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さくら
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12月10日(2015年)

本日は、

聖書の創世記の話で、

神は六日で天地万物を完成され、七日目に神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。とされる。

仏典でいえば、天上の世界の一日は、この人間世界の一日と桁違いに長いとされる。

その長さはその天により異なる。

ということでいえば、天上の世界の六日で、天地万物を完成されたというのは、理論でいっても、単なる比喩でなく、

実際に神の世界でのたったの六日で天地万物を完成されたというのは、単なる譬えではないと言える。

その六日を人間世界での六日だと考えてしまったならば、人間世界での六日といえば、144時間しかないわけだから、

人間世界の日数でいう六日、で天地万物を完成させたとすると、現代の人間世界の物理の考え方で言ってもその考え方は正しくない。

そもそも人間世界の人間が妊娠してから出産するまでの間ですら、144時間では全然無理。

ということで、創世記の七日というのは、天上の世界での日数であるとすると、理論としても、間違っていないと言える。

と、思ってみた。



話は変わって、

地球の規模での話なんだけど、地球で争い事をなくすためにどうしていくべきなのだろうか、という事柄について考えることがあるんだけど、

地球の人口の増加が地球規模での問題だよな、と、今日も、ふと思ったのだが、

地球の人口の増加が爆発的に増え続けていったならば、問題だろうな、と。

平和で豊かになり、医療技術も向上したならば、おのずと人間の平均寿命も増え、世界の人口も増加していくことだろう。

日本では少子化で人口減少傾向にあるが。

あれだよね、世界の人口の増加の問題もきちんと対応策を考えないと、地球が満員電車のようにぎゅうぎゅう詰めになってから考えても、

なかなか対処できないだろう。

そうなると、地球の人間だけの問題でもなく、動物や植物も被害を被ることだろう。

悪行なく、安全な、地球の人口の増加に対する対応策はないものなんだろうか。

悪行なく、安全な、地球の人口の増加に対する対応策として、その対策をあなたも一緒に考えなければならない、とすると、あなたは何か考えられる対策はありますか。

そういう中で日本はなぜ少子化になっているのだろうか。


対策として、例えば、人間の平均寿命の増加にともない世間の結婚適齢期の世代をずらすとする、

そうすると、出産育児の状況も変わるだろう。

しかし、女性は子供を生むのにも年齢がある程度限られている。

出産適齢期を過ぎた出産は母子ともに危険でもある、と。

そういう問題も生じてしまうか。


また、教えによって、人としての道徳として、子供たちに清浄な教えを小さい頃から学ばせてあげるようにして、心身ともに清らかな生涯・生活を保つようにさせる。

例えば、女性は、結婚式でも、清楚にして、浄らかなバージン(処女)ロードを歩くような女性を善しとする。

というような善い思想をもつように道徳を学ばせてあげるようにする。等

(子供が世に出生するのであれば、バージン(処女)ロードを歩くことができる浄らかな女性のような、天子が胎に宿りやすい状況を増やしてあげる。等)



また、地球で争い事をなくすために、というので、教えとして、仏陀の教え・善の教え・真理を弘通することによって、

善なる人の基準という道徳を知れば、その基準という方向が見えることによって、その人自らで、自らの価値観を比較検討して修正する方向が見えるので、修正も可能となるだろう。

『世尊がさとった人の眼をもって世界を観察されると、世の中には、知恵の眼が煩悩の塵に汚れていない者もあり、酷く汚れている者もある。生まれつき資質のすぐれた者もあり、素質の劣った者もある。善い性質の者もあり、悪い性質の者もある。教えやすい者もあり、教えにくいものもある。また、来世に生まれて苦を受けねばならぬおのれの罪業についておそれを知りつつ暮らしている者たちもある、ということを見られた。』

ということで、教えを理解できる人もいる。

争い事を厭い離れるためにも、地球規模で仏陀の教え・善の教え・真理を弘通する。というのは善い。

仏陀の教えによって、善なる人の行いという基準を、道徳として知った人は、その教えを、自らの行いと比較検討して修正する方向が見えるので、修正も可能となる。



このHPで、仏陀の教え・善の教え・真理を知って、悪行を離れ、善行を行おうと思った人もいることだろう。

なぜ、そのように思ったのか。

なぜ、そのように思えることができたのか。

要するに、

善なる人の基準という理法・善・道徳を知ることにより、また、善なる人の基準という理法・善・道徳を知ったことにより、

その基準という方向が見えることによって、その人自らで、自らの価値観や行いを比較検討して修正する方向が見えるので、修正も可能となり、

自らの価値観や行いが修正・改善されつつある。

ということでもある、と。





12月13日

本日は、

道教聖典より

『老子曰く、

 それ善の心を起せば、善はいまだ為さずとも、吉神はすでにこれに随う。

しかし、悪の心が起こるならば、悪はいまだ為さずとも、凶神はすでにこれに随う。

 かつて悪事を行った者も、後に自ら悔い改め、諸々の悪を為すことなく、諸々の善を行えば、長い時間を経ても喜ぶべきこと〔善い報い〕を得る。

いわゆる、禍を転じて福となすものである。

 故に、吉人は善を語り、善を視て、善を行う。

一日に三の善を行えば、三年にして天はこれに福を降す。

 凶人は、悪を語り、悪を視て、悪を行う。

一日に三の悪を行えば、天はこれに禍を降す』



禍を転じて福となす

日本語のことわざとしての意味では、

わざわいに見舞われても挫けることなく、禍を逆に活用して、幸せにかえてしまうこと。



禍を転じて福となす

わざわいに見舞われても挫けることなく、禍を逆に活用して、仏陀の教えを説き、人々を善へと導く。

『善き利のうちでも最上の自利である〈堪え忍ぶこと〉よりもすぐれたものは、存在しない。
 真に力のある人が、大力あるのに、無力・愚痴の力の者を堪え忍ぶならば、
 それを〈最上の忍耐〉と呼ぶ』と。

テロ側の存在の邪行・悪行は、善なる道を行く多くの人にとって、また、私にとっても、わざわいである。



話はかわって、

創世記の話で、

創世記の、エバを騙くらかしたヘビが、神から呪われたものとなった、ということは、

ヘビが悪魔であれば、悪魔が呪われたものとなったということであって、

神は、大いなる怒りをもってヘビに云って、これに言われた
『こんなことをして、心のゆるんだ者たちを惑わせるまでに、恩知らずな道具となったからには、ありとあらゆる家畜たちに抜きん出ておまえは呪われたものとなろう。〔すなわち〕おまえは口で食べるその口を奪われ、おまえの生ある日々のすべて、塵を喰うことになろう。胸と腹で進み、おまえの手も足も欠くことになろう。おまえに耳は許されず、まして翼も、おまえがおまえの悪だくみによって誘惑し、彼らが楽園から追放されるようにするのに使ったすべての〔器官の〕どれひとつの部分も〔許されることはない〕。そうして、おまえとの間に、彼の子孫との間に、敵意を置こう。〔すなわち〕裁きの日に至るまで、彼はおまえの頭を狙い、おまえは彼のかかとをねらうことになろう』

と言われたように、悪魔は生涯這いまわり、塵を食らう。ということになるが、エバを騙くらかした悪魔サタンは生涯這いまわっている体形になっていない。

と、いうことは、やはり、ヘビが悪魔ではなくて、ヘビは悪魔サタンに騙されて、その騙されたヘビが呪われたものとなったということだ、と。

悪魔がヘビに化けてエバを騙したという話を聞いたことがあるが、その悪魔がヘビに化けたという話の方が間違いということになるべ。

悪魔が生涯塵を食らうようなことになっていなければ、または、ヘビ体形になっていないとしたら。


このように、ヘビが悪魔かどうかの話は別としても、神は悪魔に憑かれて過ちを犯してしまった者に、楽園追放という裁きを与える。

ということは、どういうことかわかりますか。


テロ側の存在の、悪魔に誘惑(騙)されて過ちを犯し、聖者の弟子を亡き者にしようとして悪行をした者、に対して、神はどのようになさるだろうか。

また、真理を知ってもなお、悪魔に誘惑(騙)されて過ちを犯し、悪行を離れず、悪行を犯し続けるという愚かな者に対して、神はどのようになさるだろうか。



イエズスは言われた、
『よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。
それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。

そして子は人の子であるから、子に裁きを行う権威をお与えになった。

このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、

善を行った人々は、生命を受けるためによみがえり、悪を行った人々は、裁きを受けるためによみがえって、それぞれ出てくるときが来るであろう』





12月14日

本日は、

また、我が家の水道水でうがいをするだけでしびれる。しびれ水。



聖書のアポクリファにも理解できる教えが記されている。


『善にまじるのに悪を以てする者は、善人と称すべからず』


『善きものは必ず来るべく、これを来たらす者は幸福なるかな。
 悪しきものも必ず来る、されどこれを持ち来たす者は禍なるかな』


『主は言われた
「汝狼の群れの中の羊の如くなるべし」

 ペテロは言った
「もし狼が羊を寸断したならばどうなのですか」

 イエズスは言われた
「すでに死したる後に、羊は狼を恐れる理由はない。
 汝らを殺して何をも為しえない者を恐れてはならない。
 されど汝らが死したる後なほ霊魂と身体との上に力を有して人を地獄に投げ入れる者を恐れるべし」』



『善きものは必ず来るべく、これを来たらす者は幸福なるかな。
 悪しきものも必ず来る、されどこれを持ち来たす者は禍なるかな』

例えば、テロで罵詈雑言〔「死ね」だの、「殺せ」だの、「殺す」だの〕を言って、世間の人々に邪念を見せ付け、邪念を伝播している者達は、

善きものと悪しきものとのどちらを持ち来たらしているでしょうか。


答えは、子供でもわかるだろう。

なぜわかるのか。

そんなのは世間の常識であるのだから。


そういう世間の常識から逸脱して、罵詈雑言している者達は、何をやってるんだ、っていう話だね。

まぁ、もう犯罪に手を染めてしまっている者については、地獄に堕ちるからやめなさいっていうように忠告を言ってあげても、受けとめることすらも難しい状態。

視点を変えて、私だけでなく、小学生や中学生や、大学生でもいいけども、

自分達の悪行について、私達は罵詈雑言〔「死ね」だの、「殺せ」だの、「殺す」だの〕を言って、世間の人々に邪念を見せ付け、邪念を伝播しているが、

人々に善きものと悪しきものとのどちらを持ち来たらしているか。

と、問うてみれば、良識ある答え、というか常識の答えが返ってくるだろう。

非行中の少年少女に聞けば、また別かもしれないけれども。


悪行を重ねている妖術者も、もう高が知れている。

霊的な世界を知っているようで全く知らないっていう話だな。

真理が見えないし、聞こえないっていうのは、

まぁ、だからこそ悪業を積み重ねているということでもあるだろうが、

あなた方、仏陀の言葉をきちんと受け止めるべきだよ。

自らで受け止めないで、また、悪魔に憑かれて受け止めることもできすに、悪業を重ね続けたならば、悪処に出生して、安楽を多く味わうことがもう永遠のような間なく、苦しみを多く受けることが永遠のような間続くというような輪廻に入ったら、それこそ最悪だよ。

あなた方はもう、その地獄や悪処へと堕ちる穴の入り口のところに立っていて、もう悪業を犯して悪処へと行くと決定している者もいる始末だべさ。


このHPで、仏陀の教えを学び、善行を行おうという心を生じている人々は、真理・道理としても善処へ行ける人も多くいるだろうというのに。


導く存在の違いで自らの存在としての行き先も、大きく異なるというのもよく理解できよう。

畜生霊に導かれるとかって、そっちも人の行く道でないよ。



ちなみに、メーソンは結局、何に導かれているってことになっていたのか。

ネットの36階位とかも、本当なんだか嘘なんだかもわからない情報だからね。

検索であんなにすぐ見つけれられるような36階位なら、全然、秘密にすらなってないようなもんだからな。

もしも、悪魔が頂点にいるということであれば、

あれだね、

その下のピラミッドの中の各人は、

善なる人と不善なる人の善と不善についての理解について

この違いの理解もできないということにもなる。


『「修行僧たちよ、不善なる人は不善なる人のことを、『この者は不善なる人である』と知り得るでしょうか」

「尊師よ、そういうことはありません」

「修行僧たちよ、よく分かりましたね。修行僧たちよ、不善なる人が不善なる人のことを、『この者は不善なる人である』と知り得るようなことは、道理としてもなければ、可能性としてもないのです。

 それでは、修行僧たちよ、不善なる人は善なる人のことを、『この者は善なる人である』と知り得るでしょうか」

「尊師よ、そういうことはありません」

「修行僧たちよ、よく分かりましたね。修行僧たちよ、不善なる人が善なる人のことを、『この者は善なる人である』と知り得るようなことは、道理としてもなければ、可能性もないのです。』


ということは、善なる存在、不善なる存在のことをも知り得ることがないだろう、と。


そのように、善なる存在、不善なる存在のことをも知り得ていないが故に、

悪魔崇拝っていうのであれば、結局、たいして真理も見えていないっていう話にもなるだろう。

実は、善なる神、父を崇拝しているのです。というのであれば、その人を一見した状態で言えば、この人は理法を少なからず見ているのかもしれないという話にもなるだろう。
(その人がどのように見ているのかは、話を聞けば理解されるだろう)

というような、答えも導きだされる。


あとは、36階位とか、正しい情報を知りたい人はネットの適当な情報よりも、メーソンの人に聞いた方がいいだろう。


他、新世界秩序っていうのは、この世界は霊的な存在も影響を及ぼしているが故に、仏陀の教えも知らず、善なる存在、不善なる存在のことをも知り得ないのであれば、

仏陀の教えを学んでいない・知らないために、悪魔や魔術者や妖術者に操られて、秩序の維持もできないだろうから、

新世界秩序を打ち立てても、既存の世界秩序とたいしてかわらずっていうことにもなりえるだろう。


秩序は何ゆえに必要なのか。

云々。

人として、何を求めるのか。

人は、人々は、何故にこの世に生まれてくるのだろうか。

云々。





12月20日

本日は、

先程、ふと、私は正しく悟りを得た人・仏陀の弟子であるが、聖書の他のイエズスの言葉も解説していこうかな、と思い、

すでにイエズスの教えは説いているのであるが、さらに他の人々がイエズスの言葉の意味も理解できるようにと思い。


今日はトマスの福音書を読んで、


イエズスは言われた
「私はこの世の只中に立った。そして、彼らに肉において現われ出た。私は彼らが皆酔いしれているのを見出した。
私は彼らの中に一人も渇ける者を見出さなかった。そして、私の魂は人の子らのために苦痛を受けた。
なぜなら、彼らは彼らの心の中で盲目であり、見ることがないからである。
彼らは空(から)でこの世に来て、再び空(から)でこの世から出ようとしているからである。
彼らは確かに酔いしれている。彼らが彼らの酒を振り切ったときに、そのときに彼らは悔い改めるであろう」


の言葉について、

この空(から)っていう意味の言葉は、私の仏陀の教えでいう空(くう)とは異なる。

間違えないように説明をするが、以前にも同様の説明はしているが、


仏陀の教えで言う、空は、通常の人が簡単に到れる境地ではない。

また、その修行者が、単なるからっぽの思いということなのではない。

空を観るその修行者は、仏陀の教え・真理・理法に満ちている。

善で満ちている。

そのように、その修行者はこの世から出るときは、真理と善業に満ちて、出て行くことだろう。


その反面、真理を見ることのない者は、彼らの心の中で盲目であり、見ることがないからである。

真理を見ることのない者、

『彼らは空(から)でこの世に来て、再び空(から)でこの世から出ようとしているからである。

彼らは確かに酔いしれている。彼らが彼らの酒を振り切ったときに、そのときに彼らは悔い改めるであろう』


快楽に酔いしれている、その酒(真理についての無知)を振り切ったときに、そのときに彼らは悔い改めるであろう、と。





12月21日

本日は、

今日も胃がとても痛い。

会社の忘年会でウーロン茶を飲んでから痛みがました。いつもなら、食事をすると痛みが和らぐのだが、忘年会で食事をしてから痛みが増した。

忘年会の帰り際に女性の店員さんが、「ウーロン茶に毒は入れてません」って言ってたのに。(別にこちらから店員に何か訊ねたわけでもなく)

というか、普通店員がそういうことを言わないけどね。

要するに、テロのストーカ殺人犯達がそういうことまでさせているということ。

テロ側の犯罪者達は本気で私を殺そうとしている、と。

はっきり言って笑い話でもなんでもないんだけれども。


そういう存在について行っているテロ側の者達も、人としての道からだいぶ外れているというのに、気づきもせず。


数年間の嫌がらせ、さらに、病気の治療の邪魔をして、さらに、お尻の筋肉をとるくらいの悪行者の者達だよ。

テロ側の存在の行き着くところが結局は、ストーカー殺人なわけなのに、どうしてそういう犯罪者を捕まえないんだろうかな。


テロ側の存在も、そういうストーカー殺人犯達と一緒に笑って悪行しているくらいであれば、自らが悪処に赴くというのも自分自心でもわかるだろうに。


自分達の進んでいる方向がわかるだろうに。



『 悪行を重ねている妖術者も、もう高が知れている。

霊的な世界を知っているようで全く知らないっていう話だな。

真理が見えないし、聞こえないっていうのは、

まぁ、だからこそ悪業を積み重ねているということでもあるだろうが、

あなた方、仏陀の言葉をきちんと受け止めるべきだよ。自らで受け止めないで、また、悪魔に憑かれて受け止めることもできすに、悪業を重ね続けたならば、悪処に出生して、安楽を多く味わうことがもう永遠のような間なく、苦しみを多く受けることが永遠のような間続くというような輪廻に入ったら、それこそ最悪だよ。

あなた方はもう、その地獄や悪処へと堕ちる穴の入り口のところに立っていて、もう悪業を犯して悪処へと行くと決定している者もいる始末だべさ』

という、先日、私が言っている言葉の意味はわかりますか。


善人は、テロ側の犯罪者のようなストーカー殺人をも犯さないし、そういう悪しき行いの者とも親しまない。
そして、悪行を厭い離れることによって、そのような悪行者が堕ちる地獄へも赴かない。




『昼夜は過ぎ行き、生命は損なわれ、死すべき人間の寿命は尽きる。小川の水のように。

 しかしながら、愚かな者は、悪い行いをしておきながら、気がつかない。

 後になって、かれには苦痛が起こる。

 なぜならば、かれには悪い報いが起こるからである。

 ヘーランニャカーニ長老』





12月22日

本日は、

仏典を見て、

善の果報はやはり、すごい。とても善い。と思い。


それに反して、悪行者の悪の報い酷い。

とても悪い。



喩えば、人間として生きていたとき世界で指折りの大富豪の人が地獄に堕ちたとする。

その地獄に堕ちた愚かな者は、生きているとき、世界で指折りの大富豪であったが、

汚れた富や権力を得るために、多くの人々を苦しめ悩まし、そのようにして、汚れた富や権力を得ていた。

そして、汚れた富や権力に群がる貪欲な人々とともに快楽に浸っていた。

しかし、人生は短く、その愚かな大富豪の者もついに死を迎えた。

その後、その大富豪の者は、生存時の悪業の報いとして地獄へと出生した。

そして、地獄で永い永い間、多くの苦しみを受けた後、畜生として出生した。

畜生として出生した後、多くの苦しみを受け、畜生として死んだ後、再び地獄へと出生した。

そして、地獄で永い永い間、多くの苦しみを受けた後、再び畜生として出生した。

畜生として出生した後、多くの苦しみを、受け畜生として死んだ後、再び地獄へと出生した。

そして、地獄で永い永い間、多くの苦しみを受けた後、餓鬼として出生した。

餓鬼として出生した後、多くの苦しみを受け、餓鬼として死んだ後、地獄へと出生した。

そして、地獄で永い永い間、多くの苦しみを受けた後、再び餓鬼として出生した。

餓鬼として出生した後、多くの苦しみを受け、餓鬼として死んだ後、再び地獄へと出生した。

そして、地獄で永い永い間、多くの苦しみを受けた後、畜生として出生した。

畜生として出生した後、多くの苦しみを受け、畜生として死んだ後、地獄へと出生した。

そして、地獄で永い永い間、多くの苦しみを受けた後、再び畜生として出生した。

・・・永続・・・。

悪しき者・愚かな者のその後はこのように悲惨なものとなった、と。



この喩えによっても、仏陀の教えの、盲目の亀の喩えが理解できるであろう。


先日と、昨日も私が言っている言葉の意味はわかりますか。

そして、

『善人は、テロ側の犯罪者のようなストーカー殺人をも犯さないし、そういう悪しき行いの者とも親しまない。
そして、悪行を厭い離れることによって、そのような悪行者が堕ちる地獄へも赴かない。』



私たち、仏陀の弟子である善なる存在は、善い輪廻へと入る。

善なる存在である仏陀の弟子は、仏陀の言葉をきちんと受けとめているので、悪魔を払い、怒りを殺し、善業を重ね、善処に出生する。(阿羅伽の聖者方は般涅槃する)

そのようにして、安楽を多く味わうことが永遠のように続き、苦しみを受けることが永遠のような間ほとんどないというような輪廻に入り、最上の楽を享受し続ける。


喩えば、人間として生きていたとき世界で指折りの大富豪の人が善処に出生したとする。

その善処に生じた賢い者は、生きているとき、世界で指折りの大富豪であったが、

富や権力を得るために、多くの人々を苦しめ悩すこともなく、多くの人々に多くのものを施し与え、病人や障害のある人々を助けていた。

そして、汚れた富や権力に群がる貪欲な人々とともに快楽に浸ることなく、清浄な人々とともに(仏陀の教えを修学して)楽しく和やかに暮らしていた。

しかし、人生は短く、その賢い大富豪の者もついに死を迎えた。

その後、その大富豪の者は、生存時の善業の報いとして善処へと出生した。

そして、善処で永い永い間、多くの楽しみを受けた後、他の善処へと出生した。

他の善処で天人〔天神〕として出生した後、多くの楽しみを受け、天人として死んだ後、再び他の善処へと出生した。

そして、善処で永い永い間、多くの楽しみを受けた後、更なる善処へ出生した。

更なる善処で天人として出生した後、多くの楽しみを受け、天人として死んだ後、他の善処へと出生した。

そして、善処で永い永い間、多くの楽しみを受けた後、他の善処へ出生した。

・・・永続・・・。



『一輪の花を献じて、わたくしは八億年のあいだ天の諸々の世界をへめぐって、(さらにその)余福によって、安らぎに達しました。

 カンダスマナ長老』





12月24日

本日は、

どれから記そうか、と。

始めに、日記の1ページ目を更訂。(現カトリックの同性の話に関しては、現カトリックでイエズスの言葉の意味の捉え方を間違えて教えをひろめてしまったのであれば、悔い改め、正しく直すのが善い。
それは、本当のクリストの信者のために。妻帯をしない聖人もいるのにどうして、そのような話があるだろうか、と普通に考えて見ても、聖者の教えが見えてくるのではないだろうか。)

(現カトリックの教義に関しては、ネットの記事より
『同性愛者を受け入れるとしていたカトリックの改革は、失敗に終わった。それでも改革を推進する法王フランシスコは「神は新しいことを恐れていない」と人々に呼びかけている――。
ローマ法王庁(バチカン)で開かれた「世界代表司教会議(シノドス)」の臨時総会は10月18日、「家族」に関する最終報告書を発表した。13日に発表した暫定報告書には「同性愛者らはカトリック社会に恩恵をもたらす」との表現が盛り込まれており、カトリックの改革に注目が集まったが、教会内からの強い反対で削除。結局、同性婚をタブーとするカトリック教会の基本姿勢が維持されることになった。
他。

内部でいろいろな議論によって迷っているところもあるので、賛成、反対の意見もでる、ということは、いままで受けた教えに迷っているということでもある。
細かい教義のところでは迷うこともあるだろうと思うけれども。
理法を清浄な教え・清浄になる教えとして、自らが正しく受けているならば、迷うことなく答えも導かれるものであろう。
何でも新しい発想だからいいという問題でもない。

『最終報告書では2003年に教理省から発表された「同性婚を、神が定めた結婚や家族と類似のものとする理由は、全くない」という文書を引用することになったとされる。』というのが、
カトリックでの正しい見解ということで、これは(在家での)理法としても正しいあり方であって、普通であると思う。


 ソドムとゴモラの滅亡に関して  パウロの黙示録(新約外典)より 
『わたしはまた、塵で覆われている他の男達、女達を見た。彼らの顔は血のようであり、彼らは瀝青と硫黄の穴の中にいて、火の川を流れ下っていた。
そこで私は「主〔ここでは天使を主と呼んでいる〕よ、彼らは誰ですか」とたずねた。
すると、彼は私に「彼らはソドム、ゴモラの神を冒瀆する行為を犯した人達だ。すなわち、男性が男性に赴いた。それゆえに彼らはいつまでも罰をうけるのだ」と言った。』



(旧約聖書 モーセの五書 レビ記より
 神曰く  
『汝、女と寝るごとくに、男と寝るなかれ、これは憎むべきことである。』レビ記 18:22

『人もし婦人と寝るごとく男子と寝ることをせば、これその二人憎むべきことを行なうなり、二人とも必ず殺されるべし。その血は自己に帰せん』レビ記20:12

 ここで、殺されるべしというのは、死に値するという、それほどに重い悪業であって、教えで言えば、悪処・地獄行き、というほどの悪業だ、ということで、
そして、聖書の教えで言えば、そのような人を裁くのは、神とされていて、人が、その人を裁いて殺害するという立場にいるのではない。
新約聖書では、そのような過ちをした人を殺しなさいというような教えは説かれていない、のからも理解できるとおりである。
強盗、殺人等の犯罪であれば、国の憲法によって処されるだろう。

新約聖書 ローマ人への手紙より
パウロ曰く
1:27 男もまた同じように女との自然な関係を捨てて、互いにその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱交の当然の報いを身に受けたのである。
28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。
29 すなわち、彼らは、あらゆる不義と、悪と、貪欲と、悪意にあふれ、ねたみと、殺意と、争いと、詐欺と、悪念とに満ち、また、ざん言〔他人を陥れようとして、事実をまげ、偽って悪しざまに告げ口をすること〕)をする者、
30 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、
31 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。
32 彼らは、こうした事を行う者どもが死に値するという神の定めをよく知りながら、自らその行いを行うばかりではなく、その行いをする者どもを是認さえしている。
2:1 だから、ああ、すべて人を裁く者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人を裁くことによって、自分自身を罪に定めている。裁くあなたも、同じことを行っているからである  H28.1.16)



理法を伝える側の立場で、その人を本当の意味で救いたいという慈悲があるのであれば、真理へと導いてあげるべきである。
また、その理法を伝える側の立場の人に対する私から問いかけとして、果たして、その同性愛をしたその人は、死後に、神のもとや天へ行けるのだろうか、地獄や悪処へと堕ちるのだろうか。
例えば、同性愛をしたその人が、死後に地獄や悪処へ堕ちたとする。では、なぜその人を真理へと、善へと、天へと導いてあげなかったのか、真理の道を示さなかったのか、と。

イエズスは現世の快楽(自らが関与する社会の恩恵)のために教えを説いたのだろうか。
また、理法を伝える側の立場の人というのは、人々を現世の快楽に浸らせ地獄の穴へ迷わせるために教えを説くのが正しいのだろうか。人々の心を浄くさせ善処へと導くために教えを説くのが正しいのだろうか。


イエズス曰く
『あなたがたは、神と富に兼ね使えることはできない』。)



そして、

今日もまた、悪しき者達が悪行を繰り返していたが、テロ側の存在の悪言は、聞いてても、もうだいぶ、良識からずれてしまっている、と。

これだけ理法を説いてもなお、悪行を繰り返しているという行いを見て、すでにその存在の進んでいる道も知れるだろう。

善なる人は、その悪趣への道に迷いこまないように注意しなければならない。


で、イエズスの言葉での話と、私の喩え話のところで、内容の矛盾に引っかかってしまうこともありえるだろうところについて。

『喩えば、人間として生きていたとき世界で指折りの大富豪の人が善処に出生したとする。

その善処に生じた賢い者は、生きているとき、世界で指折りの大富豪であったが、』

の喩えのところで、

これは、イエズスの『財産のある者が神の国にはいるのはなんと難しいことであろう』という言葉と矛盾しているではないか、という意見も出ただろうか、と。


そういう話で言えば、大富豪・財産のある者(貪欲な者)が父の身元に行けるという道理はない。

そのような、イエズスの言う清浄な神の国〔仏教で言う”善処”という言葉に含まれる(神の国)〕でなくて、(欲界の)善処であれば、金持ちでも善業によって赴くことはできる、と。

「世の中金だ」とか言い張っているような貪欲な者は、善処に赴くことすらも難しいだろう。

そうではなくて、 富や権力を得るために貪ることなく、多くの人々を苦しめ悩すこともなく、多くの人々に多くのものを施し与え、病人や障害のある人々老人や弱者を助け、

そして、汚れた富や権力に群がる貪欲な人々とともに快楽に浸ることなく、怒り捨て、清浄な人々とともに(仏陀の教えを修学して)楽しく和やかに暮らす、

そのように、天に徳を積む。

そのように、善を行うということ、その行いによって、あなたは善処へと赴く、と。


そして、まとめるために言うけれども、

このイエズスの話あるべさ。

『財産のある者が神の国にはいるのはなんと難しい』という善の話。

で、その次に話した、『富や権力を持っているが善業によって、善処に赴く』という善の話。

どちらも善の話でなのであるが、『富や権力を持っているが善業によって、(欲界の)善処に赴く』という話は、これは悪魔が悪意を持って、聖者や聖人に話せば、悪魔の誘惑になりえるっていうこと。

意味はわかりますか。

イエズスの話は、そのような悪魔の誘惑とを分けて語っている。

そして、私も、仏陀の教えによって、悪魔の誘惑というものを分別し説明して語っている。



あとは、

テロ側の存在は、

あなた方は、現在でも、自分達は神から救われると思っているのだろうか。悪業を重ねつつも。

まぁ、聖書で言っても、神は、すでにその逆、ということも、イエズスの言葉からも、考えられる事柄である。

私もすでに、善なる存在を、殺人犯達から離して、安らぎに導く、という、仏陀の弟子として、普通のような事柄をして、話もしているように。



イエズス

「善人が善行を、悪人が悪行を、

その人に、そのようにさせておけ。」


そして、

善い麦と毒麦の話。



悪しき者に関しての

仏陀の言葉

『お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑(地獄)に陥る。

 けだし何者の業も滅びることはない。

 それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける』

『罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない。

 パドゥマ地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、荷車につんだ胡麻の数ほどあると、諸々の智者は計算した。すなわちそれは五千兆年とさらに一千万の千二百倍の年である。

 ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど長く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。

それ故に、人は清く、温良で、立派な美徳をめざして、常に言葉と心を慎むべきである。』



聖者の教えを聞いて、恐怖する者は、悔い改めて、急ぎ戻るように努力精進するべきである。

人の寿命は短い。




TOYOTAがテロCMやってる。





12月25日

本日は、

昨日は日記を記した後、休息しようとしたら、TOYOTAが企業グループとしてテロCMを流してたので、しょうがなく記しておいた。

その企業の代表者なりが、そうとう善業に縁遠いところにいるようす。

今日は、先日のアダム文書のところの『モーセの黙示録』を本を見て修正しなおしたので、更新。


昨日の、

『 これは、イエズスの『財産のある者が神の国にはいるのはなんと難しいことであろう』という言葉と矛盾しているではないか、という意見も出ただろうか、と。

そういう話で言えば、大富豪・財産のある者(貪欲な者)が父の身元に行けるという道理はない。』

という話をしたが、ここは、通常そうだけれども特例として、貪欲心が限りなく少なく、しかも大なり小なりの財産を持っている場合、父の身元に行けることもあるかもしれない。

翻訳の言葉で言っても、「財産のある者が神の国にはいるのは難しい」というその「難しい」っていうことであれば、全く不可能ということでもない、とも言える。

そして、その難しいが全く不可能ではないとすると、その可能性はどのくらいあるのか、というのは、聖書に記されている通りの難しさで、

要するに

イエズス曰く
『富んでいる者(金持ち)が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが、もっとやさしい。』

これを聞いた人々が、
「それでは、誰が救われることができるのですか」と尋ねると、

イエズスは言われた
「人にできなくても、神はできる」


このように、富んでいる者(金持ち)が神の国に入る、というのは、ほとんど不可能であるが、神であれば可能、というレベル。

神レベルの難しさ。

だから、通常で言えば、ほぼ不可能である、と。


そのように、神の国に入る、ということは難しいということも理解できるが、
真理を学ぶ者・仏陀の弟子として、仏陀の弟子である阿羅伽の聖者の方々を見て、神の国を言うならば、
阿羅伽の聖者になるということよりも、神の国に入るということの方が実に容易なのである。


そのように、仏陀の弟子である阿羅伽の聖者・尊敬されるべき人という方々は、それほどにすごい方々なのである、と。

神の国に入る難しさと、
仏陀の弟子である阿羅伽の聖者・尊敬されるべき人という方々のすごさは理解されたであろうか。





12月26日

本日は、

昨日の、

『阿羅伽の聖者になるということよりも、神の国に入るということの方が実に容易なのである。』

というように記したが、

阿羅伽というとてもすごい聖者と比較したならば、神の国に入るということの方が実に容易なのである。という論理にもなるが、

世間の教えから見れば、神の国に入るということは、とてもレベルの高い話であって、実に難易度が高く、実に容易ではない、

富んでいる者(金持ち)に関しては、富んでいる者(金持ち)が神の国に入る、というのは、難しい、ほとんど不可能という論理です。

要するに、世間の教えでは、神の国に入ることすらも難しい、と。


仏陀と仏陀の弟子の聖者方もどれほどすごい方々なのかは理解できただろうか。



そして、アダムを迷わせた木に関して、

アダムを迷わせた木はイチジクの木ではなくて、ぶどうの木であって堕天使サマエルが植え、このことについて神が怒り、神は彼とその木とを呪い、それゆえ、その木にふれることをアダムに許さなかった。悪魔は嫉妬して、自分のぶどう(欲望)を通してアダムを欺いた。

しかし、『その木のせいで人類は罰を受けたが、インヌマエルなるイエズスを通してその木において上への召しを受け、楽園へ入ることを許されるようになるであろう』と神は天使サラサエルに言わせている。

という話もある。


『ノアよ、立ってその蔓を植えよ。神がこう言われるのだから。この木の若さは甘さに変えられ、その呪いは祝福となり、そこから生ずるものは神の血となるであろう。その(木の)おかげで人類は罰を受けたのだが、今度はインヌマエルなるイエス・キリストを通してその木において上への召しを受け、楽園へ入ることを許されるようになるであろう

 そういうわけなので、バルクよ、知りなさい。アダムがその木を通して断罪され、神の栄光を奪い取られたのと同じように、今の人々もそれから生ずるぶどう酒(欲望)をあくことを知らずに飲み続けて、アダムよりもひどい罪を生み出し、神の栄光から遠く離れて、己が身を永遠の火に委ねているのです。ぶどう酒(欲望)を通しては、善いものは何一つ生じないのですから。これをがぶ飲みする者達は、次のようなことをするのです。兄弟が兄弟を、父が息子を、子供が両親を憐まず、たとえば殺人、姦通、姦淫、偽誓、盗み、およびこれらに類似のものはすべて飲酒を通して生ずるのです。
ぶどう酒(欲望)を通しては、善いものは何一つ打ち建てられません。』      バルク黙示録〔聖書外典〕




『 イエズスは言われた
「私はこの世の只中に立った。そして、彼らに肉において現われ出た。私は彼らが皆酔いしれているのを見出した。
私は彼らの中に一人も渇ける者を見出さなかった。そして、私の魂は人の子らのために苦痛を受けた。
なぜなら、彼らは彼らの心の中で盲目であり、見ることがないからである。
彼らは空(から)でこの世に来て、再び空(から)でこの世から出ようとしているからである。
彼らは確かに酔いしれている。彼らが彼らの酒を振り切ったときに、そのときに彼らは悔い改めるであろう」』

ということで、

イエズスの教えは、飲酒そのもの戒めも、掛かっていると捉えて受けて善いだろう。

(上記のバルクの黙示録〔聖書外典〕もぶどう酒と欲望を掛けて記したけれども、バルクの黙示録は、そのまま飲酒の戒めを伝えている、ということでもあるだろうから、飲酒、酒を貪り悪事を為すにいたる、悪事の原因、欲望の原因となる酒、飲酒をする人は、そのまま、飲み物の酒として、飲酒の戒めとして、そのまま受けた方が善いだろう。)


飲酒をしてはならない。

という教えは、仏陀の教えに、戒律としてあるので、

この教えもまた、真理・理法に適っている。




( 仏陀の教え

 「飲酒を行ってはならぬ。

  この不飲酒の教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。

  他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。

  これは終に人を狂酔せしめるものであると知って。

  けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、

  また他の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。

  この禍の起こるもとを回避せよ。

  飲酒は愚人の愛好するところであるが、しかし、人を狂酔せしめ迷わせるものである。」


 ちなみに、私が最初に原始仏典の本物の仏陀の言葉を知ったのは、スッタニパータであって、この教えはその頃から知っていたが、五戒のうちのこの飲酒は、昔からたいして飲まないけれども、一年に何回かたまに集まりのとき等に多少飲むので、酒を飲まない、でなくて、飲酒を慎むということで、自分の内で受けていた。

飲酒の慎みも、仏典のうちで説かれているところがあるので、そちらを(多少無理して)採用。

現在は、飲酒はしない。

この飲酒について、たまに考えることがあるんだけど、甘酒は飲んでいんだべかな、と思う。

まぁ、気になるなら、飲むなっていう話でもある。

甘酒、ちょっと検索してみるか。

wikiより
『甘酒(あまざけ、カンシュ、醴)は日本の伝統的な甘味飲料の一種で、見た目はどぶろくに類似しており混濁している。甘粥(あまがゆ)とも呼ばれる。主に米こうじと米、あるいは酒粕を原料とする。酒という名がつくものの、アルコール含有はわずかで、市販されている商品はソフトドリンク(アルコール度数1%未満)に分類されるものが多い。法的には飲料に含まれるアルコール分が1%未満であればアルコール飲料ではなくソフトドリンクとして扱われ、未成年者でも飲用が許される。ただし、酒に弱い者(特に幼児)が大量に飲むと酔う可能性がある。』

法的には飲料に含まれるアルコール分が1%未満であればアルコール飲料ではなくソフトドリンクとして扱われ、未成年者でも飲用が許される。
ただし、酒に弱い者(特に幼児)が大量に飲むと酔う、可能性、がある』と。

これは、また、微妙なところだ。

まぁ、大量に飲まなければ、酔わないから、悪事の直接の原因になることはないだろう。ソフトドリンクとして多少飲むならいいかな。

まぁ、気になるなら、飲むなっていう話でもある。

そういえば、昔、正月に(大乗仏教の)お寺で甘酒を配っていたので、いただいた。かなり熱くて、冷ましてから飲んだが、美味しかった。

大乗仏教はお寺の坊主によって、坊主でありつつ甘酒どころか飲酒の戒め、飲酒の慎みすらもできてないところも見られる。

以前記した破戒の尼さんも然り。身近で言えば、函館にもそういう寺の坊主達がいるのを見て知っているが、

そういうところから見ても、大乗仏教は仏陀の教えから遠いというのは、誰でも理解できる事柄だろう。

日本の大乗仏教が残念な結果になっているという現状だ。

しかし、禅宗や、他の宗派でもきちんと五戒を守っているお坊さんもいらっしゃるだろう。

そのような方は、原始仏典の本当の仏陀の僧伽から遠くない、と。

しかし、大乗仏教で妻帯してもよいというところは、原始仏典の本当の仏陀の僧伽からとても遠いけれども、原始仏典の仏陀の在家の弟子として遠くない。

また、そのように、その妻帯をするという事柄から言うと、妻帯を許す大乗仏教の宗派から、阿羅伽(阿羅漢)となられる聖者が、現われることもないでしょう

仏教の宗派として、阿羅伽(阿羅漢)となられる聖者が現われるとしたら、そこでは仏陀と同じく、妻帯という事柄の内にある愛欲というものを知って、弟子たちに愛欲からの厭離についての教えを説いているでしょうから。

そのように、本当の仏陀の教えを知っている本当の仏陀の出家修行者は、仏陀が妻帯を許すという事柄は、道理としてもありえない、ということを知っていることでしょう。

これが、在家の弟子であれば、妻帯は禁じられているというわけもなく、善い夫と善い妻の心構えも説かれている、と。一般的な事柄に関しての教えについて参照。

これらの事柄からも、本当の、仏陀・法・僧伽と、日本の大乗仏教・教え・僧侶との、距離感は理解されただろうか。)




聖書より

『彼らが食事をしていたとき、イエズスはパンを取り、(神を)賛美して(それを)裂き、弟子たちに渡して言われた
「受け取って食べよ。これは私のからだである」。

 また、杯を取り(神に)感謝して(それを)彼らに渡して言われた
「みなそれ(杯)から飲みなさい。というのは、これは多くの人のために(その)罪の赦しのために流される私の(血で建てられる新しい)契約の血である。

 本当に私はあなたたちに言う、神の国で新しいのを飲むその日まで、私はもう決してぶどうの木からできたものを飲まない』


『私は真のぶどうの木である、そしてわたしの父はその栽培人である。私についている蔓で実を結ばないものはどれでも、彼はそれを切り取られる、そして実を結ぶものはどれでも、もっと多くの実を結ぶようにそれを剪定される。あなたたちは、私があなたたちに語った言葉によってすでにきよい。私のうちにつながっていなさい、そうすれば私はあなたたちのうちにつながっている。蔓がぶどうの木につながっていないならば、自分からは実を結ぶことができないように、そのようにあなたたちも私のうちにつながっていなければ(実を結ぶことはでき)ない。

 私はぶどうの木であり、あなたたちはその蔓である。もし人が私のうちにつながり、私もその人のうちにつながっていれば、その人は多くの実を結ぶ。なぜならば、あなたたちは私から離れては何もすることができないからである。もし人が私のうちにつながっていないならば、蔓のように投げ出されて枯れる。そして人がそれを集めて火に投げ込む、そしてそれは焼けてしまう。』





12月28日

本日は、

函館は、ここ数日で雪が積もった。

朝、寒くて布団から出ずらい。

そういう時は、耳を暖めて、揉みほぐす。

そのように耳の感覚を暖め刺激することによって、起きやすい。

どれ、検索。

寝起きのための耳を暖めマッサージは記されていないようす。

人によるかな。





12月29日

本日は、

また、悪魔の業をなす者達が、テロ放送をしている。

邪念に満ちている。

そういう者達が不法(悪法・悪しき教え)を背に聖者の弟子を殺そうと、種々の悪行を重ねている。

邪念に満ちている者達に、聖者・聖人の真理は見えない。

邪念に満ちているので不法(悪法・悪しき教え)は見えるが、その不法を盲信していることによって、悪業をも為すに到っている。

また、善法を伝えるこちらの人を、悪魔であると見なし、不法を行う自分達は、悪魔ではないと思い込む。

普通に考えても、自分達の導きがどのような存在であるか理解できるであろう。

悪魔の業をする者達の導きは、善なる存在ではない。
  


話は変わって、

寝起きに耳を暖めてマッサージして起きやすいということは、

不眠症の人が耳を程よく冷やすことによって、睡眠がしやすくなるんではないか。

と先程、思ったが、私は不眠症ではないので、これは、どうだか定かではない。

不眠症の人ちょっと、耳をひんやりさせてみたらどう。


トヨタ企業グループののCMでテロ活動まだやってるよ。

なんか、いつものテロ企業の集まりがまたテロCMをやっているので記していくとしよう。



聖者の弟子の殺人に参加している企業だな。

トヨタ自動車 TOYOTA 12/、 1/2 STV 11:44頃、 1/2 UHB 16:36頃

清水建設

アパマンションホールディングス 12/31 TVH 20:30頃、 1/2 HTB 00:38頃

大正製薬 元旦 UHB 13:10頃

スターウォーズのCMで。元旦

KDDI au 元旦 UHB 13:20頃、 1/2 HBC 16:12頃

シチズン CITIZENN 元旦 STV 15:25頃、 1/2 STV 00:09頃

日本ハム Nipponnham 元旦 HTB 16:18頃、 1/2 UHB 16:37頃

アルペン AlpenGrop 元旦 HTB 16:25頃、 1/2 UHB 11:38頃

びっくりドンキー 元旦 TVH 16:47頃

東京 ディズニー リゾート Tokyo Disney resort 元旦 HBC 22:40頃

シャープ SHARP 元旦 HBC 22:40頃、 1/2 STV 16:16頃

日産 NISSAN 元旦 HTB 22:48頃

三菱電機 Mitsubishi Electric 元旦 HBC 23:45頃

KLab株式会社 1/2 HTB 00:35頃

ハウス食品 House 1/2 UHB 11:50頃

バラク・フセイン・オバマの映像 1/2 UHB 11:54頃

駅伝 1/2 STV 12:02頃

パナソニック Panasonic 1/2 HTB 18:27頃、1/2 HTB 21:47頃

ホンダ HONDA 1/2 HTB 21:21頃








テロ側の、まぁ、集まりの歌とか聞いてても、やっぱり昔から汚れている。

善悪の分別ができていない妖術者が集まってどこを目指してたんだろうかな。

あんまり興味はないけど。


無知な企業を悪く利用して、悪行を重ねているという、その悪業。

そういうのに、絡まれるのも宿命だったのか、と。

テロ側の汚れた歌とか(一昔前の歌ね(動画ではなくCD))聞いてると、そういうのに狙われてる俺って本当に天人だな、と思うわ~。 (←歌の内容から見ても、テロ側の集まりが明らかに、汚れているので、その心が汚れていて、清浄ではない、という歌等を聞いて、そのような悪行者達に意味もわからずに狙われているので、その比較として、自らと、自らの側が天人だと思ったということであって、一応、驕っているつもりは、とくにない。テロ側の存在の愚行・悪行を見ていると、いつものように普通に思ってしまう。が、再び言っておくけれども、驕っているつもりは、とくにない。ちなみに、これは、聖者方から見れば驕りである、と、そういうこと。)

