感じか。
でもね~。
テロ側が悪霊と同じようなこと(嫌がらせ、悪行)をいつもしているのも事実だからね。
どちらにしても、あるという可能性は極めて低いと、普通に考えてもそう思ってしまう(そのような結論に至ってしまう)よ。
まぁ、逆にあると思っているとすれば、どこらへんがあると思っているのだろうかと思う。
3月21日
さっき、(日本の)政府広報のCMを見た。
政府広報はあれどっちなんだ。
そういうどっちよ、と思わせるようなCMを放映しているということ事態がすでに、
日本の状況をあらわしているかのようなものか、と。
テロ側のCMもまたまたいつものメンバーな感じか。
世界等、大勢の人に見られているのは、テロ側だったりとか。
函館だけのCMかな。
でも、日▼銀行のでもそうだから、まぁ、そんなもんだろうな、と。
春思う。
そうでないと、ここまでテロ側が世間を騒がせていないだろう、と。
(もしも、日本の政府自体がテロ側だったら、そりゃ、これだけ世間が騒いでいるというのに、すぐにおさまらなかったというのも容易に理解はできる)
私はわけもわからずに叩かれはじめて、嫌がらせを受けて続けているのであるが、その悪しき行いを笑って行っているのが、そちらのテロ側の者のグループ組織。
あなた方は自らを紳士だと思っているのかもしれないけれども、笑って嫌がらせをしているそちらの仲間の者を見るこちらとしては、
普通の良識・精神から逸脱していると思うよ。
普通の人としての道徳を学ぶのは大切だと思うけれども。
どうなんだろうか。
3月22日
それでは、
インターネットの検索でメーソンの電話番号を探したけど、
パッと出ない様子。
今日は仕事が休みなので、メーソンさんのところに電話を掛けて聞いてみようと思ったのであった。
脱会できるのかどうかを。
他に聞きたいことは、べつにない。
電話番号がパッと出ないということは、
電話番号も秘密っぽい結社か。
タウンページには載せませんという感じか。
(一応、函館版のタウンページを見てみたが、やっぱり、秘密結社という項目自体がない。
そりゃ、そうだろう、と。)
パッと出ないのであれば、
これは、
関わり、関心がある人は、自分で聞くのが早い、と。(とりあえず、春の、私のHPの影響で入会します、というような入会はしないで下さい。)
(真理の道を歩く、という心を起こしている人は、三宝〔仏陀、法、僧〕に帰依して、自らで真理の道を歩き始めるのが善い。
それは、これからの後生の輪廻、解脱までの永劫の中のあなたにとって善い。
ここ。
この場。
それは、あなたという存在に最上の善い縁が生じるところ。)
仏陀の教えでは
怪しげな秘密めいた教えは別にないとされる。
ただ、聞く側の人が仏陀の教えが難しくて理解ができないというのはある、と。
密教系の人はそういう呪術っぽいのから理法へと結びつくと考えているのかもしれないけれども、たとえば、仏典では神通を得たダイバダッタは地獄に堕ちたとされています。
清浄心をもたずに、超自然力を手にした結果の慢心。
一方、仏陀は超自然力の話を主に説くということはなく、
その安らぎ(涅槃)に結びつく清浄心、善心を主に説かれた。
仏陀がなぜ、超自然力を多く説かなかったのか。
超自然力がすべてというのであれば、その超自然力の開発する技法を多く説かれたことであろう。
が、しかし、超自然力を多く説かれていはいない。
超自然力がなければ、善処に赴けないのか、といえばそういうことでもない。
善処に赴くのに、あるのは清浄な心、善の心である、と。
わかるだろうか。
そして、清浄な心、善の心は安らぎ(涅槃)に結びつく。
要するに、密教の呪術系統も結構、逆のコースに陥るのが多い。
片方は、生存、存在全般に対する欲念から生じる行い(行法、護魔)。
しかし、(道理から観ても)真実の、本当の仏陀の教えは、生存、存在全般に対する欲念を滅する清浄な行(禅定、仏陀の弟子は護摩行は捨てられている)を修される。
なぜ、仏陀の弟子は護摩行を捨てたのか。
それが、安らぎ(涅槃)に赴くための道だからである、と。
なぜ、仏陀は欲念を滅する清浄な行を説かれたのであるのか。
それこそが、安らぎ(涅槃)に赴くための道だからである、と。
たとえば、お金がほしい、お金がほしい、お金をくれ~と祈願している人が、その祈願によって、欲念が滅するというようなことはあるだろうか。
その祈願自体の内に、すでに欲念は生じている。
メーソンさんが別に(佛教の)密教であるという話ではなくて、
その秘密とするというのから、
密教というもの見てみたのであるが、
世界のいろいろな宗教でも同様の分別はあてはまる。
まだ、密教系の人で道理を自らで観ない人(観れていない人、理解できていない人)も、
まだ、
多くいるようなので。
さらに、理解しやすく。
説いてみた。
禅定を修していけば、自らで、普通に理解できると思うよ。
私の言っている言葉の意味も理解できると思います。
今日も月が美しく見えている。
なんであんなに綺麗に見えるんだべか。
おお、今日も綺麗だな、と。
あの月は、仏陀も見ていた。
イエズスも見ていた。
こころよい風。
静けさ。
貪欲と不善からの厭離。
喜。楽。
9月19日
本日は満月でございます。
またテロ側の同じ企業に叩かれている。
それは、テロ側企業はずっとそうなのか。
外道に行っているっていうのも、そういうのでわかるでしょう。
まぁ、テロのやつを聞いてれば、結構誰でもわかるだろう。
テロの愚行がホントに気持ちがわりぃ。
そういう愚かな集いに絡まれると最悪である、と。
身をもって体験しているが、
何で俺がそのような愚かな集いに絡まれなければならないのか。
ホントに最悪に気持ちがわりぃのである、と。
何でそんなに、乱れた集いとして悪行をしているのよ。
そっちのは、やっぱり小学生とかそのくらいだべ。
なんなんだべ。一体。
小学生とかのあれだもんな~。
私の事柄をいろいろ言っているみたいだけれども、
心、精神、中身が弱いのは俺でなくて、
そちらの方々なんでないのか。
子供は大人に相手にされない、と。
大人でも子供の話は聞くけれども、
話合いすらもきちんとできていない、できない、と。
そちら。
悪行がすぎて、すでに本当の成人(聖人)からも相手にされずか。
悪業積みすぎだから。
諸行は無常である。
その悪行・過ちをずっと犯し続けるということはできない。
その愚かな者は、その悪行の果報をいずれ受けなければならない。
また、はるがテロの集いの悪行を永遠に受け続けるということもありえない。
そして、縁によって耐え忍びと法を説くという善行の果報を受けることになる。
真理を何度も説くだけでも、悪魔側の心に、いろいろな意味で響く、こともある、と。
俺の心を読めばわかるだろうに。
自らがどのような処に赴くか、というのが。
そして、それは俺の答えでもあるけれども、
それは、仏陀の答えである。
う~ん、お尻の件か。
お尻のはホントに筋肉とられているって思ってほぼ間違いではないだろう。(または血液が行かなくなって筋肉が動かなくなっているか。)
お尻のはレントゲンもとっているから見れば、わかるだろう。
円輪筋っていう、勝手に閉じる筋肉が手術後に半分なくなっていたから。
筋肉が半分だけ動かなくなるっていうのも考え難いんではないか。
そういうので、まだしばらくは治らないと思う。
筋肉がなければ、もう治らない可能性もある。
円輪筋っていうのは、私は医者ではないので、名前があっているかどうかは医者にきいたほうがいい。
筋肉が半分ないっていうは、愕然としたから。
板みたいな筋肉。
あなた方は笑って、こちらを愚弄しているが、あなた方がつき従っているその者は完璧に悪しき行の者である。
私は、仏陀の教えによって、そのような者と親しんではならない。
幻想でも作り話でもなんでもなく、真実に、あなた方はすでに悪業の種を播いてしまっている、すでに悪業は為されている。
仏陀の弟子が苦しんでいる姿を見て、
悪魔側はよろこぶ。
天神は悲しむ。
仏陀の弟子に対する嫌がらせは、悪魔側の一種の快楽。
ラジオとかの嫌がらせももう、良識ある精神の持ち主の集いがやるような行いではないだろう。
『仏陀の弟子が苦しんでいる姿を見て、
悪魔側はよろこぶ。
天神は悲しむ。』
という教えは仏陀が説かれている。
仏陀の教えがそのままに、現実としてここにある。
以前どこまで書いたっけかな。
聖者方が悪魔をはらうのは悪魔のためにもなる、と。
全知者である仏陀が、悪魔を善行へと導くことなく、悪魔の悪行をみて、それをはらう。
なぜ、仏陀は悪魔を導かないで、はらうのだろうか、と。
もしその場で、教えを説くことによってその悪魔がさとりの道に入ることができるのであれば、仏陀は教えを説いてその存在を苦しみから脱する道へ導くだろう。
しかし、全知者である仏陀は、悪魔をはらう。
その時点において、その悪魔に教えを説いてもさとることはないのであろう。
そのように、全知者(すべての原因と結果をみる人)に祓われる生存は存在する。
そのように、教えを説き導くよりも、祓うべき悪しき存在というものは存在する。
要するに、良識の通じない存在というものは、存在するということ。
私だけではなくて、他の聖者の弟子の方々、一般の方々も、そのような存在に気をつけて進みましょう。
ちなみに、テロで数年間も無実の人を一方的に苦しめ悩ましているその者が良識ある精神の持ち主ということは、普通に考えてもないでしょう。
それゆえに、先に伝えていた教え、
『仏、目連に告げたまわく、
「汝宜しく之を知るべし。復卒暴なることなかれ、専心正意にして乱想をおこすこと無かれ。然る所以は、極めて悪行の衆生は調え難く、成じ難く、然る後乃阿鼻地獄の中に堕し、又彼の罪人は、人間の音声、言語往来を解せざればなり」と。』
聖者方の人々、そして、一般の人々は、テロ側の悪しき者とそれらに深く関わってしまっているその悪しき友にも注意されよ。
テロ側の悪しき能力者に注意されよ。
テロ側の方々。
あなた方はすでに悪しき道に導かれている。
9月22日
さっき訪問者が訪れた。
クリスチャン。
どのくらいたったかな。一年とかたったのかな。
隣に引っ越してきた若い青年。
ドアのところに名前が二つ付いて、
これ名前なんだ。
と思っていたら、二人住んでいるらしい。
さっき言ってた。
隣人のクリスチャンだっていうので、ドアを開けたら、
隣人だった。
以前に、私が階段をのぼっているときにすれ違ったときに、「すいませんでした」って謝られたことがある。
こっちは全く意味不明だったが。
そもそも、その謝っているのは謝ってすむ問題なのか、と思っていた。
どれを謝っていたのか知らないけれども。
理由も述べてくれれば、理解できるのではあるが意味不明。
若い時からそういう活動をしているのを見るかぎりでは、敬虔なクリスチャンなのだろうと思い、
その背景を見ると、一見して、善い心の持ち主であって、悪心をなくそうと努める人なのだろう、と思う。
善い心を持とうとする人は、年齢が若くても、聖者・聖人の道徳が身につく事柄(教えを学ぶ)をしている人も多くいる、と。
深く心相を見てではなく、その行いを一見して見たかぎりでの思い。
『賢者は自己を制している』と。
世界の信仰心のある人を見ると、そのように努めるようとする人・努めている人・制している人は大勢いるでしょう。
9月24日
シャワーを浴びてきた。
現在25.4°。湿度54%
扇風機が最初だけ涼しい。
Tシャツから長袖のシャツに衣替えしたので、右腕はすぐに冷たくならないのであった。
涼しいんだか、冷えてきたんだか、微妙だな。
冷えすぎる前に、扇風機ストップ。
22時30分。
今日は、もう22時30分だな。
本日の残りの貴重な時間をどのように使用するのか、と。
38分。
経典を読むだけでも、時はすぐに過ぎていくのである。
経典は毎日のように読ませてもらっているけどね。
読んでいる。
唱えているわけではない。
ブッダの教えは、その地方、その地方にあった言葉で伝えなさい、と。
お経を唱えるということ
仏教。大乗仏教のお坊さんに関して。
お坊さんがお経を唱えるとき、「なんたら、かんたら、ほにゃらら云々・・・」と日本語にして日本語にあらずな言葉で教えを説いても、一般の人は意味を理解することはできないであろう。
そのお経の内容を聞く意味を知らない一般の人は、「おそらく、ありがたい言葉なのだろう」というような感じを受けるだけであって、その人自信はその智慧の言葉を理解しているわけではない。
『〔多くの訳には「神呪を語り」となっているが、原始仏教の修行生活にはそぐわない。原始仏教一般では神呪を唱えることを排斥している、という事です。
神呪は祭司の方であると思います。』
仏陀は神呪を唱えることによって、大勢の衆生を導いているわけではない。
真理の言葉によって、衆生を導いているのです。
あなたの檀家さんは、あなたの唱える(日本語にして日本語にあらずな言葉の)お経によって、真理の言葉を理解しましたか。
ブッダはこのような事柄もすでに予見されていたのだろう。
と、いう小話でもって、本日も経典を読んでお休みいたします。
9月27日
それでは、
聖書より
『不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受け入れなかった報いである。
そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、
こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、
そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。
そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、
あなたがたの心を励まし、あたながたを強めて、すべての良い業を行い、正しい言葉を語る者として下さるように。』
これは、どのような事柄であるのか。
(すでに)狙われているのは、テロ側の悪しき行いの者たち、あなた方である。というようにも受け取れるだろう。
真理。
仏陀の教え・聖者の教えから離れるべきではない。あなた方。
教えでは、悪しき行いの者が地獄に行くというのは、
要するに、
仏陀曰く
「比丘たちよ、その盲目の亀が、百年に一度だけ海面に浮かんできて、ついに、そのクビキの一つの孔に首を突きこむというのは、比丘たちよ、それは、煉獄に堕ちたる愚かなる者が、ふたたび人身を得るのに比ぶれば、まだ速やかである、とわたしはいう」
そこでは、善業をして善処に赴くというように、善業をなすことがすでにできない。
あなた方は、だいたいの人は、なぜ、ここに人間の自分として生まれたのかを知らないでしょう。忘れてしまったのか、どうなのか、現在の自分の記憶にない。しかし、何故か人としての生を受け、そこで喜怒哀楽を感受しているのである。
それと同じように、地獄に生を受けるとしたならば、どうなのだろう。
地獄に堕ちた者は、記憶にないのかもしれないが、それにはやはり原因がある。地獄に堕ちたのは、悪業、その原因の報いの結果である、と。
「その盲目の亀が、百年に一度だけ海面に浮かんできて、ついに、そのクビキの一つの孔に首を突きこむというのは、煉獄に堕ちたる愚かなる者が、ふたたび人身を得るのに比ぶれば、まだ速やかである」
そして、再び人身を得るというのは、いつになるのだろか。
ブッダの教えの喩えで考えれば、どれほどの年月がすぎたころとなるのだろうか。
あなたは、そんなものはあるかどうかわからない。と言うこともあるのだろう、けれども、そのようにして、そのあなたの現在の短い人生を終えた後に、地獄というところに生を受けてしまった時にはもう遅い。
そこから救いを求めてももう遅いのである。
現在、あなたは善業をなすことができる。
9月29日
N×KFMの×ングアプローチっていうラジオ番組で悪語を言って笑ってたけど、あれも問題あるだろう。
N×Kがそういう状態なんだから、他もやっぱり同様なのかな。
内部がかなりあれてるね。
N×Kって、日本で唯一、良識があるような局ではなかったのか。
そういうイメージだったけど、壊れたな。
唯一っていったら、他の局に失礼か。なんていえばいいのか。
唯一、エロとかがタブーな感じの局のイメージかな。
ん、そうかけば、他の局がエロはタブーではないみたいな感じに受け取られるのかな。そういうのでどういう規制があるのか詳しくは知らない。
N×Kは家では一切見ていないよ。
我が家にテレビはないのであった。
以前、友人にアナログの15インチくらいだったかな、テレビをあげた。
パソコンのテレビのやつも買ったけれども、家のパソコンでは一回も使用してなかったと思うけど、それもあげた。
携帯のテレビはあるよ。
N×Kは、携帯で一切見ていない。
なぜならば、視聴料も払っていないからです。
なんだったかな、テレビを見ませんっていう手続きをしたので。
何申請っていうのかわすれたけど。
実家では見てる。テレビがあるので。
携帯でチャンネル回すとき、スキップ機能がなくて、順番に回るから、ちょっとあれなんだけど、とかちょっと思いつつ。
数字を押せば、チャンネルきりかわるんだけども。
あれ、広告をつければ、他の人も負担にならないんではないのかな。経営の仕方か。何故にNHKだけ、視聴料をとるのだろうか。
検索は、まぁ、別にいいか。
そういえば、霊的現象のなんかヘンな声が入るとか全くなくなってるね。
あれ、どうなったの。
やっぱり、あれも嫌がらせか。
その悪行の数々。
やっぱりって変だな。
やっぱりってつけると、いろいろ違う意味あいが生じてしまうかな、と。
900でハゲって言った。
いま900聞いてるよ。
昔の日記の「ハゲ」っていうのは、真実で、誰の事柄なのかは知らないですよ。
どこの神だかは知らないけれども、上級の微細な神霊を見れるような能力は普通に見て、おそらくないだろうから、誰かを喩えて言ってたのかな、どうなのかな。何を見て言ってたのか、と。
たまに、考えるときがある。
たまにって、そんなに多くはないけどね。
畜生霊が神霊に化けたら、身体の色が青っぽいという話は、言われている。
霊的な存在で、「わたしは神だ」とか、名のある神名だ、ということを宣言してしまう存在はよくよく審神したほうがいいだろう、と思う。
いいだろうっていうか、よく審神しないと騙される可能性も高い、と思うよ。
昔、私の前世を、自称能力者であるという人に見てもらった事がある。その人の話では大物主の魂がどうたらこうたらって言ってた人もいた、他は、以前は、経験なクリスチャンだったという人もいた。
見る人によって、様々な視点からいろいろ、なんか見ているのか、見せられているのだか。
あと、あれだね。
悪霊なんだかどうだか、知らないけれども、自分が天照皇大神だという霊もいた。男性の声。
あ~、そういえば、若い男性の声もしてたわ。悪霊の「さえ」だけの声だけでもないか。たしかに、若い男性の声。
ちょっと、思い出して書いてて面白い話になるのだけれども、
自分が天照皇大神だっていうもんだから、
伊勢神宮に直接電話をしたことがある。
う~ん、微妙だな。ものまねで、若い男の声か。
あとから、それをものまねだと思ってたんだわ。
後に、若い男性の声は聞かなくなったので。
その大物主っていうのを言われて、日本の神様を結構調べて、多少日本神道に詳しくなった。
声が聞こえる、という状態は、病名でいうと、統一性障害だったかな。
どれ、検索。
その統一性障害だったかという、まぁ、憑依の人もあるだろうけれども、私のHPのを読めば治るという話。
念を読んで、これを書かせるとかいう話は全く悪しき者の業なので相手にしない方がいいよ。
幻聴が聞こえるとかいう状態があって困っているそういう人にも、私のHP(仏陀の教え)を信じてみるように言ってみてあげると善いでしょう。
その症状は改善に向かうでしょう。
その本人にもよるだろうけれども。
深く深く(悪しき想念を)考えすぎ(惑わされ)ると、やられちゃうから。
私の場合のは、(テロ側の)悪しき者達が悪霊と一緒になって嫌がらせをしていたので、非常に意味不明だった。最初の頃。
一般の幻聴が聞こえるという人は、テロの悪しき者達の嫌がらせがない分、早くにそれらを理解することができるということもありえるでしょう。
あれ、男の声はどうだったか。
日記に書いているので、興味があれば、そっちを見ればわかるでしょう。
そもそも、天照皇大神は、男性か女性か、というのもいろいろ言われがあったので、その時は悩んだ。
ん、男性の声。
日記をみてみるか、と。
日記が長い
詳しい詳細は、書いていれば、書いてる、と。
若い男性の声は、深く気にするところでもないので。
どこから、話がずれたのか。
どこぞの神の話からだな。
でもね、そういう話でも、何の霊的知識もない人であれば、かなり大変だと思うよ。
私の場合は、そういう知識がそれ以前からあったので、一つ一つ理解することができたけれども。
以前に、狐憑きの人の狐の霊と、戦ったことのある能力者のところにもいったけれども、九尾っていうので、怖がっていたからね。狐とやりあったことがあるので、狐の霊がしつこいっていうも知っているのでなおさら。私が一般の人に、霊的な現象の話をすれば、「この人は何を言っているのか」と思われるような話も、その人は言っている意味も理解していた。
まぁ、しかし、結局、その人にも怖がられて、最後には「帰って」ってうふうにも言われたからね。
あのときもまた、それを死の宣告みたいに感じたけどね。
そんなプロが怖がるのであれば、これはもう・・・、と言う感じ。
その時、はるはかなりのショックをうけたのであった。
これもホントに。
で、しょうがない、自分でやるか、と。そういう感じだった。
仏陀の教えで、除霊の方法は記されていない、あるとしても、密教ということで思っていたけれども、それは悪霊に対する知識も足りなかったので、そう思っていて、要するに、当初は、真理の言葉と、除霊等の話は別の話という風に捉えていたのだけれども、
そういう事柄に関しても、
ゴータマ仏陀の教えは別格だったと。
まぁ、しかし、現在では、そういう若かりし頃の霊的に意味不明なできごとも理解できるわけで、霊的な恐怖も全くなく。
逆に悪霊が、真理に怯えているっていう感じかな。
その仲間の悪しき者達も悪霊と一緒に悪業を積み重ね、どちらもその報いを受けるまでは、快い事柄にあうこともあるだろう。(仏陀の教え)
謎が解明される、解明される。それはもう、仏典を読むのも、聖書を読むのも心楽しいわけで。
他の霊的な書物も謎が解けるのが、すごく楽しい。それは、現在も。
魔術者の視点で、仏陀の教えが理解されるということは道理としてもない。
そこには寂静もないから。
なので、悪霊にも翻弄されると思うよ。
悪霊を使役していると思っていても、大きく見たら、悪魔に操られているのはその本人である、と。自らが悪業をなしているというので、それに気付ければ、まだ、いい方だろうと思う。
悪霊に翻弄されるって、こっちの想念に邪念やエロい念を起こされるとかいうようなレベルの翻弄ではなくて、真理でいう地獄にすすむ道に導かれているという翻弄。
人としての生存が今生で切れる。天上の生存というのは、望めるはずもなく。
後は、堕処の存在者、餓鬼、動物、虫等、畜生、そして、地獄という苦ばかりを受ける生存者となるだろう。(聖者方の教え)
そして、それを理解しやすく解き示しても、それを信ずることもできなくなっていってるところかな。
それは、すでに、その道に入って行っているので。
聖者の教えを信じることができないようにいろいろとすでに仕組まれているところもあるとは思うよ。テロ集団がではなく。(テロ集団もだけれども)テロ集団ごと悪魔に導かれているから。そんなのももう明白だろう。
何度も言っているけれども、見るのは、私の現在や過去の平凡・非平凡なことをしていた経験、または、私がしたこっ恥ずかしい過去の反省すべきところとかそういうのではない。
そうではなくて、見るのは、聖者方の寂静の教え、それを身につけなさい、と。
テロのあきらかな悪行もすでに見えなくなっている、それを悪行であるというように識別すらもできなくなってきているのだろうか。
霊的な悪しき生存は存在する。
あなた方はそれを知らないだけ。
私の道はすでに聖者方の方。後にすすんで悪事をするという心、思いもないから、死後に何の不安もない。
天上では、感受がダイレクトだろうから、歓びも楽しみも倍であるというのは、想像できないことはない、というけれども、想像を絶するくらいに快いという話もあるので、そういう点では、ものすごくラッキーというように、リアルに思っていたりもする。その快さにより苦というものを省みるということなきにより、解脱から遠ざかったら大変だな、というような思いもあったり、と。
しかし、その思いは別に禅定の妨げにはならない。そこに対する執著があればさまたげになることもあるだろうけれども。
あなた方、悪しき業をすでにしてしまった者達は、すでに仏陀によって、イエズスによって、他の聖者によって、その悪業の報いは受ける、そしてその悪業の報いは悪いと言われている。
その悪しき業による、死後に対する恐怖心は禅定、または、祈りの妨げになる。
