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さくら
さくら
さくら
( )



11月4日(2014年)

どさんこワイド179が前からテロなんだけど。



かなり前から。



うん、悪しき行いの偽善者が聖者に相手にされることはないだろう、と。



TVやラジオでもテロ側の悪行者の噓と偽善がすごく見える。



噓と偽善、悪行、悪念。



嫌がらせ。



今日もいつものようにやっている。



悪しき存在は、
だいたい


いつ見ても

噓と偽善に

憑かれてる



え~と、善き存在は、
だいたい


いつ見ても

噓と偽善を

厭離する



何でこうメディアの関係者は、そういう噓と偽善に憑かれやすいのか、だな。



まぁね、人が悪行をなすのは、これこれのとき、という仏陀の教えがあって、まぁ、わかるんだけどね。



そう、テロ集団は仏陀の教えですで説かれているとおりの心をもっている。

そういう説かれているとおりのものを、いつも見ている。



テロ側の存在の進む方向もだいたいもう説かれているとおりに行っている。



人間っていう存在が、いかに限られた心しかもたないかっていうのだな。



限られた心、心情の中で、人間は死ぬまでにどれだけの心情を知るのだろうか。

貪りの心を起こしている者がいて、その心に依りつつ死を迎える者がいる。

貪りの心は捨てるべきものである、と貪りの心から厭離する者がいて、その善い心に依りつつ死を迎える者もいる。

怒り・恨みの心を起こしている者がいて、その心に依りつつ死を迎える者がいる。

怒り・怨みの心は捨てるべきものである、と怒り・怨みの心から厭離する者がいて、その善い心に依りつつ死を迎える者もいる。

無知によって悪行をしている者がいて、その心に依りつつ死を迎える者もいる。

無知による迷いを捨て悪行は捨てるべきものである、と厭離する者がいて、その善い心に依りつつ死を迎える者もいる。



貪りの心は捨てるべきものである、という心を知らずに、死を迎える者もいる。

怒り・怨みの心は捨てるべきものである、という心を知らずに、死を迎える者もいる。

無知による迷いを捨て悪行は捨てるべきものである、という心を知らずに、死を迎える者もいる。



貪りの心は捨てるべきものである、という心を知って、死を迎える者もいる。

怒り・怨みの心は捨てるべきものである、という心を知って、死を迎える者もいる。
無知による迷いを捨て悪行は捨てるべきものである、という心を知って、死を迎える者もいる。



仏陀の教えに導かれて、貪りの心は捨てるべきものである、という心を知って、死を迎える者もいる。

仏陀の教えに導かれて、怒り・怨みの心は捨てるべきものである、という心を知って、死を迎える者もいる。

仏陀の教えに導かれて、無知による迷いを捨て悪行は捨てるべきものである、という心を知って、死を迎える者もいる。



このように善に導く存在が、あなたにとって善き導き手という。

その存在の導きによって、他の人が、ではなくて、あなたが善処(天上)へ赴くことができるからである。





11月4日

今日のめざましテレビの編集って妄想多いんでないの。



気持ちが悪いよ。



目をさましたほうがいいよ。





普通に考えたらわかるだろうに、テロ側は悪行を繰り返し行っている。

なぜか。



私のHPが多くの人に読まれていないっていうことかな。



普通、ここまで説明してたらわかるからね。



テロ側の悪行者が見ても、仏陀の教えを理解できてない。



仏陀との縁をもてる人が少ないな。



悪しき者に法を説いても理解はされない。



う~ん



多くの人が法を聞くのをも、悪しき者に阻まれる、と。



まったく、悪業深い者達だな。



お前達の悪業で、どれだけの人々の永遠の苦が、有限になることか。

あなた方、それだけの悪業をうけもつだけの器があるのか。



まぁ、器は関係ないかな。



何か文章の意味が。



お前達の悪業で、多くの人々の永遠の苦が、有限になることはないよ。



お前達の悪業で、どれだけの人々の永遠の苦が、有限になるのが妨げられることか。
あなた方、それだけの悪業をうけもつだけの器があるのか。



思いっきり間違っている。



まぁ、多くの人が読んでおらず、テロ側だけが多く読んでいるのであれば。



てきとうでもいい、という思いが生じてしまったが。



テロ側の存在に仏陀の理法を説いても、意味理解できないもの。



そういう存在に教えを説いても、理解されないという教えもある。



そりゃ、仏陀の弟子も出てこないよな。



理法を聞かないと、目が覚める人も目がさめるというのが難しい、と。



テロ側の存在が長いこと理法を見聞きしても、理解することはなかった。

答えが出てるべさ。







お前達の悪業で、どれだけの人々の永遠の苦が、有限になるのが妨げられることか。
あなた方、それだけの悪業をうけもつだけの器があるのか。



の文章はあってるよ。



理法を理解して、目を覚ます人にこそ、理法を説いているのだが。



これだけ長々と、細かく説明してるもの、普通わかるって。



その犯人の悪行者にいろいろ説明しても、意味なさないっていうのもわかる。

そして、HPを見ているのが、ほとんど犯人の悪行者が見ている。

で、現状のメディアの狂ってしまったような状況。

とすると、理解できないこともない。



野球のおかしな言動も、何が起こっているのか知りたい人が大勢いるので、あのようになっている、と。



多くの人が真実を知らずに、悪しき者に洗脳をされているという現状かな。



テロ側の存在の、その噓と偽善がね。

見てても、理法をもってないのがよくわかる。



う~ん、そのごく少数のテロ側の存在。



の行なっている、真理に反する行い。

聖者に反する行い。



そのおそろしぃ~悪業。



だから、あれでねぇの。



まぁ、悪魔にはめられているっていうのは、あってるだろう。

実際、テロ側の存在は悪霊と一緒になってやってるから。
その仲間も同じく。



で、真理に反するっていうあなた方の悪業は、仏陀の導きによって以外に、もうどうもこうもできないと思うよ。

まぁ、真実も、それこそ善の教えも知らないから、だいたいの人がピンとくるというのもないんだろうけれども。



自分の心で、ピンときたことはないのか。あなた方。



まぁ、そっちの多くの人はこないんだべな。



世の心の善い人って、悪行をしないで善行に努めている人いるべさ。

その中でも、仏陀の教えを知らないくても、善い行いをしようと努める人もいるべさ。

その人は、何故悪行をしないで善行に努めると思う。



まぁ、人生でいろいろ経験してそうすることにした、っていうのであっても、

そういうように、ピンとくる人ってのは、知らず知らずにでも、善行の方を選んでいくと思うよ。



ピンとこない人っていうのは、経験を積んでも、善い神々に想念を想起させてもらっても、ピンとはこない。

人生で経験を積んできても、善という行いに心が傾かない。



で、ひどくなると、悪しき存在、悪魔、悪霊に想念を想起させられて、悪行の方を選んでいくと。



あなたが行なっている行いはどちらに進んでいますか。



その真理の結果を知らされて、テロ側が依って逃げるところはどこか。

株が上がったとか、そういうのだろうか。

まぁ、社会的な現実に戻る。

世の真実は、人間の人生は短いということなのであるが。



あなた方が、身体を捨てるとき、その株はもっていけないんだよ。

あなたの地位も名誉も権力も。



って、何度も理法を説いているが、悪しき存在が理法を理解することができない。



という結果だけが、出てきている。



そういう結果を、べつにテロ側から出されてもさ。



ちなみに、今日はメディアでテロ側がはっきりと悪語を語っているのが多い。



そこでも、もうあきらかに、愚かな者は長いこと理法を見聞きしても理解しない、というのが理解できる。



テロ側の者で、自分は地獄に堕ちるというのをわかって悪しき行ないをやっているっていうのもいるみたいだけども、そういう存在の事を見聞きしても、テロ側の存在が良識を失ってしまっているのがわかるべさ。



あれだな~。



そういうテロ側のあきらかな悪行者に、ないって言われんだよね。



俺の悪業者に嫌われるっていう嫌われ度数はものすごく高いみたいなんだけど。



一方、善行者に微笑まれる、と。



この差。



洗脳されているテロ側の良識を失っている人と、
洗脳されうこともなく、普通に良識を持っている人で、善い行いに賛成または応援する人。
の差。



今朝もそうだけど、いろいろなテレビ局の放送で、妄想を起こさせようと必死になって悪業をしているテロ側の存在の愚かさ。



その悪しき行いは、非常に気持ちが悪い。



そういうように、俺はまったく迷惑をかけているわけではないのに、俺が迷惑をかけているようなメディアの洗脳も非常に気持ちが悪い。

俺がどうしたこうしたとか言っているような泡。

すごい気持ちが悪いって。

あなた方の行っているストーカー犯罪。



まだまだ、そういうあなた方の自身の悪業を、聞きたいのか。あなた方は。



そういうのを聞きたいという、精神的異常性欲をもつ者をマゾヒストという。
M。
被虐性愛。



あなた方はMなのか。

Mでないっていうのであれば、そういう異常性欲を厭離するのが善い。



理法に反するって言って、あなた方があ~だこ~だ言ったところで、理法がひっくり返るとはないから。

あなた方、いいかげんあきらめた方が善いよ。
あきらめるっていうか、善に行けばいいけど、
あなた方は理法を理解できないから、善にいくこともないし、
ほんとに困った存在だわ。



一対テロ側大勢って言っても、俺の一っても、その一っていう後ろに仏陀と多くの聖者方がものすごい多くいらっしゃるからね。

あなた方の後ろでは、悪魔があなた方の心をもう盗ってるようなもんだろうけれども。

あなた方の後ろは聖者方ではないっていうのは、あなた方自身がしている悪業を、自分自信でも見て見たらたわかるんでないか。



という感じの。

そういう存在からないって言われるんだけど。



え~、俺がこういうように真実思っている事柄と真実をかけば、テロ側に干だって思われるのか。

いやいや、お前達の悪業がどうだよ。



なんだかわけのわかんねぇ連中だよね。



真理と真実と現実とパニッくになってるんでないの。



洗脳しているのか、洗脳されているのかといのも意味わからなくなってるんでないのか。



メディアの編集者とか構成している者とか。あと、他いろいろ。



野干の仲間はお前達だって。だから、自分達の行いを見てわかるべや。



って、まぁ、言って理解する集いでもなく。

ないわ~。


と、いろいろ書いているけれども、

俺の言っていることに間違っているところはあるかな。



どう思う。





え、何あくび。



俺のあくびは、悪のあくと関係ないよ。



いろいろ何かいいたいようなのがテロ集団にいる。



理法として、悪魔に憑かれて悪業をしているテロ側に勝利しているのではあるが、
俺の前世からの悪業がね~。



何、あくびでひっかかるなら、それでは、てんび。



ガッツリ意味わかんねぇけどもだ。



悪に反するので、天び。



どう。



どうもこうもねぇか。



何、海外のテロ側も悪語を言っているってか。



え~。───とか書いたからか。



じゃあ、訂正しとくか。



ちなみに、王陽明さんも、迷ってたよ。



王陽明さんの教えでは、悟れません。



───は関係ないのかな。



じゃあ、どこなのよ。



グーグルのシュミットも日本語の汚れた泡で聞こえたよ。
ワールドビジネスサテライト。



三国志の劉備玄徳の志は、日本では徳の厚い善性の人として、書物に記されているのが多い。

なので、個人的に三国志という話の中の、劉備玄徳という人に好意を持っている。

実際もそのような人だったのだろうか。





11月6日

殺す気でやってるとかって何なの。



テロ集団が正体をあらわしてるんだけど。



そりゃ、最初からないべ。



って、最初からホントにないよ。



しかし、出家者の戒めから見たら、テロ側に俺がどうこういうのも、微妙に戒めに抵触してるようなのがあるからな。



テロ側に関して言うのも、言い争いっていうようなので善くはない、という部分もある。



困ったもんだ。



真実を述べる、と。



言わないと、真実は闇の中だし、微妙だな、と思う。





三国志は、孔明も昔好きだったな。



占星術とか、そういう関連と礼儀とかね。(泣いてバショクを切るっていうような事柄は好きではない。)



劉備の集まりって、善性の人が多いんでないのかな。



そういう人の元に、そのような人が集まる。



私の読んだ書物に描かれている劉備。



そういえば、三国志ってあれ、いつごろの時代だったかな。



どれ。



180~280年頃。



2千年位前の話。



日本でいうと、どれ。



弥生時代、卑弥呼の時代。



日本で、道教とか儒教とかそういうような教えっていう教えは、出てないのか。



神道はみんな好きな事言ってるからまとまってないし、



やっぱり大乗仏教の教えかな。



神道は昔はまとまっていたのかもしれないけれども。





最近ニュースで、中国漁船の大群がサンゴの密漁で日本の領海に入ってきているのをニュースで多くやっている。



サンゴがものすごい高価な品物らしい。



日本では、それほど高価な品物っていうイメージはあまりなかったんじゃないかな。



昔、海沿いの田舎の道の駅にサンゴが販売されていた。



その時は買わなかったが、



昔、鉱石に興味があった頃、仏典にもサンゴが載ってるのもあり(珍しい貴重な物という認識)、



あとから、貴重な物(珍品)だから買おうかな、



と、もう一回行ったらすでにサンゴは売り切れていた。



ピンクのきれいなサンゴだったから、もしかしたら、宝石サンゴだったのかもしれない。



それほど、貴重でも、悪いことまでして手に入れた物は、縁起はよくはないんでないか。

まぁ、縁起は善くはないだろう。



日本の海って、そういう貴重な物もたくさんあるんだな。



レアメタルとかもかなりたくさんあるみたいだし。



資源が豊富だね。



サンゴは無理に取るべきではない、んでないか。





最近、家に帰ってきたら、ブログを書いている。



いろいろな事柄を書いたら書いたで、テロ側が反応するからね。



俺に関係する事柄ではなくて、もっと他にやることはないのか、と。



俺も俺で、テロ側のことをあ~だこ~だ言ってないで、他にやることはあるだろっていうことでもある。



まぁ、真理と真実を伝えていくという行い。



真実に、テロ側の悪行者の行いは最初の頃から道理に反している。



そういうような事柄を記して、現在22時。



部屋の湿度44%。



部屋の湿度は上がった。



今日は昼頃からガッツリと胃のあたりが痛くて大変だった。



今日も(お尻の)病院へ行って、薬を処方してもらい。



今日も写真をみたけど、やっぱり腸が見えている。



筋肉のしまりが弱いんだと。



そりゃ、筋肉とられてしまったからね。



悪しき者達の謀らいによって。



ゲームだとかなんだとかで。



無実の人に、そのような愚かな行いをする存在を、仏陀や聖者方が見たならば、どのように言われるだろうか。



どのように説かれると思いますか。



すでに、紹介した仏陀の教えにも説かれている。



真理の教えのとおりで、悪しき行いをしているあなたの赴く先なのです。



一方、善行をしているあなたの赴く先は、楽の多い、心良いところである、と。



夢見がちな~、



テロ側の存在は、人間としての生存がいつまでもいつまでも続くと思って、悪行を繰り返し行っているのか。



何度も言っているのに、



現実に、人生は短い。



聖者が語る真理のとおりであれば、

あと、数日、数年、数十年後から、聖者と真理と聖者方の弟子に敵対してしまうという恐ろしい悪業を積んでしまったあなた方、悪しき行いをした存在は、
その真理の教えのとおりに、苦しみの世界へと出生して、それから苦しみの生存を永いこと受けてしまうことだろう。



あなた方はそんなことはない、と思って悪行をしているんだろうけれども、

そういうのだと遅いんだよね。



たとえば、俺がまぁ、テロ側が言っているとおりに「ガン」という病気で死ぬとするべ。



その後、そっちの者が「仏陀の弟子を殺した、我々の勝利だ」とか寒いことを言って喜ぶとするべさ。



で、その後、その愚かな者は、人間として何年生存できると思う。



現在の人間の寿命って、それほど別に長くもない。



俺が身体を捨てた後、その悪行者もまた、数年、数十年長く生きるか生きないか、



その寒い事柄を言って喜ぶという、一時の快楽、まぁ、それほどたいして快楽を感じるっていう快楽でもないだろうけれども、

その一時の快楽を味わうために、どれほど、自らに悪業を積むことか。

想像できないか。



悪業の報いの教えを知らないから想像できません、と、いう人もいるか。

まぁ、後ほどにでも。





11月11日

また、ロシアのプーチンさんが日本語の汚れた泡で聞こえたよ。



あの人も、かなり前からやってるからね。



日本で見る映像では。



編集マンが悪いのか。実際に言ってるのか。



で、俺は個人的にプーチンっていう人を知らないからね。



まぁ、そりゃそうだけどね。



映像は、あべっちと向かい合ってテーブルで話をするところの場面。



何でロシアの人がテロ側として出てくるんだべか、と。



共愛会病院でロシア語でしゃべっているっていうのを聞いたっていうのを書いたからか。



それよりも、前の映像で嫌がらせをしていなかったっけか。

プーチンさんの映像を見れば、すぐわかるんだけどね。



結論として、共愛会病院でのテロのは、何語で話をしていたは定かではない。



だから、あれはロシア語なのかどうかはわかりません。





11月13日

本日は、劫期について



仏典で劫期という期間が説かれているが、その劫期の期間。

昨日、地球が誕生して46億年だったかという動画を見たが、

劫期はそれよりもはるかに長い期間なのだろうか。



仏教という教えの概要を紹介する書物では、諸々の仏陀が鹿野苑で法輪を転じたというように紹介している書物もある。

そうだとすると、地球が誕生してから、46億年の内で七仏が地球で法輪を転じたということになる、と。



46億年の内で、人間が現れたのもその後、ずっと後から。



劫期というのは、とても永い。

仏陀の教えから言うならば、仏陀は地球という惑星だけに限定して真理を説かれていはいない。

「悪しき者が人身を得ることは難しいということについて」より


  涙

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なるアナータピンディカの園にましました。
 その時、世尊は、かように仰せられた。
「比丘たちよ、輪廻はその始めもなきものであって、生きとし生けるものが、無智におおわれ、貪欲に縛せられて、流転し、輪廻したるその始源は知ることをえない。
 比丘たちよ、これを汝らは、どのように考えるか。
四つの大海の水と、汝らが、怨憎する者と会い、愛する者と別離して、永い永い歳月にわたり、流転し、輪廻して、悲しみ歎いた時に流し注いだ涙と、いずれが多いであろうか」

「大徳よ、われらが世尊の教えをいただいて承知いたしておるがごとくんば、大徳よ、われらが、怨憎する者と会い、愛する者と別離して、永い永い歳月にわたり、流転し、輪廻して、悲しみ歎いた時に流した涙ははなはだ多くして、四つの大海の水といえどもその比ではございません。」

「善いかな、善いかな、比丘たちよ。汝らが、わたしの説いた法をそのように受領していることは善い。
比丘たちよ、汝らが、怨憎する者と会い、愛する者と別離して、永い永い歳月にわたり、流転し、輪廻して、悲しみ歎いた時に流し注いだ涙ははなはだ多くして、四つの大海の水といえどもその比ではないのである。
 比丘たちよ、汝らは、永い永い歳月にわたって、母の死に逢ったのである。
 比丘たちよ、汝らは、永い永い歳月にわたって、息子の死に逢ったのである。
 比丘たちよ、汝らは、また、永い永い歳月にわたって、娘の死に逢ったのである。
 比丘たちよ、汝らは、また、永い永い歳月にわたって、眷属の死に逢ってきたのである。
 比丘たちよ、汝らは、また、永い永い歳月にわたって、財宝を失う悲しみに逢ってきたのである。
 比丘たちよ、汝らは、また、永い永い歳月にわたって、病気の苦しみに逢ってきたのである。
 比丘たちよ、そのようにして、汝らが、怨憎する者と会い、愛する者と別離して、永い永い歳月にわたり、流転し、輪廻して、悲しみ歎いたときに流し注いだ涙ははなはだ多くして、四つの大海の水といえどもその比ではないのである。
 それは、何故であろうか。
比丘たちよ、この輪廻はその始めも知られざるものであって、生きとし生けるものが、無智におおわれ、貪欲に縛せられて、流転し、輪廻したるその始源は知ることをえないからである。

 だから、比丘たちよ、この世における諸々のいとなみは厭うがよく、厭い離れるがよく、したがって、そこより解脱するが善いというのである」

「永い永い歳月にわたり、流転し、輪廻して、悲しみ歎いたときに流し注いだ涙ははなはだ多くして、四つの大海の水といえどもその比ではないのである。」

 地球が誕生してから、または地球上で人間という存在として現れた誰かが、毎日涙を流したとすれば、その流し注いだ涙は果たして四つの大海ほどになるだろうか。

「比丘たちよ、輪廻はその始めもなきものであって、生きとし生けるものが、無智におおわれ、貪欲に縛せられて、流転し、輪廻したるその始源は知ることをえない。」

このように始源を知ることをえないはかりしれない幾多の輪廻で、一滴、一滴と涙を流してきたのであれば、その涙の量ははかりしれないほどになることでしょう。

このように仏陀は、幾多もの劫期をみて、真理を説かれる。



宇宙の話で、昔、スピリチュアルの人の間でサナトクメラが金星から来たとかいう話を、見聞したことがある。

仏典にも出てきている梵天のサナトクメラという存在の事柄がスピリチュアルの人の間でも同じように言われているということもあるのだろう。

神秘家の人の間では、サナトクメラは永遠に若い人とかいうようにも言われている、と。



梵天の神々も、仏陀の説かれた善の理法が弘まるのを喜ぶ。



梵天は、天の神々も見ることが難しいという、神々の神のような存在。



その神々の神のような存在に、理法を説いてくださいと懇請された存在が

仏陀。



「太陽から放出されるエネルギーの量やその質量、その水素とヘリウムの割合を調べていくと」太陽の寿命が、あと50億年くらいだと言われているということなので、それまでに、弥勒菩薩が地球に出生して、大勢を悟りに導く。

ということになる。



ニュースで中国の李っていう人の話で汚れた泡っぽいのを、現在見たが、はっきり言って中国の首相で李っていう人がついていたっていうのは、今始めて知ったから勘違いをしないようにしていただきたい。



報道ステーションを見てるところ。



中国にも首相というポジションがあったのか。あったっけ。っと思ったが、私はそのように、その李という人のことを全然知らない。



桃の李がひっかかったのだろうか。

(ちなみに、どこだったかのサイトより、世界で一番多い苗字は李で、日本で一番多い苗字は佐藤ということであった。李さんという名前の人はめずらしくはない、というか世界で一番多いということだった。)



勘違いをしないでいただきたい。



中国の国家主席と首相の違いを検索。

「国家主席が最高責任者で2番目が全人代議長、3番目が首相」



全人代議長も知らないと思うけれども、名前を聞けばわかるかもしれない。

日本での中国のニュースでは国家主席の映像を多くみる。

中国の首相のニュースの映像って、あんまりニュースで入らないんじゃないだろうか。

なぜならば、李っていう人を知らないから。

温家宝という人のニュースは多くやっていたんじゃないだろうか。

名前を知っているので。





11月14日

今日もテロ側が騒いでいる。



今日はいつにもまして、お尻が激痛だった。



昨日の、李首相って言う人は、本当に知らなかったよ。

間違いなく。



温家宝っていう人の名前を見て、そういえば、首相いたんだ、と思ったけど。

昨日。



今日は、計算をしてみるか、と。



46億年毎日100mℓの涙を流すとして、現在までにその涙の量は(地球上の)海くらいになるのか、と。



地球上の海水の量は約13.7億 km3

水の重さ
水 1000(リットル) =1000kg=1トン
水 1立方メートルの重量は、1トン



海水の量が13.7億km3なので、約1兆3700億ℓ。



涙の量が海水量よりも少ない。



おおまかに、人類が誕生してから長く見て700万年位だとしても、

涙の量が海水よりも全然少ない。



欧州宇宙機関(ESA)は
「約138億年前」と発表した、らしいので、



宇宙のできた頃から、毎日涙を流したとすれば。



どうでしょう。



現在のこの宇宙期よりも以前。



梵の昼。

梵の夜。



ちなみに四つの大海。四大海。



大きさはどこかに記されているものを参考にしてください。



では、休息。





11月15日

昨日ので、経典での山の大きさの違いがね。

その時は、これこれの距離で、かの時は、これこれの距離で、というところ。



地獄の寿命は

大地獄だとざっと計算しても兆年を超えてるから、惑星の寿命をはるかに超えている。



諸々の仏陀が悟りをひらかれた、樹の種類。

諸々の仏陀の生存時の寿命。等々



モッガラーナ尊者の前世。



地球か、と。



現在の人類が700万年で、それ以前に出現していた人類が、あってもおかしくはないと。



地球だとすると、劫期っていうのが、俺が思っていたのよりもずっと短くなる。



一つの世界にひとりの仏陀。

他の星での、仏陀、と。



期間。



悪魔ドゥーシンは、数千年間、一万年間地獄で苦を受けた。

短かった。



数千年間、一万年間は、期間的に理解はできる。



ん、一万年前にカクサンダ仏が生存。



で、なくて、モッガラーナ尊者としての生存におよぶまでは、いくつもの輪廻があるとして、その永い期間のうちに魔波旬(パーピマント)が化生として出生したとすると、その期間、魔波旬は寿命があったということになる。



カクサンダ仏陀の寿命は四万歳。



コーナーガマナ仏陀の寿命は三万歳。

カッサパ仏陀の寿命は二万歳。

ゴータマ仏陀の寿命は八十歳。



魔波旬の母がカーリー。



四天王の毘沙門天は、過去に生存された仏陀にあっているとされる。多聞天。



寿命の長さ。



今日のラジオの放送はすごいひどかったな。

妄想で良識を失わされてる。

昼頃の11時55分頃のNHK第一放送だったかの、トヨタスポンサーのラジオとか。

コロっと、態度が豹変して悪しき行いをする。

善をみることがない。

善を善しとしながら、裏では人を殺そうとする。

その人殺しの誘導をする者。

いわゆる、偽善という行い。

テロ側についている縁を持つ者に多い。

その悪しき行いを繰り返し行っている者も多くいる。



テロ側に悪しき行いの者が集っている。



テロの先導者。

暴言を放送して、多くの人を悪業へと誘うというのは、

悪しき先導者であって、善なる先導者ではない。



善なる人は、人々を悪しき行いへと先導してはならない。



普通の価値観だと思うんだが、

何故に、ここまで価値観が違うのか。



前世の行い等、云々。



あなたの価値観はどうですか。



ちなみに、地球誕生から何億年とか、過去の仏陀の寿命が何万歳とか、大地獄に生まれた存在の寿命は、兆年を超えるとかいう話をしているけれども、
現実に、現在の私たち人間の寿命は100年程である。

あなたは、あと何年くらい寿命がありますか。



ちなみに、モッガラーナ尊者が前世において悪魔(ドゥーシン)であったのに、何故に仏陀の弟子として阿羅訶となられたのか。

仏典にもあるように、前世において、とり憑いたバラモンの家主たちに、悪魔である自らがつけいる隙ができるようにという汚れた気持ちであったが、カクサンダ仏陀の戒めを保たせ、善き教えを保っている比丘たちを尊敬させ、尊重させ、敬意をもって供養をなさせた。そして、後に亡くなった人の多くが、身体が壊れて死んだ後に、善い境涯、天上の世界へ出生した、と。

このように善業の原因はある。


そのように汚れた心であったが、善業を成した後、悪魔ドゥーシンは、子供にとりつき、カクサンダ仏陀の二大弟子であるヴィドゥラ尊者の頭を大杖で打ち、血を流させた。

カクサンダ仏陀・阿羅訶・正覚者は、象が振り返って見るように、龍が振り返って見るように、恐れることもなく、驚くこともなく、ヴィドゥラ尊者が頭から血を流して、後ろに付き随うのを見てこのように言った。

「この悪魔は凶暴にして大いに威力を持つ、この悪魔は限度を知らない」と。

その悪行によって、その時、カクサンダ仏陀がこの言葉を言い終わらない内に、悪魔ドゥーシンは大地獄に生じた、と。



テロ側で悪業をした者は、すでに悪しき原因を持ってしまっている。

その悪しき原因によって、その悪業をした者は、悪処に出生する。地獄に堕ちる可能性が高い。

悪しき原因によって、天上の善い境涯へ出生するというような道理はない。



今日は、食道と胃のあたりが激痛。

そのあたりが痛いときには口臭でなくて、呼吸ににおいがする。

身体の病が重い。

お尻は今日はそんなにいたくはない。

テロ側の存在に毎日なんか嫌がらせを受けて、

現在も苦を受けている。

と、いうような状況において、仏陀の教えを説くという行い。


この行いによって、仏陀の教えを覚ることができますように。

現在の生存では、出家していないから、阿羅訶を成就することはできません。



衆生を仏陀の元に導く。



衆生を善行へと導く。



衆生を善い境涯の出生へと導く。



いや~、この激痛であとどのくらいもつべかな、と思う。

我思ふ。

まぁ、とりあえず、三毒を消滅するような、そのような行いをして、そのような心でこの身体を捨てるように余生を送ろう、と。

我思う。





11月16日

今日は、



また何で、つしまはないとかいうのを言っている。



だから、そっちから見てこっちがないっていうのは、もうわかったって。



仏陀の弟子の人からすればある。



何回もメディアであるとかないとかって。何やってるの。



テロ側のやっている行いが本当におかしい。



迷い道。



そっちのテロ側の人達は、もう悪業を積んでしまってるから、どっちに行っていいのかわけがわからなくなっているというのもあるのだろう。



人生とは何か。



お金を稼ぐためだけが人生なのか。

快楽を味わおうとするだけが人生なのか。

苦というものを見ず真理から逃避して
一時の快楽だけを見て、苦というものを忘れようとするのが人生なのか。



テロ側の存在の、そっちの仲間同士で誰に導かれているのか、誰に着いて行っているのか知らないけれども、結局やっている行いを見ても、悪業であって善業ではない。

あなた方が、悪魔に導かれているって、以前から言っているのは、過言でも何でもない。



実際に、あなた方は悪霊と一緒に悪業をしている、と真実を言っているというのに。



こっち側に来ている善人を見てもわかるだろうに。
善を持つ人と、善を持っていない人。



その違い。



まぁ、テロ側についている存在でもいるのだろうけれども、
潜在的に、理法を持っているか、理法を理解しているか、理法の導きによって善に進んでいる人か、という判断での、その人の心を見て、
その判断によって潜在意識でも、表面意識でも、その理法を持つか持てないかで、ある程度人を判断しているという人もいる、と。



それは、仏陀の教えを知っている上で可能な判断であって、
仏陀の教えを知らない人ができる判断ではない。

その理法は、人の歩く道の最上の人・賢い人・善なる人が選びもつもので、ゴータマ仏陀と諸々の仏陀が説かれた理法であるので、
その判断によって、人を分別して見ると本当の善人なのかどうかは、たしかに大きくは判断できるだろう。

正確な判断は、その人と一緒に行動を共にするなりをしてある程度の期間をみなければ難しい、と。



天上からわざわざ学びに来ている人とか、修行しに来ている存在とか、これから善処に赴く人とか、善なる霊に導かれている最中の人とか、まぁ、世に言う守護霊等という存在が善なる存在であれば、その守護をしている人にも理法をもたせるべく思念を送って奮闘している、みたいな存在もいるとは思うけれども、
そういう人は、悪魔とか悪霊に狙われるっていうのありえる。

まぁ、仏陀の説かれる善なる理法が本物であるからして、本当に悪魔に邪魔をされてしまう、というケースが生じてしまう人もいるだろう、と。



そういう人がどこにいるのか。



ここにいる。



まぁ、テロ側の存在は、見るところ、とりあえず、悪しき能力者・悪魔にとり憑かれて悪業をしている能力者に気をつけなさいよ。



以前から言っているけれども、悪しき存在に導かれて、だんだん、だんだんと聖者方の手の届かないところへ導かれて行ってしまっているが、本人達は気づくこともない様子だから。



静かな所ででも、目を閉じて、耳をふさいで見てみると。

そのあなたの、我、あなただけの世界に何がある。



悪しき能力者・悪魔にとり憑かれて悪業をしている能力者は、悪しき行いを厭離せよ。

八聖道を実践しなさい。

それは、あなたという存在が救われる道です。





11月18日

今日も、ガッツリと激痛だった。

そして、テロ側は死ねだとかなんとか。



う~ん、結局テロ側が悪業を達成しそうな勢いだな。



まぁ、どっちにしても、テロ側のその最初のころから絡んでる者も、先はもうたいしてないよ。



見てればわかるべさ。

そっち側の仲間になってる者達の行いと言動。
そしてその心。



先はたいしてない。っていうのは、善処はないっていうこと。



なぜならば、何回も言っているけど、だから俺は無実だっつうのに。そして、自分達の行いを見てもわかるだろう。



洗脳されてるから、言ってもわからない人達だよな~。



ちょこっとある人はあるかもしれないけれども。



なんで、そうやって、誰が見ても頭おかしいだろっていうことをしている集まりについていってしまうかな~。



においもどうこうって、何回も説明してるんだけどね~。
お尻の筋肉もとられてるし、内臓も悪くなっちゃってるし。
両方だな。



筋肉は家に写真があるけれども、明らかに、閉じていた筋肉が1cmくらいかな、開いていて腸が見えているんだもの。

共愛会病院の竹内っていう医者に取られたので間違いない。



よく、それで手術は成功したとか言ったよな、と。



写真でみても、どう見ても失敗だよ。



別に公開してもいいんだが、そういうのでくさいとかどうこうとか言われて、こっちが精神的におかしいから筋肉のしまりがないんだとかどうだとか間違ったことを言われるのも、心外なので、しょうがないから公開するか、と。



まぁ、内臓の写真のようなものだよ。



呼吸も胃とか食道、今日は背中も激痛だったから、背中の痛みは肝臓なのかな。
が、痛いときに臭いがする。



そして、テロ側がそう仕向けたのにもかからず、あえて、そこを精神的に攻めてくるというテロ側の者達のその愚かな行い。

俺はそういうテロ側の愚かな行いを、ずっと受け続けているんだけど。



ゲームだとかなんとかって。



そういうテロ側の集っている愚かな行いをして笑っている者達を見て、あなたはそのテロ側の人物を、人間として見て、性格は良いと思うだろうか。



まぁ、良識は確実に欠けしまっている。



悪業者は、企業等の大きな看板に隠れているけれども、
仏陀の教えは、直接あなた自身が受ける教えを説かれている。

そういう看板に隠れたりするのも、意味がないんだけど、そういうのも理解が難しいのか。理解したくはないのか。



理解が難しくても、理解したくなくても、あなたとあなた方の行なった悪業は、あなた自身に返る。

私があなた方から受けた苦しみもまた、同様に。



と、いうのが真理の教えである。



あなた方が、善の教えを説き弘める人を殺そうと躍起になっているのもある様子だが、人間はたいして長く生きれるもんでないから。
別にあせらなくても、多くの人は100年以内位で死を迎えるって。



俺がこの世を去っても、テロ側の悪行者達も、数日、数年、数十年でこの世を去るわけだから。



まぁ、この世を去ってから善業者が出生するところが一向に楽をうけるとされる善い処であって、悪業者が出生するところは一向に苦を受けるとされる悪処だという違いだと。



善業は急いで行なうべきである。人間はいつ死ぬかわからないのだから。



海外で悪語を言っている人の悪業も、世間で隠せたとしても、神霊、明知ある方々に隠せるわけでないんだから、隠そうとしても、隠れようとしても意味ないんだよ。



どこに、悪霊と一緒に悪業をしている愚かな存在が、天上の心善い神霊の集いに入るってか。



普通に考えてもない、って。



悪処、善処、神霊の話もまた、それほど遠い先の話でもない。



善処に行くとされる人の多くは、小さい頃からでも、善い行いをしようと功徳を積む行いをしている人は多いだろう。

それは、善の心、善い信仰を持つ人たちである。



現在のテロ側に集っている者は、悪語・暴言、誹謗、中傷がひどいけれども、その悪しき行いをしている者は、どのような心、どのような信仰を持っているのだろうか。

どのような心だと思う。



テロ側(悪霊側・悪魔側)のあなた方は、俺をとおして、仏陀と真理と聖者方とに反発して、善を伝える人を殺そうとしている。



テロ側の悪しき行いをしているあなた方。悪語、暴言、誹謗、中傷、犯罪・善人にたいする殺人容疑と、その悪しき行いに参加して、仏陀と真理と聖者方とに反発して、善を伝える人を殺そうとしているその参加者のあなた。



その悪業の報いは悪い。



そういう悪業に参加しない人は、(悪魔に誘惑されているテロ側の)あなた方に後からでも生じるような死後に対する恐怖程に、恐怖をそれほど強く感じる人は少ないだろう。



あなた方、仏陀と真理と聖者方に反する悪業者は、現実に、真実に、真理として、悪業の悪い報いを受ける、と。

それは、仏陀が説かれた真理であって、多くの聖者方も語る、後の悪しき行いに参加しているあなたが受ける報い。



普通、そっち行かないと思うんだけどな~。



何で行くんだべな~。



こちらは死後に快楽をものすごく受ける境涯に行くこともあるかもしれない。善業を受ける原因はある。

そちらは、生存時にすでに、仏陀と真理と聖者方によって、死後、断崖絶壁のような状況を予見されてしまっている。
すでに原因となる悪業も積んでいる。



普通の心善い人は、死後のことを思ってという人もあり、生存しているときから善い行いと心をもってるからな~。



愚かなる者は、そういう確実に来る死というものを考えるっていうこともせずに、闇雲に無知によって調子にのって悪業を積み重ねてしまっている。



テロ側の悪しき者達は、世間からすでにさめた目で見られていても、気づいていない。



俺は、テロ側の悪行によってテロ側と真実を知らない人から蔑まされしまっているが、テロ側の存在は、善者と真実を知った善人から蔑まされている。



私の善業は聖者方にも天上の神々にも蔑まされない。
私の善業は聖者方にも天上の神々にも喜ばれる。

テロ側の悪業は聖者方にも天上の神々にも蔑まされる。
テロ側の悪業は聖者方にも天上の神々にも厭われる。



TV等を見てても、テロ側の者が蔑まされてる視線を受けているのを見る。

編集では隠し切れない人の思いか。

テロ側の存在に華々しい栄光はすでにあんまりない。



普通ね、テロ側のやってることを見てれば、ホントに「頭おかしい」と思うと、思うよ。

なぜならば、行いと言動に人としての良識が欠如してしまっているから。



自心に良識を持っている人が、その「頭おかしい」っていう行ないをやっている愚かな者を見て、そのような視線で見てしまう、と。



たとえば、街中で凶器を振り回して無差別殺人をしている愚かな者がいる。

その愚かな者を見るとき、あなたはどのような視線で見ていますか。



良識ある人は、無差別殺人という愚かな行いをすることがない。

その愚かな行いは、良識ある人のする行いではない。



テロ側の存在は、その悪業を善者と真実を知った善人から蔑まされている。





11月20日

お尻の写真は、期間と時間限定で公開するかな、と。思っているところ。

テロ側の悪行をはっきさせるために、しょうがない、と。

お恥ずかしい。


が、内臓の写真のようなものなので、それほど恥ずかしくもなかったりもする。



裸体を見せるのは、恥ずかしいが、内臓等を見せるのは、恥ずかしくないという神秘。



男性は女性の裸体を見て、性的に興奮をする生き物だが、
その奥の身体の内臓の写真を見せられても興奮しないという神秘。



まぁ、別に神秘とかっていうのでもないけれども、人間は身体の表面を見て、好意を示すということだな。

およそ人間は身体の内臓を見て好意を示すわけではない。

「私は、あの人の内臓の形に惚れました」とか、「私は、あの人の内臓の色に惚れました」とか、聞いたことはないからな~。



うん、まぁ、どうでもいい話なんだけども。



テロ側のあまりにも愚かな放送を見ても聞いても、日本の国民は多くはほとんどもう騒いでいない。

なぜか。

多くがすでにテロ側の愚行にあきれているから。

というようにあきれている人は多いだろう。

どう見ても、テロ側の行いは悪しき行い・愚行だよ。



テロ側はそれでも、騒がせようと愚かな行いを続けているが、

人々の空気を読むこともできずに、そういう非常識で良識のない行いを繰り返すところもまた、

多くの人からさめた目で見られる原因だろう。



なぜ、気づけないのか。



「テロ側は誰が見ても頭おかしいって」、と今日も聞いたけど。



テロ側の愚行・暴言を長いこと見聞きしている常識がある人であれば、そう思うはずのものだと思うよ。



テロ側の存在は、もう仲間同士でも深く信頼しあうということも難しいのではないか。

テロ側のあなた方は罪のない人を、笑って殺そうとしているのだから、そのような存在と縁をもつあなたも、無実の罪でそうなる可能性を否定できない。

だからして、そのような危うい存在を深く信頼することも難しい。

潜在意識で、そのテロ側の存在の者を、この者は冷酷な行いをするというのをあなたは知っている。

そして、自らもまた、同じように冷酷な行いをする存在だというのを自らで知っているのであれば、

あなたは、真の善行者に対してでも信頼をおけないんでないかな。

この人も、私と同様の心だろうという狭い視野で他人を見てしまうのであれば。


仏陀と仏陀の弟子の方々のように、真の善行者は存在するのですよ。





11月22日

本日は、休日。

今日は、国立病院に行ってきて、血液検査とレントゲントとCTをとって、

異常はないということで、食道のあたりが激痛だから痛み止め2日分をもらってきた。


しかし、いつものように騒いでいるテロ側の放送聴いてれば、ホントに快楽殺人の犯人だな。

たしかにそうだな、と。

だべさ。

その、快楽殺人の共犯者は、テロ側のあなた。

良識ある人は快楽殺人などということをするわけがない。

そういう一般常識にすらも、気づけなくなってきているのがテロ側の悪業者。

悪業を重ね続けて行っている結果、一般世間・一般社会の常識すらも失ってきているのだよ、あなた方は。

進んでいる方向が間違っているという真実に気づいた方が、あなた自身・あなたという存在のためになるよ。


道理を見て、自らの心がどれほどに善処の存在・善処に赴く存在と違うかわかりますか。


結局テロ側の存在はもうすでにそういうところまで堕ちて行っている、と。

俺の言っている(予見の)とおりになってるべさ。

俺が言っているというか、仏陀の教えによって考えれば、だいたいわかる、と。

理法・真理・道理によって、答えは出ている。

聖者方はすでにあなた方の堕ちて行っているそこも見えているだろうが、

聖者方ほどの神通力がなくても、仏陀の教えを知っている人であれば、およその見当はつく、と。





テロ側の良心がある人やテロ関連と関係のない人は、「殺すな」という発言をする。

テロ側の者は、以前として、テロ側のテロ側としての言葉として発言をしている。



テロ側としての存在ではなく、仏陀の弟子、善き友であれば、どのように言うだろうか。



たとえば、あなたの親友が悪しき存在から苦を受けているとする。

あなたは自分の親友のために、「殺すな」と言いますか。

あなたは自らの親友のために、「助けろ」、または自ら「助ける」と言いませんか。



テロ側と、仏陀の弟子・聖者方の側としての違い。



ちなみに、仏陀の弟子ではない心の善い人は、どうだろうか。



仏教の他の聖なる教えでも言われる、善なる人・善なる友とはどのような人であろうか。

 聖書より

『「ある人がイエルサレムからイエリコへ下っていく途中、強盗に襲われ、強盗はいつものように彼から(衣類を)剥ぎ盗り、殴打し、半死半生の状態のままにして逃げ去った。

 偶然一人の祭司がその道を下って来た、そして彼を見て、向こう側を通り過ぎていった。

 同じように一人のレウィー人もその場所へ来たが、彼もまた(その人を)見て向こう側を通り過ぎていった。

 そして、旅をしている一人のサマレイア人がその人のところに来た。彼は(彼を)見て可哀そうに思って近寄り、彼の傷にオリブ油とぶどう酒とを注いで包帯をした。
そして彼を自分の家畜にのせて彼を宿屋に連れて行って彼の世話をした。そして翌日二デーナリオンを(財布から)取り出して、宿屋の主人に渡して言った、
「この人を見てやってくれ。費用がよけいにかかったら、私が帰って来るときに支払います」

この三人のうち、誰が強盗に襲われた人の隣り人であったと、あなたは思うか」

彼(律法学者)は、「その人にそのような慈悲を施した人です」と言った。

イエズスは彼に、「あなたも行って同じようにしなさい」と言われた。』



あなたがする行いは、この話のどの人物にあてはまりますか。

強盗をした悪しき者でしたか。

強盗に襲われ苦を受けたとある人でしたか。

通り過ぎていった祭司でしたか。

同じく通り過ぎていったレビ人でしたか。

慈悲の心をもつサマリア人でしたか。



あなたは罪のない人を「殺せ」、または「殺す」と言う者でしたか。

あなたは罪のない人のために、「殺すな」と言う者でしたか。

あなたは罪のない人に手をさしのべて、「助けろ」、または自ら「助ける」と言う者でしたか。



仏教の他の聖なる教えであっても、

人としての教えである慈悲・道徳は同じように説かれる。



慈悲のある行い・道徳のある行いは、良識ある人が成就する行いである、と。





悪しき行いをしている者の進む道の上で、善い教えを伝えても、実が結ぶ前に、その善の心を悪魔が来て奪い取ってしまうが、

すでに実が結ばれて、八聖道という安らぎへの道を歩いている人は、自らの心に善い教えをきちんと持って歩いている。




悪しき行いをしている者に、善い教えを伝えようとしても、悪魔がその善の心を奪い取ってしまうわけだから、
善い教えを伝えるこちらとしても、どうもこうもし難い。

聖者方の教えを学んだり、善行をしてきた人に教えを説くと、聞く準備もできているので理解されやすい。



テロ側のあなた方。
悪魔に奪い取られるということは、どういうことかというと、
善の神々の言葉も、あなた方の心に結ばれる前に、(心も)悪魔によって奪い取られる。
あっさりと悪しき者に誘惑されて、悪行をしてしまっている者がいるとする。
そのような者であって、そのような者は、おおよそ悪魔に勝つ力を持たない。
そのような者が自らでその悪魔の誘惑から逃れることも難しい。



すでに実が結ばれている人は、
善の神々の言葉も、あなた方の心に結ばれて、(心も)悪魔によって奪い取られない。
悪しき者に誘惑されても、誘惑に心を奪われずに善行を成す。
そのような者は、おおよそ悪魔に勝つ力を持っている。
そのような者が自らでその悪魔の誘惑に陥ることはあまりない、と。



真に悪魔が対象として狙っているのは、どちらの行いの者だと思うか。

悪心を持っている者・悪しき行いをしている者だろうか。

善心を持っている者・善い行いをしている者だろうか。


また、悪魔の誘惑によって地に没する(地獄に堕ちる)のは、どちらの者だろうか。





11月24日

聖書はギリシャ語の聖書だけれども、何か問題でもあるのか。
テロ側がいつものように騒がしい。


イエズス
「もし君達がアブラアムの子供であるなら、アブラアムの行いをするであろう。

 ところが今君達はわたしを殺そうとしている。君達に父から聞いた真理を語った人間を。

 アブラアムはこんなことはしなかった。

 君達は君達の父の行いをしているのだ」


イウダイア人
「われわれは淫行によって生れたのではない。ただひとりの父をわれわれは持っている。すなわち神を」


イエズスは彼らに言った
「もし神が君達の父であるなら、君達はわたしを愛するであろう。というのは、わたしは神から出て来た、そしてここに来ている。

 というのは、わたしは自分の考えで来たのではなく、あの方がわたしを派遣されたのである。

 どうして君達はわたしの話がわからないのだろうか。

 それは君達がわたしの言葉を聞くことができないからだ。

 君達は父すなわち悪魔から出たものである。そして君達の父の欲望を行いたいと思っている。

 彼は最初から人殺しであった。

 また、真理に立っていない。

 なぜなら彼のうちに真理はないから。

 彼が嘘を言う時はいつでも、自分の持っているものから出ることを話している。

 なぜなら彼は嘘つきであり、その父であるから。

 しかし、わたしが真理を語るので、君達はわたしの言うことを信じない。

 君達のうちの誰がわたしに罪があることを論証できるか。

 わたしは真理を語っている。

 なぜ君達はわたしの言うことを信じないのか。

 神から出た者は神の言葉に聞き従う。

 君達は神から出た者ではないから、聞き従わないのである」



あなたの父が善なる神であるか、悪魔であるか、
イエズスのこの言葉と自らの行いを比較して考えるのであれば、あなたの父はどのような存在ですか。

あなたは人殺しですか。

あなたは慈悲をもって、苦しんでいる人に手をさしのべる人ですか。

あなたは真理に立っていますか。



ちなみに、つしまひろしの父は仏陀です。

わたしは真理に立っています。



真理に立っているのは、普通だが、

そういえば、ずっと気になっていたので、

話がかわるんだけれども、

食事で、私は魚を食べるんだけども、

仏教の精進料理では、魚は入りません。

ちなみに、イエズスも焼いた魚を食べている。

ずっと、魚も生物なので勘違いされても困るからな~(教えとして)、と気になっていたんだが、
要するに、在家の人でも自らの食も、清浄な心で食そう、そして、清浄な身心を養っていこうという心意気の人は、
当然ながら、魚類等の動物の肉も食べずに、精進料理を食べるのが最も善いと思います。

私は魚を食べるって記してから何年たったべか。かなり遅くなったけど。

そして、ちなみに、前述していますが、肉を食べてはいけません、ということではない。

あと、仏教の出家者は、乞食で生肉と生の穀類も受け取りません、と。

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11月24日

今日もまた、HTBの放送で編集がひどいことになってるんだけど、何。

何があったの。

CMはすでに名前を言った企業がテロをやってる。

テロ企業が洗脳活動をしているんだけど。

悪しき活動をしている企業。

民衆を悪行へと誘っている。



悪行へと誘うという行いが善人のする行いでないっていうのがわからないのか。

う~ん

テロ側がもうあきらめているようなそんな様子か。

たしかに、道から遠すぎる。

自らのそういう悪行をした結果、真理を知れば知るほどに堕ちこんでいくのは、

テロ側が夢を抱いて悪行を続けているからでないのか。

あなた方の夢。

俺をなんかわけのわからない騒ぎの犯人にしたてあげようとしているのとか。

仏陀の教えを伝え聞いた人である仏陀の弟子を殺そうとしているのとか。

実は自分達こそが選ばれしものであって、だからつしまはない、とか。

いう夢であって、幻想。幻。



真理でもって、すでにテロ側の悪行は天上の神々大勢にも見られているだろうし、

そういう世間でのはったりなんか意味ないっていうのに。

あなた方はまだ、わからないのか。

俺はもうかなり前からわかっているのだよ。

なぜならば、俺自身が本当に関係がないからね。

メディアで叩かれはじめた意味もわからないって何回も言っているのに。

何で俺の言うことを信じないんだべかな。

不思議だ。

なのに、あからさまに悪行をしている悪しき者は信じているようすだが。

そういうのが、ミラクルだと言うのに。




なんか、俺自身の病気のことでいろいろ嫌がらせやら、後々が不安なんだかなんやらで、

いろいろ言っているが、

俺の病気が悪化したとしても、

真理に反して悪しき行いをした者の悪業が、俺が苦を受けることによって、その悪行が間違いであって、善行であった、ということにはならないからね。

言っていることがわかるだろうか。

要するに、あなた方は洗脳されたことによって、又は故意に、そのようにして俺を悪者とみなして・みなそうとさせて、自分達は悪者を退治しているというようなノリでなんだかんだ真

理にも反する悪業を積み重ねているのが見られるが、

しかし、あなた方が洗脳されたとしても、又は、故意に大勢の人々をだましたとしても、

真理として、俺がそういう騒ぎの犯人だ、ということになることはありえない。

なぜならば、私は真実そういうテロ関連の快楽殺人等の悪行をしている犯人ではないから。

その私が、苦を受けて死んだとしても、あなた方の行いが善行になるということはない。

テロ側がすでになした悪業が、仏陀の弟子を悪者にしたてあげることによって善業になるということはありえない。

だから、要するに、こっちが窮地に立たされると、テロ側が自分達が優勢でもって、相手をやっつけた、と。これは自分達こそが正義であって善処へと行く存在だと、思いたいというような夢や希望が一時出てくるのかもしれないが、
そういうような一時の夢や希望は、道理から言っても単なる妄想にすぎない、と。




11月29日

昨日、国立病院に行ってきた。

待合室に車椅子に乗ったスキンヘッドの人物がSONって文字でドクロの×マークが描かれているジャンバーを着ていた。(担当医は同じだった)

偶然か、はたまたいつものことか。

またかよっ、て思ったけれども。



来週はまた、胃カメラ。

この前の病院でやった時は、胃カメラの写真もらったけれども患部でないところの写真だけくれたから、
話にならない、と思っていたが、今回はデータや写真はくれるって言っていたので、どうだろう。

CTのデータをくれなかったから、今回はくれるかどうかを先に聞いたのだ。

CTはダメだが、胃カメラのはくれるらしい。

そして、薬にガスターの20mgを一週間分もらってきて、飲んでみたところ、今日はまた飲まないときよりひどい状況になったので、

どうしようか、飲むか、飲まないか。悩んでいるところ。

夕食はすでにすぎたが、薬を持っていってなかったので、現在。

ガスターは睡眠の前に飲んでもいいはずだと思ったが。

現在はちょっと症状がおちついているが、これを飲むとまた、半日くらい苦しむかもしれない。

さて、あなたなら、飲む、飲まない。

飲まずに、薬が合わないので、薬を変えてもらうという選択肢が、

まぁ、明日の朝食後にでも飲もうかな、と。

飲んで痛みがひどくなるっていうのは、合わないから飲まないほうがいいんだろうな、おそらく。


快楽殺人の容疑者集団の嫌がらせによって、

そのまま真実の内容を書いたことによって、俺は医療関係者からイメージがあまり良くないところもあるらしい。

テロ側の悪行の真実を書いてもイメージが悪くなってしまっているという。

この田舎にたいした病院がたくさんあるわけでなし。

良い病院は感謝の気持ちをこめて褒めたいんだけどね。

テロの集いの嫌がらせがひどいからね。

テロ側の者のそういう快楽殺人を行って、笑っているという精神は普通ではない。


お尻の写真を公開は。

夜中に30分くらいだけ公開するかな、と思っている。

お尻ってお尻の筋肉のとられたところの。



では、

手術前と手術後の写真


筋肉ないでしょ。

名前は看護士の書いた文字。(自分で書いた文字ではない。)

名前を出さないように編集して写真だけを公開しようとしていたが、

編集していない写真を送信してしまったので、しょうがない。

・・・。

編集したのに。


とりあえず、30分位だけ。


見比べて、ほとんど誰でもわかるレベルだろう。


30分位公開終了。



(突然公開したので見れずにあいまいな意見がでてしまっているのもあるらしいから、しょうがないので今度はさきに深夜の何時にという時間を指定してちょっこっとだけ公開しようかな、と思う。)






11月30日

いやいや、テロ側の悪業者はもう道理にないって。

洗脳活動っていう悪業も人の道にない。





12月4日

胃カメラをやってきた。

また、快楽殺人の輩が手を回している。

ホントに頭がおかしくなっている集団だわ。

ラジオでもまたまた嫌がらせをやってるし。

嫌がらせをして喜んでいるのは、快楽殺人をそのとおりに喜んでやってるお前達だけだべ。

他の人は、頭おかしいことをしているあなた方に迷惑をしている。

って、いう普通の感情を知るべきだべ。

ホントになみんなが仏陀の弟子を敵にしているとでも思っているかのようなメディアの放送と、俺の身近での嫌がらせ。

あなた方がやってることは、ホントに常識から外れすぎてるよ。


って、言っても気づけない集まりだからな~。

困った者達だな。



検査結果は、再来週に行って来る。

痛みがあるっていうのに、処方箋はないとか言ってたので、

ガスター20mgをこっちから言ってだしてもらった。

激痛なのに薬を処方しようとしないというやりとりでだいたいわかるけども。

ガスターは、あのあと、飲み続けたらちょっと痛みがへったかな、と。

そういう感じだった。



ん、いやいや、テロ側のあなた方はもう快楽の殺人犯の共犯だよ。

いやらがせもテロ側のあなた方のせいだからね。

自分達の悪しき行いを理解できてる。



そういう愚かな行いをしているのは、あなた方だけ。



愚かな行いをし続けている者が、仏陀に導かれているっていうことはないだろう。

善い存在に導かれているということもないだろう。

愚かな行いをして、悪処へと向かっているところなのだから。


だから、あなた方の導きがいるとしても善い導き手ではないよ。

これだけ、理解しやすく言っているというのに。

どんだけ悪魔に憑かれて理解できないのか。



愚かな行いをしているのは、あなた方だけ。

他の多くの人はそういう愚かな行いに興味もない、そして、そういう愚かな行いの者を嫌っている人も多くいる。

普通そういうのにも、気づくと思うが。


真理に反しているあなた方についていうと、聖者の道から遠ざかっているのもあなた方だけで、

善い存在の導きから遠く離れてしまっているのも、あなた方だけ。

なのを、他の人も快楽殺人を楽しんでいると思っているのは、気違いにもほどかあるよ。

あなた方の行いは通常の精神をもつ人の行いから外れていて、良識を失っている。


その愚かな行いをもって、他の大勢もそう思っているという愚かな錯覚もまた、
通常の良識を失っている。

そのように、愚かな行いをしているのは、あなた方だけだ、と。



善い存在が守護していれば、まぁ、そうでなくても、現実に善い友を持っていれば、

そういう人の道から外れているときに、はっきりと言って気づかせてくれたり、さりげなく気づかせてくれたりっていうことも

多々ありえるだろうけれども、

悪い友を持っている人は、その友にそそのかされて、その友に悪しき道に誘導されて、さらに悪行へと誘われる。

だから、

悪しき友と親しんではならない、と。



あなたの行いは、どちらか、善き友が善行をすすめるというような行いか。

悪い友が悪行を笑ってしているような行いか。



俺が伝えてる仏陀の教えは、悪処へと向かっているあなた方の、永い輪廻で見ても個人のあなたという存在のためになる教えなんだけどね。




昼ごはんを食べひと休み。

今日は、胃カメラをするので休みをもらったのだった。


しかし、俺って、完璧に善の側の人だな、と思い。

快楽殺人犯の気違いな悪行を受けて、いつものように思う。



どうして、テロ側の存在はそのように快楽殺人をしてしまうまで、気が狂ってしまったのか。

そこも問題だな。

まぁ、愚かな能力者の言うことを聞いてた結果か、人生というあと数十年しかない間で金銭をもうけたいがためにか、あと他。

どっちにしても、悪しき導き手についていっているような状態だ、と。

着いて行っているんだか、憑かれて行っているんだか。

どっちもだろうけれども。


真理で言っても、当然ながらこっちが善行者だからな~。

真理としても、余裕な心持ち。

死後のね、後の恐怖がないから、全然、余裕なあれなのよ。

言葉にならないあれよ。

言葉にならないゆったり感だな。

一応言葉になってるけどね。



雪が降ってから急に気温がぐっとさがり。

もう少しで年越しだとか。


クリスマス


クリスマスイブ

クリスマスのリース


リースのその名前自体もまた、微妙だなとか思っていたりしたが、

リースのは、

ちょっと検索。



日本では、クリスマスのリースの数日後に、正月の注連縄にかわる。

クリスマスの歌から、正月の琴等の音楽にかわる。


今年一年、

今年も悪魔とかに絡まれて、最悪だったな。


一ケ月早く、今年一年を振り返ってしまった。

悪しき者達の気違い的な嫌がらせを受けているという以外に、たいした思い出が出ない。


なんということでしょう。



メディアの狂った放送を聞いてると、なんか、俺って微妙に有名になっているけど、気違いな放送で暴言を吐かれているのが多くて、褒められているのは少ないから、
有名になるっていうのも、微妙だなとか思い。