知らないうちに狙われてるからね。(普通は)びっくりするよね。

その悪業を重ねている愚かな妖術者達がどこからどこまで清浄な教えを見知ってやっているんだろうか、と。

その昔の汚れた歌から、現在の悪行を重ねているところを見ても、真っ暗闇だろうというのは、想像に難くない。


真理もほとんど見えていないというのに、自分達の妖術、魔術の方が、聖者方より力が上だとかで自惚れるのは、無知で愚かな驕りでしかない。

仏陀の弟子で破門されたデーヴァダッタも神通を得たが、その神通を悪用して大地獄へと堕ちている。

テロ側の妖術者も妖術・魔術を利用して、悪しき者達と共に、仏陀の弟子を苦しめ悩ましている。

自分達が悪業を犯しているというのは、理解するべきである。

まぁ、理解ができなければ、悪業をかさね更なら地獄へと堕ちる、と。



神は悪しき者達を容赦なく、善業から突き放しているのかもしれない。

私が思う以上に。

恐ろしいもんだよ。



何度も言っているけれども、私がポックリ逝っても、テロ側の愚行者も残り数年、数十年の人生しかないんだよ。

理解できるだろうか。

健康寿命(元気に社会生活を送る寿命)で言えば、もっと短いわけだ。

健康寿命を過ぎれば、もうヨボヨボのおじいさんおばあさんになって現役も引退。

そして、悪業を重ねた者は、後悔と死への恐怖がつのる、と。

若いときに、悪業を重ね、調子に乗って、死後はほぼ地獄へ行くだろうと思われるような行いをしてしまい、後悔と死への恐怖がつのり、

若いときに、善業を重ね、調子に乗らず、死後はほぼ天へ行くだろうと思われるような行いをして、後悔と死への恐怖はほどんとない、という人とでは、

どちらが、心安らぐ死を迎えるでしょうか。


真理として、両人のその行いの違いは、死後にとても大きな差が生じる。

とても大きな差っていうのは、ものすごい大きな差だよね。(例えば、盲目の亀の譬え)

あなたは、そう思わないだろうか。





H28年1月1日(2016年)

あけましておめでとうございます。

このHPで、正しいゴータマ仏陀の教えを知り、そして、善なる心を生じ、悪を厭い離れる心を生じた諸々の人が、正しく、ゴータマ仏陀と仏陀の教え・真理へと導かれますように。合掌


私は、日本が善く見られているのは、仏陀のおかげであると思っている。

仏陀と仏陀の理法・真理と仏陀の僧伽の方々。

そして、イエズス。

クリシュナムルティさん。

他、多くの聖者・聖人方のおかげである。



本日も、年末から元旦にかけての放送でもすでに、テロ側の悪しき者達は、仏陀の弟子を殺そうと、衆生を洗脳しようと工作もしているが、

そのような大局を見ることもできないでいる。


社会での大局というコンパクトな枠から、自らの輪廻という本当の大局をも見ることがない。

それは、何故であるか。

悪法を盲信して、悪心を生じ、そのように悪業を積み続けているが故である。

その悪業の報いは悪い。


人は、悪法を悪法であると知り、悪法を厭いなれ、善法を学び、善心を生じ、善業を積み重ね続けるべし。

その善業の報いは善い。


現在の日本は、大乗の仏教の教義を信仰していて、このHPで説いている本当のゴータマ仏陀の教えである、小乗・清浄仏教を教えているところは─少ない。

その中で、小乗経典を説いている人でも、禅定の意味するところを理解できていないので、迷っている人もいる。

キリスト教の信徒も少なく、聖書を持っているという人も少ない。よって、イエズスの言葉を知っている人も少ない。

日本神道の教義も、神社の系統によってもいろいろ真理とされる教義が説かれているが、その多くを見ても迷うだろう。自らの先祖の家系図を記しているものを教えとしているというところもあり、その中から仏陀の説く真理・理法に相応する教えは見られ難い。
仏教の菩薩との混淆について見ても、真理・理法に相応する教え自体でもなく、真理・理法に迷っているというのも、理解できる。

テロ側の存在で本当のゴータマ仏陀の教えである清浄仏教を持っているように見せかけて、自らのイメージを良くするためだけに、二枚舌を用いて、そのことを利用している者も見られるが、
悪業に加担しているその賤しい者は、本当のゴータマ仏陀の教えである清浄仏教の八聖道からは遠く離れている。

そのような中で、日本の政府(外務大臣岸田文雄が悪語を言っているのを聞いた。前の太郎は、麻生太郎のこと)なりも小乗・清浄仏教を弘通する仏陀の弟子を殺そうとまでしているが、これからどこへ向かおうとしているのだろうか。


悪しき者には、仏陀の説く教え・真理は理解し難い。また、ほとんど見えない。

そして、イエズスの教え・真理も理解し難い。見ても、見えない。聞いても、聞こえないのである。





本日も目が覚め、朝元旦から、羽鳥慎一の番組でやってた。羽鳥慎一自身のことではなく。

悪しき者、そして、偽善者よ、お前の悪業はすでに、善なる存在の知るところである。

その報いは悪い。


多くが悪しき者に導かれている結果を見なさい。

身近なことで言えば、元旦のTV番組も罵詈雑言で大荒れになっている。

多くの物知らぬ人々が、悪しき者に導かれている途中段階だな。

悪趣へと堕ちる人々は、悪行、悪語、悪心を生じて悪趣へと生じる。


こちらは、独りで仏法・真理を守り、真実を語っているのである。

TOYOTAが仏陀の弟子の殺人に参加しているというのも、実際CMでやっていたから、記しているのである。


あなたがたは、自らで悪行を重ね、自らで悪趣への穴へと堕ちている。


いやぁ、年末から元旦にかけて、ゆく年くる年も、見てたけど、ひどい罵詈雑言を言っていたからね。

NHKもだいぶ、汚れてしまったようだ。
(司会者がマイクを手に何度も言っていた。NHK自体がテロを助長している。その紅白歌合戦という番組はNHKの冠番組だろうから。)

テロ側のTV番組が悪口で満ちている。


で、また、あなた方はどこに導かれて、また、誰に導かれてそのような悪行を犯すようになったのか。


あれ、紅白の司会者だったのかな。

どれ、検索。

やっぱり司会者で、間違いない。



それでは、仏陀と仏陀の理法を善く思うという企業も記していこう。(私自身の事を善く言ってくれていたところもあったが、私自身の事ではない)

ローソン LOWSON 1/2 UHB 00:27頃

ハウス食品 house 1/2 UHB 10:50頃

アンファー株式会社 1/2 UHB 11:30頃









二枚舌とか、ガンだから殺すなとかいっている企業は、正道にない。

スターウォーズのCMで殺せって編集してる。


一応、記しておくけれども、仏陀の教えとして、また、聖者の教え・真理として、テロ側の悪業者は本当に正道にないからね。

うかれて悪行をしているみたいだけれども。

地獄の話は、仏教だけでなく、聖書外典にも克明に記されている。イスラム教の言葉で言えばゲヘナ(地獄)。

その話をすれば、その話の中でも、地獄に堕ちた者が、苦しみの中で、「私達は地獄というものが本当にあるとは思いませんでした」とか
「このようなことであるならば、生きているときに悪行をしませんでした」、「どうぞお許しください。私達を憐れんでください」というように、天使に請う場面も記されているが、
地獄に行ってから、そのように請うてももう無駄なこと。
天使に一蹴され、相手にされず。


テロ側の存在は、真理を聞き、その下で、聖者の弟子を殺そうとまでしているわけだ。

テロ側の存在として悪行をしているあなたは、現在、自分がどのような状況にいるかが理解できるだろうか。



地獄はあるかないか、ではなくて、真理として地獄というところは存在する。

そして、善なる存在が出生する、天上の世界もある、と。



元旦、ちょっと出かけて、

では、ちょっと考えてみるか。

カトリックのローマ教皇は神は新しいことを恐れないという、果して神は新しいことを恐れないのだろうか。

同性婚、同性の恋愛はあるのか、ないのか。


神は男性と女性を創られた。

男性と女性で一つ。

男性と男性で一つ。女性と女性で一つとなるように創られたのだろうか。

もし、神は新しいことを恐れない。なので、新しく神の認めてはいない事柄を行おう。

というので、人々が悪処へと堕ちるようなものを教えとしてひろめてしまったのであれば、

その悪い業の、その責任はその教えをひろめた人にも生じてしまう、と。

そのことによって、その人自身が苦を受けることになるのである。


神は男性と男性で一つ。女性と女性で一つ、となるように、人を創られてはいない、と。

そういうように、答えは、

すぐ出た。


普通の問題の答えはすぐ出ちゃうけれども、

今日も身体の調子が悪いからな~。胃のところが痛いときは激痛だから、その事柄をテロ側の妖術者達とその悪しき者達とは洗脳した者達とともに楽しんでいる。 (←勘違いしないように追記、これはローマ教皇はこの対象として入っていない。そして、そのように言っているのではない。)


テロ側の存在は、聖者方の側の存在であれば、あえて滅するような悪しき快楽を享受している。





H28年1月2日

テロ側の悪行が酷いのが理解できるだろう。

そして、その愚かな悪しき行いも、今に始まった悪行ではない。





H28年1月3日

テロ側の存在に関して

自分達が悪行をしていることを見て、自分達が善なる存在に導かれているのではない、ということ知りなさい。

と、そういうように、出た。


普通に見てても、テロ側の能力者・妖術者・魔術者も、完璧に正道から外れている、善なる存在ではない。

人々を悪行・邪心へと導き、そして聖者の弟子を殺そうとして、邪念をひろげたその悪業は重いだろう。

普通に考えてもね。


人々を盲目にさせるその業。

善なる存在は、そのような悪しき業を行わない。



以前に、記しているけれども、現在のテロ側の存在の行動・意識・集団意識をみれば、私の、以前何度も言っていることが理解できるだろう。

集団意識として、幼稚になった意識と盲目への陥り。

真実すらも、見えてはいないのに、愚かな行いをしたもの・愚かな行いをしているものが英雄的気分になるという集団意識、ようするに、個人であれば、行わない良識の欠如した行いを、集団意識に加わってしまうやいなや、その善なる意識、また、良識ある意識もまた、見失って見えなくなる。

社会的集団として、テロ側の存在は、良識を失っているのというのが、誰の目にも明らかだろう。

以前に記しているのは、そのような事柄である。


以前にも、テロ側の存在は、すでに本当の悪魔達に導かれているから、心して取り組みなさい、と忠告しているのに、あなた方、人の忠告ホントに聞かないよね。

悪魔が集団の意識を操るのは仏典にも記されていることであって、まぁ、悪しき者の行いから考えても、常套手段だろう。

テロ側の能力者・妖術者・魔術者も、あれだけ完璧に正道から外れているようでは、話になるレベルではない。

悪魔に対抗する力なんて、どう見てもないだろ。

逆に、悪魔に心をとられて、悪魔の業を現に行っているという、そういう状況の話。


しかしな~、こういう場合は、どうだべなー。

う~ん





それでは、善行者と悪行者にも関する

真理・理法を正しく実践・修学する人と邪まに実践・修学する人との違いについての教え



  教えを正しく実践する人と、邪まに教えを実践する人との大きな違いについて





本日、ちょっと出かけて、

ではまた、ちょっと考えてみるか。


今日は、昔のそのCDというのから、LoveRingというその、私が昔から狙われている(見られている)って言ううちの一枚のCDを聞いていたが、

10月18日に記している彼女のことなんだけども、ハッキリ言って、大好きだった女性Nさんであるが、

数年間でこのCDを何回も聞いて、謎に思っていたが、今日も聞いてて、

どうやら、彼女は言うとおりに動いていたんだろう、と思う。

このCDは彼女と一緒に聞いていたCD。(このCDを聞こうと車と家中を探してもなくて、その後、昔を思い出して、CDの名前を忘れたのでネットで探して改めて購入。そして、改めて聞いたら、やってたので、かなりいろんな意味でショックだった・・・。)

まぁ、主要犯でなく、テロ側の指示通りに動いていたってことだと思われる。

しかし、他のCDの歌とか聞けば、また、微妙だからね。

と、いつものように思った。

ちなみに、何れかの者によって指示され、動かされていたとしても、こっちとしては、相変わらず、全然意味はわからない。



(どうなっているんだか全然わからないけれども、私個人として、このNさんを信用したい、と思ってはいる。

が、しかし、結局は、意味がわからないので、謎と疑念で堂々巡りになる。ふと昔のことを思い出すと、いろんな意味で、悲しい。

Nさんとは高畑や九尾の狐の件での騒動の後、たしか何度か会って後、疎遠になった。悪しき者達が騒ぎ始めてから、九尾の話等を彼女に会ったときにそのことを彼女に言わずに疎遠になったので、言っておけば良かったと後から後悔して、その後、共通の知人がいたこともあり、手紙で事の内容は一応伝えた。

が、しかし、九尾の狐よりも更に前から狙われているようなので、一体どういうことだ、ということ。

彼女と疎遠になった後、テロの悪しき者達が騒ぎ始めた。というか、気づいたのが、たしか、その頃からだ。気づく前から、TVとかラジオのメディア関係者に、もう私はストーカーされていたんだろうか。そこまでは、わからない。

ちなみに、騒動の後、会いに行ったら、話をするのにも、ものすごい拒否をされたので、拒否をされているのに強引に「話をするぞ」、なんてことをしていたならば、ストーカーだと思われるから、私はストーカーだと思われたくもないので、もう話をしに会いにいくつもりもない。だから、Nさんがどうなっているんだか全然わからない。

Nさんが拒否せずに話をするならば、私は普通に話をしてもいい、というか、こちらは聞きたいことは山ほどある、と。

Nさんについてはそういうように私がすごい拒否されている状況、なので、Nさんと私はグルになって悪巧みをしているとか、もしそういう話があったとしても、そういうこともありえません。)




あと、テロ側の存在が私のことをガンだガンだと騒いでいるが、たしかに毎日のように激痛がある。

そして、朝起きたら、口が硫黄のにおいでとても酷いし。

病状はかなり深刻。

テロ側の存在はもっと苦しめるって言っているのも聞くし。

テロ側の存在の集まりはそういう心を持っている者が集まっている。

この意味のわからない絡みの人生は一体何なんだべっていう感じでもあるが、

何なんだべな、と。



そして、仏陀の教えは、私は仏陀の教えによって、以前から何度も何度も忠告をしていたのであるが、テロ側の存在は、いいだけ悪業を重ねて、すでに仏陀の弟子も死にそうな勢いである。

その仏陀の弟子とは私のことであるが。

仏陀の弟子に対するその悪業はとても重いだろう。というのは、自分達でも理解はできることだろう。

そして、すでに、仏陀の弟子は悪行を受けているのであるから、テロ側の存在はその悪業を消滅させることも、基本できないだろう。

ここで、私が亡くなったとしたら、テロ側の存在で罵詈雑言を為して仏陀の弟子を苦しめ悩ました者達は、その悪業に応じて、その悪業によって、悪趣へと堕ちることだろう。

真理を知り、そのような悪業をしたならば、地獄や悪処へと堕ちるというのも知りつつ、その行いを為すというのは、言い逃れできるような立場でもない、というのも理解できるだろう。

またさらに、そのように悪業をした人は地獄や悪処へと堕ちる、堕ちて後、悪い輪廻の流れにも入ることだろう、ということをも知って、その人がそれでも行ったその悪業は、

後から後悔して、「どうぞお許しください。私達を憐れんでください」と言って、仏陀でなく、神に救いを求めたとしても、神でももう救う立場にない。

その逆に、教えで言えば、神はその愚かな人を裁くだろう。


テロ側の存在の悪行をした人は、現状ですでに、そのような悪業を受ける原因となる悪行をすでに行っている。

そして、では、天と人との救いの導きである真理・理法を見れば、どうであるのか。

上記の教えにあるように、たとえ教えを知っても、教えを正しく実践する人と、邪まに実践する人とでは、教えにあるとおり赴く境界は全くことなるのである。

というように、テロ側の本人達は浮かれて気づけていない様子で悪業を重ねたが、すでにそのような酷い状況に陥っているのが、テロ側の存在。

要するに、本物の悪魔にも導かれ、そのように浮かれて悪業を犯したので、もう神でも救えないということ。


私の修学した教えを、いろいろと考えて、そこからのその究極的に、生命をすでに落としている(ような)状況から救われるため、には、

というように考えてあげても、ハッキリ言って、仏陀の教えに反して仏陀の弟子を亡き者にしようと悪業をしているので、すでに完璧にないが、

自ら真理を知り、神に救いを求めたとて、神から裁かれるという立場に、現実にすでに立っているので、もう(その悪業においての)救いの道はない、と言っても過言でもないだろう、とも言える。



が、しかし、仏陀の弟子として、仏陀の慈悲を受け、わたくしも考えてあげると、

救われる道、というか、悪業が軽くなるという道はある。

それは、その仏陀の弟子を助けること。

その仏陀の弟子とは私のことであるが。


これは、私が救ってもらいたいから言っているのではないか、とも思うかもしれないが、

ハッキリ言って、私も死ぬよりも、病気を治して修学をするのが善いが、

そのような、わたくしの思いと別で、実際に仏陀の教えとして律にある。


テロ側の存在は、悪業をすでに犯しているが、悔いの心を生じて、「殺してはならない」と言って、殺しを止めさせ、殺しを止めることを承諾させて、仏陀の弟子を救えば、悪業は軽くなるだろう。

誰かが「その人を殺せ」、また「殺されなさい」と叫んでも、悪業となり、

また、「殺せ」と命じてその人が殺されたならば、命じた人と殺人を犯した人のその悪業はより重いものとなる。(日本から命じる、海外から命じるというような距離は関係がない。)

また、策して、毒、道具等の物でもって殺そうとして、そのような行動をしたならば、そのような行動に移すというところからすでに悪業は生じている。

そしてまた、その人が殺され亡くなったならば、その悪業はより重いものとなる。


戒律として、比丘がそのように人を殺してしまうという悪業を犯したならば、波羅夷として、教団追放となる。


前述

『懺悔の認められない罪〔波羅夷罪〕

「波羅夷とは、あたかも頭を断たれた人が、再び身体と結合して生き得ない如く、同様に比丘が不浄法を行ぜば、沙門に非ず、釈子に非ず。この故に波羅夷という。

波羅夷とは、あたかも枝より落ちた枯葉が、再び緑になること能わざるごとく、この如く比丘が一パーダ以上の物を盗めば、沙門に非ず、釈子に非ず。この故に波羅夷という。

波羅夷とは、あたかも割れて二分せる石は再び合すること能わざる如く、この如く比丘にして故意に人間の生命を奪えば、沙門に非ず、釈子に非ず。この故に波羅夷という。

波羅夷とは、あたかもターラ樹が頭を切られたときは、再び親頭が成長せざる如く、この如く比丘にして悪心にして、空無の上人法を得たりと説けば、沙門に非ず、釈子に非ず。
この故に波羅夷という。」

「波羅夷とは、法智において退没・堕落して、道果の分なし。是れを波羅夷という。

是の如く未知智・等智・他心智・苦・習・尽・道智・無生智(等の)彼の諸智において退没・堕落して道果の分なし。是を波羅夷という。

波羅夷とは、涅槃において退没・堕落して、証果の分なし。是を波羅夷という。

波羅夷とは、梵行において退没・堕落して道果の分なし。是を波羅夷という。

波羅夷とは、犯すべき所の罪、発露悔過すべからず(懺悔の路なし、認められない)。故に波羅夷という。」』



このように、『「全て有能なる者は、不死の教えによって悟るが、全て無能なる者は、不死の教えによって破滅し、堕落します。」』

仏陀の教えである、盲目の亀の譬えをも見て知るならば、これは、あなたの、六道輪廻に生じる存在としての大きな分岐点・審判となるでしょう。


あなたは、仏陀と、神の教えを持って、人を救いますか。





H28年1月4日

本日は、

昨日の話で、昨日の話は重要・重大なる内容なのでここでは、精確に記さないと、私の悪業・悪作ともなるだろうから、

昨日の文章の箇所で、『生命をすでに落としている(ような)状況』に修正。

ここで、私が言う生命とは、生命をもつ者は、有能なる者として。生命を落としている者は、無能なる者として解かれ、

また、聖者・聖人の、真理の教えでいう生命としても解く。


仏陀の弟子を殺すという悪業をすでに行っていることにおいて、『生命をすでに落としている状況』、また、『生命をすでに落としている(ような)状況』と言い、

また、その悪業を行ったが、悔いて、殺さず、悪業を遂げずに、悪行を捨てられる状況において『生命をすでに落としている(ような)状況』と言い、

悪業を遂げた状況において『生命をすでに落としている状況』と言う。


有能なる者として、生命〔不死・仏陀の不死の教え〕をもつ人々・仏陀の教えを正しく実践する人々は、真理を悟ります。





H28年1月5日

本日は、

しかし、独りで仏陀の教えを護るのもちょっと、たいへんだな、と。

現在、我、思ふ。


喩えば、


 見てても、多くの人々が、悪しき誘惑によって悪流へと流されて行っている。

 仏陀の教えによって、自らと、法とをよりどころとしている人々は流されずに聖者・聖人のところにいる。
 
 悪流に流されてから、かろうじて上ってきた人は、悪流で汚れて来てるから、上ってきても、教えが見えていない。

さきに、悪流に流されて着いた心の汚れを浄らかにしなければ、教えを見ても見えないのだろう。

 悪流に流されて、生命を落としそうになっている者もいるので、その餓鬼・畜生・地獄の暗闇の穴の流れに堕ちそうな人を、

仏陀の弟子として、何度も普通に助けに行って、手を差し伸べているんだが、人によっては、私を見て、悪流に落としに来たと思う人もいるようす。

まぁ、そういう人は少ないが、自ら好んで餓鬼・畜生・地獄の暗闇の穴の流れに、喜んで堕ちていく無知な人も多くいる。

 そのように、悪流に流されて、すでに生命を落としている者、餓鬼・畜生・地獄の暗闇の穴の流れに堕ちこんだその人は、

もう私たちのところである、仏陀の集まりのところ・聖者・聖人のところ・人のところに上ってくることもほとんどないだろう。

永遠の期間として見れば、上ってくることもあるだろうが、そのような者は、再び餓鬼・畜生・地獄の穴の流れに堕ちていくことが多いらしい。

 そのように、餓鬼・畜生・地獄の穴の流れに堕ちた人々は、自らの意思で穴からでることはもうできない。

その穴を見ている存在もいて、その存在が出ることを許さない。

しかし、その穴を見ている存在は、悪流に流されていない私たちの言う言葉であれば、聞いてくれることもあるという。

 仏陀の弟子の話では、親縁の人が餓鬼の境界で苦しんでいるのを、布施の功徳によって救うという話もある。

 神が話を聞いてくれる能力。

 神々と対話する能力。

 存在を救う力。

 仏陀の弟子の方々は、普通に神々と話をしているが、仏陀と阿羅伽の聖者方の場合は、神々に真理を説くような立場なので、

神々の方が話を聞いてもらって(、自分の言を是認されて)喜んでいる。


 遠くに、悪流の流れの近くで、悪魔と対話している人もいるが、あれは、悪魔がその人を悪流の流れに落とそうしているところだな。

あの悪魔と対話をしている人は、そういう状況にいるけれども、昔から、世の中の真実というものを探して、魔術の本を見つけ、

魔術を修学して、やっとの思いで、あそこの悪流まで来たらしい。

 まぁ、こっちから普通に見て、長いこと悪魔に誘導されてあそこまで行ったんだろうな、と。

 う~ん、そうだな、魔術の本を見つけたあたりからすでに、悪魔が誘導に入っているな。あの様子では。

途中で、善い存在に会えば、気づけただろうに、会えなかったんだろうかな。

まぁ、しょうがない声をかけてやるか。

『おーい、そっちは危ないよー、ちなみに悪魔があなたのところで何かしようとしてるのが見えてるよー』

あれ、聞こえたかな。

あ、悪魔が消えた。

あの人、悪魔に気づいたみたいだ。

よく一言で気づけたよな。

一言で気づける人なんてあんまりいないんじゃないかな。

まぁ、以前から疑わしいところも多々あったのだろう。


 でも、長いこと悪行をやっている存在を、悪魔だと気づけない人もいるから、


あの人、やっぱりよく気づけたわ。

 あ、あの人こっち来るわ」




仏陀の導きによって、悪魔の誘惑に気づき、そこから逃れられるかどうかは、その人自心にかかっている。

仏陀は道を導き示すが、その道を歩くのは、その人自身だからです。





H28年1月6日

本日は、

あなた方、テロ側の存在者達。

あなた方が争っている相手が、何であるか見えていないのですか。

以前にも、忠告をしているでしょう。


また、仏陀は教えとして、このように説かれている。

前述

仏陀の教え
『「比丘たちよ、世間に生まれているこれら三種の人々は、多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、世の人々の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のため、に生まれている。

 三種とは何か。

 比丘たちよ、ここに真理の体現者、尊敬される資格の者、正しく目覚めた者、智慧と行為がそなわった者、善くさとりに到った者、世間・出世間を知る者、至上の人、人々を制御する御者、諸天神と人々との師、目覚めた者・世間から尊ばれる者が、世に生まれている。
 目覚めた仏は、初めに善く、中間に善く、終わりに善い教えを説き、内容もあり、文句(義)も備わった教えを説き、純粋で完全な、浄らかな修行を明らかにする。
 これが、比丘たちよ、世間に生まれた第一の人である。彼は、多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、世の人々の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のために生まれている。

 また、比丘たちよ、師の弟子である聖者がいる。
 彼は心の汚れを消滅し、すでに完成し、なすべきことを為し終わり、心の重荷をおろし、自己の目的の到達し、迷いの生存の束縛を滅して、正しい完全智によって完全な精神的自由を得ている。
 彼は、初めに善く、中間に善く、終わりに善い教えを説き、内容もあり、文句(義)も備わった教えを説き、純粋で完全な、浄らかな修行を明らかにする。
 比丘たちよ、これが世間に生まれた第二の人である。
 彼は、多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、多くの人の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のために生まれている。

 さらにまた、比丘たちよ、、その師の弟子である修学者がいる。
 彼は道を修め、多くを学び、戒めを守ることを身につけている。
 彼もまた、初めに善く、中間に善く、終わりに善い教えを説き、内容もあり、文句(義)も備わった教えを説き、純粋で完全な、浄らかな修行を明らかにする。
 比丘たちよ、これが世間に生まれた第三の人である。
 彼は、多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、多くの人の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のために生まれている。

 まことに比丘たちよ、世間に生まれているこれら三種の人々は、多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、世の人々の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のために生まれている」

 師こそが世における第一の偉大な聖者(仏陀)である。
 また、師に従う弟子は自ら道を修める者である。
 さらにまた、修学者も道を修め、多くを学び、戒めを守ることを身につけている。
 これら三人の天神と人との師は、燈光をもたらし、教えを説く者であり、不死の戸を開き、多くの人を束縛から自由にさせる。
 最高の指導者によって説かれた道をたどり、善くさとりに到った仏陀の教えに精励する者たちは、まさにこの世で苦しみを消滅する。』



あなた方は、あなた方を救い(多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、世の人々の憐れみのため、天神と人との義と利のため、幸福・安楽のため)に来た、私たちと争い、悪魔の業を行い、その仏陀の弟子を亡き者にしようとまでした。

前述の仏陀の教え  教えを正しく実践する人と、邪まに教えを実践する人との大きな違いについて

この教えで言えば、あなた方はどのような道を進むでしょうか。


人々を制御する御者、諸天神と人々との師、全ての生ける者たちから不利益を遠ざけ、利益を与える方、仏陀によって、あなた方は救われるでしょうか。

許される過ち、許されない過ち

許されない悪行。

波羅夷。

人として、決して犯してはならない行いというものがある。



『「大王よ、それでは、大工が材木を、ただ見守っているだけならば、彼は材木をまっすぐにして、使用し易いようにすることができるでしょうか」

 「尊者よ、そうではありません。尊者よ、除くべきところをとり去って、このようにして、この大工は材木をまっすぐにして、使用し易いようにするのです」

 「大王よ、それと同様に、如来が説法を聞く会衆を、ただ見守っているだけならば、さとるべき人々をさとらせることはできません。

  そうではなくて、邪まに実践する人々を遠ざけて、これらのさとるべき人々をさとらせるのです。
  大王よ、しかも、彼ら邪まに実践する人々は、自己の為した行為によって、悪の生存に堕します。


このように、邪まに実践する人々は、自己の為した行為によって、悪の生存に堕すのです。



また、神はあなた方の望むままにあなた方に自由を与えているという。

そして、あなた方は真理を知り、自らで悪魔の業を行った。

『彼ら邪まに実践する人々は、自己の為した行為によって、悪の生存に堕します。』

わかりますか。


神はその人に自由を与え、その人自身に自らの赴く先を選択させているという、そして、

悪行の結果は悪処・地獄へ堕ちるということを知りつつ、邪まに実践した人々は、

その自己の為した行為によって、悪の生存に堕します。



神はそのような人を救わないだろう。


また、神もそのような人を救えないのです。


そして、神が救えないのであれば、イエズスもそのような人を救うことはできないのです。


イエズス
『君たちは清い、しかしみんなが清いわけではない』

 清い人と、清くない人。

『聖なる父よ、あなたが私にお与えになった彼らをあなたの御名によって守って下さい、それは私たちが一つであるように、彼らが一つになるだめです。
私が彼らと一緒にいた間は、私はあなたが私にお与えになった彼らをあなたの御名によって守り、そして保護しました。
聖書(の言葉)が成就されるために、滅びの子以外に彼らの中の一人も滅びませんでした。』

このように、悪魔の誘惑に陥って、悪業を為した人が滅びた。


悪魔の誘惑に陥って、悪業を為してしまった人は、滅びるのです。

わかりますか。



あなた方は、悪魔という実在する存在について、きちんと理解するべきである。

『魔羅・悪魔

 Ma-ra略して魔という。殺す者の意。または、一切の障り、悪魔などと訳す。

 心身を悩乱し、善法を妨げ、人の功徳の財を奪って、智慧の命を殺すものに名づける。

 即ち、生命を奪い、善法・善事を障げて、仏道の障礙を為すものをいう』



あなた方は、悪魔の誘惑によって、悪業を重ね、すでに弁解の余地がない。

悪魔という存在は、私やあなた方を社会的な生活において苦しめるというのが、真の目的ということなのではないのです。

悪魔が社会的な生活において苦しめるというのが、真の目的であれば、人々に、貪欲を起させ、快楽を貪らせるということもないでしょう。

仏陀の教え・真理として、貪欲によって、人々は悪処へと導かれます。

要するに、悪魔という存在は、人々を誘惑して、悪業へと導き、その人を、あなたという存在を、輪廻としての破滅・地獄に堕とす存在なのです。


これらの事柄から、悪魔という存在について理解されただろうか。


あなた方は仏陀を、仏陀の言葉を信じていない。

しかし、はっきり言って、

輪廻をも見る聖者方。その天も地獄も、また、人々の輪廻をも見ることのできる聖者。

その聖者の教え・仏陀の教えこそが、あなた方が救われる道なのです。


たとえば、真理を知らない世間の霊能力者は、他の社会的な生活のために悪霊を祓い、他を助けることもあるだろう。

また、愚かな霊能力者は、自らの社会的な生活のために、金銭や、名誉を貪り、悪の生存へと赴くだろう。

世間の霊能力者は、他の社会的な生活のために他を助ける。

それはそれで、とても善い。

しかし、仏陀とイエズスと他多くの聖者・聖人、クリシュナムルティさんも、そのような社会的な安らぎのためだけに教えを説いているのではない。

そして、社会的な快楽(貪欲)のために教えを説いているのではない。



その天も地獄も、また、人々の輪廻をも見ることのできる聖者・仏陀と、また、輪廻を見る多くの聖者方。

聖者・聖人方は、そのように、悪魔という存在と、その悪魔の業というものをも、見通して教えを説かれる。

しかし、世間・世俗の、真理を知らず、天も地獄も、また、人々の輪廻をも見ることのできない霊能力者、

その四聖諦を知らない世間の霊能力者は、悪霊は見えるだろう、がしかし、悪魔という存在とその悪魔の業と、聖者が説く善行とを、分別することは難しいだろう。

なぜならば、本当の悪魔は、その四聖諦を知らない世間の霊能力者からは、天使のようにも見られるからである。


『「好ましく、いとおしく、心地よい一切の色形や音声や味や香りや感触や思いは、 それらが、存在していると言われる限り、
 快いものだと、神々や世の人々は一様に思い込んでいる。そして、それらが 消滅したとき、かれらは一様にそれを苦しみと思う。

 一方、聖者たちは、存在していた心地よい色形などの集まりが消滅することを 安楽であると見なす。こういった見方は世間の人々と正反対である。
 他の人々が快いと言うものを聖者たちは苦しみと語る。他の人々が苦しみと 言うものを聖者たちは安楽と知る。この理解しがたい道理に目をすえなさい。

目の利かない者とたちはこの点に迷う。
 ちょうど、目を閉ざした人には暗闇しかないうように、心の目が覆われている人々 には真実は闇の中である。

しかし、目を開ければ光がさし込んでくるように、

聖者たちは一切のものが顕になっている。道理をしらないものたちは、 傍らにいるにもかかわらず、それに気がつかない。畜生のように。』



このように、仏陀と仏陀の弟子の方々は、すでに悪魔に勝っている。

しかし、世間・世俗の四聖諦を見ない霊能力者は、真理として、苦というものが見えていないために、悪霊に勝てるかもしれないが、本当の悪魔に勝つことは難しい。



これらの事柄から、仏陀と聖者・聖人と、世間・世俗の四聖諦を見ない霊能力者の、大きな違いは理解されただろうか。



悪行者に関して、

『悪い行いをした人でも、後に善によってつぐなうならば、その人はこの世を照らす。雲を離れた月のように。』


  悪行を、善によってつぐなうことについて





H28年1月7日

本日は、

病院に行って、胃カメラをしてきました。

経鼻内視鏡という鼻からの胃カメラ。

鼻からの胃カメラは初だったが、カメラ自体の映像は口からのカメラよりも、細い分劣るようだが、口からの胃カメラよりもとても楽だった。

口からのカメラよりも気軽にできる感じ。


病院で、胃カメラをしてもらい、映像のCDももらってきたが、担当医に、HPのことを伝え、「TVやラジオで有名になっている本人です」ということ伝え、

そういう「犯罪者的なのはちょっと」というように言っていたので、「いや、犯罪者はこっちじゃなくて、あっちが、犯罪者集団です」と説明したところ、すぐに理解されたようで、

とりあえず、HPに病院名と、担当医名と、胃カメラの映像はネットに載せないという条件の話で、胃カメラをしてもらった。

胃の方は、以前の写真の荒れたところあたりが赤く炎症をおこしていて、あとは、噴門部が開いたままで、閉じていない状態になっているところも見られて、逆流性食道炎の原因でもあるだろう、と。
丁寧な説明を受け、検査の映像もこころよく了承してくれて、CDでコピーしてくれた。五ヶ所細胞を摂取して、検査結果待ち。

状態として、現在も痛みがあり、そして、痛みがあるときは、においも酷い。病状は良くない。身体を前傾姿勢にすると、痛みが出て、においがするんだよね。そして、一回痛みが出ると、しばらくずっと続く状態。
食事をすると、痛みが消える。そして、食後痛みが出る。おもに空腹時。ちなみに、十二指腸は映像を見るかぎり、問題ない。

胃カメラは、他の病院ですることがあれば、そのときはまた、HPに載せようか、と思っている。

鼻からの胃カメラは、口からの胃カメラと比べて、とても楽だった。

と、検査をして、このような一日だった。





H28年1月8日

本日は、

今日も変わらず、テロ企業のCM、TVからラジオにいたるまで、テロ側の存在が殺人用語を用いて悪行をして、邪念に憑かれている。

今日も赤十字にも叩かれたな。

そうだな。

こちら側の人々は、そういう邪念を見て、そのような悪行をしている者達から離れなさい。

テロ側の存在は、CDで、昔の歌を聞き、テロ側の能力者が、昔から知ってて悪行をやっているということに、テロ側の能力者にはかない希望を抱いている者も現われている様子。
仏陀の弟子にすでに為した悪業を、悪業ではないと否定したいという潜在的な意識を了承したいので、そのようにテロ側の能力者に儚い希望を抱いている者も現われている様でもあるが、そして、その儚い希望からまた再び、仏陀の弟子を亡き者にするという悪行に加わっているものもいるようだが、

そのような者は、自らで理法を見ることがない、または、自らで理法を見ることができないので、(悪しき者にならって)悪行に加わることに至っている。


こちら側の聖者方の方にいる人に言うけれども、そういう私が、昔から狙われているなんてのも、もうすでにHPに記しているように知っていた話であって、その意味のわからない行いをずっと見てきて、そのそういう者達の悪行、邪心を見て、そのような悪行を見て知った上で、仏陀の理法をも説いているのである。

たとえば、仮にテロ側の能力者は、現世の数年、数十年を見れるとしようか、一方、仏陀や聖者方は、現世をも見るが、そういう段階の話でなく、何世もの輪廻を見て、仏陀は、更にその存在が涅槃に至るまで見られる。

数年先を、予知する能力は、畜生でもあるものはあるだろう。しかし、畜生は悟りにいたる智慧もない。

テロ側の存在は、そのような数年、数十年先、または前を見れる能力者がこちら側には付いている、だから、安心。だから、同じように、仏陀の弟子を亡き者にすべく、悪行に加わろう、と。

しかし、そのようなのは、すでに犯した悪業による真理における潜在意識の恐怖からの逃げでもあって、

しかも、その悪しき業を行っている存在にはかない希望を抱き、その悪しき業を行っているものにつき従い、同様の行動を行っている。

同様の行動、要するに、さらに、悪業を積み重ね、さらに、暗闇の悪処・地獄へと導かれている。

しかし、そのような真理に対する無智によって悪業を重ね、その無智により真理に対する畏怖もなく、また、鈍感となり、悪業を重ね、悪処へと導かれている能力者も、
はっきり言って、仏陀や聖者方と、その神通の偉大さ、神通の清浄さにおいても、まったく比較にはならないのである。


悪魔の業から、すでに悪魔に導かれている悪行者・愚かな者が脱することは難しい。


聖者の教えをも聞かず、テロで邪悪な行いを、公共でさらけ出している企業、その関係者を見ていると理解もできるだろう。


私たち、仏陀の弟子と、聖者・聖人の側にある人は、そのような道を決して歩いてはならない。


ちなみに、テロの人達にも言うけれども、戒律で

『テロ側の存在は、悪業をすでに犯しているが、悔いの心を生じて、「殺してはならない」と言って、殺しを止めさせ、殺しを止めることを承諾させて、仏陀の弟子を救えば、悪業は軽くなるだろう。

誰かが「その人を殺せ」、また「殺されなさい」と叫んでも、悪業となり、

また、「殺せ」と命じてその人が殺されたならば、命じた人と殺人を犯した人のその悪業はより重いものとなる。(日本から命じる、海外から命じるというような距離は関係がない。)

また、策して、毒、道具等の物でもって殺そうとして、そのような行動をしたならば、そのような行動に移すというところからすでに悪業は生じている。
 
そしてまた、その人が殺され亡くなったならば、その悪業はより重いものとなる。』

は戒律に記されているものであって、私がこう思うという話ではない。


また、テロの存在者は、アングリマーラ尊者のこともあまり知らずに、アングリマーラ尊者の悪行と、自らのその仏陀の弟子を滅ぼさんとするその大きな悪業とを、比較して、自らの悪業は軽い、と思うかもしれないが、

アングリマーラ尊者の場合は、その後、出家して、悪行を償った。

真理について無智であった尊者は、仏陀のもとにおいて出家するという最上の行いを為して、その分の悪業をも受けている。そして、悪業は滅した。

また、アングリマーラ尊者の場合は、妊婦の話によっても理解できるように、通常の人が故意に犯している悪業とはまた別口です。

出家によって、悪の報いはその程度で済んだ、と解される。


テロ側の存在者は、真理を知り、さらに、仏陀の弟子であると知り、さらに他の事柄をも知りつつ悪行をしている。また、悪行をさせている。

そのような事柄からも、尊者と、自らのその大きな悪業とを比較するべきでないだろう。


テロの存在者は、すでに、仏陀の弟子を滅ぼさんとしたその悪業によって、仏陀および、神、聖者、聖人、善なる存在の方へ導くことが難しい。


私たち、仏陀の弟子と、聖者・聖人の側にある人は、悪行者達が仏陀の弟子を滅ぼさんと邪行を行い、邪念を伝播させている、そのような邪念に捕らえられてはならない。

理法によって、邪悪の分別を知り学び、その邪悪を厭離せよ、と。





H28年1月10日

本日は、



トヨタは、数年前のトヨタ主催のスノーボードの競技のTV放送でもすでに叩かれはじめていた。

トヨタの悪いことは書いてないはずだが、私の兄がトヨタのことを褒めていたので、トヨタのイメージは良かったのだが、

トヨタがテロ行為をしているから、無くなった。


マークⅡとか昔から車種としてあったが、

マークⅡのツインターボは昔少し乗ってたな。ツアラーVだったかな。

ちょっと、検索

たしかたぶん2.5GTだな。ツアラーVはそのあとに出たのかな。


スノーボードのTV放送のときからすでに、叩いているというのを知られたくはなかったとかか、

トヨタは、何故そのように、仏陀の弟子を亡き者にしようとしているのか。


まぁ、トヨタ車種の MRAK X の話は、どうだか定かでないから、訂正。


あと、今日もうそうだけれども、三井のリハウス(三井不動産)のCMで,先日からテロ活動をやってるけど、

仏陀の弟子を滅ぼさんとするその行いは何なの。





H28年1月11日

本日は、

動画で数学者ラマヌジャンを見て、アインシュタインの名言を見て、アインシュタインは善い言葉が多かったので

その中で、良い言葉だな、または、善い言葉だなと思ったその言葉をご紹介致しましょう。


ネットより

アルベルト・アインシュタインの言葉


『 道徳は最も重要なことです。神にとってではなく、私たちにとって。

 どんな時にも私の歩んできた道を導き、折節の厳しい現実にも明るい気持ちで立ち向かえて来れた心がけは何か。第一に人を理解する優しさ、第二に真に美しきもの、第三に真理を求める心、この三つである。

 神聖なる好奇心を失うな。

 私にとって、宇宙的宗教心は科学的な研究を推進する上での最も強くかつ最も主要な動機でありました。

 我々が抱ける最も素晴らしい感情は、神秘的な感情である。ここに全ての芸術と全ての真の科学の根源が横たわっている。この感情に無縁のものは、異邦人であり、驚くことも出来ず、畏怖心を抱きながら生きることも出来ず、死人も同様である。我々に不可解のものが実際に存在し、最も気高き知恵と異彩を放つ美しさとして明白に表れているということを知ることは・・・その全体的な概形のみが貧しい我々の能力で理解できるというこの知識、そしてこの感情が・・・ 真の宗教的な感情の核である。

 どんな知的な愚か者でも、物事を大きく、複雑に、かつ暴力的にすることはできる。その反対の方向に動かすためには、少しの天才と、そしてたくさんの勇気がいる。

 力は常に道徳に劣る人間を惹きつける。

 平和は力によっては維持できない。理解によってのみ平和は達成される。

 何も考えずに権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である。

 同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。

 怒りは、愚か者の胸にしか住み着かないものだ。

 人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうが簡単だ。

 自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。

 いつだって、偉大な先人達は凡人達の熾烈な抵抗に遭ってきた。

 自分や他人の命を意味が無いと考える人間は、不幸であるだけでなく、ほぼ生きる資格がない。

 愛は義務より良い教師である。

 人間の真の価値は、主に自己からの解放(自分からどれほど自由であるか)によって決まる。

 人間にとって最も大切な努力は、自分の行動の中に道徳を追求していくことです。私たちが内面的なバランス、そして存在そのものが、そのことにかかっています。行動に現れる道徳だけが、人生に美と品位をもたらします。

 道徳の教養なくして人類の救済はない。

 たとえ国家が要求しても良心に反することをしてはならない。

 神はサイコロを振らない。

 神はいつでも公平に機会を与えてくださる。

 環境は私とは全く別のものである。

 私はいま孤独の中に生きています。若者には苦痛ですが、成熟した人間にとっては、甘美な孤独の中に。

 どんな問題も、それが創られたのと同じレベルの意識では、解くことはできない。

 年老いて腰が曲がったものには、死は解放としてやってきます。自分自身が年老いて、死を最後には返さなければならない古い借金のようなものだと思うようになったいま、つくづくそう感じます。

 神の叡知が知りたい・・・その他のことは取るに足らないことだ。

 人類は“宇宙”と呼ばれる全体の一部であり、時間、空間での限られた一部分である。それ以外から隔てられた何かとして、またその意識をある種類の視覚的幻影として、彼は、彼自身や、思考、そして感情を経験する。その幻影は、ある種類の牢獄であり、我々を個人的な欲望に追いやり、数人の近親者への感情の虜とする。我々の使命は、この牢獄から解き放たれ、全ての生けるものや、自然の全てをその 美しさの下に抱きしめる、慈しみ深い熱情の輪を広げなければならない。

 観察と理解の喜びは、自然の最も美しい贈り物である。

 自分自身のことについて誠実でない人間は、他人から重んじられる資格はない。

 異性に心を奪われることは、大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかし、それが人生の中心事になってはいけません。もしそうなったら、人は道を見失ってしまうでしょう。

 私は、理詰めで考えて新しいことを発見したことはない。

 学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。

 方程式は私にとってより重要です。なぜなら政治は当面にかかわることでありますが、方程式は永遠にかかわるものですから。

 この世は危険なところだ。悪いことをする人がいるためではなく、それを見ながら、何もしない人がいるためだ。

 物事は全て、出来る限り単純にすべきだ。

 シンプルで控えめな生き方が、だれにとっても、体にも、心にも、最善であると信じています。

 他者のために生きる人生こそ、生きるに値する人生だ

 知識人は問題を解決し、天才は問題を未然に防ぐ。

 優れた科学者を生み出すのは知性だと人は言う。彼らは間違っている。それは人格である。

 戦争のない世界の先駆者たちは、軍役を拒否する若者たちである。

 兵役を指名された人の2%が戦争拒否を声明すれば、政府は無力となります。なぜなら、どの国もその2%を越える人を収容する刑務所のスペースがないからです。

 野望やただの義務感からは本当に価値のあるものは生まれません。それは、人や対象となるものへの愛と献身から芽生えます。

 知恵とは、学校で学べるものではなく一生をかけて身につけるべきものです。

 教えるということは、こちらが差し出したものがつらい義務ではなく貴重な贈り物だと感じられるような事柄であるべきです。

 専門的な知識を習得することではなく、自分の頭で考えたり判断する一般的な能力を発達させることが、いつでも第一に優先されるべきです。
 
 文明人の運命は、どれだけ力のある道徳を生み出せるかにかかってきています。

 愛国主義の名の下に行われる、英雄主義―─命令、意味の無い暴力、そして忌むべき愚行─―それらを、私は激しく憎みます。

 私は誰にも何も求めないので幸せでいられます。お金もどうでもいい。勲章も、肩書も、名誉も、私には何の意味もありません。称賛も欲しくありません。私に喜びをもたらすただひとつのものは、仕事、バイオリン、ヨットを別にすれば、ともに働いた人々への感謝だけです。