9月30日
久しぶりに大物主神のことをちょっと、見ていたが。
結構、説がいろいろあるのよ。
日本神道は他の事柄でもいろいろな説がたくさんある。
日本神道の教えもいろいろな昔の書物よんでれば、迷うからね。
みんな好きかってなことを言っている。
そして、そのような書物が出回っている。
どの説が本当なのか、というのもわからないから、とりあえず、いろいろな書物の説を伝えてしまっているのだろうか。
歴史が謎。
きちんとしたところでは、真伝がのこっているのかな、と。
書物によって、同じ事柄で意味が違うというのも多い、という印象。
日本神道の書物で記されている仏教が、そもそも仏陀の教えの仏教でない仏教の事柄を記しているのも多い。
大乗仏教ですら、誤りがあるのであれば、日本神道から見る仏教は当然そうなるということか、と。
以前も、日記で同じような事柄を書いたか。
大物主は金毘羅神の方の大物主っていう話だったな。
?だか本当だかは知らないけれども、もし自分がそういうように言われて、それに気が向いたら、それについて調べるでみるもんでしょう。
金毘羅権現者、大三輪明神也云々、一説スサノオの尊也。
どう、これ。
これ、こういう風に本当に書いているから。
日本神道の神名は、合体させるのに自由度がありすぎて、後の人たちが迷う。
神仏混淆とか。
合体説、自由気まま。
そういうので、真伝が伝わると思っているのか、と。
ちょっと、厳しく言っている感じで言ってみたりもする。
しかし、昔の説だからね。
昔、小学生の時、並んで後ろの人に伝言を伝えていくというゲームをやったら、最後の人が全然違うことを言ってた。
たしかに。
そういうこともあるだろう。
喩え方が、ミスマッチだな。
日本神道の説っていうのは、統一は難しいのだろうか。
Aさんいわく:「これが真伝です。」
Bさんいわく:「いえ、この書物のこれが真伝です。」
Cさんいわく:「いいえ、それは間違いです。真伝はこれです。」
はるいわく:「とりあえず、それらの真伝で伝えられている仏教(仏陀の教えの認識)は間違っています。」
このように、みんな発言が自由だったりもする、と。
10月1日
聖書を読んでいたら、思い出した。
そういえば、今日も虹がでていた。
「Prayer」を久しぶりに聞いていて、その映像を見て思い出した。
10月3日
いやはや、どう見てもそちらは無理。道理にない。
本日の嫌がらせも含め。
基礎がもう愚行で出来上がってきている。
嫌がらせがラジオとセットになって嫌がらせをしているのだが、
こういうのももう数年たつか。
よくそういうので、裏っ側をやってたね。(支配できてたね。)支配していたのか。
そうでないか。
そういう集い。
そういうように公で叩けば、こちらが犯人であるから、このように公で叩いているんです、という感じになるというのもあるだろう、ってか。
まぁ、そうであれば、それも含めて、基礎がもう愚かな思考からでているのも、諦らかである、と。
しかし、前からテロ集団にメディアはほぼ盗られてるようなものだ、というのは記してなかったかな。
叩きがはじまった頃、メディアとかいろいろなので、いきなり叩きはじめれた。
そういうように、もうテロ側の愚かな行為に使用されるように、メディア自体がなってしまっていたってことだ。
日本のメディアの場合。
ニュース番組を見れば、どのニュース番組を見ても、同じニュースが何度も何度も流れているわけで。
そんな難しい話でもなくて。要約すれば、それらの事柄は単純だ。
お、大言壮語っていうのも、あれか。日本神道の話で。
あれは、知らないけど、ホントに言ってたからね。そんなのは別に気にしなくていい。
しかし、ホントに無理なんだな~。
その団体さん。
教えのとおりに、愚かな行為をしている。そして、それを繰り返し繰り返し。
堕処に赴く者という教えにぴったりと合っている。
ジャストフィットだ。
まぁ、微妙なあれになってるけど。
ジャストが残念ながら、喩え違いかな。
テロ(悪心の者)の集いがメディアを操作するという体制には問題がある。
それは、日本のメディア。
まぁ、現在は北海道のラジオはテロ側の支持(指示)ですぐ動く・動いているというような状態であるが、すでに述べているように、日本のメディア自体ももうすでにテロの指示のもとで動いてしまっているような状態だから、
う~ん、テロ側の者をちょっとさぐり出して、メディア関係から離した方がいいだろう。
テロ側に誘導されると、他の人たちが困る。
北海道のラジオすら、テロ側の翻弄する情報とかも、ほとんどの人が迷惑に思っているだろう。
俺に嫌がらせして、俺が何した、かにしたっていう、そのような状況、?を含んだ情報(歌等も)もいろいろ流しているが、別に俺の現在のようすを聞いて、なんなの。
誰かに何かがあるのか、それは、と。
で、そういうのを自分で聞く俺はなんなの。
そういのも含めて、ガッツリと迷惑なんだけど。
まったく理由も知らない一人の人を、数年間も大勢で、笑って嫌がらせをしつづけるというその愚かな悪しき行い。
そのようなあなた方の愚かな行いを、それをじっと見続けてきた人から、はっきりと言われて、あなた方は自らでそれを理解できるだろうか。
まぁ、ね~…。
もう、引っ張っられているようなもんだろうから、いくら言っても、もう届かないかもしれないけれども。
自らの心の内、我から真我へと、ひっくり返るとき、または、ひっくり返りそうになるとき、それらの悪しき行いの後悔は、恐ろしいものとなるだろう。
すでに悪しき行いを後悔している人も、結構いるだろうけれども。
と、そちらのテロの集いに対しての話、あるいは教えにしても、(その者たちがそこより上位の教えのところにいないので)こういうような話のレベル、段階の話になってしまうのだけれども、
仏陀の教えは、まったくそういうレベル・段階の話ではない。
今までの、私自らの対応を見ても、まったくもって、そちらの集いに対すれば、次元の低い低い話ばかりとなる。
そのような、あなた方の悪しき行為をあなた方自らで見て、以前に話をした、あなた方の三途の川の話は理解できただろうか。
しかし、ホントに堕処に赴く者という教えとぴったりと合ってる。
あなた方、選ばれし者の逆バージョンだべさ。
聖書では、そういう人を破滅の人と言う。
そっちの道は、その言葉のとおりに破滅してしまうから行くべきでない。
と我、思ふ。
聖者方の言うことを聞かないもんだから。
魔術士とか愚かな者の言う事を聞いてしまっている。
そんなんじゃ、あかん。
関西弁で言ってみたりもする。
多分、関西弁だろう。
一応、私はこういう感じであるけれども、
聖者方の教えは真実であり、真理なので、それらの善なる教え、法は、
本気できちんと受けないと、あとから後悔しても、もう遅い、ということになるだろう。
それが、真理。
あなた方の悪しき行いにたいする、あなたが受ける悪しき報いもまた、真理。
テロの集いの嫌がらせ等、私をなき者にしようというような行い。
そのように私を裁こうとしているのもあったが、あなた方が私を裁く権利は一切ない。
あなたは神にでもなったつもりなのだろうか。
あなたは神ではない。
10月5日
本日は
今日の出来事
本日、積立の保険に加入するという話だったので、保険の営業の女性の話を聞いて契約をしてきた。
病気や怪我等の記載があったけど、入院保険とかではないので、日付等の書込みはだいたいでいい、と。
(私)はる「あれ、入院したのいつだったっけなー」
保険の女性「だいたいでいいです」
はる「じゃ、多分、この頃だったかな」カキカキ
はる「あれ、これはいつだったかな」
女性「だいたいでいいです」
はる:そうか、では、だいたいこの頃かな。カキカキ
はる「この病気治ってないけど、どうなんですか」
女性「病院に通院していないのであれば、治ゆという記載でいいです」
はる:そうか、では。カキカキ
───
女性「受取り人のところに書いてもらうのを忘れましたので、受取人の方のお名前を書いてください。」
はる:それでは、父の名前を。カキカキ
はる「あれ、(父の)誕生日はいつだったっけかなー」
女性「だいたいで、いいです」
はる:それは「だいたいすぎるでしょ」
という、話の流れでの契約をしてきた。
入院保険ではないので、だいたいでいいらしい。
10月8日
(更新)
一般的な事柄に関しての教えについて
10月9日
食事を終え、ひと息。
おいしい豆腐であった。
今日もテロ集団の執拗な嫌がらせを受けた。
良識ある団体でないのももう明らかだからね。
ほぼ仏陀の教えの通りに推移している、と見れる。
イエズスとその弟子の方の話の通りにも推移している、と見れる。
そうそう
あなた方は団結をするポイントをガッツリと間違っているのではないだろうか。
とりあえず、あなた方のそれらは、死後に善処に赴くというのは無理(道理にない)。
あなた方のそれらの行いによって、仲間であるあなたが死後に堕処に赴くというのは可能。というか可能性は大いにある、と。そして、すでに、可能生は高い。
そして、そういう者のあつまりでもって、悪魔側に誘導されているのでその可能性は更に高くなっていってしまっていると。
確立で言っても、すでに結構、高いんでないんだろうか。
そういう団体っていうのは、誰が見ても愚かな行為をしているとしても、それに所属している者は、自分達の仲間同士での暗号やら、秘密のサインやら秘密めいた感じを出したりして、自分達の中での共有というか、自分達は仲間であるという意識をもたせて結束力を高める。
例えば、メディアで私はMですよー、、という、Mという団体に所属している者が、その仲間であるものが見れば、すぐ気付くようなサインを手で出していたとする。〔はるはMとかそういうものの仲間ではない〕
そうすると、それを知っている者は”おっ!、この人は仲間だ”と思って、
仲間であるという意識が生じる。
そのようにして、そのメンバーの者自身にこれは私達だけの秘密のサインであって、私達以外には内緒。私達は秘密の仲間である、という感じで、仲間意識が生じてくる。
そういう、秘密めいたことをしつつ、仲間意識を生じさせると、
次第に結束力が生じる。
そうして結束力が強くなったら、今度は、そのメンバー自身に自分達の団体というものを守ろうとする精神が生じる。
これは私達だけの秘密である。
行動も私達だけの秘密である。
裏の計画も私達だけの秘密である、と。
これは、秘密である。
よって、私達の団体を邪魔するやつは排除する、というような感じ、もある、と。
よって、それに反対するものを排除したりなんだり。
まぁ、真実として、力ある天上の神々・善なる存在は、そういう一般世俗的なのももうまる見えだろけれども。
(テロの者等の悪しき行いの者は、死後にでも、力ある神々からは、おそらく相手にされることもないだろう。生存中は悪しき仲間内で、ちやほやされるくらいか。数えれる位の年数の期間だけ。)
あなた方は、自らの団体(仲間)が愚かな行いをしていても、それに同調してしまい、自らの眼が盲目であるということに気づくことが難しい。
そして、もし気付いて、それに反対するならば、排除される、と。
仏陀のおしえ。
「悪しき仲間、悪しき友に親しんではならない。
善き仲間、善き友と親しみなさい。」
”秘密の暗号は、私達の組織の場合、スケールが大きいので、実際にスケールの大きいサインを出す”
たとえば、建物で暗示したり、メディア総動員で暗示したりとか、かな。
もうね、そういのを見たり、見せられたりすると、
ホントにね。
小っちゃい団体だな、と思う。
能力者のは、あれだ。
仏陀の弟子でダイバダッタがいたが、ダイバダッタの話をきちんと読んでみた方がいいでしょう。
ダイバダッタの行いが、悪しき事柄に能力を使用している、そちらの者の事柄とほとんど同じパターンだろう。
心の出来ていないものが、神通を手にいれると、道を一気にはずれてしまう、と。
神々の主であるサッカの話の意味も、理解が難しいのだろうか。
小っちゃい団体という意味は、
小っちゃい団体(人間の中身・内面がとても小さく見える)。
例えば、
聖人(成人)が不在であることによって、道徳に暗く悪しき思いの穢れに気付くことがむずかしい。
聖人(成人)が不在であるので、畜生霊等、悪しき存在に関与され操作される。
聖人(成人)が不在であるので、聖者の教えに暗く、人という存在、人の子として、自らの行き先も不明。他者を導くということもできず、と。
私は仏陀の教えによって、悪しき者と親しんではならない。
要するに、詐欺士とか、嫌がらせをしている者の集いと親しんではならない。
10月10日
今日もおいしい豆腐であった。
現在ラジオでも叩かれている。
本日も嫌がらせを受けている。
いやいや、知ってて言ってるでしょ。それは悪業。
あなた方は、楽しんで悪業を積むようになってるみたいだけども。
自分の進んでいる方向が理解できないんだろうか。
だべさ。
あなたの仲間と親しめば、そのようになる。そして、すでにそのようになっている。そして、自らで気付くことができない。
団体意識に流されずに、自分の心をきちんと見ないと気付けないよ。
そういうのを見ても、やはりテロ側が一般の衆生を数日で洗脳は結構難しくはない、と。
俺のお尻の話に、テロ側がものすごいよってくる。
それは筋肉を取られているからしばらく、なおらないか時間がかかるって言っているでしょう。
手術前はきちんとなっていた筋肉が、手術後に半分なくなってるから。
そんなのは、自分でもわかるって。
そういう悪業をすでにしているんだよ。あなたの仲間が。
自分らで筋肉をとって、それを愚弄するという、人間としても、最悪な行為以外にないだろう。
だから、そっちのあなたの仲間は、良識がないのは、もうはっきりしている。
板のような筋肉が半分なくなってるから、半分だけ筋肉で堅くなっていて板のようになっていて、半分は筋肉をとられたから、やわらかくなっている。
だから、愕然としたと記したでしょ。
筋肉をとられたので、おなかのガスが漏れてしまう。
もう、それはしょうがない状態。
なので、便がもれなくてもガスのにおいがする。
ちなみに、普段、便はもれていない。
便はきちんととまるようす。
お尻はきれいにウォシュレットで清潔にしていて、見ためはプリプリなのだが、いかんせん、見えないお尻の中身の筋肉がないと、これは本人ではどうしようもできない。
──
しかし、これもまた困っている事柄ではある。
テロ側のあなたの仲間はもう悪業を完成させている。
とりあえず、普通に私の生活を保障してもらわないと困る。
あなたの仲間はホントに、良識が抜けているよ。
冗談で言っていると思っているのだろうか。
冗談ではない。
あなたの仲間は嘘に嘘を塗り重ねすぎ。
「愚か者と言ってはならない。」
テロの悪行は、愚か者の行為でしかない。
愚か者の行為っていうのは、間違えていると思いますか。
あなたの仲間はことごとく、仏陀の教えでいう、愚か者の行為をしている。
いや、
テロ側のラジオとかを聞いて、他の人も、「誰が聞いても頭がおかしい」と言っている。
そちらの悪行はホントに、誰が聞いても頭がおかしい、と思うだろう。
そのように、それだけ、毎日のようにず~っと嫌がらせをしているのが、あなたの仲間達。
テロ側の事柄を記すと、毎度毎度同じような次元の低い低い話になる、と。
数年間も、犯人ではないこちらを犯人にしたてあげようとしつつ、嫌がらせをしつづけてるあなたの所属しているその偽善者の集う団体は、道から外れすぎている。
あなたの仲間は道から外れすぎている。
それらの悪業は、表でなし
で、
さらに裏でもない。
そして、
天上でもない。
『数年間も、犯人ではないこちらを犯人にしたてあげようとしつつ、嫌がらせをしつづけている者』
このような者は、仏陀の教えでいう、愚かな者であるか、否か。
どちらだと思うだろうか。
う~ん、そちらの仲間の偏見あるもの、無知が高じて偏っている者が、荒らしているのか、と。
あなたの仲間のその者の悪業を、その友であり、仲間であるあなたが(も)止めるべきだろう。
良識があるのであれば。
私の中では、(可能であれば)悪業を止めてあげるっていうのは、かなり普通の感じであるんだけれども。
そういうところは、普通ではないんだろうか。
テロのあなたの仲間の悪行と、私とか仏陀の弟子の普通という基準がかなり違うんだろう。
さっきもそうだけれども、他人の不幸を笑ってそしっている、しかも公共電波で。
そういうのも、私の考え方の中では、そういう精神・思考は、普通ではない、と思う。
しかし、そちら、あなたの仲間は毎度毎度いつものように人をそしって笑っている。
そのあなた方とその仲間のその悪しき行いもまた、仏陀の教えにあてはまっている。
あなた方のその罪のない仏陀の弟子にたいする行為は、これもまた悪しき悪業である。
仏陀の言葉
『嘘を言う人は地獄に堕ちる。また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者ともに行為の卑劣な人々である、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に堕ちる)。
害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪〔い報い〕がもどってくる。風に逆らって微細な塵を撒き散らすようなものである。
種々なる貪欲に耽る者は、言葉で他人をそしる。──かれ自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。
口穢く、不実で、卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪行をなす者よ。下劣を極め、不吉な、でき損いよ。この世であまりおしゃべりするな。お前は地獄に堕ちる者だぞ。
お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑(地獄)に陥る。
けだし何者の業も滅びることはない。』
そちらのあなたは、自らがどのような道を歩いているか、知らない。
または気付いていない者がいる。
気づいるのであれば、仏陀の言葉のとおりとなる。
気づいていなくても、仏陀の言葉のとおりとなる。
それが、この世とあの世の摂理と言われるもの。
それが、法(真理)。
HPで悪業の報い、返りの教えを紹介していないから、まだ、そういう悪業の果報の事柄をどのようなものであるかというのを理解できていない・知ってはいない、こともあるだろうとも思うけれども。
いや、ホントに大変だと思うよ。そちらの人は。
あなたの友の悪業は、聖者方の教えで言えば、天上へ赴くというのは、道理としてもないからである。
一番大変なのは、禅定に心の障りが出ることである、と私は思うけれども。
禅定の話をしても、わからないだろうか。
あなたの仲間の行いは、正定への道が、心の障りによってガッツリと絶たれているようなのに近いものがあると思うよ。
仏陀がどれほどに禅定の教えを説かれたことか。
正定ができない、ということは、悪魔の力のおよばないところに、あなたが到達することも極めて難しい。(おそらくほぼ無理)
そして、あなたの仲間もテロ側にすぐに洗脳されているのと同じように、悪魔に洗脳されても、気付くことも難しい。
それに、気付いている人に忠告してもらって、やっと気付ける感じだろうか。
ちなみに、はるのHPによって、善い意味で洗脳っていうか、信仰心が生じた人はどうなるか。
善行をしたくなる、という作用がある。
本当の子どもたち(幼稚園児や子供たち)に教えると、善行という基準を知ることがができるので、そこから、善業を知って成すことができる。
純粋な時に、清浄な基準を知れば、その時点でも、テロの友であるあなた、よりも善なる人とし立つ可能性が大きい。
(春は)子供たちが優しい心ある人として育つのは、見ててもこころよい。
私、つしまの中では、そういうのも結構普通にそう思うんだけれども、そちらの方はどう思われるか。
10月13日
今日もまたラジオでたたかれている。
つしまがないらしい。
つしまがないっていう者が、なんか、どうしても「さえ」っていう者を信じたいらしい。
そちらは何か、呼び合うってしまうものがあるのかもしれないな。
ま、私が近づくことがない共感だろう。
道理を理解しやすく説いているのだが、ふざけてるから、仏陀の言葉も届かない、と。
その主張をわざわざ、そこで言う必要もないとも思うけれども、俺に主張をしたいのだろうか。
あなたの所属を告白されても、別にそこに興味はない。
他の人は、興味あるのかもしれないけれども。
というか、俺のことを口にしている人もいるけれども、私がその人を知らないのが多いからね。
また、カリカリって。
テロの者はずっとそういう感じ。
無差別テロはなんなんだ、と。
と。
有名かどうかとかの話のか。
どう見ても、有名になってしまっている。
ホントに毎日毎日無差別テロの者の悪行が気持ち悪い。
テロのあなたの仲間の友は、大勢の人がその悪行(ラジオ等も)を見て愚かな行いと見ているのに、本人達は気づいていないのか。
と、今日もまた同じような内容を記す、と。
今日も虹が出ていた。
虹は結構見るね。
そちらの、あなたの仲間でしょ。
その悪行は。
仲間ではないのか。
どういう関係なんだ。
まぁ、しかし。
そちらの交友関係にも、別に興味があるわけでもなく。
そちらの悪しき友と親しんでいる者は、私に近づかなくていい。
私もそちらと親しむことはない。
話は変わって、私の名前を出して謝罪をしていた人がいた。
以前にもいたけれども。
その人の善性が、それにあらわれているようで、その念もその人の善心からきているものがあるだろう、と。
純粋に本心からそのように言っているのであれば、その当の本人も、その悔いあらためによって、(禅定でも)寂静に近づく、と。
『「罪悪を罪悪として見よ」という、これが第一の教説である。
「罪悪を罪悪として認め、それを厭離せよ、離貪せよ、離脱せよ」という、これが第二の教説である。
比丘たちよ、尊むべき人であり、正しくさとられた人である真理の体現者に、この二つの教説が生じる」
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
すべての存在に対して憐みぶかい仏である真理の体現者が説く二つの教説を続けて知り(学び)なさい。
すなわち、罪悪をはっきりと見よ、そしてまた、それを離貪せよ。罪悪より離貪した人々の心には、苦の終末がもたらされよう。
このことをもまた世尊が説かれた、と私は聞いている。』
その行いは、仏陀の教えにあてはまる。
善なる教えを知って、罪悪を罪悪として認め、それを悔い改めて、罪悪から厭離、離脱して仏陀の教えに近づいてくる人がいる。
善なる教えを知っても、罪悪(悪業)を積み重ねて、仏陀の教えから遠く離れて行く者もいる。
生放送ではっきり言っているのも、はっきりと聞いているけれども。
いや、全ての悪行が「さえ」っていう者のせいではないだろう。普通に考えて。
それを助長しているあなたもその悪しき者の仲間。
「さえ」というものと、他、詐欺士のせいにすれば、私が何かを書くとかで、騒がせている者も同じく、あなたも悪しき者の仲間。
テロはあなたとその友の悪しき行いによってなっている。
いやいや、基本的にこっちは全くわるくないからね。
なんか、勘違いをしているみたいだけれども。
なんか、テロに洗脳されて、方向が洗脳されている方向でしか見えにくくなっているのか、と。すでに。
だいたい、前からのテロのメンバーってわかってきているんだろう。
煽っているのも、だいたい同じだべさ。指示しているのも。
その少数の者が、犯人の友の仲間。
こういうのを記すと、薬物でもやっておかしくなっているのか、というような音楽。個人に対する嫌がらせの歌がラジオでかかる、と。
だいたい、こういう感じ
でも、だいたい嫌がらせの音楽はそういう感じのが多いね。ヒップホップ系とかでそういうのが多い。そういう、ヘイヘイっていうノリの若者の音楽。ま、他のでもあるけれどもね。
10月13日
テロの仲間がここぞとばかりにでてくること。
なんで、俺に近づいてくるのか。
ストーカーみたいなものだ、と。
まぁ、それも最初の頃から同じようなもんだけども。
え、あなたは嫌がらせをしつづけているストーカーと親しむことができるのか。
そういうストーカーのような者にあった経験がないから理解できないところもあるんだろう。
仕事から帰ってきて、買い物に行ったら、工作の者がたくさんいるんだけど。
やはりテロの連中が気持ち悪い。
なんか、そんなにたくさんじゃないみたい
そんなの、知らないっつうの。
ホームセンターで煙突を購入してきた。
さっきは、煙突の径が2種類売っていたので、サイズをどちらか迷ったので、一回家にもどってきたのである。
他、買い物をしてきたが、おそらく、煙突の長さが一本たりないだろう。
失敗をしたのであった、と。
いや、微妙な長さだ。
つめればなんとかいけるかもしれない、と。
外は風が冷たくなってきている。
人により受け取り方が異なっているね。
本日の日記の文章の受け取り方。
買い物の話は、
え~と、その前に、
おいしいラーメンであった、と。