まぁ、実際は特定の人の間で(いろんな意味で)有名って感じだけど。


有名人っていのは、芸能人・タレントでも、裏でたたかれている人も多くいるし、

有名になるっていうのも、ホントに微妙だと思う。

世間では有名でない人が、有名になりたい思っている人も多くいる。

有名になりたくて愚かな行いをする者もいる。

暴言を歌にして、悪しき者から絶賛されてる者もいるけども、そういう者は善人からは遠ざけられている、と。


テロ側のすでに気違ってしまっている悪行とか見ててもね、

くだらないな、と、我思う。

世間のそういう実体っていうか、真実のところを多く見てるとね。


テロ側の気違いな悪行を受けていなければ、普段の日常だな。



たしかに、テロ側の者の行いは気違いな悪行だわ。

メディアの放送も、もう狂ってるもんな。

多くの人がテロの放送を聞いて、あたまがおかしいと言っているという現実。

それでも、その気違いな放送を流し続けるという日本国の放送局。

やっぱりテロにのっとられてるべさ。

普通ではない。

その支持をしているものも、気違いな放送をさせているわけで、気違いになっているんだよ。

わかんねぇんだべな~。

気違いな行いの者の、気違いな支持によって、あなた方、その下にいる者も気違いな行いをするようになってしまっている、と。

だから、

愚かな者の下にる人は大変だ、と。

真理としても、悪処へと導かれているべさ。

あんた方は。



まったく、テロ側はテロ側どうしで、たしかに気違いな行いをしているって、いまさらながらに気づいて、

テロ側同士でお互いを見て、気違いの行いの者だ、と潜在意識でお互いそう思っている者も多いだろう。

そういう潜在意識はなかなか消えるものでもないと思うよ。

自分達でそういう悪しき行いをしてしまった結果。

あなた方はそのように、他の悪しき仲間にも善を見ることができなくなっている、と。


テロ側の者で、真実を知っている者で、俺のことを善い人だ、と思っている人もいるべさ。

潜在意識で、そう思っているというのもあるだろうけど、まぁ、真実でその思いは正しい。

仏陀の教えは潜在意識を超えた教えでもあるからね。



テロ側で愚かな騒ぎをしているのは、テロ側の存在だけだもの。

そのような悪業者は、日本の心善い衆生の目につくところと耳に聞こえるところから祓うべきだろう。

テロ側の愚かな放送のせいで、気違いな行いの心を持つ者が増えている。

っていうのも、メディアの放送で暴言とか聞いててもわかるべさ。



まったく、多くの衆生を悪処へと誘導して安らぎから遠ざけてしまって。

悪業者が、私と同じ死後への安らぎの心を得ようとしても、すでにそれも難しい。

なぜならば、あなた方は真理を知った上で、仏陀の弟子であって、聖者の友である人を亡き者にしようとしているのであるから。

そのあなたの悪行は、あなた自心を苦しめる。

現在は、たいして気づかないだろうけれども、

後々、永い輪廻で見ても、存在としてやってはいけない行いをあなた方はしているようなものだと思うよ。

善い教えを説く人の繰り返し忠告をしている言葉も聞かないで、悪しき者の愚かな言動にのって、ともに悪行をしているという愚かな結果がそういうことだべ。



あなた方がいくら束になったとしても、仏陀と聖者方と、偉大な神々とそのような善い存在に敵わない。

敵わないどころか、あなた方はすでに力のない悪魔にもやられているのだから。

自分自心の悪念すらも、自らで気づくことができない者がどうして悪魔に敵うだろうか。





12月7日

本日、休日。

今日もテロ企業のCMを見たが、テロ企業のCMを見て、テロ企業の取締役の人物のつながり等を見ても、テロ企業の集まりがなんとなくわかる。

テロCMで言えば、イオンのCMで、その企業の取締役の絡みとか、そういうようにたどっていくと悪しき行いのものが溜まっている。

公共電波を利用して、大勢を悪道に引っ張っていくという愚かな行い。

「しね」だとかそういう悪語とそう思わせるような、気違いな放送。

そんな気違いな放送に公共電波を利用している必要は何なのか、

テロだから公共電波を利用して大勢を洗脳しているんでないのか。

そんな愚かな行いを、大勢に見せて、その気違いな映像なりを大勢が見て、気違いな行いへと誘われている。

今日もまた。



そのように、今日もまた、気違いな放送を見ていて、

私はテロ側はやっぱり「気違いだ」と思った。

気違いとは、気が狂っていることを言う。

でも、テロ側の放送を見聞きしてるとホントに気違いな放送だよ。

北海道の放送を聞いたら、テロ側の放送がどれほどに気違いなのかがよくわかるよ。



テロ側に付いて、暴言を吐いている人って、精神を病んでいる人が多くいるのだろうか。

普通の精神ではない。

テロ側の暴言を吐いている放送が、普通の人から見ると気違いの放送だから。

そういう放送をしている企業のその責任者もまた、普通の精神ではないと思うよ。

他の大勢を悪しき行いによって、迷惑をかけている。

楽しんでやっているのやら、自らを愚かな行いの者だと最近気づきながらやっているのやら、

とりあえず、テロ側の放送で悪語を吐いているのを見てれば、多くの普通の人たちから見れば気違いな放送だよ。



テロ側の者が、自尊心等の我によって、真実を見ないで突っ走っている。

その突っ走っているのを、一般の醒めている人が見て、気違いな行いをしつつ突っ走っている、というように見ている。

テロ側の放送は、「誰が見ても、頭がおかしい」と。

テロ側の者が、自らの自尊心等の我によって、まわりが見えていない。



ちょっと、俺もテロ側の悪業に強く言っているが、

多くの人々がテロ側の者の悪行に迷惑をしているので。

テロ側の者の悪行が本当に愚かだ。



だから、その生放送で、テロ側の主張をしているのとかそういう前からの悪行もないって。

そういうのも、気違いな放送だっていうのに。

人々を洗脳して先導しているその悪業。

生放送でも反応するくらいだから、日本の放送がテロ側にのっとられてるっていうので、間違いでもない、と。

テロ側の存在が真理に反する側としての、悪業をしている、と。

だから、昔から何度も警告をしているのに。



テロ側の存在の悪行は、真理として、悪処へ堕ちる。

とされる、と。



多くの人々を、真理から遠ざけ、悪処へと導くというその行いは、
悪しき行いのあなたという存在を、永く苦しめることだろう。

たとえば、その悪業によって、永い輪廻で、もう善法に合う縁が生じないとか、
善法にあっても、悪しき者の誘導によって、遠ざかるとか、
善法にあっても、理解することがない、というような。



そのように、善法を持たないものが善処の生存に赴くことはむずかしい。

理法として、これは、一生、二生の話ではないんだけどね。

あなた方は、現在余裕で真理に反して悪業を積み重ねているが、

あとたった数年、数十年後に、あなたが自らの肉体を捨てるときから、

その悪業をあなたは受けることとなる。

その悪業によって、あなたという存在が受ける苦は、一生、二生とかいう話ではない、と。

仏陀や真理に反するという行いがどれほどの悪業であるのか、

教えでもって、少しでも理解した方が善い。



私の場合は、多くの人々に真理を説いているわけなので、善処へと導くこの行いは、
善行をする者である自らを、永く安らぎをもたらすことだろう。

というように、

たとえば、その善業によって、永い輪廻でも、また善法にあう縁が生じるとか、
悪法にあっても、善き者の誘導によって、遠ざかるとか、
悪法にあっても、善法を理解することによって悪法を厭離する、というような。



テロ側の悪しき先導者は永い目で見るという力もない。

そして、自らも、自らが誘導した者をも堕とそうとしている。



お尻の写真は、来週あたりの深夜にでもまた公開しようかなと思っている。

の予定。

ついでに、胃の写真も公開するかな、と思っている。

俺が言っていることもわかるかな、と。

前の胃カメラの写真は見直して、十六枚中一枚だけ、患部らしい写真があった。

おそらく、患部だろう。(カメラの性能の差で患部が見ずらいというのもありえるだろうけれども・・・)

他は、泡のドアップの写真等。

今回の写真は、患部が見えているよ。

医師が写真をくれるって言っていたが、胃カメラ後に写真はと聞いたら、写真はないと言ってたので、騙されたが、

胃カメラをした女性の(医師かな)、に先に言ったら、コピー(一枚、胃の写真8枚)をくれた。

が、そのコピーを私にくれていいのかどうかを担当の医師に確認していいということだったということで、コピーをもらったので、

一応医師からもらったということかな、と。

液体ではなくて、氷の麻酔をなめて、胃カメラをした。

胃カメラをしているときに楽だったので、胃カメラはうまかったと思う。






12月12日

とりあえず、明日の26時位に写真を送信する、予定。





12月14日

では、26時になったので写真を送信。



手術前と手術後の写真



誰でもわかるくらいに筋肉をとられてるでしょ。





そういうのも理解してこちらは以前から話をしているのだが、

テロ側の者は、人の話を聞かない。

テロ側に洗脳されている人々も、聞く耳を持たない。



私が悪しき者どもにやられたと真実を述べても、人の言うことを信じないで、

悪しき者と悪しき存在と一緒になって、悪業を積み重ねている。





そのように、すでに、あなた方は、悪業を積んで悪処への道を進んでいる。

真理の教えから言えば、

そのようなあなた方は、本当に地獄等の悪処へと堕ちる。



そして、盲亀のたとえのごとく、

再び、人間となれるのは奇跡的な事柄である、と。



「比丘たちよ、その盲目の亀が、百年に一度だけ海面に浮かんできて、ついに、そのクビキの一つの孔に首を突きこむというのは、比丘たちよ、それは、煉獄に堕ちたる愚かなる者が、ふたたび人身を得るのに比ぶれば、まだ速やかである、とわたしはいう。」



 この仏陀の説かれる真理の教えから見ても、これから悪処へと堕ちる愚かなる行いの者が、人間としての生存でいられるのも、現在の人間の感覚で言えば、

最後、のようなものではないか。



あなた方にこれから生ずる真理。



悪業を積み重ねているあなた方は、本当に地獄等の悪処へと堕ちる。





悪処へと導かれている者は、このように善き忠告をする人の忠告にも、耳を傾けることがない、と。





仏陀の弟子は、

多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、多くの人の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のために生まれている。

燈光をもたらし、教えを説く者であり、不死の戸を開き、多くの人を束縛から自由にさせる。

最高の指導者によって説かれた道をたどり、善くさとりに到った仏陀の教えに精励する者たちは、まさにこの世で苦しみを消滅する。





12月15日

テロ側の存在のやっている悪しき行いがはっきりと出ているべさ。

って、以前からやっている行いが嫌がらせとかだもの。

普通の精神状態の者の行いではない。

テロ側のメディアを見れば、「死ね」だとか「殺せ」だとか、悪口と暴言とかなりひどいもの。

狂人の言動みたいなのを、CMとかでやっているという精神がかなり、普通の精神ではない。

で、以前から言っているけれども、

あなた方は、すでにその行いを見ても想像に難くないけれども、

悪魔に引っ張られているのは、あなた方、悪しき行いをしている者達だよ。

現に、悪しき能力者等の言うことを聞いて、悪行をしているべさ。

何故に、気づけないのか、と。



悪しき能力者の言うことを聞いているのは、小数だけかな。

まぁ、とりあえず、そちらの者達が進んでいる道は、あなた方、あなた自心を苦しめることとなるだろう、と。


あなた方が善行をすれば、あなた自心が安らぎを受けるだろう。



仏陀や聖者方の教えに怖がっているのは、悪しき業を積んだ者の、その悪しき業のためだろう。

あなたが、悪しき業を積んでいなければ、仏陀の悪しき者は地獄に堕ちるという教えも、

あなたの心に直球であたってこないべさ。

自分は、天上に出生する確立のほうが高い。ガッツリとラッキーだ、ワッハッハッハ、とか思っている人が

そういう言葉を気にするだろうか。

そうか、悪い事をしたら、もう人間として出世することも難しいんだな、気をつけよう、とか思う人もいるだろうけれども。



そういうところも、テロ側の悪しき行いの者達の潜在意識・深層心理があらわれているところだろうな。と、我思ふ。



現実から覚めた真実の世界・霊の世界にも無知なのに、どうしてあなた方に安らぎの道を教えてくれる、聖者方に対抗して悪しき念で返すかな。

そんなのだもの、善神や善の念も離れるべさ。

悪念に憑かれて悪行を繰り返し行って。

そういう悪行を行っている自分がカッコイイとか思っている者もいるのか、

聖者方から見たらそういう者は、愚かな者としか見られないだろう。

あまりにも視野が狭すぎる。



悪念に引っ張られていってもわからないっていうんだもんな~。

哀れな人達だよ。

嫌がらせをしているっていう自分の劣性な愧ずべき行いを見て気づかないのか、と。

気づきませんってか。

まさかよ~~、っと。



不良学生を更正させようとする学校の先生の大変さがわかる気がする。



集団意識の中の自尊心というのも、真実と真理を見るという視野を狭くしてるんだべな。



不良学生も視野が狭いからね、

学生の頃は視野が狭かったという思う人は、多くいるだろう。

多くの人が社会に出てからわかるという。

まぁ、社会に出てもそれほど大した視野がひろくなるわけでもないんだけどね。

行動の選択がひろがって、いろいろな経験や感受の経験を受けて、

あ~、あの頃は人の気持ちにも気づけなかったな、とか。

自分が体験して、そうか、あの時あの人はこう思っていたのかもしれないな~、悪いことをしたな~、とか。


視野の狭い世界の感受では気づけない心。



話を清浄な話に戻して、

仏陀の説く教えは、深遠で、見難く、難解にして、静寂であり、卓越していて、思考の領域を超える。

とうてい悪しき念を持つ者が悟れるものではない、と。





まったく、同じような言葉しかでないな~。

毎日毎日。

テロ側の愚かな行いの者に関しての話。



テロ側の存在のやっている行いがものすごい下劣なんだもの。

そっちも毎日毎日。

メディアのCMも下劣だし。

まったく、困ったもんだな。

毎日毎日。



「死ね」だとか「殺せ」だとか言ってるのもあるけど、そういう関連を連想させるようなCMを流してるっちゅう精神がな~。



え、テロ側の下劣なCMを下劣だっていうのは、悪語だべか。



下劣なCMを、違う表現で、いうならば、



辞書より

下劣

態度等が下品で不道徳なこと。



テロ側の存在の行いを表現する言葉としてはぴったりあっている。



尻の筋肉はとるし、毎日毎日数年間も嫌がらせはしつづけるし、

本当に下劣だわ。



話合いすらもないっていうのもね、

ものすごい下劣だよね。



テロ側の存在の下劣で愚かな行いがかなり(道理に)ないんだけど。



どう思う。



下劣だとか、下品だとか、不道徳だとか、悪しき行いだとか、愚かな行いだとか、

行いが気違っているのとか、CMを見てれば、狂人の発言のようなのを流しているのとか、

テロ側の存在の行いを真実伝えると、

実際に、そういう愚かな行いを数年間も毎日毎日やってるからね。



なんだ、こいつらは、と、

あらためて思ふ。



なぜ、そちらにそのような者が多くあつまっているのか。



って、そういう集まりにたいして興味があるわけでもないんだが。



なぜか、からまれている春。



親しんではならないっていう行いの存在にからまれる春。



う~ん、



テロ側の愚かな悪行を受けて、その嫌がらせをしている者や嫌がらせをしている企業なりをそのまま記しているのだが、

今日はCMは、ニプロがテロのCMをやってたな。



善の心のある医療の人々はいないのか。



ドラマの病院の闇にあるドロドロ劇のような医療関係のしかないのか、と。



ナースのお仕事。



あれはドロドロしてなかったな。



あのドラマは、きれいなところしか映していない、と看護士さんが言っていた。


実際は、汚い仕事もやるし、すごい忙しいということであった。



看護士の仕事の忙しさも、おそらく病院や科によってもかわるのだろう。





12月17日

FMいるか、またテロ宣言。

FMいるかはかなり気違っているんだけど。

なんなんだ、こいつらは、と。



FMいるかのやつらはいったい何なの。

かなり最初の頃からテロ行為に加担してるんだけど。

FMいるかのやつらに聞けばテロの連中のことわかるだろ。



なんだかんだ言いつつ、お前達が悪行者に協力した結果で大勢の人がわけのわからんことで迷惑をしている。

っていうのも、事実だべ

俺もわけわかんねぇもの。



FMいるかの愚かな行いの者もそうだけれども、悪しき行いに加担している愚かな者、

お前達が罪の無い人に対しての快楽殺人という悪行に協力した結果で大勢の人がわけのわからんことで迷惑をしている。

俺だけでなくて、大勢が迷惑をしている。

天神も聖者方も迷惑をしている、と。



自分らだけでなく、大勢の人までも悪処にひき連れていっている悪業も、人としての道から大きく外れている。

あなた方の悪業によって増長される多くの人の悪念は、その人の存在にとって悪く、その悪念を生じさせたあなたという存在にとっても悪い。



だから、(そういう)お前達のわけのわからん放送に大勢の人が迷惑をしてるんだって。

わかんねぇのか、お前達は。



普通の精神を持っている人であれば、もうとっくに気づいてるはずなんだけどな。



悪処に堕ちる行いの者っていうのは、本当に善行を説く人の言葉を理解しない、というのが顕れている。



これを記している時にも、悪しき者が洗脳活動を続けているのでね。



なんなんだ、こいつらは、と。





今日はNECも下劣なCMをしていた。



え、だってこれだけ言ってても愚行をやってるんだもの。



なんなんだ、こいつらは、と思うよ。



集まってるでしょ。



善い道を行く存在は善い道へ行く存在で集まる。



悪い道を行く存在も悪い道を行く存在で集う。



テロ側の悪しき存在の愚行で下劣なCMもガッツリ増えている。



FMいるかの海外の歌手の日本語できけば下劣なアワーがかかっている。



海外の歌手も愚行に加わっている。



ような放送を流しているラジオ局。



現在23時44分。



偽善。



二枚舌だべや。



ないって。



いやいや、良識をもって考えればわかるべっつうの。



良識をもったほうが善い。



良識をもったほうが善いよ。



良識をもつべきである。



って、そういうところの話だべさ。



また、二枚舌。



ほれ、偽善だべさ。



って、テロ側の存在の愚行を見聞きしてれば、いつもそんな感じのが多い。



何、この毎日俺が見聞きするテロ側の愚行を実況でそのまま伝えているみたいな。



え、生放送だったのか。





12月18日

医療

今日は休日をいただき、国立病院へ行って検査結果を聞いてきました。

検査結果はいつものように、胃炎だということであった。

「ガンではない」って言っていた。

薬はガスター20mgを30日分処方してもらった。



その後、お尻の病院へ行き、写真をみたけれども、

やっぱり、カメラを引いた映像でも閉じれないで腸が見えていた。

ガスが抜けるって言ってはいるんだけれども、

医師は異常がないという診断だった。



というような今日の診察であった。




今日も下劣のCMは、パンのヤマザキが下劣なCMをやってる。

下劣なCMはマルではないよ。

×だ。

ヤマザキのCMのあとにダイマルのCMをやってたので。

ダイマルのCMは別に下劣なCMではない。



そのまま記してれば、テロ側のCMがたくさん出てきそうな。

どうだろう。

テロ側の情動を見てると、そういうので出だがろうとする企業なりが多いような感じがするので。

どうだろう。


あと、KA0のビオレのCM。

と、P&GのレノアのオードリュクスのCM。

あと、スバルのステラのCM。

と、シャープ アクオス4KのテレビのCM。



報道ステーションを見てるけれども、

編集がテロ側になってる。

いったい、何に憑かれてそうなっているのか、と。



あの朝日の人もときおりわけのわからん言葉を挟んでいる。

テロ側の人って、ちょくちょくやってる。



報道ステーションは、いままでそんなにひどくなかったかな、っていうので、

まぁ、他の番組ではテロ側の編集はごっそり出てるけどね。


以前から見ているけれども、古館さんという人に悪い印象をもってはいない。

プロとして、感情に流されないで情報を伝える感じの人なのかな、というように思って今まで見ていた。

実際はどういう人かは知らないけれども。

個人的にTVを見ていた印象ね。





で、全然話がかわるけども、

魚に関して、

漁師っていう職業も、仏教では善い職業とされてはいない。

はっきりと、記しておこう、と。

業でいえば、悪処へ行くという職業と言われている。

漁師をしている人はたくさんいるけれども、

仏陀の教えとしてきちんと伝えておかないといけない、ということで。




古館さんが、「法でいい」って言っているように聞こえた。



メディアでこの人は良識あるように見えると思う人で、「法でいい」、「法が善い」っていう人は見るんだけれども、

その後、叩かれてしまったり、メディアの情勢の変化で心変わりする人も多いらしいようで、

そういう心変わりするところや心変わりさせられるところがね、

自らの心で、自らで、理法を持っていないと、

悪魔にやられてしまって、道から外れるというようなことでもあり、そういうような状態も見られる、と。



現実社会っていうのは、出家者ほどの善行でない事柄でも、仏陀の教えを行うのは難しいっていうのは、かなり昔に思ったことがあるんだけれども、

理法を知って善い道を歩こうと歩きだすところの人は特に、そういうように思う人もいると思うよ。






12月19日

すずいのラジオでも殺人の話してる。

ないな~。



シャープ 4KのテレビのCMが、変わって聞こえた。





12月20日

今日も悪霊に「しね」って言われた。

悪霊の声は若い女の子供の声。いつものさえの別人格の悪霊と同じ。

テロ側の嫌がらせを受けているときに聞いた。

テロ側の悪しき存在と言っている事柄は同じ。

邪念。

最近車で運転をしていてもカラスは横切らないな。

カラスが横切ったりするのに、俺が反応を示さなくなったのでやめたのか。

冬だから、道路の近くに鳥がいなくて瞬間的に操れるボジションにいないとかかな。



邪念を抱いている存在。

そのような境遇にある存在っていうのが、まぁ、そういう悪霊であって、悪行をして人を困らせたりする存在。


一方、善い念を抱いている存在。

このような存在というのが、善神や、聖者方の側の存在であって、善業をして、また、人々を苦しみから救い、安らぎへと導く存在。



あなたは、悪霊と善神との行い、身・口・意の違いがわかるだろうか。





12月26日

悪霊さえとテロ側の存在がやっている事柄はこっちから見ると真実同等のレベルの行いをしている。かなり前からやってるからね、あなた方は。

真理への反発。悪業。

まぁ、神秘思想でいえば、あなた自心の真我に対する抵抗。

だから、悪霊に操られてる集いだろうとかなり以前からそういうように見ているので、

悪霊に操られて悪業を積み重ねているのはあなた方テロ側の存在なのではないのか、と。

実際悪業を積み重ねてるべさ。テロ側のあなたとその仲間達の存在は。

テロ側とか関係のないあなたのことではないよ。

少なくとも、あなた方悪業を為している存在の行いは、後の生存で悪処へ堕ちる行いだと言われている

集団意識ごと悪魔に持っていかれているのは、あなた方、悪しき行いをして喜んでいる者であって、

こちら側の良識をもって、悪業を非難している存在の側ではないよ。



あなた方がこちらの言うことに耳を傾けて、悪業を止めたならば、あなた方に利益となるだろう。

あなた方がそのまま悪魔の言いなりになり続けて、悪業に快楽を感じているようであれば、

あなた方が、その身体を捨てることとなる、たったの数年、数十年後、からあなた方は悪処へと堕ちて永い間、苦を受けることとなるだろう、と。


テロ側の存在のあなた方が悪魔の言いなりというようなのもあるだろう、そして、悪魔が嫌がらせをするように形造っているのを、テロ側の存在が悪魔の助成をしているような形に実際なってるのを見ても、悪魔に操られてそういう愚かな形を造ってしまっている、と。

あなた方の意識と行いと、あなた方の仲間の意識と行いと、あなた方の集いの意識と行いとを見てみなさい。

仏陀の教えで説かれている悪しき行いという事柄に関して、どれほど多くあなた方が行っているのか。

あなた方の導きが、あなた自身でも見えるように、理解できるように、

私もこのように詳しく説いているのであるが、

あなたは自らの導きが、どこに進んでいるのか、どのような存在なのか、

見えますか。理解できますか。





12月31日


修行僧たちよ、汝らが、このように仏陀と法と僧伽を憶念するとき、恐怖が起こっても、戦慄が起こっても、身の毛のよだつことがあっても、それは除かれるであろう。

  護経

  仏陀と法と僧伽を憶念することについて





1月1日(2015年)

 この護経は、悪霊等の悪しき存在に襲われたときとかにも、すごい力が発揮されてしまうという護経です。

現在、私がこのように悪魔に意識をとられず、多重人格になったりしないというのも、仏陀と法と仏陀の弟子の方々のおかげなのです。

そしてさらに、多くの聖者・聖人のおかげでもある、と。



 たとえば、休息しようとしているときに、変な念がきたな~っていうので、悪霊が想念やら感情やらを動揺させようとしているときでも、仏陀及び法及び僧伽を憶念すれば、その悪念はだいたい祓われるだろう。

霊的な世界に首をつっこんでしまった無知な人が、変な夢やら何やらでうなされてしまうというような人も、仏陀及び法及び僧伽を憶念するのがよろしい。

憶念の仕方もあるかな。

悪霊に恐怖心を掻き立てられているような状況の人だと、難しいものがあるかもしれないが、法を自らできちんと学んでいればやられることもないだろう。

ちなみに、般若心経も法を憶念するというのに含まれているが、知らない人が意味もわからずに唱えてもほとんど意味をなさないだろうとは思う。



 真理を知って学ぶっていう人は、本当に悪魔に襲われたり誘惑を受けたりするだろう。実際私も悪魔に襲われているので、そのようなときは仏陀及び法及び僧伽を憶念するのがよろしい。

 霊的な境界でも、仏陀の教えは最上です。



すごい力が発揮されてしまうというか、

表現すれば、仏陀及び法及び僧伽が上すぎて、悪魔の届く範囲にない、と。


このように、本物の、仏陀の教え・法というものはすごい、と。





1月2日

今年も、悪しき存在の集いに叩かれてしまっている春です。

しかし、今年は仏陀の弟子の友が確実に増えている。

テロ側のCMをみれば、いつものように悪語で、そして洗脳活動をしている。

正月から縁起が悪いが、真実、真理として本当に縁起が悪い。

自分達の悪しき行いに気づくことができないでいるのだろう。


あそこのCMで、お、善い感じのCMになったって、見てれば、

やっぱり二枚舌かっていう企業もあり。

テロ側の企業に、善い道に進めないのが多いんだろうな。


なんか、GOingに引っ掛けてるんだか、GOって宣伝している企業も増えてるけれども、あれもどこに進んでいるのかもわけわからないしな。

テロ側として自らもともに悪処に進んで”GO”って言っているのであれば、逆に”STOP”って宣伝したほうが、リアルにいいだろう。


俺が「GO」って言うなら、八聖道を進んで「GO」という意味なんだけれども。

その言葉に悪意とかそういうのも含まれるわけもなく。

仏陀の教えは、他の宗教の人々大勢も、善処に赴けるんだけれども。




憶念は、

仏陀と法と僧伽とを憶念するというのは、仏陀の弟子に嫌がらせをしている存在とか、殺そうとしている存在が憶念しても、恐怖も、戦慄も、身の毛のよだつことも、除かれることはないんではなかろうか。

たとえば、悪魔側の存在がいるとして、その悪魔っちが、インドラの旗を見上げるならば、恐怖も、戦慄も、身の毛のよだつことも、除かれるだろうか。

逆に、悪魔が自らと敵対している善の神の旗を見上げたならば、逆に恐怖も、戦慄も、身の毛のよだつことも起こりえるだろう。

それは何故であるか。

それは、現に聖者や善神と敵対している悪業者こそが、悪魔側の存在として聖者や善神に敵対して立っているからである、と。

というような状況でどうして、聖者や善神が悪魔側の存在を救うだろうか。

と、いうのが常識であって、普通の考え方だろう。


しかし、その悪魔側に味方している存在が改心して善の道へ”GO”っていうのであれば、

仏陀と法と僧伽とを憶念するのは、最上だろう、と思う。



HPの件もそうだけれども、明らかに悪しき魔術者(能力者)が絡んでいるからね、

霊の世界、念の世界では、一般の人ではどうすることもできないだろうから。

仏陀と法と僧伽とを憶念するというのは最上である、と。

仏陀と法と僧伽とは、最上の全き善の念。

だからこそ、

「霊的な世界に首をつっこんでしまった無知な人が、変な夢やら何やらでうなされてしまうというような人も、仏陀及び法及び僧伽を憶念するのがよろしい」と。


テロ側に味方している無知な(者)存在が、こっちをわけのわからんことを言っているとか思っているかもしれないが、

現状を見てても、そういう無知な人が、どうこうできるような状況でもないだろう。



であるからして、以前から言っているけれども、本当に、そういう無知な人が調子にのっていろいろ悪語を語っている者もいるが、

そういう者は、本当にね、ほとんど悪魔のいい使いっぱしりのような状況にしかならないだろう。

そういう無知な行いの者の内面を見ててもね。

たとえば、その者の興奮っぷりの情を逆に悪魔に利用されているっていうような状況。


悪魔の力にやられない存在は、無知で状況すらわからないのに、善業をする人に「しね」等の暴言を吐きさらに嫌がらせ等の悪しき行いをするということもないだろう。



悪しき行いをしてきた魔術者(能力者)もだいぶ、悪業を犯して、悪念で満たされているようであれば、

悪魔の力から抜けるなんて、ほとんど無理だろう。

とりあえず、悪しき存在がする感情操作とか、感情の起伏とか、思念を想起させるとか、私のHPのをよんで、自らの感情を見てみなさい。

テロ側の能力者は「いや、俺・私こそが、その感情を読み、さらに感情を操作して操っている本人だ」とか言う愚かな行いの者もいるだろうが、

そういう悪しき行いをするにいたる心の事柄も言っているんだが、言っている意味はわかるだろうか。



悪しき存在や悪しき想念に憑かれた者が、悪しき念を抱き、悪しき能力を用いて悪業を遂げる。



一方、聖者方は悪しき念を抱くことなく、神通を用いて悪業を為すことはない。

聖者方は、悪しき存在や、悪しき想念を払う。



悪魔の方向に大勢を引き連れていって、安らぎに到れるとでも思っているのか。

悪魔側として悪業をしている者がどうして、仏陀と法と僧伽を憶念して恐怖も、戦慄も、身の毛のよだつことも、除かれるだろうか。

その者は、理法を理解できていないがために、悪業を犯しているというのに。


聖者方の最上の護呪経をも自らで用いることもできないのに、どうして悪魔に勝つことができるだろうか。





1月5日

 HPのおおよそ全体を見やすく更新。



 メールこないからアドレスを解除してたと思って気にしていなかったら、解除をしていなかったが、今日もメールはやっぱりきてなかった。

 と、いうことでメールもこないのでとりあえずアドレス解除。


 テロ側の存在の多くしか見てない可能性もある。



 テロ側っていうか、メディア関係者の多くしか見ていない可能性がある。



 生放送で、仏陀の弟子の友が確実に増えていると思ったが、

テロ側のメディアの放送を愚行だと思って、メディアに反発している人が増えているだけなのかもしれない。



 メディア関係者の多くしか法を見ていないのか。

う~ん、たしかに、暴言を吐いて騒いでいるのは、メディアと嫌がらせをしている存在だけ。



メディアの暴言を吐いている映像を見て、大勢の人々が迷惑をしているのも間違いないと思うんだけれども。



いや、しかし、これだけメディアでわけわかんなく騒いでいるのに、大勢が事情をも知ることができずにいるのか、

さらに、最も重要な仏陀の教えを知ることができていないのか。



困ったもんだな。



実際どのくらいの人に知られていて、これだけの騒ぎになっているんだろうか。



メディアによる統制ってやつだな。



海外の話だと思ってたら、日本もなってたと。



メディアにテロが介入しているは前からだけれども、しかし、そんな中でもメディアの人たちの中で、もうちょっと自由がきく感じなのかな、と見ていたんだが、

ガッツリと、統制されているのかな、と。

だんだんと侵食されて統制されてしまったのかな、と。



まぁ、どこのテレビ局見ても、同じニュースばっかりやってるからな~。



って、いつもの話の流れ。



しかし、今年の正月の番組は去年よりは良識があった感じでよかったんじゃないかな。



また、テロ側の企業のCMたくさんやってるよ。



ワールドビシネスサテライトの×××ホールディングスの××っていう人物の発言が、悪語に聞こえた。



テロ側の編集とかの洗脳がさ。



テロ側の存在の悪行を見てても、悪しき存在の側で間違いないべさ。



でしょ。



××っていうところはあとで、カットするよ。



断定的でないので。



あれかな、理法を書いているのが、本当に私對馬が記しているのが、テロ側の存在にとっては不都合なのかな。



う~ん、大乗仏教の話は五時教判(教相半釈)の話はざっくり説明しているけれども、だいたいあっているはずだよ。

間違いがあれば、知らせていただければ直します。



日本の大乗仏教の流れは、おおよそそのような感じだから、認めて、仏陀の教えを学び直すのはとても善い心だと思うよ。

善い心っていうか、それは、普通の心でもあるだろう。



自分で記しているからというのもあるけれども、日記のも含んで詳しくいろいろ説明しているから、理解しやすいとは思うんだけどね。



そうでもないですか。



ちなみに、真理として、テロ側の存在の行いはすでに、とても悪い。

これも不変な真実。



悪魔側に味方して、仏陀の弟子を亡き者にしようとしているという行い。

普通に考えても、人としても本当にやってはいけない行いだと思うよ。

テロ側の存在の悪業がひどいもの。



その悪業によって、あなた方が私と全く同じような経験を受けるとしたら、どう思う。



まぁ、日記だけでは、日々どのくらいテロ側から悪行を受けているのは、伝わらないか。



テロ側の悪しき行いの能力者といい、広告で大勢に迷惑をかけている悪しき行いの存在といい、嫌がらせをしている存在といい、

そちらになっている実を見れば、善い縁なのか、悪い縁なのか、はっきりとわかるだろうに。



まぁ、そういう話はおいといて、


とりあえず、大乗仏教は、大日如来の金銀宝石等の装身具を外してから、仏教というものを語るのがよい。

装身具に意味が付けられているのです、とか言うのであれば、

インドの仏陀の像で装身具を付けているのを、見ましたかと、たずねてみるがよい。

なぜ、原始仏教の時代の仏陀の像の仏陀は装身具を身に付けていなかったのだろうか、と。

逆に金銀宝石の装身具を身にまとって、何らかの意味づけする必要はなかったのだろうか、と。

何故、装身具を身にまとっていなかったのだろうか、と。



まぁ、普通の仏陀の弟子であれば、もう目を覚ましてもいいところだと思う。





1月7日

今日もまた、テロ側の存在が洗脳活動をやっている。

数年間、嫌がらせをしつづけているその悪業が実って、洗脳されてしまう人もいるのかな。

数年間も嫌がらせをしているっていうのも、人の行いとしてもすごいないけどね。

数年間だよ。


テロ側の存在は数年間悪行をしている日々。

数年間も嫌がらせをしつづければ、その悪業をしつづけていることによって、テロ側の存在が自分達自身の行いによって、自分達自身に洗脳されてるんじゃないの、と。

テロ側の存在のやってる行いを見聞きしていると、人の行いとしてもいろいろないよ。

そのような愚かな行いにいまだに気づけないとは、

逆に何で気づけないの、と。

春思ふ。


普通の人は、そういうことはいけない事だと思い、自らを省みて反省をする人もいることだろう。



これは。

テロ側の存在にかかっている洗脳を解くというのを先にやったほうがいいかもしれないな。



ちなみに、現在テロ側の存在はどっからどこまで洗脳されているのか、と。

そういうとっからだな。


テロ側の存在がやってる行いがすでに普通の人の、良識ある行いを逸脱しちゃっているからね。



そう、洗脳されているのは、テロ側の存在も同じようなものだな、と。



洗脳されている人に、あなたは洗脳されているよと言っても、洗脳されている人は受けとれない人も多い、と。



テロ側の存在が集団で洗脳をされている、と。



集団で洗脳をされているってか。



集団で。




困ったもんだな。



困った集いだな。





1月7日

今日はいつにもまして、テロ側が悪口を言って騒いでいる。

すでに、ラジオでかかっているのを聞いても犯罪者集団の言動で放送をしている。

まぁ、すでに悪道に進んでいるのがすごく誰でもわかるくらいな状況だべさ。

テロ側の存在はいつもの感じだが。

テロは、仏陀の弟子は、現在のそのテロ側の存在と親しむべきではないよ。

法を見聞きした後にでも、愚行をしつづけている、その存在の進んでいる道は危険すぎる、と。

仏陀の弟子はそのような悪しき行いの者と親しんではならない。



(TVのお坊さんの番組で)大日如来の話は、大日如来は金銀宝石の装飾をしていない(と言っている)ようなテレビをみたけれども、

辞典を見ても、大日如来の像は装飾をしているよ。

(装飾をしていない大日如来の像もある。)

であると、法身であるのに、装飾をしているっていうのは理法に反している。

マハーカッサパ尊者の心を知らないのだろうか。


仏陀の像っていうのでも、偶像であって、

本来はストゥーパ(仏塔)を礼拝供養する。



護摩を修行だといっているが、

その行い、その修行をゴータマ仏陀と阿羅伽の聖者が捨てたのはなぜか、ということを仏陀の弟子(仏教徒)であれば考えなければならないだろう。

その修行は、その修行の行く先は涅槃へと向かっているのだろうか、と。



TVでお坊さんの番組をやっているけれども、それを見る限りでは、その仏教の僧侶にも、仏陀の教えを教えなければ、仏陀の説く理法を理解できていはいない。

日本の大乗仏教の僧侶の実態が映し出されている。

日本の大乗仏教の教えに問題が多々見える。



(お坊さんのTVを見て)しかし、日本の大乗仏教も道を間違いすぎてるな。

これは、少し離れているどころでなくて、ガッツリ遠くなっているというような状況でないか。



しかも、ちょくちょく悪語を発してないか。

編集でやってるんだべか。

ありえねぇ。



遠いな~。





ニプロCMでまだやってるよ。



医療関係の企業なのに悪いCMをやっている。




仏陀の弟子はそのような悪しき行いの者と親しんではならない。

「悪しき者と親しんではならない」とは、ゴータマ仏陀の教えである。

仏陀の弟子の天上人、天上に赴く人は、仏陀の教えをきちんと心にもちましょう。



存在の輪廻というものは、現在の人生だけではないのだから。



いや~、しかし、大乗仏教はどうにかしないとダメだな。



やはり、仏陀の教えを理解していない僧侶が多い。





1月8日

う~ん、あの僧侶のTVみるかぎりでは、普通に考えても大乗仏教は仏陀の教えの悟りからは程遠いよ。

すくなくても、天台宗のあの護魔してた音声もちょっとないな。編集かな。

遠すぎる。

って、自分達でも気づけるはずだが、気づけないからあのようなありさまになってしまっている、と。



テロ側の存在は、大乗仏教の僧侶の教えに期待をかけているのもあるのかもしれないが、

仏陀の教えを説く人に対して悪語を言っているという時点で遠すぎるって。

いや、普通言われなくてもそういう事柄に気づけるべ。っていうレベルだべさ。(僧侶自身で)


TVでそれぞれの大乗仏教の宗派を代表して、出演してるんだべさ。

その代表とする者の言葉が、仏陀の理法を理解していない。

素人なら、僧侶の言葉を鵜呑みにしてしまうので欺けるのかもしれないが、仏陀の教えを学んでいる人を欺くことはできない。


大乗仏教の僧侶が、理法を理解していないのに、一体衆生に何を説くことができるだろうか。

大乗経典も意味を理解して読んでいるのかすらも、疑問に感じるけれども、(大乗経典は年代とかでなくて、大乗の教えの理法自体に矛盾が多いので。)

経典の声の質とかも、本質の問題とは別だよ。

あの独特な読み方で読めば、例えば、雑念が入りにくいとか、個人的にそういうのはあると思っているけれども、

読み方とかそういうのも本質の問題ではない。




仏陀は縁起の理法でこのように説かれている。

 比丘たちよ、執着とは何か。
 比丘たちよ、これら四つの執着(四取)がある。
欲情による執着(欲取)、間違った見解による執着(見取)、間違った制戒や迷信による執着(戒禁取)、実体的な自我への執着(我語取)である。
比丘たちよ、これが執着といわれるのである。



 現在の日本の多くの大乗の仏教は仏陀の教えから遠い。

それは、何故であるのか。

多くの大乗仏教の僧侶は、その執着を執着であると知ってはいないからである。





1月8日

騒いでいるけれども、無理。

道理としてないものは、道理としてない。


悪語を吐いてる仏教の宗派、吐かせている仏教の宗派は根本的に間違っている。

梵への道にもない。



その護魔をしつつもそのような教えによって育った心が、悪語を言っていた僧侶の心なんだべさ。

その心の育て方も間違ってるし、諦らかに道から外れている。



ちなみに、護魔(護摩)という漢字は、私の造語ではなく、

辞書に書いてるよ。



そこで騒いでいたのか。



どちらにしても、

テロ側の存在は、真実、悪業を繰り返して闇へ闇へと離れていっている。



何故に光に来ないんだろうか。

真理という光。

仏陀という光、法という光、僧伽・阿羅伽(アラハト)という光。



とりあえず、テロ側の悪行をしている存在は、すでに本当に闇へと進んでいるから気をつけたほうがいいよ。



テロ側の存在もそうだけれども、その悪行に参加している仏教の僧侶も仏陀の説かれる八正道からもとても遠い。



仏教徒として何を学んできたのか。






1月18日

テロ側の洗脳活動しつこいわ~。

テロ側の言ってることが最初からたいしたかわらずだな。

テロ側のとして、悪行をしている企業もたいしたかわらず。


テロ側の存在は悪名を高くしてどうしたいんだろうか。

まぁ、予想外なんだべな。



善を説く人に「死ね」とか死を望んでるその思いってのは、いろいろ、人としての道は間違ってるよ。


テロ側の存在は、大乗仏教にかけていたのか。

まぁ、それも予想外だったんだべな~。

大乗仏教は別に予想とか関係ないか。



しかし、メディア長者のな~。

そういうのからして、ありえないんだけど。いろいろと。


悪行して、善処へという夢と希望を途中に描きつつどうとかこうとか。


しかし、仏陀の教えは大乗仏教の僧侶も理解できず、

世間の思想では、やっぱり極めて難しいというのが、すでに実証されている。


テロ側の存在は悪行を繰り返し行って堕ちて行っているし、

大乗仏教の僧侶も法を見ることなく、テロ側の洗脳活動に洗脳され、

一緒に同じ方向に行ってるし。



まぁ、しかし、大乗仏教の僧侶でも少なからず、こちらの法を自らでみて理解している人もいる、と。

多くの人に仏陀の教えを詳しく説いても、なかなか理解できない、と。

あれだけ理解しやすく大乗仏教の執著を捨てきれないでいるのを理解できるように説明をしているというのに。


説明の仕方があれなんだべかな。



そうだな~。

たとえば、大乗仏教は執著をして、その執著の火の中に真理を見出そうとしている。

しかし、本当の仏教(仏陀)は、執著を捨てたところの真理を説かれている。



意味わかるべか。



執著の火は、護魔だけのたとえではないよ。



仏陀は人々に苦の原因である執著を滅することができる道を導き示してくださっている、

生老病死は苦である、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五取蘊苦は苦である。

その苦の原因である無明を滅する道が八支聖道である、と。



真理に反している存在が、見る間に八正道から遠ざかっていっている。

悪しき存在が悪しき洗脳をしている中で八正道に導かれるという存在は少ない。

善き存在が、善法を弘めて説いている中で八正道に導かれる存在は多い。





1月19日

メディアが今日もしつこくまた世間を騒がせている。

今日もまたおかしい放送が多い。


メディア自体が、テロ側として世間を悪行をして騒がせているのに、

一体何なの。こっちを叩いたくらいにして。

大勢が迷惑をしている。


メディアの関係者に多く、理法に反した行いの者がいる。

まぁ、メディアが世間を洗脳しなければ、たいした騒ぎにもならないってね。

だから、メディア長者のもやってたもの。

その他でも、何故か叩かれていたからね。

何でなんだべな。


あれ、日記の日付が変だ。

7日と8日が二日ある。

あれ何日だったべか。



7日のうち一日は、お坊さんの出演番組のスペシャルでやってた。


ちょ、テレビで洗脳やってる、メディアの洗脳かなりしつこいって。

だから、メディア長者も絡んでたって。


どれ、日付いつだったか検索だ。

たぶん、1月12日だわ。




homeの頁がおかしくなったので、新しいファイルを作成。

正しくないパス名が指定されているというので、上書きできなくなった。


大乗仏教の話は、大乗仏教のお坊さんバラエティっていう番組をみてからの話。


テロ側の存在が多くの民衆をそうとう洗脳したいようなんだけど。

何でそう嘘と悪行を積み重ねるのか。



しかも、俺を騒ぎの犯人にしようとしている。

そちらは完璧に、悪しき行いをしている。

%で言えば、100%だ。


俺はそういう愚かな行いに関係はない。

って何回も言ってるというのに。


困った連中だ。


あと何回言えば、理解できるというのか。



1月8日も二日あるけれども、あれ何日だったべかな~。

まぁ、8日か9日か、10日~17日かのどれかの日だ。


何故このようなことを起こるのかというのは、

日付を書くのが手間なので、コピーで

前回の日記の日付をコピーして、日付をかえずにそのままだったから、ということが原因だろう。

他は、ハッカーによって日付が変えられているとか。そういうのか。



怪奇現象か、はたまた、ハッカーか、もしくは単なる日付の直し忘れか。

さて、どれでしょう。



怪奇現象は、HPに書いているようなアホな現象はちょくちょく起こるが、

最近、以前から謎な怪奇現象は家の中で起きている。


くつ下がね。

指ありのくつ下なんだけれども、

何故か、右足のくつ下が4足あって、左足のくつ下が4足分ない、という。

ようするに、右足のくつ下だけ4足もあって、左足のくつ下が、なくなっている。

という現象。


穴が開いたら捨ててるけれども、左足ばっかりそんなに捨てたっけかな~と、

最近くつ下をみるたびに考えていたのだった。

右足のくつ下ばっかりあっても意味ねぇと。

まぁしかし、同じくつ下を買って、ちょうどよく右足に先に穴があけば使用可能だな、と。


仕事をするとき、五本指ソックスを履くんだけれども、

最初は見た目でも抵抗があったが、履いてみたら、

普通のくつ下よりも、身体に疲労が感じない、気がする。

足の指に力が入るから、疲労が少なくなるんでないかな、と思ってたんだけど。

身体を動かす人は、一度、五本指ソックスを履いてみたらいいかもしれないよ。





1月24日

テロ側の存在が快楽の道をとる、とか言って他の人を誘導しているのも、

また、後の輪廻の悪処の生存への悪業となるだろう。


つくづく聖者方と反対の行いをするという、

メディアの映像や音楽を聞いていてそういうのを目聞きするテロ側のその実体。


テロ側の存在はいつものように悪行を行っている。


って、もう、テロ側の存在は土台がそういう感じになってるな。


遠い。


かなり遠い。


その行いをたとえるならば、聖者方の心と悪魔の心ほどに距離が離れている。


聖者方は悪業を成さないし、人の不幸を喜ぶこともない。


そういう心がね。


テロ側の存在の心に芽生えてない。


悪心、我欲は動物でも本能的に芽生えているものなのだが。


悪行から足を洗いなさい、と。


テロ側が悪業をして浮かれ気分で喜んでいられるのも、健康寿命の間くらいだべさ。

さらに、その悪業者が身体を捨てるときには、それが絶望に変わるのだが。


何故に、この現実にも気づけないのか。


逆に謎だが、


まぁ、我欲等もろもろだろうけれども。





話は変わって、他人に愚か者と言ってはならない、とか。

以前に記したが、

ギリシャ語原典では、そのようにかかれてはいないようだが。



聖書より

「あらゆる貪欲に注意し警戒せよ。なぜなら、人に物があり余っているときでも、その人の命は彼の財産によるのでないから」。

そして彼らに一つのたとえ話を語って言われた
「ある金持ちの人の畑が豊作であった。すると彼は心でこう考えた
『わたしはどうしようか、なぜならわたしの作物を集めておく所がないのだ』
 それから彼は言った
『こうしよう、わたしの倉をこわそう、そしてもっと大きいのを建てよう。そしてそこにわたしの穀物と作物全部を集めておこう。
そしてわたしの魂に言おう、「魂よ、君にはたくさんのよい物が長年間分貯えられている。(だから)休息し、食べ、飲み、楽しめ」』

しかし、神は彼に言われた。
『愚か者よ、今夜君の魂は君から取り返される。すると君が準備しておいた物は誰のものになるだろうか』。

 自分のために貯えて、神の前に富んでいない人は、このようになる」。




また、話は変わって、

「大工たちが役に立たぬと捨てた石、それが隅の土台石になった」

他、
ギリシャ語役聖書

「建築の職人たちが捨てた石、それが隅の土台石になった」

ちなみに、以前に、メーソンので建築の職人の話を書いたが、その時、この翻訳を意図して書いてないよ。

(語呂が同じなのを、あらためて、あとから気づいたが、私は、その時、この翻訳を意図して書いてないよ。勘違いしないように、という意味で。)





1月25日

テロ側としてのメディアが嘘情報を流している。

私を日本国外のテロと関連づけたいのかどうだか知らないが、

私は海外のイスラム国という集いと全く関係がない。

が、日本のテロメディアが私がイスラム国と関連があるというように洗脳して嘘情報をも流して報道をしている。

イスラム国という集いは、私がどうこういう立場ではないし、その集いの実体も知らないが、

イスラム教という宗教に関連しては、人々を善へと導くという仏陀の心でもって、

宗教の違いがどうこうでなくて、イスラム教という宗教を信仰している人にも、

仏陀の教え、善行の教え、真理・理法は理解できる心の清浄な人は大勢いるだろう、と思って、

そういう人々をも善処に導きたい、と思っている。





1月27日

日本のテロメディアの者が騒ぎつつ悪行をしつつ、他人を見てあるとかないとか言っているのを見聞きするが、

たとえば、悪行者が聖者側の存在に「ない」と言っているとするべさ。

一方、聖者は悪業者は道に「ない」って言うべさ。

はたして、人の子としてどちらがないのだろうか。


 「実に粗暴な行ないをなす人々は、種々のことをめざす束縛の網をもって、他の人々を悩ますが、かれら自身もまたそのように(他人から)悩まされる。
  実に業(行ない)は滅びないからである。
  人がもしも善または悪の行ないをなすならば、かれは自分の行なった一つ一つの業の相続者となる。」
ジョーティダーサ長老      





3月10日(2015年)

魚を食するということについて、さらに追記で、

ダイバダッタが、自らの教団をたてるときに、仏陀に対して魚を食するということに関して質問をして、

その問いに対して仏陀は、(これこれこのような魚は)というように魚を食しても良いと言われている。

それに反して、ダイバダッタは魚を食してはならないとした。

このように、覚者と真理を覚ることができない者とは真理としての教えも異なる。



ダイバダッタは、他、仏陀と異なる教えをあげて、仏陀の教えに反して、自らの教団ではこのようにするというような教えを説いた。

そもそもダイバダッタが、真理を観ていたならば、教団分裂をするような悪心(貪欲)を起こすこともなかっただろう。

尼僧を殺めるという悪事を起こすこともまたありえないだろう。


教団分裂の時、コーカーリカという大地獄に堕ちた者もダイバダッタについて行っている。

覚ることができない存在は、そのような存在に親しんで共に道を外す。


悪行をしている存在と、共にその悪行に親しんでいる存在が、理法を覚るという道理はない。

悪行をしている存在が、身体を捨てた後、天上の善い境涯に出生するという道理もない。





3月11日

さきほど、ラジオを聞いたら、前と変わらずにテロの者が暴言を吐きまくっていた。

あれ、ずっとあぁいう感じでいくんだろうか。

暴言をはかれるほど悪いことをした人はそこにいるのか、と。

テロ側の存在ってホントに、内面が荒れている人が多い。

そして、善行を見ないので性格が悪性に傾きやすい人が多い。

そういうのは、ラジオを聴いただけでもすぐにわかる。


テロ側があれだけ多く手を回しているようであれば、

一般人の洗脳が解けることも難しい。かな。

まぁ、騙されていることに気づいたときには、すでに悪業を積んだあと、であれば、もう遅いんだよ。

そちらの方々。


すでに真理は説かれているのである。


そっちの人たちはどう見ても、いろいろな面でもって騙されているのもあるし、すでに洗脳もされている人も多い。


こっちが犯人だとかって騒がせているのもあるが、

こっちとしては、何の犯人なのかもよくわからないわけだが、

まぁ、真実を語っているのも、100%でこちらだけれどもね。


真実を語っているというのが重要であるというのが、

いまいち意味もわからない人が多いんだろうな。

理法によって、善とされるのは真実を語る人なのか、

それとも、嘘偽りでもって大勢を騙す悪行者なのか。

さて、どちらだろうか。


そして、テロ側で、私がガンだ、ガンだ、って喜んでいる者もいるけれども、

その人の不幸を喜ぶという道徳と善行のない、悪行をしていることに気付けないというところは、自らで省みたほうが善いだろう。


一人の人間として。


人は、

仏陀とその弟子は、敵対するものの不幸を喜ぶことはない。


『 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く(ことごとく)、長いものでも、
大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも

目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生れたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。』


そういうのも、わかってて見聞きしていると、テロ側の存在の行ないがどれほどに理法と道徳から遠ざかっているか

あなたにわかりますか。


善い心の教養。

あきらかに道徳の欠如が見聞きされる。


テロ側の存在はそういうところを直したほうが善い。


そうしないと、さらに悪処(悪しき生存)へと誘われると思われる。


あなた方は、すで本当の悪魔方に誘われていると何度も忠告をしているというのに、

人の忠告をホントに聞けない人達だな。


別にあなた方を善処(善い生存)へと導くために忠告をしているのに。


あなた方は、暴言を吐いて、真理・善の教えを説く人を苦しめ悩まして、殺そうとまでしているが、

その悪業の結果は、間違いなくとても悪い。


真実、私は意味もわからずに、叩かれ始めている被害者なのだから。


しかし、ここまで騒がれるほどすごい人なんだべかな。

ホントに興味がないのであれば、さわいでどうこういうようなこともないよな~。


って、以前の日記でさ、昔の歌なりを見聞きして、俺ってなんか昔から狙われてるんじゃないか、と思ったことも多々あるが、

そういので、俺って特別というか、選ばれた人的な感じをもっていたころがあった。

驕りとかでもないが、実際何が何だか意味がわからないからな。現在も。


現在は、選ばれた人とかいう感じでなく、普通に、教えを説きに来た人なのかな、と自分の事を思ったりもする。

それと、修行をするために。


まぁ、こういう私の心情を言ったところで、一般世間の思考から脱することができない人には、理解されないかもしれないが、

別にそこは理解されなくても良かったりする。


しかし、俺が意味もわからずに、叩かれ始めていて、現在もテロ側の存在に意味もわからずに殺されそうなほどに

悪行をされているというのを理解して、いままでの日記を読んでみると、

内容を理解しやすいと思うよ。


テロ側の存在がなまら真理から遠いのが多く集まってるのが、

見てて哀れに思うことも多々ある。


その反面、俺もテロ側の存在にやられて

身体も弱ってきているが、そういう状況と状態を善い心ある人の目にとまって、

可愛そうに思われていることも多くある。





3月12日

本日も教えを紹介しようかと思いきや、このような時間であるので、シャワーを浴びて休息をしなければ、明日だるくなるので、

普通の日記を記す。

クリシュナムルティさんの話でもって、仏陀の教えに導こうとクリシュナムルティさんの本を読んでいたのだが、

これだけわかりやすく話しているのに、他の人はなぜ理解できないのだろうか、と思うほどに、

クリシュナムルティさんの話は、真実を見て語ってくれている。

「生とは何かについて触れることにしたい。
 生の現実は無味乾燥な仕事の繰り返しであり、それは常に闘いや葛藤を伴うものである。生の現実は孤独の苦痛であり、貧富にまつわる悲惨とあさましさ、野心、自己満足の追求、成功と挫折、悲嘆、こういったものがわれわれの生のすみずみを覆っている。戦いの勝敗、果てしない快楽の追求、われわれはこうしたものを人生と呼んでいるのである。」


あなたの思う人生というもの、またはあなた自身の人生は、このクリシュナムルティさんの言葉に含まれていますか。


クリシュナムルティさんの話は、この現実の世界の人々がどれだけ、思考の枠に覆われて抜け出せないでいるか教えてくれている。

現実の快楽の追求・思考の追及に気づかせようとしてくれている。

仏陀の教えを学ぶために、クリシュナムルティさんにおおよそ人の生というものに気づかせてもらうのは善いと思う。


後日、再びKの話も紹介して、仏陀の教えを理解できるように導くことにしようと、

春思う。





3月22日

前回の日記からもう十日もたっている。

いやいや、今日もラジオでテロ側の存在が変態的な言動を連呼していた。

さらに、「けす」だとかなんだとか。

ついにテロ側の者が正体を現したな。

って、そういうのも前からだったね。

しかし、テロ側の存在であるそちらの人は、なぜ自らのそのような暴言、悪語を愧じだと思わないのか。

慙愧の念がなければ正見にも入れないよ。

と、そういう俺は、2カ月くらい仕事で残業残業でいそがしく、禅定もしてなかったものだから、

最近、欲念がでてくる。

休日にたまに禅定をしていたが、ちょっとだけ、雑念がすごくでて、禅定になってなかったけどね。

毎日、一時間くらい禅定をしても、雑念を昇華するのに数日はかかる。

仏陀の教えを紹介する気にもならず。

一般ピープルの日常思考だ。


しかし、今日のそのラジオでさ、聞いてたけど。

俺ってホントにすごい人なんだな、と。

すごいなって思っていた。

ずっと叩かれている内容だけど、節々にちょっと俺をほめている言葉も入っているという

フラフラとどっちつかずな人も多いようだが。

やっぱり騒がれるほどに、何かある人なんだな、と。

別に驕ってないけど、実際そうだっけさ。


今日は、昨日も休日で一日中車の修理をしていた。

ボディの外装のパテ処理。

車を中古で買ったんだけど、


って、いや、その話をするのより、

テロ側のそっちの話で、

そっちの人達は、夢を描いて俺を犯人だと思い込まされて、

いろいろ道から外れている言動なり行動もしているけれども、

真理として、俺は犯人でもなく、テロ側の仲間でもなく、テロ側の関係者でもないので、

その悪業は、たとえあなたが騙されていたとか洗脳されていても、

覚りの障害となるよ。

たとえば、

仏陀の弟子の話でたとえるならば、

たとえば、騙されてダイバダッタに着いていったとかいう修行僧がいるとしよう。

その者はだまされてダイバダッタと一緒に悪事をしてしまった。

という話のように、覚りに到れないの、すぐわかるでしょ。

あなた方の行っている道がそういう道。

で、実際にテロ側の存在の悪語なりひどい暴言を聞いてみなさい。

どういう存在に共感しているのか、どのような集団に所属しているのか。また、霊的に言えばどのような存在に憑かれて悪語を発しているのか。

仏陀の教えで観て見ると、その言動なりを聞いたら、すぐに理解できるだろう。


善なる人は消すだとか、死ねだとかそういう発言をしない。


自らの言動なりを自らで省みて、現在の自らのポジションを理解されたであろうか。


ちなみに、私の現在のポジションは、たとえば、一般的な欲楽に数年ぶりに流されたようなもので、

現在、悪しき能力者の欲楽の念は、あたる。あたっあたっ。っていう感じだね。

やっぱり禅定をしていないと、欲楽の念を自らで捉えてしまうね。


欲楽の流れがあると、真理の微妙な静粛な流れがね、目に入らなくなるってことだ、と。

ということで、雑念を昇華するにも、早くても数日かかる。

数日、結構かかるだろうが、

私もそういうことなので、

禅定をしていない人っていうのは、よっぽど欲楽に流されない人っていうのは、

多くはいないだろう。

そもそも、世間の人は、欲楽を苦であるという真理を見ることのできる人からして少ない。


欲楽を苦であると真理を観ている人は、貴重な人であるというくらいに少ない。


現在の世界の人々の現状だな。



まぁ、雑念でいっぱいの俺が、現在真理を語るのは全くもってふさわしくはないのである。

と、いうことで、クリシュナムルティさんの話も延期するのであった。



修行しにきたっていうのに、禅定もしていないという話だな。

ん~、雑念があるときは、一般の人達と同じような欲念がすごく出る。


そういうところの、世間一般の人達は仏陀の教えを見ない、そして見れないっていうところだね。

世間の人の心が見て取れる。


まぁ、テロ側の能力者も世間の人と同様にそういうところは同じところを見ている存在が多い、と。

そして、同じところしか見れない存在が多い、ということだ。

違った能力があっても観えない壁を越えらない、と。

何故なのだろうか、もしかしたら、その能力のせいなのか、

さて、どうだろうか、

違った能力があって、人の感情なり、ちょこっと先を読むなり、人の心を誘導したとしても、

その間違った能力による行ないによって、自らが覚りにいたることはない。


そして、私は禅定という修行を行ないにきたのに、禅定をさぼっていてい覚りに到ることはない。

それ以前に、在家であるので、悟れません、と。

こういうことだったりもする。


世間的な欲楽。





久しぶりに懐かしい歌。

輝きは君の中に  鈴木結女

詞がある。





3月31日

本日は、先日ネットで検索していたら、酸蝕歯という歯の溶ける病気を知った。

昔小さい頃、炭酸飲料の××のを飲むと歯が溶けるとか噂で聞いたことがあり、

単なる噂だろうと、現在まで過ごしてきたが、

どうやら本当に歯が溶けるということがあるということだった。

そして、その病名を酸蝕症(酸蝕歯)という、と。


要するに、炭酸飲料のような酸性の飲食物を口の中にためたりすると、本当に歯が溶ける、っていうことだな。



酸蝕歯とは、

wiki より

「歯の化学的な損傷の一つである。酸蝕症に罹患した歯を酸蝕歯(さんしょくし)という。生活習慣病の一つととらえられている。現在では、「楔状欠損(Wedge-shaped defect)」の要因の一つであると考えられている。
好発部位としては上下顎の全歯であり、他の「tooth wear」よりも多い。形態としては、浅くU字型となっており、エナメル質表面が滑らかで光沢があるために、病状が進行しないと気付かないことも多い。
酸の作用によって脱灰される現象であるが、細菌が関与していないという点でう蝕と異なっている。 症状が進行すると冷たいものが歯にしみる知覚過敏や虫歯のような痛みを引き起こす。」

原因
・メッキ工場やガラス細工工場などにおいて酸性のガスに曝露、吸引するような産業性のもの。
・清涼飲料水、スポーツドリンク、ワイン、一部の果汁、ハーブティー、酢などの食品の摂り過ぎによるもの。世界保健機関(WHO)は酢や炭酸、クエン酸やアスコルビン酸の消費量に比例して歯が侵食されると報告している。
・逆流性食道炎、拒食症など、胃酸によるもの。
・ビタミン剤やアスピリンといった酸性の薬剤によるもの。

治療
 治療としては、歯科においてクラウンなどによる修復が行われる。しかし、酸蝕症に至った原因を突き止め、その原因を解決しなければ根本的な治療・回復には至らない。


予防
 東京医科歯科大学の調査によると市販の飲料120種のpH値を測定したところ、実に73%の製品がpH5.5以下であった。調味料やかんきつ類の調査でも多くがエナメル質を溶かすpH値を示した。例としてコーラ飲料はpH2.2で胃酸の数値(pH1~2)に近い(レモンのpHは2.1)。栄養ドリンクは2.5、黒酢飲料は3.1、スポーツドリンクは3.5であった。