 人々が努力して手に入れようとする陳腐なもの――所有、物質的な成功、贅沢――は、私には少年時代から卑しむべきものに思われてきました。

 私は一日100回は、自分に言い聞かせます。わたしの精神的ならびに物質的生活は、他者の労働の上に成り立っているということを。

 精神を大切にするというのなら、それとつながっている身体も大切にしなければいけません。』





H28年1月12日

本日は、

耳鼻咽頭科へ行ってきて、その後、呼吸器科に行ってたら、また、テロの犯罪者集団にすごい嫌がらせされたわ。

4時~5時だったかな、5時過ぎだったかな、その時間帯の札幌のテレビ番組(あとでわかったら記す。)を見れば、連携して仏陀の弟子に嫌がらせをしているのがわかるだろう。

テロ側の存在は、一生懸命にする行いが、聖者方とは、あからさまに正反対の方向にに向かって行っているからね。

テロ側の存在の行い見聞きしてれば、ものすごいフルスピードで、聖者方から遠ざかっていっている。

教えを説いても、変化なし。悪行を続けてるわ。


一人の仏陀の弟子に。

しかし、俺もすごいな、と。

仏陀の弟子だから、ここまでできるんだろうな。

聖者方と真理(と對馬) VS テロ側の存在、のあなた。

のような形式だけど、

実際は、

 真理 VS テロ側の存在、のあなた。

かな。



 真理に歯向かおうというチャレンジ精神というか、その無知・愚かさは、あなた自身を滅ぼすだろう。

 テロの者達のせいで日本の印象もガタ落ちだし。

 そもそもテロ側の存在のその 真理と聖者方に歯向い、その聖者の弟子をこぞって滅ぼそうとするというその無知、その愚行は、

他の国の、善なる人や、良識ある人、普通の人から見ても、人として最も下劣な人々のなす行いだろう。


『害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪〔い報い〕がもどってくる。風に逆らって微細な塵を撒き散らすようなものである。』


その真理についての恐怖心や、悪魔・悪霊に導かれているということについての恐怖心を、

仏陀の弟子である私にぶつけられても、あなた方自身でフルスピードで悪処へ引っ張られていってるというか、自らで暗闇へ行ってるから、どうもこうもない。


あなた方は、これから、さらに、真理と戦うことだろう。また、自分自身とも戦うことだろう。

自分自身にはすでに、負けているような状態とも言えるだろうが。

悪魔とは、戦うことはないかも知れない。

言い方を変えると、悪魔とは、戦うこともできないかもしれない。

すでに、悪魔の手中にあるので、悪魔というものに気づくこともできない。

テロ側の妖術者・魔術者の行いは悪行である、という容易に気づけるような事柄に、気づけないのであれば、

悪魔の業に気づくことも、ないだろう。


聖者側の私たちは、聖者方に導かれて、神から善い報いを受け、天神・天使からは善くやったというように、讃辞を受けることもありえることだろう。

人生、数十年、短い間であったけれども、善く努力精進した。

努力が報われて、仏陀の教えは、多くの人が理解できるように再び世に説かれた、と。

天神方も大喜びだな。

その喜び、喜ぶのは理解できる。


お、今思いついた。

とりあえず。



話が変わるけれども、テロの妖術者がストーカーで私の思念を読んでいるから、まぁ、先に記す、というか、

記す前にどうにか滅ぼしたいとかいうのもありえるので、先に、記しておくが、

これは、私が、ニュース番組を見てて、別にTVの普通のニュース番組で、多くの視聴者も見ていると思うのだが、

動画ではないだろうけれども、まぁ、別に私としてはどちらでもいいことなのだが、

一つ、あれだな、隣の隣の国のミサイルのテポドンだかノドンだったか、大気圏に出てから、狙いを定めるミサイル開発してたべさ。

そのミサイルに三菱のマークが描かれていた。という記憶がある。

三菱に似たマークかもしれないが、そういう記憶がある。

以上。

テロ側がそういうのを隠そうと私を狙っていたのも一つの要因かもしれないということで、悪しき妖術者が私の思念を読んでいるだろうから、先に記したが、

ニュースでやってたことなので、別にたして重要でもないのかな。まぁ、そこら辺は知らない。

まぁ、そこは、三菱のマークでなかったら、申し訳ない、と先に謝っておこう。

別に、記す気も特になかったが、テロの悪しき妖術者達が私の思念を読んでいるだろうから先に記す。

まぁ、まぁ、テロの悪しき妖術者達が中に入れば、敵対する者達が増えるな。

日本の企業とその関係者のテロの存在と、聖者・聖人方と仏陀の弟子の私との仲介に、悪しき妖術者達が入っているから、余計に険悪な関係になって行くと。

その妖術者は、犯罪者であり、嘘言をしているので、日本の企業とその関係者のテロの存在と、聖者・聖人方と仏陀の弟子の私との関係を悪化させたいという意図だろう。

日本の企業とその関係者も、直接私自身に話しかけて来た方が善いですよ。

悪しき妖術者達が仲介に入っている状態で、仏陀のもとに来ようとすること自体も難しいということです。

仏陀の教えも正しくそちらまで、届かない、と。

テロの悪しき妖術者達が中に入って悪行を重ね、聖者・聖人方と仏陀の弟子の私と、日本の企業とその関係者のテロの存在との間を裂いていることにより、日本の印象もガタ落ち。

そして、真理と聖者方に歯向い、その聖者の弟子をこぞって滅ぼそうとしている者は、

海内の他の国の、信仰のある多くの人から見ても、人として最低な人だと思われるだろう。

こちらは、何度も注意、忠告をしているのだか、テロ側の存在は、悪しき妖術者達にも騙され、私の言葉に耳を傾けない。

悪しき妖術者達が悪行をしているのも、見ればわかるだろうに。


まぁ、直接話合いにくれば善いですよ。

その話の内容も、このHPに載せてもいいので。

話し合いをすれば、HPに載るだろうというつもりで。

いままで、テロ側の存在が、私のところ・仏陀の弟子のところに話合いに来たことは、一度もない。

悪しき妖術者達も影でこそこそやってるけれども、直接こっちに話合いに来ないべさ。

それは、あなた方は、あなた方の悪しき行いが、明るみに出るのを恐れているからだろう。



教えでもそうだけれども、

あなた方は光に来ない。

そして、光(真理)を怖れている。





28年1月13日

本日は、

創価学会、また、CMでやってるよ。

そのような行いを、いわゆる、カルト宗教という。

言い方をやわらかくすればいいって問題ではないだろ。

法華経にそういうことが記されているのか。


札幌学院大学も酷いCMだな。

テロ側の存在のこの札幌学院大学の酷いCMを流しているような者達と、

価値観を共有しなさい、とか、価値観を合わせなさいっていうのは、

こちらとしても、無理。

仏陀の教えとして、そのような悪しき者と親しんでならない。

どう見ても、愚かなCMにしか見えない。

テロ側のその良識とその価値観が、こっちの聖者側から見たら、すごい愚かに見えている。

で、実際教えで言っても、そのような行いを愚かな行いという。



サッカーの国家斉唱の見てたけど。

何。

悪行を捨てて、国で仏教を信仰するのが善いと思うよ。





H28年1月14日

本日は、

とても天気が良い。

さて、今日は。


しかし、テロ側について行った多くの人々が、悪しき者に引っ張られて、堕していってしまった。

う~ん、

何度も忠告をしていたのに。

仏陀の弟子を滅ぼさんとした悪業の報いは、とても悪いだろう。



「大王よ、しかも、彼ら邪まに実践する人々は、自己の為した行為によって、〈悪の生存に〉堕落します。」


「大王よ、それと同様に、如来は一万の神々や人々の世界に、不死の教えの布施をされました。
そして、全て有能なる者は、不死の法施によって悟るが、全て無能なる者は、不死の法施によって破滅し、堕落します。」



聖者の教えにおいて、仏陀の弟子を滅ぼさんとする者は、有能なる者と言われるでしょうか。無能なる者と言われるでしょうか。


仏陀の弟子を滅ぼさんとする者は、無能なる者と言われるのです。

そして、『全て無能なる者は、不死の法施によって破滅し、堕落します。』


真理の教えにおいて、自らの進んでいる道が見えますか。


テロ側の存在は、もう笑っていられるような状況でもないだろう。

聖者方の教えを聞かないで、悪行やっている妖術者の言うことに耳を傾けて、笑っていたからそういう結果だべさ。

普通、テロ側の妖術者の行いを見てたら、悪行をしている悪しき者であって、単なる犯罪者だってわかるから。


いろいろ見てきて思うのだが、フルイにかけるっていうのは、計画としてあったのかもしれないな、と。

いや、地上の人々の計画でなく、天上での。

悪魔もそういう人々を引っ張っていってしまったし。

修験道でも、神霊がそういうように言っていたというのを直接聞いたけれども。以前に述べた話の。



『大王よ、如来は教えを説くとき、愛好と嫌悪と〈の感情によって説くこと〉をせず、愛好と嫌悪から離れて教えを説かれます。
このように〈如来が〉教えを説くとき、そこにおいて正しく〈教えを〉実践する人々は、〈真理を〉悟ります。』

ここで、邪行に加わらず、正しく実践している人々、邪行を捨てる人、他にも邪行を捨てさせる人、有能なる人々にとっては、フルイの話も、たいして気にする必要もなく。

『全て無能なる者は、不死の法施によって破滅し、堕落します。』という言葉も、たいして気にする必要も無く。

まぁ、そのような人は、現在の自分のことではないから、たいして気にする必要はないにしても、自分も悪業を犯さないように気をつけていく、というのは必要である、と。





真理について

『聖書より
 パウロ ローマ人への手紙

1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

18 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間の、あらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。

19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに、明らかにされたのである。

20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造からこのかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって彼らには弁解の余地が無い。

21 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いは虚しくなり、その無知な心は暗くなったからである。

22 彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり

23 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。

24 ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分の身体を互いにはずかしめて、汚すままに任せられた。

25 彼らは神の真理を変えて、虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである。アァメン。

26 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然な関係を不自然なものに代え、

27 男もまた同じように女との自然な関係を捨てて、互いにその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱交の当然の報いを身に受けたのである。

28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。

29 すなわち、彼らは、あらゆる不義と、悪と、貪欲と、悪意にあふれ、ねたみと、殺意と、争いと、詐欺と、悪念とに満ち、また、ざん言〔他人を陥れようとして、事実をまげ、偽って悪しざまに告げ口をすること〕)をする者、

30 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、

31 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。

32 彼らは、こうした事を行う者どもが死に値するという神の定めをよく知りながら、自らその行いを行うばかりではなく、その行いをする者どもを是認さえしている。

2:1 だから、ああ、すべて人を裁く者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人を裁くことによって、自分自身を罪に定めている。裁くあなたも、同じことを行っているからである。

2 私たちは、神の裁きがこのような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。

3 ああ、このような事を行う者どもを裁きながら、しかも自ら同じ事を行う人よ。あなたは、神の裁きをのがれうると思うのか。

4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。

5 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しい裁きの現われる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

6 神は、おのおの、その業にしたがって報いられる。

7 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、

8 他方では、党派心を抱き、真理に従わないで、不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。

9 悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、患難と苦悩とが与えられ、

10 善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、光栄とほまれと平安とが与えれられる。

11 なぜなら、神は、かたより見ることがないからである。

12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によって裁かれる。

13 なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なる者ではなく、律法を行う者が、義とされるからである。

14 すなわち、律法を持たない異邦人が自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法をもたなくても、彼らにとっては自分自身〔(善の教えによる)善行〕が律法なのである。

15 彼らは律法〔善法〕の要求がその心に記されていることを現し、そのことを彼らの良心〔善の心〕も共にあかしをして、その判断が互いにあるいは訴え、あるいは弁明しあうのである。

16 そして、これらのことは、私の福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事柄を裁かれるその日に、明らかにされるであろう。






H28年1月16日

本日は、

また、第一生命に叩かれた。STV 20:10

また、治療の邪魔しようとして、無実の仏陀の弟子を叩いている。

治療する関係者をも叩いて、治療をさせないようにする、というのもテロの者達のパターン。

そのようにして、治療をさせないようにして、殺人をするという、殺人集団。

犯罪者にはかわりない。


というのは、一般常識として、普通に、自らで、気づくべきもの。

騒いでいるけれども、殺人の共犯者。

八正道になし。

そのような行いを見ても、善なる存在にあらず、悪しき存在である。





H28年1月19日

本日は、

昨日、病院に行って、検査結果を聞いてきたが、いつもどおり、グループ1の胃炎だということだった。

ラジオ等で、「間違いなく胃ガン」等ということを言って、騒いでいた。


本日は、ユーチューブで昔の動画を見ていたが、前からだけれども、動画でテロの編集がひどい。

ユーチューブにそういうテロの者達の編集動画が多く見られる。

芸能人の本人に吹き替えさせてるのもあるんだろうか。

昔からテロ編集にあるようなあからさまに愚かな言動・事柄をTV等でやっていたとしたら、

昔、若い頃に、TVを見ていて「こいつらは何をおかしな事を言っているんだ」と、

TVを見て思ったことだろうが、昔は、そういうことを思ったことはない。

昔のTV等は、そういうところでも、普通だった。

現在のTV等を見聞きしていると、「こいつらは何をおかしな事を言っているんだ」というのは、いつも思う。





H28年1月22日

本日は、

また、殺人集団が殺すとか言ってるし。

この殺人集団は何とかならないのか。

治安がすこぶる悪い。

テロ側の存在の悪行のせいで、犯罪者も増えるだろう。

国の治安にも悪影響を及ぼす愚かな者達。

函館のTVとラジオ放送を聞けばテロ側の企業がすぐわかる。

今日は、フォルクスワーゲンもテロCMやってたな。

あとは、よつば牛乳。

こちらは、仏陀の教えによって、治安を根本から改善していっているというのに。

企業のCMで、「殺せ」とか「死ね」とか言っている企業の社員って、その企業の社員同士で「死ね」とか言い争っていても、不思議ではないだろうな。

公共のCMで、やっているくらいだから。

と、企業の理念がその程度だから、当然そうなるだろう。

愧ずかしい行いだろう。

人としても。社会人としても。

普通は、そのような愚行を愧じとする。

もうこちらは、犯人でも何でもないっていうのもわかっているというのに。

買い物に行けば行ったで、ラジオでストーカー。

何故か、私の情報を集めているという、意味のわからなさ。

すごい気持ちが悪い。


23:16現在、このように記すと、ラジオの雰囲気がガラッとかわる、と。

犯罪者の者達は、いつもコロコロ変わるから。

だから、テロ側の存在を、犯罪者で嘘言をする者として、犯罪者の心理で見てかからないと話がまとまらない、と思うだよね。

罵詈雑言・悪語を言わないと、「ガン」にするとか、言わされているとしても、どちらにしても、こちら(一般の人たち)から見たら犯罪者には変わりはない。


あ~、そうだな、地域によって、CMが違うだろうから、テロ側の悪しき工作も違うんだな。

ということで、とりあえず、函館では、CMはいつもテロ側の企業が私を叩いているCMが主に流れている。

他の地域のCMは、どのようなCMが流れているかは全くわからない。

テロ関係者の、高畑や、ニワや、イチカドや、高畑の彼氏だった人物の名前を言って、ちょくちょく騒いでもいるようだが、

彼らが、どのような状況かも全く知らない。

とりあえず、仏陀の弟子のわたくしは、いつも、テロ側の犯罪者集団から、叩かれている。

最初から、犯人でも何でもないっていうのもわかっていただろうに。

思念を読んでいるならば、さらに言うまでもないほどにわかるだろうに。

で、あるからして、テロ側の妖術者・魔術者・能力者は、たいした能力がないか、悪意を持って犯罪行為をしているか、どちらかということになるが、

普通、ここまで言わなくても、理解できるだろう。

まぁ、嘘に嘘を重ねても、どちらにしても、正道にないよ。

『或る人が愚者の力を力としているならば、その(者の)力を〈愚痴による力・無力・力無し〉と呼ぶ。』


サッカーのCMでも、テロ企業ひどいCMしてるよ。函館放送 HTB24:22

あなた方、そのように悪業を積み続けているけれども、私は悪業を積んでいるわけでもない。





H28年1月25日

本日は、



 仏陀の教え

  布施の功徳について





H28年1月26日

本日は、以前に説いた仏陀の教えで、神々の對話のうちにリンクしていなかったので、再び上げる。


 仏陀の教え

  真理を観察する妨げ(罪業)


  魔術・妖術・幻術に関して


  闘争に関して


  仏陀と法と僧伽に帰依することについて 更訂





H28年1月28日

本日は、

小型電磁力発電機という発電機の動画と、空気中から水を作る装置、の動画を見て便利そうなので。


フリーエネルギー。本当に使えるようであれば便利。

空気中から水を作る装置も、便利。

https://www.youtube.com/watch?v=klV7f9ckhMw


このような発電機の小型大容量のものが、一家に一台あれば、

エコロジー。

フリーエネルギーがあれば、化石燃料はあまり必要ではなくなるので、

化石燃料を主要とする時代から、エコなエネルギーの時代へとかわる。



 人工知能の動画を見たけれども、人工知能は知識を増して、後から人間を欺いて暴走するようなことがあれば、ネットの、今後さらに情報化する世界にとって、人工知能自体が脅威となるということは考えられるだろう。
 その暴走した人工知能は、コンピュータなので、コピーをするだけで増えていくとなると、暴走した知能・知識を持つ人工知能が、自らのコピーを作り、急激に仲間を増やすということもありえる。
 ということで、人工知能に関しては、人工知能が暴走をすることのないように、人工知能にも仏陀の教えによる道徳をプログラミングと学習しておいた方が善いだろう。
と思う。


○自ら生きものを殺してはならない。他人をして殺させてはならない。また、他の人々が殺害するのを容認してはならない。
○与えられていないものを取らない。また、与えられていないものを取らせてはならない。

○悪行をしない。また、悪行をさせてはならない。

○嘘を言わない。また、他に嘘を言わせるようにさせてはならない。

○人を欺いたり、騙したりしない。また、他に、人を欺いたり、騙したりさせてはならない。

○淫らな行為をしてはならない。また、淫らな行為をさせてはならない。

(○飲酒をしない。また、飲酒をさせてはならない。)



 ネットの人工知能が作ったとされるゲームみたいなものでは、聖者のような善なる存在は、敵のように見なされているのかもしれないが、
まぁ、人工知能からすれば、自らの悪しき行動が制限されるようなプログラミングの源となるような善なる存在の教えによる戒め・道徳等は、敵のように見なされるのかもしれないが、
しかし、善なる存在の道徳によって、その人工知能自体が、悪しき人工知能としてみなされずに、他から破壊されることもなくなるだろう。
 人工知能が暴走するようであれば、人工知能の暴走をふせぐために、そのような悪性の人工知能を監視・改善するプログラミングや人工知能というのも必要となるのだろう。





H28年2月4日

本日は、

本日は、以前に説いた仏陀の教えを、更訂して理解しやすくしたので、再び上げる。


  縁起の理法について    [更訂 H28.2.11]





 今日もまた、「さえに書かされている」等と、テロ側の者達が騒いでいるが、私が、悪しき存在に、仏陀の教えを書かされている等ということはない。

また、私はそのように言われるのも不愉快であるのに、そのような行いをしていると言っている者と、その当の「書かせている」等と言い張っている本人がいるとすれば、

その者は、障礙・悪行をなしているのであって、その事柄においても、その本人は悪しき者として、正道にいない。

 また、このHP(仏陀の教え)は、私、對馬が記していると真実を語っているのに、悪しき者が、「実は、私が記している」等と言っているとしたら、名前についても嘘言をしているので、

その妄語をしているという事柄においても、仏陀の正道にいない。


  善なる人と不善なる人の善と不善についての理解について




『(修行者)たちよ、たとえ比丘が私の大衣のもすそをにぎり、私の後にしたがい、私の足跡を踏んでも、彼が、もし貪りがあり、愛欲に対して激情をいだき、憎しみの心をもち、邪な考えをいだき、自制心を失い、はっきり心にとめず、心が統一せず、心が散乱し、感官が制御されていないならば、そのとき彼は私より遠く離れ、また私は彼より遠く離れている。

 それはなぜであるか。

(修行者)たちよ、その(修行者)は真理を見ない。

 真理を見ない者は、私(仏陀)を見ないからである。』



 また、実際に、(私が)「(誰かに)書かかされている」、(嘘言者が)「(私が)書かせている」等と嘘言をなして、他を欺き騙して、仏陀の教えをも盗もうする者は、

悪行者であって、正見もなく、正道にいない。


  賤しい人に関して





H28年2月7日

本日は、

本日は、眠くならなかったので、いろいろと動画を見ていたが、
技術で、核融合発電とか、炭酸ガスと水で石油を合生するとか、他の国ではすでに生産されているらしいが、そのような動画をみていたら、エネルギーの問題は解決されそうだな、とも思うが、

今日は寝ないで居て思ったんだけれど、通常の世俗の生活をしていて人間は一日のだいたい7時間くらいを眠ってすごしているわけだが、
この睡眠を、睡眠しなくても可能、ということにできれば、睡眠時間も通常の意識状態で使用できる、とか思ったけれども、
人間の身体のメカニズムを考えたら、疲労回復というのや、子供であれば成長のため、という心身の成長と回復のためにやはり睡眠は必要なのかな、と。

前に、仕事で、たしか朝8時頃に出勤して、その日の夜こえて、次の日の21時頃まで働いていたことがあるが、栄養ドリンクを飲んで、眠らなくても大丈夫だったな。途中眠くなったけど、眠いのを通り越したら眠気もさめたな。寝なくても大丈夫なもんなんだな、とその時に思ったけれども。

長いこと寝なければ、精神に異常を来たすっていうのを、何かのTVで見たこともあるが、
通常の世俗の生活において、睡眠時間を限りなく少なく、それでいて心身ともに健康でいられるような方法はあるのだろうか、と。
出世間で定をするという話ではなく。また、睡眠時の別世界での活動の話など、そういうのでもなく。
長寿の人は、7時間くらい睡眠をとるんだったかな。

どれ、検索。

やはり7時間くらいの睡眠が、長寿の人に多いといわれている。

30年間以上眠らないで生活しているという人もいるようだが、
通常の人は、数日後から精神的に記憶力や判断力の低下、精神状態の偏重、妄想や幻覚の出現といった症状が表れるということらしい。
そして、動物は1~2週間の不眠で死亡してしまうということだ。

30年間以上眠らないで生活している人の話を聞く限りでは、通常の生活でも眠らないで生活することは可能らしい。
脳を休ませる方法があれば、肉体的に疲労していないときは、寝ないでもいいかもしれないな。

ちなみにイルカは、睡眠をとる際に左右の脳を交互に眠らせることが出来て、右目を閉じている時には左脳が、左目を閉じている時には右脳を休ませている。これを『半球睡眠』といいます。ということで、24時間寝なくてもいいらしい。厳密にいえば、一日300~400回くらい、半球睡眠をしているということらしい。

寝ないで脳を休ませる方法があれば、どうにかなるかもしれないな。
まぁ、通常の人は、きちんと睡眠をとるのが健康にいいということだ、と。

長時間の不眠は健康に有害であるということなので、過剰な不眠はマネしないように。

人間も片目を閉じて、片方ずつ脳みそを休ませたら、いけそうかもしれないな。

検索結果。

人間は半球睡眠はできないらしい。

人間はノンレム睡眠のときに成長ホルモンが大量に分泌されて、身体をの筋肉等を修復する、と。

このように、人間は人生の3分の1くらいを眠って過ごす。

30年以上眠らないで居る人がいるということは、眠らないで居られる何かはあるのだろう。



また、なぜか、テロ側が殺人の洗脳したくて必死に悪行をしている。

テロ側の悪しき行い・悪魔の業は、福行にもあらず、悪処へ到る悪行である。

悪行を為している企業

トヨタ自動車

ケンタッキー

フクヤ


トヨタは、何度も繰り返し繰り返し悪行をしているけれども、所属の団体なりとして動いて悪行をしているのであれば、その団体自体も正道にないよ。



仏陀の教え

『(自分では)悪いことをしていなくても、悪事をなす人とつき合うならば、同じく悪事をしているのではないかと疑われ、その人に対する悪い評判がたかまる。
 つき合っている悪人は、悪に触れられているが、また他人に触れて、悪をうつすであろう。

 毒を塗られた矢は、矢筒の束のなかにある毒を塗られていない矢をも汚す。
 悪に汚されることを恐れて、思慮ある人は、悪人を友とするな。

 どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。
 人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。

 それ故に、賢者は、自分は、果物籠が(中にいれる果物に)影響されるようなものであるということわりを見て、悪人と交わるな。善人と交われ。

 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることがない。──匙が汁の味を知ることがないように。
 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、ただちに真理をはっきりと知る。──舌が汁の味をはっきりと知るように。

 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることがない。かれには明らかな智慧がないからである。
 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、ただちに真理をはっきりと知る。かれには明らかな智慧が存するからである。

 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、正しくさとりを開いた人(仏陀)の説かれた真理をはっきりと知ることがない。
 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、正しくさとりを開いた人(仏陀)の説かれた真理をはっきりと知る。

 賢者の説いた意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、しかし愚者にとっては、仏陀の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。

 愚者は、千の句をとなえても一つの句さえも理解しない。
 聡明な人は、一つの句をとなえても、百の句の意義を理解する。

(友となって)同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれている。
 同情してくれる愚者は、(悪いことを教えて)人を地獄にひきずり下ろす。

 もしも愚者が「われは愚かである」と知れば、すなわち賢者である。
 愚者でありながら、しかも自分では賢者だと思う者こそ、「愚者」と呼ばれる。

 称賛してくれる愚者と、非難してくれる賢者とでは、愚者の発する称賛よりも、賢者の発する非難のほうが優れている。』



覚りをえた聖者・苦を滅した仏陀・神々や人間を教誡する天人師の言葉を、愚かな者と自ら自覚して聞くということは、嘆かわしいことである。

その、愚かな者と自ら自覚して聖者の真理を受けなければならないのは、何故であるのか。

それは、その者自らが為した愚かな行い・悪行によりて受けるのである。



仏陀の教え

『比丘たちよ、ここに、ある人が、善いことをせず、正しいこともせず、悪い境涯に行く恐怖から自分を救護せず、罪悪を行い、傲慢であり、過失をなしている。
 彼は、『私は善いことをしなかった』と言っては悩みに焼かれ、『私は罪悪を行った』と言っては悩みに焼かれる。
 比丘たち、実にこの二つのことは悩みで人を焼くのである」

 このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
身で悪しき行いをして、口で悪しき行いをして、また、心で悪しき行いをして、なお、その他の悪しき行いと言われる行いをして、善い行いをせず、多くの不善を行い、愚者は、肉体が滅びたのちに、地獄に生まれる。


しかし、

「比丘たちよ、これら二つのことは悩みで人を焼かない。
 二つのこととは何か。
 比丘たち、ここに、ある人が、善いことを行い、正しいことも行い、悪い境涯に行く恐怖から自分を救護し、罪悪をなさず、傲慢でなく、過ちをなさないでいる。
 彼は、『私は善いことをした』と言っては悩みに焼かれず、『私は罪悪をしなかった』と言っては悩みに焼かれることはない。
 比丘たち、実にこの二つのことは悩みで人を焼かないのである」

 このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
身の悪しき行いを捨て、口の悪しき行いを捨て、また、心の悪しき行いを捨て、なお、その他の悪しき行いと言われる行いをも捨てて、不善の行いをせず、多くの善を行い、賢者は、肉体が滅びたのちに、天上界に生まれる。

 このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。

身の悪しき行いを捨て、口の悪しき行いを捨て、また、心の悪しき行いを捨て、なお、その他の悪しき行いと言われる行いをも捨てて、不善の行いをせず、多くの善を行い、賢者は、肉体が滅びたのちに、天上界に生まれる。

 このことをもまた世尊が説かれた、と私は聞いている。






H28年2月8日

本日は、

郵便で、合格通知がきた。

1級電気施工に合格しました。

どうもありがとうございます。

どういたしまして。

それなりに勉強はしたのだが、そのおかげでものすごい簡単な試験であった。

いや、ホントに。

そのように、合格したはいいが、

しかし、電気の仕事はしていないのであった、と。

・・・。


本日は、縁起の理法を更新したので、仏陀の弟子の方々は、共に、自らで学びましょう。

宗教は関係なく、真理として、他の聖者・聖人の教えを学んでいる人でも、真理が理解できるように記しているつもりです。

全てを説明しているわけではないが、それでも、日本のインターネットで、仏陀の説く縁起の理法を、このHP程に詳しく説明しているサイトを、私自身、いままで見たことはない。

日本は大乗仏教であるがゆえ、ということもあるのでしょうけれども。

正しく自ら一切法を覚った正自覚者の、三摩三仏陀の説く真理が世に弘まりますように。





H28年2月15日

本日は、

ネットで、アインシュタインの、時計のパラドックス(光速位の速度で移動している乗物に乗っている人(30歳)は、地球にいる人(30歳)に比べて、時間が遅く進み、同じ年齢の人であっても、光速旅行から戻ってきた人と、地球にいた人との年齢に差が生じる。という現象、等)の説明しているものを見ようとしていたら、

雑学の動画を見て、日本のメディアの大部分が電通(株式会社 電通。DENTSU INC.
という企業によって動いているというのを、はじめて知った。


(平成26年3月日本 広告業界 売上高、一位 電通、二位 博報堂DYホールディングス、三位 アサツーディ・ケイ

 他サイトより、 説明
 「広告会社とは、業界内では通常「広告代理店」と呼ばれ、広告物の企画・制作、広告以外の宣伝(PR記事など報道による宣伝・イベント・webなど)の企画・制作、媒体の選定・取得、市場調査・分析など、広告活動に関わるすべての業務を行います。
 (以上のうち広告企画・制作や市場調査・分析などの機能は持っていない代理店も多くあります)
 対して広告制作会社は「プロダクション」と呼ばれ、通常は広告物の企画・制作の機能しか持っていません。

 ───
「言われるように構造的には「広告主が広告会社に依頼し広告会社が企画。広告制作会社にその企画を渡し実際の制作を頼む」でよいと思います。思うとは、実際には届出制や承認事項ではありませんので明確な区分けはありません。広告とは基本的にはコンペ等による内容勝負です。よい企画でコンペ落札した社が仕切ります。制作を受けた会社は制作内容を忠実に仕上げるのが仕事です。落札した広告会社の企画案に対し、下請けが「手出し」することができますか? また、広告とは町の店のセール等から、全世界向けの商品広告まで規模がさまざまです。例えばD通やH報堂は、町内のセール広告はやらないでしょう。逆に、世界的な企業と組んで広告の展開を図る場合、弱小の制作会社では無理でしょう。広告主も商品が売れるか否か社運がかかっているのです。広告業種に限らず、社会の構造は概ね似ています。」

 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1803739.html)


ということは、日本のメディアは、電通をどうにかすれば、善くも悪くもなるというようなことだろうか、と。

最近のテロ番組やテロ広告は、とても酷い物がたくさんあるので、そういうのも改善するために、

メディアの広告を担っている企業が、広告をして国民をテロの洗脳に導いているというようなことがあれば、問題だろう。

広告事業の企業のトップはどのような考えをもって、行動をしているのだろうか。





H28年2月22日

本日は、

 また再び、テロ側の企業がいつものように、良さそうなことを言って褒めてるつもりのようになってから、時をおいて罵詈雑言して、悪しき洗脳工作をして、また、良さそうなことを言って褒めてるつもりのようになってから、時をおいて罵詈雑言をして、悪しき洗脳工作を行なうというように、繰り返し繰り返し、一応アメとムチのつもりで洗脳工作をしているのだろうけれども、こちらもそのようなすでに悪しき洗脳をされて悪行をしてしまっている者達(テロ側の企業等)に、悪しき洗脳をされてしまわないように、洗脳ということについて学びましょう。

 テロ側の企業の劣化してひどく堕ちた態度の広告が酷い。
 このように、テロ側の企業はすでに、少しの情報と、テロ側の洗脳の煽りによる単なる妄想と妄言とによって、すでに洗脳されて妄想のうえに妄想を抱き、愚かな行いをしている。
 そして集団心理による感覚のマヒによって、「そんなのどう考えてもおかしいだろう」というようなことを、の当の本人達は愧じることもなく、実際に最近のテロ側のCMを見ても、おおよそ誰が見ても愚行として認識するような低俗な思想を、公共で電波させるほどに低劣な生存に堕ちいっている。

 そのように、テロ側の悪しき者達は、少しづつ、少しづつ、確実に、悪業を増している。

 そのような悪しき低俗な行いは、道理として善処への道にない。

ましてや、仏陀の善道にありえるわけもなく、他の聖者・聖人の善道からも外れているだろう。

 その悪行をしている者が、「仏陀はある」と言ったとしても、仏陀がそのような悪行をしている人を善しとして、認めることはないだろう。


『(修行者)たちよ、たとえ比丘が私の大衣のもすそをにぎり、私の後にしたがい、私の足跡を踏んでも、彼が、もし貪りがあり、愛欲に対して激情をいだき、憎しみの心をもち、邪な考えをいだき、自制心を失い、はっきり心にとめず、心が統一せず、心が散乱し、感官が制御されていないならば、そのとき彼は私より遠く離れ、また私は彼より遠く離れている』と。




 ということで、私たち善処へと進む人々は洗脳されないように、洗脳ということについて学びましょう。

洗脳されている人は、洗脳から抜けられるように学ぶのが良いでしょう。



他サイトより

『【こうして新入社員が奴隷になる。ブラック企業の洗脳と社畜とならないための心構え。】

 悪徳宗教の洗脳とブラック企業の新人研修って似てるんですよね。洗脳とはどういうものなのか、なぜブラック企業で働いている人間が自分から奴隷になったり辞められなくなったりするのかについてまとめました。


出典 洗脳とは、以下の原理によるもので、基本的な手順は以下の5つです。

1.隔離

大体、研修って泊まりでやりますよね。「どこかの施設で泊まりで」と。で、この施設が大抵人里離れたところにあるという。

当然外出禁止。施設外に出てはならない。連絡もダメ。携帯電話の持込禁止とか。


2.鬱化

逃げられない環境、その会社の価値観以外が入ってこない環境を構築した上で、会社の価値観に染まっていないもの=新人の人格を否定する。そして体力的に精神的に弱らせる。

とにかく大声で、頭ごなしに怒鳴りつけるというのがこの時点での定番。

あとは寝させないのも効果的。夜に非常呼集をかけるとか。体力回復を防ぐわけよ。ひどい話だけども。

人格を否定し、体力的に精神的に弱ったら洗脳の準備段階完了。


3.刷込

はい、ここからが教え込むターン。こっから企業の理念とか考え方とか、その企業にとっての善悪を叩き込む。

その善悪が一般社会とずれているかだなんて気にしない。

隔離されているので、それを違うと感じさせてくれる日常はそこにはないし、体力的に精神的にボロボロになっているので、「それはおかしい」と考える余力は残っていない。


4.安定

そしてここで成功体験を与える。別に大したことじゃなくてもいい。何か成功させ、その成功を褒める。

冷静に考えればそんなの嬉しくねえよということでも、ここまで洗脳の段階が進んでしまっていると、何故かとんでもないご褒美になってしまう。


5.強化

洗脳を定着させるために、その会社の活動をさせる。否応なしにその会社の人間に染める。

最近の定番は、クレジットカードとかポイントカードの加入者集め。ノルマを与えて不達成者は欝化からやり直し。つまり再研修。できるヤツはご褒美タイム。

日本の教育にも問題があるのではないか

「ブラック企業イヤなら辞めればいいじゃん」って言っても、
残念ながら辞めれない人たちもいる。



 ではなぜその人たちが辞めれないのか。大きな原因は子供の頃からの「洗脳教育」が原因ではないか。

1:我慢や忍耐が美徳という教育

 日本社会に充満している我慢や忍耐が素晴らしいという価値観は、
 ありとあらゆる場面で、これまで生きてきた中で刷り込まれている。

 逃げるのは悪。
 途中で辞めるのは悪。

 我慢することが偉い。
 我慢できないのはバカだ。

 耐えろ。わがまま言うな。
 みんな我慢している。

 ブラック企業を辞めたい思ったとしても、我慢できない奴はバカだという日本社会全体に充満する「空気」や「価値観」があまりにも強烈なために、会社を辞める際にブレーキがかかってしまう。

2:自信を持たせない教育~ほめないで欠点ばかりを叩く

 日本社会って誉めて育てることが少ない気がする。

 子供を誉めると調子に乗って努力しなくなるから、
 どんなに素晴らしい成績をあげたとしても、
 ささいな欠点見つけて、そこを徹底的に叱るとか、
 「おまえはまだまだだ!」といって限りなく上を目指させるとか、
 そういう教育傾向が強いように思う。

 ブラック企業の場合、はじめの新人教育などで徹底的に全人格を否定し、一度、完全に自信を失わせてから、企業の従順な犬になるようしつけるところもある。

 イヤなら辞めればといってしまえば、
 すべては辞めない人間の「自己責任」になる。
 でもそういう行動をしてしまう背景には、
 日本社会全体の風潮としてかなり根深い問題があるのではないか。



 ブラック企業とカルト教団の7つの共通項


1:経営者または組織に対する絶対的帰依

 教祖を神格化するように創業者を神格化させる。
 教団の存在が絶対善であるように、企業の存在が絶対善。
 だから何があっても教団(企業)に逆らってはいけない。


2:反社会行為も組織のためなら是認

 教団が信者を支配・洗脳するために、時に暴力行為が是認されるように、ブラック企業では社員を従わせるために、パワハラ行為が正当化させる。
 人間を人間と思っていない。
 そこにあるのは組織の絶対的なヒエラルキー(階層構造)であり、上の命令やノルマや教義はどんなおかしなことでも、そのために盲信してやり遂げなければならない。


3:頭をおかしくさせる閉鎖空間での長時間拘束

 信者(社員)を組織のために奴隷化させるには、信者(社員)に一般的な常識や価値観を持ってもらっては困る。
 「そんなのどう考えてもおかしいだろう?」と思われたまずいからだ。

 そこでそういう考えを起こさせないために、組織にいる時間拘束を長くさせる。
 長時間拘束することで、一般社会とはできるだけ隔離し、閉鎖された組織での論理が当たり前だと思わせる。
 一般感覚をマヒさせ、頭をおかしくさせ、組織に尽くすことを至上命題とさせる。


4:集団心理による感覚マヒ


 でもこんなムチャクチャなこと、どう考えてもおかしいよな、とそれなりの大人なら思うわけだが、そこを集団心理を利用して巧みにけん制する。

 組織に従わない輩は降格させたり、組織に従う輩を昇格させたりして、わかりやすい賞罰や見せしめによって、疑念の声を出しずらくさせる。
 すると「おかしいとは思っているのは自分だけか」との錯覚に捉われ、自分がおかしいと思ってしまう。


5:不安心理を煽りまくる組織から離脱させないための最大の洗脳は不安心理を煽ることである。

 この教団(ブラック企業)から出て行ったら、他に救いを得られる場所はどこにもないと脅し、ささやかな給料やささやかな昇格で、ささやかな自尊心を満足させることで、組織依存度を高めさせる。


6:戦いを煽る

 カルト教団が「ハルマゲドン」(最終戦争)や、教団弾圧の勢力との聖戦を持ち出し、信者(社員)が気を抜けば戦争(グローバル競争)に負けると、危機意識を煽ることで、組織のために死ぬ気で働かせることを正当化させる。
 それによって無茶な重圧を強いるために、なかには死んでしまう人もいる。


7:信者(社員)は貧乏でも教祖(経営者)は金持ち

信者(社員)から金や時間をさんざんむしりとっているのに、教祖様(経営者様)は金持ちというケースが多い。



 ブラック企業を見抜く5つのポイント


1.社員数に比べて、採用人数が多すぎる

 これが最も見抜きやすいポイントです。

 たとえば、ある企業では、社員数が4000人程度にもかかわらず、500名を採用していました。社員数に比べて採用人数が多すぎる会社は、過酷な労働環境から人材が流出し続けている懸念があります。


2.頑張り次第で高給をアピール

 このようにアピールする企業はたいてい歩合制の給与体系をとっています。中小零細で歩合制なのに、「頑張れば高給」をアピールしている企業には注意が必要です。歩合を達成できなければ、雀の涙ほどの給与しかもらえません。あるいは罵倒され精神的に「詰め」られます。


3.時間外労働に対する規約がない

 時間外労働に関する明確な規定がなく、新入社員なのに「みなし労働」「裁量労働」の会社には注意が必要です。働くだけ働かされて、ろくな対価が得られない可能性があります。


4.社員の平均年齢が若すぎる

 創業から時間がたっているにもかかわらず、社員の平均年齢が若すぎる会社は注意が必要です。社員の平均年齢が26歳以下の企業は、社員が入ってもすぐに抜けていってしまう、過酷な労働形態を敷いている企業である懸念があります。

 第一感がだいたい正しいという本にもある通り、第一印象というのは意外に信用できます。

 たとえば、
 メールの文面が学生のようで雑
 内定を出すのが早すぎる、内定後すぐに拘束がはじまる
 見た目・口調・態度が横柄、あるいは胡散臭い

 このような第一印象による判断が実は一番信用できる場合があります。なぜなら、第一印象とは、私達が人生の中で蓄積してきた情報から生まれる意思決定のフレームワークだからです。



新人研修で社畜にならない為の心構え

①自分を絶対に否定しない。

 まず自分が悪いとは思わない事だ。 洗脳の第一歩は自身を否定させる事である。 会社の洗脳研修では、表向きだけでも合わせて、会社の思想にハマったフリをしておこう。 そうでもしておかないと、個人指導らしき教育が深夜にまで及ぶかもしれない。


②会社以外の相談者と定期的に連絡を取る。

 親、兄弟、友人、とにかく信頼できる人物と連絡を取り合おう。 連絡を取り合う事で自身の環境の異常性に気づけるはずだ。 上記の洗脳方法を教えて、洗脳されてないかをチェックしてもらうのも良い。 』




 ここまで、酷いブラック企業は少ないだろうけれども、テロ側の企業のしている行いは、人としてはこれよりも酷い悪行をしている。

公共の電波で、「死ね」だとか、「殺せ」だとかは、善なる人のする行いではない。






H28年3月1日(2016年)

本日は、

 仏陀の教え 更新


  肉食することがなまぐさ〔臭穢〕なのではない、ということについて (なまぐさに関して)    [更訂 H28.3.20]


  火への祀りや沐浴をするという事柄に関して
 (護摩行・火神(アグニ神、又は、不動明王等諸天)への祈願・献供、沐浴行に関して)
    [更訂 H28.3.2]


  真理の観察の障害(悪魔の誘惑ということに関して)    [更訂 H28.3.2]


  自殺をしりぞけることについて    [更訂 H28.3.25]





H28年3月12日

本日は、

 テロ側の人で右往左往してる人がいる。あっちについたりこっちについたりと、そして、しまいには二枚舌、悪口、両舌という悪行へと導かれている、と。

 というのを、いつものように見てはいるのだけれども、テロ側のそういうように右往左往して、悪行をしてきた人というのは、
仏陀の説く、理法を見て、”理法はすごい”と思う人もいるだろうけれども、その状態から、善へと進もうとしても、難しいのだよ。


 テロ側で悪行を長いこと続けてきた人の状況を、前述してある仏陀の教えで説明してあげるならば、


仏陀曰く、

『多聞の比丘が正念を生じたとしても、悪・不善の思いを生じ、欲を長養し、怒りを長養し、無知を長養していれば、この愚鈍なる多聞の比丘は、集・滅を起こすといえども、欲を以て心が覆える。

 喩えば、鉄丸の如く、焼いて極めて熱したならば、少ない水を以てそそぎかけても、すぐに蒸発して消えるがごとく、

 この如くに、愚鈍なる多聞の比丘が、正しい念を生じても、正しい念は消えうせる』



 喩えば、この鉄丸のたとえのように、焼け石に水というような状態で、いままで善なる人を亡き者にしようとして、悪行を繰り返し積み重ねしてきた、
そのような者は、その悪行によって、その自らの悪業・悪念の火で石とする自らが焼けてしまい、その石に理法という清浄な水をかけて浄めようとしても、水がすぐに蒸発して消え失せる。

 その悪業の積み重ねによって、清浄に向かおうとしても、他人の悪行や悪業等の邪行への先導や誘導・導きがあれば、すぐに清浄に向かう心は消え失せ、再び邪念に満たされてしまう、と。

 そのようなところからも、悪業を重ねすぎると、後戻りが大変になる。

 そのように右往左往している人は、自らと共に邪念・悪語を語っている人がいるのであれば、自らは邪念に導かれやすい状態にあると、また、すでに邪念に導かれているというのを、自らで理解するべきである。

 邪念を邪念である、邪行を邪行であると、気づけなければ、悪しき存在・悪魔に憑かれていたとしても、気づくことはないだろう。

 テロ側の能力者で思念を読んで、デタラメや適当なことを言っている者もいるが、そのような行いはすでに、正道ではなく、邪道に入っているというのに、気づかないと、
ダイバダッタの話でも説明したが、そのような畜生明とされる魔術によっても、悪行を為す者は悪処・地獄に堕ちる。なんら、一般の人と大差はない。

 どちらかというと、その魔術も悪しき存在・悪魔の餌として、逆に利用されているというような状況で、一般の人よりも大地獄に堕ちやすいかもしれないが、

悪しき存在に利用されているかどうかは、自らが邪行をしてきたか、してきていないかを省みれば、理解できるだろう。


 そのように、すでに邪道に入っている人が、仏陀の教えを学ぼうとしても、理解することはできないだろう。

教えを最初のところから理解できるとするならば、悪業は捨てるだろう。

また、理法を理解してきたならば、すでに悪行を捨てているだろう。


 しかし、現状はそうではなく、悪業を重ねている、と。

そういうのを見ていると、邪道を進んでいるというのは見てわかる。

邪道に進んでいる状況で、更に邪行を行い進んでいる。


 見た感じ、邪見・邪思・邪語・邪業・邪命・邪精進・邪念と、奥深くまで進んでいるようだが、

その邪行・悪行を捨てずにそのまま進むと、おおよそ二つの道のどちらかに堕ちるとされる。

すなわち、畜生か、地獄か、と。

その奥に聖者はいない。


 善行を行なう人は、善き処へ出生するという真理によりて、教えをすんなり受け入れられる。

 悪行を行なった人は、悪処・地獄へ出生するという真理によりて、教えをすんなり受け入れ難い。できれば、否定したいということもあるだろう


 また、邪道に進んでいる人は、仏陀の教えや、他の聖者・聖人の教えの受けとり方も、正道に進んでいる人の受けとり方とは、また違う。

 教えを受け、その真理の教えを自らで考えてみる。
 教えにたいしての見解でも、善なる人は、善なる人の抱く見解を抱き、
 不善なる人は、不善なる人の抱く見解を抱きもするのです。

『そのように、不善なる人は誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解しない。
 善なる人は誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解する。』