食後の感想は必要ないべか。
買い物の話は、前に話たように、通りとか近場の人にそういうようにさせている工作員がいるようす。あと、工作員その者。
日本のヤクザの人が動いているのかは、どうなんだろう。
それは、知らない。
ヤクザ。
ヤクザの話。
昔、そういうのに誘われたことがある。
あれは、私が若い頃、アルバイトをしているときだった。
店の店員をしていたことがあり、
シーマに乗ってた二人組の男性が店にきて、果物を買っていったとき。
二人ともスーツで、一人は別にそういう人かなっていう感じであったが、もう一人は目がすわってる感じだったので、あきらかにそういう人だろう、と。
そういう感じがすごく出ていた。
贈り物用にノシをつけるのに、名前を聞いて、その人を見てて、”これは”と思い、その、そちらの人だろう思う人に、「───名前───さんはすごいんですか」って、聞いてみたら、
あれ、その後、何て言ってたっけな。
その人は、自分のことをすごいって言ってたっけかな。
、その時に、そういうのに誘われたのであった。
そして、その頃、私の心は、すでに善を目指していたので、
丁重にお断りをしたのあった。
ヤクザっていうのは、あとは、若い頃の話。
重機に乗っていた若い頃の時の社長は、たしかヤクザだったらしかった。
いざこざがあったようで、会社に他のヤクザの人が押しかけてきたこともあったとい話もあったので。
(私は離れた所でユンボに乗ってゆったりと作業をしていたので詳しく見てないけれども。)
複雑な事情により、現在は、どこに行ったか姿が見えないけれども、私に対しては優しかった記憶が強い。その会社も現在はなくなってしまった。
あとから、社員として増えていた次長もたしかヤクザだったらしかった。背中にしょってたという話なので、そうだったのだろう。その人も別に、怒られた記憶もなく、中身は知らないけれども、怖い印象はまったくなかった。
あと、若い頃にヤクザを止めた(たしか、自分の友を裏切ったり、傷つけたりするのがいやでたしか辞めたらしい)知り合いの社長がいるが、その人は仁義があるって感じの落ち着いた人で、その人は義理が普通の人よりもあつい感じに思っているけれども。
ヤクザという人もまた、いろいろな人がいるようであるからね。
そういうので、私個人の中では、ヤクザというのは、そういうイメージがある。
若い頃は、そういう娑婆の世界の話よりも、真実の霊的な事柄の方に興味があったのであった。
まぁ、実際にそういう話にも興味がなかったので、その時の社長が実際にやくざだったのかは定かではない。
しかし、そういえば、本人が自分のことをヤクザだと言ってた記憶もないことはない。
というくらいに、私はそういうのに関心がなかった。
そう、若い頃、あれは昼食をしていたとき、
カレーを食べていて、その食べかけのを、その社長に「食べますか」って聞いたことがあった。
あれもまた、どういう話の流れで聞いたんだっけっかな。
まぁ、社長は笑っていたけれども。
そういう若い頃もあった。
若い頃、若い頃はユンボに乗ってたのは、以前に言ってたとおり。
お客が来ないときは、やることをやって、寝てたりして、よく場長に怒られたけども。
仕事でやることをすませてから。
以前から言っているとおり、まぁ、若い頃は、別に、たいしたことはしていない。
ヤクザのイメージの話は、ニュースとかで見ているのとかではなくて、個人として
あったイメージ。
10月14日
今日は、昨日か、アイディアを思いついた。
話はかわってしまうけれども。
パソコンのマウス
マウスパッドみたいパッドに手をおいて、爪を立てて、爪でもってカーソルをうごかすパッド。
こういうのはもう売っているんだろうか。
使いやすいかもしれない、と思った。
どうだかしらないけど。
えーと、昨日の話。
仕事中にユンボで寝ているという話。
あれは、上司の場長が、気分のいいときは、冗談まじりで、無線で「寝てていいぞ~」等を言ったりしていた。
そういう感じ。
あ、そういえば、ノートパソコンでタッチするのがあったけど、あれは使いにくかった。
思い出した。もうひとつ。
指につけるマウスはもう売っているけれども、それよりも前に指につけるマウスを考えていたことがあったのだけれども、
キーボードを定ポジションの指の位置でカーソルを動かせるように、
たとえば、左の手の小指でどこかのボタンをおしているとき、
空中で右の指に付けたレーザービームのようなの動きをよみとって、
カーソルが動くマウス。
なぜか、知らないけれども。
マウス。
世界中の人が使用しているハードなので、操作時間が短縮されて一秒でもはやくなると、一人一秒で計算すると、世界中の人口でみると、かなり時間短縮になる。とかなんとか。
処理能力の早いパソコンを使用するのが、手っ取り早い。
が、しかし、操作能力はパソコンの処理能力ではなくて、本人でもある、と。
キーボードから手が離れないで作業ができれば、時間短縮になるでしょう。
ノートパソコンのは、使いずらいので(慣れればいいのかもしれないが)あれのもっと使いやすいのがあれば、時間短縮。
でも、一回一回指にはめるという作業がどうだろうか。
万人仕様ではないのかな。
というように、新しいアイディアを考えたりするときは、いろいろ考えてみることがある。
文字修正。
指につけるマウスはもう売っているけれども、それよりも前に指につけるマウスを考えていたことがあったのだけれども、
キーボードを定ポジションの指の位置でカーソルを動かせるように、
たとえば、左の手の小指でどこかのボタンをおしているとき、
空中で右の人差し指等に付けたレーザービームのような指の動きを読み取る装置で、動きを読み取ってカーソルを動かす指マウス。
まぁ、そういうハードみたいなものは、自然と時間がたてば、使いやすくて便利な物へとだんだん進化していく、と。
簡単で便利。
パソコンも携帯もテレビも器械はだんだんと新化していく、と。
右の指でキーボードをこする感じだと、カーソルの動きが安定する。
キーボードをこすれば、指マウスが必要ないな。
キーボードマウス。
こういうのは、どうだべ。
そうか、片手で操作可能でなければ使いにくいこともある、と。
じゃ、右手の小指でどこかを押して、人差し指でカーソル移動。
とりあえず、カーソルをスタートボタンのところへもって行き、
本日のパソコンは終了。
10月16日
煙突がおしかった。
1本1mでなくて、90cmだった。
今朝は、再びマウスのことを考えていた。
爪のパッドマウス(小さい中で全画面端から端までカーソル移動可能)、を6、7、8、9、F7、F8、F9、F10あたりに挿入して、Shift を押しているとき、その隣り等にあるキーを押すと、左クリックと右クリックのかわりになる。
または左のA,S,D,F等を押すと、右クリックと左クリックに設定。
または、Shift を押さなくても、カーソルを動かした3秒とか5秒間の間はパッドの隣りにある近場のキーを押すと、右クリックと左クリックになるように設定可能。
キーを打たない場面だと、マウス操作だけだからなー
とりあえず、使いやすいのがあれば便利だね。
10月17日
煙突を買ってきた。
そして、つけた。
そして、ストーブの電源を入れた。
暖かかった。
そりゃ、そうだべ、と。
テロのストーカーが仕事の現場にまで入り込んできているんだけど。ストーカーはなんとなならないもんなんだろうか。
なんか、携帯で指示しているみたいだけど。
テロ関連のストーカー。
数年間もストーカー被害にあっているつしま君。
数年間もテロ側として嫌がらせストーカーをしているテロのあなた。
しかし、テロのもホントによくやるよね。
すでに、普通一般の人から見ても、この人達ちょっとおかしいと思われている部分が多々あると思うよ。
どう考えても精神が普通ではないところがある。
でも、テロの精神って、なんだ。
う~ん、テロの精神。
テロっていうか、すでに単なる犯罪をしている者か。
嫌がらせ、ストーカー、公共電波を使用してまでも悪口を言い。
ことごとく行いが汚れている。
そういうのは、人間として恥ずかしい行いだろう、普通の精神を持っている人から見ると。
慚愧の念が抜けているのは、ストーカーのテロの仲間であるあなた。
そういえば、思い出したけれども、ベルゼブブはもうすでに捕らえられている、と。
テロのボスがもうすでにとっ捕まっているではないか。
ちなみに、それの発言もまったく故意にかぶせてはいない。あとから、お、またかぶってる、と思った。
まぁ、どちらにしても、あなた方、テロの仲間達の悪しき行いは仏陀の言葉でも、聖書にある教えでも堕処に赴く。
その者が、擇法(覚支)がまったくできないとそうなる、ということだろう。
ということで、テロの仲間であるあなたは擇法もできていません。
テロ側は
悪しきおこないで
かぶりすぎ
字あまり
現実と
真実の面でも
外れすぎ
再び、字あまり
畜生と
一緒になって、
さわいでる。
〔そういう状態であるならば、〕
行いの
分別ができずに
同レベル。
自らを
阿修羅と思い
勘違い。
仲間内
穢れにきづく
者もなし。
汚れだと
気付いた者は
すでに脱け。
10月18日
例えば、小話を一つ。
かの岸が火事になり、危険であるとしよう、
テロさん「こちらの岸は危険だ、あちらの岸にわたろう」
仲間「そうだ、そうしよう」
そうすると、向こうの岸から船に乗って誰かがやってくる。
ギーコーギーコー
船長「こっちの岸が火事だということで、舟であちらの安全な岸へあなた方を乗せていくけど、乗ってみる?」
テロさん「なんと、あやしいやつだ。おまえの船なんぞには乗らない」
仲間「そうだ、消えうせろ」
悪霊さえ「死ね」
そして、船長に投石。
船長「あぶねっ。イタっ。ガッツリあたった。何と、愚かな集いか。救い渡すものに石を投げるとは。
清浄な人が、そのままではそなた達が助からないという教えによって、それでは、そなた達を安楽な岸へ渡そうとここまで来たが、このような目にあってしまったので、それでは、私はもとの安らぎあるところへ帰るとしよう。」
ギーコーギーコー
船長「あの者達は、自らを救いにきた人に対して投石をする。あれではもう、救ってもらえるということもむずかしいだろう」
そして、船長はのんびりと帰っていった、と。
10月20日
現在、外は雨。
昨日、雪虫が飛んでいたので、もう少しで雨は雪にかわるだろう。
今日はちょっと、人間の身体について。
現実の人間の目の盲点というものについて。
知っている人は知っているだろうけれども、
知らない人は、数十年間、毎日使用している自らの目にすら、気付くことがなかった盲点というものがある、ということに気付く。
視覚の盲点
このように、生まれてから毎日のように物事を見ていた目・視覚にすら盲点というものがある。
気付かない点。
そんな身近に、そんな事象があったなんて、と。
そのように、これだけ身近にあっても、知らないから気付かないとう事象があったりもする、と。
そう、
知らないから気付かない、と。
まぁ、はっきり言って、私はその盲点に30年くらい気付かなかったけどね。
ハッハッハ、と。
現実にそのような人間の機能・視覚というものの、盲点というものでも、
それを、すでに、知っている人は、気づいている。
知らない人は、なかなか気付かない、気付くことが難しい、と。
そういうこともある。
10月21日
(本による)説明文〔網膜の視神経が集まって束になっている部分の見えないところ〕。そこが盲点。
なぜ、数十年も気付かなかったのか。
それは、見てもわかるとおり、右の白い色のマルが見えなくなったとき、その見えなくなった部分が青い色になってたでしょ。
それは、脳が勝手に補修してしまっているので、マルの部分がきちんと色づけされてしまっている。
そういう脳の補修してしまう機能によって、そこの部分が見えなった、というわけでもなく、他の色が補修されて見えているので、気付きにくかったと。
脳が勝手にそう見せている、と。
これは、でも、脳がそう見せているというのではなくて、光の屈折とかそういうのでもないんだろうか。色が映っているから。
脳が勝手に判断しているか。視神経の部分でそういう画ができていて脳がそれをそのまま判断しているのであれば、脳が勝手にそう見せているというわけでもなく、脳が勝手に判断しているわけでもない、と。
無意識の作用らしいけれども、無意識というか、視神経の構造上そういう画を送る途中に視神経の中で画がそういうようにできているのを、脳がそれを単に判断しているだけであれば、無意識の作用というか、視神経の作用っていう感じになるのかな。
(詳しく知りたい方は眼科等の専門家へお問い合わせしてみたらわかるかもしれません。)
10月22日
あいうえお
できた
これは、この文章の流れで「あいうえお」は、ふざけていると思われてしまうかもしれん、ぞ、と。
それでは、説明しよう。
昨日、無意識の作用の記したあとに、
「近況アップデートを投稿できませんでした。後ほどもう一度実行してください。」というので、投稿できなくなったので。
久しぶりに、他のサイトに行ってきました。
今日は書き込みができたのであった。
ん、いや、ふざけてもあれか。
ピリッとした空気でもないから問題はない。
いや、しかし、そういう問題ではない、と。
盲点にカーソルをもっていくとカーソルも見えなくなる。
自分の指も見えなくる。ずらすと、見える。
ちょっと、後ろでブーンという音がして、見たらカメムシが飛んでいた。
捕まえて外に放した。
網戸を越えてくるとはなかなかのやつだ。
網戸を越えてくるのはむずかしい。
もしかしたら、生まれも育ちもここの家のカメムシなのかもしれない。
そうだとしたら、故郷から追い出してしまったということになる、と。
換気扇から入ってきたのかな。今年はまだ塞いでいない。
1.5cm位だから、おそらく不法侵入だろう。
という日常、今日はこの辺でフェースブックの書き込み終了。
10月31日
腰が痛い。
今日は、夜中帰り1時40分頃に仕事から帰宅。
忙しい感じの帰宅時間。
舗装するので、急ぎで埋設配管150m程。
38sqのばし360m程。
朝からこういう時間に帰宅するっていうのは、人生でそんなに多くないかもしれないな。
その内の一回。
もう少しで、朝だけど、これは。
2時39分。
夜中でもテロは騒いでいるという。
今日も××のような状態だった。
それは~
父が人間ではない件、ということか
ザ・(××)。
ん、ザ・(××)であってるか。
さっきから画面が白くなるという現象がパソコンに起きている。
これは
パソコンが重い。
そして、腰が痛い。
そして、ひとときの休息をとる。
テロのラジオがジョン、ジョンって言っている。
しかし、外人の空耳のはしょっちゅうラジオでかかってるね。
外人の空耳のは多いわ。
そっちの友は、真理を見ても、愚かな行いをなしている。
朝から、(××)は失礼だろう的な感じの歌だ。
(××)は削除しようか、さっき思ったのであった。
腰の痛みが消えているという。
俺のために嫌がらせをしているらしい。
その者は、愚か者である。
犯罪者の言い訳を素直にきくという、そっちのその友は善い分別ができてないべ。
こっちを怒らせて、争いをさせようとするのは、まぁ、前からだね
11月3日(2013年)
(××)ってどういうふうに書いてたっけか
ザ・(××)。
けっして天ぷらではないということか。
ころもはサクサク。
父が人間ではない件、ということかが、問題か。
訂正。
人種のテロの者のお父ちゃんは人間だ。
××の父は、(××)だ。
本日は日曜日。仕事。忙しい時。
一日いっぱいバックホーで作業をしていた。
縦旋回を乗ってから、横旋回に乗ると、ちょっとバケツがななめにいってしまう。
しかし、あれ、何でテロは騒いでいるのか。
何か騒いでいるポイントも、意味のわからないこと、になってないか。
歌がかかっていれば、わけのわからない歌だべし。
すごい、(道に)ない。
そういう者の集いからは、厭い離れたいという気持ちがとても強い。
そして、そういう者の集いからは、厭い離れるという気持ちがとても強い。
もしかして、メディア関係の仕事に携わっている人っていうのは、良識ある人間って少ないのか。
高学歴。
そうでもないのか。
(いろんな意味で)上司が間違ったことを言っていたとしても、それを改善する力が、個々にない、と。
どこにあるんだ、と。
話の流れとは関係なく、
ひどい邪念だわ。
そっちの人達はよく着いていけるね、と。
邪念をあてて喜んでいる精神。
さて、そちらの先導者の行きさきは。いかに。
そして、ときおり真理の教えに強い恐怖を感じて、おびえてしまう精神。
そちらの先導者の心の行きさきは。
以前にも言っているけれども、
「真理を知れば、真理があなた方を自由にする」と。
あなた方、選ばれし者逆バージョンの人達は、
真理を知れば知るほど怖くなる、と。
それは、何故か。
あなた方の行いが真理(道)から外れているからです。
11月4日
どうやら『(××)』の件に異論があるらしい。
まぁ、はっきり言って、テロの集いの愚かな行いを、例えばこのように『(××)』のような状態である、と示しただけで、その発言自体はそれほどたいした気にしなくてもいいんだけれども、問題は、そのテロ集団の悪しき行いをし続けているというのが問題だろう。
何で、まんまと洗脳されてしまうのか。
根本的にテロ集団の悪しき行いがなければ、騒ぎももう静まっているだろう。
そして、仏陀の教えを学ぶ人は私のHPを見て、ともに学んで行くだろう。
『(××)』発言もテロの愚行から生じたものであって、テロの善業から生じたものではない。
まぁ、しかし、(昆虫)のところは×に修正しておこうか、と。
そして、気になっているのが、あのこなのです。
昔から叩かれていたのかな、と。あれは、そのコのためになるのかどうか。叩かれているのもわけがあるだろう、と。
なので、悪心でなくて、ためを思ったが。
いまいち、意味不明なので。余計な文章を削除(の予定)だ。
(一個人に言うならば、余計な文章はあんまり気にしないでね。いきなり極論にいくのでなしに、修正すべきところの内容をこちらに説明してもらえると、こちらもすぐにでも修正できるのである、と。
音楽の怪しげなのは、他の人でも疑わしいのは多くいる。だからして、テロ側の悪しき行いは計画的なものだろう思う。一個人だけをあげた点について申し訳なく思っている。ごめん。)
(という気持ちがある。しか~し、だから要するに、俺が謝るというのが根本からして俺が絡まれている本人だから、それは基本的に違うのである、と。
俺の気持ちは通じるだろうか。)
あれ、どこに書いたっけかってフェイスブックの過去のをさがしていたけども、他のサイトだった。
ひっかかるところを削除した。
希望があれば、余談っぽい他の文章も削除するけれども。
う~ん、またか。
───
私は、芸能人等に別に興味はない。
が、もう一回ちょっとよくよく考えて見る。
好きな芸能人は誰かっていうのをちょっと考えてみた。
が、パッと出なかったので、やっぱり別に興味はないだろう。
そうか、芸能人は日本だけではないか。
小さい頃は、成龍の映画を好きでよく見ていた。
映画はジブリもよく見ていたけれども、ポニョで何がおもしろいのか意味がわからなかったので、興味がなくなったな。ナウシカの原作は個人的に謎めいてて良かった。
ポニョは軽く声はいってないか、あれ。一回だけテレビで見たな。
うん、ナウシカの原作は読んでいろいろ考えさせられるものがあった。(個人的に)あれは良い作品だった、という思いがある。
成龍の映画はよく見ていたけれども、今の現場で、なんかサモハンキンポーにちょっと似てるかなという人がいて、ちょくちょく思い出していた。
映画はおもしろかった。
映画か。
小さい頃にバタリアンを見て、見た後にかなり怖かったな。
ゾンビがたくさん「脳みそをくれ~」って襲いかかってくる映画。
寝るときに、バットを用意しておこうかな、という位の恐怖心がでた。
あれ、最後はどうなったんだっけかな。
おぼえてない。
そういうグロテスクでない映画。
小さい頃におもしろかった映画
インディジョーンズはおもしろかったか。
インディジョーンズみたいな映画っていうのは、女の子から見たらどうなんだろうか。
見る視点が違うだろうからな。
まぁ、映画の好みも人それぞれ。
女性は、木よりも花のようなかわいらしい植物を好む人が多いらしい。
私は、花よりも木を好んで見る。
女性の花を愛でる心がね。
その心はどのような心なのか。
美しく咲く。
その心は人それぞれか。
11月5日
アイスミルク、美味。
しかし、今日もまた。
昨日と今日で、現在の仕事の現場がテロ側に優勢になった。
TVやラジオ放送等の洗脳により。
洗脳されるのもすぐだわ。
まぁ、いままで見てきても、だいたい大衆はそういうもんなのだろう。
そういう感じなので、メディアでもまた、テロ側のが出てきて悪語を発している映像も増えている、と。
その感じも、まぁ、そういうもんだろう、と。
もう100%で、私は悪側ではないから、そこらへんは安心してもらっても大丈夫ではある。それは、テロ側の映像とか見たり、音楽を聞いたりしても理解できるだろう。
テロ側は、現在の様子を見ていれば、聖者でも救えない可能性もある、と思うけれども。
今日は、ジブリが犯人は俺だと、認めたとかなんとかとか。
そういう意味不明な情報も含ませた感じで、嘘ばっかりだし。
(歌手)が怒っているとか。
それは、う~ん、ありえる…。
ちょ…。それは困ったな、と。
現在の現場での仕掛け人も、テロの犯人のグループではあるから、きちんとそこらへんは調査しておいたほうがあとからいいと思うけど。
長いこと調べれば、犯人グループのメンバーも自動的に浮かび上がるだろう。
そういう者達の悪行も、こっちは非常に迷惑なだけである。
霊的に言えば、もうこちらが余裕でもある。
テロ側は道理からも外れすぎているし。
ちょっと、きつすぎるだろう。
たとえば、無知な子供たちだけをあつめて、その中での騒いでいるっていう集まりのような感じでもある。
道理を知らない子供達が、詐欺士にだまされているようなものか。
詐欺士の手口っていうのを、ちょっとでもTV等で見たこと、聞いたことはないのだろうか。
詐欺士は騙したい人を、まず信用させてから、騙す。
たとえば、魔術で適当な事柄を言い当てて、信用させ、信用した後、嘘を言って、嘘までも信用させる、と。
そういうのに、騙されるのは、テロ側のあなたのような人。
というかね、普通の常識から考えて、テロ側がおかしいと思わないんだろうか。
まぁ、洗脳されれば、そういう思考がでなくなるのかな。
そうだ、『××』発言ね。
それはよろしくない、と。それは不適切である、と。そういう主張が、他で生じているのもあるようであるが、自分の中でも不適切だったか、というのがないこともない。
まったくな。
お尻は筋肉取られているから、しばらくなおらないか、あとから治るかどっちかだって言っているだろうに。
そこは、すでに、決定事項だから、テロのは、自分らの友が、俺のお尻の筋肉をとったのに、もうホントに迷惑だね。
常識で考えても、人間の行いとしても、道理としても、あなたのその友の行為は道理に外れている。
そうだね、あとガンだ、ガンだ、と煽る行為。
罪のない人が病気で、その罪のない病いを精神的にも追い詰めるような悪しき行為。それもまた、普通に考えも人間として愚かな行いではある。
どう考えてもテロ側に道理がないんだもの。
現場でもテロ側に洗脳されている人が多いなかでも、「誰が聞いてもテロ側が頭おかしいですよ」っていう声を聞くという。
普通に考えてもわかるって。
(歌手)のは、普通に、喧嘩とか全くしたくないから、困ったなという気持ち。
(歌手)のを書けば、何かいつも違う方向にとられるんだか、書き方が何か違うんだか、なので、あまりもうあまり関与しないようにしよう、と。そういう事。
テロ関連のは、見た感じ知っているのは知っているだろう。
そういうのは、本人に聞いた方が早い。
そうだね。以前から思っていたが、記すか。
「つしまひろし(春)は、仏陀と法と僧伽に誓って、テロ関連の犯人ではない。そして、テロ関連の者と仲間でもない。」
もう完璧に白だから。
霊的に(真理として)もうすでに余裕だよ。と。
もうどう見ても、白。
昔、小さい頃、自分のことを白と言っていた(そして、呼ばれていた)。
最初から何回も何回も何回も言っているのだけれども、テロメンバーは悪しき者に煽動され、悪しき道を進み悪行を積み続けてしまう、と。
悪業を積みすぎて、戻ることすら難しいってか。
恐ろしい。
読み直して、筋肉のは間違っている。
「治らないか、しばらくして、あとから治るかどっちかだ」と。
(歌手)はね。何でもいいからとりあえず悪しき道に行かないでほしい。
ようするに、まとめるとそういう思いである。
今回もまた、うまくまとまったような気がしなくもない。
ん、前回はうまくまとまったんだったかな。
ん~、また。何でもいいって言ったらなんでいいことになるのか。
じゃ、何でもよくはない、と。
文章の誤字を直すのに、編集という機能があるのを今始めて知った。
『××』編集できるんでないの。
(昆虫)を××にしたのに、編集されていない!