原因となるものの摂取量の減少のほか、原因となる飲料・食品などを長時間口の中に入れず、摂取後は水やお茶ですすぎ洗いし、歯磨きを励行する。しかし、歯磨きのタイミングは、食事の直前1時間と直後1時間は避けた方がよい。



歯が溶けるのもそうだが、

歯が再石灰化で修復されるっていうのを、改めて知った。

再石灰化って言葉は聞いていたが、歯は修復されていたのだった。




最近1.5Lのサイダーを箱で大人買いして、

毎日サイダーを飲んでいるが、

大人買いって言わないべか、

そのように毎日サイダーを大人飲みしているが、

サイダーの炭酸がきついときは、ペットボトルをガッツリ振って、

炭酸を抜いて、また振ってと数回繰り返すだけで、結構炭酸はすぐ抜けるのであった。

そのように、数回繰り返すだけで炭酸がすぐ抜けるということも最近知った。


数日前も、そのように炭酸を抜くのにガッツリと振って、振った直後にパソコンをして、

パソコンに集中したら、サイダーをガッツリ振ったあと炭酸を抜いていなかったのに気づきもせず、

普通にサイダーを飲もうとして栓を開けた瞬間、ものすごい噴いた。


1.5ℓよりも少し少ないくらいの量だったのが、

一気に3分の1くらいまで減ったからね。

人生であれだけ、サイダーが噴いたのは初めてだった。

そして、キーボードにも大量のサイダーが掛かってしまったので、サイダーを拭くのに、キーの中まで拭ききれないので、そのままキーボードを水洗いをしたが、

キーボードは壊れなかった。

そのあと、大量にこぼれたサイダーを拭くのは大変だった、と。



そういえば、昔、小さい頃、炭酸飲料ではないけれども、缶に入った熱くなったコーンポタージュをプシュっと開けたら、コーンポタージュがものすごい勢いで天井まで噴き出たことがあった。

熱くなった缶のコーンポタージュは冷ましてから開けた方がいい。

現在は、そういう危険なコーンポタージュは売っているのだろうか。





4月1日

昔小さい頃、炭酸飲料の××を飲むと歯が溶けるとか噂で聞いたことがあるが、歯っていうか、骨が溶けるって言ってたかな~と今日考えてた。

まぁ、さすがに骨は、どうなんだろう。


コカコーラは胃に悪そうだから、飲むのやめようかな、と。

でも、目が痛くなるのかどうなのかをチャレンジしないと納得できないだろうからな、と。


血液が酸性になって目がピリピリするとか、なんかそういう感じでもないのかな。

コーラ飲料はpH2.2で胃酸の数値(pH1~2)に近いって、胃酸に近いっていうのが、

胃に悪そうだが、

どれ検索。


「酸性食品の多食で血液の酸性化」

って、なるんでしょ。


俺の考えが遠からずだったりするのか。


まぁ、しかし、pHの低い飲食物の良い点も探してみるとするか。

どれ検索。


酸性が強いものは、殺菌作用がある。

pH6.0~6.9くらいの弱酸性ミネラルウォーターにも殺菌作用があり、化粧水などに使用される、と。


検索したが、身体に良い点があまりなさそう。だが、

やっぱり、pHが低すぎても問題あるんじゃないか。

ほどほどでいんでないか。


そういえば、サイダーのpH値は何ぼだろうか。

検索。



大変だ、サイダーも3.2とか3.6とかだ。

胃に悪そうだ。

サイダーの大人飲みを卒業しなければならない。


まぁ、ジュースもほどほどに飲むのがいいのだろう。





4月5日

仏陀の教えを聞くことによって、善に向かえばその人の潜在意識も変わって行く。

宗教(真理)は本当の意味で人を、存在する者を救うことができる。



仏陀の教え(善法)を説くという行い。

その真理を説き弘めるという行ないをできたことを嬉しく思う。

真理を知る本当の天上の存在のメンバーに参加しているのは善い。


永い輪廻の中で、この善業は仏陀の弟子として、仏陀の教えに適う。



しかし、本当に善かったわ。

仏陀の教えを知ってから、仏陀の教えを大勢に伝えたかったからね。

私の夢が叶ったということでもあるな。

まぁ、テロの集いの者の悪行はないけど。

悪行にめげずに理法(善)を説き続けてきた結果だな。

結果として、真理を説く天神方と同様の行ないをしている自分がいる。


あなたの知る聖者・聖人方は善を説いていましたか。

世の父は、真理を説き弘めて、人々の目を覚ますことを善しとする。





4月6日

う~ん、やっぱり家の水道水を飲むと具合が悪くなるだよね。

うがいをするだけでも舌がピリピリと痺れるという症状が出るんだよ。

だから、水道水以外の飲物を購入していたのだが。

何回か、水道水でうがいを試みるとだね。やっぱり水道水でうがいをすると舌がしびれるんだよね。

水道水のカルキにアレルギーとかあるんだろうか。

ちなみに、サイダーを飲んでいたら、地図状舌はなおったが、サイダーを卒業しなければならないと、水道水を飲んでからまた地図状舌になった。

やっぱり水道水がダメらしい。


以前、一階に住んでいる住人が天井から水漏れするということで、水道のお湯の配管は修理していたが、その後、水道の元栓のところの金具も新しくなってたが、

あの時は、風呂のお湯を使ったらダメだというので、水でシャワーを浴びた。


どれ、

水道水のアレルギー検索。



水道水の塩素でアレルギーを引き起こす人もいるらしいと。

アレルギーで舌しびれるんだろうか。


どれ、もう一回水道水でうがいをしてみるか。


う~ん、すでにしびれている。


いや、もう何回か試しているんだが、

茶でうがいをするとしびれない。

サイダーを飲んでいたときもしびれない。

ということで、水道水だろう、と。


水道水を飲めば、すごい具合が悪くなるから、あんまり飲まないようにしていたのだった。

う~ん、舌が痛い。

家の水道水すごく濁って見えるからね。以前にも日記に書いているが。

そういうことでサイダーを飲んでいたのだった。


胃酸が原因であったとしても、うがいだけで痺れるってないだろうな~。

というような感じで、

本当に舌がしびれている現在。


とりあえず、また茶でうがいをしておこう。


塩素であれば、100℃で沸騰させれば、残留塩素が減るということらしい。


しかし、胃も悪いのもたしかだから、一概にそうとはいえない。っていうか、

昨日か、朝起きてから、水道水でうがいしてちょっと飲んだら、ものすごいしびれたから、

やっぱり水道水だと思ったのだった。

そして、現在に至る。



舌がしびれる病気。

胃ガンの末期とかって舌しびれるんだろうか。

胃悪いからな。

どれ、検索。



舌のしびれ、舌痛症とか。


まぁ、とりあえず、今日は休息。





4月9日

昨日と本日は休日。

昨日も車の修理で、今日は後部ドアの上の部分も塗装が剥げていたので、塗装をした。

クリアもスプレーしたが、磨いてないので輝いてはいない。

先日中途半端なパテ処理で終えたところを、もう少し塗装だけきれいにしようとスプレーをしたら、
スプレーの量が少なくさらに、寒かったからかな、スプレーの色が綺麗に噴射されず細かい泡が出てボソボソに噴射されたもんだから、本日、横のドアを逆に汚くしてしまったという状況になったのであった。

車の塗装はシリコンオフ(汚れ・油脂落とし)とプラサフ(下塗り接着剤)とカラースプレー(色)とボカシ剤(境目を綺麗にする等)とクリアー(クリアーが必要な色であれば使用)とがあれば、素人でもそこそこ旨くできる。

パテ処理は厚塗りを大量にぬってきれいにして、最後にうす塗りをすれば綺麗にできるが、横のドアは厚塗りパテの量が少なかったので失敗したが、
あとからドアごと変える予定なので、とりあえず適当にすませておいた。
気が向いたらなおすことにしようとも思っているが、
またパテを重ねるのは手間なので、スプレーするくらいだけでいいかな、と思っている。

早くも修理しているのにも「いやいやいや・・・は~(ため息)」っていうような事情があるのだが、

すでに購入してしまったのでしょうがない、まぁいいか、ということで、修理をしたのであった。





メディアの騒動は聞いていると、コロコロしてるね。

最近はそれでも数年前よりは、良識者が増えているように見える。

テロ側で悪語を言っている者が際立って見えてきている。

善語を語る者と悪語を語る者との差が際立って見えてきている、ということでもある。

進んでいる道でもってその心の距離も大きく離れてきているっていうことでもあるだろう。


善行者で驚く人もいるだろうけれども、

悪行者で悪語を語る者がいるのであるが、

その悪行者で本当に、善行の心というものを理解できないものもいる。

そして、聞けば理解するものもいる。



悪心を持つ存在、悪霊、悪念の塊。

善心を持つ存在、善神、善霊。

世に存在するもの、

人間より他の存在。

そのような存在にも、

喜怒哀楽があり、

生、老、病、死の苦しみ、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、

五取蘊苦がある。



人間ではない存在、

動物、妖怪、化け物、悪霊、善霊、地獄の存在、餓鬼、阿修羅、天上の神々も

高級とされる神・神々もまた、苦を受けるのである。



ある存在やある聖人は、人々を善き土地へ・天上の国へと導いた。

ある存在やある聖者・聖人は、人々を善きところ・天上の国・梵天の世界、色界・無色界へと導いた。

仏陀と仏陀の弟子は、人々を、この世とあの世の存在を、天上の神々・梵天・色界・無色界の神々を、一切の苦しみの滅である安らぎへと導いた。





4月10日

本日は、体調不良。

いや、本日も。


いや~、しかし、今日、昨日もだったかな。

こう、やさしい気持ちでずっといられたらどんなに心安らぐだろうか、と。

リアルにあたたかな気持ちなんだな。

ああいう、安らぎを知らないんだろうかな。

ん~、どうなんだろうか。


最近、34歳にして、すでに人生にそこそこ満足をしているんだな。

やることやったし。


人は心に安らぎがあれば、他に何を求めることがあるのだろうか。


まぁ、しかし、悪業者に嫌がらせを受けて大変だが、

どうなんだろうかな。

現在のこの人生、すでに34歳。

34歳。

現在のこの地球上で人生34歳の人はどれくらいいるだろうか。

34歳。

まぁ、34歳でなくても、

大勢のたとえばその34歳、その一人一人にそれぞれ人生がある。

喜怒哀楽があり、愛別離苦があり、怨憎会苦もあったり、求不得苦があったりもする、

一人一人にそのような事柄を経験してきたという人生があるわけだ。


一人一人それぞれが大切な人生を歩んできているわけだ。


一人一人それぞれに大切な人生。


大きな争いがあったり、大きな災害があったりして、大勢の人が苦しみを受けているのを見たりしたときに、

その大勢の中の一人一人にそれぞれ大切な人生がある、という現実をも見ると、

本当に争いはしてはいけないな、と俺はつくづく思う。


と、途中から普段私が思っている話になったが、

人は、その人の苦しみを理解できれば、その人にたいしても、他の人にたいしても、同じ苦しみを抱いている人にやさしくなることができる。


これもやさしさっていうあたたかな話だが、

本日最初に話したやさしい気持ちっていうのと、また微妙に異なる。

大きくいうと、含まれていないわけでもない、と。


うん、こまかすぎる、と。


まぁ、そういうのはいいとして、と。


今日もまたこのような時間になってしまった、23時40分。


休息。





4月17日

人の優しさにふれる。

あなたは人の優しさにふれたことがあるだろうか。

心満たされて涙を流すほどのやさしさに。


そういうやさしさに自らふれたことがある人は、その心あたたまる感情を知っているので、

他の人にも優しくできる。

また、前述の

『人は、その人の苦しみを理解できれば、その人にたいしても、他の人にたいしても、同じ苦しみを抱いている人にやさしくなることができる』、と。



他の人にやさしいというのは、その人自身はすでにあたたかな心で、なおかつ、他の人にやさしさをあたえてその人の心までもあたたかな心になる、と。


心善い風だな。


人間の世でも、心善いというのに、善処の存在は、さらに一層心善い。

善処の存在は、心善い・心優しい存在が集まる。

善処の存在は、心善い・心優しい存在が集まっている。



そのような心善い・心優しい人が集まるとどのようになるのか。

そのような心善い・心優しい人同士での争いごとはとても少ない、または争いはない。

そのような心善い・心優しい人が集まるところでは、多くの人が心あたたまる、安らいだ心になることもできる、と。


そのような心優しい存在・心善い存在が出生するところを善処・天上・天の国という。



反対に心悪い・心に悪心を持ったものが集うとどのようになるのか。

そのような心悪い・心に悪心を持ったもの同士での争いごとは絶えない。悪業、暴言、罵詈雑言、悪口、嘘言、二枚舌。

そのような心悪い・心に悪心を持ったものが集ったところでは、多くの人が心あたたまる安らいだ心になるということはほとんどない。


そのような心悪い・心に悪心を持った存在が出生するところを悪処・地獄という。





4月19日

本日は、休日で車の掃除をしていたが、

今日もまた、ラジオでガッツリとストーカー集団が騒いでいた。

テレビは善の教えが良いというようなのが多く見られた。



我が家に隠しカメラがどうとかこうとかという話らしいが、

以前も言ったけれども、わたくしは聖者でもなんでもないから、

俺の私生活を見てても、別に悟れないよ。


隠しカメラとかいうストーカー行為は犯罪行為でしょ。

本当に、テロ側の存在って、そういう犯罪行為が悪業であるっていうのが理解できないのだろうか。

そちら側の存在はそういうところの話だからね。


家が荒らされているとかいうのは、

掃除していないから、犯罪者が侵入して部屋を多少あらされても、

ちょっと気づけないくらい現在部屋はあれているのであるが、

今日はもう、掃除はいいかな。

来週掃除しようかな、と。

そういう甘ったれた思いを出しつつ現在この日記を記しているのであった。






そういえば、前に脱衣室の点検口のところに、どう見ても点検口から降りてるだろっていう、しかも降り方ガッツリ下手だしっていう靴の痕らしき汚れた痕が壁に広範囲についていて、

その痕は一応携帯のカメラで撮っておいたが、次着いてたら警察を呼ぼうと思っていたというのがあった。

しかし、点検口から侵入っていうか、点検口から来たなら隣人とかくらいか、隣人は以前と違う人物がまたしても二人で住んでいて、なんかよくわからないが、簡単に断定されるから、

とりあえず、いいか、ということで、他の侵入者が天井に隠しカメラを仕掛けるために点検口に上ったときについた痕とかでも、まぁ、たしかにつくな、と。今思った。


しかし、なんか俺を聖者か何かだと思っているのか、と。

普段の生活を日記で記しているというのに、普段は普通だっていうのがわからないのだろうか。

普段は普通って、普段以外はどうなのか、と。

普段以外って何なんだっちゅう話だな。

普段以外って何なの。

普段以外。

いや、別に普段以外って、普段が普段だから、普段しかないけどね。


ドライブに行ってひとりで散歩するのも、別に以前からしていることだから、ストーカーの者にどうこう言われる要もない。

たとえば、その散歩する場所が、あなた方にとっては霊的な存在等を恐怖して暗い道だから歩くのが怖いと思っているとしても、

そういう街路灯のついた側から見ると、一見暗い道であっても、その暗い道をひとり静かに歩けば満点の星々が綺麗に輝いている心静かになる道であることを

恐怖であるとしか見ない人は知ることがない。



テロ側の存在がガンで殺すとかって、変わらずの悪心を抱き続けているから、

仏陀曰く、仏陀の弟子と、善人はそういう悪しき存在と親しんではならない。



テレビでも、悪語でてる。

日本生命のCMも何。

俺日本生命のガン保険に入っているんだが。


しかし、テロ側犯罪者の存在の悪語なりを長いこと聞いてても、話を理解できないだろうか。

テロ側の存在の悪業は、すでに道から外れすぎている。

道から、良識から外れている。



三菱アウトランダーのCM


現在22時30分。


しかし、テロ側の存在は変わらないな。



人間としてというか、一つの存在として、今、善く変わらないとあとから変われるもんでもないんでないのかな。

悪業者が悪処・地獄というところに出生すると、人間として出生するのは、盲目の亀のたとえでいえば、

奇跡の奇跡くらいの、ものすごく永い永い期間に出生できるかできないか、という話なのである、と。



畜生として出生したとしても、全部が全部、人間のペットのような良い生活はできないわけで、

その大半の多くは、弱肉強食の世界で、ホントに喰われる世界だよ。


善い心でもって、善行をしていれば、そういう不安もないわけだよ。

更に言えば、善い心で善行を繰り返し行えば、もっとかなり善い出生になるということも言われている、と。


まぁ、現在の身体を捨てなければならない数年後、数十年後の話だけれども。



天上の存在は、この苦しみが多く、忍耐するべき世界の娑婆世界(現在の人間の世)に比べ物にならないほどの、安楽がある、と。

心地よさの想像をはるかにこえるほどの、どうたらこうたら。


まぁ、書物とかで、善処・天上の世界へ出生した存在は、人間の世界のようなところへは降りたくないというようなのを言っているとかいうのもあるけれども、

見たことないだろうか。



そう、何故私は、この娑婆世界に来て、毎週車の掃除をしなければならないのか、と。

そう、中古で車を買ったんだけど、車を(・・・省略・・・)というような事情があっていろいろと修理をしたりしているわけなのだった。

とりあえず、そういう話は置いといて。





仏陀の弟子よ。

ここに集え。

仏陀の教えを弘めようではないか。




仏陀の教えを弘めるにしても、メディアはすでに悪業者の手で動かされているからな~。

困ったもんだ。



何かいい策はあるだろうか。


善を成就するのを急げ。

人の寿命は短い。



そして、わたくしもこのように、仏陀の教えを説き弘めるのであった。


そして、今日は休息するのであった。





4月20日

本日も、テロ側が広告でテロ活動をしている。

携帯のギャラクシーだったか。

×××のGALAXY(携帯)か。


ちょっとまった、ギャラクシーなんか種類がある。


GALAXY 46だったか、6がついてたCM。


まぁ、見ればわかる。

(docomoの GALAXY S6のCM)


テロ側の企業はだいたい同じ企業だね。


というか、昨日の騒ぎはテロ側の存在の言ってることもエロいし、変態だって。

自分達の言動をよくよく考えてみるべきだろう。

ストーカーに洗脳、エロいし、変態、犯罪者、悪業、悪口をやっているのがそちらの存在。


しかも、だんだんそういう存在が集まってきてるんでないの。

そういうところに、そういう存在が集う。


そのような存在が集っても、国を善くするってことはできないべな。

同じように、『ストーカーに洗脳、エロいし、変態、犯罪者、悪業、悪口をやっているのがそちらの存在』というような存在は増えてしまうだろう。

まぁ、そちらに同調している存在は、実際に同じような悪業を重ねているでしょ。そっちの。

そちらのあなたはどう思う。

そういう集いがあなたの周りにいますか。



いや~、しかし、ホントに普通わかるような話ばかりを毎日毎日説教している、俺。

この努力はいずれ報われるんだろうか。


善行者が増えるのはいいね。



コカ・コーラのCMは、

コーラのphを、もっと胃酸から遠ざけて(さらに、他、身体に悪い成分があれば、悪い成分も無くして)体に良いコーラを作ったらいんでないの。

要するに、そういうことなんじゃないの。


歯がとけるとかっていうのも、ちょっと、身体に悪い飲物は、さすがに、健康を考えている人はあまり飲みたくはないだろう。

と春思う。


味は、のどが乾いているときは、旨いと思ったことは何度もあるよ。



森永乳業のビヒダスのCM


CMは道から外れている企業のCMだよ。



何度も悪業を重ねている企業。

悪業を見て、それを止めてあげようともしない悪友。


善き友、善き企業は悪業を止めるというのを普通の考えとして持っているんではないか。

数年仏陀の教えを説いても、悪しき理念の企業がそろったところに教えを説いても、テロ側の企業の悪業はとまらなかった。




仏陀の教えを聞いて、目が覚める人はたったの一度聞いただけでも目が覚めるという。

数年間も教えを説いているというのに、なんということでしょう。



う~ん、

理法(真理)は悪業者には理解されない。

理法(真理)は悪業者に理解することができない。


のも、

仏陀の教えで善処に行く人は、善業者であるので、ある意味そりゃそうな話でもあるという話。



う~ん、

仏陀の教えで記すべき教えは、

たくさんあるけれども、

私は、自分で経典を読んでいるから、多くを知っているが、

私のHPで仏陀の本当の教えを知った人は、多くを知らずに、いまだに理解できない部分が多いか。


俺も情欲に流されっちゃうところがあるからな~。


それだけ知っているというのに、

在家でいるというところも、

ってな感じだな。



仏陀の教えを原始仏教を知らないお坊さんに聞いても、本当の仏陀の教えを聞くことができない。

そういう状態では、まぁ、多くの人は普通は迷うか。

俺も本当の教えにあってないときは、謎だらけだったからな。



そういう迷いっぷり・盲信の心は理解できる。


そもそも、大勢の人に、仏陀の教えは、遠い先の話でもなくて、

『現在の身体を捨てなければならない数年後、数十年後の話だけれども。』

という真実をも、理解しているようで理解することが難しい人もいるだろう。



今日のこの文章を原文でもコピーででも何でもいいが、この文章を読んでいる人全員についての話でもある、

『現在の身体を捨てなければならない数年後、数十年後の話だけれども。』

ということなのだが、

賢い人は、数年後、数十年後にそなえて、善業を行う。そして、現在の身体を捨てるときになって、天上の世界、善処に出生する。

愚かな人は、数年後、数十年後にそなえずに、悪業を重ねて、ついに現在の身体を捨てるときになって、地獄に堕ちる。





4月22日

本日も、車に乗っていて信号待ちをしている時に鳥が車の前を横切った。

信号待ちで前に停まっている車との間が2メートル位で、隣に軽四が止まっていたが、

その前の車との間をカラスが二台の並んだ車のフロントガラスより低く飛んで横切っていった。

隣の車を運転している女性もカラスを見ていたが、

鳥現象は最近暖かくなってきたからか、ちょっとまた増えてきたアホ現象だ。


一時はこういう現象があったのだ、という夢話でなく、

継続してい現在も起こっているというアホ現象なのであった。



いまさら、車の前を鳥を横切らせて訴えてくるものは何かあるのか、と

何なんだべ。



飛び方に点数でもつけてほしいのか、と。

鳥の飛び方は、どのカラスを見ても、ハトでも、同じような飛び方にしか見えないけど、

多少の違いはあるんだろうか。

カラスとかハトとかにも、美オスとか美メスがあるんだろうか。


まぁ、カラスとかハトに興味はないが、


そういえば、

昔、車を運転していて、会社に遅刻をしそうだったのでスピードをだしていたのだが、

道路が少し坂になっているところがあって、そこを上ってから下るときに、

スズメが低空飛行で飛んできてさ、

正面衝突をして、スズメを轢いてしまったことがある。

スズメは死んでしまっていて、申し訳なくて土に埋めて、あとからお線香をあげた。

今でも忘れられない思い出。

しかも、つがいのスズメでね。

なんということをしてしまったんだ、と思い、

再び、供養しにいったんだが、似たようなところがあって、埋めた場所を忘れてしまったので、

おそらくここら辺だろうと思われるところで線香をあげて供養をしてきたことがある。


坂を上ってから下りになるところで、視界に入らないところから低空飛行で突っ込んで来たから、どうしようもなく。

思い出すとタメ息がでる。



というような、過ちをしてしまったことがある。

数年後、また再び供養をしようといったことがあるが、草ぼうぼうで場所が全然わからずだった。





4月23日

本日は、

昨日の話で、すずめの話でつがいのすずめっていうのは、

別につがいを轢いてしまったとかいう話ではないよ。

土に埋めるときに、もう一匹が地面に降りてすごく近くまで寄ってきて見てたからね、

かわいそうなことをしてしまったと強く思い、その見取っていたすずめにも謝った。


二匹で遊んで飛んでるときに、坂の下から飛んできたから、

すずめの側も見えなかったんだろう。


そのすずめの話はもう10年以上前の話で、HPの悪霊の話とかと関係ない話。





4月24日

本日は、

人の日記を見て、嘘だとかなんだとか、何か言っているのもいるようだが、

まぁ、そういうのはほっといていいだろう。


しかし、テロ側の悪心を持っている存在が、騒いでいるね。

現在騒いでいる悪語を語っている存在と親しむべきでもないだろう。

長いこと教えを聞いても、理解せずに悪業を重ねるという存在は、

そうそう善処に赴くことは難しいのだろう。

要するに、善業を成就することも難しい、と。


テロ側が人々に悪心を抱かせて、共に悪処に堕ちていっているっていうのが、

なんか、見ててやっぱり善行に進むことが無理、難しいんだべな~と、思う。


仏陀の教えにより、

悪しき者が善業を行うことは難しく、悪業を行うことは容易である。

善なる人が善業を行うことは容易で、悪業を行うことは難しいという教えのようになっている、と。



善なる存在を、悪しき者が惑わして悪処へと引っ張っていっているので、

仏陀の弟子と善なる存在とその善き友は、そのような悪業者と親しんではならない。



今日思ったんだが、

話が変わるんだけど、もしかしたら、後の生存でも注目を浴びるようなことがあるかもしれないな~、と、

以前にも思ったことでちょっと記したか、

現在は悪しき者達に絡まれているような最悪な状況において、善人の人たちにも親しまれているのもあるが、

仏陀の教えを伝えているし、人々を理法へと導き、人々に善行を勧めるというこの善業。

可能性がありえるな、と。


いろいろなところでなんか善いい意味でも悪心あるものたちが悪い意味でも騒いでいるのを見て、

どう考えてもこの状況は、普通ではない。

と思ったけど、

どう思う。


この生存で全くよくわらかない悪業を多く受けてしまっているので、ついでに、その悪業を無くし、

次の生存は、現在の善業を多く受け、そして、その善業をさらに増やす。

とかそういう存在設計。


しかし、世間の騒ぎを見ていると、なんだかわけのわからない人生だな、と。

自分の人生ながら、思う。


帝釈天等な神々も、周りに思念を読めるような存在は多くいるだろう。

その隠し事ができない中で理法に依って生きるという、

そういう天帝として立っているというのが、一生二生の善業のものでもないって話だな。



なんか途中から話の内容が変わっていったが、

まぁいいとして。



人々を仏陀のもとへ、理法(真理)へ、仏陀の僧伽へ、善へ、善行へ、善の心へと導くと、

このように、後の生存を恐れる必要が全くない。

善い存在設計も抱くことができるのである、と。


悪しき存在が怖れを抱く死後というものを、

善なる存在・善業者は、怖れを抱くことがない、

かえって、ドキドキワクワク感すらあるという。

そういう話だべ。



いやいや、ドキドキワクワク感は(可能であれば)きちんと寿を全うして、さらに善業を多くした後というような意味でだよ。

悪しき者の側がまたCMで出てきてる。

テロ側の存在の行ないが本当に堕ちる方向に進んでるよ。

さっきの三井アウトレットパークのCMもでないか。


カルピスのCM


だから、そういう悪心を持っている企業の経営者、大株主の悪業ということでもある。

ビヒダス 森永乳業のCMは先日もか。


三井アウトレットパークのCMは、ちょっとまた見てみる。


今日の金曜ロードショウのCMと、その時間あたりのCM。





4月25日

本日は、

おしい、西松屋違うCMで二枚舌で堕ちだった。ZOJIRUSHIのCMも悪業の堕ち。

三井アウトレットパークのは、三井アウトレットパークの内の眼鏡市場のCMだった、悪業の堕ち。

SMBCのCMって、どこだ。SMBCのCMもやってたような。

またどこかでCM入ったら確認してみる。


テロ側のノリがパチンコ屋のジャンジャンバリバリっていう感じだな。

野球のとか聞いてて思ったが、集団意識でもって理性を失って悪業をしてしまうから、

そういう悪心ある集いに子供達なり、理法を知らずに、自己を観る事をしらない人は悪い方に流されるから、

そういうのでも悪しき者と親しんではならない、と。

私はパチンコをしたことがあるが、パチンコ屋の中に入るとなんか具合が悪くなる。

あの空気がダメなんだろうかな。


う~ん、テロ側は大きい企業とかだけど、一時の大企業とか、その経営者なり株主なりが、悪魔側に付いて、仏陀の弟子を亡き者にしようとして、

理法に反するとか愚かな行いは、一人の存在として、やったらダメだよ。

その肉体を捨てて、地獄に堕ちたらもう終わるんだよ。

一時の愚かな享楽に酔って、道から外れてはならない。

あなた方。

仏陀は人々をあわれんで、苦の滅へと導く。

あなた方の悪業は、少しずつ少しずつ確実に増している。

その悪業は、あなた方を善処へと導かない。





4月26日

本日は、

休日でPCの具合が悪いので、セットアップ。

SMBC(三井住友銀行)のCMは、同じCMでも言動がコロコロと変わっているみたいだが。


こうやって長いこと見てると、北海道の函館でやっている企業のCMもそんなに多くもないんだな、と。

限られた範囲の企業が、テロ活動をCMなり広告でも助長している。


テロ側はなぜに、仏陀や聖者側を選ばずに悪魔側を選んでしまったのか、と。

仏陀は決して、そのような悪業を善行であると説かれることはない。

普通に考えたらわかる事柄なのであるが、

テロ側の存在は仏陀の教えを理解しなかった。


テロ側の存在が、仏陀の弟子を”殺せ””殺す”だのなんだのと、悪語を語って悪処へ通ずる道にしか進めないように自らを縛っているような行いをしているのを見つつ、

こっちは長いこと治療の邪魔もされて今日も胃のあたりはかなり痛いっていうのに、まぁ、仏陀の弟子が苦しむことをしてきた悪魔側は

人の苦しみを喜んでいるわけで、そのように人の苦しみを喜ぶという存在ということだな。まぁ、行ってきた悪行が成就しているわけだからな。

まずまず、価値観が全く違うからな~。

仏陀と理法と仏陀の僧伽の方々と、当然ながら仏陀の弟子の私とも全く違う。


この娑婆世界は、そのような存在が多い。善人も悪人も存在している。

欲界の天部と悪しき者の間でも争いはあるからね。まぁまぁ、そりゃ娑婆世界の存在にも争いが起こるだろう。


悪行を成就して、これから、後に悪処へと進む存在は、阿修羅の餓鬼、畜生、地獄と廻ることとなるだろうが、

そのような存在が悪処の世界へと進むと、そちらの暗闇の方では善行をするという存在は更に少なく、争いはさらに多い、と。


教えで言えば、私の場合は、これから善処へと行くことになるので、これから、善行をしていた善心ある存在が多いところに行くことになるわけだから、

争いが少なく、安らぎが多いところに行くということになる。

そのような善人の集まるところでは、悪業をつくることは少なく、善業をつくることは多いだろう。

欲楽心が問題だろう。

天部の寿命は長いので、欲楽に浸り続けて、苦というものを感じずに、苦を見ない。

という、無明にとらわれるという危険もあるか。


善処へ行ってからの話は、さて置き、

現実の世界としての話では、あと数日、数年、数十年の内に、

死んでしまうのよ~っていう、定めなのである。

テロ側のあなたも、同様に。

なぜならば、人間だから。by何とか

みたいな話だべ。


神秘家の人は、地獄はないと語る人もいるが、

クリシュナムルティさんも地獄はないって語っていると思うが、

全知者(仏陀)は地獄という世界は存在していると説かれている。

日本の仏教の僧侶や他の神秘家でも、地獄に行ったという話の書物はあるが、

イエズスも地獄は存在すると説かれている、他聖者聖人も地獄を説いている方はいる。

説かれている地獄の様子もおおよそ似たような話であって、その説かれている内容は似ている。


この世にあって、波長等が違うことによって、同じ世界にいながらその存在を見ることができない。

人間の聞こえない音(Hz)の領域でも、動物は聞き取ることができるという。

動物だけ聞こえる音の領域で、”バーカ”と罵られても、”(E)~”とか褒められても、

人間に聞こえることはないのである。


波長っていうか、真実は科学では、ちょっと無理っぽいところが多そうだな。


ただ、現実の世界としての話では、あと数日、数年、数十年の内に、長くてももう少し長いだけで

人は寿命が尽きて死んでしまうという、定めなのである。



諸行は無常である、と。





4月29日

本日は、昨日夜間作業をしたので、休養。

さきほど、邪念を祓い、TVを見ていたが、

テロ側企業のCMで、ブシモというのの、ギャルのゲームのCMでがテロCMをやってた。とてもひどいありさま。

世界で1000万人どうたらこうたらって言ってたが。すごい悪いCMだわ。

あと、ニチバンという企業のCM。

そもそもブシモって知らないから検索。

”ブシモは株式会社ブシロードが提供する、スマートフォン向けのゲーム&コミュニティプラットフォームです”
ということだそうで、悪業を広告している。行いがとても悪い。


テロ側の能力者の話で、こちらの念を読んで、悪業だと知っているのにテロ側の存在に念をいいかげんに、また、悪しき心を抱いている等と悪しく伝えるという悪業をしている能力者に対して、

その者が念を読んでいるのを知って、あえて、直接その者に”愚か者よ”って言って忠告をしているというのに、

まだ、なんか、こちらが憑かれているとかいいたいのかなんなのか。

テロ側が愚かな行為をしているというのはいいかげんわかるべっていう話なんだけど、そんな簡単な事柄に気づけないそちらのテロ側の能力者は、

悪霊に憑かれているんではないのか。

普通にさ、常識で考えたら自分達が直接話しあいもせずにこそこそやっていること自体でわかるべ、普通。


ちなみに、私にもわかるくらいの話なら、天神にも、もちろん聖者方にも隠すことなどできようはずがないっていうのもわかるだろうか。

そちらの者は。


わからないんであれば、そういう事柄を理解した方が善いよ。

そちらの者のために忠告をしているんだけれども。

言っている意味はわかるだろうか。


こちらは、念を読んでどうとかこうとかっていう、そういう子供じみた事柄の話のためだけにいろいろと理法を説いているわけでもない。


聖者方の理法を見ても見えないか。



真実は一つ。

テロ側の者達が1万人、10万人、100万人、1000万人、1億人、10億人、100億人、1000億人が洗脳されて、仏陀の弟子の一人を犯人だといったとしても、

その人が真実、犯人でないのであれば、1億人が洗脳されてその人を犯人だと言ったとしても、真理として犯人になるということはない。

そして、その人、私はテロ側がやっている悪業の犯人ではない。


教えをよく理解した方がいいよ。

早くに。

もう、そちらの存在は邪道に入って進んでいるのだから。


善行を急ぎなさい。

普通の人でも、善行を急ぎなさいっていう話なのに。


テロ側の存在は、ホントにもう悪業を積んでるからね、なかなか難しいとは思うが。


善業という依るべがないっていうのも、悪業ばっかりしているのであれば、真理を知れば、真理に畏怖することにもなるだろう。

その畏怖の念を解消しようと、悪しき仲間を増やしても、愚かな道連れを増やしても、その畏怖の念は解消することはない。

一時、解放されてような気分になることもあるかもしれないが。


ここに仏陀の教えやイエズス(エムマーヌーエール)の教えを学び、知り、毎日たのしく学んでいる一人の、春という教えを学ぶ者がいる。

その人は、教えを学び、知っても、畏怖の念を感じるわけもなく、ドキドキワクワクしたりしながら、人格完成者はこのような心を持っているのかと、

日々学んでいるのである。

その人は、真理を知り学んでも畏怖の念は生じることがない。

他にも、世界に善業者は多くいて、真理を知り学んでも畏怖の念を生じないという人は大勢いることだろう。


そちらの存在は、真理を知ってどのような念いが生じただろうか。



仏陀は、イエズスは、悪行をさせるような教えを説いているのだろうか。

仏陀もイエズスもそのような悪しき教えを説いてはいない。


教えによっても、良識で考えてもみても、詐欺士の言っていたMっていうのもない。





すでに悪業を多く積み、道の光も見えない者も多いだろうが、

勘違いをしてはならない。


仏陀は慈悲により人々を苦の滅へと導くという、愚かなる者にとっても救いの光であって、

愚かなる者を地獄に堕とすような方ではない。



仏陀はこのように説かれる。

「私の教えは、清き水のよくすべての汚れを洗い去るがごとく、貧富・姓種・男女の別あることなく、ただよく道を修める者をのみ救い導く。

私は尊きがために国王・富者を選ぶということはなく、かつて賤しきウパーリ、貧窮であったシュラータも導いた。愚かなる者、多欲なる者も、私はことごとく機に応じて導いた。

私の教え(理法)は偏党なく、平等にして正道を示し、すべての衆生のために、安らぎの道をつくる。」





5月3日(2015年)

本日は、

海面にうつる月明かりも美しく凪、静かな海だった。

寒くもなく暑くもなく、静かですごい気持ちが良い海だった。

遠くで船が動いていた波がうるさい波の音を出すくらいの静かさ。


巷の喧騒は無く、静かで穏やかな空間があった。


都会に住んでいる人の生活を思うと、巷の喧騒が少なく、静かで穏やかなところにふれるっていうことが

あまりなさそうに思えるが、どうなんだろうか。

あれは、喧騒のあるところにはない静かな心地よい空間。


穏やかな心というものを知り、穏やかな心というものを見る。

静かな心というものを知り、静かな心というものを見る。

心地好い心というものを知り、心地好い心というものを見る。



正道を実践している人は、人生で多く、普段から穏やかな心に触れ、普段から静かな心に触れ、普段から心地好い心にも触れる。

八正道を行く人は、多く心静かな安らぎを感受する人はいるだろう。


邪道を行く人は、人生で多く、普段から悪しき心に触れ、普段から静かになれない心に触れ、普段から落ち着かない心にも触れるだろう。

そして、心静かな安らぎを感受することは少ないだろう。

なぜならば、

『この世間の人々は執着のこだわり(五つの感覚器官の対象、眼に色形、耳に音声、鼻に香、舌に味、身に触)を楽しみとし、執着のこだわりを悦び、それらの執着を嬉しがっている。それらの執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、それらの執着を嬉しがっている人には、〈これを条件としてそれがあるという(全てのものには原因があって、結果があるという)〉縁起という道理は見難い。またすべての形成作用(存在)のしずまること、すべての執着を捨て去ること、渇愛(渇欲)の消滅すること、貪欲を離れること、煩悩の消滅すること、止滅、それは完全なやすらぎ(涅槃・ニッバーナ)であるというこの道理も理解しがたい。』



仏陀を見ず、理法(真理)を見ず、仏陀の僧伽を見ず、

仏陀の弟子を亡き者にしようとして、さらに、教えを説く仏陀の弟子が亡くなることを喜んでいるような、

そのような無知で悪心を持つ愚かな存在が、道理を理解することは難しい。



仏陀を見て、理法(真理)を見て、仏陀の僧伽を見て、

仏陀の弟子を友として、さらに、仏陀の弟子の説く教えを喜んでいるような、

そのような明知あり善心を持っている賢者は、道理を理解するだろう。



愚かなる者は、遠く遠く離れて行っている。

悪行を繰り返し行った結果として、良識ある理性を無くし、現在では悪語、悪行を日常で愧じることなく行うまでに堕ちている。

理性を無くし、自らが犯罪者に加担している、又は自らがすでに犯罪者であるという現実に気づくこともない。

そして、周りにそのような常識的な事柄を忠告してくれる善行者や良識ある存在もなく悪行を繰り返し行っている。



『仏陀は慈悲により人々を苦の滅へと導くという、愚かなる者にとっても救いの光であって、

愚かなる者を地獄に堕とすような方ではない。』


愚かな存在は、自らの悪業によって地獄へと堕ちる。






5月7日

本日は、

今日もまた、テロの悪業者が騒いでる。

もうテロ側がだいたいいつもの企業。

世間を騒がせて、またいつものように大勢を暗闇へと引っ張っていこうとしている。


もう何度も言っているが、そのような悪しき者と親しんではならない。(繰り返し述べる)

本当に親しんではならない。

もうテロ側の企業のCMを見てても、良識を逸脱しているのが誰にでもわかるくらいに堕ちている。


悪しき輩、悪友を友にしてしまうと、悪しき行いを愧じることなく罵詈雑言のCMのようなあのように行うようになってしまう、だから、そのような悪しき者・愚かな者と親しんではならない、と。

自分に子供がいて、子供を善良な善人にして、善処へと導いてあげたいという人がいたら、

自らの子供をそのような悪しき存在・愚かな存在に親しませてはならない。

子供は、周りに存在の影響によって、黒にも白にも染まりやすい、と。


その子供を善処へと導くか、悪処へと導くか、それはその子の父・母、パパ・ママ、おとっつぁん、おっかさんのあなたの教え導きによって、

その子自身の業、善業を行うようになるか、悪業を行うようになるか大きく左右することにだろう。

要するに、その子の尽きることのない輪廻にも大きく影響することもある。

仏陀の教えを知らない一般の人でいえば、永~いスパンで見たら、それほど大きく影響されることはないかもしれないが、

理法を知って、善処へと導かれる子供っていうのは、永~い輪廻においても、大きく善い影響を受けることだろう。


たとえば、

え~と、たとえば、私がHPで善行へと導くことによって、HPによって理法を知った人は善行へと導かれることになるだろう。

善業者は天上へ、悪業者は地獄へと堕ちる、と。

しかし、私がHPで悪行っていうのはじつはいいことなんです、とか、わけのわからないことを言ったり、テロ側の存在のように、公共・おおやけの場で愚かにも悪行へと大勢の人々を悪業・悪念へと導いたらどのようになるだろうか。

少なからず、悪業を良いことだといって行うようになる存在もいることだろう。


そのようにしていたならば、現在のように、私は悪業者からは厭われ、善業者からは善意をもたれるのでなしに、

悪業者から好意をもたれ、善業者からは厭われるというようになっていたこともありえるだろう。



悪業者の集いのカルマ。

テロ側の企業のCMとか見てても、どう見ても悪業でしかないのも多いからね、

すごい遠く離れていったな、と。


どうしてあそこまでひねくれてしまったのか、と。

う~ん、あそこまで普通、良識を失うことはないだろう。通常。


よっぽど悪霊に憑かれてないか。

まぁ、そちらの悪業者は悪魔に導かれているっていうのは、すでに何度も気づかせようとして言っているが、

きちんと、自分達自身の悪業をしてしまっている愧ずべき心、テロ企業の集団意識、集団の念をみたほうがいい、っていうか、

集団の念を見ても、まぁ、悪いのに引っ張られる存在の方が多いだろうから、

さきに、悪しき存在と親しまないで、純粋に個になってみた方が善いよ。

早めに。または、善業者と親しみなさい、と。

あなた方の場合すでに、悪処へ流されている流れがなまら早いようなので、

早めに、悪しき存在に親しまず、善なる存在に親しむ、と。


愚かな存在が、悪処へと流されてしまっているうちに、

善なる存在は、善を学んで善処へと歩き始めている。


そして、すでにかなり距離がある。

遠くに行っているので、価値観も異なってしまい、

現在のテロ側のCMを善の心を持つ普通の人が見れば、愚かだとか、人として恥な企業だ、とか、テロ企業に呆れている人も大勢いるだろうが、

悪魔・悪念・悪行によって遠くまで、暗闇に流されている存在は、善の心を持つ普通の人が見れば、愚かだとか、人として恥な企業だ、とか、呆れるような行いでも、繰り返し行うまでに暗闇へと流されている。

そのように行ってきた業の違いによって、その人の生き方もかわるし、このホームページで言えば、理法が出ていることによってその人の輪廻にも善い影響がある、と。


しかし、テロ側の存在、の人は、本当に道をすでに誤っているから、きちんと自らの導き手を見てみなさいって。

この後、この後の生存でも、大変な悪い結果を受けるのは、テロ側の存在の人だよ。


これだけ、くちをすっぱくして言っているというのに、

いや、梅干をたべながら説教をしているとかそういのでなしに、

実際にあなた方の行いは悪業であって善業ではない。


そちら側の存在は、こちらには能力者がいる。その人に聞けば何でもわかる、とか、

悪業に導くような存在に導かれているんであれば、目に見えてあなたは地獄や悪処に堕ちてしまうよ。


聖者方は超自然力を、悪しき行いや愚かな行いに使用しない。

仏陀の教えでは、超自然力を悪しき行いや愚かな行いに使用してはならない。


そういえば、

善という行いと悪しき行いを説いている教えについて

テロ側の悪行を見ていると、本当に理解できてないんだなと、

というか、善行と悪行の違いがわからない存在が多いんだな、と思われていたので、

善行と悪行の教えを紹介してないってことはないが、

善という行いと悪しき行いを説いている教えを紹介をしておこうかな、と。

先日から思っていたので、

いつの日にか、紹介できたら紹介しようと思っている。



仏陀の教えは、一般の人が聞いても理解し難い。

大乗仏教の僧侶ですら、迷っている人が大勢いるというのに。



仏陀の教えは、人々や神々を光へと導く教えであって、

テロ側で悪業をしている悪業者には理解が難しい。

その貪欲、悪心(害心)、無知のゆえに。


悪魔によって導かれている存在には理解が難しい。

善の導きが見えないことによって。


仏陀の教えを説く存在を亡き者にしようとする愚かな存在には理解が難しい。

仏陀を見ないがゆえに。




仏陀の弟子は、

テロ側の存在としてCMで罵詈雑言という愚かな行いをしている存在・愚かな集まりを、または、罵詈雑言をさせている愚かな存在・愚かな集まりを、

厭離するのが善い。


仏陀の弟子は、悪しき者・愚かな者と親しんではならない。


自ら善処・天上の境界を望む人は、悪しき者・愚かな者と親しんではならない。

自ら善・善の心を持ってありたい人は、悪しき者・愚かな者と親しんではならない。

自ら聖者の説く安らぎへと歩く人は、悪しき者・愚かな者と親しんではならない。



テロ側の存在も、徐々に悪業の仲間というか、悪処へ堕ちてしまう犠牲者を増やしているが、

人として、やっていることも進んでいる道も間違っているっていうのに早くに気づいた方が善いよ。


これだけはっきりと、あなた方の行いは、悪業であって善業ではないと言っているのに、気づけないという。

だから、悪業を積みすぎなんだって。


気づける人は、すぐに気づける。





5月8日

本日は、

ストーカー集団が、何か違う事柄で真実なんだか妄想なんだかよくわからないことを言って騒いでいる。


「死ね」だとか「殺す」だとか、「殺せ」だとかの悪語は、

どの言葉にも、悪念がこめられている。

その念の出所を更に更に掘っていけば、悪語を発している者の防御という渇愛・潜在的な煩悩も見られるものであるが、

そのように悪語を発して自らを、自らの精神を悪道へと縛り付けてはならない。


善い言葉を、こう「怒ってはならない」とか、「貪欲な心は滅するべき心である」とか、「善なる人に親しみなさい」とか、

心から善い言霊を発して、自らも善の道を歩くという行いを繰り返し行うのが善い。


仏陀はこのように説かれる。

 「生きものを自ら殺してはならない。
  また他人をして殺さしめてもならない。
  また他の人々が殺害するのを容認してはならない。
  世の中の強豪な者どもでも、またおびえている者どもでも、すべての生きものに対する暴力を抑えて」



悪しき者は自らの悪業によって、真理を知れば真理を知ったで潜在的に真理を恐れる。

なぜならば、聖者の説く真理では、悪しき行いの者は、地獄へと堕ちる。

善なる行いの者は、善き世界へ出生する、と説かれているがゆえに。


で、

そこで、

悪しき行いをしてしまった者は、ここであきらめたらダメなのよ。

善行をあきらめてはならない。


『仏陀は、人々も神々も善処へと導く導き手であって、人々を地獄へ堕とすような方ではない』と。

仏陀と阿羅伽の聖者方は、どこまでもどこまでも最上の善の念を持った方々なのよ。


たとえば、ダイバダッタは地獄へと堕ちてしまったが、それでも、ダイバダッタのような極悪な者でも仏陀の導きによって、永い永い地獄から別の世界へと出生した後は、善処への道が仏陀によって説かれていると、尊者ナーガセーナによって説かれているように。


永劫の輪廻の中で仏陀の説く法を知ることは、百千万劫(想像できないほど長い期間)にも遇うことが難しい。


ここに仏陀の教えがある。


永劫の輪廻の中、百千万劫探し続けてきた、存在の真理。


人(自分という存在は)は何故生まれるのだろう。

人(自分という存在は)は何故生きるのだろう。

人(自分という存在は)は何故死ななければならないのだろう。



覚った人(仏陀)によって法輪は転ぜられた。

仏陀によって理法は説かれた。


あなたがここで本当の仏陀の教えにあうというのは、善業へと導かれる因となるものであって、悪業へと導かれるための因ではない。





5月10日

本日は、

いろいろ聞いてても思うだんが、テロ側の能力者がヤバいと思うよ。

ヤバいっていうのは、そっちが悪行者として、悪魔の側として立っているというのに、もういい加減わかるべやっていう話なので、

そういうのを見てて、ありえないくらいの愚行にこいつらはヤバイだろうと思う。

(理法の、悪しき行いの者は悪処へと堕ちるという教えで見て、そのような悪行・愚かな行いをまのあたりに見ていると、どう見てもついて行っているのと一緒に堕ちるだろうな、という思いが出てくるという意味での思い)


悪魔に引っ張られているのは、あなた方テロ側の能力者だというのに、

あなた方に洗脳されてついて行っている者達の言動なり行動を見てみなさい。

「死ね」だとか「殺す」だとか、「殺せ」だとかの悪語と悪行、人の道を大きく外れた行いをするに至っているだろうが。



いいか、超能力なんてのは、餓鬼界の親分のような存在でも持ちえるようなものであって、

あなたが特別だから、選ばれた存在だから持っている能力だとかそういうことでもない。

畜生霊ですら超能力がある存在もいるというのに。



もしも、あなたが人として、善処の天神方に、聖者方に選ばれている存在であるのならば、

善神方や聖者方の思っているような行いをするだろう。

すわなち、善なる行いを成就するだろう。



選ぶ道というか、選ばされる道かな、そちらの能力者の場合は、

能力者の場合は、

そうだな、

よ~く、自分の映像に出てくるその名色、または見せられている名色を見て、

たとえば、清浄である仏陀の教えとその自らの映像・名色として見えるそのものと比較して見てみなさい。


どこかずれてないか。


まぁ、早い話はずれているというか、間違えているから、そちらについて行った者達が

悪業をしてしまうはめになっているのだが。



自分の能力だなんだと、他の化生の能力であっても、

その持っている能力にも違いがある。

自らの超能力で、自ら映像・名色を見ても、

悪しき念の化生の力でもって、自らに映像・名色が見えても、

その見える映像・名色には限度がある。


悪しき者の念と善なる存在の念は違う。

方向が違うって以前にも説明をしているのであるが、


能力の違いというのでいえば、

たとえば、ここにものすごい一人の目の善い聖人がいる。

その人は、天上の国・善処(での生存)をそこは永遠であると説くとする。

この人のその言葉は真実であるのか、虚偽であるのか。

答えはその人としては真実であって、虚偽ではない。

なぜならば、その人は仏陀の教えを知らないので、諸行は無常であるという真理を覚ってはいない。


これは、梵天界にすんでいる、神々のさらに神のような梵天という偉大な神ですら、

自らを、永遠の存在であると思っているのを、

仏陀によって、「そなたは自分の寿命が長くて、百千億年もあるように考えているが、わたしはそなたの寿命の長さを知っているのだ」と言われているように、

そのような偉大な神々であっても、永い永い輪廻の先を見ることはできないということであって、

その存在の自らの能力に応じた先(の生存)、または輪廻しか見ることができない、と。

要するに、普通の人から見ても、ものすごい目の善い人であっても、その人その人の能力によって見える限度がある、ということである。


んで、要するに、

え~と、テロ側の能力者の話か。


テロ側の悪しき行い・愚かな行いをしている超能力者は、はっきり言って、仏陀の教えから見ても、ものすごい愚かな次元の話での行いをしてしまっているでのあるが、

そこで、仏陀と法と僧伽をよく観てみるのが善い。


はっきり言って、聖者方や善神方は、そのような次元の行いの存在をまともに相手にすることもほとんどないだろう。

また、たとえば、悪しき行いの者は、そのような善神・偉大な存在に招待されるということもないだろう、と。



普通に考えてさ、善行を事とする存在が悪行を事とする悪しき者を、食事に招待すると思うだろうか。

あなたは、自らに危害を加える者や自らの親しい人に危害を加えるような存在を、食事に招待したいと思うだろうか。

仏陀は、悪心・害心を持った者で改心することもなく自らの弟子に危害を加え続けるような存在を、弟子として受け入れたりすることがあるだろうか。


そういうのは、普通に考えて見ても天神方であっても、ほとんど同様な念いを持つだろう。





5月11日

本日は、

え~と、永遠についての話は、人はそれぞれ信仰をもっている人がいて、その信仰している人の言っている言葉のとおりに信じているのであれば、

その人がその言葉をそのように信じているという事柄について、別に私はその人が誰を信仰しているかについて関心はないが、

仏陀の弟子として、その人が仏陀・法・僧伽を信仰しているというのであれば、関心がある。


永遠についての話は、まさにエムマーヌーエール(イエズス)という人が語った言葉の事柄を記しているのであるが、

イエズスが永遠を永遠としてみているというのを、「私はイエズスの言葉をそのとおりに信仰する」っていう人がいるのであれば、

それはそれで、私は仏陀の弟子として、その教えでは明知に到達できないので、善いとはいえないが、

その人の信仰についてどうこういうつもりはない。

ただ、このホームページは仏陀の教えを説いているのであって、善なる友としてイエズスの教えも説いているけれども、

真理を伝えるというのが主であって、教えについて明知に到達できないのであれば、到達できないとはっきり記すのは善の心を持ってすること。


前述のように、覚った人と聖人とは、能力に違いはある。

イエズスがイエズスの父の言うとおりに語るのであれば、仏陀と世の父と父たちの能力にも違いはある。


真理は、超自然力・神通力が大きいから強いからというので、覚れるものではない。

そうではなくて、そのような誰が強いとか、誰が弱いとかいう低い次元を通り越して、

そのような無知からくる比較をとおりこしたところから、

真理を観て、善なる友もともにに善処へと、涅槃・苦の消滅・全き安らぎに歩くことができるだろう。





仏陀はこのように説かれる。


仏陀の説かれた教えと説かれなかった教え


 マールンキヤの子よ、『世界は常住であるか、無常であるか、〔また、世界は有限であるか無限であるか、また、生命〈霊魂〉と肉体は同一であるか生命〈霊魂〉と肉体は別であるか、また、人格完成者は死後も存在するか死後は存在しないのか、存在しかつ存在しないのか、〕存在するのでも存在しないのでもないのか、これらのことについて、明確な判断を示してくれなければ、私は世尊のもとで清らかな修行を行うまい』と、このように宣言する者がいたとしよう。その場合に、マールンキヤの子よ、如来はこれらのことについて、明確な判断を示されないのであるから、それらが説かれないうちに彼は死んでしまうであろう。

───

 マールンキヤの子よ、私は何について明確な判断を示さなかったかというと、

 マールンキヤの子よ、世界は常住であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、世界は無常であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、世界は有限であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、世界は無限であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、生命〈霊魂〉と肉体は同一であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、生命〈霊魂〉と肉体は別であるという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後も存在するという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後存在しないという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後存在しかつ存在しないという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、人格完成者は死後存在するのでも存在しないのでもないという見解について、私は明確な判断を示さなかった。

 マールンキヤの子よ、それでは、なぜ私がこれらの命題について明確な判断を示さなかったかというと、マールンキヤの子よ、これは目的にかなわず、清らかな修行の基礎とならず、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立たず、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立たないからである。
それゆえ、私はこれらの命題について明確な判断を示さなかったのである。

 マールンキヤの子よ、しからば私は何について明確な判断を示したかというと、マールンキヤの子よ、これは苦であるということについて明確な判断を示し、これは苦の原因であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅に至る実践であるということについて明確な判断を示したのである。

 マールンキヤの子よ、どうして私がこのことについて明確な判断を示したかというと、マールンキヤの子よ、これは目的にかない、清らかな修行の基礎となり、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立ち、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立つからである。
私がこれらの命題について明確な判断を示したのはこのためである。」




もしあなたが、天上の国が永遠であるか、永遠でないか、わからないというのであっても、

その答えが示されたとしても、人として数日、数年、数十年後に、身体を捨てることとなる。



仏陀はそのような見解に関しても

「それでは、なぜ私がこれらの命題について明確な判断を示さなかったかというと、マールンキヤの子よ、これは目的にかなわず、清らかな修行の基礎とならず、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立たず、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立たないからである。
それゆえ、私はこれらの命題について明確な判断を示さなかったのである。」と。

そして

「しからば私は何について明確な判断を示したかというと、マールンキヤの子よ、これは苦であるということについて明確な判断を示し、これは苦の原因であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅に至る実践であるということについて明確な判断を示したのである。

どうして私がこのことについて明確な判断を示したかというと、マールンキヤの子よ、これは目的にかない、清らかな修行の基礎となり、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立ち、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立つからである。
私がこれらの命題について明確な判断を示したのはこのためである。」と説かれる。



と、永遠についての話はそのようである。



で、今日の話なんだけど、仕事の現場でさ、テロ側のやつらにかなりバカにされてさ、

いや、テロ側として文句を言っているのは結構いつもグダグダと悪語を言っているので、でいつものように聞き流してたんだけど、バカにしてるっていってたから、

なに、バカにしてるって~、というので、

怒って、「ガキ共が調子にのってる」って言ってしまった。

そしたら、「ガキっていったら本当になるから」とか言われても、こっちはそういう意味で言っているわけではないが、

というか、俺の力を信じているのか、とか思ったということがあった。

ムカッとしてしまうというのが、未熟なところだ。

そういうので、「悪口を言えっていわれている」とかこちらに告白されても、

どうしたものだろう、と思う。

一応、ちゃんと言い直したけどね。



ホームページでこれだけ記しても、

俺を怒らせようとして、テロ側が悪行を重ね続けているので、

テロ側の存在が、本当にないっていうのが伝わるだろうか。

怒ってしまう俺も、仏陀の弟子として未熟なところなのであった、と。



あれだよね、

仏陀の説かれた理法を記してから、普段のテロ側の悪行・嫌がらせ等を記したら、

なんかすごい隔たりがあるね。

いろんな意味で。



だから、普段テロ側の存在から悪行を受け続けている本人として、

諦らかに、テロ側についていっている存在は、善処へいくような行いをしている者達ではないよ、とはっきりと何度も何度も伝えているわけだが、

テロ側について行っているのは、知ってか知らずか、悪業者達と一緒になって悪行をしてしまっているといういつもの話。



テロ側の存在がさ、悪行をして喜んでいるからな~、道理からしても本当にありえないんだよね。



ありえないんだよね~。


いくら善の理法を伝えても、悪しき行いに快楽を抱いているような存在には伝わらない。



悪しき行いの存在を救うことはかなわず。

悪しき行いの存在についていっている存在も救うことはかなわず。


理法を知った後の、悪しき者の悪行とは、その愚かな存在が自ら知って、悪処へと進んでいるわけなので、

神もその者を救わない。

なぜならば、その先で悪い結果を必ず受けなければならないというのを理解をして自らが選んだ道を進んでいるのだから。



仏陀の弟子は、正しい道を選んで、そのような悪しき道を選んではならない。





う~ん、

結果論としても、すでにテロ側の存在は、俺の尻の筋肉の手術も治療の邪魔もそうだし、いままでの「死ね」だの「殺せ」だの「殺す」だのという悪行でもって、

すでに道から大きく外れているのはわかっているし、今日のあえて、頭がおかしくなっていると思われるようなテロ側の愚かな行いを仏陀の話の途中にしたが、

そういう愚かな行いも日常でいつものようにし続けている。

「悪口を言えっていわれている」というような言葉を聞くのも一人や二人ではない。

もう何度も聞いている言葉でもある。

そのような愚かな行いをし続けているのを見ていて、はっきり言って、テロ側の存在が悪処へ赴くのはもうわかりきっていることなのである。


私がこのような悪行を受けているように、仏陀の弟子をそのように亡き者にしようとしている行いを繰り返し繰り返ししている時点でもすでに、

その愚かな者達が存在として堕ちいく先は見えているのである。


仏陀はそのような愚かな存在と親しんではならないと説かれる。


CMでテロ活動にのっかって、調子にのって仏陀の弟子を亡き者にしようとしている企業も同じくその愚かな行いは悪行でしかない。

けっして善処へと赴く行いではないのである。

二枚舌のCMをして仏陀、梵天、帝釈天、をもあざむけるとでも思っているのであろうか、

二枚舌のCMをして、あなた方が騙せるのは洗脳された人々とほか騙されている人等であって、あなた方を裁く存在を欺くことはできない。

そのように仏陀の弟子を亡き者にしようとして、二枚舌のCMを流している企業も、もう人の道からは大きく外れている企業なのである。



仏陀の弟子と、善なる友は、そのような悪しき縁を持っている企業と悪しき縁を持った存在と親しんではならない。



イエズスの名をかたって、仏陀の弟子を亡き者にしようている者とも親しんではならない。

イエズスの教えは善であって、善なる友に「死ね」だの「殺せ」だの「殺す」だのという悪語を語るような者が天の国へ行くというような教えはイエズスの教えにない。

そのような悪しき者・愚かな者を厭離しなさい。



現在のメディアが大きくテロ活動に影響を与えている。そのようなメディアでテロ活動に参加している悪しき者を厭離しなさい。

その者は、すでに悪行を重ねている。



仏陀の弟子と、善なる友は、そのような悪しき縁を持っている企業と悪しき縁を持った存在と親しんではならない。



テロ側の呆れた愚行をみてたら、道理をわきまえている人であれば、そういう悪業者を厭離する。


テロ側の存在は、カルマがもう悪業で徐々に徐々に積み重なってきているから、先が暗い。

テロ側の存在がはしゃいでいるのは一時の快楽にすぎない。

テロ側の存在がはしゃいでいられるのも一時にすぎない。

現実に悪業によって、先は閉ざされているのだから。




仏陀の弟子を亡き者にしようとしたという愚かな行いは、

後の永い輪廻でも、存在として恥でしかない。



悪魔であっても、非常に愚かな悪魔でなければ、現在のテロ側のような行いをしないんでないかなと思う。

非常に愚かで無知な悪魔しか、そのような悪い業をおかさない、おかせないだろうから。


聖者方がおそれる、悪業の報い。

どうして、聖者方がおそれる悪業を悪魔がおそれないことがあるだろうか。

言っている意味がわかるだろうか。

要するに、非常に愚かで無知な悪魔しか、そのような悪い業をおかさない、おかせないだろうから。



普通は、テロ側のあなた方のような愚かな行いを、八正道(八聖道)を行く人は行わない。

理法を知っている人は、悪業を怖れるのである。





5月12日

本日は、

今日もお昼から、夕時にかけて、胃のあたりにすごい激痛を感じていた。

テロ側が朝から、ひどく罵詈雑言していたけれども、

テロ側の存在って本当にそういう者が多い。


昨日もきつい言葉で申し訳ないがガッツリといろいろと説教をしてしまったが、

全然難しいことを言っているわけでもなく、こちらは普通の良識をもって記している。


テロ側の存在が、仏陀の弟子を亡き者にしようとした行い。


その悪業を咎めれば、反省するのでなしに、更に悪行を積み重ねるという道徳を欠いた行い・暴挙。


そういうのを見てても、普通に道から外れてしまっているのは、明らかだが、

道から外れているよって伝えても、どうもこうもだんだんひねくれていっている。


説教の仕方とかも、上手い下手があるんだべな。

もっと上手であれば、もっと大勢を仏陀の元へと導いて救えただろうに。



まぁ、しかし、最初から悪業をして喜んでいるような存在を、仏陀の元へ導くというのは、

最初から無理な行いというのもあったのだが。



狩人に教えを説いても、理法を理解しないという教えのように。


『 狩 人

  或るときカッサパ姓の尊者は、コーサラ国のうちの或る林の荒地に住んでいた。

 そのとき、カッサパ姓の尊者は、昼の休息をしていながら、或る狩人(猟師)を教えさとした。

 そこでその林の荒地に住みついている或る神がカッサパ姓の尊者を憐れんで、その人のためになるように、カッサパ姓の尊者をそっと警告しようとして、カッサパ姓の尊者に近づいた。