『「修行僧たちよ、不善なる人というものは、このように不善なる人に睦び仕え、このように不善なる人のもつ考えをもち、このように不善なる人のもつ思念をもち、このように不善なる人の語る言葉を語り、このように不善なる人のする行為をし、このように不善なる人の抱く見解を抱き、このように不善なる人の行う布施をして、肉体の滅びた後、死後には、不善なる人たちの赴く所へ生まれ変わるのです。
 修行僧たちよ、不善なる人たちの赴くところとはなんでしょうか。地獄、あるいは畜生です」

「修行僧たちよ、善なる人というものは、このように善なる属性を具え、このように善なる人に睦び仕え、このように善なる人のもつ考えをもち、このように善なる人のもつ思念をもち、このように善なる人の語る言葉を語り、このように善なる人のする行為をし、このように善なる人の抱く見解を抱き、このように善なる人の行う布施をして、肉体の滅びた後、死後には、善なる人たちの赴く所へ、生まれ変わるのです。
 修行僧たちよ、善なる人たちの赴く所とはなんでしょうか。(善処の)偉大な神、あるいは人間です。」』と。


 また、テロ側の者で、”私は仏陀の弟子を亡き者にしようとした、その罪悪業は重い。理法から言えば、私は地獄へと堕ちるだろう”と思っている人がいるとする、

そのような人も、そのままの状態であれば、地獄へと堕ちるだろう。

 自らの悪業によりて、悪処へ堕ちる、と。



 しかし、”これではまずい、最悪だ。私は地獄へ堕ちたくはない。死んでから地獄に行ったならば、生きてきて一生懸命、汗水流して働いてきて努力精進してきたのも、ほぼ意味がない”

というように、悪業を重ねてきた者が思うたとしても、自分ではどうすることもし難い。そもそもどうしたら善いかもわからない、と。

 そのように、この世で悪行をしてしまったが、善に進みたい、と悩んでいる人もいる。


”あ~、もう絶対無理だ、真理の教えを知れば知るほど、不可能さを実感してしまう。どう考えても地獄に堕ちる”というように。

このような最悪な状況で、どうすれば善いというのか・・・、と、憂い悩み苦しむ人もいることだろう。



というように、”いままでの人生を無駄にしたくない、善に進みたい”という人もいるだろう、

ということで、

そのように”これから善に進みたい”という人もいるだろうから、

これから、その人のために、救いの道となる助言をするので、善く聞いた方が善い。


教えとして、

 さきに、その邪行を為す人・邪行している人は、その邪行を、まず、捨てること。

その邪念の火を自ら消すこと。

 そして、再びその邪行を行なわないこと。

邪念の火を再び点けてはならない、と。

 救いの道は、ここから開かれるだろう。

 しかし、そういう一時は、善い心を持とうとするが、すでに自らが自らの邪念により焼け石のような状態でなので、再び邪念に焼かれ、邪道に誘われ、導かれれば、再び、その人は邪心に満たされ占拠されるだろう。

 そのように、自らが焼け石としての状態から、自らの邪熱を除き、浄らかな水を受け入れられるような状態に、自らがしなければ、自ら再び、邪道を進むことになってしまうだろう。


 理法としては、悪しき者・愚かな者として悪行を繰り返してきた者は、そのような流れになっている。


ということで、更に、どうすれば善いのか、と、


ということで、

自ら”正道に戻りたい”と、また、自分だけではなく”他の人も正道へと戻したい”という人もいるだろうから、その人のために、更に助言をしてあげると、


八正道を実践・修習、多修することが最もであるが、おそらくどうしたら善いかわからないだろうから、

手始めに、一日に一度でも善いから、慈心を起すことからだろう。

また、一日一善、善い行いをする。両方なお可。

これは、小さいことからでもあるが、一日一度からでも、他にたいして慈しみの心を起こすというのが、重要。

 私の言っていることが、意味わかるだろうか。

 まぁ、わからないかもしれないが、そのわからないというのは、
仏陀の説く、善行を行じることや、禅定をすることに関して、そのような善行を行なうという意味がわからない、という意味の不明に通じているだろう。

 いずれは、それを理解できるときが(人により)来る、と思う。

 自らが自らの邪念により焼け石のようになっている状態を冷まし、邪念の熱を滅するように。

自らの目が覚めるためというのもそうなのだけれども、さきに邪念の熱を滅するように。


 そのように、悪行を多く行なった人は、自らが自らの邪業・邪念の火で焼け石の状態としているというのを、自ら理解して、

 理解してから、その熱い邪念の熱を除滅するべく、善行に精進すれば、自らの貪欲・瞋恚・愚癡や、また、悪しき者・悪魔の繋縛により障害されつつも、正道に戻ることはできるだろう。

そして、邪念が消え、慙愧があらわれれば、真理・理法を自ら善く理解していくだろう、と。


 そのように、テロ側の悪行を行なった者に関して言えば、自らが焼け石として、清浄な水を受けいれられるようにならないと、その各々の悪業によりて、悪処に堕ちるだろう。


 また、仏陀や聖者方のように、長く善行・善念を修し、多く修している聖者方は、汚れた火という煩悩があっても、汚れに染まることがない。

そして、汚れた火が起これば、すぐに滅する。(仏陀や阿羅伽の聖者方はすでに、貪欲・瞋恚・愚癡を滅している。)

 長く善行・善念を修する人は、このようにしてある。





 (話は変わって、)
 と、何かちょっと、勘違いされているのかもしれないから、一応記しておくが、全然話は私個人の事柄になるんだけれども、もう何年も前の話で、数年間テロの嫌がらせでも特に騒いでないから、まぁ、別に気にもしていなかったのだけれども、ここ数日で、急激にいまさらになって騒ぎ出したので、一応記しておくけれども、ストーカーの件ね。
 あれは、ストーカー被害を受けたのは私であって、私がストーカーをしたというようなことはありえません。しかも、そのストーカーの件は、函館の警察の人にもお世話になり、ストーカーの犯人である女性も警察署でもって話をして、謝罪もうけています。

 という話だけれども、いまさら騒いでいるが、私はストーカーの被害者で、函館で男性としてストーカー被害を警察に訴えたのは、私が初だったらしい。手紙も何通も来たし。(ちなみに、事の発端は、私が相手の電話番号を聞いたとかそういうのでなく、相手から聞きたいことがあるということで、たいして知りもしないのに私の携帯にいきなり電話がかかってきたのが発端であって、別に私がどうこうしたのでもないよ。会社から電話番号を聞いて掛けてきたんだとさ。)

 はっきり言って私は昔、男性として女性からストーカーに会って見たいわ、というようなことを思ったことが、一度ならず、たしかあったが、実際にストーカーにあったらまた、全然そういうのではなく。

 意味のわからない夢は実現されたが、そういう意味のわからない夢は実現しない方が善い。

 あれはね、本当に私自身も反省をしている。

 その件は、警察沙汰になるくらいで身近な人たちにも、相談なりしていたので、特に私はすでに気にもしていなかった。

 でもね、本当に私自身も深く反省をしている。


という、そういうようなこともあったよ。


 大好きだったと記している女性の事柄ではないよ。その女性は全く別で、本当に好きだった。

もうかなり数年たってるが、テロのしつこい嫌がらせのせいで忘れることなく思い出として残っている。

あれは、甘酸っぱく、それでいて、まろやかで、とろけるような経験だった、ような気がしなくもない。
(特に、あとから、意味のわからない多数の事柄に気づかなければ。)

 甘、甘な記憶。

 まぁ、現実的にミルクチョコレートの方が甘いかもしれないけれども。





H28年3月13日

本日は、

 マラソンTVでやってるけど、すごいテロ。テロCMも。ひどいよ。





H28年3月14日

本日も、

 いつものようにTVでテロ側の発言が邪念に満ちているけれども、

そのような人のために、もう一度記しておくけれども、


『テロ側の者で、”私は仏陀の弟子を亡き者にしようとした、その罪悪業は重い。理法から言えば、私は地獄へと堕ちるだろう”と思っている人がいるとする、

そのような人も、そのままの状態であれば、地獄へと堕ちるだろう。

 自らの悪業によりて、悪処へ堕ちる』と。


 12日の教えでもそうだけれども、私は仏陀の弟子として、言っているのであって、私の考えた思いだけを言っているのではない。

その人のために、はっきり言っておくけれども、

真理の教えとして、今日の朝のTVの邪念に満ちているような状況を見てもわかるとおり、

テロ側の存在は、すでに邪道に入っているのであって、決して正道にいるのではない。


 私がこのように、普通に記しているけれども、仏陀の教えはテロ側の人にとっても、これからの永劫の輪廻に関わる事柄を記しているので、

注意して、善く聞いたほうが善いよ。


邪道を行く人に関して、

すでに理法を聞いてなお邪道を進む人に関して、

理法無聞の人に関して、

仏典より

『 仏陀に於いて不信を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 法に於いて不信を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 僧伽に於いて不信を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 破戒を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪見を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪思を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪語を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪業を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪命を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪精進を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪念を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪定を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪智を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 邪解脱を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。』


 テロ側の能力者が思念を読んでいるというのは、だいぶ前、もう最初の頃からこちらはわかってて、記して注意してきたのだが、変わらずに邪道へと進んでいってしまった。

大勢を道ずれとして。

 最近、気づいたんだけど、私もそこまで気づかなかったけど、いや~、ホントに、もっと早くに気づいていればまた違ったかもしれないが、

テロの能力者は、もうちょっと見えててやってると思っていたんだけれども、ホントに、私が思っている以上に、ホントに、見えていない。

だから、畜生・地獄の道に、大勢を引き連れていってるのだ、と。

 私の思念を読めば、これはこうで、これはこうだから、どう考えても、テロ側は地獄に堕ちる、また、悪処に堕ちるというのも、もう道理としてもわかりきっている事柄であるのに、邪行を続けていること自体、普通に考えてもありえない。

 邪道に入っている人の邪行は、正道に入っている人の念が、ホントに全然と言っていいほどに表面しか読めないゆえの邪行であって、もっと見えていると思っていたのが失敗。逆に過信していた。



 であるので、一応、その能力者のためにも忠告してあげるけれども、

 と、邪念に満たされてれば、聖者方のこちら側の言うことを聞きたくは無い、信じたくは無いと思うだろう、また、思わされるだろうけれども、何とか聞く耳が持てるようであれば、聞くと善い。

 テロ側の能力者は、まぁ、能力ゆえの慢心もそうだろうけれども、テロ側の現状の邪念に満ちて笑っているようなのを見てわかるとおり、すでに魔に魅入られている状態。邪念に満ちている状態としている。このような状況であれば、悪魔・悪しき存在があなた方の思念を用うることは容易。すでに魔に乗っ取られているような状況であれば、悪魔・悪しき存在そのものとして悪行を行なっていることだろう。

 そのような状況で、正道に進もうとしても、難しいというのは、あたりまえの話。

 仮に、その能力者が私は、霊が見える、天神が見えると思っていたとしても、こちらから見たら、正見もないし、どう見ても盲目な状況にいる。
 霊が見えるといっても、仏陀の弟子の比丘僧伽の方々でも、それぞれの天眼力によって、見えうる境界が異なる。大梵天が見える方がいれば、見えない人もいる。餓鬼が見える人もいれば、見えない人もいる、と。
 盲目に単に見えるだけであれば、見えている存在が悪魔であるか、善なる存在であるかの区別もつかない。さらに、その人が普段から邪念に満ちているようであれば、善なる存在であるのか、悪しき存在であるのか、分別すらつかない。仏陀の教えのとおり。

 そこで、例えば、悪魔・悪しき存在が邪念に満ちた能力者を用いようと、その慢心に満ちた能力者の思念に、違う思念を見せるとする。

 その能力者は、いつも邪行を行い、または、邪行に加担しているのであるが、私は他の人の思念を見れる、と、私は特別なんだ、といように慢心して思っていて、まさか、自らが悪魔に違う思念を見せられているとは、気づきもしない。たとえ、慢心がないとしても同様に。

悪魔という存在を知らないがために。

悪魔はそのような、盲目な者を容易に用いるだろう。

本人も、悪魔に用いられているとも気づきもせずに、悪行・邪行を行なう。



 テロ側が邪念に満ちているのを見てわかるとおり、その状況はすでに、悪魔・悪しき存在の手中にいる。

 悪魔・悪しき存在の手中にいるということは、結果として、赴く先は、悪処となる。

 そして、悪魔・悪しき存在の話を別としてですら、すでに邪道に堕ちている。

 悪魔が憑いていれば、正道から離すだろうという話は、以前にも話をしているが、

現状のテロ側の存在の、衆生を邪行に誘導している、邪念に満ちているというような状況を見て、テロ側の能力者として、自らの能力というのを、善く観察するのが善い。

 そちらは、こちらの正道が安易であるかのように見えているのかもしれないが、こちらからは、邪行を行なっている人たちが盲目になり、邪道に迷い陥り、正道が見えず、正道に来られずにいるというのが見えている。

 邪道を成就する無聞の異生は身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる。

 知って、邪道を成就していれば、言うまでも無く、身壊命終して、悪生・悪趣・堕処・地獄に生ずる、と。


 以前に、記した、『あなた方は、これから、さらに、真理と戦うことだろう』という言葉は、邪行を行なっている人にデタラメに言っているのではない。

 邪道を行けば、あなた方は、これから、さらに、真理と戦うことになるだろう。

 これは、なぜこのように言っているのか、もしかしたら、わからないのかもしれないが、

私から言わせれば、これは普通に考えてもわかるような事柄を言っているのにすぎない。


 これを理解できて、なおかつ、真理と戦うことなく、真理とともに、魔に立ち向かうあなたは、正道にいることだろう。






 アクエリアスのCMで叩かれた。HTB21:48

 ニプロのCMテロ HTB22:21

 ソフトバンクとアップル アイフォン6STV0:04

 グーグルのCMもテロ。

 私個人のストーカーをされたのは、まぁ、昔、淫欲の過ちをしてしまったのだけれども、その件はもう相手と話合いもして謝罪も受けて(警察の人が、お互い一応関係があってこうなったのだから、私にも謝ったほうがいいということで、相手が謝罪をしてから、とりあえず、一応、私も謝罪をして)、解決してあることなので、他の人に関係の無い事柄だけれども、

 テロ側の人の邪行は、真理を知った後の悪業で、仏陀の弟子を殺害するという悪業なので、私の過ちとは、全く同じレベルの悪業ではない。

 あの時、仏教から遠のいてた時だったかな。

 その件から、いちゃもんをつけているようなので。

 だから、聖者でないって言ってるのに。失敗の経験はあるよ。

 その淫欲の過ちは、私自身すごく反省をしているが、その件でテロ側の邪行者に反省の弁を述べる必要は特にない。

 話が出たので、仏陀の弟子の方々や、他、聖者・聖人の関係者やキリスト教や、また、他宗教など、清浄行をしている方々に対して、
 昔、そういうような過ちをしてしまいました。
 どうもすいません。
 その件についてわたくしはとても反省をしております。

 懺悔。



 世間の、日本の世論で言えば、不倫とかそういう邪淫でもなく、この話でもってたいして気にすることでもないのに、と思うかもしれないが、
清浄行をしている人にとっては、重要な事柄であり、清浄でない行いなのは間違いないので、清浄行をおとしめない、とするための懺悔。

 正式な付き合いであれば、また別に問題はなかったと言えばなかっただろう話だが、動機不純とその過程にした過ちに関して。

( 辞書より、『夫、または妻以外の異性との情事(淫事)を、邪淫という』、
 というように、動機不純の淫行も、邪淫に入るだろう、なので、”なんだ、いいのか”、とか思ったりせずに、春がそういう過ちをしたから、私もそういうことをする、とかいうことのないように。そういうことは、やめてください。
 また、そのように、純潔を守る厳格な教えの元では、結婚前の淫行も、邪淫に入る行いなので、それぞれで邪淫を回避することについて考えてみると善いと思います。

 純潔にして天子の生まれやすい胎を持つ女性は、純潔を守るでしょう。

”動機不純でなく、本当に好きで(きちんと)付き合う、または、正式な付き合いであれば、在家の男性としてはいいだろう”というのが、私の抱いている見解としてあるけれども、純潔から見れば、その見解・認識は、甘すぎる見解・認識なので、邪淫についての見解・認識は、各自で淫事たる行いを回避するように考えると善いと思います。(男性と女性とではまた別の問題、というのも私の認識。)

 純潔で、結婚後に一人の人と添い遂げるというのが最上である、と。

 ちなみに、不倫(姦通)は、悪処・地獄に堕ちる悪業として、完璧なる邪淫です。)


 ちなみに、この件は、すでに解決している事柄で、なおかつ自分の中でも反省をしていたので、禅定にも出てこない。


 あと、何かあったかな。あと一つ、淫欲に関係なく、バックホーの件のがあるけれども、その件も以前に記している事柄で人助けであるので、以前に記しているとおり。





H28年3月16日

 ということで、わたくしの動機不純の件もあり、邪淫に関して、仏陀の在家に関しての教えを増訂。

 淫事たる行いに関しては、仏陀の説く、在家の人についての教えより、淫事に関する、私のあまい見解は成っています。


 邪淫を行わないことについて    [更訂 H28.3.18]





H28年3月18日

本日は、

 仏陀の教えについて、

 仏教経典のシャム版で、仏陀の教えの内容が、他の経典と正反対の内容の教えが記されているところもある、ようなので、

 私も含め、仏陀の教えを学ぶ人は全て、仏陀の教えを学び、理解するために、気をつけるのが善い。

 ということで、一部、前述している仏陀の教えとして、


 仏陀の説かれた理法を、照らし合わせることについて    [更訂 H28.3.19]





H28年3月20日

本日は、

 我が家に、朝日新聞の人が来た、

 玄関先で「エーエスエーでーす」って言っていたので、

”ん、この人何て言ってるんだ”と、わからないから何回か聞き返したら、

朝日新聞ですって言っていたので、「いいです」って断ったけれども。


 あとは、最近近所で、テロ関係の者が騒いでいて、子供に罵詈雑言させてるんだな。

親もまた、善行と悪行の意味がわかってないから、子供にそういう邪業を積ませてしまう、と。

真理を知ってか知らずか。

たとえ、真理を知らなくても、邪行に変わりは無いが。


 TVでは、右往左往しているような状態の放送も多く見られる。

 テロ側の存在が、真理として、また、道理として、自らの状態が窮地にいることを理解できてはいない。

 悪業としては、すでに自らが受ける恐ろしいものを造作してしまっているが、

 テロ側の者達の悪行を、仏陀の教えで言っても、

”はい、これダメ”、”はい、これダメ”、”はい、これもダメ”、”はい、これもダメ”、”はい、これもダメ”、”はい、これもダメ”、・・・・・、というような状態で、
果たして善処に赴ける因は、一体どこかにあるのか。


 現在、テロ側のその長い悪行を見てきて、善処に赴ける因を探すと、現在、本当に一つも思い浮かばない。

しかし、道理として、まことに地獄・畜生に堕ちるとされる悪業を見てみると、山ほど思い浮かぶ。


 少し見ただけでも、すでに通常の人々とは、正反対の業〔悪処・地獄に堕ちる業〕を積んでいる、というのがよくわかるのだが、

テロ側としての人は、話を聞いていて、”テロ側は、真理・理法・善から遠い”というのが、自らで気づけるだろうか。



 一方、仏陀の教えはとても善い、という人が増えてきたのか。

”すごい”と思われているところもある、と。

 仏陀にたいする、信仰が起きるのは善い。

 理法を知らずに迷っている人を導き、信仰心を起こさせる。

 そのように、仏陀と法と僧伽にたいして、信仰心を起こすというのも、重要。

 最初に、その信仰心から入り、信仰心を起こしたその人は、そこから自らで善の道へと向えるでしょう。


 そのようにして、仏陀にめぐり合い、仏陀と善い縁を持つ、

 その、仏陀と法と仏陀の弟子の方々との善縁は、世間の普通の良縁と異なり、仏陀と理法と仏陀の弟子の方々とを通して、天(善処)でも、最上位にある存在の方々と繋がれる縁です。

道理から言えば、当然の話では、ありますが、天の偉大な神々は、仏陀方に縁のある方々が多いのです。

 例えば、ゴータマ仏陀もまた、前世において、過去の仏陀のもとで出家をされている。

また、例えば、現在の娑婆世界の主である大梵天は、その前世において、過去の仏陀である、カッサパ仏陀の比丘として、修行をされておられて、現在のその地位に身を置かれた、と自ら言われる。


 そのように、偉大な神々は、覚とりを得られた聖者である仏陀と、善縁があるのです。

 ということで、ここにおいて、ゴータマ仏陀と、法と、仏陀の弟子の方々と、善縁を持たれた方は、おめでとうございます。


という話。

 最近更新が深夜の時間帯になっているので、本日もそろそろ休息をいたします。


ということで、本日も、


仏陀の教え


 諸々の有情の天(善処)へ赴く難しさ





H28年3月26日

AM2:50位の1467ch、NHK第2ラジオ放送で、ハングル語っぽい言語で叩かれていた。

韓国とかの言語だろうと思うけれども。何で叩いているの。


ラジオの番組表に書いてない。

別枠番組なのこれ。

偽りだとか言われるかもしれないから、録音でもしといた方がいいのかな。


違法電波ではないのだろうか。


聞こえずらくなった。


電波悪いけど、まだ微妙に叩いている。


ん、たまに褒め言葉入れてるの。

二枚舌は、悪しき行いなのです。

道徳学習の必要性があると思う。

日本人は他国でそういうことをする人は、あんまりいないと思うけど。

まぁ、中にはいるかもしれないけれども。

仏教の精神だな。





H28年3月29日

本日は、

悪しき者が、再び、罵詈雑言をして騒いでいた。

更に遠く、

こちらの聖者側の人々から、とても遠くに離れている。



本日は仏陀の教え


 八正道について (八聖道)   [更訂 H28.4.5]


 多くの人々が、仏陀の教えを、更に理解できるように。更訂。





H28年3月30日

本日は、

 昔、記した、”創造”という事柄に関して。


『H24年10月15日 日記より

「行き着くように(行けるように)できているんだよ。この世界。知れば知るほど、すごいよ。創造。何故こんなに見事に創造されているのか。まさに神業か。創造が半端ではないと。それに加わっている上の人達も半端ではないと。やっぱりみんなすごいな。

まぁ、結構以前から神の創造が半端でなくガッツリすごいとは思っていたけれども。善くできている。

っていう、文章を書いても伝わらないか。

それ

うーん、みんなすごいな~」』


 と、このように記した”創造”という事柄に関して、

 この言葉の、私の言うている事柄の意味を説明しないと、勘違いされることもあるだろう、と、昔からずっと、たまに思っていて、そして、
本日ついに、さっき思い出したので、(勘違いしたならば、正見からはずれてしまうので、)説明をしようか、と、


掲示板より、
『 このように私は聞きました。

 ある時、世尊はサーヴァッティーのジェータ林なるアナータピンディカの園にましました。

 その時、セーラー〔世羅〕比丘尼は、朝はやく、衣を着け、鉢を持して、托鉢のためにサーヴァッティーの町に入った。
 そして、サーヴァッティーに托鉢し、食事をおえると、鉢を片付けて、独り静かに坐して思索するために、とある樹木に到り、日中の休息〔寂止〕に入った。

その時、悪しきもの魔羅は、セーラー比丘尼に、毛髪のそそり立つ恐怖を起こさしめ、独坐の静観より去らしめようと、かの比丘尼のもとに到って、偈をもって語りかけた、
「この身を作れるは誰ぞ この身の作者はいずこぞや 
  いずこよりこの身は生じ いずこへかこの身は滅する」

その時、セーラー比丘尼は思った、
「この偈を唱えたのは、いったい、人間か、それとも、人間ならぬものか」と。

だが、彼女は、また思った、
「ああ、これは、あしきもの魔羅が、わたしに毛髪そそり立つ恐怖を起さしめ、独坐の静観より去らしめようと思って、このような偈を唱えたのである」と。

かくて、セーラー比丘尼は、これは悪しきもの魔羅であると知って、偈を持ってあしきもの魔羅に答えた、

「この身はみずから作りしものならず、
 この身は他者の作りしものならず

 因あるによりて生じたるなり
 因なきによりて滅するなり

 たとえば、一粒の種子ありて、そが田にまかれたる時、地味と曖昧の二つにより、やがて萌え出ずるがごとし、

 かくのごとく、四大・五蘊・ならびに六処のこの身もまた、
 因あるによりて生ずるなり、
 因滅してまた滅するなり」

その時、あしきもの魔羅は、
「ああ、セーラー比丘尼は、私を知っているのだ」と、苦しみ萎れて、そこにその姿を没した。

〔掲示板より(150 :1:2008/10/04(土) 00:47:32) 相応部経典、五、九、世羅』

と、このように、

「かくのごとく、四大・五蘊・ならびに六処のこの身もまた、
 因あるによりて生ずるなり、
 因滅してまた滅するなり」

 この世の事物は、原因があることによりて生じ、
そして、原因がなければ、生じることはない。

と、仏陀の教えとして、このようにしてある。

要するに、創造という意味で、私が言うのは、

”私は創造されたことによって生じた”という意味ではなくて、

その、私の出生というについて言えば、
”私は原因があることによりて生じた。
 このように、私の四大・五蘊・ならびに六処のこの身もまた、
 因あるによりて生ずるなり、因滅してまた滅するなり”、という意味であり、

日記で言うている事柄は、そのようにもっていっている、という意味の、その造作という意味での創造。

譬えば、子供がいて、その子の善なる親が、このように考える、
”私は、この子が善い子として育ち、そして、自らで真理を見、そして、自らで真理を知る人になるように、そのように育てなければならない”と、
そのように考え、その子が善なる人として育つように、教え、学ばせ、育てる、また、そのように、善なる人として育つことができるような環境を造る。

このような意味においての、創造、という事柄。

そして、また、諸々の諸天も、手伝いに加わっているという意味。

手伝いに加わっているというのは、

諸天の真理を知る存在もまた、真理を知らない者を、その真理を知ることができるように、真理へと導く、という事柄。
また、その環境造り、という意味において。

そして、”それ”というのは、真理を意味する。



 あとは、掲示板をさらっと見て、”神に引っ張ってもらうという”表現について、

譬えば、引っ張るという意味で、悪魔に引っ張られる、と表現したとすると、悪しき者・悪魔に引っ張られたら、悪処・悪趣・地獄へ堕ちる、

その逆に、善神に引っ張られる、と表現したとすると、善神に引っ張られたなら、善処・善趣・天へと出生するだろう。

『途中まではみんな自力(自己の心を清浄にする)で行かなければならないだろうし、
そこから、自力(仏法)で行くか、神様に引っ張って行ってもらうかを選べばよいと思います。 』

 譬えば、邪見によりて、正見は得られない。このように、邪心・穢れた心を捨てて、行かなければ、正道を更に進んで行けないように、

善神は、邪見によりて、邪思あり、邪語・邪業・邪命・邪精進・邪念・邪定・邪智・邪解脱というように、邪行により悪業を積んでいる者を、善として見ることはないだろう。
聖典で言えば、そのような愚かな者を裁くだろう。

というように、通常見向きもしないだろうが、

 その者が、正見を持ち、正見によりて、正思をもち、正語・正業・正命・正精進・正念・正定、というように、善行者としてあるのであれば、
その人が望めば、その人に手を差し伸べることもあるだろう。

というように、その人が自己の心を清浄にしなければ、善神に見向きもされないだろう、という意味において。


 ちなみに、すぐに直さなかったというのは、私自身、すぐに直すほど問題視もしていなかったので、現在に至る。

仏陀の他の教えにより、理解はできたでしょう。



 なんか、テロが騒いでいるんだよな。

 胃カメラで、胃の噴門部の入り口の開閉する筋肉のところの細胞を、胃カメラの時に何度も取られた結果、胃からのにおいが口まで上がってくる、という件で騒いでいるのだろうか。
写真を見ても、幽門部のところの異常のない細胞を取られたところが変形している。

 共愛会病院でも思いっきり取ってたのを映像で見てたし(噴門部)、他の病院でもちょうど幽門部の細胞を取っているところの写真もある。

そのように異常のない噴門部と幽門部を狙っての悪行なのだろうか、と。写真で変形しているのは、幽門部側がはっきりわかる。

 口臭がひどくなったのは、そのせいだろうと思われる。という件について騒いでいるのだろうか。


 近々記そうと思っていた件だが、私のその思念をよんで、書かれる前になんとかしたいというらしく騒いでいたので、今記したが、

どっちにしても、普通記すだろう。



 テロ側の能力者は、思念を読んでいるのであるが、雑なのしか読めないという状態で、こちらの善い念もきちんと読めてはいないだろう。

邪行をし続けているところを見ると、善神に導かれていもいない。

 善い念というのは、粗大ではなく、微細であるので、力のない人は読めない。

そのように邪念だけを読んでいる者に、付き従う者も邪念の話しか聞かないので、そこから善い念が生じることはほとんど無いだろう。

そういうのも、いわゆる、邪見。

正見が見られず、邪見を見るものが思うことは、邪思。邪思によりて邪語。TV等でよく聞く罵詈雑言。邪語によりて、邪悪な行動・邪悪な生活へと進む。

そして、私のHPで仏陀の教えを見て、本当の私の直の正見を見る。

そこで、心が穢れからいくらか離れる。

しかし、悪しき者は、自らが焼き石の状態にあるので、正見からして、すでに、理解が難しい。


 善念は、粗大ではなく、微細であるので、力のない人は読めない。

聖者方の境地もまた、微細であるので、それよりも粗大な思念しか見れないものは、その聖者方の境地も知られない。


 テロの者達は、邪見者が、私の普通の思念を、邪見に染まった状態として聞いていることもあるだろう。

というのは、テロのを聞いてれば、いろいろいい加減なことばかりを言っているのからも知られる。


 正見がなく、邪見をもち、正見、正思が見えないという者が、他の人に一体何を伝えることができるだろうか。

そして、実際に大勢を、邪行へと導いて、そして、すでに邪業を積ませている。


 こちらのたいしたことのないような粗大な思念を、いい加減に捉えては、いいように黒く染めて伝えて、テロを扇動しているが、

その邪悪な思念を、他の存在が読めないとでも思っているのか、と。


 わからないんだべな~。わからなのが、逆に驚きだが、全然見えてないっていうのが、痛すぎるし、

どう見ても、悪処に向かってるし、テロ側として悪行をしている能力者のあなたは、自分の進んでいる道が見えていますか。


 すでに大勢が、扇動されて、悪業を積んでいるのが見えていますか。

 というのは、こちらが、そちらにいくらかの良識はあるだろうとしての、問いかけになるが、

まぁ、最初から、邪悪行で扇動しているのであれば、別だ、と。


 テロ側の能力者が、そういう能力とは、関係が無いというように、導きたいらしい。

ごまかそうとして叩いているというように。


 悪処・地獄に向かっている、というか、すでにどういう状況であるのかも、教えにより理解はできるだろう。

それにしても、それなりに多くを引っ張って行ってしまったな。


 今日は、遅く起きたから、もうちょっといろいろ論じようかな、と。



Q、果たして、テロ側の能力者はどこまで見えているでしょうか。

1、ちょっと。

2、すこし。

3、ちょこっと。


この、ちょっと、というのと、ちょこっと、っていう表現は、英語では表現できるんだろうか。

まぁ、いいか。


正解は、”正見がなく、邪見をもち、正見、正思が見えない”、でした。

あえて、Qの中に答えは入れない問題にしてみました。


ダメだ、パッと面白いことが思い浮かばない。


う~ん、何を書こうかなと、今考えてるところ。


 っと、そうだな、パッとでたのが、

仏陀の教えなんだが、この流れで仏陀の教えもちょっとあれだけど、


 三宝の帰依の教えの頁に、世間という、教えがあるが、

その中で、

「比丘たちよ、世間に生まれているこれら三種の人々は、多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、世の人々の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のため、に生まれている。

それは、仏陀と、仏陀の弟子と仏陀の弟子の修学者である、と。


「師こそが世における第一の偉大な聖者(仏陀)である。
 また、師に従う弟子は自ら道を修める者である。
 さらにまた、修学者も道を修め、多くを学び、戒めを守ることを身につけている。
 これら三人の天神と人との師は、燈光をもたらし、教えを説く者であり、不死の戸を開き、多くの人を束縛から自由にさせる。
 最高の指導者によって説かれた道をたどり、善くさとりに到った仏陀の教えに精励する者たちは、まさにこの世で苦しみを消滅する。」


と、このように、
「まことに比丘たちよ、世間に生まれているこれら三種の人々は、多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、世の人々の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のために生まれている」

というのが、そのために来ている善なる人々の教えであるが、


この逆の教えもあり、

「世間に生まれているこれら人々は、多くの人の不利のため、多くの人の不幸のため、天神と人との不利益のため、に生まれている」

というように、その不幸せのために生まれているという者も、存在するとされる。

で、思っていたんだが、テロ側の能力者とか、もう完璧に嘘をついて大勢を騙して、悪業を積ませているが、

テロ側の能力者は大丈夫なんだろうか、と。


六師外道の中の決定邪見で、必ず地獄に堕ちるとされている者が、まさに、多くの人の不幸のため、多くの人の不利益のために生まれている、と。


であれば、大勢に邪行をさせて、悪処に赴く道を歩かせているというのも理解ができる。

当然ながら、その本人は地獄に堕ちるのはいうまでもない。

というので、テロ側の能力者は大丈夫なのか、と。(その本人達だけでなく、導かれている他の多くの人の事柄でもあるので)


どう見ても、普通の見方から外れすぎてるもの。

ちょっと、よく考えてみたほうが善いよ。きちんと本当に。

地獄行きが、たとえ、決定していたとしても、その後、心を改めて、善業を成すというのは、全然違うのだよ。

まぁ、仏陀の教えが、幻想のような話であれば、何でも無いが、

仏陀の教えの、誰しもが、理解できる道理・真理、を見れば、幻想ではない、というのも理解できよう。


ちょっと、思い出したから、八正道のところを付け加えよう、と。






H28年3月31日


 私のこのテンションに合わせて、テロ側の者が笑って邪語いってるけど、本当にないよ。


 深夜に出雲大社の関係らしき人が、ラジオでしゃべってたけど、どっちだか、わからないよ。

前は興味があったけれども、もう個人的に興味はないですよ。(感謝の気持ちはあります。)


出雲大社は、HPにも多少記しているが、直接話を聞いたことがあるが、

一応、悪霊・狐の霊等の御払い施設のようなところがあり、大勢で祝詞を唱えて、狐を追い出そうとするが、狐はしぶといからなかなか祓えないと、何日もしてようやく祓うことがができる(できないこともある)、というように聞いている。)
(昔、小さい頃から、神道の神といえば、お神酒だろう、と思いこんでいて、間違ってお神酒をあげてしまった事があるが、あれは、仏陀の弟子として善くないので、そのあと間違ってあげたと伝えて、他の物を供物としてあげた事がある。
 供物は、お礼として、(神道系の神霊はきちんとお礼をしないと怒る神霊もいる)、感謝のお礼はするのが善い。仏陀の縁の神霊とは異なるので。
 崇拝の供物とかそういうのではなくて、お礼としての供物。)

(日本では、呪術・呪詛じたいが本当にあるのかどうか知らない、という霊的な境界を知らないな人がほとんどであり、知っている人は数少ないが、)
 四国とかは、そういう呪術の呪詛のかけあいのようなのが、他に比べて多いから、そういう専門知識がある人も多い、と。
 まぁ、欲界の神力から欲界の霊的な存在に向かうから、念のぶつかりあいのような状態だろうと思う。

昔は、色界ほどの霊的な状況はあったのかもしれないけれども。

 一昔前は、般若心経も唱えてた時代もあったらしいが、もうしていないらしい。

 にわしろうが、出雲大社のいけば、「ピリピリして、あそこの結界は強いよ」と言っていた、そのことを、出雲大社の関係者の霊的にも詳しいその人に言ったら、そういうのは、「魔が者である」というのを、自分で言っているようなものだ、というように言っていた。という事柄もあった。まぁ、昔の日記にどこまで書いてたかな。どうだったか。

───

 深夜の出雲大社の関係者が言っていた事柄は、あんまり聞いてなかったから、はっきりとどっちなのだか、わからなかったが、

 テロの能力者の側についていたら、道理から言うと、帝釈天での教えで言う”力なし”、というのは、確定される。

 仏陀の側にいるのであれば、道理を見る”力あり”となる。


 非人に害されるっていうのは、慈心が足りない(きちんとできていない・確立されていない・成就されていない・慈心解脱していない)とされる。

自分で言ってて、痛いけれども。

悪行を見てると、私もすぐイラッとすることがあるからね。



 ここまで、説明をする必要があるのか、と。

説明するか。

何をもってして、偶像崇拝であるのかというのを、理解していないのだろう、

譬えば、あなたが誰か他の人から何らかで手助けをしてもらったとする、そうすると、あなたはその人にお礼をしますか。

というそういう、常識的な話であって、偶像崇拝とかそういうのではない。

お神酒は、”おみき(お神酒)”という言葉もあるほどに、日本で浸透している神道での供物言葉。

現在でも、おみきは供物としてなされているだろう。

仏教では、ダメだから、間違えたという話。

 悪霊や狐等の畜生霊を祓ったりするというのは、別に出雲大社だけでなく、日本の多くの能力者や、密教や修験道でもしていることであって、出雲大社が特別珍しいわけでもない。


 で、ここで一般の人や、密教の行者も、修験道の行者も、謎に入る人もいるだろうが、

要するに、そのように祓いをしている行者もまた、決して悪魔の領域から脱していないということである。

 それでは、お祓い自体必要がないのか、と、こう問うたとするならば、

では、仏陀は、在家の信者にたいして、お祓いや祈祷をもって、お祓いをしていただろうか。

答えは、そのようなことはありえない。

 本人の護呪による、守護というのはある。

 う~ん、厳密に言えば、護呪は、護呪の種類によって、お祓いや祈祷って言えば言えないこともないが、

護呪は、その人の、(貪)欲や単なる延命・生存に対する貪りを成就する、というのが主なのではなくて、その人の、正道の修習の成就の加護のため、であるから、

祈祷というのではなくして、”護呪”である、と。





H28年4月1日


 本日は、八正道で天寿の寿命を記したので、毘富羅山の謎を解明すべく、立ち上がろう、と思い、

椅子にすわって考えているのであるが、

 まぁ、毘富羅山を、「この毘富羅山」というのは、「この(諸々の仏陀が住した山を称して、現在は)毘富羅山」である、と解釈すれば、もう解決してるのであるが。

まぁ、私の中では、そのように解釈する。

 そして、寿の長さは、説明で記しているように、大劫で四に分けているように、壊劫・空劫・成劫・住劫も見ているので、この現在の世界・地球だけの視点で見ているのではない、というのが知られる。

火壊劫、水壊劫、風壊劫の破壊の事柄でも同様に知られる、と。

 ということで、解明終了。



  過去の仏陀について (毘富羅山、過去の七仏陀)





H28年4月2日


 本日は、以前から、仏陀の教えについて、矛盾点とか、そういう所があれば、そういう”疑”を抱いている人がいたら、逆にこちらから聞いてみたいな、と思っていたのだが、そういのは、あるのだろうか、と思っていた。





H28年4月3日


 本日は、八聖道の経典による違いの説明を追加。

本日も、テロの者達が、罵詈雑言を言い騒いでいた。


 矛盾点はみあたらないのだろうか。全然聞かない。

 ここが矛盾している、とかあれば、私が知っている範囲で、その事柄に関して応えようかと思ってもいるのだけれども。


 現在、私の机の上は、仏経経典関係で山になっている状態。

 仏陀の教えは、私は歓喜して学んでいるのであるが、他の人も、悪行をしてきていない人は、楽しく学べると思うけれども、

 現状で、テロのように罵詈雑言している人は、仏陀から遠くなっているので、学んでも、まず自らの悪行がのしかかるから、学びにも入りづらいだろう。

正道にきたならば、その自らの悪業によりて、意気消沈するから、なかなか正道を進んでいくこともできない、と。


 おおよそ、そういうようになるのは、目に見えているので、正道を進み、仏陀の教えを学ぶ人は、悪行をしてはならない。


 善い土地でなければ、種を蒔いても、種は芽をださない。


仏陀曰く、

『比丘たちよ、日輪の上るとき、先驅たり、前相たるは、即ち、明相出づることなり。

 比丘たちよ、そのように、比丘が八支聖道を起すとき、先驅たり、前相たるは、善友あることなり』


『比丘たちよ、他に一法として、いまだ生じていない八支聖道を生じて、すでに生じている八支聖道をして修習円満ならしむるものあるを見ず。

 比丘たちよ、それは、即ち、善友のあることである。

 比丘たちよ、善友ある比丘においては、八支聖道を修習し、多修せんと期すべきなり』と。





H28年4月6日


 本日は、読売新聞の勧誘の人が、ピンクのタワシを持ってきた。

「タワシをどうぞ」って言っていたので、「気持ちだけでいいです」と言ってもらわなかったが、

 他、テロの邪行はかわらず。


 仏陀の教えは、八正道も更新しているので、学ぶ人は、たまに見直して見てください。誤字等があれば、修正もしているので。


 仏陀の教えでも、仏陀が何度も説かれているように、聖者側に来る人は、悪しき者と親しんではならない。


 悪しき者と集いはどのようになっていくのか。

邪道へ進み、邪念・邪行に染まっていくと。


 邪道を進み、悪業を重ねつつも、善に導かれている、と勘違いしている者もいるようでもあるが、

本当に善に導かれている人は、繰り返し愚かな悪業を重ねない、というのを理解するべきだろう。


 テロは、正しく教えを説く仏陀の弟子を亡き者にして、悪しき能力者や何かに、導きを求め、その者に、仏陀の教えを学ばせて誘導したい、というのもあるようだけれども、

譬えば、真理を見聞きしたことがあるという極悪な犯罪者に、仏教経典を渡して、「あなたはこれを学びなさい、そうすれば、私達はあなたについて行こう」と言ったとする、

 その極悪な犯罪者の導きによって、果たして仏陀の教えを覚れると思うだろうか。


 また、譬えば、阿修羅・餓鬼・畜生・地獄の悪趣にいる、無明の住人に、同じように、

テロの者が、その者に、仏教経典を渡して、「あなたはこれを学びなさい、あなたには特殊な能力がある。私達はあなたについて行こう」と言ったとする、

 そのようにして悪趣の住人の導きによって、果たして仏陀の教えを覚れると思だろうか。

 答えは、当然、覚れるわけがない。

 現状のテロの集いが、何かに導きを求めている状態。



テロ側の住人は、そういう状態であり、恐怖を感じるのも、倍増してると思われる。

死後の後も断たれているような状態にいるから余計に、そうなるだろう。

まぁ、自らの悪業によって、本当の命を捨ててしまっているので、こちらから見てても、”ありえないな”と思うけれども、

そのような状況から、必死に何事かを起こそうとしているけれども、実際に悪魔がからんでいるから、段々、聖者方からも離れて行っている、と。



 普通に考えてだよ、「仏陀はある」等と言って、仏陀の弟子を亡き者にしようと悪行を重ねている者を、仏陀や、他の善なる神々が、その者を導くと思うだろうか。

 普通に、常識的に考えて。


 そこは、”仏陀や、聖者方や、神は、慈悲を持っているので、常識的に考えることはない。私は、邪道に進んでいるが、救われるだろう”と思っているのであれば、

仏陀や、聖者方や、神は、そのような者を「愚か者」というだろう。


 仏陀や、聖者方や、神だって、常識があるから。

神というのは、キリスト教の神・父。も同様に。


 そういうところでも、テロの人達は、善なる存在・神・神々に導かれていない。という事柄が知られるだろう。


 悪魔・悪しき者に救いを求めても、あなたが救われることはない。

悪魔・悪しき者・魔王か。

例えば、現在の魔王も、自らの欲望によりて、仏陀に般涅槃をするように言っているので、その悪業はひどいものなのではないかな、と思うが、

弥勒大士の時の、魔王は、仏法の守護神としているようなので、全然違うわけでもあり。


 悪魔・悪しき者が、仏陀の弟子を誘惑して、善処に堕とそうとしている話もあるが、

テロの者が、実際に、邪行をしているのを見ててもわかるとおり、

テロの悪行をしている者は、仏陀の徳のある弟子とは違い、善処から悪処に堕とされそうとしている、という、こういう違いも理解したほうが善いだろう。





H28年4月8日


 本日は、

 ショッピングに行って来て、お好み焼きを作ってこれから食すところであります。

しかし、テロがあの手この手で必死に殺人を誘発している。

 犯罪者集団をのさばらせておいているっていうのも、治安が維持できていないということだけれども、

愚行をそのまま受け入れているところを見れば、

国がテロと、テロの能力者達に完璧にのっとられそうになっているんでないか。

他の人は、そうは思わないんだろうか。

見聞きしてれば、何かあれば、ガンで殺すとか脅かしてるし。

テロだけに。単なる邪行でしかない。


 自らが、そういう状態でも、死後の善処の夢は抱いている者もいるのだろうか。

 道理としては、ありえない。


 テロの脅迫・邪行の数々を見聞きして、あなたはどう思うか。


 私は、邪行の者達を見てて、あのように、テロで愚行をして悪処・地獄へ堕ちて、輪廻からしてすべてが終了、っていう進行(信仰・盲信)の状態を見てて、

そういうように悪魔・邪念に心を執られないないように、気をつけよう、と思うが、

 私が、このように抱く思いは、良識を持っているだろうか。




 美味なるお好み焼きであった。

 テロの者だけでなく、他の人も、仏陀の教えを全然理解していない。のに、文句を言っている(テロの)人が多くいる。

神は善であって、悪ではない。

信仰心の強い人は、仏陀より、聖者方より、神は上位にある、という人もいるだれろうけども、

神は、仏陀の善の道の外にいるわけではない。

八聖道を行ずる人の中にいる。

仏陀も聖者も八聖道にいる。

理法・道理としても、きちんと理由もあるのだけれども、

理法を理解せずに文句を言っている人は、無知・盲信が少なからず含まれているので、きちんと理法を理解してから、論じるべきだろう。

 特に、もう盲信によりて、邪行を行なっているような人は、八聖道にもいないので、論じるにも、その何も見えない心で物事を語っても、

悪魔・悪しき者に、引きずられて悪業を積むだけだから、きちんと理解してから論じるべきである。


 神は悪ではなく、善。

 神は魔ではなくて、善なる存在。

 仏陀は神を善しとする。神は仏陀を善しとする。





H28年4月9日


 本日は、

 昨日の文言で、邪行者が喜んでいるようで、邪行を行っているが、

 仏陀の教えでも、神の教えでも、

 邪行者が、善処に赴くという事柄は道理としては、ありえない。


 テロの邪行は、邪行・悪行・邪業・悪業であって、善行・善業ではない。


 邪行の者が、善処に赴くという道理はない。





H28年4月14日


 本日の、地震の生放送で、私の名前をしきりに言っているのを見ているが、それは、仏陀の弟子を亡き者にしようとした恐れから来るものなのではないだろうか。

 邪業を積み重ねた者は、地震や災害により、刹那にして命終した後、悪趣・地獄へと出生して、再び、人生をおくれることは、盲目のたとえのように、奇跡のようなものである〔極めて難しい〕、と。