何だこれは。
編集できない。
これは、編集機能、意味なし、か。
編集されないな。意味不明。
11月8日
相変わらずテロは騒いでいる。が、
俺はテロ関連とそもそも関係ないから、俺からは別に何の情報もでないよ。
気付いた事柄は記しているのもある。
テロがしっつこいんだけども。何なの。
自分達でわざとに墓穴ほっている集まりか。
罪のない人を苦しめて、自らで天上の扉、道を閉ざしている。
自分達の墓穴を人のせいにされても迷惑だ。
罪のない人に、「死ね」とか「ガンだ」とか「消す」とか、よくそういう言葉を発することができるね。
自らの中でそういうのは非常によろしくないというような感情みたいのが出て規制されない、んだろう。
俺は仏陀の教えを知る以前から、そういう悪語を規制する感情はあったよ。
生まれた時から、そういう慙愧の念がある人とない人という違いはある、ということだろう。だろうか。
前世からの心の薫習。
ピンとこないんだろうな。
なので、仏陀の教えを知ってもピンとこない。
そして、悪行をし続ける、と。
聖者方も永い善業、修行をした結果の方々。
で、テロ関連の友の集いはどうかというと。
もうすでに道から外れすぎ。
すでに善業をなしている人・なしつつある人。
そちら悪しき行いは、すでに悪行を完成している人・なしつつある人。
さて、聖者方の教えによると、
天上に赴く人とされるのは、どちらの友をもつ人でしょうか。
また、地獄に赴く人とされるのは、どちらの友をもつ人でしょうか。と
本日は22時まで仕事。
ニュースで特定秘密保護法案というのを見て思ったけれども、
そういえば、俺が無差別テロ集団の攻撃対象になっているな、と。
仏陀の弟子 VS 無差別テロ集団
だから、俺に嫌がらせをしている企業だとか、周辺で嫌がらせをしている者の繋がりを調べれば、テロの犯人に行き着くだろう。
特定秘密保護法って、国の秘密を守るっていう内容のようだが、
国の中枢にテロの仲間がまじっている場合は、どうなのだろうか。
国の秘密は、実は国の中枢自体がテロ支援をしている体制にあるとか。
テロは一つの国だけの問題でなくて、世界の問題でもある、と。
俺の嫌がらせだって、最初の頃でも、海外のそういう嫌がらせ関連の歌なり、映像なりもあったから、そのテロリストのメンバーは日本だけではない、と。
今日もまた嫌がらせを受け、毎日嫌がらせを受けているけれども。
携帯電話で「テロ側は頭がおかしい」って話しているのもいれば、それを聞いた他の人も「テロ(側)は頭おかしい」って、言っている人もいる、と。
やっていることがね。
テロの仲間の行いは、本日もいつものように愚かだった。
11月10日
帰ってきた。
多忙な毎日。人工不足による。
あと、数日で検査なので。
しかし、さっきもそうだけれども、北海道のラジオ放送聞いてみって。
なまらひどいことになってるよ。
まぁ、そういうテロ関連も前からだけれども。
ありえないね。
正気を失っているかのような集い。
それは、
目を覚ましたほうが善いでしょう。
まぁ、しかし、一般のテロ関連のを全く知らないひとは、そういうのに振り回されるだけで、真実を知ることができるというのも少ない様子であり。
今日は、また、一般論を聞いた。
テロ関連についての事柄だろう。
「どっちに付いていいかわからない」と。
真実を知らない人は翻弄されるだけ、と。
実際、数日で変化してコロコロしているからそうだわ。
俺が第三者であれば、
テロの騒ぎよりも、仏陀の教えに注目するだろうかな。
放送のイメージ変えたみたいだな。
最近はチェンジも早い様子。
ホント騙しのテクニックみたいな状態でないか。
気持ちわりぃ。
テロ側が世間をあざむこうとしている。
仏陀の弟子に対してまでも、愚行、悪行をしているということは、仏陀をもあざむこうとしている、と。
すでに、あざむいている、と。
そのようにして、あなたの、あなた自信の道は消えうせる、と。
まぁ、例えば、愚かな能力者は、咳払いをさせたくてしょうがない、とか。
餓鬼、畜生の境涯の段階の愚かさだろう、例えば、そういうのも。
テロ側の者は、そういう行いについて行っているっていうところがまた、すごい、私から見ると、ありえないけれども。
しかし、お尻の話もしつこいね。
お尻の痔疾患は、痔ろうではない、って専門の医者が言っていた。
だから、筋肉を取られたんだって言ってるだろうに。
テロ側が痔ろうで押そうとしているんだけど、何なの。
おまえらは、俺のお尻のファンか。
まぁ、それはないか。
HPのメールのはどうしようか考え中。
連絡先、住んでいるところ。
私の住んでいるところは、北海道の函館です。
それは、もう言っている、と。
11月12日
今日のラジオ放送は昨日より、普通なのが増えた気がする。
現在の部屋の湿度31%。
煙突ストーブを点けてから、乾燥。
本日は、1時頃帰宅。
今日もいいだけテロの集いに嫌がらせをされた。
携帯電話を使用して、俺の近くで嫌がらせの言葉を言っている。
携帯で話をしている言葉に嫌がらせを言っている状況。
幻聴であるとあとから言いたいからそういうことをしているのか、それをしているものに対して、私が、完璧にテロのだな、と思っていたら(テロの連中は一日にそれを何度も何度もやっている。まぁ、ラジオの実況も一日中そんな感じだから、まぁ、そういう感じ)、
他の人が、そのテロのやっている者に「誰が聞いてもテロ」ってはっきりと言っていた。
現場でテロのは、大勢が知っているようす。
あと、一人一人に違うフレーズを言わせるという嫌がらせもやっているね。まぁ、とにかく、内容を知らない人を使って嫌がらせをしている。
毎日毎日、このように悪しき者の愚行に迷惑をしているのである。
仏陀の弟子 VS 無差別テロ集団 という構図は
仏陀はそもそも、そういう者を相手にするだろうか。
アングリマーラ尊者は、すぐに改心しているからね。
仏陀は真理を知ってもなお、愚行を続けている者にたいしては、
やはり、そのものを相手することはないだろうか。
テロ側の中心人物的な人の潜在意識で、すでに「自分は天上にいく可能性は低い。地獄に赴く可能性は高い」という人もいるだろう。
それは、普通に考えても、普通はそう思うだろう。
あと、ラジオとかもあることないこと適当なことを思わせぶりに言っているのが増えているみたいだね。
騙し、洗脳が増えている。
まぁ、しかし、テロ側の根元はそういう土台に建っているから、まぁ、そういうものだろうか。なので、そういう者も集まっている、と。
現在、現場で受けているいろいろな嫌がらせは、病院とかでやっていた嫌がらせとそれほど違いはないだろう。
だいたい、そういう感じで事情を知らない一般市民を嫌がらせに加わらせて、悪行をさせているのもある、と。
11月14日
本日は、12時頃に作業終了。帰宅してから、タイヤの交換をして1時位。
今日も現場でテロ側の嫌がらせ活動をやっていた。
誰でもわかるくらいにやっていたが、その嫌がらせをした後の人で悲しい顔をしている人もいるという。
違う感情がでる人もいるのだろう。
テロの仲間の悪しき者に関しては、笑って悪事をなしている。
それもかわらずだな。
そのような善悪の分別のない(または、理解できない)悪しき者を心から改善させるというのは、とても難しい事柄なのかもしれない、と。
現在1時52分。現場ももう少しで完成だ。
現場はメディア等もテロの連中の工作でテロで洗脳されている人が多数発生しているん。意味をわからないから、あぁいう風にならざるをえないのか。
あと、あれだな。しつこく前からだけど、私を犯人にしたてあげようとしているようだけど、私は100%テロの犯人ではない。
俺を犯人にしようとして、人々を騙そうとしているのを見ても、やっぱりそちらは、愚かな行いをしているというのが100%間違いない、と確信をもって言える。
洗脳をして人々を騙してはならない。
11月16日
本日(昨日)は、10時30分頃で仕事あがり。
それにしても、犯罪者集団の嫌がらせがひどい状況だわ。本日(昨日)と昨日(一昨日)も誰でもわかるくらいに我が者顔で嫌がらせをしている。
メディアもテロの犯罪者集団を煽るから犯罪者集団も調子に乗ってしまい、どうどうと嫌がらせをしているという状況。
そういう状況をみて、「テロ側は(完璧に)あたまがおかしい」と言い始めている人、言っている人も多数いた。
普通に見ても、そっちの犯罪者集団のストーカー、嫌がらせ、見るからに愚かな行為は、(普通では)ないって。
そっちのメンバーはそういうのが集まっている。
なんでまた、そういうのばっかりが集まっているの、そこ。
──
犯罪者集団のストーカーもそうだけれども、テロ側がだんだんと仏陀から遠く離れてしまっている。
そういう言えば、現場で
「ブッダ。ガハハハハハ」で愚弄しているように言っている者がいた。
それを言わせている者もまた、その悪業ははかりしれないほどになってしまいかねないので、聖者を愚弄するような言葉は発するべきでない。
そういうように、犯罪者集団は聖者を愚弄するような言葉を言う、また、言わせているという事柄事体がもうすでに、そちら、テロの犯罪者集団は天上に進んでいる存在ではないと言えるでしょう。
現に愚弄しているのであれば、悪業がはかりしれないほとになってしまいかねない、でなくて、もうすでに悪業はひどい状況だろう。
という、いつものように犯罪者集団の事柄を書いて、もう3時越えしている。
最近、睡眠時間が少なすぎる。6時頃起床だから、今日も2時間半とかそのくらいの睡眠か。
11月17日
現在3時45分。今日(昨日)も昨日と同様な感じ
11月20日
今日は虹が出ていた。
今日は21時30分で現場の仕事を終了。
残業ばかりをしていたので、ちょっと早く帰れた感じがなくもない。
昨日は、かえらずに、通して次の日、今日の25時30分まで仕事だった。
明日か明後日あたりから現場で残業ができなくなるということなので、早く帰ることになるだろう。(残業可能ということだったので、残業は続き。)
人工が足りなくて、工事が残り。
今日はたいして進められず。まったく。
しかし、工事の方はそういう感じだけれども、現場でのテロ連中のテロ活動がかなりひどいんだけども。
「テロ側が頭おかしい」っていうのは聞くね。
BGMとかもひどいありさまになっており。
あれはね、ホント第三者でもそう思うのが普通だわ。
11月21日
まぁ、何行かの文字では、現場の状況もあまり伝わらないだろうけれども。
テロの洗脳活動によって洗脳された他の人の意識・思いの動きを見ていると思、”このタイミングで(その人に)真実を言ってもあまり意味を理解することはないだろう”という思いも生じる。
あれなんだよね。数年間テロ連中の同じような嫌がらせを受けていて、俺がそれらのテロ集団の嫌がらせをいつものように聞き流していると、その俺の冷静な感じを見て、俺が犯人に思われるようなこともあるらしい。
そういうのもちょっと勘弁してほしいもんだね。
「これだけ騒いでいるのに、つしまは冷静でいる。
これは、おかしい」とかいう疑いっぽいのとか。
テロ集団の嫌がらせはすでに数年間同じような悪業をし続けているので、こっちは単にいつものように、受け流しているだけなんだけれども。
実際に、「犯人だ」とか言われるのもあったけれども、俺は一体どの部分についてその疑いをかけられているのか、と。
あれだけ、愚かな行いで騒いでいるんだから、普通気付くべや、というのがこっちのいつもの思いだけれども。
なので、テロ集団の嫌がらせも受けずに流しているだけなんだが、まぁ、疑われるのもまたかなり迷惑だね。
そういうので、仕事の仲間内でも疑いをもたれて険悪なムードになることもあり、まったくテロ集団の愚かな行いには迷惑をしている。
(そして、忙しく毎日のように夜中まで残業仕事)
12月6日
ついに店オープン。
3日から4日は夜中も通して働き。
まぁ、テロ側のは、
能力者が集まっているけれども、その個々の能力者自身が自己の能力だけを見て、真理を見ることがなかったようで、善悪の分別もできていないという者が多く集まっている結果でそういう集まりになっている、という構図なのだろうか。と、いろいろな事柄を観ていて、そういうように思う。
それらは、簡単にいうと以前に記しているように、子供におもちゃをもたせているようなものであって、そのおもちゃを持つことによって、子供が、真理を覚知することがあるのか、と。
おもちゃに夢中になって、真理からは遠い、と。
真理を見る目を持つ人が、おそらくいないのだろう。
なので、そのような集まり、という結果の構図。
俺の心を読んで、「はるはやさしい」と思う能力者もいたらしい(そういう感じで騒いでいたのも聞いた)。
はっきり言って、仏陀の弟子は基本、みんなやさしい心をもっているのは普通であり、当然。(私も仏陀の教えを学んでいるので、自身の心を読まれて、「やさしい心を持っている」と思われるのも、普通。なぜならば、それは、仏陀の慈悲の教えを学んでいるからである。)
そして、聖者方はやさしいを通り越しているような心の持ち主の方々(慈悲)だというのを、そちらの人でも仏陀の教えからでも理解できないことはない、と思うけれども。
真理から遠いことによって、善悪の分別をするという知恵からも遠くなってしまっていて、自分達の誤りにも気付けずに、愚かな行いを繰りかえし続けている。
仏陀の弟子の人々はやさしいと思えた仏陀の弟子ではない能力者も、仏陀の教えを学ぶのが善い。
いや、ことごとく真っ黒なので、あからさまにそっちの者達は目が暗い。
と、実感。
あれは、ほとんど誰でもわかるというレベルの話。
邪念がひどすぎて、寂静とかそういう段階では、全然無い、だろう。
しかも、そのひどい邪念に自らが気付けていないという。
そちらの能力者の仲間の邪念を受けて、観ててもひどすぎる内心的情況だと、思ったよ。
そして、またそれに集まってくる者はどのような者達なのか、と。
聖者方の道に行く方々がそこに集まるということは、普通に考えてもありえないだろう。
普通の道理を知れば、理解できるでしょう。
12月12日
ちょっと、特定秘密保護法案の内容を見てみた。
まぁ、すでに日本でテロの集団、テロ側の集いは騒いでいるけれども。
内容は明確ではない、と。
諸刃なところがあり、善く使えば、善くなるのか。
悪用されれば、テロ側にのっとられても、気付きにくい、と。
まぁ、しかし、現状は国自体がすでにテロ側にのっとられているようなものという感じを受けてしまっているが。
悪用される可能性が高いということは、国民にとっても危険ということでもある。
悪用されてしまうという可能性を充分に考えていなかったとかいうのであれば、すぐにでもそれらの点をも改善していくべきだろう。
悪用される可能性がものすごく高ければ、危険だから廃案となるのか。
超自然力でも、悪しき者、無知な者に悪用されると大変危険である、と。
魔術等、悪業の場合は結局は他人よりも本人自心が大変危険となる、と。
そういうような事もあり、昔のそういう関係にあった人々は悪用される危険のあるものを口伝としたりして、悪用されないようにした、と。
有名な魔術では、その術を行う以前に、心を清浄にする修行、生活をして身心から準備をしなければならない、とされる魔術もある。
清浄な心でいないと、善なる存在か、悪しき存在か分別すら難しい。
ちょっと、そういうポイントで言う魔術をほってみるか。
う~ん、
魔術を行うということ。
この魔術を行うことによって、私のうちで何かが変わるだろうというような思い。
この魔術を成功させることによって、私のうちで何かがかわるだろうというような思い。
この魔術を会得することによって、私の生存でひろがるであろう自由感。等の思い。
今の私よりもより何か特別な私となるというような思い。
それらは、あなたのどのような感情、想念、心からくるのだろうか。
そこにいるかもしれないとする新しい自分。
果たして、そこにいるのは新しい自分なのだろうか。
そこで何らかのものを得て、そこで満足しているのが新しい自分とされるものなのだろうか。
新しい自分は何を得られるのだろうか。
とめどない快楽の追求(苦しみの追求)か。
それとも、安らぎというものなのか。
魔術を成功させることによって、安らぎは得られるものなのだろうか。
安らぎを知っている聖者の教えでは、魔術でやすらぎを得られることはないと説かれている。
例えば、魔術を成功させ、自らのうちを変えたい。というような思い。
その何かになりたいというあなたの執著はどこからくるのだろうか。
12月13日
議決されているから、廃案というのは違うか。廃止か。
すでに、違憲法(案)だとかなり言われている、と。
まぁ、普通に考えても、内容もいまいち意味不明な部分もあり、危険性もあるというのであれば、クレームはつくだろう。
12月15日
求める心・貪りの心を消滅することについて
12月18日
昨日は夜中の3時まで働き、今日も9時30から仕事。
今日も、またテロのストーカー集団に嫌がらせを受けた。テロ側がいつものごとく世間を翻弄させ騒がせようとしていた。
現在もしている、か。
法律ができても、テロ側有利の法律だと、全然効果なし。
逆効果か。
何をやっているんだか。
テロ集団がまた騒がせてるよ。
ホントに嫌がらせの愚行には、ホントに迷惑するわ。
普通に考えてみなさいって。
諦らかに、そっちのテロ側の世間を騒がせている側の者の愚行は、常軌を逸している。
しかも、同様の嫌がらせを何度も何度も、何日も、何ヶ月も、何年も行っている。
普通の良識ある人はそのような悪しき行いはしない。
テロのメディアを使用した悪しき行い、嫌がらせは止めさせるべきである。
テロ側のメディアを使用した世間を騒がせている悪行は、他の大勢の人々も迷惑をしている。
これからの人々も、そういうのに悩まされることもあるだろうから、そういう悪しき集いの愚行は、止めるべきである。
悪しき集いが自らで止めることができないのであれば、止めてあげるべきである、と。
テロ側の悪しき集いが世間を騒がせている結果、道理を知らない者の未熟な心の持ち主は内容を知らずに、「死ね」等という悪語を発するまでに、洗脳をされてしまっている人もいるという悪い始末になってしまっているのも見られる。
悪しき者達はすでに導かれてしまっている者もいるので、そういうのはそういうので、なんとかなればいいだろうが、
私たち、仏陀の弟子がする行いの一つは、
仏陀の教えである真理を説きひろめることである。
仏陀の教えを知ると、道理を知らない者が道理を知る者となり、道理を理解する者にもなるだろう。
世界の主・梵天は上衣を一方の肩にかけ、右の膝を地につけ、世尊のほうへ向かって合掌・敬礼して言った。
「尊い方よ、法(真理)をお説きください。善き人よ、法をお説きください。この世にはその目があまり塵に汚されていない人々もおります。彼らは法を聞かなければ衰退していきますが、〔聞けば〕やがて真理をさとるものとなるでしょう」
法を聞けば理解する人々もいるが、法に接する機会がない、法を聞くことができないことにより衰退してしまう人々もいる。
智慧の目が開けば、その人もまた善業を成して、善なる人となるだろう。
そして、人々に善なる教えをひろめるという、善なる人々を増やすという善行に参加している、あなた自身もまた、智慧の目をひらき善なる人となり、全知者と聖者方が言う、善なる所へ赴くだろう。
善なる人が善なる処である、天上へ赴くというのは普通に道理としてある。
善なる人が悪しき処である、地獄へ赴くというのは道理としてない。
悪しき行いの集いに加わり、共に悪しき行いをしている者が善なる処である天上へ赴くというのは道理としてない。
悪しき行いの集いに加わり、共に悪しき行いをしている者が地獄へ赴くというのは道理としてある。
ということで、とりあえず、私たち仏陀の弟子は、仏陀の弟子を増やすという行いもしていこう。
そうすることにより、世間に心善い人々が増える。
そして、世間に善行者も増える。
12月19日
今日のラジオも海外の歌手の歌が多い。空耳アワー。
嫌がらせをする集団の行いは変わらず。
どう見ても、真っ黒だよね。
諦らかに、内面が真っ黒の集団に嫌がらせをうける聖者の弟子。
聖者の弟子に嫌がらせをするという、愚かな行いをし続ける内面が真っ黒な集団。
いつの時代にも現れる可能性があるという、愚かな行いの集い。
まぁ、歴史から見ても、いつの時代にもそのような集いは現れては消えて、現れては消えるというように、別段めずらしい集いでもなく、か。
まぁ、そのように歴史から見ても、テロの愚かな行為をし続けている集いは、まったく、歴史から見てもすごいとかいえるような行いの集いではなく。
そして、そういう悪しき行いをともにしている者も同様に、すごいという人物がいるということもない、か。
すごい人は、悪しき行いをともにするということはなく、悪しき行いを止めるという行いの人とともにいるだろう、と。
この場合のすごいは、私から見た”すごい”なので、
他の人から見たら、愚かな行いをすごいと思う者もいることもあるやもしれない。
テロの集いの愚かな行いを見て、聞かされて、
他の人はこのように思っているものもいるだろう
「すごい、愚かだ」と。
悪魔側の者は、地獄に堕ちるとされる行いを自らもして、他の連れの者にもさせて、それに何らかの快楽を感じてしまっている者も存在する、と。
聖者側の人は、地獄に堕ちるとされる行いを離れて、天上へ行くとする行いを自ら行い、他の人にも善行をすすめる。
う~ん、いつもの説教だな。
同じ事柄を100回くらい言っても、テロ側の者には理解されることはないのだろか。
真理を知ってから、悪業を罪重ねてしまっている者が集っているので、すでに、善・真理の教えを理解されることは非常に難しい、か。
聖者の言葉を理解することが、難しい、か。
禅定をしても、すでに結構ごちゃごちゃ観が生じるくらいの者が多くいるだろう。
そちら、悪業を罪重ね、禅定をしても、すでに結構ごちゃごちゃ観が生じる者はいるだろう。
これが何を意味するのかというと、
その者は、悪魔の領域から脱することはできない、と。
ごちゃごちゃ観という、悪しき雑念。
その雑念は、その一生を終えれば消え去るのかどうか。
消えるかもしれないが、そちらの者の、その雑念のもとでもある悪業は、一生だけですむというものではない。
聖者に敵対するという悪業はものすごく長い、とすでに説明も済んでいる話であり。
「口穢く、不実で、卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪行をなす者よ。下劣を極め、不吉な、でき損いよ。この世であまりおしゃべりするな。お前は地獄に堕ちる者だぞ。
お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑に陥る。けだし何者の業も滅びることはない。
それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」
悪魔側の者は、この聖者の言葉・真理の言葉を信じることすら難しい。すでに悪行をしているので、信じれば、自らがその地獄へ行くという者とされる者であるからである。
一方、聖者側の人は、最初から聖者の言葉・真理の言葉を信じているので、悪行から離れていて、悪しき果報を受けなければならないということもないので、より信仰することもできる。
私の場合、仏陀のこの言葉で思うことは、私自心も、気をつけて行こうといつも思う。
12月20日
さっき、古書検索で見つけた。サイキックマフィアという本の監修の人物のフェイスブックを発見。(←題名が(エロいから)公にするのによろしくないのであとで本の名前をふせるかもしれない。という考えているけれども、どうしたほうが善いか、と。)
これは、詐欺士の手口を知るために俺も読もうかな、と。
あなた方、仏陀の教えから離れるべきではない。
12月21日
本日も悪しき集いから嫌がらせを受けている仏陀の弟子でございます。
あなた方、「死ね」って悪語を発しているけれども、それはあなたの生命(または、仮喩・魂)をかけてまで言う必要は何かあるのか。
「ころす」とか。そういう悪語も。
そして、笑っている。
つしまって名前も込みで言うのか。
笑っている。
公の場でも行うその悪しき行いの数々。