  近づいてから、次の詩をとなえて、カッサパ姓の尊者に語りかけた。

 「山中の難所を歩む狩人は、智慧に乏しく、心なき者であるのに、時ならぬのに教えさとそうとする修行僧は、遅鈍な者のように、わたしには思われます。

 聞いたからとて、解りはしません。

 眺めるけれども、見はしません。

 ことわりを語ったからとて、愚者は事柄を理解しません。

 眺めはするけれども、見はしません。

 もしもその狩人をさとらすために十指に灯火の光明をたもつとしても、かれはものの形をみることはないでしょう。

 カッサパよ。かれには見る眼がないからです。」

 そこで、カッサパ姓の尊者は、その神にそっと警告されて、はっと気がついた。』

サンユッタニカーヤ




 テロ側で一緒になって悪業をしてる者達は、道理を知ってはいない。


 狩人についていったところで、その狩人には見る眼はない。





5月14日

本日は、

これほどに説明をしても、こちらのこと(仏陀の弟子)を「ない」という者がいる。

国民を一時平和にさせるが、しかし、残念ですが、仏陀の教えに反した政策(テロ側として悪行)をするので、あとから国民は自動的に地獄に導かれますっていうような政治は、人としても間違った選択をしている。

─べっち。


普通に考えたらわかるべや。

と思うんだが、テロ側の集いの勢力がメディアを牛耳ってる分大きく見えるんだな。

まぁ、理法を自ら見ることができない者は、理法を理解できないので、他人の意見でコロコロとして、善の道を進まないで、行ったり戻ったりで、徐々に邪道へと導かれていっている。


普通に考えてもわかるはずの事柄で、今までの状況というか、テロ側の犯罪行為を見てきてもわかるだろうが。

テロ側の存在だからして、どうしようもないってか。


まったく、人を善処へと導く存在でもなかったか。

普通に考えても解りそうなものだというのに、

まったく残念な人だった。



人々を悪処へと導く存在は、天人ではない、

善人ではない。



二枚舌は悪行。




まぁ、テロ側の者について行っている者は、とりあえずほっとくとして、

イエズスの話だな~。

引っ掛かってるのは。



イエズスを信仰している人は、イエズスが一番であってほしいとそう思う人は多くいるだろう。

そのような尊敬の念はいいと思う。

ということで、イエズスが一番だと思う人は、それはそれで、だからしてキリスト教徒ということである、

その人その人の信仰があるので、信仰する人を一番だと思うのは通常の事柄である。


その善行を説く人にたいする清浄な信仰に、私はどうこういうつもりはない。


はっきり言ってわたくしは、イエズスの弟子ではないが、ある人々を聖書に記されているイエズスの言葉のようにしようとしている。

そのしている行いは善行であって、仏教に反することもない。

私は慈悲の心をもって、仏教の信者だけでなく、清浄な信仰心のある人も大勢を善処へと導きたいとも思っている。



残念ながら、理法が伝わらず目を覚ますこともできなかった者で、すでに悪業者の側につかまって悪行をして、堕ちいく者が出ているが、

しかし、理法を見ることができる・できないというのはすべてが私の責任でもなく、理法を理解できるのは本人の宿業は大きい。

前述のように、現に悪業をしている存在に理法を説いても、その悪しき行いの愚かな者自心に見る眼がない。





5月15日

本日は、

本日も、テロの者達がいつにもまして「死ね」だの「殺せ」だの。

すでに通常の精神からかけ離れてるね。

テロの者達の歩いているのが邪道だってはっきりわかるべさ。


イエズスの事柄を書けば、なぜかだいたいいつもさわぐ。

イエズスのは話は、イエズス自身の言葉であって、俺がその言葉を変えて伝えているわけでもない。

あと、イエズスが一番であってほしいと思う人がいるだろうけれども、

イエズス自身は自分を一番にあがめて、他の善業を説く聖者聖人を信仰するものを「殺せ」だとかそういう愚かな言葉を語ったのか、

そうではなくて、イエズスは隣人を愛しなさい。善なる友が困っていたら救いなさい、そのような心善い人でありなさい、というような教えを語っているのではないのか。

誰が一番だとかなんだとか、そういう畜生の弱肉強食的な低次元な言葉を(聖書)イエズスが語るわけがないだろう。


引っ掛かるところは、獅子を怖れるってところかな。

ここはね、理法を観てないと気づけないかもしれないけれども、

その悪業を怖れるのでなしに、獅子を怖れるっていうその畏怖の念は、

覚りの障害となる。

禅定をしてても、祈りをしてても、寂静になればなるほど出てくる心なんでないかな。

そして、その心の根っこを観ていけば、どこに執着があることによって、そのように

怖れを感じているのか観えてくるだろう。

と、いう話で理解ができる。

意味わかるだろうか。

これは、イエズスの弟子の方の言葉から観える心。


仏陀の教えでは、そのような畏怖の念自体を生じてはならない。

それは、覚りの障害となるからである、と。

悪業を畏怖するというのとは違うよ。

悪業を畏怖するっていうのは、悪業によって覚りに至れないので悪業を厭離するっていう畏怖っていう意味あいも含まれる。

この違い。

説明が意味わかっただろうか。




テロの者達が騒いでるんだよね。

今日も健康診断でレントゲンをとったが、「ガン」だ「ガン」だって喜んでた様子。

「死ね」だとか、「殺す」だとか、「殺せ」だとか、まったく、こっちから見たらそっちは悪魔(側)の類にしか見えないって。

毎日ストーカーされてるしな~。


仏陀も悪魔にストーカーされてて、最後は悪魔があきらめて去っていっているが、

俺の場合、仏陀ほどの力があるわけもなく、悪魔の攻撃に結構やられてるからね。

今日も胃のあたりが激痛だったし。

仏陀の理法を見たら、完璧にこちらに勝義があるんだけどね。


しかし、テロの者達もよく理法を怖れずに悪業を重ねるよな。

真理に対する無知っていうのは、本当に恐ろしいもんだね。


今日のお祭り騒ぎも、悪行をしてフルイの中でワッショイワッショイしてたわ。

しかも、聞いてれば、フルイの中にテロ側の存在やらテロ側の企業やらがどんどん入って行ってるんだものね。

なかなか、普通の精神を持ってる人では考えられない行いをテロの者達はしている。

フルイの中に入っても、ほとんどが振られて堕ちるだけなのに。

普通の善人は、そういうフルイに入らない。

そういうフルイに入る必要すらない。


フルイにはいって悪業をして一時一瞬の愚かな快楽や愚かな喜びを感じて堕ちるのは簡単。だが、

聖者方のような、天神方のような、聖人方のような、善なる人々のような、

善業を重ねるのは簡単なものではない。

また、忍耐をするという行いもまた簡単なものではない。

テロの者達のように悪しき者の側に落ちて悪語を語り、楽になったといって邪道に堕ちていくのは簡単だが、

聖者方と同じように悪しき者達や無力・愚痴の力の者を堪え忍ぶのは簡単ではない。


と、こちらの仏陀の弟子の方々や、聖者聖人方と善なる人々や善なる存在はそのような行いをする。



「〈かれは私を恐れて忍んでいるのだ〉と思いたければ、そう思わせておけ。そう思いたくなければ、それでもよい。
 善き利のうちでも最上の自利である〈堪え忍ぶこと〉よりもすぐれたものは、存在しない。
真に力のある人が、大力あるのに、無力・愚痴の力の者を堪え忍ぶならば、それを〈最上の忍耐〉と呼ぶ。」



「他人が怒ったのを知っても、みずから憶念して平静にしているならば、その人は、
 自分と他人と、両者のためになることを行っているのである。
 自分と他人と両者のために癒そうとつとめている人を愚者だと、人々は考える。
 ことわり(理法)に通じていないために」

ブラフマダッタ長老、帝釈天(インドラ)





5月16日

本日は、

休日で安静というかのんびりしていたので、胃のあたりがそれほど痛くもなく。

昨日もイエズスの事柄を記したので、聖書の外典を読んでいた。


真理を説く人は、世の富を選ぶのでなしに、真の徳(善行)を選んで行う。

仏陀も、当然であるが、貪ることを説くのでなしに、善業を説かれる。



光へと導く方々は同様の事柄を語る。

のも、当然でもある、と。


イエズスが人々を光へと導いているのであるから、

世の父もまた、人々を光へと導いているのである、と。





5月17日

本日も、

休日で休憩、のんびりと動画で世界遺産を見て、中村元先生の動画を見て、五木寛之さんの動画を見て、

五木寛之さんは自分で理法を持って押してくれてるな、と今日動画を見て思い、

以前から五木寛之さんの動画を見てたが、心から語るの言葉が好いので見てたが、

押してくれてたようだな。

仏陀の教えを持っている心善い人に信用されているとうれしい。

このホームページで仏陀の教えを説いているのは、わたくし對馬弘本人で間違いないから信用しても大丈夫ですよ、と。

中村先生の動画を見ていて、動画で編集されているのか知らないが音声を聞いてると、奈良さんは大丈夫なのか、とか思ったが、どうなんだろうか。


私もある意味そうなんだけれども、在家っていうのもあるからな~、欲があるために涅槃に達することができません。

涅槃ではなく、天上に赴くという。

ある意味かもかもね。

かもかも。


かもかも。

というか、仏陀の弟子の阿羅伽の方々から言えば、涅槃でなく天上に赴くように仕向けさせられるというのは、かもだけどね。

要するに、修行が足りないから、欲を滅することができずに、

休日に世界遺産とか見てのんびりしているんだっていう話なのだ。

在家として、のんびりと。

出家(者)というのが、きびしい修行(者)であるというのが理解できる。



とりあえず、こちらは仏陀の弟子として涅槃を目指しているので、かもではない、と。





しかし、メディアがこれだけ大荒れになっているのに、これで平和な国っていうんのはちょっと国の情勢を知ってないんでないのか。

都市部の政治家の人は。

国の中枢の人物がテロ側として発言してるから、こういう大荒れ状態で、すでに法の無い国のような状態になってしまっているんでもないのか。

大荒れ状態を見てみぬふりか。

少なくとも、北海道、函館のメディアではそういう状態になっている。

そんなのもHPで記しているようにかなり前からだけどね。

これだけ説明してるんだもの、頭の悪い人でもわかりそうなもんだと思うんだけどな~。


テロ集団を捕まえるでなしに、テロ側にくっついて仏陀の弟子にないっていう精神もまた、本当の国民の平和を考えてないべ。

犯人で無い人に嫌がらせしつづけて殺そうとまでしている者達が、暴言をCM等でやっているというのに、

そういうのを鎮めようともしないという日本の政府。

そういうのを見てると、日本の中枢もダメだな~と思わされるが、


どうもこうも、メディア団体がテロ活動をしてると、悪影響は大きいね。

どうにかならないもんなんだろうか。


って、俺一人が考えることでもないけどもね、

仏陀の弟子としての私をテロの犯人にしようとしているので、

私が物言うのも当然なんだがね。



しかし、テロの悪業をしているあなた方も、原始仏典を自分でよんで見たほうが善いよ。

悪業をしているあなた方の、悪業の結果として、あなた方が現在のその肉体を捨てることになった後、

次にあなたがどういう場所に出生するとかいろいろ記されているよ。


まぁ、悪処に行く人っていうのは、聖者の言葉に自らで触れる縁もあまりないので、

善業をするという教えにあうこともなく、悪処へ行く人が多いというのもあるだろうが、

そういうので、ひらきなおって悪業を繰り返しても、

あなた方が真理を否定することなんてできる道理もないんだから。


もし、あなたが現在のその身体を永遠に保つことができる、「私は死ぬことはない」っていうので、実際に死なないのであれば、

仏陀の説かれた教えも間違っていたということになるのだが、

そういうこともなく、間違いなく数年後、数十年後、長くてももう少し長いだけで死を迎える。

テロのあなた方もそれほどの期間永く生きられる寿命があるわけでもないんだから。

あなた方がすでに行った悪業を否定したくして、自らの悪業を認めたくない、認めたら自分達の行き先は悪処や地獄に決定してしまう、

だから、認めたくもないので、ひらきなおって仏陀の弟子を攻撃するとかっていうのも非常に無知で愚かな行いでしかない。

その自分達の悪業を、どうにかしようたって、あなた方は仏陀の教えも見ないし、罪人を悔い改めさせようとしてわざわざ罪人を招いているとされるイエズスのような善い人をも見ないっていうのだから、

自分達でどうしていいかもわからないべさ。

怖いから大勢の方につくとか言っても、あなた方の導きがあなた方を悪処へと誘惑している悪魔・悪しき者であれば、簡単に地獄へと連れて行かれるんでないの。

実際、すでに呆れるくらい良識を失って悪業をしているところなんだから。

そういう行いを見てあなた方の導いている存在がどういう存在だかわかるべさ。


自らで仏陀の教えを見ても見えないような者が、悪業をしている悪魔に近づいたら、悪魔に引っ張られるのも無理はないだろう。

その悪魔の悪行を見て、そっちは邪道に堕ちるから行ってはならないと忠告する仏陀の弟子をも殺そうとするんだもの。

どうもこうもないべさ。


その忠告をする仏陀の弟子ももういつまで身体がもつかわからない状態だし。

回復すれば、いんだけどね。どうもこうも。



とりあえず、テロの者達は当然だが、テロに洗脳されて悪業をしている者も、後に、聖者や善神からの救いはほとんどなくなると思ってもおおよそ間違いではないだろう。

悪魔や悪霊に誘惑されても、気づくことすらできないようになるかもしれないが、

そうなる以前に、気づいた方が善いのだが。



普通に考えても、仏陀の弟子を殺そうとしたとか、イエズスの友を殺そうとしたとかって、

たとえば、ご先祖の墓参りに行っても、ご先祖に報告できるような行いでもなく、その重い悪業は人としてものすごい恥だろう。

そういう行いをしているよう子孫では、ご先祖もうかばれないだろう。


日本人のほとんどが仏教徒なんだから。

阿弥陀仏をとなえたとしても、本来は「一切諸仏を供養せんがために、アミターバ仏・世尊の像を建立した」のが阿弥陀仏であるとすれば、

現在のゴータマ仏陀をないがしろにして、阿弥陀仏という仏を供養するなんてのは、残念ながら無知なわけで。




あなた方が悪業をしたあとの静けさがね、

あとから、虚しいものとなるのか、恐怖を感じることとなるのか。



仏陀・法・僧伽も善神もいない、

自らには悪業と悪友しかいないっていうような存在は

暗闇は恐怖でしかないだろう。



以前にも同じような事柄を言っていると思うが、私は仏陀・法・僧伽もなく、善神もいないという恐怖を感受したこともないし、

おそらくこれからも感受することはないだろうから、死後の生存についても恐怖はないけどね。



仏陀・法・僧伽も善神もいない、

自らには悪業と悪友しかいないっていうような存在の恐怖、

死後に対する恐怖っていうのは、

相当恐ろしいだろうな、と思うけどね。



あなたがいずれ必ずむかえる死というのが、本当に間近になってから

どうこうしようとしても、もう遅いんだよ。


すでにだいぶ邪道に進んでしまっているから、あれだけども。


悪念に洗脳されてれば、仏陀の言葉も、他の善神の善語すらも届かない、と。


それでいて、悪魔の悪行と、悪処に堕ちるとされる権力・名声・金銭等の誘惑の声だけは聞こえているっていうのであれば、

自らが悪処へと進んでいるなと気づいた方が善い。



仏陀は出家者と、在家者すべてに同じように教えを説いていたわけではない。

邪道に進んでいる者や、テロに洗脳されてすぐに邪道に流されるような人に仏陀の教えを説いたとしても、

見ても見えないし、聞いても聞こえない、と。

仏教の僧侶も迷うわけだわ。


なぜ、私は仏陀の教えをすらすらと説いているのだろうか。

それは、仏陀の教え(修行)を、在家でありつつも、自分なりにきちんと実践しているからである、と。

しかし、善の心を持っていれば、本当に光は来るもんなんだね。

人によって、光の入る場所が違うという教えが経典にあるから、

うん、どうやら、仏陀の弟子に光は来るということだろう。

私の場合、悪業の消滅っていうので願ったが、

やっぱり見てても、前世とかの悪業がすごいあったんだかもしれないね。

まったく、胃もケツもあれだし、テロのせいもあって、医者にもあんまり好かれてないし、

持って生まれたなんたらかもしれないな。

テロによって、身近な友人も去っていき、みずから去ったということもないこともないが、

一方、ある程度有名になっているみたいなので、世界中に善い友人がものすごい増えたというような現状だべ。

善い友人が増えるというのは、すごく善い。



そうなんだよね、あらためて考えると、

教えのとおりに仏陀の弟子は光が入ってくるということだわ。


クリシュナムルティさんも仏陀の弟子ではないが光が来ている。

クリシュナムルティさんについては、何なんだべか。





5月19日

本日は、

TVH20時20分サントリーのCM。極めて悪。

なんで、テレビでテロ活動をさせるかな。

そういうのを、規制しないっていう政府と日本のメディアが弱いね。


一応、ちょっと前に、日本郵便と伊藤ハムもテロCMをやってたね。

5月16日と17日の北海道の放送のCMやらテレビを見たら、テロ企業なりがものすごく多くテロ活動をしてるから

記録しておいたほうが良いだろう。

そういう罵詈雑言・愚かな行いのが、テロの集まりのやり方、行いだと。

後世にも悪い例として説明しやすいだろう。

何回言って道理を理解しない愚かな者達。

反省をしろ。

反省を。



言いたいことがあれば聞くって。

こちらは、テロの者やテロ企業のように、一方的な悪業をするわけもなく、

言い分に耳をかたむけるよ。

ちなみに、騒ぎの件でいままで一度たりとも私のもとに訪れた者はいない。

そちらの言い分が、人として良識があって道理も通っていて、私に非があればきちんとこちらも謝罪もしよう。

しかし、テロの者とテロ企業のやっている行いは普通に見てても、犯罪行為、悪行でしかない。





テロ組織にそむいた者はガンにするだとか脅しているようなテロ企業組織。

日本という国は、そのように一般人を脅威に落としいれようとして、更に悪心を生じさせる広告をして国民を悪心へと導くようなテロ活動をしている企業は必要とされているのだろうか。





5月20日

本日は、

首の後ろの付け根のところに1cmほどのほくろのようなできものができていたので、皮膚科へ行って診察を受けてきた。

あと、背中にあざのようなものもあり、手の爪、足の爪と、ついでに最近脱毛がひどいという症状を伝え、

左の人差し指に薄く線が入っているのでネットで見て、これは、メラノーマとかいう症状か、ということで診察をしてもらったが、

なんともないような話で、首の後ろの付け根のほくろのようなのは、気になるようであれば取れるっていう話をしていた。

現在、そのほくろっぽいのをとるかどうか、私の判断にゆだねられているというところだが、

悪いできものだったりすると困るからとってもらおうかなとか思っているところ。

で、脱毛の話をして、何かいい薬とかありますかって聞いたら、

脱毛に効く薬があるということでもらってきた。


おそらくテレビのCMでよくやってるやつなんだろうけれども、脱毛の専門医とかテレビで見たことがあり、

(専門のお医者さんへってCMで言っていた、という印象を持っていたので)そういう脱毛の専門医でなければ、

脱毛の薬って処方してないんだろうとか思っていたが、近所の皮膚科でも脱毛の薬っていうのは、処方しているということだった。

ためしに一月分、最近発売されたジェネリックのフィナステリド1mg28日分、5600円。

いや、男性も女性も薄毛で悩んでいる人がいるだろう、と思い、

皮膚科に行けば、すぐに処方してもらえたよ、ということで。

この薬は男性用みたいだけれども。

薬剤師の人は私は2年間服用していますって、聞いてないけれども語っていたので、

薬自体はすでにあったんだろうね。


という、今日の出来事だった。



検索したら、女性は男性用の発毛薬のプロペシアを服用するのは、大変危険だということで、

女性は自己判断で服用するべきでないということだった。



最近、考えてたんだけど、男性と女性の平均寿命って世界で見ても、ほぼすべての国で女性が男性の平均寿命を上回っているというので考えてたんだけど、

この違いは何か、と。

身体の構造とかホルモンが違うとかもあるけれども、

多くの女性は若い時から美を追求している人が多く、お肌に良い食材とかを男性よりも多く摂っているだろうということで、

じつは、お肌にいい食材とかを食べ続けると、人間の寿命って多少伸びるっていうのもあるんじゃないのか、とか思ったけど。

要するに、お肌がきれいになったと、身体の表面に出るくらいなら、内臓もきれいというか調子良くなっているのではないのか、と。

どうなんだろう。


検索

国によっては、男性に多い喫煙や飲酒で、3大成人病(心臓病、ガン、脳卒中)になって、男性の中年の死亡率が高まっている

ということもあるということだから、

一概にそうとは言えない、ということだな。



説明書を見たら、プロペシアを服用中の方は献血ができませんと書いてある。

これは、医療する側の人たちは献血する人が減ったらまずいだろうな。

この薬の話はあまり広めない方がいいのかな。


そもそも、他の病気の人でも、病気の人が献血をしていいのだろうか。


検索


日本赤十字社

「原則として、どんな病気でも治療中は献血できません。

特に癌・心筋梗塞・弁膜症等の重い心臓病・脳卒中・梅毒・C型肝炎・血管疾患等にかかったことがある方は、治っても献血できません。

これ以外の病気でも、治ってすぐに献血できるのではなく、一定期間経過後に可能となっています。

但し、盲腸・扁桃腺の手術等の軽い病気の場合には治っていればすぐに献血できます。」


また、

「献血をご遠慮いただく場合

特定の病気にかかったことのある方

服薬、妊娠中・授乳中、発熱等の方

エイズ、肝炎などのウイルス保有者、またはそれと疑われる方

妊娠中、授乳中等の方

輸血歴・臓器移植歴のある方

6カ月以内にピアスの穴をあけた方

6カ月以内にいれずみを入れた方

一定期間内に予防接種を受けた方

出血を伴う歯科治療(歯石除去を含む)をした方

海外旅行者および海外で生活した方

クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)の方、またはそれと疑われる方」




ということで、

原則としては、病気の人は献血はできない、と。

はじめて知った。


私は 小さいころに、盲腸の手術をして、輸血をしてもらったことがあるので献血にご協力はできないということだった。

献血や輸血は、信仰している教えにより、自らできない人もいることだろう。



脱毛の話も思いっきり世俗の話であって、出家者の厳しい出家の法とは当然のごとく一線を画しているところである、と。



ちなみに、仏陀の八十の細相より

勝れた漆黒の髪

右巻きの髪

善い形の髪

非常に滑らかで細かい髪

縺れない髪

長さの揃った髪

柔軟な髪

という相をもたれているとされる。


仏陀も剃毛をしていることもあったが、

「必ずしも剃髪をしているわけでもない。マハーカッサパ尊者は長髪であった。
しかし、仏教の律では出家し仏門に入る時は必ず剃髪し、以後も定期的に行いその長さも二寸以内と厳密に定められている」(仏教辞典)



最初は眉毛を剃るとしても、眉毛は剃らなくてもいいということかな。

私は出家修行者を見てて、眉毛はあってもいいんではないかなと思っていた。

これは、在家の信者が出家者を安らけく見られるという意味において。

たとえば、全裸のバラモン修行者と違い、仏陀の弟子は三衣をしているというようにいろいろな意味でも安らけく見られるというような意味で。

出家修行者を敬う心で、そうしても良いんではないかな、と思っていたところもある。



ちなみに、眉について

仏陀の八十の細相より

善い形の眉

柔らかな眉

毛が次第に細長くなった眉

大きな眉

長い眉

という相をもたれているとされる、と。



しかし、律によるのが当然のごとく正しい、と。




あれ、よく読んだら「盲腸・扁桃腺の手術等の軽い病気の場合には治っていればすぐに献血できます。」というのは、

どっちだ。

どっちにしても病体だから無理だけど、盲腸の手術で輸血をしなかった場合O.Kか、それとも、輸血をしても盲腸の場合はO.Kということか。

どっちだべ。



しかし、病体だから無理なので深く考えずに、

とりあえず本日は、休息。





5月21日

本日は、

昨日の話は、脱毛薬の話をしたのだが、仏陀の教えを語る人にふさわしくない内容でもあり、あんまり、不評だったみたいだな。

何度も言っているけれども、私は聖者ではないので、在家としているので、そういう日常のおもしろい話も時に記すこともあるのです。

テロの集いは「殺す」とか「殺せ」とか「死ね」とかの殺人の話だが、こちら聖者側の存在は、そういう愚かな行いの話はしてはならないのです。

してはならないっていうか、普通の常識を持っている人は、そういう話をすること自体、愧ずべきことだという認識を持っていることだろう。


テロの者に「ない」とか言われているけれども、(テロの者にでなく)最近「すごい」って言われることもあるが、

世俗ですごいっていうのは、実際それほどたいして、すごいと言われても別にたいしたことでもないのが多いが、

そう、テロの者に私が「ない」って言われているが、

はっきり言って仏陀の教えでは、私は眉間に光が入ってきているから、すでに生きながらにして天上に赴くというのは決定事項となっているのです。(仏陀の教えより)

よって、仏陀の教えでもわたくし對馬弘は「ある」のです。

で、実際にそれほどのことを行ったのか、と問われれば、

このホームページを読んでいる人は、仏陀を知り、仏陀の教えを学んだ人もいるだろうし、仏陀の導きに乗ることができた人もいることだろう。


で、あなたに問います。

あなたは仏陀という聖者は、どのような方だと思いますか。

とてもすごい人である。と思う人もいることでしょう。

仏陀という聖者を知らなかった人も、仏陀とその仏陀の教えを知って、この方はすごい方だったと思う。

そのように、私は多くの人々に仏陀の教えを説いている。

このように、現在のこの生存ですでに最上級の善業を積んでいるのです。

と、いうように、私が天上に赴くという原因はすでにある、と。


テロの者は闇雲に、怒りによって、又はおもしろや半分、又は恐怖によって、又は不安にかられて、悪語を語り、そして、悪業を行ってはいるが、

真実、仏陀の弟子・聖者の弟子を亡き者にしようとしているその極悪な行いは、

善処の存在からみると、すでに「ない」のです。


普通の善処へ出生する存在はそういう悪しき行いを厭離するのです。





5月23日

本日は、

「すでに生きながらにして天上に赴くというのは決定事項となっているのです。」

を、考えて、いや~、ちょっと言いすぎかな~とか考えていた。

いや、すでに仏陀に帰依していたのもあるし、現在こっちと逆走している者の愚行をみてれば、

間違いなくこっちは普通に良識がある、というか、テロの愚行を見てれば、人の道から大きく外れすぎてるって。

日本のメディアは数年間愚行をしてきたので、すでに良識ある一般の状態と、テロの愚行の騒ぎとの比較見当が、数年間悪行に慣れ親しんだ結果難しいのかもしれないが、

海外から良識ある人々から見れば、どう考えてもテロ側がおかしいと思う人が多いんでないだろうか。

テロのやってるのは、道理も通ってないし。

日本政府も、数年間騒いでいるのに見てみぬふりをしてるところで、

さらに、テロ演説をしているところを見れば、まぁ、現在の内閣が日本人の多くに支持されてないというのも無理はないと思う。



光は、眉間は天上で間違いないべさ。

光が入る場所によって、地獄行き決定のところも説かれている。

とりあえず、光が入れば善いということではない。




さきほど、車でラジオを聞いたが、今日もまた、テロ側の者が悪語を語り、悪語を語り合う悪友同士で、数年間悪行に慣れ親しんだ結果、あのような無残な内面となり、

テレビでもそうだが、罵詈雑言・暴言を吐くような人物や団体となっている、そして、さらにその者達の邪見(正見の逆)・悪念は進行中。

日本の多くのメディアの関係者も数年間愚行をしてきたので、すでに良識ある一般の状態と、テロの愚行の罵詈雑言をして自らが良識を失っているということに気づくこともない、と。

その仏陀の弟子に対する悪業は、私がこの世界からいなくなっても消えることはない。

まぁ、私がいなくなったらさらに、消えることはなくなるだろうけれども。

テロ側の者はテロに洗脳されて私が犯人だと思い込まされて、その妄想を信じ込んで悪行をしている者もいるが、

悪行に慣れ親しんで、その後集団意識から出て、自らの意思で立とうとしても、理法を見ても見れるような状態でもないだろうから、

再び集団意識に依るしかないかな、そういう人は。とすると、その集団意識もまた、洗脳されやすいから、どっちにしても集団で洗脳されるにいたって、

また、悪行をするような内面にさせられるっていうのの繰り返しとなるのだろうか。テロ側の存在は。


前述のように、集団意識っていうのは、幼稚な意識で、すぐに洗脳させられるような意識だから、そういうのにも気づいた方が善いだろう。


人数が多いから、集団意識というのは、洗脳をされないとかそうでなくて、人数が集まった集団意識っていうのは、

普通の意識を持っていた人でも、集団意識に加わると幼稚な意識になってしまう。

その集団意識が、すでに良識を失って殺人の話をしていると、誰かがその意識に加わってしまったならば、良識をうしなって、同様の愚かな行いをしてしまう。

その人物は一人でいれば、そのような愚かな行いをしなかったような人物であっても。

そのように、多くが人々の心理っていうのはそういう愚かな行いをしている集団意識に加わると、自らも同じように愚かな行いをする意識を持ってしまうというような

無知な心理を持っている。

だから、そういう愚かな行いをしている集いの意識を厭離して、はっきりと理法を見て、理法を持つなりで自らを守らないと、

集団意識のような、洗脳されやすい意識に堕ちてしまう。

そして、そこで悪業を重ねてしまったならば、真理でいうように本当に堕ちてしまう、と。


もし、あなたの身近に良識があって、殺人の話を厭離しなさいっていう普通の良識ある言葉をかけて忠告して気づかせてくれる人でもいれば、また違うんだろうけれども。

テロ側として悪行に慣れ親しんでしまった人はそういう普通の良識をもって忠告してくれる人が身近にいたら、そのような人の忠告を大切にした方が善いと思うよ。


テロ側の者の会話を聞いてれば、あとからの先が不安なので、愚かな行いを虚偽であっても信用したいとかそういう弱い気持ちも出てるんだろうか。

ラジオとかテレビを見てれば、テロに脅されてるとか叩かれたくないからとかいうので悪語を語っている人物もいるようで、そういうような話を告白しているのもちょくちょく聞くが、

しかし、真実、それでもその悪業が善業になるということはない。

人間が悪業をするときは、恐怖によっても悪業をするにいたるというのは、仏陀も教えでも説かれている。

悪業は悪業であって、決して善業ではないということです。

まぁ、先が不安で、愚行をしている者についていって悪業をしたならば、結局は大きく自らにその悪業は帰ってくるということだ。


世の富を貪って、悪業を重ね、結果地獄の存在として出生して、永い恐怖・苦しみを受けるのと、

世の富を貪らず、善業を重ね、結果善い処の存在として出生して、永い喜びと楽しみと安楽をうけるのとはどちらがいいでしょうか。


今日もいつもと同じような説教だが、本日の説教は意味が理解できただろうか。



先が不安っていうのは、まぁ、たしかに仏陀の教えを説いているその私自身も、今日も胃が激痛でいつまで身体ももつかわからないというくらいに現在体調はよろしくないわけだが、

仏陀の弟子は、理法を自らできちんと見て正道を歩く。


愚かな者と親しんではならない。もしも善き人が身近にいないのであれば、独りで正道を歩きなさい、と。


私は、私自身身体を捨てるのは、まぁ、現在悪しき者と闘い、闘いぬいた(悪魔に誘惑されて邪道に入ることもなく、仏陀の教えと善業を説き続けた)というので、

今のところこの生存にもたいして悔いはないが、

修行が達せされてないっていうのが、在家に甘んじているからで、全く悔いはないこともない、

あと、私がいなくなった後に、仏陀の教えを自らできちんと見れてない(自らで理法を見れていないので、コロコロしている)人なりが不安になったりするのが心配なので、

記しているのも大きくあるんだけれども、そうでなくて、自らで仏陀の理法を見て自らで理法を持つことができれば、コロコロすることもなくなるし、

当然のごとく悪霊に恐怖するなんてことも無くなるから、このホームページで仏陀の教えを学んだ人はそういうように自身で仏陀の法を見れるようになってほしい、と思っている。


迷いがあるっていうのもわかるんだよね。

しかし、(大乗仏教でなく、原始仏教の)仏陀の教えをきちんと実践すれば、教えのとおりに道は見えてくる。

大乗仏教でも多くが善性の人とはなるだろうが、大乗経典の教えを見ても、多くの人が迷走することになるだろう。

護魔は仏陀の弟子は行わない。


仏陀と仏陀の弟子が捨てさった行い。

何故、仏陀と仏陀の弟子はその行を捨て去ったのか。

「これは目的にかなわず、清らかな修行の基礎とならず、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立たず、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立たないからである。」



仏陀の説かれた修行法。

何故、仏陀はその修行法を説かれたのか、

「これは目的にかない、清らかな修行の基礎となり、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立ち、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立つからである。」


このように、原始仏教で本当の仏陀の教えは学ぶことができる。





5月24日

本日は、

仏教の基礎部分の教えより、

 邪行を厭離することについて



善なる人は、正道を歩く。

このホームページで言えば、すでに歩いている人もいる。


悪しき者は、邪道を歩く。

無知な者は、邪行を繰り返し行い、終に悪趣に堕ちる。




本日は、

あ、もう書いてた。

と。


どうやら、仏陀の教えとイエズスの教えが、悪行者の心に響いているのもあるらしい。

このホームページを見て、腹立つとか言っている者は、すでに悪行を何かしらやらかしてるんでないのか。

悪行者として、仏陀の言葉とイエズスの言葉を受けているわけだべさ。

普通の人は、そういうフルイに入らない。

自らフルイに入ったならば、聖者の言葉の善い言葉をうけることができずに、自らが悪しき者としての言葉で受けてしまうということだな。


そうなってしまったならば、悪循環だべな。

聖者の言葉で善行者は更に正道へと歩くことができるわけだが、

悪しき者として言葉を受けてしまうのであれば、自ら聖者の言葉を離れていくことだろう。

そして、自らが快いと感ずる悪語を語る者の中に入りこんでいくというような流れだべか。


悪行をさせようと誘惑している悪魔はあなたを救わない。


悪魔であれば、まぁ、先に聖者方からその無知な者を離すかな。

聖者方から離れたならば、そりゃ、邪道に堕ちていくのも無理はないだろう。


一時の悪ノリで邪道に入ってしまうから、あともどりもできず。

何度も何度も忠告をしたというのに、理法を甘く見て、悪業をつくってしまった、と。


あなた方は悪ノリでやっているかもしれないが、

仏陀の弟子・聖者の弟子を亡き者にしようとした悪行に参加するというのは、極めて悪いカルマだろう。


これだけ説明しても、笑って悪行を続けているんだもの、道理も通ってないし、そういう野蛮な行為が広がってしまっている日本。

我が国ながら、恥ずかしいことだ。

実際テロの者達の野蛮な行いによって、日本中が野蛮になってきている。


俺は、考えていたんだけども、俺は日本人として、日本を善い国にしたいわけで(日本だけではないけど)、

日本の大乗仏教もセント君のようなので道から外れているのも多いのできちんと立て直したいわけだが、

その行いを邪魔しているのは、メディアでテロ活動をして仏陀の弟子に対して殺人の意識を国民に植え付けているテロの者達だろう。

そもそもテロの者達が悪処へと走っているのも意味がわからないが、

仏陀の教えが弘まり、イエズスの教えも弘まり、善い国ということで日本経済にもプラスで見た感じだんだんと良くなってきたようだが、(この経済については私の個人的な考えで、他にそれほど要素が考えられないので、そうなんではないかな~と、)

内情は見た感じ経済だけ良くなったように見えるが、説明しているように良識と善い心をなくした国になってきてもいるが、


たとえば、そういうところで海外から日本を荒らそうとかいう考えを持つ者等がいるとしたならば、日本人同士を仲違いさせようという計略をしたりするのではないか、と。

実際海外のニュース映像でも数年前からテロのわけのわからないのはやってるのはすでに記しているとおりで、

そして、愚かにも日本のメディアは、そういう計略にはまっている感じにぴったりあてはまっている、と。


普通に考えても、道理も通ってないのに、悪ノリで仏陀の弟子を殺そうとするなんて、野蛮な国すぎる。

私が海外の国の人だとして、現状の日本を見たら、「かなり野蛮な国だわ」と思うと思うよ。

洗脳されている多くの日本人が良識をもって、いいかげんに目を覚ました方がいいのだが、

そういう、愛国心。っていうのは別に(個人としては)必要でもないと思うが、心善い人が育つ国日本であって、善処へ赴ける人が出生する国日本、又は出生したならば善処へ赴ける国日本というような

国にするのが、世俗の生活としても理法に適っていると思う。

のだが、そういう善い国にして行く方向で善いと思わないですか。


─べっち。そういう方向で善いと思わないですか。


年齢世代も移り変わりで、日本も高齢化してきているわけだし。

仏教国として日本政府もまったく良識を失っているというわけでもなく。

テロメディアを見てみぬふりして、テロに参加しているようなのは、人としても間違っているけれども。


だから前述しているように、見た感じでもわかるようなメディアの悪態、を規制する法律が足りないんではないのか、と。

実際メディアの叩き方がわかって理不尽な叩かれ方をしても、どうすることもできないわけなんでしょ。

政府の関係者であっても。

悪行をしているメディアに対する規制を強化するべきだろう。

歯向かうやつはガンするなんていうように国民を恐怖させているようなのも、規制しないと平和な国にならないと思うよ。

そうやって、真理も知らず、無知によって裏で愚かな行いをしている者も結局は悪処・地獄に堕ちてしまうべさ。

メディアを利用してテロをしている企業もメディア規制させたほうが良いんではないのですか。





5月27日

本日は、

夕食にホウレン草を湯がいて食す。

うまいホウレン草であった、と。

今日も飲み物を買いに行ってきて、飲み物によって胃に痛みがでるのと痛みがそれほどでない飲み物があるようで、

死にそうに胃が痛かったあと、以前箱で買っておいたアクエリアスゼロを飲んだら痛みがでなくなったな。

ミツヤサイダーのときも最初の頃痛みが消えたんだけど、飲み物によって胃が痛くなったり傷みが消えたりする。

死にそうに痛いときに飲んでいたのは、(ペットボトル)の麦茶だった。

今日は、他の商品を買おうとしたが、箱では品切れで売ってないっていうので、サントリーのグリーンダカラを買っみた、

そして、飲んでみたら、すでに胃が痛いのであまりあわなそう、と。(飲む前に麦茶も飲んでたから、どうだかわからない)

以前も飲んでいたが、胃は痛かったな。

という胃の調子が悪い人の話。

健康な人であれば、飲み物が変わっても胃の痛みもでないのかな。


最近、ふ、と気づいたんだけど、アクエリアスって日本語としてのネーミングが善くないな~と思い、

飲むのに良いが買いづらいな~と思って今日は買わなかった。

まぁ、どうだろう、(私が思った言葉の意味とは別に)関係ないかな、ということでまた購入することもあるだろうが、

店に陳列されてるペットボトルも品数がごっそりあるわけでもなく、

サントリーもテロをやってる企業だったから、あんまり飲みたくはないと思っていたが買ってしまった。

という今日の買い物。


しかし、飲み物によって、たしかに違うだな。

サントリーのやさしい麦茶も飲んだが、これは胃が痛くなかったので胃にやさしかったと思ったが。


俺の胃が受け付ける飲み物と、受け付けない飲み物とみたいな話に。

しかし、ジュースとかも長期間飲み続けるのも身体に良くないんだべかね。

昔、職場で毎日コカコーラばっかり飲んでいる(本人が、自分はいつもコカコーラしか飲まないっていうようなことを言っていた)人がいて、

ペットボトルでいつも飲んでいたが、その人は通風持ちで、

仕事で商品の重いものをもって、腰をやってしまい職を辞めていったという人がいた。

ということで、ジュースを長期間飲み続けるのも良くないのかもね、と。

家の場合、水がにごってるし、舌しびれるから、どうもこうも、飲料を購入してしまうのよ。

舌に地図状舌として出るからね。

それでも、麦茶は胃がガッツリと痛くなったけど、地図状舌はあまり出なかったな。

この違いは何だ、と。


何か思っていることを記していくと、

日記の内容が長くなっていっている。

俺もまた、よく毎日こうやって書く話あるな、と。


しまった、22時だ~、こういうことをしている場合ではない、と。

やることがあるので。

本日の日記は終了。





5月30日

本日も、

テロ企業がCMで罵詈雑言、暴言を吐いている。

彼らにいったい何があったのやら。


理由を述べてみなさい。

CMででもいいから。

こっちは家でそれほどテレビは見たり見なかったりだけどね。

私以外にも視聴者がその主義主張を聞いてくれるかもよ。





5月31日

テロ企業側は広告で「殺す」とか「殺せ」とか「死ね」とか毎日のように暴言吐いているが、

一方、こちら聖者側の普通の人たちは、善行をするとかそういう心善い気持ちで、善業に精進している。

この相反している人々。

果たして、この相反している人々で、悪しき者・悪魔に憑かれている側はどちらでしょうか。


数年間の双方の行いの種が育っている、と。

種が育ち、神でなくても、普通の人々が一見してもわかるくらいに善い実と悪い実の区別がつく。


悪行をしている者とそちらについていって愚行をしてしまった者は真理を甘く見てしまった。

聖者方は少しの悪業をも畏れるというのを何度も説いているのにその意味をも理解できずに。

何度も何度も見ている状況だが、悪行を繰り返し行う者は、理法を自らで見ることがないので、数日、一日二日くらいですぐにまた洗脳・誘惑をされ、すぐ再び邪道へと進んでしまう。





6月1日

本日は、

病院へ行き、胃薬をもらってきた。

診察をしてもらって薬だけもらう予定だったが、CTとレントゲンも撮るということでとってきた。

CTなんて3、4カ月位前にたしか撮ったようなどうだったべか、と思い、今日はCT分のお金なんて持ってきてないよ~、CT撮るのだってそんなに安くないんだから、と

財布をみたら、あ、結構入ってた、足りそう、というので診察料を払い。

病院で友人にあい話をしたら、私の印象が変わったので気づかなかったと言っていたので、

私が、まぁねそこそこ「ハゲたから」と言い、

友人は、1カ月で10㌔も太ったとおもしろそうに言っていたので、たしかに結構肥えていたので、「うん、太っている」、「痩せたほうがいい・太りすぎ」と言うような会話をして、

帰ってきて日記をみたら、以前CTを撮ってから、半年くらいたってたね。

まぁ、半年くらいならCTも撮るか、と。

時が経つのは早いものだね。

ということで、診察結果は胃潰瘍という話だった。

担当医に麦茶を飲んで死にそうなほど痛くなったが、他の飲み物を飲んだらそうでもないと伝えたら、

薬を強いのにしようかということで言っていたが、胃薬ガスター20mgでも痛みがそこそこ引いているので、

とりあえず、ガスターにしてもらった。

ガスターより強いといったら、プロトポンプ阻害薬を処方となるのか。

プロトポンプ阻害薬は経験上お腹がゆるゆるになったりしてたからあまりすきではない。

まぁ、とりあえずヒスタミンH2受容体拮抗薬を飲んで様子を見ると。

次は空腹で行ったら胃カメラ検査ということであった。


現在、飲み物はサントリーのグリーンダカラを飲んでも胃は激痛にならないようだ。今のところ。

このドリンクは、長期間飲んでも大丈夫だろうか。

以前も大人買いをして飲んではいたが。

と、その後仕事に行き、帰ってきて美味しんぼを動画で見て、現在。

今日もこのように日記を書いている場合ではないが、今日は病院でCTを撮ってきたので記す。

という、一日であった。





6月5日

本日、

仕事場で会社の社長ともめて、

テロの話におよぶと、HPのアドレスも教えているし、ホームページの話もすでにしているのに、今になって、しかも、これだけ騒いでいるのに「テロって何よ」という話。

数年騒いで、本人もいろいろやっていたのだが、「テロって何よ」と、つっぱっていたので、はっきり言って話にもならず。

給料を下げるとか何とか言う話になり、そういう話の流れで会社を辞めることとなりました。

ラジオとかも騒ぎすぎなんだもの。

しかし、これだけ騒いでいて、さらにHPも知っているというのに、「テロって何よ」としつこく言ってたのも、どうかと思うけれども、最初の頃からテロ側としていろいろやっていたので、

いまさら、とぼけられるっていうのも、テロ側の人物だからそのようなものだろう。

まぁ、しかし、こうなってしまったのもテロのせいでもある。

ラジオでもテレビでもあれだけストーカーして騒いでるんだもの、本当に迷惑な話だ。

身体も調子がよろしくはないからな~。

まったく困った話だ。



これから職を探さなければならない。

職が見つかっても、身体とテロが問題。

え~と、現在の手持ちの資格

電工1種
電気施工2級
消防設備士甲4、乙7
建設機械施工技士2級
大型・牽引自動車免許、
大型特殊
移動式クレーン免許
ボイラ-2級、等
ユンボ等技能講習の各種,


さて、どうしたものか。





6月7日

本日は、

資格はね、電顕三種は4教科中あと1教科の1問2問あってれば、合格というところまでいったが、テロにじゃまされつづけたから流れた。

その頃の日記をみれば、どういった状況かわかるだろう。


しかし、テロ側の存在が妄語をいうというのももうわかるべさ。

実際にそういった存在が集まっている。

仏陀の教えのとおり、

愚かな者・悪しき者と親しんではならない、と。

仏陀は慈悲によって私たちに善(処)へと向かうための理法を教えてくださっているのであった。


私たちが向かうのはそういった愚かな方向ではなく、人の道であって、聖者方のとおった安らぎの道である、と。

真理をみている人は、本当の悪魔に邪魔されて大変だが、これもまた、う~ん、真理を見ている人がすくないから集中攻撃をされるということか。


誰もひっくり返すことのできない理法が仏陀によって説かれている。

そういえば、理法についての反論というか疑問があれば、

私も答えられる範囲でお答えするが、

そういうのを聞かないな。


仏陀の理法は「ある」と言う人も、多くいるように見える。

清浄な本心から言っているのであれば、普通の良識をもっている人だろう。

と、春思う。



善処へ向かっている人にとって善行の教えを「ある」というのは、それは普通だからね。

天神と梵天と善処の神々と、

天上の善神にとって善業は普通。


聖書を見ても、善行は、善処へ赴く人にとって、それを行うのは普通。





6月9日

色、受、想、行、識をみる。

色、受、想、行、識は無常である。

無常であるのは苦しみである。


理法をみて、時折とても悲しくなることがある。

何故に、人は悲しみを受けなければならないのか、と。



何故、このような悲しみが生じるのか。

それは、

色、受、想、行、識は無常であり、

そして、無常であるのは苦しみであるから。


切なさに執着を見る。



諸行は無常である。

人と人との出会いもまた、

出会いがあれば、別れもまた必然。

愛情を持っていた人との楽しい思い出も、数年、数十年と時が経てば、薄らいでいくこともあるだろう。

あれだけ楽しい時を過ごしたのに、あの時の思い出は一体何だったのだろうか、と。

どうして楽しい時はずっと永遠に続かないのだろうか。

または、老いにより、病により、死によって、

どうして人と人は別れなければならないのか。

無常であるのは苦である。


私が私であれば、私は苦を受けたくはない。

私は苦を受けたくはない。

苦であるものは、私のものではない、私ではない、私の我ではない。

しかし、私は苦をうけなければならない。

私は苦をうけたくはないが、苦を受ける定めにある。

私の身体は、私の意志に反して、老いて死を迎えるだろう。

色(身体)は私のものではない、私ではない、私の我ではない。

人は生まれたならば必ず死ぬのだから。

色、受、想、行、識は無常である。



聖者は無常であって、苦しみであって、無我であるものを厭い離れる。

厭い離れれば、貪りから離れる。

貪りから離れれば解脱する。

解脱すれば、解脱したとの知を得る。





6月10日

以前から思っていたので、HPの一頁目を更新しておいた。

私はその人のことを日記に記した以上に知らないので。

騒いでいるんだかどうだか知らないけれども。



そして、わたくし事では、一応、職を探し内定はいただいて、今週は休みをもらったが、

体調がすこぶる悪いから、微妙だな。


飲み薬を変えてもらうか、と。

しかし、これだけ体調が悪いのに、薬が一種類って少ないね。

今までかかった病院で、最も少ないんでないだろうか。


医者によって、治療法が異なる。

医者という職業は患者に治療をして、治療の対価を得ている職業だ。

ボランティアで治療を行為をという善業を成している人もいるが、

治療費をもらって、お尻の筋肉をとって人を苦しめるというような悪行医までいる。


医療の世界も、筋肉をとったりするような害悪を患者に加えるようなのを

きちんと取り締まって罰するような仕組みをつくったほうがいいんではないだろうか。


医療ミスっていったら、そういうのもあるだろうが、治療をしてもらって対価を支払っている人も命と人生がかかっているわけだから、

そういう悪業をしている医者とそういうのではない医療ミスとの区別が難しいのであれば、

そうだな~、医療ミスという行為から強く罰するような仕組みがあれば、

まぁ、人間だから本当に医療ミスをしてしまうこともあるだろうが、

医療ミスにかまけた医者の犯罪も減るだろう。

と、医療の世界の悪行者について、そう思う。


悪行者は地獄に堕ちる。


あらゆる職種に、プロがいる。

医者もプロとして腕がいい人は患者さんからわざわざ求めてくるというプロの医者もいるけれども、

裏で悪業をしている堕ちた悪行医もいる、と。

医者がなぁなぁで殺人行為をしているようでは、その愚かな者が地獄に堕ちる、と。

そういう悪行医に悪行をできないようにする仕組みがあれば、医療の現場でももっと気持ちよく仕事ができるんではないのだろうか。

心から人を助けたいという気持ちで医療の職を選んだ人もいることだろうから。

しかし、実際にそういう心のある人だけではなく、悪行医もいる、と。

患者の立場としてもそういう悪行医に自らの治療をまかせたくはない、と思うのは普通だろう。





6月11日

本日は、

先程仏教国というのを考えていた。

日本は島国だから仏教の教えも信仰できる人が多かったのかもしれないが、

その地域環境によっても、どの宗教を信仰する人が多いかというのはかわる、と。


本当に理法(真理)を探す人は、仏陀の教えに辿り着くだろう。

東洋人でなく西洋人の神秘家でも、真理を追究して仏陀の教えに辿り着いている人も少なくない。

しかし、世の衆生は、その環境と身近な人々が信仰している教えというのに強く影響を受ける人は多く、真理を見ようとして、真理の追究で迷っている人も多い。



仏陀の教えは、人を清浄な安らぎへ導く教えであって、悪業へと誘うような教えではない。

日本は島国だから、海にかこまれていて、野蛮な者が陸続きの隣にいるということがない。

なので、そういう意味で野蛮な者から攻められる事もない。

しかし、大陸にいる人々は、自らが野蛮でなくとも、隣国に野蛮な者が住んでいれば、攻められるということもあるだろう。

とすると、自分たちを守るために、戦うという者もあるだろう。

そのような環境の人々にあっては、仏陀の教えというのは、理解したくとも、環境が理解させてくれる環境にないというのもありえることだろう、と。


誰しもが仏陀の教えを理解できる環境にいるわけではない、と。

日本人は基本仏教国として、道徳によって、悪行をしてはならないという根本精神を持っていて、そのような道徳を学んできているので悪行をするというような根本精神をもっている人は少なく、この国では夜女性が屋外に出てても変質者とか犯罪者がでてこないかぎりは安全である。

海外ではどうだろか。

治安が悪いとされる国では野蛮な者や野蛮な民族を警戒して日々を過ごしている人もいるだろう。

そのような環境の人々に、仏陀の教えを見ることができるだろうか。


そのような環境の人々は、信仰に何を見るだろうか。

否。そのような環境の人々は、信仰に何が見たいだろうか。

信仰というのは、ジャングルのような辺境の地の人も、信仰を持っている人はいる。

昔、日本は宗教で神道を選ぶか、仏教を選ぶかというので、迷ったとき、

神道を選択した人は、その神道の信仰に何を見ようとしたのだろうか。

その神道の信仰に何を見たかったのだろうか。

仏教を選択した人は、仏教の信仰に何を見ようとしたのだろうか。

仏教の信仰に何が見たかったのだろうか。


このHPで仏陀の教えを学んだ人は、

神道を信仰することによって何が見えると思いますか。

仏教を信仰することによって何が見えると思いますか。


仏教でも大乗仏教を信仰することによって何が見えると思いますか。


要するにその自らの生まれた環境と育った環境とによっても

仏陀の教えを見ることができる、または見ても見ることができない、ということもあるだろう、と。

理法を学ぶ準備ができている人もいるが、理法を学ぶ準備のできていない人・準備のできない人もいる、と。


仏陀の教えを学んでいる人は、仏陀の教え以外の教えを見ても、見ることができる。

しかし、仏陀の教えは、清浄な心をもっていなければ見ても見ることができない。

たとえば、大乗仏教の仏像が身に着けている瓔珞等を見て、すぐにそこに何らかの執着を見てとれるような執着のない心。

ゴータマ仏陀は、荘厳さを示すために自ら瓔珞を身に着けるということがあるだろうか。

そういう基本的な清浄心のところも。

自らで理法を見ない人は、昔からの盲目的な伝統仏教を重んじて、本当の仏教(仏教の開祖)であるゴータマ仏陀を見ない。

ゴータマ仏陀を見ないがゆえに、理法を見ても見ることがない。

しかし、

仏陀を見る人は、理法を見る。

理法を見る人は、仏陀を見る。


現在、仏教の他の清浄な教えを信仰する人であっても、または、仏陀の教えがあまりわからないなりにであっても、

準備ができていて、自らで仏陀の説く理法を学ぶことができる人はしあわせである。



『 このように聞いて、ある比丘は世尊に次のように申し上げた。
 「尊き師よ、諸天神にとってよい境涯へ往く、と言われるのは、一体いかなることでしょうか。
 また、尊き師よ、諸天神にとって善い所得を得る、と言われるのはいかなることなのでしょうか。
 さらに、尊き師よ、諸天神にとって、きちんと安定した、と言われるのは、どのようなことでしょうか」

 「比丘たちよ、人間の状態こそが、諸天神にとって善い境涯へ行く、と言われるものである。
 また、人間となって、真理の体現者が説いた教えと僧団の規定とに信仰を得るならば、これが、比丘たちよ、諸天神にとって善い所得を得る、と言われるものである。
 しかもその信仰は安立し、根を生じて確立し、堅固である。世間における沙門、バラモン、天神、魔、梵天、あるいはいかなる者によっても、その信仰は揺らぐことがない。
 これが、比丘たちよ、諸天神にとってきちんと安定した、と言われるものである

 天神が、寿命の滅尽によって、天神の身をはなれて死歿するとき、彼を励ます諸天神の三つの声があらわれる。

 「君よ、ここより去って行きなさい、人とともに住む、善い境涯へ。人身をもったら、正しい教えに最高の信仰を得よ。
  その、きちんと定まった君の信仰は根を生じて確立し、正しい教えをよく知るとき、命ある限り、それが動ずることはない」と。

  それによって、かの天神は、身の悪行と、口の悪行と、心の悪行を捨て、さらに他の悪と言われるものを捨て、身によって善を行い、口によって善を行い、心によって善を限りなく行って、執着のもととなるこの心身を離れる。