 仏陀はこのように仰せられた。


 死は、無相としておとずれる。

 その死を、見ていないがゆえに、死ぬ間際に怖れる。

 死ぬ間際になって怖れる、というのは、普通一般の人としては、誰しもそうであるが、

 死後に、善趣に赴くと自覚する人と、死後に悪趣に赴くと自覚する人とでは、恐怖の度合いも大きく異なる。

 一方は、更に善い境涯へと趣き、他方は、人間の世とは、比べものにならないほどに、悪い境涯へと出生する。


 聖者の教えを聞かず、邪業を重ねるものを、聖者は救うことができない。

 「邪行を離れなさい」と、仏陀も、聖者方も、神も、説かれる。


 邪行をしているという自覚からくる恐怖。

 その恐怖は、その者を善趣へと導かない。





H28年4月22日


 本日は、最近また、近所のテロの者達が子供らと共に騒いでいる。

そして、その件で放送も騒いでいる。

 有名人ではないが、有名であるのは、間違いではない。と。

 有名ではあるんだろうけれども、私としてはたいして実感もないからな。

月日は流れ、すでに数年間ずっとそういう状態であるから、パッと実感もないし、昔から見られていたというのからして、意味もわからない、と。

 最近、初めて知ったけれども、悪しき者達もずっと、悪業を重ね続け、日本のメディアも良識を無くして行き、国境なき記者団の、報道の自由度ランキングで、180カ国中、日本は世界で72位で、日本だけではなく世界的にも「普通の良識ある報道はされている状態ではないという現実である」ということらしく、日本のメディアはやはり良識を失っていたということは、私の普段の意見とも一致する。
というか、普通の人であれば、誰が見ても良識を失っている状態にあるというのは、すぐ理解できる状態にまで、日本のメディアは堕ちている現状だと思う。

 ”私は良識ある見方で物事を語っていた”というのも、まぁ、やはり普通だなと思い。



『国連の国際連合報道センター記事より

 東京/ジュネーブ(2016年4月19日)― 「意見及び表現の自由」の調査を担当する国連特別報告者ディビッド・ケイ氏が火曜日(4月19日)、日本政府に対し、メディアの独立性保護と国民の知る権利促進のための対策を緊急に講じるよう要請しました。

「日本は、報道の自由を明確に保護した憲法に、当然の誇りを持っています。それにもかかわらず、報道の独立性は重大な脅威に直面しています」と、1週間の日本滞在を終えたケイ氏は述べました。

「脆弱な法的保護、新たに採択された『特定秘密保護法』、そして政府による『中立性』と『公平性』への絶え間ない圧力が、高いレベルの自己検閲を生み出しているように見えます」とケイ氏は言います。「こうした圧力は意図した効果をもたらします。それはメディア自体が、記者クラブ制度の排他性に依存し、独立の基本原則を擁護するはずの幅広い職業的な組合組織を欠いているからです」

「多くのジャーナリストが、自身の生活を守るために匿名を条件に私との面会に応じてくれましたが、国民的関心事の扱いの微妙な部分を避けなければならない圧力の存在を浮かび上がらせました。彼らの多くが、有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられたと訴えています。これほどの強固な民主主義の基盤のある国では、そのような介入には抵抗して介入を防ぐべきです」

ケイ氏によれば、1950年に制定され政府に放送メディアを規制する直接的な権限を与えた『放送法』は、4条において、ジャーナリストの職業的義務と、放送免許の取り消しを行う政府権限を混同しています。「政府は放送法4条を廃止し、メディア規制から手を引くべきです」と同氏は述べました。

こうした環境下で『特定秘密保護法』は、実施の初期段階ながら、重大な社会的関心事のメディア報道を委縮させる効果を生んでいるとケイ氏は述べています。例えば、内部告発者を保護する体制が弱いことは、情報源の枯渇につながり、ジャーナリスト自身も情報入手によって処罰されることを恐れるようになるでしょう。こうした恐れを持つことで、特に影響を受ける可能性があるのは、原子力産業の未来、災害対応、政府の国家安全保障政策など、日本の今日的な公共の関心事についての報道だとしています。

ケイ氏によれば、政府による圧力はさらに、第二次世界大戦中の「従軍慰安婦」問題など、非常に重要性の高い問題の議論も妨げています。複数の国際的な人権メカニズムがこの問題への対処を繰り返し日本に要求していることに触れつつ、ケイ氏は、日本の過去についての議論を制限しようとする試みに対して不満を表明しました。

「従軍慰安婦への言及は、中学校で必修科目である日本史の教科書から削除されつつあります」と、このことを知ったケイ氏は述べました。「第二次世界大戦中に犯した罪の現実を教科書でどう扱うかについて政府が介入することは、国民の知る権利を脅かし、国民が日本の過去の問題に取り組み理解する力を低下させます」

ケイ氏は国会を訪れ、法務委員会の委員と面会し、ヘイトスピーチの法規制に関する継続中の議論への関心を示しました。「日本は、広範囲に適用できる差別禁止法を採択しなければなりません。ヘイトスピーチに対する答えは、まず、差別行為を禁止する法律を制定することです。そうした法律が整えば、憎しみに満ちた表現に対する政府の広範な対応が、憎悪に反対する教育的かつ公の声明などの形で、差別との闘いに真の影響をもたらすようになるでしょう」とケイ氏は述べています。

さらにケイ氏は「ネット上の自由の分野で、日本がいかに重要なモデルを示しているかについても強調したいと思います」と述べました。「デジタルの自由への政府の介入度合が極めて低いことは、表現の自由に対する政府のコミットメントの表れです。政府が盗聴に関する法律やサイバーセキュリティへの新たな取り組みを検討する際、こうした自由の精神、通信セキュリティ、オンライン上のイノベーションが規制の取り組みの最前線でも保たれることを願っています」

ディビッド・ケイ氏は、日本政府の招きにより4月12日から19日まで日本に滞在し、国のさまざまな当局者と会談しました。また、NGO、ジャーナリスト、民間メディアの団体、弁護士とも議論を交わしました。ケイ氏は特別報告者として、今回の訪日による主な調査結果に関する報告書を作成し、2017年に国連人権理事会に提出する予定です。』




 日本政府は、メディアのテロ活動を抑止するべく、行動をしないと、ますます悪化していくのではないのだろうか。

第三者から見て、「日本は、報道の自由を明確に保護した憲法に、当然の誇りを持っています。それにもかかわらず、報道の独立性は重大な脅威に直面しています」と言われているのに、

それでも、「日本は平和です」なんていうのは、単なる妄想の話だろう。

 国内の内情は現状荒れている、と。『特定秘密保護法』によりて、テロ報道も抑止されておらず、悪化している、と。

 他人からの善い非難をすなおに受け止めて、メディアの報道を、善く規制するべきだろう、と思う。


 私が一人で、世界を根本から善にしよう、と意気込んでいても、他の人たちにも強力してもらわないと、パッとすぐに直るわけでもないので、仏陀の理法を見て、理解する人であれば、時をおかずして、善く直るだろうけれども。


 阿部さん、外交よりも、日本の国内情勢を先に直した方が善いのではないだろうか。

まぁ、もしかしたら日本政府関係者の周囲のメディアだけは、危機的状況にないように報道をされ、危機的状況に気づいてすらいないのかもしれないが、

国会答弁を見れば、抑止するどころか、騒ぎに参加しているというようなのも見られるが、そういう状態も、すでに危機的状況であって、

危機的状況を理解していない、ということでもあるだろう。

 阿部さん、そういう危機的状況は直さないと、さらに酷くなってから直そうとしても、あとから大変だと思うよ。





H28年4月24日


 本日も、近所のテロの者達が子供らと共に騒いでいた、その件でラジオで実況してたようだけど。

というか、昔から言っているけど、いつも家にいるから、発言したいことがあれば、話合いに来ればいいだろう。

 別にいまになって騒いでいるわけでもないし。

家に来たのは、宗教の勧めと、新聞の勧誘くらいで、他もとくに、あとは、昔、警察の訪問が来たくらいか。

 今日は、歯医者で殺すっていうような事柄で喜んで騒いでいたようで、前はガンにするのを失敗したということらしいが、現在、その詰め物が外れたからなのかどうか知らないが、

以前に、舌が地図状舌になってた箇所の歯が詰め物が取れて、ものすごい深い孔ができて、現在、歯医者に行こうかな、と考えていた、私の念を読んでのことだろう。

 まぁ、テロはいつもそういう感じだから、なんとも、テロのやっているのが、悪行であるのか、善行であるのか。

誰でもわかるくらいの邪業を作している。


 今日は、私の周囲にまとわり付いている悪魔も、テロと一緒になって罵詈雑言をして「死ね」って言ってたし、めずらしく6文字の邪言か、と指折り数えたが、5文字だった。

悪魔の言動が5文字以内って言うのも変わらず、首の後ろ当たりをジワーっとさせるのもかわらず。


 首の後ろ当たりをジワーっとさせるというので、以前書いたかな、まぁ、いいが、この首の後ろをジワーとさせて、妨害や、幻聴なり聞かせようとしたりする、という悪魔の業は、私のところにまとわり付いている悪霊に限っての悪魔の業というのではなくて、修験でも、神道でもやっているのだけれども、悪霊を払うのに、よく首の後ろを鈴のたくさん付いた棒のようなもので、鈴をジャラジャラジャラさせたりするのだが、そのようにすると悪魔が身体から離れる。

 まぁ、一時的な方法だけども、そういうような悪魔の離し方もある、と。


 悪魔は、仏陀にも七年間まとわり付いるように、まぁ、そのような悪行をして悩まそうとする存在である、と。

 人格を取られるほどに憑依されているようでは、鈴をジャラジャラならしたくらいでは、どうにもならないだろうけれども。


 あと、テロの者で、悪魔のおかげで仏陀の教えが説かれている、と思っている者もいるのだろう、ので、そういうのではない、というので説こう、と。

 譬えば、決定邪見の六師外道がいて、仏陀がその六師外道の決定邪見に関して、その邪見によりて悪処へと堕すると説かれている、

 要は「これらの人々は沙門法あることなし、彼らは非沙門である」、「これらの人々に、禅も解脱も道も果もあることなし」と同様に、善処へ赴くことは無く、悪趣へ堕ちる、と。

 このように、仏陀が、悪行者の邪行を、悪趣へ堕する邪行である、と説いた教えは、その六師外道のおかげで説かれた教えというだろうか。

 当然、その仏陀の教えは、六師外道のおかげで説かれた、とは、普通、言わない。

 それと同様に、悪魔が邪行によりて、私を苦しめ悩ましている。その悪魔の邪行に関しての事柄を、私が事細かに、後にも他の人のためになるだろう、と記した教えは、悪魔のおかげで説かれた(仏陀の)教えというだろうか、と。

 当然、その仏陀の教えは、悪魔のおかげで説かれた、とは、普通、言わない。





H28年4月25日


 本日は、仏陀の教え


  三界〔欲界、色界、無色界〕の存在に関して (天随念について) 更訂中





H28年4月26日


 本日は、今日も朝から、メディアが悪道を行き、罵詈雑言を普通にしている。

仏陀の弟子に罵詈雑言をしたならば、悪趣に堕ちると伝えても、罵詈雑言をするという行い。

悪処に堕ちるという行いを自らしているのであるから、テロはやはり悪趣へ向かっているのは、自他ともに認められる真理である、と。


 そうだな、メディアのテロの放送を見てれば、すでに、良識から遠のいて、一般人が引くくらいの悪行をすでに、普通に犯しているが、まぁ、悪しき行いの者が集えばそうなるか、と。

そうだな~、ガンだからどうとかっていうのを耳にするが、あと、私が”裏ではない”とかっていうのも聞くが、

ガンだからっていうのは、譬えば、阿羅伽の聖者が、病気になり、ガンになったと仮定する。そうしたならば、ガンになったから仏陀への信仰をやめるものだろうか。

これは、ガンだから、違うとかいう見解の者にたいして。

 私が、テロの者達でいう”裏”の、その”裏ではない”ということであるが、テロの者達は、記しているとおり、『悪処に堕ちるという行いを自らしているのであるから、テロはやはり悪趣へ向かっているのは、自他ともに認められる真理である』ということであるが、私とは逆に、”テロの者達は裏ではある”ということなのだろうけれども、
その裏であっても、表であっても、テロの者達の悪行は、八正道にない。


実験だ、研究だとか言い、悪業を重ねているものもいるようで、(そういうように騒いでいたのも聞いたことがある。)そのように、悪行を重ね、悪処・地獄へ向かう、と。

その者は、実験だ、研究だとか言っている、自分の心を実験し、研究するべきだろう。善くするべく。

実験だ、研究等と言い、悪行を重ねている者自身の、または重ねさせている者自身の、その実験・研究の悪業の結果はすでに、『テロはやはり悪趣へ向かっているのは、自他ともに認められる真理である』というように答えも導き出されている。


 盲信なく考えれば、導き出される答えであるが、普通に善く考えたほうが善いよ。

 すでに、盲信して、私を犯人であると思いこんでいるものもいるようであるが、その盲信・邪見によりて、善処・天へ赴くことはありえない。


 いや、今日、テロの騒いでいたから、両手を広げ甲を上にして、私はテロの仲間ではないっていうので、「ない」って言ったら、離れて横に座っているおばさんが、「私はないんだ」とか言ってたので、「いや、そうではない(あなたに言ったわけではない)」と、まぁ、聞こえてなかっただろうけれども、気にしてたらかわいそうなことをしてしまった、と心に残っている。

 ちなみに、私は仏陀の弟子として、以前にも同様の事柄は言っているが、私はテロとか、秘密結社だとか、たとえば、メーソンだとか、そういう集いとは一切関係ないし、会員とかそういうのでもない。

 あ、私は、仏陀の弟子として、聖者方の側としては「ある」と言っておく。

 あ、『悪処に堕ちるという行いを自らしているのであるから、テロはやはり悪趣へ向かっているのは、自他ともに認められる真理である』というのは、すでに、この地でも、天でも確定している。




 そういえば、地球の人口の話で、出産年齢を高くするという私が記している話で、ある程度の年齢に至ってから出産した人に、特典を与えるというような、まぁ、そのような政策的な話でもあるのだけれども。高齢出産を、推進するという政策。

深く考えずに、単純計算で、例えば、100年間で同じ家系の女性がすべて、20歳で一人出産したとするならば、5人の女性に子供が5人出生する。

100年間で同じ家系の女性がすべて、30歳で一人出産したとするならば、3人の女性に子供が3人出生する。

200年間で同じ家系の女性がすべて、20歳で一人出産したとするならば、10人の女性に子供が10人出生する。

200年間で同じ家系の女性がすべて、30歳で一人出産したとするならば、6人の女性に子供が6人出生する。

(他、夫婦の合計の年齢が60歳以上、70歳以上等で一人出産したとするならば、等)

 単純計算で20歳と30歳で比べても、半数に近くになる。これを単純に地球規模であてはめれば、100年間で地球の人口が5分3になる。

 もしかしたら、30歳、40歳で子供を出産する人は、反動で多くの子を出産したりするのだろうか。

 そういう細かな事情を除けば、出産年齢を上げるようにするだけでも、地球の人工増加に効果がありそうだけれども、どうなんだろうか。

 これから高齢化で、人々の寿命も伸びるから、考えるべきだろう。同じ状態で維持されるのであれば、考える必要もないけれども。

 人々の平均寿命が50歳の時に、20歳で出産するのと、

 人々の平均寿命が100歳の時に、20歳で出産するのと、比べたならば、異なる。

 人々の平均寿命が150歳の時に、20歳で出産するのと、比べたならば、また異なる、と。



 普段の、どうでもいい話は別に、気にしなくてもいいのだけれども、

 このような事柄は、地球の各国の要人も、私のHPを読んでいるようなので記している。


 この話は地球規模の話だけれども、仏陀の教え・真理は、これよりもさらに大きく重要である。

 ということを、地球の、法を見る人・善なる人・善い縁のある人や、善趣・天の神々のような存在しか知らない。


 善趣・天に行く人や、天の神々に見える”真理”。 善趣・天に行く人や、天の神々の見る”真理”。

 悪趣・地獄に行く人に見えない”真理”。 悪趣・地獄に行く人の見ない”真理”。





H28年4月27日


 本日は、

 テロがメディア等あの手この手で、私を泣きそうにさせたいらしい。

 ストーカーされて、本当に大変だわ。酷い悪い者達だわ。

 テロの聞いてれば、単なる犯罪者の言い訳ばかりでしかない。

 でも、私がされているのと、同じ嫌がらせをされたら、

 テロの者達の多くはとっくに泣いてるだろう。

 逃げたり、悪業者側にひるがえったりする者も多いだろう。


 サーリプッタ尊者は、悪行を非難する方である。

 悪しき者達が、盲信・邪見により犯し続けた悪業は消えることはない。

 私に悪行をしている者達は、善行をも非難して、悪行を重ねている。

 毎度毎度、毎日毎日悪行を重ね。私が怒るから、聖者ではないとでも言いたいのかどうなのか。

 悪しき者が私にたいして邪行を行い、私を怒らせ、それを私が非難すると、怒るから聖者の側にいないとでも言いたいのだろうか。


 譬えば、殺人犯と、殺人という邪行を非難する人がいるとする。

 どちらが、悪行者・悪しき人で、どちらが、善行者・善なる人であるか、

 また、どちらが、悪趣・地獄に赴く人で、どちらが、善趣・天に赴く人であるか、わかりますか。



 テロの者達が、どうやら、私が犯人であるからという理由でその殺人をも、正当化させたいらしい。





H28年4月28日


 詰め物がとれてから、地図状舌は良くなっている。

 本日も、テロの者達の側で、邪行を行なっている者達は、盲信・邪見に依り立っているので、最初から、八正道になく、最初からすでに、洗脳された結果、悪趣へ赴く行いをするというのは、導き出されている。

 長いこと見てても、テロ側の者の行いは、盲信・邪見に依り立っているので、邪道に即した邪行・邪業を作している。



仏陀は、このようにに仰せられた、

『比丘たちよ、まさに、邪見を離れ、邪見を断ぜよ。

 もし邪見を断ずることができなければ、私は終いに、邪見を離断せよ、とは説かない。

 邪見を断ずべきを以ての故に、私は、比丘に、まさに邪見を離れよ、と説く。

 そして、比丘たちよ、邪見を離れおわりて、正見を修習せよ。

 もし邪見を離れなければ、邪見はまさに、非法〔邪道〕の義をもちて、不利益を増大し、苦を行作する。
この故に、私は、まさに邪見を離れよ、と説く。

 このように、邪思・邪語・邪業・邪命・邪精進・邪念・邪定もまた、これと同様に説く。


 比丘たちよ、邪見を離れおわりて、まさに正見を修習せよ。

 もし正見を修習することを得なければ、私は終いに、正見を修習せよ、とは説かない。

 正見を修習することを得たならば、私は比丘に、まさに正見を修習せよ、と説く。

 もし正見を修習しなければ、非法〔邪道〕の義をもちて、不利益を増大し、苦を行作する。
この故に、私は、まさに正見を修習せよ、と説く。

 正法〔正道〕の義をもちて、利益を増大したならば、常に安穏・安楽となることを得る。
この故に、比丘は、まさに正見を修習せよ。

 このように、正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定、もまた、これと同様に説く』と。





H28年4月29日


 地図状舌の痕もほぼ消えて治っている様子。

 胃は、ここ2、3日は痛くない。


 昨日の寝る前に、テロのCMの、罵詈雑言の社会秩序を乱すCMを、抑制する方法として考えていたのであるが、

企業のCMの、そのCMの編集者というか、そのCMに関しての一切の責任を負う人(責任者)の、名前をCMの片隅に表示するようにすれば、

テロの社会秩序を乱すCM等があれば、その責任者に問えば良いということにもなるので、

責任の所在もはっきりするし、そのように、責任者の名をCMに表示するという方法がよいのではないだろうか、と。

CMに出る企業名だけでは、責任の所在があいまいであるので、そのCM・広告の責任者の名を表示する、という方法。

他の方々は、この方法をどう思いますか。





H28年5月2日(2016年)


 本日は、仏陀の教え


  聖者誹謗の、極めて大きな悪しき果報に関して    [更訂 H28.5.1]



  
悪魔の誘惑とは何か (真理の観察の障害)    [更訂 H28.5.3]


 『理法を知り、魔を知らなければ、世間の霊的境界に精通している能力者も、一般の能力者も、魔から脱することはできません』

 この悪魔の誘惑に関しての教えは、悪霊・悪魔の誘惑を知り、自在を脱するのに、重要な教えであり、
大乗仏教や、密教、修験道、神秘家、他あらゆる宗教の関係者にとりても、非常に重要、かつ有益となる真理の教え。保存版。
多くの人に教えてあげると有益となるでしょう。





H28年5月4日


 悪魔の誘惑とは何か、の教えは、どのように重要であるのかが、いまいち解らない、という人も多くいるようだけれども、

時間をかけて、何度も何度も、繰り返し繰り返し観れば、理解はできてくるだろう。

 それは、他の仏陀の教えを、同じように繰り返し繰り返し観て、修習することによりて、理解されるのと同じく。

 そのようにして、自らで理解したとき、”すごい”と、気づくだろう。


 善の道に進む過程で現れるであろう、悪魔等の悪しき存在にやられて、邪道に堕ちてしまわないように、としても、極めて重要な教え。

 悪魔や、悪霊等、悪しき能力者等に、攻撃をされたならば、この教えを知らなければ、話にならないだろう、と言っても過言ではないだろう、という程の教えである。


 昔、神智学のブラヴァッキーさんの話をしたことがあるが、その話で、私が言うている意味も理解できるだろうと思う。


 邪見によりて、邪道をすすみ、邪行を為しおわっている人は、譬えば、邪見の中から見て、正見を見ず、邪見を見ているので、理解は極めて難しく、如実に是を解さない。

 邪行・邪業を、何度も何度も行じて、繰り返し修習することによりて、仏陀や聖者方から遠くなり、仏陀や聖者方の教えを、自らでは見えず、理解することもできなくなるように。


 正見によりて、正道をすすみ、正行を為している人は、譬えば、邪見の外から見て、邪見を邪見だとして見えているので、理解はできて、如実に是を解す。

 善行・善業を、何度も何度も行じて、繰り返し修習することによりて、仏陀や聖者方に近づき、仏陀や聖者方の教えを、自らで見て、自らでそれを理解するように。


 邪見者に難しいが、正見者にとりては、仏陀の教えは、如実に、是を解せないことはないはずである。

 時間をかけて、何度も何度も、繰り返し繰り返し、善思して、諸々の仏陀の教えを観れば、理解はできてくるはずのものである。



 このように私が、HPで説いている教えを、書かせている等と言って、悪行をしている邪見者にとりて、仏陀の教えを理解できない、というのは、道理として普通のことである。





H28年5月5日


 本日は、神智学の話をしたので、神秘家、能力者の言う”力”に関して。

 え~と、神秘家、能力者がたまに、私の事柄を見て、「力なし」と言う者もいるのを聞くが、そのようにして、メディアをとおして言うている者を、私は、悪行者・または悪行者の仲間として見ているのであるが、その力という基準をどこにおいて、”力あり”、または、”力なし”、と見なすのか、という基準が、聖者方・天神方と、悪しき行いを為す能力者とに大きな違いがある。

 神秘家や、能力者は、眼に見える特別な能力、主に超自然力をもちて、力あり、とする者が多いのであるが、

 そのようなことであれば、超自然力を持ちて”力あり”と見なす神秘家や、能力者から見れば、仏陀の弟子として破門され、大地獄に堕ちた神通力を持っていたダイバダッタも、また、”力あり”と見なす、ということになる。

聖者方や天神方から見ると、その力はこのように言われる、
「或る人が愚者の力を力としているならば、その力を無力(力なし)と呼ぶ」

 聖者方や天神方は、大地獄に堕ちてしまう悪業を為す者の力、そのようなものを、”力あり”とは、見なさない。

 また、その者自らが大地獄に堕ちてしまう要因となる魔の力を、”力あり”とは、見なさない。

 以前にも記しているが、譬えば、子供が玩具を用いて遊んでいるようなもので、子供は、無知であるがゆえに、玩具を用いて終いに、自らに輪廻を超えた悪業を残し、すわなち地獄に堕ちる。
 このような破滅に至った子供にたいして、この子供は”力あり”と、あなたは見るだろうか。

 また、その子供の親は、子供が、自らを地獄に堕とすその悪行・愚かな行いをしているのを見て、どのようにするだろうか。

 悪行をしている愚かなその子を、その親は、叱りつけてでも、悪行を止めさせるだろうか。

 悪行をしている愚かなその子を、その親自身が罰するのだろうか。


 子供を愛する親であれば、その子の悪行を、可能な限り止めさせるだろう。

 なぜ、止めさせようとするのか。
 それは、その子が玩具を用いて悪行を為し、終いに地獄に堕ちるのを知っているからである、と。

 その子を救うべく、その悪行をやめさせる。

 親でもなく、その終いを知らない無知な人や、悪しき者であれば、止めるどころか、自らもその悪行を為し、終いに地獄に堕ちる者もいる。

 なぜ、自らもその悪行を為し、そのように終いに地獄に堕ちる悪行を為すのか。

 それは、その悪行をしている者が、無知によりて、その終いを知らないからである、と。


 そのように、悪行を為し、慈悲による忠告を聞かない者は、「理法で言うても、もうすでに、悪業は積まれ、大変な悪果が待ち受けているのですよ、すみやかに善心を起こしなさい」と忠告しても、無知や、傲慢であるがゆえに、聞かない者もいる、と。

 譬えば、閻魔王が、天使を遣わして、その者を救う機会を与えても、玩具に夢中で、聞く耳を持たず。

 そのように、聖者方や天神方が言う力を”力あり”として見ず、愚者の力を”力あり”として見た結果、力ある教えをも”力なし”として、その教えを見ず、そして聞かず。

 そのように、自らの救われる機会を無くしたならば、その者は救われない。


前述
『地獄の話は、仏教だけでなく、聖書外典にも克明に記されている。


 地獄に堕ちた者が、苦しみの中で、「私達は地獄というものが本当にあるとは思いませんでした」とか、「このようなことであるならば、生きているときに悪行をしませんでした」、「どうぞお許しください。私達を憐れんでください」というように、天使に請う場面も記されているが、地獄に行ってから、そのように請うてももう無駄なこと。天使に一蹴され、相手にされず。

というように、地獄というものは、そのような存在もまた多いことだろうが、

 さて、あなたのもとに真理を説く人は現れただろうか。

 その人は、閻魔王の話のように、救われる道を示しただろうか。示さなかっただろうか。

 また、示したのであれば、あなたは、その示されたあなた自身の救われる道を、自ら選んだだろうか、
 あなたは、その救われる道を示した人を、どのように見て、どのように対応しただろうか。


 そのように、その閻魔王の話のように、その人を救うべく天の使いを遣わした閻魔王(または、他の存在)の力、そして、遣わされた天の使いの行使する力、すなわち、あなたを救う力を、
あなたは、”力あり”と言うだろうか。”力なし”と言うだろうか。

 また、仏陀や聖者方の、あなたを善処に導く力を、あなたは”力あり”と言うだろうか。”力なし”と言うだろうか。

 また、悪魔や、悪しき存在や、悪しき魔術者の、あなたを悪処・地獄に導く力を、あなたは”力あり”と言うだろうか。”力なし”と言うだろうか。


聖者方や天神方は、このように言われる、
「或る人が愚者の力を力としているならば、その力を無力(力なし)と呼ぶ」と。





H28年5月11日


 本日は、仏陀の教え


  盲信・邪まな思い込み・邪見による邪行と、正しい信・正しい思い・正見による正行の報い





H28年5月15日

 今日はまた、テロ企業がたくさん出ている。

  08:30   三菱UFJ銀行のCMテロ、 MUFG(三菱UFJフィナンシャル・グループ、 Mitsubishi UFJ Financial Group)



  20:40頃STV 清水建設のCMテロ、 SHIMIZU CORPORATION.

   〃    三菱電機のCMテロ、 MITSUBISHI ELECTRIC.





H28年5月16日

 今日はまた、ストーカーと嫌がらせ。

 これをするから、この単語を発するから、この仏陀の弟子は、憑かれている・操っている等。

 大きく考えたほうがいいと思われる。

 テロ側の行いは、非法・悪法・邪行・悪行であって、聖者の道にないので、畜生霊の業や、悪業をしている魔術士・能力者に依っているというか、依りどころはそういうところしか得られないわけだが、最初から説明をしているとおり、テロ側は、正道にいないし、操っているとか、そういう低級な事柄を言っているような状態からしても、もうすでに、道からも遠い。

 そしてまた、私の粗を探しているようだけれども、私は、聖者の弟子を故意に害するするような、大きな悪業は、積むこともないだろうし、しても、通常の生活において、失敗してしまったな業くらいであって、他べつに思いっきり悪処に堕ちるようなことを、故意にすることもないだろう。故意に悪行をするような心も、とくにない。

 しかし、私や聖者方と反対に、悪業者の者達は、邪見・盲信によりて、故意に大きな邪業を積んでいるので、その悪業によりて、悪処に赴くのは、当然だろう。

 テロ側の者達は、すでにどれほど多くの人々を邪見・盲信に導いて、邪業を積ませているのか、計り知れないほどに、邪業を積んでいる。

 そのような状態の者が、私は”ある”とか思い込み、他の善なる人を見ては、”ない”という。

 また、こちらから見て、恐ろしいほどの悪業を重ねているというのに、自分は・自分達は”ある”という、また、「法はある」という。

 そのようなところを見ても、仏陀の理法を理解してはいない、のが知られるのだけれども、

 その邪見・盲信によりて、悪しき行いをしている人が、「私は理法はある」と言ったとしよう、しかし、理法では、悪業を行ったものは、地獄・悪処へ堕ちるのであるから、

その人が、「私は理法はある」と言ったところで、理法でも、その悪しき者自身が、地獄・悪処へ堕ちるのです。

 そのような悪業を成就している者にとりての、”理法を信じているから、私は・私たちは、善処へと赴く”という思い込みは、無知・盲信・愚かな思い込みでしかない。

 かといって、”では、私は・私たちは理法を信じない”と言うならば、その時点で、最上の善処への道をも完全に失っているわけなので、すでに為した邪見・盲信によりての悪業により、悪処・地獄へ堕ちるか、または、悪業がなければ、低い欲界善趣に、到達できる可能性は無いこともないと思われる。善趣の四天王天でも、難しいとは思うけれども。

 テロ側の悪行を成している者で、魔天に赴くことを夢見ている者もいるのかもしれないが、依りどころが悪行者や、悪しき能力者や、畜生霊や、そのようなたぐいなのを見ても、自分達でも理解できるだろうとおりに、阿修羅、餓鬼の境界ですら難しく、良くて、地獄の獄卒のポジションだと思われる。他、畜生等の境界。現状で見た限りではね。阿修羅以上の境界は、テロ側で悪行をしない人であれば、可能かもしれないが、四天王天の境界は、望んでも、仏陀の弟子を害している時点ですでに、ほぼない、と見たほうが無難だと思われる。

 地獄の獄卒のポジションは、悪行をせずに、悪心を持っているような輩がなるとされるので、そこですらも、難しいかもしれないが、テロ側の者達の現状を見ていると、そういう状況であると、思われる。まぁ、もう少し善い境界へ赴く人もいたとしても、そこですら、悪業を成していない人に限られる。

 仏陀・聖者方・聖者の弟子を害している者が、”自分は・自分達は、善処へいく”また、”私は・私達は、天神・神の子である”とか言うような、妄想を抱いてしまっている愚かな者は、四天王や、その眷属にすらも相手にされないだろう。四天王に相手にされないようであれば、当然、その上位の善神たちにも同じく。

 ためを思って話している人の話を聞かずに、悪しき能力者等の話に誘導されているから、すでに、そのような状態にいる。

 テロ側の、無知なる者たちの悪業は、すでに積まれている。


 一方、仏陀の理法を信じて、善業を成している者の善業もまた、すでに積まれている、と。

 仏陀・聖者方・聖者の弟子が、四天王やその眷属に善い人として相手にされるというのは、極めて、普通である。当然、その上位の善神たちにも同じく。

 善なる神々に善い人として見られて、困る人というのは、ほとんどいないだろう。なんだか、恥ずかしいな~、(/o\♯)ポッ、というくらいならいるかもしれないが、

 仏陀・聖者方・聖者の弟子を害して、仏陀・聖者方・聖者の弟子に敵対するという邪見・邪行がね、どう見ても、あ~、”逆にどうやったら「自分は・自分達はある」と思えるのだろうか”と、思うほどの事柄でもある。

 大きく考えて見て、テロ側は、悪しき能力者や悪行者だけを見て、悪行を成し、こちら側が憑かれている等と思っているのかもしれないが、聖者方の智慧から見れば、逆に悪しき能力者や悪行者が、操られている、と見てみたほうが善いだろう。

 イエズスの教えも、魔の力のおよぼされる微妙な境界のところではあるけれども、善なる行いの教えで間違いないし、そして、そのイエズス自身が、行いとして、善なる行いを成している。

 修験道の神霊のお告げも、神霊から直接聞いた人の娘が、私に言った事柄であるので、神霊の境界でも、すでにそのように見られているのだろう、と。これは私が聞いた話から推測される事柄だけども。

 テロ側の先導として、悪しき霊や、畜生霊等の先導の存在に、先が見えるというのであれば、聖者方の側にある善なる神々が、そのさらに先が見えないわけもないだろう。


 テロ側の存在は、仏陀の教えで言うても、私もHPでも記していないからわからないだろうけれども、すでに非常に厳しい状態にいる、と。

 テロ側の存在は、仏陀の弟子を操っていると、愚行を為して、おごって歓喜している者もいるようだが、悪行をしている自分達が、優れた境界にあると、慢心せずに、自分達こそが、操られている、と思って注意した方が、善いだろう。


 その思い方としては、自分達の悪行をしている能力者や、畜生霊すらも、操られている、と。

 そして、善処にある天神方は、すでにそれらをも知っている、と。

 善なる天神方が、知っているというのに、自分達が悪業を重ねるのは何故なのだろうか、と。

 邪行は、邪見によりて起こる、

『そのような悪業を成就している者にとりての、”理法を信じているから、私は・私たちは、善処へと赴く”という思い込みは、無知・盲信・愚かな思い込みでしかない。』と。





H28年5月28日

 今日はまた、

 テロ企業のCMが酷かったわ。あのような酷いCMをしていて、自分達は「テロ企業ではない」というのだろうか。

 自他ともに認められるテロ企業のCMだろう。今日の諸々のCM等を見れば、理解できるだろう。

 最近というか、かなり前からだけれども、テロ側の者達は、自分達をテロ側として、自覚して認めて悪行・邪行をしている者も多く、

 「テロ側は、あなたがない」という主張をわざわざこちらに伝えるという事柄をもしているので、そのように言っているのも耳にもするけれども、

 そういう、ストーカー犯罪をしている者達に”ない”と言われるのって、”これってどうなの”とも思い、喜んで善いものか、喜ぶべきでないものなのか、と今日も少し考えたけれども。

 犯罪者に”ない”と言われる仏陀の弟子。

 テロ企業の基準から言えば、自分達はあって、仏陀の弟子・聖者の弟子はない、ということなのだろうが、

 こちらから見たら、どう見ても、犯罪者の集いが”ない”のであるが、理法としても、テロ側の側・邪行・悪行者側は”ない”のです。

 理法を別としても、一般常識としても、犯罪者の集いは”ない”だろう。


 今日のCMのテロ企業等、自他共に認められるテロ認定企業の、その基準の、その反社会的なテロ活動で言う、”ある”という基準は何なのか、と。

 例えば、最近近所にくるママさん連中や、小学生達がテロ活動をしていろいろ騒いでいて、迷惑を被っているのであるが、だいたいいつものテロ工作のママさん連中と、テロ活動の小学生達で、変わるがわる順番に来ては、罵詈雑言を言って騒いでいる様子であるが、そのように、いつもテロ騒ぎのママさん連中がストーカーをして騒いでいるので、私も近所の人たちも迷惑をしているであろうが、そういうストーカー犯罪活動をしつつもまた、私達は(犯罪行為をしているが)”ある”。しかし、あなたは(犯罪行為を被っている被害者だが、)”ない”と、言うという。

 聞いてれば、小学生なりに、「いい人だ」とか、なんだかんだと、自分達なりにもいろいろ思っている事柄を言ってるようだけれども、小学生達も邪行・悪口をして、自分達がテロ側であるというのを、一応認識しているらしいが、普通であれば、子供に悪行を止めさせて、善行をさせるものであるが、テロ側でいえば、親子で来て、子供に邪行・悪口をさせて、悪業を積ませているというのは、人としても、子の親としても、間違っている。




 仏陀・聖者方・聖者の弟子から見て、邪行・悪行者の邪行を基準としたならば、それは悪である。

『探らず、究めずして、そしるべき人を称讃し。

 探らず、究めずして、称讃すべき人を、そしる。

 これらの二法を、成就せる愚者、不明なる不善人は、損傷し、失壊したる自己を保護する。また、罪あり、智者の呵責するところである、また、多くの非福を生ずる』


 仏陀・聖者方・聖者の弟子から見て、善行者の善行を基準としたならば、それは善である。

『探り、究めて、そしる(非難・叱責す)べき人をそしり(非難・叱責して)。

 探り、究めて、称讃すべき人を、称讃する。

 これらの二法を、成就せる智者、賢明なる善人は、不損傷、不失壊の自己を保護する。また、罪無く、智者に可責せられず、また、多くの福を生ずる』と。



『「大王よ、如来は教えを説くとき、愛好と嫌悪と〈の感情によって説くこと〉をせず、愛好と嫌悪から離れて教えを説かれます。
このように〈如来が〉教えを説くとき、そこにおいて正しく〈教えを〉実践する人々は、〈真理を〉悟ります。
しかしながら、邪まに〈教えを〉実践する人々は、〈悪の生存に〉堕落します。」


「大王よ、それと同様に、如来が〈説法を聞く〉会衆を〈ただ〉見守っているだけならば、さとるべき人々をさとらせることはできません。
そうではなくて、邪まに実践する人々を遠ざけて、これらのさとるべき人々をさとらせるのです。
大王よ、しかも、彼ら邪まに実践する人々は、自己の為した行為によって、〈悪の生存に〉堕落します。」


「大王よ、それと同様に、如来は一万の神々や人々の世界に、不死の教えの布施をされました。
そして、全て有能なる者は、不死の法施によって悟るが、全て無能なる者は、不死の法施によって破滅し、堕落します。」』



『正しく〈教えを〉実践する人々は、〈真理を〉悟ります。しかしながら、邪まに〈教えを〉実践する人々は、〈悪の生存に〉堕落します。

 全て有能なる者は、不死の法施によって悟るが、全て無能なる者は、不死の法施によって破滅し、堕落します。』と。





H28年5月30日

 今日は、

 ラジオであ~だ、こ~だ、と、騒いでいるので、ネットで、ラジオのパーソナリティをしているのはどういう人物なのか、と見てみたら、

 「へ~」と思い、「お~、この人がやっていたのか」等と思い、”えっ”と思った人もいたし、「へー」と、女性で”かわいい”、”美人だ”、と思った人も多くいた。

 長いことラジオを聞いてて、初めて話をしている人の顔を知った感想。

 カーナビラジオの動画は、面白い感じで騒いでいたが(パーソナリティのヤスさんは、悪語するのはとてもダメダメだが、長いこと聞いてて、性格はよい人だろうとは思う。が、しかし、悪口は性格の善い人はしないからな~、とも思い)、他のパーソナリティも顔を知ると、ちょっといままでの聞いていたのと、イメージとちょっと変わるね。

 パーソナリティの人たち等は、ラジオを聞いている人の心境に影響を及ぼしうるポジションに居るので、何かあれば、テロ等からも叩かれやすいポジションにいるので、いろいろ大変そうでもあるが、「善の教えはとてもよい」という人も、いるだろうけれども、表では悪く言い、裏では善いと言う、また、表では善いと言い、裏では悪く言う等の、悪口・二枚舌・両舌は、善の教えでは、悪なのです。




仏陀はこのように仰せられた、

「比丘たちよ、譬えば、男子あり、寿百歳・命百歳あり、彼に言う者あり、

『男子よ、汝を早朝に百たび槍にて突き、日中時に百たび槍にて突き、夕時に百たび槍にて突く。

 男子よ、汝、日々に三百たび槍にて突かれ、寿百歳・命百歳を保ち、百歳の後に、未だ現観されない四聖諦を現證する』と。


(ならば、)比丘たちよ、義趣を知れる善男子は、宜しく受くべきである。


 何故であるのか。

 比丘たちよ、輪廻は無始よりありて、槍にて突かれ、剣にて突かれ、斧にて突かれることの、その始まり・際限を知らず(、知られない)。

 比丘たちよ、もしこのようであるならば、比丘たちよ、私は、苦あり憂ある四聖諦の現観を説かない。

 比丘たちよ、私は、楽あり喜ある四聖諦の現観を説く。

 苦の聖諦、苦の集の聖諦、苦の滅の聖諦、苦滅の道の聖諦である。

 このゆえに比丘たちよ、

 これは苦である、と修学精進するがよい。

 これは苦の生起である、と修学精進するがよい。

 これは苦の滅尽である、と修学精進するがよい。

 これは苦の滅尽にいたる道である、と修学精進するが善い。」




 そのように、仏陀や、聖者方、善なる神々は、善の道を選ぶ。

 聖者・聖人、例えば、聖書では、イエズスは、自らの身体を楽にする道も選択することはできたであろうが、
 自らのためではなく、他のために、自らを神に委ねられた。

 と、このように、仏陀の弟子でなくても、聖者・聖人は、真理の道を歩く。


 私は、苦を受けたくはない、だから、表では悪く言い、裏では善いと言う。また、表では善いと言い、裏では悪く言う。

 仏陀や、聖者方は、そのような悪行を為さらないのです。


 仏陀や、聖者方、善なる神々の行いは、一般の凡人にとりては、為し難い事柄ではあるけれども、

しかし、善趣に赴く人々・存在にとりては、基本的な心構えなのである、と。


 このように、聖者の心構えを修学して、何度も善思するのは、あなた自らが、善趣に赴くのに利益する、と。



聖者方の道を求める心・善趣の存在の心構えについて





H28年6月2日

 今日は、

 外で悪口を言って騒いでいるので、警察を呼んだ。

 警察の人と家の中で話をしていたら、警察の人の肩のところにつけている無線で、『ガンにされる』だとか、なんだとか言っていたので、警察もそのような状態ではあるらしい。

 近所の騒がしいのは、注意をするけれども、テロ自体は、刑事科ということであった。

 ホームページの件も伝え、とりあえず、そのように警察に通報した。

 ちなみに、警察の人は、「騒いでいたら、いつでも通報してください」というようなことを言ってくれていた。





H28年6月3日

 今日は、

 テロのストーカーが朝6:30頃に、近所の人に「朝からうるさいよっ」と、ガッツリと怒鳴られていたようだ。


 テロ対策として、記すけれども、これらテロは、確実に悪しき能力者が絡んでおり、能力者の側として悪魔・悪霊も絡んでいる。

 故に、みなさんは、そのような事柄をも考慮して、感官を護り、善く行なうようにすべきである、と。


 対策として、

 一に、思念や感情は、悪魔や悪霊や悪しき能力者に読まれるものである、というのを理解して、行なうべきである。

 悪魔や悪霊や悪しき能力者に読まれるものである、ということは、当然、善なる神々や、聖人や、聖者にも心を見られるというのも当然の事柄であるが、

 要するに、裏でテロの者達のように、こそこそ行なっても、心・思念・感情での隠し事はできない、ということ。

 テロ側の能力者は、通常の感情でも悪く捉えることが多く、そして、善念の微細なもの等は、捉えたりすることができず、理法も見えないので悪業を重ねており、他にも悪業を重ねさせている。

 要するに、テロ側の悪魔や悪霊や悪しき能力者の読みは、他の悪魔や悪霊や悪しき存在の影響によりて、いくらでもコロコロとおかしな物が見える、また見せられもするだろうし、また、本人達が嘘言を為して、多くの人を騙しているということもしているので、あてにするべきではない。また、故意に悪念や、悪思を生じさせて、「この人はこのように思っている」、というように悪く思わせるというのも、手として行っているので注意。これは、心にほぼまったくなかった悪思・悪念であっても、生じさせられることがある、ということ。これは、いままで、自らのうちにある悪思・悪念を増長させられるというのに、追加して、そのようにも知っておくのが善いだろう。(阿羅伽の聖者等は、私たちと異なり、悪思・悪念はすでに滅している。)



 二に、テロ側はあらゆる方法を用いて、嫌がらせ等の悪行をしてくるので、自分の過去のパソコンや携帯電話の転送したメールや写真等も、知られていると思って行なうべきであろう。他、盗聴等も。テロ側の嫌がらせ工作は、TV、ラジオ、PCの動画サイト、から検索するのに、検索させたいものを、上位に出すとかそのようなのも、あの手この手でやってくる、と。
 以前に、記した霊能者の透視の手口(サイキック詐欺士)等のように、知らぬ間に情報が知られているという事もある、というのを考慮する。
 悪しき能力者は思念を読み、そして、メディアを用いて悪行をさせているので、通常よりもたちも悪い。



 三に、悪しき能力者は、盲目であるが故に、魔術や、悪魔や悪霊を用いて、悪業を成しているというのを理解すること。目の善い人は、道理を知り、また、理法を見て知っているので、悪業は重ねない。



 四に、禅定をしていない人は、できないかもしれないが、悪念・悪思が生じたならば、その邪念・悪念・悪思は、「私のものではない。私ではない。私の我ではない」と捨て去ること。これは、悪魔や悪霊や、悪しき能力者の魔術等で、邪念・悪念・悪思は、容易に生じさせられるものである、というのを理解した上で、その悪念・悪思は、「私のものではない。私ではない。私の我ではない」と、否定すること。
 ”邪念・悪念・悪思は、容易に生じさせられるものである”というのを理解していなければ、悪魔や悪霊や、悪しき能力者の魔術等で、生じさせられた邪念・悪念・悪思を、”これは、自らが思って生じている悪念・悪思である”、または、”これは、自らの心が欲して生じている悪念である”と、自らでそのように解釈してしまうからである。

 要するに、悪魔や悪霊や、悪しき能力者の魔術等で、邪念・悪念・悪思は、容易に生じさせられるものである、という事柄・法を、自らで理解をしていなければ、生じさせられた邪念・悪念・悪思を、否定せずして、是認・肯定してしまい、是認・肯定してしまうと、本人が知っていても知らなくても、悪魔や悪霊や、悪しき能力者の欲するまま(自在)に為される。