そうとう心の汚れた者が集まっている集いだろう。
普通に見ても、そうだろうと思うけれども。
悪しき集いの内部はそうとう腐敗している。
マハーカッチャーヤナ長老
多くの世事に関する仕事をなすべきではない。人々を避けるがよい。雑な縁をつくり出す(他人と競う)ために努め励んではならない。諸々の(事柄の)味に耽溺する者は、安楽をもたらす利益を見失う。
実に、修行者は、良家の人々からのつねに受ける礼拝と供養とは、汚泥のようなものであると知っている。細かな(鋭い)矢は抜き難い。凡人は(他人から受ける)尊敬を捨てることは難しい。
他人の行いによって、その人の行いが悪業となるのではない。自らその悪しき行為を行ってはならない。なぜならば、人々は(自分自身の)業の親族なのであるからである。
人は、他人の言葉によって(他人が「お前は盗んだ」と言ったからとて)盗人であるのではない。人は、他人の言葉によって聖人となるのでもない。自分がその人のことを知っているように、神々もまた同じく、かれのことを知っている。
「われらは、この世において死ぬはずのものである」という、このことわりを人々はさとらない。しかし、かれらがそれをさとるならば、それによって、争いはしずまる。
智慧あるものは、財産が消失しても、生きる。しかし、智慧をもっていなければ、財産があっても、生きてはいないのである。
耳であらゆることを聞き、眼であらゆることを見る。思慮ある人は、見たこと、聞いたことをすべて斥けてはならない。
眼ある人は、めしいのごとくであれ。耳ある人は聾のごとく、智慧ある人は?のごとく、強い者は弱い者のごとくであれ。利益が生じたならば、人は死者が横臥しているように臥すがよい。
あなた方には、夢のような話ということもあるだろう、が、真理として言うと、あなた方のその行いの一つ一つ、神々はそのあなたの行いを知っている。身・口・意(心)。
いまだに、そういう真理・霊の現実の世界を自らで体験してないから、自らで、心に直感としてこないというのもあるのだろう。
自らの悪しき行いがどれほどの悪業であるか、というのも、わからずに笑って悪業をつくっている。
俺が、普通にその悪業を考えてみるだけでも、禅定(仏教より他の言葉で言えば、祈り)で、その悪しき行いがすでに障害となる、っていうのも、すぐわかるけれども。
聖者方が、なぜ心の清浄を説いたのか考えてみたことはないのか。
世尊は告げて言われた。
「そこで命終して、まさに三十三天に生じる、そこから夜摩天・兜術天・化自在天・他化自在天に生じ、そこより命終してまた還来して、すなわち四天王中に到る。
このようにアーナンダよ、毘羅先比丘は七反天人の中に周旋し、最後に人身を得て出家学道し、ついに苦を滅尽する。それは如来に於いて信心有るがゆえである。
この閻浮提地は南北二萬一千由旬、東西七千由旬なり。もし人があって閻浮里地の人を供養せば、その福は多いとなすであろうか」
アーナンダは世尊に答えて言った。
「はなはだ多いのです。はなはだ多いのです、世尊。」
世尊はアーナンダに告げて言われた。
「もし衆生があって、牛をコクするが如き間、信心絶えずして十念を修行するものは、その福を量ることができず、その福を量れるものもいない。
是の如くアーナンダよ、まさに(賢聖の四聖諦を得る、諸々の結縛の除去)を求めて十念を修行しなさい。アーナンダよ、まさにこれを学びなさい」
「毘羅先比丘は七反天人の中に周旋し、最後に人身を得て出家学道し、ついに苦を滅尽する。
それは如来に於いて信心有るがゆえである。」
どれほど、心というものが大切なのかこの仏陀の教えから少しでも理解することはできるだろうか。
12月24日
本日は、世間でクリスマス・イブという日ではないですか、と。
さっきまで仕事だったけど、23時30からまた仕事だったりする。
忙しい忙しい。
仕事の人もいれば、仕事でない人もいる。
楽しい気持ちで過ごす人もいれば、さびしい気持ちで過ごす人もいる。
静かに過ごす人もいれば、騒いで過ごす人もいる。
明後日からは、正月モードにきりかわり。
正月とか世間の動向を一緒になって見てると、正月気分とかそういう行事ごとにいろいろな気分が生じたりする。
が、
正月にメディア等や外界と一切ふれることがなければ、正月でも正月気分になるということも、あんまりない。
普段とたいした変わることのない日常がそこにあったりもする。
外界との接触があって、それらの事象等によって生じる気分・感受。
衆生はそこにあるだろう動揺をもとめていたりもする。
まぁ、例えば、一般の衆生は、そこに何らかの動揺(感情の揺らぎ)がなければ、さびしいと感じる等。
神秘家でいう、感情体の欲する揺らぎっていう感じかな。
小さい子供が誰でももっているような気分だね。
ちょっと、休息をとるか。
12月25日
テロの集いは今日もまだまだ悪行をし続けているね。
え~、俺が思いあがっている、と。
う~ん、ないなぁ
テロの悪しき集いの「ころす」とか言っている者の事柄をそのまま記しているだけであって、それと俺の行いを書くと、俺は普通に善行でテロ側が悪行をしているので、俺の善行が美化されている、とか。
善行者に「ころす」とかって、ホントにあなた方地獄に向かっている者が集まっている。
その地獄にむかっている者達に嫌がらせを受けている仏陀の弟子。
これは、
仏典や昔の話でよくある状況。
善なる者と悪しき者。
その悪行を他の人のせいにしているけれども、悪行をしているあなたもその仲間であって、仏陀に払われるのは、悪しき者の仲間である、あなた、だ。
善なる人は仏陀の善い言葉を受けている。
そして、悪しき者は地獄に生じるという全知者の教えを信じていない。来世を信じることがない故に、悪行をしつづける。
はっきり言って、あなた方はもうすでにその地獄等悪しい処に生じるという原因(悪業)をつくっている。
そして、それが不動となってしまうがごとくに、さらに悪しき業をし続けている。
それは、仏陀に対する信仰がないために、悪行をしつづけ、
来世というものを信じていないために、その悪行の報いを自ら受けると言う事を信じることもできないがために、悪行をしつづけている。
そして、あなた方は笑って仏陀の弟子に対して「ころす」「しね」等の悪語をあびせかける。
その者に罪はないのに。
生存中に仏陀の教えでお前はその生存を終えたのち、堕初に堕ちると確定づけられるのは、嫌ではないのか。
テロ側の矛盾した行いがホントに、まぁ、目先の欲で、聖者の言う本当の命を落とした、という話だな。
12月29日
外は雪がふっている。
白いね。
あの雪の白さは、純白という白なんだろうか。
静寂があるときに見る空の雪はとてもきれいだ。
ときっていう表現が微妙な感じ。
昨日は17時30分で仕事を終えて、その後、また24時から仕事が入り、朝7時に帰宅。
今日から休日。
7時30過ぎか。
これも前からだけれども、テロのテロエロの集団が、エロい妄想をおこさせようとやっているのがある。
集団っていうか、エロい妄想を起こさせたい者がやっているか。
そいつらがエロい。
そして、
仏陀の弟子はそのような邪な妄想を起こさせるような行いはしない。
12月30日
仏典を読んでいたら、隣りのクリスチャンがきた。
年末のあいさつだそうで、いつも車のとめる場所で迷惑をかけています云々。来年もよろしく云々だそうで、迷惑はしてません、と伝えた。
まぁ、しかし、たしかに狭いのはあるけれども、場所が限られているからなんとも。
近所の人にもあいさつをしてまわっていると、
そして、大福もちを置き土産にいただきました。
突然家に来て、年末のあいさつだとかいうことで、大福もちをおいていくとは、
なんという礼儀の正しさだ。
クリスチャンは両親がクリスチャンだったからだという話。
善いことをしようと心がけているらしい。
そして、クリスチャンなので、クリスチャンではないけれども、「家にも聖書はたくさんある(派・翻訳者が異なる)」という話をしていたので、それではということで、
聖書の旧約と新約との矛盾したところはどういうように受け取っているのか、と訪ねたら、聖書の内容を勉強不足であまり詳しくしらないのでわからない、と。
具体的にその箇所を教えてほしいということであったので、
私のHPにそのような事柄も説明しているところがあるので、HPを紹介したのであった。
さり気なく仏陀の教えを弘める。
真理・善行の教えを伝える。
「宗教 ひっくり返る」で検索すると、すぐHPが出る。
きな粉もちを食べて帰ってきた。
おいしいきな粉もちであった。
駐車場のとめる場所はね、まぁ、たしかにいつも狭いなとは思っていた。その部分の事柄でいえば、迷惑をしているといえばしているな。と考えていた。
2台止まっている間をバックで駐車をしているので、こすりそうな感じ。
駐車する位置は決まっているから、まぁ、しょうがない、と。
聖書はね。
本当の言い表しの言葉を知りたくて、多数の翻訳を見ている。
微妙な表現で受け取り方がかわるので。
読みたい本がたくさんある。家に。しかし、春の身体はひとつしかなかったのであった、とかおもいつつフェイスブックに書き込みをしつつ。
1週間休みがあっても、たいした本を読むことはできない。
本をまくらにして眠ると、その本の内容が頭に入っているという能力があったら便利だね
本を読んでいるときに、これはそのとおり、これは違うとかいう判断をすることなく、あたまに入るのか、ということは、記憶をしたあとに自らで分別をしているのか。
まぁ、そういうのはいいとして、
研究者も人生で研究できる時が限られているので、その研究者自身が何を見てきたか、何と触れてきたか、何を選んできたか、というそのような分別、縁というのも、謎を究明するためのポイントではある、と。
そうだねー。
まったく話がかわるけれども
過去の歴史の人物を見てみると
仏陀の教えを聞けばすぐ理解できるような、
そのような善なる道徳を説いていた人・そのように衆生を導いていた伝説上の人、権力者・主導者・王族は、善き帝王として知られている人が多い。
その逆で、仏陀の教えから遠く離れるような行いで衆生を率いた人物は、悪しき人物で名が知られている人物が多い。
そのような気もする、と。
まぁ、真理でいえば、そう見えるのは普通である、と。
宗教(真理)は、衆生を導くその導き手が学ぶべきものでもある。
帝王学。
その主導者によって、衆生は善行を成す者になるだろうし、悪行をなしてしまう者にもなりえるだろう。
そのように、主導者が何を宗とするかによって、それに従う衆生の意識もまた大きく変わりえる。
衆生がどのような業(カルマ)を作るのか。
その主導者によって、大きく左右されることもあるだろう。
真理を宗として身口意を行じている主導者が、
衆生を真理の方向へと導くことは可能である、と。
1月1日(2014年)
有名だ、有名だってか。
地獄に進んでいるテロの者達には有名だってか。
・・・
ほとんど意味なし。
有名だ、有名だって。
善なる人たちに有名だってか。
w
それは、意味あり。
人殺し集団の仲間、元旦からやってるね。
嫌がらせ。
元旦からすでに縁起の悪い者達だし。
それに絡まれている俺。
テロ集団ホントに縁起が悪い。
そして、それに絡まれる春。
これは、
まぁ、いつものことか、と。
テロ集団の悪しき縁を切る努力精進をしなければダメかー。
悪しき縁を切る努力。
たしかに、いままで、それはあんまり深く考えてはいなかったな。
う~ん、微妙だな。
テロの者達の悪しき縁が大変なことになってしまっているようなので、
これは、
改善でなくて、
悪しき縁を切る努力。
努力精進。
そして、善行者の方々と更に親しむ、と。
テロの者達に悪しき縁が集まっている。
だからして、悪行をして笑ってるのも集っている。
そして、堕処・地獄に赴くという悪しき縁。
テロの者達の縁が悪すぎるので厭い離れる。
厭い離れるっていうのは、以前から言ってたかな。
堕処に赴くとされる悪行をする者が、
何故、そこに集中して集まっているのか。
さきほど、実家で紅白を見ていた。
───(省略)───
内容を詳しく知らないのであれば、悪語を発するべきでない。
悪語を言うように言われたのであれば、その悪行を断るべきである。
他の人でも、
内容がわからないけれども悪語を言うように言われるとか、
そういうのが、所謂(テロの)悪しき者達との悪しき縁。
悪縁。
堕処・地獄に赴いてしまう縁。
今日もテロ集団の悪語を早速聞いた。
ぶらんにゅーでぃー?
×下
普通に聞いても、縁起が善ろしくない。
ブランニューデーっていう曲なのかな。言ってたけど。
ひどいな、しかし。
函館だけ編集してそういう悪語な歌になっているのかな。
まったく、ないな。
さぶちゃんはね。俺の祖母の家のところの近所に実家があって、お盆になれば毎年帰郷してお祭りをしていたので、小さい頃から知っている
本人と面識があるわけではないけれども。
弟子を引き連れてきてたね。
最近は帰郷してないのかな。
直接見たことのある芸能人は、さぶちゃんとその仲間と千代の富士くらいだな。
あとは、名前がわからない人にあったな。
竜の上で名前を言ったような、か。
最近のテロ側の歌とか、
悪語を発して、途中で誉めたような言葉をいれ、また悪語が入っているというようなそういう中途半端なテロ側の歌は多い。
そういうのは、まとめてテロ側の悪作だと思うけど。
そういうのではなくて、ふつうの歌でいいだろう、と思う。
中途半端に悪作。
HPも知られてきているのか。
テロ側に言わされているか。
隣人にお返しでハスカップのお菓子をあげた。
─
う~ん、まぁ、しかし、悪語はないな。
ブランなんとか♪は、完璧ないけど。
テロの者の悪行に関して、その悪行者はお金はあるけど、天上からはおよびではない。
なぜならば、天上は悪行者が生をうける世界ではないからである。
いや、テロ側の悪行者はお金のないものもいるだろう。
1月2日になった。
静かな音楽をきいて、ゆったりとした時をすごし。
人生は”あっ”という間にすぎていく、と。
あれ、主婦っていつも同じ家事をしていれば、外で働いている人より、時の流れを早く感じるかもしれないね。
どうなんだろうか。
仏陀の教え
「すべての生きとし生ける者どもは、死ぬきまりのもので、死を以て終り、死を超えることはできない。
喩えば、壺作りの作った器は、いかなるものでも、焼かれていないものでも、焼かれたものでも、すべて、破壊されてしまうきまりのもので、破壊を以て終り、破壊を超えることができないように、すべての生きとし生ける者どもは、死ぬきまりのもので、死を以て終り、死を超えることはできないのです。
生きとし生ける者どもは死ぬであろう。
生命は終には死に至る。
かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき、(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。
悪い行いをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は、善いところに生まれるであろう。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世で人々のよりどころとなる」
休息。
テロの仲間がCMで悪業してるんじゃないの。いつものごとく。
テロの仲間同士で、悪行の連合を確認しているのか。
だから、あなた方の行いは道理にない。
その行いは堕処におもむく、と言われている。
正月から縁起の悪い企業だわ。
縁起が悪いっていうか、テロ犯罪の共犯だろう。
テロ共犯企業だろう。普通に見て。
テロは世界的な問題だと思うよ。
思うっていうか、世界的な問題だよ。
まぁ、悪業が実るまでテロ企業も活躍をする機会はある、と。
企業か個人か。
しかし、テロ連合は、一体なんなのか、まったく。
道徳なし。
その道徳教育が足らなかったからって、そのツケを俺にあてられても
俺は別に、あなた方と別に縁はないだろう。
あなた方からの悪縁は生じているみたいだけれども。
そういう教育不足を俺にあてないでくれる。
連合企業同士で、道徳教育をはじめにしたほうが善いだろう。
そういうのでは、その企業で働いても、ろくな人間ができあがらないと思うよ。
自分達でそう思わないの。
日本を代表するような企業がテロ活動してるんだからね。
まったく、
う~ん、代表ではないか。
日本で名のしれている企業のテロ連合か。
テロ法は発動しないのか。
あれ、どういう法律なの、それで。
テロ法できてもテロ側が活躍してるということは、テロ側の法律ということか。
それは、後の日本のためにも、世界のためにも、テロ企業をチェックしておいたほうがいいんではないの。
日記にコピーするのに、直接日記に書いたほうがはやいってば早いんだけどね。
まぁ、でもホントに悪魔側の悪しき存在の方に導かれていってるから、そういう集いは、なかなかもう止まることも難しいのだろう。
悪霊もあなた方と一緒になってやってるよ。
仏陀の教えを説いてもダメだったということは、もう悪魔側に引きつられていくのだろう。
いや、俺でなくて。
あなた方。
笑って悪行をしている各人。
まぁ、そういう現実的な話からは遠い、夢のような話をすると、テロ側がまたそういうところに突っ込む、と。
まぁ、一般事象の現実しか見たことがないから、それもまたしょうがない。
信仰なき者達よ、と。
でも、一般常識で普通に考えても、
テロ側の愚かな行いを見て、おかしいと思わないか。
テロ連合の代表者でもよこして、俺と話し合いをすればいいんでないの。
話をするにも、きちんと説明してくれないと、他の人も納得しないと思うけれども。
いや、道理として、善の教えとして、テロ連合の嫌がらせ、悪行は天上からはおよびではない。
テロ連合所属のあなた個人の悪業でもあると思うよ。
テロ連合所属っていったって、無限のような時をみたら、その悪業を積み続けている人数たるや何人くらいなのか。
あなた方、悪しき存在と一緒になって悪行をして地獄の方向にすすんでいる人はそんなに多くはない。
大勢で、地獄に行けば、恐くない
とか、
俺はそういう問題でない、と思うけど。
どうなの。
え、そういう問題なのか。
テロ連合所属のあなた個人の悪業でもあると思うよ。
テロ連合所属っていったって、無限のような時をみたら、その悪業を積み続けている人数たるや何人くらいなのか。
あなた方、悪しき存在と一緒になって悪行をして地獄の方向にすすんでいる人はそんなに多くはない。
大勢で、地獄に行けば、恐くない
とか、
俺はそういう問題でない、と思うけど。
どうなの。
え、そういう問題なのか。
1月5日
う~ん
俺が生まれてはじめて買ったCDはクリスマス・イブなんだよね。
中間からポキッっと折れるケースのミニシングル。
はじめて買って、中間をポキッっと折って、長いケースに合わなかったから、もうCDケースを折るまい、と思ったから、おそらく生まれてはじめて買ったCDで間違いないだろう。
2枚目が負けないで、だったかな、永井真理子のずっとだったか、発売が早い方が2枚目だな。負けないでが3枚目か。
4枚目以降は忘れた。
クリスマス・イブはいい曲だったんだけどね。
言葉
〈幸せな人〉である師は、次のことを説いた。
「立派な人々は(このように)説いた。
最上の善い言葉を語りなさい。(これが第一である。)
正しい理を語りなさい、理に反することを語ってはならない。これが第二である。
好ましい(こころよい)言葉を語りなさい。好ましからぬ(不快な)言葉を語ってはならない。これが第三である。
真実を語りなさい。偽りを語ってはならない。これが第四である」と。
その時、長老ヴァンギーサは、その座をたち、大衣を一肩にかけて、世尊を合掌し、礼拝して、申しあげた。
「世尊よ、わたしに想が湧きました。世尊よ、わたしに想が湧きました」
「では、ヴァンギーサよ、それを誦するがよい」
そこで、長老ヴァンギーサは、世尊の前にすすみ、ふさわしい偈をもって世尊を讃えまつった。
「人その言葉を語りておのれを苦しめることなく、他をもそこなわざる言葉、これこそ善く語られし言葉なり。
人のやさしく物言いて、その言葉耳にこころよく、他人を悪しざまにいわざる、これぞやさしく語られし言葉なり。
真実こそはまこと甘露(不死、涅槃)の言葉、これ古より法とするところ。
真と義と法とによりて、善き人々は確く立つという。
仏陀の語りたもう言葉は、涅槃のやすらぎにいたらしめ、苦の終辺をなすものなり、これぞまことの最高の言葉なり」
「人その言葉を語りておのれを苦しめることなく、他をもそこなわざる言葉、これこそ善く語られし言葉なり。
人のやさしく物言いて、その言葉耳にこころよく、他人を悪しざまにいわざる、これぞやさしく語られし言葉なり。」
「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。」
「立派な人々は、真実の上に、ためになる(有益な)ことの上に、また理法の上に安立しているといわれる。
安らぎに達するために、苦しみを終滅させるために、仏の説きたもう安らかな言葉は、実に諸々の言葉のうちで最上のものである。」
1月6日
う~ん
今日もテロが世間を翻弄させ騒がせていた。
トップもテロ側かな、と。
う~ん、まぁ、そうだよな~
まぁ、悪魔と戦う力もなければ、戦う勇気すらなし、か。
悪魔側につけば、対するは春のみ。
戦う勇気も必要なし、か。
まぁ、わからないでもない。
本州とかっては、現在どういうようにテロに洗脳されていってるのだろうか。
本州は飛行機かフェリーに乗らないとならないから、あんまりいくということないからね。
まぁ、あとは泳いでいくとか。
平泳ぎだと時間がかかるからダメだな。
まぁ、しかし、あなた方理法と対峙してしまって
それは、人として、非常に危険な状況。
対峙っていうか、もう敵対のようなのもいるからな~。
困った(者)だわな。
俺も、そちらのテロ側もすでに決められた、自ら選んだ道を歩みはじめている、と。
そういえば、CDは4枚目、5枚目あたりでWANDSだったかな、買ったのは。
そういう年代だね。
そういう頃からすでに、テロの理法に反する悪しき計画は計画されていたのだろうか。
計画してたのか。
まぁ、メーソンとかの秘密結社等も歴史があるから、計画されてたんだろうか。
メーソンがどうとかは知らないけれども。
計画に絡むような秘密結社があるとすれば、
人数と資金か、
まぁ、資金がなければ動かす力はあんまりないだろうからな。
理法をもっている集まりではないから、そういう理法をもたない存在が多くあつまる。
理法がないというのに気づいて抜けていく存在もあるか。
まぁ、バブルとかも結構計画的なところも、ないんだろうか。
日本の現在の景気は、テロ側操作のバブル景気みたいなものになりそうというわけでもないのか。
生活が豊かになるのは良いことだけどね。
日記の文章を読み直して、(メーソンが理法をもっている集まりかどうか、エロにのっとられて悪しき計画をしていたとか言っているわけではない、それは詳しく知っているわけでもないので。)
メーソンが理法をもっている集まりかどうか、そういうのは知らない。
フリーメーソンの集いは、別に詳しく知っているわけでもなく。
これてといってメーソンという集いに、興味があるわけでもない。
神智学は、主ブッダと言っているところに興味がある。
最近、これは、とおもったけれども、
会社とか企業の名前に「ソン」っていう名前がある企業って、
何か関係あったりするのだろうか。
と、考えていた。
メーソンの「ソン、SON」だべか、とか考えていた。
メーソンのソンってSON入ってたべか。
どれ検索
『日本グランド・ロッジは「フリーメイスン」と表記している』
なんと
ソンでなかった。
スンだった。
これは、おしかったな。
スンならば、SUN
1スン、2スン、3寸
CDのは、クリスマス以前に思っていたから、書こうかなと思っていた。
クリスマス・イブはほとんぼ毎年クリスマス時期になると聞くからね、
だいたいクリスマスにかかる曲も定番化してるんだろう。
日本の昔は演歌とかだったから、クリスマスの良い曲が少ないのかもしれない。
しかし、テロ側の能力者もよくやるよね。
どういう存在にそそのかされて、そういう邪道を行ってしまうのか。