 施しにより、功徳を多くなして、また、他の人々をも、正しい教え、浄らかな修行に導くべきである。

 諸天神は、天神が死のうとするのを知ったとき、同情して、再三再四励ます

 「天神よ、行きなさい」と。』





天上の神としての生存から人間の生存へと出生した人も、仏陀の教えにあい、その最上の教えに信仰を得て、その最上の教えを学ぶことができる存在は幸せである。

天上の神々は仏陀の教えを学ぶために、修行のためにここに来る、と。





6月15日

本日は、

初仕事。現在の仕事は身体のことも考えて選ばせてもらった。

職探しですぐに電気の仕事一件を面接してもらうのつもりだったが、身体のことを考えて、面接をキャンセルさせてもらい、

重機のオペ職にした。

昨日、電気の試験受けてきたけども。

ひさしぶりに重機に乗ったが、身体で覚えているからそうそう忘れないのもあるが、たまに埋設配管するのにユンボでほってたからね。

日記にも書いているように。

と、いうことで重機のオペをしているんだが、

しかし、ラジオとかのストーカーがガッツリとまたまた騒いでいた。

あれ、なんなんだべな。

ストーカーが本当に迷惑だわ。


ストーカーっていうのは、ストーカーされる人はストーカーをされるタイプっていうのがあるらしく、

そういうのにあてはまる人はストーカーをされやすいっていうのを、以前どこかで読んだことがある。


どれどれ。


やはり、私はストーカーされやすいタイプにあてはまっているのかもしれない。



ストーカーになりやすいタイプっていうので、

テロ側のストーカーや他悪行をしている能力者と、

あと、テロ側の悪行をしている者達はあてはまっていないか。

あなたは自分のことをどう思いますか。



気づいたら、直すのが善い。





6月20日

本日は、

今日もまた騒いでたな。

しかし、今日のもそうだが、ラジオとか聞いてる普通の人たちは、テロ側の話を聞いて、頭おかしいと思っている人多いと思うよ。

今日は、車を運転している人々の顔を見るとしかめっ面した人が多かったな。


しかし、テロ側に騒がれるだけすごい人なのか。

これだけ騒いでるのもすごいな、と思うよ。

誰よ、騒がれているのは。

あ、俺だ、みたいな。


こっちは仕事で作業してると、なんかそういう話題にも興味が薄れてくる。

世間は騒がしい、と。

何でストーカーして騒いでいるのよ、と。


騒いでいるのを聞いていると、すごい人だな~と思うよ。

誰だ、そのすごい人は。

あ、俺だ、みたいな。


それほど騒がれるほどの人なんだべかな~。

まぁ、仏陀の教えがすごいから、ある意味当然なのか、と。


そういう意味では納得する。


たしかに仏陀の教えは最上である、と。



しかし、テロ側の者の会話を聞いてると、相当邪道に入りこんでいるよ。

会話の内容からしても。

こっちにやっている嫌がらせも、相当人として存在として悪業でしかないのを見てると、

そうとう、邪道に堕ちこんで行っているものも多い。


普通の世間の大勢を、邪道に道ずれにするのは何なの。


テロ側の導きが邪道への導きであって、天上への導きではない。

普通、数年間悪行しているのを見てきたらさすがにもう気づけるだろう。


何度、同じようなことを言わせるのか。

同じ話を何度聞かせたら、理解されるのだろうか。


テロ側の存在が自らしている悪業(仏陀の弟子を亡き者にしようとしている行い、またはその極悪な業に参加した行い)を

私に責任転換しようとしても、その愚かな行いは私の業になることはないんだよ。


何で私が、そのような愚かな極悪業を作るってよ。

そういうのはないから。


その極悪なカルマは、あなた自身が自らの身体を捨てた後、自らが持って行くものであって、私や他の人のものではない。

あなた自身が自らの身体を捨てた後、あなたの依るべとなる業。

その業が極悪であれば、道理として、地獄へと堕ちるだろう。


あなたが善処へと赴ける善業を多くしているのであれば、

地獄へと堕ちることなんてなく、天上の世界へ赴くだろう。


テロ側の極悪業をなした者が、その極悪なカルマを受ける日は、日一日一日とだんだん迫ってきているわけだ。

生まれたならば、必ず死ぬ時がくる。


仏陀の教え(真理)は、愚かな行いをしている者・極悪な者が思っているような甘いものではない。

盲目の亀のたとえでも何度も説明をしている。





6月21日

本日は、

日焼けにより、頬を赤らめている春です。

さきほど買い物に行ったら、結構いつもだが、テロのストーカーが買い物に行けばよってきて気持ちが悪い。


そして、TVのCMでファンケルのCMがテロだった。

ファンケルなんて、商品すら買ってないと思うけど、

何なの。

テロ側の企業はまたしても正当な理由すら述べることなく、単なる罵詈雑言を公共の電波で流してテロ活動に参加しているという愚行を繰り返している。

テロ側の行いが、いつものように呆れるほどの愚かな行いだ。


そういう天上の存在の行いではないのをまじまじと見せつけられても、

まぁ、そういう存在の集まりだからな、と思わさることもしばしばある。


どうしてこう、聖者方とその道に進んでいる善良な人の集まりと価値感が大きく違うんだべかな。


犯罪者に着いて行っている精神というのも、普通の良識を失っているんだろうが、

テロ側の存在は、悪業に快楽を感じるところまで外道へと進んでいるものも多くなっているようなので、

気づけなくなってきているのだろう。

テロ側は悪業を繰り返しているからね。

まぁ、テロ側の存在をさらにしばらく見てればわかるだろう。

早くに気づいて、心を改めないと、さらに悪魔に誘われるだろう。

そっちの、聖者と反対に進んでいる人達。


すなわち、

じわりじわりと、邪道(地獄)へと進み入っている、と。


いや、本人達はおそらく気づけないんだろう。


そっちを導いているのは悪魔だって何度も何度も忠告をしてあげているというのに。

憐れな。

テロ側の行いを見れば普通気づけるはずのものなのだが、

深くまで、邪道に進んでしまった存在には、気づくことが難しい。


であるからして、わたくしたち仏陀の弟子は、そのような悪行・愚行を厭離して、

善行を行っていきましょう。


まず、テロ側の存在は悪業に参加しているとかいう事体ですでに天上の神々等神聖な存在からもお呼びではないだろうから、

自らを特別な存在だという意識がどこかにあるのであれば、その意識は間違いである、というのに気づくべきだろう。

テロ側の悪行をしている能力者なんてとくにお呼びではないだろう。

普通、能力使って悪行に参加しないから。


そういうところから気づいていかないと、悪魔の誘惑から脱することができないんでないか。





6月22日

本日は、

ラジオで午後4時15分くらいから5時くらいまで生放送を聞いていたら、

テロの犯人がいろいろ自分でしゃべってた。

やはり中枢にいたか。


犯人の尻尾をつかんだので記す。





6月27日

本日は、

犯人が己が犯行をはっきりと話していたので、もうとくに犯人を捜すようもたいしてない、と。

罪のない人に対して話合いすらもなく、一方的に”ガン”にして殺すなどという民衆をひきいた恐怖政治、いわゆるテロ行為は悪行でしかない。

というか、何年も悪行をしてきて、その結果であの答弁っていうのも、なんか、もうこっちは呆れてるけどね。

諦らかテロ行為をしているあなた方、またはテロ活動に参加して邪道へと進んでいるあなた方の行いは決して善行ではなく、悪行でしかない。


私は仏陀の弟子として罪がないのに、テロの悪行者達から悪行を受け続けているので、はっきりと断言できる。

テロ活動をしているあなた方の進んでいる道は間違いなく邪道である。


太郎はどういうつもりでテロ活動をしているのだろうか。

その悪行は人の道から大きく外れている。


とりあえず、私個人に対して、そして大勢の民衆を巻き込んでテロ活動をはじめたきっかけを述べよ。





6月29日

本日は、

7月はあまり仕事がないっていうことで、休日。

病院に行って痛み止めをもらおうと行ってきたんだが、胃が痛いときに痛み止めを飲んだらダメと言われて、痛み止めは処方されず、

残っている薬をそのまま飲み続けてって言っていたので、激痛で効かないので、薬をネキシウムカプセル20mgに変えてもらってきた。

胃カメラは新しい保険証がいまだ来ないので次回にでもしてもらう予定。


悪業者達がまたまた騒いでいるので、まただな。


だから、私は犯人でもなんでもないって言っているのに、あなた方悪行者は善人に嫌がらせをし続けている。

洗脳されて。

どう見ても、あなた方は邪道を進んでいる。

いうまでもなく、邪道を進むものは、悪趣へと赴くのである、と。


悪しき者達は、悪語を語って結束を強くしている。

そのような行いを見てても、八正道にないよ。

だから、そうやって悪趣へ赴く仲間を増やすんでないって。

真理に対して恐怖するとか、善行をしていれば別に真理は恐怖するものではない。


悪しき者が俺の思っていることを読んでどうとかってか。

(そっちから見て)そんなに騒ぐほどすごい人なんだべな~。

わけのわからないやつらだ。


何かしらすごい要素が持っていると思われているから、なんかいろいろ騒がれているということだべな。

う~ん。

そうだな~。

たとえば、

仏陀の教えを説いているので、人々を善行へと導くことができる。


うん、たしかに

これだけでも最上にすごい、と。


大乗仏教では、人々を迷走へと誘っている教えも多いというのに。


いや、しかし、そういう話はいつもの善行でしていることなので、あれだが、


しかし、薬の話で胃が痛いときに、とんぷく薬を飲んではならないっていうのが、

またしても、きちんと治療をしてもらえないのか、と疑問に思っていたので、

ブスコパンとかストロカインとか痛み止めは飲んだら、胃が余計に荒れるからダメなんだべか。

一応、薬剤師の人にも聞いたら、そういう場合もあるというようなことは言っていた。



まぁ、テロ集団が私の身近の人々を叩いたりして邪魔をしたりしてるから、

そういうように治療の邪魔もされているのであった。

あたらしい職場に来たが、また同様にモノマネなり私のストーカーして騒いで嫌がらせをやっている。

テロの者達が他人に嫌がらせをしているという行い事態ですでに、善なる存在のメンバーから遠いっていうのも

まぁ、普通わかるんだけどね。


今、連絡が来て、明日も休日になってしまった。

仕事がないので、どうしたものか、と。

車を購入して支払ったから、たいしてお金もないからな~。


とりあえず、どうするか、と。

胃がとても痛いが、洗濯でもしようかな、と。

天気は良い。





6月30日

本日は、

善なる行いと悪しき行いを説いている教えについて



諦らかに聞き善く思い、善く考えなさい。汝らがために説くべし。


 善行と悪行





7月1日(2015年)

久しぶりに少しだけ日記を読み直したんだが、

『9月14日

ラマナ・マハリシさんの教えのところで、

「今日は、ラマナ・マハリシさんの教えを本で読んでみた。
(ラマナ・マハリシさんの)仏陀に対する認識、仏陀の教えに対する認識に誤りがあるけれども、
無我という事柄について、意味がわかりやすい部分が多くある。



長老ラマナ・マハリシの教えを抜粋

問い、
超自然力(シッディ)を得ることと、解脱を得ることとは何か関係があるでしょうか。

「光明に満ちた問いかけの道だけが解脱(梵)に導く。
超自然力はすべて、マーヤーの力によって作りだされる見せかけの幻である。
永遠のものである自己実現だけが真実の成就(シッディ)である。
マーヤーの影響のもとに、現れたり消えたりする成就は、真実ではありえない。
それは名声や歓楽などを楽しむための成就である。
特定の人々には、それはカルマをとおして求めずともやってくる。
ブラフマンとの結合が、すべての成就の最終目的であると知りなさい。
これが結合(サーユジャ)として知られている解脱(アイキャ・ムクティ)である。」



梵に至る教え。』


というところで、久しぶりに読み直してみたら、他の人が読むとおそらく勘違いするだろうから

もう少し説明を加えておく必要があるだろう、ということで、

追記説明すると、

この紹介した部分はマハリシさんによるブラフマンとの結合・梵に至る教え

ではあるが、

仏教では仏陀は梵天の世界へ導く道を説かれている。

私が記したのは、無我という事柄について、意味がわかりやすい部分という意味において、

『永遠のものである自己実現だけが真実の成就(シッディ)である。
マーヤーの影響のもとに、現れたり消えたりする成就は、真実ではありえない。
(その現れたり消えたりする成就)は名声や歓楽などを楽しむための成就である。』という部分だな。

細かく言えば、諸行は無常であってそもそも永遠っていう表現は、真理ではないが、

そういうところは他でも説明しているので、省略して、

『永遠のものである自己実現だけが真実の成就(シッディ)である。』という自己実現、自らを知るという、

四念処にもつながる言葉のところ。

そして、『ブラフマンとの結合が、すべての成就の最終目的であると知りなさい。』とは

マハリシさんはブラフマン(梵)との結合を解脱(梵)であるとしているが、

当然のごとく仏教の最終目的、そして仏教でいう解脱とは異なる。と。





7月11日

本日は、

仏陀の慈悲について


 最上の優しさ(慈悲)について


「大王よ、もしもデーヴァダッタが出家しなかったのならば、在家の身分のままで地獄の果を招く多くの悪業を為して、幾百兆劫もの間、地獄から地獄へ、破滅の所から破滅の所へと行きつつ、多くの苦しみを受けるでありましょう。
 尊き師は、そのことを知りつつ慈悲を垂れて、デーヴァダッタを出家させたのです。「わが教えに従って出家したのならば、かれの苦しみは終わりをつげるであろう」と、慈悲を垂れて、重い苦しみを軽くしたのです。」





 最上の(優しさ)慈悲とは

無明によって苦を受ける存在すべてにあわれみをかけ、同情し、利益を求めてやり、不利益なことをとり除き、有益なことを与える。

苦を受けているすべての生きとし生けるものを苦しみから救う、という最上の優しさ、

(仏陀の)慈悲を言う。




悪・悪魔にたいして屈することもない、不動の方々(聖者方)。

最上に力ある存在・最上に強い人である、神々の神たる師(仏陀)は、最上に優しい心をもつ存在、最上の慈悲のある存在である、と。



 慈しみについて (理解しやすく更新)





7月12日

本日は、

本日も仏陀の教えを説こうと思って途中まで書き記していたが、内容を考慮してやめておいた。

テロ側の存在がまたまた罵詈雑言を吐き騒いでいる。

仏陀の教えを説いてもなお意味を理解することもなく騒ぐ者達。

明日検査だからね、だいたい検査とかが近くなると、急激に罵詈雑言が増えるっていうのがいつものパターンだな。


まぁ、イメージ・印象を悪くしたいというのが狙いなのだろうか。

テロ側の存在はいつも悪業を重ねて、邪道から抜けることも難しい。

邪道を更に更に進んで行っているのも、また、これだけ仏陀の教えなり、イエズスの教えなり、他、善の教えを説いているというのに、

理解できないとは、まさに、ミラクルだ。(ミラクル・驚きというような意味)。

そういえば、以前ミラクルっていうのを記したときに、ミが抜けていたのを読み直したときに発見して、直すのを忘れていたので、

直すことにしよう。

いや、普通、これだけ教えを説いてるもの、理解できるべさ。




テロ側の存在は悪業が重なっているから、まぁ、理解するのに難があるとしても、

テロ側の存在ではない普通の人の、あなたは、さすがに理解できるでしょ。


悪業が重なって観えなくなるっていうのは、以前に説明してるとおり、

真実、定をしても、自らの悪行の思念によって迷走することとなるだろう。


私がこのように日記を記していると、善を行うという事柄をもそれほど難しいことではないような感じの印象をもつ人もいるかもしれないが、

悪行をしているテロ側の存在は、こちらの仏陀の弟子として善行をしている人と違い、

仏陀の弟子に敵対して、その聖者の弟子に対して悪行を積み重ねているので、

こちらの人と、そちらの悪行をしている人は、すでにかけ離れている。

途中から善心へと心を改めた人とからも、悪行をし続けている存在はすでにかけ離れている。


テロ側の存在は、安らいで真理を聞いていられるような立場にいない。

理法を聞いて、善行をするという心でもって、善行をむねに真理を聞いてきている人は安らぎつつ真理を学ぶところにいる。

それでも、修行を怠けている場合ではない、と。

人生は短い。たとえば、頭髪に火が燃え盛っているかのごとくに、怠けている場合ではない、と。





7月13日

本日は、

病院へ行って、胃カメラをのんできた。

今日の胃カメラもそれほど、苦しくもなかったな。

細胞を取ったので、その検査結果は後日に出る。


飲み薬はガスターを服用していたときよりも痛みは減少したので、効いているようす。

空腹時に胃が痛くなるという症状があるのだが、空腹時に胃が痛くなるのは十二指腸が悪いことが多いらしいということを先日知った。


テロ側の存在は、話を聞きにくるとかいうことはないんだろうか。

最近のテロCMは、

ミサワホーム

イオン

サッポロビール

HINO自動車


テロ側の企業のその企業理念が、一般の社会常識から外れてきている企業が多くなっている様子で、

テロ側の集いの企業も、だんだんと価値観が外れてきているというのがあらわれてきている。

サッポロビールのCMに至っては、すでに社会的な世間の常識をも欠如してしまっているので、

人として企業として、その企業理念を省みて改めた方が、世のため人のため自らのためになるだろう。




ビールというのに関して、

家にビールがあったというのは、以前記した事柄であるが、

まぁ、その賞味期限の切れたビールはトイレに流して捨てたが、

飲酒ということに関して、

仏教では飲酒をしない、という戒めが、五戒に含まれているのです。

では、家に何故ビールがあったのか。

多分、俺が買ったんだったかな~。忘れたが、

要するに当時はわたくし自身五戒を具えてはいなかったのであった。

ということで、飲酒をしていたのである、と。

しかし、根本的に昔から酒を飲んでも、おいしいとあまり思ってはいなかったので、

普段からずっと毎日のように飲んでいたとかそういうのもとくになく。

友人と集まったりしたときくらいしか、ほとんど飲むこともなかったので、

年代物のビールが残っていたわけでもあるが、

ちょうど、冷蔵庫を開けたらドアの透明な麺類のタレとか入れていた棚の下の目に入らないところにビールがあったので、

数年間気にならなかった、ということで、そのまま放置されていたのであった。


酒は、ワインはたくさんの種類を飲んだこともないからあれだけど、

ワインを飲んでおいしいと思ったことがないな。

ちょうどいい甘さのブドウ液ならおいしいと思ったことがあるが、

ワインはあの渋いのが美味しいとするところなんだろうか。

まぁ、もう自ら口にすることもとくにないだろうから、別にどうでもいいことであったりもするが。


と、いうことで、

仏陀の教えで、在家の信者は、

飲酒を行ってはならない。

そして、この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならない。他人が酒を飲むのを容認してもならない、と。

と説かれています。



アクエリアスのCMもやってたが、

ギリシャ語訳本はエリアはエーリアスとなっているということでだよ。

悪(アク)ってつけるのは聖人に対して失礼だろうという意味の話。

(追記訂正 日本コカ・コーラより 「アクエリアス(Aquarius)は、英語で星座のみずがめ座を意味する。」ということで、エーリアスという意味ではない。)


え、麦茶。

企業名は書かなくていいってか。まぁ、修正。

グリーンダカラはやっぱり合わない。


テロ側が”ガン”にするって動いているって、

テロ側の集いって最初からそういう悪行をしているだろう。

最初から邪道を歩いているもの。

その、人を”ガン”にするっていう悪行(殺人)をやめなさい。


善神の集いから見ても、そちらの悪行は、最初から道理としてもない。

そのように悪業を重ねているのに、自らの集いが天上の集いであるかのようなふるまいがそもそも間違っている。


『最上に力ある存在、神々の神たる師(仏陀)は、最上に優しい心をもつ存在、最上の慈悲のある存在である』と。

本当の天神と天神の中の神のような存在の仏陀と、悪行をしつつ自らを天部の存在であると勘違いをしてしまっている者の行いの違いをみなさい。

善神は善行を行い、悪行を事としない。

テロ側の集いは悪行を繰り返し繰り返し行っている。

天上の存在は、善行を繰り返し繰り返し行っている。

そして、聖者方等サッカもそうであるが、前世においても繰り返し繰り返し善業を積んでいる、とされる。

この行いの違いをみなさい。





7月14日

本日は、

現在、部屋の気温が27.9℃、湿度55%

扇風機をまわして涼しいくらい。

我家にエアコンはない。

換気扇の封印は数日前に外した。

日本各地で猛暑だとかいうニュースが多くやっていて、

季節変わりで熱中症の人が多く出ているようす。

どれどれ。

熱中症 wikiより

『本質的には、脱水による体温上昇と体温上昇に伴う臓器血流低下と多臓器不全である。表面的な症状として主なものは、めまい、失神、頭痛、吐き気、気分が悪くなる、体温の異常な上昇、異常な発汗(または汗が出なくなる)などがある。また、熱中症が原因で死亡する事もある。特にIII度の熱中症においては致死率は30%に至るという統計もあり、発症した場合は程度によらず適切な措置を取る必要があるとされている。また死亡しなかったとしても、特に重症例では脳機能障害や腎臓障害の後遺症を残す場合がある。

熱中症は、屋内・屋外を問わず高温や多湿等が原因となって起こり得る。日射病とは違い、室内でも発症するケースが多く、年々増加傾向にある。2010年の夏には1731人が死亡した。高温傷害で、日常生活の中で起きる「非労作性熱中症」と、スポーツや仕事などの活動中に起きる「労作性熱中症」に大別することが出来る。下記の熱中症の分類は臨床医療の現場で混乱を招くため、熱中症I度・II度・III度と記すように日本神経救急学会の熱中症検討委員会により改定された

分類 I度(軽症)

症状 眼前暗黒、気分が悪い、手足のしびれ、四肢・腹筋の痙攣、こむら返り、筋肉痛、硬直、血圧低下、皮膚蒼白
対応例 日陰で休む。水分補給。衣服を緩めるとともに体を冷やす。
従来の分類  熱痙攣、熱失神


分類 II度 (中等症)

症状 強い疲労感、頭痛、吐き気、倦怠感、脱力感、大量発汗、頻脈、めまい、下痢
対応例 医療機関での治療(輸液)、管理
従来の分類  類熱疲労


分類 III度(重症)

症状 深部体温上昇、脳機能障害による意識混濁、譫妄状態、意識喪失、肝臓・腎臓の機能障害、血液凝固障害
対応例  救急車で救命医療を行う医療施設に搬送し治療、管理
従来の分類  熱射病


熱失神

原因 直射日光の下での長時間行動や高温多湿の室内で起きる。発汗による脱水と末端血管の拡張によって、脳への血液の循環量が減少した時に発生する。
症状 突然の意識の消失で発症する。体温は正常であることが多く、発汗が見られ、脈拍は徐脈を呈する。
治療 輸液と冷却療法を行う。
分類 I度

熱痙攣

原因 大量の発汗後に水分だけを補給して、塩分やミネラルが不足した場合に発生する。
症状 突然の不随意性有痛性痙攣と硬直で生じる。体温は正常であることが多く、発汗が見られる。
治療 経口補水液(水1Lに対し砂糖40g、塩3g)の投与を行う。
分類 I度

熱疲労

原因 多量の発汗に水分・塩分補給が追いつかず、脱水症状になったときに発生する。
症状 症状は様々で、直腸温は39℃程度まで上昇するが、皮膚は冷たく、発汗が見られる。
治療 輸液と冷却療法を行う。
分類 II度

熱射病

原因 視床下部の温熱中枢まで障害されたときに、体温調節機能が失われることにより生じる。
症状 高度の意識障害が生じ、体温が40℃以上まで上昇し、発汗は見られず、皮膚は乾燥している。
治療 死の危険性のある緊急事態であり緊急入院で速やかに冷却療法、人工透析、輸液を行う。
分類 III度

熱中症の原因

環境

  • 前日より急に温度があがった日。
  • 温度がそれほど高くなくても多湿であれば起こりやすい(なぜなら、汗による蒸散ができず、体内の熱を発散できなくなるため)。
  • 涼しい室内で作業をしている人が、急に外に出て作業した場合(暑さに慣れていないため)。
  • 作業日程の初日 - 数日間が発症しやすい。
  • 安全上薄着になる事が不可能な災害救助現場、長時間にわたる屋外でのスポーツや行動、屋内でも防具や厚手の衣服での行動。
  • 統計的にかかりやすい時間帯は、午前中では10時頃、午後では13時から14時頃に発症件数が多く、季節は梅雨明け後に多い。しかし、「涼しい環境で」「練習を始めて間もない短時間」「軽い運動」でも熱中症は発生する。競技としては、登山、野球が最も多い。学校管理下における運動部活動では野球が最も多くなり、サッカー、テニスの順に多い。専用施設ではなく空調設備も無い学校の部室や稽古場等では、夏場になると室温が高くなり練習量の多寡とは関係無く熱中症が発生しやすくなる。屋内競技における熱中症の発生頻度が最も高いのが剣道であり、死亡に至る前に医療機関を受診している例は年間数百件と推定されている。

熱中症の予防法

  • 暑熱馴化を行う。(しょねつじゅんか)とは、徐々に体を暑さに順応させることである。
  • 出来るだけ薄着として、直射日光下では帽子を被る。吸湿性や通気性の良い衣類を着用する。
  • 湿度が低い場合でも、気温が35℃(乾球温度計)以上の場合は特別な場合をのぞいて運動を禁止する。31℃以上の場合は激しい運動は中止し、体力の弱いものや暑さになれていない者などには禁止する。
  • 湿度が高い場合は、27℃以上で運動を禁止、24℃以上では激しい運動を中止し、体力の弱いものや暑さになれていない者などには禁止する。
  • 27℃以上では室内外の冷却や、直接的な体内や体表面の冷却により体感温度を下げ、体内の水分・塩分が失われないような環境を作ることが一番重要な予防法となる。
  • 体感温度を下げる方法として、日射を防ぐ、通風を確保する、扇風機の風を作業場所へ向ける、スポット冷房する、作業服の内部へ送風する(そのような機能を持った作業服を着用する)、蓄冷剤を利用する、水の気化熱を利用して体温を下げるなどの工夫を行う。手や顔を洗って水で湿らせたり、低温や水のシャワー(急に冷水を浴びる場合は心臓への負担など充分な注意が必要)を浴びる。屋外においてはミストなどを利用することで、発汗させずに体感温度を下げることが効果的である。
  • 冷たいものを摂取することで、体内からも冷やす。多量に摂取した場合、おなかを壊す場合もあるので摂取量には注意が必要である。
  • 暑いときの運動として水泳を取り入れる。水中での運動をしている限り、熱中症の可能性はとても低いが、水中以外で補強運動などが行われる場合は他の運動時並の注意が必要。

体感温度を下げられない環境下において、発汗がやむをえない場合は、発汗の量に合わせた水分・塩分補給が必要である。また、発汗量が少ないにもかかわらず多量に水分補給をしすぎた場合、逆に水中毒を発症する可能性がある。水分補給は多すぎず少なすぎず、適度な量の水分補給を行うことが重要である。

  • 運動・就労前に内臓(胃など)の負担にならない程度に適度の水分を取る。
  • 発汗によって失った水分と塩分の補給をこまめに行う。スポーツドリンクなど塩分と糖分を飲みやすく配合した飲み物も良い。ただし、家庭内など比較的運動していない場合に多量に摂取すると、ペットボトル症候群の危険もあるため糖分の摂取には注意する必要もある。
  • 塩分の補給には味噌汁やスープなど塩気の感じられる飲料が体液と塩分(塩濃度)が近く最適である。ただし、水だけを飲みすぎると体内の塩分濃度が薄まるだけでなく尿としても水分等が排出されてしまい、脱水症状を引き起こすので適度な電解質の補給も必要である。

普段から体調管理につとめる。

  • 睡眠を充分に取る。
  • 充分に休憩を取りながら作業する(休憩により体温を充分に下げる)。

熱中症の応急措置

まず第一に冷却が重要で同時に経口摂取による水分補給が基本となるが、経口摂取が難しければ点滴を行う。具体的な処置例を以下に列記する。

  • 涼しい場所で休ませる。木陰やクーラーの効いたところで衣服を脱がせたり緩めて熱を逃がす。近くにそのような場所がないときは、うちわなどで早急に体を冷やす。
  • 経口補水液またはスポーツドリンクなどを飲ませる。適度に冷たい飲料は熱を下げるのに有効。ただし、冷たいものを大量に飲ませると胃痙攣がおきることがあるので注意が必要。また、スポーツドリンクではナトリウム濃度が低いため、病的脱水時にこれを与えると低ナトリウム血症から水中毒を誘発する可能性がある。特に乳幼児等には注意が必要で、経口補水液の投与が望ましい。手近な物としては味噌汁などが極めて有効である。夏場の重労働などでは早め早めの飲用がトラブルを防ぐ重要なポイントになる。経口塩分の過剰摂取には短期的に生命の危険になる可能性はほとんどない(心不全等を除く)ため、量は多目でよい。
  • 霧吹きで全身に水を浴びせて、うちわで仰ぐなどして気化熱によって冷やす。霧吹きがないときは、口に水を含んで吹きかけても良い。そのときの水は冷たくなくて良い。一気に水をかけるとショックが大きいので、冷たい缶ジュースや氷枕などを腋の下、股などの動脈が集中する部分にあてて冷やすのが良い。
  • 熱けいれん(有痛の手足のけいれん)はナトリウム欠乏によって引き起こされるためスポーツドリンクや経口補水液ないし0.9%の生理食塩水(1Lの水に9gの食塩)を与える。汗をかいているのに水だけを補給した場合などにこういった熱けいれんを引き起こすことがある。
  • 中重度の熱中症は体の生理機能が低下している危険な症状であり、応急措置をしつつ速やかに病院などに連れて行く。躊躇せずに救急車を呼ぶ。移動させるのに人手が必要と思えば大声で助けを呼ぶ。中度(II度)の症状として頭痛、めまい、嘔吐、下痢、倦怠感、虚脱感、があげられる。重度(III度・熱射病)の症状としてひきつけ、意識障害、言動がおかしい、自力で水がほとんど飲めない、高体温などがあげられるが判別が付かない場合も重度とし救急搬送すべきである。
  • 汗をかいていないとしても、体温が高くなくても熱中症の可能性はある。脱水していれば、汗をかくことができず熱中症においても判断材料の一つになっている。
  • 体温調整が出来なくなっているためか、高温多湿の体育館内での運動中などに寒気を訴える場合があり、そういったときは熱中症の兆候を疑ってみた方がよい。
  • 自覚症状で熱中症だと感じることはまずない。自分で大丈夫だと思っても「おかしい」と思った時にはもう遅い可能性があるので、上記を参考に注意する必要がある。

熱中症との誤認

注意が必要なのは糖尿病、高血圧の既往歴を有する場合で、低血糖発作、心筋梗塞や脳梗塞などの血管梗塞の症状を誤認し適切な対応が遅れる例が報告されている。

熱中症の後遺症

重度の熱中症になった場合、仮に救命できたとしても、間脳の視床下部に存在する体温調節中枢に永久的な障害を残す場合もある。もしも体温調節中枢に障害が残ると、以後、極端な高温や低温に対する耐性が低くなってしまう。この他、幻覚、視力低下、構音障害(吃り、呂律が回らない)、運動障害、意識障害、肝機能低下、痙攣、等の後遺症が残った例もある。』





汗を多く書いたら、水分だけではなく、塩分も取るべきである、ということだな。

なんか、ペットボトル症候群って、ジュースの飲みすぎでもしかしてなりそうだったのかもしれないな。





7月15日

本日は、

もうかなり前からTVとかで騒いでるのって、テレビ局とかラジオ局にクレームとか入らないんだろうか。

わけのわからん放送をするな、とか。

テロで洗脳されてる人は、そういうところを疑問に思ったりしないんだろうか。

何でそういう放送をするんだろうか、と。

洗脳されてる人達は、私が騒いでいるかTV等がうるさくなっているとか思っているのもあるのかもしれないが、

私は別に騒いでないし、そもそもメディア長者とか絡んでいる最初の頃のよくわからない現象、他陰謀なんだか何なんだかもわからないのにも関係ないし、

要するに、テロ側として、TV局が騒ぎ立てているのをよくわからずに間に受けてしまっている世間の人々なわけであって、

テロ側の存在も悪行をしている能力者もそもそも私に直接あって話しをする気も特にないらしく、ただメディアを利用して、世間を騒がせ迷惑活動、及び洗脳活動しているわけなわけだよ。

TV局もさ、そういうくだらない罵詈雑言を入れる必要も別にないだろうにね。

スポンサーがやれって言ってる話になるのか。

メディア、TV局やラジオ局は広告収入で商売をしているようなものだから、スポンサーの言うことは絶対とかそういうことなのかな。

まぁ、そういうのもありつつ、だから、メディアを規制する法律が必要となるというようなことを以前にも記したけれども、

テロ側の罵詈雑言とか、規制がないから、現在、テロ側が悪行し放題のような状況に現在の日本のメディアはなってしまった、と。

長いこと愚かな放送ばかりやっていたので、国民もその放送に呆れてなれてしまいクレームをつけても意味がないと思っているというのもあるのだろうか。


しかし、根本的なところで、メディアで叩かれているという人物は、結構いるようだが、私も叩かれはじめたきっかけというか、原因って何なの。

テロ側の物言うCMででもそのポイントを主張してくれたら、俺も理解できるかもしれないんだけど。

一体何なの。

テロ側の存在はなぜ、騒ぎはじめたのか。


そのようなそもそも理由すらもわからない、仏陀の弟子を亡き者にしようとうするとは、悪行をしているあなたが、作った悪業はとても大きい、と。

あなたがた。

そうだね~。

あなたがたは、真理を知ってから、仏陀の弟子を亡き者にしようとしたわけだべさ。

その悪業は、真理を知らずに行うのとはわけが違うんだよ。

そもそもが、最初の頃から「しね」だとか、「殺す」だとか、「殺せ」だとか、

仏陀や聖者や善神のメンバーとか、善処にこれから出生する存在の、慈悲ある行いを見ても、テロ側の存在の悪行は(聖道に)ないって理解できるべさ。

聖者方を含め、あの世の法則をも無視して悪行してるんだもの。

あなた方の悪行は道理として、堕ちるっていう話を何度もしてるべさ。


この世にも法則がある、そのようにあの世にも法則があってもぜんぜんおかしい話でもないだろう。

そういう話をしても理解できないだろうか。

人生は短い。悪行をしているテロ側の存在のあなたにも、善行をしている聖者の弟子のあなたにも、

必ず、死ぬときがくる。

そのたったの数日、数年、数十年後の話だよ。

わからないんだろうかな。





7月16日

本日は、

日付を見たら、全然違う。

直してなかったかな~、と思い。修正



 最上の優しさ(慈悲)について 更新、で同情についてはとりあえず、抜いておく。




 それでは、

 善き友と親しむということについて


  仏陀の教え

 「ただ善き人々と共に居れ。
  ただ善き人々とだけ交われ。
  善き人々の正しい理法を知るならば、全ての苦しみから脱れる」

  善き人々と親しむことについて






7月17日

本日は、

昨日の善き人々と親しむことについて の楽しみ という部分の教えについて考えていた。

翻訳によって意味・受け取り方も異なるので、とりあえず、どのようにしようかと考え、保留。
(その仏陀の教えの意味を理解されたい方はパータリ村の人々に対する「戒めを保つこと」の教え、及び、テーラガーター、シーラヴァット長老の言葉。を読むのがよろしいでしょう。)





7月18日

本日は、


『 賢者の説いた意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、しかし愚者にとっては、仏陀の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。

愚者は、千の句をとなえても一つの句さえも理解しない。

聡明な人は、一つの句をとなえても、百の句の意義を理解する。』


前述

  陰でする行いについて


仏陀と仏陀の弟子の阿羅伽の聖者の方々は修行者の心を観て、その修行者が解脱したか、阿羅伽に成ったかどうかを知る〔他心通〕。

梵天も天神もまた同じように、その修行者の心を観て、その修行者が解脱したか、阿羅伽に成られたかどうかを知る〔他心通〕。


『 あるとき、容色麗しい神が、夜が更けてから、ジェータ林を遍く照らして、尊師のおられるところに赴いた。
近づいてから、尊師に敬礼して、傍らに立った。

 傍らに立ったある神は、世尊に次のように申し上げた。
「師よ、世尊の異母弟であるナンダ長老は煩悩を滅して無漏となり、心の解脱、智慧による解脱を現に自ら知り、さとり、成就しています」

世尊も次のように語った。
「ナンダは煩悩を滅して無漏となり、心の解脱、智慧による解脱を現に自ら知り、さとり、成就している」と。』


このように善処の偉大な神々の境涯において、他心通によって、その修行者の心を知るというのは、それほど珍しい話ではない。



善行を行うあなたのその心は、聖者方と梵天・天神方によって観られる。

悪行を行うあなたのその心は、聖者方と梵天・天神方によって観られる。



聡明な人は、一つの句をとなえても、百の句の意義を理解する。



『またかれが身体によって、ことばによって、またはこころの中で、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。
 隠すことができないということを、究極の境地を見た人は説きたもうた。
 このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。』



そして、業(カルマ)の報いによっても

「もしあなたたちが苦しみを嫌うなら、人が見ていても、人が見ていなくても、悪いことをしてはいけない。
 もし悪いことをしたり、またこの先、悪いことをしようとしたなら、たとえ空を翔けて逃げ隠れようとも、あなたたちは苦しみから逃れることはできない」と。





7月19日

本日は、

メディアの悪業者が誹謗中傷をわざわざ広告(CM)しているのを耳にすることが多い。

悪業者側がひどく堕落している。

邪道を進むと、あのように堕落した行いをするに到ってしまう、

ゆえに、悪しき者と親しまずに、善き人々と親しみなさい、と仏陀は説かれる。



 目覚めた人(仏陀)を誹謗し、あるいは出家・在家のその弟子(仏弟子)を誹謗する人、──このような者を賤しい人であると知るがよい。



仏陀の教え

  賤しい人に関して



邪道を進んでいるあなたは、止まりなさい、そして、できれば全力で戻りなさい。

正道を進んでいるあなたは、さらに、仏陀と善神・善霊に導かれて進んで行きましょう。





7月24日

本日は、

午後3時過ぎくらいから胃が痛い。

そういえば、激痛のときに黄疸がでて、顔か黄色くなるというのを医者に伝えていないのに今日気づいた。

上体を屈めたりした後に、胃が痛くなることが多いんだよね。


さて、どれを記そうかと考えて、

え~と、

いろいろな動画なりを見てて、それから検索をしてちょっと見ていたんだが、解離性同一性障害(多重人格)というのに関して

この障害が出ている患者の声を読むと、ほぼ昔、話をしていたさえという本人の話とほとんど同じような事を言ったり、

行ったりしているので、やっぱりそうだったのか、と改めて納得したが、

多重人格は、治療によって人格を減らすことも可能であると、能力者の話では、悪霊にやられて多重人格になるというのは最悪な状況でもって

収拾ががつかないと言うような事を言っている人もいるが、

とりあえず、憑依現象という霊障もかなり混じっているだろうから、そのような障害が出ている人が悪霊にやられっぱなしというのもかわいそうだから、

治療をするのも兼ねて、以前に言っていたように、その本人に悪霊に自らの意識をのっとられなくする方法として、仏陀の言葉を紹介しよう。



   悪霊に自らの意識をのっとられなくする方法について

  (後世の挿入の話であろうとされていても、霊障等についても極めて有効だろう。)



 解離性同一性障害(多重人格)等の障害が生じるのは、その人のトラウマとして、中でも、幼児期(から小学、中学、高校にかけて)の親族・または他人から性的虐待や暴力による虐待等によって、その苦しみから逃れようとして他の人格が形成されたりということが多いとされる。

 性的虐待は、犠牲者の多くがその事実を恥じていて、話したがらず、また、深刻な性的虐待では、心因性(解離性)健忘がしばしばおこり、犠牲者が実際にその事実を思い出せず、仮に思い出してもその回想が断片的、象徴的で写実的でないということが多く、性的虐待の定義も細部まで決めるとなると難しいところがあるので、自らの記憶を調べるのに難しいところもある、と。



  治療するにあたって、

  潜在的な記憶を自らで思い出したりして知るところから始まり、

  その時の、潜在的に隠してしまった自らの気持ちや感情をあなた自らに隠したりせずに、表面意識に出して、わたしはその時このように思った、わたしはそのときこうだった、というように、その時の、恐怖なり、恥ずかしさなり、その時、他人の目を気にしてその心を隠そうとした・隠した後に忘れ去っていた等の心なり、嫌悪なり、怒り、憎しみ等の感情を隠さずに、忘れていたものも思い出して自分で冷静に見てみる。そのように、そのトラウマになった事柄を逃げずに観る。

 その中で、怒りや憎しみの感情は、捨てるべきものであるので、ずっと考えつづけるような執着をすることのないように、さっさと捨てるようにする。

 なぜならば、その怒りや憎しみの心は、あなたを安らぎに導かないし、他の他人をも安らぎに導かない。

 怒りや憎しみの心を捨てられなければ、HPで仏陀の教えを読み直すと善いだろう。

 人格完成者や覚った方々(聖者方)は怒りや憎しみを捨て去っている。


 その親族・または他人から性的虐待や暴力による虐待等で自らを責めるという人もいるようであるが、

 はっきり言って、

 仏陀の教えとして、そのような悪行はしてはならない、

 とされている行いであって、

 そのような虐待を受けてしまったあなたが悪いのではなくて、

 そのような悪しき行いをした、その悪行者が悪行をしているのであって、

 自らを責める必要のないところで自らをせめずに、

 その時、自らでなく、その者が悪行をしていたと、はっきりと自らで認識する。

 自らを責める必要のないところで自らをせめない。

 そして、また、その中で、悪行者に怒りや憎しみの感情が生じるうようであれば、その怒りや憎しみの心は、あなたを安らぎに導かないし、他の他人をも安らぎに導かない。というのを知り、

 怒りや憎しみの感情を捨てる。


 そのような悪業を受けたのは、あなたがあなたの前世でつくった悪業であるということもある。


 現在の世の中に完璧な人間は少ない。

 世の中に、人として未熟な者は多くいる。

 道理、道徳を知らない者も多くいる。

 道理、道徳を知っている者も多くいる。

 道理、道徳を知っても、理解できない者もいる。

 道理、道徳を知って、理解できる者もいる。

 そのように、悪行をしている者が、人として未熟であるというのは明らかであると、認識する。


 過去に受けた心の傷は、癒されることもあるだろうが、癒されないこともあるかもしれない、しかし、

 その受けた辛い心の傷によって、そのような辛い心の傷を受けた他の人の心を知ることができるようになっている。


 他の人にはわからない心もあなたは知ることができるようになった。

 あなたは他人の、そのような辛い心・気持ちを少なからず知ることができ、そのような辛い心・気持ちを理解することもできるので、

 そのような辛い気持ちの他の人の心を察することができるようになっていて、他の人に対して優しくなることができる、と。

 そして、現実にそのようなプラスの心をも見て、自ら八正道を行う。

 八斎戒、八正道を行っていけば、悪霊の霊障をも自動的に克服していけるだろう。

 また、治療については専門家の話を聞き、きちんと治療していくのが良いだろう、と。


 業(カルマ)で言えば、あなたは現世において悪業を受けたので、あなたの前世から悪業(カルマ)として、永い輪廻でいずれ受けなければならない悪業(カルマ)が、ここで一つ消滅したということもありえることだろう。


 悪業を為した者は、その悪行としての報いを受ける。

 なぜならば、業は消えることはないからである、と。



 たとえば、テロ側の存在が仏陀の弟子(聖者の弟子)を亡き者にしようとしたという悪業もまた、消えることはなく、その悪しき者がその報いを受けるのである。

 なぜならば、業は消えることはないからである、と。





7月25日

本日は、

 解離性同一性障害(多重人格)等の障害について考えていたのであるが、自らの人格が外に出てしまい、他の人格が勝手に自らの身体を乗っ取るという現象。

多くが、一般に12歳以前(多くは5歳以前)の虐待体験によって発症すると言われ、そのように幼児期(から小学、中学、高校にかけて)の親族・または他人から性的虐待や暴力による虐待等を受けた後、基本人格の心も霊的にも弱くなってしまい、他の低級霊や悪霊や他の人格に自らの身体をとられてしまっている、と。

というので、考えていたんだけれども、もしかすると低級霊や悪霊がそういう人物を乗っ取ってもいい、というか、乗っ取れるようになってしまう何かが生じるのだろうか、と。

霊的には弱くなるのは、おおよそそのようであるが、まぁ、悪霊であれば、その人の心が清らかであれば、汚れてしまったとかいう感情を強くださせて、その人を苦しめて責め続けたりもするだろう。

 そういうのでも、その被害者は非常に苦しんでいる、と。

心が清らかな分よけいに、汚されてしまった感が強くでて、どうせもう汚れてしまったのだからとかで、非行・不道徳に走っているという人も少なくはないようす。

まぁ、悪霊や悪しき存在に感情をもてあそばれるったら、流されてしまう人は、流されてしまうべな、と。


 しかし、その悪霊による邪念と、自らの悪行の念をも、止める法が、仏陀の教えなのである、と。


 仏陀の教えでは、人が解離性同一性障害のような精神障害にかからせてしまうような行いを悪行として、人として行なってはいけないと教えている。(不邪淫、不障害)

 そして、八斎戒、八正道がそのような障害にかかってしまった人が救われる道であるともされ、

 その聖者方の道を行く人たちは、そのような障害から遥かに遠ざかって、悪しき低級霊の話の次元ではなく、天神・梵天・聖者・仏陀というような方々のところの教えの話をも普通に語り、そのように悪しき者を悪しき者として見て、善なる存在を善なる存在として分別して見る。

しかし、低級霊に乗っ取られるような人は、残念ながら、

悪しき者を悪しき者として見て、善なる存在を善なる存在として見るという分別は難しい。



前述  善なる人と不善なる人の善と不善についての理解について



 悪しき者と親しんではならない。

 悪しき存在と親しんではならない。

 悪しき人格と親しんではならない。



そのような被害にあってしまった人でも、障害がが出ている人でも、仏陀の教えを知るということは非常に、徳のあることなのである、と。


 善なる人に親しみなさい。


『もしも汝が賢明で共同し行儀正しい明敏な同伴者を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、一角の犀(独覚・辟支仏)のようにただ独り歩きなさい。
 
 われらは実に朋友を得る幸を讃め称える。

 自分より勝れ、あるいは等しい朋友に、親しみ近づくべきである。

 このような朋友を得る得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで一角の犀のようにただ独り歩きなさい。』

スッタニパータ

『チューラガバッチャ長老

 仏陀の説かれた真理を大いに歓喜する修行僧は、動く形成作用の静まった、安楽なる、静けさの境地に到達するであろう』

テーラガータ

 果たして、仏陀の教えによって、心と、また霊的な障害が克服されるのであろうか。


 出家して、自己を修養した修行者の詩句

『サーヌ長老

 母よ。人々は死んだ人のことを嘆き悲しむ。また生きていても会えない人のことを嘆き悲しむ。
 
 母よ。わたしが生きているのを見ながら、母よ、何故わたしのことを嘆き悲しむのですか。』

テーラガータ

 仏陀の教えによって、心と、霊的な障害を克服することはできる、と。





7月26日

本日は、

国立病院の院長の診察を受けに行って来たが、二週間前は胃潰瘍で、今日の診察結果はなんと、胃潰瘍どころか、胃炎ですらないということで、

薬の処方もないということだった。

胃の写真をもらってこれたので、前回の写真も含めて上げとくか、と。

素人が見ても、患部がわかる。

激痛だっていうのに、痛み止めもすらもくれなかったので、まぁ、治療をする気もないということだろう。

あとは、心療内科の領域になる、とか言っていた。

そういうことで、TVとかラジオでも騒いでいるし、またしても、治療の邪魔をされた。

殺人集団に。

殺人者は協力をしているテロ側の集団の一人としてのあなたも、そういう悪業を背負っているのだよ。

集団意識になると、責任の所在があいまいになるから、テロ側の者が笑って殺人行為に介入しているのだが、

まったく、黄疸がでて激痛だって言っているのに、あとは心療内科だとか言っちゃう医師は、

ヤブ医者でしかない、が、テロ側が介入していれば、ヤブ医者というか、患者を見捨てる医師・病院ってことだが。

しかし、診察を拒否であれば、CTとか余計にとらないで、言ってくれれば他の病院でも探すだろうに。

まったく、余計に時間かかって、また、治療も遅れるべさね。

そう、思うでしょ。



テロ側が存在が本当に人を苦しめて、快楽を受けているっていうのが、もう、普通の精神ではない。

のだが、そういうのも理解できるでしょ。

テロ側の人・存在ってば、現実にそういうのが集まっているのだよ。


しかし、何でそういう精神を持ってる者に絡まれるようになったんだべか。

なぞだ。

そもそもが、意味わからないからな~。


一体、精神を病んでいるのは、どちらでしょうか。

テロの者・存在なのか、私なのか。



さて、テロ側の治療の邪魔という殺人行為を受けているのはいつもなのだが、

とりあえず、後でお尻の病院もいってこようかな、と。



内科で(国立病院のことも伝えて、胃カメラの写真も見せて)胃薬ととんぷく薬とお尻の薬をもらってきた。

まったく、テロの犯人でも何でもないっていうのに、

悪しき者が、民衆を洗脳して、小馬鹿にされて、亡き者にされようとしているとは。

テロ側の存在が本当にないわ。

仏陀の弟子を亡き者にしようとしないで、そっちの洗脳テロ活動をしている犯人を捕まえたほうがいいだろう。

何故、そういう根本的な解決策を行っていかないのか。

テロに洗脳されるだけの民衆には、どうすることもできません、と。

まぁね。


民衆は右往左往させられるだけで、どうする力もほとんどない、と。

メディアの異常さを見て、無意識的な恐怖感を抱いている人も結構いるのだろうか。

そういう恐怖感も利用されて、洗脳されて、その洗脳テロ活動をしている犯人でない、

逆にそういう悪行を非難している善人を亡き者にしようとテロ側の存在のあなたが洗脳されている結果。

現在のメディア関係者と民衆。

メディアの動きとか放送は、真実のその洗脳テロ活動をしている犯人から、民衆の目と怒りの矛先を、仏陀の弟子に向けている。

非常に、悪業深い行いだ。

そういう道にない根本的なところも普通に気づくべきだよ。



 『たとえば、テロ側の存在が仏陀の弟子(聖者の弟子)を亡き者にしようとしたという悪業もまた、消えることはなく、その悪しき者がその報いを受けるのである。

 なぜならば、業は消えることはないからである、と』


 テロ側の存在は徐々に徐々に悪業が積み重なっていく、と。

言っているとおりになっている、と。

 道理として、悪行をしている者は悪しき世界に堕ちる。


 仏陀の弟子を亡き者にしようとして、笑っている者は悪しき行いの者です。


 HPに書いていることのほとんどだいたいが書いているとおりになってるんでないか。

 だから、そういうのも含めて何度も記しているように、

悪行をしている者は悪しき世界に堕ちる。

善行をしている者は善い世界に赴く。


テロ側の悪行者が後から、善行をしようとしても、悪業者には善業を成すことは難しい。

そもそも善行というのからして、あまり見れない。見る力がない。


 現世であっても、仏陀の説く善行を行わないで悪行を行っている者を見れば、

精神的に後からおかしくなる人もいるだろう。

死後の安らぎがすでに捨てられてしまったようであれば、

後々の事を考えたら、恐怖でいっぱいになるだろう。

真実、死後、あなたは地獄へ行きますって決まってたらも、もう最悪だろう。


実際にテロ側の存在はもうすでに、通常の精神を持っている人から見れば、

TVの放送、CMもラジオでもそうだけれども、通常の人たちが聞いて、

頭おかしいって言っていた人も多くいたでしょ。

それは、すでにテロ側の存在が普通の精神から堕ちていっているというのを

普通の人たちが、テロ側の存在の行いを非難している話。


そういう普通の精神から堕ちて、犯罪者の精神になってしまっているのが、

テロ側として悪業を行っているあなただと。


良識ある精神からみれば、犯罪者の犯罪を犯すという精神は、すでに良識ある精神ではない。

テロ側の存在のCMやラジオの罵詈雑言の語りを聞いても、すでに良識ある精神ではない。

語り合って、解決をしようとせずに、民衆を洗脳している行いを見ても、テロ側の存在の集いの行いは良識ある精神ではない。



このような話を何回こう噛み砕いて説明しただろうか。

一つ一つ理解していって、ようやくあなた自らで知るに至る。

到るのだろうか。

 悪行をしたが、私は地獄に堕ちませんなんていうのは、単なる妄想であって、

真理として、悪行をしている者は悪しき世界に堕ちる、と。


 人としての道徳の基本のところの話だね。

だいたい私がテロ側の存在に説く話はいつも。





果たして、一体どうなることやら。


私の現世は、まぁ、そこそこ楽しむこともできたが、

仏陀の理法を伝え、理法に反する悪行を非難し、善行を勧めた。

仏陀の弟子として独りで努力精進。

独りで悪しき者の集いと悪魔と闘い。

闘いぬいた。

いや~、まさに、仏陀の教えを実践している、と。

現在でも、そういう悪しき者に亡き者にされそうなときでも、仏陀の教えに不動な自らの心と存在と善業を成就しているところ等がとても嬉しい。

私は、この世に出生しただけの事はあった。

と、思える。

私のHPを読んで、仏陀に帰依した人、または、仏陀は聖者であると知った人、または、仏陀や仏陀の弟子(阿羅伽)の方々ををとてもすごいと思っている人、がそのように信仰心を生じて善に導かれたならば、

私は、この世に出生しただけの事はあった。



と、急に自らの存在の感無量の気持ちを綴ってしまった。

しかし、俺もいろいろと善業を行ったな、と。


まぁ、これからも悪しき者達によって、多くの苦を受けてしまうこともあるだろうが、

現在まで行った善業のカルマもまた消えることはないのです、と。



しかし、俺も大変な人生を送ってるな~、と。

何でこういうわけのわからない人生を送っているのだろうか。

俺は、こういう人生になるっていうのを知って自らで来たのだろうか。

仏陀の本当の教えを弘通するために、他の天神から頼まれたとか、

悪しき者とかにわけもわからずに騒がれて、亡き者にされそうになりつつも、仏陀の教え・善行を説いている自分の行いを見て、時折そう考えることがある。


まさに、お役目っぽいことをしている。

まぁね、仏陀の弟子として、仏陀の教えを学び、弘通するというのは普通の行いだけどね。


仏陀と法と僧伽とに帰依して、善い縁があり、

多くの天神と他の聖者・聖人とも縁がある。

仏教の他の教えをもひっくり返して、真理・善へと繋ぎ、すでに多くが繋がっている。

まぁ、仏陀の教えを理解できない人は私が何を説いているのかも、仏陀の教え自体何を説いているのかというのが、理解できないこともあるだろうが、

理法を本当に追求している人なら、仏陀の教えで多くが繋がっているというのが理解できるだろう。

本当に真理を観て覚っている仏陀の教えだからこそ、本当に真理へと導いている仏教の他の聖人の教えも善神の教えも覚者である仏陀の教えのもとに辿りついて、集う。

悪しき教え、邪道の教えは仏陀のもとに、たどりつかない。

悪しき教え、邪道の教えの道を進む者は、理法を見ても、見えないからである、と。



創価学会にも叩かれている。

あと、ZOJIRUSHIと。

Aflac。

以前記した象印というのは、テロ側で邪行をする者のことではないよ。



創価学会。仏教団体でありながら、ここまで説明をしてる仏陀の弟子を叩くとは。

説明を聞きにくるわけでもなく。

仏教徒としてひどく堕落している。


あ~、公明党か、で自民党の繋がりでか。

いま、気づいたわ。

連立与党。

創価学会は別に気にしてなかった。

動画サイトで会長の動画を少しと他の動画を見たことがあるけれども、

動画サイトで前の会長の動画を見て、その会長の言葉を聞いて、自分達で違うというのを認めているんだな、と思った。

本当の仏教の道を進む者としての、仏教徒としての話。

トップがそう言っているんだから、そうなんだべな、と、思っていた。という印象でいたので、別に気にしてはいなかった。





7月26日

本日は、

いつものようにテロ側の存在がテロ活動をしている。野球のチャンネルとかいつものようにひどい堕落っぷりだよね。

気づきなさい。

『メディアの動きとか放送は、真実のその洗脳テロ活動をしている犯人から、民衆の目と怒りの矛先を、仏陀の弟子に向けている。

非常に、悪業深い行いだ。』


たとえば、基本として、すでに仏陀の善の教えを説いている仏陀の弟子を亡き者にしようと行った悪しき者は、土台がボロボロだろう、と。

普通の人は、そのような愚かな行いをするわけもなく、土台が仏陀・聖者の教えによって、強固になっていくものなのであるが、

テロ側の存在の土台は、人として、というか存在として、悪業のクラック(ひび割れ)が深くて修復がほとんどできないので、

撤去して、その土台を新しく作り直さなければ、神殿を建てることも難しく、建てたとしてもすぐ崩れる、と。


そのように、悪行と罵詈雑言をしているような者とその集いから教えを受けて、その教えで自らの土台を強固にしようとしても、

そもそもが、そのような教えを奉じても、中身がないので、

見かけだけ綺麗な土台ができるかもしれないが、自らの本当の土台の芯が強固にならずに、神殿を建てたならば、すぐに潰れてこわれてしまう、と。


以前にも同様の事柄は記しているが、悪しき者の話を聞いててもそうだが、私に仏陀の教えをかかせている、だとか、次はこういう単語を書かせるだとか、

そういう低級な愚行によって、仏陀の教えを盗もうとする。

そのような賤しい者もまた、すでに土台がボロボロなのであって、

そのような賤しい法の盗人は、悪行を撤去して、再び土台をつくれるようになるかどうかもわからない、と。


そのような存在に誘導され着いていき、洗脳されて悪行、罵詈雑言をして悪業を重ねている者が、

自らに清浄な土台を築いている、ということは、普通に考えてみてもない。

普通に観ても、ない。



創価学会も、何故にこう何度も何度も仏陀の法を説いているのに、

仏陀の教えを見なかったのか。

仏教徒でありながら、仏陀の教えに反して、悪しき行いの側につき

仏陀の弟子に悪行をぶつけるとは、非常に仏陀の説く道から外れた行いだ。


仏陀の弟子は、そのような愚かな行いを厭離する、厭離している。


あなたが本当の仏陀の弟子であるならば、仏陀の教えを自らで正しく学ぶべきである。


創価学会はそのような行いであったので、創価学会(のとくに信者に教えを説く立場の者)という仏教徒の集いは仏陀の教えを正しく伝えることはできておらず、

逆に、現に邪道を進んでしまっている、と。

何度も何度も仏陀の教えを説き、説明もしているというのに。


同じ仏教徒として、仏陀の弟子として、非常に怪しからん。

仏陀の弟子を邪行へと導いてはならない。



『メディアの動きとか放送は、真実のその洗脳テロ活動をしている悪業者から、目をそらさせている。』

人々を、真実から目をそらさせようとして現在罵詈雑言や洗脳テロ活動を行っている悪行者がテロの犯人の仲間である、と。



仏陀は、人々と神々を全き安らぎへと導く。

仏陀が人々と神々を邪行へと導くことはない。



仏陀の弟子は、人々を全き安らぎへと導く。








7月27日

本日は、

また、何を書くとか、書かせるとか言っているのか。

悪しき者よ。

人々を洗脳して善行者から離し、悪行へと導いている者達。

悪しき者・賤しい者に、仏陀の理法を理解することはできません、というのを理解しないと、

いつまでたっても、邪道から出ることはないだろう。


さて、日蓮さんだから、やはり法華経だろう。

法華経は以前に、読んだことがあるから、

法華経はね、どう見ても迷うよ。

矛盾だらけだもの。

昔、大乗仏教でわたってきたから、その当時、法華経を信じてしまうのはしょうがないけれども。

仏陀を念じるのは善い。 (仏陀を念じるのは善い、というのは、日蓮さんは、浄土念仏(南無阿弥陀仏)を批判したということだが、私が言うのは、浄土念仏の話ではなく、大乗や小乗等の別なく、仏教としてゴータマ仏陀を敬い信仰する、その、仏陀を敬い清浄心を起こして念じる、ということ)

教えは矛盾だらけで、私は清浄な仏陀の教えを学んでいるので、本は閉じる。

法華経に依っている人たちのために読むけれども。


今、読んだ。

開いて、パッと文章の2,3行を見て、もう閉じてもいい、という感じであったが、

一応、読んでみて、やっぱり、閉じていい。

読んでて、「ねぇ(ない)」って言葉が出たくらいの、矛盾っぷりだ。

私が仏陀の教えを学んでいなければ、まぁ、善い言葉の部分を自らで熟慮はしただろう、と思う。


ふ~。っと

まぁ、法華経に依っている人は多くいるだろうから、

そのような人々をも、本当の仏陀の教えと仏教の開祖であるゴータマ仏陀のもとへ導こうと私は思う。


私のHPの仏陀の言葉を見るだけでも、仏陀のもとに来る人は、来るだろう。

『 賢者の説いた意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、しかし愚者にとっては、仏陀の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。

愚者は、千の句をとなえても一つの句さえも理解しない。

聡明な人は、一つの句をとなえても、百の句の意義を理解する。』



一般の大乗仏教の信徒であれば、仏教のお坊さんなりに聞く話を鵜呑みにする人も多いだろうから、迷うことはあるだろう。

しかし、仏教徒で仏教を指導する立場でありながら、自らで、経文を読んで、仏陀の教えの矛盾点に気づけないっていうのは、仏陀の教え・真理に対する修行不足、勉強不足で間違いないです。


仏陀の教え・真理に対する修行不足、勉強不足の人は、(清浄)小乗仏教の経典である原始仏典を読んで、仏陀の教えを学ぶのが善い。

大乗の仏教徒の、このような法華経のところで迷ってしまっているような人にとっては、このHPで説いている清浄仏教の仏陀の教えを学んでいる人ですら、さらに学んでも壁にぶちあたる、という以前のたとえ話の内容の意味すらも理解することは難しいだろう。


このHPは、本当の仏陀の言葉(教え)を説いているHPであって、そういうところはすでに通り越したところの話をしているわけで、

なので、本当に真理を求めている人が、「すごい」等の言葉をあげるのであって、

それは、仏陀の教えだからすごいのである、と。



(法華経に)法華経を罵る人は、地獄へ堕ちると記されてはいるが、

法華経という後に成立した経典でなく、より仏陀の本当の言葉が記されているとされる清浄(原始)経典とでは矛盾がある。

法華経の仏陀の教えに矛盾があり、誤りがある。

よって、法華経を罵る人は、地獄へ堕ちると記されているのは、

罵るっていうのでなくて、法華経の内容は、どう考えても、

仏陀の教えとして、真理として、道理として間違っている。


全部が全部間違っているわけではないが、

大事なところがいろいろ矛盾して、さらに間違いもあるので、

法華経に依れば、迷うのは当たり前(迷うのが通常)だろうと思う。



 仏陀の教え

 『修行僧らよ。その修行僧の語ったことは、喜んで受けとられるべきではないし、また排斥されるべきでもない。

喜んで受けとることもないし、また排斥することもなく、それらの文句を正しく良く理解して、経典にひき合せ、戒律に参照吟味すべきである。

 それらの文句を、(ひとつずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味して、経典(の文句)にも合致せず、戒律(の文句)にも一致しないときには、この結論に達すべきである、──

〈たしかに、これはかの尊師の説かれたことばではなくて、それらの修行僧の誤解したことである〉と。

 修行僧らよ。それ故に、お前たちはこれを放棄すべきである。

 しかし、もしその文句を(ひとつずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味して、経典(の文句)に合致し、戒律(の文句)にも一致するならば、結論としてこのように決定すべきである、──

〈たしかに、これはかの尊師の説かれたことばあり、それらの修行僧が正しく理解いしたことである〉と。』





 それらの文句を、(ひとつずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味して、経典(の文句)にも合致せず、戒律(の文句)にも一致しないときには、この結論に達すべきである、──