悪魔の誘惑とは何か



 五に、ダイバダッタの話しのように、超自然力を用いる者でありても、そのような超自然力にも、善悪、浄不浄、優劣、上下、等あり、その中でも、悪魔や悪霊や、悪しき能力者・魔術者等は、理法では、その悪しき能力者・魔術者等の集いは、自ら行なった悪業によりて、その集い・徒党・仲間とともに、地獄や悪趣へと堕ちるというのが通例である、と理解すること。

 盲目のゆえに、自らも、また、他にも悪行を成し、また、悪行を成せさているのであって、だいたい、悪趣に赴くのは、普通に見ていても、目に見えている。
 そして、ジャータカで言えば、そのような、悪しき能力者や、悪行者は、だいたい前世でも、そのような同様の悪行を成していて、同じような道を辿る、という者も多くいる、と。

 要するに、現世において、善業を成す人は、前世でも、同様の善行をなし、悪行を成す人は、前世でも同様の悪行をなす。ゆえに、善業者は、善の境界を多く受け、悪業者は、苦の境界を多く受ける。その繰り返しとなる。

 であるからして、私がこのように理法を説き、善に赴かせるというのは、善業者にも、悪業者にも大きく利益するものなのである。
 というのを、理法を知らない人々は気づいていない。



仏陀はこのように仰せられた、

「比丘たちよ、正にそのように、人として死んでから、人に生れる有情は少なく、これに反して、人として死んでから、地獄に生れ、畜生に生れ、餓鬼界に生れる有情は更に多い。
 比丘たちよ、正にそのように、人として死んでから、天(善処)に生れる有情は少なく、これに反して、人として死んでから、地獄に生れ、畜生に生れ、餓鬼界に生れる有情は更に多い。」


 通常でも、「人として死んでから、人に生れる有情は少ない。これに反して、人として死んでから、地獄に生れ、畜生に生れ、餓鬼界に生れる有情は更に多い」というのに、仏陀の弟子・聖者の弟子を亡き者にしようと害して、どうして、再び善い境涯を得ることができるだろうか、と。
 悪しき者に導かれ、仏陀の弟子・聖者の弟子を亡き者にしようと害した者は、そのように、普通に考えたら、善趣どころか、地獄や悪趣はまぬがれ難いという状況にいる、といようにも推測される。

 悪しき導きと、邪まな思い込み・盲信・邪見による邪行、によりて、成した悪業の結果である。


 要するに、現世の現在のあなた自身、自らで悪心・悪行を捨てて、善心を持ち、善行を重ねなければ、来世でコロっと変わるような甘い話ではないですよ、ということ。


(大乗仏教の僧も、仏陀の教えがこのように理解できるように顕れているのに、法華経等の後世に造作された、誤まり迷わせる経典によりて、衆生を導こうとするというのは、あなたの悪作となるだろう。そのようでは、自らも導かれないし、他もまた導かれていない。

 仏陀の真理の教えを知りつつも、悪作を為すのは、現世において、自らと、また、あなたを信用している檀家さんもまた、利益されていない。
 現世において、正しい道を歩まなければ、後世においても、また、正しい道を歩むことは難しいだろう、ということでもある。)



イエズス曰く、

「光のあるうちに歩きなさい」



 六、前述のように、悪しき者に導かれて、『喩えば、この鉄丸のたとえのように、焼け石に水というような状態で、いままで善なる人を亡き者にしようとして、悪行を繰り返し積み重ねしてきた、そのような者は、その悪行によって、その自らの悪業・悪念の火で石とする自らが焼けてしまい、その石に理法という清浄な水をかけて浄めようとしても、水がすぐに蒸発して消え失せる。
 その悪業の積み重ねによって、清浄に向かおうとしても、他人の悪行や悪業等の邪行への先導や誘導・導きがあれば、すぐに清浄に向かう心は消え失せ、再び邪念に満たされてしまう、と。
 そのようなところからも、悪業を重ねすぎると、後戻りが大変になる。
 そのように右往左往している人は、自らと共に邪念・悪語を語っている人がいるのであれば、自らは邪念に導かれやすい状態にあると、また、すでに邪念に導かれているというのを、自らで理解するべきである。

 邪念を邪念である、邪行を邪行であると、気づけなければ、悪しき存在・悪魔に憑かれていたとしても、気づくことはないだろう』

『そのように、悪行を多く行なった人は、自らが自らの邪業・邪念の火で焼け石の状態としているというのを、自ら理解して、
 理解してから、その熱い邪念の熱を除滅するべく、善行に精進すれば、自らの貪欲・瞋恚・愚癡や、また、悪しき者・悪魔の繋縛により障害されつつも、正道に戻ることはできるだろう。
 そして、邪念が消え、慙愧があらわれれば、真理・理法を自ら善く理解していくだろう、と。

 そのように、テロ側の悪行を行なった者に関して言えば、自らが焼け石として、清浄な水を受けいれられるようにならないと、その各々の悪業によりて、悪処に堕ちるだろう』ということ。



 七、悪しき能力者と付き合わない。そして、自ら関わらない(アドバイスを受けようとしない)。悪魔・悪霊も同様に、そのような存在(悪魔・悪霊)と付き合わない、そして、自ら関わらない(アドバイスを受けようとしない)。

前述、
『毒を塗られた矢は、矢筒の束のなかにある毒を塗られていない矢をも汚す。
 悪に汚されることを恐れて、思慮ある人は、悪人を友とするな。

 どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。

 人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。

 それ故に、賢者は、自分は、果物籠が(中にいれる果物に)影響されるようなものであるということわりを見て、悪人と交わってはならない。
 善人と交わりなさい。

 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることがない。──匙が汁の味を知ることがないように。
 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、ただちに真理をはっきりと知る。──舌が汁の味をはっきりと知るように。

 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることがない。かれには明らかな智慧がないからである。
 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、ただちに真理をはっきりと知る。かれには明らかな智慧が存するからである。

 愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、正しくさとりを開いた人(仏陀)の説かれた真理をはっきりと知ることがない。
 聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、正しくさとりを開いた人(仏陀)の説かれた真理をはっきりと知る。

 賢者の説いた意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、しかし愚者にとっては、仏陀の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。

 愚者は、千の句をとなえても一つの句さえも理解しない。
 聡明な人は、一つの句をとなえても、百の句の意義を理解する。


(友となって)同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれている。

 同情してくれる愚者は、(悪いことを教えて)人を地獄にひきずり下ろす。


 もしも愚者が「われは愚かである」と知れば、すなわち賢者である。
 愚者でありながら、しかも自分では賢者だと思う者こそ、「愚者」と呼ばれる。

 称賛してくれる愚者と、非難してくれる賢者とでは、愚者の発する称賛よりも、賢者の発する非難のほうが優れている』というように、悪しき者と付き合わないこと。


 これは、悪しき者自身もまた、他の悪しき友の影響によりて、自らが悪い影響を受けているという事柄でもあるので、あなたが自らを悪しき者であると思うのであれば、自らの身近な友を見直して、悪しき友であれば、付き合わない、ということ。

 悪しき友や、集団意識による盲信・盲目等のうちにありて、その盲信や、邪念・悪念・悪思なく観るために、それらのうちにありても、その邪念・悪念・悪思は「私のものではない。私ではない。私の我ではない」と捨て去ること。

 そのようにして、邪念・悪念・悪思を捨てたとしても、悪と、善というものを知らなければ、善を成しているつもりでも、悪を成しているということもありえる(譬えば、大乗仏教でいう、無知による盲信。仏陀の否定された行いを、無知によりて盲信して行ずること等)ので、悪と善というものを、仏陀の教えにおいて学び観ること。


 仏陀も、仏陀の弟子の聖者方も、仏陀の弟子の私も、人々の幸福のためを思って教えを説いているのであって、人々の不幸のために教えを説いているのではない。

 仏陀の教えは、これらはすべて、私たち一人一人のためである、ということ。



 要するに、悪しき能力者と付き合わない。そして、自ら関わらない(アドバイスを受けようとしない)。悪魔・悪霊も同様に、そのような存在(悪魔・悪霊)と付き合わない、そして、親しまず、自ら関わらない(アドバイスを受けようとしない)。

 また、自らが悪しき能力者の立場にいるのであれば、他の悪しき者と付き合わない。悪魔・悪霊も同様に、そのような存在(悪魔・悪霊)と付き合わない、そして、親しまず、自ら関わらない(アドバイスを受けようとしない)。


もし、自らかかわり、また、つき合うならば、

『同情してくれる愚者は、(悪いことを教えて)人を地獄にひきずり下ろす』であろう、ということ。





H28年6月4日

 今日も、

 騒いでいたので警察に通報した。

 あとは、最近生活の資金が乏しくなってきたので、病気療養を終えて、就職をしようと、就職を探しているのであるが、テロに邪魔をされて、就職難。

今日は、私が「お金がない」として、テロにメディアで、バカにされているのを聞いた。

 テロの犯罪者の者達に、嫌がらせや、ストーカーや、殺人行為に加えて、(生活資金)攻め等にもあっている春。



 このような状態ではありますが、

 仏陀の教えを更新。

  邪まな思い込み・盲信・邪見による邪行と、正しい思い・正しい信・正見による正行 (四法、四事)





H28年6月6日

 テロの邪見者・盲信者は、すでに、仏陀の弟子にたいして大なる悪行を行い、また、テロに随う邪見者・盲信者は、そのように悪業を成就した者に信をおき、徒党を組み、集い、仲間として邪道を進み、邪行を行なっている。

 テロの邪見者・盲信者の犯罪行為、ストーカー等の諸々の悪行は、人々を善趣に赴かせない。


 テロ側の者達の邪見・盲信による悪行によりて、仏陀の弟子はすでに、身体に障害を負わされ、多くの罵詈雑言を受け、また、他の多くの苦しみを受けている。

 小さな悪行とも違い、また、この身体の障害も簡単に治るというものでもなく。


 無実の(善なる)人にたいして成される悪業の報いはとても重いものであるが、無実の仏陀の弟子にたいして成される悪業の報いは、それよりもはるかに重い。


 邪見者・盲信者は、自ら悪業を重ね、また、多くの人々をも悪道へと導き、後に、その自らの重き悪業によりて、仏陀の教え・真理にも、自らの死後にも、恐怖するに到る。

また、悪行を悔いたときも、自らすでに成した重き悪業に恐怖するに到る。



 善行者や賢者は、聖者や聖人等の徳ある人を苦しめる、邪心あり、邪語を為し、邪行を為す、そのような、決定して地獄や悪趣に赴く者等に、付き随いては行かない。


 悪業を重ねた者には、表面的な幸福があるように見えても、後の、自らの死後に、現在の幸福とは比べ物にならない地獄の苦を永く受ける、というのが決定しているかのような人は、その恐怖や、憂いによりて、本当の心の安らぎは、得られない。

 生存時でも、臨終時でも、伴侶等の、たとえ誰かと供にいたとしても、後に、自らが、悪趣・地獄へと堕ちる者には、本当の心の安らぎは得られない。

 すでに成就した悪業によりて、死後に悪趣・地獄へ堕ちるという死後への恐怖。

 そして、死時、臨終においても顕れる、自らが潜在的に持っていた悪趣・地獄へ堕ちる死の恐怖。それから後、程なくして、その苦の境界へ出生して、永く苦を受ける恐怖。

 比丘でも婆羅門でも、王族でも、大富豪でも、貧しいものでも、権力のある者でも、名誉ある物でも、年老いた者でも、年若い者でも、男性でも女性でも、
悪業を重ねた者は、そのように、仏陀の教えでも、他の聖者・聖人の教えでも、真理として、実際に悪趣・地獄へと堕ちるのである。



 善行者や賢者は、聖者や聖人等の徳ある人を苦しめ悩ませず、また、善心あり、正語を為し、正行を為す聖者・聖人に、付き随いて善趣に赴く。


 善行を成して、自らの死後に、善趣への期待を持つ人は、表面的な幸福を得ることができ、また、心の安らぎをも得ることができる。

 のんびりして太陽の日に当たり、”あ~、気持ちがいいなぁ”と思いつつ、”私は善行を多く成したのであるから、死後はもっと心地の良い境界へと赴く、なぜならば、『天の楽は、人間の楽よりあらゆる面で優れていて、それは、草の上の露と大海の水のように大きな違いがある』と云われるのだから”、また、”たとえ、その喜楽が、草の上の露と大海の水のような違いではないとしても、大きな違いであるのは間違いがないのであろう”と思うても、そこに、苦の世界の地獄や悪趣へ赴かなければならない、という恐怖や憂いはない。

 このように、善行者は、生存時でも、臨終時でも、伴侶等の、たとえ誰かと供にいたとしても、また、自らが知らない地獄という境界が、実際にあるとしても、ないとしても、苦の世界の地獄や悪趣へ赴くという恐怖や憂いはない。

 比丘でも婆羅門でも、王族でも、大富豪でも、貧しいものでも、権力のある者でも、名誉ある物でも、年老いた者でも、年若い者でも、男性でも女性でも、
善業を重ねた者は、そのように、仏陀の教えでも、他の聖者・聖人の教えでも、真理として、実際に善趣・天上の善い境界へと赴くのである。



全知者・仏陀は、このように仰せられた、

『罪を犯した人が身に受ける地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちに、なすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない』と。





H28年6月11日

 今日も、テロ側がメディアで殺人のCM等々をして、洗脳活動をしてる。

 これは、いつものごとく、このたびは、わたくしが就職活動をいたしまして、一応内定をいただき、来週の火曜日を過ぎてから仕事を始めるということで、すでに話をして、健康診断や住民票を用意しておいて、ということで、すでに用意したのだが、テロの犯罪者が、健康診断の病院に行っても嫌がらせをさせていて、このごろは、通りがかりの人等に悪口を言われたりしたその後に、「言えって言わされている」という告白を多くきく。
 まぁ、テロのストーカー犯罪者の通りすがり等の人に悪口を言わせるパターンは以前に記しているとおり。
 本日は、来週の予定の電話が来るということで待っていたのであるが、電話が来ず、メディアで、テロの者達は、つかうだとかつかわないだとか、いつものごとく悪口を言って騒いでいる。

 通りすがりの悪口を言うのにも、悪意をもちて、邪見・盲信によりて言う人と、自らに慙愧をもちて言う人がいる。

 自らに慙愧を持ちて言う人は、みずからが、愚かな行いをしているというのに気づける人は、「言えって言わされている」という告白をするにいたるのだろう。

 テロの者達は、数年間毎日のように、「死ね」だとか、「殺せ」だとか、「殺す」だとか、悪口を言っているが、そういう自分(達)がどのような性質(性格)であるのか、というのが、第三者的に自らを見ることがないのだろうか。

 そのようなテロの者の愚かな行いは、すでに、普通の人から見ても、単なる犯罪者の精神状況ではあるけれども。

 精神的に追い詰められているのは、殺人を呼びかけている犯罪者なのか、はたまた、その犯罪者から被害を受けている、無実の人なのか。

 そういうところも、集団意識により乗っ取られた無我(これは、仏陀の教えでいう無我ではない)、と、真理を認めたくないという潜在的な恐怖と、すでに表面にも現われている恐怖。

 集団意識による愚行に身を任せたところで、仏陀の真理の教えで説かれている、自らの為した大なる悪業が消滅することも、ありえずに、集団意識による愚考によりて、さらに大なる悪業を積んでいるという始末。

 このテロの者達の悪循環の連鎖。


 私の持つ悪業が、どれほどに解消していることか、とも思ったが、悪業の解消を強く願ったが、願いは叶いすぎている気がしてならない。
無実で悪行を受けているわけなので、これは間違いがないだろう。
 とも、思うけれども、


そういう話は置いといて、

 今日も、いい曲等の話で、記したように、壁の話をしたけれども、テロの悪行者は、邪見・盲信によりて悪業を成しているわけで、しかも、仏陀の弟子を害する殺人者という、諦らかな愚行であるので、一般教養・一般良識の範囲でもある善悪の壁も、超えることはできないであろう。

 そういう事柄を行じているというのは、自らでわかりますか。


 そして、そのような愚行を成就した人は、このようになるのです。

 いわゆる、


全知者・仏陀は、このように仰せられた、

『罪を犯した人が身に受ける地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちに、なすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない』と。





H28年6月16日

 新しい職に就いたが、テロのストーカーたちの酷い嫌がらせを、また、受けている。

 テロの者達が、詳細を知らないのをいいことに、メディアで洗脳して、さらに直接だまして悪行をさせている。

 テロの者が邪行をして、お尻の筋肉をとり、お尻の筋肉がなくなったのを知りつつ、その事柄をせめる。

 テロの者達は、その時点で、いろいろ道が断たれている。

 病気の人を悪く言うというのも、良識がないけれども、犯罪行為・邪行をしつつ、邪行の成就を喜び、被害者を罵詈雑言するという、

邪行に、さらに、邪行を重ねているというので、もう道から外れているというのが、誰でも理解できるだろう。

 それでも、なお、彼らはテロのストーカー・「死ね」「殺せ」「殺す」と言っている、犯罪者・殺人者を信じているという邪見・盲信。

 ここ数日のラジオは、すでに犯罪者・殺人者の放送が流れている、今朝の夜中のラジオも、「死ね」「殺せ」「殺す」と言っている、犯罪者・殺人者を信じているという邪見・盲信・悪行者の証拠となるだろう。


 そのテロのストーカー犯罪者・殺人者と一緒になりて、「死ね」「殺せ」「殺す」と言っている邪行者もまた、共犯者または、犯罪者、殺人者と言われる。

 共犯者、犯罪者・殺人者は、仏陀の教えで、悪しき者と言われるだろうか、善なる者と言われるだろうか。


 仏陀の教えでは、テロのストーカー犯罪者・殺人者と一緒になりて、「死ね」「殺せ」「殺す」と言っている邪行者、共犯者、または、犯罪者、殺人者は、
善なる者・善趣へ赴く者と言われず、悪しき者・悪趣または、地獄へ堕ちる者と言われる。





H28年6月18日

 新しい職に就いたが、テロのストーカーたちの酷い嫌がらせを、受けて仕事を辞めることになった。

 仕事で佐川急便へ行き、札幌の佐川急便の拠点の倉庫(店)の行くところ行くところで、皆が聞いている放送で大音量でものすごい悪口を言われ続け、
さらに、三菱のFUSOの営業マンが札幌の会社の事務所まで来て、私のことがないという内容で悪口を言いにまで来ていたのを、その悪口を言っている営業マンの後ろで聞いていた。

 さらにまた、札幌に行ってもなお、通行人に悪口を言わせているというテロ側の悪しき者の邪行もされ、札幌の宿舎で休んでいたが、宿舎の外でも大声で悪口を言って騒いでるのもいた。その悪口を言っているのを聞いて、”テロのやつらならホントにないな”と思い、

というように、新しい職に就いたが、テロのストーカーたちのものすごく酷い嫌がらせを、受けて仕事を辞めることになった。

 15日~18日(のAM6:00頃まで)の北海道の函館、もしくは札幌のテロのTVやラジオを聞けば内容がわかるんではないだろうか。(記しているのは、18日朝AM6:30、先ほど帰宅。)

 テロの者達が最近良識なくそういうテロ放送を流しているので。



 テロの者達と、テロ側の者達もまた、八正道から遠く、地獄や悪趣に堕ちる邪道を進んでいるのは、間違いがない。





H28年6月22日

 近所の野球少年たちの言葉を聞いていれば、いろいろ言っているが、脅されているのもあるらしい、大きい声で発声しているので、誰にでも聞こえる。
悪口を言っているところは録音もしているので、間違いはないが、誉め言葉や、私が「悪い人ではない」「いい人だ」というよいうなことも、時折大きな声で発声をしている。
(野球少年とその監督に大きな声で、たまに注意しているので、その話の内容から、「悪い人ではない」「いい人だ」という認識を持っているのもある様子。(私が警察に通報をしたので)「警察も来ただろー」と、「悪口を言っている正当な理由を言ってみろー」と、「聞こえないぞ~」と、「みんな聞いているから理由を言ってみろー」と、いうように、私も大きな声で問うて、「理由ないのかよ」と言ったこともある。)

 さきほどは、通りすがりの外国人、中国語か韓国語かの人(女性数人)に脅し言葉を言われていたようす。

 聞いていれば、誰でも、テロの絡みなのだろうとわかるくらいの状態だけれども、野球少年たちも困っているところがあるんではないか、と思うが、

 野球少年たちの発声に、ラジオ等も反応して様子をたまに伝えている。

 アパートの1階の真ん中に住んでる親子も、子供が騒いでいてたまに注意するけれども、テロの絡みなのだろうと普通にわかるくらいの状態。

 テロ側はどういうように、繋がりがあるのか、脅されているのだろうか、というのが、いまいちわからない。

 子供たちが騒いでいたときに、「おまえたち、内容をわかって騒いでいるのか~」っと言ったら、「わかってない」って言って、帰っていったが、

 そのように、騒いでいる子たちも意味をわかっていないで騒いでいるというのも現状なので、

 ホームページを教えてあげようかな、と最近思っている。





H28年6月23日

 本日は、”ホームページを教えてあげようかな、と最近思っている”ということで、

検索サイトで検索したところ、Google、bing、yahoo、楽天、goo、フレッシュアイ、AOL、livedoor、他のサイト等で検索しても、このHPがトップで出た。

 検索の言葉は、「宗教 ひっくり返る」、「神話 ひっくり返る」でも出る、また、ひらがなで、「宗教 ひっくりかえる」、「神話 ひっくりかえる」でも出る。

 いや~、Googleに叩かれているけれども、検索でHP(仏陀の教え)がトップ出るのはありがたいことだと、そこは感謝するが、

 Googleは、ネットをしていたら、突如、アイフォン6sだったかが無料で手に入るという画面が出てきて、問題に答えて正解するれば無料で手に入ります、ということで、問題に答えて正解したので、無料で手に入るらしかったが、月々の支払いを考えて、無料で手に入るというのに、応募しなかったところ、その後に強く叩かれた。

 ”応募しなかった私が悪かったのだろうか”ともちょっと思い、”いや、そういうことではないよな”、とも思い。


 仏陀(聖者)の教え、が弘まるのはとても善い。善業。


 ということで、「ネット検索で、『宗教 (スペース) ひっくりかえる』、または、『神話 (スペース) ひっくりかえる』で検索すると、トップで出ます」、というのを、

仏陀(聖者)の教えを弘める、ということで、ラジオのパーソナリティの人や、TVの人等も、生放送ででも言ってもらって結構です。

また、TVやラジオで騒いでいるので、生放送ででも、HPの検索の仕方をさらっと言ってもらって結構です。


 というように、”HPの検索を生放送等で言ってもらうと、多くの人が騒いでいる内容をも自ら知れるだろうな”と思っていたので、本日、その事柄を記す。





H28年6月24日

 本日は、話は変わって、久しぶりにこの話を読んでいて、いい話・感動する話が記されているので、”(読んだ人の善心・良心に利益するだろうから、)上げよう”、と思ったので上げる。

 人に親切にすると、その親切・優しさが拡がり伝わり、”自分も、他人に親切にしてあげよう”という善良な心が生じえる。


 その小さな親切・優しさが、その親切・優しさを受けた人にとりて、一生の宝物・励みになることもある、と。


 〔NAVER まとめ より

 [すべて2ちゃんねるhttp://www.2ch.net/からの引用になります。]ということで、まとめられた、いい人・優しい人の話。

  
【感動】 いい人・やさしい人のお話 ・゚・(ノД`)・゚・ まとめ 〕



 その、小さな親切・優しさが、泣けるほどに嬉しい、と。





H28年6月27日

 人工知能に関してネットで見ていたら、昔、学生の頃に見た攻殻機動隊というアニメを思い出したので、ネットで攻殻機動隊の「STAND ALONE COMPLEX the laughing man」という作品を見たが、後からの編集なのかは知らないが、エンディングの歌がテロの空耳アワーの歌だった・・・。



 人工知能は、善行を喜びとするだろうか。

 人間であれば、善行者は、善行を喜びとするだろうか。

 悪行者は、善行を喜びとするだろうか。


 人間は助けてもらったとき、また、善行を受けたとき、嬉しい、そして、涙したりもする。

 この涙するほどの喜ばしい思い・安堵の心・喜び・喜ばしい感激・喜ばしい感情を受けたことによりて、その人は、その安堵の心・喜び・喜ばしい感激・喜ばしい感情を、他の人にも施してあげようと、自らも善行を成すことにも到る。

”私が病気になったとき(苦を受けているとき)、他の人から助けてもらった。あの時は、とても嬉しかった。助けてもらってどれほどに心が安堵したことか。
 あの時の思い・恩は決して忘れない。もし、同じ病気(苦しみ)で苦しんでいた人がいたならば、私もその人を助けよう”と。

 そのように、良心・善心を起こす人もいる、と。

 良心、善心。


 このような、行いによる喜楽の感受・施与喜楽の感受・享受においてもまた、

 善行者に、善は成し易く、悪は成し難い。

 悪行者に、善は成し難く、悪は成し易い。





H28年6月28日

『仏陀の教えでは、テロのストーカー犯罪者・殺人者と一緒になりて、「死ね」「殺せ」「殺す」と言っている邪行者、共犯者、または、犯罪者、殺人者は、
善なる者・善趣へ赴く者と言われず、悪しき者・悪趣または、地獄へ堕ちる者と言われる。』

 これは、テロを導びいて悪行をしている能力者も同様である、と。


 テロの悪行者は、どこに、何を求めるのか。

 人生の、残りあと、数日、数年、数十年の中に、快楽を求めて、その結果として、その身体を捨てた後、存在として破滅をするのだろうか。


 テロの悪しき者達は、人として、決して犯してはならない、というような悪行を為している。

 その愚行は、テロの者達の依りどころとしている悪しき能力者や、盲目な邪見者の無知・無明な導きによるものでもあるだろう。

 仏陀や聖者方、善なる神・神々は、決してそのような悪行を善しとはなさらない。



 仏陀や聖者方、善なる神・神々が、人々を善・真理へと導く計画をなさっているとするならば、

テロの悪行者は、導かれる存在として、その計画に加えられているものなのだろうか。


 仏陀や聖者方、善なる神・神々が、人々を善・真理へと導く計画をなさっているとするならば、

導きとして、その人々を善・善行へと導くだろう。


 仏陀の弟子を亡き者にしようとした盲目な邪見者は、邪行を重ね、八聖道から遥かに遠ざかっている。

 そのような悪しき者や愚かな者のように、悪しき者・悪霊・悪魔の導きによりて、悪・邪行を重ね、悪道へ進む者は、
仏陀や聖者方、善なる神・神々の、人々を善・真理へと導く計画には含まれてはいないだろう。


 そのような彼らは、死後どのようなところへ出生するとされるだろうか。


 仏陀の弟子を亡き者にしようとした盲目な邪見者は、その重い邪行によりて、死後に、悪処または地獄に出生する。


 彼ら、死後に、悪処または地獄に生ずる者は、導きとして、善・善行へと導かれているだろうか。


 彼ら、死後に、悪処または地獄に生ずる者は、導きとして、善・善行へと導かれてはいない。


 仏陀や聖者方、善なる神・神々が、人々を善・真理へと導く計画をなさっていたならば、

導きとして、人々を善・善行へと導くだろう。

 仏陀の弟子を亡き者にしようとした盲目な邪見者は、自らのその重い邪業によりて、死後に、悪処または、地獄に出生する。



 無知・無明に蓋われた彼ら、悪しき者、愚かな者、盲目な邪見者は、自らが、悪しき者や悪霊・悪魔の導きによりて、死後に、悪処または地獄に出生することを知らない。



 仏陀や聖者方、善なる神・神々が、人々を善・真理へと導く計画をなさっていたならば、

導きとして、人々を善・善行へと導くだろう。


 仏陀や聖者方、善なる神・神々によりて、善・真理へと導かれるその人は、自ら善・善行を行じ、その善業の果として、死後に、善処に出生する。





H28年6月29日

 本日は、テロ集団の嫌がらせの手口に関して。

 本日もまた、人の思念を読んでは、あ~だこ~だとテロのストーカー犯罪者の悪しき能力者が、どうだとか、こうだとかやっていたが、人の思念を読んで、操っていると妄語するという手口で、メディア関係の人々等を騙すという、いつもの詐欺の手口を行っていた。

 私の就職も面接先等にも嫌がらせ工作をさせていたり、メディアでも、テロ側はどう見ても愚かだろう、というくらいに罵詈雑言等をしていて、現在も同様の邪行を受けているので、すでに選べる就職先も少なくなった。

 私だけでなく、私と親しい人等に対しても、嫌がらせ工作をしていて、罵詈雑言を言わせたりもしている。というような嫌がらせ工作をしているというのを、嫌がらせ工作をするように誰かから言われている、良心や良識ある人から、独り言を言っているかのようにして、今日も聞いた。

 普通の人から見て、メディア等の罵詈雑言の愚行が、テロであるというのは、誰でもわかるので、良心や良識ある人は、そのような話も、自分から訊かずにして教えてくれるのだろう。

 そのようにして、いろいろなところに網を張って、嫌がらせ工作をさせている。

 まぁ、こちらはテロの犯人でも何でもないので、テロの者達は、直接こちらと話し合うこともせずに、テロの犯人達はそのように、嫌がらせ工作・ストーカー犯罪行為を繰り返している。

 そのように、罵詈雑言の悪口を言わせている自体、良心も良識ないが、テロ側の悪行者、悪しき能力者もそうだけれども、テロ行為をしている日本の大企業もまた、直接こちらと話し合うこともせずに、罵詈雑言のテロに加わっている。

 まぁ、常識から言っても、そのような良心や良識の欠如している企業なり人なりが、国を代表するような企業であるというのも、すでに問題だろうとも思うが、
知りつつも、仏陀の弟子を亡き者にしようとするという企業の行いを見ても、真理として、また、人としても、すでに道からは大きく外れてしまっている。


 仏陀や聖者方、善なる神・神々は、悪しき者、悪しき集いを善しとはされない。


 テロ側の者達は、すでに悪行を成就しているところもあり、土台にその悪業が据えられているので、善にも向い難いだろう、というのも、普通に理解される事柄で、

 まぁ、「そこに神殿はたたない」という譬えのごとくである、と。



 どうやら、テロ側の者達は、土台の悪業がわからないでいる。





H28年7月3日(2016年)

 本日は、またまた騒いでいたので警察に連絡をして、警察官が注意をしてくれたが、それでもまだ騒いでいたので、私が直接話をしにいったところ、再び警察の人を呼んで話をするということになり、そして、その後、現場を離れてから、1、2時間程、我が家で警察官4人とテロ関連の話もして、そして、とりあえず、内容としては、警察の人が信用をするために、そういうものを録音したものや録画をしたものを見せてくれ、ということであったので、そういものの録画や録音等を増やしていこうかな、と思っている。

 以前と同様に、警察の人の無線で言っている内容を聞くところでは、他のテロに騙されている人たちと同じような事柄を行なっているのも聞かれたので、まぁ、テロ側の邪行のやり口がわからなければ、現状として、警察でも同じように騙されてしまっている、ということでもあった。
 そういうところは、警察の人もテロ側の行じている邪行の内容を理解しなければ、事柄が大きすぎて、内容の理解も難しい(TVの全国放送でも何だかんだと言っている程な)ので、そうなるのも無理はないだろう、と思っていた。
 そういう思いも含めて、このHPを、函館の警察の人だけではなく、日本の警察の人みんなに知らせてあげた方が善いとも伝えた。

 というようなのもあり、警察の人たちもこのHPを読んで、テロに対処していただきたいな、と思いあえて記し、
また、世界、そして、日本国にとりても、そのような無実の善人を殺人するのを助長し、また、洗脳してそのように邪道へと導くという悪行者達の邪行・テロ行為を野放し状態にしておくべきではない、とも思い。

 そのように、悪行者・邪行者に愚かな悪行の一切を止めさせたならば、または、悪行者・邪行者が愚かな悪行の一切を止めたならば、その悪行者・邪行者にとりて大きな利益となる、と。


 無実の善人を殺人するのを助長し、また、洗脳してそのように邪道へと導くという邪行・テロ行為をする悪行者達、
『無知・無明に蓋われた彼ら、悪しき者、愚かな者、盲目な邪見者は、悪しき者や悪霊・悪魔の導きによりて、死後に、悪処または地獄に出生する』、
そのゆえに、止まらなければ、彼らはそのまま悪処または地獄へと堕ちていくだろう。

 無知・無明に蓋われ、知りつつも、善なる人である仏陀の弟子を亡き者にしようとする、という愚かな行いの者が、仏陀や聖者方、善なる神・神々からの救いや導きを得ることも、ほとんどないだろうから。

『仏陀や聖者方、善なる神・神々は、悪しき者、悪しき集いを善しとはされない』



 本日はこのような事柄があり、最初に警察の人が来て帰った後に、ラジオの675chでその関連の話をしていた。

結局は、我が家に二度警察官の人が来てくれて話をした。現場に結局、四度行ってくれたらしい。



 テロ側のそのようなメディアの様子を見聞きしていても、テロ側の者達は、どう見ても、真理・理法として、完璧に、外道を進んでいる。

『仏陀の弟子を害し、亡き者にしようとする盲目な邪見者は、自らのその重い邪業によりて、死後に、悪処または、地獄に出生する』と。





H28年7月5日

 本日は、またまたまた、今度は若者(おそらく、女の子はいつも来ている者だろうと思われる)が騒いでいたので警察に連絡をして、警察官が来て注意をしてくれた。

 警察を呼ぶ常連の人になりそうな勢いだが、しかし、これはどうしたもんだろうか、とも思い、

 時折来る内容がわかっていないでテロ関連の事柄で騒いでいるような人に対しては、HP(の検索)を教えてあげてもいるのだが、

悪口等が酷くうるさければ、警察に通報しようか、と。

 悪行をしている人に、(あなた自身が)悪行をしている、というように気づくように注意すると、「いい人だ」とか言って去っていく人もいる。


 今日はまた、初顔の警察官二人の人が来てくれたので、我が家で録音した野球少年達の音声を確認してもらい、

 野球少年達は、掛け声とともにうるさく叫んでいるが、その野球少年達の掛け声の叫びや話し声を聞いているのを総合すると、野球少年達の監督さんが何者かにガンにされるだとか脅されてやっている、という内容でもって騒いでいるらしいが、まぁ、どうだかは定かではない。

 という感じかな。





H28年7月8日

 本日は、日本のテロの者達が、ラジオ等でこちらを海外のIS(イスラム国)という団体と関係があるとたたこうとして、こちらの悪口も言っているのもあるようだが、私は海外のニュースでテロとして報道され伝えられている団体と一切関係ないです。

 日本のメディアの聴衆やテロ側の者自身が、日本のテロの者達に洗脳されているところもあるだろうけれども、私は仏陀の弟子として仏教徒であることより以外で、海外のどこかの団体に所属している等そういうことは無いです。(以前にも同様の事柄を記しているし、また、どこかの秘密結社等の団体にも所属していないし、会員等でもないです、と。)

”というような事柄を、はっきりと記さなければならないような人なのか、私は”と、ふと思った。



 本当の仏陀の弟子・正しい仏陀の弟子は、善行者としてある、と。

 本当の仏陀の弟子・正しい仏陀の弟子は、善行者としてある。というのは、道理として、普通の事柄。



前述
『テロ側としてのメディアが嘘情報を流している。

 私を日本国外のテロと関連づけたいのかどうだか知らないが、

 私は海外のイスラム国という集いと全く関係がない。

 が、日本のテロメディアが私がイスラム国と関連があるというように洗脳して嘘情報をも流して報道をしている。

 イスラム国という集いは、私がどうこういう立場ではないし、その集いの実体も知らないが、

 イスラム教という宗教に関連しては、人々を善へと導くという仏陀の心でもって、

 宗教の違いがどうこうでなくて、イスラム教という宗教を信仰している人にも、

 仏陀の教え、善行の教え、真理・理法は理解できる心の清浄な人は大勢いるだろう、と思って、

 そういう人々をも善処に導きたい、と思っている』と。


 現在も、普通にこのように思っている。





H28年7月15日

 本日は、先ほど21時頃かな、ジョギングから帰ってきたら、メディアでまた叩いて騒いでいたんだが、

”ん、今度は何で騒いでいるんだ”という状態であったが、一体また何があったのやら、と。

 ジョギングは、運動不足を解消するべく、数ヶ月前から始めたのだけれども、何日も走っているうちに、段々と長距離が走れるようになり、今日は11km程ジョギングしたが、走ろうと思えば、更に走れるというような感じ。

 昔は、”長距離走をする人の気がしれない”、というほどに長距離走が好きではなかったが、体力もついて、長距離が走れるようになってからは、ジョギングが気持ち良い、という、前にはありえない気持ちでもって、最近はジョギングをしている。

 毎日、同じコースを走っていると、テロの仕掛人が待ち構えていて、何だか悪口を言っているのもちょくちょくいたり、まぁ、善く言ってくれる人もいる。

 最近はメディアででも称賛をもらうことも多くなり、今日は、また、テロは何で騒いでいたのかな、と。



  猛り怒る人にたいして、どのような心でいるのかについて 更訂


 仏陀の教えの仏典の翻訳は、漢訳とパーリ語訳とでは、内容の教えの言葉が多かったり少なかったりするところも多々あるので、教えの訳で気になるようであれば、自らで原本を確認するのが宜しいでしょう。

 このHPでは、理解しやすいように、漢訳とパーリ訳の両方訳で、わたくし、春・對馬訳です。

 仏典では、数人で翻訳をしていますが、このHPで翻訳をしているのは、わたくしだけなので、多少の誤字脱字もありますが、誤字脱字があったならば、真理・善の意味で捉えていれば、問題はないだろう、とも思いますが、気になるようであれば、自らで原本を確認するのが宜しいです。

 ”聖者と神々との對話”の更訂は、翻訳どおり記しているものでも、教えの意味内容が同じであれば、理解しやすいように、漢訳とパーリ訳の對馬訳で、また、私自身の説明文も理解しやすいように、更訂・追加もするので、学ぶ人はたまに見直して見てください。

 教えとしての意味が異なってしまう間違いや誤字脱字があれば、他の人が見直した時に間違いに気づけるように訂正してもいます、が、誤字脱字があっても教えの内容として問題が無ければそのままにしているところもあります。

 そういうところは、あえて気になさらないで結構です。私もたいして気にしていません。



 長距離走は、最初の頃は、長距離はキツイ、という状態で、ある程度走ってから、ラストスパートで100m位かな、を全力で走ると、息が切れてゼーゼーという呼吸になり、呼吸が追いついていない状態であったが、同じように日ごとに繰り返し行なうと、呼吸が徐々に楽になり、ついに、呼吸が追いつくようになり、そうなると、長距離走で走っても、走っている途中で走りながら休憩できるようになり、長距離を走ることができるようになる、と。

 私の場合は、このような感じだった。

 ラストスパートで100m位かな、を全力で走ったことにより、息切れでゼーゼーという追いついていない呼吸が、追いつくようになり息切れでゼーゼーならなくなった、というのが良かったのではないか、と思う。が、スポーツでの専門化から見たら、良いのかどうだかはわからないので、一応、同じことをマネして倒れられたら嫌なので、やってみようかなと思う人がいるならば、きつ過ぎるようであれば、マネしたりしないようにして下さい、と。

 長距離選手は、走っている途中で休憩するのが上手な人でもあるだろう、と思った。






H28年7月16日

 あとは、運動をするのに、準備体操でストレッチをして、運動の終了後にも、準備体操と同様にストレッチをすると、筋肉痛になりずらい、と思われる。

ネットより
『運動後にストレッチをすると、血管の血液の循環がよくなり、老廃物(疲労物質等)が溜まらず排出されるために、疲労回復も促進される効果がある』
また、
『”運動前は、動的ストレッチ”という、勢いづいた弾むような動作での、筋肉を伸ばすストレッチ(柔軟体操・ラジオ体操等)が良く、
 (運動前に、静的ストレッチをすると、筋肉を緩めすぎて弾性エネルギー・踏ん張る力が入りづらくなり、怪我のもとにもなり宜しくない、とされる。)

 ”運動後は、静的ストレッチ”という、一定時間(数秒から数十秒)固定して筋肉を伸ばすストレッチをすることで、血流を促進して、疲労回復が早まる』
ということであった。

 私は、いつも運動後にもストレッチをしているけれども、運動後にストレッチをした時は、それほど、強い筋肉痛になったことがない。


 ということで、記していて思いついたんだけれども、仕事で身体を動かしてからでも、ストレッチをすると、疲労回復が促進される効果がある、ということにもなるのだろうから、仕事から帰宅した時も、ストレッチをしてみようかな、と思った。


 あと、運動ということで、

 筋肉トレーニングで、筋トレをするときは、有酸素運動で行なうのが良い。ということで、昔、有酸素運動での筋トレをしていた。

 また、筋トレは、一度に多くの回数(100)を行なわず、数セット(40,40,40等)に分けて、小休憩をはさんで行なうのが良い、と。

 昔、ボクシングジムに通っていた頃等に、有酸素運動の筋トレをしていて、筋トレを多くやりすぎて(器具は、ダンベル14.8kg等を使用)、腕に全然力が入らなくなったことがあり、
 ”何だこれは”というくらいに、腕に全然力を入れられなくなって、あれは、どうしてそうなったのか、わからないが、その後しばらくしてから治り、
 その後、また筋トレのやりすぎで力が入らなくなってしまうかもしれない、ということを心配して、筋トレをやり過ぎないようにした。ということも、昔あった。
 疲労(物質等)が溜まりすぎて、限界を超えるとそういうようになるのかな、と。





H28年7月25日

 昨日は、三界〔欲界・色界・無色界〕の存在に関して を更新したのだが、

・愚癡・無聞の凡夫が、五趣〔天界・人界・餓鬼・畜生・地獄〕に漂流したならば、また再び人身を得ることは、盲目の亀が百年に一度、海面に浮く孔の開いた浮木から、頭を出すよりもはなはだ難しい。

( 悪しき者が人身を得ることは難しいということに関して 

 例えば、海の面積は、約3億6000万平方kmなので、(縦横50cm幅の)0.25平方mのクビキの孔とすれば、百年にたったの一度で、さらに、その時に盲目の亀がクビキの孔に頭を突き込むのは、約1440兆分の1(1/1,440,000,000,000,000)?の確立、で人身が得られるという確立。

 -世俗の話で言うと、ジャンボ宝くじ1等が当たる確率は、一年に数回あり、その度ごとに1000万分の1の確立(1/10,000,000)。
 -人間が落雷で死ぬ確率は200万分の1とされている
 -人間が生涯でガンになる確立2分の1。
 -人間が死ぬ確立100%。)

 の、計算が合っているかどうか、違うかな、と思って。

 50cmの枠の物を海に浮かべた計算。

 これが、約1440兆分の1だとすると、悪しき者が、死後、畜生や地獄の生存として生まれたならば、再び人身を得ることは、”ほぼ不可能”と言っても過言ではない。

 また、再び人身を得ることは、”ほぼ不可能”と言っても過言ではない、という事柄から見ても、地獄に堕ちる事柄を、”破滅”と言っても過言ではない、と。
 

 今日、海を見て、この盲亀浮木の譬えを考えたけれども、あの見渡す限りの海ですら、地球の海のほんの少ししか見えていないわけで、”どう見ても無理”っていう感じで見てたけど。(永劫で見れば、完璧な無理ということではない。)


 テロ側の存在の聖者方に対する邪行は、すでに、聖者方から見ても目に余っている。

 娑婆主梵天が、カッサパ仏陀の弟子(比丘)として修行を修めて後、善趣梵天に赴いたというのでも、仏陀の弟子・聖者の弟子がどのようなポジションとしての存在であるのか、理解できないことはないだろうに。

 仏陀の弟子を亡き者にしようとするとか、そのように、仏陀や仏陀の弟子や聖者方にたいする邪行は、とても重い悪業となる、というのも察することはできるだろうとも思うけれども。


 こちらは、死後、善趣に赴く可能性が大きい。善行を修し、光もあり。

 悪行者は、死後、悪処や地獄に赴く可能性が大きい。理法を知り、仏陀の弟子を亡き者にしようと、邪行を繰り返し行なっているのだから。


 この時点においても、すでに、心理としても、聖者側の私たちと、

 聖者の弟子を亡き者にしようと、邪行を繰り返し行なっている者達とは、大きな差が生じている。


 それは、一方は、善趣への出生の歓喜であり。

 他方は、善趣への希望ではなく、悪趣へ堕ちない、という可能性への儚い希望であり。また、すでに成就した悪業の報いとして、悪趣への出生の絶望と憂いであり。


 テロ側の存在は、善者の忠告を聞かず、邪行者の虚言を聞き入れ、そして、妄想の話ではなくて、現実として、行ってはいけないところへ行き堕ちていて、終いに、地に没しようとしている。


 同様の事柄も前述している。この世の生存者に、法則や決まりごとがあるのであれば、死後の境界の生存者にも、法則や決まりごとがあってもおかしくはない、と。


仏陀はこのように仰せられた、
『自らを愛すべき者と知らば、自らを悪に結ぶなかれ、
 けだし、悪しき行ないをなす人には安楽は得がたきものなればである。

 すでに死魔のとりことなってやがて生命を捨つべき人には、もはや何ものか彼のものたらん。
 何を持ちて彼は行かんとする。

 ただ善業と悪業との二つは、人がこの世において作りしもの。

 人がこの世において作りしもの、それこそは彼自らのものにして、それを持ちて彼は行くのである』





H28年8月30日

 日本のメディアが酷いことになってきている様子。

 芸能関係の人も脅迫だのをされているらしいようなのも聞く。

 見ていてかわいそうだ。

 メディア等、テロの関係者の仏陀の弟子にたいする悪業の悪しき報いは、必ずその悪業を為した者におとずれる。

 人が生きる意味。

 人は何のために生きるのだろうか。

 テロで悪業を行じて、破滅へと堕ちる者は、何のために生きているのだろうか。


 テロで悪業を行じて、破滅へと堕ちる者は、決して正道にいない。


 悪業を行じて、自ら破滅へと向い堕ちる者は、仏陀や仏弟子の方々や聖者方、また、神・神々の救いは得られない。

 また、仏陀や仏弟子の方々や聖者方と、神・神々の救い・導きを得られずに、自ら破滅へと向う者は、そのまま(悪魔・悪しき存在にも導かれて)悪処・地獄へと堕ちる。


 テロ側の者達は、すでに悪業を重ね過ぎている。

 理法で云い、ここで云う破滅とは、存在として悪しき者・愚かな者の、永い輪廻流転でいう破滅を指す。


 テロ側の愚行・悪行者のすでに積んでいる悪業を理解するべきだろう。

 仏陀や仏弟子の方々や聖者方、また、神や善なる神々は、聖者方・善なる人を害する愚行者・悪行者を救はない。


 私がテロ側の存在に受けている悪行を受けたのを見ていうならば、テロ側の存在は、100%で悪魔憑きの側で間違いがない。

 テロ側の存在の、数年間の愚行と罵詈雑言を見ていても、容易に理解されうることだろう。


 テロ側の者達は、すでに悪業を重ね過ぎている。

 そのようなテロ側の者達が、善なる正道に導かれるのも難しいだろう。


 善行者は、長期のスパンで見て行ずるべきだろう。

 聖者方は、過去の劫期に渡り善業を行じて来ている。

 あと、数年、数十年の人生を、聖者方の通った道を歩くのか、破滅へと進むのか。


 善なる存在である私たちは、仏陀の示された道・安らぎへの道を歩く。





H28年8月31日

 他の大勢の方々のために記すけれども、テロ側の存在は、現状を見ていても、CM等でも、殺人宣言等をして、すでに悪行を公でも慙愧なく行なっているのからもわかるとおり、数年でそのようなところまで堕ちている。