邪道の先は、その人生で死を迎えるまではパラダイスってか。
パラダイスだかどうだかは知らないけれども、まぁ、悪行は理法で言えば、死後には悪処ではある。
が、
パラダイス。
パラダイス。
パラダイス銀河。
っていう歌があったような気がする。
いや、まぁ、別になんでもない。
え、いや、どのパラダイスだかは知らないけれども、そのパラダイスには別に興味はない。
どのパラダイスだ、
とりあえず、パラダイスの意味から
どれ検索
wikiより
『英語で楽園・天国の意。』
ごめん、パラダイスの使い方間違えた。
でも、人生という生存期間限定だから、まぁ、
快楽に溺れるとか名誉に溺れるっていうような、執着は楽園という言葉なら、意味があいそうな。
そうだな~
世の中に、世のため人のためになる行いで、大きな財産を気づく人もいる。
テロのような世の迷惑、人の迷惑、悪しき行いで、大きな財産を気づこうと夢をみている人もいる。
どちらが邪道でしょうか。
なんか急に邪道の質問形式になったけど。
それでは、
どれ邪道を検索。
邪道
『正当でない方法。
本筋から外れたやり方。
よこしまな道。
道徳からはずれた行い。
正しくない方法。』
正解は
なんと
「テロのような世の迷惑、人の迷惑、悪しき行いで、大きな財産を気づこうと夢をみている人もいる。」でした。
いや、普通の良識があればわかる。
1月7日
今、見てた。
マホガニーのテーマ♪
あなたは、どう思う
1月8日
ニッ×ンのCMでまたやってる。
テロの仲間だろう。
しかし、CMのテロ企業強く出てきている。
上司でそういう悪しき者がいると、下の人達はホント善に生きたい人にとっては迷惑だろう。
一番に迷惑をこうむっているのは俺だけどね。
トップが日本人ではない、か。
でも、だいたい最初からCMでテロやっている企業ももうだいたい決まってきているからな~。
トップが日本人の企業もあるよな~
だって、ずっと見ているけれども、真理と、そして勝義があるのは完全にこっち側だもの。
聖者側。
そっち、無理だって。
完璧に道理にないから。
人数が多い少ないとか関係ないからね。
テロの悪しき者が大勢あつまれば、善の道理となるという道理もない。
CMがかなりひどいよ。
正当な話あいすらもなく。
道徳が抜けているというのを通り越して、良識もなかった。
はっきり言って、あなた方テロ企業の「しね」とか「ころすつもり」とかそういうたぐい系の嫌がらせCMは小さい子供は見ない方が善いだろう。
どう考えても、教育にも悪い。
本当に世の迷惑だわ。
本州ではどのようにテロ側に洗脳されているのか。
まぁ、テロ側の稼働部隊だけが主に洗脳されているって感じなのかな。
一般人は、それほど浸透していないのか。
自分たちの仲間に、自分達が洗脳されているであれば、それもまた話しにならない。
本州ではそれほでテロが翻弄させて騒がせていない、か。
でも、全国放送でもテロやってるからな。
紅白ってあれ日本全国でないのか、あれは。
すでに洗脳されている者達にいくら言っても、馬の耳に念仏。
せめてもうちょっと良い方向に洗脳されていれば、普通に俺が言っている言葉も理解できないことはないだろうに。
洗脳されていない普通の人は、結構理解できる人もいると思うよ。
う~ん、まぁ、洗脳というのにもいろいろあるのだろうから。
まぁ、どちらにしても洗脳をされるという段階の者。
洗脳されていない人が、私は洗脳されていないというのであれば、それはそれで善いと思う。
まぁ、そういう者達はいつものごとくで、いつものように、そういうように思う。
しかし、イエズスもパラダイスという表現を使ってたな、と。後から思い出した。
はっきり言って、その事をぜんぜん気にしてなかったのであった。
私、個人の言葉の意味として、「パラダイス」っていうのは、そういう清浄な天上、清浄な世界とかそういうイメージではなく。
まさに、その楽園という方のイメージで、もうちょっとエロい感じ、だったんだけど。
だから、テロ側の悪しき行いのあとの短い人生という存在の余生の快楽というパラダイス。
道理としては、その後に悪しき処にいくと言われている。
イエズスのパラダイスは、テロ側の悪しき行いとは違って、
清浄な行いがあって、その先のパラダイス。
そこには快楽ではなく、安らぎがある。
聖書でイエズスの言うパラダイスは、テロ側の悪しき行いの者の先にはない。
普通に聖書よんでれば、理解はできるだろう。
う~ん、日本人って、仏教が浸透しているので天上のイメージとしては清浄な世界という感じを持っている人は多くないだろうか。
少なくても、俺個人はそういうイメージだったので、パラダイスっていう表現をそういう感じでとらえてたところがある。
パラダイス、楽園。
喜びと楽しみが多い世界。
天部。
そして、仏教・仏典での天部とは、
ただただ、楽しみや喜びがあるというよう世界。
それと反対に、地獄とは、
ただただ、苦しみだけがあるというような世界。
しかし、今日もまたテロが世間を翻弄させて騒がせていたな。
あの手この手で、洗脳工作か。
困った者だな。
困ったちゃんのところを、HPで困ったさんに直そうかなと思ってたけど、読まれてたのだろうか。
もうね、ホントにテロの者達の悪しき愚かな行いを見せられると、俺、完璧に天人だな、と思っちゃうんだよね。
なぜならば、私はそういう悪しき愚かな価値観を厭うているからである。
そして、それは仏陀の教えに適い、他の聖者の教えにも適う。
俺は、現在は人であります。
テロの者達の悪しき行いは天上でも”ない”。
聖者・聖人の善なる行いは天上でも”ある”。
テロの者達は他人の粗を捜して見ているが、
聖者方は自らを観て、自らの粗を観る。
あなた方さ、最近、ちょっと昔の能力者にもすでに読まれてないか。
この世界は、テロのような悪しき者・悪しき能力者ばかりがいるわけではなく、
善なる者・善性の能力者もいるんだよ。
知っていますか。
1月9日
今日もパラダイスの意味を考えていた。(その人の〔善なる〕信仰心の果報について)
そっか、ひろい意味で言うパラダイスなら意味があうな。
と、今思った。
善なる行いによる後悔のない思いについて
目が覚めたら気づくだろう。
1月10日
あなたの感情は本当によまれてしまいます。
善の方に行きたいと悪魔側から方向を変える人は注意。
え~と、叩かれたりとか。
しかし、悪魔に対しても、そういうのを乗り越えていく。
これは聖者方・聖人方のほとんどがしてきた事柄でしょうけれども。
悪しき者・悪しき存在からよまれる。
同じように、善なる者・善なる存在からも見られている(よまれている)。
第三者の意見で、善なる側に、何かがあれば、悪しき側にと、いつもコロコロ変わる人は、悪魔も天神も、その人をそのように見るだろう。
たとえば、あなたが現在、りんごを思念しているとしよう。
その思念しているリンゴは容易によまれやすい。
表面にだす思念はよまれやすいからね。
そこで、感情を見ている人、無我を見ている人と、自らの感情を、自らであるという、無我をみることのない人との違いが、う~ん、大きいね。
聖者側の流れでない人は、能力として無我を見ている人の深く深くまで見るというのは、難しいのだろう。
普通に見てても、よみが感情まででそれより深くをほとんどよめてないみたいだから。
感情はよまれるというのは、以前にも記している事柄であるけれども、改めて記しているところ。
これを自らで理解していないと、悪魔と対するにしても、そこを越えていくことは、かなり難しいだろう。と思うので記す。
善で心が満たされている人は、悪魔に翻弄、誘惑されることも、比較して少ないだろうから、越えるという難易度は低くなる、と。
そこったって、ぜんぜん最初のところの壁みたいなものだからね。
とりあえず、気をつけて進みましょう。
1月13日
HPを更新
俺ははっきり言って
死後に地獄に行くとかそういう心配はとくにないので、
普段の生活は別に普通です。
いや、ネットとかを見てれば、そういう普段の行いがテロ側にないって思われるようなこともあるらしいので。
なので、そういうのは、普段は別に普通の生活をしている。
以前にも同じようなことは記しているけれども。
悪しき行いをしているテロの集いから見るとないのか。
悪しき行いをしているテロの者達は道理でもない。
私は善行を行っているので天上に行くという道理もある。
人生あっという間に、すでに30を越え、
小さい頃、30代の人を見れば、結構なおじさんだったよ。
そのおじさんがここにいる。
女性は、30代の女性を見て、おばさんだと思ってたっけかな。
たしか、女性のおばさんに”おばさん”と言って、
「おねえさんでしょ^^。♯」と言われたことがあったので、
おばさんと言わないようにしたほうがいいと思っていたと思う。
1月17日
ご飯を食べているときに思っていた。
飛行機は安全第一みたいなものだろうから、技術がないと作れない
な、と。
そして、使いやすいマウスを思い出したんだけど、パッドマウスを普通のマウス機能もつけて、指で大きく動き、マウス自体で小さく動いて微調整するような動きが可能な感じで二重でカーソルをうごかせると使いやすいかもしれない、と。
ボールがついたマウスは販売していたような。
どれ検索。
まぁ、ボールとたいしたかわらないかもしれないな。
飛行機の話は別に、膨らむ話でもなく。
飛行機を製造している会社は技術力が高いだろうな、と思った。
安全の技術。
小型のプロペラ機はそうでもないか。
人生”あっ”という間のところね、
まぁ、あっという間でもあるが、内容が濃かったので、実感として”あっ”という間でもなかったけれども、想いかえせば、あっと言う間だな。
40歳、50歳、60歳、100歳、200歳、300歳、
200歳、300歳くらいのは、ゾウガメと樹木くらいしか思いうかばない。
どれ、検索。
初めて知った。
ベニクラゲ
一定の大きさにまで成長(=老化)し、繁殖を終えると、いきなり若返り初め、
幼体にまで戻ったところで、再び成長を始める。
そのため、捕食者に捕食されるか事故で死なない限りは、全くの不死という不思議な生き物。
不死ではないけれども、若返るらしい。
幼体にまでもどって、成長するのか。
若返りの回数は決まってないんだろうか。
昔から多くの人間、そして女性が追い求めているような能力をもったクラゲではある。
1月19日
あの、だから、俺はテロの愚かな行いをしている者達と関係ないから、普通の日記だよ。
ネットで使いやすい工具を探しているところ
テロ側のその悪心は仏陀の教えから見てもダメだし、天神方・善神・善心から見てもダメだろう。
普通は気づくと思うけれども、
気づけないんだろうな。
数年間も故意に悪業をしつづけている。
そして、悪業に参加する者達をともに地獄へ引き連れていくのか。
これからの生まれ変わり、存在が大変苛酷なのは目に見えるようにわかるんでないの。
仏陀の教えより
まぁね、俺もやわらかく記しているけれども、いままでのあなた方の悪しき行いは本当にないよ。
間違いなく悪業である、と。
テロ集団の悪業は完璧に天上に赴くとされる存在がするような行いではないのは確定的にはっきりとしているのではあるが、まぁ、これもいつもの説教だな。
テロの者はテロの者で、仲間である悪友におびえ、道に迷っていることにおびえ、真理におびえる、と。
悪友同士で真理を忘却して、一時の快楽を楽しむ。
その自らなした悪業のおそろし報い(の教え)も知らずに(知らないために)。
人生は短い。
今日は休日なので、ちょっと神道系の話を
まぁ、猿田彦だから神道系だろうな。
同一視をされる神名で道祖神とされることがあり、道祖神にまた別名があり、道祖神(ドウソジン)、岐神(クナドノノカミ)、来名戸祖神(クナドノサヘのカミ)、道俣神(チマタのカミ)、障の神(サエのカミ)、他の名で田中、という別名があるんだけれども、
邪霊である”さえ”という悪霊と同一の名前で呼ばれていることもあり、いずれ道祖神を邪霊を別として記しておこうかなと思っていたので、
このように記してはみたものの、
別にたいして記すほどではなかったな、とか思いつつ、とりあえず記してみた。
日本神道の猿田彦はニニギの尊の降臨に際し道案内をした神。
または、庚申信仰。
仏家では青面金剛または帝釈天。
神道では猿田彦。
三猿を石に彫ったものなどを一緒に立てる。等、説明文。
地球自体がそれほど大きくはないから、同一の神でも、国が変わって、他の名前で呼ばれているが、中身はその同一の神のことであるという存在も結構多いのだろう。
他の神霊も。
それもまた、今更の話だけれども。
田中と鈴木とベルマークか。
人の想念を読んでないで、自らで真理を求めた方が善いだろう。
そちらのテロの者。
いや、個人で田中さんとか鈴木さんとか関係ない人は気にしなくていいところ
そっちのテロ側の地獄に向かう者は、魔術者に簡単にだまされる。
なぜか。
善の側との縁もほとんどないから、それに気づく機会もあまりない、と。
こっちの聖者側に向かう人は、魔術者に簡単にだまされない。
なぜか。
善の側との縁があるから、それに気づく機会もある、と。
ふ~、っと。
今日はのんびりだな。
1月22日
さっき、”ありがとう”と思ったので。
今日は”ありがとう”という感謝の気持ちについて
みなさんは”ありがとう”と感謝の気持ちを述べるときはどういう心でいるだろうか。
人は他人に何かをしてもらったら感謝をして”ありがとう”という。
私も同じく他人に何かをしてもらったら普通に感謝の心で”ありがとう”という。
それも当然であるが、私は他人が心を動かしてくれただけでも”ありがとう”と思っているので、私は他人に何か行動をしてもらったら”ありがとう”というのではなくて、他人が心を動かしてくれたら、そこでもう”ありがとう”と言う。
(そして、心を動かしてくたら、”ありがとう”と感謝の気持ちを伝えようという気持ちでいる。)
感謝の心。
1月27日
今日は、昨日本を見ていて
メーソンのがあったので、ちょっと読んでみたところ。
メーソンの歴史は別にそれほど古くはないらしいね。
本に書いている。
伝説等・儀式等の古いっぽいのをとりいれているみたいなので、歴史があるように見えている、見せているということではある。
職業の石工が本当のフリーメーソンで
他の職業の人はアクセブテッドメーソンと名づけられた、と。
なぜ、石工なのか、と。
石工の人達は神殿とか作るときに、長くそのほかの現場職人さんよりもその現場に長く居合わせていて、さらにそういう神殿とかで仕事をしていると、そういう神聖とされる事物に詳しくなるので、そういうのに詳しくなったのもあったそうな。
まぁ、そりゃ、詳しくもなるだろう。
当の本人がその石造なりを彫っているのだから。
彼らは大建築物の設計された地方に自由に旅行し得る特権を持っていたから、自らフリーメーソン・自由石工と称したのである。云々。
技術職、本当のプロの職人なわけであった。
昔の彫刻でうまいのは本当にきれいにできてるからね。
ああいうのは、職人さんの技術だね。腕だ。腕がいい。
メーソンはその勢力を得ようとするために、王皇貴族を会長やその他の高級役員として仰ぐ風習を作った。
The Most Worshipful Grand Master最高至尊大教主、以下三十一種位階等級的名称区別がある、と。
信仰宗教とかでも、そういう階級制度のようなのはあるところではある。
階級が上がると、自らの階級にあった特権を得られるという規則があるようだから、そういう方向に力をいれてがんばってしまう、と。
階級昇進の儀式とかも記されているけれども、世俗の神秘でのドキドキ感がかもしだされているような感じだろうか。
真理がありそうで、ドキドキワクワクみたいな。
真理への期待、神秘への期待、真相への期待等いろいろあるのだろうか。
秘密っぽい結社の儀式っていうので、他の秘密っぽい結社でも、儀式として肉体的な恥ずかしさを克服するというようなのも含めてかな、裸にさせて、そういう恥ずかしさから皮がむけました的なある種の達成感を得させて、儀式を完成させるという秘密っぽい結社は多い様子。
「いやん、エッチ」というような、要するに恥ずかしいというような感情が克服されるっぽい。
確かに、裸の修行僧は世界にいることはいるけれども、そういうのは儀式として必要なのだろうか。
自分の家に帰り、妻とともに就寝する、そのときもまた、同じくそのように裸になる時もあるだろう。
一体何が違うのか。
妻と他人との違いか。
仏陀の弟子になるのに、そういう恥部を故意に(故意でなくても)さらけ出すというのは(必要すら)ない。
道理から考えても別に恥部をさらけ出す必要もないのではあるが。
それなら、修行をするという心で、素手で便所(便器)掃除するというほうがよっぽど殻がむけそうな気がしないでもない。(果たして何かが消えるだろうか。やってみればわかる。w。)
(そういう私はやったことがあるのかどうか。それはどうでしょう。
そうだなー、自分の中で汚いものを汚いと思っている、その心がわかると思うよ。実際に汚いんだけれども、その物の汚さを汚いと思う自らの心がね。人によるだろうけれども。
久しぶりに汚い便器を思い出したら、キモチがわるっと思ったので、そういう表面のところで実際のところのが。
まぁ、別にすすめないけれども。昔ネットのサイトで修行的な事でやっている人がいて、精神的な修行の意味で一般の複数の人が何だかすごくイイ(修業的な意味で)みたいなことを書いていたので、
では、と、俺もちょっと、と、実際に、どれどれと挑戦をしてみた
かどうかは、とりあえず、別に気にしなくてもいい。)
まぁ、素手で掃除はちょっと、置いといて、と。
その儀式なりを終えた後、貪ること、怒ること、愚かさというような悪しき心は果たして消えるのだろうか。消えているのだろうか。
どうなのだろうか。
まぁ、タントラでの一時の忘我を悟りだとか勘違いも甚だしいもの等で、迷っている神秘化や修行僧、密教徒も実際にいる、いたので、まぁ、真理を見聞していない一般の人が迷ってしまうのは、ある意味しょうがない。
と、いうことで、
仏陀の教え、清浄な聖者の教え、天人師の教えに依り、
あなた自らで道理を観じてみるのは善いでしょう。
1月28日
え~と、今日はまた本を読み直して、
え~と、メーソンの昇進の儀式の場合は、殆ど丸裸、で一枚の真赤に染めた前垂を掛けているということで、メーソンのその昇進儀式では丸裸ではないです。
そう書いています。
英国に十四世紀の中頃からメーソンのラッヂが存在していた、と。
いや、事実と異なることを書いたらよろしくないから、きちんと伝えるべきだろう、と。
間違っているところは修正。
神殿とか神聖な建物を建てる設計者が石工とかの職人監督さんでもって、宗教や神秘思想に詳しくなって、そういう職人さんが、専門用語なり、言葉を語ったりで、あつまった組合のようなのがはじまりであって、別に出家者のように修行のため、覚るためというわけでもなく。
だから、その神殿作りの監督さんが作らせたまたは、自らでつくった像なりを後の信徒、信者がそれを見て、祈ったりするわけで。
偶像の作り手とも言うべき存在か。
人数が多ければ、人の気持ちもさまざま、ちょっと、悪心ある人が彫刻すれば、ちょっと悪魔っぽいのを神殿に装飾したりということもないこともないだろう。
神殿等職人さんの腕がよくて、とても美しい建物は世界にたくさんある。
しかし、その外の建物がいくら美しくても真理を覚るということはできない。
あなた自身を鏡で見てみなさい。
そこに本当の神殿がある、と。
いくら腕が良くても、その宗教に詳しい建築の監督さんの腕のいい、見事な建物をみても、そこに真理があるわけではない。そして、その建築監督さんの集いの話し合いの中に真理があるということでもなく。
『教義信条は四海友愛。
「世界萬民の同意すべき宗教、それは善良真実な人間になるという信仰を奉ずる」
というのである。・・・この会の組織は元来すこぶる自由性を帯びていたので、従ってその教義信条なるものも極めて寛大で、各個人の思想や信仰の自由を束縛しようとしない。だからいろいろな宗教の人が入会しえるのである。云々。』
善良真実な人間とは、要するに?をつく人間ではないということだろう。
その言葉のとおりの人が善なる人がたくさん集まっているのであれば、仏陀の教えも聞こえない聞けないこともないだろう。
まぁ、私が思うのでは、善なる団体であれば、善いと思う。
と、そのように思ふ。
う~ん、善なる団体であれば、善いというのは、
仏陀の言葉が理解できるという善。最上であって、そして、普通の善という意味。
なぜ仏陀の言葉であるのか。
「仏陀を見る者は真理を見る。真理を見る者は仏陀を見る」
宗教、それは真理の教えである、と。
光。善を見ている聖者・聖人方は同様の事柄を語る。
それは、なぜであるか。
真理は一つ。
真理を見ている聖者・聖人方は真理を語る。
1月29日
う~ん、仮装劇のところはちょっと失礼な感じなので修正消去をしておく。(本に書いているのをそのまま書くと、ちょっとなんか残念な感じで失礼な感じという意味で)
仮装劇っていう表現がなんかね。劇って。
『劇』。
辞書で検索。
脚本中の役を動作とセリフで演じながら、筋書きに従って場面を進行させていくもの。演劇。
儀式と劇。
真理という面から見れば、
どうなんですか。どうなんだろう。
しかし、
世俗のちょっとかわった風習としてみると、
一風変わった儀式という感じではあるのかな、と。
2月2日
ふ~、っと。
現在、1時41分。
振動ドリル修復完了。
3時間くらいかかった。
新品の振動ドリルを買ってもらって、
使って間もなく、落として壊してしまったという。
バッテリーのところのプラスチックがこわれて、
使っているときにバッテリーが外れるので、ビニールテープを巻いて使用をしていたのであった。
プラスチックがきれいになおった(ように思われる、しばらく使用してみないとわからないけれども)。
あんなにガッチリとするもんなんだな、と。
なおせるので、これで、何回落としてこわしても大丈夫だ。
とりあえず、落として壊さないように気をつけよう。
2月3日
電動ドリルはプレゼントで買ってもらったのではない。
会社の振動ドリル。
って、そこまで説明しなくてもわかるか。
振動ドリルを落としたら、バッテリーのところがばっこりと壊れた。
プラスチックのかけた部分をプラリペアというプラスチックを修理する製品を使ったら、ガッチリと固まった。
1、2年くらい使っても大丈夫であったら、プラリペアという製品は良い製品だろう。
プラスチック修理。
最近はというか以前からだけれども、ネットで使いやすいと思われる製品をさがしていろいろ見ているが、
使いやすい製品があれば、今度紹介しようかな、と。
たとえば、レインウェアのような生地の補修に良い製品は、
キャプテンスタッグのシームレステープとシームグリップ
靴の修理はシューグー (←つけてからはがれることもあったので、そそれなりにいいと思う。)
まぁ、似た製品もあるけれども。
良い製品。
車か。
車の会社のCM等はいろいろ錯綜しているみたいだが、
私の兄が昔整備士をしていて、トヨタで働いていたこともあったけれども、日本の車はやっぱりトヨタの車が一番壊れにくくて良い車だと言ってほめていた。
かなり昔の話だけれども。
街中で走っている車をみると、車のドアのしたのあたりを見れば、サビている車とそうでない車がある。
あれはメーカーの作り方の違いでさびやすいのか。
作る素材によってサビがやすいのだろうか。
車は、昔三菱のディアマンテのF-31Aに乗っていたけれども、リコールがかかった。
あのころはリコールがはやっていた。
まぁ、流行とかそういう問題ではないけどね。
電気自動車。
水で走る車。
電気自動車。
どこかの国で水ではしる車なかったかな。
検索。はしないけれども。
電気自動車になれば、石油会社の石油の需要が少なくなるだろう。
クリーンエネルギー。
時代時代で世界の需要も移りかわり。
現在はインターネットの時代。
インターネットの次はどのようなものがくるのだろうか。
インターネットは検索等の会社が大きくなり。
そういえば、検索は何らかの単語を写真検索で検索すれば、なぜか全く関係がないようなエロ画像等も一緒に出てきたりもする。
あれも、問題があるだろうと思うけれども。