〈たしかに、これはかの尊師の説かれたことばではなくて、それらの修行僧の誤解したことである〉と。

 修行僧らよ。それ故に、お前たちはこれを放棄すべきである。


 誤った行法や誤った教えに対する執着。

その行いは、あなたを、安らぎへと導くことはない。


 そのあなたの持っている執着心。

 その執着を捨てなさい。

 そして、悪業があれば、自らを省みて、反省し、懺悔して、解消できるのであれば、解消しなさい。

そうすれば、本当の安らぎある、本当の仏陀の教えを、自らで、見ることもできるだろう。


世の多くの宗教の中で信仰を抱いている人は、先を見越して、善処に生まれることを欲して、

信仰を抱いているという人も多くいるだろう。

仏陀の教えとして、真理として、道理として正しい清浄な教えは、人を善処へと導く。

仏陀の教えとして、真理として、道理として誤っている教えは、人を善処へと導かない。

なぜならば、その道が、行き先が逸れているからである。

『修行僧らよ。それ故に、お前たちはこれ(誤った教え)を放棄すべきである。』


後から作られた矛盾と間違いの多い経典に依っていた人でも、悪行をせずに、善行をしてきて、

このHPで仏陀の教えを知り、仏陀の教えのとおりに、誤った教えに対する執着を捨て、

正しい法を選び持つことができたならば、

あなたが善処へ進むことは難しくはないだろう。


あなたが悪行をしてこなかったのならば、安心して、

本当の仏陀の教え(法)に依ると善い。





8月1日

本日は、

法華経を、今、再びみた。

開いて少し読んだだけでも、仏陀の教えを見失っているのが見て取れる。

阿羅漢という聖者の解脱の意味すらも、理解できておらず、ほぼ完璧に見失っている。

その阿羅漢の聖者の問いとされる言葉もまた、どうして阿羅伽の聖者がそういうことを聞くことがあるだろうか。

と、実際に思うくらいの事柄が記されている。

 この法華経の内容を見て、誤りに気づくことができないとすると、一般市民の信徒ではきづくことができないかもしれないが、

仏教徒として僧侶をしている者が、この仏陀の教えとされているものの、この一つや二つではない、多くの誤りがあるものに気づくことができないというのは、

本当に、非常に、怪しからん。



以前に、記した

『昔、悟りとはそもそも何かと、いうのを調べてもなかなか見つからなかったという経験があった。』は、

法華経に限らず、大乗仏教の中で調べても、なかなか見つからないというのは、当然といえば当然の話。

(法華経でいうとしても、)なぜならば、阿羅漢の解脱の意味をも理解できてはおらず、そして、仏教徒が進む道の涅槃すらも全く理解できてはいないのだから。



法華経の間違いは、とても酷い。

一つや二つ、または、もっと多くの箇所でも、

う~ん、そういう解釈で捉えれば、その解釈の言葉は理解できる、というような、

微妙な解釈の違いによって、受け取り方が変わってしまうが、しかし、仏陀の教えとして、微妙な受け取り方の違いはあれども、間違いではない。

というような、間違いの経典であれば、許容はできようものであるが、

法華経に関しては、その間違いがとても酷い。


大きい重要なポイントで、(道理から見ても)間違いが多すぎる、というか、間違いが酷すぎる。

ここまで酷いとは、法華経にはそれほど関心がなかったので、

たいして気にしてなかった。


失敗したかな。

もうちょっと早くにもうちょっと読んで、早くに忠告をしておくべきだったか。

う~ん、

以前に読んで、すぐ閉じたからだべな。

以前に読んで、矛盾があって、涅槃の意味も理解できていないというところを見てすぐ閉じたからね。


喩えるとすると、仏陀の教えについてほとんど全く知らない人にとっては、迷路に入る門だな。

そして、その迷路のゴールは、本当の仏陀の言葉との違いに気づき、その迷路から抜けるということ。


法華経をあとから作成した作り手の意図がね、

それでも、仏陀に導くためにしたことであるのか。

しかし、間違いが酷すぎる。


この法華経の内容をゴータマ仏陀・釈尊に、

「尊師よ、かの修行僧は、このような教え(法華経の内容)を人々に説いております。」

と伝えたならば、

仏陀は、その修行僧を呼び、その修行僧に、

「愚か者よ」、「いつ私がこのような教えをそのように説いたであろうか」というように、その修行僧を叱責するであろう。

仏陀がその修行僧を叱責するのは、その修行僧がそのことによって、多くの悪業を積んでしまっているからである。


というような喩えで語らなければならないだろう、というほどに、法華経の内容は酷い間違いが多いです。





8月2日

 日本では、大乗仏教の信仰があり、法華経に依っている人が多い。

清浄仏教から仏陀の教えを学んでいる人にとっては、法華経の誤り部分の落とし穴に落ちるということも、そうそうないだろうけれども、

清浄仏教の仏陀の言葉を知らない人は、法華経のところどころに開いている落とし穴に落ちる人が多いのだろう。

 仏陀の弟子を叩いている法華経に依っている仏教団体が、悪行をして現に堕ちているのを目にすると、

その進んでいる先が仏陀の導きから外れて、堕ちていっているというのが理解される。


私に役目があるとすれば、そういう悪行に導かれている人をも、本当の仏陀の善の教えへと導くことである。


数行読んでも、法華経の内容に酷い間違いが見られるというのに、日本で法華経がこれほど信仰されているのは、何故なのだろうか。

何故、多くの大乗仏教の信者は、そのことに気づくことができないのだろうか。


 そもそも、日本で原始仏教を翻訳していた人は、東大教授の中村先生とか、それほど多くはない。

ちょっと考えてたんだけど、原始仏教を学んでいる人から見ると、法華経の内容を見ると、酷い間違いが多いのにすぐに気づくだろう。

しかし、日本では原始仏教の本は少なく、大乗仏教経典の本が多い。

もしかすると、原始仏教を説いている人等が、大乗仏教の関係者に叩かれていたり、

原始仏教自体が隠されていたというのがあるのだろうか、と。

原始仏教を学べば、大乗仏教の誤りの部分にすぐに気づけるから、

その誤りに気づいて欲しくはない悪心を抱いている者がいるとすると、

清浄仏教・原始仏教の本当の仏陀の言葉を隠そうとするだろう。


というので、考えていて、

昔、俺はHPで原始仏教を紹介していたことがあるのだよ。

その頃は、現在のようにテロ関連の悪業者に絡まれている、という思いはとくになく、

その頃から実際テロ側の能力者等からすでに狙われて見られていたかも定かではないが、

もしかしたら、その本当の仏陀の言葉を伝えるという行いをしてから、

悪業者たちに叩かれはじめたのかな、と。

いや、どうだべな。

なんか関係がありそうな人物を思い出しても、いろいろごちゃごちゃしてて、どうなんだかわからん。


もしかしたら、原因はそこなんだろうか。

であるとすると、本当の仏陀の言葉を説き弘めて、悪業者から叩かれてしまうという行い。

これは、

いや、またしても、俺って、天人だな、という思いにいたる。

プラス思考。


真実、すでに善行へ導いているからな~。


仏陀の本当の言葉を説いて、悪心をもつ者から叩かれると。

う~ん、天部だな~。


いや、そういう話でなく、

叩かれはじめた原因がね。

何なんだべな、と。


私が、自分が本当に好きだった女性と付き合っていた、とか

そういう過去の甘酸っぱい話はテロ側の存在に関係ない話だし、

甘酸っぱいというか、塩辛いかもしれないが、

昔の女性のことでも、テロ側の存在が騒いでいるのもあるんだよね。

そういうところも、テロ側の存在がおかしいところなんだけど、

そもそもテロ側の存在に私の恋愛した経験をどうこういわれる用も別にないし。

そういうので騒いでいるのを見ると、テロ側とどういう絡みがあるんだろうかとも思うし、

まぁ、騒ぐネタもそれほどないんだろうな、とも今思った。


法華経関連か。

う~ん、(法華経は)仏陀の教えから見ても、道理からしてみても、(重要なところが多く)間違っているのは明らかだからね。

仏陀の弟子として、法華経に盲信している人から、仏教を説かれても、ほとんど、論じあわなくても、答えが見えている。


さて、どうするかな~、と。


(さらに)、気づかせてあげるというのもあるが、

盲信を抱いている本人が、自らで仏陀の法を見て、気づかなければならない。


仏陀の法・真理を見るために、盲信を抱いている本人が、自らで、その盲信と誤りに気づかなければならない。





8月4日

本日は、

再び法華経を読み、細かな部分部分で、伝えていることが仏教の論としてあっているところも多くのであるが、

重要なところでガッツリ逸れてるからね、これは何度読んでもやっぱり迷うだろうね。

間違うなら間違いで、細かな部分部分も、ガッツリ間違っているとかいうのであれば、

多くの人々も迷うことなく、気づくことができるだろうが、

細かな部分部分でも教えがほんとに微妙にずれてるのもあるし、

そこを進むと、最終的に涅槃もあやふやだし、これは、迷うだろう。


 喩えるならば、細かな部分部分からでも、ゴータマ仏陀の教えである苦の滅をきちんと見るのではなく、

先(未来)の救いを見ている、という表現かな。

先(未来)の救いを見るというのは、善業を行い善処へ赴こうとする信仰ある善い人も見ることであり、

また、信仰ある善い人の多くが見たいものでもあるだろうが、仏陀の導きはそこに目的があるわけではない。

(法華経は、多くの人々にゴータマ仏陀に対する信仰・尊敬を起こさせているというところは、非常に善いと思う、が、)

 そういう導きの逸れからも、仏陀の教えの苦を見るという教えから、徐々に外れていくこともあるわけだよ。




前述

仏陀の教え

『有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り、触れられるもの、考えられるものであって、好ましく愛すべく意に適うもの、

それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般に認められている。またそれらが滅びる場合には、かれらはそれを「苦しみ」であると等しく認めている。

自己の身体(個体)を断滅することが「安楽」である、と諸々の聖者は見る。
(正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。

他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
解し難き真理を見よ。
無知なる人々はここに迷っている。

覆われた人々には闇がある。(正しく)見ない人々には暗黒がある。
善良なる人々には開顕される。
あたかも見る人々に光明のあるようなものである。
理法が何であるかを知らない獣(のような愚人)は、(安らぎの)近くにあっても、それを知らない。

生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人には、この真理は実に覚りがたい。

諸々の聖者以外には、そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。
この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。」

仏陀はこのように説かれた。』



法華経で見ると、

法に依らず、自らに依らず、次の仏陀の誕生もあるから安心しなさいというような、

未来の生存に望みを持たせるような教え等も見られるが、


仏陀の教え(法)は、

教・道・果・涅槃の法は世尊によって善く説かれたものであり、道・果・涅槃の法は自らで見るべきものであり、道の法は時間を隔てず果を与えるものであり、道・果・涅槃の法は「来り見よ」と招くべきものであり、自らの心に獲得すべきものであり、賢者によってめいめい知られるべきものである。


そして、

『しかし、アーナンダよ、今や私も老いた。年を取り、高齢となった。壮年期は過ぎ、晩年に達した。私ももう齢八十になった。アーナンダよ、たとえば老朽化した車が革ひもで縛りつけてやっと動くことができる ように、如来の身体も、革ひもで縛られてやっと何とか動いているようなものなのだ。
 アーナンダよ、如来が、あらゆるものの相を心に思い描かず、ある感受があったらそれを滅し、相・形のない心の平静(無相心定)をそなえて過ごすときに、アーナンダよ、如来の身体は安らかでいられるのだ。

  それゆえ、アーナンダよ、汝ら比丘も、
 自己を依り所とし、自己に帰依して過ごすがよい。他人に帰依することなかれ。また、
 真理を依り所として、真理に帰依して過ごすがよい。他のものに帰依することなかれ。

  アーナンダよ、比丘が自己を依り所とし自己に帰依して他人に帰依せずして過ごすとは、
 また、真理を依り所とし真理に帰依して他のものに帰依せずして過ごすとはどういうことであるか。
 ここに、アーナンダよ、比丘が身体に対してこれをよく観察し、熱心にして正しく意識を保ち、正しく思念して、世間にあっても貪欲や愁いを超克して生きること、ないしは身体だけでなく感受や心やもろもろの 存在物に対しても同じようにこれをよく観察し、熱心にして正しく意識を保ち、正しく思念して、世間にあっても貪欲や愁いを超克して生きること。
 アーナンダよ、これが比丘が自己を依り所とし自己に帰依して他人に帰依せずして過ごし、また
 真理を依り所とし真理に帰依して他のものに帰依せずして過ごすということである。

  アーナンダよ、誰かある比丘が、現在(仏陀が存在していた当時)、もしくは私の亡きあとも、
 自己を依り所とし、自己に帰依して、他人に帰依することなく住し、また、
 真理を依り所とし、真理に帰依して、他のものに帰依することなく、住するならば、
 アーナンダよ、その者は私(仏陀)がいないという闇の世界を超えて学を求める者だということができるのだ』



 次の仏陀の出現を期待するのでなく、待つのでなく、

 仏陀は、このように説かれた、
『アーナンダよ、誰かある比丘が、現在(仏陀が存在していた当時)、もしくは私の亡きあとも、
 自己を依り所とし、自己に帰依して、他人に帰依することなく住し、また、
 真理を依り所とし、真理に帰依して、他のものに帰依することなく、住するならば、
 アーナンダよ、その者は私(仏陀)がいないという闇の世界を超えて学を求める者だということができるのだ』


何故、仏陀はこのように説かれたのか。

これ(法)こそが、

伝承によるのではなくして、時間を隔てず果を与えるものであり、世の中の執著を乗り超える道であるからである。



『師は答えた、
「伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。
 それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えよ。」

「偉大な仙人さま。
 わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。
 それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えましょう。」

 師は答えた、
『ドータカよ。
 上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、──
 それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。



『移りかわる生存への妄執をいだいてはならない』



 スッタニパータ  五比丘の集いへの指針

 「アーナンダよ。私亡き後、汝らは次のように思うことがあるかもしれない、
『今は先師のおことばだけは残されているが、われわれの大師はもはやこの世にはおられない』と。
 しかし、アーナンダよ。汝らはそのように考えてはならない。
 私の亡き後は、私がこれまで汝らに説き示してきた法と律、これが汝らの師となるのである。


何故、仏陀はこのように説かれたのか。

仏陀の教え・法、これこそが、

伝承によるのではなくして、時間を隔てず果を与えるものであり、世の中の執著を乗り超える道であるからである、と。



 上記の教えのように、仏陀の教えを(で)覚って最後の身体を保っている阿羅伽の聖者に、仏陀が未来の生存を予言したりするという事柄自体も法華経の教えは矛盾も多く、仏陀の理法・道理としても間違っている。

論理で考えてみても間違っているが、自らで禅定をしてみても、所々そういうように外れていることによって、

寂静ではなく、(無願・無想も記されてはいるが、)有願・有想を心で望みとして見ることにもなりえるだろう。

善行を成就して、善処へ赴くという思いにより、心安らぐというのは、正しい仏陀の弟子としてあることであるが、

ゴータマ仏陀の教え(仏教)は、苦の滅を説いているのであって、導きの目的として未来の生存に期待をよせさせるような教えを説いているのではない。



『他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
 他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
 解し難き真理を見よ。
 無知なる人々はここに迷っている。』

『生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人には、この真理は実に覚りがたい。』

『この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。』



法華経に依っている人は理解されるであろうか。


ゴータマ仏陀の教えを学ぶ人は、禅定・正定へと繋がる。

法華経に依っている僧侶のあなた(の行)は、仏教として最も重要な禅定・正定へと繋がっていますか。



迷いのポイントがね、仏陀の教えの初学(または、もうちょっと進んだ学)のところの間違ったらダメだよポイントでウロウロして迷ってしまっているので、仏陀の弟子であるわたくしは、ゴータマ仏陀の本当の正しい道に導かないと、こりゃ、まずいだろう、という感じで、そのように現在、法華経に依って迷っている人を思ってみている。



 他の人々が「安楽」であると称するものを、法華経に依っている人々も「安楽」であると言う。
他の人々が「苦しみ」であると称するものを、法華経に依っている人々も「苦しみ」であると言う。

仏陀の教え・真理から遠く、仏陀の教えを解していない自らの生存に対する執着(心)を見よ。

無知なる人々はここに迷っている。



 迷うであろうポイントは、他にもあるが、

 このHPは、法華経に依って迷っているような人も、仏教の開祖であるゴータマ仏陀のもとへと導いているHPです。

あなたが、迷っているならば、本当の仏陀の教えを自ら知り学び、自ら迷路を抜けると善いでしょう。

また、もしあなたが、自ら迷っているだけでなく、他の人をも迷路へと導き誘ってしまって一緒に迷っているのであれば、

その人にも、正しい仏陀の教えを伝えて、正しい仏陀の教え・理法へと導いてあげると善いでしょう。





8月5日

本日は、

法華経は天台宗も法華経に依っていた。

いや~、しかし、どうするか。

法華経は阿羅漢の意味もわかってないというのに、仏陀が後から説いた正しいお経だと言われているが、

法華経の仏教は、どう見ても間違っている、

大乗仏教経典自体が後世に誰かが仏説であるとして作られた、所謂、はっきり言って偽経なのであるが、

法華経は、中村氏が言うように、仏教の論がまとまっている点はたしかに、仏教をおおよそ知られる経典であるというのは、

たしかに、大乗経典として、仏教の初歩を知るのに、よくまとまっている。

仏教として、とても重要なところは、間違っているところが多いけれども。

鳩摩羅什訳がよく読まれているということであるが、鳩摩羅什さんは馬鳴さんの伝記も記しているということなので、

仏陀の言葉を知らないということもないだろうにね。

また、そもそも法華経のいくつかのうちの喩え話も、嘘は方便とかいう言い訳をして、嘘の方便をしている。

そのように、実際に不妄語戒もできてはいない。

嘘の方便を正当化して、これが仏陀の教えであるとして、仏陀を理法を邪に教えている。

そういう、基本のところからして逸れているのだが、

ゴータマ仏陀は嘘の方便をすることはないし、嘘言をしてはならないと教えている。

そういうのは、基本中の基本だ。

そのように、仏陀に対して狐疑を抱かせるような、仏陀が嘘の方便をも正当化して説いているとして記している法華経のそのような邪な部分は、

仏教として、恥ずべき教えの部分だね。


法華経に関しては、正しい法へとひっくり返すのが、たいして難がないようなほどに、結構わかりやすい間違いの教えも多い。

そもそも、酷い間違いが多いのが問題だべね。





8月6日

昨日、大乗仏教経典自体が後世に誰かが仏説であるとして作られた、はっきり言って偽経とされる、

というので、

大乗経典で仏説ではないのに、仏説とする経典は、所謂、偽経。

大乗経典であっても、それが本当に仏説であれば、偽経ではない。

岩波 仏教辞典より
大乗の最大の特徴として
「新たに生まれる経典を弟子制作の論書ではなくあくまで仏説と受け取る」という態度

紀元後1世紀以降に般若経・維摩経・法華経・華厳経・無量寿経などが大乗経典(第1期ないし初期大乗経典)が編集され、
その後、中期大乗経典や、後期大乗経典が編集された、と。
これら後に編集された経を大乗経典という。



仏陀が、般涅槃後、数百年の後に、仏説として、新しく編集された経。

仏陀が、般涅槃後、数百年の後に、仏説として、新しく編集してしまった経。

編集しちゃったんだね。と。



法華経は、嘘の方便という、嘘を正当化して説いている時点で、仏陀の教えではない。

正語もできていないのであるから、そこでもまた、仏陀の教えが理解されていない。

そのように、仏説ではないものを、仏説であるとするのが、偽経であって、さらに、誤りも多く記されている、と。

そして、大乗仏教の経典しか知らない仏教徒は、その誤りになかなか気づくこともできない。

基本中の基本の教えである不妄語戒。

仏陀は嘘をつくというような悪しき行いをしない。

方便をするにしても、別に嘘を入れなくても、他の方便も可能だろう。

なぜ、そこで、邪道に結びつくような行いをする必要があるだろうか。

嘘の方便は、人々を導くためにだろうか。

嘘の方便をしているような師であれば、他人を導く前に、自らが正道にいないだろう。



そのような所々の細かい誤りが、本当の仏陀の理法を見ることから遠ざけている。

そのように、大乗経典に盲信している人は、誤りに気づくのも難しい。

誰かが、これはこうだよ、と教えてくれるまで、自らで理法にきづくことがない。

それは、本当の仏陀(の教え)を知ってはいないからである。


仏陀を見るものは、法(真理)を見る。

法(真理)を見る者は、仏陀を見る。


あなたは仏陀を見ていますか。



大乗仏教に関しての問い 小話

問、 修行を完成させた覚者であるゴータマ仏陀は、その身体に宝石等の装飾品を身にまとっていますか。


Aさん、「修行を完成させた覚者であるゴータマ仏陀は、その身体に宝石等の装飾品を身にまとうことはありません」

Bさん、「そうです。そういうのは、仏陀の教えを修学している人であれば知っているのが、普通、常識であります」

Cさん、「しかし、Aさん、大乗仏教の如来は、高級そうな宝石等を身に付けまくっているではありませんか」

Aさん、「あれは大乗仏教の如来等であって、本物のゴータマ仏陀・釈迦牟尼如来はそのような無明(無知)な行いをすることはありえません。

     覚者や出家者でない人であれば、身につけることもあるだろう」

Bさん、「そうです。そういうのは、仏陀の教えを修学している人であれば知っているのが、普通、常識であります」

Cさん、「とすると、大乗仏教の如来は宝石等を身に纏うという無明(無知)な行いをしているのに、大乗仏教の如来は本当に覚っているのですか」

Aさん、「大乗仏教の目指している仏陀観があって、宝石等を身に纏っていた方が、威厳があるようにも見えるのだよ。

     逆に、仏陀の教え・法(真理)からは遠ざかるのだが、多くの大乗仏教の信仰者は、仏陀の教え・法(真理)をきちんと知ってはいないので、気づき難いのだよ」

Bさん、「そうです。そういうのは、仏陀の教えを修学している人であれば知っているのが、普通、常識であります」

Cさん、「大乗仏教の目指している仏陀観とは、どういうものなのでしょうか」

Aさん、「そうだね、たとえば、一般世間の幸福感や快楽を多く受けている理想の人、幸福な理想の世界の存在、というような見方をしている人も多いのではないだろうか。

     しかし、そのような見方もまた、本当の仏陀の教えとは相反する見方でもあるのだよ。

     仏陀がこのように説かれた教えがある、

     『他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
      他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
      解し難き真理を見よ。
      無知なる人々はここに迷っている。』

      というように、ゴータマ仏陀・釈迦牟尼如来は、世間の安楽や快楽をも知って、無明(無知)な行いをすることはないのだが、

      大乗仏教観の如来の信仰は、身に宝石等を身に纏っているのを見てもわかるとおり、他の人々が「安楽」であると称するものを、
      諸々の聖者は「苦しみ」であると言う、のをきちんと見れてはいないし、
      他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る、というのを正しく見れてはいないのだよ。

      だから、突き詰めれば、無明(無知)によって、宝石等を身に纏うようなことにもなっている。
      そして、そのように仏陀の本当の教えを知らない仏教徒は、大乗仏教の僧侶の多くもそうであろうが、
      一般世間の人々の思想と同様で、仏陀の教えのように、『他の人々が「安楽」であると称する諸々の楽を、「苦しみ」である』とは言わないだろう。

      ここに大きな迷いがあるのだよ。

      苦を、苦であると知らない。

      その仏教の四聖諦という教えを見れていないところにも、多くの大乗仏教の仏教徒が迷ってしまっている原因がある」

Bさん、「そうです。そういうのは、仏陀の教えを修学している人であれば知っているのが、普通、常識であります」

Cさん、「とすると、大乗仏教はどこに向っているのでしょうか」

Aさん、「一般世間の理想の幸福かな。

     ゴータマ仏陀は、その一般世間の理想の幸福の感受や、多くの快楽の感受を、明知によって、その行き着く先をも見ている。

     そして、それを知りつつ、このように説かれている。

    『他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
      他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
      解し難き真理を見よ。
      無知なる人々はここに迷っている』

    『生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人には、この真理は実に覚りがたい』

    『この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう』と。

     無明によって、悪魔の領土に入っている人には、この真理は実に覚りがたい、と。

     その教えを学んでいる人から見て、大乗仏教徒の拝んでいる如来と仏陀観を、見たならば、どこに進むと思う」

Cさん、「たしかに、本当の仏陀の教えを知っていれば、進む方向もおおよそ理解できますね」

Bさん、「そうです。そういうのは、仏陀の教えを修学している人であれば理解ができるのです」



 小話形式にしようとして記していたら、少し長くなった。



 悪魔の領土に入って堕ちないように、

 前述  真理の観察の障害(悪魔に誘惑されるということ)も忘れないように。



 このように、本当の仏陀の教えを知っていれば、たとえば、悪魔が羊の皮を被っていても、見破ることができるのです。



Aさん 「この悪しき教えを語っている存在は、羊ではない。悪魔だ」と。

悪魔っち「ヒョッヒョッヒョ。バレてしまってはしょうがない。

     しかし、残念だったな。

     私が変装していたのは、羊ではない。

     ヤギだ。

     いつもは羊のフリだが、今日はヤギだ。」

Aさん 「いや、そういう問題の話をしているのではない・・・。」

Bさん、「そうです。そういう話をしているのではないのです」

Cさん、「話の流れからすると、そういう話ではないということですね」



というような、要するに、大乗仏教の教えの間違っている部分を信仰するというのは、悪魔に騙されていたりすることもありえる、また、間違った道に迷い込んで、仏陀の教えが見えなくなるということもある、という話。





8月7日

本日は、

今日もまた、悪業者と悪行の種を持っている者の種が悪業者に触発されて、育って悪行の芽が出てしまっている。

そして、悪行の芽を出して悪業者と一緒に騒いでいる。


悪しき存在・悪魔に誘惑されて悪行をするような者も、

悪心の種が育ってしまって芽を出し、悪行をして、自ら悪処へと堕ちる、と。



大乗仏教の話はね、法華経に限らず、ツッコミ所は多くあるよ。

四聖諦を見れてはいないところも多く見られる。


いや、現実にそういうところだよ。現在の日本の大乗仏教のおおよその実態を見ると。

僧侶のTV番組でもいろいろしゃべっているのも見てても。

だいぶ、本当の仏陀の教えから遠のいているというのも見ててもわかる。

そして、日本の大乗仏教の禅定がともなっていないところも、

後に編集された書物を鵜呑みにして、机上の空論を語ったところで、

その編集をした人の観念を越えることができるのだろうか、と。


仏陀や阿羅伽の方々の観念でなく、その大乗経典の編集者の観念を見て学んでも、

不妄語戒(でいう、妄語・嘘言)を正当化しているというような編集の書物で、仏陀の教えを学ぼうとしても、

その編集者の間違った観念にしかたどり着かないだろう。

わかりますか。


昨日の例え話は、大乗仏教の一つの側面をたとえとして話しているのであって、

忠告する点は、まだ多く見られる。


悪業を重ねている者達は、仏陀の教え・法(真理)を甘く見て悪業を重ねて、愚かな行いをする仲間とその道連れを増やしているみたいだが、

愚かな行いをする仲間を増やしても、その道連れを増やしても、愚かな行い・悪しき行いをしている者が善処に赴くという道理はない。要するに全き安らぎもない。

悪業を重ねている者達は、愚かな行いをする仲間とその道連れと共に、悪しき生存へと赴く。

これが仏陀の教え・法(真理)である、と。

仏教の他の教えでも、おおよそ教えとして、悪しき生存へと赴くと説かれているでしょ。


あの世の法則として、そうなっている、とされる。

だからして、無実を主張している仏陀の弟子を、亡き者にしようとしている者の業の、その行き着く先も、もうおおよそ決定している、と。

悪業による悪処への生存が完璧に決定している者も中にはいることだろう。



そうやって、おおよそでも、次の悪処への生存が決定していると恐怖心がでるべさ。

俺はそういう恐怖心が全然ないからあれだけど、もう決定事項になっていると、少なからず怖いと思うんだけどね。

悪夢のような話だが、何十年、何百年、何千年、何万年、何億年、劫期の間、おおよそ苦しみの感受だけの世界に出生する、とされる。

現実に、真理として悪業者はそのような世界に出生するとされる。

だから、悪行をしている者は、現在のその生存を終えた後、または、その次の生存の後にでも、そういうところに出生することになるのだよ、と。

だから、悪行をしてはならない、と。



このように、今日もまた、道徳を説いた春であった、と。

昨日の例え話の意味は、理解できなかっただろうか。

こっちからしたら、逆に、何故理解できないのだろうかっていうくらいの感じもあるけどね。

しかし、私自身の初学の頃のことを思い出すと、まぁ、たしかに、わからないのはわからないだろうな、とも思う。

たしかに、越え難いね。越えるところがまた結構あるからね。

娑婆世界のやらせ(虚構)の世界を越え

大乗仏教経典(の誤りや偽経)や悪しき教えを越え

悪しき能力者の能力・魔術の世界を越え

さらに、壁をも越えて。


仏陀や聖者方はそういうのをとうに越えて解脱しているというのに。

俺もまた、さらにいろいろ越えて行くことになるだろうけれども。

輪廻の話。

俺は一体何をやっているのだろうか。

と思ってみると、

仏陀の教えを説いているので、とりあえず善しと思い。


ある意味特殊な人生を送っている。

う~ん、何でだべな、と。

結局、仏陀の本当の教えを弘めてほしくない、ヤギとか羊の皮を被った悪しき者に、

叩かれていた仏陀の弟子ということなんだろうか。


他に原因があるんだろうか。

謎だな。


たとえば、大乗仏教の話だって、現在のようにいろいろな情報がすぐに伝わるような時代、

いずれにしても、大乗仏教の誤りの部分は、指摘されるだろうから、間違いの部分は素直に認めて、

本当の仏陀の教えを学ぶのが、本当の仏陀の弟子のとるべき態度だろう。

法華経を学んでも解脱はできない。

なぜならば、間違った教えが多いので。

法華七喩は法華経の翻訳によって違うこともあるだろうが、

辞典を見ても、嘘をついている、又は、嘘をつかせている。

よって、法華経は不妄語戒を理解していないので、正道にもなく、学んで修行をすれば、

解脱できるということはないだろう。

法華経に説かれている内容で、仏教として重要なところは原始仏典に正しく仏陀の教えとして説かれているので、無理して法華経に依る必要も別になく、問題なく、原始仏典・小乗仏教を学ぶのが善いでしょう。





8月8日

本日は、

昼頃に、週間ニュース新書という番組を見て、ゲストの政府関係者が泡語を語っていた。

まったく、創価学会といい、太郎といい、主導してテロで右往左往するしかない民衆を牽引して、

仏陀に敵対させるという行いは、人の行いとして間違っている。

また、仏教徒でありながら、正しい仏陀の法を説く人を叩くというその悪業。

まったく、怪しからん。

連立で悪行へと民衆を誘導しているようでは、国としても、堕落していくだろうし、一人の人・存在としても堕落していくことだろう。

悪しき行いの者は地獄へ堕ちる、という仏陀の教えを、他人事のように考えているのか。

何度説いても、気づくことが難しいのか。





8月10日

本日は、

CMで創価学会に叩かれた。

また、尻尾をつかんだのだった。

創価学会は、カルト教団で決定だわ。

仏教系の団体という名目のようだが、仏陀の教えから見ても外道。

どうして、そうやって、テロ企業と一緒になって悪業を重ねるかな。


仏教教団として信者にどのような仏教を説いているのか。


仏教の基本の教えを説いてあげましょう。

基本から見なさい。


  諸悪莫作、諸(衆)善奉行、自浄其意、是諸仏教


諸々の悪をなすことなく、諸々の善を行い、自らの心を浄くせよ、これが諸仏の教えである。



悪しき行いをしている宗教団体が、悪行を重ねているテロ企業と一緒になって、悪行をしているというのが、気づくポイントだろう。

そちらの仲間の宗教や信仰、死後自らの赴く境地が見えているのではないのか。


悪行をして、他の人々をも悪行に先導している集い。

仏陀の教えとして、そのような行いの者は、どのような生存へと赴くでしょうか。


そのような生存へと、人々を導いている団体は、

仏陀の教えで見ると、外道であって、

正道にいない。





8月11日

本日は、

いや~、今日も、テロ企業等ラジオでも嫌がらせを受け、今日は胃が痛かったな。

(先日の)仏教系新興宗教のCMで嫌がらせを受け、まぁ、創価だけど、そのテロ側の仲間の企業にも嫌がらせを受け、

叩きの本当の始めの頃のテロ企業が何なんだべな。

どういう繋がりだったのか。

コカ・コーラもCMでやっているけど、コカ・コーラは番組の提供していたからというのもあるが、いろはすだったか、レモンのいろはすだったか、ペットボトルが潰れるCMだったか、ので、コカ・コーラのことを記す前からたしかやってたと思う。提供はかなり前からだけど。

その番組の提供っていうのは、「ご覧の提供でお送りしています。」というようなことをTVでよく言っているのは、

そのまま、テロ番組を提供しているのは、ご覧の提供でお送りしています。ということだから。

コカ・コーラも入っているよ。

いや、コカ・コーラはまったく関係ないとかでなくて、

目が痛くなるのと、アクエリアスは余談であるが、

ちなみに、アクエリアスを調べてみるか。

どれどれ。


日本コカ・コーラで意味が出ていた。

「アクエリアス(Aquarius)は、英語で星座のみずがめ座を意味する。」

ということで、みずがめ座を意味するということで、エーリアスとは違うということでした。

意味が違うということで、失礼した。追記訂正


コーラの試飲は、まだしていない。



今日も、ラジオで悪しき能力者が読みのをやっていたようだが、

こちらがイメージでわかりやすく、一文字ずつ、文字を想念にだして、文字として読めるようにすると、念を読んでいる者がわかりやすいらしいということだった。

悪しき能力者がよんでいるのを、わかりやすく、あ・な・た・は・シ・ロ・ウ・ト・だ、(真理を観るということについて)というように表わすとよみやすい、と。

シロウって、ニワのシロウじゃねぇよ、とか、なんかそういう、くだらない読みの能力の話的な。

話っていうか、まぁ、悪しき能力者達がこちらの想念を(盗み)見て一方的に騒いでいただけなんだけどね。

テロ側の騒いでいるのは、嘘も言って騒いでいる。テロ側の能力者の読みも中途半端なもので、そもそも本当に目の善い人は、テロ側の能力者の悪行のようなこともすることもないだろうが、

で、テロ側の能力者って、もしかして解離性同一性障害(多重人格者)が多いのではないだろうか、と。

昔、記した3人は、3人がいずれもその症状をもっていると言っていた。

他は、「胃ガンだ」って、しつこいくらいに何回も何回も言ってたな。



俺はずっとユンボのバケツのフルイで草を振るって、土と分けていたのだが。

ラジオが騒いでいた。

他心通の、表面しか読めていないというのを、イメージではっきりと伝えてあげたのだが、

意味わかるかな。

以前に携帯電話の話でも記したはずだが、そのように、その人の一時の感情を一つの側面から見て、判断するのは、

その人の中の心は読み取れているわけではない。

これが、自らの思いは我だ、という人であれば、おおよそ、その人の中の心をも表わしていることもあるだろうが、

「一切の事物は我ならざるものである」と観ている人は、その一時の感情を一つの側面から見ても、

その一時の想念は、仏陀の教えを学んでいるその人の中の心をも表わしているわけではない、と。


そのような玩具で他人の表面の想念だけを観察したところで、真理が観られるとかそういうのではない。

通常の人が玩具の双眼鏡で他人の表面だけを観察したところで、真理が観られるとかそういうのではない、と。


メディアが悪しき能力者に加担しているというか、どっちもどっちか。

メディア関係者と悪しき能力者とともに堕落していっているようだが。

ラジオのテロ側の言動の酷いのを聞いていると、あからさまに堕落してしまっている。


だから、

悪しき者と親しんではならない。

善なる者と親しみなさい、と。




テロ側の存在が悪行をして、(現実にすでに)堕落しているというのは、

言っとくけど、

真理として、すでに邪道を進んでいるということだよ。

聖者の弟子に嫌がらせをして、本当に正道にないのだが、まだまだ気づかないんだべな。


そのようなテロ側の存在として悪行に加わっているあなたは、真理として、フルイに入ってしまっているのではないのか、と。

すなわち、真理として、すでに邪道を進んでいるということだよ。


普通、邪道に行かないよ。

喩えば、フルイの中を見てみると、玩具の双眼鏡を用いて、悪行をして慢心を抱いて騒いでいるのもいるようだが、

フルイの外もたいして見えていない、と。

そして、同じような玩具の双眼鏡を持った動物もいて、動物なのに、玩具の双眼鏡を用いて悪さをしているのもいる、と。

動物(霊)でも、玩具の双眼鏡を用いて悪さをする動物もいるが、

動物は悟りにいたる智慧を持たない、と。



あと、話は変わって、解離性同一性障害(多重人格者)の事柄で

解離性同一性障害(多重人格者)の事柄を懸念をして考えていたのだが、解離性同一性障害(多重人格)のような憑依体質の人は、悪魔や悪霊の器になって、身体が取られたりすると、悪魔や悪霊が故意にその人物を乗っ取って、この現実社会に影響を及ぼせるわけだよ。

とするとだね、本当の凶悪な悪知恵をもつ悪魔や悪霊は、そういう憑依体質の者を利用して、仲間を増やしたりして、現実社会に悪影響を及ぼそうとしないだろうか、と。

悪知恵をもつ悪しき存在であれば、悪しき仲間を増やそうとしないだろうか。

で、現実にそういう存在が集まると、現実に人々が悪影響を受けてしまう危険度がアップするだろう、と。

実際に、ニワと一門は、つるんで詐欺をしていたわけだし。

残念ながら、その解離性同一性障害(多重人格)の者は、基本人格の心が弱いので、凶悪な悪知恵をもつ悪魔や悪霊が憑依して主人格として身体を使用するとなると、通常おそらく理性が備わっているであろう基本人格自心でどうこすることも難しい、と。

要するに、本当の人格・基本人格自身ではどうこうすることは難しい、ということもあるのだろう、と。

そのように、この現実社会と、本当の凶悪な悪知恵をもつ悪魔や悪霊が現実社会に悪影響を及ぼすことを可能にしてしまう通り穴は、そういうところにもできていると。


と、いうことで、この現実社会の衆生の安らぎを保つのは、そのような現実社会に悪影響を及ぼすことを可能にしてしまう通り穴を塞ぐことにある、と。

悪魔や悪霊や、悪しき存在や悪しき能力者が集って、人々を困らせるような事態にならないように、

または、すでに人々が困るような事態になっているのであれば、その事態を改善すべく、

仏陀の説く、八正道の弘通とその八正道の実践をするのが善い、と。

要するに、本当の凶悪な悪知恵をもつ悪魔や悪霊が現実社会に悪影響を及ぼすことを可能にしてしまう通り穴は、

塞ぐべきであって、塞ぐ事は多くの衆生のためになり、結果的に悪業を積むことはないために悪魔や悪霊のためにもなるという話。

そして、その憑依体質の者は、仏陀の説く教えを学び、八正道の実践をするのが本人のためにも善い、と。

そのように解離性同一性障害(多重人格者)の事柄に関して考えていた。





8月12日

魔術等、解離性同一性障害の人でなくても、邪心を抱いている者は、悪魔・悪霊と結びつく者はいるだろう。

そのように、悪行をして、邪見を抱いている者は、悪魔・悪霊と心が同調しやすい。


こちらに、能力があるとかないとか、テロ側の悪しき行いの者達が騒いでもいるけれども、

正しい仏陀の教えを説いていて、さらに、霊的な能力も説明しているだろうに。

悪行をしている自分達しか、そのような能力がないと思っているのか。

人と天の師である最上の神通力者は、自ら見て知って、そのような悪しき者は、地獄へと堕ちると説かれている。


テロ側の悪行をしている能力者は、自己と他人に真理を見えなくさせているが、

反転しても、自己と他人に真理を見えるようにするという能力もほとんどないだろう。

なぜならば、真理をみるどころか、悪行をして、暗闇へ暗闇へと堕ちていっているのだから。

多くの洗脳されたテロ側の人々を引き連れて。


玩具を振り回して悪行をして得意気になっていても、その行いによって地獄・苦しみだけの世界に堕ちるというのは、愚かでしかない。

憑依している悪魔・悪霊自身でこれを読む存在もいるかもしれないが、

悪行をしている悪魔・悪霊にも悪業は積み重なる。


『害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪〔い報い〕がもどってくる。風に逆らって微細な塵を撒き散らすようなものである。

 種々なる貪欲に耽る者は、言葉で他人をそしる。──かれ自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。

 口穢く、不実で、卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪行をなす者よ。下劣を極め、不吉な、でき損いよ。この世であまりおしゃべりするな。お前は地獄に堕ちる者だぞ。

 お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑(地獄)に陥る。

 けだし何者の業も滅びることはない。

 それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。

 (地獄に堕ちた者は、)鉄の串を突き刺されるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは(昔つくった業に)ふさわしい当然なことである。』

『罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない。

 パドゥマ地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、荷車につんだ胡麻の数ほどあると、諸々の智者は計算した。すなわちそれは五千兆年とさらに一千万の千二百倍の年である。

 ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど長く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。それ故に、人は清く、温良で、立派な美徳をめざして、常に言葉と心を慎むべきである。』


 悪しき存在はそのようなところへと堕ちる。

 ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど長く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。

 そして、世間の考えでは、地獄の生存者にとって、地獄での死は、多くの苦から逃れられるので、地獄の生存者は死を望むだろうと思われるかもしれないが、

地獄の生存者は、地獄の生存で苦を受け続けていても、それでも自らが死ぬということは、やはり苦しみであって、死を恐怖する、とされる。

このように、罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。

 それ故に、人は清く、温良で、立派な美徳をめざして、常に言葉と心を慎むべきである。



 そして、悪魔・悪霊とは違い、

善人・善神のように善業を積んでいる存在が行くところは、

楽がおおく、目耳鼻舌身意に美しく、快いものが多い、そのような世界である、と。

そして、その存在によって異なるが、天上の寿命も長い。

その楽や快楽がどれほど長くつつこうとも、その生存できる間は天上にとどまれる。


目の善い人は、そのような世界を、自ら見て知っている。

経典によると、仏陀や神通力のある仏陀の弟子は、天上の世界に身を遷して、梵天や天神に教えを説いているというのも記されている、と。


視野が暗く、この現象世界で、悪魔・悪霊の世界しか知らず、そのような暗闇の世界に輝きを見て、すごいとか思って悪しき者に導かれて着いて行っているのもいるが、

そのような者にとって、真理は闇である。

視野がひろく、この現象世界の善なる存在の世界と悪魔・悪霊の世界をも見て、善処の明知の世界に光明を見て、すごいと思って仏陀や善なる方々に導かれて、正道に進む人もいる。

そのような者にとって、真理は光明である。





8月14日

いい曲 piece of my wish



本日は、

GoogleがテロCMをやっていた。

ハウス食品も。

KIRINのビールのCM。

今日も胃がガッツリ痛いわ。

痛くない日もないことはないんだが、困ったもんだ。


テロ側の存在の、真理に対する恐怖心が、強すぎるということもあるらしく。

私が仏陀の弟子として優しければ優しい程に、真理に恐怖心を増長してしまうのだろうか。


悪しき者が善なる人にたいして犯す悪業。

『害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪〔い報い〕がもどってくる』

そのおかした悪業によって、真理を恐れる。



悪しき者は、光に来ない。

悪しき者は、光に行けない。

なぜならば、真理を恐れるからである。


善なる人は、光に来る。

善なる人は、光に行くことができる。

なぜならば、真理を恐れることがない、そして、真理を喜ぶからである。



悪業を積み重ねているものは、真理を見ない、故に、全き安らぎからも遠い。

悪業を積み重ねているものは、正しい道に戻ることも容易ではない。


仏陀曰く、

『多聞の比丘が正念を生じたとしても、悪・不善の思いを生じ、欲を長養し、怒りを長養し、無知を長養していれば、この愚鈍なる多聞の比丘は、集・滅を起こすといえども、欲を以て心が覆える。

 喩えば、鉄丸の如く、焼いて極めて熱したならば、少ない水を以てそそぎかけても、すぐに蒸発して消えるがごとく、

 この如くに、愚鈍なる多聞の比丘が、正しい念を生じても、正しい念は消えうせる』




SEGAにも叩かれている。

SEGAはね、まぁ、そこのところをちょっと読み直してみるけれども、


昔、ハードのプレステとセガサターンをどちらを買うかというので、セガサターンを買ってやってた。

セガサターンのあとのハードのドリームキャストもやってたよ。

セガサターンも終了して、ドリームキャストも途中で消えてしまったからね。

学生の頃、セガをやっていた者として、悲しかったけど。



SEGAの事柄を記した部分。

『ソニック、ナイツ。

昔、セガという会社のセガサターンでソニックとナイツっていうゲームソフトはあった。

──

まぁ、セガサターンは消えうせたけどね。』


失礼なところは、削除訂正しておこう、と。



では、セガサターンの意味を調べてみようか、と。


wikiより

『セガサターンの名称は、セガの第六番目のコンシューマゲーム機ということから太陽系第六惑星である土星〔Saturn〕から付けられており、』

サターンでサタン(悪魔)という意味ではない、ということでした。


ちなみに、小さい頃セガ・マークIIIっぽいハードが家にあって、ロードランナーっぽいのをやっていた記憶があるけど、おそらく、セガ・マークIIIだと思う。

たしかパンダコパンダという名前だったかのソフトもあったような。

メガドライブはドリームキャストが消えうせた頃に、家にあったけど、何であったんだったかな。買ったのか、もらったのかわからないけれども、ソフトもたくさんあったけれども、たいしてやってもいないと思う。


デビル・サマナーは、

サマナーという言葉が、(仏陀の弟子としての)沙門を意味する(こともある)という意味で。


(本当の仏陀の弟子の修行僧という意味のサマナーとして)

『デビルサマナーは

それは確実にない、と。

意味的に。


ということ。





8月15日

仏陀の教えの、善行と悪行、の神々の主であるサッカのむかし人間であったとき、のところを訂正。



仏陀の教えを学んでいて、

仏陀の教えでいう、悪しき行いを重ねる者が、仏陀の教えのいうように(邪な人に)なっていってしまっている、という、現実に、邪道・邪行に堕ちて行ってしまっているのが見られるが、

仏陀の教えを学んで善行をしている者は、仏陀の教えのとおり、”悪しき行いの者は、このように思う。善なる行いの者は、このように思う”という、その悪しき行いの者の生ずる思いではなく、善なる行いの者の生ずる思いが、自らに生じている、というのが、自らで知られる。

そのように、自らが仏陀の八正道をきちんと歩いているというのは、自らがそのような自心であるというのを、自らで自らを見て知って、自らが八正道をきちんと歩いているというのを知る。
また、自らで、自らが八正道をきちんと歩いているというのが知られる。





8月16日

本日は、

いい曲の喩えが意味わからないというあれだべかな。

キスのところとかって、直で受けて聞くってか。

男性が男性にという喩えであったとしても、気持ちが悪い、ってか。

そう捉えると、たしかに気持ちが悪いが、

そういう気持ちの悪い想定をして喩えてはいない。


理法を見ている人は、おそらく、そちらの喩えで聞いても、おおよそでも理解はできるだろうが、

そちらの喩えは、理法を見ない人ようであるが、わからない、というのであれば、意味が理解できてもできなくても、無理して聞く必要も別にない。


喩えば、それは、清浄な本当の自分。真我。

(真我っていうのは、言葉の表現)


喩えを更に説明しなければわからないっていうのも、説明の仕方もあるが、聞く人の感受の視野が狭いと、全く意味不明だろう。



今日のテロCMは、
JAバンクのCM
三菱自動車のCM
三菱電機のCM

何でわざわざテロ行為をCMで主張しているのだろうか。



話は変わって、法の盗人等の悪しき者が、狐疑を生じさせようとしているのもいるので説明をする。

私の記している文章は、

理解しやすくするため、読みやすくするため、また、憑かれて書かせられている等と言って、狐疑を生じさせる者や、法の盗人から、理法を守るために、狐疑を生じさせるような言葉を使用しないように、記している。


テロ側の能力者は、理法を説く人に対して悪業を重ねているので、自らで理法を見ることもたいしてできないだろう。

それは、何故であるか。


仏陀はこのように説かれた、

『多聞の比丘が正念を生じたとしても、悪・不善の思いを生じ、欲を長養し、怒りを長養し、無知を長養していれば、この愚鈍なる多聞の比丘は、集・滅を起こすといえども、欲を以て心が覆える。

 喩えば、鉄丸の如く、焼いて極めて熱したならば、少ない水を以てそそぎかけても、すぐに蒸発して消えるがごとく、

 この如くに、愚鈍なる多聞の比丘が、正しい念を生じても、正しい念は消えうせる』と。



だから、昔から何度も何度も忠告をしていたのであるが、テロ側の存在は、聞く耳をもたなかった。

テロ側の能力者は仏陀の言葉を甘く見てしまったが、

仏陀の言葉は、この世とあの世の、どのような存在でも、どのような魔術者でも覆すことはできない。

悪しき行いの者は、地獄に堕ちる。

善なる行いの者は、善処へと赴く。


結果的に、自分が敵対してしまっている存在が、どのような方々であるか、理解できますか。

あなたの現在の生存が終わっても、その深い悪業は消えることがない。


自らで見えないのであれば、闇雲に進むのでなく、止まりなさい。

悪業者は、すでに邪道を進んでいるのであって、正道を進んでいるのではない。

そのことを勘違いするべきではない。

一般世間の悪業レベルの話ではなくて、仏陀と真理と、そして諸々の聖者・善神・聖人に反しているという、恐ろしく深い悪業のレベルの話。


『罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない。

 パドゥマ地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、荷車につんだ胡麻の数ほどあると、諸々の智者は計算した。すなわちそれは五千兆年とさらに一千万の千二百倍の年である。

 ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど長く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。それ故に、人は清く、温良で、立派な美徳をめざして、常に言葉と心を慎むべきである。』

霊の世界では、もうテロ側の能力者がどうこうできるレベルの話でもないだろう。

はっきり言うと、仏陀と真理と、そして諸々の聖者・善神・聖人に反しているという事体で、すでに無理だから。


『それ故に、人は清く、温良で、立派な美徳をめざして、常に言葉と心を慎むべきである。』


私は、テロ側の存在を地獄に堕とすために、仏陀の教えを説いているのではない。

本当の敵と、本当の味方の区別がつかないのだろうか。

本当の悪魔・悪霊もあなた方にすでに絡んでいると何度も伝えているというのに。

テロ側の存在は、悪語(「死ね」だとか、「殺す」等の悪口・悪心)を、慙愧心なく、口に出しているくらいに、良識もなくして、すでに堕落している。

人の忠告も聞かないから、悪しき存在に導かれて、本当に堕落して、真理からも堕落してしまっている。


そのように、おおよそ誰でもわかる程に、すでに、邪道に堕ちているので、さらに、悪しき存在に導かれて、堕落していかないように、真理から堕落していかないように、悪魔・悪霊・悪しき存在・悪行を厭離して、悪念・邪念を払い、良識と慙愧心等の、正道に戻るためのものを取り戻すのが善いだろう。

これは、夢や妄想の世界の話ではなくて、現実の話であり、真実の世界の話であり、真理の話である、と。


こちらは、理法を恐れる要がないので、気をつめて言う話ではないが、

そちらの存在は、すでに、邪道に堕ちているので、すでに危険だろう。





8月30日

本日は、

車のドアが来たので、交換をした。


本日のテロCMは、

清水建設





9月6日(2015年)

本日は、

胃が痛くない。


本日のテロCMは、

TOYOTA

大正製薬



悪しき行い、悪しき者という事柄に関して、

仏教辞典より、


『魔羅・悪魔

Ma-ra略して魔という。殺す者の意。または、一切の障り、悪魔などと訳す。

心身を悩乱し、善法を妨げ、人の功徳の財を奪って、智慧の命を殺すものに名づける。

即ち、生命を奪い、善法・善事を障げて、仏道の障礙を為すものをいう』


テロ側の存在の行いは、悪しき行いであって、善行ではない。


あなたは、善処へと歩いていますか、悪処へと歩いていますか。

あなたの行いは、善行ですか、悪行ですか。





9月13日

本日は、

今朝は、雨が降っている。

胃は痛くない。


本日のテロCMは、

Microsoft





9月18日

超弦理論の動画を見ていて、

1+2+3+4+5+・・・=-1/12 オイラーの公式

2-(25-1)/12=0

弦理論は25次元であるという証明ということだが、

数学者って、多分数学を好きな人が多いのだろう。

計算が解ける楽しさ、計算で答えが証明できる楽しさ、数学を好きだったら追求したくもなるだろうな、と。


(〔次元〕-1)/12を

3倍して、

超弦理論は9次元。


4次元空間。





9月18日

本日は、

胃が悪いので、すごい硫黄の臭いがする。

胃は治らないのだろうか。

悪魔達に治療の邪魔をされているので、なんとも苦しい生を送っている春であった。

季節はもうそろそろ冬だけど、春であった。


超弦理論は、4次元空間は、時間を1次元足して4次元だと言う人もたしかにいる。

(または、縦・横・高さ・外(私・春いわく、3次元の外という意味。4次元の方向)、で4次元と言う人もいる。)


次元で区切るという考え方、

次元で区切らない考え方であれば、粗大、微小。

粒子が物を突き抜けるのであれば、

そのような粒子と同じように、突き抜けた粒子を映像として認識すれば、

物の表も裏も中身も認識できる、と。

ちょっといま、4次元を思うさま適当に書いてみた。


突き抜ける粒子を認識しても、過去と未来は認識できない。

科学がどれほどに進化しても、(聖者の神通にもおよばない。)


人は、善行を行えば、天上の善い処へ出生する。

悪行を行えば、地獄等の悪い苦しい処へ出生する。


どれほどお金を持っていても、

どれほどに貧しくても、

人は、善行を行えば、天上の善い処へ出生する。

悪行を行えば、地獄等の悪い苦しい処へ出生する。


いずれかの国の王でも、

いずれかの国の身分や、生まれのとても低いとされる人でも、

人は、善行を行えば、天上の善い処へ出生する。

悪行を行えば、地獄等の悪い苦しい処へ出生する。


4次元の話から、真理の話になり。


今日昼にラジオを聞いていたけれども、

ストーカーの悪行(業)者と、悪魔達にいっつもラジオとかで実況されているような生活を送っている俺だけれども、

ラオジでいい感じに私が褒められていると、運転している人の多くの人が、すごい笑顔で微笑んでいる人が多い。実際に。

ラジオで馬鹿にされたり、悪語を吐かれているときは、眉間にしわを寄せたようなしかめっ面の人が多い。


これは、潜在意識で、すでに物事の善し悪しが出ているね。

テロ側の悪行をしている悪魔の仲間達、要するに悪魔達(魔羅の説明文参照せよ)は、

その人として、道を見失っている。


もう、聖書のヨハネ(または、ジョン、または、イオーアンネース)の黙示録に書かれている内容のごとくに

悪しき者達が、一つのところに集って、悪行をしている。

その話と同じように、世界の悪行者が集って、仏陀の弟子に悪しきわざを行っているが、

聖書の教えをおいといて、普通に考えても、テロ側の悪しき行いの者達は、真理として、悪処へと堕ちるだろう。


自分達が聖者方の方にいないというのが、理解できますか。


私の場合は、意味もわからずに悪行者達、悪魔達に罵詈雑言・嫌がらせを受けているので、

そういう悪心をもつための生まれ・存在ではないと思っている。(現実に苦を受け、確信として、そのように思う。)

さきほど、そういう悪しき存在と悪魔達と、一人で戦っている自分がすごいなと思った。

背後に、仏陀と仏陀の弟子方と聖者方がいるけれども、

この社会現実として、一人で戦っている、というか、一人で戦うことになってしまっていて、

一人で戦っているという自分が、すごいな、と。


普通世間一般の人であれば、(その多くが)悪行者たちに媚びへつらい、悪魔達の仲間になって従おうとするだろうに。


一人ででも、仏陀の弟子として、仏陀と善法と聖者方へと歩いている。

と、これを記している現在も、いや~、やっぱり、すごいな~と思っている。


と、自らの事柄を記している。

これは、慢心である、と。


仏陀を想って、本当に、私自心が悪行者達の側にいないでよかった~、と思う。

ふ~、っと、

ホっとできる。


そう、この次の輪廻での生存を迎えるとしても、その先をみても、怖れの出てくることがない安らぎ、

この安らぎがね、

悪行者はこの安らぎを抱くことができない。


禅定でも、この安らぎを抱けている人と、安らぎを抱くことができない人とは大きく異なるだろう。

安らぎを抱いている人は、仏陀の教えを見ることができるだろう。


あなたの心は、安らぎを生じますか。



(そこに)悪魔・悪しき行いの者がいるとする、

その者が、仏陀の教えを聞いて、仏陀に帰依をして、法に帰依をして、僧伽に帰依をする。

それから後に、その者は、心を善へと向けて、悪行を捨て、生涯、善行を行っていった(ならば、)

このような存在を、悪魔(・悪しき行いの者)、とは言わない。





9月23日

本日は、

聖書の黙示録の暗示に関して、結構前からテロ側の(本物の)悪魔の仲間の者達・悪魔達と形が似ていると思っていた。

であるからして、聖書ではそのように、記されている。黙示録事体が後から付け加えらたものかどうかも確定的にはわからないが、

あなた方、悪しき行いをしている者達の行いと似ている、という話。

とりあえず、聖書はまったく気にせずにおいといて、黙示録の内容も別にあんまり気にせずにおいとくとして、

それでも、悪魔側に着いている、または憑かれている悪魔側の(死ねとか罵詈雑言・悪行をしている)あなた方、悪魔の仲間達の存在として、悪行を続けているが、どちらにしても、悪しき行いをしているテロ側の・悪魔側の存在は、本当の悪魔と、その悪魔に着いていっているテロ側・本当の悪魔側の存在と悪魔に誘惑されてしまっている者達は、

真理として、それらの行いは悪処へと堕ちると、聖者方は説かれている。

だからして、というか、

聖書の話は別に、気にしないでいいよ。

ただ話が似ているっていうだけで、聖書の暗示の話を抜きにしても、テロ側・悪魔側の存在は永い悪しき輪廻の流れに乗っかって、もう戻っては来ることも難しいんではないだろうか、というような感じでたまに見ている。という話。

俺は、暗示されていると存在だと自分で思っている、というように、調子にのっている、と思われるのも面倒なので、長々と説明をしているわけなのであった。

そもそも、私は仏陀の弟子であるので、悪魔側の存在のうける聖書の最後の審判とか、黙示録とかの内容は、それほど重要に重視するところでもない。

しかし、善行の教えは、勉学のために他の聖人の話でも耳を傾けるよ。

それは、他の教えの人をも、大勢を善処へと導きたいという思いにもよる。


そして、悪魔側に絡まれている事柄で、私自身が、やっぱり昔から、現在ではすでに邪な能力者の者達・すなわち悪魔側に付け狙われていたのもほとんど間違いはないようすで、

悪魔側の能力者が中途半端にそういう見る能力者が集っていたんだろうと思う。

その集いも、仏陀の理法を学んでいないので、善行と悪行の区別も理解できてなかったようで、私が見た感じでは、その者達自身が迷ってて、

行先すらもどこへ向えばいいのだろうと光が見えずに迷っている感じ。

能力者にテロ側・悪魔側のような悪行をせずに善行をを行う人もいると思われるが、

そういう人たちですら、迷ったあげく、私は輪廻で高級霊になって、惑星霊になるといった具合の方向へと向う人たちもいる。


覚った方々は、惑星霊になることによってさとりに至るとは説かれない。


そして、その集っている者の悪しき行いの存在の結果は、このように記しているとおり、仏陀の弟子にたいして罵詈雑言・医者を騙してまで殺そうとする悪魔の所業をしている者達であった、と。

だいたいにして、善行と悪行の区別を現在でも、区別できていないっていうのに、あなた自心がどこにいくのよ。

自心の行き先も不明、そして悪処へと堕ちると教えとして言われているのに、他の人を導けるわけもないべさ。


テレビとかラジオで悪しき能力者が私をストーカーして、ああでもない、こうでもないと中途半端な読心術で、人々にわけのわからないことを伝えて、人々を翻弄しているのをやってるべさ。

その話も毎日のようにコロコロかわるべさ。

それはなぜか。

その能力者は、私が以前から言っているように、表面のところしか読めない、と。

その時その時の想念を読むくらいの能力が主であって、しかも、その能力者を通すと、汚れて翻訳するという悪しき行い。

しかも、清浄な念はたいして読めず、貪欲や汚れた念の部分が主に見える、汚れて見らさるのかな、そして、その妖術者の知る感情の範囲でだけ翻訳されるという感じかな。

悪しき能力者を通すことによって、汚れて翻訳されるという結果になっている、と。

悪魔側・悪魔に誘惑されている無知の者達は、その汚れた翻訳を聞いて、その汚れた話を信じる、と。

そもそも、私は犯人でもなんでもないっていうのに、私を犯人に仕立て上げようとすること事体、嘘であって、穢れた行いをしているのだから。

テロ側・悪魔側の妖術者の心が汚れているのが見てとれる。

仏陀と仏陀の弟子の方々から見ても、天上の神々から見ても、すでにそのようなテロ側・悪魔側の妖術者は、親しく友とするような存在ではない。


「明らかな智慧のある人が友としてつき合ってはならないのは、信仰心なく、物惜しみして、二枚舌をつかい、他人の破滅を喜ぶ人々である。

悪人達と交わるのは、悪いことである。

 明らかな智慧のある人が友としてつき合うべき人々は、信仰心あり、気持ちの善い、素行の善い、学識豊かな人々である。

けだし立派な人々と交わるのは善いことである。」


「(自分では)悪いことをしていなくても、悪事をなす人とつき合うならば、同じく悪事をしているのではないかと疑われ、その人に対する悪い評判がたかまる。

 つき合っている悪人は、悪に触れられているが、また他人に触れて、悪をうつすであろう。


 毒を塗られた矢は、矢筒の束のなかにある毒を塗られていない矢をも汚す。

 悪に汚されることを恐れて、思慮ある人は、悪人を友とするな。


 どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。

人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。


 それ故に、賢者は、自分は、果物籠が(中にいれる果物に)影響されるようなものであるということわりを見て、悪人と交わるな。

善人と交われ。」


悪しき行いの者・愚かな者は自らの悪業により、地獄へ堕ちて、生まれ変わっても、悪処の苦しみの境涯への出生・生存を輪廻流転をして、
もはや人として再び生をうけることは、仏陀の教えの盲目の亀の喩えのごとく、(現在の人間社会の感覚・確立でこの喩えを簡単に考えても、
「再び人として出生するのは、はっきり言って、もうほぼ不可能に近い」という程に)極めて難しい、と。

それゆえに、悪行を厭い離れなさい。



いやいや、黙示録の話は別に気にしなくていいから、あなた方の受ける最後の審判というか、教えによって、悪処へと堕ちるとされる人に選ばれるというか、悪魔に誘惑されてすでに悪業をおかしてしまったのだから、

その悪処への出生を回避するべく、自らの悪行を反省したほうがあなた方のためにいいんでないのか。

俺が聖書の一部の内容を自分のことだと思っているとかそういう話は別に気にしなくていいから。

黙示録の内容と相似しているという話。

(ちなみに、これもまた何か書いてるよ、というようなのは、他の本でもある。昔のCDを聞いてて、”気持ち悪りぃ、これもかよっ”ていうのと同じような感じ。本はその本によって、嬉しさと喜びを感じることもある。)