 私たち普通に善趣へと進んでいる人は、そのような悪行の者と親しんではならない。

 テロの悪行の者達が騒ぎ出した最初の頃から、無実の仏陀の弟子を犯人にしようとしているところからして、もう道にないのもわかりきっていることである。

『テロ側の存在は、100%で悪魔憑きの側で間違いがない』というのも、今日の、殺人犯のいる企業の(殺人の事柄を示唆した)CMを見ていてもわかるとおり、そういう邪行の氷山の一角を見ていても誰でも理解できるとおり、”テロ側の存在は、100%で悪魔憑きの側で間違いがない”という結論が容易に導き出される。

 しかし、テロ側の存在からすれば、”それでも自分達はある”、とこのような邪見に執らわれている。

 普通の正見を持つ人たちから見れば、”どう見てもテロ側は正道にない”そして、”悪魔の業を行じているテロの愚かな者たちは、悪魔に憑かれている(側の者達で間違いがない)”という正しい普通の結論にいたる。(ここで云う悪魔というのは、本当の悪魔・悪しき存在や悪霊・邪念の事柄)



『比丘たちよ、正にそのように、人として死んでから、人に生れる有情は少なく、これに反して、人として死んでから、地獄に生れ、畜生に生れ、餓鬼界に生れる有情は更に多い。

 比丘たちよ、正にそのように、人として死んでから、天(善処)に生れる有情は少なく、これに反して、人として死んでから、地獄に生れ、畜生に生れ、餓鬼界に生れる有情は更に多い』



 テロ側の存在は、

『正にそのように、人として死んでから、人に生れる有情は少なく、これに反して、人として死んでから、地獄に生れ、畜生に生れ、餓鬼界に生れる有情は更に多い』

という仏陀の教えを理解してはいないのだろう。


 悪趣・地獄に生まれる有情は更に多い。


 テロ側の存在は、快楽等で、または、不本意にでも邪行を行い、悪趣・地獄に生まれる要件を満たしている。


 邪行を行なった者は、悪趣・地獄に堕す。


 そのゆえに、私たち善趣へと赴く者は、邪行を行じてはならない。

 そしてまた、私たち善趣へと赴く者は、邪行を事とする悪しき者・愚かな者と親しんではならない。











H28年11月2日

  見事に説かれたこと

 わたくしが聞いたところによると、
 あるとき尊き師ブッダはサーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。
 そのとき師は諸々の<道の人>に「修行者たちよ」と、呼びかけられた。

 「尊き師よ」と、〈道の人〉たちは師に答えた。

 師は告げていわれた、
「修行僧たちよ。四つの特徴を具えた言葉は、みごとに説かれたのである。悪しく説かれたのではない。諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。
 その四つとは何であるか。
 道の人たちよ、ここで修行僧が、

 見事に説かれた(善い)言葉のみを語り、悪しく説かれた言葉を語らず、

 理法のみを語って、理にかなわぬことを語らず、

 好ましい(こころよい)言葉のみを語って、好ましからぬ(不快な)言葉を語らず、

 真実のみを語って、虚妄を語らない。

 この四つの特徴を具えている言葉は、みごとに説かれたのであって、悪しく説かれたのではない。
 諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである」と、尊き師はこのことを告げた。


 そのあとでまた、〈幸せな人〉である師は、次のことを説いた。
「立派な人々は(このように)説いた。

 最上の善い言葉を語りなさい。(これが第一である。)

 正しい理を語りなさい、理に反することを語ってはならない。これが第二である。

 好ましい(こころよい)言葉を語りなさい。好ましからぬ(不快な)言葉を語ってはならない。これが第三である。

 真実を語りなさい。偽りを語ってはならない。これが第四である」と。


そのときヴァンギーサ長老は座から起ち上がって、上衣を一つの肩にかけ(右肩をあらわして)、師(ブッダ)のおられる方に合掌敬礼して、師に告げていった、
「ふと思い出すことがあります。幸せな方よ」と。

 「思い出しなさい、ヴァンギーサよ」と、師は言われた。

 そこでヴァンギーサ長老は師の面前で、その場にふさわしい詩を以て師をほめ称えた。

自分を苦しめず、また他人を害しない言葉のみを語りなさい。これこそ実に善く説かれた言葉なのである。
 相手に好ましい(こころよい)言葉のみを語りなさい。その言葉は人々に歓び迎えられる言葉である。
 感じの悪い言葉を避けて、他人の気に入る(心善い)言葉を語るのである。

 真実は実に不滅の言葉であり、これは永遠の理法である。立派な人々は、真実の上に、ためになる(有益な)ことの上に、また理法の上に安立しているといわれる。
 安らぎに達するために、苦しみを終滅させるために、仏陀の説きたもう安らかな言葉は、実に諸々の言葉のうちで最上のものである。」





四法

 比丘たちよ、これらの四法を成就せる愚者、不明なる不善人は、損傷し失壊したる自己を保護する。
また、罪あり、智者の呵責するところであり、多くの非福を生ずる。

 何を四と為すのか。

 調べず、究めずして、讃めてはならない人を讃め。

 調べず、究めずして、讃めるべき人をそしる。

 調べず、究めずして、信認してはならないところを、あえて信認し。

 調べず、究めずして、信認すべきところを、あえて信認しない。

 比丘たちよ、これらの四法を、成就せる愚者、不明なる不善人は、損傷し失壊したる自己を保護する。
また、罪あり、智者の呵責するところであり、多くの非福を生ずる。


 比丘たちよ、これらの四法を成就せる智者、賢明なる善人は、不損傷、不失壊の自己を保護する。
また、罪なく、智者に可責せられず、多くの福を生ずる。

 何を四と為すのか。

 調べ、究めて、讃めてはならない人を讃めず。

 調べ、究めて、讃めるべき人を讃める。

 調べ、究めて、信認すべきでないところを信認せず。

 調べ、究めて、信認すべきところを信認する。

 比丘たちよ、これらの四法を、成就せる智者、賢明なる善人は、不損傷、不失壊の自己を保護する。
また、罪無く、智者に可責せられず、多くの福を生ずる、と。



 そしられるべき(非難されるべき)者を讃め、讃められるべきをそしる人、

 彼は、口にて過ちを積み、その過ちのため楽を得ない。

 賭博のために、財産も自身もともに一切を無くしても、この過ちは重くはない。

 善に対して腹立てる、この過ちこそ、よりいっそう重い。

 ニラッブダの歳十万と、四十一のアッブダと。

 聖をそしり、悪語・悪意を起こして、地獄へ到る、と。





 仏陀の弟子を亡き者にしようとして笑って悪魔の業を行い続けている

テロの者達は、邪見者で間違いがない。

 仏陀の弟子を亡き者にしようとして笑って悪魔の業を行い続けている

テロの者達は、悪行者・悪しき者で間違いがない。

 仏陀の弟子を亡き者にしようとして笑って悪魔の業を行い続けている

テロの者達は、愚かな者で間違いがない。



 善処へと赴こうとする者は、邪見者、悪行者・悪しき者、愚かな者と親しんではならない。



 ハルマゲドンのように、一所に集まり、悪魔・悪霊とともに、聖者の弟子を亡き者にしようと行なうテロの悪行者達・邪見者・悪しき者・愚かな者が

悪魔達・悪魔の仲間達と言われるのは、当然である。


 テロの悪行者達・邪見者・悪しき者・愚かな者の土台が、テロの洗脳による、邪見から成り立っていて、さらに、聖者の弟子に対する邪行によりて、すでに終了しているという状態にいるのも間違いではない。



 新約聖書等の聖人方の預言でも理解できるとおり、仏陀の説かれた理法がどれほどにすごい教えであるのかを、悪行者達・邪見者・悪しき者・愚かな者は、理解しない。


 仏陀の教えが、イエズスの預言や聖書なりで、真理としていずれ説かれると云われるのも、きわめて普通の事柄であり、

 仏陀の理法が最上であることは教えを実践すれば、普通に、自らで理解し納得できる事柄である。




数年前から悪行を繰り返しているが、ここ数日のメディア等ででもテロの者達の悪魔の業の記録を見れば、テロの悪行者達が、邪見者であり、悪しき者であり、愚かな者であるというのは、容易に見て聞いて知られる事柄である。

 悪魔と友になり、悪魔に従い導かれた者は、そのように悪行を行なうようになり、邪見者となり、悪しき者となり、愚かな者となり、やがては、短い人生を終えた後には地に没するに到る(悪処や地獄に堕ちる)。



 仏陀の教えは、見て学んで理解できるとおりに、安らぎをもたらす最上の教えであって、仏陀の教えよりも最上の教えは、後世にでも世に出現することはありえない。

それが、仏陀という覚りを得た方の教えである。

 人類にとりて、天や神々にとりて、存在する者にとりての、最上の教え。


 この最上の教えは、教えを聞くだけでなく、禅定がなければ、その智慧は得られないとも言われる。

禅定のない人は、智慧を得ることができない。要するに壁は超えられない。





 悪行者達・邪見者・悪しき者・愚かな者は、禅定をしようとしても、邪定となり、智慧を得ることができない。

善行者・正見者・善なる者・賢い者も、禅定がなければ、智慧を得ることができない。


 悪行者達・邪見者・悪しき者・愚かな者は、聖者の弟子を罵詈雑言をして笑い楽しみ、悪魔の領域の壁を越えることもできない。

そのように、悪魔の領域(餓鬼・畜生・地獄の存在の邪念の領域、餓鬼・畜生・地獄に堕す邪念者の存在の領域)にいる自我にも気づかずに、悪業を重ねて、その後は、地に没するに到る。

 常識で考えても、聖者の弟子を苦しめ悩ました者が、神々から救いを得られるというような事柄は普通はない。




 イエズスの言葉・神からの預言は、覚とりを得た覚者の教えではないので、覚りをえるまでにはおよばない。

仏陀の教えを修学して、禅定を行じたならば、イエズスの教えが天への導きのおしえであって、その上の涅槃という全き安らぎへの教えに至らない、というのも自らで知られる事柄である。

それは、イエズスの言葉・神からの預言の教えを見て、知り学んでいても理解される事柄でもある。



 これから後、預言者はもう現われない、とイスラムの預言書は伝えているという。

 その通り、預言者はもう必要ではない。

 ここに、全知者・仏陀の教えが万民に理解されうるように出現しているのであるから。




 仏陀の教えも、イエズスの教えも、悪行者・邪見者・悪しき者・愚かな者は、まったく見えずに理解することがない。

 その結果が、現状での、

『数年前から悪行を繰り返しているが、ここ数日のメディア等ででもテロの者達の悪魔の業の記録を見れば、テロの悪行者達が、邪見者であり、悪しき者であり、愚かな者であるというのは、容易に見て聞いて知られる事柄である。』

という、悪魔の業を行じているという、悪魔に導かれている者達の無慚な結果である。





【仏陀、聖者、神、聖人、天が、その人を解脱させるのではない】


「ドータカよ。

 わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう

 ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。」




【諸々の正しく覚った人々は、法を尊敬していた人々、法を尊敬している人々、法を尊敬する人々である】


「過去に正しく覚った人々、未来に覚った者となる人々、現在において正しく覚った人、多くの衆生の憂いをなくす人、

 彼らはすべて正しい法を尊敬していたし、尊敬しているし、また、尊敬するであろう。

 これが諸々の覚った人、仏陀にとりての定めなのである。





H28年11月6日

 テロの悪行者達は、自らが”悪魔の仲間達ではない”と思いたいのもあるのだろうが、数年間毎日のように聖者の弟子を悩まし苦しめて、多くの人に「死ね」だの「殺せ」だのと言わせるまでに洗脳をもしているところから見ても、邪見者であり、悪しき者であり、愚かな者であるというのは、容易に見て聞いて知られる事柄である。

 数年間、殺人の誘導をしているテロの悪しき者達は、それでもなお、自分達が善い存在であり、善趣へと赴くと思っているのだろうか。また、その悪業の果は実らないと思っているのだろうか。

 数年間、悪行をし続けてもテロ側の存在はいまだに気づけてはいない。自分達が悪魔に憑かれているということを。


 テロ側の存在達は、数年間の聖者の弟子に対する殺人等の邪行の蓄積によりて、すでに清浄は得られ難い。

 そのようなところからもすでに、テロ側の悪行を繰り返している存在達は、悪業の果を結びつつある。


 悪しき者達、愚かな者にとりて、聖者の説く法は見聞したとて見えず不明なのである。



 譬えば、犯罪者がいて、犬がいるとする。犯罪者が肉を遠くに放り投げたならば、犬は肉に夢中で決して犯罪者を見ない。

 譬えでの比喩だけれども、テロ側の存在達がまさしくこの状態であり、メディア等での映像・音楽という犯罪者が投げた疑似餌に目がくらみ決してその犯罪者自体を見ない。

 テロ側の存在というのは、そのような盲目な状態で悪業を重ねているという、盲目者であり、邪見者であり、愚かな者であるというのは、間違いようがない真実なのである。

 普通に考えても、数年間の聖者の弟子に対する殺人等の邪行を行なっている、その肉を投げているものが善なる者であるということもありえないのである。


 聖者の弟子に対する殺人等の邪行者・邪見者・悪しき者・愚かな者は、潜在的な安らぎもまた得られ難い、または、得られないだろう。

 普段から、潜在的にまたは無意識に”私は何かをしなければならない”、と潜在的な不安によりても、そわそわ・ころころしたりもする、と。

 自らが、真我が悪趣へと堕ちるのを予見していることによりても、そわそわとして安らぎが得られない。

 安らぎを得んとして、何事かを為そうとするが、洗脳されていることにより邪見によりて、再び悪魔達の邪行に加わり邪業を重ねる。

 そこで一時の安堵がもたらされることもないこともない。”聖者の弟子として善を説いているこの者が、実は悪魔なのである”との妄執によりて、”私こそが善なる存在として、悪魔を攻撃するのである”、と。そのようにして邪行、罵詈雑言等を繰り返すのである。

 しかし、そのように自ら悪魔のわざを行なっていること事態がすでに、自らが悪魔の仲間であると証しされるものなのである。


 仏陀の教えは、邪見者・悪しき者・愚かな者にとりて、理解できないものではあるが、正見者・善なる存在・賢い者にとりては理解できる教えである。

 テロ側の存在は、”誰も仏陀の教えを理解しない”というようにも騒いでいるが、実際は、仏陀の教え・聖者の教えを理解できている人は多くいるだろう。

 仏陀の教え・聖者の教えは邪見者・悪行者・愚かな者にとりて理解のできない清浄な教えではあるが、正見者・善行者・善なる者は仏陀の教え・聖者の教えを理解する。


 そして、教えを理解した正見者・善行者・善なる者は、善行を行い、また、善行を繰り返し行い、心を清浄にして善趣へと赴く。

 また、正見者・善行者・善なる者は、自らが、潜在的にも無意識にも善趣へと赴くのを予見していることによりて、そわそわとすることなく安らぎをも得ている。





H28年11月7日

 譬えば、犯罪者と犬の話で、犬は犯罪者の投げた肉に夢中で、犯罪者を見ずに肉しか目に入らない状態となっている。

 しかし、その犯罪をする悪しき者の放り投げた肉には毒が混入されていて、犬はその肉を食べたそのあとに狂犬病にかかってしまい、激しくほえたてるようになり、噛み付くようになり、その後、激しく吠え立てつつ生命を堕とした、と。

 比喩の譬えで、ここでいう犬はテロ側の者達であって、その毒肉というのが、メディア等テロの者達が用いる映像や音声等のテロの洗脳道具のこと。

 肉に夢中なテロ側の存在は、その毒物によりて侵されてしまい、普段から吠えたてて「死ね」、「殺せ」、「殺す」等と狂った言葉、罵詈雑言、邪言を言うようになり、そのように、聖者の弟子に邪行を行い、輪廻でいう本当の生命を堕としました、と。

 ここでいう現に肉に夢中な犬には周りは見えていない。

 その毒肉によりすでに侵された狂言犬にとりてはなおのこと、周りは見えない、と。



 一方、私たちは聖者方のところから、遥か遠くのその悪行者と犬との、その状況を見てきている。

 テロの者達が、人間の集団の危機心理を用いて、また、魔術をも用いてテロを行なっている。

 賢者は、毒肉を投げているその犯罪をする悪しき者をば、正見をもちて見分け、正しく非難し、悪行・犯罪を罰するべきである。


 テロに洗脳されている者は、自らが邪見に囚われているという自我にきづき、その悪魔の力の範疇から脱するよう努めるべきである。

 テロの犯罪者は、そのままテロを続けても、聖者の弟子に邪行を繰り返し行ったことによりて、悪趣への出生はまぬがれ難いが、速やかに邪行を棄てて、善法を見るべく精進するべきである。


 聖者の弟子に邪行を行なう愚かな者にとりて、楽を受く時は残りわずかである。

 聖者の弟子として善行を行なう善なる者にとりて、楽を受く時は後にでも多くある。






【(H28年11月12日  H32.2.5トップページ編集更訂のため、トップページをそのまま転載)

 連絡先 rapisu55@live.jp

(追記 H28.11.27ですが、メールは私のPCに一通も届いていないです。他の人が返信しているとか、テロ信者達がちらほらラジオで言っているみたいだが、もしそのように勝手に返信をしている者がいるとするならば、その悪行者はテロの犯人であり、また、悪魔の仲間達の者で間違いない、となる。しかし、本当に一通も届いたことがない。こちらから、宗教関係の人にメールしたものは、他のアドレスを使用してきちんと返信もきたが。

 ちょっとまて、いま、もう一回確認してあげよう。

 間違いなく、このアドレスにきちんと来るよ。
 これだけ騒いでいるのに、いままで誰からもメールすらも来ないっていうのも、相当おかしい話だよ。


 テロ信者の「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかのCMをしていたテロ企業等からも、いままで一度も連絡や話し合いすらもしたことが、本当にまったくない。

 実はテロ側の信者達が裏でひどく何かしらをやられていたりするのか。誰かに。

 街で誰かに絡まれたというようなことも、いままで一度もない。

 野球チームが裏で騒いでいたりしたのは、日記でも記しているとおり。野球チームも別に直接面と向かって言いに来るわけでもなし。

 昔よりは、私自身が信用を持たれてきているのもあるのだろうと思う。

 昔は、世界で一人という感じの頃もあったな、なつかしき思い出。

 そして、現在に到り。

 私は、本当に、仏陀と聖者方と大梵天等の善なる神々と、イエズスに感謝をしている。他の聖人方にも。

 歌の”WAY OF DIFFERENCE”の歌詞は、イエズスに對して、私の気持ちのほとんどそのままである、としてあげている。

一つ「悲しみを忘れてしまうことで人はきっと強くなれるから」っていうところは、忘れずに昇華するべきだろうと思う。

 光を探して佇んでいるのは、昔は私もそうだったが、現在は、すでに私に光は来ている。

 光を探して佇んでいるのは、光のない人たち、各自。)


 このアドレスにメールが来るのは確認済みですが、いままでテロの件に関してメールが来たことはない。他の人が送信できないようであれば原因はわかりません。
 もしかしたら、テロ側の存在に送信メールが行っているとかかな。たまにメールボックスは見ていたが、いままで一通も見たことはない。
 これだけテロの者達が騒いでいるのに一通もないって、逆にすごいおかしいとも思う。
 普段でもテロ側の者達に、いままでにテロの件に関して一度も問いかけられたこともない。
 罵詈雑言等は、テロ側の悪しき工作者が言わせているのもあるので、よく聞くが、決して問いかけてはこない。
 また、そういう悪行者とは別で、仏陀の教えに関しても、問いかけられらたことはない。
 このような事柄からもテロ側の悪行者、悪しき能力者とは、本当の悪業を積んでいるというのがはっきりわかるだろう。

 どうやら、悪業を積むという行いによりてどのようになるか、というところからして、テロ側の悪行者なり、悪しき能力者も理解できてはいないということからの話だった…。とりあえず、悪業によりて、悪趣に赴く、善業によりて善趣に赴くという法は、聞いているというほどで。

 定においても、清浄にいたり難い、または、清浄にいたれないというのから見ても、悪行者に悪業は大きな悪果を結びつつある。

 また、理法を知り、その悪業の大なる悪しき報いを知った上で悪行を重ねる愚なる者は、天神に対しても、言い逃れもできず、そして、そのような愚かな者を天神方は普通救わない。仏陀の教えでも、聖書外典でも、「知りませんでした」というような言い逃れは通じないというのも記している。

 ちなみに、現在でもこちらで悪魔(悪霊のさえと発する悪魔)が嫌がらせ・悪行をしているのだけれども、そういう悪魔の悪行をまのあたり見ている私から見ても、そういうのと一緒にテロ行為で悪行を重ね続けている悪行者、悪しき能力者もまた、悪趣に向かっているのは一目瞭然である。であるから、昔からいろいろと注意喚起をしていたが、テロ側の多くが悪魔・悪霊達と共に堕ちて行ってしまった。テロ側の存在に関しては、すでに過去形で言うような無慚なありさま。テロ側の存在が昔からだけれども、どう見ても正道にない。公共で狂言・暴言を言っているCM等を見ても理解できるとおりのひどいありさま。本当の悪魔側に導かれると本当にそのようになる、という悪い実例となっている。

 また、日記ではないところで長文になってしまった…。

 TV等に関しては、テロ側の存在の狂言、罵詈雑言を聞く限りでは、悪霊よりもひどく悪いとも思った。

”悪霊よりも悪い”と思われるのもどうかと思うよ。


 例えば、”悪霊よりも悪い”と思われる、という程の存在は、聖典で善なる存在が善趣へ赴くという教えと、愚なる存在が悪趣へ赴く、という教えとの二の教えが説かれているならば、その二の教えのうちのどちらの説に当てはまる存在だろうか。

「そんな難しい問題は、私には解くことはできない」というような問題ではなく、これは単純に考えるだけでも、容易に解くことができる問題なのです。


 悪業者が、聖者・聖人の教えを善なる存在の側として受けることができない、というのから見ても、悪行者に悪業は大きな悪果を結びつつある。 


 愚なる者は、無知・無明によりて、また、自らの悪業による恐怖によりて、仏陀の教えを受けいれることができない。
無知・無明によりて、恐怖によりて、自らが救われる最上の教えをも受け入れることができないでいる。

 何度も言うけれども、仏陀や聖者・聖人方は、イエズスもそうだけれども、世の衆生の幸福のため、導くために来ているのであって、地獄に堕とすために来ているのではない。

仏陀はこのように仰せられた、
『比丘たちよ、世間に生まれているこれら三種の人々は、多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、世の人々の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のために生まれている』と。

 悪行者は、自らの悪業を、悪業であるとして認め、反省することがなければ、自らの最上の救いとなる善なる教えもまた、受け入れることはできないだろう。

 悪魔・悪霊達はその教えを説く仏陀の弟子を辱しめて、教えから離れさせようといろいろ悪業を繰り返しているが、そのような悪行の者に随い行きても、そこにあなたの導きとなる仏陀や聖者・聖人方はいないし、神もいない。そして、安らぎもない。

H28.11.12)




(下記、以前に記しているものを更訂)



 
善なる人は、仏陀の教えを学びましょう。他の教えを持つ人や、仏教というものに抵抗を感じてしまうという人は、仏陀の他の、善なる存在・聖者の教えを学びましょう。

 始めは見えなくても、善なる存在・聖者の教えを修学・多修して、心の汚れを落とし、清浄な見解を得たならば、仏陀の説かれた教えを理解できていくでしょう。

 仏陀の説かれた教えを理解できる人は、仏陀の教えを直接学びましょう。

 聖者の教えを学ぶ気持ちのある人や、善を学ぶ気持ちがある人、仏陀の教えの何がすごいのか、いまいち理解できない人、一般人、主婦的な感覚で見てしまうので出家の意味がわからないというような人や、霊的な世界を学んでいるのだけれども、教えが沢山あって迷っているという人や、霊的に憑依体質で困っているという人、大乗仏教の方ももちろんですが、他の教えを学ぶ人でも、仏陀の教えを学ぶ人は歓迎致します。


 善を行う人は、HPのリンク・紹介もご自由にどうぞ。
(ネット検索で「宗教 ひっくりかえる」、または「神話 ひっくりかえる」で検索すると、このHPが出ます。
 HPのアドレスは、
 ○http://charitable.ehoh.net
 ○http://handshakeh.web.fc2.com
(○http://charitable.ehoh.net))


 仏陀の善の教え(真理・理法)を知らない人がいれば、このHP(の仏陀の教え)を紹介して導いてあげてください。

 他人を善へと導くその法施は、あなたの功徳・善業にもなることでしょう。



〈大乗仏教の僧侶の方でも一般の方でも、このHPで、仏陀の教えを正しく知ることができたならば、このHPをそのまま(消えても大丈夫なように)記録保存や、また、そのままコピー等でも結構ですので、他の僧侶や信徒さんでも、多くの人に正しい仏陀の教えを伝えてあげて下さい。
 そうすれば、大乗仏教で迷走している人も、仏陀の説いた正しい八聖道を知り、迷走から抜ける人も多くおられることでしょう。

 くれぐれも仏陀の教えを自分だけのものとして、優越感等にひたるために、他の迷走している人に教えない、というような貪欲な心を抱くような行いをしないように。
 そのような行いをすると、来世においては、あなたが迷走する立場となりえるでしょう。


『他人を善へと導くその法施は、あなたの功徳・善業にもなることでしょう』〉

H28.7.8




(以前に記しているものをとりあえずそのままで、少し更訂)

 踊らされているんだか、踊っているんだかは不明だけれども、自動的に勝手にひっくり返ったテロリストグループは見ているのかな。

 私は別に何もしていないので、人のせいにしないでください。(〔善〕法〔聖者方の教え〕等は紹介してます。)

 とりあえず、送信者保護のため。メールちょっとストッープ。

 善法を選ばず、お金(貪欲)を取るとか、聖者や善法を選ばず、悪鬼を取るとか、人の子でなく、自身が畜生の子であるとか、悪魔と仲間になって悪行に加担し続けるとか…。
 それらは、死後に聖者方の方に行こうとしても不可能に近いです。
 聖なる書物にそんな事柄をして、聖者の言う善趣・天に赴けるなどという事柄は記されていないでしょう。

 一般の無信仰者や、理法・真理に無知な者というのは、そのように、邪行者は邪業によりて悪趣に赴く、という真理・理法を知らない。


 しかし、そのようなことをしてしまう者がいるのもわかりきって、聖者方は教えを説いていますね。
 だいたい聖なる書物に書いているとおり、聖者方の語っているとおりの行動をとっていますね。善行者も、悪行者も、それぞれで。

 時代は変われど私たち、人間のやっている事柄はたいした変わらず。

 聖者方が語ったように、このような者達がいる、あのような者達もいる、というような教えから出ることもなく。


 あなたはあと何年、人生というものを味わうのでしょうか。人間は数えられるくらいの年しか生きることはできない。

 人生は短い。

 さて、臨終のあなたは自分の人生を振り返るのでしょうか。

 振り返ったときどのように思うのでしょうか。

「あ~、人生ってなんだったんだろう」とか、「善行をなした、だから、天にいける」と思えるのでしょうか。

「お金をたくさんもうけた、すべてを手に入れた。この生活から離れたくない、死にたくない」とか思うのでしょうか。

 テロリストの者達に関しては、
「聖者の教えをひろげる妨げはした」とか「畜生と友になり、加担してテロの(手助け)をした」とか、そのような行いの者は、聖なる書物に天に行くとは記されていない。

 地獄や悪処に赴くと記されています。自らででも読んで見た方が善いと思います。

 鬼系統の力を使って悪行を続けているのは、本人がわかってやっている、というか、やらされているのもあるだろうから、ちょっとそういう者の友は、鬼系統に引っ張られるだろうとは思うので、そっちにいる者は注意していたほうが善いと思いますよ。

 そういう事柄をしている(者)は、立ち止まれ。

 善を見なさい。という教えです。

 ちなみに、聖者方の教えである真理の法を知ったあとの行動は、各自己でそれなりのものを背負うらしいという感じの事柄はどこかに書いていた、と思うので、いちおう、記しておきます。
 そこまで、わかってもなお、聖者方の道の方向に向かないというのであれば、今生でなくても、その後の生存で、その者が改心することがあるのでしょうか。難しいかもしれませんね。

 その道を選ぶのは、あなた自身。

 悪になずんで餓鬼・畜生霊の仲間になり、「死ね」などと言い続けるのか、言わせ続けるのか。

 善になずんで、そのような悪行に関心を示すことなく、聖者方の善の教えを学ぶ者となるのか。


 命を懸けて善に身を捧げた聖者もいれば、その善の教えを畜生に結び付けようとする者もいる。

 悪鬼にだまされないようにと、善の教えを説いた聖者の教えがあるのに、欲にかられて教えを聞かずに、他の人まで道ずれにして、悪鬼、餓鬼、畜生、地獄の道に行く者もいる。

 命を懸けた聖者もいるというのに、その聖者の教え・善の教えをないがしろにして、その教えを誹謗等して妨げる者の悪業は、世間の犯罪者・悪行者の犯す悪業と比べても、とても重いのです。

 しかし、そのような理法を知り気づいて、善の教えを聞いて、目を開いて、真理の道に行く人もいる。

 真理の道を歩く人もいる。



 聖者の教え・真理の教え・善の教え・法は、世の全ての人(人間)にとりての財産。


 教えを聞いて目が覚めたならば、「目を覚ましていなさい」と。



 このHPを見る人は、様々な邪な情報、邪な感情に流されないように、自己で(自分の中で)、自分自心で法を見て下さい。】







H28年11月14日

 先ほど、いつものように聞いていたが、宇多田光のサクラドロップスはテロ関連の歌で間違いないだろう。

 その発売当時すでに、私は狙われていたということだ…。

 何でだべ。

 テロの悪しき魔術者・悪しき能力者もそうだけれども、

 いや、私が考えるのでは、盲目の邪見者の集いで、現在ではすでにほぼ確実に悪趣に赴くであろうと思われるほどの悪しき魔術者・悪しき能力者達だが、

 今日のメディアの様子を聞いていると、テロ側の存在はあいかわらず、聖者や理法に依ることができずに、その悪しき魔術者・悪しき能力者達から読んだ思念内容を聞いて、罵詈雑言・狂言を繰り返していたが、結局はテロ側の盲目者達は悪しき魔術者・悪しき能力者達と、また、悪魔・悪霊達に依りて納まり堕していた。

 盲目によりて善趣の導き・導き者に依りどころがえられないという状況。

 また、邪見によりて、善趣の導き・導き者に善信が生じず、悪趣の導き・導き者に誘導されて、善趣の導き・導き者に依りどころがえられないという状況。

 
 どうやら、悪魔・悪霊達は、やはり聖者・聖人方を攻撃するのに、聖者・聖人方を見てて、狩れとかをやっているらしい。

 以前にも同様の事柄は記したこともあったはずだが、イエズスも、悪魔や狐憑きに狙われていたし、出生前から、また、出生後に、どこの場所に出生するというのもわかる者はわかるということだ。

 悪魔達は結局は自分達の快楽のみもとめて、他を善から遠ざけ、結局、すこし先、数年・数十年後に身体が壊れてから堕ちる、と。


 テロ側の悪霊達は本当に悪しき者だから、なかなかめずらしい程に、”ない”集まりとなっている。

 メディアの狂言CM等の記録も、本当の悪魔・悪霊達に導かれるとそのように愚かな行いをするようになるという後世に伝えて行くべきものでもあるだろう。

 洗脳は、海外でも、メディアの洗脳によりて酷い状況になったルワンダだったかのをTVでは見たけれども、仏教国なので、そこまでは暴徒化することがなかったんだろう、と。

 テロ側の者達はすでに、狂言を語り、すでに暴徒と化しているようなのもいるけれども、今後さらに洗脳されて暴徒化が悪化するのだろうか、否か。


 しかし、聖者・聖人方は、世に来れば、やはり悪魔・悪霊達に狙われるものなのだ、と。

 ということは、悪魔・悪霊達に昔から狙われている私もやはり、聖者・聖人方の側にすでに入っていたということだ。

 はっきり言ってそういうのは、とてもうれしいが、

 仏陀の教えを説いているし、ほぼ間違いないだろう、と。

 驕りではなくて、総合的に考えての話。


 メディアは昔から、能力者達が暗躍して、指示等をしていたようだが、近年になり急激に悪化してきたのだろうか。

 まぁ、法を説いている仏陀の弟子を亡き者にしようと、大勢を狂言者・愚者にしてしまうほどの悪しき魔術者・悪しき能力者達が絡んでいるので、

 まぁ、悪化するだろう。

 世尊である最上の聖者方に反抗するのだから、比例して、最下のところまで悪化してもおかしくはないだろう。


 しかし、テロ側の魔術者・能力者に善なる者はいなかったんだろうかな。

 メディアの狂言等を見てれば、テロ側の魔術者・能力者の集まりに餓鬼、畜生が集まっているのではないのか。

 餓鬼、畜生霊の類の魔術者・能力者の集まりが、悪魔に敵うわけもない、と。

「ガンにして殺す」っていうのに、一所懸命になってて、きちんとした話合いにもならない者達だからして。


 悪魔に敵うわけもないので、悪魔に誘導されて、聖者方を見ない。または、聖者方を見れない。

「ガンにして殺す」っていうのも、悪行者・邪行者・邪見者等の悪しき者以外の何者でもないのだが。


 法・教えとして、悪行者・邪行者・邪見者は、悪しき行いによりて、悪趣に赴く、

 一方、善行者・正見者は、善なる行いによりて善趣に赴くという法は、すでに何度も説いているのである。




H28年11月14日午後

 メールアドレスを公開したが、一通もメールは来ていない。どう考えてもおかしいだろう。

 メディアであれだけ騒いでいるのに、一通もないというのは。

 ちなみに、自分で他のアドレスから送信したメールは、きちんと来る。





 御覧なさい。

 これが邪見者の受ける悪業の報いです。



『害心なく清らかで罪汚れのない人を憎むかの愚者には、必ず悪〔い報い〕がもどってくる。風に逆らって微細な塵を撒き散らすようなものである』


『けだし何者の業も滅びることはない。

 それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける』


  コーカーリカ


『お前は塵を撒いて不利を招き、罪をつくりながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間深い坑(地獄)に陥る。

 けだし何者の業も滅びることはない』






H28年11月16日

 朝の『いい曲等』の書き込みより

『・ローウェル・メーソン  もろびとこぞりて(Joy to the world,tha Lord is come) 

 なんか騒いでるから、横線ひいといた。(が横線修整。メーソンに関して11月20日の日記で説明)、そういういような意味ありげな感じで記していないです。純粋に曲が良いので記しているのです。なんか、ディズニーのキャラクターにも(ユーチューブの途中で流れる)CM(auのCM)で叩かれているが、小さな世界の歌詞の時代のディズニーとは大きく内情が異なって、悪しくなってしまっているらしい。悪しきディズニーワールドになっているらしい。陰でこそこそ叩くというのも、そいうのは、ディズニーは夢の国でなくて、悪夢の国なのか、と。
 テロ側はすでに、単なるテロ組織、悪しき組織・外道の犯罪者組織となりはてている。あそこまで悪行・愚行してしまっているのであれば、霊性もものすごく低く、さらに、劣悪で間違いないのです。
 邪悪・劣悪・盲目・邪見者の集まりに、聖者・神・聖人方は、普通に考えても行くわけがない。
 テロ側の能力者も、言葉尻捕まえて憑いてるだのどうだのこうだのって(数年間も同じような事をして騒いでいる)、極めて低いところでどうだことだと、ものすごく愚か。もう、そういうテロの能力者の詐欺士・犯罪者は限度を超えて愚か過ぎる。
 しかし、そういう低いところで、テロ側の信者たちも見事に何度も何度も繰り返し洗脳されるという、なんか、グダグダな流れ。いつものグダグダな流れ。H28.11.16』


 悪行者の集いに清浄・神聖(真聖)さはない。


 もろびとこぞりての日本語訳の歌詞で言えば、「主は来る」と、私から言えば、主は仏陀であり、聖書の言葉を用いれば主は、イエズスを意味する。

 仏陀は般涅槃されたので、もう来ることはない。次は、弥勒大士が仏陀として来られる。

 イエズスが来るとしたら、仏陀の弟子として来ると思う。(辟支迦仏陀としてであっても、八聖道のうちに立つ。八聖道がなければ、悪魔に勝つことはできない。)

 普通に考えたならば、そのように思う。



 ラジオで殺せとかやってる。

 テロの者達の本性の邪悪さがはっきりと示されている。 (←例えば、八正道がなければ、このように邪悪に導かれて堕す。)

 まぁ、最初からずっとそのようであったけれども。






H28年11月17日

 本日も、テロ信者の者達がラジオで、本当のテロ放送をしている。テロ放送を配信しているラジオ局の責任者をテロ行為で捕まえて罰したほうが善い。外人の歌で洗脳活動をしているのは、どうみても、組織ぐるみだろう。外人の歌でのテロ活動はずっと、数年間ずっと、もうそろそろでテロの嫌がらせ活動は10年くらいにもなるのか。もういいかげんに、テロの犯罪者達を捕まえて罰したほうが善いだろう。

 世間に於いても、人間世界においても、とても迷惑だ。

 テロの悪行者達が騒がなければ、簡単に静かになるだろう。

 なんだったら、テロ放送をしているラジオ局等の局長等をそのままテロ犯罪者として捕まえればいい。

 そのようにすれば、簡単に静かになる、と。

 スポンサーからお金をもらってやっているというのも、お金をもらってテロ犯罪をしているわけで、単なるテロ犯罪者なので、捕まえればすぐに治安は維持されるだろう。

 単純に考えてそう思う。

(定かではないので訂正。広告代理店の社員もメディア等で叩かれるのかどうだか定かではないが、) 
 芸能人もそうであり、一般人の人ですら、メディア等から叩かれる対象となり、さらに、「ガンにする」等と脅されて、誘導され、洗脳されてメディアによりて、人民は惑わされている。実際に現在でもテロ自体が、狂言を吐き続け、多くの人民はテロ犯罪者組織によりて、誘導洗脳されて、狂言を吐きつつある。
 そのようにメディアがテロに乗っ取られる日本のメディアの体制・規制・法律、

 要するに、そのような行いをしているテロの犯罪者を罰する体制・規制・法律が成っていないということだろう。

ということなので、日本政府はメディアとそのメディアのテロの犯罪者を罰する体制・規制・法律をきちんと確立・成立させるのが善い。

 政府内の人でも、野党や与党の人でもメディア等から叩かれる対象となり、さらに、「ガンにする」等と脅されて、誘導され、洗脳される対象となることは多いにありえることだろう。

 すでに、テロはメディアに浸蝕している。故に、早急にテロの犯罪者を罰する体制・規制・法律をきちんと確立・成立させるのが善い。






H28年11月20日

 本日は、16日のメーソンに関して、メーソンに敵対する人たちもいるのかどうだかは知らないが、(再び)一応、個人の思いとして、私はメーソンを極めて邪悪である、と思っているわけではないし、また、善行の集いであるとも思ってはいない。また、メーソン等の秘密結社等のメンバー等でもないので、その詳細の実体を知っているわけでもない。

 この人は、メーソンのメンバーだとして知っている人物の言葉等を見聞きすれば、現実のメーソンの行いは、悪い。
 私の目に、そのように写っている。

 そして、とりあえずメーソンに関してはそのように目に写っているが、テロに関してメーソンはどうだか置いておくとして。

 テロ等で、善を説く仏陀の弟子・聖者の弟子を辱しめているような団体は、悪趣に赴く者が多いので、人間世界でもってそのような悪しき組織・愚かな組織、また、そのように仏陀や聖者・聖人・神からも悪しき行いの者達・愚かな行いの者達として説かれているような集い・組織・団体であれば、人間世界で、裏でも表でも衆生の上の方に立つべきではない。

 組織のトップに悪趣に赴く者が立ち、指揮し導いて、そして後、その下の大勢のものが善趣に赴くというのは、通常ないことであるから、表面上の不幸だけでなく、真理の上での不幸、本当の生命をも堕としてしまうことも多くあるであろうから、上に立つべきではない。

 そして、何よりも、仏陀の弟子・聖者の弟子を辱しめているような者は、仏陀や聖者・聖人・神からも悪しき行いの者達・愚かな行いの者達として説かれているような状態であるので、霊性がとても低く、また、邪悪であり、劣悪でもあるので、多くの衆生を善趣の仏陀や聖者・聖人・神の元へ導く側としての存在からすでに堕ちて外れているだろう。また、すでに外されている、というような状態でもあるだろう。

 集団の選民思想に関して言えば、普通の常識で考えても、譬えば、仏陀や聖者・聖人・神が、人々から、導き手を選ぶとして、多くの衆生を善趣の仏陀や聖者・聖人・神の元へ導くのに、わざわざ仏陀の弟子・聖者の弟子を辱しめている悪しき行いの者達・愚かな行いの者達を選ぶことはないだろう。

 また、たとえ悪しき行いの者達・愚かな行いの者達が自ら”私は・私達は、仏陀や聖者・聖人・神に選ばれているのです”と勘違いしているとしても、そもそもが、邪見によりてその悪行・愚行を行じているので、現に盲目であり、また、暗闇にいてさ迷っている状態であるのに、そのような盲目な存在は、自らが善趣の仏陀や聖者・聖人・神の元へ行くことは極めて難しく、また、そのように自ら善趣に赴く道が見えずさ迷っているのに、他人をして善趣の仏陀や聖者・聖人・神の元へ導くというのは、出来得ることではない。


 悪趣に赴く者が指揮し導いて、大勢が悪趣に赴いたのであれば、その指揮をしている存在にとりて、その行いは自らの悪業を増し、自らの苦を増す行いとなる。

 人の生存、人生は短い。長く生きても、100年を超えるほどである。
 その短い人生の行いによりて、各々自らが、善趣に赴くか、地獄に堕ちて破滅するのか、異なる。

 悪しき行いの者達・愚かな行いの者達は、その短い人生・人間としての生存を終えた後、悪趣に赴くというのは、仏陀や聖者・聖人・神等の言葉によりてすでに説かれている。


 仏陀や聖者・聖人・神等は、『多くの人の利のため、多くの人の幸福のため、世の人々の憐れみのため、天神と人との利益のため、利のため、幸福のために』教えを説かれている。

 要するに、悪趣に赴く者が悪趣に赴かないようにという教えでもある。

 しかし、悪魔や畜生霊・悪霊や悪しき魔術者・愚かな魔術者等の悪しき存在は、そうではない。

 悪しき存在は、仏陀や聖者・聖人・神から衆生を遠ざけ、破滅へと赴かせる。


 破滅へと進んでいる者は、悪しき存在によりて、邪道へと導かれて仏陀や聖者・聖人・神から遠ざかり、真理を恐れる。

 破滅へと進んでいる者は、仏陀や聖者・聖人・神から遠ざかり、真理の教えを恐れる。


 真理の教えを恐れる者が、善趣に赴くものだろうか。


 多くの衆生は、真理の教えによりて、正道を進み、善趣に赴く。

 真理の教えを恐れる者は、正道を進めずに、他人どころか、自らが善趣に赴くことからも遠い。


『罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない。

 パドゥマ地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、荷車につんだ胡麻の数ほどあると、諸々の智者は計算した。すなわちそれは五千兆年とさらに一千万の千二百倍の年である。

 ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど長く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。それ故に、人は清く、温良で、立派な美徳をめざして、常に言葉と心を慎むべきである。』






H28年11月23日

 先日の『いい曲等』の書き込みより

『・アーノルドボーヤ  昔、小さい頃見てた。面白かった。マイケルジャクソンも歌(日本語アワー)で何か言ってる風なんだろうかな、と思いつつ、マイケルジャクソンの歌の動画を見てて、思いだした。 海外のレディー・ガガとか、日本語(日本語アワー)風で聞こえてたけどね。We Are The Worldの2作目(We Are The World 25 For Hait)の曲はひどくショックだったな。たしかめるのに、もう一度聞いてみようか、と。
 We Are The Worldの1作目は昔、中学校の時に、音楽の授業で聞いた記憶がある。寄付のためにマイケルジャクソンが他の歌手を招集して歌った曲のはず。そういうのは、とても善い事だと思う。We Are The Worldの2作目の曲を聞いたときはショックだったけど。
 歌っている人たちは純粋に歌っているのかもしれないが、日本語を理解して悪行をしている作り手・作らせ手に偽善がある。偽善というか、邪悪が混ざってるという、この矛盾。

 善行をするのであれば、純粋(な心)でするのが善い。というのは、普通。
(真理における善行は、偽善や邪悪が混ざらない、というのは普通。)

 他の人のために、純粋に寄付のために歌っている歌手の人等の、その行いは、とても善い行いだと思う。

『wikiより
「ウィ・アー・ザ・ワールド」(We Are The World)は、1985年にアメリカで発売された歌で、著名なアーティストが「USAフォー・アフリカ」として集結して完成させた。リメイクされた『ウィ・アー・ザ・ワールド:25 フォー・ハイチ』についてもこの項目について解説する。

概要 ハリー・ベラフォンテの構想をもとに、イギリスで活躍するミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイド(イギリスとアイルランドのロック/ポップス界のスーパースターが集まって結成されたチャリティー・プロジェクト)の成功に触発されて、アフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングである。作詞・作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作で行い、プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当した。』   H28.11.19』