ネットも結構荒れているからね。
子供でもPCに詳しいだろうから、そういう意味でPC側で検索制限をすればいいだろうという問題でもないと思うけれども。
検索会社側の倫理の問題でもないのだろうか。
子供の内面の成長にもよろしくないけれども、大人の内面にもよろしくないだろうと思うけれどもね。
現在この世界で、もっともエロい淫らな心を衆生に生じさせているのは、インターネットの検索(の会社)でもあるのだろうか、と。
例えば、まったく普通に検索をしていても、エロ関連の画像等が入っていて、別に見たくもないけれども、どう考えても視界に入るから見らさってしまい、”この画像は~、なんと~、ガッツリとエローい”と、いうように、エロい心を生じたくもないのに、生じてしまったことは何度となくあったりもする。
ネットの荒れた状態を治すのは、その現在のインターネットの主導権があるような検索等の会社が率先して行っていかないと、世界中の人々がエロい心を生じやすくなってしまう(インターネットの荒れがひどくなってしまう)のではないだろうか。
聖者は煩悩の穢れをはらう。
善なる神もまた煩悩の穢れをはらう。
善なる存在は、衆生に穢れた煩悩を生じさせるような行いをすることは
ない。
2月5日
名前でソン。
ローソン。
ガンなんとかというところのサモンズなんとかというゲームを見て、一見して普通に、ない側の路線だろうとネットで検索をしていて、
ソンというので、名前のソンでメーソンで、
ソンのつくので思ったのが、ローソン。
近所にローソンが2軒できたが、行っていない。
そして、ウィキでメーソンのを久しぶりに見たら、詳細がこまかく記されていた。だいたい同じような事柄が記してある。
ローソンは別に、思っただけで繋がりとかはあるのかどうかは知らない。
ローソンは小さい頃、ローソンのおでんを食べておいしかった記憶がある。
サモンズなんとかというゲームの内容は知らないけれども、
どういう内容なのだろうか、と。
知っててのネーミングであれば、リアルに悪魔の側なのか、と。
沙門(サモン・シャモン)
僧となって仏法をおさめる人。
ゲームっていうのだからね。
まぁ、しかし、人生で悪魔側について悪魔にあとから堕とされるような悪業は積むべきではない、と。
あと数十年で死後を迎えるであろうに死後というものを信じていないという。
例えば、魔術者はなぜ魔術を用いて悪しき行いをなすのか、
その結果が見えない。先を見るという能力がないので、悪しき行いをなすにいたる。業の結果を見る能力はない。
聖者は、悪しき行いをなさない。
その結果が見える。先を見る能力があるので、悪しき行いをなすことはない。
メーソンの
「偶像の作り手とも言うべき存在か。」というのが、
直球で言いすぎてしまったかなと思っていたのであった。
石工の人で、偶像を作っている人もいるだろうけれども、そうでない人もいるだろう。
石工の人で偶像を作っている人は、実際にそのとおりに偶像の作り手という表現はあてはまる。
え、あてはまるよね。
あてはまるでしょ。
と、まぁ、偶像の作り手であってしまったりもする、と。
日本神道は鏡を置いているからね。
そういうので、昔の神道は自らを見るというのが見てとれるような感じだろうか。
昔の神道の精神は、かな。
カガミからガ(我)をはらい去る、と。
そこに写っているのは、それは、何なのか。
恐怖によって、または、真理とは異なると思しき現実の慰めと安らぎがほしくて、悪友を増やしても、あなたが受く真理を否定することはできない。
仏陀の言葉は真理の言葉であって、それはそのとおりになるとされる。
なぜならば、それは真理を語っているからである。
人は自らな為した善業と悪業の報いを受けるのである。
仏陀の智慧の目がどれ程に見えるか、というのも、紹介した教えからでもわからないだろうか。
悪魔という存在が力をおよぼすことのできない清浄な境地をも、教えとして多く説かれているのだけれども。
その悪魔が力をおよぼすことのできない境地の、更に上、その更に上までも教えとして説かれている。
しかし、世間の衆生は
そういう境地がどうとかこうとかという前に、教えにある、無、空というところでもってすでに、ちんぷんかんぷんであったりもする。
それは、世間の衆生としての魔術者も同様である。
一回や二回禅定をして、仏陀の教えを理解するということは極めて難しい。
ほぼないだろう。
これは、そういうように教えとしても説かれてある。
繰り返し繰り返し禅定をしていくことによって、観えてくるものはある。
春に光が来た。それはまさに、仏陀の教えのとおりの道なかばである。
だからね、それ、を語ることによって、仏陀の教えをあとから紹介しても、はるは仏陀と同じ意味の事柄を語っていた、というような現象
も普通に生じる。
それは、なぜか。
”それ”は、仏陀の説く、真理にいう境地のなかばだからである、と。
仏陀の教えが本当にすごい、と力説しても、
意味が通じないという。
魔術者に説いても意味がよくわかっていないので、そちらにも意味が通じないという。
だからね、私たちと同じ時代に生きたクリシュナムルティさんという人の、説いている言葉もすごい(尊敬の念)と思うよ。
昔の聖典で説かれている言葉もすごいけどね。
ふ~、ちょっと21時30分に会社に行って、働いてきた。
今、帰ってきた。
部屋が寒い。
しかし、心は温かい。
どう。
まぁ、そういうのはいいとして。
24時をまわったので、休息しようかな、と。
明日は昼から出勤なので、少しゆっくりしよう。
2月8日
う~ん、ソンって、パナソニックとか、
CMでソンっていう企業のCMをたまたま多く見かけたか。
そういえば、SONって結構多いね。
米国のマソニック=ナイツ=テンプラー、英国のマークメーソン以下今は多数の新派がある、と。
ソニック、ナイツ。
昔、セガという会社のセガサターンでソニックとナイツっていうゲームソフトはあった。
──
まぁ、セガサターンは消えうせたけどね。
あれは、学生の頃、プレイステーションとセガサターンがあった時代。
私もゲームをしていた世代なので(現在はゲームとかはやらないが)、あの当時はどちらのハードを買うか迷ったな。
あれ、ナイツはどうだったかな。
検索。
やっぱりあった。
ゲーム業界がいろいろとなんかね。
あとは、デビルサマナーとかゲームであったな。
あのゲームもやってことがあるけれども。
デビルサマナーは
それは確実にない、と。
意味的に。
言葉の連想。
秘密の暗号として言葉でいろいろそういうのに引っ掛けて伝えているようなのもあるらしいので。
私も連想をしてみた。
どう。
ちなみに、米国のマソニック=ナイツ=テンプラーで
ソニックとナイツは
セガサターンというゲーム機であったけれども、
日本語よみでは天プラーなので、
天+ともとれる、とか。
お、
これは。
ころもはサクサク。
いや、一応言っておくタイミングだろう、と思って。
まぁ、しかし、総じて
そういう細かい連想とかもこれと言って、真理というものには緊密な関係があるというわけでもなく。
別に深く考える必要も特にないところであったりもする。
いや、テロ関連のでいろいろ考えて見てだね。
何かあるかな、と。
最近はアサヒでいろいろと考えているところ。
アサヒ、アサヒでアサヒっていう主張が強く出ているような。
アサヒって、どこのアサヒか。
─訂正─
朝、
アサガオ、ヒルガオ、
ヨルガオ。
ヨルガオ。
ヨルガオって花はあったかな、
どれ。
すごい、あった。
はじめて知った。
流通名「ユウガオ」だそうな。
それなら知ってるわ。
世間の事柄。
例えば、今日1時間半くらい定をして、その中で雑念が多く出た。
これは、真理に関連する事柄。
聖者方・真理の道と世俗世間の内の秘密でドキドキワクワクな道は違う。
つしま・春はそう思う。
2月16日
検索のbin×でちょっと普通の言語を検索するだけでもエロ画像が選出されるので、bin×でbin×を検索してみても、エロ画像が選出された。
あれは、ものずごい数ある画像の中で、エロ画像が多く選出されているというのは、これは、すごいエロい。
個人個人でプログラミングで選出される画像が違うとかか。
やっぱりインターネットの世界が、危機的な状況というやつでないのか。
陰謀とかもインターネット等の新勢力系統がでているんだろうか。
インターネットの運営側の者が天上から排除されるという危機にさらされているというのが、真理として天上での道理だよね。
インターネット運営側、真理の道から外れるという件について
何かひとこと。
え~と、
私が思うのでは
インターネットがエロい、と。
世界的な危機でございます。
そういうのがずっと続けば世界的な危機だろう。
人々の心があれる。
ネットの使用人数はこれからもっと増えるだろうし。
そういう人の道を外れた心を作りだす側になっているインターネット運営側。
本人個人としての愛欲であれば、結婚、恋人、相方を愛するというので世俗としても理解できるだろう。
が、しかし、他の者にエロを想起させるそのやり方、その貪欲さは天の道にあらず。神の道にあらず。
仏陀の道にあるわけもなし。
これは、日本だけが現在このような状況になっているのかもしれないけれども、
世界各国のどこの国でも起こりうるだろう。
現在起こりつつあるのかな。
まぁ、運営側の各人があぁいうエロ画像が普通というエロい価値観で育ってきた(という)のであれば・・・、
そりゃ、エロいわ。
そして、そのエロい影響を受けた育った若者がさらにエロくなるという悪しき連鎖。
全く困ったものである。
テロ側による、インターネットエロエロ大作戦だな。
それは、真理としても没である。
ちょっと今本を読んでいて、
最近思っているのだが、聖徳太子が実在しなかったというのが、学校の教科書にも載ったらしい。
それであれば、十七條憲法の制定は誰がしたのだろうか、と。
検索してみるか。
wikiより
『概要
十七条憲法は、憲法十七条、十七条の憲法とも言われる。『日本書紀』、『先代旧事本紀』には、推古天皇12年4月3日(西暦604年5月6日)の条に「十二年…夏四月丙寅朔 戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」と記述されており、『日本書紀』には全17条が記述されている。この「皇太子」は、「?豐聰爾皇子」すなわち聖徳太子を指している。
内容は、官僚や貴族に対する道徳的な規範が示されている。儒教・仏教の思想が習合されており、法家・道教の影響も見られる。』
仏陀傳より
『支那から朝鮮を経て我国へ伝来されたのは第二十九代金明天皇の御宇十三年という事に正史に載っています、勿論佛教はそれ以前から我国へ伝わっていたのでありますが、つまり公然に伝わったのは此時であります、即ちこの時代に朝鮮に於て勢力のあった百済国の聖明王といふが自ら願文を作り、それを金銅の釈迦牟尼佛の御像と若干の御経とに添へて金明天皇に献上されたのであります。云々・・・。
次の敏達天皇の御宇六年に至って百済国王から御経と共に僧侶や、佛像及び寺院を造る職人までも献納したのでありますが、此時我等の尊崇し奉る聖徳太子は御年六歳に達しておられました。云々・・・。』
年代の記述は書物により誤差があり、創作者が聖徳太子なのかどうかは定かではないけれども、昔から十七条憲法は制定されていたと伝わっているということで、民衆はそれをそのまま受けて現代まで伝えられてきている、ということで、三宝が敬われていたというのは間違いないということであろう。
『太子傳補闕記』に勝鬘經義疏を太子生年三十六、己巳四月八日から辛未年(三十八)正月二十五日了。そして維摩經疏製作の日付。法華疏製作の日付けについての記載あり。『扶桑略記』にも同様の記載あり。
このように製作の日付も記されているのであるが、聖徳太子は実在しないのだろうか。
2月19日
聖徳太子曰く、
『善を行ずるの義は、本と帰依に在り。今廣く萬行の道を明さんと欲するが故に、帰依を以て首と為すなり。所以に優婆塞戒經に云く、若し三法に依らずして戒を受けなば、戒は堅強ならず、採色の膠なきがごとし。』
所謂、聖徳太子は仏陀の弟子。
『今廣く萬行の道を明さんと欲するが故に、帰依を以て首と為すなり。』
善行へと導きたい、という善の心。
心も善いけれども、目もとても善い。
まさに、智慧の目。
日本の皇族の中に智慧の目をもつ人がこのようにあった。
聖徳太子の心を見ると、心清き善い血脈。
春思ふ。
2月20日
そうか、実在しないかもしれないか。
教科書に載るくらいだから、皇族もそれを認めているということなのだろうか。
わからないけれども。
では、実在しないとすると、その聖徳太子とは誰がその役をして、佛教を日本に弘めたのだろうか、と。
まぁ、どちらにしても、日本は昔から聖徳太子とされる人物を心善き人物として道徳教育の面でも立てていたわけで、そして、その聖徳太子の言葉はゴータマ仏陀・仏法・仏陀の弟子の集いに対する帰依を説いていたわけなので、その聖徳太子の三宝に対する帰依の心をも受けて、その聖徳太子なる人物を聖人というようにして立ててもいたわけであり、(大乗)仏教の教えを国の教えとして人々に弘めた結果、現在このように佛教国としての日本があるのだろう。
要するに、聖徳太子とされる人物(または作者の)の心を伝え続けていたわけで、その善心を選んで伝えていた人の目も善いと思う。
そして、昔からその聖徳太子の心を伝えて道徳・佛教を弘めていたのは誰か、と。
それが、(仏教徒としての)皇族の方々ではないのでしょうか、と。
違うのだろうか。
人々を清浄な心へと導くという精神。
その清らかな他の人を思う心は善。
つしま思ふ。
王族が聖者に帰依するというのは教え、話としても普通にある。
そして、聖者に帰依していたその王族が後に自ら出家して聖者側に立つという教え、話も普通にある。
王族が仏陀に帰依するというのは教え、話としても普通にある。
そして、仏陀に帰依していたその王族が後に自ら出家して仏陀の弟子のひとりとして立つという教え、話も普通にある。
そのように聖者に帰依していた王の話を見聞きすると、善行を宗とする王が多い。善行を心がけている人が多い。
ということで、そのような王族は善行へと人々を導こうとする王族も多い。
そして、その王の元にある民衆もまたその王の心と行いを見て、善行へと導かれることによって、おのずと善行者も増える。
そういう途中で、狐だの狸だの畜生霊や悪霊側に欲念をもって絡んでしまったらば、SMだのなんだの、エロ密教だのなんだのの世界に没してしまうという危険もある、と。
現在のテロ側の人々のように。
そして、エロエロ大作戦。
(道理として)そのような行いも天上ではすでに没とされる、と。
海外の能力者も気をつけてすすまないと、足元をすくわれる可能性があると思うよ。
悪業をしてから、こちらの心をよんで、”この人は本当に聖者側についている”とか気づいても、すでに遅いという可能性もありえる。
気をつけたほうが善い。
『そして彼は町々村々を教えを説きながら通って行き、イエルサレムへの旅をしておられた。
するとある人が彼に「主よ、救われる人は少ないのですか」と言った。
そこで彼は彼らに言われた、
「狭い戸口から入ろうと奮闘努力せよ。なぜなら、君たちに言うが、多くの人が(後になって)はいろうと努めるだろうが(それが)できないのだから。」』
2月21日
検索の画像がなんか悪化してるような、エロさがアップしてるのか、前からこうだったのか。
いつからこんなにエロくなったんだ。
ちょっとまてよ、bin×はエロいけどほかのは、ちょっと検索してみよう。
同じ言葉でもbin×ほどひどくはない。
普通に近い。
普通に検索してもエロ本みたいなことになっているんだけど、
「a」で検索しても3分の1くらいエロ画像なんだけど、
なんでこんなにエロ画像が多いのか。
ほかのを検索ももうちょっと見てみるか。
いつ頃からこんなにエロくなりはじめたんだこれは。
いや、昔は普通の言語を検索してこんなにエロ画像はでなかったような気がする。
(ひろい意味で)閲覧のセーフサーチの問題とかそういう問題でもないよな~。
う~ん
どうなんだべな~
個人ではなくて、まぁ、個人個人ではあるけれども、大勢の人々、全体としての悪影響で見ると、
いいわけねぇんだなこれが。
そういうのがなくても人間という存在は他の人に対して愛情をもつ存在でもあるのです。
どうたらこうたら。
まぁ、しかしエロいね。
困ったもんだね。
春休息。
2月23日
ジッドゥ・クリシュナムルティという人について
一応
それを言葉として表現したとする言葉、としても悩むことのないように。
仏陀の教えとして
仏陀の弟子として見るのは〈永遠〉ではなくて苦の滅、全き安らぎ、涅槃です。
テロ側が、まだ悪霊の「さえ」側を信用しているのがいるみたいね。すでに悪業罪んで歩んでしまっている者にとっては、信用したいという人も多いのかな。
しかし、残念ながら、悪霊のさえは、冗談ではなくて、本当に悪霊です。
実は悪霊ではなくて、善霊なのですとかいう話にはなりえない。
そして、テロ側はその悪霊と同じく(一緒になって)悪業を罪重ね続けている、と。
あなた方、悪霊とその仲間、さえ側を信用したいのだろうけれども、
悪業をしている存在者と、その仲間(それらの件を利用して騙そうとしている能力者)も同じく、後に善処に赴くという道理・教え・理法はない。
そして、
テロ側とともに悪業をしている悪霊「さえ」とその人物、関連の絡みのあった詐欺の自称陰陽師とその連れからも返答等も別になく、要するに謝罪すらもうけていない。
そういうように、私の過去に受けた経験から私の認識で言うと、その悪霊のさえに関する人物(さえ)も、詐欺者の自称陰陽師(津野)とその連れの共犯者(麒麟)も悪しき者という認識で変わってはいない。
そして、それに加わって、騙そうとしてテロ行為をしていた者とテロ側の能力者、テロ側のの工作者も同じく、悪しき(行いの)者という認識にある。
私にそのテロ側の者が、実は善人であるという認識もない。(最初の頃は可能性を考えてあるかもしれないな、とは思って考えてみたけれども、)
見てきたけれども、道理から見ても、テロ側の行いは善行ではなくて、悪業である。昔の記憶を掘り返してみても、どう考えても家に押しかけて金を巻き上げる善人・聖人・賢者はいない。
というか、一般的に考えても犯罪者でしかない。
と、こういうのも何回くらい同じようなことを記したかな。
そして、
いまだに騙そうとしているテロ側のあなた方はすでに真理を知った上でも悪業を行う。
教えを聞いてもなお、聖者の弟子、道を歩む人をも亡き者にしようとする。
それらの行いはすでに、天上でも言い訳をすることはできないだろう。
クリシュナムルティさんのように霊的な世界にも詳しい人であるが、テロ側の能力者と異なっていて、そのような悪しき行いというものから離れている。
そして、真理の道を歩んでいるがゆえに、真理をすでに語っている、と。
クリシュナムルティさんの語りたいことの意味が理解できるだろうか。
ちなみに、クリシュナムルティさんのいう組織に対する依存もまた、仏陀の言葉として、これといって問題はない。
仏陀は、執着の滅を説かれる。
大乗仏教でいう他力本願的な過ちについてのところと、それらのもっと深部のところについての言及としても受け取れる、と。
そういうのもこういうように説明すれば、理解できるだろう。
まぁ、人によるか。
微妙な受け取り方もまた、
テロ側で悪しき行いを事としている者の価値感と、
聖者を見て善行を心がけている人の価値観とでは、受け取りかたがことなることがあるだろう。
そういうのでもって、善行をして、それを何度も何度もして、さらに心を清浄ならしめて、教えを受ける。
そうすると、善行をしていた人、禅定をしている人と、悪行をしていた人とでは、言葉の意味する解釈もまた異なっていく、と。
それでもって、解釈を自分なりにして間違った方向に行ってしまった者達がエロ密教とかそういう方向に行ってしまった者達であった、と。
また、エロ密教がでてきたけど、
まぁ、要するにそういうような事でもある、と。
というように春は説く。
とりあえず、サモンズなんとかを詳しくちょっと見てみるかなと思ってたのたので、ちょっと検索してみるか、と。
モンスター召喚ゲームらしい。
で、話がかわるけれども、CMでSONって企業が結構多いね。
そういえば。
SONで売れる法則か。
違うか、SONでメディアが取り上げるという法則か。
SONのつかない企業もたくさんあるからね。
最近のSONのつく企業CMを思い出すだけでも結構あるわ。
これは、SONが何かあるのかどうか、
天上ではすでに答えは余裕で出ているだろうが、
春はちょっと考えてみる。
ACテロ。
SONがついていない。
とりあえず、春休息。
2月24日
しまったー。天ぷら抜けてるー
天ぷらあげといた。
ちょ、なんだかうまいことを言っているみたいなことになってる。
あ、説明がないとわからないか。
ころもの部分が抜けてたので、ころもの部分を加えて
あげといた。
2月25日
SONがどうこうとかでもなくて、
答えはすでに出ている。
真理はひとつ。
しかし、ほんとになぜ、
俺はテロにたたかれはじめたんだ、と。
いまだに謎なんだけど。
何なの。
わけのわからない世界だ。
まったく、便器を素手で洗うのと同じくらいあれだ。
いや、掃除は掃除でまた違った心意気があったりもする、と。
まぁ、プライドがどうとか。
自尊心(プライド)
自尊心っていうのも、よくよく観ると、
それもまた自らの我というものに結びついている、というのも多々ある、と。
名声、権力・支配欲。
これらに自尊心というものはくっついているだろうか。
あれをそうするのは、俺のプライドがゆるさない、とか。
プライド(ほこり)
ほこり(ほこること)
ほこる(自慢して得意になること)
携帯の辞書より
ほこり(名誉に思うこと)
ほこる(名誉とする。自慢する)
名誉(すぐれていると認められて、誇りに思うこと。ほまれ。面目)
国語辞典より
う~ん
あれをそうするのは、俺の(慢心)がゆるさない。
あれをそうするのは、俺の(面目)がゆるさない。
あれをそうするのは、俺の(名誉・尊敬のしるしとして与えられた名前)がゆるさない。
これらのプライド関連の心に、自らの我、というものは混じっているのだろうか。
しかし、名誉とする、というのと、自慢するというのは、
微妙な違いがある場合もあるか。
ほこりに感じないようなほこりもあるとかないとかか。
慢心がないようなところの清浄なほこりというようなところでいうと、
サーリプッタ尊者の教えもある。
仏陀の弟子でも気づくことがむずかしい事柄をサーリプッタ尊者は説かれる。
そのような仏陀の弟子の方の教えを見ても、すごい、と。
春思ふ。
例えば、クリシュナムルティさんは私達世俗に話かけてくれているようなものだが、
仏陀の弟子の方々の話は、もう話の境地が涅槃の境地の話でもあるので、
禅定をしている人にとってもすごい。
禅定をしていない人は、何がすごいのかわからないかもしれないね。
サーリプッタ尊者でいう清浄なところで言えば、
春も慢心がぽろぽろ、と。
ぽろぽろ、どばっー、と。
尊者方がすごいからね。
そのドバッーっていうのは、通常世俗の人が気づくことができないようなところは多く含まれる、と。
ちなみに、同じ視点で一般の人を見ても、
ドバドバッー、という感じ。
ドバッーっていう表現でわかるんだべか。果たして。
一般の人はドバドバドバッーっていうか、
ドップリか。
四聖諦を知らないという意味でも。
3月3日(2014年)
私の身近ではテロ集団の嫌がらせは続いており。
テレビを見てて、男性の声で野次を言っているような番組が結構でてきているみたいなんだけど、そういうのを見て、俺はず~っと、ずいぶんひどいことばかり言うな~と、見ていたのだが、あれって、もしかして、俺の声まねなのか、と最近思った。
っていうか、また、俺が犯人にされそうになっているということなのではないのか、と。
罪のない人に罪人にしたてあげる、仏陀の弟子を罪人にしたてあげようとするその心。
それは、完璧に堕ちる心。
男性キャラの野次を入れているのは、あれは誰キャラでやっているのか。
それにしても、テロ側の土台がホントにボロボロだね。
私は、テロ側の悪業によって、体がもう結構ボロボロだけどね。