だから、そういう話はおいといて、

真理として、テロ側・悪魔側の存在は行いを見ても、悪処へと堕ちる存在として、悪魔に選ばれている(すでに誘惑されてしまっている)、という話。

だから、こちらの仏陀の側から見ても、あなた方の悪行は真理から見ても、ないよ、と。


「再び人として出生するのは、はっきり言って、もうほぼ不可能」っていうのであれば、普通に言っても、最後とは言うね。

テロ側・悪魔側の悪業は、聖者の弟子に対して、しかも、霊の世界からも悪業を重ねているわけで、普通のちょい悪な世間の犯罪レベルの悪業でないもの。

妖術者が、どう見ても、悪行を重ねているのに、その愚行を信じて着いて行って、自ら地獄へと堕ちていっているのだもの。

さすがに、どう見ても、テロ側・悪魔側の存在は、仏陀や聖者方から見ても、ないよ。





9月24日

本日は、

再び、超弦理論の動画を見ていて、

超弦理論は、3次元の他の次元をも考慮しなければ、物理学的にも説明ができないようなので、

3次元より他の次元は数学的にあるという考え方が一般的だ、ということだ。

ということで、数日前の4次元を思うさま適当に書いてみた『次元を区切らない考え方』というのは、ほどよく否定されている。


物理学の超弦理論のようなミクロな世界は、未知の領域に何らかの真理が含まれていそうな感じがしなくもないが、

では、覚った方々は3次元の世界から見るそのような世界を、どのように捉えていたのだろうか。


仏陀は、そのような事柄を説かなかった。

『マールンキヤの子よ、それでは、なぜ私がこれらの命題について明確な判断を示さなかったかというと、マールンキヤの子よ、これは目的にかなわず、清らかな修行の基礎とならず、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立たず、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立たないからである。
それゆえ、私はこれらの命題について明確な判断を示さなかったのである。

 マールンキヤの子よ、しからば私は何について明確な判断を示したかというと、マールンキヤの子よ、これは苦であるということについて明確な判断を示し、これは苦の原因であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅であるということについて明確な判断を示し、これは苦の滅に至る実践であるということについて明確な判断を示したのである。

 マールンキヤの子よ、どうして私がこのことについて明確な判断を示したかというと、マールンキヤの子よ、これは目的にかない、清らかな修行の基礎となり、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、煩悩を制止することに役立ち、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立つからである。
私がこれらの命題について明確な判断を示したのはこのためである。

 それゆえに、マールンキヤの子よ、私がここで明確な判断を示さなかったことについては、私が説かなかったこと(無記)として了解しなさい。』


というように、真理を見ている聖者方は、目的にかなわず、清らかな修行の基礎とならず、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、
煩悩を制止することに役立たず、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立たないのであるから、
特に関心をもつこともない、という結論にいたる。

と、いうことで、超弦理論(M理論)を知っても、清らかな修行の基礎とならず、世俗を厭いはなれること、欲情を捨てること、
煩悩を制止することに役立たず、心の平安、すぐれた智慧、正しいさとり、涅槃の獲得に役立たない、
という本日の結論に至った春であった。

以前記している、宇宙の話等も同様な結論へと到る。



他、今日、昨日の

『悪しき行いの者・愚かな者は自らの悪業により、地獄へ堕ちて、生まれ変わっても、悪処の苦しみの境涯への出生・生存を輪廻流転をして、
もはや人として再び生をうけることは、仏陀の教えの盲目の亀の喩えのごとく、(現在の人間社会の感覚・確立でこの喩えを簡単に考えても、
「再び人として出生するのは、はっきり言って、もうほぼ不可能に近い」という程に)極めて難しい』

という、悪しき行いの者・愚かな者の、再び人として出生するという奇跡的な出来事が起こることの可能性は、ほぼ不可能と言う程に極めて難しい、ということについて考えていた。

それを知る全知者の喩えによって、再び人として出生するのは、ほぼ不可能、という程の奇跡的な出来事だというのを、実際に海を見て、ほぼ不可能だなと言いえる程の奇跡的な出来事だな、と海を見て考えていた。

しかも、喩えでは百年に一度のチャンス。百年に一度だけしか亀は海面に姿を見せず、さらに、ガメラのような巨大な亀でもなく、一般的に知られているサイズのウミガメくらいので考えるとすると、

やはり、”うん、ほぼ不可能だな”と思い考えていた。

海がなければ、たとえば、遠くの山なり、遠くの町なり、建物なりを見て、見ているその遠くのところまで大きな湖があると仮定する。

そうすると自分で想像したその湖の大きさが、大きいというのは実感として沸くだろう。

その湖の中に盲目の亀が住んでいて、百年に一度だけ水上に頭を出すときに、その頭が穴の開いた木辺なりにすっぽりと入るのは、

その時点でも、普通に考えても、無理だべ、と思えるくらいだが、

その無理だべと思う状況から、さらに喩えで説かれている比較にならないほどの大きさの大海で考えるとすると、

”うん、ほぼ不可能だな”と思えるだろう、と。


たとえば、私が函館の浜辺で、海に一つの孔のあるクビキを投じたとする。

春「おりゃ~」

と、海へクビキを投じる。

ポチョン、と、クビキは海へ浮かぶとする。

そして、春は、盲目の亀が海面に浮かんできて、そのクビキの一つの孔に首を突きこむのを、ドキドキワクワクしながら待つとする。

春「さて、いつになったら亀はあらわれるかな~」

ドキドキワクワク。

しかし、そのとき、例の盲目の亀はインド洋をのんびりと泳いでいたのであった、と。


さて、春は、いつになったら盲目の亀が、クビキの一つの孔に首を突きこむのを見ることができるだろうか、と。

要するに、そういう話くらいに、ほぼ不可能に近いということだな。


というように、

『悪しき行いの者・愚かな者は自らの悪業により、地獄へ堕ちて、生まれ変わっても、悪処の苦しみの境涯への出生・生存を輪廻流転をして、
もはや人として再び生をうけることは、仏陀の教えの盲目の亀の喩えのごとく、(現在の人間社会の感覚・確立でこの喩えを簡単に考えても、
「再び人として出生するのは、はっきり言って、もうほぼ不可能に近い」という程に)極めて難しい』

という、理法が真理として、説かれているので、

テロ側・悪魔側にいて悪業を重ねている存在は、心を善にいれかえて、善行へと奮闘努力しないと、テロ側の存在に絡まっている本当の悪魔の誘導されて、悪処へ出生して、永い、永く苦しい輪廻流転への流れにのみこまれると思われるよ。

たとえば、最近のテロ側(悪魔側)のテレビやラジオの酷いありさまの放送を見聞きすると理解できるだろう。

本当の悪魔・悪しき存在に導かれている存在(憑かれている存在)はあのようになってしまう、と。

実際になっているのを見て、そのように、本当の悪魔(本物の悪霊・悪魔)の導きに従っている者は、悪処へと導かれている途中の状態で、実際、現実にもそのような(悪行・愚行をする)感じになるのだな、と察せられる。


柔らかく説明をしているけれども、悪魔側にいて、悪業を重ねている存在は、この後の生存において、悪処へ出生して、永く苦しい輪廻流転への流れに入るだろう、という真実としておおよそそうなる、という真理の話。


賢い人は、善なる存在に導きを受けて自らで善へと歩くことはあっても、悪しき存在を悪しき存在だと知って着いてはいかない。


テロ側・悪魔側にいる存在は、自らのためにも、きちんと、考えたほうがいいよ。

導きの存在が、善の存在であれば、あなたを仏陀や聖者方へ、そして、善行へと導き、あなたが悪業を行うように導くということはない。


さて、

そして、その後の、春は、

”やっぱり亀は現われないな~。まぁ、俺は善行を重ねて行っていて、地獄に堕ちないので、別に盲目の亀の確立論の話は、別にたいして気にしなくても良いんだけども。

そもそも、函館近辺の海で、ウミガメなんて、見たことすらねぇ。”とか思いつつ、

”しかし、今日も風が心地良かったな~”と、心地よい風を受け、春は、満足して、帰っていった、と。





9月25日

本日は、

今日も海を見て、ぱっと昨日の盲目の亀の喩えを思ったが、やっぱり、ほぼ”無理だわ”と思い、

見渡す限りの海を見ただけで、やっぱり、ほぼ、”無理だわ”と思える程なのであるが、仏陀の喩えは、見渡す限りの海よりも広く、見渡せない海をも、喩えに含まれているので、

やっぱり、悪しき行いの者・愚かな者は地獄へ堕ちて、生まれ変わっても、悪処の苦しみの境涯への出生・生存を輪廻流転して、もはや人として再び生をうけるということは、
(現在の人間社会の感覚・確立で考えたとしても)もうほぼ不可能だろう、と。

盲目の亀が毎日100回くらい海面に頭を出すとしても、ちょっと無理っぽいよね。


というように、盲目の亀の喩えを思って、海を見る人は、仏陀の教えの一部を見るだろう。





9月29日

本日は、

仕事中、雨が降ったり止んだりの繰り返しの天気であった。

その結果、虹が架かって、空に綺麗な虹色が画かれていた。

ということで、今日は、虹を七回程見た。


空に架かった綺麗な虹は、少しの間だけ姿をあらわす。

現われては消える。


諸行は常住ではない。

世の綺麗なもの、美しいもの、快いものもまた、現われては、変化し、生滅し、不変なものはない。

諸行は無常である。

世の綺麗なもの、美しいもの、快いものもまた、現われたならば、変化し、生滅し、不変なものはないのである、と。





9月30日

本日は、

テロ側・悪魔側の妖術使いは悪行をして、人としても、存在として道を踏み外してしまっている。

そのような悪行を重ね、真理として、これから地獄へ堕ちる者として言われているのに、どうして、悪行をして笑っていられるのだろうか。

仏陀の教えの意味を理解できないのだろうか。

私がかみくだいて盲目の亀の喩えを説いても理解しないのだろうか。


テロ側・悪魔側の妖術使いは、私つしまと同じ善業を行っているのではない。


テロ側・悪魔側の悪行をしている妖術使いが、善行者と同じの善処へと赴くという道理はない。


テロ側・悪魔側の悪行をしている妖術使いが、地獄へ堕ちるというのは道理として説かれている。

テロ側・悪魔側の悪行をしている妖術使いは、善なる存在に導かれているのではく、悪しき存在の悪魔に導かれているので、悪行を繰り返し重ねている。

テロ側・悪魔側の悪行をしている妖術使いは、悪しき存在の悪魔に選ばれている(狙われている)のであって、善なる存在の神々に、選ばれているわけではない。


善なる者は、テロ側・悪魔側の妖術使いのするような、悪しき行いをしない。

わたくし、つしまは仏陀の弟子であって、善行を行い、善行を行うようにと人々に説く。

また、仏陀の教えを、弘通して、人々を仏陀・光へとすでに導いている。


眉間から入る光の人は、天上の人であるとして説かれる。

そして、つしまは、現在、本当の仏陀の教えを説いている。

そして、悪行を厭離して、善行を行うように日々精進している。





10月2日

本日は、

本日も、胃が痛かった。胃が痛いとき、においがするので、胃ガンだってかなり言われるんだけど。

胃ガンって言われても、病院行けば悪魔とその仲間共に、治療の邪魔をされるので、

病院に行くのにもあまり気がむかない。

しかし、病状はひどいというありさま。

悪魔とその仲間共は、仏陀の弟子が苦しむのをメディアで喜んでいる、

一方、悪魔とその仲間共がメディアで喜んでいると、町中で車を運転している多くの人の顔を見ると、深刻な顔をしている人を多く見る。

その悪魔達の行いは、人としても存在としても、善法から外れて堕ちていっているというのは、

数年間、悪魔達のメディアの愚行を見聞きして来ていれば、普通の良識があれば、簡単に気づけるレベルだ。


悪魔達は、悪魔達で、自分達の最後の人生(人としての生存)というのも、見る事もなく、見る事ができるのであれば、

悪行をやめることもあるだろうが、悪魔達は、悪霊・邪念・悪魔と、さらに自らの悪業によって、真理を見る事ができない。真理が見えない。

現代の、人の短い一生。


愚行をして、悪業を積み重ねて、他人を苦しめて笑っている、悪魔達・悪しき者は、

数年、数十年後で、もう人として再び生を受けるということは、もうほぼ無理になるだろう(先日の話と盲目の亀の喩えを参照のこと)というのに、

そのように、実際は、そのような愚行で無駄な時間をすごして、笑っていられるような状況ではない。


oneは、すでに在家の欲を持ちつつも、自らのこの生存を仏陀と法と僧伽へと奉仕しているのです。


ただですら、短い人生(現在の日本人男性の平均寿命(80才)くらい)なのに、

悪魔達・悪しき者達によって、さらに一生の生存を短くされようとしている。

なんだか、何故なのか意味もわからないうちに。


とりあえず、oneはこの生存を終えて、善処へと帰ることになる、ということか、と。


私は、最近考えていたんだが、以前もちょっとだけ記していると思うが、最近というか、前から悪魔達・悪しき者達が、

想念を中途半端に読めるという能力によって、人のことをどうだとかこうだとか言っているのを聞いていて、

これは、天上でも同様の事柄はあるだろう、と。

そもそも天上の住人は、力のある存在が集まるところでもあるので、仏典にあるとおりやっぱりそうだろう、と。

だからして、現在のこの自らの抱く想念、この想念は天上の善なる住人・神々に受け入れられるか否か。

天上の境涯は、想念がより一層強められるというのは、言われている話でもあり、

たとえば、私が愛欲の想念を起こすとする。

そうするとだね、天上の境涯では、愛欲の想念がつうつうなので、とてもよく見られる、と。

そう、悪しき者達のように心の穢れも少なく、より鮮明に清らかな想念をもつうつうとして見られるだろう、と。


そこで、現在の自らの心を見る、と。

仏陀と法と僧伽へと奉仕したという心が大きい。

この後の、輪廻でも、この功徳は大きい。

『 爪先
「比丘たちよ、それと同じように、すでに正しい考え方のそなわっている聖なる弟子たちや、このことをはっきりと理解するにいたった人々が、よく滅しつくして、もはやなくなってしまった苦はより多くして、なお残っている苦はごく僅かである。それらのこれまでによく滅しくつして、もはやなくなってしまった苦を、極七返生、残りの苦と比べるならば、これを百倍しても及ばず、千倍しても及ばず、さらに百千倍しても及ぶものではないのである。
 比丘たちよ、そのように、法をまのあたりにはっきりと理解するということは、まさしく大利のあることである。
 その大利というのは他でもない、法眼、すなわち法をみる眼を得ることなのである」』


そして、禅定をしているときに、眉間から光も入っているので、仏典の教えにもより、この後の生存において、天上の住人になる、という思いが強い。

そもそも、現在の娑婆世界での騒がれ方も普通ではないからね。

なんだか意味わからないけど。

何かある。

何かあるに違いなーい。

とも思うが、仏陀と僧伽の方々を見て比較すると、

はぁ~、と、別にたいしてすごくもなく。

悪魔に誘惑されてしまっているその悪魔達・悪しき者達と闘ったとか言っても

別にたいしたことでもなく。

仏陀と僧伽の方々は誘惑する側の死魔・悪魔と闘ってすでに勝っているのであり。


自らの未熟さとかそういうのが顕れている。


昔から狙われているっていうのは、前世からの業でほとんど間違いないようなもんだろうと思うが、

法・真理・善を説いて、悪魔達・悪しき者達に狙われているから、

前世でも、結構な善の存在だべな、と思わさる。





10月3日

本日は、

今日もまた、ZARDの歌をいくつか聞いて、あ~、純粋でいい歌だな、と。

こういう純粋な歌がね、聞いてて気持ちがいい。


悪しき者達・悪魔達の歌手の汚れた泡が沸いている歌を聞くと、(多くの人々が)不快に感ずることも多いが、

しかし、テロ側・悪しき者達の側の歌のような、汚れた泡がブクブクと聞こえず、歌を聞いて不快になるようなこともなく、

悪しき気持ちにもならない。

そして、聞いている側の気持ちがよくなるという。

春いわく、いわゆる、普通の良い歌。


喩えるならば、不良の者が「この歌はいい」とか、他の不良の者の仲間に言ったならば、

黒っぽい空気の中に、微妙に気まずい空気が流れるような、不良として恥ずかしくなるような歌。

また、不良として、”こいつは実はいい奴か”とか思われるような歌。


まぁ、メタルが好きとかいう人にとってはわからない音楽感性なのかもしれないが、

友人でメタルが好きっていう友人がいたが、メタルの何が好きなのって聞いても、パッとした解答は言ってなかったな。

寝るときも、メタルを聞いて寝るって言ってたけど、好きな人は好きなんだろう。

春はメタルのあのジャンジャンジャカジャカ音は、聞いててちょっと耳が痛い感じなので、春の音楽感性としては、ほとんど全く、というくらいに聞かないな。

レゲェとかヒップホップもあまり聞かないな。

他、クラシックはいい感じの曲もたくさんあるが、

クラシックよりも、クラシックっぽい普通の静かな心地好い音楽をよく聞く。


別れの曲

ジュピター

カノン

主よ人の望みの喜びよ等


と、ちょっと今、クラシック集を聞いてみたんだが、

いい曲が結構あった。


思い出せば、あれは、小学校にいた頃、昼の時間の給食の時にたしかいつもクラシックがかかっていた。

そう、給食のあげパンはおいしかった。

個人的に、あまり出ることのないラーメンもおいしかった。

酢豚は、たしかパイナップルが入っていたような気がする。

パイナップルは好きだが、酢豚の中のパイナップルは好きではなかった。

ポテトサラダの中のリンゴとかミカンとかも、あれ別々でもいいよね、とも思う。

ポテトサラダに醤油をかけると、果物とあまりあわないからね。

ポテトサラダに醤油をかける人って、他の人はどうなんだろうか。

ドレッシングをかけるんだろうか。

サラダにドレッシングをたくさんかけると肥満の元らしいけども。

ポテトチップスもカロリーが高いから肥満の元になる、と。

私はポテトチップスは好んで食べないけれども。

以前に、ポテトチップスを食べないという人がいて、その人の影響によるな、ポテチをほとんど一切食べなくなったのは。

ポテトチップス類のお菓子を食べないからなのか、身体が太るということもなく。


と、今日は、ZARDの話から、ポテトチップスを食べないからなのか、あまり太らないという話になった、と。


他、テロ側・悪魔側の者は、悪行・愚行、犯罪・ストーカー・嫌がらせ等、人として愚かな行いをしているのに、自分達は良識があるなどと、見てはならない。

そもそも、犯罪者の集いが、天神に選ばれし者達のわけはないから。

そして、聖者方と真理に反して悪業を積んだことによって、地獄に堕ちるという可能性の方がずっと高いのだから。

神に敵対して、堕ちた天使。

天使とは悪魔であり、悪魔とは天使であるのか、と。

まぁ、天使と悪魔の話は要するに、

その存在の行いによって、天使にもなり、悪魔にもなると。

良い(善い)ことをするのが天使であり、

悪いことをするのが悪魔だとされる。

聖書でいう天使と悪魔の行いもまた、

天使は天使で迷ってるっぽいからな~。

天使の発している言葉を見ると、”我があるな~”と思っちゃうからね。

まぁ、実際は記され方の違いかもしれないけれども。

また、堕天使になる前の大天使という存在に我(・貪欲)がなければ、堕天使となることもなかっただろう。

と、いうことで、天使という存在にも我があるということがわかる、と。





10月4日

本日は、

日曜日。

忙しく働き、3週間程休日はない。来週と再来週は予定があるので、休日をもらう予定の春です。

働くっていうので、そういえば、

以前考えていたんだが、

日本人の働く労働時間は、一日8時間位か、世界で見ても多いということらしいが、

どれ、ちょっと、検索。


いや、日本は急速に経済が発展したということの背景は、単純に国民の労働時間が多いからかな、と。

前から、日本人の働く労働時間は世界で見ても多いということが言われていたのを聞いていたので、

だとすると、世界の発展途上国も、労働時間を多くするだけで、急速に経済なりが発展するのだろうか、と。

教育・学習時間も比例するかもしれないが。

日本の働く労働時間を一日8時間から7時間位にすると、まぁ、建設業でも毎日1時間労働時間が減れば、

建造物なりを建てるのに、工期も長くなるし、まぁ、そういうのを考えても、国民全体の労働時間の違いは経済の発展にも影響する、と。

まぁ、労働する環境も整っていなければ、働きたくても仕事をする環境がないとなれば、労働時間とかそういう話でもなく。

自給自足でこと足りる人にとっては、労働時間はそれほど多い必要もあまりなく、衣食住があれば良いとか。

(国民の労働待遇・労働賃金も良く見合ったものであり、国民が充実した生活ができるのが良いだろう、
 単に労働時間が多いだけというのは、国民一人ひとりにとって、良くない、と。)



10月5日

本日は、

今日も、テロ側・悪魔側のテロの犯人共がメディアを利用して多くの人々を欺き、騙し、洗脳して、私を犯人にしたいとかで、いちゃもんつけている。

そういうテロ側・悪魔側のテロの犯人達の愚行を、テロ側が頭おかしいのは誰でもわかるっていうようなことをラジオで言っていた。

まぁ、ふつうに聞いていればたしかにアホでもわかるほどなのに、

テロ側・悪魔側のテロの犯人達は、そういう風に多くの人から見られているのに気づいていないのかもしれない。

そういう集まりの内で、メディアもテロ側・悪魔側の愚かな行いをしているものを持ち上げてるから、テロ側・悪魔側の愚かな行いをしている愚かな者が、

調子にのってるんだべや。

はたから見たら、テロ側のその悪魔・悪霊の仲間共が愚か者にしか見えない。

数年間見てても、テロ側・悪魔側のテロの犯人達は良識をもって話合いすらもできないんだから、

人の上に立つような集まり・器でもないし、すでに重い悪業を重ねているので、天神からもほとんど見放されているだろう。

天神からもほとんど見放されているので、真理を見ても、見えず、悪業を重ねている、と。

こうやって繰り返し同様の事柄を説いてあげても、一向に理解もできない、と。


私がテロ側の悪業者達・悪魔側の悪魔の仲間共は悪魔達だと言っている意味はわかるだろうか。

あなた方が段々と悪業を積み重ねて堕ちた結果を見てそう言っているんだから。

「殺す」だとかそういうのを聞いてると、仏陀の弟子として、社会人としても、テロ側・悪魔側の存在は、本当に厭離しなければならない存在だ、と思うよ。

段々と悪業を積み重ねて堕ちて行っている結果、賢人のいう良識からの欠如にも気づくことができなくなっている。


何で、こう何回も何回も言っても気づけないんだべな。

普通、すぐに気づけるような話でもあるが、

まぁ、普通っていうのも、人によっては極めて難しいこともある、と。


テロ側・悪魔側の者達は数年間、理法を説いても見れていない。


俺が、仏陀と法と仏陀の弟子に反して悪業をしているテロ側・悪魔側の者達は最後の人生(人としての生存)となる者も多いだろう、と言っているのは、

別に、私の独断と偏見によって言っているわけでもなく、理法を見て、言っているのであって、

テロ側・悪魔側の者達が、私の言葉を信じたくなくて、私のいたらない点のあげあしをとって、私を叩いたところで、真理が変わることはない。

私の言葉を信じたくなくて、私のいたらない点のあげあしをとって、私を叩いたところで、テロ側・悪魔側の者達の悪業にしかならない。

そもそも、私はテロの犯人とかそういうのでもないし、芸能人でもないので、ストーカーされてメディアでテロ側・悪魔側の者達に騒がれるのもかなり気持ちが悪い。


う~ん、「殺す」とかなんだとか悪語を発しているテロ側の悪魔(悪霊)の仲間共・悪しき者達をどうにか祓う方法はないのだろうか。

困ったもんだな~。


創価学会もカルト宗教だったし、娑婆の日本という国のメディアは黒い勢力が強い。

生まれも育ちも日本なんだけど、そういう裏で黒い勢力って、仏陀の教えによって厭い離れなければならない。

裏でも実は白いっていう勢力って、日本に限らず世界であるんだろうか。

白っていうのは、聖者のでいう純白。

黒い勢力っていうか、テロ側・悪魔側の導き手が、すでに正道から堕ちているからなんだべな。

導き手が黒いと、導かれる者も同様に黒く染まる。


善い染色者の教えを聞いて、人として、心から白くなるべきである。

善い導き手は、人々の心を白くするために来ている。





10月7日

本日は、

テロ側・悪業を受ける者達は、人の注意・忠告は聞いた方が善いよ。

真理の教えからの注意・忠告は聞くべきである。

盲亀の喩えでいう悪しき者の人しての最後の人生というのは、仏陀の教えから、確率的にももうほとんど最後の人生、とそう言われているのであって、

仏陀は嘘や妄想を説くような方ではない。

仏陀の弟子の阿羅伽の聖者方大勢も嘘や妄想を説くような方々ではない。

阿羅伽の聖者方はそれぞれ偉大な力があるので、他の人の嘘や妄想を見て、嘘・妄想だと知りぬく。

というのは、普通に教えを学んでいても道理によって理解できるが、自らで禅定をしていても、理解できる事柄である。


その恐ろしさが、教えから見えないだろうか。

これは、テロ側・悪魔側に堕ちた存在の事柄についての話。


何で、真理を見ないかな。

だから、見えないんだっ、ていうようなのを以前にも何回か言ってるね。

テロ側・悪魔側に堕ちた存在が、人として悪行をして笑っていられるのも、あと、数日、数年、数十年で、終了する。

テロ側・悪魔側に導かれて地獄に堕ちた愚かな者は、人としての生をうけることは、もうほぼない。

梵の一昼夜を越えた永遠のごとき期間で考えると、人として生を受ける可能性は無いことはない。

そして、梵の一昼夜を越えた永遠のごとき期間、悪しき苦しみの生存を輪廻流転して止むことはない。

人間として、数年間苦しみ受けるだけでも苦しいというのは、わかるだろう。

その苦しみを永遠と思えるような永い間、悪い苦しい境涯の生存を繰り返す、悪い輪廻流転にのまれることになるということ。

意味わからないんだろうかな。

私がその苦しみを受けるわけではない。

テロ側・悪魔側に堕ちた者がその悪く重い苦しみを受ける、と。


テロ側・悪魔側の者が、悪魔や悪しき妖術者に導かれているのが夢や幻ではないように、

仏陀の教え・真理もまた夢や幻ではない。


悪魔や悪しき妖術者に導かれているテロ側・悪魔側に堕ちてしまった者達が、

真理・理法に反抗して、そんなのはデタラメだとか言って、更に悪業を重ねたところで、

真理・理法は変わらない。

悪しき行いの者達・愚かな者は、悪く苦しい地獄の生存へと堕ちる。


悪魔側に導かれて地獄に堕ちた愚かな者は、人としての生をうけることは、もうほぼないという、

極めて恐ろしい事柄だということが伝わらないんだべかな。

伝え方が微妙に、ダイレクトに通じにくいんだべな。

要するに、仏陀の善の教え・真理・理法に反して地獄に堕ちた愚かな者が、そうなってしまったならば、

もう手遅れだというだ。

その、もう悪業を遂げて手遅れだ、または手遅れになる一歩手前にいるのが、悪魔や悪しき妖術者に導かれている悪処へと進んでいるテロ側・悪魔側の者達だ、と。

普通の人々は、そういう悪業を遂げてしまって手遅れとか、手遅れの一歩手前とかいうようなところに、普通にいない。

なぜならば、そのような悪魔や悪しき妖術者に導かれているというのに気づいて、知って、悪処へと進まないからである。


仏陀に破門されたダイバダッタのように、悪業を遂げてしまって、生存時からすでにもう手遅れと知られる者はいる。

しかし、仏陀は、全知者として、最上の慈悲をもって、そのような愚かなる者をも導いていたのである。


悪魔や悪しき妖術者に導かれている悪処へと進んでいるテロ側・悪魔側の者達は、善処へと進むことはすでに難しいだろう。悪処への道から抜けることもすでに難しいだろう、と。


心して取り組まれよ。


悪魔や悪霊や悪しき妖術者に導かれている者が、理法・善に導かれて、理法・善を見られるということは、ほとんどないだろう。

自らで見ても見ることができないし、さらに、悪魔や悪霊や悪しき妖術者に闇へと誘われて見ることがない。


仏陀や、仏陀の弟子の阿羅伽の聖者方は、愚かなる者をも、最上の慈悲をもって、真理・善へと導く。


仏陀を信じること、法を信じること、僧伽の聖者方を信じること。

仏陀に破門されたダイバダッタのように、悪業を遂げてしまって、生存時からすでにもう手遅れと知られる者でも、

仏陀と法と僧伽に、救いの光をみることができるだろう。


と、悪魔や悪霊や悪しき妖術者に導かれている者達は、自分達の犯した悪業が、自らに返ってくるものだということを知らない。

そういう真理を見ないところからも、悪魔や悪霊や悪しき妖術者に闇へと誘われて、さらに、真理を見られない。


悪しき妖術者達は、自らが敵対しているのは、仏陀や聖者、聖人方及び天上の王・神々だというのが、わかっているのだろうか。

仏陀に敵対して、おもちゃを振り回し、悪業を重ねて地獄へ堕ちる存在を善なる存在方は、ほぼ相手にしないし、見ないだろう。


だから言ってるんだ、って。


仏陀を信じること、法を信じること、僧伽の聖者方を信じること。

仏陀に破門されたダイバダッタのように、悪業を遂げてしまって、生存時からすでにもう手遅れと知られる者でも、

仏陀と法と僧伽に、救いの光をみることができるだろう、と。





10月8日

本日は、

地獄に堕ちた愚かな者が、再び人間としての出生するというのは、奇跡の奇跡のような出来事だということで、

悪魔や悪しき妖術者に導かれている悪処へと進んでいるテロ側・悪魔側の者達は、

仏陀の教え・真理を知っても、悪魔の側について、理法を説く人を殺そうとまでしているのだから、

世の衆生のため、その理法を弘通する、仏陀と聖者、聖人と天上の神々と、娑婆・世間の仏陀に帰依する善なる神々とに敵対しているわけでもある、と。

犯罪者の集いの者・また、ゲームだとか言って理法を説く善人を快楽殺人しようとして笑って悪業を重ねている集いのうちの者は、

悪しき行いの者・(真理にも)無知な者・愚かな者として、地獄や悪処に堕ちるだろう。

普通に世間の社会人として常識で考えても、悪魔や悪しき妖術者に導かれている悪処へと進んでいるテロ側・悪魔側の者達の愚行は、人の行いとしても最低最悪だべ。

世間の社会人の常識すらも、欠如してしまって、ゲームだとか言って、メディア等を利用して人々大勢を巻き込んで、愚かな行いをして笑っている、

そして、笑っている悪魔側の者達は、その悪行をしている仲間達と同じように、地獄や悪処へと堕ちる、と。

そのように、人間としてのほぼ最後の生存は終了していく、と。


ゲームだとか、そういうたいしておもしろくもないような愚かな事柄に、自らの生命の貴重な時間を使わずに、

もっと自らの生存時にも、死後にでも、自らに有意義になる行いをして時を過ごすことはできるだろうに。


悪魔側の悪行者も、悪しき妖術者も、自分は地獄に堕ちると感じつつ悪行をしているのも、いるんだべさ。

そう思っているのであれば、その生存は”人間としてのほぼ最後の生存”(後の輪廻でも、永いこと人間として出生することもできない)という可能性は大きいだろう。

自分の行ってきた行いは自分でよくわかるのだから。


私は”人間としてのほぼ最後の生存”という思いは全くでない。

天上に出生して、再び娑婆世界に戻らずに、解脱するというのであれば、”人間としての最後の生存”という思いはでる。

悪魔側の悪行者と、悪しき妖術者の思いとまったく逆。

それは、自分の行ってきた行いは自分でよくわかるから。


悪魔側の悪行者も、悪しき妖術者も、自分は地獄に堕ちると感じているのであれば、

自らの心が、闇のベールを何重にも被ってしまっている心を、自らで知り、

闇のベールを取り外して、汚れのない心で、理法を見るのが善い。

自らで闇のベールが取り外せないのであれば、

理法を通して、自らを見ると善いと思う。


”人間としてのほぼ最後の生存”というので、

まぁ、盲亀の喩えの再び人間としての出生するという確立は、地獄や悪処等堕ちる世界によっても異なるだろうが、

テロ側・悪魔側の者達と、悪しき妖術者も、真理を知って後、真理の善に反して理法を説く人までも殺そうとまでするのであるから、

悪業は世間の愚かな犯罪者の者よりも、とても酷いものだろう。


盲目の亀の喩えで、百年に1回のところを、1年に1回くらいでも、ほとんど無理だべっていう話でもあるが、


たとえば、風呂で輪ゴムを一輪浮かべるとするべさ。

そして、片方の手の指を一本立てて、目をつぶって、その風呂に浮かべたゴムの輪に指を通すというのですら、結構、一発で通すのは難しいと思うよ。

温泉の広い湯船でやったならば、もっと難しいわけだよ。

へたすれすれば、他の人が湯船につかろうとして、タオルを頭にのせたくらいにして、

あ”~、とか言って、湯船に入ってしまった勢いで、溢れたお湯と一緒に、輪ゴムが湯船から飛び出してしまうこともありえると。

そうなってしまったならば、百年どころか、千年立っても、輪ゴムに指を通すことはできない、と。

なぜならば、もう湯船に輪ゴムがないのだから。

そういう時は、排水溝に流れていってしまう前に、輪ゴムを戻し、と。


──





10月11日

本日は、

休日。

先ほど、動画で20年前のヒットメドレーを見て、

あらためて、20年も経っているとは・・・、と思った春です。

ZARDも20年位前だったね。

最近の子供達の(多く聞くような)恋愛の歌ではなく、ちょっと大人な恋愛が多く歌われておりますというような。

J-POP、バラード。

昔の歌をいろいろ聞いて、歌の内容を見聞きすると、日本は潰されますよ、というような雰囲気がかもし出されてた感がでているっぽい、というのを以前(昔)、聞いていたとき思っていた。

昔、国取合戦っていうのをプロフィールに記したのは、そういうのをも見ててね。

同時に、悪しき妖術者の集まりの愚行を見ててもね。

テロ・悪しき妖術者の集まりの愚行は、現在でもまだやっているけれども。

高齢化社会を見越されて、悪処に堕ち行く者が集まっているその者達が、日本をおかしくしようとしていたんでないのか、といようにもちょっと思い。

はたから見れば、テロ側の愚かな者達が、明らかに愚かで、国民大勢に「頭おかしい」と言われているので、その意味で、おかしい、と。


高齢化社会は、日本はこれからなる。

他の国でも現在若者の多い国は、あと五十年もすればなるんでないのか、と。

高齢化社会は、一つの国の問題ではなくて、世界の各国の問題でもある。

高齢化に対応した社会だよな~。


雨が降ってきた。

2時前なのに、太陽が隠れて暗い。

一昨日で台風のようなのはどこかに行ったはずだが。

なんか雨が強くなってきた。

雨、雨。

雨か~。


ところで、テロの犯罪者の集い・結社とかそういう集まり、悪魔に引っ張られている者や妖術者はどういう言い分で、犯罪行為をし続けているのよ。

最近思った。

どういう虚言でもって、悪行・愚行・犯罪・殺人行為を正当化しようとして、メディアで悪態をさらしているのか。

天上の良識・常識から見ても、どう見てもないだろ、その集いは。

集まりとしてはどこに進んでいるのか。

個人としては、悪行をして悪処とか地獄に赴く悪業を重ねているっていうのは見ててもわかる。


雨が弱まって明るくなった。

さて、と。


その後、


太陽が出て天気が良くなっていた。


本当の真実を知っているのは、私と、聖者方と裏事情に詳しい人、他等、であるということだな。

あとは、テロの集い・結社とかそういう集まり、悪魔や妖術者に引っ張られている者や、妖術者らが、人々を騙しているのと、

自分達も誘惑され騙されている、と。


俺だけ、唯一、きちんとした立場で物事を見定めることができる立場だな。

メディアで洗脳されたり、本当の情報もわからない立場の人が妄想を語ったところで

真実は見えない、と。

悪しき者に導かれて進んでいるので、真理も見えない、と。


真実を語ることができる立場。


テロの悪行者や妖術者と、そのメディアに翻弄されるだけの多くの人々を、

違う視点から、良識ある分別をもってみている。


テロの悪行者や妖術者と違い、真理を語ることができる立場。


何で、こういう立場にいるんだろうか、と。

真理を説く人は、独り、真実と真理に立っていなければならない。

最近で言えば、クリシュナムルティさんも、独りで立っていた、と。


仏陀の清浄(小乗)の教えは、清浄な人々にしか見えないのです。

この彼岸に到る乗物(教え)へ辿りつく道は、狭く、多くの人々はこの道がわかりません。

また、多くの人々はこの道を知りません。

喩えば、その彼岸に到る乗物(教え)は、大乗のように大勢で乗れるというものではなく、

それぞれが、独りで、乗って、渡っていくのです。

それぞれが、独りで、渡っていく。

そして、自ら安らぎの彼岸へと辿りつく。

そのような、清浄な行いによって彼岸へと渡る人、そのように彼岸へと渡る独り独りが、

大勢いれば、どうだろうか。

その理法を学び、精進努力した人々、それぞれ各人、その大勢が、彼岸へと渡ることだろう。

これが、仏陀の説いた清浄な仏教です。

小乗仏教という、本当の大乗仏教です。


大乗仏教は、多くの人々を彼岸へと渡そうという善意を持っているというのは、一般の人でも理解できることであろう。

しかし、仏陀の小乗の教え、世間の欲念に満たされている多くの人が見ることのできない、清浄な道・八聖道は、

多くの人々が、それぞれ各個で彼岸へと渡る教えなのです。


これもまた、仏教の基本のところであるが、大乗仏教の僧侶の方は、この違いを理解するべきである。




10月13日

本日は、

またまた、テロの犯罪者の集いが、真理を見ないで春を見ている。

これから冬だというのに。

真理を見れずに、春を見ている。


昨日仕事で夜間作業だったので、今日は休日ではないけど、

タイヤ交換をして、冬の準備はOKだ。タイヤだけ。


テロの悪行者達に見られている。

ストーカー殺人の容疑者達。

悪行・愚行・犯罪・殺人行為か。

なんで、人の道として、外れて堕ちているというのを、

理解できてないんだべな。


メディア等を利用して、一生懸命自分達の過ち、から目をそらさせようと、

毎日のように、テレビやラジオでも、罵詈雑言させている。

それでも、自分達が天上の存在であるかのような夢や希望をどこかしらに持っているという感じかな。


常識の、良識が欠如している。

そっちの妖術者は特に。


夢や希望をもって、最後の人生を終え、地獄に堕ちて、悪処の永劫の輪廻流転への流れへと堕ちる。

無信仰と真理に対する無知、愚かさによって堕ちていく。


テロの者からして見ると、

春が、たとえば、犯人だと思うことによって、犯人であればストーカー殺人は、天上において、許されるかどうか。


仏陀のおしえにおいて、

『生きものを(自ら)殺してはならない。また(他人をして)殺さしめてもならない。また他の人々が殺害するのを容認してはならない。

 世の中の強豪な者どもでも、また怯えている者どもでも、すべての生きものに対する暴力を抑えて。』


真理を知ったテロの者は、真理を恐れて、自らの愚かな行いを見ない。

「つしまが犯人であれば、私は(私達は、)その悪業を受けることはない」と。


しかし、わたくし對馬は何度も真実を語っているとおり、

私はそういう事柄の犯人でないし、そういうのと関係がないのであるから、

テロの愚行者に導かれ加担している者も、その過ちによる悪業を免れることはないであろう。


常識で考えたって、CMで「殺す」とか「殺せ」だとか言っている会社や企業が、普通の常識があるわけがない。

「そういう悪態は、我社では常識です」とか、開き直ったりしたならば、

こっちとしては、

「なに~っ、開き直ってるーっ」

”やっぱり、ミラクルっ”とか思って、

さらに、”あ~、(人の道からそれて)終わってるな~”とか、まぁ、思っちゃうだろうけれども、

そういう愚かな言い訳をする企業や集まりは、

そういう場合は、常識もないけど、人としての良識が、ないね、と。


周りの人たちも、そういう常識が欠如してしまっている人や集いや企業に、

それとなく、というか、はっきりと教えてあげた方が善いよ。


とりあえず、悪行や犯罪を犯していることに気づかせてあげることだべ。

まぁ、俺は数年間、気づかせてあげるべく注意をもしているのであるが、テロの者達は一向に自らの愚行を省みないのだよ。

人の忠告も聞かないし、仏陀の教えも聞かないという。

真理を見ない、善法を見ないという者達なのだよ。

まったく、困った者達だね。


そういう者達をどう思う。





10月15日

本日は、

水道水のカルキ抜きについて、

今日もまた、水道水でうがいをしたら、やはり舌がしびれるので、

とりあえず、水道水のカルキ抜きを再び動画で検索した。


まぁ、なんだかよくわからないが、

ストーカ殺人の容疑者達に狙われたり、嫌がらせを受けている春なので、

水道水にも何かされているのではないかという疑いを持ちつつ、

以前にも水道水の事柄を記したのだった。


(テロの集いのストーカー殺人容疑の悪行・愚行・常識がない酷い行いを、数年かけていろいろと受けているので、そういうのでも、個人的に疑念をもってしまってはいるが、この水道水の件が、テロの者が関係しているのかどうかは定かではない。
以前の水道工事の話は、一応、そういう流れもあったということ。一階の住人もテロの関連の者に通じているところがあるようなので。
家の水道水でうがいをするだけで、舌がしびれるのもたしかで、他の飲料でうがいをしても舌はピリピリしびれない。飲めば胃が痛くて苦しくもなる。
なんだったら、家のしびれ水を試しにわけてあげてもいいくらいな話だが、
塩素アレルギーの人もいるとかいう話なので、私もそのアレルギーそうなのかもしれないので、とりあえず、決定的にテロのせいとかいうのではなく、定かではないよ、と。)


で、カルキ抜きを改めて検索したところ、

沸騰させただけでは、塩素が抜けない、んだか、ぬけるんだか、

違うものも抜けるとかいろいろ言われている、が、

ペットペットボトル等に水を入れ、太陽光の紫外線に6時間以上当てると、

塩素が除去されるということであった。

室内に放置すると、2日~3日程かかってしまうそうだ。

他、塩素を除去する中和剤や、レモンの果汁等(ビタミンC)数滴で中和とか。


と、いうことで、私もやってみようか、と思っていた。


身体にあった綺麗な水を飲む人は長寿が多い。

とか、そういうのでもないんだろうか。


水道水の塩素除去は世界共通なのかな。


『水道水のトリハロメタン(Wikiより)


水質基準

水道水中の総トリハロメタンは、浄水場での塩素消毒の際に、水中の有機物の溶存有機物と反応して生成される。
オゾンを用いる消毒法ではトリハロメタンの生成量が塩素処理に比べて著しく抑制される。
ただし、臭化物イオン存在下では微量のブロモホルムが生成することが知られている。


トリハロメタンは、短時間の煮沸でも除去できず、逆に短時間の煮沸はトリハロメタンを増加させるというデータをあげて危険性を煽り、数十万円の浄水器等を売り込む商法が見受けられる。

このような浄水器の購入を検討する場合には、次のようなことをよく勘案する必要がある。


日本の基準値はWHOの基準値より厳しく、煮沸しても生成される量はごくわずかである。

・沸騰直後にはトリハロメタン濃度が一時的に増加するが、3分以上の沸騰により濃度は半減、10分の沸騰でほとんど消滅する。

・業者が使う検査キットは、厚生労働省の基準をはるかに下回っても危険であるように思わせる可能性が高いこと。

・上水道水中のトリハロメタンの数値は、既に厚生労働省基準の数分の1以下もしくは測定レベル以下となっているケースが多く、煮沸で数倍に増えたところで人体に大きな影響が出るとは考えにくいこと。

・人間が日常的に摂取、被曝している物質の中にも発癌性が確認または疑われるものが多数あり、仮にトリハロメタンによるリスクを除去したとしても、それは全体的な健康リスクの一部であること。

・浄水器カートリッジの供給が途絶え、浄水器の価値が著しく低下する可能性があること。



ということで、10分沸騰させて、さらに、太陽の光に6、8時間程あてると、いいんだろうか。





10月18日

本日は、

胃がとても痛い。

今日は、用事があって、札幌に行ってきた。

そして、ラジオで叩かれた。

”ま~た、悪魔達(悪魔の仲間達)に叩かれてる~、俺って辛いな~”と思い、

あとからまたちょっと聞いたら、あの二人が謝っていた。

ちょうどその謝っているところしか聞いてなかったから、謝っていた流れがわからないけれども、

謝るくらいなら、叩くべきでないよ。

しかし、悪いことをしてしまったので、反省して謝る、というのは正しい。


数年間かけて、ストーカー殺人をしようとして、「殺す」だの「殺せ」だのと、罵詈雑言しているテロの犯罪者の嘘を、真に受けて信じるっていうのは、

とても愚かな事だよ。


たとえば、あなたの友人の家に泥棒が入っていたとする。

その泥棒が、あなたに見られて、その友人のために家の掃除をしてました、と言って嘘でごまかすために掃除をしている。

そして、ある程度したら、金品を盗り、隠し持って出て行ったとする。

その後、家の主人である友人が帰宅すると、その泥棒は、犯罪者であって、捕まえて処罰するべき者であった、とあなたに告げた。

しかし、あなたは、その泥棒は、あなたのその友人のために掃除をしている、というのを真に受けていた、というようなもの。

言わんとすることがわかるだろうか。

また、その泥棒の仲間になり、その泥棒と一緒に盗みをする者、また、その泥棒と一緒に悪行・愚行・罵詈雑言する者、そのような友に似た友でない者もまた、このような場合、理法でいう悪しき者・愚かな者と言う、と。


仏陀の教え

『お前(悪しき者・愚かな者)は、塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑(地獄)に陥る。

 けだし何者の業も滅びることはない。

 それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。』


また、

『目覚めた人(仏陀)を誹謗し、あるいは出家・在家のその弟子(仏弟子)を誹謗する人、──このような者を賤しい人であると知るがよい。』



あと、今日、田舎の札幌から、田舎の函館へと、マイカーで帰って来る途中、宇多田光等、昔の曲を聞いていたんだけども、(車のCDチェンジャーのCDを昔からほとんど変えたことがないので、いつも聞いている曲でもあるが)

どう聞いても、私は昔からなんか意味不明に狙われているのではあるが、

もう、いろいろな歌なりを見聞きしてきたけれども、はっきり言って、真相は、彼女(さえという悪霊とその憑依者のさえではない)に聞いた方がいいだろう。

はっきり言って、俺は、なんか昔から狙われいるというか見られている意味もわからない。


彼女の家系、血筋の話は、彼女から聞いたがその関係で何かあるのではないのか、と。

あと、逆に、俺が彼女と関係を持つことになったことにより、彼女の受けているとばっちりを受けてしまったのか、とかも考えたが、

そうなると俺が別に狙われていたという訳でもなく、彼女が狙われていたということになるが、

しかし、俺がなんか狙われているんだよね。

いやいや、その時お互いに合ってすらいないよ、とも思うけれども、

合ったことすらないときに、怨まれているとかいうのも、意味不明だし、昔から見られているというのも意味不明だ。


テロの集いのような、神という傘を着た風な、神のためなどというような言い訳をして、邪念を抱き、悪魔の業を行っている者達とはまた違う趣旨なのか。

元を見れば、同じ流れなのか。

テロや悪しき妖術者の悪行を止めたいのか。

自らが死にたくないだけなのか。

と、いろいろと考える。


気持ちは悪いわ。


俺からしてみれば、俺に真相を言えっていう感じなんだけど。

言ったら言ったで、また、大変なのかな、とかも考えたりする。

なんかいろいろ意味がわからないので、

最近は、あの関係を持っていたときは、あれは夢だったのかな、とか思うこともある。

いや~、でも居たんだよな~とか、思い。

まったく意味がわからない。

俺の胃が痛いのだけは、はっきりしているっていう話だな。


は~、そういう意味不明なのに巻き込まれて、死にそうになっている俺って大変だな~と思うわ。


中途半端な能力者の絡みは、善悪の分別のところでなくて、良悪のところで迷走しているところが、

危なっかしいところでもあるだろう。





10月20日

本日は、

喉の扁桃腺に小さな膿栓が出ていたので、耳鼻咽頭科に行ってきた。

昨日、ちょっとだけつまようじでいじっても取れなかったが、耳鼻科の医師がピンセットで取ったらすぐに取れた。

最近は、忙しく、家に帰ってからもする事もあったので、現在、わが家はとても散らかっているのである。

する事も終えたので、ぼちぼち掃除をしていこうかと思っている春であった。


先日も記しているが、最近、テロ側の存在を悪魔達と呼ぶのは正しいのかどうかというのを考えていた。

仏陀は悪魔でない存在を悪魔とは言わないだろう、という事を考えながら。

そういうのを考慮しつつテロ側の存在の悪行・愚行を見て、悪しき存在と一緒になって悪行をしているのを見聞きして考えると、

テロ側の存在の、その悪魔と一緒になって悪行をしている悪魔の仲間達は、やっぱり悪魔達(悪魔の仲間達)という言葉で表現しても、間違いではないな、という

結論に至ったのであった。


いや、本当に悪魔でない存在に「お前は悪魔だ」と言ったら、悪魔でない存在は不愉快だろうから、

私自身も、無知な者に「悪魔だ」とか言われたら、”仏陀の理法を説いている仏陀の弟子を誹謗する、この愚かな者は地獄へ堕ちる、”というように思うので。


テロの存在の無知による悪行・愚行、そして、その悪行・愚行による悪業。

その悪業は、その愚かな者自身を、永く苦しめることとなる。


そういえば、私のお尻の件は、お尻の筋肉を手術でとられて、そのように、私の身体は悪しき者達から障害を受けてしまったので、私自身どうこうできないところが多々ある。

が、その件について悪しき者達はいつも笑って騒いでいるが、お尻の筋肉の写真は、まぁ、白黒写真にして生々しい感じでなくしたものを、公開しておいてもいいかな、と最近、思っているので、

まぁ、公開するかな、と。

悪しき者達が、悪魔達と言われる所以の、悪行・悪業の内の一つ。

テロの存在が妄言を言っているとしても、テロの悪魔の仲間達から、聖者方と善処は遠いところにある。


仏陀は、悪行を善しとはしない。

神は、悪行を善しとはしない。


仏陀は、善行を善しとする。

神は、善行を善しとする。





10月21日

本日は、

仏教の他の宗教の人が、「仏陀は霊魂を否定したので六道輪廻は説かれなかった」、という認識を持っている人がいる、のを動画で見て、

これは、仏教徒でも、仏陀は霊魂を否定した、という事で、また、霊的な存在をも否定しているのだろうか、というように、迷っている人もいることだろう。

と、いうことで、

仏陀の教えでいう霊魂(アートマン)に関して、


 霊魂という概念に関して



 守護を条件として生じる、争い等の多くの悪しき不善の事柄に関して





10月27日

本日は、

少し、考えてみようか、と。

俗に昔から言われている話による考え方について、



 昔話

「昔々、あるところに、優しいおじいさんと、優しいおばあさんが住んでいました。

ある日のこと、おじいさんは、山へシバ狩りに、

おばあさんは川へ、センタクに行きました。


 そして、おじいさんが、山へ行くと、空に輝く奇妙な物体が現われました。

輝く物体は、ものすごいスピードで動いていて、まさに、現在で言うUFO(未確認飛行物体)でした。

しかし、おじいさんは視力が悪いので、UFOに気づくこともなく、シバ狩りを終えて帰り支度をしていました。

すると、UFOがおじいさんのすぐ近くに着陸をして、UFOから人型の宇宙人が降りてきました。

そして、おじいさんに言いました。

「ワレワレは、宇宙人だ。背負っているものを置いていけ」と。


 このように、グレイのような宇宙人に言われたおじいさんは、

意味がわからないので、丁重にお断りをしました。

 そこで、怒った宇宙人は

「コン、コン、コ~ン、コーン」(訳 何だと、地球人め、なまいきな。では、お前に憑いて呪ってやる」と言って、

去ってっていきました。

 それから、おじいさんは家にもどり、おばあさんにその時の出来事を話しました。


 その後、おじいさんは人が変わったように、性格が悪くなり、

 毎日のように、おばあさんや、近所の人々に、大声で罵詈雑言して、外に出ては、公共でも「死ね」だとか「殺す」

だとか言うようになりました。

 その様子を見たおばあさんは、もしや、おじいさんが山へ行ったときに、『×××』につかれたに違いない、と、思いました。

云々。」



という昔話、をしてみたのだが、

この話の、おばあさんの思った『×××』というのは、果たして何のことだと思いますか。



ヒントとして、

この内のいずれかです。

・善の神

・性格の善い霊

・天使

・悪魔


俗に昔から言われている話による普通の考え方での答えです。

世間の常識の問題です。



 この問いをしたのは、言うまでもなく、罵詈雑言しているテロ・テロ側の者が

何者かに憑かれているとしたら、果たしてどのような存在に憑かれていると思うか、ということ。


答えは、常識で考えれば、自ずと導き出されるでしょう。





10月28日

本日は、

数日前にコカ・コーラをペットボトルで1本購入して、昨日飲んだら、なんと、今朝目に痛みが出た。

目の痛みのほかの要因としては、ストーブによる部屋の乾燥だが、今朝は加湿器をつけていたので、

50%近く湿度があった。

乾燥によるものも、考えられなくもないが、ストーブももう数日前から付けていた。

ということで、コカ・コーラを飲むと目に痛みが出るという結果が出た。

昨日は半分位飲んで、今日でもう半分位飲もうかと思っている。

1本飲みきる前に、目に痛みがでるという驚きの結果が出たが、

他の人も、ドライアイに近いような痛みがでないんだろうか。

まぁ、しかし、やっぱり味はいいと思う。

他の人は、痛みでないんだろうか。

不思議だな。


で、コカ・コーラを飲んで、味は美味いな、という感じで動画を見ていたら、

ユダヤ教とは何か(YouTube) という動画を発見。

https://www.youtube.com/watch?v=dgB7D4H3iNc


(ユダヤ教の人々が踊っている動画の、その踊りの歌に)日本語で汚れた泡が歌われている。

踊っている人々は、どうだか、そういうのを知っているんだか、知らないんだかは知らないが、

日本語の悪語をが入ってても、踊っている人たちは、日本語を知らないときづくことはないだろう。

(一応、日本語がわからない人のために、踊っている歌の汚れた泡を表現すると、日本語で聞くと、歌の内容は酷く汚れていて、とても清浄という境地に辿りつくような歌の内容ではない。 )


しかし、この動画の人々はどうだか知らないけれども、実際テロ側の者って、さっぱり内容がわかってないでも踊っている人が大多数だろう。

そういうのも、真理・理法から遠いっていう話になる。


今日はまた、悲しくなるような微妙な動画を見てしまった。


他の動画を見たら、ユダヤ教の他の踊っている動画でも、汚れた泡が歌われていた。

ユダヤ教の動画でも、罵詈雑言を受けた春。


罵詈雑言は善ではない。そして、清浄な神・神々から遠い。

というのは、世間で常識の話である。

そういう罵詈雑言という悪しき行いをしている、という話になると、文化の違いとか、宗教の違いとかそういう話でもなく、

人としての最低限の、常識のあるなしの話だからね。

ふぅ~っと。

困ったもんだね。





11月1日(2015年)

本日は、

ユダヤ教とは何か(YouTube) という動画

https://www.youtube.com/watch?v=dgB7D4H3iNc

を見てみたが、罵詈雑言が消えたようで、椅子に座っていたひげの長い老人が、回って踊っているときに、何かしゃべっていたところもカットされているようす。

悪行を反省するのは善い。


その真理に反して犯した善人に対する悪しき業を悔いるのであれば、私にもそうだけれども、仏陀にも謝った方がよいでしょう。

というのは、その悪業を為した人のために伝えておこう、と。


しかし、そのような悪業をおかしては、真理は見られない、という真理に、気づくということがなければ、

いろいろ見えないだろうと思う。

道理で言えば見えない。


しかし、道理を見ていない人は、その人なりに、私達にしか真理は見えないという偏見を抱く人もいることだろう。

と、いうことで、そのように思うのであれば、わたくしのHPの、仏陀の教えの縁起の理法を自らでご覧になって、自らの心で、自らの縁起を見てみると善いでしょう。

偏見もまた、真理を見るのに障害となります。

真理を学び、自らで道理を見て知って、自らの偏見をも滅していく。


そのようにして、人は清浄に近づいていく。

所謂、自らの欲望や怒りや真理に対する無知を滅して、神の教えを、偏見なく、清浄な心で見る。

そして、清浄な心で見れたとき、動画であったような罵詈雑言というような行いをしているような心では、真理を見るということができないのが理解できるだろう。


仏陀の教えでも当然な事柄ではあるが、

聖書でも、清浄な心をもつことを教えとして説いている。

なぜ、そのように清浄な心をもつという教えを説いているのか、というところも考えてみると善いだろう。

それは、あなたにとって善い。


(ちなみに、私が言う聖書とは主に新約聖書のことであって、旧約聖書のことではないけれども、旧約聖書でも、イエズスを通れる真理に通じている善の教えは含む。
なぜ、旧約聖書ではないのか、というのは、旧約聖書はイエズスが全部背負っているということなので、イエズスにお任せしていいということであるので。
ユダヤ教の信仰者は旧約聖書に依っているのであるが、旧約聖書の教えは、時代背景も考えて、文字の読み書きができる人も少ない時代、要するに、道徳・教養の少ない人が大勢いた時代でもあるというのも考慮して、そういう荒れ狂った時代を背景としているときに、与えられた教えであるので、極端な教えも含まれているということもあるのだろう、と。
そして、時代が経過していくにつれて、文字の読み書きできる人は、普通とされ、人々の生活水準も高上して、道徳・教養のある人も大勢いる時代になった。
そういうことで、新しい人々の段階に合わせた教えを、与えられるというのは、ありえることだろう。

あなたが、人に何か難しいことを教えるのに、いきなり難しいところを教えて、教えを受けている子らは理解できるだろうか。
順々に、その人々の準備の整い方次第によって、順々に教えを説いていくというのは、教え方としては、教わる人も理解できるのではないだろうか。

仏陀の教えを狩人に説いても、仏陀の教えという清浄な理法は、そのような愚かな者が理解することはない。
教えを受けるには、さきに、その狩人が悪しき行いを止めるということがなければならない。

悪しき教えが蔓延っている時に、イエズスがいきなり教えを説いても、理解されることは少なかったかもしれない。
要するに、旧約聖書の教えがあってはじめて、イエズスの教えが理解されるようになった、と。
そして、自らと使徒を通して新しい時代にあう教えを説いた。

と、いうことで、旧約聖書はイエズスが全部背負っているということで、私が言う聖書とは主に新約聖書のことである、と。

でも、ユダヤ教の人は納得できないということになることもあるだろうが、
仏陀の教えを学ぶことによって、新約の言葉が善の道に則しているというのは、理解できるだろう。


たとえば、道徳・教養の少ない人が大勢いた時代というのを表現すると、

隣の人が道徳・教養がなく、野蛮で粗野で凶悪で、「死ね」とか「殺せ」とか「殺す」とか言っていて、態度が大柄な者がいるとする。
そのような人と、何か小さなことで喧嘩になってしまった時、そのような人であれば、喧嘩がすぐに殺し合いになることもあるかもしれない。

しかし、隣の人が道徳・教養があり、野蛮でなく粗野でなく凶悪でなく、親切で品があり優しく、いつも礼儀正しく、態度も腰の低い人がいるとする。
そのような人と、何か小さなことで喧嘩になってしまった時、そのような本当に心の優しい人であれば、喧嘩になるということもほとんどないだろうが、喧嘩になったとしても殺し合いになるということはほぼないだろう。それどころか、謝ってまた、再び仲良くなろうとしているということもあるだろう。

この二人の隣人に対して、教えを説くとすると、どのような教えであれば、理解できるだろうか。


清浄な理法は、愚かな者が理解することはできない。

その目があまり塵に汚されていない人々も、法を聞かなければ衰退していく。

しかし、聞けばやがて真理をさとるものとなる人々もいる、と。


このように、隣人の道徳・教養のあるなしの違い、要するに、その時代の大勢の人々の道徳・教養のあるなしの違いによって、教えを説いても理解できることもあり、理解できないこともある、と。)