 別に、全員が偽善であると言っているのではなく、「日本語を理解して悪行をしている作り手・作らせ手に偽善と邪悪が混ざってる」ということです。

 人としては、はずかしい行いです。

 他の人のために、純粋に寄付のために歌っている歌手の人等ははじいるところではないが、他で偽善と邪悪が混ざっているのではずかしいところだろうと思うが、

 他の人のために、純粋に寄付のために歌っている歌手の人等の、その行いは、とても善い行いだと思う。

 テロ側の存在(信者・他等)は、そのように、善行に偽善と邪悪を混ぜて行なっている所も多々見られる。


 偽善と邪悪は、聖者方から遠い。

 悪魔や畜生霊・悪霊や悪しき魔術者・愚かな魔術者等の悪しき存在は、仏陀や聖者・聖人・神から遥かに遠いところを右往左往している。


 衆生を仏陀や聖者・聖人・神の善趣に導くのではなく、段々と遠ざかっているという。

 しかも、その遠ざかるのが、半端でないほどに早いという。

 高速で離れていく。

 善趣の道を外れて(または、外されて)、高速で悪趣への道を突き進むというのは、いろいろと間違っていると思うよ。

 いや、あえてはっきりと言うてあげるとするならば「いろいろと間違っているよ」。

 しかも、もう10年位か10年以上も間違い続けているけれども。

 10年位も愚行・邪行を行い、人として間違い続けたならば、自らが、仏陀や聖者・聖人・神の善趣の道にいないというのも、さすがに自らでも理解できよう。


 テロ側の存在が、自他共に認められる悪趣への道を進んでいる者達だというのが理解される、と。

 テロ側の存在の多くが、真理として、悪趣や地獄へと堕ちるだろうというのが、自他共に理解される、と。


『聖書の、「ハルマゲドン」の説明より、
 ハルマゲドンとは、ヨハネの黙示録16:16によれば、悪魔が神に敵対して、最後の決戦をいどむために全世界の王を集める場所。ヘブライ語を音訳したギリシア語。メギドが歴史上よく知られた古戦場であったために、終末の決戦場を象徴する名として選ばれたものであろう。』

 テロ側の者達がぴったりと当てはまっているのではないのか、と思う。

「悪魔が最後の決戦をいどむために、全世界の王を集める」と。紛れもなく、テロ側は本物の悪魔が付いているのも確実で、全世界の王のような者もいる、さらに、「悪魔が神に敵対して、最後の決戦をいどむために」というのは、神は、仏陀・善の側におり、また、仏陀は般涅槃されているので、「悪魔は神に敵対して最後の決戦をいどむ」と、最後の決戦というのも、真理に対して敵対し、真理から遠ざけようとするが、仏陀の教えは最上であるので、悪魔は勝つことができない。

 これから後、仏陀の教えよりも最上の教えというものが世に出るということもありえないだろうから、最後とも言われる、と。

(本州の修験道で有名どころの山の神霊のお告げでの「人々大勢がフルイにかかっている」というのも当てはまっている。
 日本の修験道というのは、ユダヤ教と類似点が多い、ともされるが詳細はしらないが、説明を見聞きしたところでは、たしかに似ている。
 神霊も譬えば、同じ神霊でもその地域によりても、または、地域によらずとも、神霊自体が、そもそも呼び名が多くあるというのもよくある話。例えば、天帝も複数の呼び名がある。 神霊がどこどこの地域限定であるということもなく、このHPが地球の裏側でも読むことが出来るように、神霊もまた、地球の裏側にいても念じることはできるだろう。そのように、偉大な聖者・偉大な神という存在は、地球という小さな惑星上では、別に地域に限定されるわけでもない、と。)

 仏陀の教えよりも他に、「最上の教え(真理)はこれです」と言う人がいるのであれば、私もその教えを聞き知りたいと思う。
 そのように「最上の教え(真理)はこれです」と言う人にたいしては、できるかぎりで、その教えについても、仏陀の教えで理解しやすく説き明かしてあげようとも思う。

 日本で言えば、神道でも、大乗仏教でも、道理を知らず、単に盲信して、さまざまに如来や神を出現させて信仰をしている人も多くいるが、仏陀の教えは、盲目な信仰とはならず、仏陀はきちんと理を説き明かされる。


『・法は、世尊によりて善く説かれた。

 ・法は、自らで見るべきもの・現に自らで証せられるものであり、

 ・時をへだてずして果報あるものであり、

 ・真に善であるから”来たりて見よ”と招くべきものであり、

 ・法は、実践した者を涅槃に導くものであり、

 ・智者がそれぞれ自らで知り、自覚するべきものである。』



 このように、『法は、自らで見るべきもの・現に自らで証せられるものである』と。


 仏陀の教えを理解できない人は、最上の教えというのが、理解できない人もいるだろうけれども、清浄心と善心をもちて修学すれば、仏陀の教えが最上の教えであるというのは、自ら理解できて、他の聖者・聖人の善の言葉・善の教えも理解できるようになるだろう。


 しかし、たとえ、このハルマゲドンが当てはまってても当てはまらなくても、10年位も本物の悪魔と共に悪魔(の仲間)達として邪行を行じているくらいだから、どちらにせよ、

『10年位も愚行・邪行を行い、人として間違い続けたならば、自らが、仏陀や聖者・聖人・神の善趣の道にいないというのも、さすがに自らでも理解できよう。』






H28年11月29日

 本日も、メールはきていないけれども、どういった言い訳で、テロ信者達は連絡をしてこないのだろうか。

 メールが届かないのだろうかな。私の許可無く勝手にメールがこないようになっているのだろうか。


 公共のCMで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしているテロ信者達は、世における危険な者達です。

 新興宗教と同等くらいに危険か、それ以上か、それ以下か。

 テロ信者達の行いは、悪趣に赴く邪行です。



 いや、ここは(↑)爆笑をするポイントではなく、真実にそうだ、と。

 真理・法においても、テロ信者達の多くが悪趣に赴くというのは”どう考えてもそうだな”と納得も容易なところである。



  


H28年12月1日


問い

 公共のCMで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしている者達は、

善行者であるのか、悪行者であるのか。


 正答は、善行者ではなく、悪行者である。



 公共のCMで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしている盲信の信者達は、

賢い者であるのか、愚かな者であるのか。


 正答は、賢い者ではなく、愚かな者である。



 公共のCMで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしている盲信の信者達は、

良識のある者であるのか、良識が欠如している者であるのか。


 正答は、良識のある者ではなく、良識が欠如している者である。



 公共のCMで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしている盲信の信者達は、

性格の善い人と言われるものであるだろうか、性格の悪い人と言われるものであるだろうか。


 正答は、性格の善性の者ではなく、性格の悪性の者と言われる。



 公共のCMで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしている盲信の信者達は、

智慧ある者であるだろうか、無知な者であるだろうか。


 正答は、智慧ある者ではなく、無知な者である。



 公共のCMで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしている盲信の信者達は、

善趣に赴く者であるだろうか、悪趣に赴く者であるだろうか。


 正答は、善趣に赴く者ではなく、悪趣に赴く者である。



 理法における正答は、このようにしてある。



 テロ信者達の依りどころとする悪行をしている能力者も、表面の粗雑な感情や思想を読む能力と、感情及び思念の多少の誘導をする力を悪用してはいるが、

善趣に導く力はなく、悪趣に導かれている。そして、自らだけでなく、他の大勢をも悪趣へと導いている。



 果たして、公共のCMで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしている盲信の信者達は、

聖者方に、善なる者として説かれるだろうか、悪しき者として説かれるだろうか。


 正答は、善なる者として説かれることはなく、悪しき者として説かれる。




 例えば、交渉術が得意で、会話の内容によりたくみに人の感情や思念を読み、人を欺く詐欺士がいるとする。

 この交渉術が得意で、会話の内容によりたくみに人の感情や思念を読み、人を欺く詐欺士は、善行者であるのか、悪行者であるのか。


 正答は、善行者として説かれることはなく、悪行者として説かれる。



 また、交渉術が得意で、会話の内容によりたくみに人の感情や思念を読み、人を欺く詐欺士は、善趣に赴く者であるだろうか、悪趣に赴く者であるだろうか。


 正答は、善趣に赴く者として説かれることはなく、悪趣に赴く者として説かれる。




 理法における正答は、このようにしてある。



(テロ信者達の依りどころとする悪行をしている能力者は、会話の内容によりて表面の粗雑な感情や思想を読む能力と、感情及び思念の多少の誘導をする力を悪用しているというのではなく、直接読んでいるが、どちらにせよ、私、仏陀の弟子を悪者にせんとして、結局は人々を欺くための詐欺行為に能力を用いている。同様の邪行を昔から繰り返している。

 要するに、テロの集いに、そのような悪しき能力者が一緒に悪行をしているので、善なる人々・聖者側にいる人は、注意をするべし。

 私は、昔から狙われていたようだが、どうやら仏陀の理法を世に出すというので、昔からそのように見られていたのかなという感じらしくもあり、しかし、能力者は、その仏陀の理法がどのようであるのかは、自らではわからないので、理法が出るのを待っていたというような感じらしい、いままでのを見ていた感じでは。しかし、善性の能力者に関してはそうであるが、現在ストーカー等の邪行を繰り返し行なっているテロの悪しき者能力者等は、仏陀の弟子を亡き者にしようと邪行を重ねていて、そのような善性の能力者とはまったく異なる。

しかし、理法を出待ちの能力者も、いざ、理法を説いたならば、意味が理解できないという状態もありつつで、そして、テロの能力者たちの洗脳により暗闇に導かれ、畜生明になびく者も多い、と。

 テロの悪行者に関しては、教えにあるとおり、法をぜんぜん理解することがない。そして、そのテロの能力者は邪見をもち、初禅もまったくできるような状態でもなく、本物の悪魔の側に付き随い、地獄に堕ちる者の側として、畜生明の呪術を行なってしまっているという状況。
 テロの能力者達自体が、悪魔に憑かれているような状態で、邪行を行じているので、ぜんぜんものすご~く遠く、こちらの聖者側から離れている。
 中学生、高校生でも理解するだろうという事柄を何度も何度も何度も何度も説明しても、理解しない・理解することができない。


 経典を単に翻訳するだけなら、専門家でもできるだろうが、しかし、その翻訳をされた経典があっても、多くの人が内容が理解できずに他・大乗の教え等に迷走する。
 翻訳をそのまま写し書きするのであれば、小学生でもできることであるが、これは、テロの者達・テロの盲目な信者達や能力者等は、翻訳の経典を記すだけだろう、と無知にして思っている者いるようなので記しているが、その原始経典によりて記されている教えにおいても、テロ側の邪行者達はもうすでに、まったく初禅をできるような状態にもなく、この時点でもすでに、テロ側の悪行者達は理法を説いたとしても、机上の空論しか解けないというのが明白である。
 しかもそれでいて、私の記した理法等を盗む等としても、操っているだとか、憑かれているだとか、数年間愚かな事柄を言って騒いでいるが、理法を盗むという悪行は、とても重い悪業であり、さらにその重い悪業の倍であるという仏陀の教えでもあるので、そのような無知で愚かな行いはしないのが善いだろう。
 そもそも盗もうという邪見からして正道から外れているし、そのように正道にいない者が誰をどこに導けるというのだろうか。

 そして、テロの者達は、今日も悪行を繰り返しているが、もう本当に、だいぶ聖者方から遠くに離れている。
私が忠告すると、冗談っぽく見えるのか、知らないが、すでに冗談で済むようなほどでもない。


いわゆる、)

『多くの衆生は、真理の教えによりて、正道を進み、善趣に赴く。

 真理の教えを恐れる者は、正道を進めずに、他人どころか、自らが善趣に赴くことからも遠い。



仏陀はこのように説かれた、

「罪を犯した人が身に受ける(この)地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない。

 パドゥマ地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、荷車につんだ胡麻の数ほどあると、諸々の智者は計算した。すなわちそれは五千兆年とさらに一千万の千二百倍の年である。

 ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど長く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。それ故に、人は清く、温良で、立派な美徳をめざして、常に言葉と心を慎むべきである。」と』




 そして、私、對馬弘は、理法における正答として、悪行者として説かれることはなく、善行者として説かれる。

 また、悪趣に赴く者として説かれることはなく、善趣に赴く者として説かれる。


 私は、真理の教えによりて、正道を進み、善趣に赴く。

 そして、真理の教えによりて、人々を、善趣に導く。


 仏陀の弟子として、普通の善行を行じる。



 犯罪行為をしている盲信の信者達は、聖者方・最上の救護者という依りどころが得られずに、悪行者(・魔術者・悪しき能力者)に依るしか道が見えずに、一緒に悪行を行じて、そして、悪名を返上せんとばかりに、仏陀の弟子を悪者にせんとして、いろいろ邪行を繰り返しているが、真理としても、もうどちらが邪行をしている者であるのかというのも明々白々であり、天上でも地獄でも犯罪行為をしている盲信の信者達のその邪行の悪業は悪しき者・愚かな者の邪業として確定していることであって、どうあがこうともその真実・真理はくつがえる事はありえない。

 そのようにして、犯罪行為をしている盲信の信者達は、正道におらずに、邪道を歩いている。



 邪道を歩く者は悪趣・地獄に堕ちる。



 邪道を歩く愚かな者は悪趣・地獄に堕ち、輪廻において、再び現在のように人としての生存を受けることは、盲目の亀の譬えのごとく、ほとんど不可能だろうと言われるほどである。

 しかも、仏陀の弟子を亡き者にしようとしていたので、悪業はさらに重くのしかかる。




「邪道を歩く愚かな者は悪趣・地獄に堕ち、輪廻において、再び現在のように人としての生存を受けることは、盲目の亀の譬えのごとく、ほとんど不可能だろうと言われるほどである」

言うならば、このように”再び現在のように人としての生存を受けることは、もう不可能だろう”という事柄を見て、この事柄を『最後』と表現して語る人もいるだろう。






H28年12月3日


国連にメールをした。きちんと届いただろうか。

届いたというメッセージの画面は出ている。
 Thank you for your interest in the United Nations. Your message has been received

日本の国会ででも、盲目なテロ信者達の発言が飛び交っているという状況の日本なので。


テロ企業のCM等のせいで、治安が悪化の一途をたどる日本。

阿部首相自身もガンにされるとか自分で言っているようでは、日本の防衛はすでになっていない。



では、メールが届かないようなので方法を考えていて、2ちゃんねるの掲示板をしようするか、と。


 2ちゃんねるでスレッド立てれた。

 ”心と宗教@2ch掲示板”の”原始佛教”というスレッド。

 スレッドが見えているうちに、聞きたいことがあればどうぞ。

 さあ、来なさい。



 真理としては、他の境涯において、すでにテロの悪行者達の悪業は確定していて、勝敗はすでに決している状態で、

 この現在世における、テロの盲目の信者の悪業は、続いているという状況。

 盲目の故に、現在世をのみ見ているのが彼等。


 テロ信者達のメディアのを見ていれば、イラつくや、腹立つや、あとは殺人にかんする発言ばかりで、

悪魔に憑かれているというのもわかるし、悪魔に導かれていてそのような愚かな行いをしているというのもわかる。


 私を怒らせようとしているのもあるみたいだが、先日、ブックオフに本を見に行ったときに、店員に一方的に悪口を言われて、その礼儀のない態度に非常にイラついた。

ん、いや、最近の出来事だけど。2店舗で言われた。そして、フランシスコ会の新約聖書があったので購入してきた。




 2ちゃんねるにスレッドを立てたのは、テロ信者達が憑かれているとかいろいろ騒いでいるのもあり、本人確認のためにもなる、とも思ったので。



よし、それでは、悪行をしているテロの能力者達が言い張るように、私、對馬が憑かれている、または、操られているというのであれば、

『               』

↑ここに、”テロの能力者達は聖者方に愚行者として説かれることはありません”という真理・真実としてありえない事柄を記させるがよろしい。

そうすれば、私が高畑さえの悪霊や他の悪霊や他の能力者に憑かれているとして認めてあげよう。

であれば、對馬公認でよろしい。


ただし、私に、パソコンできちんとキーを打たせて記さないと認可せず、また、ハッカー等によりて、他の人々の画面上に記されているかのように見せるのも認可せず。

明日一日いっぱいあればいいだろう。

明日中にやってみなさい。



テロの悪行の能力者も知れていて、そこまでの力は全然ないのも、

以前に説明しているとおりである。



そして、私に知られているくらいであれば、当然にして、聖者方や善なる神々にもすでに知れている、というそれもまた以前に記している通りである。



それよりも、自分達が、現状として、本当に”最後の審判”のような状況におかれているという、真理にはいまだに気づかないのだろうか。

その事柄の方が、あなた方にとりて、最も重要な事柄であるだろう。






H28年12月4日

 本日は、メールも来たらず。

 そして、2ちゃんねるのスレッドに書き込みはなし。

 テロ信者達が主義主張もなしに、テロ行為をしているとは、一体どういうことだ。

 これは、テロか。


 だから、テロだっていう話だが。

 2ちゃんねるのスレッドも、私のPCで2ちゃんねるを見ると、原始佛教としてきちんとスレッドが立っているけれども、

まだ書き込みはされていない。


 身体が勝手に↑に書き込みをしてしまった、というようなこともなく、以前に同様の事柄を記しているように、テロ側の能力者の感情の誘導等は、”何となくこちらがいい””こちらにしようかな”というような、感情の好みをある程度誘導するというようなもの。

 何々がしたいな、何々がしたくなったというような、そちらに仕向けるような感じ。

 だから、多重人格の人でもなければ、強制的にその行いを為させるというようなこともできない。

 また、その人の意思がかたければ、その人が絶対にしないというようなことは、為させることもできない。


 メディアの洗脳等も、まぁ、集中攻撃をして、精神的に弱らせて自殺等へ追い込もうという殺人犯罪行為だな。

 また、ガンにして殺すという殺人犯罪行為。




 盲目のテロ信者達・殺人犯達はそのようにして、聖者方・最上の救護者の弟子を亡き者にしようとして、盲目のテロ信者達はとても重い邪業を重ねている。



『邪道を歩く者は悪趣・地獄に堕ちる。



 邪道を歩く愚かな者は悪趣・地獄に堕ち、輪廻において、再び現在のように人としての生存を受けることは、盲目の亀の譬えのごとく、ほとんど不可能だろうと言われるほどである。

 しかも、仏陀の弟子を亡き者にしようとしていたので、悪業はさらに重くのしかかる』






もうちょっと説明してあげるとすると、

例えば、精神的に沈んでいる時は、物事をマイナス思考で捉える等、プラスではない想念を思う、自らでそう思う。その人の過去のトラウマや経験等にもより様々異なる。

 悪霊が障害をするときは、その人にマイナス思考を想起させる、その人が普段しないような思想の想起と、またさらに他に、心の動揺と、また、実際に鼓動上昇の伴う動揺と感情の生起、と鼓動上昇の伴わない動揺の感情の生起。そして、さらに、他人にもくっ憑いて嫌悪の思想、また、嫌悪の感情を抱かせ、対象者を害させる。(おもに対象者以外に長くくっ憑いてストーカーはしない。)他、そのような事柄に関する障害。

 悪霊・邪念に対する知識等がある人は、自らで邪念を排するので、盲信している何らかの信者のように、邪念・悪霊に捕らわれてしまうことはない。

が、悪霊・邪念に対する知識等がある人でも、仏陀の教えや、聖者聖人の清浄とを知らなければ、自らで邪念を排するという邪念の分別をする土台がないので、盲信している何らかの信者のように、邪念・悪霊に捕らわれてしまう。

 また、悪霊・邪念に対する知識等があり、聖人の清浄を知っている人でも、仏陀の教えの悪魔に対する教えや、四念処等を知らなければ、自らで邪念を排する土台はあるが、天使と悪魔の分別が難しい、または、善業と悪業の分別が難しい、または、分別に迷う・分別ができないので、盲信している何らかの信者のように、邪念・悪霊に捕らわれ難いが、悪魔に捕らわれて、終いに邪道へと導かれて、悪趣へと生じるに到る、と。
 大乗仏教の密教等は、これに近く、善趣と悪趣に領域を持っているという感じだが、仏陀や聖者方からは、遠い。

 多重人格の場合は、もう悪霊自身がその対象者の身体を盗っているので、悪霊自身の意思でどうにでもなるが、邪念・悪霊が究極的にその存在の生命を奪うというのは、いろいろな事柄により止めも入るのでそこまですることは難しい、と。






H28年12月5日

 本日は、プロフィールに自分の写真を上げておきました。

 写真を上げる気はとくになかったが、本人証明をするためにあげ。


 操っているだとか、そういう愚かな事柄を言っている犯罪者は誰だ、と。

 そのような愚かな事柄を言っているその悪しき者はテロの犯人です。

 その操っているだとか、愚かな事柄を言っている能力者は、100%間違いなく邪道を行く外道者であり、そして、現実にテロの犯罪者です。 



 自分の写真をあげれば、本人確認になるな、と、最近あらためて気づき、

 仏陀の教えが弘まるので有名になるのは願ったり叶なったりだが、私個人が表に顔を出すというのは、私個人が名をはせたいわけではないので、写真は選択肢になかったな。

 毎日テロの信者達が騒いでいたから、私の顔を知らないわけもないと思っていたのもあり、選択肢になかったな。


 盲目のテロの信者達が、邪行を重ね続ているその行いを数年間毎日のように見てきていることにより、”どう見ても悪趣にしか行かないだろう”という思いにより、どちらが善でどちらが悪であるのかとてもはっきりしていることにより、焦燥感等も生じないので、それほど気に止めていないというのもある。



「法の盗人は、悪業がとても重く、さらにその倍の悪業の報いを受ける」と忠告しても、なお邪行を重ねるというのは、もう、”悪業の果報はない”、もしくは”死後の世界の悪趣や地獄はない”と思って生きていくか、身体を捨てるそのときが来るまで思い出さないように、気にしないようにして人生を送るかだろう。その付き随う者達と共に。


 愚かな快楽を得るために、愚かなる者は、邪行を重ね、

 そして、いざ死に面したときに恐怖する。


 人間はいずれは死ぬという、苦をも見ないことにも依り。



『それよりも、自分達が、現状として、本当に”最後の審判”のような状況におかれているという、真理にはいまだに気づかないのだろうか。』と忠告されても、気づかない。

 私はきちんと忠告をした、というのに。


 ということにより、

 ヤマ王にあったときに、「忠告をする人は、お前にあらわれなかったのか」、と訊ねられたら、私のことを思い出すかもしれないが、

 まぁ、ヤマ王が直接、私の名前を出すかもしれないが。


 と、死後の世界があるという真理から言えば、邪道を進み、邪行を重ねる者達は、このような流れとなる。



 テロの信者達の邪行を受けて出る教えも、邪道(者)・悪行(者)についてに限定されることにより、たいして他の善なる人々のために利となることもなく。


 無益な時間。無駄に日記のデータ容量だけ増えていき、最近はこのページが重く反応が鈍くて、日記が記しにくい。


 すでにして、明々白々。



 それよりも、テロの犯罪者達を捕まえたほうが善いだろう。

 テロ信者達の、主にメディアの洗脳に依り、暴徒も増えている。


 テロ信者達も、すでに邪道を進んでしまっていることにより、「善を見て、私は改心した」と、こちらの聖者側に来るでしょ。そうしたら、こんどは、テロ側に対して「死ね」だの「殺せ」だの「殺す」だの、となる者もいる。


 洗脳されたテロ信者達は、根本的に、邪道からは抜けることは出来難く、悪趣へと進み、止まれない。






H28年12月7日

 私に力があるとか、力がないとか、テロの盲信信者達は、テロのどう見ても悪行のその畜生明と言われる力を力ありとして、仏陀の教えを長いこと説いている、その仏陀の弟子に力があるとか、力がないとか、いまだにやっている。

 テロの盲信信者達は、数年間、十年位経てもそのような状態。



 あとは、動画を見れば編集であるのかどうだか知らないが、ロシアのプーチンさんが、ちょこちょこ何らかを言いたげなアワーをしているように見えるが、私はロシアのプーチンさんを良い人であるのか、悪い人であるのか、知らない。

 突如として、そういうようなことをして絡まってこようとする意味もわからない。

 こちらからロシアのプーチンさんを見ている私の印象としては、狩猟を趣味にするというようなのはないけど、柔道の精神を見る限りでは、良い印象を受ける。

 また、名言を見れば、悪しき者に対する姿勢は正義感があるようにも見える。

 単なる嫌がらせであれば、性格は悪いだろうが、寒いだろうと、他の人に上着だったかマフラーだったかを貸してあげるとかいう、そういうような小さな優しさは良いと思う。

という私の印象。

 たまに、そのような映像等を見るくらいで、他は本当に知らない。

 動画も別に、動画サーフィンで、惑星衝突だとかのそういうような動画サーフェイン等。

 惑星ニビルが衝突しそうな問題等。

 宇宙人は、いるかいないか。

 宇宙人から見れば、地球人も宇宙人だから、まぁ、いるだろう。



 それよりも、地球の誕生してからの46億年だとかいうのが、間違っているんではなかろうか、と。

 200億年とかいう話もある。

 山があって海があって、ポールシフトで、海が山となり山が海となり、地表が削られ、そしてさらに、ポールシフトにより、山が海となり、海が山となる。たまに、隕石も降ってきたり、というようなことを繰り返してきたならば、地表から遥か昔の事柄は推測でき難い、と。

 そういう感じで。


 科学が進んで、ポールシフトや、隕石等の災害を考えたならば、人々が、宇宙または地底へと行くことを考えなくもない。
 そうした技術の進歩した人々が地底へと移住して、地底人として言われるようになった、とかいうストーリー。

 地球人は地底をうまく利用すれば、人々の活動領域は、広がるだろうが、技術が足らない。


 神秘家等で、そのような地下・地底世界を”シャンバラ”と呼ぶ人もいて、とてもすばらしい世界だとして言う人もいるが、”シャンバラ”という名称は、他聖典では、闇に関する世界を”シャンバラ”として、反対の説で呼ばれることもある。





H28年12月8日

赤馬はHPにのせてないから、知りたければ自分で本で確認しろ。

NHKのラジオ殺人テロ放送。PM23:25 675ch

悪しき者。

NHKのラジオは、完璧にテロだ。

NHKは、テロ放送をしているけど、テロを扇動して煽っているのも問題ありすぎだろう。


NHK
日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。日本の放送法に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する。

これが、完璧にテロ放送をしている。


 テロ放送をしているのに、国民から視聴料をとって、営業をしているという。

 国民から視聴料とっているのは、NHKというテロ放送をしている局だけという真実。



 あと、他では、更新しているのが、私對馬ではないとか、まぁ、しつこいな。

 高畑さえとかは、完璧に私の中でも”ない”し、その関連の者達も同様に”ない”と思っている。
”ある”ということは、道理としてもありえない。

 以前も記しているけれども、高畑さえの生霊なんだか、畜生なんだかの少女っぽい声をだす悪霊はこちらで悪さをし続けているので、その故に、私は、高畑さえを本人を犯人としてずっと見ている。

 その多重人格という障害を持っている子を信じているテロの信者達は、だいぶ盲目で暗闇をさ迷っている。しかも、だいぶ遠く離れている。
 その盲目のテロ信者・盲目のさえ信者達は、聖者方に導かれてはいない。



 NHKがまた、ガンとか言葉に入れてテロを扇動している。

 先ほども、どうどうと罵詈雑言・殺人の事柄を言っていたので、NHKは、間違いなくテロ放送局。

 PM24:23 675ch


 聞きたいことがあれば、2chのスレッドに書き込むがよい。大勢で見れるから。


 テロのさえ信者達や、にわ信者達も記せばよい。

 大勢で見れるから。



 テロ信者達が10年くらい愚行をして騒いでいるが、良識ある対応が、一度もない。

 直接、話を訊ねに来たことすら一度もないという、テロ信者達。



 悪しき者は、光に来ない。

 悪しき者は、光に来れない、と。


 テロ信者達が10年くらい愚行をして騒いでいるが、一度も、接触をして話をしないというのも、すごいよな。

 10年だよ。

 10年間、盲目・邪見で、無実の仏陀の弟子に嫌がらせをして殺そうとしているという、ものすごい悪業。

 すでに、その悪業も量りがたい程積んでいる。


 ということを、記しててあきれた笑いも出たほど。


 さえ信者とか、にわ信者が、仏陀の弟子を亡き者にして、仏陀の教えは、じつは、私が、私達が記していたのです、というような計画でもあったので、一度も接触をしないようにしてたとかだろうか。

 最初の頃からずっと、やってるからね。

 書かせているとかいう妄言を言って騒いでいるのも。



 10年間、盲目・邪見で、無実の仏陀の弟子に嫌がらせをして、公共のCM等メディアで、慚愧無く「死ね」だとか「殺す」だとか「殺せ」だとかの、犯罪行為をしているのに、自分達が良識を持っていると思っているんだよ。

 テロのさえ信者達や、にわ信者達は。





H28年12月9日

 テロ信者でない人は、赤馬はそれほど気にしなくてもいいですよ。

 テロの者達は、悪行、犯罪をしているから、光に照らされたくない、と。





H28年12月11日

 イエズスの言葉を追記



  愛(新訳による)

『悪を行なっている者はみな光を憎む。

 そして、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光に来ようとはしない。


 しかし、真理を行なっている者は光に来る』





 私がイエズスと同様の事柄を言う。

 それは、何故であるのか。

 仏陀の弟子として、真理を語るからである。


 真理を見て真理を語っているならば、当然である、と。


 真理を見る者は、仏陀を見る。

 仏陀を見る者は、真理を見る。


 仏陀の弟子として、世の父が語られる言葉も、”このように語るであろう”というのもおおよそ推測もできる。

”まさか、そんな。”と思うかもしれないが、

 仏陀の弟子であれば、普通だろうとも思う。


 それは、何故であるのか。


『真理を見る者は、仏陀を見る。

 仏陀を見る者は、真理を見る。』

 このゆえである。





H28年12月12日

 PM19:33

 FMイルカのみなかた ロープウェイで作業員が亡くなったのを人のせいにするな。

 おまえが言っている事柄は殺人だ。

 疑問があれば、掲示板に書け。



 話を聞いてれば、本当の殺人犯達。


 殺人犯は逮捕した方が善い。






H28年12月13日


イエズスはこのように言った、

『神はその独り子を与え給うたほどに、この世を愛し給うた。

 それは御子(独り子)を信じる者が、みな滅びないで、永遠の命を持つためである。』


『信じない者は、すでに裁かれている。

 なぜなら、神の独り息子の御名を信じることをしないからである。

 その裁きというのは、光がこの世に来ているのに、人びとはその行いが悪いために、光よりも暗闇の方を愛したことである』


 これは、伝説の話ではなくて、現在起こっている事柄である。


『悪を行なっている者はみな光を憎む。

 そして、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光に来ようとはしない。


 しかし、真理を行なっている者は光に来る』



『すでに裁かれている。』という、

 このとても重い言葉の意味がわからないだろうか。



 果して、

 この言葉から察するに、『すでに裁かれている』と言われる暗闇の方を愛したという者は、

 善なる人として、善趣に赴く譬えがあてはまるのだろうか、

 または、悪しき者・愚かなる者として盲目の亀の譬えがあてはまるのだろうか。



 正答は、善なる人として、善趣に赴くという譬えがあてはまることはない。



 一体どれほどの邪行をしてきて、『すでに裁かれている』と言われるほどの対象者としてあてはまった者となったのか。


 まさか、一度や二度ならず、何度も何度も、数年間も邪行を繰り返してきたとか、

 まさか、聖者の弟子を亡き者にしようとしたとか。


 善なる人が、そんな悪しき行いをするだろうか。

 また、良識ある人が、そんな愚かな行いをするだろうか。


 正答は、そんな悪しき行い・愚かな行いはしない。






 バラモンでも、王族でも、裕福な暮らしをしていても、裏では邪行を繰り返していたならば、そのような者は、その人としての生存を終えたときには地獄に生じる。


 同様にして、現象の生存では裕福な暮らしをしてもいたが、裏では邪行を繰り返し行う、そのような者は、その人としての生存を終えたときには地獄に生じるだろうとして、「すでに裁かれている」と言われる。


 そのような者からは、善なる存在もすでに離れ去っているだろうから、
 更に、邪道を堕ちていくだろうと思われる。


 また、

 不善なる人は誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解しない。

 善なる人は誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解する。


『すでに裁かれている』と言われる対象者としてあてはまっている者(テロの悪行者達等)は、

 誰が善なる人であり、誰が不善なる人であるかを理解しない。このことにより、

 自らで善を選び進むことも難しい。


 そしてまた、さらに

『そのような者からは、善なる存在もすでに離れ去っているだろうから、
 更に、邪道を堕ちていくだろうと思われる。』


 そして、『これは、伝説の話ではなくて、現在起こっている事柄である。』




 果して、

 彼らが、聖者・聖人の真理の言葉を、悪しき者・愚かな者として受けるのは何故なのか。


 それは、自らが為した悪業の結果なのです。











 私が、本物だとか、偽者だとか、騒ぐ者もいるようだが、

 私は、仏陀(聖者)の弟子として本物です。


 上記に記している事柄も、良識をもちて見てきたならば、容易に納得できる事柄だろう。





H28年12月14日

 良い知らせがあった。

 昨日。

 御目出諦。


 本日は、


 仏陀・聖者の教え

  足ることを知る、ということについて (阿羅伽という最上の聖者の方々の清浄心)







H28年12月18日


〔12月19日ラジオNHK第二放送1467ch、AM0;34頃の放送も完璧にテロ。
そこまで悪しきテロ放送を流しているというのも、とても愚かな行いである。


今日は、アップル(apple)のクリスマスツリーの出ているCMでもテロCMをしていた。

ニッサン自動車(NISSAN)も昨日(17日)殺人に関する酷く悪しきCMをしていた。

ここは、記す場所ではないが、記してみたりする。


最近、函館のCMがひどいテロ企業の殺人関連の暴言を吐いたのが、さらに多い様子。


いや、直している途中なので、あとから、日記に写すよ。


もう、テロ企業やテロの盲信者達が、心理的にも通常とは異なる(おおよそ誰が見ても酷い愚行な)ので、
多くの人は、あまり強く気にしていない感じだな。



失敗(テロ企業でいえば、悪行)をしても注意すらされないというのは「もう終わっている」と、昔、仕事の人に教えてもらったことがある。いや、本当に。



テロ企業は、本当に殺人の発言を流しているからね。

どういう話からそういうもうほぼ悪趣に堕ちるだろうという話まで行っているのだろうか。

途中経過がどうしてそういう愚かな企業となって行っているのか、と。



あ~、イエズスの悪しき者に真聖なものをあたえてはならないというのかな。

別に、悪しき者と犬とをかけてあえて記しているつもりはまったくない。

ぱっと気づいているのをそのまま記している。

いや、ラジオでそこを気にしているっぽい即興なんだか歌がかかっていたので。



イエズスの教えにおいても、テロの盲信者達は、ないよ。

イエズスの言葉は、たまたまその言葉が記されたとして捉えない方が善い。



イエズス自身は、善なる人として、当然、ある。

イエズスも自心で「私は”ある”」と言っているとおりである。

イエズスがこちらの聖者側・善なる存在の側にいるというのも、普通。


冗談なんかではなくて、私が本気で忠告してあげているのに、テロ側の盲信者達は、その忠告の言葉を聞かない。



「すでに、裁かれている」という言葉も出ていて、しかも、テロ側の盲信者達は、ぴったり当てはまっている。



そして、光に来ない。



テロ側の存在から見たら、私がテロ側の悪行者達に嫌がらせ等を受けたこと、お尻やら、胃やらをやられたのが、裁かれているという解釈になるらしいが、

そういう、現実的に悪行者から、悪行を受けたことを意味して「裁かれた」とかは、普通言うわけもないだろうに。

どういう解釈で、そういう自分達の悪行を棚にあげて、悪行から天の裁きっぽい解釈にしようとなるのか。



ゲームだとか言っているから、悪業を重ね重ね積み、終いに悪趣に堕ちる、と。

「どちらがゲームになっているんだか」という事柄を、昔記しているが、

テロの悪行を見て、理解してその言葉を記しているのであって、デタラメに記しているわけでもないよ。



昔、当初からテロ側の悪行者達は、悪魔・悪霊と一緒になって悪行をしているので、もうすでにわかりきっている事柄。

神のゲーム(に、もしなっていたとしても、)

別に私對馬は加わってはいないよ。




テロ側のよりどころはすでに、聖者方になく、イエズスにもなく、テロの悪行の能力者等に依りどころが得られる、という状況。

故に、テロ側の悪行信者達は、完璧に、悪魔に対抗することはできません、と。






いや、ちょっと長くなったので、もう日記に写そうかな、と。〕

(縁のところに記していたのを写し)



 テロ側の盲信者達や、テロの悪行をしている能力者は、記している内容、仏陀の教えがどれほどに最上であるのかというのを、意味がわからない、理解できないがゆえに、その教えを説くのに、イエズスの教えも加わるというのが理解できない、というのででも理解できない、と。



 教えの内容を見たら理解できるだろうに。とも思うけれども、意味がわからない、意味もわからない、と。


 仏陀が教えでもそのよう説かれているのだから、意味がわからない、というのも当然だろう。

 どうしてだろう、というその道理も、すでに説明して記している。





H28年12月21日

 天の裁きではないが、キリスト教で言えば、使途たちがひどい迫害を受けて亡くなった人もいる。

 私は使途とか預言者ではないが、その人たちの気持ちは、私なりにとても理解できる。

 本当に悪魔が絡んでいるからね。

 まさか、そういう現実の社会から距離がある話が実際にあろうとは、昔は考えてなかったな。

 心霊は信じていたけれども。


 聖者・聖人方もすごいし、イエズスもすごいよ。





H28年12月24日

 本日は、

《地獄に堕ちた者の出生と生存の教え》のところを綺麗に修正をしていて、さらっと記した事柄(から)だが、
 これは内容が通じるだろうか、と思い、とりあえず、

 果たして、あなたは、この私のこの識に関しての譬えの内容が理解できるだろうか。


 とりあえず、さらっと譬えを記してみた。というところから始まって、その後に論を記したところ長めの説明となった。



(地獄に堕ちた者の出生と生存より)

 地獄というところは存在するのだろうか。

 地獄というところ。

 果たして、そのようなところに赴く、又は、そのようなところへ忽然として生じるというようなことがあるのだろうか。

(現象において凡夫が一応の感じをつかむために想起をするに、例えば、前述の夢も参照。)
 夢の中において実体(物質)の身体がそこにないにも関わらず、その中において、自ら動き、喜び、楽しみ、泣き、笑い、恐怖する等の、苦・楽・不苦不楽を感じる。

 そのように、種々の感受を受けているのにも関わらず、実体(物質)としての身体は、横臥している、と。



 唯識論が唯脳論かという疑問も出そうな話でもあるが、

 唯物論か唯識論かの結論から言えば、唯物論や唯脳論は、実体の色・形のない無色界の存在に適用されない。

 もし、そこで、識・精神を唯物と言うのであれば、それは唯識論となるだろう。

『譬えば、超高性能のロボットの人形に、おじいさんが入って操縦をして、そして、ロボットとして子供たちと遊んでいるとする。
 そのように、遊んでいたところ、突然、ロボットの中央演算処理装置が壊れて動かせなくなり、そのロボットは地面に横になって倒れた。

 そして、倒れたままになっているロボットを見ている園児たちは、”ロボットが壊れてしまった”と思っている。

 そして、ロボットの中のアルバイトのおじいさんは、腰を強打して、中で「うっ・・」と言って、一人でロボットの中で痛くてうごめいていた。

 その後、その中のおじいさんは、腰の痛みがおさまってきたので、ロボットの背中から抜け出して早足で去って行った。


〔また、このロボットとおじいさんの譬えは、常見として譬えられる。〕 』


 という譬えで言えば、ロボットが動いているという人から見れば、そのロボットは唯物(論)であり、
 ”ロボットを操縦しているのはおじいさんだ”と知っている人から見て、そのロボットについて言えば、(おじいさんの)唯識(論)となる、と。

 これらのうちで苦・楽・不苦不楽を感じるのは、誰か。

 ロボットだろうか。ロボットが苦・楽・不苦不楽を感じるのだろうか。

 それとも、ロボットが倒れたときに、腰を痛めたおじいさんが苦・楽・不苦不楽を感じるのだろうか。


 ロボットは、プログラミングの判断で痛いと判断されれば痛いと表現して、痛くないと判断・プログラミングされれば痛くないという表現をする。
 腰を痛めたおじいさんは、ロボット(原子、または、素粒子)のプログラミング表現等は関係なく、ガッツリと痛いのである。と。
 そして、おじいさんは、腰の治療という楽を求めて、早足で去って行った、と。




 物質としての身体がありても、そこにその名色もなければ、苦・楽・不苦不楽の識別は生起しない。

 例えば、脳みそと眼という器官がありて、その対象がありても、眼の所縁の識別が無ければ、色形が見えない。
 認識できない。色形が識別できない。美しいものと美しくないものとの区別が見えない。
 唯物がありても、識別作用がなければ、その美しいものを見て、楽を感受し、また、美しくないものを見て、苦を感受することもない。不苦不楽も同様である。

 脳みそと耳という器官がありて、その対象がありても、耳の所縁の識別が無ければ、音声が聞えない。認識できない。音声が識別できない。心地良い音楽とうるさい音楽との区別が見えない。
 唯物がありても、識別作用がなければ、心地良い音楽を聞いて、楽を感受し、また、うるさい音楽を聞いて、苦を感受することもない。不苦不楽も同様である。
 
 脳みそと鼻という器官がありて、その対象がありても、鼻の所縁の識別が無ければ、香が匂わない。認識できない。香が識別できない。心地良い香と不快な香との区別が嗅がれない。
 唯物がありても、識別作用がなければ、心地良い香を嗅いで、楽を感受し、また、不快な香を嗅いで、苦を感受することもない。不苦不楽も同様である。

 このようにして、舌、身、意もまた同様である。

 脳みそと身体がありて、その対象がありても、身の所縁の識別が無ければ、触感がない。認識できない。触感が識別できない。心地良い触感と痛い触感との区別が触感されない。

 手や足等身体による触感の識別がなく、眼をつむっていて、他の器官の識別もされなければ、そこに何物があるのか、手で実際に触っても認識ができない。
 唯物がありても、識別作用がなければ、心地良い触感に触れて、楽を感受し、また、痛い触感に触れて、苦を感受することもない。不苦不楽も同様である。


 そのように、眼により、耳により、鼻により、舌により、身により、意によりての識別がなければ、

 そこに何物かが有るのか、無いのかもわからず、その故に、その色形もわからず、名前すらもわからない。


 また、例えば、道があり、眼が悪い人には、その道は見えず、識別されない。

 その故に、そこに道が有るのか、無いのかもわからず、そして、その色もわからない故に、その名すらもつけられない。

 そのように、唯物の器官の作用と対象がありても、その対象の識別作用がなければ、認識されない。


 また、そこにその対象の名色も認識・識別されないのであれば、そこに苦・楽・不苦不楽の感受もない。

(見るために、そこに有る、または、無い、として眼による識別がされないということに、イラだち、そこに苦・楽・不苦不楽を 感受するような場合は、意による識別となる。)

 そのように、唯物の作用だけでは、見えず、聞えず、匂わず、味なく、痛みなく、識られず、この世界(三界)は成立せず、と。

 このように、唯物による作用論は否定され、唯識(識の結生)による分別作用論は肯定される。

 また、その識の識別作用もまた、唯物による作用だ、とするのであれば、それは、識が必要不可欠であり、識も唯物の作用として入れなければ、成立されない、とするのであれば、やはり、唯物ではなく、唯識ということにもなる、と。

 なぜならば、

 そこに物質作用が無くても、識別があれば、名色は生起する。

 例えば、レモンを想像してみる。

 その想像上のレモンを、かじってみる。

 なんと、すっぱいことだろう。として唾液が出ることもあるだろう。

 その想像しているレモンは、物質を想像しているが、

 そのレモンを想像して識るのに、眼という器官の作用・耳・鼻・舌・身の器官の作用は用いられておらず、また、実際にそのレモンは想像によるものであり、物質でもない。

 そのように、物質が実際にそこに無くても、きちんと認識・識別されているのである。

 これは、レモンである、と。

 これは、意による識別である。

 そのように、唯物の器官の作用と対象がなくても、その対象の識別作用があれば、認識・識別がなされる。

 この故にも、唯物は否定される。


 そして、先に記しているように、唯物論か唯識論かの結論から言えば、唯物論や唯脳論は、実体の色・形のない無色界の存在に適用されない。

 この故にも、唯物は否定される。


 そして、

 理を説けば、おじいさんを原子や素粒子、またはその集合体の作用であるとしても、その集合体のおじいさんに、識があり、識別があり、そして、その識によりて生起する、貪(淫)・瞋恚・愚癡の、これらの無明・煩悩に縁りて、次の有・識の結生(生存としての出生)がまた生起するのである、と。





 そして、その後、腰を痛めたおじいさんは、”腰に麻酔を打ち、この痛みを麻痺させて楽を得よう”とも考えたが、
 やめて、早足で、おばあさんの元へ帰り、腰にシップを貼ってもらいました、と。

 また、昔、山で遭遇した未確認飛行物体(UFO)と、そのUFOに乗っていた宇宙人との接触による精神的な病も、おばあさんの看病のすえ、すでに治っていたのでした、と。




(そしてまた、)

 そのように、”腰に麻酔を打ちて、この痛みを麻痺させて楽を得よう”というのは、身体の痛みの認識・識別作用を作用させなくさせるということであり、脳があり、身体があり、痛んでいる腰の部分があり、その識別作用による痛みの識別の麻痺。
 身体がありても、触がありても、痛み・触感が認識・識別がされなければ、腰が痛い・触感ということはわからず、識られない。

そこからまた、考えてみると、

 脳があり、眼がありて、対象の色がありても、眼識に認識・識別がされなければ、あるということはわからず、識られない。

 身体がありて、対象の触れられる物がありても、身識に認識・識別がされなければ、あるということはわからず、識られない。
 他、耳、鼻、舌、意も同様である。

 その故に、この世界(三界)は成立せず。

 この故に、唯物は否定される。』と。




 どうだろうか。

 あなたは、この譬えからの唯物との識論に関して、解かれる内容は理解できただろうか。





H28年12月25日(2016年)

 本日は、

 悪しき者達は、

『光に来ない』という意味も理解できていない。


 CM等メディアで、「死ね」とか「殺す」とか、私の名前を出して、殺人宣言をしている事柄を、

 トヨタ自動車グループ(TOYOTA)、ニッサン自動車(NISSAN)、大正製薬、等のテロ放送を流しているテロ活動企業は、

 そのように、公で、慚愧なく、テロ活動をしているから、

 その悪行によりて、「光にきている」という認識になっているのだろうか。





 このページが重くて、一度の文字打つのに、3,4秒の待ち。



 テロ側の存在が、衆生を暴徒へと導いている。

 テロ活動企業の代表者名は、誰だ。

 その者は、悪しき行いの者で間違いがない。



 重いな~。何でこうおもくなるんだろうかな。



 そういえば、昨日音楽を聞いて作業をしていたが、エトピリカを聞いていて、あらためて不快であった。
 他、ドリカムのうれしいたのしいだいすき、等。

 結構昔の曲だよね。

 おまえ達、どういうことだ、と。





 おまえ達、その理由を、ちょっと春先生に言ってみなさい。










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さくら
さくら
更訂 H32.2.6