胃も、お尻も、歯も。
この調子で行けば、春の身体もあと100年もつかどうか定かではない。
まぁ、身体がもたないのであれば、健康な人よりも少し早めに、この肉体を捨てる時期が来るということでもある、と。
病院へ行けば、病院で嫌がらせをして、医者をもだまして、人殺し工作。
エロ密教でさとることはありえないというのに、人々をエロへと誘導をして。
キツネは畜生道への門ですよっていうのに、あっさりとキツネのたぐいについていき。
悪霊のさえという悪しき存在と同じ悪行をともに行い、
自らも、あといくらかすれば、死をむかえる肉体をもつ存在であるのに、死というものと、死後というものを受け入れることもできずに、
悪しき行いを罪重ね続けているのはテロ側のあなた、各人一人ひとりである。
TVでテロ側の人がほめたり、けなしたり、恐怖を忘れたいようでもあったり、救いを求めたいようであったり、すでに天上なる世界をあきらめていたり、すでに地獄に堕すると気づいていたり、とか、
そういうコロコロしたメディアのを見ていて、
どちらかというと、こちらをそのようにしたいようであるが、
テロ側の人が情緒不安定になっているのではないのか、と思った。
だから、あなた方が相手にしているのは、聖者の教え、真理の言葉だと、以前に記したはずだが、
あなた方はすでに敵対をしてしまっているという。
そりゃ、あんた。
どうしようもないよ。
そして、聖典を読むとだね。
まぁ、とりあえずいいか。
テロ側の悪行者の行き先が手に取るようにわかってしまう。
そのような教えが、仏陀の教えにたくさんある。
イエズスの教えにもある。
他の聖典でいう教えでもたくさんある。
福音書より
「私は君たちに言う、あらゆる罪と冒?は人々に赦されるであろうが、御霊に対する冒?は赦されないであろう。
また、人の子に反対して言葉を言う者、その人にそれは赦されるであろう。
しかし、聖霊に反対して言う者、その人にそれはこの世においても来ようとしている世においても赦されないであろう」
「木を善いと見なし、その実も善いと見なしなさい。または、木を悪いと見なし、その実を悪いと見なしなさい。というのは、木はその実によって知られるのだから。
蝮の子らよ、君たちは、(自分が)悪いものでありながら、どうして善いことを言うことができようか。というのは、口は心にあふれるものによって語るのである。
善い人は善い倉から善いものを取り出す、悪い人は悪い倉から悪いものを取り出す。
私は君たちに言う、人が話すどんな言葉も、人はそれについて(最後の)審判の日に弁明することになろう。というのは、君は君の言葉に応じて義とされ、君の言葉に応じて有罪とされるのであろうから」
そこで(イエズスの)弟子たちは近よって来て彼に言った、
「あなたはなぜ彼らに譬で話すのですか」
イエズスは答えて言われた、
「君たちに天の国の奥義を知ることが許されている。
しかし、彼らには許されていない。というのは、持っている人はだれでも、(その人に)与えられ、あり余るほど与えられるであろう。
しかし、持っていない人は誰でも、その人から持っているものも取り上げられるであろう。
それだから私は彼らに譬で話すのである。
なぜなら彼らは(目で)見ていながら見ていないし、(耳で)聞いていながら聞いていないし、理解もしないからである。
そこでエサイアスの次の預言が彼らに成就する、
『君たちは聞きに聞くであろう、しかし悟らないであろう。
また君たちはよく見るであろう、しかし見えないであろう。
というのは、この民の心は鈍くなっていて、聞くのに耳が遠く、その目を閉じているからである。
(それは)彼らが目で見、耳で聞き、心で悟って改心し、その結果私が彼らをいやすことにならないため(である)』
君たちの目は見ているから幸せである。
また君たちの耳は聞いているから幸せである。
というのは、私は本当に君たちに言う。
多くの預言者と義人は君たちが見ていることを見ることを切望したが見なかった。
君たちが聞こうとしていることを聞くことを切望したが、聞かなかった。」
3月4日
そして、テロはまた人々を翻弄させて、こちらを悪者にしようとしている、と。
「死ね」「ころせ」「ガン」叩き等、
病気になっても、きちんとした治療を受けさせないような裏工作を行い、
私の住む地域の人々をもだましてまでも、行っている悪しき嫌がらせ。
そちらの悪しき行いの者達は完璧に教えでもないよ。
理由すらもわからない人に対するその悪行の数々。
正々堂々とすることもなく、
陰湿な嫌がらせをして笑っているその悪しき心。
あなた方テロ側はすでに世間の天人側の人からは、白い目で見られている。
というか、世間の人々も思考能力が畜生レベルの人でないんだから、いい加減、真相も理解してくるだろう。
思考能力が畜生レベルという人も現代では、少ないのではなかろうか。
テロ側の世間を翻弄している行いを見ても、テロ側がおかしいと思うのは、普通だろう。
テロ側は自らの側がおかしくないと装うのにいそがしく、
世間をあざむこうとすることに精力をそそいでいる。
そのような結果、天上ではすでに、破滅の者という教えにほぼ等しく、
世間をあざむこうとしている状態ですでに、天上でもない、というのに
気づいた方が善いというところなのだが、
本人達はそういうのに気づくという直感にもとぼしく、
気づけないので、悪行を重ね続けている。
また、心にあるのは畜生霊、悪霊等の教えに従い信じることであって、
聖者の教えを説く人の揚げ足をとって、
自らこそが聖者の側であると思いたい、信じたい、そして、聖者の教えを説くその人に嫌がらせをしてまで、自分、自分達こそがその天人であると信じたいという盲信。
そして、そちらの道に突き進んでしまっていて、実際に悪行をして、悪業を積んでいるが、天上は悪行者の赴くところではないという真理の教えを、盲信によって、信じることもできず、さらに悪しき道へといざなわれ、
清浄な道を悪しき存在によって、見えなくされ、
そして、自らでも清浄な道への入り口をとざし、
聖者側の人に対する悪行によって、天神にも戸をもしめられ、
清浄な道の意味するところも理解することもできず、
見れば、選択を誤ると自らが危険な旧道が目の前にある、と。
旧道は聖人でも危険な道であるというのに、
その悪しき者の前には、清浄な道は隠され、見える道は旧道しかない。
旧道は善人が見れば、悪しき事柄、善き事柄の分別をすることができるので、善きを選び、悪しきを否定して、清浄なるところへ出ることもあるだろう。
しかし、悪行者である悪しき者は悪しき事柄と、善き事柄との分別ができない結果の悪行(者)であり、悪魔、悪霊の類、畜生霊のいいカモとなり、
さらなる悪しき道へといざなわれ、破滅の人になりはてる、と。
そして、すでに天神からも見放されているので、
真理でいう救いも得られず、と。
他のテロ仲間も同じ境遇だからいいや、と思うこともあるが、
その仲間が大勢いるということでえられる安心感はまた、
一人になると、その安心感も消えうせる、と。
それは、単なる一時の安心感にすぎない。ほとんど(一時の)錯覚。
そして、自らの死後、そして、真理におびえる。
善なる人はすでに、自らで教えを受け取っている。
まぁ、現在つしまがこのように言うている言葉も、あとから理解できる。という人もいるだろう。
善なる人でいう、善なる道への導き、
その人の時(タイミング)が来ているか、来ていないか。
準備ができているか、できていないか。
悪しき行いの者でいう、悪行の結果でいえば、
すでに遅いか、ギリギリセーフか。
まぁ、真の善なる人は善行の教えを見て、このように思うこともあるだろう。
” というか、普通は歩くから ” と。
と、いうように思うというのは、
善行は普通である、という心がすでにその人の中ある、と。
3月7日
旧道にいる人で、
つしまの言っている言葉が、う~ん、理解できる。という人もいるだろうし、
こちらの言うている意味が理解できずに、ちょっとした不快感、または、怒りを抱いてしまう人も中にはいるかもしれない。
その怒りというもの。
何かしらへの執着等によるその不快感、怒り。
その怒りこそが、悪魔、悪霊、畜生霊に感情操作されてしまうポイントの一個。(何回も前述。)
まぁ、実際にすでに悪魔、悪霊、畜生霊によってその怒りを生じさせられているという人もいるだろう。
そういう場合は、自らのその感情の高ぶりを自らで観てみると善いでしょう。
私のこの怒りは、誰のための、何のために生じてしまった怒りだろうか、と。
この怒りというものは、私自身のためになるのだろうか。他の人のためになるのだろうか。
この怒りの生じている原因は何なのだろうか。
私の心にある執着心がこの怒りの原因だろうか。
私の心にある依存心がこの怒りの原因だろうか。
私の心にある自尊心(慢心、名声への執着、栄誉、ほこり等)、または、古から受け継がれたものという自尊心を阻害されたような感じがこの怒りの原因だろうか。
自己の心をよく観るところ。
(あなた方はすでに霊の世界に足を踏み入れて、悪魔に誘惑をされて、悪業をすでに為してしまったがために、自己の心を観るということも難しいだろう。
観たとしても、感情の部分を観るというので、それを越えて観るというのも難しいと。
そして、それを越えたとしても、自らの悪業の罪に気づき、その悪業によって、そこでもまた自己を観るということが難しい。
ゆえに、清浄、寂静という心、に近づくというのも難しいだろう。
まず、その悪魔、悪霊、畜生霊等の悪しき心に気づくこと。または自らの心に悪しき心を生じてしまっていることに気づくこと。
これは普通に重要。
禅定では普通。)
そして、
この怒りというものは、古からの聖者方が捨てられてものである。
それでは、ここで私も聖者方と同様にこの汚れた心を捨てよう、と。
はたして、私の心にある執着心が(少しも)なかったならば、この怒りは生じているだろうか。
はたして、私の心にある依存心が(少しも)なかったならば、この怒りは生じているだろうか。
はたして、私の心にある自尊心(慢心、名声への執着、栄誉、ほこり等)、または、古から受け継がれたものという自尊心が(少しも)なかったならば、この怒りは生じているだろうか、と。
自らの心を知ること。
そして、苦と苦の原因を知ること。
怒りを生じ、その怒りを生じてしまうという自らの心に気づくことができないという段階では、聖者方の清浄な境地はすごく遠くに離れている。
怒りは、悪魔、悪霊、畜生の生存等へ通じる門。
盲信によって、怒りという心を生じたのであれば、
その怒りを盲信ともども捨てなさい。
その怒りの付随した信仰は、あなたを清浄な世界へと導く鍵ではない。
その怒りの付随した信仰は、あなたを清浄な世界へと導く道ではない。
その怒りの付随した盲信によって、あなたが全き安らぎをえられるということはない。
善業の道、善なる道。
怒りがない、怒りを滅する道。
執着のない、執着を滅する道。
聖者方はこの道を歩いて、全きやすらぎを得られた。
3月13日
脱会が難しいというのは、ちょっと問題があったりもするだろう。
本の紹介より
『フリーメイソンの会員はその所属の人員が過多になった場合以外は、脱会することができない。この場合には、許可を得て他の少数の会員を有する部に転会したり、または新たに一支部を設立する。ただし大教主の許可のない限りは、新たな支部は設立しない。』
これは
自由がない
という感じで読んで思っていた。
佛教では出家してから、還俗する人はいます。
脱会も自由にできないというのであれば、そもそもが自由でもない。
入会してから、
Aさん
「辞めます」
メーソンの担当者のAさん
「ダメです」
Aさん
「まさかよ」
メーソンの担当者のAさん
「そのまさかです」
みたいな感じか。
本に紹介されている規約による説明だけれども、実際はどうだかは知らないけれども、
他の新興宗教等では、やめたあとに運気がおちるだのなんだので、
恐怖心や依存心を起こさせて、離れさせないようにするというような手段をも用いている宗教団体も存在する、と。
まぁ、とりあえず、
メーソンに限らずに、新興宗教等なんらかの団体等に興味を持っている人は、
いろいろよく考えてから行動した方がよいと思う。
すでにどこかの会員になっている人は、自らの依存心というものをよく観て知るということは大切です。
仏陀の教えを学ぶ仏教徒・仏陀の弟子であれば、仏陀の教えとしても、そういうのは禅定ででも、基本のところのようなものです。
現在は脱会できますというのであれば、まぁ、ねずみ講とかそういうのとは全く違うというのははっきりする。
脱会できないとかいうのは、はっきり言ってあやしい。
ねずみ講は、言葉として問題があるか。
ねずみ講というか、ねずみ講のような何か
何だ、
う~ん、言葉がぱっとでてこない。
実際に脱会は自由に可能という答えであれば、本に書いている事柄が間違っている。
ねずみ講
wikiより
『犯罪である無限連鎖講のこと。
無限連鎖講は人口が有限である以上、無制限に成長することが絶対的にあり得ないことから、日本では無限連鎖講の防止に関する法律で禁止されている。
親会員から子・孫会員へと会員が無制限に、ねずみ算的に増殖していくシステムから、一般的にはネズミ講と呼ばれる。特定商取引に関する法律第33条で定義される販売形態に沿った連鎖販売取引は違法とは言えず、その意味ではネズミ講とは呼べない。また、マルチ商法、マルチまがい商法についても侮蔑的にネズミ講と呼ぶことがあるが、法的には一概に無限連鎖講とは言えない。他にはピラミッド商法という手法も存在している』
脱会できないのであれば、、増える一方なので、ねずみ講ではないけれども、
何。
こういうのは何ていう言葉があてはまるのか。
まぁ、要するに、
春思う
脱会を
できないのであれば
自由なし
脱会を
できるのであれば
自由あり
自由ありっていうか、
まぁ、おそらく世間でも普通の自由度。
自由でなくて、
いきなり束縛になってるという。
そこに束縛があれば、
それは自由ではない。
これは、特定の団体に限らず、
そういうところですでに束縛があるのであれば、
そこからして、すでに、聖者方の教えからは遠い。
3月16日
いや、しかし、これは、
このように書いた手前、
私が直接メースンさんに電話で問い合わせたほうがよいのかな、と。
間違いかどうかを。
関係がないこちらとしてはそれほどたいした話ではないけれども。
会員の方々等の関係者には、大事な問題でもあるのだろう。
とりあえず、私のHPを見て、春がフリーメーソンのこと言っていたので、フリーメーソンに入ろうと思ったというようなことで、フリーメーソンに入ったりしないでください。
(ちなみに、メーソンという組織のメンバーが日本語で空耳アワーをやっているのは何回かTV、他メディアを通じて見ています。なので、テロ側とまったく関係がないということはないだろうと思っています。)
束縛があるとしたら、そこには自由がない。
真理がどうこうとかいうのとも遠いだろう、と
春思う。
教えから見ても、自分達でも考えてみると理解できないことはないだろう。
束縛のあるところに、自由はあるだろうか。
そして、春が言っていることは間違っているのだろうか。
春が言っていることは聖者方の教えと合っているのだろうか。
春は聖者方の言葉を説いて、そのように言っているのだろうか、と。
暴言が出ているのも聞くが
果たして、仏陀の弟子であれば、佛教は束縛があるというようなことを、第三者に言われたら、その者に暴言を吐いたりするだろうか。
仏陀の教えを知っていれば、そのような束縛はない、と完全に否定することはできるけれども(そういうような束縛は教えとしてもそもそもありえないけれども、)仏陀の弟子は、そのような暴言に結びつく行いは教えでもない。
別に、たいして。
間違いがあれば、ひと言、それは「こうでこうである」という説明をこちらにすれば、「そうか」というので、これはこうでこうだ、という説明をこちらもできるし、修正もすぐにできる話なだけなんだけれども、
巷の悪しき行いをする者が集う団体の分別は、何らかを否定されるということで、「ころす」だのなんだのという悪しき行いが生ずる、と。
そして、現に暴言を吐いてしまっているが、
そんな、別に「それ、ちょっと違うよ~」と、こちらに、ひと言、言えばいい話。
そういうのを飛び越えて、
すでに「ころす」とか暴言を吐くに至ってしまっているという、そういう行いを見るだけでも、
真実、そこに、その者に、その者の集いに、その者の友に
真理の観察はない。
と理解できるだろう。
行いを見れば、すぐにわかる。
仏陀の教えとして、それらの悪しき行いは善行ではない。
テロ側の悪しき行い(悪業)は、真理として、覆るということはない。
テロ側の世間ていの噂話、翻弄工作によって、実は春が犯人だとかいう?話が、信じられるというようなことは、可能性としてはありえるだろう。
しかし、それが真実、真理として、それらの悪しき行い(無実の聖者の弟子に犯人・悪人という罪をなすりつけるという悪業)が、善業に変ずるというようなことはありえない。
あなた方は自ら為した悪しき行い(悪業)の果報を、自ら受けなければならない。
と、いうように、聖者方は言葉として説いています。
無実の人(聖者の弟子)を、意味もわからないのに、笑って叩き続けるという行い自体を、普通に見る限りでも、
それら悪しき行いは聖者方から見ても完璧に、ない側だよ。
それなのに、まだ、自らの側が天神の側であるという妄想を生じてしまうのだろうか。
悪しき存在に完璧に憑依されているから気づけないのだろうか。
目を覚ましてご覧になられるがよい。
悪しき行いを事としているあなたは聖者方の言葉から見ても、
善なる人ではないのです。
3月20日
テロ側からまた言われている、と。
こっち側がきつねだというのか。
まぁ、ないけど。
聖者の側の人に対するその行い。
いつものように悪業。
そして、だいたいいつものテロ企業。
テロ活動がだいたい同じ企業。
──
そういう感じもあるのだろうか。
テロ側の秘密結社等の企業グループは、まぁ、そういう感じの行いを現に行ってはいるね
だから、その行いは天上ではすでにないっていうのだが、
しかし、その秘密結社等の意向でとかかな、
だが、しかし、どちらにしても悪行の秘密結社等は天上でもすでにない。
いや、これは俺の見識のみで語っているのではない。
清浄な書物に説かれている事柄である。
清浄な書物でないって説かれている者の集いに、ないって言われる俺は一体。
お互いにないないと言っているという。
Aさん「お主はないでござる。」
Bさん「そんなことはないでござる。」
Bさん「お主こそないでござる。」
Aさん「そんなことはないでござる。
しかし、最近ちょっとだけないかな~と感じてきたでござる。」
とか、そういう感じか。
俺の感じを入れてなかった。
Aさん「お主はないでござる。」
Bさん「そんなことはないでござる。」
春さん「(道理として)たしかにテロ側はないでござる。」
Bさん「お主こそないでござる。」
Aさん「そんなことはないでござる。
しかし、最近ちょっとだけないかな~と感じてきたでござる。」
春さん「いや、普通に(道理を)考えてみても、ちょっとというかガッツリとないと思うでござる。
ちなみに、清浄な書物にはっきりと、ないって説かれているでござるよ。」
とか、そういう感じか。
でもね~。
テロ側が悪霊と同じようなこと(嫌がらせ、悪行)をいつもしているのも事実だからね。
どちらにしても、あるという可能性は極めて低いと、普通に考えてもそう思ってしまう(そのような結論に至ってしまう)よ。
まぁ、逆にあると思っているとすれば、どこらへんがあると思っているのだろうかと思う。
3月21日
さっき、(日本の)政府広報のCMを見た。
政府広報はあれどっちなんだ。
そういうどっちよ、と思わせるようなCMを放映しているということ事態がすでに、
日本の状況をあらわしているかのようなものか、と。
テロ側のCMもまたまたいつものメンバーな感じか。
世界等、大勢の人に見られているのは、テロ側だったりとか。
函館だけのCMかな。
でも、日▼銀行のでもそうだから、まぁ、そんなもんだろうな、と。
春思う。
そうでないと、ここまでテロ側が世間を騒がせていないだろう、と。
(もしも、日本の政府自体がテロ側だったら、そりゃ、これだけ世間が騒いでいるというのに、すぐにおさまらなかったというのも容易に理解はできる)
私はわけもわからずに叩かれはじめて、嫌がらせを受けて続けているのであるが、その悪しき行いを笑って行っているのが、そちらのテロ側の者のグループ組織。
あなた方は自らを紳士だと思っているのかもしれないけれども、笑って嫌がらせをしているそちらの仲間の者を見るこちらとしては、
普通の良識・精神から逸脱していると思うよ。
普通の人としての道徳を学ぶのは大切だと思うけれども。
どうなんだろうか。
3月22日
それでは、
インターネットの検索でメーソンの電話番号を探したけど、
パッと出ない様子。
今日は仕事が休みなので、メーソンさんのところに電話を掛けて聞いてみようと思ったのであった。
脱会できるのかどうかを。
他に聞きたいことは、べつにない。
電話番号がパッと出ないということは、
電話番号も秘密っぽい結社か。
タウンページには載せませんという感じか。
(一応、函館版のタウンページを見てみたが、やっぱり、秘密結社という項目自体がない。
そりゃ、そうだろう、と。)
パッと出ないのであれば、
これは、
関わり、関心がある人は、自分で聞くのが早い、と。(とりあえず、春の、私のHPの影響で入会します、というような入会はしないで下さい。)
(真理の道を歩く、という心を起こしている人は、三宝〔仏陀、法、僧〕に帰依して、自らで真理の道を歩き始めるのが善い。
それは、これからの後生の輪廻、解脱までの永劫の中のあなたにとって善い。
ここ。
この場。
それは、あなたという存在に最上の善い縁が生じるところ。)
仏陀の教えでは
怪しげな秘密めいた教えは別にないとされる。
ただ、聞く側の人が仏陀の教えが難しくて理解ができないというのはある、と。
密教系の人はそういう呪術っぽいのから理法へと結びつくと考えているのかもしれないけれども、たとえば、仏典では神通を得たダイバダッタは地獄に堕ちたとされています。
清浄心をもたずに、超自然力を手にした結果の慢心。
一方、仏陀は超自然力の話を主に説くということはなく、
その安らぎ(涅槃)に結びつく清浄心、善心を主に説かれた。
仏陀がなぜ、超自然力を多く説かなかったのか。
超自然力がすべてというのであれば、その超自然力の開発する技法を多く説かれたことであろう。
が、しかし、超自然力を多く説かれていはいない。
超自然力がなければ、善処に赴けないのか、といえばそういうことでもない。
善処に赴くのに、あるのは清浄な心、善の心である、と。
わかるだろうか。
そして、清浄な心、善の心は安らぎ(涅槃)に結びつく。
要するに、密教の呪術系統も結構、逆のコースに陥るのが多い。
片方は、生存、存在全般に対する欲念から生じる行い(行法、護魔)。
しかし、(道理から観ても)真実の、本当の仏陀の教えは、生存、存在全般に対する欲念を滅する清浄な行(禅定、仏陀の弟子は護摩行は捨てられている)を修される。
なぜ、仏陀の弟子は護摩行を捨てたのか。
それが、安らぎ(涅槃)に赴くための道だからである、と。
なぜ、仏陀は欲念を滅する清浄な行を説かれたのであるのか。
それこそが、安らぎ(涅槃)に赴くための道だからである、と。
たとえば、お金がほしい、お金がほしい、お金をくれ~と祈願している人が、その祈願によって、欲念が滅するというようなことはあるだろうか。
その祈願自体の内に、すでに欲念は生じている。
メーソンさんが別に(佛教の)密教であるという話ではなくて、
その秘密とするというのから、
密教というもの見てみたのであるが、
世界のいろいろな宗教でも同様の分別はあてはまる。
まだ、密教系の人で道理を自らで観ない人(観れていない人、理解できていない人)も、
まだ、
多くいるようなので。
さらに、理解しやすく。
説いてみた。
禅定を修していけば、自らで、普通に理解できると思うよ。
私の言っている言葉の意味も理解できると思います。