11月3日

本日は、

動画を見て、第二次世界大戦の太平洋戦争という大東亜戦争の日本という国を見て、以前にも少し見たことがあるが、昨日改めて、日本の戦争をしたという理由を知った。

学生の頃は、授業中、歴史の時間はほぼ寝ていた等で、その内容もほぼ知らないという状況であったが、そういう内容であったのか、と。改めて知った。

日本人だけど、日本は欲をたけて、領地を拡大するために戦争していたのだろうと思っていたが、

そうではなかった、という衝撃を受けて、日本の先人方に対して申し訳なく思い。

https://www.youtube.com/watch?v=w47lFI3Wqq0

https://www.youtube.com/watch?v=9-r5o1H_YSk

(石原さんの話で[日本が敗戦の後、連合国軍最高司令官として統治支配したマッカーサー元帥が解任された後、アメリカに戻って、アメリカの上院で日本の行った戦争についての証言。
  アメリカの議会でマッカーサーは日本のした戦争は自衛のためだったと証言している]という内容の話、の動画。)
 (そして、一応、一応ね、記しておくけれども、動画でハル・ノートっていうのを言っているが、私が自分のことを春って言っているのと全く関係ないし、動画を紹介しているのは何かの意図とかそういうのも全くない。その時代、私は出生すらしてないからね。変な詮索をして私にいちゃもんをつけようとしないように。
 ユーチューブの動画で、この第二次世界大戦関連の日本は自衛のために戦ったという内容の話の動画は、他にも多くアップされているようなので、自分でいくつか見てみると、話の内容は誰でも、だいたい理解できそう。他の動画かサイトの記事で見たのだが、当時の連合国軍の物資の総量と、日本国とその連合の国との物資の総量をざっと見るだけでも、日本国とその連合の国が戦いに勝つという見込みはほとんど無理だろうと思われる状況をみると、日本は最初から自衛のために戦ったのだろうと私も思わさる。明治・大正・昭和の頃の日本の写真と、明治・大正・昭和の頃のアメリカの都市の写真を見ると、技術の進歩の差が一目瞭然のように見える。見た感じ差が歴然としている。そういう物資や技術の差を見ても、日本は自衛のために戦ったのだろうとも思わさる。)

https://www.youtube.com/watch?v=pb5z2S2XLY8

(https://www.youtube.com/watch?v=mHNmoPm__iw

『田母神さんの話で、アメリカ共和党党首ハミルトン・フィッシュ(のメモより)「アメリカ政府が日本政府にハルノートのようなものをぶつけているとは、外交員の私ですら、知らされていなかった。あんなものをぶつけたら日本も戦争に訴えたくなるだろう、と。真珠湾攻撃を日本がしたとき、ハミルトン・フィッシュもそのことをわからずに、日本を卑怯な国だと叫んだ。共和党は当時日米開戦に大反対だった。ハミルトン・フィッシュは40年間この日米戦争を研究してきて、驚くべき発見をした。ハル・ノートを書いたのは誰かということだ。これはアメリカ人もこれを知ったら本当に驚くであろう」というような内容の話、の動画』

 https://www.youtube.com/watch?v=XaDSy0J_YTQ等、他。

『米国の最後通牒を受けとったとき、日本は四年にわたる戦争の結果、中国のほとんどの海岸線、大都市、かつ広範な領土および、満州全土を掌握し、極東最大の勢力となっていた。という話で、この話を聞くと、日本が中国の広範な領土を掌握していた時もあったんだとはじめて知ったが、であれば、明治・大正・昭和の頃の日本の写真と、明治・大正・昭和の頃のアメリカの都市の写真による比較はあまり参考にならない。

ハミルトン・フィッシュ「日本との間の悲惨な戦争は不必要であった。これは共産主義の脅威を恐れていた日米両国にとって、悲劇的であった。我々は、戦争から何も得るところがなかったばかりか、友好的だった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。イギリスは、それ以上に多くのものを失った。イギリスは中国に対して特別の利益と特権を失い、マレーシア、シンガポール、ビルマ、インドおよびセイロンをも失った。──日本の物的、人的、精神的被害は計り知れない。」というような内容の話、の動画』)



日本の過去について、真実であるとされる話をもっと知りたい人は、動画の話だけを鵜呑みにしないで、専門家に直接あたってみるといいと思う。
動画もすぐ編集できるみたいなので、動画の話や世間の作られたものに洗脳されないように、このような話だけに限らず、何事も、真実を知りたい人は自分ででも調べるのが良い、と思う)



植民地支配を受けそうになったので、抵抗をしたということであったということだが、

現在の日本は植民地ではないということだが、

植民地というのは、そもそも他国から政治的・経済的に従属させられた地域と定義されているが、

日本は結構海外の国のいいなりになっているようなところもあるから、なんだかんだで結構植民地になってるようなものでもないのかな、と思ったりもするけれども、

ポツダム宣言の内容を見れば、こうしなければ、日本は壊滅させる、という、そのこうしろ、と強要する内容は、

日本国の人々をよい方向へと導くような内容なので、強要されなくても、そうした方がいいと思える内容であるので、

逆に良かったのかなという感じを受けたが、実際はどうだったのだろうか。

その後、日本国は民主主義の国になった。

しかし、そうなると、植民地支配されるので抵抗したというのは、民主主義になるというのに抵抗したということでもあったのだろうか。

転輪聖王のような聖人が、善法で統治してくれるのであれば、民主主義でなくても善いとは思うが、

そのような聖人が世に現われるのは少ないだろうから、やはり民主主義が無難なのかな、と。

あと、東京裁判のラダ・ビノード・パル判事のような、独りの人としての行い、は素晴らしい、と思う。



というように、歴史についての勉強をしてこなかったのがつい露呈されてしまったが、

日本の教育ではきちんと真実は伝えていたのだろうか。

実は、学生の頃、授業中に寝ていたから、その内容をほぼ知らないというのでなくて、

授業でも、歴史の教育としても真実を伝えていないというのであれば、

私の歴史の認識が薄いのは、私が授業中に寝ていたのが原因ということではない、ということになる。

というように、日本人は貪欲な心や悪しき心でもって抵抗したのではないんだな、と思って、

(アジア諸国の植民地化を解放するため抵抗したと言われている歴史を見ると)、一人の日本人として、日本人は良い人が多いんだな、と思ったりもした。


そして、日本人の由来について、日本人のDNAはユダヤ人と同じものがあるというので、

日本人とユダヤ人は同祖であるという話を動画でみたが、

ネットで結構昔から言われている話だが、

ユダヤ人と同祖であるならば、イエズスもユダヤ人ということだから、そうであれば、日本人と遺伝子が繋がってる可能性もないこともないのかな、と。

私としては、釈迦族の場合はどうなのかと気になるところではある。

ちなみに、アジアとして、日本人と、韓国人や中国人とは、モンゴロイドだが、遺伝子としては人種は違うということであるというのを見ていて、

私の遺伝子はどこ系なのかな、仏陀の釈迦族の系統と関係があるのかな、とか思ったりもする。

海外から見ても、日本人というのは、親切で優しい人が多いと見られているというのもあるようだから、

そういう優しい感じの遺伝子をもっているユダヤ人もいるということでもある。

ということで、日本人が仏陀の教えを理解するのであれば、ユダヤ人も仏陀の教えを理解することもありえる、と。

まとめると、ユダヤ人もそうであるが、ユダヤ人に限らず、善なる人は、仏陀の教えを理解する人は多いだろう、と。





11月7日

本日は、

胃が痛かったな。

ここ数日、我が家の水を飲んでも何故かしびれない。最近は、しびれ水ではなく、しびれない水だわ。

いや~、今日もまた、

『魔羅・悪魔

Ma-ra略して魔という。殺す者の意。または、一切の障り、悪魔などと訳す。

心身を悩乱し、善法を妨げ、人の功徳の財を奪って、智慧の命を殺すものに名づける。

即ち、生命を奪い、善法・善事を障げて、仏道の障礙を為すものをいう』の者達に

叩かれたな。「死ね」だとかなんとか、言葉の節々に入れたりしているのも、いつものパターンだが、

そういう殺人系の話で盛り上がっている。

そのような犯罪者達のかわらずのストーカーっぷりに、

仕事で4トンダンプを運転して残土を運んでいるときに、ラジオにあえて大きな声で一人事を言ってツッコんでいた。

今日の昼頃とか昼過ぎのFM放送のFMいるかやAM放送とか、今日のテレビの放送、CM等も聞くと、テロ側の存在の悪しき行いというのがよくわかる。

テロ側に悪しき存在が集まっているんだよね。

ホントに集まってる。

前から、今日も変わらずに殺人系の話をしている者や企業は本当に悪しき業がなっている。

仏陀の弟子は、悪しき者を厭い離れなさい。

仏陀の弟子は、悪しき者と親しんではならない。

仏陀の弟子でなくても、善いところや善い友、善い神々との縁を欲するのであれば、悪しき者と親しんではならない。

なぜならば、自らもそのような悪しき者になっていってしまうからである。

テロ側の存在が普通の人の精神状態からさらに外れてきているのに、気づけないでいるのも聞いててもわかるべさ。

真理に反して悪行をしているわけだから、ホントに地獄に堕ちる存在も多くいるだろう・・・。

天上の明るく楽しく快い世界へ導く道も示されているのに、地獄の道を自らで選んでいるテロ側の者達。


ラジオ等でいろいろ二枚舌を言って、馴れ馴れしい者も多いが、こっちからしてみると、その前に、「お前は誰よ」っていう知らないテロの者がほとんど。

私は仏陀の教えによって、悪しき者と親しんではならない。故に、ラジオで私をいろいろ知った風に罵詈雑言をしている者と親しんではならない。


邪悪な心で満たされた者が、邪道から抜けるのは、簡単ではないだろうから、心して取り組まれよと、忠告しているのに、ほとんど通じてはいない。

たとえば、そのような邪道を進むものに、善なる教えを説いても、あげあしを取って、不善の教えとして受け取り、殺人系の話となる者達がいるというような酷い状態。

テロの者達が繰り返しい行っている不善業を見なさい。邪道に行って、自らの悪心を堅固なものとしてしまった者達は、そのようになっている。そして、そのようになっていく。

そして、理法として、悪業を重ねた愚かな者は死後に地獄へと堕ちる。

そして、仏陀と仏陀の弟子の方々の集いが繰り返しい行っている善業を見なさい。八聖道に行って、自らの善心を堅固なものとした者は、そのようにならない。

そして、理法として、善業を重ねた賢い者は死後に天上の楽の多い世界へと上る、と。



しかし、今日もまた、テロ側の邪悪な心があるテロの者達が殺人系の話で笑って楽しんでいたようだが、

今日はまた、どこら辺で悪魔に釣られてしまって悪魔の業を重ねていたのか。

え~と、順番に読み直していくと、


コーラを飲んで目が痛くなったというのは、

その後数日間、今日も目が痛かったから、コーラだけでなく、ストーブを点けていることによる乾燥でのドライアイの可能性もありえる。

ということで、目が痛くなったのは、コーラではない可能性もないこともないが、となると、前にコーラ飲んで目が痛くなったのは、どうなのか。

その時も冬でストーブを点けてたっけかな。しかし、コーラはね、飲めば目が痛くなってたからね。

何回か試してやっぱりコーラだという結論にいたっていたので。

しかし、1ℓも飲まないで次の日に目が痛くなるというのも、ちょっと、そこまで有害な飲み物なのかっていう話にもなるからね。

ということで、今回の目の痛みはコーラではない可能性がある、という経過による可能性。

コーラは、夏のストーブを点けていない日に試し飲みをすると、ストーブによるドライアイの可能性はなくなるね。

ということで、夏に試しの飲みをするか、という話もありえるが、

今回、ストーブによるドライアイなのかもしれないが、実際に目が痛くなったので、もう、コーラの試飲をしてあげようと強く思わない、が、

気がむいたり、何か機会があったら、また、試してみるかもしれない。飲む量が少ないっちゃ少なかったからというのもね。

ということで、未定。

コーラは、コカ・コーラ以外のコーラも、コーラってあるからね、

他のコーラはどうなのか。っていうのはわからない。

歯がとけるとかいうPhの事柄は、wikiで記されているとおりなので、自分の歯を大事にしていきたい人は、あまり飲まないのがよいでしょう。


そして、ユダヤ教の件は、

動画は、あれは酷かったから、別にそのままだが、

遺伝子とか、日本神道系の祭式等をみて、日本人とユダヤ教の祖先が同じであるという可能性については、

遺伝子が似ているというのも、あるということだが、実際はどうだかは定かではない。遺伝子はあとで、検索してみようかなと思っている。

そして、とりあえずはっきりさせておくが、わたくし、對馬弘はユダヤ人ではなく日本人です。先祖にユダヤ人がいたかどうかも全く知りません。

昔、友人に、鼻の骨の上の部分が角ばっているので、「これユダヤ人」っていう冗談で言ってしまったことがある。(自分の鼻の形を指して良い意味での冗談。鷲鼻の人は系統がユダヤ人系だと思っていて言ったのだが、検索をしたら鷲鼻はユダヤ人の特徴というわけでもなさそう。どうだか定かではない。)

あとから、俺はユダヤ人でなく、日本人。って言いなおしたけど。

俺は、スーパーサイヤ人だというようなことも冗談で言ったことがあるが、

スーパーサイヤ人の話も、「俺って実は、スーパーサイヤ人ではないっさ」って言いなおしたな。

他の話は、割愛しておく。


あと、聖書の話は、聖書に記されているイエズスの言葉の通りで言うならば、イエズスを通れる旧約の教えは、神に通じる。

何か問題があるのであれば、私にツッコむのではなく、聖書に、イエズスにツッコむべきだろう。

イエズスの言葉で言えば、イエズスが背負ってくれているのだから。


聖書の話は、たとえば、聖書で、上から幕のようなものが降りてきて、その中に生きた鳥がいて、その鳥を食べなさいと神は言ったが、その言われた人は食べなかった。

まぁ、普通食べないだろうけれども、さて、覚った聖者方であれば、どのようにしたでしょうか。

そもそも覚った聖者方を試すようなそのような無駄な事柄をする神はいないだろうとは思うが、

覚った聖者方は、殺生をしないので、食べるわけはない、と。

生贄等の事柄も、教えで示しているとおり、覚っている清浄な聖者方はそのようなところに近づかないのである、と。


ユダヤ人や日本人、中国人、韓国人、宇宙人等の人種の違いは、根本的にどうこう言うところでもないというのを、

先程悪しき日本人が同じ日本人に罵詈雑言しているというのを考えて改めて思った。

ユダヤ人でも日本人でも、中国人でも、韓国人でも、清浄な人もいるし、悪心をもつ人もいる、と。

たしかに、その民族の教養や習慣等によって、凶暴な人が多いのや、慈悲をもっている人が多いという違いはあるだろうが、

人種の違いは、根本的にどうこう言うところでもない。

理法のとおり。

どこどこの人種は天上に上る、しかし、どこどこの人種は地獄に堕ちるという、教えは説かれていない。


行いによることについて


人は、人種の違いによって善処へと赴くのではない。

人は、自らの行いによって善処へと赴くのである。

というように、理法へと戻ってきた、と。


あと、話は変わるけども、釈迦族の話は、釈迦族の姫の顔をあらわすのは、日本の祇園の祀りはその事柄を模しているのかな、とか思ったことがある。

また、他にも日本の世界遺産の五重の塔は、仏陀の話を伝えている。


あと、第二次世界大戦のような争いは、基本として、争いに関する教えのとおりであり、また、殺そうと争う人々を厭い離れなさい。

そもそも戦争の話は、私が仏陀の弟子として記すのに相応しくないが、世界が巻き込まれてしまった戦いの、間違った認識をもっていた自分と、他の大勢の人の認識も、正しい認識へと導こうと思い記したが、

ポツダム宣言の内容を、改めてきちんと見てみるか、と。

動画で見た内容での話をしていたんだが、どれ、検索をしてみて見るか。



『ポツダム宣言

千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)

  • 、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
  • 、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
  • 、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ
  • 、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ
  • 、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
    吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
  • 、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
  • 、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
  • 、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
  • 、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
  • 、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
  • 十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
  • 十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
  • 十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)』


という内容なので、日本人を奴隷化を意図していないということは、明確に言うと、植民地ではないということであろう、と。


ポツダム宣言を見て、

『ポツダム宣言の内容を見れば、こうしなければ、日本は壊滅させる、という、そのこうしろ、と強要する内容は、

日本国の人々をよい方向へと導くような内容なので、強要されなくても、そうした方がいいと思える内容であるので、

逆に良かったのかなという感じを受けたが、実際はどうだったのだろうか。

その後、日本国は民主主義の国になった。』

と、以前に記したのであるが、あなたはこの宣言を見てどう思いましたか。



ラダ・ビノード・パル判事の事柄については、戦争の敵味方での話で素晴らしいと言っているのではなくて、

独りの人として、真理を見て、物事の善悪を分別しているのが、独りの人として、素晴らしい。





11月8日

本日は、

今日も午前中仕事。

今日もテロ達の騒いでいるのを見聞きしていると、すでに暴徒化している感じで、殺人系の話で騒いでいる。

最初から、テロ側の存在には勝義がないから。

犯人でない人を、何だかよくわからん犯人にしようとして、嘘で固めようとしているところもすでに、道から外れている。

そういう根本的なところからできてないもの。


お尻の筋肉の写真を公開しようかと思い、カラーから白黒にしようとしたら、そういう機能がなかった。

テロの者達の悪事を証明するために、わざわざ面倒なさぎょうをしなければならないという。

悪事の証明か。

まぁ、現状の日本のメディアまたは、函館近辺のメディアを見聞きすれば、テロ側の悪事はすぐに理解できるものだが、

しかし、テロ側の悪しき洗脳は、一般市民にじわりじわりと浸透してきているのもあるらしく。

今日、犯人扱いされた目で見られたかな。微妙だな。

そういうように、テロの悪行者達は大勢を騙している。

その行いがすでに、悪処へ進んでいるんだというのに、言ってもほとんど聞かず。


例えば、道を知っている人は、道を知らない者達が、諦らかに道を外れているのを見て、「そのまま進めば、崖でもう後戻りもできずに奈落に落ちるから、そっちへ行ってはならない」と忠告をするが、

道を知らない者は、悪しき者に先導され、さらに洗脳されて、悪魔は「そのまま悪行をして馬鹿騒ぎしつつ愉快に進んでも問題がない」というのを、まに受けている。

そういうところもね。信仰心っていうのは、大きくその人の輪廻を左右する、と。

テロ側の者達は、これといった秩序も考慮せずに、洗脳されて暴徒化しているべさ。

そういうところも、悪しき存在に先導されても、気づけないところだろう。

普通気づけるところでもあるが、テロ側の先導は、思いを読んで操って悪事をしている妖術者が付いているから、

なかなか、テロ側の暴徒達が頭おかしいというような行いをしていても、

正常な判断を失わされているっていうのもあるだろう。


だから、俺みたく、独り仏陀の弟子として立って、そういう妖術を見抜ける人は狙われると。

魔羅に勝てる教えは、仏陀の教え以外にないんでなかろうか。

密教とかも、邪念を祓うというのも有効だが、しかしその密教もまた、大きく言って魔羅の手の内にある、と。

そのような事柄も、仏陀の教えを学ばなければ、気づくことすら難しい。


教えから言っても、テロ側の存在の行き先はすでに、だいたい見当もつく、と。

普通に考えても、テロ側の存在が正しい道に戻るっていうことすら、難しいよな~、と思うもの。

それは、上記に記しているように、根本的なところから、正しい道を外れていってしまっているから。


以前にも、悪しき能力者・悪しき妖術者に気をつけなさいというように忠告しているのに、

仏陀の弟子の忠告すら聞かないのだから、まぁ、悪魔に誘惑されて、悪処へと進んでしまうのも無理はない。

善へと導く人をも、亡き者にしようとしているのだから、正しい道から外れているというのも諦らかな事実。


自らの心に善をもたないと、またさらに悪処へと進んでいくことだろう。

テロ側は一般の性格の悪い者、悪しき者、愚かな者、無知な者だけでなく、悪魔や悪しき妖術者が絡んで無知な人々を巻き込んで悪事をさせているんだから、

通常の世間の考え方だけでは、その悪事の道から抜けて、聖者方の道に戻ることも難しいだろう。


テロ側として悪行をなした者の多くは、慙愧心を欠いて、正見に入ることも難しいこともあるだろうが、

仏陀の善の教えを学び、八正道を実践するのが善い。


しかし、悪業を重ねて、すでに暴徒化している者達に、教えを説いても、通じるわけがない、ということもあるから、

そういう者達に関してはどうしたものだろうか、と。

やっぱり無視するべきなのか。

「私は、悪しき者を見てはならないのだ」と。


FMラジオの88.8で、名前を言って、殺せだとかなんとか言ってるし。何人。

二胡奏者ジャー・パンファンという名の中国人だということで、

中国人にも罵詈雑言された。

日本にきて、日本人を暴徒化させるような発言はするべきでないよ。

人として、悪行を先導してはならない。

そのような行いは、中国の思想からくるものがあるのか。

諸葛亮孔明の話をしていたが、三顧の礼の話をしていたが、

日本人を暴徒化させるような罵詈雑言は、そもそも礼儀を欠いている。

孔明等の中国の賢人から学んでも、人としての礼儀は身に付かないということだろうか。

老子の道教は、微妙な言葉の解釈の部分も見られるが、目がいいと思うのだけれども。


老子の言葉は、天についての、人としての道というものを見ていると思える。

仏陀の教えを理解する人はいると思う。


老子は中国人か。





11月9日

本日は、

不老不死という事柄に関して。

人間は、あらゆる富や権力を手に入れたならば、長寿、不老不死、善処(天)への出生をも求める。

以前にも同様の事柄を記しているけれども、地球の過去の歴史の人々王族は多かれ少なかれ、それらを求めた。

 では、人間は、富や権力にひかれずに、生存時に、次の生より善処(天)へ出生するという確証を得た人は、何を求めるだろうか。

 この世の状態とある天の境涯とを比べるならば、天の生存者は、業(苦)にみちた人間界を望まず、その人間界は痛苦のところであるという。

天に比べるならば、不快で降りたくはないところである、と。

 次の生より善処(天)へ出生して、現状よりも気持ちの善い、楽しい、安らぎある生存者になるとするならば、

果たして、不老不死を求めるだろうか。

 長寿や健康は、まぁ、修行するために、長寿や健康であるのはよい。

 現状のこの争いや欲望のある存在が多く苦しみの多い世界から、天の楽の多い心地よい世界へと行けるという確証を得ている人は、果たして不老不死を求めるだろうか。


富や権力を手に入れたならば、その状態を維持すべく、その自分にとって最高の境地を維持すべく不老不死をも求める。また、

その富や権力を手に入れた者が、その状態を最高だとしている境地を享受できるのは、数年間・数十年間だけしかないという。

人生はこのように短い、ということによっても、その自分にとって最高の境地を維持すべく不老不死を求める。


 もしも、善処(天)の楽の多い心地よい世界は、その富や権力を手に入れた者が、その自分にとって最高の境地よりも、より一層、比較にならないほどに、

自らにとって最高の境地であると感じられる境地であると知っているならば、その富や権力を手に入れた者は、不老不死を求めるだろうか。

いにしえの仙人達は、不老不死を求めたとされる話はよく聞く話であるが、

彼らは不老不死に何を求めていたのだろうか、と。

次に、楽が多く待ち受けているというのを知っている人が、現状の苦の多い状態を末永く享受しようとする、ということを求めるだろうか。


いにしえの仙人達は、不老不死を求めたという。

ここで、不老不死を求めて、現状の苦の多い状態を末永く享受しようした仙人達は、その苦の多い世界よりも天上の楽の多い世界というものを知らなかったのだろうか、という疑問も生じる、と。

自らにとって最高の境地であると感じられる境地よりも、さらに、比較にならないほどの善い境地があると知っていたならば、苦の多い痛苦の多い世界での不老不死を求めるだろうか。

自らに苦の多い痛苦の多い世界での不老不死より、天上の自らに善い楽の多い境涯を求めないだろうか。

聖者の教えでは、天上の世界は、現在のこの世界よりもさらに、より一層、楽が多いと説かれる。


世の民族宗教や民間宗教というものの多くは、その見える境地、見ることができる境地により、そこに留まり、また、そこより脱することがない。



仏陀は、それらの境地を知って、そこより脱する道を説き示す。

また、仏陀は、天への道をも説き示す。

そして、仏陀はそれよりも最上安楽である、あらゆる苦の滅尽にいたる道を説き示す。





11月10日

本日は、

仏陀の側・聖者の側について、悪しき者達に「死ね」だとか言う者は、間違っている。

そのような者は、仏陀の側・聖者の側にいない。

悪しき者達と同じ事柄をしているということ事体、その行いは悪行であって、善行ではない。


たとえば、天人として、悪人に対して殺人系の話でもって罵詈雑言するというのも、

仏陀や阿羅伽の方々・聖者の行いにない。


そのように清浄心を知らない者は、本当の仏陀の教え・聖者の教えを理解することが難しい。

天人として、悪行に怒ってしまうというのは、普通に気持ちはわかるけれども、

仏陀の弟子・聖者の弟子、または、清浄な神の子らは、悪しき者と同様の悪行をすること、にひき込まれてはならない。


仏陀の弟子・聖者の弟子、または、清浄な神も、神々も、もう悪しき者達の行いを見ているから、たとえ見ていなくても、

その者の記憶を読めば、すぐに業は知られる。

悪しき者達と同様の邪行を行ってはならない。





11月26日

本日は、

フリーソフトのグレースケールに変換できるソフトを使用して恥ずかしながら、写真を公開する。

手術前と手術後の写真 



(/0\♯)ポッ

ついでに、その恥ずかしさを絵文字で表現してみた。



今日はまた、水道がしびれ水だな。

う~ん、謎だな。

しかし、今日もそうだけれども、テロ側の者と悪霊達の嫌がらせが半端ないね。

テロ側の者達は、確実に悪魔の側で間違いない。

その悪行を見てきているが、悪魔に憑かれているのはテロ側として愚かに騒いでいるあなた方なのだよ。

こっちが憑かれていると思わせようと、洗脳活動をしているのもあるが、

テロの存在の側は、確実に悪魔の側。であって、

地獄へと堕ちていく者達の集いで間違いない。

と、今日も、改めて思ったけど。


仏陀の弟子は、確実に、その愚かな者達に着いて行ってはならない。

イエズスの弟子の人たちも、テロの存在の側に着いて行ってはならないよ。

テロの存在の者達の側に、イエズスは立っていることはないから。


導きがね、ユダヤ教の人々も悪魔の側に着いていってしまって、動画でみたようになってしまっていたし、

しかし、その後、動画は修正されていたから、大丈夫なのかな。

旧約の教えを信仰するという気持ちはよく理解できる。

しかーし、イエズスを通って来れなければ、仏陀という悟りを得た方のもとにも、来れないだろう。

モーセの教えの善行のところを通って来なければ、イエズスのところに来ることが難しいように、

イエズスを通って来れなければ、仏陀のもとにも来れない。

と、わたくし對馬は思う。(最初から、仏陀と法を僧伽の三宝に帰依している人は、仏陀のもとにいる。)

実際、善行の教えを見ても、おおよそそのようになっているのである、と。



ユダヤ教の動画を見た限りでは、あれでは、ユダヤ教の人は、仏陀はもとより、イエズスのもとにも、他の聖者や、それこそ善なる神のもとにも辿りつけないと思う。

真理の教えとしては、道理として無理なのである、と。

だからこそ、そこに反省が必要であって、ユダヤ教の中心部で、その邪行のその邪心や邪念を分別することもできない状態であれば、

ユダヤ教の人々が悪魔に引っ張られてしまうのは、無理もない。

なぜならば、善なる神(世の父)の行いと、悪魔の行いの分別ができないのであるから。

という道理の話・真理として人としての善行・正道にいないのが原因、という話になる。



通ってくるというのは、過ちを犯してしまったから、イエズスの立っているところに到達不可能だ・・・。

っていうような、過ちというのを、多かれ少なかれ、してしまった人はいる。

仏陀の弟子でも過ちをしてしまう人はいた。

そこで仏教では、自恣(じし)という、自らを省みて、他の比丘に反省懺悔をする場が設けられている。

これは、キリスト教でも、過ちを懺悔するという行いは説かれている。

と、いうことで、

過ちを犯してしまっても、めげずに、本心から反省して、懺悔したならば、心を改め、再び過ちを犯さないというのであるならば、聖者方や神は聞いてくれることもあるでしょう。

あまり酷い過ちは、仏教でも破門というのもあって、取り返しがつかないこともあるが、

それでも、本心から反省して、懺悔して、心を改め、再び過ちを犯さないならば、悪業が軽くなるということは、

教えとしてある。



話は、変わるけれども、中国人は、孔子の話が引っかかるんだろうか。

中国人が北海道の土地を多く購入しているというのを、ネットでみて、トマムリゾートも中国人が買ったとネットで記されていた。

そして、前にそのトマムのCMで叩かれたことがある。

そういうのを考えてみると、中国人の誰かがテロ活動している、と。

まぁ、中国人というか、テロ側の者・テロ側の集い・テロ側の存在がテロ活動をしているといういつもの話だけどね。



テロ側の集まりが、確実に、善なる存在の集まりではない。

なんで、そう、ハルマゲドンみたいに一箇所に、集まっているのか、と。

しかも、テロ側の存在は、善なる存在の側ではないというのも確定しているという。


そのような教えから言っても、また仏陀の真理の教えから言っても、

テロ側の存在の悪しき行いは、地獄に堕ちる方向へと進んでいるのであって、天へと進んでいるのではない。


天へと進むのは、気が楽だよ。

100年どころか、数千年、数万年、数億年、劫期において、楽を受ける存在になる、楽を受ける境界へと出生するというのは、

そのことについて悩むことがない。悩むどころか、嬉しくもある。


「地獄に堕ちる」と聖者方に言霊として教えで言われている者は、

100年どころか、数千年、数万年、数億年、劫期において、苦しみを受ける存在になる、苦しみを受ける境界へと出生するというのは、

そのことについて嬉しくなるということがない。嬉しいどころか、最悪な気分になるだろう。


であるからして、現在、生前に、善なる業を成して、天へと進むというのは、あなた自身にとって、最上の事柄である、と。





11月28日

本日は、

仕事中に前に説明をしたテロ工作とか、テロの騒ぎとかは、非常に仕事の人との雰囲気が悪くなる。

尻の筋肉をとられたのでもそうだし、だいたいテロが絡むと人間関係も悪くされる、と。

仕事場でも、ストーカーとか悪しき者達がイメージを悪くしようとうるさいので、

私を信用している人のために言えば、細かなところで言えば、仕事の、例えば、新規入場者の用紙に記す事項において、その日の血圧等、他の事項を記すところもあるが、

そのような事項で適当に記しているところもあり、そういう適当でも良いのは、適当に記してしまっているので、その事柄で私という人を見るためのあてにしないでいいよ。

嘘つきなのか嘘つきでないのか、という話で。

わからないのとかは、適当にしていることもあるからね。(例えば、血圧で言えば、その場に血圧計がない。他の事項で言えば、どうだったか忘れた。だいたいこうだろう。等)

また、だいたいで記しても別にいんだけれども、すごく正確に的確に言えば、嘘になってしまう。また、適当にそのように嘘を書いてしまったと後から後悔する。


というように、心に残るようなのは、仏陀と僧伽とを思い懺悔をする、また、このようにして懺悔をする、と。

そのようにすると、私は、静かに禅定をすることができる。



これは、そのユダヤ教のその前のような邪行が表れていた動画についても言えることであって、

そういう邪念があることによってでは、静かに(清浄な)禅定はできない、と。


「悔い改めなさい」と。

ユダヤ教でもそうであろうと思うが、キリスト教でも本当の信仰者は、祈りのときに、この言葉を理解するだろう。



社会生活という、そういう細かなところでも、在家者は完全な清浄生活をえることは難しいということでもある。

ということで、告白をしたが、

私は聖者ではないから、そういう適当なところもあるし、仕事でミスもするし、

今日もミスをしてしまったし。

今日は、モルタルを剥がすのに、ハンマーで軽くトントンと静かに叩いていたのだが、直接叩いていないのに、間接的に大理石のタイルが欠けた・・・。補修。
(新築の工事現場で、設計変更により、タイルの横の縁石を外して撤去するという作業)


は~、テロの悪しき者達に嫌がらせを受けてテンション下がるわ~。


テンション。

辞書より、

・緊張。不安。

・物理学で張力。

・(主に若者語で)気分の盛り上がり。「─が高い」「─が下がる」。←この意味。


テンションの説明はいらないべか。

緊張や不安が下がるわ~ったら、良かったねっていう話になるね。





12月1日

本日は、

預言者について。

かなり以前から考えていたのだが、イスラム教のムハンマドは最後の預言者であるとされる、と。

そうすると、預言者はもう現れない。

世界中に、真理とは何かというように迷っている人は大勢いるというのに、なぜ預言者はもう現われないのか。

ということで、仏陀の弟子として、仏陀の教え・法・真理から見てみると、

神が預言者を通じて伝えた真理を、直接に説く人が現われるのであれば、

預言者はもう現われなくても、神のその慈悲は達成することができるだろう、と


そのように、神が預言者を最後とするというのにも、意味があったのだろう、と。

神からすると真理を直接に説く人が現われたのであれば、預言者はもう人々のもとに出生させる必要もない。

とすると、預言者の出生を修了させても問題がない。


要するに、直接真理を説く人が現われるのであれば、預言者を現さなくても、神の慈悲は達成されるから、

神はそのような事柄をも見越して、神はムハンマドという預言者を最後の預言者とされた、と。


もう、預言者は現われない。

そしてここに、仏陀の教え・法・真理がある。


流れとしてぴったりあう、と私は思う。

仏陀の教えを学ぶことによって、神の善なる言葉も理解することができる。

そして、預言者の伝えた言葉も見て知ることができる。



神は預言者を通じて真理を伝えた。

そのように、神は人々を安らぎへと導く。


『クルアーンより

 我らの神兆を信仰する人たちがお前(ムハンマド[マホメット])のところへ訊ねてきたら、言うがよい、

「君らの上に平安あれ。君らの神は慈悲深いことを御自分の信条としていらせられる。

されば君らのうちで誰かがそれと知らずに過ちを犯しても、後になってから改悛して行いを改めるならば、(神)はどんな罪でもやさしく赦して下さろう」と。

 このようにして、我らは神兆をいろいろに説き明かし、罪人たちの道(がどのようなものであるかを)教えようとしているのである。」

───

「神(アッラー)は真理の道を取り給う」』



『聖書より

「私がどこに行くのか、その道はあなたがたは知っている。

トマスはイエズスに言った。
「主よ、私たちはあなたがどこへ行こうとしておられるのか知りません、どうしてその道を知っているのでしょうか。」

イエズスが言われた。
「私は道であり、真理であり、命である。

誰も私によらないでは父の所にいくことができない。

もしあなたがたが私を知っていたならば、私の父をも知ったであろう。

しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」

ピリポはイエズスに言った。
「主よ、私たちに父を示してください。そうして下されば、わたしたちは満足します」

イエズスは言われた。
「ピリポよ、これほど長くあなたがたと一緒にいるのに、私がわかっていないのか。

 私を見た者は、父を見たのである。

 どうして、私たちに父を示してほしいと言うのか。

 私が父の中におり、父が私におられることをあなたは信じないのか。

 私があなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。

 父がわたしのうちにおられて、御業をなさっているのである」』




「私は道であり、真理であり、命である。」

「私があなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。
 父がわたしのうちにおられて、御業をなさっているのである」



「神は真理の道を取り給う」




そして、

仏陀の教え・法・真理は、

天の神々や人々を、全き安らぎへと導く。





12月3日

本日は、

仕事が雨により、中止となったので、休日。

昨日、胃がすごく痛かったので、ちょうどいい休養。

今日は、昨日ネットで、wikiの陰謀論一覧というのを見つけて、

わかりやすくいろいろな陰謀論が記されていたのを見ていた。

陰謀論一覧で検索すると、陰謀論がこんなにあっさり出るのかよ、と思いつつ、

こんなにあっさり出て陰謀と呼べるのかどうなのかとも思うが、

その中で、新世界秩序陰謀論というので、300人委員会最高位33階級に相当、33人評議会隠れ34階級に相当、13人評議会隠れ35階級に相当する、というのがあって、なんと、13人評議会は魔術師やパリサイ派のラビの集団であるとされる。と記されている。

魔術師というのが、HPで言っているテロの騒ぎは魔術師・妖術師・悪しき者が確実に絡んでいるので、どれどれと、これから調べてみようと思っている。

これから、お昼のおむすびを食べてから、調べようかと。

魔術師13人が上位にいるのであれば、この魔術師13人を悪魔が操ったならば、余裕で組織の人々を操ることが可能になるという仕組みになっているのだろうかと思い。



検索をしたら日本人の名前が出た。知らない名前。

wikiのメーソンのページによると、33階級の上にさらに3階級加えられているとされるとする説もあるという説で、wikiでなく他の説によると、その36階級は(人でない存在)及びロスチャイルド・ファミリーだということらしく記されているが、であるとすると、13人評議会の魔術師やパリサイ派のラビの集団よりも上位階に(人でない存在)及びロスチャイルド・ファミリーがいるとされるということであれば、メーソン自体がロスチャイルドという一族のための団体という感じにもなるのかな。←この話の真相は、定かではない。


HPに記しているように、私は日本銀行の総裁から悪語を受けた。

『「日銀」の株はジャスダック市場に公開され株主構成は55%を政府が、45%を民間が所有していますが、民間株主が誰なのかは一切公表されていません。

戦前の「日銀」は天皇家とロスチャイルドと三井財閥が大株主だった、現在の45%の民間株主は不明』とされている、と。

そのように繋がりを考えて、日本銀行のその大株主が日本銀行の総裁に悪語を言わせていた犯人ということにもなりえる、と。

(しかし、「日銀の株主は、議決権を持ってないので、仮に株主に国際金融財閥の資本が入っていたとしても、経営に参画したり、示唆することはできません。 日銀の意思決定は政策委員会によって決定されます。(日銀法14条)」ということなので、大株主が悪語を言わせた犯人でなければ、悪語は日銀の意思決定は政策委員会の人物の悪態、または日銀総裁の黒田の悪態ということになる。)

また、『世界中の中央銀行を取りまとめているのが、スイスのバーゼルにある国際決済銀行BIS(Bank for International Settlements)であり、中央銀行は金利やマネーサプライをコントロールすることが出来る』ということであって、世界の銀行の金融というのが、おおよそ理解することができた、と。

『wikiより 国際決済銀行BISは、世界各国の中央銀行が出資する法人であり、2011年現在58か国の中央銀行が株主となっている。』

果たして、情報として正確にあっているかはわからないので、専門家等に聞くと理解しやすいでしょう。


ロスチャイルド家の当主の動画として、前もロスチャイルド家の当主の街頭インタビューの日本語の泡言のような動画も見たが、日本語の泡言のようなのは編集で変えられるから、今回も見てなんか微妙にどうだかわからないと思い。(別に、日本銀行の株主は云々ていう話のような動画ではない。)


13人評議会魔術師やパリサイ派のラビの集団っていうのがね、気になる。

とりあえず、テロ側の魔術士・妖術士はすでに善なる道から外れているから別として、

その魔術師やパリサイ派のラビの集団っていうのがね、



『聖書より

イエズスは弟子たちに語り始められた

「ファリサイオス派(パリサイ派・ファリサイ派)の人々のパン種、すなわち偽善に気をつけなさい。

おおいかぶされたもので、現われてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

 だから、あなたがたが暗闇で言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上でいいひろめられるであろう。

 そこで私の友であるあなたがたに言うが、身体を殺しても、そのあとでそれ以上何もできない者どもを恐れるな。

恐るべき者が誰であるか、教えてあげよう。

殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。

本当にそうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい」』


ちなみに、聖書で、パリサイ派の人でも善い人はいる。


「ファリサイオス派(パリサイ派・ファリサイ派)の人々のパン種(教え)、すなわち偽善に気をつけなさい」と。


そのようにすでに目の善い人に見られているのもあるので、偽善で人々を悩まし苦しめるという行いがあれば、真理の教えとして地獄等の悪処へ堕ちるので、そのような行いを行ってならない。

偽善があれば悔い改めて、善を行うのが善い、と。



天の神々や人々を、全き安らぎへと導く、善行の教えは、仏陀が説かれています。





12月6日

本日は、

CMでdocomoに叩かれている。私のもっている携帯電話の会社は、なんと、docomo。

顧客を叩くとは、えらい悪い会社だな。

月々の携帯電話使用料は、きちんと支払っているはずだ。たまに忘れるが、使用を停止の期日前にきちんとdocomoショップまで行って支払っているはずだ。

そう、口座振替にしていないから、月々払いだ。

docomoが私を叩くのは、どういう言い掛りでそのような悪業を重ねているのだろうか。

という、テロ側の悪行はいつものことながら。


悪業を重ねている悪魔側の存在は、悪処・地獄に堕ちる存在が多いと思うよ。

仏陀の弟子はそのような存在と親しんではならない。



今日は、日曜日で休日でありまして、ネットでいろいろ見ていたら、

ジョージ・ワシントン・メソニック・ナショナル・メモリアルという建物が、

『ジョージ・ワシントンのフリーメイソンメンバーとしての功績を称えて
建設されたのが「ジョージ・ワシントン・メソニック・ナショナル・メモリアル」です。

この巨大建造物は政治的建物ではありませんが、42年もの歳月をかけて造られました。

建物の正面には巨大なシンボルマークが刻まれていて、
フリーメイソンの権力を象徴するかのように
国の建造物以上の存在感で堂々とそびえ立っています。』

米国の象徴である自由の女神も、

『1886年に完成した自由の女神には完成当初、石碑が存在していました。
そこにはこんな記述がありました。

「フランスのフリーメイソンがアメリカの独立を記念しフリーメイソンの同胞たちに贈った」

米国の象徴である自由の女神までもが、フリーメイソンによって造られていたのです。』

ということであって、初代大統領のジョージ・ワシントンもメーソンのメンバーであったということであるから、

これらが正しければ、独立初期の米国自体も、フリーメイソンと深く関与していたということだね。

ということであれば、現在でも深く関係しているのだろうか。


そこでまた、フリーメーソンという集まりがどのような教えを尊重しているのかということによって人々を導くのに大きく影響する、と。

神ではなく、神と敵対したルシフェル・ルシファーを崇拝しているというのも言われているようであるが、

もしもそうであれば、社会的な暮らしで快楽を貪るために集まる人もいるだろうが、

死後に悪処・地獄へ堕ちる人々も多く集まることになるだろう。

もしも悪魔崇拝っていうのであればね。

そのような環境の中では、集まる能力者もまた、聖者方の道から遠い人が集まることだろう。

そういう能力者が高い階くらい位で指図しているのであれば、

その能力者達の想念を捕えて操れば、簡単に操作できる集いとなるよな~、と。

悪魔であれば、赤子の手をひねるようなものかな。


清浄な神通力者は、悪しき行いや悪魔崇拝の集いのもとに集わない。

悪しき者・悪しき想念の持ち主は、そもそも、自らの想念と悪魔によって想起させられた悪しき想念の区別すら難しいだろう。

なんだったら、悪魔に想念をとられて、自分は悪魔だと思い始めてしまうくらいかな。


聖者の道から遠い魔術士やら妖術師やら詐欺士やらが集まっても、そもそも神の清浄な言葉すら意味不明だから、

快楽を求めなさいという悪魔の言葉に従って、悪魔崇拝の道に迷い込んでしまうというのは、

昔からよくある話なんではないかと思うよ。


フリーメーソンという集いが、真実に、善行をこそ行い、悪を祓う。という自らにも善く、他人にも善い善業を行う集いであれば、

死後に善処・限られた天へと赴く人々も多く集まるだろう。


悪しき存在・悪魔側の存在の良いとする行いと、

聖者方の善いとする行いは、基本的に違うと見ていたほうが理解しやすいと思うよ。

一部ある部分では、かぶっているところや似ているような良い行いのところもあるけれどもね。

そういうのを利用した偽善等のキラキラ術によって、”この悪魔は天使にちがいない、いや、神だ”とか思ってしまうという話も

昔からよくある話だべね。



妖術師でいえば、

例えば、動物を飼っている人がいるとする。

その人が動物に命令して、「あの人の説く真理をとってこい」と言う、

すると、その動物が真理を取りに行き、

その動物が、誰かの説いたおそらく真理とされる想いを持って帰ってきたとする。

さて、その誰かの説いたおそらく真理とされる想いを動物から受け取ったその飼い主自身は覚ることができるでしょうか。


悪魔崇拝をしている人で、実は悪魔崇拝こそ真理を悟ることができると思っている人もいるかもしれないが、

その悪魔か何かの崇拝をしている人の行いが、善行であるのか、不善行であるのかを見るだけで、

その人は悟りへの道を進んでいる、要するに、悟りに達することは可能というのと、

その人は地獄への道を進んでいる、要するに、悟りに達することはない、

というのは、分別される。


悪魔崇拝をしている人で、実は悪魔崇拝こそが、悟りに到れる、というのや、神のもとに行けると思っている甘い期待を抱いている人がいるかもしれないが、

真理として、悪魔崇拝というのは、真理・道理に合わないので、悟りに到れないし、神のもとにも行けない、と。


悪魔崇拝やら、悪魔と一緒になって悪しき行いをしている者が、悪魔の道から離れることも容易ではないだろう。

よく注意した方がいいと思うよ。

仏陀の善の教えをよく学ぶべきである。

人は善業によって、善処・天へと出生するのである、と。





12月7日

本日は、

先日記した、
『じゆうの女神の『1886年に完成した自由の女神には完成当初、石碑が存在していました。
そこにはこんな記述がありました。
「フランスのフリーメイソンがアメリカの独立を記念しフリーメイソンの同胞たちに贈った」』

というので、このことが、正しいのかどうか(どこぞの情報を鵜呑みにすることのないように)私も調べなければなるまい。と今日思っていた。

そういうことで、自分が詳細を知りたいというわけではないが検索してみたら、あっさりとwikiに記されていた。


日本語訳
(この地にて1884年8月5日、「世界を照らす自由の女神」の像の台座の礎石は、
ニューヨーク州メイソン団のグランド・マスター、ウィリアム・A・ブロディーによる式典とともに設置された。
グランド・ロッジの構成員ら、合衆国およびフランスの政府の代表ら、陸軍および海軍の将校ら、
諸外国の使節団の構成員ら、ならびに名高い市民らが参列した。
この銘盤はかの歴史的事件の第100周年を記念してニューヨークのメイソン団により捧げられる。)


ということで、アメリカ独立の100周年を記念してということだそうだ。

ただ単に「独立を記念して」っていうのと、「独立100周年を記念して」ってなると、結構捉え方変わるよね。

独立後100周年ってなると、アメリカの独立にメーソンが大きく関与しているかどうかは定かではない。

逆に、アメリカ独立っていうのも、メーソンの本場の国だと思われるイギリス国の植民地支配を終わらせて、アメリカ合衆国という国が独立したということだから、

となると、イギリスもメーソン、アメリカもメーソンってことになるわけだべさ。

どういうことだべな。

メーソンという集まり自体に派閥的なものがあったとかかな。(あとは、歴史書や専門家に訊ねるとおおよそ知ることができるだろう)

と、自由の女神の礎石の話はそのくらいでだいたい理解できたからよしとして、


話は変わって、

ちなみに、メーソンの事柄が記されている書物によると、
「米国では、1826年に、イリノイ州バタビア市の住人モルガンなる者を山中に誘拐して殺害したというので、
危険な秘密結社として一時非常に反感を買い、その発達にも、故障を生じた。
しかし、その後再び勢力を回復し、今は一種の友愛修養会としてかなり広く行われている。」と記されている。

そのような危険な事件もあったということなので、一応、記しておく、と。


あと崇拝の対象とかか。

36階位の図は、同じ図がネットで散見されるので、検索すれば、すぐに出てくる。

36階位の上、36階位より上位に、善なる神というようにすれば、狐疑が解決するんでないの。

そういう問題でないんだべか。



wikiより

ルシファー、(古典ラテン語読みではルキフェル・ルシフェル)

『正統キリスト教の伝統においては、ルシファーは堕天使の長であり、サタン、悪魔と同一視される。神学で定式化された観念においては、悪魔はサタンともルシファーとも呼ばれる単一の人格であった。』

『旧約偽典ないしキリスト教黙示文学の『アダムとエバの生涯(英語版)』にみられる。その中で悪魔はアダムに向かって、自分は神の似姿として作られたアダムに拝礼せよという命令を拒み、そのために神の怒りを買って天から追放されたのだと語る。『クルアーン』にもこれに類似した話があり、イブリースは粘土から作られたアダムに跪拝せよという神の命に背いて堕落したと数箇所で述べられている。』


アダムに拝礼せよという神の命令にそむいて堕落した、と。


う~ん





12月8日(2015年)

本日は、

ネットで昨日記したキリスト教黙示文学の『アダムとエバの生涯』を見たので、


(『モーセの黙示録』)より


『天使(ミカエル)はこのように語ると、彼らのもとを去った。セツとエバはアダムが横になっている幕屋へ帰った。するとアダムがエバに言った「お前は私たちの中になんということをしでかしてしまったのだ、大いなる怒りを私たちの上にもたらすとは。(その怒りとは)われわれ(人間)の種族すべてを支配する死にほかならないのだ」。さらに彼女に言った「私たちの子供たちと私たちの子供たちの子供たちを全員呼び寄せて、私たちの過ちがどのようにしてなされたかを彼らに話して聞かせなさい」。

 そこでエバは、彼らに語った「わたしの子供たちと私の子供たちの子供たち全てよ、聞きなさい。私たちの敵(悪魔)がどのようにして私たちを欺いたか、あなたたちに話して聞かせます。私たちが楽園を守っていたころ、私たちは各々が神から分け与えられた各々の部分を守っていました。私は私の分けまえとして南と西を守っていました。悪魔は、雄の獣達がいたアダムの分けまえのほうへ行きました。というのは、神が私たちに対して獣を分け、雄は全てあなたたちのお父さんに与え、雌は全て私にお与えになったのです。私たちは各々がその分を守っていました。


 生命の木について


 すると悪魔は蛇に言いました「立ち上って、私のところに来い、そうすればお前に役に立つ言葉をお前に教えてやろう」。そこで、蛇は彼のところへ行き、悪魔は彼に言いました「私はお前があらゆる獣にまさって賢いということを聞いている。だから私はお前に忠告にやってきた。そして私はお前があらゆる獣よりもまさっているのを見出した。それにもかかわらず、お前は最も小さい者を礼拝している。何故、お前は楽園の木の実を食べないで、アダムとその妻の雑草(毒麦)などを食べているのだ。さあ、立って、あいつがその妻のせいで楽園から追放されるようにしてやろう、われわれがあいつのせいで放り出されたように」。蛇が彼に言いました「主が私にお怒りになるのではないかと恐れます」。悪魔は蛇に言いました「恐れるな、私の道具になるがいい。そうすれば、私がお前の口を通して、あいつを欺くことのできることば語ってやろう」。

 そして彼はすぐに楽園の壁にぶらさがりました。神の天使たちが礼拝するために昇ってゆくころでした。このとき、サタンは天使の姿をとって、天使たちのように神を讃美しました。そこで私は壁の内側から彼を覗いたところ、彼が天使とそっくりなのを見ました。すると彼〔悪魔〕が私に言いました「あなたはエバか」。そこで私は彼に言いました「はい、そうです」。すると彼は私に言いました「楽園の中で何をしているのですか」。そこで私は彼に言いました「神が(楽園を)守り、そこから取れるものを食べるようにと、私たちをお置きになったのです」。すると悪魔は蛇の口を通して私に答えました「結構なことです。けれどもあなたがたはすべての木の実を食べているわけではありません」。私も彼に言いました。「はい、私たちはどの木から食べてもいいのですが、ただし、楽園の中央にある1本だけは別です。これについては神が私たちに、「これから取って食べてはいけない、さもないと死ぬことになろう」とお命じになりましたから」。

 すると蛇が私に言いました「神は生きいたまう。私はあなたがたが獣の状態にあることを悲しく思う。私はあなたがたにもあのことを知ってもらいたいのです。さあ、立って、私の言葉に従って食べなさい。そして、木の栄光を思い知るがいい」。そこで私は彼に言いました「神が、私たちにおっしゃったとおりに、私をお怒りになるのではないかと恐れます」。すると彼は私に言いました「恐れることはありません。食べると同時に、あなたの眼が開かれ、神々のごとくになり、何が善で何が邪悪かがを判るようになるのです。それを知っているからこそ、神はあなたがたに物惜しみして、「これから取って食べてはならない」と言ったのだ。あの木を心して見てみろ、あれのまわりに大いなる栄光を眼にすることができよう」。そこで私はその木を心してみると、その周囲に大いなる栄光が見えました。そこで彼に言いました、「よく見ているとたしかに美しい」しかし、私はその木の実を取るのが恐ろしかった。すると彼は私に言いました「さあ、わたしがあなたに与えるから、私についてきなさい」。

 そこで私は彼のために〔門を〕開けました。すると彼は楽園の中へ入ると、私の前をどんどん進んで行きました。そして少し行くと振り向いて私に言いました。「私は後悔した、食物をあなたに与えるのはやめた」。しかし彼がそう言ったのは、結局は私の気を引き誘惑して私を破滅させるためだったのです。さらに彼は私に言いました。「あなたの夫にも、果実を与えると誓いなさい」。そこで私は彼に言いました「わたしはどんなふうに誓えばよいのかわかりません、ただ、私の知っていることをあなたに言いましょう。支配者(なる神)の玉座と、ケルビムと、生命の木にかけて、私は私の夫にも食物(その果実)を与えることを誓います」と。すると、彼は私からこの誓いを手に入れると、再び進み、その木の上に登りました。そして、私に食べるようにと与えたその果実に、悪しき毒をふりかけました。その毒は彼の欲望という毒だったのです。なぜなら、欲望こそがあらゆる罪の頭なのですから。そこで私は枝を地面にしならせて、果実を取って食べました。

 するとその瞬間に、私の眼は開かれ、私は自分が裸で、以前に身にまとっていた正義を身につけていないということを悟りました。そこで私は泣き叫んで言いました「あなたは何ということをしたのですか。以前に私が身にまとっていた栄光が私から遠ざかってしまったではありませんか」。私はまた誓いについても泣きました。あいつはあの木から降りると、姿を消しました。そこで私は、私の領土内で私の私の恥部を隠そうと、木の葉を探したのですが、楽園の木には(木の葉が)見つかりませんでした。私が食べるとすぐに、私の領分の植物はみな、無花果の樹1本を除いて、葉を落としたからです。そこで私は無花果から葉を取って、自分のために腰巻きをつくりました。これは私が食べたまさにあの木から取ったものなのです。

 私は大声で叫んで言いました「アダム、アダム、どこにいらっしゃるの。立って私のところにいらして下さい。私はあなたに大いなる奥義を示しましょう」。そしてあなたがたの父上がやってきたとき、私は私たちを大いなる栄光から遠ざける、律法にそむく言葉を語りました。彼がやってくると同時に、私が私の口を開くと、悪魔が語り、私は次のように彼に勧め始めました「さあ、私の主なるアダム、私の言うことを聞いて、神が私たちに食べてはならないとおっしゃった、あの木の果実を食べて下さい。そうすればあなたは神のごとくなるでしょう」。するとあなたがたの父上はおっしゃいました。「神が私にお怒りになるのではないかと恐れます」。そこで私が彼に言いました「恐れることはありません。召し上がればただちに、良と悪(善と悪)を知る者となるのですから」。こうして私は彼を説得し、彼は食べ、その眼が開かれ、彼もまた自分が裸であるのを悟りました。そして私に言いました「ああ、邪悪な女よ、私たちの間に何ということをしでかしたのだ。お前は私を神の栄光から遠ざけた」。

 まさにこのとき、私たちは天使長ミカエルがそのラッパを吹くのを耳にしました。彼〔ミカエル〕は天使たちを呼んでこう言いました。「主がこのように言われる「お前たちは私とともに楽園に入り、私がアダムを裁くことばを聞くがよい」。そこで、私たちは天使長がラッパを吹くのを耳にすると、こう言い交わしました。「見よ、神が私たちを裁くために楽園にやってこられる」。そこで私たちは恐れ、身を隠しました。すると神がケルビムの車に乗って、楽園においでになると、天使たちは彼を讃め称えました。神が楽園に入ってこられたとき、アダムの領分と私の領分にあったすべての木が花を咲かせました。そして神の王座が生命の木のあるところにしつらえられました。

 そうして神はアダムを呼んで言われた「アダムよ、どこに隠れているのか、私がそなたを見つけられぬとでも思っているのか。家がこれを建てた者から隠れることができようか」。このときお前たちの父上はこたえて言いました「いいえ、主よ、あなたに見つかると思って隠れているたわけではありません。自分が裸なので恐ろしいのです。主よ、あなたの力を畏れているのです」。神は彼にこう言われました「そなたが裸だということを、誰がそなたに教えたのか、そなたに守るように命じておいた誡めをそなたが棄てたのでなければ」。そのときアダムは、私が彼に語った言葉を思い出しました。私が彼を欺こうとしたときに、「あなたを神の前で安全な者としてあげましょう」と言ったことを思い出しました。そこで私の方を向くと私に言いました「お前は 何故こんなことをしたのだ」。そこで私も蛇の言葉を思い出して、「蛇が私を欺きました」と言いました。

 神がアダムに言われました「私の誡めに聞き従わず、そなたの妻のいうことに聞き従ったゆえに地はお前の業において呪われたものとなる。すなわち、お前が地を耕してもその力を与えてくれず、茨やアザミを生えさせるであろう。そして、そなたは額に汗してそなたのパンを食べるであろう。また、そなたにあらゆる労苦があるだろう。労して休むことなく、辛酸をなめても甘味を味わうことなく、炎熱に苦しみ、寒冷に痛めつけられるであろう。そしてさんざんに苦労しても富むことはなく、太っても終わりに至ることはないであろう。そしてそなたが支配していた獣たちはお前に逆らって騒乱を起こしそなたに立ち向かってくるであろう。(これもすべて)そなたが私の誡めを守らなかったためなのだ」。

 次に主は私の方に向いて私に言われました「そなたは蛇のいうことに耳を傾け、私の誡めを守らなかったので、堪えがたい労苦を背負うことになるであろう。そなたは激しく身もだえしながら子を産み、そして一時もしてお前は子供を産むに至り、大いなる苦難と苦悩の故に生命を失うに至るであろう。そのとき、そなたは告白して言うであろう「主よ、主よ、私をお救いください、もう決して肉の罪に向かうことはいたしません」。まさに、そなたのこのような言葉のためにこそ、私はそなたを裁くであろう、敵がそなたの中に置いた敵意のゆえに。そして、そなたが再びそなたの夫のほうへ向かい、彼がそなたを支配するであろう」。

 私にこう言われた後、大いなる怒りをもって蛇に向かって言われました「そなたがこんなことをしでかし、心のゆるんだ者たちを欺くまでに、恩知らずの器となったからには、そなたはすべての獣から呪われたものとなろう。そなたが食べていた食物はそなたから奪われ、そなたが生きている間中ずっと塵を食うことになろう。胸と腹で歩み、手も足も奪われるであろう。耳も翼も、そなたが悪だくみによって誘惑し、彼らが楽園から追放されるようにするのに使ったすべての(器官の)一部分たりともそなたには許されることはない。そうして、そなたとあの者の子孫との間に、私は敵意を置こう。裁きの日に至るまで、あの者はお前の頭を監視し、そなたは彼のかかとを監視するであろう」。

 彼はこのように言うと、天使たちに、私たちを楽園から追放するよう命じました。そして、私たちは追いたてられ、嘆き悲しんでいるとき、お前たちの父上アダムは天使たちに嘆願しました「どうか少しだけ、神にお願いするのをお許しください。彼は私に同情し憐れんでくださるかもしれません。私ひとりが罪を犯したのですから」。すると彼らは彼を追いたてるのをやめました。そこでアダムは泣きながら叫んで言いました「主よ、どうか私のしたことをお赦しください」。そのとき主は天使たちに言われました「どうしてアダムを楽園から追いたてるのをやめたのか。あの罪は私にあるのではあるまい、それとも、私の裁きが誤っていたとでも言うのか」。そのとき天使たちは地に伏して、主を礼拝して言いました「主よ、あなたは義しく、あなたの裁きは真っ直ぐです」。

 そして、主はアダムの方に向きなおると言われました「今後、そなたが楽園にいることを許しません」。そこでアダムがこたえて言いました「主よ、私が追放される前に生命の木の実を食べさせてください。」。そのとき主はアダムに言われました「もはやそなたがあの木の実を取ることはできない。ケルビムたちと、回転する燃える剣に委ねて、守らせたのだから。そなたがそれを味って、永遠に不死なるも者となることのないように、むしろ、敵がそなたの中に置いた争いに巻き込まれるようにと。しかし、もしもそなたが楽園から出ていった後、死を前にした者のごとくに身を持して、あらゆる悪から身を守るなら〔あらゆる悪を離れるならば〕、再び復活がおとずれたとき、そなたを甦らせよう。そして、そのときには生命の木の実もそなたに与えられるであろう、そして永遠に不死なる者となるであろう」。』





このように、『あらゆる悪から身を守るなら〔あらゆる悪を離れるならば〕、再び甦りが起こったとき、おまえを甦らせよう、そのときには生命の木から取ってそなたに与えられるよう、そしておまえは永遠に不死となろう』というように言われている、と。

このアダム文書では、このように、神はただ単に彼らを楽園から追放をしたわけではない、と。

「あらゆる悪から身を守るなら」

ようするに、「身・口・意による悪行を行わないならば」ということである、と。

これは、聖書のイエズスの言葉でもおおよそ理解はできる話だろう。

神は見捨てずに、きちんと見てくれているということだね。


しかし、アダムとエバは悪から身を守らずに、誘惑されて、食べてはいけないとされるものを食して、良と悪(善と悪)の知恵を知ってしまった。

そのように、悪から身を守らなかった者は、生命の木からは与えられない。


ちなみに、このアダム文書で言えば、ヘビもまた、神を恐れていたが、悪魔に誘惑されて、呪われたものとなってしまった、と。



そして、これらの話の事柄を、仏陀と仏陀の弟子の方々と聖者や善なる存在の方々の行いから考えてみると、

仏陀と仏陀の弟子、また、聖者や善なる存在であれば、神が「あの木の実をとって食べてはいけない」と言っている木の実を、

楽園から追放させるために無理して食べさせるというような、悪しき行いをさせることはありえない、と。


そのような悪行は聖者の行いから遠い。

このように、

そのような悪行を行っている存在が悪魔と云われている。



要するに、

『 悪魔崇拝をしている人で、実は悪魔崇拝こそが、悟りに到れる、というのや、神のもとに行けると思っている甘い期待を抱いている人がいるかもしれないが、

 真理として、悪魔崇拝というのは、真理・道理に合わないので、悟りに到れないし、神のもとにも行けない』と。










更訂 H30.7.21